2023.11.28

出口真人『前田慶次かぶき旅』第14巻 西軍敗北の立役者!? そのうつけ者の顔は

 豊前細川家を舞台に、細川忠興相手にかぶいてみせた慶次。仲間たちと別れた慶次ですが、その前に現れたのは莫逆の友・奥村助右衛門ではありませんか。そして二人が向かう先は、周防岩国――関ヶ原での西軍敗北の立役者(?)というべき人物を前に、慶次の行動は……

 豊前細川家で、伊賀の忍びに操られた細川忠興の罠を正面から粉砕し、細川家の兄弟喧嘩を粋に裁いてみせた慶次。その後、共に戦ってきた仲間たちは肥後に去り、ただ権一のみを供に豊前に残っていた慶次ですが――そこに襲いかかる刺客たちを蹴散らしたのは、慶次の莫逆の友にして前田家の(元)家老・奥村助右衛門! 今は隠居した彼は、慶次に会うために豊前までやって来たのであります。

 そして旧交を温める二人がそこから向かうのは、周防岩国。今は岩国にいる天下一のうつけ殿――関ヶ原で西軍を敗北させた張本人・吉川広家の顔を見に行こうというのです。はたして、歴史を動かした男の顔とは……


 これがまあ、吉川広家というより鎌倉幕府初代将軍! という感じなのですが、それはさておき――いざ現れた広家は、城にも戻らず、旅籠で芸妓の膝の上で「イヤじゃイヤじゃ」言っているという、まさに自他共に認めるうつけ殿であります。
 が、もちろんわざわざ慶次が会いに来ようという人間が、単なるうつけなはずもありません(会って早々、ツッコミで慶次に冷や汗かかせる人物は初めて見た気がします)。

 そもそも関ヶ原の戦の際、広家が家康と内通したのは、毛利家を後に残すため。そのために汚名を着せられるのは承知の上で、持てる手段を尽くして家康と通じたのですから、並みの覚悟と手腕でできるはずもありません。
(まあ、史実では家康に通じるのは毛利の重臣たちのある程度の総意だったようですが……)
 何よりも彼は、かつて自分に国を救うことを願い、そして関ヶ原の際には彼らを助けて国を救った女芸人の死に涙を流せる人物――愛した女性のために涙を流せるというのは、本作における「漢」の条件の一つであります。

 しかしそんな人物であっても、御家存続のためには節を曲げ、同胞から裏切り者呼ばわりされなければならないのが戦国という時代。そんな彼に対し、嵩にかかって嘲るような連中がいるのも、また世の習いというべきかもしれません。
 そして、そんな輩によって小姓が殺されても、一度は膝を屈しそうになった広家ですが――そこに慶次がいたのですから、ただで済ませるはずがありません。広家もまた、そんな慶次に触発されて立ち上がることに……

 というところで次巻に続く本作。はたして毛利の運命は、そしてそこで広家は如何なる役割を果たすのか。戦いは始まったばかりであります。


 ちなみに本作の慶次は、これまで肥後加藤家・薩摩島津家・筑前黒田家・豊前細川家と九州諸国を漫遊してきましたが、この巻でついに本土に上陸。これはいよいよ家康の寿命もストレスで縮みそうであります。
(というか、第1巻の時点で本多正信が「やがて毛利や上杉を目覚めさせるやも知れませんな」と言ったとおりになりつつあるわけで……)


『前田慶次かぶき旅』第14巻(出口真人&原哲夫・堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon

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2023.11.21

高橋留美子『MAO』第18巻 遭遇、華紋と白眉 そして新御降家の若者の歩む道

 土の術者・大吾の「復活」を期に、千年前に御降家で起きたことの一端が、次々と明らかになっていく『MAO』。その一方で、白眉率いる新御降家の術者たちも、様々な動きを見せます。この巻では、御降家と新御降家の面々の対峙が様々な形で描かれることになります。

 一千年前の御降家の後継者争いで、真っ先に命を奪われたはずが、奇怪な形で大正の世に復活した大吾。その大吾の五体を集めていた夏野、そして大吾の死に絶望した紗那と、様々な形で大吾はその後の出来事に影響を及ぼしていたことが判明するのですが――まだ全貌がわかるのは先のようであります。

