畠中恵『忍びの副業』下巻 ミステリとして、忍者ものとして、政治ものとして
江戸時代後期、西ノ丸・徳川家基に見出され、忍びとして「副業」に燃える甲賀者たちの姿を描く物語のクライマックスであります。幾多の波乱を乗り越え、西ノ丸に受け入れられた甲賀者たちが直面する、鷹狩での相次ぐ怪事。はたして甲賀者たちは家基を守り抜くことができるのか……
戦国時代に活躍し、徳川家に召し抱えられた忍びたちが、江戸城警護を「本業」とする時代。先祖代々受け継がれてきた技を受け継ぐ三人の甲賀者、弥九郎・十郎・蔵人は、ある日、西ノ丸に呼び出されることになります。
将軍の嫡男として次代将軍に最も近いところにいる西ノ丸・家基。しかしその周囲におかしな動きが相次いでいるというのです。その警護を甲賀者に頼みたいという言葉に奮い立つ弥九郎たちですが――しかし彼らの「副業」には思いもよらぬ様々な困難が立ち塞がります。
斑猫の毒が密かに流通しているという噂を追ううちに、自分たちを含めた忍びの危険性を悟った弥九郎。彼は西ノ丸を守るために、西ノ丸から自ら離れることを決断することに……
という思いもよらぬ展開を迎えた上巻のラストを受けて、下巻は弥九郎たちの再起の物語から始まります。
千載一遇の機会を自ら手放したことで、甲賀者たちから村八分され、謹慎処分となった弥九郎たち。しかしある日、これまでにない動きを見せた曲玉の占いの中で、彼らは何者かの駕籠が襲撃を受けている場面を目撃します。
占いの導きでその場に向かい、襲撃者を撃退してみれば、襲われていたのはなんと老中・田沼意次。家基の敵の一人とも噂される意次と対面したのをきっかけに、弥九郎と甲賀者たちは意次と縁を結び、再び西ノ丸に仕えることになるのでした。
しかしその後も大小様々な事件が続きます。外出した西ノ丸一行がそのまま江戸城に戻らず消息不明になったり、蔵人の姉・吉乃の嫁入りの仲介に四家ものの武家が動いたり――そんな中、最大の事件が起きることになります。
将軍とその後継者には避けて通れない、そして最も危険の大きな鷹狩。その場で、鳥見役たちが四人も毒で死んだというのであります。さらに時同じくして、同じ狩り場の周辺で、別の中毒事件や熊の乱入、銃の暴発など不審事が重なったというではありませんか。
家基を狙う企てとして、総力で犯人を追う弥九郎たち甲賀者。そして、ついに家基が参加する鷹狩の日が訪れるのですが……
上巻に引き続き、こうした甲賀者たちの奮闘が描かれる本作は、大きく分けて三つの要素から構成されているといえます。
一つはミステリ――上で述べたように、本作の各話で起きる様々な事件は、いずれも「謎」という形で描かれ、その謎解きが物語を動かしていくことになります。この辺りは、やはり作者ならではのセンスでしょう。
そして二つ目は忍者もの。これはもう忍びが主人公ですから当然ではありますが、徳川配下の甲賀・伊賀・根来に、他家の忍びまでも加わっての乱戦模様が、上巻以上に展開することになります。
弥九郎たちは普段から得意とする技があるのですが、しかし実は秘中の秘の隠し技が――という、実に忍者ものらしい設定には、忍者好きとしてはシビれてしまいます。
そして三つ目は政治もの――本作は忍びの目から見た物語ではありますが、メインに描かれる将軍の後継者争いであり、そしてそこの中で蠢く幕閣や官僚たちの姿であります。
こうした、一種官僚もの的趣向で江戸城内を描く作品は少なくありませんが、それを忍びという一種の局外者の目から描くことによって、本作はある種の新鮮さと客観性を生み出していると言えます。
歴史時代小説でも、こうした趣向の作品はあまり多くないのですが――そこに畠山恵が乗り込んでくるとは! と大いに驚き、そして嬉しくなった次第です。
(ちなみにクライマックスで主人公の○○シーンが描かれたのは、おそらく作者の作品では初めてではないでしょうか)
さて、ここでは多くは述べませんが、物語は史実通りの結末を迎えることになります。弥九郎たち甲賀者は、夢を失った形となるのですが――しかしそれは彼らの戦いの終わりを意味するものではありません。
忍びとしての夢を失った代わりに、忍びとしての誇りを取り戻した彼らが挑む、新たな「副業」とは――この物語の続編が描かれることを強く期待しているところです。
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