2024.12.31

2024年に語り残した歴史時代小説(その二)

 今年まだ紹介できていなかった作品の概要紹介、後編です。

『了巷説百物語』(京極夏彦 KADOKAWA)
 ついに登場した『巷説百物語』シリーズ完結編は、長い間待たされた甲斐のある超大作。千代田のお城に巣食っているでけェ鼠との対決は思わぬ方向に発展し、壮絶な決着を迎えることになります。

 そんな本作の魅力は、何と言ってもオールスターキャストでしょう。山猫廻しのお銀や事触れの治平ら、お馴染みの化け物遣いの面々に加えて、西のチームや算盤の徳次郎が集結――その一方で化け物遣いと対峙する存在として、嘘を見破る洞観屋の藤兵衛、化け物を祓う中禅寺洲斎が登場、さらに謎の悪人集団・七福連も登場し、幾重にも勢力が入り乱れた戦いが繰り広げられます。

 とにかく、過去の登場人物や事件まで全てを拾い上げ、丹念に織り上げた物語は大団円にふさわしい本作ですが、その一方で過去の作品の内容と密接に関わっている部分もあり、単独の作品として読む場合にはちょっと評価が難しいのは否めないところでもあります。


『円かなる大地』(武川佑 講談社)
 アイヌを題材とした作品といえば、その大半が明治時代以降を舞台としていますが、本作は戦国時代というかなり珍しい時期を題材に、その舞台だからこその物語を描いてみせた雄編です。

 些細なきっかけから、蝦夷の戦国大名・蠣崎家から激しい攻撃を受けることとなったシリウチコタンのアイヌたち。悪党と呼ばれるアイヌ・シラウキによって人質にされた蠣崎家の姫・稲は、女性たちをはじめアイヌに対してあまりにも無惨な所業に出る和人を止めるため、ある手段に出ることを決意します。
 しかし、籠城を続けるシリウチコタンが保つのは十五日程度、その間に目的を果たすべく、稲姫とシラウキを中心に、国や人種の境を越えた人々が集い、旅に出ることに……

 戦国時代の一つの史実を題材に、アイヌと和人の間で悲惨な戦いを避けるべく奔走した人々を描く本作。作中でアイヌが置かれた状況のあまりの過酷さに重い気持ちになりつつ、主人公たちが目的を達成できるよう、これほど感情移入して応援した作品はかつてなかったと思います。

 しかし本作は、単純にアイヌと和人を善悪に分けるのではなく、そのそれぞれの心に潜むものを丹念に描いていきます(悪役と思われた人物の思わぬ言葉にハッとさせられることも……)。
 作者はこれまで、戦国ものを描きつつも、武器を取って戦う者たちの視点からではない、また別の立場から戦う者の視点から物語を描いてきました。本作はその一つの到達点と感じます。


『憧れ写楽』(谷津矢車 文藝春秋)
 ここからは最近の作品。来年の大河ドラマの題材が蔦屋重三郎ということで、蔦屋だけでなく彼がプロデュースした写楽を題材とする作品も様々に発表されています。

 その一つである本作は、写楽の正体は斎藤十郎兵衛だけではない、という当人の言葉を元に、老舗版元の若き主人である鶴屋喜右衛門が喜多川歌麿と共にその正体を追う時代ミステリですが――しかし謎を追う過程で喜右衛門がぶつかるのはどこか我々にも見覚えのある「壁」や「天井」です。
 それだけに重苦しい展開が続きますが、だからこそ、その先に描かれる写楽の存在に託されたものが胸に響きます。


『イクサガミ 人』(今村翔吾 講談社文庫)
 Netflixで岡田准一主演で映像化という、仰天の展開が予定されている『イクサガミ』。当初予定の三作では終わりませんでしたが、しかし三作目の本作を読めば、いいからまだまだやってくれ! と言いたくもなります。
 いよいよ「蠱毒」も終盤戦、東京に入れるのは十名までというルールの下、残り僅かな札を求めて強豪たちが集結――前半の島田宿では、まだこれほどの使い手がいたのか! と驚かされるような面子が集結し、激闘を展開します。
 その一方で、主催者側の隠された意図もちらつきはじめ、いよいよ不穏の度を増す戦いは、東京を目前とした横浜でクライマックスを迎えます。文字通り疾走感溢れる決戦の先に何が待つのか――来年刊行される最終巻には期待しかありません。

 最後にもう一作品、『篠笛五人娘 十手笛おみく捕物帳 三』(田中啓文 集英社文庫)については、近々にご紹介の予定ですので、ここでは名前のみ挙げておきます。

それでは良いお年を!

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2024.12.28

鬼と人の間に立つ者・茨木童子の悲恋譚 木原敏江『大江山花伝』

 木原敏江の代表作の一つである歴史ファンタジー連作『夢の碑』の番外編と(後に)銘打たれた「大江山花伝」は、タイトルの通り大江山の酒呑童子伝説を基にした悲恋譚。ここでは、その前日譚に当たる「鬼の泉」と合わせて紹介いたします。

 都を騒がす鬼・酒呑童子を退治するため、単身、山伏に扮して大江山に潜入した渡辺綱。しかし彼は、何故かついてきた下働きの娘・藤の葉ともども、鬼に捕らわれてしまうのでした。
 そんな二人の前に現れたのは、綱にかつて片腕を斬られたことのある鬼にして、酒呑童子の息子・茨木童子。綱を牢に入れ、藤の葉を己のものとしようとした茨木童子ですが、片面に火傷を負った彼女の顔を見て何故か激しい驚きを見せるのでした。

