相次ぐ怪事件ととんでもない解決 京極夏彦『病葉草紙』(その二)
京極夏彦の『病葉草紙』の紹介、第二回目です。物語がいよいよテンションを上げていく中、藤介は棠庵と周囲の人々に振り回されるばかりで……
「脾臓虫」
料亭・うお膳で働いていた在所の娘・おたかが死んだと聞かされたという長屋の住人・幸助。一方棠庵のところには、平次の親分・伍平が、うお膳の客四人が店で食事した翌日に全員不審死を遂げた話を持ち込んでいました。
食中りや毒を疑う伍平から聞いた死者の様子から、棠庵は虫の仕業と断ずるのですが……
四人の怪死の謎自体は、この時代でなければ成立しない(謎にならない)ものですが、そこに女中のおたかの死が加わることで、途端に謎が深まる今回。
思わぬところで以前のエピソードと繋がるのもユニークですが、目を惹くのは、「犯人」と「被害者」、双方の事情を慮って悩む棠庵の姿でしょう。事件の謎はあっさり解いても、答えの出ない人の心の綾に苦しむ彼の悩みは、本作全体を貫くテーマと言えるかもしれません。
「蟯虫」
父の友人で同じく長屋の大家である金兵衛から、長屋で庚申講が流行って困っていると聞かされた藤介。たまたまそこに家賃を払いに来た棠庵は、金兵衛に尋ねられてあっさり虫などいないと言うのですが……
体内に住むという虫・三尸が閻魔に告げ口に行かないよう、庚申の晩に眠らず起きているという庚申講。ポピュラーな風習ですが、なるほど虫にまつわるものとして、本作で扱うのに相応しい題材です。
しかし、年寄り中心の長屋の住人が「爺婆は互いに抓り合ったり叩き合ったり、そりゃ悲惨なもんらしいからよ。泣き乍ら徹夜してんだもの」と金兵衛が語るほど、必死に庚申講を続けているのが謎というのは、本作ならではというほかありません。
そんな謎を一点突破で解き明かし、さらにとんでもないビッグゲストの投入で解決してしまう棠庵の豪腕ぶりが楽しい一編です。
そして最後まで引っ張られる艾ネタがここで初登場することに……
「鬼胎」
棠庵のもとに武家の妻女がやって来たと大騒ぎになる長屋。なりゆきから彼女と棠庵の対面に立ち会うことになった藤介は、そこでとある娘が、医者から鬼胎なる虫がいると診察されたと聞かされます。
はたしてその医者は信用できるのか。棠庵は調べを始めるのですが……
長屋を離れ、武家の世界を題材にした今回は、正直なところ事件の内容や謎解き的にはあまり目に付くものはないのですが、子供を産むこと・産まないことに対して考えを巡らせる棠庵の姿が印象に残ります。
それ以上に印象に残るのは、冒頭に描かれる艾トークと、そして今頃になって語られる棠庵の正体(?)探しかもしれません。
「脹満」
長屋の空いていた部屋に入った新たな住人・仙吉。しかし彼は仕事にも行かずに部屋に引きこもり、どんどん不健康に太っていると住人たちの間で噂になります。そんな中、長屋の皆の前で行き倒れた仙吉に、藤介は頭を抱えます。
そこに飛び込んできたのは、反物屋の入り婿が殺されたという一件。犯人はすぐに捕まったのですが、この事件が思わぬ形で長屋の騒動と繋がり……
ある意味謎解きという点では最も豪快なのが本作でしょう。部屋に引きこもり、どんどん太っていく男(しかもそれだけ太っているにもかかわらず、何も食べていないと倒れてしまう)と、とある反物屋での入婿殺し――一見全く無関係ながら、ある一点でのみ繋がる二つの事件(椿事)が、とんでもない形で解決を見ることになります。
その真相は、いくらなんでも――と言いたくなってしまうシチュエーションではあるのですが、しかし、それでも何となく納得させられるのは、棠庵の言葉の奇妙な説得力と、ほとんど落語状態の登場人物たちのやりとりの妙に丸め込まれているのかもしれません。
何しろ『どすこい。』の作者ですし――というのはさておき、そういえば棠庵のデビュー作である『前巷説百物語』の「寝肥」も、肥満体に関する奇譚でありました。
次回が最終回となります。
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