2023.11.29

椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第7巻 四つの超常現象と仲間たちの成長

 日本各地で起きる怪奇現象の背後に潜む能力者を、陸軍エリィト育成校に「推薦」する岩元先輩の奮闘を描く本作――好調第七巻となる本書では、全四話の短編エピソードが描かれます。いずれも常識外れの怪異を引き起こすのは如何なる能力なのか? 危険と隣り合わせのスカウトは続きます。

 昭和初期、日本各地からエリィトが集められる陸軍栖鳳中学校。肉体派エリィトが集まる前線部隊、頭脳派エリィトが集まる研究棟に加え、もう一つ存在する「隔離施設」――奇妙な能力者たちが集うこの分隊に、日本各地から能力者たちを「推薦」するのが、学園書記長の岩元胡堂であります。
 自身も火を自在に操る能力者である岩元は、各地で起きる超常現象を調査、時に危険な能力者と対決し、その価値があれば学園にスカウトするよう、学長直々の命を受けているのです。

 かくて岩元と様々な能力者の出会いあるいは対決が描かれてきた本作ですが、最近は一巻おきに、短編エピソード集と、怪奇人間との対決を描く長編が繰り返されてきた印象があります。
 前巻は奇怪な能力者「毒男」との対決を描く長編でしたが、今回は全四話の短編が収録されています。

 人形と会話する能力を持つ一年生・淡魂瑞火が、かねてより探していた天才人形師・迦楼羅の人形が京都に出現、瑞火と岩元が追う「稀代ノ人形師」
 橘城学園長が、百貨店の昇降機の中でみかん売りの少年と出会ったことをきっかけに垣間見た異界。その調査に、念写能力者の筆岸蛉と岩元が向かう「暗闇行キノ昇降機」
 小学校時代の級友から聞かされた中学校の奇妙な噂話をきっかけに、 岩元の後輩・原町が想像を絶する能力者と遭遇する「原町海ノ事件ノォト」
 異例の長寿を誇った科学者・牧野翁の死後、解剖された体内に奇怪な水が発見されたことをきっかけに、学園内に科学とも憑き物ともつかぬモノが跳梁する「ソノ憑キ物水ノ如シ」

 どのエピソードも他所ではまず見られないような独創性に満ちているのは、これまで同様。そこで描かれる超常現象(あるいはそれを操る能力)のロジックと描写、それに対する対抗手段やストーリー展開には驚かされるばかりです。

 特にこの巻で印象に残ったのは「暗闇行キノ昇降機」であります。ある意味都会に生まれた最先端の科学である昇降機を一歩降りれば、そこには暗闇が広がり、その中には「なにか」が蟠っている――そのギャップと、異界を描く画の力に圧倒されるのですが、岩元たちの調査によって明らかになっていく、謎の能力者の「能力」が素晴らしい。(そこに念写能力者を絡ませることでさらに謎めいたものとする趣向も見事)
 全ての謎が明らかになるわけではない結末も、このエピソードにおいてはむしろ効果的に働いているといえるでしょう。

 また、別の意味で度肝を抜かれたのは、「原町海ノ事件ノォト」です。とある尋常中学校で囁かれる奇妙な噂と、ある意味で名物教師の存在――どの学校にでも一つや二つあるような逸話が、思わぬところで繋がり、そこに現れるのは……
 いや、何をどうすればその能力が発現するのか!? というか何をどうすればこんな能力を思いつくのか? と唖然とする展開から、ラストはイイ話として締められるという、ある意味本作を象徴するような凄いエピソードであります。


 ちなみにこの巻の各エピソードでは、学園の様々な生徒(能力者に限らず)が前面に出る形で、岩元はむしろ一歩下がり、締めに登場するという印象があります。これまで様々な能力者をスカウトし、そしてまだまだ未知数の存在も学園にはいることを思えば、このスタイルは正解でしょう。
 何よりも仲間たちの成長は、岩元自身が望むところでしょうから……

 敵(?)も味方も、この先の意外な能力者の登場が楽しみで仕方ない作品です。


『岩元先輩ノ推薦』第7巻(椎橋寛 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon


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2023.11.23

陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第9巻 龍馬四面楚歌、そして流される万次

 万次たち剣士が死闘を繰り広げる一方で、着々と進んでいく歴史の流れ。薩長同盟を成功させた龍馬が次に狙うのは、大政奉還――しかしそれは、これまで手を組んできた薩長を敵に回すことに繋がるのでした。幕府を含め、四面楚歌の龍馬を守ろうとする万次ですが……

 自分の預かり知らぬところで不死力解明実験が繰り返されていたことを知った綾目歩蘭。幕府側で血仙蟲を生み出していた江戸城地下の万次の腕を破却した彼女は、あとわずかで国外に出られるというところで、生きていた佐々木只三郎――いや佐々木源八の手で、無惨な最期を遂げることになります。
 一方、その悲劇を知らずに奔走していた龍馬と万次は、挽斃連の襲撃を受け、龍馬を庇おうとして万次は共倒れに。しかしその場に現れた総司が、万次と龍馬を助けるのですが……

 というわけで、知らぬ事とは言いながら、新選組にとっては宿敵である龍馬を助けてしまった総司。そしてその直後に血を吐いて倒れた総司を新選組の屯所に連れて行った二人は、そのまま連行されてしまうのですが――土方の機転(?)と、思わぬ人物の助けでその場は逃れたものの、なおも龍馬の受難は続きます。

