2023.02.06

井上祐美子『新装版 桃花源奇譚 1 開封暗夜陣』 名作中華伝奇、堂々の復活!

 実に初版は1992年(30年前!)に刊行された中華伝奇活劇の名編の新装版、その第一巻であります。北宋初期、不老不死の伝説で知られる秘境・桃花源を巡り、訳ありの貴公子と旅芸人の少女、白面の秀才らが繰り広げる大冒険の開幕編です。

 宋第三代皇帝・真宗の時代――繁栄を謳歌する都・開封で、軽業を披露する旅芸人一座の少女・陶宝春は、酔漢に絡まれたところを、不良ながら気品ある少年・白戴星と、科挙に(わざと)落ちた青年・包希仁に助けられることになります。
 生き別れの母を探し、旅芸人が知るというその手がかりを求めて宝春の一座を訪れた戴星。しかしそこを凄腕の盗賊で荒事師の殷玉堂が襲撃し、巻き込まれる形で宝春の祖父が命を落とすのですが――その遺体は戴星らの目の前で跡形もなく消えたではありませんか!

 玉堂は撃退したものの、なおも迫る追手から身を隠すため、とある出来事から縁を得た開封一の名妓・何史鳳のもとに逃げ込んだ三人。しかしそこに現れた奇怪な妖術使い・崔秋先によって、戴星と宝春は思わぬ場に迷い込むことになります。
 不老不死の秘密が眠るという仙境・桃花源の謎を巡る争いと、皇帝が病弱なのをよいことに権勢を恣にする皇后一派の暗躍。そのまっただ中に巻き込まれた三人の運命は……


 冒頭に述べたように、本作は実に三十年前に発表された作品であります。私も初出時に大喜びして読んだのですが、今読み直してみても全く古びることのない、痛快極まりない作品であると再確認させられました。

 タイトルに冠された桃花源――日本では桃源郷として知られる仙境を巡り展開する物語は、その題材に相応しいファンタジックな要素だけでなく、巧みに史実を、実在の人物を絡めて展開していきます。
 そもそも、何よりも三人の主人公の一人、皮肉屋で鉄面皮な書生の名が包希仁と明かされた時には、こう来るか! ともうニッコリ。主人公の中にはもう一人、実在の人物として彼以上の大物がいるわけですが、しかし中華エンターテイメントのキャラクターとして、彼以上の大物はなかなかいない――それでいて日本の作品ではなかなか登場しない――だけに、その題材選びの確かさに唸らされます。

 そしてこの三人の主人公の出会いから始まり、流れるように次から次へと事件が起き、それが事態を複雑にしながら物語世界を広げていく――エンターテイメントとして当たり前といえば当たり前かもしれませんが、しかしそれをほとんど一昼夜の物語として描いてしまうのは、尋常な筆の冴えではないでしょう。
 特に本作はそのサブタイトルの通り、開封の夜を舞台に、その暗闇の中で繰り広げられる陰謀と闘争を巧みに張り巡らせて展開する物語であります。全四巻の導入編ということもあって、本作ではキャラクター紹介、設定紹介がそれなりの割合を占めるのですが、しかしそれが不自然であったり退屈であったりすることはなく、むしろ物語の原動力として有機的に結びついていくのに、(こうして再読してみると)改めて驚かされた次第です。


 さて、この第一巻の終盤では戴星の正体が敵味方に明かされ、そして桃花源探しと皇位継承争いの両方に関わっているらしい戴星の母の行方の手がかりが――と、実に気を持たせるうまいところで後を引くことになります。
 はたして戴星の、宝春の、希仁の運命や如何に――続く第二巻も、近いうちにご紹介できればと思います。


『新装版 桃花源奇譚 1 開封暗夜陣』(井上祐美子 中公文庫) Amazon

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2022.09.05

田中芳樹『纐纈城綺譚』 虚構と史実の間を行く中華伝奇活劇の快作

 今から27年前に発表された、日本人作家による中国ものととしては、もはやスタンダードと呼ぶべき中華伝奇活劇の快作であります。唐の時代、人の生き血を絞る纐纈城――その悪魔の城に挑む好漢・豪傑たちの活躍や如何!?

 唐の宣宗の時代、長安を訪れて揚州からやってきた二人組・李延枢と辛トウ。市場で暗赤色の布を見つけ、店の者を問い詰めようとする二人ですが、そこに一人の剣士が割って入ったことで、取り逃がしてしまうのでした。
 その剣士・李績に対して、二人は自分たちが長安にやってきた理由を語ります。二年前、会昌の廃仏で長安を逃れた日本人留学僧・円仁が迷い込み、辛くも逃げ出した城・纐纈城。そこでは、捕らえた人の生き血を絞って布を染めており、その布がこの長安が売られているのだと……

 そして纐纈城から長安に入り込んだ敵の手の者から、様々な形で襲撃を受ける三人。故あって宣宗の腹心・王式と顔見知りである李績は、彼を通じて纐纈城の脅威を訴え、その壊滅に動き出すことになります。
 王式が使う孤児・徐珍や西域の言葉に詳しい美女・宗緑雲とともに、長安に食い込んだ纐纈城の関係者を追う李績たち。しかし纐纈城の魔手は宮中にまで及び、宣宗の身にも危機が……


 『宇治拾遺物語』の「慈覚大師 纐纈城に入り行く事」に登場する纐纈城――時代伝奇ものにおいては国枝史郎の『神州纐纈城』で知られ、その後も様々な作品に影響を与えた、人の生き血を絞る魔城であります。本作はその原典である円仁(慈覚大師)の物語の後日譚――円仁が逃れた後、纐纈城が滅ぼされるまでを描く一大活劇です。

 辛くも虎口を逃れた円仁から纐纈城の存在を知った江湖の武侠・辛トウが、友人の李延枢とともに長安を訪れたことから始まるこの物語は、人の生き血を絞る城という悪夢めいた存在を描きつつも、片足を史実にしっかりと置いて、展開していくことになります。
(ちなみに『宇治拾遺物語』の纐纈城の方も、会昌の廃仏という史実をきっかけに展開する物語であります)

