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2023.09.27

篠綾子『翔べ、今弁慶! 元新選組隊長 松原忠司異聞』

 タイムスリップ時代劇は今では珍しくありませんが、現代から過去ではなく、過去から過去へのタイムスリップはまだ珍しい類であります。本作はその一つとして、今弁慶の異名を取った新選組の松原忠司が、源平合戦の最中に現れるという奇想天外な、しかしどこかウェットな物語であります。

 八月十八日の政変の際、坊主頭に白い鉢巻、大薙刀という姿で禁裏の門を守護したことから「今弁慶」の異名を持つ新選組四番隊隊長・松原忠司。しかし親しかった山南が切腹した後、身に覚えのない嫌疑で捕らえられた忠司は、切腹を命じられることになります。
 想いを交わしていた島津家の奥女中・おるいに累が及ばぬよう、彼女を逃がすことを決意した忠司は切腹の場から逃走、追っ手と斬り合った末に、壮絶な死を遂げた……

 はずだったのですが、気がついてみればそこは見知らぬ地。そこで「弁慶殿」と声をかけられた忠司は、なんと自分がいるのが、壇ノ浦の合戦直前の源氏の陣と気付くのでした。
 しかし不審人物として捕らえられ、惟宗三郎なる人物に一旦預けられた忠司は、そこで畠山重忠と知り合うことになります。

 やがて合戦が終わって解放され、京に上った忠司は重忠と再会。そこで重忠が、平宗盛の子でまだ八歳の副将君を救おうとしていることを知った忠司は、彼の企てに協力することになります。
 惟宗三郎に見つかりかけながらも副将を救うことに成功し、重忠の領国である武蔵国へと伴った忠司。そこで重忠の妹・貞姫と知り合い、一時の平和な時間を過ごす忠司は、義経と重忠、頼朝と惟宗三郎、そして貞姫を巡る様々な因縁の存在を知ることに……


 冒頭に述べたように、様々なパターンのあるタイムスリップ時代劇ですが、過去から過去というのはまだ珍しい部類に入ります(その中には、本作の解説で触れられているように、新撰組全体が戦国時代にタイムスリップしてしまう『戦国新撰組』がありますが……)
 そんな中で本作は、「今弁慶」が、源平時代にタイムスリップして本物の弁慶と出会ってしまうという、極めてユニークな作品であります。

 しかしタイムスリップと書いたものの、死んだと思ったら壇ノ浦に居たというのは、どちらかというと最近の転生もの感がありますが――とはいえ本作の忠司は、源平合戦の大まかな知識があるのみで、目立った「未来人」としてのスキルはなく、過去の時代で大活躍するわけでもありません。

 またタイトルを見た時の予想に比べると意外に感じられたのは、忠司と弁慶の絡みは想像以上に少なく、物語のメインとなるのは完全に忠司と畠山重忠と惟宗三郎忠久――「三忠」の交流である点であります。
 正直なところ、弁慶の代わりに忠司が義経に付き従って戦う――という話を想像していましたが、あまりに安直であったと反省いたしました。


 そんなわけで本作は、忠司の存在を通じて、源平合戦直後の武士たちの人間模様を描く、想像以上に地に足の付いた物語であります。

 生まれも育ちも異なるものの、やがて強い友情で結ばれる三忠や、まだ幼いうちから一族郎党と死に別れた幼い副将との交流――仲間と愛する人、所属する場所と帰る場所全てを失った忠司にとって、この時代に出会った人々の存在が救いとなり、生きる理由となる様は、なかなかに味わい深いものがあります。

 特に複雑な出生ゆえになかなか本心を見せぬものの、やがて心を開いていく三郎との友情は、やがて明かされる一つの因縁とともに、本作の大きな要素(あるいは仕掛け)といえるでしょう。


 しかし全体を通してみると、タイムスリップしてこの時代ならではの物語が描かれたかといえば、やはりどうかな、という印象を受けてしまうのも正直なところではあります。

 特に終章とその直前の展開は、それぞれがメインになってもおかしくない内容だけに、かなり駆け足に感じられて――もちろん、そこに至るまでの経緯こそが本作の中心という意図なのだとは思いますが――どうにももったいないという印象が強いのです。


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