2024.12.31

2024年に語り残した歴史時代小説(その二)

 今年まだ紹介できていなかった作品の概要紹介、後編です。

『了巷説百物語』(京極夏彦 KADOKAWA)
 ついに登場した『巷説百物語』シリーズ完結編は、長い間待たされた甲斐のある超大作。千代田のお城に巣食っているでけェ鼠との対決は思わぬ方向に発展し、壮絶な決着を迎えることになります。

 そんな本作の魅力は、何と言ってもオールスターキャストでしょう。山猫廻しのお銀や事触れの治平ら、お馴染みの化け物遣いの面々に加えて、西のチームや算盤の徳次郎が集結――その一方で化け物遣いと対峙する存在として、嘘を見破る洞観屋の藤兵衛、化け物を祓う中禅寺洲斎が登場、さらに謎の悪人集団・七福連も登場し、幾重にも勢力が入り乱れた戦いが繰り広げられます。

 とにかく、過去の登場人物や事件まで全てを拾い上げ、丹念に織り上げた物語は大団円にふさわしい本作ですが、その一方で過去の作品の内容と密接に関わっている部分もあり、単独の作品として読む場合にはちょっと評価が難しいのは否めないところでもあります。


『円かなる大地』(武川佑 講談社)
 アイヌを題材とした作品といえば、その大半が明治時代以降を舞台としていますが、本作は戦国時代というかなり珍しい時期を題材に、その舞台だからこその物語を描いてみせた雄編です。

 些細なきっかけから、蝦夷の戦国大名・蠣崎家から激しい攻撃を受けることとなったシリウチコタンのアイヌたち。悪党と呼ばれるアイヌ・シラウキによって人質にされた蠣崎家の姫・稲は、女性たちをはじめアイヌに対してあまりにも無惨な所業に出る和人を止めるため、ある手段に出ることを決意します。
 しかし、籠城を続けるシリウチコタンが保つのは十五日程度、その間に目的を果たすべく、稲姫とシラウキを中心に、国や人種の境を越えた人々が集い、旅に出ることに……

 戦国時代の一つの史実を題材に、アイヌと和人の間で悲惨な戦いを避けるべく奔走した人々を描く本作。作中でアイヌが置かれた状況のあまりの過酷さに重い気持ちになりつつ、主人公たちが目的を達成できるよう、これほど感情移入して応援した作品はかつてなかったと思います。

 しかし本作は、単純にアイヌと和人を善悪に分けるのではなく、そのそれぞれの心に潜むものを丹念に描いていきます(悪役と思われた人物の思わぬ言葉にハッとさせられることも……)。
 作者はこれまで、戦国ものを描きつつも、武器を取って戦う者たちの視点からではない、また別の立場から戦う者の視点から物語を描いてきました。本作はその一つの到達点と感じます。


『憧れ写楽』(谷津矢車 文藝春秋)
 ここからは最近の作品。来年の大河ドラマの題材が蔦屋重三郎ということで、蔦屋だけでなく彼がプロデュースした写楽を題材とする作品も様々に発表されています。

 その一つである本作は、写楽の正体は斎藤十郎兵衛だけではない、という当人の言葉を元に、老舗版元の若き主人である鶴屋喜右衛門が喜多川歌麿と共にその正体を追う時代ミステリですが――しかし謎を追う過程で喜右衛門がぶつかるのはどこか我々にも見覚えのある「壁」や「天井」です。
 それだけに重苦しい展開が続きますが、だからこそ、その先に描かれる写楽の存在に託されたものが胸に響きます。


『イクサガミ 人』(今村翔吾 講談社文庫)
 Netflixで岡田准一主演で映像化という、仰天の展開が予定されている『イクサガミ』。当初予定の三作では終わりませんでしたが、しかし三作目の本作を読めば、いいからまだまだやってくれ! と言いたくもなります。
 いよいよ「蠱毒」も終盤戦、東京に入れるのは十名までというルールの下、残り僅かな札を求めて強豪たちが集結――前半の島田宿では、まだこれほどの使い手がいたのか! と驚かされるような面子が集結し、激闘を展開します。
 その一方で、主催者側の隠された意図もちらつきはじめ、いよいよ不穏の度を増す戦いは、東京を目前とした横浜でクライマックスを迎えます。文字通り疾走感溢れる決戦の先に何が待つのか――来年刊行される最終巻には期待しかありません。

 最後にもう一作品、『篠笛五人娘 十手笛おみく捕物帳 三』(田中啓文 集英社文庫)については、近々にご紹介の予定ですので、ここでは名前のみ挙げておきます。

それでは良いお年を!