 何しろ、主人公側の登場人物はほとんどが実在の人物――その後の歴史に名を残した人物。そして主な舞台となる長安も、彼らの姿を通じて、安史の乱から百年経ち、華やかな中でもゆっくりと滅びに向かいつつある斜陽の時代の姿が、丹念に浮き彫りにされているのです。

 それに対して纐纈城の方は、原典を踏まえつつも、その姿を幾層倍も邪悪かつ悍ましくパワーアップ。この城を支配する、果たして幾年生きているのかもわからぬ城主など、人の生き血を絞るどころか、文字通り人の血肉を喰らう怪物として描かれているのであります。
(それでいて、長安の人々の間に纐纈城の手の者が食い込んでいくメカニズムなどは、妙に現実的なのが恐ろしい)

 物語のクライマックスは、もちろん本作のヒーローたる李績たちが纐纈城に乗り込み、この全き邪悪というべき纐纈城主と激突するのですが――そこに至るまでに様々な趣向で繰り広げられるアクションの面白さ、実在でありつつも本作ならではのキャラクターとして描かれる登場人物たちの魅力、そしてそこに巧みに絡み合わされた史実によるアクセントと、どこをとっても見事な時代伝奇活劇というほかありません。

 しかし、物語は結末において虚構の世界から現実に、すなわち史実に回帰することになります。結末で語られる主人公たちの後の姿――それは確かに本作で活躍した彼らの姿に重なるものではあります。しかし同時にそこから伝わってくるのは、明確な善というものが存在しない、そして善が勝利するとは限らない、現実の歴史の無情/無常なのです。


 虚構と史実の間を行きつ戻りつしつつ、エンターテインメントとして、異形の歴史ものとして、豊かな味わいを生み出している本作。初読以来本当に久々に読み返しましたが、やはり名作と言うべき作品であります。

(ちなみに史実といえば、この約十年後に刊行される『天竺熱風録』で描かれた王玄策の故事が作中で語られているのが、ちょっと面白いところではあります)


『纐纈城綺譚』(田中芳樹 らいとすたっふ) Amazon

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2022.05.22

桃野雑派『老虎残夢』(その二) 史実を背景に描き出された歴史と人の姿

 第67回江戸川乱歩賞受賞作にして武侠小説+本格ミステリの意欲作『老虎残夢』の紹介の後編であります。武侠ものの登場人物らしい造形でありつつも、それだけでは終わらない本作の登場人物。その最たるものは……

 本作の登場人物たちの中でも、最も陰影に富んだ姿が描かれる者――それは、主人公である紫蘭その人であります。

 前回述べたとおり、被害者である泰隆の唯一の弟子である紫蘭。しかし奥義を伝授されず――いやそれどころかその存在すら知らされていなかったことに、彼女は深い屈託を抱くことになります。
(それが、他人から見れば彼女が師殺しを行う動機になるのも巧みな設定です)

 そしてその悩みは、そもそも泰隆にとって自分は何者だったのか、自分は弟子として愛されていたのかという想いにまで繋がっていくことになるのですが――本作においては、彼女のみならず、この被害者たる泰隆と、他の登場人物との繋がり・結びつきが、物語の後半部分を動かしていくことになるのです。

 金国に理不尽に家族を奪われ、一人生きてきたところを紫苑と泰隆に拾われた恋華。泰隆と複雑な想いで結びついた関係にあった祥纏。ある事件がきっかけで泰隆と激しく仲違いしていた文和。流派は異なるにもかかわらず泰隆と深い繋がりを持つという為問……
 本作の謎解きは、同時に、紫苑も含めた登場人物一人ひとりを通じて、泰隆とはいかなる人物であったのか、というのを描くものでもあるのです。


 そしてその果てに紫苑たちが知る真実とは――それはもちろんここでは明かすことはできませんが、こちらが当初予想していた以上に、物語の時代背景と密接に結びついているということは述べても許されるでしょう。

 冒頭に述べたように、舞台は南宋――それも13世紀初頭、北宋が滅亡してから数十年が経つ間に金とは和議が結ばれ、国家として空前の繁栄を謳歌していた時代。しかしその一方で、モンゴルではチンギスハンが力を蓄えて金を圧迫する状況にありました。
 そしてその金と宋との関係も、様々な矛盾を孕んだ、危うい均衡状態のもとに成り立っていたのです。

 それがこの物語にいかなる形で影響を与えることになるのか? 物語の終盤において、物語を構成する要素が、この史実を背景に、全てがピタリと一枚の絵に収まるのには、ただ圧倒されるばかりです。
 そしてその絵に描かれているのは、殺人事件の謎解きだけではありません。そこにあるのは、いかなる武術の達人でも及ばぬ歴史の暴力的なまでに巨大な力であると同時に、その力に対する人間の小さな希望の姿である――その事実が、大きな感動を生むのです。


 武侠ものとして、本格ミステリとして、歴史ドラマとして、様々な顔を持ち、そしてそれが見事に有機的に結びついている本作。
(個人的には、武侠もの独自の用語・要素をサラリとわかりやすく描く語り口にも感心させられました)

 もっともその一方で、後半の意外な真実とキャラ掘り下げの連続によって、前半の武侠ものらしいケレン味は薄れてしまった感は否めません。
 それでも、本作に唯一無二の魅力が存在することは間違いないことでしょう。そしてデビュー作である本作以降も、できればこのような武侠ものを、武侠ミステリを生み出してほしいと、作者には期待してしまうのです。


 最後に、蛇足で恐縮ながら本作の百合要素、紫苑と恋華の愛の必然性についてですが――確かに二人が男女カップルであっても、弟子と師の娘という、江湖では禁断の関係という点には変わりがないことから、必然性は薄いようにも感じられます。

 しかし――物語の詳細に触れる部分があり、あまり詳しくは述べられないのですが――紫苑を男性とした場合、本作の物語が成り立たないこと(もしくは相当大きく構成・要素を変える必要があること)、かといって恋華を男性にしても物語により不自然な点が生じること、二重の禁忌があった方がより強い犯行動機がある(と周囲に見做され得る)ことから、多少危なっかしい部分はあるものの、必然性はあると、私は感じました。
 もちろん、そこに必然性を求めるという視点もまた、(メタではあるものの)紫苑を苦しめるものの一つではあるのですが……

 ちなみに作中で師弟関係に関するこの禁忌を説明する際、武侠ファンであれば思わずニヤリとさせられるくだりがあるのですが、実は時系列的には本作の方が先(この時点ではまだ起きていない出来事)――と、これは本当の蛇足であります。


『老虎残夢』(桃野雑派 講談社) Amazon

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2022.05.21

桃野雑派『老虎残夢』(その一) 被害者は武術の達人 武侠小説+本格ミステリ!

