2020.07.09

矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 風の道しるべ』 風柱の過去、語られざる過去

 同日に原作単行本、ノベライゼーション(の電子版)、そして本書と、都合3点が発売された『鬼滅の刃』関連書籍。本書はこれまでもご紹介してきた矢島綾による小説版第3弾であります。これまで以上に踏み込んだエピソードの多い本書、キメツ学園を含めた全5話構成であります。

 これまで、(キメツ学園以外は)原作の語られざるエピソードを短編形式で収録してきたこの小説版ですが、今回もそのスタイルは健在。しかしその原作とのリンクの仕方は、より大きく、あるいは絶妙なところを突いていくようになった印象があります。

 その最たるものが、表題作であり、本書の4割を占めるボリュームの第1話「風の道しるべ」。風柱・不死川実弥の鬼殺隊入隊から、柱昇格までを中心に描く物語ですが――原作ファンであればよくご存じのとおり、そこにはもう一人の人物が大きく絡むこととなります。

 それは実弥にとって親しい人物であった粂野匡近――実弥を鬼殺隊に紹介し、そして二人で下弦の壱を倒したものの、自らはその戦いで命を落とした(そして結果的に実弥は柱に昇格することとなった)人物であります。
 この匡近、原作ではわずか2ページの出番(アップは一コマのみ!)ながら、実弥の人生に大きな影響を与えたことを窺わせるキャラだったのですが――このエピソードでは、彼の人となりや実弥との関係性が大きくクローズアップされることになります。

 原作にあるとおり、ただ一人力任せで鬼と戦っていた実弥と出会い、育手である自分の師を紹介した――すなわち実弥にとって兄弟子に当たる――匡近。自分とは正反対の、明るく軽薄にすら感じられる匡近に反発を抱きながらも、やがて名前で呼び合う仲になっていく実弥ですが、中堅にまで成長した二人は、ある日共同で任務に当たることになります。
 それは子供ばかりが行方不明になるという空き屋敷の調査――そこにはかつて、夫に虐待され、娘を病で失った末に姿を消した美しい女性が住んでいたというのであります。しかし屋敷に一歩足を踏み入れた実弥と匡近は、いつの間にか離ればなれとなって……

 先に述べた通り二人を待つ運命は明確なわけですが、そこに至るまでを丹念に描いていくこのエピソード。実弥と対照的に脳天気ですらある匡近の言動が漫画的ではあるのですが、しかしそれが実は――という展開は、予想はできたものの、グッとくるものがあります。
 そして本作オリジナルの下弦の壱も、シチュエーション的にちょっとだけ原作の別の鬼を思わせる部分はあるものの、実に厭なキャラクターと能力は印象的な造形。そして何よりもこの鬼が実弥を狙う理由が、彼の戦う理由に繋がる辺り、実弥の語られざる物語の敵として、納得できたところであります。


 と、第1話で大きく分量を取ってしまったので、簡単に他のエピソードを紹介すれば――
 鋼鐵塚蛍37歳のポンコツぶりを矯正するために周囲が仕組んだ見合いの顛末「鋼鐵塚蛍のお見合い」
 蝶屋敷で起きたある出来事をきっかけに生まれた伊之助とカナヲの交流「花と獣」
 移転間近の刀鍛治の里で、無一郎と小鉄が壊れた絡繰人形を直す姿を通じて無一郎の成長と夢を描く「明日の約束」
 学園で噂される怪談の内容を確かめに夜の校舎に向かった宇随・煉獄・カナエ・義勇が起こす騒動「中高一貫☆キメツ学園物語!! ミッドナイト・パレード」
 と、硬軟取り混ぜた内容であります

 これらのエピソードもさすがに手慣れた内容という印象なのですが、個人的にはちょっと驚いたのは第3話と第4話であります。
 第3話では、カナエが童磨戦直後に髪が乱れていたのが善逸と再会時には髪飾りをつけていた描写。そして第4話では、刀鍛治の里編で戦った面子と善逸・伊之助が賑やかに騒いでいるという、冷静に考えればこれ何時だ!? な第21巻冒頭の無一郎の回想の一コマ――このそれぞれにフォローが入っているのであります。

 細かいといえば非常に細かい点であり、(これまで同様)原作の小ネタを拾いすぎるのが鼻につく面もなきにしもあらずですが――しかし原作の語られざる物語を描くものとして、大いに納得できるスタンスではあります。


 というわけで今回も楽しめた小説版なのですが、唯一の問題は、原作完結の後に振り返ると(特に同時発売の原作第21巻の後だと)色々と曇らされる点でしょうか。
 いや、これは全く以て本作の責任ではないのですが……


『鬼滅の刃 風の道しるべ 』(矢島綾&吾峠呼世晴 集英社JUMP j BOOKS) Amazon


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2020.07.08

松田朱夏『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』 ダイジェストで振り返る物語の基点

 タイトルの通り、『鬼滅の刃』のノベライゼーション――先行して書籍として先月発売され、今月原作第21巻・小説版第3弾と同時に電子書籍化された作品であります。集英社の児童書レーベル「集英社みらい文庫」より刊行された本書は、第1弾として原作の第1巻から第4巻の途中までが収録されています。

