岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』第12巻 八郎と人々が見る一つの時代の終わり
主君として心より敬愛してきた将軍家茂の死という悲劇に意気消沈する伊庭八郎、そして江戸の人々。しかしそれは終わりの始まりに過ぎません。家茂と想いを同じくしてきたもう一人の人物の死により、薩摩・長州が牛耳ることになった朝廷。対する幕府では慶喜が改革を打ち出すも……
再度の長州征討に向けて上洛した将軍家の奥詰衆として勤めに励んできた八郎。しかし幕府側の劣勢が伝えられる中、家茂の体調が急速に悪化――ついに八郎や周囲の者たちが最も恐れていた、そして最も信じたくない日が訪れることになります。
家茂の死に激しく意気消沈するのは、八郎や幕臣たちだけではありません。江戸の人々もそれぞれの形で敬愛する将軍の死を悲しむのですが――しかしその間も事態は様々な形で進行していきます。
動揺する幕府側に対して、休戦という名の勝利を収めた長州と、その長州の復権に暗躍する薩摩、そして彼らと手を組む公家たちの策謀。一方で孝明天皇がその動きを抑え込む間に、慶喜が幕府の軍制改革を実施し、それは八郎たち幕臣にとっても、好意的に受け止められていたのですが――しかし、再び幕府に取ってかけがえのない人物が喪われることになります。
それは孝明天皇――疱瘡にかかり、一度は快復したかに思われた天皇の容態が急変、ついに崩御したのであります。この出来事は、作中でも触れられているようにいまなお薩長の陰謀説がありますが、その真偽はさておき、あまりに幕府側にとって不運であったことは間違いありません。
それでもなお、幕府は復権に向けて、着実に力をいきます。その一つとして、榎本釜次郎が開陽丸に乗って五年ぶりに帰国。それを八郎が出迎える姿は、その後のことを思えば、何と言うべきか言葉が出てこないのですが……
こうして、少しずつそして着実に、幕府と薩長の緊張が高まる様が描かれていくこの第12巻。
これまで述べたように、歴史的事件も幾つも描かれるのですが、しかしむしろここで中心となるのは――これまで本作ではそうであったように――事件そのものよりも、それに対する八郎や周囲の人々、そして江戸の庶民たちの反応であります。
それは時としてかなり地味にも感じられる(ページ内の文字がかなり多くなることもあり)ものではありますが、しかしこの時代を描く物語の多くが、歴史に名を残した人々の行動を中心に描かれることを思えば、その周囲の人々――ある意味八郎もその一人といってよいでしょう――のリアクションを通して描かれる本作は、やはり貴重に感じられます。
作中で八郎は、自分が幕府に近すぎて全体を見ることができていない、もっと色んな視点で今の日本の状況を把握しておきたくなったと語る場面があるのですが――本作の姿勢は、まさにそれなのでしょう。
もちろんその中で描かれるものには、今の我々から見るとなかなか理解しにくいものもあります。それこそ家茂の死にあれだけ我が事のように悲しみ、憤る江戸市民の皆さんの姿は、理解できるもののやはり些か違和感があります(死んだ将軍を悪しざまに言っている人間と打ち壊しをする人間を同一視するくだりなど特に)。
しかしそれも含めて、この時代というものなのでしょう。
そしてその時代が、いま終わろうとしていることもまた、確かなことであります。
この巻の終盤ではついに鳥羽・伏見の戦いの戦いが開戦――と思いきや、戦いは一ページで終わってしまうのは大いに驚かされますが、それもまた、本作の視点の中心である八郎がほとんどこの戦で活躍していないためでしょう。
そしてその直後の慶喜の「あの」行動も、八郎や周囲の人々の視点から描かれることで、複数の解釈を同時に描いているのが印象的です。
しかし、八郎の戦いはこれで終わったわけではありません。それどころか、この先に八郎が巻き込まれるものを我々はよく知っているわけですが――それがどのように描かれることになるのか。
いよいよ、物語の一つのクライマックスも目前であります。
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