楠桂『鬼切丸伝』第19巻 いよいよ佳境!? 元禄の世に蠢く鬼たち
神器名剣・鬼切丸を手に、時を超えて鬼を斬り続ける少年の姿を描く連作シリーズもなんとこれで19巻。本編である『鬼切丸』を巻数の上では上回るのはほぼ確実になりました。この巻では元禄時代を描く物語が二編、大坂の陣直後を描く物語が一編と、三つのエピソードが収録されています。
この巻冒頭の、あまりにインパクトのあるサブタイトルに驚かされる「鬼畜生類憐みの令」は、そこから察せられるように、徳川綱吉の生類憐れみの令が背景となる物語。
令の徹底で野犬が蔓延る江戸。野犬に襲われたのを恋人の多吉に助けられた少女・お小夜は、多吉を役人の拷問で殺された上、自分も役人に暴行されかかるのですが――突然現れた巨大な犬が役人を食い殺すのでした。
その後も次々と役人を食い殺す犬。お小夜は、その犬をひどい人間しか襲わないお犬様と呼んで崇めるのですが……
様々なバリエーションがあるとはいえ、犬の姿の鬼とは珍しい、と思いきや、結末で意外な事実が明らかになるこの一話完結エピソード。ほとんど救いがない物語ですが、結末で描かれる悪法を悪法たらしめる所以は、あまりにも説得力があります。
そして同じ元禄時代、それも徳川綱吉の周辺を描くのが「大奥鬼狂い」前後編。ここで中心人物となるのは飯塚染子――名前を聞いてすぐ誰か気付く人は少ないのではないかと思いますが、ある人物の母といえば、ああ、という方もいるのではないでしょうか。
己の美貌に強い自信を持ち、将軍の子を生むと大奥に入った染子。しかし自分が下女に過ぎず、将軍へのお目通りは夢のまた夢と思い知られされたところに、大奥に出没する鬼が彼女の運命を変えます。
将軍の寵を競う中、執念や怨念が凝り、時として鬼と化す大奥の女たち。その鬼の一人と対峙した染子は、正面から鬼を役立たずの徒花と一喝、鬼と成ってでも上様の子を生んでみせると言い放ち、鬼と化した女を絶望から死に追いやったのです。
それをきっかけに大奥でも知られるようになった染子でしたが、彼女に目をつけたのは綱吉ではなくその寵臣・柳沢吉保。ある意図から吉保の側室となった染子は、柳沢邸に御成した綱吉とついに対面し……
というわけで染子は、吉保の子であり、綱吉のご落胤という説もあった柳沢吉里の母。元禄時代を舞台とした時代劇では幾度か題材となっている吉里ですが、その母から描くのはかなり珍しいと感じます。
しかも本作の染子は、その美貌とド正論で、鬼と成った女性を殺すという、本作でもかつてなかったような力の持ち主。もっとも、本人も鬼と成っても構わないと言っているわけで、そんな人間がどのような運命を辿るかは言うまでもないわけですが、ここでは意外な一ひねりが加えられています。
その果てに待つ結末――ああ、これは鬼切丸の少年は弱いパターンと納得――の先にまた一ひねりと、なかなかに凝った構成のエピソードです。(ちなみにラストシーンは、時間軸的に現時点では一番後ということに……)
そして時代は遡り、ラストの「橙武士鬼醜聞」前後編では、大坂の陣に始まる物語が描かれます。
大坂の陣で橙(見かけばかり立派で役に立たないことの喩え)武士といえば薄田兼相が浮かびますが、本作で描かれるのは、それと並び称された(?)大野治胤。重臣の大野家の一員ながら、戦場での失策から橙呼ばわりされ、さらに堺を焼き払ったために戦後は堺衆に火炙りにされるという、因果応報のような最期を遂げた人物であります。
しかしこの大野治胤、火炙りにされた後、消し炭の状態から徳川の兵に襲いかかり、灰となって散ったという逸話が残ります。
今回はこの逸話を踏まえ、鬼切丸でも斬れない灰の鬼と化した治胤が登場するのですが――実はメインとなるのは鬼と化した死者の魂を祈りで人に返す力を持つ尼僧。鬼切丸の少年も驚く力を持つこの尼僧が、物語の鍵を握ることになります。
クライマックスで明かされる彼女の正体は――これまた鬼切丸の少年は弱いパターンですが、人間と鬼という存在を体現するようなその姿は、少年ならずとも強く印象に残るはずです(反面、治胤が単なる悪役となってしまったきらいはありますが……)。
さて、現在も連載が続いている本作ですが、本書のあとがきでは「いよいよ佳境」等、気になる言葉が書かれています。まだまだ人間嫌いが治らない少年ですが、はたして『鬼切丸』にどのように続くのか、その辺りも期待したいと思います。
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