冲方丁『剣樹抄 インヘルノの章』(その一) 最後の戦い、了介と光圀それぞれの戦い
明暦の大火で天涯孤独となった少年・了介を中心に、幕府の隠密組織「拾人衆」と火付盗賊を扇動する「極楽組」の戦いを描いてきた本シリーズも本作でついに完結となります。心に深い傷を負いながらも、柳生義仙との廻国修行の中で成長していく了介の旅の行方は、そして極楽組との決着は……
明暦の大火で育ての親を失い、町で自己流の剣術を振るっていたところを、水戸光圀と出会い、拾人衆に迎えられた了介。以来、明暦の大火の陰で暗躍していた極楽組一味を、光圀や拾人衆らと共に追ううちに、了介は心身ともに成長してきました。
しかしその中で、かつて実の父を殺したのが光圀であったと知り、心の中の地獄と直面する了介。その前に現れた柳生義仙に連れ出され、彼は廻国修行をしながら、江戸を逃れた極楽組を追うことになります。
その旅の中で、二人はついに極楽組の首領・極大師を捕らえ――という、これまでの展開を踏まえた本作では、引き続き廻国修行を続ける了介と、江戸に残った光圀と、二つの視点から物語が展開します。
身分の垣根を超えて信頼を寄せていた光圀の最悪の裏切りを知り、一度は絶望に沈みながらも、義仙との旅で己を見つめ直す了介。義仙という最良の師を得た了介は、未だ逃走を続け関東各地で陰謀を巡らす極楽組の幹部たちとの戦いが続く中、これまで以上に成長し、そして危険の中に飛び込んでいくことになります。
一方、自ら投降するという不可解な行動を取った極大師の身柄を預かり、尋問することになった光圀は、相手の背負う巨大な闇に直面することを余儀なくされます。
関ヶ原から島原の乱に至るまで、まさに徳川幕府の闘争の歴史を陰から動かしてきた存在であり、老中すら恐れさせる極大師。牢の中でも底知れぬ力を感じさせる極大師の扱いに悩みながらも、光圀は極楽組のさらなる陰謀を阻むべく、相手に「助言」を求めることを余儀なくされるのですが……
前作中盤のあまりにショッキングな展開ゆえに、どうしても了介サイドに目が行きますが(そして実際、彼の方が物語の中心ではあるのですが)、本作では了介への罪の意識に加え、極大師という怪物を懐に抱え込んだ、光圀の苦衷も大きな読みどころとなります。
元々本作は、了介という少年の成長もの、明暦の大火を始めとする江戸時代前期の事件の裏側を描く伝奇ものという要素と並んで、幕府の諜報組織の一つである拾人衆を率いて光圀がテロリストの陰謀を未然に防ぐ、一種の諜報ものという要素もありました。
そして本作においては、この極大師との「戦い」を通じて、諜報ものとしての要素がさらにクローズアップされることになります。
更なる犯行を防ぐため、捕らえた怪物に助言を求めるというシチュエーションには既視感がありますが、一歩間違えれば自分たちが操られるかもしれない、そんなギリギリの状況で、いかに敵の情報を引き出すか……
この辺りの頭脳戦の面白さはもちろんのこと、それを通じて、これまで描かれてきた幕閣内の暗闘の背後関係が描かれていくのにも、唸らされました。
いずれにせよ、本作においては、人を率いる立場に就きながらも、過去を含めた己の在り方に悩む姿が描かれてきた光圀ですが、ある意味極大師との対決は、その一つのクライマックスといえるのかもしれません。
そして了介と光圀、それぞれの戦いの先で描かれる、敵の意外な「正体」とは――長くなりますので、次回に続きます。
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