2011.01.15

「無限の住人」 第十三幕「風」

 さて、アニメ版「無限の住人」もこれにて最終回。
 原作はこの先まだまだ続いているわけで、中途で終わることは明らかなわけですが、さてそれではどのような終わりを見せてくれるのか、と思っていたのですが、これがなかなか面白いひねりがありました。

 いわば「転章」といった趣の今回、描かれるのは、凛・逸刀流・無骸流など、登場人物それぞれが新しい一歩を踏み出す姿であります。

 前回、仇である天津に半ば同類と呼ばれたことに落ち込む凛。
 加賀の同志とも言うべき、心形唐流からの手紙に旅立ちを決意する天津。
 逸刀流を抜けながらも、妹のように思っていた遊女を尸良に殺された凶。
 江戸を離れ、三味線を道連れにいずこかを彷徨う槇絵。
 逸刀流壊滅の謀計を巡らせる吐と、その下命で天津を狙い始動する無骸流(ちなみにこのシーンの吐の口上が時代劇らしくて格好良い)。
 そして万次は――

 逸刀流という存在がもたらしたさざ波が、徐々に大きくなって周囲を飲み込み、さらに巨大に広がっていく、その直前の一瞬を、今回は切り取ってみせたという印象があります。

 しかしそんな中にあって、本作の中心にあるのは凛と万次――いや凛の存在。
 彼女が前回、いやこれまでに逸刀流の剣士たちと戦う中で明示的に、あるいは暗黙のうちに投げかけられた問いにどのように答えるのか…
 それが描かれなければ、一応とはいえ、本作は終われません。

 そして悩み続ける凛に道を――それを選ぶためのヒントを――示したのは、意外と言えば意外、納得と言えば納得の人物でした。
 悩み続けた翌日、どこかへ消えた万次と入れ違いに凛の前に現れたのは、万次に不死の体を与えた八百比丘尼その人であります。

 旅に出るため、万次をその道連れにしようかと現れたという比丘尼(しかし万次が頭を丸めて刀を捨てることはないでしょう…)
 比丘尼は、万次の妹の墓の前に凛を案内した上で、万次と凛、それぞれの心の中にあるものを指し示します。

 万次の心の中にあるものは迷い、そして凛の心の中にあるものは惑い――
 まるで言葉遊びのようですが、比丘尼の言葉には続きがあります。

 万次にあって凛にないもの、それは「強さ」。
 強さがあるからこそ、万次はどの道を行くか、迷うことができる。それに対して強さを持たぬ凛は、進むべき道を見失っていると――

 万次が迷っているように描写されていたかは別として、しかし、ここで比丘尼にこの言葉を言わせるのは、実に適材適所と感じます。 原作であれば、ここまではっきりと語らせなかったであろうとは思いますが、しかし、このアニメ版で一端物語をまとめるためには、良いアレンジではないでしょうか。

 そして吹っ切れた凛は、たとえそのために他人を踏みつけにすることはあっても、何よりも大事な父母の命(を贖うこと)のため、立ち上がります。
 その選択の是非を問うことは、無意味でしょう。大事なのは、彼女が覚悟し、それを貫くために強さを求めたこと――


 そして最後に、もう一つアニメオリジナルのシーンが挿入されます。
 凛を描いた絵を前に考え込んでいた宗理先生が、長考の末に描いた――描き加えた――もの。それは、彼女を支え、支えられるように寄り添い、彼女と同じ方向に目を向ける万次の姿でした。

 そして新しい風は吹き始めます。加賀へ、加賀へ――

 というところで、このアニメ版は完結となります。
 意地悪なことを言えば、良い予告編だった! とも評せますが、しかし原作のシーンを切り貼りしながらも、二つのオリジナルの要素を加えることで、見事にまとめてみせたものだと感心します。

 個人的には、原作の途中までをそのまま切り出して、そのまま終わるというアニメ化はあまり好きではないのですが、しかしそれも決められた枠。
 その中で綺麗に終えてみせただけでも、本作を見た甲斐があったと言えるかもしれません。


