『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』 第二十九話「再び京都へ」/第三十話「森の出会い」
尖角を倒し、志々雄と対峙した剣心。しかし志々雄は宗次郎に剣心の相手を任せ、その場を後にする。宗次郎に対し抜刀術で挑む剣心だが、意外な結末となる。一方、道に迷った左之助は、森の中で修行中の破戒僧・安慈と出会う。安慈の使う「二重の極み」に興味を持ち、会得しようとする左之助だが……
第二十九話と第三十話をまとめて紹介。第二十九話は新月村編のエピローグ的な内容ですが、志々雄の片腕ともいうべき宗次郎との最初の対決によって逆刃刀が折れるという、この後大きな影響を及ぼす展開が描かれることになります。ある意味負けイベントではありますが、直接負けたわけではないにせよ、志々雄本人ではなく、(強さ的にはナンバー2とはいえ)配下に刀を折られるという展開は、なかなかよく考えられたシチュエーションではあります。
それは剣心と宗次郎が互角だったということを示すだけでなく、流浪人となって以降の剣心の戦いが逆刃刀に負担をかけていた――さらに言ってしまえば、その逆刃刀に象徴されていた剣心の生き方に、なにがしかの無理があったことを示しているのでしょう。斎藤から(それ以前に刃衛にも)突きつけられていた剣心の弱点が、ここでも示されたといえます。
もう一つ印象に残ったのは、尖角に復讐しようとする栄次に対して、剣心が「死んだ者が望むのは敵討ちではなく生きている者の幸福」と語る場面。ここは、このだいぶ先に原作で語られる彼の過去を思えば、頷けるところではあります。その一方で、その想いが届かず、「小さな手を汚し」た相手から、大変な目に遭わされたりもしたわけですが……
さて、続く第三十話はガラリと変わって左之助が主役、二重の極みの特訓回です。作中ではほとんど完成された強さのキャラクターばかりの本作ですが、その中で未完成な部類の左之助ならではのエピソードといえます。
この二重の極み、見かけは普通にぶん殴るというシンプルさに、謎理論を噛ませることですごい効果を発揮するという点が、いかにもジャンプの必殺技的で素敵なのですが、その謎理論が真似すればなんとなくできそうなところが素晴らしいと改めて感じます。連載時に男子小中高生だった読者は、みんな練習した(断言)のは伊達ではありません。
もちろん、それがすぐに真似できれば苦労はないわけで、左之助もほとんど右腕を自傷行為レベルまで(左之助が右手を怪我してるのは考えてみればこの頃からなのだなあ)特訓した――だけでは会得できないのが、ドラマの妙でしょう。
ここで特訓の途中で倒れた左之助の前に相楽総三の霊が登場するわけですが――それで奥義を授けられたら大昔の剣術ものになってしまうわけで、左之助が相良と対峙することで、少年時代から抱えていた己の想いと向き合い(ここで少年時代の声の語りから入って、今の左之助の声に重なる演出は、ストレートではありますが良いと思います)、なんのために強くなるかを再確認するという展開はやはり上手いと感じます。
などと理屈をこね回さなくとも、やはり左之助の熱血漢ぶり・好漢ぶりは見ていて実に気持ちよく、色々と変化球を投げつつも、やはり作者は熱血ものが大好きなのだな――と改めて再確認させられるエピソードである今回、地理的・歴史的なオチも効いた上に、さらにラストにはこの先の因縁に繋がるもう一つの捻りが、と盛りだくさんで、やはり作中でも名エピソードの一つだと再確認させられた次第です。
そしてようやく次回から京都が舞台。一クールの前半を使って京都編のいわばプロローグを展開していたわけで、やはり贅沢な構成ではあります。
しかし二十九話でのオリジナルシーン、尖角を倒されて途方に暮れる部下たちのくだりは、どんな顔で見ればよいのか……(これまでの所業が所業なのでギャグっぽいことをされても全く笑えないわけで)
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