2024.04.22

『妖雲里見快挙伝』完結篇

 新東宝版・南総里見八犬伝である『妖雲里見快挙伝』、前篇に続いて完結篇が公開されています。馬加大記と網乾左母二郎の奸計によって一度は滅ぼされた里見家。はたして伏姫の予言した八犬士は現れるのか、そして逆襲の機会はいつ訪れるのか――あまりに意外な最後の犬士の正体に注目です。

(以降、ラストまでの詳細に触れますのでご注意下さい)
 というわけで、二部構成の後篇である本作は、前篇のラスト、馬加大記の讒言によって謀反の罪を着せられ、攻められた里見義実の滝田城が落城した場面から物語は始まります。

 信乃と現八は奪われた村雨丸を取り返そうとするも果たせず、滝田城の苦境を知って戻るも時既に遅し。義実は辛うじて伏姫の亡霊に守られて小文吾の隠れ家に逃れ、道節は左母二郎に捕らえられて牢に捕らえられた妹・浜路の元に向かい――と、それぞれに大変な状況で唯一の救いは、義実の奥方である五十子を守る親兵衛のもとに、第五の犬士として珠が現れたことでしょうか。
 また、本作では馬加家の家臣の荘助は、その剛直ぶりを疎まれて牢に入れられながらも全く屈せず(本当に屈してなくて、責めに来た他の家臣が怯えるくらいなのが可笑しい。さすが荘助!)、旦開野は女田楽一座を率いて馬加を付け狙い――とそれぞれに意気軒昂であります(あれ、もう一人は……)

 その一方で、本作での悪役を一手に引き受けることになった馬加大記も、これはこれでスゴい奴。何しろ旦開野だけでなく道節の父を殺し、里見家の城を奪い――と、原典でいえば、馬加大記だけでなく扇谷定正と蟇田素藤の役を兼ねている上に、配下は網乾左母二郎と船虫、赤岩一角というオールスターであります。
 この大記を演じるのはベテラン阿部九洲男、太い眉にギョロリとした目で浮かべる表情は奸悪そのもの――大悪役として貫禄たっぷり、これを信じる足利成氏はどこに目を付けているのか、というほかありません。


 さて、里見家を徹底的に滅ぼすまで手を緩めない大記は、五十子に扮した化猫・赤岩一角と妖怪軍団に命じて、義実を拐かすのですが、追ってきた小文吾を妖怪と誤認して襲いかかったのが通りすがりの犬村角太郎。そこに現れたのは本物の赤岩一角であります。
 成り行きで赤岩一角と戦うことになった角太郎(しかし妖怪一角が「恨み重なる赤岩一角の一族、いま息の根を止めてくれる」と言っているところを見ると、妖怪一角と角太郎の関係は、原典と同じなのかしらん)ですが、そこにそこに追っ手を逃れて隠れていた信乃と現八が現れ、四人の犬士が勢揃い。さしもの一角も討たれて義実は奪還されましたが、その間も馬加と網乾の奸策は続きます。

 牢の浜路に手を出そうとしたり、牢の荘助を殺そうとしたり、何しろ正義の味方は何人もいるのに悪役の実働部隊は網乾一人なので、とにかく出番が多い。主役並みの活躍ですが――何はともあれ潜入した道節の手で荘助は脱出(やっぱりこの二人は縁があるのだなあ……)、さすがに馬加を見限って里見につきます。
 しかし網乾の方も囮を使って犬士たちの目を惹きつけ、本物の村雨丸をまんまと成氏に献上、ついに里見家は逆臣とされ、領地は馬加に与えられることに……

 もはや里見家は家も名分も失った流浪のレジスタンス状態、まだ七人しか揃っていない犬士たちも悲壮な覚悟で最後の戦いを決意します。が、ここで馬加が調子に乗って成氏を宴に招いて毒殺せんと企んだのが運の尽き。宴に侍っていた旦開野、実は犬坂毛野がこれを見破って成氏に知らせたことで事が破れ、さらに七犬士が殴り込んだことで一挙に形勢逆転であります。
 馬加は道節と毛野に討たれ、その場から村雨丸を持って飛び出した浜路を追う網乾、その網乾を追う信乃は激しい戦いの末、網乾は斃れるのですが――ここで衝撃の真実が!

 最後まで姿を見せなかった八人目の犬士、その正体は――浜路だったのであります!

 ……
 ……
 えっ、直前に毛野も名乗りを上げたし、これまで色々と出番があった上に、成氏毒殺を止めた殊勲者なのに――確かに浜路も本作で一番苦労した感はありますし、姓も犬山さんではありますが、しかし……
(正直、入れ替えるのであれば一番出番の少ない角太郎の方が……)


 と、最後の最後で八犬伝ファンほど驚かされる誰得の一大改変が飛び出しましたが、まあ大胆な改変は八犬伝には付きもの。前篇・完結篇、合わせてわずか二時間強で賑やかに一気に駆け抜けた八犬伝、難しいことを考えずに観るには実に楽しい作品でありました。