 そんな中、世間を騒がす連続一家皆殺し事件。その真犯人は、手にした人間を妖に変え、周囲の者たちを襲わせる呪具・化生の匣でした。
 かつて御降家で白眉が管理していたものが、御降家崩壊の混乱の中で失われた化生の匣。封印から解かれて次々と犠牲者を出す匣を再び封じようとする摩緒たちと、再び掌中に収めようとする白眉の命で匣を追う新御降家の蓮次と流石と――この両者と匣との、三つ巴の戦いが繰り広げられることになります。

 ここで印象に残るのは、なんといっても化生の匣の悍ましさでしょう。人を妖に変えるという恐るべき力を持つ呪具というだけでなく、己の意志すら持ち、犠牲者を増やすために取り憑く相手を選んで行動する――そしてその気になれば人間だけでなく、様々な生物を操るその姿は、まさしく怪物と呼ぶに相応しい存在感があります。
(そして戦いの舞台である女子寮での描写が実に厭で怖い……)

 この匣を巡り、摩緒・菜花・華紋・百火と、蓮次・流石そして白眉の対峙する様がまた面白い。それぞれの術を活かしてのバトルもいいのですが、何よりも、意外にも大正では初顔合わせだった華紋と白眉の会話の中で、それぞれのキャラクターが浮き彫りになっていく様が、まさしく「白眉」というべきであります。
 そして千年経っても、敵味方になっても、先輩と話す時には一応「さま」をつける、御降家の人間関係が妙におかしい……
(もっとも「敬語でめちゃくちゃディスってくる」のですが)


 さて、そんな御降家の面々がそれぞれの自己を強烈に確立しているのに対して、まだまだ術の面でも人格の面でも危なっかしいのが新御降家の面々。それをある意味最もよく象徴しているのが、針を使った金の術の遣い手・かがりであります。

 御降家の流れを汲む呪い屋の名門(?)に生まれながらも、自分を遙かに上回る姉・綾女にコンプレックスを持ち、白眉の下についたかがり。そのむしろ幼いといってよい性格と中途半端に物騒な術には、何をしでかすかわからない怖さがあったのですが――強さと、そして自己承認を求める心に逸る彼女の矛先は、ついに姉に向けられることになります。
 芽生の人間蠱毒の邪気を利用して己の針をパワーアップさせ、ついに姉を倒したかがり。そして綾女の治療に訪れた摩緒と菜花は、図らずも姉妹の争いの間に挟まることになります(姉妹の言い争いに、冷静にツッコミを入れる二人の姿が妙におかしい)。

 精神性が完成されているという点ではむしろ摩緒たちに近い綾女に対して、目先の安易な力(人間蠱毒でパワーアップした針はその象徴でしょう)に飛びつくかがり。
 本作の新御降家の面々の多くは、それぞれ程度の差はあれ普通の若者であったものが、御降家と関わりあったために徐々に、そして強く呪いの世界に踏み込んでいく姿が描かれていきますが――今回、かがりは後戻りできない一歩に踏み出してしまったというべきでしょう。

 物語全体の謎に絡むものではありませんが、物語に関わるキャラクター像を描く上で、印象に残るエピソードであります。


 さて、この巻の終盤からは、大正になっても陰惨な人身御供の風習を続ける村を舞台に、流石と摩緒・菜花の対峙が描かれることになります。

 上で述べた新御降家の面々の中でも、例外的に生まれつき呪術に触れ、それが逆に不気味なほどあっけらかんとした精神性をもたらしている流石。
 金のためであれば平然と人を傷つける流石は、ある意味御降家の人間の在るべき姿なのかもしれませんが、それが摩緒とは正反対の立ち位置であることは言うまでもありません。両者の対決の行方は、次巻に続きます。


『MAO』第18巻(高橋留美子 小学館少年サンデーコミックス) Amazon

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高橋留美子『MAO』第15巻 幽羅子の真実、あの男の存在?
高橋留美子『MAO』第16巻 本当の始まりはここから? 復活した最初の男
高橋留美子『MAO』第17巻

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2023.11.18

高瀬理恵『暁の犬』(その二) そして青年が辿り着く先を変えたもの

 鳥羽亮『必殺剣二胴』の高瀬理恵による漫画化『暁の犬』の紹介の後編であります。原作の流れを忠実に追いながらも、しかし原作とはまた異なるテイストを見せた本作。それを相良が象徴している意味とは……
(以下、原作及び本作の終盤の展開に触れる部分がありますので、ご注意下さい)

