2024.02.14

北山猛邦『人魚姫 探偵グリムの手稿』 少年アンデルセンが挑む人魚姫後日譚の謎

 人間の王子を愛し、魔女の力で人間になったものの、想いは叶わず、儚く消えた人魚姫――誰もが知るアンデルセン童話「人魚姫」の後日譚に、少年時代のアンデルセン本人と人魚姫の姉、そしてグリム兄弟の末弟が挑む、奇想天外な物語であります。はたして人魚姫が愛した王子を殺したのは誰なのか?

 父を亡くし憂鬱な日々を送る中、父の形見の人形を落としてしまった少年・ハンス。偶然知り合った画家を名乗る黒衣の青年・ルートヴィッヒと共に、人形を探して海辺に出た彼は、そこに倒れていた美しい少女を見つけます。
 自分の足で歩くのに苦労し、奇矯な言動を取るその少女・セレナをルートヴィッヒの宿に連れて行った二人は、そこで思いもよらぬ話を聞かされることになります。

 半年前に、婚礼の翌日に何者かに殺された王子。その前日に姿を消した口の利けない侍女に嫌疑がかけられたものの、今も真相は不明なままのこの事件を解き明かすために、セレナは海からやってきたというのです。

 そう、姿を消した侍女こそは、人魚姫。かつて海で助けた王子を愛するあまり、魔女と取引して自分の声と引き換えに人間の姿となった彼女は、王子の愛を得られなければ泡となって消えてしまう運命にありました。
 その運命から救うため、彼女の五人の姉たちは魔女から手に入れた短剣を渡し、これで王子を刺すように告げたのですが――しかし愛する人を手にかけることを拒んだ人魚姫は、泡となって消えたのです。

 しかし王子はその直後に何者かに殺され、疑いは人魚姫にかけられてしまいました。この不名誉を放置しておけば、やがて海の中の国の間で大きな争いに繋がりかねない――それを避けるため、五人の姉の一人であるセレナは、魔女に自分の心臓と引き換えに人間にしてもらい、地上にやってきたというのです。
 心臓を失ったセレナが力尽きるまでわずか七日――それを知ったハンスとルードヴィッヒは、彼女を助ける決意を固めます。

 しかし犯行場所は王宮の中、一庶民に過ぎないハンス・アンデルセンが入れるはずもありません。しかしルードヴィッヒ・グリムは、高名な兄という伝手を使い、王宮に入り込んで調査を始めることに……


 歴史上に名を残す有名人が探偵役を務め、謎めいた事件を解決する――そして多くの場合、その時の経験が、彼のその後の業績に大きな影響を与える――という、いわゆる有名人探偵ものというべき作品があります。これまでこうした作品を色々と読んできましたが、しかしその中でもこれだけユニークな作品はちょっとないと断言できます。

 何しろ探偵役はアンデルセン童話のアンデルセンと、グリム童話の(ヤコブとヴィルヘルムの弟のルードヴィッヒ・)グリム、そして題材はアンデルセンの代表作であり、我々もよく知る「人魚姫」なのですから。
 それも「人魚姫」を思わせるとか、擬えたというレベルではなく、「人魚姫」の物語は現実に存在し、人魚姫の姉と共にその後日譚に彼らが巻き込まれるというのですから、その奇想をなんと評すべきでしょうか!?

 しかも事件そのものはガチガチの密室殺人&アリバイ崩しという本格ど真ん中(クライマックスに炸裂する「物理の北山」にはひっくり返りました)。それでいて、魔女が存在する世界観故に魔法による殺人の可能性も慎重に吟味されるのが楽しいのですが――さらにヒロインの命というタイムリミットまで設けられているのには脱帽です。

 アンデルセンたちの物語の合間に、別視点の人魚と魔女の物語が挿入される物語構成も、両者の間に奇妙な齟齬があることからこれは何かあると身構えていたのですが――にもかかわらず、やがて明かされる真実には、そうきたか! と愕然とさせられること請け合いです。
 虚構と現実という二つの世界が交錯する――どころではなく、虚構が歴史と結びつくその瞬間は、まさに歴史ミステリ、いや伝奇ものの醍醐味といってよいでしょう。


 しかし個人的にもっとも心に残ったのは、この様々な意味で複雑怪奇な事件の見届け人となったアンデルセン少年の姿であります。
 愛する父を失い、残った母は虚脱したままに暮らし、学校にも自分の居場所がない――そんな孤独な少年であったアンデルセン。その彼が経験した七日間の冒険は、彼にとっては日常と非日常、庶民と王族、陸と海、現実と虚構――様々な二つの世界が、本来であればあり得ない形で交わるものであったといえるでしょう。

 その交錯から生まれた物語は、確かに悲しみや苦しみが多いものではありました。しかしそこでアンデルセン少年が得たものはそれだけではないことは、結末でルードヴィッヒが描いた一枚の「画」が示してくれます。
 いやそれだけでなく、後にアンデルセンが「人魚姫」という物語で描いたもの――つまり本作で語られたものを、彼がどのような形で「人魚姫」として昇華したのかを思えば、そこに込められた祈りにも似た美しい想いに、胸を熱くせずにはいられないのです。

 有名人探偵ものとして、本格ミステリとして、名作パロディとして、伝奇物語として、そして少年の成長譚として――数多くの顔が高いレベルで結びついた名品であります。


『人魚姫 探偵グリムの手稿』(北山猛邦 徳間文庫) Amazon

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2024.02.09

小島環『唐国の検屍乙女 水都の紅き花嫁』

 宋代を舞台に、戦場帰りの医学少女・許紅花と、髑髏を抱いた変人美少年・高九曜のバディが怪事件に挑むシリーズ第二弾であります。ある日、花に飾られた美しい水死体に遭遇し、その謎を追うことになった二人。しかしそんな中、紅花は祖父が勝手に決めた相手と婚礼を行うことになって……?