 第67回江戸川乱歩賞受賞作は「館」×「孤島」×「特殊設定」×「百合」――そしてその特殊設定が「武侠」なのですから見逃せません。奥義を伝授すると三人の武侠を集めた達人が孤島の楼閣で殺害され、謎を追うのはその弟子――本格ミステリにして武侠ものという極めてユニークな作品です。

 時は13世紀初頭、南宋の時代――大海に浮かぶ小島・八仙島に隠棲する達人・碧眼飛虎こと梁泰隆が、己の奥義を受け継がせるとして、旧知の三人を招いたことから物語は始まります。
 泰隆の妹弟子にして大手飯店を切り盛りする紫電仙姑こと楽祥纏、泰隆の同門で海幇(海賊)の幇主である烈風神海のこと蔡文和、そして外功の達人であり孤月無僧の異名を持つ為問――いずれも凄まじい武功を持つ達人ですが、三人を迎える泰隆の弟子・蒼紫苑の胸中は複雑であります。

 幼い頃に両親を失い、師に拾われて以来十八年、厳しい修行を重ね、内功については達人の域に達した紫苑。それなのに師は自分ではなく他人に奥義を伝授しようというのか? ある事件で負った傷が元でほとんど外功が使えない身とはいえ、何故自分ではないのか――と。
 そしてもう一つ、師の養女・梁恋華との秘密の恋愛関係も、彼女を悩ませていたのです。

 それでも平静を装い、いずれ劣らぬ個性的な三人を迎え、恋華と二人でもてなしの宴を準備する紫苑。宴は盛会のうちに終わったものの、その翌日、師が起居する島の中央部の八仙楼に向かった紫苑は、冷たくなった師の亡骸を目の当たりにするのでした。
 何者かに毒を飲まされた上、腹を匕首で刺されていた泰隆。はたしていつ誰がどうやって、そして何故師を殺したのか? 自分も恋華も容疑者であることを承知の上で、紫苑は調べを始めるのですが……


 武術の奥義とその伝授のために集められた達人たち、そしてその現場で起きる殺人――本作は、不謹慎ながら(?)武侠ものファンであればニッコリとしたくなるようなシチュエーションが描かれる物語であります。
 しかしそれと同時に本作は、本格ミステリとしても、しっかりとした格好を整えた作品でもあります。

 何しろ舞台となる八仙島は、本土との往来は頻繁にあるものの、船でなければ行き来はできない孤島。そして犯行現場の八仙楼は、その島の湖の中央に建てられ、常人であればこれまた舟がなければ行き来できない建物なのです。
 それに加えて犯行が起きたのは寒い雪の晩とくれば、これはもう定番中の定番シチュエーション、孤島+雪の山荘ではありませんか!

 しかしここで「常人であれば」とわざわざ書いたのは、常人でない人間がゴロゴロしているのが武侠ものであるからにほかなりません。
 そもそも軽功の達人である泰隆と紫苑であれば、湖を跳んで楼に入ることは可能ですし、他の面々も(全く修行していない恋華を除けば)そこまでの芸当は無理にせよ、例えば軽功で雪の上に足あとを残さずに歩くなどはお手の物であります。

 そして被害者が達人であることは、同時に、犯行にさらなる不可能性を与えることでもあります。何故ならば内功の達人であれば、体内に入った毒など、半ば自動的に体外に排出してしまうのですから!


 ――このように本作は、武侠ものとしての要素が、特殊設定ミステリのそれとしても、非常に効果的に働いています。
 もちろん武侠ものとミステリというのは実は相性が良く、古龍や金庸といった本場の大御所の作品でも連続殺人や暗号等のミステリ要素が少なくないほか、日本でも秋梨惟喬の『もろこし銀侠伝』に始まる武侠ミステリの名作シリーズがありますが――本作はそうした先行作品に勝るとも劣らぬ内容であります。

 そして本作において、本格ミステリや武侠ものとしての面白さに加えて特に印象に残るのは、その人物描写の妙でしょう。物語冒頭で描かれる登場人物たちの、特に三人の達人の、いかにも「らしい」描写も楽しいのですが――しかし物語が進むにつれて、そんな登場人物たちのキャラクターは掘り下げられ、それにつれて最初の印象がガラリと変わっていくことになるのです。そしてそれが、謎解きに密接に関わっていくことも言うまでもありません。

 そしてそんな陰影に富んだキャラクターの最たるものが――と、最近やたらと文章が長くなって恐縮ですが、次回に続きます。


『老虎残夢』(桃野雑派 講談社) Amazon

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2021.11.13

春秋梅菊『詩剣女侠』 少女は剣を筆に未来を刻む

 岩紙に剣で詩を刻む芸「剣筆」の世界を舞台に、仕えていた家を乗っ取られ尊敬する主を喪った侍女の戦いと成長を描く、痛快武侠活劇であります。か弱い少女は剣筆の奥義を修め、見事仇を討つことができるか? 見たこともない世界の物語が始まります。

 時は明代、剣筆の名門である裴家は、悪漢・段玉鴻によって乗っ取りにあった末に当主は亡くなり、娘の天芯も耐えかねて侍女の春燕とともに、家を出るのでした。
 かつて父の友人であったという剣筆家・七天光筆に会うため、杭州に向かう主従。しかし病弱な天芯は裴家再興を託して逝き、春燕はただ一人残されることになります。