 捕らわれの中、綱は、鬼たちがかつて異国からこの国に渡ってきた者たちであり、人間によって一族を虐殺されたために復讐を誓っていること――そして茨木童子が、かつて人間の母によって鬼の隠れ里から逃れ、人として育てられたものの、酒呑童子に連れ戻されて鬼と化したことを知ります。

 やがて仲間たちによって救い出され、源頼光の大江山攻めに加わった綱。しかし鬼たち、特に茨木童子に同情する彼は、何とか茨木童子を救おうとします。そして綱は、事が終わった暁には、藤の葉を妻に迎えようと考えるのですが――実は藤の葉と茨木童子の間には深いつながりが……


 御伽草子や能・歌舞伎などの題材となっている渡辺綱と茨木童子の因縁譚。女性に化けて襲いかかってきた茨木童子の片腕を綱が落とし、厳重に保管していたものの、乳母に化けて現れた茨木童子に腕を取り返される――本作は、有名なこのエピソードをプロローグとして描かれます。
 しかし本作は(結末は大江山の酒呑童子伝説を踏まえながらも)、綱よりも茨木童子の方に重点を起きつつ、伝説とは全く異なる物語を展開していくことになります。

 今は鬼の一味として、文字通り悪鬼の所業を働きながらも、十五歳になるまでは人間として育った茨木童子。その時の幼い恋が長じて後思わぬ形で甦り、悲劇へと繋がっていく――というのは作者の得意とする展開ですが、本作は人間と対立する鬼である茨木童子を主役とし、人間と鬼の間に理解者となる綱を立たせることで、より深い物語性を醸し出しています。
 はたして悪いのは鬼だけなのか。鬼と人間の間に和解の道はないのか――何ともやりきれない物語ながら、しかしだからこそ高い叙情性と儚い美しさが漂うのはやはり、作者の筆の力と感じます。


 そして前日譚である「鬼の泉」は、父の下に連れ戻された茨木童子が、鬼となることを拒否して大江山を出奔した際の物語です。

 酷薄な荘園領主とその弟に捕らわれ、下人として扱われながらも、そこで同じ下人の少年・小朝丸と、貴族に売る遊女とするために育てられている娘・萱乃と出会った茨木童子。三人で暮らす中、人のぬくもりに触れ、小朝丸と萱乃と共に生きていこうとする茨木童子ですが、盗賊となっていた萱乃の恋人が領主に捕らわれたことで、運命の歯車が狂っていくことに――という物語です。

 「大江山花伝」に比べれば、ほとんど人間とも言える心を持っていた茨木童子が、何故変貌してしまったのか――終盤に描かれる彼の心の動きは、理不尽でありながらも、しかしそれだけに不思議なリアリティを感じさせます。
 こちらもさらにやり切れない物語ではありますが、しかしそれだけに終わらない余韻を残す点では、「大江山花伝」と同様といえます。


 なお、本作で描かれる鬼の出自――北欧から日本にやって来た民の末裔――は、「夢の碑」シリーズと共通するものですが、発表時期はこちらが先立っているためか(「大枝山花伝」は週刊少女コミック昭和53年第27号、「鬼の泉」はララ昭和57年1月号、一方「夢の碑」シリーズ第一弾の「桜の森の桜の闇」はプチフラワー昭和59年5月号)シリーズには直接含まれないながらも、単行本によっては番外編と冠されているところです。

 また、フラワーコミックスα版では、この二作のほか、やはり歴史ファンタジーの「花伝ツァ」と「夢幻花伝」が収録されていますが、こちらについてはまた機会を改めて紹介したいと思います。

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2024.12.19

「コミック乱ツインズ」 2025年1月号(その二)

 号数の上ではもう1月、「コミック乱ツインズ」1月号の紹介の後半です。

『老媼茶話裏語』(小林裕和)
 『戦国八咫烏』(懐かしい)による本作は、タイトルのとおり「老媼茶話」を題材とした怪異ものです。「老媼茶話」は18世紀中期に会津の武士が著したもので、タイトルのとおり村の老媼が茶飲み話で語った物語を書き留めた、というスタイルの奇談集です。
 本作はその巻の五「猪鼻山天狗」――後に月岡芳年が浮世絵の題材ともしているエピソードを題材としています。

 猪鼻山に住み着き、空海に封じられた大頭魔王なる妖が周囲の人々を悩ましていると知った武将・蒲生貞秀。貞秀は配下の中でも武勇の誉れ高い土岐元貞に、妖を退治するよう命じます。勇躍山を登り、魔王堂の前についた元貞に襲いかかったのは、巨大な動く仁王像――しかし元貞は全く恐れる風もなく仁王像に斬りつけた上、文字通り叩きのめします。さらに元貞の前には阿弥陀如来が現れるものの、元貞は全く動じず一撃を食らわせるのでした。
 そして山の妖を倒したと貞秀の前に帰還した元貞。しかしその時……

 と、原典の内容を踏まえた物語を展開させつつ、本作はそこで語られなかった事実を描きます。誰もが称賛する配下の猛将・元貞に対して、貞秀が密かに抱いていた心の陰の部分を――と思いきや、それだけでなくもう一つのどんでん返し、原典に描かれた物語のさらに先が語られるという、なかなか凝った構成の作品となっているのです。

