2024.11.06

清代の舞台に描く、はぐれ者たちの事件帖 青木朋『龍陽君始末記』

 丹念な考証とユニークな題材による中国歴史漫画を発表している作者が、十五年ほど前に「ミステリーボニータ」誌に連載した作品です。清の時代、龍陽県に赴任してきた新任の知県が、くせ者揃いの仲間たちと共に様々な事件や騒動に挑みます。しかし「龍陽君」とはどこかで聞いたような……

 時は十九世紀前半、清の広東省広州府龍陽県。その龍陽県の新任の知県・趙天麟は着任以来、難事件を次々と解決する名裁きで、街でも大の人気者となっています。今日も、同じ部屋に寝ていた妻の首を斬り落としたという夫をお白州で取り調べた天麟は、一目で夫の無罪を見抜き、真犯人の捜査に乗り出します。
 しかし、天麟がこの事件に強い関心を示す理由には裏がありました。実は天麟は男色家でイケメンにはめっぽう弱いたち。今回も容疑者の夫に一目惚れした天麟は、事件を解決して親しくなろうと目論むのですが……


 中国の戦国時代、魏王に深く愛された公子・龍陽君。その故事から「龍陽」は後代に男色を意味する言葉として使われるようになりましたが――その名をタイトルに冠した本作は、まさにその通りというべきか、男色家を主人公としたユニークな物語です。
(タイトルの直球ぶりには驚かされますが、単行本第三巻のあとがきによれば、誰からも特に指摘はなかったというのがちょっと面白い)

 主人公の天麟はこのように惚れっぽいのが玉に瑕ですが、しかし八旗の出身で若くして官僚となったエリート。決して清廉潔白ではないものの、その分世情にも通じ、役人離れした発想で事件を裁く姿には好感が持てます。
 そんな彼を支える幕友(私設秘書)たちもまた一筋縄ではいきません。通訳を担当する、纏足をしていないことにコンプレックスを抱く少女・汪来嘉、財政担当の中年で意外なもう一つの顔を持つ無塩、司法担当ながら作中ではむしろ科学捜査で活躍する薛良佐と、主に負けず個性的な顔ぶれです。

 いや、彼らの場合、個性的というよりもはぐれ者と称した方が似合うかもしれませんが――そんな彼らが正義を行う痛快さもさることながら、はぐれ者ならでの葛藤と向き合い、あるいは受け容れ、あるいは乗り越えようとする姿は、物語のアクセントとなっています。


 しかし本作の最大の魅力は、この時代、この地ならではの題材の数々にあります。
 纏足、北京語と広東語の違い、芝居、貢茶、袖犬、科挙、男院(妓楼の男娼版)、紅旗幇、そして阿片――最終巻を除き、ほとんど一話完結の連作である本作ですが、その各話の中心あるいは背景に、これほどまでに多彩な文化・風俗、歴史的事実が散りばめられていることには感嘆させられます。

 特に、作中で大きな位置を占めるのが阿片です。清の歴史において、阿片がどのような役割を果たしたか――それは言うまでもありませんが、終盤の物語において、天麟たちが立ち向かうこととなる阿片の存在は、この歴史的背景を反映し、物語に重く、深刻な影を落とすことになります。
(そして、だからこそ舞台が広州だったのか! と感心させられるのです)

 その果てに、物語は意外な結末を迎えるのですが――そこで描かれる時代の移り変わりある種の切なさを感じつつも、しかしその中でもしたたかに、そして胸を張って生きていくはぐれ者たちの姿は、重い史実に爽快な風穴を開けてくれる存在として印象に残ります。


 単行本三巻と、決して分量は多くありませんが、しかし登場人物といい物語といい、完成度の高い名品です。
(いや、唯一、キャラクターが辮髪でないという問題があるのですが――商業上の要請では仕方ない、か?)


『龍陽君始末記』(青木朋 秋田書店ボニータコミックス全3巻) Amazon

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2024.09.16

白凜之の過去、そして信念を貫いた代償 青木朋『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第10巻

 記念すべき第十巻ですが、物語の方は更なる激動の展開に突入します。宋と遼の間の密約を知り、追求する白凜之と皇太子。しかしその背後には、思いもよらぬ巨大な存在が待ち受けていました。再び歴史が動き出す中、己の信じるところを貫いた凜之を待つ、残酷な運命は……

 再び親善使節として宋を訪れた際、行方をくらましている遼皇帝・アグーとの対面を可能とする割符の存在を知ったアイラ。数々の冒険の末に割符を発見したアイラと康王ですが、その結果、アグーに宋の毒物兵器を横流ししている者がいることを知ります。
 その名は、蔡大学士――権力を恣にする蔡京の子にして、皇帝の寵臣。この国の権力の中枢に居る彼の名を知って驚く二人は、さらに意外な真実を知るのでした。

 一方、かつての婚約者である閻月琴という後ろ盾を得て、研究に打ち込む白凜之は、その彼女が毒物兵器を密かに作り、横流しに加担していたことを知ることになります。
 かつて、女性ながら学問に強い興味を抱き、優秀な技術者であった司馬公奇に弟子入りした月琴。そこで公奇の息子・嚴――白凜之と出会い、そして許嫁同士となった二人ですが、運命の変転で引き離されたのでした。