 医者一家に生まれて父とともに従軍していた許紅花。しかし医者に取って命ともいえる手を負傷し、ショックで実家に引きこもっていた彼女は、姉の代わりに出かけたある検屍現場で、「髑髏真君」を名乗る驕慢な美少年・高九曜と出会うことになります。
 九曜の言動に戸惑い反発する紅花ですが、死体は殺されたという見解で一致、彼と犯人を探して行動を共にするうちに、その頭脳の冴えに魅せられるようになります。そして宮中にまで及ぶ騒動の末、二人は見事に事件を解決し、紅花は心の傷を克服するのでした。

 そんな前作での冒険を経て絆を深めてきた紅花と九曜が今回遭遇するのは、渠水を流れてきた、白い寒牡丹に彩られた美しい水死体。例によって勝手に九曜が検屍したために犯人の疑いをかけられた二人は、死体の首に突き刺さっていた翡翠の簪を手がかりに、真犯人を探し始めます。

 そんな中、許家に現れた紅花の祖父は、外を飛び回る紅花を一方的に非難し、一族の繁栄のためにもさっさと嫁ぐべきだと、勝手に彼女の結婚を決めてしまうのでした。
 その相手が、顔見知りであり、都の高官である美青年・天佑であると知った紅花。しかし医師としての彼女を理解し、許容してくれる天佑を前にしても、家に縛られることへの紅花の違和感は消えません。

 そんな彼女の想いを無視して祖父は準備を進め、ついに婚礼の日を迎えてしまった紅花。思いあまって家を飛び出し、九曜と共に事件調査を続ける紅花ですが、謎の人物に捕らえられてしまい……


 というわけで、今回も自ら事件に突入し、騒動を大きくしながらも核心に迫っていく九曜と紅花の二人(というか、そんな九曜にくっついていく紅花)を描く本作。
 正直なところ、前作はあるドラマに酷似した内容であったこともあって、どうかなあと思っていましたが、そうした部分はなりを潜め(時々あれ、と思うところはありますが。銛とか)、純粋に二人の活躍を楽しむことができました。

 殺された上に美しく飾られた美青年という実に猟奇的な事件を彩るのは、当時の改革派と守旧派(新法・旧法の争いの前身でしょうか)の対立を背景とした二つの家の争いに加え、その名家の内部の後継争いで――と、いかにもこの時代らしいドロドロしたドラマ。
 さらに九曜の○○○○○が出現、さらに殺人美少年が紅花を狙い――と、賑やかな展開が繰り広げられます。


 しかし、本作のもう一つの主軸となるのは、そうした事件と並行して描かれる紅花の葛藤であることは間違いありません。

 幼い頃から医術と武術を修め、戦場に向かうという、当時の女性からすれば破格の自由な行動を許されてきた紅花。しかしそれはあくまでも他者から許されてきたからに過ぎなかったことが、今回彼女の祖父の登場によって描かれることになります。
 この家父長制の権化のような祖父によって、強引に結婚話を進められる紅花。それはそれで紅花を慮っての行動であるかもしれませんが、しかし彼女自身の「意志」を慮ってのものではない――少なくとも、祖父は彼女自身の意志を考慮するに値するものではないと考えていることを、明確に示します。

 あるいは戦場から帰った直後の、引きこもっていた彼女であればそれは良かったかもしれません。しかし彼女は九曜との出会いを通じて、自分が真に望むものを知ってしまいました。そして九曜を通じて、それを貫くことの素晴らしさを知ってしまいました。
 自分の意志と自由を代償に幸せを得るよりも、たとえ不安定で心身ともに無事でなくとも己の意のままに生きる――それは決して楽な道のりではないからこそ、輝いて見えます。そしてそれを得るために奮闘する紅花の姿もまた、同様に輝くのです。


 とはいえ、物語的にその紅花の選択がうまくいっているように見えないのも正直なところで、行き当たりばったりで痛い目にあったり、周囲の人間の協力(あるいは犠牲)でそれが成り立っていたりするように見えるのは、彼女自身の責任ではないにしても、スッキリはしないところではあります。
 もちろん、そのままならなさも、また一つの真実ではあるでしょう。その先にある真の自由に彼女がたどり着くことができるのか――それはこの先の物語で描かれるのかもしれません。まだちょっと遠そうですが……

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2024.02.05

後藤竜二『野心あらためず 日高見国伝』 乱を起こすものと、それに屈せず歩み続けること

 数々の作品を残してきた児童文学者・後藤竜二が、いわゆる宝亀の乱を題材にし、野間児童文芸賞を受賞した名作であります。かつて大和の人々に奪われた日高見の地に帰還した少年・アビを通じて描かれる、蝦夷と大和の人々の姿とは……

 代々暮らしてきた日高見の地を奪われた末、父は殺され、母は流刑の途中に自分を産んで亡くなった少年アビ。親代わりの老人・オンガと共に流刑地を逃亡し、鮫狩りとして暮らしていた彼は、密かに思いを寄せていた奴婢の少女・宇伽が売られていったことを知ります。そして彼女を追って、アビはオンガと共に、密貿易商人の灘麿の船で、陸奥介・大伴真綱と共に日高見に向かうのでした。