 このように、江戸奇談・怪談を題材とした作品でもあまり用いられたことのない題材、そして二度に渡るどんでん返しと、ユニークな作品であることは間違いないのですが――しかしその一方で、クライマックスに登場するのがあまりにも漫画チックな存在で、物語の雰囲気を一気に崩した感があるのが、なんとも残念なところです。
(もう一つ、原典の非常に伝奇的なネタがばっさりオミットされてしまうのも、個人的に残念なところではありますが)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 城内に侵入し、地下の娼館街に隠れたオッド姫を追ったモンゴル兵たちも全滅し、ひとまず危機から逃れたビジャ。さらにビジャを包囲するラジンの元に、モンゴルのハーン・モンケからの使者が訪れ、事態は思わぬ方向に展開していきます。

 かつて自分と争ったモンケの娘・クトゥルンを惨殺したラジン。殺らなければ殺られる状況下ではあったとはいえ、いかに実力主義のモンゴルであっても、あれはさすがにやりすぎだったようです。
 かくて、ビジャを落とせば兵の命は助けるという条件でモンケの召還(=処刑)を受け入れることになったラジンですが――しかし彼が黙って死を受け入れるはずがありません。副官の「名無し」に謎の密命を授け(何のことだがわからんと真顔で焦る名無しに、すかさずフォローを入れるのがおかしい)、自分はむしろ意気揚々と去っていきます。

 なにはともあれ、ビジャにとっては最大の強敵が去ったわけですが、しかしモンゴルの包囲は変わらず、そして城内にもまだ侵入した兵が残っている状態。それでもビジャが負けなかったことは間違いありませんが――まだまだ大変な事態は続きそうです。


『江戸の不倫は死の香り』(山口譲司)
 次号では表紙&巻頭カラーと、何気に本誌の連載陣でも一定の位置を占めている本作。今回の舞台となる土屋相模守の下屋敷では、数年前に病で視力を失い隠居した先代・彦直が暮らしていたのですが――その彦直の世話のため、下女のりんがやってきたことから悲劇が始まります。
 婿養子である彦直に対して愛が薄く、ほとんど下屋敷にやって来ることもない正室。そんな中で、心優しいりんに彦直は心惹かれ、やがて二人は愛し合うようになったのです。しかしそれを知った正室は……

 いや、確かに正室はいるものの実質的には純愛に近く、これはセーフでは? と思わされる今回ですが(いつもの話のように、正室を除こうとしたわけでもなく……)しかし待ち受けているのは地獄のような展開。りんがいつもつけていた糸瓜水が仇となった上に、終盤でのある人物の全く容赦のない言葉には愕然とさせられます。
 ラストシーンこそ何となく美しく見えますが、いつも以上に胸糞の悪い結末です。
(こういう時こそ損料屋を呼ぶべきでは!? などと混乱してしまうほどに)


 次号は『雑兵物語 明日はどっちへ』(やまさき拓味)が最終回、特別読切で『すみ・たか姉妹仇討ち』(盛田賢司)と『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)が登場の予定です。


「コミック乱ツインズ」2025年1月号(リイド社) Amazon

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2024.12.18

「コミック乱ツインズ」 2025年1月号(その一)

 号数の上では早くも2025年に入った今月の「コミック乱Twins」1月号、巻頭カラー&表紙は久々登場の『そば屋幻庵』です
。今回ほとんどレギュラー陣ですが、特別読切として『老媼茶話裏語』(小林裕和)が掲載されています。今回も、印象に残った作品を一つずつ紹介しましょう。

『そば屋幻庵』(かどたひろし&梶研吾)
 冒頭から非常に旨そうな力蕎麦(作中で言われている通り、柚子が実に良いかんじです)が登場する今回ですが、この力蕎麦、近々行われる力石大会の応援を込めたもの。しかしこれを食べた石工職人の岩蔵は、かねてから娘のお照と交際している天文学者の鈴平が気に入らず、大会で十位以内に入らないと交際は認めない、しかも自分のところの若い職人・剛太が一位になったら、そちらにお照をやる、などと言い出して……

 と、とんだ横暴親父もあったものですが、まあ職人としては、娘は手に職を持った男に嫁がせたいというのもわからないでもありません。しかし鈴平も、剛太も実に好青年で、一体この勝負の行方が気になるのですが――これが実にあっけらかんと意表を突いたオチがつくのが楽しい。悪人もなく、誰かが割りを食うわけでもない、本作らしい気持ちの良い結末です。(ただ、そばが冒頭のみだったのは残念)


『前巷説百物語』(日高建男&京極夏彦)
 「周防大蟆」編もこの第五回で最終回、前回は立合いの同心たちの口から、仇討ちの場に現れた大ガマの怪と仇討ちの結末が語られましたが、実は大ガマの存在はあくまでも目眩まし、真の仕掛けは――というわけで、又市と山崎の会話で、それが明かされます。
 前回、同心の口から、ガマは見届け人に退治され、そして岩見平七は見事に疋田伊織を相手に仇を討ったと語られましたが、前者はともかく、後者は望まれた結末ではなかったはず。それでは仕掛けは失敗したのかといえば――思いもよらぬトリックの存在が語られます。

 正直なところ大ガマ自体は(後年の又市の仕掛けと比べると)決して出来のいい仕掛けではないわけですが、本当の仕掛けはその先に、というのが面白い。そしてその中身は又市の青臭い、しかし後々にまで続いていく想いに支えられたものであったことが印象に残ります。
 もちろんこれは原作そのままではあるのですが、又市がこの仕掛けに辿り着くまでに、調べ、迷い、悩む姿が描かれるのは漫画オリジナルで、この時代なればのこその描写というべきでしょう。
(ちなみに問題のお世継ぎに対する山崎の言葉が、原作からはかなり大きく異なっているのはちょっと引っかかりますが、このずっと後に登場するある人物の存在を連想させるのは興味深いところです)

