井上祐美子『新装版 桃花源奇譚 1 開封暗夜陣』 名作中華伝奇、堂々の復活!
実に初版は1992年(30年前!)に刊行された中華伝奇活劇の名編の新装版、その第一巻であります。北宋初期、不老不死の伝説で知られる秘境・桃花源を巡り、訳ありの貴公子と旅芸人の少女、白面の秀才らが繰り広げる大冒険の開幕編です。
宋第三代皇帝・真宗の時代――繁栄を謳歌する都・開封で、軽業を披露する旅芸人一座の少女・陶宝春は、酔漢に絡まれたところを、不良ながら気品ある少年・白戴星と、科挙に(わざと)落ちた青年・包希仁に助けられることになります。
生き別れの母を探し、旅芸人が知るというその手がかりを求めて宝春の一座を訪れた戴星。しかしそこを凄腕の盗賊で荒事師の殷玉堂が襲撃し、巻き込まれる形で宝春の祖父が命を落とすのですが――その遺体は戴星らの目の前で跡形もなく消えたではありませんか!
玉堂は撃退したものの、なおも迫る追手から身を隠すため、とある出来事から縁を得た開封一の名妓・何史鳳のもとに逃げ込んだ三人。しかしそこに現れた奇怪な妖術使い・崔秋先によって、戴星と宝春は思わぬ場に迷い込むことになります。
不老不死の秘密が眠るという仙境・桃花源の謎を巡る争いと、皇帝が病弱なのをよいことに権勢を恣にする皇后一派の暗躍。そのまっただ中に巻き込まれた三人の運命は……
冒頭に述べたように、本作は実に三十年前に発表された作品であります。私も初出時に大喜びして読んだのですが、今読み直してみても全く古びることのない、痛快極まりない作品であると再確認させられました。
タイトルに冠された桃花源――日本では桃源郷として知られる仙境を巡り展開する物語は、その題材に相応しいファンタジックな要素だけでなく、巧みに史実を、実在の人物を絡めて展開していきます。
そもそも、何よりも三人の主人公の一人、皮肉屋で鉄面皮な書生の名が包希仁と明かされた時には、こう来るか! ともうニッコリ。主人公の中にはもう一人、実在の人物として彼以上の大物がいるわけですが、しかし中華エンターテイメントのキャラクターとして、彼以上の大物はなかなかいない――それでいて日本の作品ではなかなか登場しない――だけに、その題材選びの確かさに唸らされます。
そしてこの三人の主人公の出会いから始まり、流れるように次から次へと事件が起き、それが事態を複雑にしながら物語世界を広げていく――エンターテイメントとして当たり前といえば当たり前かもしれませんが、しかしそれをほとんど一昼夜の物語として描いてしまうのは、尋常な筆の冴えではないでしょう。
特に本作はそのサブタイトルの通り、開封の夜を舞台に、その暗闇の中で繰り広げられる陰謀と闘争を巧みに張り巡らせて展開する物語であります。全四巻の導入編ということもあって、本作ではキャラクター紹介、設定紹介がそれなりの割合を占めるのですが、しかしそれが不自然であったり退屈であったりすることはなく、むしろ物語の原動力として有機的に結びついていくのに、(こうして再読してみると)改めて驚かされた次第です。
さて、この第一巻の終盤では戴星の正体が敵味方に明かされ、そして桃花源探しと皇位継承争いの両方に関わっているらしい戴星の母の行方の手がかりが――と、実に気を持たせるうまいところで後を引くことになります。
はたして戴星の、宝春の、希仁の運命や如何に――続く第二巻も、近いうちにご紹介できればと思います。
『新装版 桃花源奇譚 1 開封暗夜陣』(井上祐美子 中公文庫) Amazon
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