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2024.07.26

安達智『あおのたつき』第14巻 彼女の世界、彼女の地獄からの救い

 吉原に生きる人々の姿を、時に恐ろしく、時に物悲しく、時に美しく描いてきた『あおのたつき』第14巻は、前巻から続く「八重の待ち人」の完結編が描かれます。過酷な現実との軋轢に押し潰され、自分の世界に籠ってしまった花魁・八重花。その世界を壊そうとしたあおに、「世界」が牙を剥きます。

 幼い頃から独特の感受性を周囲に理解されぬまま生き方を押し付けられ、不幸な結婚の末に、紆余曲折を経て吉原で花魁となった八重花。しかしそこでも彼女にとっての「現実」は変わらず、彼女は存在しない間夫の貞様との「世界」に生きるようになります。
 そんな八重花の心の均衡を保つため、彼女の振る舞いに合わせてきたものの、耐えかねて薄神白狐社を訪れた新造の初花の依頼で、楽丸とあおは八重花のもとを訪れます。そこで想像以上の彼女の状況を目の当たりにしたあおは、八重花の世界を壊すと宣言するのでした。

 そして楽丸の制止を振り切り、強引に八重花を彼女の世界に留めていた、貞様に繋がる品を壊していくあお。しかしそれは逆に八重花と現実の境界を失わせ、彼女の世界は暴走を始めます。
 かくて、夢と現が混ざり合う彼女の精神の中の「地獄」に巻き込まれたあおの運命は……


 様々なわだかまりに囚われた人々の心を描いて来た『あおのたつき』という作品。これまで、時に冥土にまで引き摺られ、時に現実世界の怪異と化したそれを描いて来た本作ですが、この「八重の待ち人」編では、八重花という、言ってみれば心を病んだ女性を中心に物語が展開していくことになります。

 前巻でかなりの割合を割いて描かれた過去を通じて、そして吉原での暮らしを経て、完全に自分の世界に閉じこもってしまった八重花。
 その責任は、八重花の言葉に調子を合わせ、「貞様」の存在を信じ込ませてしまった初花たち廓の者たちにもある――そんなあおの糾弾は、いかにも正論であります。

 しかし八重花が張り巡らせた壁を壊すこともまた、一種のエゴではないのか――前巻のラストで感じた違和感は、この巻において、最悪の形で裏付けられることになります。壊された世界の壁から溢れ出したのは、八重花自身もどうにもできない彼女の心の中の地獄だったのですから。

 その中に飲まれたあおが、サイコダイビングよろしく、八重花の精神の深奥で、彼女の病理と対面し、それを癒やす――エンターテイメント的には、それが定番の展開かもしれません。しかし本作は、あえてその定番を外した展開を見せることになります。

 その果てに待つ結末は、あるいは何の解決になっていないように見えるかもしれません。人のわだかまりを解き、封じる力を持つ薄神白狐社であっても――すなわち人を超えた神の力であっても、ここまでしかできないのか、と思うかもしれません。
(あるいは突然生じた現実の壁に鼻白むかもしれません)

 しかしそうであったとしても、八重花を一人の人間として尊重するのであれば、この答えしかない――ひどく苦く、ある種の敗北に見えたとしても、これしか道はないことは、同様の境遇の人間が身近にいる方にとっては、よくご存知かもしれません。
 そしてそれが本人にとっても、周囲の人間にとっても一つの救いになることもまた。

 ある意味異色の物語揃いの本作においても、特に異色の物語というべき「八重の待ち人」。しかしそれだけに、こちらの心に大きなものを残す物語であることは間違いありません。


 そしてこの巻にはこの他、短編「双葉屋美婦之画」と、長編エピソード「手入らずの筆」の冒頭部分が収録されています。

 前者は、冥土においてもなお、美への執心に囚われて争う五人の娼妓を前に、あおと楽丸が悪戦苦闘する――と思いきや、楽丸の存在のために思わぬ方向に転がっていく物語。
 後者は、アラサーになっても女性に接したことのないコンプレックスに囚われた男が薄神白狐社に迷い込んだことをきっかけに、あおと冥土の覗き常習犯・豆右衛門が色道指南に乗り出すことになります。

 いずれも前半のエピソードに比べると全くトーンの異なるコミカルなエピソードですが――さて後者の方はこれからどちらに転がるものか。
 人によっては全く笑い事ではない内容だけに、どのように落着するのか、気になるところです。

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