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2011.01.07

「無限の住人」 第十二幕「斜凛」

 アニメ版「無限の住人」も、この第12話を入れて残すところあと2話。今回はそれぞれの行く道に翳りの出てきた凛と天津の出会う「斜凛」であります。

 逸刀流の初期メンバーが次々と倒され、槇絵にも去られた天津。
 溜まり場(?)である「雪待」に行ってみれば、いつの間にか(本当にいつの間に)逸刀流を抜けた凶津は遊女とイチャコラしている有様…
 気持ちが優れない時は山に籠もって刀を振り回すという手もあると、天津に対し凶津はアドバイスします。

 一方、前回の川上新夜と錬造のことが頭に残り、心ここにあらずの態の凛。
 気持ちがクサクサしている時は体を動かすに限ると、凛に対し万次は野外で稽古をつけると言い出します。

 万次の荒っぽい稽古に、凛が自分の無力さを痛感したのはさておき、休憩時間に川で水浴びする凛ですが――サービスシーンもそこそこに、上流から流れてくる真っ二つになった木の葉が凛の目に止まります。
 それに興味を持った凛が上流に向かってみれば――そう、そこで木の葉を相手に変形の斧・頭椎(かぶつち)を振るう天津の姿。

 相手が天津と気付いてしまった凛は、先手必勝とばかりに殺陣黄金蟲で勝負をかけるのですが…君は数分前の万次先生の教えを何と聞いていたのか。
 当然と言うべきか、僥倖というべきか、当たったのは一発のみであります。

 効かぬと見るや、天津が置いた頭椎を奪って戦おうとするのは褒めてもよいかと思いますが、敵の武器を奪って…というのはある意味フラグでしょう。
 痩身の天津が軽々と振り回していたにも関わらず、頭椎の大変な重さに自分が振り回された凛は、得物を捨てて逃げ出しますがもちろん逃げ切れるわけもなく――天津に捕らわれてしまうのでした。

 さて、ここからが今回のメインと言うべき天津と凛の対話であります。
 両親の仇に全く歯が立たず、逆に囚われの身となった口惜しさに涙し、早く殺せという凛に対し、何故自ら死に急ぐのか、命乞いをしてまでもその後の機会を窺わないのか、と不思議そうに訪ねる天津。

 もちろん、女性である凛はともかく、一廉の武士が同様の目に遭えば、自ら命を絶つのがもののふの道というやつでしょう。抜きんでた剣力を持ちながらも、しかし、天津のこの言葉は、当時の武士の枠を完全に外れたものであります。

 しかし、次いで天津が喩えに出すのは長篠の戦の信長の戦法と、宮本武蔵の二刀流。優れた武将であり、優れた剣士――すなわち、優れたもののふである彼らの取った戦法は、しかし太平の時代では、卑怯とは言わぬまでも埒外のものと呼ばれかねません。

 天津が凛の両親を殺した理由は、そうした埒外の技を求めたことで破門された祖父の復讐が第一の目的ですが、しかし彼にとっては、武士の体面に拘り続けて老いた祖父もまた、唾棄すべき存在に過ぎません。
 彼の向かう先はその遙か彼方――単なる飯の種に堕した剣術を、ただ強さのみを唯一の価値であり規範とするかつてのそれとして、復興することにあったのです。

 そんな彼にとって、剣術としてみれば邪道としか思えぬ黄金蟲を遣う凛は、半ば自分たちと同類の剣士であると…そう告げて、天津は凛を残し去っていきます。
(原作ではこの場面の天津の表情が素晴らしかったのですが――アニメではぼかされてしまったのが残念)

 初めて知った天津の想い――それはもちろん、強者の勝手な理屈に過ぎないものではありますが、しかし一定の理を備えたもの。
 そして自分が、仇である天津に同類と見なされたことが、凛にどれだけの衝撃を与えたことか。