 それがようやく再会し、共に働くようになったと思いきや、再び立場を違えた二人。それでも、自分の信念を貫く凜之ですが……


 前巻では出番がかなり少なかったのに対し、この巻では再び前面に登場することになった白凜之。これまで彼の過去については断片的に語られるのみでしたが、今回、その過去の全容が描かれることになります。

 尊敬する父・公奇との生活と月琴との出会い。公奇の死と一族の没落。月琴との婚約解消と出家。そこでの皇太子との偶然の出会い――そして出家しても続けてきた研究を皇太子に見出され、彼は物語冒頭に登場した姿となったのです。

 彼の運命の変転のきっかけとなったのは、西夏の鉄騎兵に父が殺されたことであり、それが凜之の兵器研究の原動力でもあったのですが――しかしアイラと出会ったことで、彼の心に変化が生じました。
 はたして金の人々に対して兵器を用いることが――敵対することが正しいのか? これまでの物語を見れば、十分頷ける凜之の考えの変化ですが、そんな彼からすれば、月琴の行動は、看過できるものではありません。

 しかし月琴の背後にいたのは、蔡大学士をも上回る巨大な存在。それでも己の信じるところを貫こうとした凜之ですが――それはまさに蟷螂の斧というほかなかったのです。


 もちろん、宋という国の立場から考えれば、凜之の方が異端であることは間違いありません。しかしそれでもなお、凜之が直面することになった真実には――それは現代の我々だからこそ感じられるものかもしれませんが――人の道に背くものとして、違和感と嫌悪感を感じることは否めません。
(まあ、身も蓋もないことを言ってしまえばこの展開によって、この先の宋側の人々の運命に対して、読者の同情心を薄れさせるのは、なるほどと思ってしまうのですが……)

 しかし、こうした場合、人として正しい道を歩もうとした者がどのような運命を辿ることになるか、我々は様々な物語を通じて知っています。
 というより、この巻のラストで描かれた凜之の姿は、「あっ、これ水滸伝で見たやつだ!」となるのですが――さて、水滸伝のように、窮地の彼に助けは現れるのか。

 いずれにしても、この先の彼はどこに向かって歩むのか――更に言ってしまえば、彼は誰につくのか。何とも気になるこの巻のラストなのです。


『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第10巻(青木朋 秋田書店ボニータコミックス) Amazon


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2024.09.15

「喪失」と背中合わせの「秘密」を抱えた人々の住むところ 飴石『開化アパートメント』第1-2巻

 大正末期の先進的な集合住宅「開花アパートメント」を舞台に、いずれも秘密を抱えた人々が出会い、交錯するミステリアスな物語、それが本作です。新たな開花アパートメントの住人であり、様々な人々の秘密を知ることになる翻訳家の藤もまた、大きな秘密を抱えていて……

 スパニッシュミッション式の建築様式で、上品に装飾された各部屋には電話が備え付けられ、地階には自動車庫や理髪所、一階には食堂や社交室が入った高級集合住宅「開花アパートメント」。
 そこに新たに入居した翻訳家の藤は、同じ入居者で探偵を営んでいるという東条とその助手の少年・真と知り合います。藤が文壇の人間と知った二人は、最近亡くなった作家・麒島麟太郞の未完の長編『誰が袖』を話題に出しますが、藤はそれに対して微妙な表情を見せます。

 実は麒島の弟子であった藤。そして『誰が袖』には師弟の運命を変えた秘密が隠されていて……


 そんな藤の秘密を語る物語から始まり、本作はアパートメントの入居者たちが抱える様々な「秘密」を明らかにしていきます。

 夫を殺したと噂された妙なる美声の「毒殺婦人」、不自然なほどに仲睦まじい二組の夫婦、明け方の踊り場で寄り添い立つ瓜二つの「姉妹」、無人の家に送り続けられる手紙、青が印象的な絵を描き続ける画家とその秘密を知る姪……
 本作は藤、そして東上と真を狂言回し的な存在として、そんな人々の物語を描き出します。

 そこで描かれるのは、際立って現実から遊離した幻妖怪奇なものではないものの、しかし現実から半歩踏み出したような奇妙な出来事。そして同時に、その中に垣間見える人の情には、どこか共感できるものがあります。
 それを端正で、それでいて耽美さを感じさせる絵柄によって静かに描いていく物語は、決して派手ではないからこそ、こちらを深く引き込む力を持ちます。

 そして、そんな物語の中心にある様々な「秘密」は、「喪失」と背中合わせという共通項を持ちます。
 尊敬する人物や愛する人が、この世から喪われる、あるいは手の届かないところに行ってしまう――そんな「喪失」から生まれた「秘密」、そして「秘密」から生まれた「喪失」が、本作では描かれます。

 秘密によって得られるものはなく、ただ失われていくばかり。それでも、いやそれだからこそ秘密を手放すことはできない――そんな悲しい人間心理にもまた、深く頷かされます。


 そんな本作で描かれる人々の中で特に印象に残るのは、その美声とは裏腹に不幸な過去を持つ未亡人・静子と、お姉様になりたいと事あるごとに真に絡む少女・八千代です。

 二人がそれぞれに抱える深い屈託も心に残りますが、それだけでなく、それを抱えながらも日々を送る――明るさが見えない中でも手探りで生き続ける二人の姿は、この物語の象徴とも感じられます。
 そして同時に、そんな二人がそれぞれに抱えたものを語り、少しずつ寄り添っていく姿を描くエピソード「告解」は、そんな中での一つの希望を描いているといってよいでしょう。
(ちなみに人魚にも喩えられる静子の蠱惑的な声の表現は、まさに漫画でしかできないものであり、必見です)


