楠桂『鬼切丸伝』第18巻 美しく とても美しく 美しすぎる姫が招く鬼
鬼を斬るために永遠をさすらう鬼切丸の少年を通じて、人の歴史の陰の部分を描く『鬼切丸伝』の最新巻は、美しすぎる姿が周囲に不幸を招く姫、妻への愛のために千人斬りを志す男、人々のために起った義民を襲う悲劇――三つの物語が収録されています。
この世で唯一鬼を斬ることができる神器名剣・鬼切丸を振るう名のない少年――彼が様々な時代で出会う鬼と、様々な人の愛憎の姿を描く本作。
この巻の冒頭の「鬼観音初音姫」は、戦国時代の伝説の姫、九鬼澄隆の娘である初音姫にまつわる物語であります。
生まれついて周囲の者を惹きつけずにはおかない美しさを持ち、結婚を求める者が引きも切らなかった初音姫。そんな彼女には、越賀玄蕃允という相思相愛の相手がおりました。
しかし玄蕃允は九鬼家にとっては敵方、父の決めた相手に嫁がされそうになったのを拒んだ初音は、城に幽閉されることになります。己の美しさが不幸を招いたことを嘆いた彼女は、以後はこの地に美しい女が生まれないようにと願いながら、井戸に飛び込んだ……
概略このように伝わる初音姫の伝説。本作もそれをほぼ敷衍しているのですが――作中で逃げる初音に斬りつけた相手の刀が、逸れて地蔵の首に当たるのも伝説通りであります――しかし本作で「美しく とても美しく 美しすぎて」と現される初音姫の存在感は、伝説を遙かに上回るものといえます。
何しろその美しさは無自覚に周囲を惑わせ、彼女を守ろうとするあまりに周囲の者が鬼と化すほどなのですから。
もちろんそんな初音の存在を、少年が放っておくはずがありません。作中で触れられるように、これまでその美によって、無自覚に鬼を生み出す者はおりました。あるいは、自分は無垢のまま、人を追にに変える者もいました。
初音もそんな存在と見做して、命を絶とうとする少年ですが――しかし初音姫の場合は、それとはまた異なる、そして桁違いの力を持つ存在であるといえます。あの、人間も女も嫌いな少年が、思わず言うことに従いそうになるのですから、尋常ではありません。
そんな彼女が自ら命を絶つのは、その絶望ゆえですが、実はここまでが前編。本作の愛読者であれば予想がつくと思いますが、彼女が死の際に残した願いは強固な呪いと化し、この地に更なる災いと悲しみを招く模様が、後編で描かれることとなります。
その呪いの有り様たるや、実に本作らしいというべきか作者らしいというべきか――その残酷さには、胸が痛むほどであります。
正直なところ、後編の結末はかなり甘いようにも思われるのですが、しかし怪異としての己と初めて向き合った初音姫の姿は確かにこの上なく美しく、そこに一つの救いを感じるのです。
また、辻斬りにあって死んだはずの妻から、千人を斬れば自分は蘇生できると告げられた男が、辻斬りの鬼と化す「辻斬り鬼願」は、江戸時代に実在したらしい辻斬りを題材としたエピソード。
物語自体はシンプルに見えますが、終盤にガラリと全ての構図が変わる展開が巧みであります。
一方、ラストの「佐倉鬼義民伝」は、千葉県民であれば誰もが知っている(?)佐倉惣五郎伝説を題材としたエピソードです。
領主・堀田正信の苛政を将軍に直訴した末に妻子ともども処刑された惣五郎が、怨霊と化し、ついには正信を狂わせて藩を滅ぼした――という伝説自体が、既に祟りの物語であるわけですが、本作ではそこに鬼の存在を絡め、新たな物語を描き出します。
本作に登場する、惣五郎の叔父であり、鬼と化して修羅道に堕ちた者すら成仏させる高僧・光善和尚――しかし、惣五郎一家の処刑に際し、この少年すら驚かせた高僧が抱いた絶望が、物語をさらに苦いものに変えていくことになります。
同じ生者が変じた存在であっても、既に人ならざる存在である鬼と、あくまでも人である怨霊は、本作では明確に区分された存在ですが――それを踏まえた皮肉極まりない結末も印象に残るエピソードです。
連載の方はついに百話を数えたとのことですが、歴史に鬼の種は尽きまじ――はたして現代に辿り着くまでに、少年がどれほどの鬼と出会うのか、まだまだ見守る必要がありそうです。
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