 前巻では犬猿の仲である薩長同盟を成立させた龍馬ですが、次なる策・大政奉還の策は険しい道のり。考えてみれば、ようやく手を組んで幕府に互する力を得ながらも、その力を行使しない(させない)ために大政奉還をさせようというのですから、薩長にとって面白かろうはずもありません。
 双方が龍馬を敵視する、いや、その命すら狙う一方で、元々龍馬は幕府にとってもお尋ね者――まさに四面楚歌であります。

 しかしその幕府側の急先鋒というべき新選組も、既に一枚岩ではありません。そう、伊東甲子太郎一派が御陵衛士として新選組から分派、この伊東の思想が龍馬のそれと近かったことから、伊東は龍馬への接近を企み――と、龍馬を巡って京の情勢は複雑に動くことになります。

 当然、龍馬の用心棒である万次にとっては、気の休まらない日々が続くわけですが――ここでの万次は完全に龍馬に振り回されている、というより歴史の流れに振り回されている状態という印象があります。
 仕方ないといえば仕方ないところですし、これはこれで実は万次らしい(正伝の頃から、基本的に周囲に振り回されて貧乏くじを引くのが万次でしたし)のですが、やはり少々味気ないという印象は否めません。
(一時は行動を共にした高杉晋作の呆気ない退場も、歴史にキャラクターが流されている印象を強めます)

 むしろその一方で、ある意味元気なのは(元を含めた)新選組の側でしょう。新選組と御陵衛士、つまりは近藤・土方派と伊東派が暗闘を繰り広げる中で、思わぬ目立ち方をするのは藤堂平助――作品によって結構描かれ方が異なる平助ですが、本作の平助は、かなり黒い部分を抱えた人物(ここで語られる彼の過去の行動には些か驚きました)として描かれることになります。
 特に、御陵衛士にスパイとして入り込んでいたことで知られる斎藤一との対決は、その展開の意外さと、ある意味本作らしいなりふり構わなさから、この巻の隠れた名勝負という印象があります。

 とはいえ、何と言っても最も派手に動くこととなったのは総司でしょう。歩蘭の死により薬が手に入らなくなり、しかし剣を振るうことと引き換えとなる肺の摘出手術は拒否した末に、ついに土方から江戸帰還を命じられた総司。
 一度は江戸に向かった総司が、その途中で見かけてしまったのは、龍馬の手配書き――かつて自分が知らずに助けた男が、幕府の敵であったことを知ってしまった総司は、江戸帰還を拒否して暴走を開始します(ここでのアクロバット縄解きが凄まじい)。その暴走の先にあるものは……


 かくて薩摩・新選組(あと見廻組)・御陵衛士・そして総司が、それぞれの想いから追う龍馬。その龍馬は、隠れ家としている近江屋にひとまず腰を落ち着けるのですが――いよいよ運命の時が迫る中、誰が龍馬を斬るのか。そしてその時、万次は――物語は一つの、そして大きなクライマックスに差しかかったといえるでしょう。


『無限の住人 幕末ノ章』第9巻(陶延リュウ&滝川廉治&沙村広明 講談社アフタヌーンコミックス) Amazon

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2023.11.19

「コミック乱ツインズ」2023年12月号

 号数でいえば今年ラストとなる「コミック乱ツインズ」12 月号は表紙が何と『江戸の不倫は死の香り』、巻頭カラーは『鬼役』。『勘定吟味役異聞』が最終回を迎える一方で、、ラズウェル細木『大江戸美味指南 うめえもん!』がスタートします。今回も印象に残った作品を紹介しましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ジファルの過去編も終わり、今回から再び描かれるのは、ビジャの城壁を巡る攻防戦。そこで蒙古側が繰り出すのは、攻城塔――重心が危なっかしいものの、装甲を固め、火矢も効かないこの強敵を前に、ブブがまだ戦線に復帰しないビジャは窮地に……

 しかし、インド墨者はブブだけではありません。そう、モズがいる! というわけで、これまではその嗅覚を活かした活躍がメインだった彼が、ついに墨者らしい姿を見せます。攻城塔撃退に必要なのは圧倒的な火力、それを限られた空間で発揮するには――ある意味力技ながら、なるほどこういう手があるのかと感心。ビジュアル的に緊張感がないのも、それはそれで非常に本作らしいと感じます。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに今回で最終回、「父」吉保の置土産である将軍暗殺の企ての混乱の中で、徳川家の正当な血統の証を手に入れた柳沢吉里。しかしその証も、事なかれ主義の幕閣の手で――と、大名として残る吉里はともかく、ある意味同じ幕臣の手で夢を阻まれた永渕にとっては、口惜しいどころではありません。

 死を覚悟した永渕は、最後に聡四郎に死合を挑み、最終回になって聡四郎は宿敵の正体を知ることになります。聡四郎にとっては降りかかる火の粉ですが、師の代からの因縁もあり、ドラマ性は十分というべきでしょう。
 しかし既に剣士ではなく官吏となった彼の剣は――と、最後の最後の決闘で、彼の生き方が変わったこと、さらにある意味モラトリアムが終わったことを示すのに唸りました。

 そして流転の果てに、文字通り一家を成した聡四郎。晴れ姿の紅さんも美しく(吉宗は相変わらず吉宗ですが)、まずは大団円であります。が、もちろんこの先も聡四郎の戦いは続きます。その戦いの舞台は……
(と、既にスタートしている続編の方はしばらくお休み状態ですが――さて)


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 特別読切と言いつつ先月から続く今回、売られていく幼馴染を救うために店の金に手を付けた男を救うため、店の主から赦免嘆願を引き出した例繰方同心・内之介。しかしその前に切れ者で知られる上司が現れ――という前回の引きに、なるほど今回はこの上司との仕合なのだなと思えば、あに図らんや、上司は軽い調子で内之介の方針を承認します。
 むしろそれで悩むのは内之介の方――はたして法度を字義通りに解釈せず、人を救うために法度の抜け道を探すのは正しいのか? と悩む内之介は、いつもとは逆に自分が責める側で、イメージトレーニングを行うのですが――その相手はなんとあの長谷川平蔵!?