 さて、この相良は、原作にも登場しているキャラクターであります。原作でも藩と佐内との繋ぎ役であり、そしてクライマックスでは自ら前線に出る人物であることは変わりませんが――しかしもちろん(?)衆道趣味はなく、そしてその点を除いても、佐内とそこま絡みが多いわけではありません。

 その一方で本作の相良は、どうしても佐内を口説くシーンが印象に残りますが、しかし彼が佐内に対して語るのは口説き文句だけではありません。
 剣の道に悩み、二胴の剣士の影に怯え――怯え、苛立ち、大きく揺れる佐内に対して、相良は、時に冷静に、時に茶化しながら言葉をかけます。それは、剣術以外はどうにも危なっかしい佐内を、からかいつつも世慣れた兄貴分として諭すような態度であり――そしてそんな相良に容赦ない反撃をしながらも、佐内も強ばりが解け、一人の青年として、自然な姿を見せるようになるのです。

 いわば本作の相良は、佐内の懐に入り込むことで、佐内の剣士以外の――いうなれば人間としての顔を引き出しているといえるでしょう。


 そして、佐内が他者と接する中でその関係性を、そしてそれに伴って彼の人間性すら変化されるのは、相良の場合のみに限りません。
 刺客という裏の顔を持つ剣士として、おしまのような親しい人間に対しても、どこか壁を作って接する佐内。いや、それどころか、何故自分が刺客として生きるのか、何のため生きるのか――それすらも考えられぬ人物として、彼は描かれます。しかし幾多の死闘をくぐり抜け、そしてその最中で――自分の正体を知る者、知らない者を問わず――周囲の人々と接するうちに、佐内が少しずつ人間性を獲得していく様が見て取れます。

 それは例えば、自分に対して一途な愛を捧げる満枝(それが決して流されてのものでなく、自分の意思と覚悟を持って行っていることが、わずかな描写で浮き彫りされるのが素晴らしい!)に対して、己の想いを露わにする姿に――そしてまた、決戦を前に、それまでの戦いの中で命を落としていった者たちの名を挙げ、自分の斗いを見届けてほしいと益子屋に対して告げる姿に、はっきりと現れているといえるでしょう。

 本作の原作である『必殺剣二胴』は、極めてドライな、ハードボイルドタッチの小説であります。佐内は剣士であると同時に、孤独な刺客であり、そして最後までその苛烈な生き方をほとんど変えることはありません。
 その一方で本作は、始まりは同じでありながらも、佐内と人々の間で通う情の存在を描くことにより――つまりある意味ウェットな関係性を描くことを通じて、佐内という青年の変化、成長を描くのです。

 そんな原作と本作の違いは、その結末において明確となります。死闘の末に闇の中に終わる原作と、暁の光を迎えて終わる本作と――ほぼ同じ設定で、同じ展開を辿りながらも、二つの物語が結末を大きく違える(第六巻の二割程度を占めるエピローグは、実は丸々オリジナルの内容であります)ことになった所以は、この佐内と周囲の人間の関係性の変化であると、いってよいかと思います。


 発端となった人物――歴史に名を残す人物にとっては、血で血を洗う抗争も「いささかのまごつき」であり、「さしたる事は」ないのかもしれません。そして佐内たちは、あくまでも金で雇われた走狗に過ぎないのでしょう。
 しかしそうであったとしても、そして名もなき剣士に終わるとしても――佐内にとってこの闘いがかけがえのないものであったことは、それを最初から最後まで見届けた人間にとっては、大きく頷けることでしょう。そしてそれを描ききった本作が、かけがえのない物語であるということもまた。

 剣術描写・人物描写の妙と美麗な画(各巻の表紙絵の美しさよ!)、そして原作を踏まえつつそこからさらに踏み込んでみせた物語展開――時代小説を原作とした漫画が数ある中でも、最良の漫画化の一つであると同時に、作者にとっても現時点での最高傑作というべき逸品であります。


 にしても、最終巻のおまけページは衝撃の展開というべきでしょう――たとえ暁を迎えても、闘いは続くのであります。人生という闘いは……


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻/ 第2巻/ 第3巻/ 第4巻/ 第5巻/ 第6巻


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2023.11.17

高瀬理恵『暁の犬』(その一) 美麗に、そして凄絶に――漫画で甦る必殺剣

 鳥羽亮の『必殺剣二胴』を、『公家侍秘録』『江戸の検屍官』をはじめとする時代漫画の名手・高瀬理恵が描いた『暁の犬』の最終巻・第六巻が刊行されました。かつて自分の父を斬った謎の秘剣と対峙することとなった刺客にして剣士・小野寺佐内の戦いを、美麗に、そして壮絶に描く物語であります。