 それにしても今回冒頭に登場するおちかさんが、くるくる変わる表情など、相変わらず実に良いのですが――良ければ良いほど、この先を想像してしまい...…


『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 前回、一応主君である浦上宗景の奸計により、存在が毛利家にロックオンされてしまった直家。今回はその毛利家がメインとなり、直家はオチ要員で一コマ登場するのみというちょっと珍しい回となっています。

 そんな今回登場するのは、毛利元就の次の代の毛利家を支える「三本の矢」――毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の三人。そして三人が直家をいかに攻めるか語り合うその場には、なんとあの三村元親が――と、ある意味タイムリーなビジュアルが懐かしいですが、この三人(というより隆景)を前にしてはレベルが違いすぎるのが哀れです。

 それはさておき、実際に直家を攻めるのは誰か――と思いきや、ここで登場するのは「四本目の矢」こと毛利元清! えらく渋好みのキャラですが、実際に直家とは死闘を繰り広げた好敵手ともいうべき人物です。
 しかし登場するなり突然自虐的過ぎることを言い出すのですが、これがなんとまあ史実とは……(隆景が理解者っぽいのも史実)


 残る作品は、次回紹介します。


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2024.12.17

助産師と陰陽師、新たな命のために奮闘す 木之咲若菜『平安助産師の鬼祓い』

 古今東西を問わず、新しい命のために心身を振り絞る一大事である出産。本作は、平安時代を舞台にその出産を助ける助産師を主人公とした、第6回富士見ノベル大賞入選作です。産神の祝福を授ける助産師の異名を持つ少女・蓮花が、青年陰陽師・安倍晴明と共に難事に挑みます。

 関わるお産は安産になることから、年若いものの「産神の祝福を授ける助産師」と周囲から呼ばれる典薬寮管轄の「助産寮」所属のの助産師・蓮花。実は彼女は、生まれつき体の内外に蠢く微細な「鬼」が視える特異体質の持ち主でした。
 そんな彼女は、あるお産で、妊婦に巣食った鬼に手を焼き、祈祷の手伝いに来ていた陰陽師の青年――安倍晴明に助けを求めたことをきっかけに、彼と知り合うのでした。

 そんなある日、蓮花はその評判を買われ、異例の抜擢を受けることになります。帝の子を宿した女御――右大臣藤原師輔の娘・安子の出産の担当として、彼女は指名されたのです。
 ただでさえ気性が激しいと噂される上に、その直前に師輔のライバルである中納言・藤原元方の娘が男児を出産し、プレッシャーに悩む女御。しかしその姿を垣間見た蓮花は、女御を心身ともに支えることを改めて誓います。

 そんな中、宮中で鬼を操る怪しげな男を目撃し、彼が女御に害意を抱いていると知る蓮花。自分の力の秘密を見抜き、晴明の過去をも知るらしいその男に対するため、蓮花は晴明に助けを求めます。
 しかし謎の男の邪悪な罠は蓮花に迫り、彼女は思わぬ窮地に……


 最近の中華風/和風ファンタジーのトレンドの一つと言ってもよいと思われる後宮医術もの。様々な意味で題材に事欠かない後宮を舞台としつつ、お仕事小説的な色彩を与えられる(そして過度に性愛的な要素を避けられる)点が理由かと思いますが――それはさておき、本作もその系譜にある作品といえます。

 しかし本作の特にユニークな点が、その医術が産科であることなのは言うまでもないでしょう。子供を産むという後宮の最も重要な役割に密着しながらも、物語の主役として描かれることは少ない、お産を助ける存在をメインに据えることで、本作は独自のドラマ性を――出産そのものの困難さに立ち向かう主人公の奮闘と、皇位に関わる赤子の出産を巡る陰謀劇を、並行して描くことに成功しています。

 そして本作がさらにユニークなのは、主役級のキャラクターとして安倍晴明が登場していることからわかるように、本作が「和風」の異世界ではなく、史実を背景にしていることでしょう。
 もちろん、史実には平安時代に助産師という役職はなかったわけで、その点は大きなフィクションではあります。しかしそこは物語の根本を支える大きなifと考えるべきでしょう。
(なにより、陰陽寮の陰陽師がいるのだから助産寮の助産師がいても、というのには妙な説得力があります)


 しかし本作が魅力的なのは、設定や物語展開の妙もさることながら、主人公である蓮花のキャラクターにあると感じます。
 生まれつき人間の体内の「鬼」を見ることができるという異能を持ちながらも、それに頼るのではなく、自分の仕事への熱意で――かつて経験した悲しい出来事を背負い、無力であった自分を乗り越えるために、そして何よりも同じ悲しみを感じる人を一人でも減らすために、彼女は助産師として奮闘します。
 そんな彼女の真っ直ぐな部分は、一歩間違えれば息苦しくなりかねないところですが、適度に抜けた部分を描く筆も相まって、素直に共感できる、思わず応援したくなるキャラクター造形になっていると感じます。

 そしてそんな彼女に興味を抱き、力を貸す晴明のキャラクターも、他の作品のそれとは異なる独自の設定なのですが、蓮花の人物像と共鳴し合い、本作ならではのハーモニーを生み出しています。

 なお、本作に登場する「鬼」は、いってみえば人を病にするという「疫鬼」に近いものなのですが、描写的にはむしろウィルス的な存在なのがユニークです。
 そのため、蓮花の対処も、むしろ衛生的なそれであったり、陰陽師たちの鬼を祓う術がウィルスごとに違うワクチンを用意することを思わせるものである点に不思議な説得力があり、面白いところです。