 何とか杭州に辿り着いてみれば、七天光筆は既に亡く、それどころか町の人々に嘲りを受けている様子。そこで途方に暮れた春燕を助けたのは、陸興破と名乗る好漢でした。
 実は七天光筆の弟子だった陸興破ですが、もう一人の弟子であり、犬猿の仲である韓九秋と、七天光筆の名を巡って毎日のようにいがみ合っている状況。そんなところに現れた春燕は、なりゆきから天芯の名を名乗り、彼らとともに修行を始めることになります。

 動の陸興破と静の韓九秋、同門ながら全く対象的な二人の指導を受ける中で、メキメキと剣筆の腕を挙げていく春燕ですが――しかし自分の卑しい素性を隠し、主の名を名乗っていることに、彼女は罪悪感を感じ、そのためにある勝負で大敗を喫してしまうのでした。
 さらに彼女の素性を知る者の登場により、陸興破と韓九秋に真実を知られてしまう春燕。剣筆の最高峰を決する金陵大会が迫る中、はたして彼女は再起することができるのか、そして仇討ちの行方は……


 よくしなる剣でもって、地面や樹、岩に字を彫る――そんな場面は、特定の作品名は挙げられなくとも、武侠ファンであれば、小説や映画などで幾度も見た記憶があるのではないでしょうか。本作はそれに「剣筆」と名付け、一つの競技として成立した世界を描く物語であります。
 そう、何も知らずに読んでいれば絶対に気付かないのではないかと思いますが、「剣筆」は架空の存在。しかしそれに全く違和感を感じないどころか、むしろ今まで何故これが描かれなかったのだろうとすら思わされる、見事なアイディアというほかありません。

 そもそも剣筆とは単に剣で字を彫るだけでなく、古今の名詩を吟じながら、そして舞いながらその詩を彫ることで、その腕前を競う競技。速さや正確さ、美しさだけでなく、その詩情に合った字体であるか、剣舞を通して詩人の心を再現できているかまで、求められる競技なのであります。
 ――本当にフィクションなの? と何度も疑ってしまうほどのこの剣筆の存在だけでも、本作を読む価値はあると言えます。

 しかし本作の魅力はそれに留まりません。それはあくまでも物語世界を形作る要素の一つ――本作は、春燕という少女の成長と自立を描く物語なのですから。


 孤児として悲惨な幼少期を過ごし、奴隷として裴家に買われた春燕。幸い、彼女は心優しい当主父娘に出会ったことで救われ、自分の中の剣筆の才に目覚めることになるのですが――その主人たちが非業の最期を遂げ、自分一人が生き残った彼女は、時に卑屈なほどの自己肯定感の低さを抱えることになります。
 ただでさえ、彼女の歩む道のりは決して平坦なものではありません。それどころか、彼女の前に立ちふさがるのは、外道という他ない性根の腐った卑劣かつ邪悪な者たちばかり。そんな連中の悪辣な手段に幾度も泣かされ、自己肯定感の低さに苦しみ――そんな春燕の姿には幾度もやきもきさせられるのです。

 しかしそんな彼女を温かく見守り、導くのは、全くタイプの違う、しかしどちらも魅力的な陸興破と韓九秋の二人。二人に出会ったことで――そして剣筆を通じて自分自身を、周囲の人々の想いを知ることで、彼女が自分の足で立ち上がる姿は大いに感動的であります。(特に天芯の真の想いを知るくだりの盛り上がりたるや!)

 さらにこの二人の好漢、そしてその師の背負った過去にまつわる屈託と、その昇華の物語もまた見事。二人が同門でありながら全く対象的な技を使うその理由の、武侠もの的に見事な整合性にもまたニッコリなのです。


 試合・仇討ち・秘伝書争奪と、実に武侠ものらしい要素を散りばめつつも、剣筆というその性質上、血腥い要素は最小限――しかしそれでいて、血湧き肉躍る物語を見事に描いてみせた本作。
 オリジナリティといい、人物描写の巧みさといい、武侠ファンであれば、いや面白い物語を愛する方であれば必読の快作です。


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2021.09.30

『長安二十四時』 第13話「申の初刻 隠された陰謀」

 ふとした言葉をきっかけにチェラホトの正体を悟った徐賓。その頃、元載は熊火幇が捕らえたのが王ウン秀であると気付き、利用してのし上がろうと企む。そしてついに龍破のアジトに辿り着いた張小敬は、ただ一人残った曹破延と死闘を繰り広げるが、そこに到着した旅賁軍の行動が大惨事の引き金を……

 オープニングで描かれるのは、前回のオープニングで捕らえられた徐賓が、(牢でずっと前に捕らえられたままこちらも忘れかかっていた書生の)程参と出会う場面。何だか悟り澄ますしてしまったようなことを口走る程参から、衣に以前李必にかけられた墨がついていることを指摘された徐賓は、チェラホトに関する重大な事実に気付くのでした。

 そして牢から出された徐賓が李必に語るチェラホトの正体、いや材料とは墨――西北で算出される石脂(おそらくタールでしょうか)は、徐賓が小敬に聞いたところでは、一壺の石脂で数十人を殺すことが可能で、軍では「猛火」と呼ばれていたと。そんなものを使えば、一晩で長安を焼き尽くすのも容易いと思われますが、しかし長安に持ち込むことができるのか? それを可能とするのが墨だと徐賓は語ります。石脂を燃やした時に出る煙の煤からは墨が作られるのですが、長安の法では、原料の扱いはその製品に準ずる――つまり墨の原料と言ってしまえば、税関を通るのも容易いのであり、そしてこれまでの捜査からもくぐり抜けていたのです。
 ――しかし、今まで小敬が石脂の話をする場面なんてあったかな? と思っていれば、やはりそこを徐賓に問い詰める李必。どうにも徐賓は怪しいと、彼が小敬を選んだ大案牘述で、今度は彼自身が調べられることに……