 槇絵、そして新夜との戦いの中で自らの復讐の正当性を問われ、そして今また、逸刀流の大義の前に自らの大義を揺るがされた凛(実はこのエピソード、原作では新夜篇の前に位置しているのですが、これはアニメのナイスアレンジでしょう)。
 彼女がどのような道を選ぶのか。それは原作と同じ道か、はたまたアニメ独自の道なのか――次回、最終回であります。


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2010.12.29

「無限の住人」 第十一幕「羽根」

 アニメ版「無限の住人」も気がつけば残すところあと3話。今回は川上新夜編の後編「羽根」であります。

 冒頭で描かれるのは、幼い頃の凛と祖父の姿。
 破門された天津の祖父のことを思い出しながら、仮に自分や親に何かあっても相手を恨むな、復讐を行えば今度は相手の子孫が恨みを持つだろうと、凛の祖父は語ります。

 その復讐を戒める祖父の言葉も空しく、いま凛が万次とともに歩むのは両親の復讐行。
 しかし、ついに母を汚した張本人・川上新夜と出会ってみれば、新夜は父の所業を知らぬ息子・錬造と暮らしていたという皮肉――

 もちろん新夜も、凛が浅野道場の遺児であることは先刻承知。
 その自分をどうするかと訪ねる新夜に、錬造のただ一人の肉親である新夜を斬ることはできないと凛は答えるのですが…

 しかし、殺さない代わりに詫びろというのは、これはいかに世間知らずの娘の言葉といえいかがなものか。
 案の定、この世に人の命を購えるものがあるとすればそれは人の命のみだと、凛を嘲笑う新夜は、手を突いて詫びるふりをして凛に襲いかかり、(それを予期していたにも関わらず)凛は意識を失う羽目になってしまいます。

 ここで「この面だけは剥がされるわけにはいかない」とうまいこと言いながら、しかしすぐに凛を始末せず、凛の体に血化粧を加え、その出来映えを満足げに寛賞する新夜もまた、ずいぶんとおかしな行動をするものですが…(芸術家気質とはいえ、ねえ)

 ちなみにこの場面、明らかに凛の母がされたことと同様に「体を蹂躙すること」の暗喩。
 その少し前、凛との会話中に、新夜が凛の体にメイクするところを想像するというシーンもあって、こういう形で描いてみせるというのには、感心いたします。

 閑話休題、そんなことをしているうちに万次は窓から新夜の家に入り込み、凛を救出――
 するのですが、ここで突然万次を前に部屋の箪笥を動かし始める新夜と、それを手伝わされる万次というよくわからない展開になってしまいます。

 どうやら新夜は狭い空間での戦いを得意とするらしく、燭台で固定された箪笥によって分断された部屋の中で、万次は新夜に翻弄され、次々と武器を奪われた末に新夜に押さえつけられ、また新夜は血化粧を始める始末であります。

 この場面、新夜も万次の弱さに呆れるのですが、それは見ているこちらの台詞。
 凛といい新夜といい万次といい、今回の登場人物はどこか変で、復讐/償いと家族という重たいテーマが、正直台無しになっている感は否めません。

 結局、万次が窓から入る時に使って外に刺しっぱなしになっていた刃によって新夜は敗れ、凛の制止むなしく万次によってとどめを刺されることとなります。
 そしてその場に帰ってきてしまった錬造は、万次を刺し…万次が死んだと錬造が信じたところで、このエピソードは終わります。


 原作ではちょうどこの辺りからストーリー志向と言いましょうか、派手な剣戟よりもドラマ性を重視する過渡期にあったかと思いますが、上記の通り内容的には疑問符が付く内容。
 原作では「ちょっとおかしいな」と思いつつ、絵の力で読まされましたが、このアニメでは「だいぶおかしい」になってしまったのは、これは何のためなのか…さて。