 そして第二巻のラストでは、名門学校に通う闊達な青年ながら、孤児という出自に劣等感を抱える春雄と真との出会いが描かれます。
 東条に持ち込まれた橋の上に現れるという幽霊の噂と、彼にはいかなる関係があるのか――それを知るためにも、第三巻の刊行を心待ちにしているところです。


『開化アパートメント』(飴石 KADOKAWA HARTA COMIX) Amazon

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2024.09.14

柳生最強決戦、十兵衛対左門の死闘 上田秀人『勘定侍 柳生真剣勝負 八 愚王』

 個人的に先が楽しみで仕方ないシリーズの最新巻は、徳川家光の暴走が、さらなる暴走を招くことになります。柳生潰滅を命じる密書に乱心し、次々と柳生の藩士を手に掛ける左門。その地獄絵図を目の当たりにした一夜と十兵衛は、はたしてどのように動くのでしょうか?

 家光からの深すぎる寵愛を憂慮した宗矩によって、病気の名目で柳生の庄に逼塞させられていた左門。それでも彼を諦めきれない家光の行動は、これまで周囲に様々な波紋を呼んできましたが、ついにそれが爆発する日がやってきました。

 家光から左門に届けられた密書――その内容は「柳生を滅ぼせ」。柳生を滅ぼして宗矩を排除し、しかる後に左門に新たな柳生家を作らせるという、まさに「愚王」としかいいようのない家光の発想です。
 しかし恋人同士通じ合うものがあるのか、この密書を受けて左門は嬉々として柳生の庄の家士たちを――かつての同門の剣士たちに襲いかかります。柳生最強の剣士である彼はもはや鉄砲でも止められず、柳生の庄は地獄と化すことになります。

 一方、前作から引き続き大坂へ向けて旅する一夜と十兵衛ですが、武士を毛嫌いする一夜ながら、唯一認める十兵衛には完全に打ち解けているのが嬉しく感じられます。
 特に、ついに十兵衛を「兄はん」と呼ぶようになった一夜と、感動してもう一度呼んでくれと言い出す十兵衛の姿は実に微笑ましい名シーン。それぞれに傑出した才を持ちながらも、ある意味孤独な存在だった二人が、初めて信じられる血縁を持った姿は、実に感動的です。
(しかしそんな中での一夜のある言葉には、史実に照らすと不吉なものを感じるわけですが――まだまだ先のことではあります)

 しかしそんな二人の微笑ましい旅は、左門が生んだ地獄に遭遇して、一転することになります。
 左門を止めることができるのはもはや十兵衛のみ。そして十兵衛の頼みを受け、一夜は捨ててきたはずの江戸の柳生屋敷に、急を知らせるために戻ることに……


 柳生家が舞台とはいえ、主人公の一夜が剣士ではないということもあり、本シリーズではこれまで剣戟シーンは多いものの、死闘と呼べる戦いは少なかった印象がありました。つまりは互角の相手同士、好敵手同士の戦いがなかったということですが、この巻のメインとなる十兵衛vs左門は、まさに死闘と呼ぶに相応しい戦いです。
 何しろ本作の十兵衛が己の才能を努力で伸ばしてきた剣士だとすれば、左門はまさに天才。共に柳生最強の、しかしタイプの異なる剣士の対決が、盛り上がらないはずがありません。

 しかし二人の腕はわずかに左門が上で、十兵衛にとっては正面からの対決は不利。しかし左門も決して傷を負うことができない(何故なら綺麗な体で家光に会いたいから、というもの凄い説得力)という、それぞれに真っ向勝負は避けたい状況にあります。
 そんな中でいかに自分に有利な状況を作り出すか――試合ではなくまさに実戦というべき二人の対決の結末は、先行する作品へのリスペクトが感じられる部分もあり、大いに満足できました。


 そんな死闘の一方で、一夜は少々割りを食ってしまった感があります。しかしこれまでの旅では十兵衛に守ってもらってきたのに対し、己の才覚で――いかにも一夜らしい形で江戸に帰還してみせるのは、本作ならではの面白さであることは間違いありません。

 しかし嬉しいのは、元々江戸での柳生屋敷の面々の言動にあきれ果てて飛び出してきた彼が、十兵衛の頼みとあらばと、戻ってみせたことでしょう。
 十兵衛と離れた今、虎口ともいえる場所に敢えて飛び込む――もちろん、きっちりと彼なりの対策を講じた上ではありますが――彼の姿は、やはり本作の主人公よ、と思わされるのです。
(その一方で、江戸から大坂への逃避行を続ける永和と佐夜の立場が、ちょっと微妙な感じになってしまいましたが……)


 しかし、十兵衛・一夜「兄弟」の活躍で最悪の状況からは逃れたものの、まだ柳生家が危機を脱したわけではありません。この後始末をいかにつけてみせるのか――宗矩の裏工作による会津側の騒動もいよいよ動き出したこともあり、クライマックスは近いのかもしれません。


『勘定侍 柳生真剣勝負 八 愚王』(上田秀人 小学館文庫) Amazon

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2024.08.19

ジュール・ヴェルヌ『氷のスフィンクス』 今明かされるアーサー・ゴードン・ピムの真実!?