 『鬼滅の刃』の小説版としては、上述の通り第3弾が発売された矢島綾のものが既にありますが、あちらがオリジナルストーリーだったのに対して、本作は完全に原作そのままのノベライゼーション。。
 竈門家を襲った悲劇から炭治郎の修行、藤襲山での最終選抜、沼の鬼との戦い、鬼舞辻無惨や珠世との出会いから二人組の鬼との対決、鼓屋敷での戦いから那田蜘蛛山への出発まで――冒頭に述べたとおり、原作の第1巻から第4巻(第28話の途中)、アニメでいえば第14話までを、原作の台詞などをほとんど全く変えることなく収録しています。
(挿絵も原作漫画をページそのまま使用)

 その点だけみると、極端なことをいえば原作読者であれば本作を読む必要はないようにも感じられるかもしれません。
 しかし小学校の読書の時間に読んでもらうことや、アニメや漫画は触れさせてもらえないけれども小説であれば買ってもらえるという読者層を考えれば、なるほどこうした児童文庫レーベルの漫画ノベライゼーションにもしっかりした需要があるのでしょう。


 しかし、それでは原作既読者が単独で読んでみてつまらないかといえば、それはそういうわけでもなく、原作ダイジェストとしてはかなり良くできた部類と感じさせられます。
 本作の場合、ダイジェストとは言いつつも、はっきりと削られたエピソードはなく、省かれた描写は最小限。それでいて原作には明示されていない――けれども描写の裏に存在することは理解できる――心理描写などが追加されており、なかなか好感が持てます。
(ちなみに手鬼の「いまは明治何年だ?」の問いに対し、地の文で「明治は終わった――つい数年前に。」と書いているのが個人的に嬉しかったところでありますが、これはまあごく少数派)

 もちろんこれは、ノベライゼーションであれば当然の内容というべきかもしれませんが、ダイジェストの形で原作が完結したばかりの時期に物語の基点を振り返ってみるのも、なかなか感慨深いものがあります。


 もっとも、原作そのままの、作者独特の台詞回しが必ずしも小説に合っているかと言えば必ずしもそうではなく、炭治郎と初対面の時の義勇さんの怒鳴りの唐突さや、同じく初対面の善逸の言動の異常さは、やっぱり違和感を感じる――と思いましたが、これはこれである意味原作どおりなのかなあ。

 また、本作に収録された部分が(これはこれでキリはいいものの)アニメ版とずれがあるのが気になったところですが、これは分量的に第2巻にアニメの『無限列車編』までが収録されるのかもしれません。
 そう、このノベライゼーション版はこの7月中に第2巻が発売されるとのこと――本作の完成度を考えればこちらも期待できそうなところ、いずれ取り上げたいと考えているところです。


『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』(松田朱夏&吾峠呼世晴 集英社みらい文庫) Amazon


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2020.07.07

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第21巻 無惨復活、そして二人の「超人」の間の相違

 連載は先日完結しましたが、本書と同日に小説版(電子版では児童向けノベライズも)も刊行され、いまだ人気絶頂の本作。黒死牟との死闘もようやく終結し、残る鬼舞辻無惨とついに対峙した炭治郎ですが、果たして無惨の実力とは、そしてその果てに炭治郎が見た光景とは……

 かつては鬼殺隊の剣士・継国巌勝でありながら、天才剣士であった弟の縁壱へのコンプレックスの果てに鬼と化した黒死牟に挑んだ悲鳴嶼・不死川兄弟・時透の四人。死闘に継ぐ死闘の果てに彼らはついに黒死牟を滅ぼしたものの、年若い二人が命を落とすという衝撃的な結末を迎えることとなります。

 かくて上弦の鬼は(まだ新たな上弦の肆の鳴女はいるものの)打倒され、残るは鬼舞辻無惨のみ。その無惨も、先代のお屋形様の自爆、悲鳴嶼の渾身の一撃、珠世の人間化薬を喰らって深手を負ったはずですが――しかし傷を癒やし続けてきた無惨は、体中に大量の口を生じさせた異形の姿で、ついに復活。
 折悪しくその前に辿り着いていた鬼殺隊士たちを喰らい、完全復活を遂げた無惨の前に、あたかも導かれたかのように炭治郎と義勇は立つのですが……


 物語のほとんど冒頭から登場しながらも、これまで本格的な戦闘シーンがほとんど描かれることのなかった無惨。その前の黒死牟が能力的にも設定的にも強力すぎたために、無惨は実力では一歩譲るのでは? と頭に一瞬よぎった想いは、すぐに徹底的に否定されることになります。

 今のところ無惨の攻撃は、体中から伸びた触手による打撃という一種類のみ。しかしその早さが、間合いが、軌道の変幻自在ぶりが、全てが異常に高レベルの上に、一撃でも食らえば猛毒の血で死亡確定という反則クラスの性能であります。
 炭治郎と義勇、後から加わった甘露寺・伊黒・悲鳴嶼・不死川らが一斉攻撃を仕掛けてもこれを凌ぎ、反撃するその力は、やはりラスボスに相応しいものといえるでしょう。

 が、無惨の場合、彼を最後の敵たらしめているのは、その力だけでなく、精神性によるところも大であると言うほかありません。
 炭治郎と義勇を前にした時に放った言葉――自分の所業を当然のものとして語り、これに抗する鬼殺隊を異常と断じる、その尋常でない自己肯定感と他者への無関心こそは、これまで物語の中で描かれてきた鬼という存在の、ある意味極みと感じられます。

 少なくとも、これまで幾度かあったように怒りで目からハイライトが消えた炭治郎だけでなく、あの鉄面皮の義勇までもがはっきりと怒りの表情を浮かべるのですから、これは本物というほかありません。


