『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その二)
青柳碧人による、実在の有名人たちを配置して描く大正ミステリ短編集の紹介、第二回であります。
「都の西北、別れの歌」
学生時代におかしな縁で知り合い、大変世話になった島村抱月が亡くなったと知った吉岡信敬。芸術座の二階にある居室で亡くなった抱月の遺体を一階の舞台に降ろそうとした信敬は、舞台の上手に建築意図が不明の階段があることを知ります。
なんとかその階段を使って遺体を下ろし、葬儀準備を進める信敬は、舞台の下手のこれも不思議な位置に、小さな引き戸があることに気付くのですが……
本作の探偵役は、横田順彌の明治ものでお馴染みの、早稲田の応援隊長――バンカラやじひげ将軍こと吉岡信敬。バンカラの権化のような信敬ですが、人間的には正反対の抱月と交流があり、そして抱月の愛人である松井須磨子ともかつて出会っていたことから、抱月と芸術座劇場にまつわる「謎」に関わることになります。
はたして階段は、窓はなんのためにあるのか? そこに信敬が見出した精神は、早稲田出身者であればよく理解できると思うのですが(作者も早稲田出身)――その推理をひっくり返して、ある意味極めて現実的な解を示す松井須磨子の言葉は(彼女の早稲田人評が極めて的確なこともあって)何とも言えぬほろ苦さと切なさを残します。
「夫婦たちの新世界」
妻である自分に比べて、最近パッとしない鉄幹を元気付けるため、最近できたばかりの新世界に連れ出した与謝野晶子。しかし鉄幹が昔の女の話をしたのに怒った晶子は、一人、新世界上空を渡るのロープウェーに乗ることになります。
しかしそのロープウェーが事故で止まり、宙ぶらりんとなったことを知って駆けつけた鉄幹は、園内で出会った青年から、ある事実を聞かされることに……
社会進出等、女性の自立性の点で大きな変化があった大正時代。しかしそうであっても女と男がいるのが世の中、そこにギャップが生まれるのは不可避であります。本作はそんな自立的な女性の先駆けというべき与謝野晶子とその夫・鉄幹をはじめとする夫婦たちを通じて、その姿を浮き彫りにします。
ミステリとしてはロープウェーが宙吊りとなった出来事のホワイダニットを描くものですが、その謎と上で述べた夫婦たちの絡め方も実にユニークです。
そしてもう一つ、ユニークといえば、本作の探偵役――ボーイスカウトの制服を着た青年社長の正体にも驚くと同時に、不思議に納得されられるのです。
「渋谷駅の共犯者」
週に一度、帝大の農事試験場で研究を行い、帰りに渋谷駅で愛犬のハチ公に迎えられるのが習慣だった上野英三郎。しかしある日、彼は渋谷駅で研究資料を奪われ、駅員の証言から、スリの仕業が疑われるのでした。
スリのことはスリと意見を求められたのは、巣鴨刑務所に服役中の仕立屋銀次――英三郎に面会を求めてきた銀次は、幾つかの質問の末に何事かに気付いたようで……
近代農業土木学の開祖である上野英三郎――現代ではむしろ渋谷の忠犬ハチ公の飼い主として記憶されているかもしれないこの人物を中心とする本作の探偵役は、なんと日本一のスリの大親分として知られた仕立屋銀次であります。
様々な実在の人物の顔合わせを描く本書の中でも、その意外性という点では随一ですが――しかし銀次は当時服役中、その状態から英三郎の言葉だけで真相を推理する、いわば安楽椅子探偵を務めるというのですから、二重に驚かされます。
しかし本作の真の驚きは結末に待ち受けます。本作の題名である「共犯者」とは誰なのか――爽快さと微笑ましさすら感じられるどんでん返しに驚嘆すると同時に、その先の史実に切ない思いを抱かされる、そんな佳品であります。
次回、最終回に続きます。
『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(青柳碧人 KADOKAWA) Amazon
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