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2010.12.22

「無限の住人」 第十幕「變面」

 アニメ版「無限の住人」もいよいよ終盤。第十幕「變面」は、川上新夜編の前編、運命の皮肉か、凛が思わぬところで怨敵と出会うこととなります。

 万次と二人、縁日を訪れ、年頃の娘らしく振る舞う凛が並んでいた屋台に割り込んできた少年・錬蔵。

 一方、年頃のおっさんらしく全く女の子の心のわからない万次(一見ギャグシーンのようでいて、縁日の光景を、自分にとっては水の中の景色のようだと呟くのが興味深い)は、独特のセンスを持った面作りの男・川上新夜と出会います。

 この新夜、実は逸刀流の一員。
 万次とここで対面したのは偶然ではありますが、しかし逸刀流にとって万次と凛は既に無視できぬ敵、出会えば即斬るべき間柄、というわけでまさに一触即発となったその瞬間――そこに錬蔵が現れたことから、新夜は刀を引きます。

 実は錬蔵は新夜の息子、妻に先立たれた(それ以前に一度逃げられた)新夜は、親一人子一人の暮らしを続けていたのでありました。
 が、その新夜の顔を見た凛は、これまでにない憎悪の表情を浮かべるのですが…

 そして翌日、錬蔵が破落戸に絡まれる場に居合わせた凛は、己が嘲られるのも構わず錬蔵をかばい、その場を収めることに。
(この時、凛の着物の裾が、破落戸の足にまさぐられるシーンが無駄にエロい。アニメ化の成果?)
 礼をするという錬蔵について、凛は一人、敵の一人である新夜のもとに赴くことになります。

 凛がかつて自分たちが襲撃した浅野道場の一人娘と知ってか知らずしてか、己の身の上を語る新夜。
 かつては散々剣士としてやんちゃもしたけれど、逃げた妻が病で死んで錬蔵一人残ったことから、新夜は剣士を引退したとのことですが――「親が危ない橋を渡っていると、子供もいずれ似たような道に踏み込む」という言葉が、その後の錬蔵の運命を考えれば皮肉どころではないのですが、それはさておき。
 そして凛の両親のことを聞く新夜に、淡々と凛が両親のことを語り始めたところ(そして凛を追って万次がヘンなBGMと共にずんずん歩くところ)で、今回は幕となります。

 と、実はほとんどアクションらしいアクションのなかった今回。
 万次の刀が抜かれたのも、面を加工する新夜に刀を貸した時と、凛の行方を聞き出すため、屋台をブチ壊した時のみという地味な回であります。

 実のところ、原作でもこの新夜編辺りから、どんどん人間ドラマ主体の展開となっていくので(見開き解体シーンがなくなるのもこの辺りから)、原作に忠実な展開ではあるのですが、しかし今回はその分、キャラクター描写と声優の芝居に集中することができたかと思います。

 まだ後編があるため、ここであまり語るのも難しいですが、新夜の初登場シーンは、同じ面を欲しがる幼い兄妹に柔らかく語りかけてその場を収めるという、不思議な人間味を感じさせるもの。
 錬蔵のために逸刀流から足を洗おうという点も合わせて、穏やかな人物にも見えますが…

 そしてその新夜を激しく憎む凛(その因縁を語り始めたところで終わるのもうまい)が、彼を前に淡々と語り始める辺りの佐藤利奈の語りもなかなかよろしく、次回の爆発が期待できそうです。


 と、声といえば、途中に出てきた妙に陰気な声の風車売り、原作者だったんですね…


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2010.12.15

「無限の住人」 第九幕「夢弾」

 アニメ版「無限の住人」第9話は、乙橘槇絵篇の後編。
 前回のラストで、天津と自分が、決して人並みの男と女の関係ではいられないことに気付いてしまった槇絵は、天津に終生協力することの証として万次を討つと誓うのですが…

 実は天津と槇絵の出会いは、子供時代から。しかしその出会いも、子供らしさなど微塵もなく、ただ後に凛の父が継ぐことになる無天一流への復讐に凝り固まった天津の祖父を介しての血なまぐさいもの…