 土地の豪族出身ながら大和でも勢力を振るう存在であり、アビ一族の仇である道嶋家。彼らが力を振るう日高見では、数年前に蝦夷が蜂起して以来、アテルイやモレの抵抗が続き、一触即発の状況が続いていました。
 そんな中、蝦夷出身の郡長官として人々の対立を収めるのに腐心してきた伊治城主の呰麻呂は、恋人のルシメが政略結婚で道嶋家の長男・大楯に嫁がされることになり、大きな衝撃を受けます。しかしルシメは大楯を嫌って婚礼前に出奔、それを恨みに思った大楯は、蝦夷の武力弾圧を強行に主張するようになります。そんな中、伊治城で働くことになったアビは、宇伽と再会するのでした。

 折しも、冷害と戦乱で浮浪民となって伊治城に流入した人々を受け入れる呰麻呂。しかし大楯の陰謀により、農民たちと浮浪民たちは対立、険悪な状況は深まっていきます。一方、陸奥守・紀広純は己の功績のため、伊治城以北に新たな築城を決定。しかしその動きの鈍さに不満を持った大楯は、ある覚悟を固めるのでした。
 そして日高見の動きを利用して紀家の勢力を削ごうとする中央の藤原家の思惑も絡んだ末、ついに決定的な出来事が起きることに……


 宝亀十一年(780年)、陸奥で伊治呰麻呂が起こした反乱である宝亀の乱。詳細は本作の展開に触れることになるので伏せますが、この反乱をきっかけに、後のアテルイたちと坂上田村麻呂の激突をはじめとする、蝦夷と大和の対立が激化していくことになります。
 本作は、この知名度はあまり高くないものの重要な戦いの秘話というべき物語ですが――先祖の地へのアビの帰還という始まりを考えれば、彼が乱の中で活躍する物語と想像する方も多いと思います。アビが、蝦夷を苦しめる大和の暴政に対して立ち上がる物語なのだろうと……

 しかし本作でアビの存在は、むしろ目撃者に近い立場であります。実はこの物語の中心となるのは呰麻呂――蝦夷と大和、貴族と平民、農民と浮浪民という相反する立場の人々に挟まれながらも、平和共存の道を求める男の姿を本作は描きます。
 しかしそんな呰麻呂が、何故乱の首謀者とされたのか? そこに至るまでの人々の思惑の複雑な交錯をこそ、本作は浮き彫りにするのです。

 そして同時に本作は、単純に蝦夷を善、大和を悪として描くものでもありません。
 確かにその中でも大楯は悪役と呼んでよい存在であります。しかし彼は同時に大和側の人々の中でもひどく浮いた存在――その極端な言動を白眼視され、嘲笑されている存在として描かれます。本作の大和側の人々の多くは、蝦夷を蔑視しつつも積極的に排除するわけでもなく、私腹を肥やし、あるいは事なかれで暮らす、そんな存在なのです。

 そしてその一方で、蝦夷も一枚岩ではありません。モレのように大和に戦いを挑む者、あるいは大和の人々の前で頭を低くしてやり過ごす者、そして呰麻呂のように共存を求める者――そんな人々が入り乱れる状況の中では、むしろ乱が起きることの方が不思議に思われます。
 しかしそれでも乱が起きてしまうのは何故か――それの原因である「政治的」動きを本作は丹念に描きます。ドラマチックさとは無縁の、卑小な人間の営みの中で、多くの人々の命に関わる出来事が起きる――そんなやりきれない現実を、本作は描くのです。
(その意味では、ドラマ的にはヒーローとなっておかしくない立ち位置にありながら、結局は状況に翻弄されるしかない大伴真綱の存在は、象徴的といえるかもしれません)


 もちろん本作は、そんな生々しい物語だけに終わるものではありません。そんなやりきれない現実の中でも「野心あらためず」――すなわち他人に屈することなく、己の求める道のために歩み続ける人間の逞しさと、その営みが未来に繋ぐものを、本作は同時に描くのです。
 そして本作においてその役割を担うのが、アビや宇伽、あるいは灘麿といった無名の人々であることを思えば、作者が何に希望を見出していたのか理解できるように思えます。

 それはまた、本作が児童文学の一般的イメージを超える内容でありつつも、それでも児童文学として描かれた意味であるとも感じられるのです。


『野心あらためず 日高見国伝』(後藤竜二 光文社文庫) Amazon

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2024.01.30

倉田三ノ路『アサシンクリード チャイナ』(漫画版)

 以前ご紹介した『アサシン クリード クロニクル チャイナ』の、『天穹は遥か』『薬屋のひとりごと』の倉田三ノ路による漫画化であります。ゲームの内容を踏まえつつ、ゲームになかった現代パートを加えることで、より「アサクリ」っぽさを感じさせる作品です。

 16世紀、明の嘉靖帝(世宗)の時代――テンプル騎士団と結んだ宦官集団・八虎によって中国のアサシン教団は壊滅。そのわずかな生き残りであるシャオ・ユンも、伝説のアサシン・エツィオから託された「箱」を奪われることとなります。
 マスターであるワン・ヤンミン(王陽明)も倒されたシャオ・ユンは、「箱」を取り戻し八虎を壊滅させるべく、孤独な復讐の道を行くことに……

 という内容であった『アサシンクリード クロニクル チャイナ』。本作はその漫画化であり、ゲーム内の流れにほぼ忠実に、シャオ・ユンの戦いを描いています。石窟寺院から始まり、マカオ、紫禁城を経て、長城での決戦まで――正直なところ、ゲームのダイジェスト的な印象は否めないのですが、作中のちょっとしたアクションや場面に、ゲームをプレイしているとニヤリとさせられる部分があるのは、お約束とはいえ嬉しいところではあります。

 この辺りは作者自身がシリーズのファンだという点が大きいと思いますが、冒頭に挙げたように中華(風)世界を舞台とした作品を描いてきた作者を起用したのは適材適所というほかありません。