 という意外な展開となった今回。正直にいえば、二回に分けたことで、内之介が見つけた抜け道のインパクトが薄れた気がしますが――しかし、ここで内之介が法曹としての自分の在り方を見つめ直すのは、彼にとっても、作品にとっても、大きな意味があるといえるでしょう。単純なハッピーエンドに終わらない後日談の巧みさにも唸らされます。


『カムヤライド』(久正人)
 東に向けて進軍中、膳夫・フシエミの裏切によって微小化した国津神を食わされ、モンコたちを除いて全滅したヤマト軍。そして合体・巨大化した国津神が出現し――という展開から始まる今回ですが、ここでクローズアップされるのは、フシエミの存在であります。
 かつてヤマトでモンコに命を救われたというフシエミ。その彼が何故モンコの命を狙うのか――その理由には思わず言葉を失うのですが、それを聞いた上でのモンコがかける言葉が素晴らしい。自分の力足らずとはいえ、ほぼ理不尽な怒りであっても、全て受け止め、相手の生きる力に変える――そんな彼の言葉は、紛れもなくヒーローのものであります(そしてタケゥチも意外とイイこという)。

 その一方で、前回のある描写の理由が思わぬ形で明かされるのですが――そこから突然勃発しかかるカムヤライドvs神薙剣。また神薙剣の暴走かと思いきや、そこには意外な理由がありました。ある意味物語の始まりに繋がる要素の登場に驚くとともに、なるほどこれで二人の対決にも違和感がない――という点にも感心させられました。


 次号は創刊21周年特別記念号。今回お休みだった『真剣にシす』が巻頭カラーで登場。『軍鶏侍』は完結とのことです。


「コミック乱ツインズ」2023年12月号(リイド社)


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2023.10.24

霜月りつ『帝都ハイカラ探偵帖 少年探偵ダイアモンドは怪異を謎解く』

 『神様の用心棒』から約三十年後、舞台を函館から東京は銀座に移して繰り広げられる探偵物語であります。名門パーシバル商会の血を引く美少年探偵と、その秘書の青年が挑むのは、怪奇な、そして人の心の暗がりを描くような事件の数々。そしてその先に探偵が求める真実とは……

 時は明治四十四年、銀座に探偵事務所を開設した少年ダイアモンド・パーシバル。中学生になったばかりながら、人並み優れた観察眼を持ち、先祖代々のドルイドの血を引く彼は、ある目的から探偵となったのですが――しかし学業優先で日曜しか開業できないため、閑古鳥が鳴いている状態。
 今日も幼い頃から身近に仕える専属秘書の青年・久谷十和と無聊をかこっていたダイアモンドは、千里眼実験の催しの看板を見つけ、好奇心から十和を連れて足を運ぶことになります。

 はじめは疑いの目で見ていたものの、舞台で後ろを向いた状態から次々と正面のものを当てる少女・瑪瑙を本物だと信じるダイアモンド。その瑪瑙は舞台上で突然、銀座のどこかの店に盗人が入ると予言するのでした。
 折しも銀座を騒がす、頭の前後に二つの面を被った強盗団・両面宿儺――予言通りにこの両面宿儺が強盗に入ったことから、瑪瑙は評判を呼ぶことになります。見えないものが見える者同士親近感を抱いたダイアモンドは、瑪瑙と友達になるのですが……


 箱館戦争から十年後の函館を舞台に、神の手で死から甦って神社の用心棒となった青年の奮闘を描いた『神様の用心棒』シリーズ。このシリーズには、ドルイドの血を引く外国人商人アーチー・パーシバルと、その姪のリズ(エリザベス)がレギュラーとして登場しますが――同じ世界の約三十年後の物語である本作の主人公・ダイアモンド少年は、リズの妹の子という設定であります。

 本作は、そのダイアモンドが、私立探偵として活躍する連作。探偵といってもまだ十二歳ですが、その視える目と切れる頭、そして幼い頃から忠実に使える十和たちに助けられて、不可思議な事件に挑んでいくことになります。

 上で紹介した第一話「少年探偵と超能力少女」に続く第二話「隠れん坊の幽霊」では、ダイアモンドは品川の幽霊屋敷の調査に当たります。
 屋敷を建てたイギリス人家族が不幸にも次々と亡くなり、次に屋敷を手に入れたアメリカ人夫妻は殺し合いの末に亡くなったというこの屋敷。その次に手に入れた日本人も、ひどい頭痛と幽霊に悩まされた末に入院し、新たな所有者から依頼されたダイアモンドは、勇躍屋敷に乗り込むことになります。