 剣術道場を営む一方で、刺客として金で人を斬るという裏の顔を持つ小野寺佐内。いつものように口入れ屋の益子屋の依頼である武士を斬った佐内は、その後、標的と同じ唐津藩士であった依頼人が、腹を真っ二つに裂かれた死体で発見されたことを知ることになります。
 その死体の有様が、かつて何者かに斬殺された父と同じだったことに衝撃を受ける佐内。彼同様、刺客稼業を営んでいた父が、生前に同じ唐津藩と縁があったことを知った佐内は、謎の剣客を斬る依頼を引き受けるのでした。

 そして藩の徒目付・相良から、唐津藩の国元に据え物斬りの秘剣「二胴」が伝わると、聞いた佐内。秘剣の遣い手が父の仇と睨んだ佐内は、その候補者である三人の藩士殺しを併せて請け負うことになります。
 老中の座を目指す藩主・水野忠邦の思惑を巡り、藩論が二分されているという唐津藩。その一方の依頼を受けたことで、争いの渦中に身を置くこととなった佐内は、同じ益子屋の下の刺客仲間と共に、標的を片付けていくのでした。

 そんな中、満枝という美しい許嫁を得ることとなり、戸惑う佐内。しかし御家騒動と二胴を巡る争いはさらに激化し、佐内の周囲は血で血を洗う様相を呈することに……


 本作は、原作小説『必殺剣二胴』から、幾つか設定(例えば本作の唐津藩は、原作では架空の藩であり、御家騒動の内容も異なります)を変えつつも、原作の登場人物や主な内容に「ほぼ」忠実に漫画化した作品であります。
 一撃必殺の秘剣・二胴の正体は、姿なきその遣い手は何者なのか、そして佐内は二胴を破ることができるのか? そんなミステリ要素を持つ剣豪ものとしての興趣と、金で雇われる走狗である佐内たち刺客のハードな生き様と――二つの要素を持つ原作を、本作は巧みに漫画として再構築しているといます。

 そんな本作の魅力の一つは、言うまでもなくその剣戟シーンの凄まじさであります。冒頭からラストまで、数多くの流派の剣士・刺客たちが、様々なシチュエーションで死闘を繰り広げる本作ですが、その一つ一つが凄まじい迫力と緊迫感に満ちた、まさしく「死闘」。
 もちろん、作者が剣戟を描くのはこれが初めてでは決してありませんが、剣戟シーンをメインとするという印象はなかっただけに、嬉しい驚きというほかありません。特にラスト二戦の、台詞を極限まで省いての剣戟描写は、こちらも息を呑んで見つめるほかない凄まじさが強烈に印象を残します。


 しかし本作の魅力はそれだけではありません。次々と命が奪われていく殺伐とした物語でありながらも、いやそれだからこそ、登場人物は皆活き活きとした存在感を持って感じられます。
 その筆頭が主人公である佐内であることはいうまでもありませんが(ちなみに彼が役者のような美青年というのは原作由来)、しかし読者にとって最も印象的なのは、おそらく相良ではないでしょうか。

 佐内たち刺客に敵対派の暗殺を依頼してきた江戸家老の懐刀であり、佐内との繋ぎ役ともいうべき相良。当然と言うべきか切れ者であり、いかにも食えないやり手なのですが――しかし衆道趣味という彼の一面こそが、強いインパクトを残します。

 刺客とは思えぬ美形である佐内を一目で気に入り、以後、事あるごとに彼に粉をかけようとする相良。一歩間違えるとイロモノになりかねないキャラクターですが、しかし衆道趣味はあくまでも彼の一面、上で述べたような様々な顔を同時に見せることで、何とも複雑で、魅力的な人物像を作り出しているのであります。

 そしてこの相良の存在は、ある意味この『暁の犬』という漫画の、原作から離れた独自性を象徴しているのですが――長くなりましたので、次回に続きます。


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻 /第2巻 /第3巻 /第4巻 /第5巻 /第6巻


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2023.11.15

富安陽子『博物館の少女 騒がしい幽霊』 ポルターガイストを超えた怪異と母娘の再生

 設定、キャラクター描写、物語展開の妙で大きな反響を呼んだ『博物館の少女』待望の第二弾であります。イカルにが新たに巻き込まれるのは、陸軍卿・大山巌と妻・捨松の屋敷で起きる騒霊現象。事件調査のため、幼い二人の子供の家庭教師として屋敷に入ったイカルが知る怪異の真実とは……