 しかしこの漫画版の特長は、原作再現のみにあるのではありません。むしろその最大の特長は、原作ゲームにない、しかしアサシンクリードシリーズにはお馴染みの要素――現代編を追加していることにこそあります。

 現代編の主人公となるのは、ある事件がきっかけで学校を退学し、引きこもっている少女・黄里紗。自分の中の暴力衝動に悩む彼女は、世界的大企業アブスターゴ社が運営するクリニックで、DNAから遺伝的記憶(先祖の記憶)を探る装置・アニムスによる「治療」を受けることになります。
 そしてその中で里紗が見たものこそが、彼女の先祖であるシャオ・ユンの戦いだった――というのが本作の基本構造となります。

 実はテンプル騎士団の現代における隠れ蓑であるアブスターゴ社によってアニムスの被験者となったアサシンの子孫が、先祖の記憶を辿る――というのは、シリーズの定番展開。
 しかし実は原作はシリーズの番外編的性格のためか、この現代編が存在しなかったものを、本作においては新たに描いてみせたというのは、これは原作プレイ済の人間にとっても、大いに気になるところであります。

 正直なところ、ゲームをプレイしている時には別になくても(というかむしろない方が……)と思ってしまう現代編ですが、しかしこうして追加されると嬉しくなってしまうのがファン心理――というのはさておき、こういう形で漫画の独自性を出してくるのは大歓迎であります。

 さらにこの現代編、シリーズのアメコミ版(現代編についてはゲームよりも実質こちらがメインになっている部分もあるので恐ろしい)で活躍した日本のヤクザアサシン、キヨシ・タカクラが里紗を導く役どころで登場。
 また、里紗をアニムスにかけるアブスターゴの女性技術者・加賀美は、映画版で描かれた事件がきっかけで左遷された過去があったりと、ゲーム以外のメディアも複雑に絡んでいくシリーズらしい要素が満載されているのも楽しいところです。

 もちろん本作の内容が正史と断言されたわけではないのですが、上記のとおり漫画の設定が公式となっている部分も多く、もちろん本作もUBIの監修を受けていることを思えば、公式となる可能性も大きいと思われます。

 そしてそうしたマニア的な興味だけでなく、自分自身の存在に嫌悪感を抱いていた里紗が、ある意味自分のルーツであるシャオ・ユンの戦いを知ることによって自分自身を肯定し、新たな一歩を踏み出す――そしてそれはシャオ・ユン自身がアサシンとして復讐を超えた道を歩み出すのと重なる――のは、物語の結末として実に美しいと感じます。


 そしてもう一つ、本作オリジナルのシャオ・ユンの弟子・小虎の父が実は日本の三浦氏の出身で、北条早雲との戦(油壺の語源になったあの戦)に敗れて中国に渡ったという設定があり、そして小虎が日本でアサシン教団を作るという展開が本作の結末では語られるのですが――この辺り、戦国時代の日本を舞台とする, ゲームの次回作に関わってくるのかどうか、というのも楽しみにしているところであります。


『アサシンクリード チャイナ』(倉田三ノ路&ユービーアイソフト 小学館サンデーGXコミックス全4巻) Amazon


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2024.01.29

柿崎正澄『闘獣士ベスティアリウス』 剣闘士と獣たちがローマ帝国と戦った理由

『RAINBOW 二舎六房の七人』など、一般誌で活躍してきた柿崎正澄が、2011年より足掛け八年に渡り「週刊少年サンデー」等で連載してきた、古代ローマが舞台のバイオレンスファンタジーであります。己の自由と守るべき者のために戦う剣闘士たち、彼らとローマ帝国との戦いの行方は……

 暴君ドミティアヌス帝の下、亜人種や獣が住む土地にまで侵攻を続けていたローマ帝国。その結果国を追われた亜人種、罪人、そして身寄りを失った奴隷たちは、闘技場で生死を賭けた死闘を繰り広げていました。

 その中で一人異彩を放つ青年フィン――幼い頃に兵士だった父を喪い天涯孤独の身となった彼は、最後の翼竜族(ワイバーン)・デュランダルを師として腕を磨いていたのでした。
 そんな彼に目をつけ、勝利した者に自由を与えるという試合を組むドミティアヌス。そこで彼の前に現れたのはデュランダルだったのであります。

 フィンの父を殺したのは自分だと告げ、本気で襲いかかるデュランダル。はたして死闘の結末は……


 そんな第一章から始まる本作は、このフィンとデュランダルを中心としつつ、権力者の暴虐に自由と誇りを一度は奪われながらも、同じ立場の人々と、そして亜人種や獣たちと繋がり合い、立ち上がる人々の戦いを、一種の列伝形式で描きます。
 フィンに先立つこと十二年前、ミノタウロスの「兄」と共に闘技場で戦い抜き、自由を勝ち取った剣士・ゼノ。
 人間と亜人が共存する故郷を焼き払われた上に幼なじみのエレインを奪われ、フィンの指導の下に腕を磨き、親友二人と共にローマに乗り込んだ少年・アーサー。
 ローマの正義を信じて戦いながらも裏切られ、家族のために冷酷な処刑者となりながらも、三百年前に封印された伝説の巨人と共に立ち上がる元百人隊長・ルキウスディアス。

 いずれのエピソードも、目を覆わんばかりの暴力と、それをもたらす人間の悪意が紙面に溢れており、読み通すにはそれなりの体力が必要となりますが――それを超える主人公たちの戦う意志とそれがもたらす力、それを振り絞っての傷だらけの勝利の姿は、むしろ爽快さすら感じさせます。
(冷静に考えると、同じシチュエーションが繰り返されている気もしますが――ドミティアヌス、何回命を救われているのか)