 そしてラストの第三話「黄昏の馬車」では、彼は自分が探偵を志した理由である、ある事件の手掛かりを掴むのですが……


 自分を「吾輩」と呼ぶのも微笑ましいダイアモンド少年(しかし実はそこにはある切実な理由が……)と、彼を幼い頃から「坊ン」と呼びつつ忠実に使える十和。そんな二人のやり取りを見ているだけでも、本作は楽しい楽しい作品であります。
 この辺りの呼吸は、『神様の用心棒』と変わらぬ楽しさであることは間違いありませんが――しかしそれだけではありません。この楽しいキャラ配置とやり取りの一方で、彼らが対峙する事件は、シビアで、人間の心の昏い部分を描くものばかりなのですから。

 思えば『神様の用心棒』も、人情やアクションをふんだんに描きつつ、様々な意味でドキッとさせられるような、厳しく重いものを描いてきました。そのスピンオフである本作も、そのテイストを存分に受け継いでいるのであります。
 というか第一話から、いきなりの地獄風味でさすがに驚かされた(もう少し手加減しても)のですが――しかしその一方で、どのエピソードも、こうした重い部分と、泣かせる部分の塩梅が絶妙なのは流石というほかありません。

 特にハッとさせられる形で、鮮やかに哀しみを昇華してみせる第三話の見事なラストなど、相変わらず緩急自在の描写には、感情を揺さぶられまくった次第です。

 そんなわけで、『神様の用心棒』の世界観とテイストは踏まえつつ、新たな舞台で、新たな世界を展開してみせた本作。『神様の用心棒』だけでなく、こちらの物語ももっと読んでみたい――そんな佳品であります。


 ちなみに本作には『神様の用心棒』のキャラクターが一人、レギュラーとして登場します。なるほど、キャラ同士の関わりにしても、キャラとしての面白さからも納得の人選なのですが――やっぱりまだ独り身なんですかね?(ゲス顔


『帝都ハイカラ探偵帖 少年探偵ダイアモンドは怪異を謎解く』(霜月りつ マイナビ出版ファン文庫)

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2023.10.14

さいとうちほ『輝夜伝』第13巻 月の使者迎撃を阻む人のエゴ!?

 竹取物語をなぞるように、ついにかぐやのもとにやって来た月からの迎えと、それを迎え撃とうとする都の人々。万全のはずの備えが次々と破られる中、ついに繭の中から復活した月詠の姿とは――そして一つの苦難を乗り越えた先に待つ、さらなる混乱とは……

 ついに竹速と結ばれた月詠が繭に包まれた後も事態は進行し、ついに次の満月の晩には月からの迎えがかぐやの元にやって来るという状況になった都。もちろんこれを人々が座視するはずもなく、北面と八咫烏は、月からの迎えを迎撃すべく、準備を整えます。
 その中心となるのは、八咫烏の長老・金鵄が発案した、月からの迎えの目を眩ませ、天女の身代わりを連れ帰らせようという作戦――そしてその身代わりに志願したのは、元々月に帰りたがっていた艶であったことが、事態を大きく悪化させることになります。

 艶が地上から去ることに大反対した治天の命によって、艶の代わりに身代わりに立てられることになった、かつて比叡山から月に帰った天女の末裔・琵琶。なるほど、彼女たちも天女の血を引いているのは確かですが、しかし彼女に想いを寄せている(?)凄王が黙っているはずもありません。

 すったもんだの末、身代わりに選ばれたのは、ここしばらく妙なところで目立っていたあのキャラで――と、月の使いがやってくる前に都人側が自然崩壊しかねないエゴのぶつかり合いであります。
 その果てに、ついにやってきた月の使者の前で、最悪の事態が最悪のタイミングで発生することになってしまうのですが……


 と、竹取物語でいえばクライマックスの部分に差し掛かった本作ですが、あちらに比べて都人側も有効打を用意していたはずが、一体皆どうしたの、と言いたくなるようなエゴをむき出しにした結果、あわやという状況に至ることになります。

 その窮地を打開できるのは――そう、主人公しかいません。繭を破って飛び出した月詠は、新コスチューム(表紙を参照)で大活躍、ついに月の使者たちを撃破するのですが――しかし、それはあくまでも一時しのぎにすぎません。何しろ月がそこにある限り、月の使者は満月のたびに訪れるのですから。それに対して都人側が今回と同じ手段で対抗できるとは思えません。

 いやそれよりも何よりも、原典通り(?)の変貌を遂げてしまったかぐや姫が、新たな問題を引き起こします。
 月の使者との遭遇の末に地上人への情をなくし、身も心も月の天女と化してしまったかのようなかぐや姫。しかし地上人への情をなくしたとしても、同じ天女に対しては――と、大変な方向に転がっていくのです。

 その変貌ぶりについては、ついに月詠の前に姿を現した月の女王が語る、月の天女たちの生と性が一つの答えとなるのですが――いやはや、そのとてつもない真実の前には、艶様の暴走が可愛らしくみえるほどであります。
 もちろんそれが彼女たちの持って生まれたものであれば、責めるわけにはいかないのですが――しかしこの真実を前にして、はたしてどのような解があるのか、途方に暮れるほかありません。
(それにしても、ここまで天女たちの存在を突き詰めた作品があったでしょうか?)