 そして浮浪者の賈十七に誘き出されたもののすぐに罠に気付いた張小敬は、わざとらしく姿を現した魚腸を追い、一対一の死闘を展開。人間兵器のような魚腸に一歩も譲らず、ほとんど圧倒してみせるのはさすがですが、その状況から(性的な意味も含めて)挑発してのける魚腸の精神性も恐ろしい。結局ここもフェイクであったことを悟った小敬は、再びアジトを探して一人走ることに……

 一方、前回初登場の大理寺評事・元載は、封大倫に招かれて彼の家でもてなしを受け、張小敬抹殺のための便宜を遠回しに依頼されるのですが――事実関係を聞いただけで、小敬と聞家の繋がりが鍵と見抜く辺り、靖安司の誰よりも鋭いかもしれません。しかしその聞染を捕らえたというので覗きに行ってみれば、どうみても商人の娘とは思えぬ高級すぎる簪から皇族か高官の娘と見抜き、事実を知った封大倫を震え上がらせます。
 しかし見捨てて逃げるどころか、これを奇貨として利用してしまおうというのが元載の恐ろしいところ。どうにかしてやると封大倫に恩を売り、王ウン秀のところに行っては助けてやるからと言って状況を聞き出し――その情報を元に、靖安司と右相のところに、同時に封大倫が小敬とともに狼衛から王ウン秀を救ったこと、そしてそれだけでなく、小敬が右相府の地図を描いたことを伝えるのでした。右相は襲撃については一笑に付すものの、小敬が関わっていることはさすがに見逃さず、利用するつもりのようですが――恐れていた展開になってきました。

 そしてついに龍波のアジトに到着した小敬。聞染は必ず助けると決意も新たに足を踏み入れた彼の前に現れたのは、曹破延――彼もまた、血化粧で顔を彩り、絶対抜けぬように剣を手に縛り、覚悟を決めた表情で臨みます。そして始まる激闘は、小敬が押すものの曹破延も引かず、塀から屋根の上まで繰り広げられる大激闘。そして小敬の剣が曹破延の首飾りを切り飛ばし――その場面に、故郷で娘と暮らしていた頃の曹破延の姿が被さるのが心憎すぎる演出!――揉み合ったまま二人が転落した末、曹破延は自らの剣で自らの胸を刺して深手を負うのでした。
 と、そこに駆けつけたのは、崔器と旅賁軍ですが、小敬が止めるのも構わず建屋に踏み込んだところで発動するブービートラップ。一瞬後に起きた凄まじい大爆発は旅賁軍を吹き飛ばし、その爆音は遠く離れた靖安司にまで届くことに……


 というわけで、ようやく正体を掴んだと思えば、ついに大爆発してしまったチェラホト。もちろんこれはほんの一部のはずで、全て使われれば一体どんなことになることでしょうか。。
 まあほんの少し距離をおいていた小敬と崔器、そして井戸に落とされた聞染は大丈夫だと思いますが、少しでも被害を出したら罰せられることになっていた李必の運命も含めて、これまで以上に小敬たちが追い詰められてきたのは間違いありません。

 そして初登場時は面白かったものの、いきなり洒落にならない行動を見せるのが元載。こちらは(史実的にも)李必のライバルになるのでしょうか。今のところはまだその策略の全てはわかりませんが……


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『長安二十四時』 第5話「午の刻 人脈を持つ男」
『長安二十四時』 第6話「午の刻 地下都市の住人」
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『長安二十四時』 第8話「未の初刻 小敬の過去」
『長安二十四時』 第9話「未の正刻 誰がために」
『長安二十四時』 第10話「未の刻 重なる面影」
『長安二十四時』 第11話「未の刻 忠誠を誓いし者」
『長安二十四時』 第12話「未の刻 裏切りの予兆」

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2021.09.23

『長安二十四時』 第12話「未の刻 裏切りの予兆」

 聞染の香を頼りに彼女の跡を追う張小敬と崔器。その頃、新たに二人の狼衛を仲間に引き入れた龍波たちは、いよいよアジトを発とうとしていた。曹破延らが時間稼ぎのために残ったアジトに近づく小敬だが、その頃嫉妬に燃える魚腸は聞染を殺そうとしていた……

 冒頭で描かれるのは記録坊の史書で狼衛のことを調べていた李必が、探していた部分が破られていたことから徐賓の仕業と疑い、彼を拘束、記録坊の鍵を没収する一幕。さすがに過剰反応では? という気もしますが……

 一方、犬を利用して聞染(の香)を追っていた張小敬と崔器は、犬の鼻が回復するのを待ちながら、しばしダベることになります(「ミントよこせよ」「しょうがねえなあ」的な男臭いやりとりが実にいい)。そこで明らかになるのは、崔器の人となり――長安を初めて訪れた時、兄に三日三晩、街を案内されて様々な人間と出会った。俺は王族や貴族ではなく、そんな市井の人々を守りたい……
 そのために出世しなくては、という目標はともかく、地方軍に参加していたという経歴を含めて、この男、実は小敬とあまり変わらない志を持っているのでは!? と驚かされたこのくだり。これまでニヤニヤクチャクチャしてばかりの男と思っていましたが、わずかな時間でキャラの印象をガラリと変えてくる巧みな演出に感心です。

 そしてその頃、昌明坊の龍波のアジトにやってきたのは、右刹の使者だという二人の狼衛――マガル曰く戦神と恐れられるルーダーとルイゴ。つまり右刹の側近、最強の戦士ということか!? という期待は、しかし次の瞬間二人が魚腸に叩きのめされて土下座というギャグのような展開で、マガルたちの尊敬の念もろとも粉砕されます。さっそく殺しにかかる魚腸を止めて、二人を説得して仲間に加えた龍波は、いよいよ真・チェラホトに向けてアジトを出発しますが――足がつかないようにアジトを破壊するために後に残ったのは曹破延たち。当然というべきか、生還確率は極めて低いミッションですが……

