2024.10.09

容疑者は三つ子!? 深まる謎と「歴史」ミステリとしての必然性 潮谷験 『伯爵と三つの棺』

 フランス革命の頃、ヨーロッパのさる小国で起きた奇怪な殺人事件を描く、歴史ミステリの傑作です。D伯爵の領地に建てられた「四つ首城」で起きた、元吟遊詩人の射殺事件。何人もの目撃者がいたにもかかわらず、容疑者が三つ子だったことから、捜査は難航を極めるのですが……

 ヨーロッパの通称「継水半島」のD伯爵領の四つ首城――貴族の娘と吟遊詩人の間に生まれた私生児である三つ子の兄弟が、城持ちの身分を目指して、廃城を改修した城です。
 三兄弟の少年時代からの友人であり、今はD伯爵の下で書記官を務める語り手は、D伯爵との繋ぎに一役買ったこともあり、友人たちの活躍を喜ぶのですが――しかし、思わぬ運命の変転が訪れます。三兄弟が生まれてすぐに姿を消した彼らの父親――フランスに渡り、そこで後ろ盾を得た元吟遊詩人・アダロが、帰ってきて三人と面会したいと連絡をよこしたのです。

 複雑な心境の三人ですが、フランス革命直後の微妙な時期に、フランスと繋がりのある人間を邪険にもできません。かくしてD伯爵と語り手をはじめとする人々も同席し、城でアダロを迎えることになったのですが……
 しかし、三兄弟が気を落ち着けるためとその場を離れた間に到着したアダロは、D伯爵たちが見ている前で射殺されたではありませんか! しかも偶然垣間見えたその犯人の顔は、三兄弟のそれ――しかし共通のアリバイがある彼らの誰が犯人なのか、一目ではわかりません。

 かくしてD伯爵の指揮の下、犯人探しが始まります。しかしアダロが身につけていた手紙に記されていた驚くべき事実が、さらに状況を複雑なものにします。幾度も状況が変化していく中、D伯爵たちはついに犯人を突き止めるのですが……


 本格ミステリは、どれだけ複雑な謎が設定された、不可解な事件が起きるかというのが一種の条件と言えますが、本作は、それをきっちりクリアしてみせたといえるでしょう。
 何しろ起きる事件は、衆人環視下での殺人――しかも犯人までその顔を露わにしているのです。一見謎などないように見えますが、しかしその容疑者が三つ子なのですから、、事態は一気に複雑なものへと変わります。

 もちろん、犯人が実は三つ子だったと後から提示されたらそれは大きなルール違反ですが、本作の場合、物語の初めから三つ子として提示されているのですからフェアというべきでしょう(もっとも、途中でさらに大変なひねりが加わるのですが……)。
 舞台は18世紀、科学捜査がほとんど存在しない状況下で、外見だけで判別できない、共通のアリバイがある容疑者三人からいかに犯人を見つけるのか――言い換えれば純粋にロジックで謎を解くことができるのか? 事件そのものはシンプルですが、しかし刻一刻変化する状況下で展開する謎解きは、本格ミステリの興趣に満ちているといえます。


 しかし本作がさらに見事なのは、「歴史」ミステリとしての必然性でしょう。舞台となるのは、フランス革命直後のヨーロッパ――フランスほど急激な変化はまだ生じていなくとも、いつそれが伝播し、国内の情勢がどう変わるかわからない時期です。
 そんな中で、フランスに縁のある人間が殺されたこの事件は、デリケートなものとなりかねません。そこにD伯爵が自ら捜査の陣頭指揮を取る必然性の一つが生まれるわけですが――しかしこの封建制度、貴族を中心とした身分制度が揺らぐ時代が、物語が進むにつれて、想像以上に大きな意味を持つことがわかります。

 これは物語の核心に関わるため、うかつなことは書けませんが――貴族の血を引く子として育てられながら複雑な立場にある三つ子が、この時代に何を思い、どのように行動したか――作中で謎めいた形で描かれるそれは、物語の終盤、この時代背景と照らし合わせることで、驚くほど重く、深刻なものとして立ち上がるのです。

 歴史ミステリの最上のものは、単に過去の時代を背景とするだけでなく、その時代であることに必然性があり、その時代性そのものがある種の「動機」となるものだといえます。その意味で本作は最上の歴史ミステリであるといえるでしょう。
(そして物語は謎が解けたその先で、残酷な歴史に回収されることになるのですが……)


 しかし本作の恐るべき点は、結末にあります。幾重にも解決が覆されたその先に待つ最後の真実――それが明らかになった時、物語は全くその姿を変えるのですから。
 少なくともこの『伯爵と三つの棺』という題名を見た時、我々がそれまでと全く異なる感慨を抱くことは間違いないでしょう。


 ちなみに本作は、上に語ったように深刻な物語ではあるのですが、随所に描かれるユーモアが、格好の清涼剤となっています。
 特に己の捜査の方向性に悩むD伯爵が「私は×××になりたい」などと言い出すのには爆笑不可避で――途中で描かれるアクションシーンの格好良さといい、ぜひD伯爵の勇姿を他の作品でも見たいものです。
(それが難しいことは、十分承知しているのですが……)


『伯爵と三つの棺』(潮谷験 講談社) Amazon

|

2024.09.24

決着「腸詰男」そして岩元の過去へ 椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第9巻

 特殊能力者たちを保護し、時にはその暴走を止めるべく奔走してきた陸軍栖鳳中学校の岩元先輩の戦いを描く『岩元先輩ノ推薦』の第九巻は、前巻に続く「腸詰男」との死闘から始まり、大能力者の力を得て暴走する腸詰男との決着が描かれます。そして巻の後半では、岩元の過去を知る男が……

 日本各地で家具や人形に封じ込められたバラバラの肉体を蘇らせる怪人「腸詰男」ブルストマン。触れたものを肉に変える能力を持つ彼の正体は、ドイツ軍の命を受けた能力者――かつてその能力を恐れた人々によりバラバラに封印された大能力者「十三夜の風」を復活させるべく来日した彼を止めるべく、岩元は総力戦を挑みます。