 その緊迫感溢れる筆致と、急転直下の異様な結末が強く印象に残るエドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』。本作はその続編を、海洋冒険小説の名手でもある作者が描いたものです。ピムの冒険の生存者を探し、南極圏へ赴く人々を待つものとははたして?

 1839年、南インド洋のケルゲレン諸島での地質調査を終え、帰国の途につこうとしていたわたし(ジョーリング)は、島を訪れたハルブレイン号のレン・ガイ船長に乗船を求めるも、何故か拒絶されることになります。
 しかし船長は、わたしがナンタケット島に何度も行ったことがあることを知るや、異常に興味を示すのでした。

 数年前、ポーが発表した『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』――1828年に南極地方に向かい、壮絶な経験の末に、ただ二人生き残ったピムの半生を描いたこの「小説」を、船長が真実と疑わないことに、わたしは驚かされます。
 しかし航海の途中、かつてピムが乗っていた船の生き残りの死体を発見したことで、わたしはピムが実在の人物であったことを信じざるを得なくなるのでした。

 そして、実は船長が、ある理由からピムの航海の生き残りを探していることを知ったわたしは、船長に賛同し、そのまま捜索の航海に同行することになります。
 途中、フォークランド諸島で追加の船員を募り、準備万端整えて南極に向かうハルブレイン号。しかし手掛かりの少ない航海が続くにつれ、追加の船員たちを中心に不満が高まっていきます。そんな中、ハントと名乗る謎めいた船員のみは、捜索を断固として続けようとするのですが……


 友人の父の捕鯨船に密航したものの、隠れているうちに船で反乱が起き、数少ない仲間と船を奪還するも難破、くじ引きで生き残りの一人を殺して食らうという壮絶な経験の末に帰還した少年アーサー・ゴードン・ピム。
 しかしそれでも海に惹かれたピムは、同じ生き残りである船員ダーク・ピーターズとともにジェーン・ガイ号に乗り、南極圏の未踏の海域に向かいます。しかしそこで原住民に騙された船員たちは皆殺しに遭い、再びピーターズと生き残ったピムは、何とか脱出した海で、次第に奇怪な世界に迷い込み……

 という内容の『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(以下『ピム』)。少年向け冒険小説のような導入かと思えば、読者全員のトラウマになるであろう食人シーンがあったり、今ではむしろクトゥルフ神話で有名となった「テケリ・リ!」という叫び声や、本当に謎しかない場面でバッサリと終わる結末など、異様に心に残る、ある種の問題作です。

 それだけに様々な作家を引き寄せるのか、『ピム』の続編的作品はいくつかありますが、本作はその中でおそらく最もストロングスタイルの続編といえるでしょう。
 『ピム』は事実であった――というのは、ある意味定番の趣向ですが(しかし当初は語り手のわたしがそれを疑い、徐々に「現実」のことであったと信じていく過程が面白い)、それを受けてジェーン・ガイ号の生き残りを探す捜索航海の模様が、かなり長大な本作の、ほぼ九割を占めるのですから。

 正直なところ、『ピム』終盤に繰り広げられた幻妖怪奇な世界の真実を期待すると、あまりに地味な展開続きなのですが――第二部の「南極海域の怪異」という胸踊る副題もほぼ看板倒れ――しかし嵐や遭難、反乱といった海洋冒険もののセオリーを踏まえて丹念に描かれる物語は、こちらを惹きつけて離さないのもまた事実です。

 そしてその中で『ピム』とのリンクが少しずつ明らかになっていくのも巧みで、予想もしなかった物語の裏幕が見えていく構成も、さすがはというほかありません。
(ちなみにそのリンクの最たるものは、ある登場人物の正体なのですが――それにしばらく語り手たちは気付かず、しかし判明した後で、読者は相当以前から気付いただろう云々とフォローが入るのが、少々おかしい)


 しかし――本作が一つの物語として惹きつけられるのは事実ですが、それも『ピム』のラストに隠された秘密があってこそなのは間違いありません。その点について本作は――少々ネタばらしになりますが、こちらの(勝手な)期待を思い切り裏切る形になっているのがまことに残念であります。
 ラストでようやく回収される、妖気溢れるタイトルの真実は、いかにも作者らしく面白くはあるのですが……

 終わってみると、『ピム』の、特に科学的視点から辻褄の合わない点のアップデートに終始した感が強く、それもまた作者らしいとはいえるでしょうか。期待する点を間違えなければ楽しめる作品ではあります。


『氷のスフィンクス』(ジュール・ヴェルヌ 集英社文庫) Amazon

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2024.08.13

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2024年9月号の紹介の後半です。

『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)
 今年の5月号に掲載された碧也ぴんくの猫漫画が嬉しいことに続編登場――江戸の猫絵師といえば今でも知らぬ人のいない歌川国芳を主人公に、猫好き悲喜こもごもが今回も描かれます。

 前回国芳の家にやってきたメス猫のおこま。しかしおこまはどうしても畳一畳の距離を国芳と置いて、なかなか近くで絵に描けない状態(冷静に考えると絵を描くのが前提な時点で既におかしい)なのが悩みの種です。
 しかもおこまは女房のおせいには猫吸いすらさせると知った国芳は、何とかおこまとお近づきになろうとするのですが……