 いや、解がないわけではありません。それは戦って相手を攻め滅ぼすことであります。その道を選んだかに見える都人の男たちは、月人に対する有効打に成り得る「武器」を手に意気あがるのですが――それが元は何であったかと思えば、とても一緒に喜ぶ気にはなれません。
 八方塞がりにも見える状況の中、はたして皆が幸せになれる答えはあり得るのか? いよいよクライマックスであります。


『輝夜伝』第13巻(さいとうちほ 小学館フラワーコミックスアルファ) 

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2023.10.11

さいとうちほ『VSルパン』第7巻 『八点鐘』開幕 紳士と美女、対等な冒険の始まり

 前巻で「緑の目の令嬢」編が完結した『VSルパン』は、この巻から「八点鐘」編に突入。薄幸の美女・オルタンスとルパンを思わせる快男児・レニーヌ伯爵が、八つの謎に挑むことになります0。はたして廃墟に響く時計の鐘が意味するものとは……

 狂人の夫と結婚した上、持参金は夫の叔父・エーグルロッシュ伯爵に奪われ、駕籠の鳥の状態の美女・オルタンス。自棄になってつまらぬ男と駆け落ちをしようとしたオルタンスですが――その前に青年貴族レニーヌ公爵が現れ、駆け落ちを妨害するのでした。
 そのまま、彼女を近くの廃墟・アラングル荘に誘うレニーヌ。彼の巧みな手腕で二十年間放置されていた屋敷に入り込んだ二人ですが、突然古時計が動き出し、八時の鐘が鳴り響いたではありませんか。

 そして古時計の中に隠されていた望遠鏡を見つけたレニーヌは、見晴らし台の銃眼から、数百メートル先の塔を覗いてみるのですが、そこにあった恐ろしいものとは……


 不幸な結婚に苦しむ美女と、謎めいた冒険家の紳士、そして怪奇なムード漂う事件――と、冒頭からびっくりするくらいルブラン風味濃厚な第一話「塔のてっぺんで」。
 ここでレニーヌとオルタンスが見つけたのは、無惨にも白骨化した二人の死体。その死体の謎を鮮やかに解いてみせるレニーヌですが、それは同時に、オルタンスの身を自由にすることでもあって――と、ここから『八点鐘』という物語が真にスタートすることになります。

 あまりに鮮やかなレニーヌの手並みを目の当たりにして、一体何者なのかと問うオルタンスに対し、単なる冒険家だと語るレニーヌ。
 しかしレニーヌはそれだけでなく、オルタンスを冒険に誘うのです。
「今日の冒険はあなた自身の人生に関することでした でも他人のためにする冒険だって感動的です」
「救いを求める人があったら力を合わせて救い 犯罪の匂いや苦痛の叫びに気付いたら出かけていくんです」

 もちろんそんな誘いに疑いを抱くのが当然ですが、それに対してもきっちりと「契約」を交わすのがレニーヌの紳士たる由縁です。
 最初の冒険で古時計が八時を打った――すなわち八点鐘を鳴らしたのにちなんで、今後三ヶ月の間に、今日のものも含めて八つの冒険をしましょう。もちろん途中で面白くなくなれば抜けて結構。しかし最後まで付き合ってくれたなら、最後に自分の願い(と言って彼女の唇をじっと見つめる)を聞き届けて欲しい、と……

 いやはや、全八話の連作短編のスタートして、これ以上のものはないくらい魅力的な滑り出しではありませんか!


 しかし本作で真に感動的なのは、レニーヌがオルタンスを「救い出す」のでもなく、「彼女のために」冒険する(してあげる)のでもなく、彼女を冒険に誘うことでしょう。

 ここでレニーヌが「ぼくの相棒におなりなさい」と誘い、いやになったといつでも抜けて良いと語るのに明らかなように、彼とオルタンスはあくまでも対等な関係であり、彼女の主体性・自主性をどこまでも重んじているといえます。
 それは駕籠の鳥として自由を奪われ、そして寄ってくるのも贅沢な生活を送らせる=何かを与えてやるという男だった彼女にとって、何よりの救いであり、その死にかけていた心を甦らせたのではないでしょうか。

 原作の時点で非常にロマンチックで、前章の『緑の目の令嬢』とは別の意味で少女漫画向きの『八点鐘』。しかしこうして本作で読み返してみると、原作で描かれていたものは、今なお全く古びていない、いや新たな輝きを放って感じるのです。


 と、第一話の時点でテンションが上がりまくってしまいましたが、その後のエピソードももちろん魅力的な内容揃いであります。
 カフェで叫び声を上げた男と出会ったことから、無実の男を救うために事態が二転三転、最後は思わぬトリックも飛び出して緊迫したサスペンスが展開する「水瓶」
 オルタンスの妹・ローズが出演する映画を観たレニーヌが、ローズに異常な視線を向ける端役に注意を惹かれる「映画があばく恋」

 元々原作はミステリとしても高く評価されている作品ですが、各話毎に全く趣向の異なる物語を楽しませていただきました。

 そしてこの冒険は残すところあと五つ、少しでも早く次なる冒険を見たいというのが、偽らざる心境であります。
(ちなみに「映画があばく恋」は原作では第四話だったのですが、本来の第三話は次巻に収録されるようで一安心)


『VSルパン』第7巻(さいとうちほ&モーリス・ルブラン 小学館フラワーコミックス) Amazon

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2023.09.27

篠綾子『翔べ、今弁慶! 元新選組隊長 松原忠司異聞』

 タイムスリップ時代劇は今では珍しくありませんが、現代から過去ではなく、過去から過去へのタイムスリップはまだ珍しい類であります。本作はその一つとして、今弁慶の異名を取った新選組の松原忠司が、源平合戦の最中に現れるという奇想天外な、しかしどこかウェットな物語であります。

