田中芳樹『水晶宮の死神』 三部作完結篇 ロンドンを跳梁する怪人の影
クリミア戦争帰りの貸本屋店員とその姪が奇怪な事件に巻き込まれ、怪物たちと対峙する――そんなヴィクトリア朝怪奇冒険譚三部作の完結編で描かれるのは、ロンドンに名高い水晶宮で起きた連続殺人に始まる怪事件。怪物たちを操り、惨劇を次々引き起こす怪人「死神」の跳梁を阻むことはできるか!?
クリミア戦争から帰還した後、姪のメープルと共に、会員制貸本屋のミューザー良書倶楽部で働くエドモンド・ニーダム。氷漬けの帆船に潜む恐怖、ダニューブ河畔からやって来た謎の一族と、何故か怪物たち相手の怪奇な冒険に巻き込まれては、何とか生き延びてきたニーダムですが、三度――それも今度はロンドンで命懸けの冒険に挑むことになります。
11月のとある休日、メープルとロンドン郊外の水晶宮に出かけたニーダム。しかし多くの人々が訪れていた水晶宮で、思いもよらぬ惨事が起きます。どこから落ちてきた麻袋に入っていたのは死体――それも首のない死体だったのです。
何者かに首を引きちぎられ、「死神」と書かれたボロ布を持たされていた死体の発見――しかも悪いことに起きた時ならぬ大嵐で、水晶宮に閉じ込められた二万人の間にパニックが広がります。
偶然その場に居合わせたウィッチャー警部、謎の天才少年モリアーティとともに、成り行きから事態の収拾に当たるニーダムですが、その間も次々と犠牲者が出ます。
さらに顔にカラスの仮面をつけた黒ずくめの怪人の襲撃を受け、メープルを守ってステッキを手に必死に戦う羽目になるニーダム。何とか恐怖の一夜を生き延びた二人ですが、死神の跳梁はそれで終わったわけではなく……
ヴィクトリア朝怪奇冒険譚と銘打った本シリーズですが、これまで舞台となってきたのは、英国とはいえ、ロンドンから離れた僻地でした。怪奇――それも本物の怪物たちが登場する物語だけに、それはある意味当然のようにも思えますが、本作は郊外とはいえロンドンの名所である水晶宮を皮切りに、ロンドンを舞台に怪物たちの跳梁が描かれることになります。
それにしても、これまで「怪奇」の名に恥じない物語が描かれてきた本シリーズですが、しかしその中でも怪奇性という点では、本作はダントツでしょう。
前半1/3で描かれる水晶宮を舞台とした閉鎖空間ホラー(パニックものの色彩が強いのが実に面白い)の緊迫感も見事ですが、そこからはさらに予想の付かない連続。連続殺人の犠牲者たちのあまりに意外な共通点、そしてさらに舞台はまたもや意外かつ伝奇性満点の場に展開していくことになります。
そしてクライマックスは、まさかの怪獣ものというべき大戦闘――と、前二作以上に意外かつ先の読めない展開を、大いに楽しませていただきました。
シリーズのお楽しみであった有名人キャストも、前作から引き続き登場のウィッチャー警部、第一作から復帰してのディケンズに加えて、まさかのモリアーティ「少年」が登場。
これまたかなり意外なキャスティングですが、善人の多い主人公サイドでは貴重な皮肉屋としてよいアクセントになっていたと思います。
(ラストで語られる「その後」にも、なるほどなあ――と)
しかしその一方で、敵方の物語が、今ひとつ、いやかなり薄かったというのが、正直なところ残念に感じます。特に物語にミステリ的要素もありながら、ホワイダニットの部分がほとんど語られぬままというのは、かなり引っかかったところではあります。
中盤まで謎と怪奇性でどんどん盛り上げてくれただけに……
(また、冒頭から登場していたルイス・キャロルや、隣家のメイドの少女も、あまり出番がなかったのが勿体ない)
そんな部分もありますが、アクションとサスペンス、怪奇と怪物でラストまで一気に駆け抜けて見せたのはさすがというべきでしょうか。
むしろ最も残念なのは、本作でシリーズ完結ということでしょう。舞台もキャラクターも、物語も魅力的だっただけに、ここでお別れというのは寂しくてなりません。
ヴィクトリア朝を舞台に、面白い物語のための要素を盛り込めるだけ盛り込んでみせた(そして作者ならではの風刺も)欲張りなシリーズ、これにて大団円であります。
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