 佐々眼、淡魂をはじめとする能力者たちを結集し、ついにブルストマンに痛撃を与えた岩元。しかし「十三夜の風」の顔と片手を手にしたブルストマンは、なおも己の力を求めて暴れ続けます。
 能力を恐れられ、弾圧された過去から、その立場を逆転させようとするブルストマン。岩元は彼に対してまで保護の手を差し伸べようとするのですが――と、物語は少々意外な、しかし岩元のキャラクターを考えれば、ある意味当然の方向に展開していきます。

 しかし、岩元の理想を誰もが理解し、差し伸べた手を握り返すとは限りません。それを痛いほど感じさせながらも、思わぬところから現れたブルストマンの理解者の存在を描くことで、このエピソードは複雑な余韻を残して終わることになります。


 そして、いつもながらのお騒がせ男・原町が、墨使いの烏賊谷を引っ張り出して謎の「蹴鞠男」を追ったことが、中学校全体を巻き込む大騒動に発展していく短編エピソードを挟んで、物語は思わぬ方向に展開していくことになります。

 橘城先生から休暇を命じられ、ただ一人旅に出た岩元。彼が向かった先は、かつて対決した毒男――の娘・瑠璃が潜む地でした。
 毒男とその妻が、文字通りその身の全てを賭けて逃した瑠璃。彼女にとっては岩元は忌むべき追跡者ですが、岩元にとっては恩人ともいうべき男が遺した愛娘であり、最も守りたい相手にほかなりません。

 一瞬想いを交錯させたものの、再び別れることとなった二人。しかし瑠璃を、無数の奇怪な花が襲います。そこに現れたのは、異常に粘着質かつ常人には理解不能な理屈を振りかざす新たな能力者・能野愛生――彼に捕らえられた瑠璃を救うべく駆けつけた岩元は、相手を知って複雑な表情を見せます。
 実は二人は旧知の間柄、いやそれどころか岩元にとっては天敵同然の相手。それでも戦いを挑む岩元は、かつてない苦戦を強いられることになります。

 その強敵の正体は――なるほど言われてみれば、という「立場」の相手ではあるのですが、ここから物語は、岩元が「先輩」になる前の、彼が栖鳳中学校に至る前の過去に突入するようです。

 既に物語が始まった時点で「先輩」として登場し、その能力を自在に使いこなし、各地の能力者を中学校に「推薦」してきた岩元。しかし考えてみれば、誰が彼を「推薦」し、そこに至るまで何があったのかは、ほとんど語られてきませんでした。
 この巻では、まだその端緒についたばかりですが、これまでの物語から考えれば、彼自身がその能力に苦しみ、そして他の能力者に追われ、戦う姿が描かれるのでしょう。

 一方、岩元の側のストーリーが展開する一方で、物語には新たな勢力が登場します。栖鳳中学校そして岩元とは似て(?)非なる立場を取る彼らの目的は何なのか――あるいは岩元にとって、最大の敵が登場したのかもしれません。
 そしてその真相は、おそらく彼の過去にも繋がっているはず。次巻が待ち遠しい展開です。


『岩元先輩ノ推薦』第9巻(椎橋寛 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

関連記事
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第1巻 超常現象の源は異能力者 戦前日本のX-MEN!?
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第2巻 始まる戦い、その相手は……
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第3巻 開戦、日英能力者大戦! そして駆けつける「後輩」
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第4巻 再び追うは怪異の陰の能力者 怪奇箱男!
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第5巻 怪奇現象と能力者と バラエティに富んだ意外性の世界
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第6巻 内臓なき毒男と彼らの愛の物語
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第7巻 四つの超常現象と仲間たちの成長
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第8巻 異国からの脅威 新たなる腸詰男!

|

2024.09.12

南部の忍び、金山の謎に挑む? 桜井真城『雪渡の黒つぐみ』

 江戸時代初期の東北を舞台に、隠密たちのサスペンスフルな暗闘を描く、ユニークな活劇です。伊達家の黒脛巾組の暗躍を探るため、金山に潜入することになった南部家の隠密・間盗組の景信。伴天連門徒や謎の邪教集団も絡み、複雑怪奇な状況の中で、いまいち頼りない彼の活躍やいかに?

 城代の娘の侍女・紫野が黒脛巾組の隠密と知り、密会相手を捕えるべく待ち伏せた、間盗役の望月景信。間盗役でも唯一の声色使いである彼は、紫野に化けて密会場所に出向くものの、相手に見破られた上、捕えようとした相手は自害してしまうという失策をしてしまうのでした。
 陰険な上役の浅沼にここぞとばかりに責め立てられた景信は、苦し紛れに紫野を転向させ、彼女と共に潜入先である鹿角に向かうことになります。

 南部領随一の金山であり、諸国から逃れてきた伴天連門徒が大勢いるという鹿角の白根金山。そこで何かが行われていると睨む景信ですが、紫野が何者かに殺され、後から助っ人としてやってきたという豆助と共に、金山に向かうことになります。

 その金山の麓の町で、景信は、父が東北を騒がす邪教・大眼宗に関わって出奔したため金山にいられなくなり、女郎になるという娘・鈴音と出会い、強く惹きつけられます。
 そして、堀子だった鈴音の父と働いていたという金名子(堀子たちの取り纏め役)の重蔵と知り合った景信と豆助は、彼の口利きで金山で働くことになるのでした。

 実は伝道師の助手を務めるという重蔵をはじめ、山の人々から伴天連宗の情報を集める二人。しかしその周囲は俄にきな臭くなっていきます。
 豆助も本当に信頼できるのか定かではない状況で、景信は鈴音に接近して伴天連宗、そして大眼宗の謎を追うのですが……