 八月十八日の政変の際、坊主頭に白い鉢巻、大薙刀という姿で禁裏の門を守護したことから「今弁慶」の異名を持つ新選組四番隊隊長・松原忠司。しかし親しかった山南が切腹した後、身に覚えのない嫌疑で捕らえられた忠司は、切腹を命じられることになります。
 想いを交わしていた島津家の奥女中・おるいに累が及ばぬよう、彼女を逃がすことを決意した忠司は切腹の場から逃走、追っ手と斬り合った末に、壮絶な死を遂げた……

 はずだったのですが、気がついてみればそこは見知らぬ地。そこで「弁慶殿」と声をかけられた忠司は、なんと自分がいるのが、壇ノ浦の合戦直前の源氏の陣と気付くのでした。
 しかし不審人物として捕らえられ、惟宗三郎なる人物に一旦預けられた忠司は、そこで畠山重忠と知り合うことになります。

 やがて合戦が終わって解放され、京に上った忠司は重忠と再会。そこで重忠が、平宗盛の子でまだ八歳の副将君を救おうとしていることを知った忠司は、彼の企てに協力することになります。
 惟宗三郎に見つかりかけながらも副将を救うことに成功し、重忠の領国である武蔵国へと伴った忠司。そこで重忠の妹・貞姫と知り合い、一時の平和な時間を過ごす忠司は、義経と重忠、頼朝と惟宗三郎、そして貞姫を巡る様々な因縁の存在を知ることに……


 冒頭に述べたように、様々なパターンのあるタイムスリップ時代劇ですが、過去から過去というのはまだ珍しい部類に入ります(その中には、本作の解説で触れられているように、新撰組全体が戦国時代にタイムスリップしてしまう『戦国新撰組』がありますが……)
 そんな中で本作は、「今弁慶」が、源平時代にタイムスリップして本物の弁慶と出会ってしまうという、極めてユニークな作品であります。

 しかしタイムスリップと書いたものの、死んだと思ったら壇ノ浦に居たというのは、どちらかというと最近の転生もの感がありますが――とはいえ本作の忠司は、源平合戦の大まかな知識があるのみで、目立った「未来人」としてのスキルはなく、過去の時代で大活躍するわけでもありません。

 またタイトルを見た時の予想に比べると意外に感じられたのは、忠司と弁慶の絡みは想像以上に少なく、物語のメインとなるのは完全に忠司と畠山重忠と惟宗三郎忠久――「三忠」の交流である点であります。
 正直なところ、弁慶の代わりに忠司が義経に付き従って戦う――という話を想像していましたが、あまりに安直であったと反省いたしました。


 そんなわけで本作は、忠司の存在を通じて、源平合戦直後の武士たちの人間模様を描く、想像以上に地に足の付いた物語であります。

 生まれも育ちも異なるものの、やがて強い友情で結ばれる三忠や、まだ幼いうちから一族郎党と死に別れた幼い副将との交流――仲間と愛する人、所属する場所と帰る場所全てを失った忠司にとって、この時代に出会った人々の存在が救いとなり、生きる理由となる様は、なかなかに味わい深いものがあります。

 特に複雑な出生ゆえになかなか本心を見せぬものの、やがて心を開いていく三郎との友情は、やがて明かされる一つの因縁とともに、本作の大きな要素(あるいは仕掛け)といえるでしょう。


 しかし全体を通してみると、タイムスリップしてこの時代ならではの物語が描かれたかといえば、やはりどうかな、という印象を受けてしまうのも正直なところではあります。

 特に終章とその直前の展開は、それぞれがメインになってもおかしくない内容だけに、かなり駆け足に感じられて――もちろん、そこに至るまでの経緯こそが本作の中心という意図なのだとは思いますが――どうにももったいないという印象が強いのです。


『翔べ、今弁慶! 元新選組隊長 松原忠司異聞』(篠綾子 光文社文庫) Amazon

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2023.09.25

矢野隆ほか『どうした、家康』(その一)

 今年の大河ドラマもそろそろクライマックスですが、意外と少なめだった印象のある今年の家康関連書籍。そんな中でも、そのタイトルで一際目を引いたアンソロジーであります。家康の生涯を豪華執筆陣が超短編で描くユニークな企画の本書の全十三編のうち、印象に残った作品をご紹介します。

「囚われ童とうつけ者」(矢野隆)
 父の命じるままに今川家の人質になった――はずが、配下の裏切りで織田家に送られた幼い竹千代。現状を受け容れるしかない彼の前に、ある日奇妙な青年が現れて……

 本書の劈頭を飾るのは、まだ六歳の家康と、うつけ者――信長の出会いを描く物語。理不尽な状況に翻弄されるばかりで忍耐するしかない家康と、テンションが高くエキセントリックな物言いの信長というのは、ある意味定番のキャラクター像ではあります。
 しかし家康にあえて残酷な現実をぶつけてくる信長と、それによって初めて本当の顔を見せる家康が最後に結ぶ絆は実に熱く、一貫して戦う男を描いてきた作者ならではの物語と感じます。


「生さぬ仲」(砂原浩太朗)
 元康の生母であるお大を妻に迎えた久松弥九郎のもとを訪ねてきた元康。しかし時は今川と織田の決戦の直前、織田方である俊勝は、母子の再会の後、元康を抹殺することを決意するのですが……