 しかしこの巻の終盤では、その無惨とある意味対になる者――継国縁壱の姿が描かれることとなります。彼の少年時代と鬼殺隊時代、そして最期は、以前に兄である巌勝の目から描かれましたが、ここではこれまで描かれなかった時代の彼が、そして何よりもその内面が描かれるのであります。

 自らも相当の使い手であった巌勝をして強い劣等感を抱かせ、鬼に走らせたほどの天才であった縁壱。巌勝の目に映るその姿はまさしく「超人」――凡俗にとっては、その強さだけでなく、あまりに広い心の器も含めて、そう評したくなってしまうほどであることは間違いありません。
 そしてそんな彼の姿は、人間の域を遥かに超えたという点で無惨に通じるものがあると言えますが――しかし、炭治郎が先祖の記憶の中で見た姿は、どうであったでしょうか?

 ただ愛する人との静かな暮らしを望み、それを喪った時、悲しむ。鬼を生み出した無惨に静かに怒りを燃やす――そんな縁壱の姿は、炭治郎と、そして我々読者たちと――つまりは普通の人間と変わるものではありません。
 もちろん、その力は常人を遥かに超えたものであったにせよ(千八百のうち千五百余を斬るって……)、その精神性はあくまでも人間のそれであり――強大な力を手にして他者を下に見ることしかできなくなった無惨とは、明確に異なるものなのであります。

 何よりもこの巻のラストでの姿を目にすれば、縁壱という「超人」の内面が、痛いほどわかるのですから……


 そしてこの過去の物語において、これまで謎であった日の呼吸の型がヒノカミ神楽として竈門家に伝わった事情が描かれたわけですが――しかしそれを受け継ぎ、振るうべき炭治郎は今、絶体絶命の状態にあります。
 果たしてそこから立ち上がることができるのか、そして決戦の地に急ぐ禰豆子の行動の意味は。残すところあと二巻、まだ最終決戦は、そして真の地獄は始まったばかりであります。


『鬼滅の刃』第21巻(吾峠呼世晴 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2020.06.28

木原敏江『王朝モザイク』 身分違いの恋に挑む男女のおとぎ話と現実

 大ベテラン・木原敏江の最新作は、平安時代を舞台とした、男女の身分違いの恋を描く短編集。古典をモチーフとした、内容豊かな三つの物語が収録されています。

 かつて身分の違いから仲を引き裂かれ、行方不明となっていた初恋の人・沙魚と再会した検非違使の然示郎。しかし彼女は自分を治部大輔の萌に仕える上臈・水無瀬と名乗り、然示郎など知らぬ素振りを見せるのでした。
 その晩、鮮やかな手口で京を騒がす夜盗団・梟党を追った然示郎は、首領と一騎打ちの末に手傷を追わせ、後を追うのですが――血の跡を辿っていけば、そこは萌の屋敷。屋敷を調べた然示郎がそこで見たものは……

 というあらすじの第一話。古今著聞集のある説話を題材としているこのエピソードは、物語展開的には途中まで(モチーフがある部分まで)はすぐ予想できるのですが、むしろそこからが物語の本題とすら感じられます。

 生死も不明だった初恋の女性と再会するも、その意外な姿を知った然示郎。しかし今度こそは彼女への愛を貫こうとある場所に向かった彼は、そこである意外な人物と出会い、選択を迫られるのです。
 そこで描かれるのは、青春との決別とでもいうべきシチュエーション。もちろんそれは、この物語ならではの特異なものではあるのですが――しかし同時に、誰でも多かれ少なかれ覚えのある痛みが胸に甦るのは、作者ならではの筆の冴えと言うべきでしょう。


 一方、第二話で描かれるのは、両親を亡くし、我が物顔に振る舞う後見人の叔父夫婦と共に暮らす姫君・揺良の物語であります。

 体が弱く夢見がちな彼女が、重陽の晩に出会った青年・定章。菊の香に誘われて屋敷に入り込んだ彼とたちまちのうちに恋に落ちる揺良ですが、叔父は地下の身分である定章を認めず、二人を引き裂こうとするのでした。
 折しも美濃介として赴任することとなった定章。悩む彼に、揺良は自分の家に結婚にまつわるある掟があると語るのですが……

 と、こちらはお伽草子の、菊の精が変じた公達との悲恋に泣いた姫君を題材とした物語。しかしここではあくまでも生身の男女の物語が描かれることになります(内容的には原典のその後とも取れる設定なのが面白い)。
 悲恋に泣くだけでなく、何とか自分たちの道を切り開こうとドラマチックに奮闘する二人の姿は、ある意味実に作者の作品らしいと感じさせられます。

 こちらもある程度予想できる展開であり、それがいかにも「おとぎ話」的な物語なのですが――しかしラスト数ページで、我々はその先の現実を突きつけられることとなります。
 それは哀しく切なく、しかしある意味避けようのない現実ですが――しかしそれを敢えて描くことにより、本作は「おとぎ話」の意味を、現実に対する一つの救いとして提示しているように感じられます。


 そして前後編構成の最終話は、今昔物語の女盗賊の説話と、鬼女・紅葉伝説を織り交ぜてモチーフとした物語にして、第一話のその後の物語でもあります。

 上役から信濃国までお忍びの旅をする大納言の姫君・皓の護衛を命じられた然示郎。しかし然示郎の前に現れた彼女は、男装の上に剣の達人という個性的な少女でありました。
 身分違いの恋の末に恋人と引き裂かれ、その後病に倒れて亡くなった義兄の形見を、信濃にいるという恋人・楓に届けるという皓。しかし信濃に辿り着いてみれば、楓の実家は国司に謀反人の罪を着せられ、滅ぼされてしまったというではありませんか。

