« 諸星大二郎『アリスとシェエラザード~仮面舞踏会~』 古式ゆかしい怪奇に挑むレディ二人 | トップページ | 『鬼滅の刃』柱稽古編 第八話「柱・結集」 »

2024.07.01

味鹿七『金ヶ沢に来てはならぬ』 昭和初期の日本の「闇に囁くもの」

 既に完全に日本でもクトゥルフ神話も定着した感がありますが、本作は神話体系の原典の一つ、ラヴクラフトの「闇に囁くもの」を、昭和初期の日本を舞台に翻案したユニークな漫画です。奇怪な伝説のある禁断の地・金ヶ沢の地に消えた教え子を探しに来た大学教授が目撃したものは……

 昭和初期、大学で教鞭を取る的場は、教え子である永久田衛空から、郷里・金ヶ沢に伝わるという不気味な伝説の存在を聞かされます。
 金ヶ沢の山には、「羽の生えた生き物が天からやってくる」という言い伝えがあり、それに出会ったものは隠されてしまう――現に、外から金ヶ沢に屋敷を建てて移り住んだ衛空の父も、彼が子供の頃に行方不明になったというのです。

 その後、突然理由も告げずに大学を辞めた衛空。しかしその後、的場の下に衛空からの手紙が届きます。金ヶ沢の屋敷で、父の隠し金庫で「翼の生えた生き物」実在の証拠を発見した衛空。彼は父の行方を追うため、大学を辞めて地元で調査を開始したのです。
 折しも地元では、豪雨の後に増水した川で、正体不明の羽を持った生物の死体が目撃され、その後も衛空の周囲では奇怪な出来事が起きます。山中の奇怪な儀式と不気味な声、何者かに奪われる郵便物、夜毎屋敷の周囲を窺う影、ついに目の当たりにした怪生物……

 衛空からの手紙のただならぬ内容に不安を募らせる的場ですが、突然手紙の雰囲気の変わった衛空に招かれ、ついに金ヶ沢を訪れることになります。そしてそこで彼が目の当たりにしたものは……


 バーモント州の山中で洪水の際に発見されたという怪生物の噂。それに興味を抱いたウィルマース教授が、地元の研究者・エイクリーとやりとりをする中で、土地に起きる怪事件の数々と彼の身に迫る危機を知り、ついにエイクリー邸で決定的な恐怖を目の当たりにする――冒頭で触れた「闇に囁くもの」のあらすじであります。
 本作はこの原作の内容を踏まえつつ、原作と同時期の――つまり大正時代の日本を舞台に移し替えた作品です。

 日本を舞台としたクトゥルフ神話作品自体はもはや珍しくはありませんが、原作を日本を舞台に翻案するというのは比較的少ない(「蔭洲升を覆う影」というあまりに有名な例があるとはいえ)だけに、そして個人的に愛好している原作だけに、興味深く読んだのですが――約70ページと少なめの分量の中で、原作の流れを踏まえつつ、違和感なく物語を日本で成立させていると感じます。
(元々、人里離れた山中を舞台とした物語だけに、日本に移植しやすいのかもしれません)

 しかし本作にはユニークな点が二つあります。一つは、原作のエイクリーが元々地元に住んでいたのに対し、本作の衛空は地元に帰って怪異に巻き込まれるという点です。
 この辺りは、閉鎖的な故郷に帰った主人公が様々な怪異に出会った末に、悍ましい因縁に取り込まれるという、クトゥルフ神話の一典型となっているのが興味深いのですが――終盤で、行方不明の衛空の父が遺した屋敷が暗示するものが、なかなか不気味な後味を残していたと思います。

 もう一点は、原作では相当ふんだんに盛り込まれていたクトゥルフ神話の概念・用語が、こちらではほとんど省略されている点です。
 この辺りは、原作のウィルマース教授が、懐疑的とはいえ、ネクロノミコンを読んだこともあるいわば「玄人」だったのに対し、本作の的場教授は、ごく普通の学者である点も大きいと思いますが――結果として物語の枝葉が刈り込まれ、スッキリしたものになった印象があるというのは、(小声で)申し添えたいと思います。

 その一方で、終盤で的場が出会う衛空が、病み衰えて別人のような容貌となっているというのは、これは原作と違い二人が旧知の間柄であるために、終盤のある事実を隠すために必要だったのかとは思いますが――あの結末は、やはり普段通りの容貌だったからこそ強烈に印象に残るものだったと、少々残念に感じたところではあります。


 その他、これは上に述べたように人里離れた山奥が舞台のためでもあるのですが、もう少しこの時代の日本らしさを感じさせる内容だと良かったとは思いますが――しかし本作は総じて違和感は少なく、なかなか良くできた翻案であったと感じます。
 このような作品がもっと増えてくれると、個人的にはとても嬉しいところです。


『金ヶ沢に来てはならぬ』(味鹿七&H.P.ラヴクラフト 三栄ZOC Pictures) Amazon

|

« 諸星大二郎『アリスとシェエラザード~仮面舞踏会~』 古式ゆかしい怪奇に挑むレディ二人 | トップページ | 『鬼滅の刃』柱稽古編 第八話「柱・結集」 »