 もっともこの辺りは、いわゆる「剣闘士もの」――自由を奪われ、戦闘奴隷にされた者が自らの力で甦り、復讐を果たす物語の定番といえるかもしれません。
 しかし本作の特長の一つは、現実に存在したローマ帝国を舞台としつつ、そこにワイバーンやミノタウロス、ゴーレムといったファンタジー世界の住人たちを登場させることで、物語にも、そしてバトルにも厚みを出してみせる点でしょう。

 もちろん彼らは被侵略民族のメタファーであろうとは思うものの、あり得べからざる存在たちをそこに設定することで、滅び行く者たちの姿を、より印象的にしているとも言えるでしょう。
 そして彼らが歴史上に残らなかったその理由を説明する終盤の展開は、一種の伝奇ものとしての興趣を感じさせるのです。
(というより、伝奇ものとしていえば、ゴーレムの「正体」が明かされた時には猛烈に興奮させられましたが……)


 そしてそれ以上に本作の特長となっているのは、主人公たちの戦いが、決して復讐のため(だけ)のものではないことでしょう。
 復讐のためであれば、自分を直接的にその境遇に落とした者を討てば終わります。あるいは、それを命じさせたドミティアヌスを討てば全てが終わるかもしれません。

 しかし本作の主人公たちはそれをしようとはしません。たとえ戦いで相手を倒したとしても、それは更なる戦いの幕開けであり、そしてその先に待つのは、より数では劣る自分たちの敗北以外ないなのですから。
 それでは、彼らには最後の勝利はないのか。ただ圧倒的な力にすり潰されるのを待つだけなのか。そんな中で彼らは何故戦うのか――全ての物語が結びついた末に、デュランダルの故郷であるアルビオン(ブリタニア)で繰り広げられる最後の戦いで示されるその答えは、見事というほかありません。

 歴史の陰に埋もれながらも、決して消されることのなかった者たちの物語――それが本作であります。


『闘獣士ベスティアリウス』(柿崎正澄 小学館少年サンデーコミックススペシャル全7巻) Amazon

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2024.01.26

コナン・ドイル『霧の国』 啓蒙かプロパガンダか チャレンジャー教授、心霊の世界に挑む

 コナン・ドイル晩年の作品にしてチャレンジャー教授ものの第三作、そして大いなる異色作(というか問題作)であります。今回チャレンジャー教授とマローンたちが挑む驚異は心霊の世界――はたして心霊は、死後の世界は存在するのか? 激烈に反発するチャレンジャー教授ですが……

 新聞の取材で、近頃話題の心霊教会を取材することになったエドワード・マローンと、チャレンジャー教授の娘・イーニッド。初めは心霊の存在を胡散臭く思っていたマローンですが、今は亡き盟友・サマリー教授の霊が現れた事に衝撃を受けます。
 その後も交霊会への出席や霊媒たちとの交流、ロクストン卿も加わっての幽霊屋敷での冒険を経て、マローンは心霊の世界は存在すると確信するようになるのでした。

 しかしチャレンジャー教授は、心霊の存在を真っ向から否定し、心霊主義を激烈に攻撃するのですが……


 『失われた世界』で登場し、それ以降も『毒ガス帯』(本作の後の)『地球の叫び』『物質分解器』でも活躍するチャレンジャー教授。明晰な頭脳と類い希な行動力を持ちつつつも、そのエキセントリックかつ攻撃的な性格から、周囲との間で軋轢を引き起こさずにはいられない名物男であります。

 本作はそんなチャレンジャー教授ものではありますが、物語の実質的な主人公は『失われた世界』以来、チャレンジャー教授の冒険に同行する新聞記者マローンとなります。
 初登場時は血気盛んな青年だった彼も、ある程度の年月を経て落ち着いてきた姿が描かれ、あろうことか(?)チャレンジャー教授の愛娘イーニッドとの間にロマンスを育んでいるのですが――本作はそんな彼が出会う様々な心霊現象と、その存在を信じるに至った彼がチャレンジャー教授を「改宗」させようと奮闘する姿が描かれます。

 という粗筋で何となく想像がつくのではないかと思いまずが、本作は良くいえば心霊主義の啓蒙小説、悪くいえばプロパガンダにほかなりません。当時(でも)色眼鏡で見られていた心霊主義の科学性とその主張の正当性、素晴らしさを謳い上げる――その目的のために描かれているのですから。
 特にその晩年、ドイルが心霊主義に深く傾倒したことはつとに知られていますが、その一つの表れが、本作なのであります。

 正直なところ、当時の読者がどのような反応を見せたかは寡聞にしてわからないのですが、しかし戸惑う読者が多かったのではないか、というのは容易に想像できます。
 個人的にも、「人々を善導する、そして語る事が絶対的に正しい心霊」という存在に大きな疑わしさを感じてしまうだけに、本作を読み通すのはなかなかに骨であったというのが正直なところであります。

 ところがその一方で、本作は二つの点でそれなりに面白い(あるいは興味深い)のもまた事実です。その一つは、小説としての面白さ――正直なところ、心霊主義者たちの主張は(訳文が古いこともあって)辛いのですが、それ以外の部分は意外に面白いのです。

 本作はある種連作短編的に様々なエピソードが描かれるのですが、マローンとロクストン卿の幽霊屋敷探検は、さすがにホラー小説においても数々の佳品を著したドイルならではという迫力であります。(また、交霊会の最中に、得体の知れない類人猿めいた存在が現れる場面の理不尽さもいい)
 また、本作に登場する霊媒の中でも中心的な人物である善良なリンデン氏が警察のおとり捜査にひっかかり告訴されるくだり、またボクサー崩れで霊媒詐欺をもくろむリンデン氏の弟のどうしようもない悪党ぶりなど、なかなか読ませる内容で、この辺りはエンターテイメント作家・ドイルの地力を感じます。