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『妖雲里見快挙伝』前篇

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2022.10.31

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 九章 逢魔刻の影』 犬士流転 道節の中の迷いと弱さ

 『異界譚里見八犬伝』、待望の新章は、先日ご紹介した八章と同時発売。ついに一族の仇である扇谷定正に襲いかかった道節の復讐行の行方は、そしてはからずもそこに巻き込まれた四犬士の運命は――犬士たちの流転は続きます。

 信乃・荘助・現八・小文吾の四犬士が道節が荒芽山に向かっている一方で、親と一族の仇を討つため、扇谷定正一党を付け狙う道節。信乃や荘助との出会いにより、己が犬士の一人であると知りつつ、その宿命に背を向ける道節は、配下の栞と二人、ついに定正に襲いかかるのですが……

 しかし、道節が討った定正は影武者、さらに道節にも匹敵する異能の力を持つ城之戸姫が、彼の前に立ち塞がります。不利と見てその場を逃れた道節たちですが、しかし太田道灌の制止にもかかわらず、功を焦った兵たちが後を追い、さらにその後を追う城之戸姫も。
 そうとは知らずに丁度その辺りにさしかかった四犬士+力二の妻・曳手は、その兵たちに道節の仲間と勘違いされた末、乱戦の中で散り散りとなってしまうのですが……


 原典の南総里見八犬伝の中でも、犬士たちの運命を大きく変えることになる荒芽山のくだり。本作における荒芽山を巡る戦いは――正確にはまだ荒芽山に着いていないのですが――原典よりもある意味さらに過酷な形で、犬士たちに襲いかかることになります。

 前章ラストに登場した扇谷一党を討つためにその力を振るったものの、事破れて逃亡する道節と、完全に彼のとばっちりという形で、散り散りバラバラになった四犬士。配下がいるとはいえ一匹狼気質の道節はともかく、ようやく自分にとって宿命の兄弟と巡り合い、前章では和気藹々と旅を楽しんだ四人にとって、この変転はあまりに過酷なものといえます。

 この突然の別離で特に大きな衝撃を受けたのは、大塚村壊滅の痛手を――すなわち荘助以外の家族や知人たちを全て失って天涯孤独になったという事実を、仲間たちとの旅の中で辛うじて抑えていた信乃でしょう。
 しかもこの章で信乃がさらに直面させられるのは、肉体の痛みだけではなく心の痛み、この物語でここまで描くの!? と言いたくなるほどの、人間の愚かしさ、醜さなのですから……

 そして信乃以外にも――力を失って体を休める中で、玉梓に肉体を奪われて彷徨う力二の衝撃的な姿を目撃した荘助、精神的に相当に不安定な状態である(やたらと多弁なのでこの人の登場シーンのみ吹き出しが増えるのが妙なリアリティ)曳手を連れて行動することになった小文吾と、いずれもそれぞれに様々な形で重荷を背負わされることになります。
 唯一、現八だけはいつもとあまり調子は変わらない(これはこれで本当に彼らしい)のですが、彼にも原典ファンにはおや? と思わされるような人物との出会いがと、何やら嵐の予感があります。


 しかしそんな中でも、ある意味最も過酷な運命に直面するのが道節であることは間違いありません。これまで修羅と化して戦ってきた道節ではありますが、しかしその企てが破れた末に彼が垣間見せるのは、心中に抱えてきた迷いと弱さなのです。
 これまでに登場した犬士の中では、ほとんどただ一人、明確な目的を持って戦ってきた道節。しかし年若くして練馬氏の残党を率い、復讐のために戦い続けることが、彼にとって重荷でないはずがありません。

 そしてこの章のラスト、仇の一人と遂に対峙し、倒した後に道節が吐く言葉は、ほとんど自己否定に等しいものなのですが――しかしそれこそは、彼の偽らざる想いが溢れ出たものなのでしょう。
 しかし、その言葉の通りだとすれば、彼は決して勝者たり得ないことになるのですが……


 道節も、信乃も、他の犬士たちも――心に傷と重荷を背負いながら、それでも前に歩み続けます。その先に何があるのか、わからないままで。あまりに重い展開となったこの章ですが、その先に何があるのか――我々もそれを知るために、物語を追い続けるしかないのです。


 ちなみにこの章冒頭のイメージカットでは、本編未登場の残り二人の犬士の姿が――ほんのわずかではありますが、これがまた、早く彼らに会いたいと思わされる姿であります。


『異界譚里見八犬伝 九章 逢魔刻の影』(うちはら香乃 ナンバーナイン) Amazon

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うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 八章 決意の朝に』 信乃の孤独、浜路の孤独

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2022.10.22

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 八章 決意の朝に』 信乃の孤独、浜路の孤独

 発行元も変わり、電子書籍の構成もちょっと変わってリスタートした『異界譚里見八犬伝』、待望の八章であります。荘助を刑場から救い出して脱出した信乃・現八・小文吾。荒芽山に向かう四犬士の旅の模様は、そして神界に囚われた浜路の運命は……

 讒言によって牢に繋がれ、激しい拷問を受ける荘助を助けるために駆けつけた信乃・現八・小文吾。たとえ邪悪とはいえ相手が人間、しかしそれぞれの戦う理由を胸に秘めた犬士たちに敵はなく、見事重囲を破って脱出に成功するのでした。
 しかし四人を脱出させるためにただ一人残った力二は、謎の少女と行動を共にする玉梓の襲撃を受け、絶体絶命の危機に……