 一方、檀棋が告げた小敬の言葉に対し、そのとおり聞染(実は王ウン秀)の解放を命じる永王。母の位牌の前で小敬の縁者には手を出さないと誓ったと、たぶん中国では最高レベルの約束をしたとのことですが(どれだけ小敬が怖かったの永王……)、それに不満顔の封大倫に対して、小敬本人については、大理寺の評事に命じて囚人の引き渡しを求める公文書を書かせろ永王は命じます。そして王ウン秀も、大理寺に引き渡されることに……

 大理寺といえばかのディー判事もいたところですが、ここで白羽の矢を立てられた男・元載は――何というか、とてもふくよかな女性たちを集めておしくらまんじゅう状態にして、その中で暖を取るというインパクト満面のビジュアルで登場。何かそういう特殊な趣味がある方なのかと思いきや、単純にボロ屋で寒いので暖房代わりの様子です。
 しかしその支払いをケチるというセコさ――というより貧乏ぶりのようですが、本人はその才能を自負しているらしく、いい屋敷に住みたいとか、お偉いさんの娘と結婚したいとかブツブツ言っております。この辺り、史実を知っていると大いに笑えるのですが――召使らしいこれまたコロコロした少女とのやりとりも愉快な元載。しかし立ち位置的には敵に回りそうなのが不安です。

 そんな動きも知らず、ようやく昌明坊に近づいた小敬と崔器ですが、この辺りに軍の望楼はなく、空き屋敷が多いと、如何にも潜伏には適した地域なのを知った小敬は、崔器に援軍を連れてくるように命じます。その報は李必にも伝わりますが、その時彼は姚汝能と靖安司に潜むらしい内通者の存在について話している最中。冒頭の徐賓への処置は、内通者のあぶり出しのためだそうですが、どう考えても目の前の人が怪しい……
 そして犬を連れてただ一人先に進む小敬の前に立ち塞がったのは、賈十七なる浮浪者をリーダーとした三人組――ですが言うまでもなく小敬はこれを瞬殺。曹破延に雇われたこいつらはどう考えても時間稼ぎにしか思えませんが、その頃大事件が発生します。

 龍波と距離が近い(ように見た)聞染に対して魚腸の殺意が爆発、辛うじてマガルがこれを止めたものの、今度はマガルに殺させようする魚腸。女子供は殺さないというマガルは、聞染に井戸に飛び込めと命じ、彼女はやむなく従うのですが――水落ちは生存フラグとはいえ、魚腸の暴走ぶりをどうすべきか。
 いずれ彼女についても、そのキャラが深掘りされると思いますが――最初は龍波に利用される哀れな女性かと思われたのが、今ではむしろ龍波のストーカー状態で、全く感情移入できないのが正直なところです。


 というわけで、全体の1/4に達したものの、まだまだ先は見えない状況の今回。冷静に考えると今回は大きな動きはなかったものの、様々な場所で並行して事態が進行するため、全く停滞している感はありません。しかし、そろそろ色々な意味で大爆発しそうですが……


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『長安二十四時』 第10話「未の刻 重なる面影」
『長安二十四時』 第11話「未の刻 忠誠を誓いし者」

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2021.09.13

『長安二十四時』 第11話「未の刻 忠誠を誓いし者」

 崔器に犬を借りてくるよう命じた張小敬は、犬に聞染の香の匂いを嗅がせて追いかける。その頃、靖安司には郭利仕将軍が李必を訪ね、状況が太子方に不利になっていることを告げる。一方、聞染は、曹破延らに助っ人を紹介すると申し出るが、連れて行った先に待っていたのは龍波一味だった……

 前回聞染の機転によって救われながらも、彼女のことを信用できず殺そうとするマガル。しかし聞染は彼らの主たる右刹は自分たちに従っており、支払われた前金で既に長安にいくつもの屋敷や妓女、下僕を用意して優雅に暮らそうとしていると告げ、真のチェラホトのための助っ人の所に連れて行ってやると誘います。そして曹破延はその提案に乗るのですが――彼らが連れて行かれた先は、龍波たちのアジトだったのであります。ということは聞染は龍波の仲間であり、龍波が右刹を動かしていたということで、つまり曹破延は知らないまま龍波のために働かされていた――ということになるのでしょうか。
 そんな事実が明らかになる一方で、その聞染を追う小敬は、崔器を顎で使って宮中から犬を借りてくるよう命じます。小敬のことを敵視していた崔器ですが、前々回・前回の大チョンボを庇われた形になって、今日だけは小敬の言うことを聞くと言っているのが、何とも愉快というか何というか……

 その頃、靖安司には狼衛全滅が偽りであった知らせが伝わり、お祝いムードが一変。そんな中で李必はチェラホト阻止のため、可燃物の捜索を最優先するのですが――それに異を唱えたのは、珍しやデータ分析担当の徐賓であります。ここはむしろ逃げた狼衛を追って捕らえてしまえば狼衛壊滅も嘘でなくなるし、結果としてチェラホトも阻める――と食い下がる徐賓に、こちらも珍しく苛ついた李必が墨をぶっかけるというギスギス状態です。

 と、そこにやってきたのは驃騎大将軍の郭利仕。以前、葛の旦那のところで金器を私した疑いがあったことが語られていましたが――その時頭に浮かべた「将軍」のイメージとはだいぶ異なる政治家然とした老人であります(まあ、この時代は名誉職だったようですが)。
 この郭利仕は太子派の大物らしく、李必も「郭おじさま」と呼びかけていますが、彼が李必に伝えたのは皇帝の言葉。李必ら靖安司をねぎらうように聞こえるその言葉に喜ぶ李必ですが、しかし郭利仕に言わせればこれこそが危険の前触れ。現に郭利仕は茶器を私した疑いをかけられ(この辺りは前回描かれた右相の企てによるものですね)、完全に皇帝から遠ざけられて諫言はもはや不可能になってしまったというのです。要するに自分には助けることはできないというのですが……(しかし、これがどこまで真実を言っているのか、疑おうと思えば疑えますが)

