兄の代役となった女と、人外の血を引く男と 木原敏江『夢の碑 とりかえばや異聞』
木原敏江の代表作(シリーズ)である『夢の碑』――様々な時代を舞台に、人と人外の関わり・交わりを描く物語の第一弾です。「とりかえばや物語」をモチーフに、戦国時代、双子の兄の代役となった女性と、異国の人外の血を引く男――愛し合いながらもすれ違う二人の運命が描かれます。
織田信長が各地に侵攻していた頃、一仕事終え、京で羽を伸ばしていた腕利きの忍び・風吹。彼は、背が高く凛々しい、一見美男子のような遊女・紫子と出会い、恋に落ちるのですが――しかしほどなくして、紫子が実は安芸の大名・佐伯家の当主の双子の妹と判明、実家に連れ戻されてしまうのでした。
規模は小さいものの、代々独立独歩の姿勢を取っていた佐伯家。その当主である碧生は英傑の誉れ高い青年でしたが、織田と毛利の争いが激化する中、体を壊し、その代役を紫子が務めることになります。
一方、そんな彼女の状況は知らず、謀反を企む佐伯家の家老・天野外記の依頼で碧生暗殺を請け負った風吹。しかし事情を知った彼は紫子に味方することを決めるのでした。
折しも毛利家の姫が碧生のもとに輿入れすることとなり、快復した碧生が迎えるのですが――しかし婚礼の直前に彼は逝去し、再び紫子は身代わりを務めることになります。そして閨での代役を紫子が風吹に頼んだことで、二人の間に溝が深まるのでした。
そんな中、ふとしたことから碧生の死を知った外記は、既に邪魔者になった風吹に刺客を送った末、毛利に身を寄せ、佐伯家には毛利家と織田家の連合軍が殺到します。
これに対して、自分の正体を明かしながらも、碧生として佐伯家を率いる紫子。しかし戦場で彼女に危機が迫るたびに、不思議な力が彼女を守ります。その正体は風吹――実は遥か過去に異国からやって来た「びきんぐあ」の血を引く彼は、異形の姿と力を持ち、その力で紫子を守るのですが……
平安時代、対照的な性格の兄妹が互いに入れ替わる「とりかえばや物語」。非常にユニークな内容の古典ですが、本作はそれをモチーフにしつつも、大きくアレンジして描きます。確かに男女の入れ替わりはあるものの、むしろ物語的には御家騒動もの――替え玉になって家を背負うことになった紫子の姿が、、物語の縦糸として描かれるのです。
しかし本作が面白いのは、紫子が、家を背負う重圧もさることながら、風吹とのすれ違いにより深く悩む点でしょう。
この点で本作は大きく恋愛もの的性格を持つのですが――この辺りはもう完全に作者の自家薬籠中のもの。時に極めてシリアスに、時にコミカルに描かれる男女の姿は、歴史ものでありつつも、普遍的な味わいがあります。(特に後者の軽みは、シリアスな場面以上に男女のリアルさを感じさせることすらあります)
しかし本作の更にユニークな点は、とりかえばや要素だけでも成立する物語に、さらに横糸――風吹の秘められた力とその出自を巡る物語を絡めたことでしょう。
冒頭から、時に目が緑色に光るなど不思議な様子が描かれていた風吹。実は彼の母は、遠い昔に日本に渡ってきた民「びきんぐあ」の末裔――様々な不思議な力を持ち、頭に二本の角を生やす、いわば鬼の末裔なのです。
愛する紫子に対しても自分の力を、そして真の姿を隠してきた風吹。本当の自分自身を隠さなければならないという点では紫子同様の――いやそれ以上に深刻な立場に風吹は在るのです。(終盤に描かれる紫子の反応が、それを強く感じさせます)
真の自分を抑圧しながらも、互いを求めて懸命に生きる――そんな二人の物語の結末はある種「お伽噺」的ですが、しかし大きな救いがあるといって良いかもしれません。
なお、本書にはその他に「桜の森の桜の闇」と「君を待つ九十九夜」の二編が収録されています。
前者は鎌倉時代末期を舞台に、恋人を故郷に残して暴れまわる武士崩れの野盗の男と、花を食う美しい鬼が出会う物語。美しい不滅愛の物語であるはずが――という強烈な結末が印象に残る本作は、発表順では『風の碑』シリーズ第一作となります。
(内容的にも『とりかえばや異聞』より先に読んだほうがいいかもしれません)
後者は大正時代を舞台に、没落華族の娘と、実家が成金の青年の二人が主役の物語。あちこちで浮名を流す青年からの求婚に対し、娘は小野小町と深草少将の百夜通いのように、百夜通うことで誠意を示すよう求めるのですが――思わぬ(?)ゲストが登場する、あっけらかんとした結末の味わいも楽しいラブコメです。
『夢の碑 とりかえばや異聞』(木原敏江 小学館フラワーコミックスα) Amazon
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