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2023.09.13

とみ新蔵『愛剣 剣術抄』

 歴史上で真剣勝負を演じてきた様々な剣士たちの姿を描く『剣術抄』シリーズの最新作は、なんと女剣士・萌香が主人公。しかし舞台は肥後細川家、萌香の姓が阿部と聞けば、粛然たる気持ちにならざるを得ません。そう、本作のモチーフは阿部一族なのですから……

 藩の重臣・阿部弥一右衛門の娘であり、宮本武蔵の下で剣を学ぶ萌香。相弟子である天草平九郎と共に剣を磨く彼女の日常は、藩主・細川忠利の死により、一変することになります。
 忠利に殉死する者が次々出る一方で、殉死しない弥一右衛門に向けられる周囲の冷たい目。実は忠利から次代のために死を止められていた弥一右衛門でしたが、しかし周囲の嘲りに、ついに切腹することになります。

 しかしそれは既に殉死禁止令が出た後のことであり、藩命に背いたという扱いで処分を受ける阿部一族。憤懣やる方ない長男は髻を切って抗議するも、逆賊扱いされて捕縛、斬首されるのでした。
 藩のあまりの扱いに怒り長男の首を奪還、屋敷に立て籠もって徹底抗戦の構えを取る萌香たち一族。これに対して藩が送り込んだ腕利き揃いの討伐隊の中には、萌香に想いを寄せる平九郎の姿が……


 主君の命を守って殉死しなければ後ろ指をさされ、殉死すれば法度に背いたと処分され、不満を示せば逆賊扱いで処刑され、ついに一族あげて立て籠もるも――という、つくづく武士ってイヤだなあと思わされる阿部一族の物語。森鴎外によって小説化され、以後も様々な形で描かれてきた物語を、本作は意外な形でアレンジして描きます。

 その一つは、宮本武蔵の存在であります。武蔵が晩年に細川忠利に招かれ、客分として肥後に暮らしたのはよく知られた話ですが、だとすれば阿部一族の事件の際にも、当然武蔵は肥後にいたはず。
 というより、鴎外の「阿部一族」の終盤にも、ちらりと武蔵が顔を出しているのですが――本作はそれとは全く異なる形で、主人公たちの師として登場することになります。
(ちなみに武蔵は『剣術抄』シリーズでも『五輪書・独行道』の主役を務めています)

 出番こそ多くはないものの、結末を締めた上に、この事件が実は――と、最晩年の武蔵の行動に結びついているのも巧みで、なるほどこう絡めるのか、と大いに唸らされます。


 しかし本作においては、主人公が萌香という女性だということが、最大のアレンジ、最大の特長であることは言うまでもありません。

 これまでほとんど女性剣士は登場していなかったと記憶している『剣術抄』シリーズ。クライマックスにおいて主人公が真剣を振るうことがほとんどの『剣術抄』においては、それもやむなしという気がしておりましたが――しかし武蔵が言うように「刀は軽く触れても切れるもの」。
 何よりも本作でこれまで描かれてきた剣術は、力任せに振るわれるものではなく、精妙な技の理法でした。だとすれば女性剣士が登場しても不思議ではありません。

 とはいえ女性が剣を振るう場が、はたしてどれだけあるかどうか――というところで、一族郎党こぞって戦った阿部一族の一件を持ってくるのが本作のすさまじいところであります。
 鴎外の「阿部一族」では一族の女は事前に身内の手で殺されたことになっていますが、本作は萌香だけでなく、母や兄嫁たちも薙刀を手に戦うというのは、実に作者らしいところでしょう。

 そしてその中で萌香は剣士として武蔵直伝の見事な技をみせるのですが――実戦での二刀流を、こういう理由で使ってみせるというのは初めて見たように思います。さすがは剣術抄というべきでしょうか。


 そしてクライマックス、ついに対峙する萌香と平九郎。同門であり、互いに憎からず想い合う二人が剣を交えるのですが……

 本作のタイトル「愛剣」は、討ち手に選ばれた我が身を嘆く平九郎に対して、その父が慈しみの剣を振るえと語った中にあった言葉。しかし振るえば相手を斬る剣に、はたして慈しみなどあるのか?
 その答えは、二人の対峙の結末の中に示されているのでしょう。

 女性が振るう剣とは何か、如何なる時に女性は剣を振るうのか。そしてその先にあるものは――これまで様々な剣士を描いてきた作者ならではの物語であります。


 しかし弥一右衛門を貶めた武士の名は、何というかもう少し……


『愛剣 剣術抄』(とみ新蔵 リイド社SPコミックス) 

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