 家康を生んだ後に松平広忠に離縁され、久松俊勝(弥九郎)に嫁いだお大。今川と織田に挟まれ、それぞれの顔を伺う父や夫に翻弄されたその経歴は、後の天下人の母とは思えぬ過酷さを感じさせます。

 そして本作はその夫の弥九郎が主人公という、意表を突いた設定の作品。色々な意味で何とも微妙な立ち位置の弥九郎ですが、決戦の直前にわざわざ自分の懐に飛び込んできた元康を見逃すはずもなく――と、ここからの展開はある意味予想通りではありますが、その結末に対して抱いた弥九郎の感慨が、ほろ苦くもどこか爽やかでもあります。

 個人的には本書でもベストの作品でした。


「三河より起こる」(吉森大祐)
 三河の一向一揆で家中が真っ二つに割れる中、家康の正室・瀬名が一向宗側の茶会に顔を出したと聞かされた石川与七郎(数正)。瀬名を問いただした与七郎が聞かされた彼女の思いは……

 家康の正室でありながら、後に悲劇的な運命を辿ることとなった瀬名。これまで悪妻として描かれることも多かった彼女を、本作はいささか異なる角度から切り取ってみせます。
 今川と徳川の間に挟まれた自分の立場を弁えないのでなく、ただ翻弄されるでもない――十二分に己の立場を理解し、その上で必死に生きようとする本作の彼女の姿は、彼女が語る(その時点の)家康像ともども、大いに納得がいくものであります。

 その一方で、彼女がぬけぬけと語る、向こう側につかなかった理由もすっとぼけていて(もちろんこれも一つの象徴なのですが)、彼女の未来を予感させる結末の一ひねりも含めて、一筋縄ではいかない物語であります。


「徳川改姓始末記」(井原忠政)
 ある日、関白・近衛前久から呼び出された神祇大副の吉田兼右。三河守への叙爵を望む家康から働きかけを受けたにもかかわらず、太政官から「先例がない」と拒絶された家康のため、兼右は賄の分け前目当てに先例を調べるのですが……

 いま徳川家と三河武士を書かせたら最も旬な作家の作品は、意外にも京の公家の世界を舞台とした物語。源氏であるはずの家康が、一時期藤原氏を公称していた謎(?)から始まり、公家たちの複雑怪奇な世界が描かれることになります。

 箔をつけたい戦国大名と、金がない貧乏公家の組み合わせだけでも面白いところに、思わぬ出来事が家康の叙爵を妨げていたという展開もユニークなのですが、関係者にとっては面白いではすまされません。家康からの賄を手にするために、兼右たちが取った手段とは――いやはや、いつの時代もこうした世界は変わらないものです。


 次回に続きます。


『どうした、家康』(講談社文庫) Amazon

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2023.08.25

椎名高志『異伝・絵本草子 半妖の夜叉姫』第5巻

 クライマックスに向けて絶好調のコミカライズ版『半妖の夜叉姫』、この巻では過去の悲劇と現在の戦いの理由がついに語られることになります。これまで思っていた以上に重い使命を課せられた上に、「朔」で妖力を喪った夜叉姫たちですが、それに負けることなく彼女たちは立ち上がります。

 今を去ること五百年前、地球に接近した妖霊星を迎撃する守り手に選ばれた犬の大将と麒麟丸。少年(?)殺生丸が見つめる中、二人の大妖怪は、見事地上に降り注いだ妖霊星の欠片を破壊したかに見えたのですが、――かし妖霊星の真の狙いは、守り手の近親者を狙うことで……
 という大いなる悲劇から始まる第5巻。この辺りの展開は完全に本作オリジナルですが、ここで妖霊星とりおんの死を繋げるか! と大いに納得(アニメでの彼女の死因は、あれはあれで虚しさがあってよいのですが)。そして悲しみに暮れる麒麟丸に近づくのは――という展開もまた巧みであります。

 そして麒麟丸が禁忌の術法を発動させようとしている一方で、是露のアニメよりもパワーアップした呪いが――というわけで、ここで過去に犬夜叉・かごめ・りんの身に起きた出来事も、一気に説明されることなり、ほぼこの辺りの謎は語られたといってよいでしょう。
 もっとも、特に犬夜叉の封印の際に殺生丸が語った言葉など、まだ謎の部分はあるのですがが……
(ちなみに謎といえば、アニメでは何となく出てきて何となく納得させられた阿久留と時代樹について、妖霊星の誕生と絡めて説明されたのは素晴らしい)

 もっとも、この殺生丸の謎の言葉関連や、是露の真珠とその作用については、少々情報が駆け足で提示された感はあるのですが……


 さて、親世代の物語が語られる一方で、夜叉姫たちの冒険ももちろん続きます。是露の配下が迫る緊迫した状況で、よりによって半妖/四半妖が月に一度妖力を失う「朔」の状態になってしまい大ピンチ――と思いきや、それで収まらないのが彼女たちであります。
 かつて犬夜叉が朔で苦しんだのは、彼が一人だったから。いま彼女たちには同じ境遇の仲間がいる――いや、彼女たちを慮ってくれた仲間たちがいる! と、決してこの状況に無力ではなく、それどころか妖力を失ったのを逆用して反撃に転じる様にはグッと来るばかりです。