 その中で槇絵が天津をどう感じたかは直接描写はされませんが、天津にとって、子供時代から圧倒的だった槇絵の剣力は、仰ぎ見るべき憧憬の対象だったのでしょう。
(しかし、子供時代の天津は、何というか、こう、リアリティのない子供だなあ…)

 そして、その存在自体が侍というものを否定し、嘲笑うものであるような槇絵の存在が、天津が逸刀流を作る一因になったと考えれば、その意外な存在の大きさというものを考えさせられます。
 ――それが、全ての行き違いのもとだったのかもしれませんが。

 さて、再び現れた槇絵に対し、万次はこれからお楽しみと偽って凛を引き離し、単身槇絵との決闘に向かうのですが…
 しかしこの決闘シーン、漫画で読んだときは特に感じませんでしたが、町中で長々と斬り合いしているというのに、誰も通りかからないというのはいかがなものか。
 百人斬りの万次が表を歩いてもおとがめなしなのは、まあ泳がされていたから、と原作では後で説明されましたが、今回のこれはいただけない。
 こういうところで興を削がれて話に集中できなくなるのはもったいないことです。

 と、文句はさておき、バトルとしてはかなり面白かった万次対槇絵。
 正直なところ、逸刀流に対してはあまり勝率の高くない万次さんは今回も大いに苦戦するのですが、しかしそれでも、お互いの長所と短所が噛み合った好勝負という印象です。

 常人離れした速度を持ち、手数とテクニックで勝る槇絵――女の非力さを、長物を使うことにより遠心力で補うという説明も面白い――に対し、万次はそれこそ無限に近い耐久力の持ち主。槇絵が押し勝つか、万次がそれを耐えて一発返すか…なかなかスリリングな戦いです。

 さらに万次は、戦いの中で次々と武器を落とした上に、自分の片腕を斬らせることで軽量化して、スピードの上でも槇絵に対抗しようと図るのですが、この辺りは万次でなければ不可能な、破天荒な戦法で、実に面白いではありませんか。

 そしてその中でも、一度動きを止めれば、人を殺したときの恐怖が蘇るという槇絵。その彼女を叱咤激励し、立ち上がらせるのが、敵である万次というのも、色々な意味で面白い(万次さん最強の武器は口車のような気すらしてきましたよ)。
 それはさておき、剣を捨てられない理由を思い出せ、そのために戦えと語る万次の言葉は、槇絵の生い立ち・戦う理由を知らずして、槇絵に一つの救いを与えていたというのは、なかなかよくできていると思います。

 そしてもう一つ、彼女に救いを与えたのは、凛の存在であります。結局、槇絵には及ばなかった万次。しかし地に伏した彼を庇ったのは、ようやく二人の戦いに気づいた凛。
 剣力は全く及ばないながら自分の前に立つ凛、天津と逸刀流に戦いを挑む凛に、槇絵は問います。
 大義名分もなく私怨のために人を斬ることが、人として正しいことか考えたことはないのか――と。

 言うまでもなくこれは、槇絵自身が自分自身に問いかけている言葉。
 天津のように大義名分を持つのではなく、自分と母を家から追った父に対する恨みを胸に剣を振るう――もっとも彼女の場合、その恨みを貫くこともできなかったのですが――自分への言葉であります。

 それに対して、己の正義ならざることを知りつつも人間としてその手を汚さんとする凛と、その彼女を己の身を捨てて守り、その剣となって戦う万次と…その二人の姿が、槇絵にとっては最高の答えなのでしょう。

 万次たちを討つことなく、天津とも別れ、一人槇絵が己の道を歩み始めたところで、今回の物語は終わります。


 正直なところ、槇絵が剣人と女郎を対比するのは、やはり乱暴すぎるようには感じます(もちろん彼女にとっては、己の行く道がその両極端にしかなかったのであり、そのある種の歪みなさこそが、彼女の不幸なのでしょうが…)
 しかし、それであっても、二人寄り添う万次と凛、二人離れていく天津と槇絵を対比する構造は美しく、これで絵的に前回並みのクオリティであれば文句なしだったのですが、まあそれを差し引いても良いお話でした。