 さらに近頃は鬼もみじ党なる野党が出没し、国司の蔵を荒らし回っていると聞かされた二人。それでも楓の手がかりを求めて山に分け入った二人の前に現れたのは……

 悲しい別れを経験した然示郎の前に現れた、型破りで明るい姫君――とくれば、当然新しい恋の予感ですが、しかし検非違使と大納言の姫君では、身分が違いすぎるのは言うまでもありません(以前は自分の方が身分が高かった彼が今度は逆になるというのも皮肉)。
 この物語はそんな二人の姿を縦糸に、そして野盗団を率いる鬼女・紅葉の復讐譚を横糸に展開するのですが――入り組んだ様々な要素を破綻なくまとめ、波乱万丈な物語を織りなしてみせたのは、やはり見事と言うほかありません。(さらにそこに、然示郎たちだけでなく、幾人もの身分違いの恋が織り交ぜられているのにも嘆息させられます)

 そしてそんな物語の先に待つ結末は――これは言うまでもありませんが、しかし同時に語られるのは一見無常な現実を感じさせる言葉。
 しかしそれは、第三話のみならず、本書に登場した男女たちのおとぎ話が、現実の歴史の中に確かに息づいていることを一種逆説的に語る見事な結びであると――そう私は感じます。


『王朝モザイク』(木原敏江 集英社マーガレットコミックス) Amazon

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2020.06.20

「コミック乱ツインズ」2020年7月号(その一)

 「コミック乱ツインズ」誌も、号数の上では早くも後半戦の7月号。表紙は『鬼役』、巻頭カラーは『勘定吟味役異聞』ですが――内容の方は、夏の激闘号とでも呼びたくなるような激しい戦いを描いた作品が多く並んでおります。今回も印象に残った作品を一作品ずつご紹介いたしましょう。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに余人を交えず決着の時を迎えた入江無手斎と浅山鬼伝斎。破れ寺を舞台に激しく切り結ぶ二人の勝負の行方は……
 と、物語的には二人がひたすら戦うのみというシンプルな今回。(無手斎の追想を除けば)登場人物もほとんど完全にこの二人のみという、ある意味異色の回なのですが――これが実に見事なのであります。

 巻頭カラーページの、落日を背に無手斎の前に立ちはだかる鬼伝斎という、一種荘厳さすら感じさせる画から一転、凄まじい迫力で襲いかかる鬼伝斎――という強烈な掴みから、時間を遡って当日朝の無手斎の死闘を前にしながらも恬然と日常を送る見事な挙措、そして決闘の場に至っての緊迫感溢れるにらみ合い(ここから冒頭の場面へ)という前半部分の丹念な構成にまず感心させられますが、ここから一気呵成の死闘がまた凄まじい。

 その一撃必殺ぶりが伝わってくるような鬼伝斎の豪剣の連続と、一瞬の隙をついての無手斎の反撃、そしてその合間の二人の思想と想念のぶつかり合い――圧巻と言うべきか、息つく暇もないというか、とにかく最強の剣士二人の決着回に相応しい壮絶な剣戟が、ここにはあります。
 この原作を漫画化した意味がここにある――とすら言いたくなる、素晴らしい回でした。いや凄いものを見ました。


『はんなり半次郎』(叶精作&篁千夏)
 狐狼狸(コレラ)の流行に対して、無病息災を祈る夜須礼祭に仮装で参加することとなった求善賈堂の面々と土方。歌舞伎役者の衣装を手がける職人に頼んだ装束を受け取りに向かった半次郎たちですが……

 冒頭、何故か全裸で眼病の手術を行う半次郎という謎のエピソードから始まった(と思ったら全裸に理屈付けがされていたのに吃驚)今回、どうなることやら――と思いきや、その後は半次郎や土方がちょっと目を疑うような凄い格好で暴れまわるというまさかのコスプレ回であります。
 シリアスな事態を前に、半次郎と土方がバラエティ番組なみの被りものをして、真剣な面持ちを見せる――という異次元空間にはもうどんな顔をすればよいのやら。ラストにはもう我々にはすっかりお馴染みのアレも登場して、時事ネタかつ何だかいい話に落とし込んでくるのもスゴいエピソードでした。


『いちげき』(松本次郎&永井義男)
 馴染みの女郎・ソノを自由にするために訪れた女郎屋で、宿敵・伊牟田と対峙することとなった丑五郎。もはや自分たちとソノ以外生あるものはいない女郎屋で、二人の最後の対決が始まることに……

 と、もはや自分の命(とソノ)以外失うものなどなくなった丑五郎と伊牟田の激突という、本作の最終章に相応しい殺伐極まりないシチュエーションで繰り広げられる今回。しかしこの明日なき決闘の前に、丑五郎が初めて伊牟田に自分たちの名――「いちげきひっさつたい」の名乗りを上げるのに泣かされます。
 そしてそれに対して、丑五郎たちの戦いを認め、正面から受けて立つ伊牟田も見事なのですが――そこから始まるマラソンバトルが、格好良さや冷静さとは無縁の、ひたすら泥臭い叩き潰しあいとなるのが、これまた実に本作らしいというほかありません。