 そんな非常に激しい展開の前章に対して、この章は比較的静かな内容が展開していくこととなります。
 もう一人の犬士である道節を求めて荒芽山へと歩みを進める四人ですが、追っ手からは逃れてひとまず安心。時に思う存分朝寝をし、時に妙義山に登って景観に胸を躍らせ、時に風呂場で牡丹の痣を見せあい(ここでの小文吾の初恋の人話が妙に可笑しい)、時に枕投げに興じ――特に本作の信乃は年齢が低めに設定されていますが、その歳相応の姿と、彼とともにわちゃわちゃ騒ぐ他の面子の姿は、何とも微笑ましく、かつホッとさせられるものがあります。

 さらに新コスチュームも登場し、確かにテンションは上がるのですが――しかし決してこの旅は楽しいものだけのものではありません。
 少年たちの微笑ましい一幕にも思えた荘助の声変わりに際して、あるいは奇瑞ともいうべき(しかしその陰には――これは後述)浜路の守り刀との再会において――その中に浮かび上がるのは、信乃と荘助には既に帰るべき場所も、彼らを知る者もいないという、厳然たる事実なのですから。

 孤独と漂泊が宿命のようについて回る犬士たちの中で、物語開始時には故郷と家族があった本作の信乃(ちなみに原典では同様に故郷と家族のあった小文吾も、本作においてはより苛烈な形でそれらを失ったことが語られています)。
 そんな信乃にとって、同じ旅でも(たとえ失敗に終わったとしても)村雨を携えての古河への旅とは明確に異なり、この旅は犬士として踏み出す一種の通過儀礼というべきものなのかもしれません。

 もちろん信乃には荘助が、犬士たちがいます。それでも彼はこの旅路の先で、孤独と向き合っていかなければならない――犬士たちの賑やかな旅の姿は、そのことを逆説的に示しているようにすら感じられるのです。


 しかし本作においてはもう一人、信乃のことを理解し、想いを寄せる者がいます。それこそが浜路――本作においては玉梓が大塚村を襲撃した際に、辛うじて伏姫と八房に救われ、神々の隠れ里に身を寄せることとなった浜路ですが、しかし彼女もある意味孤独な存在であります。
 というのも本作の神々は、人間の規格を超える玉梓や犬士たちの存在を扱いかねて押し付け合う一方で、浜路のような普通の人間を見下すような、「有り難い」とは言い難い存在。突然そんな神々の間に放り出されて、それでも奇想天外な手段で奮闘する浜路ですが、決して恵まれた環境とは言い難いでしょう。

 そして信乃が、荘助が孤独な旅に踏み出した姿を目の当たりにしつつも、何もできない、してやれないという身が、どれだけもどかしいか言うまでもありません。この章ではある人物の助けで、そんな浜路と信乃の運命が一瞬交錯するのですが――しかしそれはほとんどすれ違いに等しいものであります。
 本当に二人が再会する時――それはまだ先になるはずですが、その中で二人の孤独が少しでも癒やされることを願います。


 さて、この章のラストでは、ついに道節と練馬城残党にとっては怨敵である扇谷定正とその家臣たちが登場。個人的には太田助友と河鯉孝嗣の姿に胸躍るところですが、もう一人、意外な名のキャラクターが……
 原典に同名の人物がいるものの、間違いなく異なるこのキャラの行方は――これまた気になる展開であります。


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うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 番外編 刹那の奇跡』 信乃、戦場帰りの父に出会う

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2022.04.14

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 番外編 刹那の奇跡』 信乃、戦場帰りの父に出会う

 「朝日小学生新聞」連載中の『異界譚里見八犬伝』の番外編であります。序章と一章の間の時期に、信乃が垣間見た父と母のかつての姿とは――犬塚家のルーツを描く短編であります。

 山犬討伐に向かった先で、その山犬たちを操る謎の美女・玉梓に襲われ、伏姫神の加護で辛うじてこれを打ち破った信乃。その伏姫神から、信乃は里見の犬士としての自分の宿命を教えられ、孝の玉を授かることに……

 という序章から、信乃が古河に旅立つ一章の間に位置するこの番外編。荘助から、かつて父・番作が里見家の人々とともに結城城に立て籠もっていたと聞かされた信乃は、躊躇いながらもかつての話を聞いてみることを決意します。
 が、番作は手習いの授業(の最中に居眠り)中。そして信乃は浜路とわちゃわちゃやっているうちに縁側から転落してしまうのでした。

 と、気がつけば信乃は一人夜の道に。そこで兵士たちに追われるボロボロの若者と出会った信乃は、それが父の若き日の姿だと気付きます。そしてその後を追いかけた先で、父と母の出会いを目撃することに……


 『南総里見八犬伝』では冒頭に語られた、結城合戦から始まる過去の物語。一方本作は、信乃の物語として始まったことで、この序章ともいうべき部分は、一旦省略されることとなりました。

