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2024.01.12

『戦国妖狐』 第1話「我ら乱世を憂う者」

 時は永禄七年、妖狐・たまと仙道・迅火が野武士を撃退するのを目撃した自称・武芸者の青年・兵藤真介。野武士集団・鬼兜組に乗り込んだ三人は、頭領が闇(かたわら)であることを知るが、迅火はこれを精霊転化の術で倒す。旅を続ける三人は、巨大な岩の闇と僧兵集団・断怪衆の戦いに遭遇し……

 2008年から2016年まで連載された水上悟志の『戦国妖狐』が、八年後にまさかのアニメ化であります。しかも三クール構成で全編アニメというのにも驚かされますが、後半にいくにつれて尻上がりに面白くなる作品だけに、最後まで映像化が決まっているのは欣快の至りです。

 というわけでスタートしたアニメ第一話は、原作の第一話・第二話をほぼ忠実に再現。といってもここしばらく流行の(?)原作から一言一句変えないというものではなく、おそらくは今後の流れを踏まえた描写の追加等のアレンジが行われているのに好感が持てます。

 そしてそのその描写の中心となるのが、真介の視点・内面の追加であります。原作ではたま・迅火と野武士の対峙から始まった物語ですが、本作ではその前に野武士たちの姿を真介が窺う姿からスタート。そこから上記の場面を目撃するわけですが、これはある意味本作においては(特に冒頭部分では)読者視点の人物として存在していた真介の存在を、意識したものといえるかもしれません。
 また、夜中に宿の外で刀を振っている場面に彼の過去の一部が挿入されるのも原作ではなかった部分(そもそも原作ではここでは刀を振るポーズで昼間のことを思い出していただけ)であり、常人であれば恐怖を抱くような闇の世界に強く興味を抱く様子があったりと、少しずつではありますが、彼のキャラクターを掘り下げている印象があります。

 正直なところ、原作冒頭の真介は、上記のとおり読者目線の人物ではあるものの、周囲に比べれば能力的にあまりに弱く、またたまと迅火がえらくマイペースなキャラであることもあって、身も蓋もないことをいえば、足手まとい感が強くありました。
 実はこの先、特に第二部に当たる「千魔混沌編」ではほとんど彼の存在が物語の鍵となることもあって、その辺りからの逆算での描写なのではないか――というのはこちらの勝手な想像ではありますが、当たらずとも遠からずではないかと思います。
(というよりリアルタイムで原作を読んでいた時は、この頃の真介は本当にどこに転んでいくかわからない、また感情移入もしにくいキャラであったわけで……)

 その一方で、たまと迅火の描写は大して変わっていない印象で、原作通り鬼兜組の頭領(の兜に隠れた闇)を精霊転化で叩き潰したり、それなりに経験を積んでいそうな断怪衆二人(というかこの二人も今後長く登場するのでした)がかりで抑えられない灼岩に挑んだりと元気に暴れていますが――いま観てみると、たまのある種脳天気な理想主義も、迅火の厨二病的な態度も、この先待つものに比べれば井の中の蛙だったのだよなあと思うと、それなりに味わい深くあります。

 そして暴れるといえば、アクションや術の描写などはかなり頑張っていた印象(真介を逃がすために蹴りを入れる断怪僧の描写が妙に細かくておかしい)でしたが、この辺りは第1話であればある意味当然ではあるので、この先どれだけペースを保っていけるかというところでしょう。
 もう一つ、時代アニメとして見た本作ですが――永禄七年という設定が具体的な意味を持ってくるのは、この先の第二部に入ってからなので、そこは今のところ気にしなくてよいのかな、と思います。


 しかし久々に見ると、灼岩はこんなに早く出ていたのだなあ――と感慨深くなったり
(まさかこれが後に真介の○になるとは……)


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