山本巧次『満鉄探偵 欧亜急行の殺人』
『八丁堀のおゆう』をはじめとする時代ミステリを得意としつつ、その経歴を活かして鉄道ミステリでも活躍する作者が、満鉄こと戦前の南満州鉄道を舞台に描くミステリであります。満鉄の内部調査員――満鉄探偵が追うのは社内の書類紛失事件。しかし事件は殺人に発展し、さらに軍を巻き込んだ大事に……
満鉄の資料課に勤務しつつ、社内で起きた不祥事の内部調査員というもう一つの顔を持つ青年・詫間耕一。総裁の松岡洋右から今回彼が調査を命じられたのは、社内の書類紛失――社内で様々な書類が行方不明になっているという事件でした。
どうやら満鉄に出入りしている満州浪人・塙の仕業と睨んだ耕一ですが、何と塙は自宅で何者かに撲殺された姿で発見され、詫間も憲兵隊に連行されることになります。
諸澄少佐率いる特務機関の横槍ですぐに釈放された耕一ですが、もちろん調査を止めるわけにはいきません。松岡から相棒として付けられた正体不明の青年・辻村と共に調査を続ける耕一は、塙が憲兵隊と特務にマークされているロシア人・ボリスコフと接触していたことを知ります。
大連を離れるボリスコフを追って、同じ欧亜急行に乗り込んだ耕一と辻村。同じく乗客となっていた諸澄少佐、調査の行く先々に現れる謎の美女・春燕らの姿に、落ち着かない時間を過ごす耕一ですが――そんな中で匪賊の一団が列車を襲撃。そしてその最中に大事件が……
今は亡き幻の鉄道として、満州を舞台とした作品ではほとんど必ず題材となる満鉄。しかし本作は、どちらかというと背景として使われることが多い印象のある満鉄を、その内部――それも上層部ではなく一調査員を主人公として描く、かなりユニークな作品であります。
(そもそも、戦時ではない「平和な」満州を題材とする点も、一種の独自性といえるかもしれません)
そしてそこで描かれる事件も、社内の書類紛失事件という小さな発端から始まったと思えば容疑者が殺され、さらには鉄道ミステリらしく(?)車内での密室殺人が発生と盛りだくさん。
特に密室殺人は、元々動く密室である列車内の個室という二重の密室、しかも匪賊の襲撃の最中という緊急事態での殺人という凝りようで、なかなか楽しませてくれます。
しかし物語において殺人事件以上に大きなウェイトが割かれるのはスパイ戦――満州で各国のスパイが活発に活動を行っていたのは常識(?)ですが、本作の背景となるのはこのスパイ戦であります。
憲兵隊や陸軍特務まで乱入しての虚々実々の駆け引きの中に足を踏み入れた耕一は、探偵ではあってもスパイの世界は素人。そんな彼の目を通じて描かれるスパイ戦は、それだけに新鮮な印象もあります。
もっとも、それだけにそのスパイ戦の全容を把握している諸澄少佐が――特に物語のメインとなる鉄道乗車中に――物語を完全にリードすることになり、耕一はその後をついていくという構図となっているのが、いささか気になるところではあります。
また、犯人がやたらこき下ろされるのが個人的には気になったところで――確かに小人物ではあるものの、それだけに動機には理解できるところもあって、むしろそれを断罪する耕一の方の行動原理が「仕事」以上のものでない(さらに厳しい言い方をすれば「走狗」である)だけに、何ともすっきりしないものが残りました。
もう一点、登場人物が日本人ばかりなので、折角の満州が舞台の物語なのに、日本視点だけで物語が進んでしまう点は、ラストでまあ解消されてはいるのですが……
というわけで、独自性はありつつも、引っかかる点もそれなりにある作品であります。
『満鉄探偵 欧亜急行の殺人』(山本巧次 PHP文芸文庫) Amazon
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