 と、猫飼いの夢にして醍醐味・猫吸いが一つのフックとなっている今回。実際にやってみるとそこまで楽しくなかったりするのですが――しかしそれも一つのネタとしてきっちり描かれているのが楽しい――猫に好かれようとして逆に引かれるというのは、おそらく古今東西の猫好きの共通の悩みであって、思わずあるあると頷いてしまいます。
 そしてラストの国芳の決断(?)もまた……

 主人公とその周りが基本的に野郎どもなのでゴツめのキャラが多い一方で、いかにも美猫のおこまのビジュアル、そして仕草も可愛らしく(その一方でゴツ猫のトラも、また滅茶苦茶猫らしい……)、猫好きには何とも楽しい一編です。

(しかし途中で登場する国芳の弟子で美男の「雪」は、やはり美男で知られた国雪なのでしょうね)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ついに蒙古兵が城内になだれ込み、いよいよクライマックスという感じになってきた本作ですが、前回ブブがオッド姫に語った、ラジンが姉の仇という言葉の意味の一端が、ついに明かされることになります。

 姉が「あるもの」に取り憑かれたことをきっかけに、母と姉とともに放浪を余儀なくされたブブ。しかしその最中にラジンの父・フレグ麾下の蒙古軍に襲われ、ブブの姉は連れ去られて――と、以前突然登場して???となった「あるもの」が、ここで物語に繋がるのか!? と大いに驚かされること請け合いであります。
 しかし今回は全てが語られたわけではなく、ブブの父についても意味深に語られていることを考えると、この辺りはこの先まだまだ絡んでくることになるのでしょう。

 そして後半、物語の舞台はオッド姫が避難した地下街に移るのですが――ここでまたジファルが登場したことで、物語はややこしい方向に転がっていきそうです。


『カムヤライド』(久正人)
 オトタチバナの犠牲(?)で大怪獣フトタマは倒したものの、すっかり忘れられかけていたモンコ。カムヤライドへの変身時にウズメに絡みつかれ、動きを封じられたモンコですが、しかし驚いているのはむしろウズメの方で――という引きから続く今回は、モンコの体の秘密(?)から始まります。

 そもそも、ヒーロー時の変身時を狙うというのは一種の定番ですが、土からできているカムヤライドスーツに対して、土属性の(そして能力を全開にした)ウズメが一体化して――というその変身阻止ロジックが実に作者らしく面白い。しかしそれだけではなく、一体化できちゃったのはスーツだけではなかった!? という展開が巧みです。
 さらにそこから、変身阻止パターンがヒーロー洗脳パターンに繋がっていく――そしてそれが対「神」兵器である神薙剣攻略法となるという、流れるように全てが繋がっていく展開には、気持ちよさすら感じます。

 かくて始まったカムヤライドvs神薙剣のヒーロー対決ですが、操られながらも抵抗してみせるのもヒーローの美学。(一転してマスコットキャラみたいになった)オトタチバナの信頼がその引き金になるというのがまた泣かせますが、本当に泣かせるのはそこからです。
 図らずもこの物語の始まりとなった、開ける者・閉じる者・奪った者の出会いが再び――なるほど、この顔ぶれは! と唸るひまもあらばこそ、畳み掛けるような演出の先に待つものは……

 いやはや、こちらも泣くほかない感動の場面なのですが、次回からwebに移籍というのはちょっと涙が引っ込みました。本誌の楽しみの一つが……


 そんなわけでちょっぴり凹んでいますが、次号は『前巷説百物語』と『そば屋 幻庵』が復活とのことです。


「コミック乱ツインズ」2024年9月号(リイド社) Amazon


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2024.08.11

上田朔也『ダ・ヴィンチの翼』(その二) 過酷な時代の中に描く、人の持つ善き部分

 16世紀のイタリアを舞台に、ダ・ヴィンチの秘密兵器の設計図を巡る争奪戦に巻き込まれた少年の冒険物語『ダ・ヴィンチの翼』の紹介の後編です。

 本作が、歴史伝奇小説として一級品ということは述べました。しかし本作の魅力はそれだけに留まりません。秘宝の争奪戦が物語の縦糸だとすれば、横糸に当たるもの――主人公であるコルネーリオ、そしてもう一人の中心人物であるアルフォンソを巡るドラマが、本作をより魅力的なものとしているのです。

 治癒の効果がある歌声を持つ――それだけでなく、人や様々な生きもののオーラを見る力を持つコルネーリオ。深い傷や重い病をも癒やす彼の力は、しかしこの時代においては、魔術として排斥され、処刑の対象となる危険を招くものでもあります。
 事実、物語冒頭でコルネーリオは村はずれに一人で暮らしていましたが、それはかつてフランチェスカの病を癒やしたことがきっかけで異端審問官に目をつけられ、彼の代わりに母が名乗り出て魔女として処刑されたという過去があるからなのです。
(ちなみに彼の母の処刑のくだりは、一見魔女狩りには定番の描写のようでいて、実はそこに流れる熱い人の情の存在によって、本作でも屈指の感動的な場面となっています)

 一方アルフォンソは、傭兵の父がかつて殺した男の息子に殺され、その復讐のために家族の反対を押し切って傭兵となった男。そしてようやく仇討ちを果たしたものの、一度血の因縁がさらなる血を招く修羅の世界に沈んだ心は晴れることなく――自らをそんな世界に追い込んだ戦争を未然に防ぐことを目的に密偵となり、表には出せない仕事に手を染めてきた人物です。

