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2024.11.07

滅び行く名家を救え! 若き向井正綱の戦い 諏訪宗篤『海賊忍者』

 第15回小説野性時代新人賞受賞は、戦国時代後期の実在の人物・向井正綱の若き日を描く物語。伊賀の忍者にして志摩の海賊である正綱が、織田信長の圧力を受ける北畠具教とその娘・雪姫のため、数々の戦いを繰り広げます。(本作の結末について、ある程度触れますのでご注意下さい)

 武田信玄に海賊衆として仕える父・正重を持ちつつも、故あって家を出て、誰にも仕えず暮らす正綱。ある日、甲賀衆に襲われる少女を助けた正綱は、彼女が北畠具教の愛娘・雪姫であり、北畠家に圧力を加える織田家の非道を幕府に訴えようとしていたことを知ります。
 姫に惹かれ、北畠家に加勢することを決めた正綱は、北畠家の勇将・鳥屋尾満栄とともに、信長包囲網を築くべく、武田信玄の下へ密使として向かいます。

 さらに、信玄が起った時のため、水軍の増強に奔走する正綱。熊野水軍を味方につけ、反撃の機会を窺う正綱ですが、時運は巡らず、北畠家はますます追い詰められていくのでした。
 そして雪姫と信長の子・具豊(信雄)の婚礼が近づく中、ついに運命の日が……


 伊勢の海賊出身であり、父は今川義元や武田信玄に水軍として仕えた正綱。正綱については、過去に隆慶一郎の『見知らぬ海へ』などで描かれていますが、彼を忍者として描いたのは本作が初めてではないでしょうか。

 正綱が忍者として活動したという記録はないはずですが、向井氏の出身は伊賀と伊勢の国境の地であり、この点から彼を忍者に結びつけることにより、彼に自由な活躍の場を与えたのは、本作のユニークな工夫でしょう。
 それによって本作の正綱は、北畠家のために戦う中で、当時信長の下で志摩を支配していた九鬼嘉隆と戦い、武田信玄と対面し、北畠具教に剣を学び(正綱を「狐」と呼び色々な意味で可愛がる具教が面白い)、秘密裏に水軍増強に奔走し――と、縦横無尽の活躍を見せることになります。

 登場した際は、家を出てから特に目的もなく生き、戦いの中で敵の命を奪うことも厭う少年だった正綱。しかしこの数々の冒険の中で、彼は己が生きる目的、戦う意味を見つけ、覚悟を背負った男として成長していくことになります。


 そしてその背景となるのが、信長支配下の北畠氏の姿です。代々伊勢国司であった名門・北畠氏ですが、信長の侵攻を受け、和睦はしたものの彼の次男・茶筅丸を養子とし、具教の娘をその妻にすることを強いられました。
 その果てに――となるわけですが、本作はまさにその北畠氏の落日の姿を、正綱の目を通じて描く物語でもあります。

 この辺り、信長のやり方は(戦国時代にはよくあること、といえばそれまでですが)かなり悪辣で、悪役として描くにはぴったりなのですが――しかし悩ましいのは、史実に従えば悲劇にしかならないものを、どのようにフィクションとして描き切るかというのは、大事な点です。

 その点を本作は――ある点は史実通りに描きつつ、またある点、本作においてはより重要な史実をスルーした結末となっています。
 いや、本作の結末に繋がる史料や伝説(ここで具教の「狐」呼びが活きる)もあるのですが、定説をかなりきっぱりとスルーしたのには、正直なところ驚かされました。

 これは願望混じりの勝手な予想となり恐縮ですが、正綱の将来に繋がる部分が描かれていないこともあり、本作には続編が構想されているのではないか――ある意味結末の見えている物語を(その予想は覆されたわけですが)、まだデビューから日が浅いとは思えない筆力によって最後まで緊張感溢れる形で見せてくれただけに、予想で終わらないでほしいと願っている次第です。


『海賊忍者』(諏訪宗篤 KADOKAWA) Amazon

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