 尤も、幼い頃から様々な訓練を積んでいたせつなともろはに比べれば、とわは不利であります。そのため、今回の戦いでも妙な形で待機状態だったのですが、しかしそこで彼女の秘められた能力が――と、アニメ版でいささか弱かった、とわ自身が他の二人と互角以上に戦える理由を補っているのにも納得です。

 そしてもう一つ驚かされるのが、ここで三人の前に立ち塞がる敵が、魔夜中であること――アニメでは愛する人間に裏切られ神宝を奪われたことから暴走した土地神でしたが、ここではその設定を活かしつつ、愛する人のために妄執に囚われて、是露の配下として現れることになります。
 もちろん本作のベースはアニメであり、これまでもそのアニメの要素を様々な形で取り入れてきましたが、単発エピソードの敵役をここで持ってくるとは――しかも元のエピソードを活かしつつ、彼と同様に人間の女性を愛した妖/半妖の子である夜叉姫たちと対決させることで、妖/半妖と人間の愛の意味を描き出すのには、ただ唸るほかありません。

 そして「神」だけあって、やたらと得られるものが豪華だった魔夜中を倒した余勢を駆って是露の屋敷に乗り込んだ夜叉姫。もちろん是露が早々簡単に打倒できるはずもありませんが――次巻「第一部クライマックス!!!」とあるのはどうしたことでしょうか。
 はたして第二部はあるのか――と真っ先に気になってしまうところですが、もちろんその前にクライマックスに何が描かれるのか、それが楽しみであることは言うまでもありません。


 それにしても、もろはまでときめかせてしまう、とわの無意識イケメンぶりよ……


『異伝・絵本草子 半妖の夜叉姫』第5巻(椎名高志&高橋留美子ほか 小学館少年サンデーコミックス) 

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2023.08.14

坂ノ睦『明治ココノコ』第5巻

 明治の世に復活した九尾の狐「たち」の戦いを描く物語も、この第五巻で完結を迎えることになります。ニゴリモノたちを操り、川路に深い恨みを抱く怪人・ナノラズと最後の決戦に挑むビャクと尾たちの戦いの行方は、ナノラズの正体とは、そして九尾の狐は真に復活するのか!?

 かつて天狐に封印されて明治の世に不完全な形で復活、川路利良配下の妖狐邏卒隊として、己を見失った物の怪――ニゴリモノと戦ってきた元九尾の狐のビャクと尻尾たち。
 浅草の漆黒の楼閣で周囲に災厄をばら撒いていた最後の尾・コクとの対決の末、ついに全ての尾を集めたビャクですが、コクの背後には、彼を使嗾していた真の敵――正体不明の「ナノラズ」というべき謎の怪人がいました。

 ビャクと川路が二人がかりでも敵わず、辛うじてその場から脱するのがやっとであったほどの力を持つナノラズ。何故か川路に深い恨みを持ち、公務で海外に向かうこととなった川路を付け狙うナノラズに対し、雷神の力を持つ助っ人・藤田五郎を加え、ビャクと八尾は迎え撃つための体制を固めるのでした。

 が、万全の体制で臨むかと思われたものの、敵に先手を打たれた形で異界「狭間」に引きずり込まれてしまった一行。敵の攻撃から川路を守るべく陣を固めたビャクたちの前には、ニゴリモノと化した恐るべき大物妖怪たちが現れます。
 さらに迫るナノラズに対し、その正体を暴くべく、それぞれの力を振り絞るビャクと尻尾たちの、最後の戦いが始まることに……


 かくてこの巻ほとんど一冊全てを使って描かれる、ナノラズとの決戦。その戦いの行方を左右する鍵であり、そして何よりも物語における最大の謎が、ナノラズの正体であることは言うまでもありません。

 ビャクをも上回る強大な力を持ちながらも、単純な物の怪でもニゴリモノでもない。川路利良に深い恨みを抱くことから、どうやら元は人間らしいと思われるナノラズ――このナノラズが一体何者なのかは初登場時から大いに気になったところですが、ここで描かれるこの正体は、こちらの個人的な予想とは全く異なるものでした。
 その予想の内容を語ってしまえば、そのままナノラズの正体を明かすことになるためにここでは伏せますが――その正体は「えっ」と少々驚かされると同時に、「なるほど……」と納得させられるものであったのは間違いありません。

 そしてその正体を見れば、ナノラズもまた、これまで物語で描かれてきたニゴリモノたちと同様の――明治という新たな時代が巻き起こしたうねりの中に巻き込まれ、苦しんだ末に己を見失った存在であったと感じさせられます。そして一歩間違えれば、ビャクもまたそうなりかねないものであったとも。

 しかしビャクはニゴリモノになることはなく、そしてその一方で、過去の己と同一の存在に戻ることもなく、新たな道を選ぶことになります。その結末は、これまでこの物語で描かれてきたものがあってこそなのでしょう。
 正直なところ、これまでの妖目線から描かれてきた物語には違和感を感じないでもなかったのですが――結末に至り、(ナノラズとの対決を通じて)ビャクにようやく共感できるようになったと感じます。

 せっかく登場した斎藤の出番が少なかったのは少々残念ですが、彼はこの先も続く、人間と妖の繋がりを引き継ぐ役目なのでしょう。そう、この先も妖は滅びることなく在り続けていく――そんな本作の結末は、大きな希望に満ちたものと言うべきなのかもしれません。


『明治ココノコ』第5巻(坂ノ睦 小学館ゲッサン少年サンデーコミックス) 


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