 癒やし手の少年と密偵剣士の男――その能力も、生まれや育ちも異なる二人ですが、しかしそこには、重い過去を背負い、現在を生きながらも、未来に展望が見出だせないという共通点があります。
 そんな二人が思わぬ形で出会い、冒険の旅を通じて互いのことを少しずつ理解し、絆を深めていく。言葉にすれば簡単ですが、バディとも師弟とも、疑似親子ともつかぬ――そしてそのどれでもある、かけがえのない存在となっていく姿は、大国間で苛烈な争いが繰り広げられ、命が弊履の如く失われていく世界の物語だからこそ、人の持つ善き部分の一つの現れとして感じられるのです。


 そしてそんな二人をはじめとする人々が繰り広げる剣と魔法と知恵の争いの末、ついに明らかとなるダ・ヴィンチの秘密兵器の在処。それは、まさかそこに!? と仰天とさせられるような意外性のある(そして様々な意味で驚くほど巧みな)隠し場所であり、秘宝争奪戦の終着点として見事というほかないものです。

 しかし何故、そこにダ・ヴィンチは秘密兵器を隠したのか? そしてそれは今まで守られてきたのか? 具体的には書けませんが、その答えの根底にあるのは、ダ・ヴィンチが人を信じようとした心、人という存在に抱いた希望であり――そしてそれは、先に述べた人の持つ善き部分の、別の形での現れにほかならないのです。

 本作の真に見事な点は、まさにその点にあるといえます。人が人を殺す戦争のための兵器の争奪戦の果てに待つものが、人が人を信じ、人の善き部分を守ろうとする心である――その構図は、必ずや読む者の胸を熱くさせてくれるでしょう。
 そしてそこにはもちろん、先に述べたコルネーリオとアルフォンソの間の絆が、深く結びついているのです。

 伝奇的な活劇を通じて過酷な現実を描きつつも、しかし同時にそこに高らかに人間賛歌を歌い上げてみせる、そんな本作の姿勢には、感動とともに強い好感を覚えます。
(ちなみにこの人間に対する視点は、前作でもあったものですが、よりパーソナルなドラマが主軸にあった前作に比して、より強く前面に打ち出されている印象がある――というのは牽強付会でしょうか)


 そして物語は、新たに開けた未来への道を描いて終わることになります。
 それはもちろん、ここで語られるような明るいものばかりではないかもしれません。そしてその前途の険しさは、この物語の後にフィレンツェが辿る運命が暗示しているともいえるかもしれません。

 しかしそれでも、自分自身の、そして自分の隣に在る者の持つ力を信じ、新たな一歩を踏み出す人々の姿に、希望を持ちたくなる――そんな美しい結末であることは間違いありません。
 そして、前作同様、「彼ら」のその先の物語を是非見せてほしいという願いを抱いてしまうのです。


『ダ・ヴィンチの翼』(上田朔也 創元推理文庫) Amazon


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2024.08.10

上田朔也『ダ・ヴィンチの翼』(その一) 謎と暗号と剣戟に彩られた冒険活劇

 我々にはちょっと馴染みが薄い時と場所ながら、知ってみれば非常に魅力的な16世紀のイタリア。本作は、『ヴェネツィアの陰の末裔』の作者が、再びこの舞台で描く冒険ロマンがです。フィレンツェの危機を救う、ダ・ヴィンチの秘密兵器争奪戦に巻き込まれた少年が、冒険の果てに見たものは……

 時は1529年、生まれつき持っている治癒の力を隠して、村はずれに一人暮らす少年・コルネーリオ。しかし、森で瀕死の男・アルフォンソを見つけた彼は、思わず癒やしの力を使ってしまうのでした。
 芸術家にしてフィレンツェ共和国政府の要人・ミケランジェロの密偵であるアルフォンソを匿うために、農場主の娘であり、かつて命を助けたことがある少女・フランチェスカの屋敷を頼るコルネーリオ。そこで彼は、アルフォンソがダ・ヴィンチが密かに隠したという秘密兵器の設計図を探していたことを知ります。

 折しもフィレンツェには神聖ローマ皇帝の軍勢が迫る状況、フランスと結んで対抗しようとするも、到底力は及びません。そんな中、かつてダ・ヴィンチが発明しながらも、いずこかへ隠したという秘密兵器が、フィレンツェの最後の希望だったのです。
 しかし設計図の隠し場所を知るには、難解な暗号を解くしかありません。ところがアルフォンソとミケランジェロらの会話を盗み聞いたフランチェスカは、その暗号を見事解いてみせます。

 そんな中、屋敷を襲撃する神聖ローマ帝国皇帝直属の黒衣の騎士グスタフと教皇の刺客サリエル。コルネーリオとフランチェスカは、アルフォンソと彼の仲間たち、さらにフランスの密偵らとともに屋敷を脱出、次なる目的地・ヴェネツィアを目指すのですが……


 第五回創元ファンタジィ新人賞佳作、第五回細谷正充賞を受賞した『ヴェネツィアの陰の末裔』(以下「前作」)。本作は前作と同じ世界感、そしてほぼ同じ時期(時期的には一年後)を舞台に描かれます。