 そのうち伏姫伝奇に当たる部分は、後に三章で、信乃たちがヽ大法師から聞かされるという形で描かれましたが、もう一つの結城落城にまつわる物語――信乃の父・番作と母・手束の過去については、これまで語られてきませんでした。
 それがここで描かれるとは、と少々驚きつつも、この後の物語の流れを思えば、描くとしたら、このスタイルになるのは頷けます。

 さて、その内容の方は、いかなる奇瑞か結城落城後の時代に現れた信乃が、村雨を持ち三つの包みを携えた父・番作と出会い――と、原典の第二集で描かれた番作の姿を踏まえて描かれます。
 もっともここでの出会いは、サブタイトルの通り、まさしく「刹那」――というより目撃に近いものではあります。しかしここでの番作の姿は、この時点の信乃にとっては最も縁遠い、戦の空気を漂わせたもの。それが彼の心に強い印象を残したことは疑いようもありません。

 ことに番作が抱えている包みの中身について気付いたこと(そして村雨は落としても包みは落とさなかったこと)は、信乃にとっては――そして主たる読者層にとっても――大きなインパクトを与えたことでしょう。
(そしてあと二つの包みについては特に触れられていないのは、これは本作ならではの視点ではあると思います)


 本編ではこの後、大塚村を襲った惨劇で、落命した(とはいえ明示はされていませんし、浜路の例もありますが……)番作と手束ですが、図らずも大切な人を失うこととなった信乃が、両親のことをどのように思い出すのか――ページ数としてはごく短いものながら、そんなことも考えさせてくれる一編です。


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2022.03.03

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 七章 情熱の四犬士』 犬士たち、それぞれの戦う理由!

 今月から八章の連載がスタートした朝日小学生新聞のフルカラー漫画版八犬伝、その七章は「情熱の四犬士」のタイトルに相応しく、四犬士の揃い踏みでの大活躍。処刑場に引き出された荘助を救うため、信乃・現八・小文吾が駆けつけます。そしてその戦いの先に待つものとは……

 玉梓によって怪物化したひがみ宮六を倒したものの、その弟・社平の讒言により獄に繋がれ、激しい拷問を受ける荘助。大塚村の惨劇と荘助の受難を知った信乃たち三犬士は、密かに(?)城下に潜入するものの、そこで社平そして新たな領主である丁田町之進の邪悪さに触れ、愕然とすることになります。

 密かに身に着けた秘術によって辛うじて命永らえていた荘助ですが、しかし処刑されることとなり、その命は風前の灯火。しかし処刑場に引き出される――すなわち牢から出される時こそが最大かつ最後のチャンスと、信乃たちも動き始めます。
 かくて処刑場に潜入した三犬士は、荘助がまさに処刑されようとした時に立ち上がり……


 と、八犬伝前半の見せ場の一つである刑場破りがメインとなるこの七章。冷静に考えれば、原典でも比較的珍しい犬士たちが一堂に会しての大立ち回りのくだりということもあり、この章は大いに盛り上がります。
 まず先陣を切った現八が官の横暴に対して激しい怒りを燃やせば(まさに自分もそれに異を唱えて獄に繋がれただけに説得力十分)、信乃は争いを避けてきた父母の想いを理解しつつも敢えて戦う道を選び、そして小文吾は彼らとの友情のために静かに燃え――と、犬士たちがそれぞれの理由を胸に、戦いに身を投じることになります。

 しかしその中でも特に印象に残るのは、やはり信乃の姿でしょう。熱血少年のようでいて、他者の――悪人の心中まで慮ることのできる本作の信乃。しかしそんな彼であっても、理不尽な現実を前に、この選択が正しいかわからないまま――しかし、戦いを避けてきた父母の息子であることに誇りを持って、刀を抜く姿は、この章のハイライトといえるでしょう。

 思えば、本作においてはこれまで村を襲った獣や魔物と戦い、そして理不尽な追っ手に抗ったことはあっても、自ら望んで人間と戦ったことはなかった信乃。そんな彼にとって、悪人の配下とはいえ、自ら望んで人間に戦いを挑むというのは大きな決断ですが――これは決して理不尽な現実に屈したのではなく、自分なりの答えを求めて一歩踏み出したのだと、そう感じます。

 そしてそんな三人に救い出された荘助も、誓い新たに戦いに加わるのですが――彼の場合はちょっと想いがコワい方向に進んでいるような……(まあこれはこれで仕方ない)


 さて、ファストボールスペシャルまで飛び出した大乱戦の果てに、ついに刑場を脱出した四犬士ですが、しかしまだ町之進の追手が迫ります。そこで四犬士を父・姨雪世四郎に任せ、ただ一人後に残ったのはカニこと力二――本作においては道節配下の忍者集団・深淵衆の一員である彼です。

 なんとここから展開するのは力二無双――元々忍者ということで原典よりパワーアップしている力二ですが、ここでは多勢を相手にほとんど主人公級の大暴れを見せることになります。
 が、本作の力二は双子ではなく、年下の弟である尺八を先に行かせての単身での戦い。さらにそこに玉梓、そしてその配下と思しき少女(もしかして○○?)までもが登場し、絶望的な状況に……