 両親を亡くして東京に出たところで上野の博物館の館長に見出され、博物館の怪異研究所の所長・トノサマこと織田賢司の手伝いをすることになった少女・イカル。そこで収蔵品の行方不明事件に巻き込まれた彼女が、その驚くべき結末を見届けて数カ月後――彼女は新たな怪異絡みの事件に巻き込まれることになります。

 それぞれ薩摩と会津の出身者の結婚ということで大いに世間の話題となった大山巌と山川捨松――その捨松の兄・山川健次郎から、大山邸でポルターガイスト現象が起きていると聞かされたトノサマとイカル。調査を依頼されたトノサマは、イカルを大山家の幼い二人の娘・信子と芙蓉の家庭教師として送り込むのでした。
 かつて捨松が博物館観覧に来た際に言葉を交わしたことはあるものの、あまりに境遇の異なる相手に、緊張と困惑を隠せないイカル。しかし捨松と話すうちに彼女に好感を抱いたイカルは、継母を疎んじる二人の子供の心を開くべく、奮闘することになります。

 それと並行して調査を進める中、大山邸で想像もしていなかった事態が進行していることを知るイカル。捨松は会津戦争で亡くなった姉の、二人の子供は病死した実の母の――それ以外の人々も、それぞれ邸内で異なる亡霊の姿を目撃していたというのです。
 そして、大山邸の前身である、江戸時代の松平家の屋敷の過去を調べる中で、イカルは思わぬ因縁の存在を知ることになります。さらに殺人事件までが発生して……


 文明開化の時代を舞台に、実在の人物を配しつつ、一人の少女の成長と、時を超えた怪異の存在を描いた前作。その前作は時代伝奇ホラーともいうべき意外な展開に驚き感嘆させられましたが、本作の方は、時代ホラーミステリともいうべき内容となっています。

 「騒がしい幽霊」のサブタイトルの通り、大山邸で起きるポルターガイスト現象。ポルターガイストといえば、その家に小さな子供や女性がいるのが定番、まさに大山邸もその条件に当てはまるのですが――しかしもちろん、事態がそんな単純なはずもありません。
 何しろ作中ではポルターガイスト現象はほとんど前座――メインとなるのは、見る人によって現れる者が異なる亡霊という、奇怪極まりない事件なのです。さらにその周囲でも数々の事態が進行し、事件は終盤まで何がどうなっているのかわからない、混沌とした様相を呈するのは、前作同様の面白さです。

 しかしそんな中で、思わぬ形でロジカルに――それも歴史ものとしてニヤリとさせられる形で――事件の一端が解決に導かれていくのが楽しい。こんな些細なことが!? と言いたくなるようなことが手がかり・伏線になるのは、まさにミステリの快感であります。
 その一方で、思わず震え上がるような展開が終盤に待ちかまえていたりと、ホラーとしても実に魅力的なことは言うまでもないところであります。(ホラー要素ではないのですが、老齢で曖昧になっている使用人の描写が、リアルすぎて震えました……)


 しかし、時にそれ以上にこちらの心を大きく揺さぶるのは、大山家の母娘を巡るドラマです。

 海外に留学し、女性教育に力を尽くし、そして愛情で結ばれた夫と対等な関係を結ぶ――当時の女性から見れば破格の先進的な境遇にある捨松。しかし残念ながら、そんな女性でも、いやだからこそ周囲に色眼鏡で見られるのは、変わらぬこの国の姿であります。
 そしてそんな捨松の最も身近にいる信子と芙蓉子も、継母である彼女に馴染めず、それどころか反感を感じている状態にあるのです。

 そんな不幸な母娘のすれ違いの姿を、本作はイカルの目を通じて描きます。いや、もちろん描くのはそれだけではありません。イカルの奮闘を通じて、母娘の関係性が修復され、生まれていく姿を、本作は描くのです。
 そしてそれが、ホラーとしての恐怖の絶頂と重ね合わせて描かれるクライマックスは、これはもう作者ならではの見事な盛り上がりなのであります。


 当時の出来事や人物を盛り込んだ時代ものとして、独創的な怪奇現象を描くホラーとして、巧みな構成で展開するミステリとして――様々な要素がハイレベルで融合した本作。
 レギュラーキャラの思わぬ出自が描かれたりと、シリーズものとしての展開も楽しく、この先の物語も大いに楽しみにしているところです。


