八月納涼歌舞伎『狐花 葉不見冥府路行』 京極作品の歌舞伎化という点では満点の一作
京極夏彦が描き下ろした新作歌舞伎、そして何より中禅寺秋彦の曽祖父にして、『了巷説百物語』でも活躍した中禅寺洲齋が登場するということでファンとしては見逃せない『狐花 葉不見冥府路行』を観劇して参りました。「この世に居るはずのない男」の起こす事件に、憑き物落としの男が挑みます。
作事奉行・上月監物の一人娘・雪乃が垣間見て以来心を奪われた美青年・萩之介。しかし雪乃付きの女中・お葉は、萩之介を見かけて以来寝付いてしまうのでした。
そして材木問屋の近江屋の娘・登紀、口入屋の辰巳屋の娘・実袮と会うことを望むお葉。それを知った監物と用人の的場、近江屋と辰巳屋は、二十五年前の自分たちのある所業に関わるのではないかと考えるのでした。
そしてやってきた登紀と実袮に、萩之介が現れたと語るお葉ですが、二人は一笑に付します。それもそのはず、三人は愛欲の縺れから、協力して萩之介を殺したのですから。
しかしその後、お葉は何処かへ姿を消し、それぞれ萩之介を目撃して狂乱した二人は、自分たちの父親を殺してしまうのでした。
事ここに至り、萩之介の幽霊に対するため、的場は憑き物落としを得意とする武蔵晴明神社の宮守・中禅寺洲齋を招くことに……
という筋立てで、美しき復讐鬼と黒衣の陰陽師の対決を描く――というのが正確かどうかはさておき、序幕の二十五年前の惨劇に続き、死人花が咲き乱れる中に立つ朽ちかけた鳥居の下で、萩之介と洲齋が対峙するという、実に絵になる場面から始まる本作は、やはりこの二人の物語というべきでしょう。
といっても洲齋の出番は存外に少なく、一幕目はここと中盤のだんまりのみ、二幕目でようやく登場するも、探偵役というより一種の見届け役的な位置づけで、メインとなるのは萩之介という印象が強くあります。
この萩之介、演じるのは中村七之助ということで、これは素晴らしいに違いないと期待していた通りの存在感――生者とも死者ともつかぬ、関わる人間を破滅させていく正体不明の美青年という強烈なキャラクターに実態を与え、そしてそこに隠された哀切な素顔を描いてみせるのにはただ、感嘆させられました。(七之助は、二役目のお葉の病み疲れた姿もお見事)
一方の洲齋は、松本幸四郎が演じるということで、これも安定していましたが、ところどころでコミカルな顔を見せるのは、原作の生真面目な姿からするとちょっと違和感があるかもしれません。もちろんこれも幸四郎の持ち味(の一つ)とすればそれも納得ですが、この洲齋の真骨頂は、後述するラストの会話劇にこそあると感じます。
(ちなみに冒頭のくだりで、七之助に比べると声が出ていなかったように感じられたのは、これは音響の関係でもあるでしょうか)
その他、諸悪の根源というべき監物は、京極時代劇に時折登場する、もう信じられないくらいの極悪人を中村勘九郎がサラリと、そして監物の懐刀の的場は市川染五郎が手堅く演じていましたが、特に染五郎は若い頃の幸四郎を思わせる存在感で感心しました。
さて、物語的にはミステリではありつつも、結構肝心なところがぼかされているのが少々残念(私は小説版はまだ未読ですが、この辺りはさすがに描かれているのでしょう)ではありましたが――複雑な因と果が絡み合った末にカタストロフを迎えるという京極作品らしさが、歌舞伎に想像以上にマッチするのは、嬉しい驚きでした。
その一方で、歌舞伎としてみると物理的な動きが小さく、台詞主体であるために、どうしても場面場面のカタルシスが小さめな印象は否めません。
特にラストは、洲齋と監物がただ二人、最小限の動きのみでひたすら語り合うというもので、純粋な歌舞伎ファンの方からは、おそらく厳しい目で見られるのではと感じます。
この辺り、いかに京極作品(というか中禅寺秋彦の登場作品)ではこの長台詞が定番とはいえ、他のメディアであればちょっと――と思ってしまうかもしれませんが、しかし本作の場合、これはこれできっちりと成立しているのは、これは台詞回しや間合いといった役者の技が、すなわち歌舞伎ならではというべきでしょう。
――そして、京極ファンの立場からいうと、中禅寺の憑き物落とし(正確にはちょっと違うのですが)を生で、リアルタイムで見せられるというのは、これはもう得も言われぬ不思議な感覚で、こればかりはこの場でなければ味わえぬ体験であったと断言できます。
歌舞伎という点では異色作にして、そして京極作品の歌舞伎化という点では満点だったというべきでしょうか。いずれにせよ、生で観劇すべき作品と感じた次第です。
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