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2024.12.30

2024年に語り残した歴史時代小説(その一)

 今年も残すところあと二日。こういう時は一年の振り返りを行うものですが――既に読んでいるにもかかわらず、まだ紹介していない作品が(それも重要なものばかり)かなりありました。そこで今回は二日に分けてそうした作品に触れていきたいと思います。(もちろん、今後個別でも紹介します……)

『佐渡絢爛』(赤神諒 徳間書店)
 いきなりまだ紹介していなかったのか、と大変恐縮ですが、今年二つの賞を取り、年末のベスト10記事でも大活躍の本作は、その評判に相応しい大作にして快作です。

 元禄年間、金鉱が枯渇しかけていた佐渡で、謎の能面侍による連続殺人が続発。赴任したばかりの佐渡奉行・荻原重秀は、元吉原の雇われ浪人である広間役に調査を一任し、若き振矩師(測量技師)がその助手を命じられることになります。水と油の二人は、衝突しながらもやがて意外な事件のカラクリを知ることに……

 と、歴史小説がメインの作者の作品の中では、時代小説色・エンターテイメント色が強い本作ですが、しかし作者の作品を貫く方向性はその中でも健在です。何よりも、ミステリ・伝奇・テクノロジー・地方再生・青年の成長といった様々な要素が、一つの作品の中で全て成立しているのが素晴らしい。
 「痛快時代ミステリー」という、よく考えると不思議な表現が全く矛盾しない快作です。


『両京十五日 2 天命』(馬伯庸 ハヤカワ・ミステリ)
 今年のミステリランキングを騒がせた超大作の後編は、前編の盛り上がりをさらに上回る、まさに空前絶後というべき作品。明朝初期、皇位簒奪の企てを阻むため、南京から北京へと急ぐ皇太子と三人の仲間たちの旅はいよいよ佳境に入る――というより、上巻ラストの展開を受けて、三方に分かれることになった旅の仲間たちが、冒頭からいきなりクライマックスを繰り広げます。

 地位や身の安全よりも友情を取るぜ! という男たちの侠気が炸裂したかと思えば、そこに恐るべき血の因縁が絡み、そして絶対的優位な敵に挑むため、空前絶後の奇策(本当にとんでもない策)に挑み――と最後まで楽しませてくれた物語は、最後の最後にそれまでと全く異なる顔を見せることになります。
 そこでこの物語の「真犯人」が語る犯行動機とは――なるほど、これは現代でなければ描けなかった物語というべきでしょう。エンターテイメントとしての魅力に加えて、深いテーマ性を持った名作中の名作です。


『火輪の翼』(千葉ともこ 文藝春秋)
 『震雷の人』『戴天』に続く安史の乱三部作の完結編は、これまで同様に三人の男女を中心に描かれた物語ですが、その一人が乱を起こした史思明の子・史朝義という実在の人物なのもさることながら、前半の中心となるのがその恋人である女性レスラー(!)というのに驚かされます。

 国の腐敗に対し、父たちが起こした戦争。しかしそれが理想とかけ離れた方向に向かう中、子たちはいかにして戦争を終わらせるのか。安史の乱という題材自体はこれまで様々な作品で取り上げられていますが、これまでにない主人公・切り口からそれを描く手法は本作も健在です。

 ただ、歴史小説にはしばしばあることですが、結末は決まっているだけに、主人公たちの健闘が水の泡となる展開が続くのは、ちょっと辛かったかな、という気も……


『最強の毒 本草学者の事件帖』(汀こるもの 角川文庫)
『紫式部と清少納言の事件簿』(汀こるもの 星海社FICTIONS)
 前半最後は汀こるものから二作品を。『最強の毒』は、偏屈者の本草学者と、男装の女性同心見習いが数々の怪事件に挑む――というとよくあるバディもの時代ミステリに見えますが、随所に作者らしさが横溢しています。
 まず表題作からして、これまで時代ものではアバウトに描かれてきた「毒」に、本当の科学捜査とはこれだ! とばかりに切込むのが痛快ですらあるのですが――しかし真骨頂は人物造形。作者らしいセクシャリティに関わる目線を随所で効かせた描写が印象に残ります(特にヒロインの男装の理由は目からウロコ!)

 一方、後者は今年数多く発表された紫式部ものの一つながら、主人公二人の文学者としての「政治的な」立場を、ミステリを絡めて描くという離れ業を展開。フィクションでは対立することの多い二人を、馴れ合わないながらも理解・共感し、それぞれの立場から戦うシスターフッドものの切り口から描いたのは、やはりさすがというべきでしょう。


 以下、次回に続きます。

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2024.12.24

クリスマス・イブ特別編 マンリー・ウェイド・ウェルマン「山にのぼりて告げよ」

 今日はクリスマス・イブですが、毎年この時期になると読み返したくなる物語があります。それはマンリー・ウェイド・ウェルマンの「銀のギターのジョン」シリーズの一つ「山にのぼりて告げよ」。主人公のジョンがクリスマスの日に子どもたちに語る、ちょっと不思議で心温まる物語です。

 米国のホラー/SF作家であるウェルマンのシリーズキャラクターの一人・銀のギターのジョンは、通り名そのままに、銀の弦を張ったギター片手に、アパラチア山脈を中心に放浪する歌うたいの男。そんな風来坊のジョンを主人公とした連作では、彼が様々な超自然的な出来事や怪物、魔術と遭遇し、それを切り抜けていく様が描かれています。