 もはやなりふりかまわず、女郎屋を破壊しながら繰り広げられる死闘。その行きつく先は――まだまだ見えません。


 残りの作品は次回紹介いたします。


「コミック乱ツインズ」2020年7月号(リイド社) Amazon


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 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年3月号
 「コミック乱ツインズ」2020年4月号
 「コミック乱ツインズ」2020年5月号
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その二)

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2020.06.15

唐々煙『MARS RED』第1巻 人間の中のヴァンパイア、ヴァンパイアの中の人間

 時は大正、ヴァンパイアを戦力として目をつけた帝国陸軍は金剛鉄兵計画を開始、4人のヴァンパイアを実働部隊とする零機関を発足させた。一方、連続猟奇殺人を追う女性記者・葵は、ヴァンパイアと零機関が激突する場に遭遇し、死んだはずの幼馴染・秀太郎が零機関の一員となっていることを知る……

 2013年・2015年に上演された(そして来年アニメ化が予定されている)音楽朗読劇という、一風変わった題材を漫画化した作品であります。
 漫画を担当するのは、再演時にイラストを担当した唐々煙ですが――実はそれがきっかけで元作品に興味を持ったものの、なかなか接する機会がなかった身としては、今回の漫画化は、実にありがたいお話です。

 さて、本作は、大正時代を舞台とした吸血鬼もの。日本が舞台の吸血鬼ものは既にさまで珍しくはありませんが、本作のユニークなのは、吸血鬼(ヴァンパイア)である主人公・栗栖秀太郎が、軍属である――というより軍の秘密兵器扱いであるということでしょう。

 まだこの第1巻の段階では、作中の設定の全てが明かされたわけではありませんが、舞台となるのは、決して表向きにはされていないとはいえ、ヴァンパイアが人々の間に存在し、そして各国政府がそれを察知し、利用している世界。
 そしてその力を兵器利用せんとする中島中将を責任者とするのが金剛鉄兵計画であり、秀太郎たちが所属する憲兵隊内部の零機関なのであります。

 しかし上で述べたように、一般人はヴァンパイアが存在するなど夢にも思っておらず――秀太郎も、自分がそうなるまで同様の認識。
 そんな人間が吸血鬼となったとき、何を思い、どのように行動するのか――それが本作の趣向であると感じさせられました。(と、この辺りは原作者のあとがきに明示されているのですが、その試みは少なくともこの第1巻を読んだ限りでは成功していると感じます)

 もちろん自らがヴァンパイアになったことは絶対の秘密であり――それどころか公的には死亡したことになっている零機関の四人のヴァンパイア。しかしその中でも、少なくとも後からヴァンパイアとなった秀太郎と山上少佐の二人は、いまだ自らの運命の変化に馴染めず、「生前」を引きずった状態にあります。

 それと如何に向き合い、「生前」の自分と別れを告げるか――それがある意味この巻のクライマックスと言ってもよいかもしれません。
 特に、小太りの中年でヴァンパイアの能力的にも最低クラスと、およそパッとしない山上に、主人公である秀太郎よりもある意味ドラマチックな展開が用意されていたのは――単純にヴァンパイアをヒーローにも怪物にもしようとしない姿勢の現れのように感じられて、大いに好感が持てたところであります。


 金剛鉄兵計画と零機関のあらまし、帝都に跳梁する謎のヴァンパイアたちとの対決、秀太郎と葵のドラマが、それぞれ平行して描かれていることもあり、正直なところ、物語的にはまだまだ導入部といった印象のあるこの第1巻。
 しかし、上に述べたヴァンパイアに対する視点の面白さ(この他にも、ランクの低いヴァンパイアほど本能的に他のヴァンパイアを感知する能力が高いといった設定もいい)もあり――もちろんビジュアル面の魅力は言うまでもなく――この先が期待できそうな物語であります。

 冒頭に描かれた、数年後の関東大震災の場面にいかに繋がっていくのか、そしてタイトルの意味するところは何なのかも含めて、人間の中のヴァンパイアの物語、あるいはヴァンパイアの中の人間の物語の先行きを楽しみにしたいと思います。


『MARS RED』第1巻(唐々煙&藤沢文翁 マッグガーデンコミックスBeat'sシリーズ) Amazon

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2020.06.14

木下昌輝『信長、天を堕とす』 恐怖を知らぬ精神が浮き彫りにする信長の中の人間性

 若き日より、本当の強さを求めてきた織田信長。腹心であった岩室長門守の、本当の強さは恐怖を受け止めることという言葉を胸に、信長は己を恐怖させるものを求めて強敵に挑み続ける。その果てに、天下を掴むまであとわずかとなった信長が、己の強さを量る存在として選んだ相手とは……

 今年の大河ドラマにおいても強烈なインパクトを放つ織田信長。本作は、その信長の生涯――というより信長のパーソナリティを、ユニークな視点から切り取った作品であります。
 本作で描かれるのは、桶狭間の戦いから本能寺の変に至るまでの信長の姿――といえばあまりにも定番中の定番と感じられるかもしれませんが、そこで描かれる信長像こそが、実に独特であり、本作の主題と言うべきものなのです。

 若き日から己の強さを恃み、今川をはじめとする諸大名を相手に己が強者であることを証明することを誓う信長。しかし今川との決戦直前、熱田神宮の信長のもとに駆けつけた馬廻衆はわずか五人――そして桶狭間で天候に助けられて義元を討ったものの、その後も逃走することなく挑んでくる今川の侍大将たちの姿に、信長は自分が強者ではないことを痛感することになります。