 前作は、当時のイタリアを巡る複雑怪奇な史実の中に、「魔術師」というフィクションの存在を嵌め込み、スリリングな諜報戦と、魔術師の青年の自己確立を描いた物語でしたが、本作もそれに勝るとも劣らぬ名品――前作が罠と陰謀が張り巡らされた諜報劇であったとすれば、本作は謎と暗号、そして剣戟に彩られた宝探しの冒険活劇です。
 主人公は強力な治癒の力を持つ少年、共に旅立つのは彼と淡い感情を寄せ合う頭脳明晰な令嬢と、世の裏街道を歩いてきた名うての密偵剣士。そして求めるのは、かの天才ダ・ヴィンチが発明したという謎の秘密兵器――とくれば、胸がときめくではありませんか。

 ちなみに前作の読者としては、ヴェネツィアの魔術師たちが再び登場する――前作の主人公コンビをはじめ、ほとんどはほんの僅かの出番ではあるものの、中にはコルネーリオの旅に同行し、頼もしい助っ人となってくれるキャラクターがいるのも、実に嬉しい。
 前作唸らされた魔術描写も健在であると同時に、その魔術と正面からやり合う敵を描くことで、敵の存在感を高めているのもまた巧みというべきでしょう。(そのうちの一人は、前作でも妙に印象を残したキャラクターなのが嬉しいところです)


 それにしてもダ・ヴィンチの秘密兵器とは、いささか突飛な印象を受けないでもありませんが、しかし当時のフィレンツェには、そんな怪しげなものに頼らざるを得ない状況にあったといえます。

 メディチ家を追放して共和制を敷いていたものの、ローマ劫掠を経てメディチ家出身の教皇と神聖ローマ皇帝が和解、共に敵に回り、メディチ家も復活を画策する状況にあったフィレンツェ。
 複雑な情勢の中で共和国の軍事を司る九人委員会(ミケランジェロもその一員)も一枚岩ではない中で、防衛はおぼつかない――そのような状況で、反撃の手段としてだけでなく、フィレンツェの人々の希望のシンボルとしてダ・ヴィンチの秘密兵器を掲げようとするミケランジェロの発想は理解できるものでしょう。

 先に触れたように、当時のイタリア情勢は複雑怪奇、そんな状況を舞台装置として、そして物語の原動力として使ってみせた本作は、歴史伝奇小説としても一級品といえます。


 しかしそれだけではなく――長くなりますので、続きは次回に。


『ダ・ヴィンチの翼』(上田朔也 創元推理文庫) Amazon


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2024.08.06

犬飼六岐『火の神の砦』 若き日の愛洲移香斎と幻の刀

 日本の剣術の三つの源流の一つである陰流の流祖・愛洲久忠は、しかし伝説的な存在であるためか、フィクションで取り上げられる機会は少ない人物です。本作はその久忠を主人公に、彼が若き日に出会った奇妙なある里での出来事を描く、なかなかユニークな物語です。

 室町幕府の威光も衰え、世情騒然とした戦国時代初期、剣術修行の旅の途中に出雲を訪れた愛洲久忠。ある理由で出雲各地の市を巡っていた彼は、国境の市で刀を売っていた一人の女を見つけます。
 土地の役人に絡まれたその女を、山中又四郎と名乗る陽気な若侍と共に助けた久忠は、女から刀は村の鍛冶が打ったと聞き出します。そこで女の帰る先についていこうとする久忠と又四郎ですが――女は二人を幾度も撒こうとするのでした。

 その末に足を怪我した女を連れて、彼女の村に辿り着いた二人。女が隠そうとするのも道理というべきか、外界から隔絶されたその村は、女性のみが暮らす隠れ里でした。
 何故この村には女性のみが暮らすのか。彼女たちは何者なのか。それはて久忠が村を訪れた理由とも繋がっていたのですが……


 というわけで本作は、後に愛洲移香斎として知られる愛洲久忠と、正体不明の脳天気な若侍・山中又四郎が迷い込んだ、女ばかりの隠れ里を巡り展開します。
 これは出版社のサイトにも記載されているので明かしてしまいますが、久忠が女の村を――女の村の刀鍛冶を探していたのは、久忠が見た刀が、とうに滅んだはずの備中青江鍛冶の新作に見えたからにほかなりません。

 鉄の産地に近かったこともあり、平安時代から刀工を輩出した備中国青江。その一派は、愛刀家として知られた後鳥羽天皇の御番鍛冶にも選ばれたほどであり、天下五剣の一つ・数珠丸を打ったことでも知られています。
 しかし南北朝時代に南朝方についたことから衰微し、ついにはその命脈を断ったと言われる青江派。その青江派の新作が、それから約百年後に見つかったとあれば、久忠ならずとも驚き、その正体を追ってもおかしくはないでしょう。

 はたしてその刀鍛冶がいると思しき里の正体は――上に述べた青江派の歴史を踏まえて語られるそれは、伝奇的な興趣に満ちており、本作の大きな魅力というべきでしょう。


 しかしその来歴故に、久忠たちが辿り着いた村は、外部からの人間、特に男に対して厳しい眼を向けます。それでもなお刀を望む久忠に対して、女たちは幾つもの条件をつけることになります。
 それをくぐり抜け(その一つがきっかけで久忠たちが出会うのが、あの雪舟という意外性も面白い)、里の女たちの一部とは心を通わせる二人ですが、しかしなお里の人々の多くはその本心を見せず、それが終盤のある展開に繋がっていくことになります。