 このジョンの物語は、作者が実際に収集した舞台となる地方の民間伝承をはじめとして、土着の文化風俗が巧みに散りばめられていて、一種のフォークロア・ホラーというべき味わいがあるのですが――それと同時に、楽天的なジョンのキャラクターと語りが生むユーモラスな空気、そして人間の善性に対する目線が物語に大きな温かみを与え、ホラーだけれどもホッとさせられるという、不思議な味わいが実に魅力的なシリーズです。
(もう一つ、SF的なアイディアが時折スッと投入されているのも楽しい)

 本シリーズについてはいずれまとめて取り上げたいと思いますが、今回紹介する「山にのぼりて告げよ」は、ジョンが直接遭遇した怪異を描くのではなく、あるクリスマスのお祝いに招かれた彼が、子どもたちに知り合いから聞いた出来事を語るという、シリーズの中では少々変わったスタイルの物語です。
 そのため、厳密にはメインとなる内容はクリスマスの出来事ではないのですが――しかし内容的に、クリスマスに語るのにこれほどふさわしいものはない物語です。


 かつては仲の良い隣人であったものの、ちょっとしたことが重なるうちに、決定的に仲違いしてしまったアブサロム氏とトロイ氏。そんな関係を象徴するように、土地の境界に深い溝を掘ったトロイ氏に対して、アブサロム氏がある対策を考えていた時――彼の前に、工具箱を担いだ一人の男が現れます。
 流しの大工だと名乗るその男に対してアブサロム氏が依頼したのは、溝に沿った自分の土地の側に柵を立てること。男は晩飯時までには喜んでもらえる結果が出せると請け負い、作業を始めます。

 そこにやって来たのは、以前荷車に足を轢かれて以来、歩くのに松葉杖が必要なアブサロム氏の息子。好奇心旺盛な彼は見知らぬ男に話しかけ、男の方も聞いたこともないようなたくさんの物語を語り、二人はあっという間に仲良くなります。

 そして、夕方に再びやって来たアブサロム氏がそこで見たものは……


 はたして大工の男が作ったものは何だったのか、そして男は何者なのか――それは読んでのお楽しみですが、内容的には非常に寓話的な本作は、しかしジョンという語り手の口を通すことで(作中、時折聞き手の子どもたちの合いの手が入るのも微笑ましい)、軽妙で、そして同時に強く胸を打つ物語となっています。
 特に終盤、「彼」と我々との関わりについて語る一文は実に感動的で、恥ずかしながら何度読んでも目に涙が浮かびます。

 クリスマスは元々は一宗教の行事、そして今では商業的年中行事に過ぎず、そこで愛と平和を祈るのは、儚く無意味なことで、偽善的ですらあるかもしれません。それでも、これだけクリスマスを祝い、喜ぶ人々が世に溢れているのは、心の何処かでクリスマスが象徴する善きものを信じ、期待しているからではないでしょうか。
 そう考えてしまうのは少々センチメンタルに過ぎるかもしれませんが、今日くらいはそんな善意を信じてもいいのではないか――これはそんなとこを考えさせる物語です。


 ちなみに本作が収録された「銀のギターのジョン」ものの短編集『悪魔なんかこわくない』(国書刊行会)は残念ながら絶版のようですが、図書館などではよく見かけますし、その他にも英語のテキストも公開されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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2024.12.07

吉原+大女+グルメ!? 安達智『あおのたつき』第15巻

 異界から吉原の裏表を描いてきた『あおのたつき』も、巻を重ねてこれで第15巻。前巻、前々巻と重いエピソードが続いてきましたが、この巻では比較的コミカルな――しかし当事者にとっては深刻この上ない物語が描かれます。

 ある日、冥土の薄神白狐社に迷い込んできた三十路も近い役人・作之輔。生真面目な性格で周囲の評判も上々ながら、自分に自信が持てず、何よりも女性に全く接したことがない――そんな彼のために、あおと冥土の覗き常習犯・豆右衛門が色道指南に乗り出して……

 という前半部分が描かれた「手入らずの筆」ですが、この巻では、作之輔の初めての(となるかもしれない)体験が描かれます。
 といってもあおは野暮はせず、敵娼に玉くしという女郎を選んだだけで、あとはほとんど見守るだけなのですが――しかしそのチョイスの理由はなるほど、と言いたくなるもの。これで後は彼女の手練手管で、と言いたいところですが、それでも先に進まないのがこじらせ男の面倒なところで、さて、この状況をどう収めるのか……

 と、いかにもな艶笑譚の題材ではありますが、しかし見ようによってはこれは(これまでも作中で様々に描かれてきた)コミュニケーション不全にまつわる内容といえます。
 それに対して、作之輔を笑いものにするのでもなく、玉くしがボランティア的に受け止める「イイ話」にするのでもなく――一定のバランスを取った物語展開は、本作ならではというべきでしょう。