 どうしても知名度が高く、何かと動きの派手な伊達家の陰に隠れがちな南部家ですが、しかし東北の戦国時代を生き抜いて江戸時代を迎えただけあって、なかなかどうして面白いエピソードを持つ大名家です。

 本作は、そんな南部家がかつての強敵――そして今は油断ならぬ隣人である伊達家と繰り広げる諜報戦を描いた物語ですが、その題材として、金山とそこに集まる伴天連門徒(キリスト教徒)を扱うのが趣向です。

 この時代は既に禁教令が全国に広まっていたものの、金山は治外法権。そこに伴天連門徒が集まって――というのは、必ずしも本作の創作ではなく、史実に基づいたものです。
 さらにいえば、本作の冒頭で描かれる、大眼宗が出羽の横手城を襲撃し、囚われた大導師を奪還したという、あまりにフィクションさながらの事件も、そしてこの大導師と本作に登場するある人物との関わりも……

 こうした、実に面白い題材ながら取り上げられることの少なかった、東北の伴天連宗門と大眼宗を題材にしたのは、見事な着眼点というべきでしょう。


 そしてそれを背景に、南部家と伊達家の諜報戦が展開され、誰が味方で誰が敵かわからない暗闘が繰り広げられる――というのも面白いのですが、引っかかるのは主人公である景信のキャラクターです。

 声色使いとしてあらゆる声を真似できるという、唯一無二の能力を持つ景信。しかしそのメンタリティは隠密というにはあまりに未熟で、諜報戦の中で右往左往する姿が目立ちます。
 特にヒロインの一人である鈴音に対してはほとんど執着としかいえない態度を見せ、かなりいきあたりばったりに行動する姿は、物語の緊迫感を大きく削ぎかねない(それはそれで一種の緊迫感を生むといえばいえますが……)と感じます。

 声色使いの能力も、終盤のある場面で非常に面白い使い方をするものの、それ以外ではあまり活用されていると言い難く状態です。もちろんその未熟さが、逆に物語をスリリングなものとしているといえないこともありませんが、彼が作中で大きく成長するわけでもなく、もう少しプロらしくしても、というのが正直な印象です。

 さらにいえば、当時の伴天連門徒が置かれた状況に対して物語がほとんど無頓着なのも、(これはこれで一つの書き方ではありますが)もう少し描きようがあったのではないかと感じます。


 題材としてはまだまだ珍しい(といっても絶無ではないのですが)だけに、色々と勿体ない作品だと感じたところです。


『雪渡の黒つぐみ』(桜井真城 講談社) Amazon

|

2024.08.29

かつてない緊迫した状況と、宣能への生暖かい眼差し 瀬川貴次『ばけもの好む中将 十二 狙われた姉たち』

 ばけもの好む中将こと左近衛中将宣能と、彼に付き合わされる右兵衛佐宗孝が繰り広げる騒動を描いてきた『ばけもの好む中将』、番外編を挟んで久々の新作です。多情丸への復讐に心を因われた宣能を気遣うも、空回りしてばかりの宗孝。しかしその多情丸は、宗孝の姉たちに狙いを定めて……

 幼い頃に乳母と共に多情丸に襲われ、自分だけが生き残ったという過去を持つ宣能。彼の多情丸への復讐の決意は固く、危険な企てを何とか止めようとする宗孝との間には隙間風が吹き始めます。

 宣能といえば怪異巡りと、彼の気を復讐から逸らそうと怪異スポットを探したり、乳母の霊を呼び出そうと三流陰陽師の歳明の力を借りて奮闘する宗孝。しかしこういう時に生真面目な彼は空回りし、そればかりか宣能との間にはますます気まずい空気が流れます。

 しかも、悪い時には悪いことが重なるものです。これまで幾度となく宗孝を救ってきた十の姉・十郎太の正体が、かつて京の裏社会を取り仕切っていた黒龍王の孫娘であると知ってしまった多情丸。彼は、自分こそが黒龍王の後継者であることを示し、そしてかねてからの邪恋を果たすために十郎太を狙いを定めたのです。

 とはいえ、神出鬼没の十郎太を捕らえるのは難しい――というわけで、彼女の姉妹、すなわち宗孝の姉たちを標的に定めた多情丸。その命を受けた、面長と丸顔の二人組が、次々と宗孝の姉たちを誘拐しようと企てて……


 というわけで本作では、サブタイトルの「狙われた姉たち」どおり、かつてない緊迫した状況が訪れます。
  尼僧の二の姉、下級武士と駆け落ちした六の姉、発明家夫妻の五の姉、恋多き四の姉、そして宮中での女房修行を間近にした真白――宗孝の大事な姉たちの身に危険が迫る!

 ……かどうかは、本シリーズのファンであれば、容易に先の展開の予想がつくと思いますが、その辺りは平安コメディの第一人者たる作者の面目躍如――個性的な姉たちならではのシチュエーションで繰り広げられる騒動は、こちらの期待通りの楽しさです。ここのところ重い展開が続いてきただけに(いや、この展開も重いといえば重いのですが)溜飲が下がる思いです。

 一方、彼女たちが主役(?)となっている裏で、宣能と宗孝のドラマも展開していくことになります。その中でも特に今回印象に残るのは、宣能と多情丸の子分筆頭である狗王の対峙です。
 子分筆頭に相応しい実力者ではあるものの、しかしどこまで本心から多情丸に従っているのかわからず、その行動には謎めいたものを感じさせる狗王。今回の宗孝の姉誘拐作戦の指揮を任されているのも彼ですが、どこまで本気なのか、疑わしいものがあります。

 それはさておき、これまで宣能と狗王が直接対面して会話する場面はあまり記憶がありませんが、どちらも本心を表に出さない人物だけに、腹の探り合いは、なかなか読ませるものがありま――といいたいところですが、今回必見なのはむしろ、宣能も気付いていない彼の本心を狗王が言い当てるくだりでしょう。えっ、宣能気付いてなかったの!? とこちらも驚いてしまうのですが、そんな彼を生暖かく見つめる狗王の姿には思わず共感――こちらも同じ顔で宣能を見守りたくなってしまうのです。

 そしてそれは、ここのところ闇落ちしかかっていた宣能に対する、大げさに言えば最後の希望なのですが――しかし本作のラストでは、思いもよらぬボタンのかけ違いから、とんでもない事態が発生することになります。
 宣能も宗孝も、そして多情丸も予期していなかったであろう、そして誰にとっても幸せにならない事態の先に何が待つのか?