 はたして命という名の盾となった力二の、そして荒芽山に向かった四犬士たちの運命は――次章も激動の予感です。


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2022.01.27

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 六章 それぞれの想い』 この世の無情と無常を前にした犬士たち

 朝日小学生新聞連載中のフルカラー漫画版八犬伝の第6章であります。玉梓の差金により、大塚村で繰り広げられた惨劇――その爪痕は深く、荘助と信乃をそれぞれに苦しめることになります。そしてその姿を目の当たりにした仲間たちは――サブタイトルのとおり、それぞれの想いが交錯します。

 玉梓に憑かれ怪物と化した代官・ひがみ宮六によって地獄と化した大塚村。その場に駆けつけた荘助と道節によって宮六は倒されたものの、村民がほぼ全滅した影響は大きく、心身の傷に苦しむ荘助の姿が第5章では描かれました。
 その荘助と心を通わせながらも、道節は関東管領への復讐のために旅立つのですが――残された荘助をさらなる悲劇が襲います。

 村の唯一の生き残りであり、自分が見たものを正直に語ったために囚われた背介を救うべく、宮六の弟・社平の前に名乗り出て真実を語った荘助。しかしその言葉は握りつぶされ、彼は新たな領主・丁田町之進の下で苛烈な拷問を受けることになったのです。
 一方、現八・小文吾とともにようやく大塚に帰ってきた信乃も、道節の配下の尺八から大塚の悲劇を知らされ、自分の父母、そして浜路(彼女はまあ、思わぬ運命を辿っているわけですが)が命を落としたことに愕然とするのでした。

 荘助が囚われたことを知り、現八・小文吾の助けを借りて大塚の城に潜入する信乃。しかしそこで彼は、町之進の鬼畜の所業を目の当たりにすることに……


 前章に続き、ほとんどアクションがない――信乃と力二の小競り合いくらいか――この章では、冒頭に触れたとおり登場人物たちの心情描写を中心に展開することになります。

 正しいことを為したはずが、権力者の理不尽により惨苦を味わい、この世の無常を痛感する荘助。すべてを喪い、運命なるものを疑いながらも荘助を助けに向かった先で、さらなる邪悪を目の当たりにする信乃。
 そしてこの二人だけでなく、信乃の良き兄貴分として彼を支える(本作の信乃の、兄弟で言えば圧倒的下から二番目感よ)現八と小文吾もまた、それぞれに己の想いと向き合うことになります。

 原典では描かれなかった登場人物たちの心情を掘り下げるというのは、これは八犬伝リライトでは定番の手法ではあります。しかし(このような表現は好きではないのですが便宜上使わせていただけば)子供向けの八犬伝でここまで描いたものはかなり珍しいと感じます。

 そしてそれだけでなく、今回描かれるのは、社平や町之進といった人間悪の姿でもあります。己のエゴから真実を隠して他者を陥れる社平、己の楽しみから捕らえた者をいたぶる差別主義者(と評さ書れていますが明らかにサディストの)町之進……
 彼らの存在は、玉梓が絡んでいないにもかかわらず、いや彼らが純粋な人間だからこそ、信乃や荘助の心を悩ませるのです。


 そしてもう一つ本作の注目すべきは、奇跡や運命といったものを、基本的に人間には好意的なものとして描かない――まさに人知を超えたものとして描く――点でしょうか。この辺りのロジックは、前章で神界に暮らすこととなった浜路の目を通じて描かれましたが、その印象は、今回さらに強まった感があります。

 また、獄中で深手を負わされた荘助の傷が翌日までに治ってしまう理由は、原典での玉の奇瑞とは異なり、犬塚家に伝わる秘術(を荘助が完成させたもの)によるものなのですが――これは、本作においては玉の霊験ですら絶対のものではないと示しているようにも感じられます。


 この世の無情と無常に触れながらも、荘助を救うために立ち上がる信乃と、信乃と再会するために生き延びる荘助、この二人の運命は――続きは次の章にて。


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「八犬伝」リスト

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2022.01.02

うちはら香乃『異界譚里見八犬伝 五章 たたかいのあと』 オリジナルの、しかし延長線上の荘助と道節

 これまで第4章までが電子書籍化されていた朝日小学生新聞連載中のフルカラー漫画『異界譚里見八犬伝』の、第7章まで+番外編が電子書籍化されました。今回ご紹介するのはその第5章――「たたかいのあと」というサブタイトルの通り、大塚村の死闘の後の荘助と道節、そして浜路の姿が描かれます。

 信乃が古河で騒動に巻き込まれ、現八と小文吾に出会っていた頃、大塚村で起きた惨劇――玉梓に憑かれた代官・ひがみ宮六一党が大塚村の人々は次々と惨殺したのであります。
 その場に駆けつけた荘助が一度は宮六を討ったものの、宮六は周囲の死体を吸収して、巨大な怪物へと変化。荘助は、怒りと悲しみに駆られながらも、道節の助けを得て宮六を倒すも、力を使い果たして倒れるのでした。

 そんな第四章の展開を受けて描かれるのは、その後の荘助を中心とした物語であります。
 道節とその配下・深淵衆に救われ、静養することとなった荘助。浜路を守れなかったという悔恨の中で、自分の過去を見つめ直し、信乃を支えるという想いを新たにする荘助に、道節は飄々と接します。そして荘助は道節に自分たちの宿命と己の過去を語り……