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2009.03.19

「無限の住人」 第七幕「三途」

 後半戦に入った「無限の住人」第七幕、前回を受けて閑馬永空編の後編であります。
 前回は無骸流のエピソードが挿入されましたが、今回は全編対閑馬戦、微妙に原作と異なる演出がなかなか面白い回でした。

 前回のラストで万次が毒に犯されたため、直す手だてを求めて一人飛び出し(このくだり、あれだけ万次が悲惨なことになっているのに意外と取り乱していない凛ちゃんに激しく違和感。にしても独断専行癖はこの頃からですな)閑馬に捕らわれた凛。

 彼女に対して閑馬が語る自身の過去と、独自の人間観が今回のハイライトの一つ。
 戦国時代、主君のために全てを擲ちながらも、残ったのはただ、蟲に生かされ、死ねない体となった閑馬――彼にとっては、己を含めた全てが地を這う蟲同然であり、空しい命であります。
 もう一人の万次とも言うべき閑馬の語る内容自体は、微妙に中二病的ではありますが、しかし原作では台詞のみで語られた彼の過去を、ビジュアライズして描いてみせるなどして、彼の不気味に達観した――達観しようとしている――想いを、それなりにうまく描き出していたかと思います。

 そして復活した(この辺り、原作のかなりのご都合主義っぷりを何とかフォローしようとしているのが微笑ましい)万次との対決では、原作では茶屋でのファーストコンタクトで万次が投げかけた「唯な 人の上に立つ事だけは諦めたほうがいい」という言葉がお互いズタズタになりながらの血闘の中で発せられることになるのが、なかなかうまいアレンジ。
 この会話がなかった分、前回の茶店でのシーンが薄味に感じられたのですが、しかし、今回この場面でこの言葉が出てくる方がなるほど通りが良く、そして何よりも、この言葉を受ける形で、あの凛ちゃんのヒドイ名台詞「二百年も生きてきて 一度も人の上に立てなかったというなら……」が出てくるのはなかなかよい構成であったと思います。

 アクションも――相変わらず大して動いてはいないのですが――見せ方を工夫していて、本作の中ではかなりの健闘ではないでしょうか。特に烏で閑馬の短刀(黄金蟲)を弾いた後の万次の見得がなかなか良いのです。


 しかし…今回アニメで改めて見直してみればこのエピソード、「無限の住人」という作品を考える上で実に示唆に富んだ内容であったと今更ながらに気付くのですが――今の作者の筆で描けば、また全く異なる様相を見せたのではないかとも感じます(不死力解明編は、変な方向にすっ飛んでいってしまいましたが)。
 そういう意味では、アニメではもっともっと踏み込んで欲しかった…という気持ちもあるのですが、それは贅沢の言い過ぎというものでしょう。


 それにしても今回一番のセクシーショットは、緊縛されて舌を出させられる凛よりも、半裸でのたうち回る万次さんだったと思います><


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2009.02.27

「無限の住人」 第六幕「蟲の唄」

 ようやく折り返し地点の「無限の住人」第六幕は、万次と同じ体を持つ不死身の剣士・閑馬永空編の前編。しかしながらそれだけではなく、逸刀流と、ついに牙を剥いた謎の敵の暗闘も並行して描かれます。

 内容的には、初の前後編である今回ですが、エピソードの半分以上は、逸刀流vs謎の敵――無骸流という名は、まだ出ていなかったと思いますが――が描かれた印象。つまり、前話同様、原作初期の万次対逸刀流剣士編と、無骸流編のエピソードがミックスされた構成であります。

 後者のエピソードとして描かれるのは、原作での百淋姐さんと偽一のデビュー戦である、隅乃軒栄・八角蔦五戦。
 この辺りのエピソードを原作で読んでいた時には、変態じゃない逸刀流剣士(しかも副将)が、いきなり出た、死んだという展開で大いに面食らったものですが、アニメの方では百淋が冒頭から顔を見せていただけ、驚きは少ない…かな。