 早くも再来月刊行となる第十三巻「攫われた姫君」が今から楽しみで仕方ありません。


『ばけもの好む中将 十二 狙われた姉たち』(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon


関連記事
「ばけもの好む中将 平安不思議めぐり」 怪異という多様性を求めて
「ばけもの好む中将 弐 姑獲鳥と牛鬼」 怪異と背中合わせの現実の在り方
『ばけもの好む中将 参 天狗の神隠し』 怪異を好む者、弄ぶ者
瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その一) 大驀進する平安コメディ
瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その二) 「怪異」の陰に潜む「現実」
瀬川貴次『ばけもの好む中将 伍 冬の牡丹燈籠』 中将の前の闇と怪異という希望
瀬川貴次『ばけもの好む中将 六 美しき獣たち』 浮かび上がる平安の女性たちの姿
瀬川貴次『ばけもの好む中将 七 花鎮めの舞』 桜の下で中将を待つ現実
瀬川貴次『ばけもの好む中将 八 恋する舞台』 宗孝、まさかのモテ期到来!? そして暗躍する宣能
瀬川貴次『ばけもの好む中将 九 真夏の夜の夢まぼろし』 大混戦、池のほとりの惨劇!?
瀬川貴次『ばけもの好む中将 十 因果はめぐる』 平安○○っ娘の誕生と宗孝の危機!?
瀬川貴次『ばけもの好む中将 十一 秋草尽くし』 二人の絆の危機、老女たちの危機!?

瀬川貴次『ばけもの厭ふ中将 戦慄の紫式部』 平安ホラーコメディが描く源氏物語の本質!?

|

2024.08.27

陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第10巻 最後の激突 そして幕末から明治へ

 長きにわたり描かれてきた幕末絵巻も、ついにこの第十巻を以て完結となります。大政奉還を成功させたものの、諸勢力から狙われる龍馬を近江屋で守る万次。しかしそこに修羅と化した沖田総司が襲いかかります。大切な者を喪った万次の最後の戦いの行方は……

 薩長同盟に次いで大政奉還を成功させ、無血革命へと大きく時代を動かしてみせた坂本龍馬。しかしその立役者として、龍馬は幕府のみならず、武力倒幕を目指していた薩長からも命を狙われることになります。

 一方、知らぬこととはいえ、自分がその龍馬の命を助けてしまったことを知った沖田は大暴走、療養のために一度は江戸に向かったもののUターンし、京で辻斬りを始めるのでした。
 そして総司・新選組・見廻組から追われることになった龍馬は、万次とともに近江屋にひとまず隠れるものの……

 というわけで、ついに来てしまった運命の慶応3年11月15日。この日に何が起きたのか、それはいうまでもないでしょう。
 かくしてこの巻の前半では、近江屋での死闘が描かれることになります。本作においては、龍馬には万次がついていることはいうまでもありません。並みの相手であれば引けを取るはずもない万次ですが、しかしそこに総司が現れたことで、残酷な結末を迎えることになります。

(ちなみに龍馬に手を下した人間については見廻組の今井や新選組の原田など、諸説ありますが、本作では律儀にそれを全部採用しているのがちょっとおかしい)

 かつては凛を守って逸刀流や幕府の手の者たちと渡り合い、見事彼女に仇討ちの本懐を遂げさせた万次。しかし、それはあくまでも僥倖だったのかもしれません(冷静に考えれば結構凛に守られたり救われたりしてましたしな)。
 そしてその事実に否応なく直面させられた万次が取った行動とは……


 そして、江戸で沖田が療養している屋敷での万次と総司の激突を以て、本作は終わりを迎えることになります。

 友を喪い怒りに燃える万次が勝つか、死を目前にして透徹した心境の総司が勝つか? 万全の態勢で臨んだ万次ですが、迎え撃つ総司の方も思わぬ(本当に何故ここに……)得物を手にして一歩も引かない――いやむしろ万次を圧倒します。
 この、狭い屋内を舞台にしての変態武器を用いての剣戟は、実に「らしい」――本作のラストを飾るに相応しいものといえるかもしれません。

 そして意外といえば意外、納得といえば納得のその結末もまた……

(意外といえば、應榮が誰の子孫かというのはちょっと意外というか、結局押し切ったんだなあ――というか)


 幕末の物語は終わり、明治の物語へ――正篇の結末に繋がって完結した本作。

 すぐ上で触れたように、ラストバトルは納得のいくものでありましたし、また物語的にもここで終わるのが適切であろうとは思いますが――しかし、これまで描かれてきた様々な人々の運命が、あっさりと一コマで片付けられてしまうのは、それはそれで非常に勿体ないという印象は否めません。
 特に物語前半にあれだけ暴れまわった土方についてはほとんど触れられず――というのは、これも物語の流れ上仕方ないのですが、やはり残念ではあります。

 正篇とは大きく異なり、幕末の史実――大きな歴史のうねりに関わることとなった万次。しかしそれは終わってみれば結局、巻き込まれただけ、という印象が残るのは、これも仕方はないとはいえ、索漠たる印象が残ります。
 もちろん万次にとってみればそれはいい迷惑、自分は必死に切り抜けてきただけということなのだと思いますが――正篇での目的を貫き通した彼の姿を思うと、この物語の意味をどう捉えたものか、少々悩んでしまうのです。