 戦国時代の荒波の中で、女性たちだけで自主自立した暮らしを営む隠れ里。一見理想郷に見えるその地も、しかしその維持のために、幾つもの掟が――時に理不尽なものにしか見えぬものが存在することが、やがて明らかになっていきます。
 いわゆる「因習村」的なものすら感じさせるそれは、人が共同体を――しかもある種の同質性の高いものを――成立させることの難しさを、浮き彫りにしているといえるかもしれません。


 人が人らしく生きるために作られた共同体が、やがてその人らしさを制限していくことになる――本作は名刀奇譚を描きつつ、そんな人の世の皮肉さを浮き彫りにしてみせるます。
 そして、絶対何かしらの秘密があると思っていた又四郎が意外な正体を現したことをきっかけに、物語は全てを飲み込んで結末に向けて疾走していきます。

 その結末は、正直なところ呆気なさすぎると感じる方も多いかとは思いますが――一人の剣士にできることは限られていることを思えば、そして歴史の示すところを見れば明らかな結果を、あえて描かずに終えたというべきでしょうか。
(その一方で、雪舟が描いた久忠の姿が、後に彼が開いた剣流の別名を思えばニヤリとさせられるものであったりと、本作は若き日の久忠伝としても面白い作品ではあります)


『火の神の砦』(犬飼六岐 文藝春秋) Amazon

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2024.08.02

相田裕『勇気あるものより散れ』第6巻 混迷の戦い、ついに決着!?

 不死の宿命を受け継ぐ半隠る化野民と眷属の剣士たち同士の死闘はなおも続きます。自分たちの母を巡り、激突する煙花・生松・シノ――化野民の兄妹たちの戦いは、人間を巻き込んでほとんど戦争という域にエスカレート、その中で暴走した生松を止めるため、剣士たちは死力を尽くすことに……

 化野民を殺す力を持つ妖刀・殺生石「華陽」を奪い、母の身柄を求めて明治政府の高官たちを次々と襲う生松と眷属の菊滋。宿敵であった政府図書掛の山之内と組んだシノと春安は、藤田五郎を仲間に加え、生松たちを追跡します。
 眷属同士の死闘の末、菊滋こと鵜飼幸吉を斃した春安。しかしそこにシノと生松の姉・煙花と眷属の壽女、さらに隗の眷属・伊庭八郎までが出現――一方で図書掛は数多くの兵を率いて彼らを待ち受け、小石川一帯は戦争状態に……


 はたして誰が何のために戦っているのか――そんな疑問すら浮かぶ大混乱の中で、なおも続く、化野民と化野民の、眷属と眷属の、そして人間と化野民・眷属との戦い。この巻でもその戦いはほぼ一巻丸々費やして描かれます。

 この戦いに加わるのは大きく分けて二派。片や、シノ・春安・山之内・藤田(と図書掛の兵たち)。片や生松・煙花・壽女・伊庭八郎――それぞれに戦う理由は微妙に異なりながらも、達人たちが一つ所に集まり、死闘を繰り広げる様は、これはこれで壮観というべきでしょうか。

 そんなこの巻の前半で描かれるのは、シノvs生松、藤田vs伊庭、煙花&壽女vs図書掛の兵たちの戦い。
 不死身の肉体を持つ者同士ならではの凄惨な戦いを繰り広げるシノと生松、幕末の名剣士同士が激突する藤田と伊庭、そして大砲まで持ち出した人間たちを前に不死身の力を存分に振るう煙花と壽女と、それぞれに趣向の異なるバトルが展開します。

 この中で特に幕末ファンにとって見逃せないのが、藤田vs伊庭であることはいうまでもないでしょう。
 かつてはともに旧幕府軍として修羅の戦場を戦った同志ながら、警察の巡査となった者と、一度死して化野民の眷属になった者――幽明境を異にするという表現はちょっと違うかもしれませんが、とにかくあまりに境遇が変わってしまった二人。しかしそうであっても二人の剣の腕は変わりません。

 おそらくは幕末最強クラスの二人の激突は、もはや名人戦。激しい技の応酬の中、初めは巡査として棒を手に戦っていた藤田も、ついに刀を抜いて本気モードになったところで繰り出される、双方得意の突き技――というだけでたまりませんが、そこからの思わぬ決着もまた、二人の「今」の違いを表すものと言って良いかもしれません。
(というか、相変わらずブレない本作の藤田……)

 しかし混迷の中、戦いは思わぬ方向に転がっていきます。シノとの戦いの最中、山之内の切り札により、致命打を受ける生松。しかし最後の力を振り絞った生松は、「華陽」を手にします。
 死を前にして、華陽にまとわりつく異様な気に操られるように怪物的な力を発揮する生松を止めることができるものは……


 と、思わぬ面々が加わった死闘の末に、ついにここでの戦いは終結します。しかしその犠牲は、決して小さなものではありません。

 本当にこの巻はほぼ完全に戦いのみ(煙花と壽女の出会いは回想シーンで描かれましたが)で終わってしまったため、ストーリー的にはほとんど進んでいないのですが――この混沌の先に何があるのか、今は全く見えない、というのが正直なところであります。


『勇気あるものより散れ』第6巻(相田裕 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon


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相田裕『勇気あるものより散れ』第4巻 化野民の想いと人間の想い、そして新たな剣士
相田裕『勇気あるものより散れ』第5巻 激突、過去を背負った眷属二人

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