 そしてその翌年、腹心であった岩室長門守が討ち死にする直前に信長に遺した言葉――「恐怖を受けとめて、乗り切る。それなくして、本当の強さは得られませぬ」が、その後の信長を縛ることになります。
 何故ならば、信長はこの世に生を受けて以来、ただ一度しか恐怖を感じたことのない人間。今のままであれば、自分は強者になれないのか。それであれば、強者となるために、自分を恐怖させる者と戦うに如くはない――信長はそう考えるのでした。

 そして、己の妹を嫁がせた浅井長政、死を恐れぬように挑んでくる一向宗、最強の敵である武田家らと戦いを繰り広げ、勝利を収めていく信長。
 それでもなお、桶狭間の頃と比べ自分は強くなったのか、共にに戦い死んでくれる者がどれだけいるのか――彼はそんな疑念を抱き続けることになります。やがて彼は、自分と同様の異才と炯眼、そして非情さと苛烈さを持つある武将を、己の鏡と思い定めるのですが……


 信長という人物を語る時に、最も用いられるキーワード――それは、「合理性」ではないでしょうか。将軍家や宗教といった既存の権威を次々と否定し、鉄砲という新兵器を活用し、生まれに関わらず才ある者を抜擢する――そんな信長の行動を支えるものとして、合理性を挙げる作品は少なくありません。
 信長を一種名探偵的な合理性の化身として描いた作者の『炯眼に候』は、まさにその典型といえるかもしれません。

 本作の信長も、表面的にはそうした信長像と大きく変わるものではないように見えます。
 しかしその一見超人的な信長を支えるものが、むしろ「強さ」の渇望と、それと背中合わせの「恐怖」の追求であった――本作はそんな視点から、信長という人間を再解釈することになります。そしてその視点は、むしろそうした合理性とはかけ離れた、独特の人間性を浮き彫りにすることになるのであります。

 そんな信長の姿は、やはりどこまでも歪であり、我々読者の共感を呼ぶというものではないかもしれません。しかしその信長が自分が鏡と認める者の前で思わぬ人間味を見せる姿、そしてそのために滅びに向かいながらついに自分の求めていたものを手にする姿には、不思議な感動があります

 それは、信長もまた、自分自身に価値があることを求めて呻吟する、我々と変わらぬ人間であると――そう確認できたからなのかもしれません。


 信長の生涯を描くには比較的ページ数が少ないこと、また雑誌連載であったこと、そして何よりも天野純希の『信長、天が誅する』と連動した内容であるためか――一つの作品として見た場合、やや性急であったり、説明不足に感じられる部分がないわけではありません。
 しかしそれでもなお、信長の精神的な超人性を描くことによって、それと背中合わせの彼の人間性を浮き彫りにしてみせた本作は、希有の作品であることは間違いありません。

 もちろん、『信長、天が誅する』も近日中にご紹介したいと思います。


『信長、天を堕とす』(木下昌輝 幻冬舎) Amazon

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2020.06.09

黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第17巻 二つの出会いが呼ぶ明るい空気 の後はやはり……

 近藤の死と沖田の死という辛すぎる出来事が続いたものの、土方が復活し、少しだけ明るい空気が漂う新選組。しかしいまだ新政府軍との戦いが続く中、何とか周囲の役に立とうと奮闘する鉄之助の前に現れた意外な人物とは?

 近藤の死によって深い絶望の淵に沈み、廃人同様となった末、沖田の死によって自らも死を選ばんとした土方。しかしその沖田の最後の言葉、そして彼を深く案じる鉄之助や斎藤、島田らの想いに応えて土方は復活、久々に新選組にも笑顔は戻ることになったのですが――しかし新政府軍との戦いは未だ続き、白河小峰城を巡る戦いは膠着状態であります。

 そんな中、銃を主体とする戦闘の中で周囲の役に立つべく、兄の遺した銃を使いこなすために奮闘する鉄之助。しかしそれまでとはあまりに勝手の違う戦いに悩む鉄之助ですが――その前に現れたのは、会津の銃士を名乗る三郎なる青年でありました。
 そして彼に誘われて羽鳥村の野戦病院を訪れた鉄之助の前に現れたのは、京で別れた沙夜で……


 ? 一巻くらい読み飛ばしてしまったかな? と思ってしまったこの展開――というのもこの沙夜、あの名前を出すのも厭な鈴に囚われ、ここしばらくは延々といたぶられ続けていたはず。それが何故、いきなり会津で、しかも女医的な立場になっているのか……?

 というこちらの困惑も知らずに、奇跡的な再会を喜ぶ鉄之助。京ではあとわずかで彼女の手を取って共に行けるところだったのを引き裂かれた最愛の人が、自分の目の前に現れたのですから、喜ばないはずはないのですが――さてこれを素直に喜んでよいものか。
 先に述べた通り、鈴に囚われの身であったはずの沙夜。その彼女が、鉄之助が戦いを繰り広げる会津に現れたというのは、偶然であろうはずがありません。そもそも、本作において、明るく盛り上がる展開があった次は、必ずズドンと暗く落ち込む展開があるはずなのですから。


 と、そんなこちらの疑心暗鬼に満ちた失礼極まりない決めつけをぶっ飛ばすような新キャラクターが、この巻には登場します。
 それが上に述べた三郎――左頬に傷を持つ「ハンサム」な長身の青年の正体は、ハンサムはハンサムでも「ハンサムウーマン」。自称「会津の戦乙女」山本八重……!!

