「無限の住人」 第十三幕「風」
さて、アニメ版「無限の住人」もこれにて最終回。
原作はこの先まだまだ続いているわけで、中途で終わることは明らかなわけですが、さてそれではどのような終わりを見せてくれるのか、と思っていたのですが、これがなかなか面白いひねりがありました。
いわば「転章」といった趣の今回、描かれるのは、凛・逸刀流・無骸流など、登場人物それぞれが新しい一歩を踏み出す姿であります。
前回、仇である天津に半ば同類と呼ばれたことに落ち込む凛。
加賀の同志とも言うべき、心形唐流からの手紙に旅立ちを決意する天津。
逸刀流を抜けながらも、妹のように思っていた遊女を尸良に殺された凶。
江戸を離れ、三味線を道連れにいずこかを彷徨う槇絵。
逸刀流壊滅の謀計を巡らせる吐と、その下命で天津を狙い始動する無骸流(ちなみにこのシーンの吐の口上が時代劇らしくて格好良い)。
そして万次は――
逸刀流という存在がもたらしたさざ波が、徐々に大きくなって周囲を飲み込み、さらに巨大に広がっていく、その直前の一瞬を、今回は切り取ってみせたという印象があります。
しかしそんな中にあって、本作の中心にあるのは凛と万次――いや凛の存在。
彼女が前回、いやこれまでに逸刀流の剣士たちと戦う中で明示的に、あるいは暗黙のうちに投げかけられた問いにどのように答えるのか…
それが描かれなければ、一応とはいえ、本作は終われません。
そして悩み続ける凛に道を――それを選ぶためのヒントを――示したのは、意外と言えば意外、納得と言えば納得の人物でした。
悩み続けた翌日、どこかへ消えた万次と入れ違いに凛の前に現れたのは、万次に不死の体を与えた八百比丘尼その人であります。
旅に出るため、万次をその道連れにしようかと現れたという比丘尼(しかし万次が頭を丸めて刀を捨てることはないでしょう…)
比丘尼は、万次の妹の墓の前に凛を案内した上で、万次と凛、それぞれの心の中にあるものを指し示します。
万次の心の中にあるものは迷い、そして凛の心の中にあるものは惑い――
まるで言葉遊びのようですが、比丘尼の言葉には続きがあります。
万次にあって凛にないもの、それは「強さ」。
強さがあるからこそ、万次はどの道を行くか、迷うことができる。それに対して強さを持たぬ凛は、進むべき道を見失っていると――
万次が迷っているように描写されていたかは別として、しかし、ここで比丘尼にこの言葉を言わせるのは、実に適材適所と感じます。 原作であれば、ここまではっきりと語らせなかったであろうとは思いますが、しかし、このアニメ版で一端物語をまとめるためには、良いアレンジではないでしょうか。
そして吹っ切れた凛は、たとえそのために他人を踏みつけにすることはあっても、何よりも大事な父母の命(を贖うこと)のため、立ち上がります。
その選択の是非を問うことは、無意味でしょう。大事なのは、彼女が覚悟し、それを貫くために強さを求めたこと――
そして最後に、もう一つアニメオリジナルのシーンが挿入されます。
凛を描いた絵を前に考え込んでいた宗理先生が、長考の末に描いた――描き加えた――もの。それは、彼女を支え、支えられるように寄り添い、彼女と同じ方向に目を向ける万次の姿でした。
そして新しい風は吹き始めます。加賀へ、加賀へ――
というところで、このアニメ版は完結となります。
意地悪なことを言えば、良い予告編だった! とも評せますが、しかし原作のシーンを切り貼りしながらも、二つのオリジナルの要素を加えることで、見事にまとめてみせたものだと感心します。
個人的には、原作の途中までをそのまま切り出して、そのまま終わるというアニメ化はあまり好きではないのですが、しかしそれも決められた枠。
その中で綺麗に終えてみせただけでも、本作を見た甲斐があったと言えるかもしれません。
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