 そんな中、陶延リュウの作画は大きな収穫であったと思います。四季賞では武侠ものを発表していたこともあり、次回作にも強く期待しているところです。


『無限の住人 幕末ノ章』第10巻(陶延リュウ&滝川廉治&沙村広明 講談社アフタヌーンコミックス) Amazon


関連記事
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第1巻 万次vs新選組!? 不死身の剣士ふたたび
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第2巻 勢揃い新選組! そして池田屋へ
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第3巻 万次vs総司、そして……
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第4巻 集結、人斬りゴールデンチーム!?
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第5巻 決戦、人斬りチーム+1 vs 逸番隊!
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第6巻 万次長州へ そして高杉の顔は
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第7巻
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第8巻 「不死力」という呪いを解くために
陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第9巻 龍馬四面楚歌、そして流される万次

|

2024.08.21

白川紺子『花菱夫妻の退魔帖 四』 物語を貫く謎の縦糸たち

 幽霊を見る力を持つ鈴子と、霊を喰らう怨霊・淡路の君に憑かれた家系の孝冬――花菱夫妻が幽霊絡みの事件に挑むシリーズ第四弾は、再び舞台を東京に戻して展開します。淡路の君との関係性に悩みつつ、霊に挑む夫妻の前に幾度となく姿を見せる人物の正体は――ますます謎は深まります。

 淡路の君を祓う覚悟を決め、その手掛かりを求めて花菱家の本邸のある淡路島を訪問した夫妻。そこで様々な伝承を調べ、手がかりらしきものを得た夫妻ですが、結局結論には至れませんでした。
 しかし鈴子は、淡路の君は自分と同じように、外から花菱家に嫁いで来たのではないか、と半ば直感的に感じ取るのでした。

 それが正しいのか、そしてそれが如何なる意味を持つのか――まだわかりませんが、この巻では再び東京を舞台に、苦しみ悩む人々からの依頼を受けて、鈴子と孝冬が霊に挑む姿が描かれます。

 元旗本屋敷の玄関に現れる血塗れの女性の幽霊を祓うため、幽霊が何者なのか、夫妻が屋敷と持ち主の過去を調べる「神の居ぬ間に」
 孝冬の昔なじみの新聞記者から、亡くなった退役軍人の後妻の暮らす屋敷の障子に、妾と思われる女の影が映ると聞かされた夫妻が、二人の女性の悲劇を知る「鬼灯の影」
 神田川沿いに出る女の幽霊の正体が、かつて恋していた元旗本の令嬢ではないかと考える古美術商から依頼を受けた夫妻が、幽霊の正体を追う「初恋金魚」

 いずれのエピソードも、本シリーズらしい恐ろしさと哀しさ――特に華族や旗本といった「家」に縛られた女性の悲しみを描くものとして印象に残ります。


 さて、これらのエピソードの面白さもさることながら、物語全体における縦糸たちもまた、こちらの目を強く惹きます。

 その一つが、淡路の君の存在であることはいうまでもありません。花菱家の当主に遥か昔から憑いて幽霊を食らい、食わせなければ祟るという淡路の君。
 そもそも鈴子と孝冬が出会うきっかけも淡路の君なのですが――しかし幽霊もまた「人間」と考える鈴子にとっては、幽霊を食らう行為自体が許されざるものといえます。

 かくて冒頭で触れたように、花菱家に祟り幽霊を食らう淡路の君を祓うことが、夫妻の目的となったわけですが――しかし本書において、鈴子の中に生じたある種の迷いは、物語上大きな意味を持って感じられます。
 それは淡路の君に食わせる霊を選ぶことは正しいのか、という迷い――淡路の君を鎮めるためには霊を食わせなければならない。しかし食われていい霊、いけない霊を自分たちが選ぶことは、それは一つの傲慢さではないのか、という迷いです。

 その悩みをある意味裏付けるように、この巻では二人ではどうにもできない――そして放置しておいても害しか生まない霊を、淡路の君が食う様が描かれます。
 それは極端な例かもしれませんが、しかしいずれにせよ、この鈴子の悩みの答えは、物語全体を通じての一つの結論になるように思われます。


 そしてもう一つ、本書において強調される縦糸は、これまでの物語で幾度となく夫妻の前に現れた新興宗教・燈火教と、その傘下にあるという鴻心霊学会なる団体の存在です。

 その目的は全く不明ながら、夫妻が関わる幽霊事件の関係者の陰に、幾度も見え隠れしてきた燈火教。しかしこの巻においては燈火教以上に、鈴子の行く先々に現れる老婦人・鴻夫人の存在がクローズアップされます。

 前々作のラストに意味ありげに登場した老婦人・鴻夫人。鴻心霊学会の長・善次郎の妻である彼女もまた、幽霊を見る力を持つ者であり、淡路の君の存在をも知っているのですが――しかし彼女の霊に対する態度は、鈴子のそれとはまた異なります。
 その違いが何を意味するのか――今のところは善意のみで行動する名家の老婦人にしか見えない彼女だけに、その見えない思惑は、淡路の君以上に不気味に感じられるのです。

 そして本作では、鴻心霊学会そのものにも、不穏さを感じさせる描写が散りばめられているのですが――特に善次郎と、ある人物の関係は、今後大きな意味を持つことになるのでしょう。


 この先も待つ様々な謎と秘密に夫妻がどのように立ち向かっていくのか――しかしこういう時、夫妻の間が全く揺らぐことなく、むしろより絆が深まっていくのが嬉しい――次巻も今から楽しみです。


『花菱夫妻の退魔帖 四』(白川紺子 光文社キャラクター文庫) Amazon

関連記事
白川紺子『花菱夫妻の退魔帖』 華族から家族へ、「歪み」を乗り越える二人
白川紺子『花菱夫妻の退魔帖 二』 幽霊と相対した時に彼女が願うもの
白川紺子『花菱夫妻の退魔帖 三』 怨霊を祓うこと 怨霊を理解すること

|

2024.08.12

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その一)