 原典では庚申塚での一瞬の交錯で終わった荘助と道節の出会い。それを本作は、ほぼ一章かけて、丹念に描いていくことになります(厳密には本作での二人のファーストコンタクトはもっと前なのですが)。
 大塚村の庄屋の使用人と、身をやつして関東管領を狙う復讐鬼――それぞれに全く異なる身分を持つ八犬士の中でも、特に異なる立場に感じられるこの二人を、本作は親しい者たちを理不尽に奪われたという共通点を踏まえ
つつ描くのです。

 そしてその中でさらに掘り下げられる荘助のキャラクター――前章の紹介でも触れましたが、原典では今ひとつ地味に感じられた荘助の内面を、本作は信乃や浜路の存在を軸にしつつも、さらに突き詰めていくことになります。
 それは確かに本作のオリジナルではあるのですが、しかしその根底にあるのは、確かに原典を踏まえた一つの解釈というべきもの。それだからこそ、荘助の、そして道節の姿は、原典の延長線上にあり得るものとして、違和感なく感じられます。

 そしてそんな二人の関係の一つの到達点として――個人的に原典では今ひとつ効果的に感じられなかった――玉の交換を描くという構成には、大いに感じ入った次第です。


 さて、この章では、荘助と道節に加え、二人と縁深いもう一人の人物である、浜路の姿が描かれることになります。本作においては宮六に深手を負わされた彼女は、伏姫神に救われて保護される形で、神界で暮らすことを余儀なくされることになります。
 そこで彼女が目の当たりにしたのは、伏姫・八犬士と玉梓の戦いに対する神々たちの微妙な態度で……

 と、ここで描かれるのは、伏姫以外の神がこの世界では存在していること、そしてその神々が、文字通り下々の人間たちの争いに関わることを心良く思っていないという事実。
 このくだりはいうまでもなくオリジナルですが、おそらくは原典では基本的に有り難く畏れ多いもの、人を救うものであった神仏の奇瑞というものを、捉え直す試みの一端ではないか――そんな印象はあります。

 それは今後の楽しみとして、ここでもう一つ目を引くのは新たな犬士の登場――そう、伏姫に保護された犬士といえば、犬江親兵衛であります。
 本作ではいわゆる古那屋の段がなかったため、はたしてどのような形で登場するのか、と思っておりましたが、どうやら同様の展開が過去にあった様子。この辺りは今後、小文吾のキャラクターの掘り下げと併せて、今後描かれることでしょう。

 もちろん親兵衛はまだまだ顔見せレベル、浜路の今後ともども、この先物語にいかに関わってくることか、楽しみにしたいと思います。
(そして思わぬところでの浜路転生回収には噴きました)


 いずれにせよ、原典にない物語を描きながらも、確かにその中に原典の息吹を感じさせ、そしてそれと同時に、原典を見つめ直そうという視線を感じさせる本作。この先の章も、追って紹介したいと思います。


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「八犬伝」リスト

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2021.11.11

石川優吾『BABEL』第10巻 八犬士の正体、そして…… ネオ八犬伝完結

 原典から大きく飛び出し、意外また意外な物語を描いてみせたネオ八犬伝も、この第10巻でついに完結。安土に出現したバベルの塔に籠もる最強の魔王・織田信長に対して、諸国の大名連合軍が挑む中、塔に突入せんとする八犬士。その最中に明らかになる、犬士たちの秘密とは……いよいよ決戦です。

 生ける屍を操り、桶狭間で勝利した信長――その強大な魔の力に抗するため、諏訪で時を超えてきた少年・孫兵衛と対馬のコンビと出会った信乃たち。お市こと玉梓操る生ける屍の群れと死闘を繰り広げつつ、辛うじて玉梓を倒した信乃たちは、比叡山に孫兵衛たちを迎えます。

 しかしそこで孫兵衛と対馬が見たものは、比叡山に迫る――二人にとってはあまりに馴染み深い――黒い水と、これまでの歴史の繰り返しに存在したことのない、安土にそそり立つ巨大な塔の姿。
 塔――バベルの塔に籠もる信長を倒すため、犬士たちと孫兵衛・対馬は決戦を決意するのですが……


 というわけで、これまで色々と驚かされてきた中でも最大級の驚きが待ち受けていた本作。その締めくくりにふさわしく、信長を討つべく結集したのは、武田、上杉、浅井、朝倉――という戦国武将連合軍。これだけの面々が集結する名目が、今川義元の弔い合戦というのがなかなか面白いところですが、しかし、これはある意味壮大な陽動に過ぎません。

 何故ならば、魔を真に討つことができるのは、この国の神仏の力を背負った八犬士のみ。しかしその八犬士は、信乃・現八・小文吾、そして孫兵衛改め○○○――と、まだ四人しかいないではありませんか!
 ここに冒頭以来信乃の前から姿を消していたあの男が帰ってきたのを加えても五人。残る三人は――これが意外な形で登場し、ついに八犬士が集結することになります。