 というわけで、類作が多い題材を用いつつも、独自の設定とストーリー展開、好感の持てるキャラクター像が印象的な、完成度の高い本作ですが――これが作者のデビュー作であることには驚かされます。

 時代背景的にもまだまだ様々な題材が考えられるだけに、ぜひ続編にも期待したいところです。


『平安助産師の鬼祓い』(木之咲若菜 富士見L文庫) Amazon

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2024.12.05

兄の代役となった女と、人外の血を引く男と 木原敏江『夢の碑 とりかえばや異聞』

 木原敏江の代表作(シリーズ)である『夢の碑』――様々な時代を舞台に、人と人外の関わり・交わりを描く物語の第一弾です。「とりかえばや物語」をモチーフに、戦国時代、双子の兄の代役となった女性と、異国の人外の血を引く男――愛し合いながらもすれ違う二人の運命が描かれます。

 織田信長が各地に侵攻していた頃、一仕事終え、京で羽を伸ばしていた腕利きの忍び・風吹。彼は、背が高く凛々しい、一見美男子のような遊女・紫子と出会い、恋に落ちるのですが――しかしほどなくして、紫子が実は安芸の大名・佐伯家の当主の双子の妹と判明、実家に連れ戻されてしまうのでした。

 規模は小さいものの、代々独立独歩の姿勢を取っていた佐伯家。その当主である碧生は英傑の誉れ高い青年でしたが、織田と毛利の争いが激化する中、体を壊し、その代役を紫子が務めることになります。
 一方、そんな彼女の状況は知らず、謀反を企む佐伯家の家老・天野外記の依頼で碧生暗殺を請け負った風吹。しかし事情を知った彼は紫子に味方することを決めるのでした。

 折しも毛利家の姫が碧生のもとに輿入れすることとなり、快復した碧生が迎えるのですが――しかし婚礼の直前に彼は逝去し、再び紫子は身代わりを務めることになります。そして閨での代役を紫子が風吹に頼んだことで、二人の間に溝が深まるのでした。
 そんな中、ふとしたことから碧生の死を知った外記は、既に邪魔者になった風吹に刺客を送った末、毛利に身を寄せ、佐伯家には毛利家と織田家の連合軍が殺到します。

 これに対して、自分の正体を明かしながらも、碧生として佐伯家を率いる紫子。しかし戦場で彼女に危機が迫るたびに、不思議な力が彼女を守ります。その正体は風吹――実は遥か過去に異国からやって来た「びきんぐあ」の血を引く彼は、異形の姿と力を持ち、その力で紫子を守るのですが……


 平安時代、対照的な性格の兄妹が互いに入れ替わる「とりかえばや物語」。非常にユニークな内容の古典ですが、本作はそれをモチーフにしつつも、大きくアレンジして描きます。確かに男女の入れ替わりはあるものの、むしろ物語的には御家騒動もの――替え玉になって家を背負うことになった紫子の姿が、、物語の縦糸として描かれるのです。

 しかし本作が面白いのは、紫子が、家を背負う重圧もさることながら、風吹とのすれ違いにより深く悩む点でしょう。
 この点で本作は大きく恋愛もの的性格を持つのですが――この辺りはもう完全に作者の自家薬籠中のもの。時に極めてシリアスに、時にコミカルに描かれる男女の姿は、歴史ものでありつつも、普遍的な味わいがあります。(特に後者の軽みは、シリアスな場面以上に男女のリアルさを感じさせることすらあります)


 しかし本作の更にユニークな点は、とりかえばや要素だけでも成立する物語に、さらに横糸――風吹の秘められた力とその出自を巡る物語を絡めたことでしょう。

 冒頭から、時に目が緑色に光るなど不思議な様子が描かれていた風吹。実は彼の母は、遠い昔に日本に渡ってきた民「びきんぐあ」の末裔――様々な不思議な力を持ち、頭に二本の角を生やす、いわば鬼の末裔なのです。
 愛する紫子に対しても自分の力を、そして真の姿を隠してきた風吹。本当の自分自身を隠さなければならないという点では紫子同様の――いやそれ以上に深刻な立場に風吹は在るのです。(終盤に描かれる紫子の反応が、それを強く感じさせます)

 真の自分を抑圧しながらも、互いを求めて懸命に生きる――そんな二人の物語の結末はある種「お伽噺」的ですが、しかし大きな救いがあるといって良いかもしれません。


 なお、本書にはその他に「桜の森の桜の闇」と「君を待つ九十九夜」の二編が収録されています。

 前者は鎌倉時代末期を舞台に、恋人を故郷に残して暴れまわる武士崩れの野盗の男と、花を食う美しい鬼が出会う物語。美しい不滅愛の物語であるはずが――という強烈な結末が印象に残る本作は、発表順では『風の碑』シリーズ第一作となります。
(内容的にも『とりかえばや異聞』より先に読んだほうがいいかもしれません)

 後者は大正時代を舞台に、没落華族の娘と、実家が成金の青年の二人が主役の物語。あちこちで浮名を流す青年からの求婚に対し、娘は小野小町と深草少将の百夜通いのように、百夜通うことで誠意を示すよう求めるのですが――思わぬ(?)ゲストが登場する、あっけらかんとした結末の味わいも楽しいラブコメです。


『夢の碑 とりかえばや異聞』(木原敏江 小学館フラワーコミックスα) Amazon

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2024.11.30

『鬼切丸』を超えて、なおも続く物語 楠桂『鬼切丸伝』第21巻

 平安以来、長きに渡る時の中で鬼を斬り続けてきた鬼切丸の少年を描いてきた本作も、ついに単行本の巻数で『鬼切丸』を超えました。この巻では、瀬戸内三島の伝説の女傑を巡る悲劇、奇怪な姥ヶ火を巡る因縁譚、鬼を調伏する力を持つ僧侶と少年の出会いを描く三編+αを収録しています。

