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2024.08.11

上田朔也『ダ・ヴィンチの翼』(その二) 過酷な時代の中に描く、人の持つ善き部分

 16世紀のイタリアを舞台に、ダ・ヴィンチの秘密兵器の設計図を巡る争奪戦に巻き込まれた少年の冒険物語『ダ・ヴィンチの翼』の紹介の後編です。

 本作が、歴史伝奇小説として一級品ということは述べました。しかし本作の魅力はそれだけに留まりません。秘宝の争奪戦が物語の縦糸だとすれば、横糸に当たるもの――主人公であるコルネーリオ、そしてもう一人の中心人物であるアルフォンソを巡るドラマが、本作をより魅力的なものとしているのです。

 治癒の効果がある歌声を持つ――それだけでなく、人や様々な生きもののオーラを見る力を持つコルネーリオ。深い傷や重い病をも癒やす彼の力は、しかしこの時代においては、魔術として排斥され、処刑の対象となる危険を招くものでもあります。
 事実、物語冒頭でコルネーリオは村はずれに一人で暮らしていましたが、それはかつてフランチェスカの病を癒やしたことがきっかけで異端審問官に目をつけられ、彼の代わりに母が名乗り出て魔女として処刑されたという過去があるからなのです。
(ちなみに彼の母の処刑のくだりは、一見魔女狩りには定番の描写のようでいて、実はそこに流れる熱い人の情の存在によって、本作でも屈指の感動的な場面となっています)

 一方アルフォンソは、傭兵の父がかつて殺した男の息子に殺され、その復讐のために家族の反対を押し切って傭兵となった男。そしてようやく仇討ちを果たしたものの、一度血の因縁がさらなる血を招く修羅の世界に沈んだ心は晴れることなく――自らをそんな世界に追い込んだ戦争を未然に防ぐことを目的に密偵となり、表には出せない仕事に手を染めてきた人物です。

 癒やし手の少年と密偵剣士の男――その能力も、生まれや育ちも異なる二人ですが、しかしそこには、重い過去を背負い、現在を生きながらも、未来に展望が見出だせないという共通点があります。
 そんな二人が思わぬ形で出会い、冒険の旅を通じて互いのことを少しずつ理解し、絆を深めていく。言葉にすれば簡単ですが、バディとも師弟とも、疑似親子ともつかぬ――そしてそのどれでもある、かけがえのない存在となっていく姿は、大国間で苛烈な争いが繰り広げられ、命が弊履の如く失われていく世界の物語だからこそ、人の持つ善き部分の一つの現れとして感じられるのです。


 そしてそんな二人をはじめとする人々が繰り広げる剣と魔法と知恵の争いの末、ついに明らかとなるダ・ヴィンチの秘密兵器の在処。それは、まさかそこに!? と仰天とさせられるような意外性のある(そして様々な意味で驚くほど巧みな)隠し場所であり、秘宝争奪戦の終着点として見事というほかないものです。

 しかし何故、そこにダ・ヴィンチは秘密兵器を隠したのか? そしてそれは今まで守られてきたのか? 具体的には書けませんが、その答えの根底にあるのは、ダ・ヴィンチが人を信じようとした心、人という存在に抱いた希望であり――そしてそれは、先に述べた人の持つ善き部分の、別の形での現れにほかならないのです。

 本作の真に見事な点は、まさにその点にあるといえます。人が人を殺す戦争のための兵器の争奪戦の果てに待つものが、人が人を信じ、人の善き部分を守ろうとする心である――その構図は、必ずや読む者の胸を熱くさせてくれるでしょう。
 そしてそこにはもちろん、先に述べたコルネーリオとアルフォンソの間の絆が、深く結びついているのです。

 伝奇的な活劇を通じて過酷な現実を描きつつも、しかし同時にそこに高らかに人間賛歌を歌い上げてみせる、そんな本作の姿勢には、感動とともに強い好感を覚えます。
(ちなみにこの人間に対する視点は、前作でもあったものですが、よりパーソナルなドラマが主軸にあった前作に比して、より強く前面に打ち出されている印象がある――というのは牽強付会でしょうか)


 そして物語は、新たに開けた未来への道を描いて終わることになります。
 それはもちろん、ここで語られるような明るいものばかりではないかもしれません。そしてその前途の険しさは、この物語の後にフィレンツェが辿る運命が暗示しているともいえるかもしれません。

 しかしそれでも、自分自身の、そして自分の隣に在る者の持つ力を信じ、新たな一歩を踏み出す人々の姿に、希望を持ちたくなる――そんな美しい結末であることは間違いありません。
 そして、前作同様、「彼ら」のその先の物語を是非見せてほしいという願いを抱いてしまうのです。


『ダ・ヴィンチの翼』(上田朔也 創元推理文庫) Amazon


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