 さて、龍波と引き合わされた曹破延とマガルは、当然ながら右刹の上に立っているという龍波に疑いの眼差しを向けるのですが――ここで曹破延が娘を右刹の下人にしないために下僕の地位に甘んじていることなど、狼衛の内情を知る者以外知りえないことをズバリと語る龍波。その言葉にこれは本物と感じたものか、龍波の誘いに対し、二人は自分たちの命を使えと膝を屈するのでした。
 一方、魚腸は何かと龍波に気安げな(龍波も聞染のことを「お嬢」と呼んだり)聞染に露骨に剣呑な眼差しを向けます。龍波からあなたの香と同じ香りがしたことがあったけど?(ギロリ)という辺りなど殺る気マンマンですが、頭は回るけれども空気は読めない聞染は魚腸を挑発するようなことを言ったりして、この後のことが心配になります。
 そして崔器が連れてきた犬をカワイイカワイイして速攻で手懐けた小敬は、その聞染の香を犬に嗅がせて後を追いかけるのですが、街の雑踏の中を突っ走るもんだから流しの香売りと激突、匂いがグチャグチャな状態に。それでも手段はありげな顔の小敬ですが……

 一方、永王のもとを訪れた檀棋は、小敬の「張小敬の縁者を放せ」という言葉を伝えるのですが――それまで彼女のことを適当にあしらっていたのが、小敬の名を聞いた途端に表情を変える永王。そりゃ以前ボコボコにされればそうもなろうというものですが――さて。


 前回に続き、今後の展開に向けてのタメ的な印象もある今回ですが、何といってもインパクトがあったのは、聞染が龍波と繋がっていた事実でしょう。いつ繋がったのかというのも気になりますが(おそらく父の死後だとは思いますが)、龍波が立場的に狼衛の完全に上というのも意外なところ。そもそもかなりの財力を持つと思しい彼の正体は何なのか、そして長安を狙う理由は何か――まだ彼が真の敵なのかはわかりませんが、この先の展開の鍵を握る存在なのは間違いありません。
 そしてラストは、龍波が何やらピタゴラスイッチ的な仕掛けを用意している場面が映されますが――見た目はどう見てもタル爆弾的なその正体は何か? 真・チェラホトの一端が明かされるのも遠くなさそうであります。


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2021.09.07

『長安二十四時』 第10話「未の刻 重なる面影」

 王ウン秀(実は聞染)を人質にされて曹破延らを逃した事実を伏せて、狼衛を壊滅させたと報告する崔器。その報に沸き返る靖安司だが、確認のために李必に送り込まれた檀棋は、死体の中に曹破延がいないことを見破る。そこで意識を取り戻した張小敬は、自分のせいにしろと崔器に告げる……

 アバンタイトルは、狼衛壊滅の報が入る中、相変わらず何事か鍛冶仕事的な作業に勤しむ龍破と魚腸のやりとり。何故狼衛のアジトがバレたのか、自分が女を連れ込んだためと気付きつつも、魚腸が妓楼の札を隠れ家にわざと残したせいではと言う龍破は(確かにその通りなのですが)、いつか彼女に刺されると思います。
 それはさておき、狼衛が壊滅したと聞いてもあまり驚かず、龍破はチェラホトが降臨すると語るのですが、これは一体……

 さて、その(元)狼衛のアジトで、前回ラストに王ウン秀(のふりをした聞染)を人質にされて、曹破延とマガルを逃してしまった崔器。腹心の部下を派遣して周囲を探させましが、既に三人は仮面の芸人に化けて(聞染の巧みすぎる演技もあって)その場を脱出済みであります。追い詰められた末、とりあえず後で捕まえればいいだろ! という感じで靖安司本部には狼衛壊滅(そして小敬は失踪)と報告、靖安司は歓喜に沸き返るのですが――そこで油断せず、きっちりと確認のために檀棋を送るのが李必らしいところであります。
 そしてアジトにやってきた檀棋は、狼衛一人ひとりの死体の身長を、曹破延のそれと照合し始めるのですが、さすがにこれは崔器も予想外だった様子。そして狼衛たちと一緒に転がされていた小敬も檀棋に見つけられ、一瞬意識を取り戻して軽口を叩くのですが、やはり無理を重ねたのが祟ったか、再び意識を失います。

 そして小敬が思い出すのは、聞無忌と最後に会った日のこと――不良帥の仕事での長旅(このあと小敬に殺される上役に押し付けられたようですが)から帰って聞無忌の店を訪れてみれば、何だか隊長(と無忌のことを呼び続ける小敬が微笑ましい)の様子がおかしい。そこで彼が外出した間に聞染を半ば叱りつけて聞き出したのは、この店が熊火幇の地上げのために様々な嫌がらせを受けており、無忌はその交渉に出かけたという事実。しかしほどなくして帰ってきた無忌は深い傷を負っており、聞染のことを小敬に託してそのまま帰らぬ人に……
 と、この辺りの事情は正直なところ予想通りでしたが、印象に残ったのは、無忌に不良帥として奔走する理由を問われての小敬の言葉でしょう。長安に来るのは仲間たちの夢だった。仲間に変わり俺たちが夢の中にいるが、夢は美しくないとな――と。当然この仲間とは、あの戦場で死んでいった者たちのことでしょう。そしてそんな小敬の想いが、今でも彼を突き動かしているのか――?