 それにしても、原作では登場シーンからの長い独白で妙な印象に残った隅乃さん(しかし原作では「すみの」だったのが、劇中ずっと「ふさの」と呼ばれていたのが気になる)は、アニメで見てもやっぱり妙…というより、万次と町ですれ違った直後にあの独白を始めるので(ほとんどギャグだよあれじゃ…)、塩味が原作以上で、これはこれで楽しめました。
 八角さんは、相変わらず本当にしょっぱかったので言うことなし。御免。


 一方、閑馬永空の方は、戦国時代の戦場を彷徨う閑馬の姿が、冒頭に描かれたほかは――この冒頭のオリジナル描写は、既にアニメ定番となった感があります――顔見せ的な印象が強し。
 今回のラストは、不死身のはずの万次が、閑馬に刺された後に、血を吐いてのたうち回る場面で終わりましたので、閑馬のドラマは次回で、ということなのでしょう。

 もともとアクションは少なめの回でしたが、それでも絵的にはちょっと微妙…だったかな。


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2009.02.16

「無限の住人」 第五幕「執人」

 思い出したように続けるアニメ「無限の住人」視聴。今回は第五話「執人」。逸刀流中の好漢(?)凶戴斗との出会いと対決の回であります。

 今回のベースとなっているのは、単行本一巻の「執人」と単行本五巻の「凶影」中のエピソード。
 元々、第一話から無骸流の面子が顔を見せるなど、物語の流れを再構成したことが窺われるこのアニメ版ですが、今回はかなり大胆に物語の流れをアレンジしており、本来であればかなり間が空いている、凶の持つ浅野道場の宝刀・クトネシリカを巡っての万次と凶の初対決と、逸刀流が幕府と接近したことから凶が逸刀流を離れる様が、一つのエピソードとして描かれることとなります。

 おかげで、凶は本格的に登場して――それまでも回想シーンでちょこちょこと登場していましたが――すぐに逸刀流離脱、という慌ただしさになってしまいましたが、それでもそれなりに話が成立しているのがちょっと面白いところです。
 その離れ業(というのは大げさですが)を可能としたのは、凶のキャラクターの基調である「侍嫌い」の要素、二つのエピソードをまとめたこと。

 冒頭のオリジナル演出で、凶の悪夢という形で、参勤の行列の侍に妹が殺される様を描くことにより、彼のトラウマであり、行動の原動力を印象づけたことで、万次との対決と逸刀流離脱をさほど無理なくまとめたのは、ちょっと感心しました(「俺は侍が憎い!」とはっきり言わせてしまうのは、ちょっとどうかとは思いますが)。
 凶の想いを象徴するアイテムとして――そして、ラストの逆転のきっかけとして――鞠が描かれているのも、なかなかうまかったと思います。

 尤も、凶というキャラクターを描く上において、本当に一話にまとめてしまったのは良かったのか、というそもそもの疑問は残るのですが、絵のクオリティ的にも悪くなく、まずは水準のエピソードであったかと思います。


 ただ…「こんな手で刈られるほどただの剣豪の首も軽くなかったと思うぜ」とか「辛い思い出ばかりでもな……憶えていればそのおかげで信じらんねェ力を出せる時もある」とか、私の好きなちょっとイイ科白がほとんどオミットされていたのは、個人的にはちょっとショックではありましたよ。


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2009.01.20

「無限の住人」 第四幕「天才」

 またずいぶん間隔が開いてしまいましたが、アニメ「無限の住人」の第四話であります。今回は絵師にして剣士にして隠密という怪人(?)宗理先生の登場篇「天才」です。

 内容的には、原作の宗理先生登場回とほとんど変わらぬ内容だったこのエピソード。
 とはいえ、冒頭に隠れて西洋画を観賞する集会を襲撃、参加者を皆殺しにする宗理先生というオリジナルのシーンが挿入され、宗理先生の難儀なキャラクターがちょっと補強されて描かれた印象です。そもそも何で西洋画を見ていただけであそこまでバッサリとやられなければいけないのだとか、忍び目付があそこまでやる権限はあるのか、など、ツッコミどころは色々とあるのですが、返り血を受けた状態で西洋画を見て、ポゥっとなっている宗理先生はなかなかの変態ぶりだったので良しとします。