 この巻の冒頭に収録されている『三島大明神鬼願』前後編は、今なお伝説に残る瀬戸内海の大三島の姫・三島水軍の姫武将にして三島大明神の巫女である鶴姫を巡る物語――この鶴姫は、これまでも様々な物語の題材になっていますが、本作ではこれまでにない奇怪な物語となっています。

 大三島の大山祇神社の大祝の娘として生まれ、父と兄二人に慈しまれてきた鶴姫。しかし父は鶴姫が幼い頃に後を案じながら病没し、そして大内家の侵略の前に下の兄は戦死――悲しみに沈む鶴姫は、遊女に化けて大内家の船に近づき、単身乗り込んで大立ち回りを演じるのでした。
 三島大明神の化身を名乗り、次々と大内の兵を討っていく鶴姫。しかしそこに現れた鬼切丸の少年は、それが彼女の力ではなく、どんな願いも叶えるという大祝家の血のなせる業だと告げます。そしてそれは、例え鬼となろうとも彼女を守ろうと願った父と兄の願いだと……

 これまで作中に様々に登場してきた異能を持つ人間たち。その中でも本作の鶴姫とその家系は、極めて特異な力を持ちます。
 神に願うことにより、人では倒せぬはずの鬼すら倒す力を発揮する鶴姫たち。しかしその願いが誤って用いられたとしたら。いや、本人は誤ったつもりはなくとも、この世の摂理を捻じ曲げるものであるとしたら――後編では、最愛の人を得た鶴姫を襲う、さらなる悲劇が描かれます。

 鬼切丸ですら倒せぬ不死身の鬼を前に、鶴姫は何を願うのか――有名な鶴姫の悲恋伝説を背景にした結末からは、ただ運命の無惨というべきものが感じられます。


 続く『鬼々怪々姥ヶ火首』は、井原西鶴の「西鶴諸国ばなし」中の「身を捨てて油壺」に登場する姥ヶ火を題材とした物語です。

 河内国の暗峠に出没するという、不気味な老婆の死首の怪。鬼切丸の少年と出会った老婆は、己が妖となるまでの過去を語ります。
 美しかった娘が、山の神の祟りか次々と夫を失い、醜く老いさらばえた末に、油泥棒と誤認されて射殺され、その首が妖と化す――という語りは、実はほぼ原典通りの内容。一体このどこに鬼が絡むのか――と思いきや、老婆の語りに対する少年の指摘が、全く異なる物語を浮かび上がらせます。

 同様の趣向はこれまでもありましたが、題材の無惨さだけにどんでん返しが際立ちます。


 そして最後の『天誅鬼仏罰』前後編は、応仁の乱の頃の荒廃した時代を背景に、少年が奇跡的な力を持つ一人の男と出会ったことから物語は始まります。

 その男とは、鬼を読経によって鎮め、勾玉と変える力を持つ僧・光道。鬼となった人に対しても慈悲の心を失わない光道は、所属する醍醐寺に勾玉を収め、供養しようとしていたのです。
 人の醜さをいやというほど見てきた少年が、見たことがないほどの利他心を持つ光道に驚く少年。しかし彼の人間不信の念を裏付けるように、光道の力は他者に利用され、次々と惨劇を引き起こすことに……

 室町時代に実際に起きた(と言われる)二つの寺による呪詛事件を題材とした本作。作中で描かれるその模様は、人を救うべき寺が人を呪い殺すという驚くべきものですが――そんな地獄絵図の中でも、なおも輝く人の心の存在を物語は描きます。
 それはやがて、鬼を滅する人間の誕生を、少年にとっての希望を予告するものとも見えるのですが――最後に語られる『鬼切丸』とのリンクに愕然とさせられます。そういえば確かに勾玉でしたが、しかしあれが希望かといえば……


 なお、巻末の掌編『犬神使い鬼追憶の章』には、以前(第七巻)に登場した犬神使いの兄妹が少し成長した姿で登場。タイトルの通り、以前出会った鬼切丸の少年のことを語り合うのですが――ここで妹の八重が見つけた少年の秘密がこう、微笑ましいというかなんというか……
 前巻の巻末の掌編同様、やはりわかる人にはバレバレなのねと、悲しい物語の連続の中で、少しだけホッとさせられます。


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2024.11.02

激動の歴史を通じて描く鬼と人の存在の意味 琥狗ハヤテ『ヤヌス 鬼の一族』第3巻

 戦国時代を舞台に、人ならざる力を持ち、歴史の陰に生きた鬼一一族を描く連作の第三巻、最終巻です。この巻に収録されるのは申の章と酉の章――鬼と呼ばれる一族を通じて、鬼とはなにか、人間とは何かが問われます。

 人ならざる力を持ち、時に人ならざる姿を見せる鬼一一族。その力故に人に求められ、人に恐れられる一族の姿を、本作は歴史上の出来事の中に描いてきました。
 第一巻の人の章では桶狭間の戦を舞台に、今川義元に仕えた男・鬼一左文字を。第二巻の狗の章では、太田資正の下で犬の訓練士として仕えた鬼一山楽を――そしてこの巻の前半、申の章では、服部半蔵配下の忍・マシラを通じて、本能寺の変直後の家康の姿が描かれます。

