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2023.09.25

矢野隆ほか『どうした、家康』(その一)

 今年の大河ドラマもそろそろクライマックスですが、意外と少なめだった印象のある今年の家康関連書籍。そんな中でも、そのタイトルで一際目を引いたアンソロジーであります。家康の生涯を豪華執筆陣が超短編で描くユニークな企画の本書の全十三編のうち、印象に残った作品をご紹介します。

「囚われ童とうつけ者」(矢野隆)
 父の命じるままに今川家の人質になった――はずが、配下の裏切りで織田家に送られた幼い竹千代。現状を受け容れるしかない彼の前に、ある日奇妙な青年が現れて……

 本書の劈頭を飾るのは、まだ六歳の家康と、うつけ者――信長の出会いを描く物語。理不尽な状況に翻弄されるばかりで忍耐するしかない家康と、テンションが高くエキセントリックな物言いの信長というのは、ある意味定番のキャラクター像ではあります。
 しかし家康にあえて残酷な現実をぶつけてくる信長と、それによって初めて本当の顔を見せる家康が最後に結ぶ絆は実に熱く、一貫して戦う男を描いてきた作者ならではの物語と感じます。


「生さぬ仲」(砂原浩太朗)
 元康の生母であるお大を妻に迎えた久松弥九郎のもとを訪ねてきた元康。しかし時は今川と織田の決戦の直前、織田方である俊勝は、母子の再会の後、元康を抹殺することを決意するのですが……

 家康を生んだ後に松平広忠に離縁され、久松俊勝(弥九郎)に嫁いだお大。今川と織田に挟まれ、それぞれの顔を伺う父や夫に翻弄されたその経歴は、後の天下人の母とは思えぬ過酷さを感じさせます。

 そして本作はその夫の弥九郎が主人公という、意表を突いた設定の作品。色々な意味で何とも微妙な立ち位置の弥九郎ですが、決戦の直前にわざわざ自分の懐に飛び込んできた元康を見逃すはずもなく――と、ここからの展開はある意味予想通りではありますが、その結末に対して抱いた弥九郎の感慨が、ほろ苦くもどこか爽やかでもあります。

 個人的には本書でもベストの作品でした。


「三河より起こる」(吉森大祐)
 三河の一向一揆で家中が真っ二つに割れる中、家康の正室・瀬名が一向宗側の茶会に顔を出したと聞かされた石川与七郎(数正)。瀬名を問いただした与七郎が聞かされた彼女の思いは……

 家康の正室でありながら、後に悲劇的な運命を辿ることとなった瀬名。これまで悪妻として描かれることも多かった彼女を、本作はいささか異なる角度から切り取ってみせます。
 今川と徳川の間に挟まれた自分の立場を弁えないのでなく、ただ翻弄されるでもない――十二分に己の立場を理解し、その上で必死に生きようとする本作の彼女の姿は、彼女が語る(その時点の)家康像ともども、大いに納得がいくものであります。

 その一方で、彼女がぬけぬけと語る、向こう側につかなかった理由もすっとぼけていて(もちろんこれも一つの象徴なのですが)、彼女の未来を予感させる結末の一ひねりも含めて、一筋縄ではいかない物語であります。


「徳川改姓始末記」(井原忠政)
 ある日、関白・近衛前久から呼び出された神祇大副の吉田兼右。三河守への叙爵を望む家康から働きかけを受けたにもかかわらず、太政官から「先例がない」と拒絶された家康のため、兼右は賄の分け前目当てに先例を調べるのですが……

 いま徳川家と三河武士を書かせたら最も旬な作家の作品は、意外にも京の公家の世界を舞台とした物語。源氏であるはずの家康が、一時期藤原氏を公称していた謎(?)から始まり、公家たちの複雑怪奇な世界が描かれることになります。

 箔をつけたい戦国大名と、金がない貧乏公家の組み合わせだけでも面白いところに、思わぬ出来事が家康の叙爵を妨げていたという展開もユニークなのですが、関係者にとっては面白いではすまされません。家康からの賄を手にするために、兼右たちが取った手段とは――いやはや、いつの時代もこうした世界は変わらないものです。


 次回に続きます。


『どうした、家康』(講談社文庫) Amazon

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