 そしてこの巻の後半には、冥土の花魁・恋山の深い悩みを描くエピソード「白飯比翼」が展開します。

 ある晩、薄神白狐社にやってきた妓楼・大黒屋からの使者。大黒屋といえば筆頭の恋山は冥土の吉原でも名高い花魁ながら、ここしばらくその姿を見た者はなく、そして見世も閉まっている状況――そこであおと楽丸は大黒屋に向かうことになります。
 そこであおと楽丸が見たものは、総出で料理を作る見世の人々。そしてそれを片っ端から食べていくのは、二階の天井にまで頭がつきそうなほど巨大な恋山だったのです。

 そう、悩み事とは恋山の食い気――彼女は満たされぬまま食べ続けた果てに、そんな巨大な姿に化してしまったのです。そしてそこまで至った彼女が抱えたわだかまり、叶えたい望みとは、ほかほかの白飯に合う最高のお菜を見つけること!

 ――いやはや、吉原+大女+グルメという、なんだか別の漫画が始まってしまいそうなキャッチーな(?)展開に驚かされますが、しかし恋町の巨大化は、冥土の吉原だからこうなるのであって、これが現実世界であればどういう状態になっているのか、語るまでもないでしょう。
 過酷な現実に対して、冥土の吉原という異界を舞台とすることによって一種のフィルターをかけ、漫画として描いてみせる――本作ではこれまでもこうした形で様々なエピソードが描かれましたが、今回はその中でも特にユニークなものの一つであることは間違いありません。

 正直なところ、彼女にとっての最高のお菜というオチは読めないでもないのですが、わだかまりを乗り越え、ラストに蘇った恋町の美しさには思わず見とれてしまうものがあります。


 なお、単行本恒例の巻末番外編ですが、今回のエピソードは「筏流し」。新吉原への恋文配達を頼まれた筏流しの男の旅を描く物語は、シンプルではあります、途中の難所でのダイナミックな描写には思わず目を奪われるものがある掌編です。


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2024.12.06

『大友の聖将』(赤神諒 ハルキ文庫)の解説を担当しました

 12月13日発売の『大友の聖将』(赤神諒 角川春樹事務所ハルキ文庫)解説を担当しました。戦国時代末期、九州の大友宗麟に仕えた実在の武将にして「大友の聖将(ヘラクレス)」と呼ばれた天徳寺リイノの生涯を描く歴史小説です。
 その名が示す通り敬虔なキリスト教徒であり、大友家が斜陽の一途を辿った末に、九州制覇を目指す島津家に追い詰められた時もなお、宗麟の下で戦い続けたリイノ。しかしその前半生は、裏切りと殺人を繰り返した悪鬼のような男だった――という設定の下、戦国レ・ミゼラブルというべきドラマが描かれます。


 この作品は刊行順では作者の第二作に当たる作品ですが、私が初めて読んだ赤神作品でもあります。その際に大きな感銘を受け、作者のファンになった作品であり、その文庫版の解説ということで、大いに気合を入れて書かせていただきました。

 文庫の帯には「赤神作品の原点」とありますが(解説のタイトルの一部でもあります)、単純にデビュー直後の作品だからというわけではなく、初読時には意識していなかった(当たり前ではあるのですが)現在に至るまで作者の作品を貫くあるテーマについて、解説では触れさせていただいています。
 私が作者の作品をこよなく愛する理由である(そして作者の作品に悲劇が多いことの理由でもある)そのテーマとは何か――それはぜひ解説をご覧いただきたいのですが、単行本刊行から六年を経てもなお、それが古びておらず、むしろいまこの時に大きな意味を持つものであることは発見でした。


 というわけで赤神作品ファンの方にも、これから触れられる方にもおすすめの『大友の聖将』、作品を楽しまれる際の一助になれば、本当に嬉しいです。
 どうぞよろしくお願いいたします。


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2024.12.03

漫画に映える水と油の二人 うゆな『大正もののけ闇祓い バッケ坂の怪異』第1巻

 昨年、ポプラ文庫ピュアフルから刊行された、あさばみゆきの大正もののけ退治ものが漫画化されました。東京の山の手を舞台にに、堅物の剣術指南と軟派な八卦見という水と油の二人が、様々な怪異と出会う連作の第一巻です。

 目白で父親の跡を継いで剣術道場の師範を務める柳田宗一郎が、出稽古の途中で出会った八卦見の男・旭左門。道端で女性相手に商売をする左門の胡散臭さに反感を抱く宗一郎ですが、左門は彼に「死相が出ている」「女難」に遭うと告げるのでした。
 腹を立ててその場を離れた宗一郎は、出稽古の帰り、自分の道場があるバッケ坂の入口で、あけ乃という女性を助けるのですが――彼女を送っていった先の屋敷から、出られなくなってしまうのでした。