 今月の「コミック乱ツインズ」誌は、表紙が『鬼役』、巻頭カラーは単行本第一巻発売記念の『口八丁堀』。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 というわけで巻頭カラーは、単行本第一巻が発売、そしてシリーズ連載化記念で三ヶ月連続掲載の二回目となる本作。前回は非常にシリアス&言の刃仕合なしというちょっと異例の内容でしたが、今回は本作らしいユニークな形で言の刃仕合が繰り広げられます。

 まだ幼く、わがまま放題で周囲を振り回す北町奉行の若君と、その学問指南役として手を焼く内与力の伊勢小路。ある日、ついに若君に手を上げかけた伊勢小路ですが、運悪くそこを厳罰主義の吟味役与力・玄蕃に目撃され、主人への反逆としてあげつらわれることになります。
 そこに居合わせた例繰方与力・瀬戸の命で調べに当たった平津は、あくまでも厳罰を主張する玄蕃に対して、言の刃仕合を挑むことに……

 と、本来でいえば犯罪ともいえない出来事ながら、江戸時代の法理論でいえば重罪になってしまうという、実に本作らしい内容を扱ったエピソードである今回。厳罰主義という正反対の立場の玄蕃に対する、平津の反撃も見事なのですが――それだけで終わらず、そこから先の腹芸と、もう一つの芸が炸裂するオチも実にユニークでした。
(いや、突然飛び出したなこの技!? とか言わない)

 しかし本編には全く関係ありませんが、今回の『江戸の不倫は死の香り』、平津の裁きが見たかったな……


『不便ですてきな江戸の町』(はしもとみつお&永井義男)
 すっかり江戸の暮らしにも慣れ、およう(江戸時代人)のおようともよろしくやっている現代人の鳥辺。しかしもう一人、全く別の意味で江戸の暮らしに慣れてしまった奴が――というわけで、今月は久々に現代からやってきた犯罪者・佐藤の再登場編にして完結編。
 現代から偶然「穴」を通って江戸時代に来たものの、過去の時代に来たことが馴染めず、周囲の人間は全てもう死んだ人間=ゾンビと思うことで精神のバランスを取っていた佐藤ですが、それが行き過ぎて完全に凶賊に成り果てて――と、過去の時代に行った人間が、テクノロジーの力で暴君然として振る舞う物語は様々あるように思いますが、過去の人間を人間と思わない精神性の点で暴走するというのは、なかなか面白い視点だったと思います。

 しかし現代に帰ろうとする(それが金を使うため、というのがまた厭にリアル)佐藤は、おようを人質にして島辺を誘き出して――とまあ、この先の展開は予想通りではありますが、結局物を言うのは未来(現代)の科学とフィジカルの強さという、身も蓋もなさは、本作らしいといえばらしい気もいたします。


『風雲ピヨもっこす』(森本サンゴ)
 今日も今日とて京でゴロゴロしているピヨもっこす。そこにやってきたいとこは、肥後の漢たるもの稚児くらい持っているべき! と無茶苦茶な理屈で、雪乃丞という美少年をあてがってきて――と何だかスゴいことになった今回。
 「稚児? 男の彼女か」という直球過ぎる台詞にもひっくり返りますが、ここまで稚児ネタを投入できるのは、ギャグ漫画で、しかも動物擬人化ものだから――というべきでしょうか。
(稚児といえばやはり薩摩ですが、西国の肥後熊本も結構――だったかと思います)

 とはいえ、クライマックスの展開はなるほど女性キャラではできないこともないですが(ピヨもっこすの母がいるし!)、男性の方が自然といえなくもないわけで――と真面目に考えるのもなんですが、色々と心乱される回だったことは間違いありません。

 そして、わざわざ巻頭のハシラに、一回休みと書かれる母……


 残りの作品はまた次回紹介いたします。


「コミック乱ツインズ」2024年9月号(リイド社) Amazon


関連記事
「コミック乱ツインズ」2024年1月号
「コミック乱ツインズ」2024年2月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年2月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年3月号
「コミック乱ツインズ」2024年4月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年4月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年5月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年5月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年6月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年6月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年7月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年7月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年8月号

|

2024.07.25

杉村麦太『キリエ 吸血聖女』 西部を行く吸血少女ガンマンを待っていたもの

 それほど数が多くない和製伝奇ウェスタンの中でも、本作はかなりエッジの効いた作品ではないかと思います。狂血病なる伝染病により、吸血鬼化した人々が存在するアメリカ西部を舞台に、吸血鬼と人間の混血の少女・キリエが死闘を繰り広げるガンアクションであります。

 1870年――アメリカでは感染者が吸血衝動に駆られ、やがて理性を失う狂血病が流行、吸血鬼と化した者は周囲から迫害の対象となり、対吸血鬼機関・防疫修道会により処刑される運命にありました。
 そんな中、西部の街に現れた、黒衣の少女・キリエは、各地で吸血鬼を巡る争いに巻き込まれ、パラソルに仕込んだライフルをはじめとする銃さばきで、無法者や防疫修道会と死闘を繰り広げることとなります。

 実は彼女は吸血鬼の父と人間の母の間に生まれた混血であり、自らも吸血衝動に駆られる身にありました。そしてその呪われた血から解放されるため、自身の父――狂血病の源であり、ヨーロッパからやって来た吸血鬼の王・黒衣の者を追うキリエ。しかし防疫修道会もまた、黒衣の者を捕えるべく、吸血鬼退治のエキスパート・ソリア七会士を各地に放っていたのです。

 旅の途中で知り合った腕利きの女ガンスミス、ラーラマリアと共に、七会士と戦いを繰り広げるキリエ。しかし事態は意外な方向に……


 あらすじからもわかるように、本作は血みどろのガンファイトが作中で次々と展開される作品です。

 元々がマカロニウェスタン調であるところに吸血鬼が投入されたことにより、人間は吸血鬼(の疑いがある者)をリンチにかけ、吸血鬼は人間を喰らい――と、本作の舞台は殺伐にもほどがある世界。
 その両者の間に立つキリエは、両者の融和、というより吸血鬼に一片の理性を期待して戦うものの、奮闘空しく彼女が守ろうとした者は、あるいは殺され、あるいは血の衝動に負け――と、血も涙もない、いや血と涙だらけのドラマが展開します。

