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2024.04.05

『戦国妖狐』 第13話「神獣」

 山の神の猛攻で周囲が大混乱になる中、それぞれくずのは、野禅と対峙するたまと迅火。精霊転化した野禅に圧倒される迅火だが、泰山の肉を喰らうことで闇化を進め、ついに野禅と同じ九本の尾を得るに至る。しかしその代償に正気を失っていく迅火は、その力を暴走させていく……

 いよいよ第一部最終回、通常のOPもEDもなしというギリギリまで本編が詰まった内容であります。
 道錬と烈深が倒れ、残るは野禅(とくずのは)のみ、というわけで野禅を倒して終わりのように見える今回。単純な力比べという点では、山の神というジョーカーが登場した時点で破綻しているわけですが、しかしそこにたまと迅火が自分たちの手で決着をつけようとすることでラストバトルが成立するというのは、ちょっと面白いところではあります。

 しかし迅火が暴走を始めたことで、その構図が怪しくなります。強敵相手になりふり構わずパワーを求める迅火の暴走ぶりは、道錬戦の自分の脳に手を突っ込むという奇行に既に現れていましたが、今回は神である泰山の肉を食うという、以前とはまたベクトルの違う禁忌を犯してしまった感があります。
 その甲斐あって(?)ついに九本の尾を得た迅火ですが、その代償は大きく、ついに狂気に囚われ、見境のない暴走を――と、考えてみればラストバトルで主人公が覚醒、暴走というのは、一種の王道であるかもしれません。普通であれば、ここで仲間の熱い呼びかけや愛の告白で復活――となるのですが、きっちり後者があったのに、またもやあの謎過ぎる五人組の登場で大変なことになるという結末は、原作を知らない方は大いに驚いたのではないでしょうか。

 ちなみに原作既読で今回アニメを見てちょっと驚いたのは野禅の健闘ぶりであります。ラスボス候補でありながら狙うのはひたすら逃げることというスタンスもさることながら、それでも暴走前の迅火と真っ向から打ち合ったり、暴走した後はそれを利用して山の神にぶつけようとしたりと、自分の生存のために手を変え品を変える老獪さが実に面白く感じられました。

 しかしその策が成就したかに見えたまさにその時、雑魚と見做していた真介の、死んでいった者たちの無念を背負った(というかその復讐心に憑かれた)一太刀が決まる、という展開は実に見事で――変化球を投げているようで、決めるところは真正面から決めてみせるという、本作の熱血少年漫画ぶりが実に気持ちのよく感じられます。
 真正面といえばもう一つ、上で触れた愛の告白イベントですが――暴走して闇(かたわら)と化した迅火に対して、「おれがずっとかたわらに居る」と返すたまという構図もさることながら、アニメではたまが宙を一歩々々歩んで迅火に近付いていく様を描くことで、二人だけの時間と空間の美しさを強調しているのに感心させられました。

 しかし、思わぬ邪魔(?)に二人が引き離され、そして迅火の暴走は止まらず――と、大爆発エンド。主人公の覚醒・暴走も王道であれば、最終回で主人公行方不明、仲間が探しに行くエンドというのもまた王道ですが、そこから山の神が迅火再来の際に戦うことができる候補者として選んだのは――というのは、ここでこう繋がるのか! と大いに盛り上がるところでしょう。

 物語的にはここで1/3、第二部は残る2クールで、というわけで実に良いヒキではないかと思います。


 というわけで、今回のアニメ化では、原作既読者の目から、映像を通じた追体験という形で観てきました。印象に残っていた箇所もあれば、記憶から消えていたところもありましたが、原作の台詞を一言一句そのまま、というのでは全く無く、物語の流れをきちんと把握して、それに合わせて随所にアレンジを加えていくというこのアニメ版のスタイルのおかげもあり、新鮮な気持ちで楽しむことができました。

 個人的にはここまではプロローグ、ここからが色々な意味で本編という印象なのですが、それだけにアニメ第二部への期待も大いに高まっているところです。

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