 怪しい態度を見せるあけ乃と、時間と空間が歪んだ屋敷に閉じ込められてしまった宗一郎。そこに屋敷の外からやって来たのは、あの左門で……


 という第一話から始まる本作は、原作に忠実に展開していきます。はたしてあけ乃とこの奇怪な屋敷の正体は何か。そこに平然と入り込んで宗一郎を助けようとする左門は何者なのか。そして宗一郎と左門は、屋敷から逃れることができるのか。
 第一話からなかなかヘビーな状況ですが、どんな怪奇現象に出会っても気の迷いで済ましてしまう宗一郎と、ヘラヘラと軽薄な態度ながら不思議な術を使う左門――相反する個性の二人が、それぞれの力を活かして窮地を切り抜ける様はユニークな怪異譚として楽しめます。

 というより宗一郎の場合、これが窮地だと理解していないのが面白いところで、それ以外の部分も含めて、ほとんど「漫画のような」四角四面の石頭、いや鉄頭なのですが――それが実際に漫画になってみると実にハマります。
 ちょっとやり過ぎ感があるくらいの宗一郎のキャラクターですが、こうして時にデフォルメも加えた絵で見せられると、違和感がないのが面白いところです。
(ちょっと可愛すぎるキャラデザインかな、とも思いますが、美男子設定ではあるので……)


 ただ、それ以外の部分も含めて漫画として見ると、ちょっと不安定な部分があるのも正直なところです。
 重箱の隅を突くようで恐縮ですが、例えば宗一郎が井戸で水浴びする場面など、本作では服を着たまま頭に水を被っているのですが――確かに原作には細かい描写はないものの、さすがに上は諸肌脱いでいないと無理があるわけで、そこは絵で補う必要があったのではないでしょうか。

 その他、原作では狭苦しい居酒屋だったのが妙に広い空間として描かれていたり(これはまあ、展開的にはあり得ないこともない、と擁護できるかもしれませんが)、原作の内容を漫画という別メディアに移し替えられているか、というと、厳しいことを言えばまだ苦しいように感じます。


 この第一巻では、宗一郎がかつて尊敬していた兄弟子と不思議な再会を遂げる原作第二話まで収録されていますが、原作は全五話構成。この先、いよいよドラマ的に盛り上がる内容を、どこまで漫画として描き留められるか――早くも正念場という印象です。


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あさばみゆき『大正もののけ闇祓い バッケ坂の怪異』 水と油の二人が挑む怪異と育む関係性

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2024.11.26

惜別の時 土方、二股口へ 赤名修『賊軍 土方歳三』第12巻

 いよいよ長きに渡る土方の戦いにも結末が近づいてきました。起死回生の甲鉄奪取に失敗して後がない旧幕府軍に対し、ついに蝦夷地に上陸した新政府軍。五稜郭に迫る敵を迎え撃つため、土方は二股口に出陣します。既に死病に侵され、あの男とも袂を分かった土方の戦いの行方は……

 五稜郭を奪取し、蝦夷地に地歩を固めた旧幕府軍。しかし新政府軍の新鋭鑑・甲鉄を奪取せんとしての宮古湾の戦いで敗北し、一気に窮地に立たされます。
 そしてついに蝦夷地に上陸した新政府の大軍。五稜郭に三方向から迫る敵軍の対応に追われる土方ですが、その中でも最も重要なの
は最短距離である二股口。その二股口を巡る激闘が、この巻では描かれます。

 もはや戦力の上では新政府軍には比べようもない旧幕府軍ですが、しかし闘志においては決して譲るものではない、いや死を決意した者の強さがあります。そして戦術においては、これまでの戦いの経験を積んだ土方が、その才能を全開にして当たるのですから、易易とこの要衝を抜かれるはずもありません。
 二股口周囲の山中に幾つもの胸壁を築いた土方は、部隊を縦横無尽に動かし、防衛戦の常道というべき十字砲火で、数に勝る新政府軍を次々に撃破していきます。
(正確には十字砲火という概念自体はこれから半世紀近く後のものかと思いますが、同様の戦術としてはもちろんアリということで)

 ここで「熱くなった銃身を桶水で冷やしながら」というのは有名な逸話ですが、凄まじい銃撃戦の末に、旧幕府軍は新政府軍を圧倒、敵の指揮官・駒井政五郎を討つという大戦果を挙げます。とはいえ、もちろん無傷であるはずもありません。
 この駒井を討つ際の戦いで、思わぬ深手を負った市村鉄之助。彼に対し、ついに土方は己の遺品を託して戦線離脱を命じることになります。

 深手云々はともかく、箱館戦争の最中に土方が市村を逃し、故郷に送ったのは史実です。しかし本作における市村とは、その実、本物の死後にその名を名乗った沖田総司のこと――そしてそもそもこの物語が、江戸で療養中の沖田を土方が迎えに来て、共にパリを目指すところから始まったことを思えば、その彼の戦線離脱は、物語の一つの終わりを痛感させられます。
 いかにも彼らしい形で名残を惜しむ市村いや沖田と、彼に対し惜別の言葉を送る土方――その内容を見れば、この二人の別れはもはや決定的であると言わざるを得ません。