 本能寺の変が起きた際、信長の招きで堺に滞在していた家康。周囲に促された家康は、本多忠政、服部半蔵といった面々とともに、駿河に逃れるべく道を急ぎますが、その一行に加わっていたのは、半蔵が鬼一の里に請うて連れてきたという忍・マシラ――頭には角を生やした異形の男です。

 追手や落ち武者狩りが横行し危険極まりない道を、マシラの天性の勘と技でもってくぐり抜け、先を急ぐ一行。しかしその中心であるはずの家康は、あたかも生きる意思を失ったかのように、力なく足を動かすばかりでした。
 そんな家康に対して、マシラが語るのは……

 波乱に富んだ家康の生涯の中でも、有数の危機であった逃避行――いわゆる「神君伊賀越え」。本作はその最中の家康の姿を、異形の忍びを通じて描きます。
 堺から駿河まで、ごくわずかの供で逃げるというのは、いかにも家康らしい、生きるという意思に満ちた姿を思い浮かべますが――しかし本作ではその逆に、既に心は死んだような家康の姿が描かれます。

 この戦国を生き延びるため、信長の下で、様々なものを犠牲にして忍従してきた家康。その信長があっけなく倒れた今、心が折れた家康の姿は、生きるための意志と力に満ちた野生の忍にとっては対極の存在であり、むしろ唾棄すべきものではないのか――その予想は、意外な形で裏切られることになります。

 鬼が語る生の形――それはあらゆる命あるものに共通する、未来への道。その道を開こうとするマシラの姿には、深く考えさせられるものがあります。


 そしてこの巻の後半の酉の章は、時代を遡り、川中島の戦を背景に、武田信玄の養女となった鬼一一族の少女・八姫の姿が描かれます。

 幼い頃に信玄の養女となり、武田家の姫として育てられてきた八姫。鬼一の血が為せる技か、人並み外れた弓の技を見せる彼女は、娘らしいたしなみとは無縁に、若武者に混じって野山を駆け回ります。
 しかしそんな彼女にも、心を動かされる青年が現れます。それは父の近侍を務める若武者・武藤喜兵衛――しかし己の額に生えた二本の角が、想いを告げることを彼女に躊躇わせます。

 そんな中、始まった川中島の戦い。死地に向かう彼を見送る八姫ですが……

 本作のラストエピソードとなるのは、この巻の表紙を飾る初の鬼一一族の女性・八姫。武田信玄の養女という意外な立場の彼女は、やはり鬼一一族の血を引く能力を持ちながらも、しかし信玄は彼女を普通の娘として育てようとします。

 その想いが那辺にあるのか、それはわかりませんが、その計らいは皮肉なことに、逆に鬼と人との間で、彼女を苦しめることになります。果たして鬼と人の間は越えることはできないのか。鬼と人は結ばれることはないのか――その果てに待つのは、これまでの物語で鬼一一族を通じて描かれてきた問いかけへの、一つの答えなのです。
 ある史実を描いて終わる物語は、内容的には静かな印象ですが、しかし全編の締めくくりに相応しいものとして感じられます。


 こうして人・狗・申・酉の各章を描いて完結した本作。正直なところ、作者のあとがきを見るまで、各章の副題の意味に気が付かなかったのは、お恥ずかしい限りです。
 それはさておき、本書の二編を含めて、各話で描かれたもの――鬼と人との関係性、突き詰めれば鬼と人の存在の意味は、何故か戦国時代の激動の歴史の中で、丹念で抑制の効いたその描写も相まって、不思議な安らぎをもたらしてくれるように感じます。

 作者の歴史漫画をもっともっと読んでみたい――そんなことを強く思わされた名品に相応しい結末です。


『ヤヌス 鬼の一族』第3巻(琥狗ハヤテ 芳文社コミックス) Amazon

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2024.10.22

舞台は再び前線へ 梁と魏それぞれの事情 栗美あい『白花繚乱 白き少女と天才軍師』第4巻 

 梁と北魏の戦いを名将と白衣の少女を通じて描く『白花繚乱』も、気がつけばもう第四巻。物語の舞台は建康から再び魏との戦いの最前線に移ります。梁も魏もそれぞれに事情を抱える中で繰り広げられる駆引きは、魏の要衝・合肥を巡って加熱します。その中で、祝英台の活躍は……

 江南城からの撤退戦の中で行方不明となった梁山伯の捜索を直訴するために、戦況報告に向かう陳慶之とともに王都・建康に向かった祝英台。そして皇帝と謁見した祝英台は、皇帝の近臣たちの陰湿な妨害を受けながらも、豪放な将軍・曹景宗の助けもあり、皇帝から願ったものを勝ち取りました。
 そしてこの巻の冒頭ではもう一つの願い、すなわち陳慶之の願い――白装束の騎馬隊を作るための白馬三百頭の最初の一頭に、祝英台は乗ることになります。

 成り行きから皇帝と同乗することになった祝英台は、そこで一つの命を受けます。軍略は並ぶ者がない一方で、騎乗はからっきしの陳慶之のために、共に馬に乗ってほしい、と。
 それに従い、陳慶之と共に再び最前線に向かうことになった祝英台。しかしその直後、建康では前皇帝・東昏侯の残党がテロを行い、祝英台たちも残党との戦いに巻き込まれて……

 と、周囲の文官どもはさておき、非常にフレンドリーで物わかりの良い(良すぎて不安になるくらいの)皇帝の登場で、陳慶之たちの戦いに強力なバックアップが得られた一方で、梁の国内も一枚岩ではないことが明らかとなった建康でのエピソード。そしてこの残党の一件がきっかけとなって、皇帝は魏との再戦を陳慶之に命じます。
 一方、一枚岩ではないのは魏の側も同じ。気弱な皇帝が周囲から操られる中、自ら率先して梁と戦うことを望む中山王ですが、彼が戦功を挙げるのを危ぶむ者たちによって、彼自身が前線に出ることを阻まれます。