 お、おう、この作品の八重はこうなるのか……と驚いたような納得したような、豪放極まりない男装の麗(?)人。彼女の正体を知る前の鉄之助が、銃を教わるために思わず「何でもします」と言ってしまったのに野獣の眼光をギラつかせる姿には、この世界の新島襄ってどんなキャラなんだろう――と思わず未来のことを考えてしまったほどであります。

 それはさておき、陰――というより病的なものを感じさせるキャラクターが多い本作において、珍しい陽性(というか獣性)の塊のような八重。
 これまで暗い展開が続いていただけに、彼女の存在は、上で述べた沙夜との再会も相まって、本作に一気に明るい雰囲気をもたらしたと言えるでしょう。
(鉄之助と沙夜のために骨を折る斎――山口さんや、鉄之助の彼女に驚く土方の姿などもあって……)


 が、やはり本作は本作、明るい展開の次は――であります。白河城の奪還どころか、新政府軍に押された末に、鶴ヶ城――会津若松城に籠城を余儀なくされる会津の人々。
 辛うじて沙夜や城下の人々が逃げ込むだけの時間を八重とともに稼いだ鉄之助(ここでも八重の暴れっぷりが痛快!)ですが、しかしここで鉄之助を待っていたのは、思いもよらぬ地獄絵図だったのであります。

 ここに至る前、城下の惨劇を前にして改めて指摘された鉄之助の致命的な弱点――敵に対する殺意のなさ。それはもちろん只人であれば(そして漫画の主人公であれば)美点であることは間違いありませんが、しかし戦場においては、それは自分を、いや周囲を害しかねない、まさに致命的な欠点となります。

 そしてそれを最も残酷な形で指摘し、そして「克服」させようとするこの展開。
 やはり明るい展開の次には地獄が待っていた――そんな自分の予感が当たってしまったことを恨むほかない、やはり次の巻を読むのが恐ろしくて仕方ない作品であります。


『PEACE MAKER鐵』第17巻(黒乃奈々絵 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon

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2020.06.08

賀来ゆうじ『地獄楽』第10巻 三つ巴の大乱戦の果ての更なる混沌と絶望

 狂気の島での天仙たちとの死闘もついに決着――と思いきや、待ち受けていたのは更なる混沌と地獄。先発上陸組の死罪人と浅ェ門、天仙、そして追加上陸組の浅ェ門と石隠れ衆――三つ巴の死闘が繰り広げられる中で生み出された更なる混沌を前に、果たして人間たちに打つ手はあるのか……

 四人の天仙との死闘――辟餌服生の斎での決戦を、誰一人欠けることなく(一人欠けたと思ったらちゃっかり戦線復帰して)勝利した先発上陸組。
 後は仙薬を奪取して脱出するのみ――と思いきや、天仙たちのリーダー・蓮の真の目的は、日本全土の人々を丹に変え、完璧な丹を作り出す神獣「盤古」を生み出すことにあったことを佐切は知ることになります。

 そしてそんな中、ついに追加上陸組――山田浅ェ門殊現・十禾・清丸・威鈴、そして石隠れ衆が蓬莱に乱入。悪を斬ることに狂的な情熱を燃やす殊現の指揮の下、圧倒的な数と力を持つ彼らは、天仙や怪物たち、さらには先発上陸組にまで襲いかかって……


 というわけで、第4巻ラストでの登場以来、先発上陸組の物語が進むのと並行して、各巻のラストに顔を出すのが定番(?)となっていた追加上陸組が、この巻でついに本格始動。
 普段の顔は好青年ながら、悪を前にすれば狂人としか言いようのない苛烈さを見せる殊現以下、実力のみで選ばれた四人の浅ェ門と、命令とあらば平然と死を選ぶ石隠れ衆――殺意の塊のような面々を前に、既に満身創痍の先発上陸組は不利というも愚かな状況であります。

 そしてついにその殊現の前に立つのは、既に片手片目を失った厳鉄斎。剣豪として、ある意味浅ェ門たちと最も近い存在である厳鉄斎ですが、それだけに殊現の贄(つまり噛ませ)に最も相応しい彼の前に、ついに殊現の真の力が示されることになります。
 絶対的な力の差に圧倒される厳鉄斎の運命は……


 という一方で、三つ巴の大混戦をさらに混沌としたものと変えていくのが、石隠れ衆のリーダー的存在である「画眉丸」――もちろんあの画眉丸ではなく、彼の次の代の画眉丸――の存在です。
 実は一人の名ではなく、いわば屋号であった「画眉丸」の名。石隠れの筆頭、そして象徴として、代々受け継がれてきたのが、その名だったのであります。

 そして抜け忍となった当代の画眉丸を殺し、正式に画眉丸の名を継ぐために次代の画眉丸は動いているのかと思いきや――彼の目的はただ、最愛の画眉丸を里に連れ戻すこと。
 そう、次代の画眉丸=シジャこそは、画眉丸に異常な執着と愛情を持ち、画眉丸を殺し画眉丸に殺されることを夢見る正真正銘のド変態。それ以外には使命も主命も人類の運命も関係ない、彼の重すぎる愛の暴走は、この戦いの大きな不確定要素として機能することになります。