 そしてもう一点は、当時の心霊主義界隈のルポルタージュとしての側面であります。もちろん本作で描かれている個々の内容はフィクションではありますが、本作の目指すところを思えば、それはかなりのところ、当時の「現実」を示すものと思うべきでしょう。
 そしてそれは心霊主義のポジティブな面だけでなく、上で触れた詐欺のような悪用する者やその危険性、また心霊主義に対する世間の目をも克明に描いているのです。
(惜しむらくは、邦訳にその辺りの注釈が乏しく、どこまでが現実でどこまでがフィクションかわからない点ですが……)


 思えば恐竜生存説、エーテル宇宙観、地球生命体説と、異説と呼ばれた科学にその名の通り挑戦してきたチャレンジャー教授。その挑戦者ぶりは、本作も健在であったというべきでしょうか。(結局、いずれも異説は異説だったわけですが……)
 決して万民にはお勧めできませんし、現在ある意味幻の作品となっているのも納得ではありますが、興味深い作品ではあります。


『霧の国』(コナン・ドイル 創元SF文庫) Amazon

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2024.01.10

木原敏江『完全版 白妖の娘』(その二) あくまでも己の足で立ってみせた二人の物語として

 木原敏江の現時点の最新作である、『白妖の娘』の完全版の紹介の後編であります。旧版に加えられた286ページもの描きおろし。それはどの部分かといえば……

 ここで我ながら酔狂にも各話のページ数を比較してみたのですが、描き下ろしの大半となる260ページ弱は、完全版の下巻に集中――それも旧版の最終巻に収録された5話分のページ数は、第16話が6割増し、それ以降の第17話から第19話にかけては2倍以上、最終話に至っては約3.3倍なのですから、その凄まじさを思うべし。
 巻末のあとがきによれば、そもそもが本作は連載の時点で全5巻を想定していたというのですから、まさにこれこそが本来の形、完全版なのでしょう。

 そしてその内容はといえば、これは圧倒的に登場人物たち――それも直と十鴇だけでなく、玄雪や織草、はては白妖といったメインどころほぼ全員の、過去にまつわる部分が中心となっています。
 もちろん、終盤のクライマックスというべき直の冥界下りの部分も大きく描写が加えられていますが、しかし特に目に付くのは、この過去描写の部分であることは間違いありません。
(これは後半ではありませんが、十鴇に復讐されるあの××貴族にも描写の追加があったのにも驚き――もっともこれは十鴇の姉についてのものと思うべきでしょうか)

 正直なところ、旧版読者としては、物語の筋は変わらずに登場人物の過去話が一気に増えたのに少々驚かされるのですが、しかし内容としては、そのいずれもが、「現在」を語るのに必要な――つまりは何故その人物が現在そのように振る舞うかを語るためのものであると理解できます。
 何よりも、過去の巡る因果の水車に翻弄される人々を、そしてそれでも現在を生き、そしてその先の未来に向かおうとする者を描く物語として、これが必要な部分であることは間違いないでしょう。
(そして現在――これも今回描きおろされた、クライマックスでの直の言葉を聞いた十鴇の表情だけでも、この描きおろしの価値はあったと感じます)


 そしてまた、個人的に大きく唸らされたのは、ラストシーンであります。本作が、岡本綺堂の『玉藻の前』を踏まえたものであることは既に述べましたが、この場面には、『玉藻の前』の結末を意識した描写があると感じられます。
 もちろんそれは私個人の印象かもしれません。しかしあるいはこのまま、旧版と異なる結末を迎えるのでは、と一瞬危ぶんだところから、鮮やかに爽やかに立ち上がってみせるこの描写が素晴らしいことは間違いないでしょう。

 そしてそれは単に大妖に利用された犠牲者ではなく、あくまでも己の意思で以て大妖と行動を共にし、その運命を生き抜いた十鴇と、そんな彼女のために己の全てを擲とうとしながらも、なおそれだけが彼女を愛する形だけではないと理解した直と――あくまでも己の足で立ってみせる二人の物語に相応しい結末であり、そしてそれこそが、玉藻前の伝説を現代に描いてみせた一つの意味であると感じるのです。
 この完全版によって、本作は見事な本歌取りを成し遂げてみせた――そう感じるのです。


 分厚い上下巻セットで五千円超えというスタイルにたじろぐ方も少なくはないと思います。私もそうでした。
 しかし旧版をご覧になり、本作に惹かれた方であれば――あるいは未読でも作者のファン、玉藻前ファンであれば、ぜひ手にとって欲しい、それだけの価値はある作品であります。
(お求めやすい六分冊の電子書籍版も出ていますので……)


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2024.01.09

木原敏江『完全版 白妖の娘』(その一) 驚きの描きおろし286ページ!?

