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2024.11.02

激動の歴史を通じて描く鬼と人の存在の意味 琥狗ハヤテ『ヤヌス 鬼の一族』第3巻

 戦国時代を舞台に、人ならざる力を持ち、歴史の陰に生きた鬼一一族を描く連作の第三巻、最終巻です。この巻に収録されるのは申の章と酉の章――鬼と呼ばれる一族を通じて、鬼とはなにか、人間とは何かが問われます。

 人ならざる力を持ち、時に人ならざる姿を見せる鬼一一族。その力故に人に求められ、人に恐れられる一族の姿を、本作は歴史上の出来事の中に描いてきました。
 第一巻の人の章では桶狭間の戦を舞台に、今川義元に仕えた男・鬼一左文字を。第二巻の狗の章では、太田資正の下で犬の訓練士として仕えた鬼一山楽を――そしてこの巻の前半、申の章では、服部半蔵配下の忍・マシラを通じて、本能寺の変直後の家康の姿が描かれます。

 本能寺の変が起きた際、信長の招きで堺に滞在していた家康。周囲に促された家康は、本多忠政、服部半蔵といった面々とともに、駿河に逃れるべく道を急ぎますが、その一行に加わっていたのは、半蔵が鬼一の里に請うて連れてきたという忍・マシラ――頭には角を生やした異形の男です。

 追手や落ち武者狩りが横行し危険極まりない道を、マシラの天性の勘と技でもってくぐり抜け、先を急ぐ一行。しかしその中心であるはずの家康は、あたかも生きる意思を失ったかのように、力なく足を動かすばかりでした。
 そんな家康に対して、マシラが語るのは……

 波乱に富んだ家康の生涯の中でも、有数の危機であった逃避行――いわゆる「神君伊賀越え」。本作はその最中の家康の姿を、異形の忍びを通じて描きます。
 堺から駿河まで、ごくわずかの供で逃げるというのは、いかにも家康らしい、生きるという意思に満ちた姿を思い浮かべますが――しかし本作ではその逆に、既に心は死んだような家康の姿が描かれます。

 この戦国を生き延びるため、信長の下で、様々なものを犠牲にして忍従してきた家康。その信長があっけなく倒れた今、心が折れた家康の姿は、生きるための意志と力に満ちた野生の忍にとっては対極の存在であり、むしろ唾棄すべきものではないのか――その予想は、意外な形で裏切られることになります。

 鬼が語る生の形――それはあらゆる命あるものに共通する、未来への道。その道を開こうとするマシラの姿には、深く考えさせられるものがあります。


 そしてこの巻の後半の酉の章は、時代を遡り、川中島の戦を背景に、武田信玄の養女となった鬼一一族の少女・八姫の姿が描かれます。

 幼い頃に信玄の養女となり、武田家の姫として育てられてきた八姫。鬼一の血が為せる技か、人並み外れた弓の技を見せる彼女は、娘らしいたしなみとは無縁に、若武者に混じって野山を駆け回ります。
 しかしそんな彼女にも、心を動かされる青年が現れます。それは父の近侍を務める若武者・武藤喜兵衛――しかし己の額に生えた二本の角が、想いを告げることを彼女に躊躇わせます。

 そんな中、始まった川中島の戦い。死地に向かう彼を見送る八姫ですが……

 本作のラストエピソードとなるのは、この巻の表紙を飾る初の鬼一一族の女性・八姫。武田信玄の養女という意外な立場の彼女は、やはり鬼一一族の血を引く能力を持ちながらも、しかし信玄は彼女を普通の娘として育てようとします。

 その想いが那辺にあるのか、それはわかりませんが、その計らいは皮肉なことに、逆に鬼と人との間で、彼女を苦しめることになります。果たして鬼と人の間は越えることはできないのか。鬼と人は結ばれることはないのか――その果てに待つのは、これまでの物語で鬼一一族を通じて描かれてきた問いかけへの、一つの答えなのです。
 ある史実を描いて終わる物語は、内容的には静かな印象ですが、しかし全編の締めくくりに相応しいものとして感じられます。


 こうして人・狗・申・酉の各章を描いて完結した本作。正直なところ、作者のあとがきを見るまで、各章の副題の意味に気が付かなかったのは、お恥ずかしい限りです。
 それはさておき、本書の二編を含めて、各話で描かれたもの――鬼と人との関係性、突き詰めれば鬼と人の存在の意味は、何故か戦国時代の激動の歴史の中で、丹念で抑制の効いたその描写も相まって、不思議な安らぎをもたらしてくれるように感じます。

 作者の歴史漫画をもっともっと読んでみたい――そんなことを強く思わされた名品に相応しい結末です。


『ヤヌス 鬼の一族』第3巻(琥狗ハヤテ 芳文社コミックス) Amazon

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