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2024.05.15

泰三子『だんドーン』第3巻 笑えない状況を笑いと人情で描いて

 流石にここまで来るとコメディというのは苦しいのでは? と言いたくなるようなヘビーな展開が繰り広げられる『ダンどーん』、第三巻では安政の大獄を背景に、生き残るために必死の戦いを繰り広げる川路たちの姿が描かれます。内も外も厳しい状況の中、追い込まれていく若者たちの向かう先は……

 島津斉彬の理想を叶えるべく、西郷隆盛と共に裏工作に勤しんできた川路利良。しかし対立する井伊直弼配下の隠密・多賀者の頭領・タカによって斉彬が暗殺され、川路たちは一気に苦境に陥ります。

 お由羅騒動以来燻る薩摩藩内の争いもさることながら、最大の問題は、井伊直弼が実質幕府のトップに立ったことで、彼に反する立場の者たちが一気に弾圧される状況となったことであります。
 もはや個人の生死の問題ではなく、組織の存続の問題となれば、いつの時代も優先されるのは組織の方。かくて川路たちは、薩摩藩の後ろ盾も(ほとんど)なくなった状況で、生き残りを賭けて奔走する羽目に……


 そんな、あまりに笑えない状況で展開するこの第三巻。保守と改革、倒幕と佐幕と藩内が二分して対立・内輪揉めするというのは、この時代以降、諸藩で見られた風景ですが、改めて見れば実にやりきれないもの。本来であれば同郷の仲間であり、同志であるものを、時に切り捨て、時に粛清し――というのは冷静に考えなくとも異常な事態であります。

 この巻でいえば、(同じ薩摩藩ではないものの、斉彬の同志であった)月照を巡るエピソードが、特に腹にズンと来るものがあるのですが――しかし教科書で見た時、「何で西郷は坊さんと心中を!?」「やっぱり薩摩だから……」と失礼なことを考えてしまったこの出来事を、やりきれないながらも十分に納得のいく形で描いてみせるのは、本作ならではでしょう。

 さらにその直後の幕府からの糾問への対応は、ここしばらくの漫画界のトレンドというべき薩摩の戦闘民族っぷりを活かした展開で、なるほどこれは確かにコメディだわい、と妙なところで感心。
 その前の、大久保一蔵と島津久光の和解の本当にヒドい(褒め言葉)絵面も含めて、真面目にやればどんどん深刻になっていく物語に笑いを投入することで緩急つけてみせる、その手腕は見事というべきでしょう。
(そしてそれだからこそ、余計に深刻さも際立つわけであって……)


 そしてその緩急自在の手腕は、もちろん笑いの方面だけに発揮されるものではありません。

 本作において川路たちの宿敵であり、怨敵である多賀者の頭領・タカ――あまりの実力者ぶりに、直弼への忠誠心以外に本当に何を考えているかわからない、まさに「怪物」にしか見えなかった彼女の、「人間」としての情というべきものが、この巻において垣間見えることになります。
 それも、読者がおそらく一番恐れていた事態の中で……

 冷静に考えてみれば、タカたち井伊家サイドはもちろんのこと、川路たち薩摩藩サイドも、政治のために生き、政治のために殺し殺される人々の姿には、現代の我々にとっては感情移入し難いものがあります。
 それを時に笑いで、時に泣かせでこちらの心を様々な形で動かし、その揺れの中で登場人物たちの心情をダイレクトに理解させる――人間ドラマとして納得させるというのは、本作の最大の魅力であり、成果であると感じます。


 そしてその人間ドラマの最初の集大成、最初の山場というべき桜田門外の変は、目前に迫っています(ここで唯一の薩摩藩からの参加者・有村次左衛門が何故その立場になったかのドラマがまた巧い)。
 この巻のラストで、薩摩藩と井伊家と、「双方にとって」尊い犠牲を払った諜報戦が、そこにどのように関わっていくのか――次巻に注目です。


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