 木原敏江が2018年から2019年にかけて連載した『白妖の娘』の完全版が刊行されました。平安時代を舞台に、一人の少女の復讐譚と九尾の狐伝説が交錯する名作ですが、今回刊行されたものは、連載版になんと286ページ描き下ろしという、まさに「完全版」の名に相応しいものとなっています。

 都の貴族に騙されて死んだ姉の復讐に燃える少女・十鴇と、彼女のために先祖が封印した禁忌の森の白妖の存在を教えた青年・葛城直。妖魔の封印を解いた末、十鴇は白妖の器としてその身を差し出して都に向かい、責任を感じて厳しい修行を積んだ直は、さらに腕を磨くため陰陽師・安倍泰親に弟子入りすることになります。

 直が京で出会った変わり者の青年貴族・藤原玄雪を後見人に、泰親の下で修行に励む一方で、玄雪の親友だった青年・五葉織草を仲間に引き入れ、復讐を果たした十鴇。
 しかし身分だけで他人を判断する貴族たちをひれ伏させるという十鴇の想いと、この国を混沌と恐怖で包もうという白妖の狙いが合わさり、十鴇は玉藻の名で法皇の寵姫にまで上り詰めることになります。そして雨乞い勝負で泰親を破った十鴇は、法皇を操り、女帝の座を狙うのですが……

 という物語自体は、この完全版においても、連載版(以下「旧版」)と全く変わらず、また物語における人々の去就も変わるものではありません。

 もとより本作は岡本綺堂の『玉藻の前』をベースにしつつも、十鴇と直をはじめとする登場人物たちを本作ならではの造形とすることにより、大きく踏み出してみせた作品であります。
 そしてそんな登場人物たちによる物語は極めてエモーショナルであって、そしてその先の結末は何度読んでも涙を堪えきれない、名作の名にふさわしい作品であります。


 しかし、本書が刊行されると聞いた時に思ったのは、「完全版」が刊行される理由もさることながら、どの辺りが完全版となるのか、ということでした。
 まことに失礼ながらこれまで完全版と銘打たれて刊行されたものを思えば、「雑誌連載時のカラーページを収録+数ページ描きおろし」という印象があります。しかも本作は四年前の作品。連載終了からわずかな期間の後に完全版が刊行されるとは――と、疑問に思っていたところに飛び込んできたのは、帯の「新規描きおろし計286p収録!!」の記載であります。

 これは思わず目を疑うほどの分量であります。何しろ、旧版の単行本が大体185ページ前後であったことを考えれば、つまりこの完全版は、単行本一冊以上の追加があるということなのですから!
 そして実際に読んでみれば、なるほどこの描きおろしの分量はもちろん偽りなしの大増版。描きおろしに伴い、それ以外の部分も相当手を加えていることにも驚かされます。

 しかしどの部分がこれほどまでに追加されているのでしょうか。それは――長くなりますので、次回に続きます。


『完全版 白妖の娘』上巻+下巻(木原敏江 集英社愛蔵版コミックス) Amazon


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2024.01.06

『水滸伝 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』 ビギナーからマニアまで満足の一冊

 角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」で中国の古典小説の刊行がスタートしました。その第一弾はなんと『水滸伝』! しかし文庫一冊では無理があるのではと心配になりますが――実際に手に取ってみれば、ある意味入門レベルを超える見事な一冊となっていました。

 「いちばんやさしい「古典」の文庫」と銘打たれて、川ソフィア文庫から刊行されている古典入門文庫レーベル「ビギナーズ・クラシックス」。これまでもこのレーベルで中国の古典は刊行されていましたが、それは思想書や歴史書、あるいは詩が題材となったもので、小説はこれまで刊行されていませんでした。
 その中国の古典小説の記念すべき第一弾が水滸伝というわけですが――いうまでもなく水滸伝は基本となるバージョンでも全百回と、かなりの分量。それを一冊でというのは、結構無理があるのではないかと、まず心配なったというのが正直なところでした。

 その意味では、確かに本書のあらすじ部分はダイジェストにならざるを得ない(それでも、重要な部分は訳文を載せているのはもちろんですが)ところではあります。しかし本書がそれだけで終わっていないのは、解説部分の充実ぶりによるところが大であることは間違いありません。

 そこで本書の編著者の名を見れば、わかる方には納得していただけるのではないかと思います。その名は小松謙――中国の古典演劇や四大奇書に関する著作を発表している中国文学者であります。
 しかし水滸伝ファン的にはなんといっても「図解雑学 水滸伝」――いかにも概説本らしいタイトルとは裏腹に、当時の水滸伝研究の最新情報を豊富に盛り込んだ内容でファンを驚かせた一冊の著者の一人という時点で、大きな安心感があります。

 何よりも著者は現在、作品そのものはもちろんのこと、それに付された李卓吾や金聖嘆の注釈までも全訳した、「詳注全訳水滸伝」全13巻の刊行という壮挙に挑んでいるまっただ中。
 いわば水滸伝を知り尽くし、ビギナーからマニア、いや研究者まで満足させ得る人物であり、本書の著者として、まずこれ以上はないと感じられます。


 そしてそんな著者だけに、本書は水滸伝の成立過程や、当時の文化風俗の紹介、そして「江湖」という世界観の解説に至るまで、わかりやすく、そして大いに充実したものとなっています。

 元々が大衆芸能や民間伝承から始まり、そしてそれが様々な知識人の手を経て成立した水滸伝。その想像以上に複雑で、そして魅力的な成立史だけで、一つの伝奇物語のような面白さがありますが、そこに織り込まれたある種の視点・思想の存在には、そうであったか!? と驚かされるばかりであります。

 そしてまた、そういうものだと普通に読み流していたような登場人物の作中の行動(たとえば酒楼で「牛肉はありません」と言われた李逵が何故激怒したか、など)を当時の社会事情を踏まえて解説したり、あるいは文学的に見た人物描写の妙など、それなり以上に水滸伝には親しんでいるつもりの人間でも楽しめる内容が、本作には満ちています。

 何よりも感心させられたのは「宋江は何故梁山泊のリーダーなのか」という、それこそビギナーからマニアまで必ず疑問に思う、ある意味水滸伝最大の謎についてであります。
 それに対して本書において、宋江自身ではなく、李逵や武松といった彼と親しく接してきた人物の内面の視点から記されるその答えは、明確であるだけでなく感動的ですらある――なるほど、宋江という人物がある意味水滸伝という極めて多様性に満ちた物語の象徴であると、大いに納得した次第です。