 しかし、事態をさらに混沌とさせ、絶望的なものに変える存在が、この巻の終盤に出現することになります。

 先発上陸組も追加上陸組も、全ての人間の努力を無にするかのような――いや、天仙たちの思惑すら粉砕してしまうような――存在を、極楽浄土と地獄が同時に現出したかのような状況を前にして、はたして打つ手はあるのか?
 ここからが真のクライマックスであります。(と、断言できないところが本作の面白くも恐ろしいところではありますが……)


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 菱川さかく『地獄楽 うたかたの夢』 死罪人と浅ェ門 掬い上げられた一人一人の物語

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2020.06.05

楠桂『鬼切丸伝』第11巻 人と鬼と歴史と、そしてロマンスと

 不死身の鬼を唯一斬る力を持つ神器名剣・鬼切丸――その刀を持つ少年が、悠久の時の中で様々な人と鬼と出会う連作シリーズの最新巻であります。この巻は「戦国プリンセス特集」(あとがきより)として、戦国史の陰で泣いた女性たちの姿が描かれることになります。

 さて、3つのエピソードで構成されたこの巻の冒頭を飾るのは、土屋惣蔵昌恒と武田勝頼の妻・北条夫人を主人公とした「鬼一本腕千人斬り」であります。

 土屋昌恒といえば、武田家が天目山で滅びるその時まで、武田勝頼に仕えた忠臣中の忠臣。勝頼一行を逃がすため途中の崖道に一人残るや、片手で藤蔓に捕まり、残る片手で追っ手千人を斬って落としたという、片手千人斬りの巷説で知られた猛将です。
 片や北条夫人は、勝頼のもとに北条家から嫁いだ女性。北条氏康の六女というほかは、その名も伝わっていない女性であります。

 史実では家臣と主君の妻、共に天目山で亡くなったという以上の共通項を持たない二人ですが、本作では何と互いに慕いあっていたという設定。
 といっても一人政略結婚で武田家に入り、御館の乱で兄・上杉景虎を、夫の優柔不断さもあって失った孤独な婦人――いや年齢的には少女である北条夫人と、彼女の境遇に同情し、護ることを誓った昌恒という、むしろ精神的な結びつきなのですが……

 しかし武田家の落日が(あと「信勝くんの家庭の事情」による横恋慕が)二人の運命を狂わせ、そしてそれが鬼を生み出すことになって――という展開のこのエピソード。
 本作では、果たして誰が鬼となるのかという点が趣向の一つとなりますが、さてここで鬼になったのは誰であったか――皮肉かつ無惨、そして意外な結末が待つ物語であります。


 続く「武田松姫鬼恋情」は、時系列的には前話と重なる部分――というより武田家滅亡を背景とする点で、大きく重なる物語です。
 織田信忠と武田松姫――織田ロミオと武田ジュリエットというべき二人の戦国一の悲恋を題材としたこのエピソードですが、ユニークなのは、松姫を幽体離脱体質と設定していることでしょう。

 幼い頃、自らの魂を自在に肉体から飛ばして生き霊とする力を持つ松姫。そんなある日、鬼に襲われたところを鬼切丸の少年に救われ、生き霊はいともたやすく鬼と成ると警告された彼女は、以来生き霊を飛ばすのを控えるようになります。
 信忠恋しさに幾度かその禁を破った彼女ですが、しかし結ばれる寸前に信忠は二条城の炎に消え、松姫は八王子で信松尼として武田家の遺児たちを護り育てることに。しかし、やがてその彼女の周囲に鬼の影が……

 本作では、人は一度鬼となれば人には戻れず、そして鬼はほとんどの場合、鬼切丸の少年に斬られて滅びることになります。言い替えれば、史実上の人物が鬼となれば、そこで歴史から消えるほかないのであります。
 しかしここで鬼になると思しき松姫は天寿を全うしたはず――と思いきや、ここで本作ならではの設定が生きてくるのが実に面白い。

 そしてそれだけでなく、クライマックスには些か、いや相当に意外な展開が待ち受けており、今回もまた、人の情の皮肉さと強さに、鬼切丸の少年同様に驚かされるのです。
(にしても少年、松姫を煽るだけ煽った後に彼女がとった行動に、呆然と「やっちゃった……」という表情になるのが可笑しい)


 そしてラストの「黒百合鬼伝説」は、本能寺の変後の混乱期に、佐々成政が冬の立山佐良峠を越えて家康の元に向かった決死の「さらさら越え」にまつわる因縁譚を題材としたエピソード。
 そして題名の元である「黒百合伝説」とは、この出来事の直後、成政が懐妊した最愛の側室・早百合が不義密通し、腹の子も自分の子ではないという噂を信じ、彼女をを吊るし切りにしたという陰惨な伝説のことであります。

 後の成政の不遇はこの時の祟りである、ということで、いかにも本作に相応しい(?)因縁譚と感じられますが――しかしそれで終わらないのが本作らしい一捻り。
 成政の周囲で起きる怪異を引き起こしていたのは何者か、そして鬼切丸の少年の前に現れたのは――少年の境遇を知っていればなるほど、と頷ける展開は、人の愛の強さを何よりもはっきりと浮き彫りにしているといえるでしょう。
(そして今回もそれに驚く少年の表情が……)


 以上、いずれも人の愛の儚さと強さ、皮肉さと哀しさを描いた物語が揃ったこの巻。人と鬼と歴史の物語には、やはり同時にロマンスがよく似合うと、再確認させられた次第です。


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