 そして女性が主人公のバイオレンスものには定番というべきか、キリエも毎回壮絶な暴力に晒されるわけですが、半吸血鬼であるゆえに、撃たれるわ刺されるわ斬られるわともう大変。
 キリエ自身も結構容赦なく吸血衝動に駆られるので、なおさら救いのなさが漂うのですが――しかし、本人には狂血病の唯一の特効薬である黒衣の者の血を手に入れるという強固な目的意識があるために、不思議な前向きさを感じさせるところでもあります。

 さらにいえば本作は、主人公の味方として戦うキャラクターは、(中盤に登場する例外一人を除いて)ほとんどが女性というのも、男性的な暴力の象徴となることも多い吸血鬼との戦いを描く作品だけに、印象に残るところです。


 そして本作は終盤、黒衣の者を手中に収めた防疫修道会が、その体を用いて実験を行おうとして(定番通り)失敗。黒衣の者によって吸血鬼の猖獗する地に変えられた修道会の本拠地・ソリアで、最後の戦いが繰り広げられることになります。

 壊滅寸前の修道会、そして密かに戦いを監視してきたアメリカ軍と手を組み、彼女を待ち受つ黒衣の者との最後の戦いに挑むキリエ。そして戦いの中で露わになる、仮面の下に隠されていた黒衣の者の素顔は――茨の冠を思わせる飾りを頭にいただいた髭の男!
 そしてラストに黒衣の者が語る、狂血病の存在理由も、その素顔にふさわしい(?)、神の存在をうかがわせるもので、最後の最後でとんでもない爆弾を放り込んできた、と愕然とさせられました。


 正直なところ、(これはもちろん好きずきですが)内容の割にはデフォルメの効いた絵柄であったり、面白武器が多すぎて、西部劇としては逆に雰囲気を損ねているきらいがあります。さらにアクションシーンが凝っているようであまり盛り上がらなかったりと、今ひとつに感じられる点は少なくありません。

 また、全二巻という短さや、それに伴うものであろう結末の物足りなさもあるのですが――しかしこのほぼ唯一無二の世界観と、クライマックスに炸裂した吸血鬼ものとしての独自性のおかげで、どこか満ち足りた気分にさせられる作品なのです。


『キリエ 吸血聖女』(杉村麦太 秋田書店少年チャンピオン・コミックス全2巻) Amazon

|

2024.07.17

「コミック乱ツインズ」2024年8月号

 今月の「コミック乱ツインズ」は、表紙が『鬼役』、巻頭カラーが『江戸の不倫は死の香り』。いつもよりもページ数が少ないですが、今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 インド墨家の策により父からの攻撃中止命令が出たのも無視して、ビジャ総攻撃を続行するラジンに、ものすごい勢いでブブが矢を放って――という場面から始まった今回、あまりの弓勢にさしものラジンも焦りを隠せないところに、ブブはさらに矢を放ちます。
 これまでいかなる時も冷静沈着だった彼が、(ほとんど無言ながら)ここまで感情を示したことはなかったように思いますが――ブブはここで初めてオッド姫にある因縁を語ります。なるほど、ここでジファルの過去話の描写と関わるのか、と納得です。
(敵の攻勢に対して、後ろに下がることを拒否したオッドが、これを聞いてブブに従うのもイイ)

 しかし戦況は決して思わしいものではありません。限られた数とはいえ、既に城内には蒙古兵が突入した状況で、何が起こるかわかりませんが――ある意味墨攻的にはここからが本番であります。


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 頻度が結構高い特別読切から、ついにシリーズ連載となった本作、今号から三回連続掲載ですが――その初回は、与力たちの会話を通じて、内之介の御仕置案が軽め、特に死罪を避けようとする理由が描かれます。

 かつて見習い時代に幼馴染と結ばれ、待望の一子が生まれた内之介。しかしその直後に起きた惨劇が、彼の全てを変えることになって――と、これはもしかして『江戸の不倫は死の香り』案件かと思えば、それがさらなる悲劇を呼ぶのに驚かされる今回。なるほど前回、子殺しの犯人に怒りを燃やし、そして子供らしき墓に語りかけている内之介の姿が描かれましたが、こう繋がるか、と納得です。

 しかし今回、これまでのように言葉で切り結ぶ場面はなく、ひたすらシリアスな(悪くいえば普通の時代もの的な)展開で終始してしまったのは痛し痒しの印象。特にいまSNSで初期の回を宣伝しているのを見るに、仕方ないとはいえ、シリーズ連載の初回にこの内容は勿体無いな、とは感じたところです。


『古怪蒐むる人』(柴田真秋)
 幕府の役人・喜多村一心を狂言回しとした怪異譚、シリーズ連載の第二話は「龍馬石」。知人から屋敷に招かれた喜多村が見せられた、龍馬石なる目のような黒い部分がある石――その石が屋敷に来て以来、水に関する怪異が次々と起こるというではありませんか。
 対処を相談された喜多村は、「目」が動くのを見て、一計を案じるのですが……

 第一話では旅先で喜多村が遭遇した怪異が描かれましたが、今回の描写を見るに、彼はその手の経験が豊富な人物と認識されている様子。そんな彼が謎の石にどう挑むのか――面白いのはその「結果」でしょう。
 内容そのものもさることながら、その描かれたビジュアルが出色で、そこから繋がるあっけらかんとした(どこか岡本綺堂の怪談を思わせる)結末も、むしろ爽やかすら感じさせます。


『前巷説百物語』(日高建男&京極夏彦)
 二つ目のエピソード「周防大蟆」に入った今回のメインとなるのは、えんま屋の裏仕事のメンバーの一人・山崎寅之助。正月早々、彼のことを呼びに来た又市との会話が前半描かれ、後半は彼らも加わったえんま屋の面々に、今回の依頼が語られることになります。