 そんなわけで、もう読者としてはエピローグに突入した感すらありますが、もちろん土方の戦いは終わりません。
 打ち続く新政府軍の猛攻撃の中、次々と犠牲を出しながらも、なおも抗い続ける旧幕府軍。その犠牲の中には、(まだ命はあるものの)前巻登場したばかりの伊庭八郎も――というのは残念ながら史実であるため仕方がありませんが、ここで箱館の病院に収容された伊庭の土方に対する軽口は、まさしく彼なればこそと、悲しい中にもある種の嬉しさがあります。
(そしてその言葉をなぞるように、この状況でモテパワーを発揮する土方よ……)

 同志を失い、友を喪い、愛する人に背を向け、なおも戦いに赴く土方。既に死病に侵された彼にとってもはや命は惜しむものではなく、いよいよ次巻、完結となります。


 なお、この巻では二股口で戦った旧幕府軍の滝川充太郎と大川正次郎の対立も描かれるのですが――滝川の暴走行為(これは実際は冤罪という説もありますが)によって大川が激昂したともいうこの逸話を、本作はとんでもない方向にパワーアップ。
 ここを格好良く仲裁したといわれる土方も、本作では火に油を注ぐような対応を取っていて、これはこれで実に本作らしい展開かもしれません。

 もう一つ、甲鉄攻略の秘密兵器が文字通り不発だったり、弱気の虫に取り憑かれたりと本作ではロクなことになっていない榎本武揚はこの巻でも相変わらず(終盤の土方チックなムーブの不発は何といってよいのやら)。最後の最後に男を見せてくれることを期待したいところです。


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2024.11.25

さらば長崎 ブラック上司たちの狭間で 上田秀人『辻番奮闘記 六 離任』

 江戸で、長崎で、辻番として奮闘を繰り広げてきた斎弦ノ丞の奮闘もこれで第六巻。長崎辻番として剣を振るってきた弦ノ丞ですが、ついに江戸の松平伊豆守に呼び出されることとなります。しかし主君と伊豆守、そして長崎奉行・馬場三郎右衛門の三者の争いは簡単に収まるはずもなく……

 寛永年間、平戸藩松浦家の辻番として江戸で起きた数々の事件から主家を救った弦ノ丞。国元に栄転した彼は、しかし松浦家が命じられた長崎警固の先遣隊として長崎に向かうことになります。
 しかし当時の長崎は島原の乱と鎖国の煽りを受けて治安は悪化の一途、人手不足に悩む長崎奉行から目をつけられた彼は、長崎辻番を命じられるのでした。

 さらにそこに、大老・土井大炊守の追い落としを図る老中・松平伊豆守から、かつて平戸藩も関わった外交事件・タイオワン事件と大炊守の関連を調べるように密命が下されることに。かくて弦ノ丞は幾重にも危ない橋を渡る羽目になるのですが……


 というわけで、江戸でも長崎でも辻番を命じられるという数奇な運命を辿ることになった弦ノ丞ですが、彼の受難はまだまだ続きます。というのも、目の上のたんこぶである大炊守排除を急ぐ伊豆守が、平戸藩主である松浦重信に対し、ついに弦ノ丞の江戸召喚と貸出しを命じたのです。
 江戸召喚はともかく、伊豆守への貸出しは、無償でこき使われるであろうことを思えば、弦ノ丞にとってありがたくないことこの上ない話。主君である重信にとっても、自分のところの藩士を差し出せと言われて面白いはずがないでしょう。

 そもそも主君でもない(禄を支払っていない)人間が他所の藩士を使おうというのは、武士の根本である御恩と奉公のシステムに反する行為。そんな横紙破りを平然と行う辺り、伊豆守の人間性というものが窺えますが――しかし弦ノ丞の災難はそれだけではありません。
 もはや長崎の治安維持には不可欠となった長崎辻番の要である弦ノ丞を手放すことを渋り、長崎奉行の威光で都合よくこき使おうとする馬場三左衛門。しかも三左衛門は大炊守派閥の人間であることから、状況はいよいよややこしくなります。

 かくて本作の大半では、弦ノ丞の頭の上での権力者同士がやり合う様が描かれることになります。もちろん、その才を買われ、求められるというのは名誉ではありますが、しかし弦ノ丞の場合は、ただそれを都合よく利用しようとする者たちばかりなのが不幸としかいいようがありません。
 この辺り、人の使い方として考えさせられるところではありますが――いずれにせよ、ブラック上司にこき使われるのは上田作品の主人公ではいつものことですが、ここまでブラック上司同士の間に挟まれるのも珍しい。あるいは弦ノ丞は、上田作品の中でも不幸度が相当に高い主人公かもしれません。