 とはいえ、八犬士が揃ったとしても、それでもなお信長の軍勢は強力無比。何しろその主力はあの生ける屍、倒しても倒しても甦るどころか、その犠牲になった者もまた、その一員に加わってしまうのですから。
 その行いの邪悪さを非難した孫兵衛ですが、しかし信長はそれに思わぬ言葉を返します。それは自分だけの行いではないと。

 その言葉の意味とはつまり……


 かくて最終決戦において明かされる、思いもよらぬ真実。それはあまりにも――「八犬伝」という物語の枠組みを考えれば特に――意外に感じられます。

 しかし本作において西洋の魔が、それぞれ戦国武将らの肉体を奪って利用していることを思えば――それに対する存在である八犬士もまた尋常の存在ではないということも、理解できる話ではあります。
 そしてこれまでの物語を見れば、少なくとも信乃・現八・小文吾については、それも納得できる展開といえるでしょう。

 が――これはあまり書きたくはなかったのですが、最後に加わった三人(と言っていいものか?)のうち、一人はまあいいとして、それ以外の二名はそもそも違和感がある顔ぶれであるのは否めないところではあります。
(この辺りは色々と想像できるところですが、しかし描かれたものが全てでしょう)
 このどうしても駆け込み感のあるメンバーだけに、クライマックスの展開も、インパクトが薄れがちだった――というのは残念ながら正直な印象ではあります。

 孫兵衛に関する意外などんでん返しや対馬の辿る運命など、いずれもひねりが加わっていて実によかったのですが……


 他のどこにもない、ここでしか読めない物語を見せ続けてくれた本作。それだけに、もう少し先まで読んでみたかったという想いは強くありますが――まずは大団円というべきでしょう。


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 石川優吾『BABEL』第9巻 攻防死人戦線 そして決戦の地、その名は……

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2021.10.05

石川優吾『BABEL』第9巻 攻防死人戦線 そして決戦の地、その名は……

 戦国時代、海の向こうから襲来した「魔」と「八犬士」の戦いを描く物語もついにクライマックス。時空を超えて現れた「千里眼」と合流した信乃たちの前に現れるのは、生ける屍の群れ、群れ、群れ。絶望的な物量差に苦しむ信乃たちにはたして未来はあるのか……

 恐るべき魔の力で桶狭間を制した織田信長に抗するため、伏姫の託宣を受けて「千里眼」を求め、諏訪を訪れた信乃・左母二郎・浜路。そこで彼らが出会ったのは、現代人の格好をした「千里眼」の少年・孫兵衛と、対馬と名乗る男でした。
 時空を超えて現れた彼らの事情をほとんど聞く間もなく、襲いかかる生ける屍の大群。追い詰められて諏訪大社に立てこもることになった五人の運命は……

 というわけで、作者の前前作『スプライト』とまさかのクロスオーバーを遂げることとなった本作。『スプライト』以来――というべきか、黒い水に呑まれて時間を彷徨い続ける孫兵衛と対馬ですが、本作においては二人も八犬士(!)であることが語られ、信乃たちの同志であるというとんでもない事実が判明しました。

 しかしそれに驚く間もなく、玉梓いや今の名はお市(!)に率いられて絶え間なく襲撃を続けてくる生ける屍の群れ。完全に包囲され、ついに諏訪大社に追い込まれた一同ですが――そこで屍たちを諏訪大社の結界が守ることになります。
 と思えば、屍に混じって生身の織田兵(可哀想に……)が結界を超えで攻撃を仕掛け、死者と生者の波状攻撃に苦しめられる信乃たち。そこに現れた文字通り天の助けも玉梓(お市)の魔力に砕かれ……

 と、一進一退の聖魔の攻防。生ける屍軍団vs現代兵器&剣術&神力というのは、一歩間違えればあまりにも何でもアリすぎる戦いになりかねませんが――これまでも各エピソードのラストでは、驚くほどに豪快かつスケールの大きな死闘を、超絶の画力で描き切ってきた本作のパワーはここでも健在です。
 特に、屍の浪裏vs○○というビジュアルのインパクトは凄まじく、その後に描かれる、諏訪といえば――のアレによる超突撃と共に、この巻の白眉とも言うべきでしょう。

 現実を超え、有り得べからざる光景を確かなものとして生み出す画の力を、ここでも目の当たりにさせていただきました。


 そして奇跡的に死線を潜り抜け、比叡山に帰着した信乃たち。そこで孫兵衛と対馬は、日吉大社の宮司からあることを問われることになります。それは比叡山を取り巻く黒い水――そう、これまで幾度となく孫兵衛と対馬を呑み込んで時を超えた、いや時そのものである黒い水であります。

 どうやら『スプライト』の後も幾度となく時を超え、信長に挑んできたらしい二人。しかしそれでも歴史は変わることなく、そしてそのたびに比叡山も信長によって炎に包まれてきたというのですが――しかしこの世界は、この時間は、これまでの繰り返しと同じものなのでしょうか。
 少なくとも二人の反応を見れば、異国の魔もこの国の聖なる力も、そして八犬士も、初めて目の当たりにするのは間違いないようであります。

 そしてそれを裏付けるように、安土に出現する、これまでのいずれの時にも存在したことがなかった建造物。その姿は、まさかあの……


 ついにタイトルを回収して出現した最終決戦の地。そこで待つものは何か、そしてそこで何が描かれるのか――八犬士がまだ揃っていない気もしますが、次巻、最終巻を見届けたいと思います。


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2021.09.17

田中啓文『元禄八犬伝 三 歯嚙みする門左衛門』 小悪党ども、外道狂言に挑む!?