 かくして、それぞれに国内に不安を抱えながら、国境で再度激突する梁と魏。梁の主力として、韋叡の軍は、魏の要衝である合肥攻略に向かうものの、みすみす魏がそれを許すはずもありません。
 そこで皇帝から韋叡を助けることを命じられた陳慶之の軍略が発揮されることになるのですが――というわけで、この巻の後半では、再び舞台は戦場に戻ることになります。

 ちょっと身も蓋もないことを言ってしまえば、史実においては、この戦いでは韋叡が梁側の中心でした(というか陳慶之はこの頃、まだ前線に出ていなかったのでは……)。
 そんな中で陳慶之を、そして祝英台を活躍させるには――というステージを用意してみせたここでの展開には、なかなか感心させられました。

 さらに祝英台は、あの楊大業を向こうに回して、白馬に乗っての颯爽たる活躍が――と、ちょっと活躍しすぎな印象もありますが、上で述べたように本来では韋叡が主役だった戦場での二人の活躍を描くには、これくらい派手な方が良いのかもしれません。

 もっとも、その韋叡の見せ場はこれから来るわけですが――その模様は次巻になります。


『白花繚乱 白き少女と天才軍師』第4巻(栗美あい&田中芳樹 秋田書店プリンセス・コミックス) Amazon

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2024.10.06

棠庵の悩み、藤介の悩み 京極夏彦『病葉草紙』(その三)

 京極夏彦『病葉草紙』の紹介の第三回です。これまで謎に包まれていた棠庵の正体(?)が徐々に明らかになっていく中、棠庵と藤介の関係性にも少しだけ変化が……?

「肺積」
 長屋で特にしつこい住人であるお澄が棠庵に持ち込んできたのは、何と彼への縁談。さすがの棠庵も困惑する事態ですが、相手は以前、彼が助けた宿場の本陣の娘・登勢でした。
 棠庵が去ってから登勢の様子がおかしくなり、周囲から、恋の病ではということになったのですが、しかしその振る舞いは、厠の近くを好んだり、辛いものばかりを食べるようになったという、確かにおかしなもので……

 物語もいよいよラスト一話前に来て、棠庵がある意味事件の発端となるエピソードが描かれます。これまで、棠庵が年に一度か二度、姿を消す時期があるという謎が語られていましたが、その際に出会った娘が棠庵に恋煩いを!? という、およそありえないシチュエーションから物語は展開していきます。

 しかし一番不可解なのは登勢の症状で、これはもう、何かおかしな虫に憑かれたとしか思えない状態。それを棠庵が、以前に彼女と出会った時の状況のほかは、安楽椅子探偵状態の知見で解決してしまうのが痛快です。(まさか××××が伏線だったとは!)

 それにしても、嫁を迎えるかもしれないという話に対する棠庵の(住環境というか保存環境に関する)戸惑いには、理解できる方も多いのではないでしょうか……


「頓死肝虫」
 その日は父親が家で転倒したり、長屋では泥棒騒動が起こったりたりと、散々な状況だった藤介。しかも伍平のもとには銅物屋の主人の死体が持ち込まれ、棠庵は検屍を依頼されることになります。
 騒動はさらに続きます。長屋に越してきた登勢の部屋を訪ねていた志乃が、登勢と間違えて攫われ、棠庵に五百両もの身代金が要求されたのです。銅物屋の主人の死と関わりがあるらしいこの事態に頭を悩ませる棠庵に対し、藤介は……

 サブレギュラーであるお志乃の誘拐、これまで謎だった棠庵の資金源(いきなりサラッと伝奇的な秘密が!)の判明など、最終話に相応しい展開となった今回。しかし何よりも印象的なのは、自分の存在が、自分の行動が事件のきっかけとなってしまった棠庵の姿でしょう。

 これまでにも棠庵は、幾度となく物語の中で判断を迫られ、悩んできました。彼はこれまで、法を守ることと、人の命や心を救うこと――その両者のジレンマを、「虫」という存在を持ち出すことによってくぐり抜けてきたといえます。
 しかし今回彼が迫られるのは、法を守るのではなく、法を破ること――はたして人の命を救うために悪事に加担することは許されるのか? 何よりも理を重んじてきた棠庵にとっては最大の問題であり、それが彼の限界というべきかもしれません。

 そしてここで語られる本作のタイトルの意味にも唸らされるのですが――そこから繰り広げられる怒涛の展開は痛快の一言。語り手に当たる人物が、探偵役の変人に振り回されてひどい目にあうというのは京極作品ではおなじみのシチュエーションですが、しかし――その意味でも、最終話にふさわしい物語だったといえるでしょう。


 かくして本作は完結し、棠庵と藤介との、そして周囲との人間関係も少しずつ変化を見せましたが――しかしまだまだ棠庵を主人公に描ける物語はあるはずです。

 本作は天明年間を舞台としていますが、『前巷説百物語』は文政年間と、40年近い差があります。もちろんその間を全て埋める必要はありませんが、この朴念仁で理屈屋の――しかしどこか人間臭い棠庵の物語を、もっと読んでみたいと思うのが今の正直な気持ちです。
(実のところ、巷説百物語シリーズでほぼ唯一、去就が不明な人物ということもあります)

 何よりも、「針聞書」にはまだまだ「虫」がいるのですから……


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