 その宗理先生の声を当てるのは、名優・関俊彦氏。もちろんクールな方の声ですが、これがまた宗理のひねくれたキャラクターに実に良くマッチしていたと思います。
 凛に助太刀を頼まれて、滔々と自分の立場を述べるシーンと、その後の万次との問答は、ある意味今回のハイライトかもしれません(にしても冷静に考えるとこの人、不死力解明編の綾目歩蘭人と、頭の中身はあんまり変わりませんな…)


 そして後半に展開されるのは、逸刀流の刺客たちとの緊張があるんだかないんだかわからないチャンバラ。これは原作からしてこういう演出だったせいもありますが、その前の宗理の長科白といい、頭の悪い逸刀流剣士といい、妙にコミカルな展開といい、「無限の住人」のある側面を明快に示しているエピソードで、この辺のノリは、アニメにするにはむしろ丁度良かったのだなあ、と妙なところで感心してしまいました。

 ちなみにラストには天津が登場、逸刀流の流儀を破って一対多数で万次たちを襲った剣士に制裁を加えるという再びのオリジナルシーンが付け加えられていますが、これはちょっと蛇足だったかな…という気がしないでもありません。逸刀流のポリシーと天津の強さをアピールするという狙いはわかるのですが、ね。


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2008.10.27

「無限の住人」 第三幕「恋詠」

 ずいぶん間が空いてしまいましたがアニメ版「無限の住人」第三話…凛の復讐行の第一歩として万次と対決することとなるのは逸刀流統主・天津の片腕にして空前の変態剣士・黒衣鯖人であります。

 天津が逸刀流を結成する前から傍らにいたという、立場的にはかなり重要な位置にいながら、原作冒頭にあっさりと倒された(まあこの頃はこんなに長期連載になるとは思っていなかったわけで…)鯖人ですが、このアニメ版では、鯖人が自分の妻を斬るシーンなど、幾つかのエピソードを追加して、一本丸々、対鯖人戦が描かれています。

 この鯖人、異装の剣士が多かった初期のキャラクター(最近でも白髪蟹男とかいますが)の中でも群を抜いた変態剣士。太平の世だというのに鎧兜を身につけた巨漢というのはまだいいとして、何よりも特徴的である両肩の巨大な突起の下は、かつて自分が恋し、殺害した二人の女性の首の剥製…それも上述の自分の妻と、そして凛の母という既知外っぷりです。

 このように猟奇もここに極まれりと言うべき鯖人ですが、その行為の根幹を成すのは、己の愛した女性をいつまでも美しいままに保ちたいという想い。それは「永遠」を求めたいという想いの裏返し――嘘か誠か、凛に対しては、凛を殺した後に自分も剥製となるとまで告げているのですから――と言えるのですが、彼の前に立ち塞がる万次は、実にその「永遠」を生きる男であります。

 この構図は、アニメオリジナルだったと思いますが、実に面白い。己の求める永遠のために人を斬る男と、求めざる永遠から逃れるために人を斬る男の戦いというは、実に皮肉かつドラマチックではありませんか。
 死闘のラストで万次が叫ぶ名台詞「死ねるテメェはしあわせ者だっ!!」が、このアニメ版では、より響くこととなったかと思います。


 尤も、そのドラマを描き出すアニメーションとしての絵と動きは今ひとつ…剣戟アクションについては既に期待していませんが(諦め早すぎ)、母の首を見せられて激昂する凛の叫びの画に迫力がないのはいかがなものか。声の方は頑張っていたのに、実に残念であります。


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