 今回はまだその実力と技は伏せられている山崎ですが、荒事専門の浪人でありながら、差料を持たない奇妙な男。そんな彼と又市の、一見とりとめのない会話は、実に京極作品らしい分量の多さですが、それを山崎の実に味のある表情と共に描くことによって、読み応えのあるものにしているのが、この漫画版ならではの魅力でしょう。(それにしても、面長で鼻と口が印象的な山崎の顔、これは……)
 そんな中で、原作にない又市の青臭い台詞と、それに対する山崎のリアクションがまた実にイイのであります。

 そしてもう一つ原作にプラスアルファで楽しかったのは、又市が前話から今回までに片付けた四つの仕事のくだりです。この仕事そのものは原作通りなのですが、そこに付されたカットは本作のオリジナル。特に業突く張りの質屋の件は、これ一体何があったの!? と一コマだけで滅茶苦茶気になる、ナイスカットというべきでしょう。


 次号は特別読切で碧也ぴんくの『猫じゃ!!』が掲載されるとのこと。初登場時も楽しかった作品だけに、再登場は嬉しいところです。


「コミック乱ツインズ」2024年7月号(リイド社) Amazon

関連記事
「コミック乱ツインズ」2024年1月号
「コミック乱ツインズ」2024年2月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年2月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年3月号
「コミック乱ツインズ」2024年4月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年4月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年5月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年5月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年6月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年6月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2024年7月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2024年7月号(その二)

|

2024.07.05

霜月りつ『いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う』 江戸の陰陽師と平安の武士の妖怪退治

 『神様の用心棒』『あやかし斬り』と、ファンタジー要素を取り入れた時代小説でも活躍している作者ですが、本作は、平安時代からやってきた武士が、江戸時代の売れない陰陽師のもとに現れたことから始まる、あやかし退治譚です。

 陰陽道がすっかり廃れた江戸時代、先祖代々の陰陽師の家系を守り、商売替えした兄二人に代わって、陰陽道を用いたよろず相談所「いろは堂」を営む寒月晴亮。
 しかし要領が悪い上に気が弱いところが災いして、閑古鳥が鳴く毎日を送っていた晴亮ですが――、ある日、庭に先祖が作った鬼封じの祠に異変が発生、祠から巨大な鬼と、一人の武者が飛び出してきたではありませんか。

 それは何と八百年前の世界からやってきた美貌の鬼・霞童子と、源頼光に仕えていた武士の虎丸――都を騒がした酒呑童子を退治した直後、逃げ出した霞童子を追った虎丸は、もろともに時と場所を超えるという時軸の穴に飛び込み、この時代に飛び出してきたというのです。

 その場から逃げ去った霞童子を倒さなければならないという虎丸の身の上を引き受け、共に暮らすことになった晴亮。しかし暮らしていくには先立つものが――というわけで、二人は町の人々から依頼を受けて、あやかし絡みの事件を解決すべく奔走することになります。
 虎丸の力もあり、次々と事件を解決し、名を挙げていく晴亮ですが、しかし彼の中には、いまだに自分の力不足に対するコンプレックスがありました。そしてそれが思わぬ結果を招くことに……


 現代から過去にタイムスリップするという作品はそこまで珍しいわけではありませんが、まだまだ少ないのは、過去のある時代からある時代へのタイムスリップというパターン。本作はその数少ない例外として、平安から江戸時代(それも桜田門外の変の後のほとんど幕末)にタイムスリップした武士が登場するという、ユニークな作品です。

 主人公の晴亮が、才能はあるのだけれど今ひとつ引っ込み思案の「現代っ子」である一方で、虎丸は、この時代の官僚化した武士に比べて、ほとんど武士の原型ともいうべき荒武者。
 バディものは、基本的にバディとなる二人が異なる個性であればあるほど、面白くなるものですが、その意味では本作の設定は合格でしょう。

 そして二人が挑むあやかしもなかなかにです。学者が残した書物を食い荒らす鼠の怪、家中で暴君のように振る舞う武士を襲った姿なき爪、次々と異常に肥え太った姿に変貌する吉原の女郎たち――
 題材となっているのは、お馴染みの妖怪たちなのですが、それに本作ならではの味付けがほどこされ、一捻りが加わっているのに好感が持てます。

 そして何よりも印象に残るのは、このあやかしたちの多くが、自然発生の(?)妖ではなく、人の想いが凝った存在であることでしょう。
 実体を持ったあやかしであれば、虎丸の力に及ぶものではありません。しかし真にあやかしを滅するためには、そこにある人の想いを知り、鎮める晴亮の心が必要となる――その構図は、バディものとしての本作を際立たせているといえます。
(さらにちょっと明かしてしまえば、こうしたあやかしの在り方そのものが、物語の内容に関わるのですが……)

 そして作者の作品の場合、ユーモラスな設定の中で、時にドキリとするほどシビアな人の情や業といったものを入れ込んでくるのが魅力の一つですが、それは本作でも健在です。
 特に第二話のある登場人物の境遇は、本当にどうにも生々しく、そしてやりきれないものがあるのですが――だからこそ、それを受け止める晴亮の優しさに、得難いものが感じられると言えるでしょう。


 ただ一点残念なことをいえば、虎丸がジェネレーションギャップ(?)を感じる場面が、思った以上に少ない点でしょうか。
 もちろん江戸に現れた直後のリアクションなどは実に楽しいのですが、特にメンタリティの点で、もう少し平安時代の武士と、江戸時代人との違いが強調されていれば、さらに面白かったかな、という点は勿体なく感じました。

 物語的にはまだ完結していないだけに、もし続編があれば、この辺りを期待したいところです。


 にしても、作中何度か登場する、元々武家の出だという長崎帰りの武居先生というのは、やはり……


『いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う』(霜月りつ 角川文庫) Amazon

|

より以前の記事一覧