コナン・ドイル『クルンバの悲劇』
コナン・ドイルの代表作がシャーロック・ホームズ譚であることは言うまでもありませんが、もちろんその他にも、興味深い作品が数多くあります。本作はその一つ、荒涼としたスコットランド南西部を舞台に、奇矯な言動をとる館の主の秘密を描く物語であります。
叔父の所有する土地と財産管理のため、父や妹のエスタとともに、ウイグタウン州ブランクサムに引っ越してきた青年ジョン・フォザギル・ウエスト。荒涼とした土地で日々を過ごすウエスト家の人々ですが、近くの無人であったクルンバ館に、ある晩、灯が点っているのを目撃することになります。
クルンバ館に向かったジョンは、そこに新たな住人であるヘザストン少将一家が越してきたことを知るのですが――四十年前、インドで輝かしい戦果を上げたという少将は、極めて猜疑心の強い、奇矯な言動をとる人物だったのです。
館の周囲に高い塀を巡らせたと思えば、夜には館中に煌々と灯りを灯す――そんなヘザストンの行動を不審に思うジョンですが、やがてほとんど軟禁同然だったヘザストンの息子・モーダントと娘のゲブリエルと知り合い、密かに交流を深めていくことになります。
そしてモーダントから、毎年10月5日に少将の恐怖が頂点に達すると聞かされたジョンですが――その日の数日前に近くの湾で船が難破し、遭難したと思われたものの奇跡的に生還した三人のインド人僧侶の存在を知ることになります。
その一人と言葉を交わし、極めて高い知性と、高潔な人柄に感銘を受けるジョン。しかし僧侶たちの存在を知った少将の反応は……
荒涼とした僻地に立つ館、何かに怯える奇矯な住人、そして異国からの使者――一種の典型といえる要素で構成された本作。シチュエーション的に、同じドイルの『四つの署名』を連想される方も多いと思いますが、はっきり言ってしまえば、そちらと近い内容の物語であることは間違いありません。
尤も本作は、探偵による理性的な謎解きの物語ではなく、超自然的な要素が含まれる、一種の怪奇小説であります。
今の目で見れば、作中で描かれるその要素自体は控えめで、鐘の音に象徴される一種の前兆と、そして仄めかしによるものなのですが――しかしそれでも一種の重苦しさすら感じさせる迫力があるのは、舞台設定と、第三者の視点を通じた物語展開の妙でしょう。
ちなみに作中の一種の心霊科学を肯定する視線からは、てっきりドイル晩年の作品と思ったのですが、それどころか本作は『緋色の研究』と前後して執筆された、最初期の作品だというのが面白い。
場合によっては、ドイルはホームズではなく最初からこちらの方向に進む可能性があったのでは――と想像するのは、なかなか面白いものです。
というわけで最初期の作品ながら十分に読ませる本作なのですが、実は途中からどこかで本作を読んだことがある、という気分になりました。その謎は、三人の僧の登場の辺りでようやく解けたのですが――実は本作は、水木しげるの長編怪奇漫画『鈴の音』の翻案元なのであります。
水木しげるの初期作品に、欧米の怪奇小説の翻案がしばしば含まれているのは有名な話ですが、初読時には気付かなかった『鈴の音』にも元があったとは……
比べてみると、なるほどこのように翻案するのか、とその巧みさに感心させられるのですが――特にラストに登場するある場所の描写の凄まじさ、そしてあの世への不思議な憧憬などは、水木しげるならではのものがあり、機会があればぜひ読み比べていただきたいと思います。
ちなみに本作を読んでいなかったのは、長い間絶版になっていたためでしたが――元々収録されていた新潮文庫のドイル傑作集の中で、本作は他よりも再版に恵まれなかったのでは?――現在は電子書籍として容易にアクセス可能なのは、実にありがたいところであります。
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