瀬川貴次『ばけもの厭ふ中将 戦慄の紫式部』 平安ホラーコメディが描く源氏物語の本質!?
いよいよクライマックスも近いかと思われた『ばけもの好む中将』――その新作はなんとスピンオフであります。ばけもの好む中将・宣能の友人で、今源氏の異名をとる色好む中将・雅平が、何故か源氏物語を思わせる怪異の数々に遭遇してしまうことになります。
ある雨の夜、宿直のつれづれに語り合っていた四人の中将。しかし宣能が怪談話を始めたことから興ざめした雅平は、屋敷に帰ることにするのですが――その途中で牛車が脱輪したことをきっかけに、彼は親を亡くして貧しい境遇である上総宮の姫君の屋敷に通うようになります。
しかし奥手な姫君に業を煮やして強引な手段に出る雅平。その時、天井裏から鼻の長い男が顔を出したと思えば見る見るうちにその鼻が長く伸び、姿を消したと思えばすぐそば横たわっていたではありませんか。どう見ても生者ではない男の出現に、雅平は慌てて屋敷を飛び出すのでした。
どうやら男が上総宮の亡霊らしいと知った雅平は、この手の話ならばと宣能に泣きつくのですが……
怪異をこよなく愛し、怪異に遭うためにあちこちに出かけていく奇人・宣能を主人公の一人とする『ばけもの好む中将』。本作はそのスピンオフであることは冒頭に述べましたが、大きく本編とは雰囲気を異にする物語であります。
その理由は、本作には本当に「出る」こと――本編では宣能が怪異をどれほど求めようとも、彼が出会うのは勘違いや見間違い、あるいは人のこしらえ事であったりと、いわゆる誤怪・偽怪なのですが、本作で雅平の前に現れるのは真怪なのです。
それは世界観的にアリなのかと一瞬思ったりもしますが、作者がアリと言っているのだからもちろんアリ。おかげで、雅平が怪異に遭ったと信じず、むしろ冷静に(いや何となくムキになってる感もあったり)否定に回る宣能という珍しいものを見ることができるのが、何とも楽しいところです。
元々作者は平安時代を舞台にした(コメディ色も強い)ホラーを得意としてきましたが、本作は怪異なしという本編の軛(?)が外れて、瀬川節というべき、真面目な怪異とそれに怯える人々を実に楽しげに描いているのです。
しかし本作の最大の魅力は、雅平の女難が、そのまま「源氏物語」パロディとなっている点であることは間違いありません。
第一話では高貴な生まれながら恥ずかしがり屋で何とも垢抜けない姫君と出会い、第二話では廃屋で逢瀬を楽しもうと思ったら、物怪に脅かされる雅平。
さらに第三話では弘徽殿で美女(実は……)と出会ったことで思わぬ波紋を呼んだり、第四話では五十を超えた老女との逢瀬を疑われたりと――それぞれ末摘花、夕顔、朧月夜、源典侍と、源氏物語に登場した女性たちをモチーフにした物語が展開するのです。
(ここで源典侍をチョイスするところが、もの凄く作者らしい)
しかし本作はやがて、源氏物語パロディを超えて、源氏物語という物語が何を描いていたのか、人々が源氏物語という物語に何を見ていたのか――すなわち、「源氏物語」の本質にまで踏み込んでいくことになります。
「源氏物語」という虚構の物語を記したことで不妄語戒を犯し、地獄に落ちたという伝承のある紫式部。本作はその伝承を取り込みつつ、そしてこの物語で描かれた一つの「悪」の存在を描きつつも、それを乗り越えて人々の源氏物語への愛を描き、そして紫式部と源氏物語にまつわる人々(その「悪」をも含めて)を寿ぐのであります。
『ばけもの好む中将』スピンオフであり(作中ではきっちり本編に繋がるような陰謀が出てくるのに感心)、平安ホラーコメディであり、「源氏物語」パロディであり、そして一種の源氏物語論でもある――幾つもの顔を一つの物語の中で成立させるという離れ業を見せてくれた本作。
瀬川貴次という作家の技量のほどを、改めて見せられた思いであります。
そしてもう一つ(些か牽強付会ではあるものの)気付かされたのですが――ある一つの道に打ち込む貴公子を中心に、個性豊かな様々な女性たちの姿を描いてきた(そして同じ名の「悪」が存在する)『ばけもの好む中将』という物語自体が、一種の「源氏物語」パロディなのではないかとも……
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