 そんなこんなで時間は過ぎ、名もない靖安司の役人が「もう三日も帰ってないんですが、狼衛も滅んだし今日は早上がりして良いですか……」と勤め人には身につまされるようなことを言い出したり、靖安司を閉めて太子のところに行こうと姚汝能が呼びに来たりという状況の中、それでも状況確認は止めない李必。そしてその心配は当たり、檀棋は、死体の中に曹破延がいないことを確認するのでした。
 強がってもバツの悪い表情は隠せない崔器ですが、そこに割って入ったのは意識を取り戻した小敬。俺が手柄のためにやったと言えばいいと崔器に提案した小敬は、崔器の話を聞いて、彼が王ウン秀だと思いこんでいた女性は聞染だと気付くのでした。(一方、本物の王ウン秀の方は、聞染と間違えられて熊火幇に捕らえられることに……)

 何はともあれ、靖安司に急ぎ戻ろうとする檀棋に対し、小敬は「張小敬の縁者を離せ」と永王に伝えろというのですが――しかし永王の配下である熊火幇に捕らわれているのが、聞染ではなく王ウン秀なのは、崔器とのやり取りで既に気付いているはず。一方、檀棋は逆に小敬に対して、聞染に靖安司が一番安全と伝えてと告げて去るのでした。


 前話で起きた出来事のフォローとおさらいという印象もある今回ですが、やはり気になるのは聞無忌の死と、現在の小敬を動かす動機との関係でしょう。明らかに命を捨ててかかっている小敬には真の目的が別にあるのか? それはまだまだわかりません。

 一方、面白かったのは小敬と檀棋のやり取りで、以前から何かと艶っぽい方向に持っていこうとする小敬と全く取り合わない檀棋という関係性が、今回はほんのわずかばかり変わっていたようにも感じられます。小敬が本気で檀棋に粉をかけているのか、これまたわかりませんが、ある意味非常にストイックな小敬だけに、やはり真意が気になるのです。

 そしてもう一つ、聞染が語った、私たちが右刹の主、という言葉の意味も……


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2021.08.29

『長安二十四時』 第9話「未の正刻 誰がために」

 右相と靖安司双方が張小敬の過去に辿り着いていた頃、捕われの身の小敬は狼衛に長安の地図を書くと申し出て時間を稼いでいた。地図が書き終わったとほぼ同時に、小敬を狙う熊火幇が狼衛のアジトを襲撃、大乱戦が始まる。さらにようやく到着した崔器の部隊の突入で狼衛は追い詰められるが……

 今回アバンで描かれるのは右相の屋敷――小敬が烽燧堡の戦いの生き残りであることを知った右相は、当時兵部尚書の地位にあった自分が援軍を送らなかったために部隊は壊滅したことから、自分は小敬の仇であったかと冷や汗タラリであります。ちなみに右相側にこの情報をもたらしたのは、「三女」なる人物。靖安司側で名前に女がつく人物がいたかな……?(すっとぼけ)
 一方、靖安司に戻ってきた姚汝能は李必らに小敬の行動を語り、一体そこまでして小敬を突き動かすものは何かと問います。確かに第2話の時点で既に恩赦の目はなくなっている状況であるのは確かで、長安の市民のためかと思ったものの、しかし間者の小乙を犠牲にし、自分も指詰めまでするというのは、単なる義務感や正義感のみとは思えません。

 ここで前回と今回語られたことを整理すれば、小敬と聞染の父・聞無忌は、わずか九名しか生き残らなかった烽燧堡の戦いの戦友。そして帰還して聞無忌は店を開き、小敬は不良帥になるのですが――国の施設の建設を巡る争い(地上げ)で聞無忌は熊火幇に殺され、小敬は復讐のために熊火幇34人のみならず、上官の不良帥を撲殺、さらに一連の事件の背後にいた永王なる人物をボッコボコにした、ということになります。

 さてその小敬は、拷問の末に曹破延の手で処刑――と思いきや、いきなり後ろから曹破延をどつく狼衛の同僚・マガル。曹破延やっぱり人望ないのか? と思いきや、お前には娘がいるだろうとマガルは熱く語るのですが――狼衛は娘が少ないのでしょうか? 随分と曹破延も思い入れがあるようですが……
 何はともあれ曹破延は拘束され、どさくさに紛れて命拾いした小敬は、長安の地図を書いてやろうとマガルと交渉。どこを書いてやろうかと言われて、どこがいい? と聞き返す狼衛は、意外と抜けているのかそれとも本当は地図は必要ないのか? そして恩知らずの王ウン秀に売国奴呼ばわりされながら小敬が描いた地図には、右相の屋敷の周辺が――おそらくは嘘を描いているのだとは思いますが、あるいは狼衛に右相を襲撃させようというのでしょうか。

 しかし地図を描き終わればもう用無し――とばかりに狼衛が小敬に迫ったまさにそのタイミングで、聞染の挑発に乗った熊火幇がアジトを急襲! しかし小敬の隠れ家と思って威勢よく乗り込んでみれば、待ち構えていたのはフル装備の狼衛だったからびっくり仰天――とはいえ熊火幇も面子にかけて退くに退けず、ここにヤクザvsテロリストのドリームマッチが開幕であります。
 そしてその隙を逃さず、柱に縛り付けられていた曹破延がアタフタしている間に阿修羅のように暴れまくる小敬。また狼衛に捕らえられた聞染と王ウン秀を人質にされて一度は捕らえられたものの、そこに今度はようやく到着した崔器の部隊が突入して三つ巴の大乱戦――というより崔器の部隊が猛烈に矢を打ち込むものだから、狼衛も熊火幇も壊滅状態であります。

 そして屋敷に火をつけようとした狼衛を小敬が阻む一方で、王ウン秀とともに捕らえられた部屋から逃げ出そうとする聞染。突入した崔器は曹破延を見つけ、わざわざ飛び道具を手放して一騎打ちを仕掛けます。お、これはどちらかが死ななければ収まらないやつ――と思いきや、マガルが人質にとった聞染を王ウン秀と思い込んだ崔器は、曹破延とマガルを逃してしまい……


 というわけで、三つ巴の大乱戦と小敬の大暴れもさることながら、改めてクローズアップされた小敬が戦う理由(の予想)が印象に残る今回。小敬の34人の理由は今回描かれたとおりだと思いますが、果たしていま靖安司に協力する理由は、右相への復讐(だけ)のためなのか?
 確かに赦免の希望もない今、最高権力者である右相への復讐は、大きな行動の理由ではありますが……。間者殺しや狼衛への地図提供などの危ない橋を渡り続ける行動も、明日がない故のものとも思えますが、まだ何かあるようにも思えてなりません。

 その一方で早くも壊滅寸前の狼衛。また1/5もいかないうちにここまで追い込まれて、本当にこの先陰謀を遂行できるのか、何だか心配になってきました。


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