 そんなわけで、本作の終盤、部下であり先輩に当たる志賀一蔵に対して己の立場の味気なさを愚痴る弦ノ丞の姿には、同情する以外ないのです。


 しかしそれでも、結局は長崎を離れ、江戸に向かうことになる弦ノ丞(ここで長崎奉行の追求を躱すための松浦家側の策がなかなか面白いのですがそれはさておき)。おそらく次巻からは江戸が舞台になるはずですが、さてそこで何が描かれるのでしょうか。

 正直なところこの巻では、弦ノ丞の頭上での空中戦が大半となり、物語そのものの展開に乏しかった印象があるだけに、(たとえこき使われたとしても)彼自身の活躍をもっと見たいものです。


『辻番奮闘記 六 離任』(上田秀人 集英社文庫) Amazon

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上田秀人『辻番奮闘記 二 御成』 辻番に交錯する外様大名の姿
上田秀人『辻番奮闘記 三 鎖国』 辻番、長崎に誕生す!?
上田秀人『辻番奮闘記 四 渦中』の解説を担当しました。
上田秀人『辻番奮闘記 五 絡糸』 長崎包囲陣!? 辻番vs牢人再び

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2024.11.21

幕末を生きた「敗者」たちへの祈りの物語 赤神諒『碧血の碑』

 デビュー以来戦国ものを中心に活躍し、最近では江戸時代を舞台とした作品を発表してきた作者が、ついに幕末ものに挑戦しました。それも歴史上の「敗者」たちの記憶を留める「場所」に焦点を置いたユニークな短編集――それぞれの地で懸命に生きた人々の姿を描いた物語が収められています。

 「三条大橋で京娘と恋をしてこい」と、敬愛する近藤勇から突然の命を受けた沖田総司。任務一筋で奥手な自分を気遣ってのことだろうと考えた総司は、それから毎日三条大橋に通うようになります。
 しかし簡単に京娘が捕まるはずもなく、虚しく日々を重ねた末に彼が声をかけたのは、以前体調を崩した際に身分を偽って診察を受けた町医者の娘・沙羅でした。

 これが運命であったものか、互いに強く惹かれ合い、三条大橋で逢瀬を重ねる二人。しかし二人は互い隠し事を抱えていました。総司は、沙羅が嫌悪する新選組の人斬りであることと、三条大橋に立つもう一つの理由を。そして沙羅は、総司の身が病魔に犯されていることを。
 そんな中、二人は一緒に祇園祭に出かける約束をするのですが……


 この「七分咲き」に続く作品もまた、幕末の荒波に翻弄された末に「敗者」となった人々を、その縁の地に基づいた視点で描きます。

 養浩館での福井藩主・松平慶永との初引見において、いきなり破天荒な行動を取り、以来君臣の垣根を超えた交わりを結んだ橋本左内。慶永を支えながらも、安政の大獄で若くして散った左内が養浩館に遺したものを描いた「蛟竜逝キテ」
 朝廷と幕府の融和のためと、政略結婚で江戸城に入った和宮。夫・徳川家茂の深い愛に包まれながらも、義母・天璋院篤姫との確執に苦しんだ末に、己の役目に目覚めた和宮が江戸城の運命を変える「おいやさま」
 立身出世の野望を胸に、「横須賀製鉄所」建設を請け負った若きフランス人技師ヴェルニー。幕府側の担当者である風変わりなサムライ・小栗上野介を軽んじていたヴェルニーが、やがて深い友情を結び、悲劇を乗り越えて二人の夢に向かう「セ・シ・ボン」

 いずれの作品も、冒頭に述べたとおり歴史の「敗者」の物語であり、必然的に「悲劇」であるといえます。しかしその一方で、これらの物語は決して悲しさややるせなさだけで終わるものではありません。

 運命の恋を失い、己に課せられた任を果たすことなく倒れた沖田総司。敬愛する主君と共に夢見た国を形にすることなく逝った橋本左内。同じ平和な国を夢見て深く愛し合った夫を失い、生まれ育った地の人々と対峙した和宮。日本のはるかな未来のために奔走しながらも、罪なくして散ることとなった小栗上野介。
 確かに彼らは皆、己の望むものを得られなかった、自分の目で見ることはできなかったかもしれません。しかし、彼らの生は無駄だったのか? 彼らは何も遺すことはなかったのか? その問いに本作は答えます。「断じて否」と。

 彼らは運命に翻弄されて悩み苦しみ、そして志半ばに去ることになった――しかし、それでも己がやるべきことを全うし、己自身であることを貫きました。そして、たとえ自身は実を結ぶことはなかったとしても、それでも続く人々の間に様々なものを残し、その残像は彼らが生きた場所に刻み込まれている――たとえそれに気づく者は少ないとしても。
 だからこそ、本作の物語はどれも辛く哀しくも、しかしどこか透き通るような爽やかさを湛え、時に希望を感じさせてくれるのです。

