モーリス・ルブラン『奇岩城』(その一) 怪盗紳士vs少年探偵! 知名度No.1の名作
アルセーヌ・ルパンもの数ある中で、おそらくは最も知名度が高い作品であります。被害なき盗難事件に始まり、張り巡らされた数々の謎と暗号を巡り、高校生探偵イジドール・ボートルレがルパンと頭脳対決を繰り広げる――シリーズ初の長編、そして伝奇色も濃厚な、名作中の名作であります。
ある夜、ノルマンディのジェーブル伯爵の屋敷に何者かが侵入、秘書が殺される事件が発生。自ら銃を取った伯爵の姪・レイモンドが屋敷から逃走する人物を撃ち、傷を負わせるのですが――そのまま謎の人物は姿を消し、そして屋敷からは盗まれたものは何も見つからないという、不可解な事態となるのでした。
混乱を極めるその現場に現れたのは、若干17歳の高校生にして素人探偵のボートルレ少年。わずかな手がかりで屋敷から何が盗まれたか、そして秘書が誰に殺されたかを見抜いたボートルレは、事件の犯人がルパンであり、ルパンはまだ屋敷の敷地内にいると指摘するのでした。
しかし休暇を終えたボートルレが学校に戻った後も、警察の捜査虚しくルパンは発見されず、それどころか報復のためか、レイモンドが誘拐されることになります。
再びノルマンディを訪れたボートルレは、ついに傷を負ったルパンの隠れ場所を発見するも、そこにあったのは死体のみ。はたしてルパンは本当に死んだのか、レイモンドの運命は――そして、レイモンドの誘拐場所で見つかった紙片に記されていた不可解な暗号は何を意味するのか。
そしてなおも真相を追うボートルレの前に現れた人物。その正体は……
という冒頭1/3の時点までで、既に波乱万丈な展開が連続する、この『奇岩城』(『奇巌城』表記もありますが、ここではハヤカワ文庫版に依ります)。
ここまでで普通の長編並みの満腹感ですが、物語はここからが本番であります。ルパンとボートルレとの一進一退の――いや、ボートルレが追いついたと思えば、その一歩も二歩も先を行ってるルパンとの攻防は、周囲の人々を巻き込みながら続ます。そこにさらに謎の暗号の秘密が有機的に絡み、最後の最後まで盛り上がりは止まりません。
そんな本作の大きな魅力が、ボートルレその人であることは、衆人の認めるところでしょう。これまで数々の職業探偵や悪人たちを退けてきたルパン――そのまず間違いなく最強の敵の一人が、高校生の素人探偵という設定の妙にまず唸らされます(ルルーの『黄色い部屋の謎』のルールタビーユの影響では、というのはさておき)。
しかし今読み返してみると、ボートルレは、ルパンとは別の意味で感情豊か――というか「多感」で、特に悔しいことやショックなことがあった時によく泣くのが、年頃の純心な少年らしく印象に残ります。
特にルパンを一度は出し抜いて(と思われて)開かれた祝賀会のまさにその場で、自分の推理の誤りを指摘され、何も言えずに泣き出してしまうくだりは、ある意味実に意外な、隠れた名場面であります。
しかしこの場面ではありませんが、出し抜かれて目を潤ませるボートルレに
「本当にかわいいね、きみは……思わず抱きしめたくなるよ……いつも驚いた目をしているのが、胸に迫るんだ……」
と語りかけるルパンには、さすがに驚かされるのですが……
それはさておき、本作はルパンシリーズとは言い条、主人公はボートルレであって、ほぼ完全に彼の視点で物語が進み、ルパンはその敵役というべき立ち位置で描かれることになります。しかしだからこそ本作では、ルパンの巨大さというものが、強烈に印象付けられることになります。
これまでは読者としてルパンの立場から見ていたものが、一度敵側に回せばこれだけ恐ろしい相手なのかと――長編であるだけに、本作ではじっくりと描かれ、厭でも理解させられるのです。
(もっとも本作の場合、その強大さを感じさせる手段として、誘拐が妙に多い気がするのはどうかと思いますが)
さて、もちろん本作の魅力はそれだけに収まりません。ボートルレがルパンを追ううちに、否応なしに直面させられることになる謎。それはあの謎の紙片に記された暗号――かろうじて「空ろの針」と読み解けたその暗号が示すものは何か!?
それは――思いのほか長くなりましたので、次回に続きます。
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