一捻り加えられた三つの鬼と人間の物語 楠桂『鬼切丸伝』第20巻
歴史の陰で繰り広げられてきた、鬼を斬る神器名剣・鬼切丸を持つ少年と鬼たちの戦いを描く本作も、ついに二十巻を迎えました。この巻に収録された三つの物語は、いずれも鬼と人間の物語の中に一捻り加えられたエピソード揃いです。
巻頭の「淀殿鬼譚」は、サブタイトルからわかる通り、あの淀殿を巡る奇譚。史実に現れるその姿だけでも波乱万丈としか言いようのない生涯を送った淀殿ですが、今回は大坂の陣の「後」の姿が描かれることになります。
生まれた時から戦国乱世に翻弄され、親兄弟の仇に身を任せることにもなった淀殿。大坂の陣で、そこまでして得た我が子・秀頼を喪った彼女は、ただ一人、秋元長朝に匿われて生き延びるのでした。
そこで長朝に愛され、生涯初めての安らぎを得た彼女は、しかし……
秀頼の生存説に比べると、あまり知られていない淀殿の生存説。かなり不幸なこの伝承を、本作では意外な捻りを加えて描きます。そこで描かれる複雑な彼女の姿は、これまで歴史の荒波に翻弄されてきた女性たちを描いてきた本作ならではのものであったというべきでしょう。
ちなみにこのエピソード、登場する人物や挿話がこれまで本作で描かれたものが多く、一種の総集編的味わいもあり、読者としては感慨深いものがあります。
一方、「鬼火起請の章」前後編は、同じ戦国時代でも、とある農村に暮らす庶民の物語が描かれます。火起請とは、物事の真偽・是非を問う際、焼けた鉄を持たせて歩かせ、落とさなかったものが正とされる神事。二つの村の争いを収めるために行われることとなったこの神事で、東の村の代表として選ばれたのは、数年前に村に流れ着いた孤児の兄妹の兄・勘太でした。
妹のあさのためにその役割を引き受けた勘太ですが、公平に神意を問うはずの儀式には人間の恣意がはびこり、それが鬼を生むことになります。
本作だけでなく、これまでも幾度となく「普通の人間」の悪意を描きてきた作者らしく、鬼よりも醜い人間の姿を描くこのエピソード。火起請の顛末は、最初から最後まで無惨としかいいようのないものなのですが――ここで思わぬひねりが加わり、物語は不思議な味わいを帯びることになります。
なんだかんだで、他人を慮る人の情に弱い鬼切丸の少年の姿も印象に残ります。
(そして完全に滅んだと思いきや、思わぬところでゲスト出演の信長様。確かに火起請の逸話で知られる方ではあります)
そしてラストの「延命院鬼事件」前後編は、ぐっと時代は下って19世紀初頭、享和年間(ちなみにこれまで本作に登場した時代としては、百年近く現代に近くなりました)に起きたいわゆる延命院事件――徳川家の祈願所であった延命院の美貌の僧・日潤が数多くの女性参拝者と関係を持ち、その中には大奥の女中もいたことから一大スキャンダルへと発展した事件を題材にしています。
一説には初代尾上菊五郎の子だったなどという説もある日潤ですが、本作では病に冒され親にも見捨てられた孤児だったという設定。その頃の女たちからの蔑みの視線に対して、美しく成長した今となって女たちを穢すことで恨みを晴らしているという、複雑な内面の男として描かれます。
延命院事件の摘発にあたっては、寺社奉行・脇坂安董の家臣が、妹を日潤に近づけることで証拠を掴んだと言われていますが、本作もそれを踏襲しています。しかしその妹であるお梛と日潤が、真実の恋に落ちたことが悲劇の始まりとなるのです。
お梛に嫉妬した周囲の女たちの告発で罪を問われ、処刑された日潤。しかし日潤を失った女たちが鬼と化し、そしてお梛に裏切られたと信じ込んだ日潤もまた鬼に……
そんな鬼が鬼を呼ぶ地獄絵図の果てに待つものは――無惨で皮肉で哀しく、そして美しい結末。女たちを憎んできた日潤が辿る運命も、一つの救いといえるのかもしれません。
なお、巻末に収録された特別番外編「鬼童歌」は、鈴鹿御前が鬼を呼ぶかのような童歌を歌う子供たちと出会う掌編。その歌で歌われるものとは――少年のツンデレぶりは既にバレバレとなっていることがうかがわれる、微笑ましい(?)一編です。
『鬼切丸伝』第20巻(楠桂 リイド社SPコミックス) Amazon
関連記事
楠桂『鬼切丸伝』第8巻 意外なコラボ!? そして少年の中に育つ情と想い
楠桂『鬼切丸伝』第9巻 人でいられず、鬼に成れなかった梟雄が見た地獄
楠桂『鬼切丸伝』第10巻 人と鬼を結ぶ想い――異形の愛の物語
楠桂『鬼切丸伝』第11巻 人と鬼と歴史と、そしてロマンスと
楠桂『鬼切丸伝』第12巻 鬼と芸能者 そして信長鬼復活――?
楠桂『鬼切丸伝』第13巻 炎と燃える鬼と人の想い
楠桂『鬼切丸伝』第14巻 鬼切丸の少年に最悪の敵登場!?
楠桂『鬼切丸伝』第15巻 鬼おろしの怪異、その悲しき「真実」
楠桂『鬼切丸伝』第16巻 人と鬼、怨念と呪いの三つの物語
楠桂『鬼切丸伝』第17巻 深すぎる愛が生み出した鬼たちの姿
楠桂『鬼切丸伝』第18巻 美しく とても美しく 美しすぎる姫が招く鬼
楠桂『鬼切丸伝』第19巻 いよいよ佳境!? 元禄の世に蠢く鬼たち
| 固定リンク