 作者は、これまでのその作品の中で、そうした人々を描いてきました。しかし、現在まで続くこの国の在り方を巡り、数多くの人々が志を抱いて懸命に生きたこの幕末という時代は、その作品の題材に相応しいのではないか――そう感じさせられました。


 なお、本作には全編を通じて蟷螂という共通するモチーフが登場します。物語によって語られる意味は異なりますが、しかし私にとっては(第四話で語られるように)それは「祈り」の象徴であると感じられます。
 激動の時代を駆け抜け、散っていった人々への祈り――それは、本作の掉尾を飾る第五の物語、己が罪に問われることも覚悟の上で、「敗者」を弔い、祈りを捧げる碧血碑を立てた柳川熊吉を描いた「函館誄歌」に繋がっていきます。

 「敗者」への「祈り」の物語――ただ悲しみ、悼むだけではなく、彼らが確かに生きていたことを記し、彼らが成し遂げようとしたことが受け継がれ、未来に花開くことを祈る。本作に収められたのは、そんな想いが込められた物語なのです。


『碧血の碑』(赤神諒 小学館) Amazon

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2024.11.06

清代の舞台に描く、はぐれ者たちの事件帖 青木朋『龍陽君始末記』

 丹念な考証とユニークな題材による中国歴史漫画を発表している作者が、十五年ほど前に「ミステリーボニータ」誌に連載した作品です。清の時代、龍陽県に赴任してきた新任の知県が、くせ者揃いの仲間たちと共に様々な事件や騒動に挑みます。しかし「龍陽君」とはどこかで聞いたような……

 時は十九世紀前半、清の広東省広州府龍陽県。その龍陽県の新任の知県・趙天麟は着任以来、難事件を次々と解決する名裁きで、街でも大の人気者となっています。今日も、同じ部屋に寝ていた妻の首を斬り落としたという夫をお白州で取り調べた天麟は、一目で夫の無罪を見抜き、真犯人の捜査に乗り出します。
 しかし、天麟がこの事件に強い関心を示す理由には裏がありました。実は天麟は男色家でイケメンにはめっぽう弱いたち。今回も容疑者の夫に一目惚れした天麟は、事件を解決して親しくなろうと目論むのですが……


 中国の戦国時代、魏王に深く愛された公子・龍陽君。その故事から「龍陽」は後代に男色を意味する言葉として使われるようになりましたが――その名をタイトルに冠した本作は、まさにその通りというべきか、男色家を主人公としたユニークな物語です。
(タイトルの直球ぶりには驚かされますが、単行本第三巻のあとがきによれば、誰からも特に指摘はなかったというのがちょっと面白い)

 主人公の天麟はこのように惚れっぽいのが玉に瑕ですが、しかし八旗の出身で若くして官僚となったエリート。決して清廉潔白ではないものの、その分世情にも通じ、役人離れした発想で事件を裁く姿には好感が持てます。
 そんな彼を支える幕友(私設秘書)たちもまた一筋縄ではいきません。通訳を担当する、纏足をしていないことにコンプレックスを抱く少女・汪来嘉、財政担当の中年で意外なもう一つの顔を持つ無塩、司法担当ながら作中ではむしろ科学捜査で活躍する薛良佐と、主に負けず個性的な顔ぶれです。

 いや、彼らの場合、個性的というよりもはぐれ者と称した方が似合うかもしれませんが――そんな彼らが正義を行う痛快さもさることながら、はぐれ者ならでの葛藤と向き合い、あるいは受け容れ、あるいは乗り越えようとする姿は、物語のアクセントとなっています。


 しかし本作の最大の魅力は、この時代、この地ならではの題材の数々にあります。
 纏足、北京語と広東語の違い、芝居、貢茶、袖犬、科挙、男院(妓楼の男娼版)、紅旗幇、そして阿片――最終巻を除き、ほとんど一話完結の連作である本作ですが、その各話の中心あるいは背景に、これほどまでに多彩な文化・風俗、歴史的事実が散りばめられていることには感嘆させられます。

 特に、作中で大きな位置を占めるのが阿片です。清の歴史において、阿片がどのような役割を果たしたか――それは言うまでもありませんが、終盤の物語において、天麟たちが立ち向かうこととなる阿片の存在は、この歴史的背景を反映し、物語に重く、深刻な影を落とすことになります。
(そして、だからこそ舞台が広州だったのか! と感心させられるのです)

 その果てに、物語は意外な結末を迎えるのですが――そこで描かれる時代の移り変わりある種の切なさを感じつつも、しかしその中でもしたたかに、そして胸を張って生きていくはぐれ者たちの姿は、重い史実に爽快な風穴を開けてくれる存在として印象に残ります。


 単行本三巻と、決して分量は多くありませんが、しかし登場人物といい物語といい、完成度の高い名品です。
(いや、唯一、キャラクターが辮髪でないという問題があるのですが――商業上の要請では仕方ない、か?)


『龍陽君始末記』(青木朋 秋田書店ボニータコミックス全3巻) Amazon

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