夕木春央『時計泥棒と悪人たち』(その一)
銀行員から泥棒に転職したである美青年・蓮野と、その親友で画家の井口――作者のデビュー作『絞首商會』で活躍したコンビが帰ってきました。しかも今回は前作で触れられた語られざる事件の数々を描いた、奇想溢れる、そしてバラエティーに富んだ全七編の短編集であります。
帝大卒の銀行員でありながら、生来の人嫌いが高じた末に、人と接しなくてよい職業――泥棒に転職した美青年・蓮野。その蓮野の親友であり、危なっかしい友の世話を焼きつつも、本人もどこか浮き世離れした画家の井口。このコンビが無政府主義結社・絞首商會が起こした殺人事件に挑む姿が描かれたのが『絞首商會』でした。
同作では、蓮野と井口、そして周囲の人間たちが過去に幾度も事件に巻き込まれてきたことが語られ、大いに興味をそそられたのですが――それが、本書において一気に語られることになります。
いわば『絞首商會』の前日譚であり、ファンにとっては二人をはじめとする個性的な面々に再び会える、嬉しい機会なのですが、もちろんこの作者のこと、ただで済むはずがありません。
特にホワイダニットに力を入れた本格ミステリ集である本書を、一作ずつ紹介します。
「加右衛門氏の美術館」
実業家の加右衛門氏に、かつて父が贋物の置時計を売ってしまったと知った井口。その時計を盗み出そうとする蓮野と井口は、加右衛門氏が建設中の美術館に時計が収められていることを知ります。
美術館への侵入を決行した二人ですが、蓮野はある事実に気付き……
タイトルの「時計泥棒」を主人公コンビが働くことになる本作の舞台となるのは、余命幾ばくもない加右衛門氏の美術館。しかしこの美術館、辺鄙な土地に建てられた上に建物も不格好、展示物の並べ方もほとんど規則性がなく――と、奇妙な代物であります。
本作は、加右衛門氏は一体何故このような奇妙な美術館を建てたのか? という一種のホワイダニットを描くのですが――なかなかに豪腕ながら、美術館潜入のスリルが一気に謎解きに繋がっていく展開も巧みで、本作ならではの設定を活かした快作です。
「悪人一家の密室」
一家五人の大半が悪人という蓑田家で働く女中の亜津子。ある晩、用事で庭に出た彼女は、一家で唯一の良識人の明正が、改修中の離れの閂がかかった部屋で、奇妙な姿で殺されているのを発見してしまい……
ほとんど全員が悪人――というか社会不適合者、ダメ人間という特殊環境の一家を舞台とする本作。そんな面々が唯一苦手とする、海外滞在中の当主が、家の離れの改修を命じてきた中で、密室殺人が起こるという趣向です。
正直なところ、トリックやその動機は、この環境あってこそのもので、相当豪腕な印象を受けるのですが、しかし主人公となる亜津子の盗み聞き癖が思わぬ役割を果たすのは面白いところです。
「誘拐と大雪 誘拐の章」
誘拐された姪・峯子を救出するため手を貸してほしいと井口に頼まれた蓮野。誘拐から身代金引渡しに間がなさすぎることに気がついた蓮野は、犯人の狙いがどこにあるかを解き明かします。
どうやら犯人は強盗団らしいとわかったものの、手がかりとなる男はすでに殺された後。犯人を追い、引渡し場所に潜む二人ですが……
『絞首商會』でも活躍したり大変な目にあったりした峯子がかつて巻き込まれたと語られ、大いに気になっていた誘拐事件の顛末を顛末を描く「誘拐と大雪」。その前編である「誘拐の章」はまだプロローグ的な内容ですが、冒頭から挨拶代わりに、何故峯子は誘拐されたのか、というホワイダニットが描かれるのが、らしいところです。
犯人は派手に時計店で時計を強奪(ここでも時計泥棒)するなど派手に暴れまわる強盗一味、しかも主犯格は極めて凶悪と、緊迫感は高まるのですが――しかしそんな中でもどこか落ち着いたムードなのは、やはりどんな時でも取り乱さない蓮野のキャラクターあってでしょう。
(ちなみにここで、トレードマークである礼服を、蓮野が泥棒時代にも着ていたという事実が判明してさらにおかしさが募ります)
しかし繰り返しになりますが相手は凶悪犯、峯子の安否が気遣われるわけで――というわけで「誘拐の章」に続きますが、この文章も次回に続きます。
『時計泥棒と悪人たち』(夕木春央 講談社) Amazon
関連記事
夕木春央『絞首商會』 探偵は泥棒、犯人は秘密結社の後継人!?
夕木春央『サーカスから来た執達吏』(その一) 二人の少女の奇妙な財宝探し
夕木春央『サーカスから来た執達吏』(その二) 華族でしかない少女にとっての「サーカス」
| 固定リンク