 さもしい浪人・網乾左母二郎と小悪党仲間たちが、「八犬士」たちとともに巨悪の企みを叩き潰す『元禄八犬伝』待望の続巻であります。タイトルの門左衛門とは、あの近松門左衛門――大作家を歯噛みさせる芝居の裏の極悪非道な企てに、小悪党たちが挑みます。

 怪盗・鴎尻の並四郎、妖婦・船虫とつるんで、金のためなら真面目に働くこと以外は何でもやる、さもしい浪人・網乾左母二郎。
 しかし犬公方・綱吉の行方不明となった娘・伏姫を探しているというヽ大法師と「八犬士」と知り合ったことから、左母二郎たちは心ならずも大坂を騒がす様々な事件に首を突っ込むことに……

 という基本設定の本シリーズ、この第三弾もこれまで同様の二話構成となっています。
 ある晩、博打で負けすぎて刀を取られそうになったり、他人を脅しつけてタダ酒にありついたりした末、知り合いの舟で帰る途中に心中者の遺体を見つけた左母二郎。よせばいいのに娘の方から印籠をかっぱらった挙げ句に死骸を置き去りにして帰ってきた左母二郎ですが、その晩、彼の夢枕に娘が現れて恨み言を言ってくる羽目になります。

 さすがに気が咎めて心中者のことを調べ始めた最中、この心中を芝居にしようとしていた近松門左衛門と知り合った左母二郎。
 しかしそのわずか数日後、近松の先を越して、この心中をなぞった世話狂言が道頓堀で上演されてしまうのですが――近松によれば、いくら何でも芝居にするのが早すぎるというではありませんか。まるで心中の前から準備していたようだ――と。

 一方、その芝居を上演した水無瀬座では、凄まじい軽業を披露するという旦開野太夫が大評判。その技に惚れ込んで通い詰める並四郎は、ある日太夫が小屋の人間たちと大乱闘を繰り広げているところに出くわして割って入るのですが、太夫の正体こそは……

 と、いう第一話「歯噛みする門左衛門」、芝居に旦開野といえば八犬伝ファンにはすぐわかるとおり、あのキャラクターが登場いたします。八犬伝でもその華麗さではお馴染みの人物だけに、こちらでも大活躍なのですが――それ以上に目を引くのはやはり近松の登場でしょう。
 作中の年代でいえば、あの『曽根崎心中』の数年前、歌舞伎の狂言を書いていた時期の近松ですが、なるほどここでこういう登場のさせ方があったかと思わず納得です。

 そしてこの時代のプライバシーもお構いなしの、生き馬の目を抜くような心中もの狂言を題材としつつ、そこにとんでもない(本当にとんでもない!)外道の存在を描いてみせたこのエピソード。
 クライマックスには大アクションもあり、悪党だが外道は許せぬ左母二郎一味の大暴れが存分に楽しめる一編であります。


 一方、第二話「眠り猫が消えた」は、大坂の根古間神社に奉納された猫の額を巡るエピソードであります。この額に伏姫の手掛かりがあると睨んだ八犬士の一人・犬村角太郎から、確かめるために額を盗み出してほしいと頼まれた並四郎。
 それくらい自分でやればいいようなものですが、実は角太郎はかつて父が化け猫に殺されて成り代わられていたという過去から、大の猫恐怖症になっていまったというのです。

 仕方なく額を盗み出した左母二郎たちですが、それが思わぬ事態に発展。この額を彫ったという大工父娘のもとを訪ねる左母二郎ですが、それがさらなる騒動の元になって……

 と、こちらでは八犬士の犬村角太郎(大角)が登場しますが、原典同様に、父が化け猫になっていたという暗い過去の持ち主。本作の八犬士は、実はこれまで物語の中心となることは少なかったのですが――今回は角太郎の過去が、物語の重要な要素として描かれることになります。

 その一方で、神社の額を巡る騒動が思わぬ方向に発展していくのも楽しく、さらに無念無想になって池の月を斬って見せたり、この騒動に関わるのにこれは俺の○○だと言い出す(この辺り、シリーズを通じての彼の成長といえるのかな?)左母二郎も実に格好良く、これまた痛快な物語となっています。


 というわけで、今回も大坂を舞台に、巨悪の邪悪な企てを、小悪党たちが行きがかり上粉砕していくという何とも痛快な物語が展開する本作。
 シリーズの背骨というべき、○○が怨霊を巡る物語はちょっとお休みのようですが、しかしその楽しさは、これまでと変わるものではありません。

 そして残る八犬士はあと二人、おそらく次巻で登場するであろう彼らのキャラクターも大いに楽しみなところであります。


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田中啓文『元禄八犬伝 二 天下の豪商と天下のワル』の解説を担当しました

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