 そして、こうした精緻な分析の一方で、わからない部分ははっきりとわからない、と記すのも好感が持てますし――その一方で「意地悪な金聖嘆」という表現や、七十一回以降の戦争パートをつまらないとはっきり記したり、水滸伝ファン的には微笑ましくなるような、ある種の正直さがあるのもまた楽しいのです。


 このように、ビギナーはもちろんのこと、マニアであっても大いに楽しめる期待以上の内容の本書。
 巻末には、さらに水滸伝に興味を持った際に読むべき原典のバージョン等にも触れられており(そこでまず挙げられている書籍についても大いに納得)、知られているようで知られていない物語の全容に初めて触れるのに、そして水滸伝という物語を見つめ直すのに、優れた一冊というべきでしょう。


『水滸伝 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』(小松謙編 角川ソフィア文庫) Amazon

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2023.12.27

コナン・ドイル『勇将ジェラールの回想』 ナポレオン麾下の快男児、戦場往来す

 ホームズもので後世に名を残したコナン・ドイルは、しかし歴史小説家を志向していたことは、ファンには良く知られています。本作はそのドイルの歴史小説の代表作、ナポレオン麾下で活躍した豪傑エティエンヌ・ジェラールの痛快でユーモラスな回顧録であります。

 ナポレオン・ボナパルトが皇帝として欧州に覇を唱えていた頃、その麾下の軽騎兵第十旅団の名物男として知られたエティエンヌ・ジェラール。
 ナポレオンには忠誠無比、ナポレオン軍きっての剣豪として知られ、情誼に厚く女性には騎士道精神で接する――しかし一本気で失敗も多い、八方破れの快男児であります。

 本作はナポレオンの快進撃から数十年後、今は年老いて隠居状態のジェラールが語る、戦場往来の回顧譚という趣向の、全八話の連作集です。
(横溝正史の『矢柄頓兵衛戦場噺』に近い趣向――といえば、歴史時代小説ファンにもわかるでしょうか)

 連隊本部に出頭する途中のジェラールが、ある男爵を探す青年将校と出会い、助太刀として男爵の城に乗り込む「准将が≪陰鬱な城≫へ乗りこんだ顛末」
 皇帝ナポレオン直々に呼び出され、謎めいた密命を受けたジェラールが、夜の森で謎の刺客たちと斬り結ぶ「准将がアジャクショの殺し屋組員を斬った顛末」
 負傷から原隊復帰する途中、ゲリラの罠にかかって絶体絶命のジェラールの前に、思わぬ救いの手が現れる「准将が王様をつかんだ顛末」
 イギリス軍の捕虜となり牢獄に囚われたジェラールが、不屈の闘志で脱走はしたものの、紆余曲折、皮肉な顛末を辿る「王様が准将を捕えた顛末」
 脱走兵を集めて一大勢力を築いた「ミルフラール元帥」なる人物を討伐に向かったジェラールが、旧友と共に挑むも思わぬ苦戦を強いられる「准将がミルフラール元帥に戦闘をしかけた顛末」
 ロシアでの大敗後、周囲の雲行きが変わる中で、ドイツを味方に留めるための親書を手にしたジェラールの苦闘「准将が王国を賭けてゲームをした顛末」
 ナポレオン直々に親書を託され、敵陣の真っ只中を突っ切ってパリへ向かうよう命じられたジェラールが、大奮戦するもその先に待っていたのは――という「准将が勲章をもらった顛末」
 ナポレオン軍の劣勢が続く中、二人の仲間とともに、ナポレオンから極秘の文書を託されたジェラールが、文書を狙う敵と激突する「准将が悪魔に誘惑された顛末」


 時代背景的には1807年から1814年頃まで、まさにナポレオンの絶頂期から没落までの期間に当たりますが、物語はそうした情勢を背景にしつつも、そのまっただ中で活躍した、しかし歴史に残らないジェラールの姿を活き活きと描きます。

 どのエピソードも短編ながら、ジェラールだけではない個性的なキャラクター(特に中盤に登場するイギリス軍のラッセル准男が実に愉快)を配置し、起伏と意外性に富んだ展開で、大いに物語は盛り上がります。
 特に意外性という点については、多くのエピソードでドンデン返しが用意されており、ナポレオンが登場する際には、毎回この人物の端倪すべからざる姿が、ジェラールの目を通じて描かれることになります。

 しかしそんな物語の中で、ジェラール自身は決してスマートな英雄ではなく、いたって単純な荒武者として描かれているのが、本作のユニークな点でしょう。
 実を言えば、第三者の目から見ると彼は明らかにナポレオンや高官たちに利用されているのですが――しかしそんな周囲の思惑もなんのその、思わぬ軍功をもたらす姿には、彼自身の極めて陽性のキャラクターも相まって、何ともいえぬおかしみと痛快さがあります。
 イギリスの読者にとっては(百年近く前の出来事とはいえ)敵であったフランス軍人の活躍を描く物語が喝采を以て迎えられたのは、実にこのような点に拠るのでしょう。

 しかしその一方で、一瞬前まで生きていた戦友が簡単に命を落としていく姿や、兵隊が華々しく戦う一方で蹂躙される土地の人々といった、戦争の重みを物語の中できっちり描いてみせるのは、やはりドイルの作家としての巧みさというべきでしょう。


 さて、本作は先に述べた通り全八話で完結しますが、続編として『勇将ジェラールの冒険』が刊行されています(『回想』『冒険』の順がホームズと逆なのがちょっと混乱しますが……)。
 准将のさらなる冒険についても、いずれまたご紹介したいと思います。


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