安達智『あおのたつき』第13巻 悪意なき偽りの世界で
もう紙の単行本と同時発売も当たり前となった『あおのたつき』、この第十三巻からは新章「八重の待ち人」が展開します。気鬱になった花魁・八重花を助けたいという新造・初花の訪いを受けた薄神白狐社。彼女からあおたちが聞く、花魁の真実とは……
冥府の吉原の薄神白狐社で、わだかまりを抱えて訪れる者たちを救ってきたあお。前巻では、自分が亡くなった後にすれ違う想いに苦しむ遊女と幇間を図らずも救うことになったあおですが、この巻では、新たな難事に巻き込まれることになります。
ある日、冥府の吉原に現れた新造・初花。生者でありながら冥府に迷い込む彼女は、もはや癖になっているという溜息が示すように深い悩みを――それも自分のではなく、彼女がついている角町扇屋の花魁・八重花を救いたいという悩みを抱えていたのです。
愛する間夫が登楼せず、気鬱になってしまったという八重花。しかし、現世で八重花の部屋を訪れたあおと楽丸は、そこで異様なものを目の当たりにすることになります。
全く文面が変わらない間夫からの無数の手紙、そして二階の格子窓の外から声をかける間夫と言葉を交わす八重花――そう、間夫の貞様こと貞右衛門とは、彼女にだけ見える相手だったのです。
それお彼女がまだ吉原の花魁・八重花ではなく、町家で暮らす少女・お花であった頃から……
かくて、この巻の約半分を割いて描かれるのは、八重花、いやお花の半生の物語。元は大店に嫁入りできるほどの家の娘であったお花が、何故吉原の遊女となったのか――丹念に丹念に描かれるその物語は、言うまでもなく彼女と「貞様」の物語でもあります。
幼い頃から「普通の」娘として暮らすことができず、やがて非在の想い人を見出すようになったお花。子供の頃にいわゆるイマジナリーフレンドを見るのはさまで珍しいものではないかと思いますが、しかし彼女の場合はその度合いが並みではないことが、周囲の何ともリアルな反応を通じて描かれていくのが実にキツい。
これはもう、幾ら言葉を重ねても伝わらない凄まじさであると――ほとんど敗北宣言に等しい言葉で恐縮ですが――唸るほかないのです。
(リアルといえば、八重花に悩む初花の挙動も、実際に誰かに取材したのではないかというレベルに感じられます)
いや、何よりもキツいのは、お花はもちろんのこと、周囲の人々も含めて、誰も「悪い」わけではないことでしょう。そこにあるのは、一人の少々特殊な少女と、彼女に対する周囲の無理解と行き違いであり――もちろんそれがお花を追い込み、そして周囲を巻き込んだ悲劇をもたらしたのは間違いないものの、しかし基本的に誰一人として彼女を不幸にしてやろうと思っていたわけではないことが、やり切れなさを強めます。
そして、誰一人として彼女を不幸にしてやろうと思っていないのはいまの吉原でも同様です。(欲得尽くは絡んではいるものの)初花をはじめ、見世の者たちも八重花の心の均衡を保つため、彼女の言葉に合わせて振る舞っているのですから。
しかしそれが真に彼女のためになるのか。この巻のラストで初花にあおがぶつける言葉は、まさにそれを真っ正面から問いかけるのですが――本当にそれでこの悪意なき偽りの世界の全てが解決できるのか。実はそれも第三者のエゴではないのか……
そんな不安を感じさせながら、物語は次巻に続きます。
一方、巻末に収録された番外編「雪見舟」は、うって変わって、幼馴染みだった遊女を身請けしようとするお店者を描いた物語。
幼い頃の他愛もない約束を「覚えていようはずもない」という青年の葛藤が、ふとした瞬間に消え去っていく感動を受けて、思わぬキャラクターの「覚えていようはずもない」という独白で締められる泣き笑いの結末が実に見事な一編であります。
(オチを見るまで、本作が『あおのたつき』のエピソードであることを忘れていたほど……)
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