『博物館の少女 騒がしい幽霊』(富安陽子 偕成社) Amazon

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2023.10.31

高田崇史『江ノ島奇譚』 稚児ヶ淵の真実 高田流時代奇譚

 独自の視点から歴史を再解釈するミステリを得意とする作者の、おそらく初の時代小説であります。今も昔も変わらぬ景勝地・江ノ島を舞台に、破戒僧と飯盛り女が対峙する悪夢の世界とは。稚児ヶ淵伝説を題材に、奇妙な物語が展開します。

 幼い頃から入っていた寺を、自分でも記憶のない理由から出奔し、以来下働きをしながら各地を転々としてきた勝道。今は藤沢宿の茶屋の飯盛り女・お初の間夫となって暮らす勝道は、ある日お初から、どこか大きな寺社にお参りに行きたいと言われるのでした。
 理由を尋ねてみれば、三晩続けて目も鼻も口も耳もない「ぬっぺっぽうみたいな」僧侶に暗闇から手招きされる悪夢を見たというお初。魑魅魍魎の類いは一切信じない一方で、なぜか「ぬっぺっぽう」だけは恐ろしい勝道は、江島明神の弁財天詣でに行くことを提案します。

 何度か坊主の身投げがあったという噂にお初は尻込みしたものの、結局は江ノ島に行くことになった二人。一通り詣でた後、本宮岩屋に向かう二人は、途中の茶屋でかつて起きたという悲恋物語を聞かされるのでした。

 江ノ島への百日参りの最中に一人の美童に目を奪われた、建長寺広徳庵の僧・自休。その稚児が鶴岡相承院の稚児・白菊と知った自休は、恋に狂い、白菊に頻りと文を送ったのですが――自休の想いに弱り果てた白菊は江ノ島から淵に身を投げ、自休もまたその後を追ったというのです。

 その物語の内容にある矛盾を感じつつも、お初とともに岩屋に向かった勝道。その奧で、二人は一心不乱に祈る僧と出会うのですが……


 僧と稚児の悲恋物語として、今なお伝わる稚児ヶ淵の伝説。その内容は上で述べた通りですが、本作は主人公カップルが出会った恐怖を通じて、その伝説の「真実」を語ることとなります。
 面白いのは、勝道とお初の物語の合間に、伝説の一方の主役である自休その人の物語が挟まれることで――少しずつ語られる過去の物語を通じて、「真実」にある種の説得力を与えている構成には、なるほどと感じます。

 その一方で、時として物語の本筋以上にふんだんに語られる蘊蓄の数々は、いつも通りといえばいつも通りなのですが、知らないで読むと違和感を持つ方もあるのでは、とは感じます。
 全体の約三割を、「高田山宗」なる作者の通し狂言「稲荷山恋者火花」の台本が占めているのも(これまた作者らしい内容ではあるのですが)驚かされるところではあります。

 その意味では、作者のファン向けの一冊という印象は強くある作品ではあります。


 冒頭で触れたように、本作は作者初の時代小説(『鬼神伝』はやっぱり歴史ものの範疇ということでしょうか)ということですが、勝道とお初の設定や、二人のやり取りなどはなかなか良い(実質エピローグに当たる「芝居がはねて、江戸の宵闇」の章の情感など)だけに、惜しいような、これはこれでよいような――何とも不思議な味わいの一冊です。


『江ノ島奇譚』(高田崇史 講談社) Amazon

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2023.09.29

張六郎『千年狐 干宝「捜神記」より』第10巻

 『捜神記』を題材に妖狐・廣天の冒険(?)を描く本作もついに単行本二桁に突入。都の妖考事部に入った廣天を描く「捜神怪談編」も、いよいよこの巻で完結であります。思わぬ出来事から深手を負った末、殺人犯として獄に繋がれてしまった廣天の運命は、そして石良の夢の真実とは……

 道術大会の仲間たちと別れ、色々あって都の怪奇事件を担当する妖考事部に入った廣天(と神木)。そこで異常に暗がりを恐れる青年役人・石良とチームを組んだ廣天は、次々と事件を解決していくのですが――石良の親戚で異常に彼に執着する大富豪・石崇に目を付けられてしまうのでした。
 そんな中、とある宿に現れる狐の化物を逃がそうとして、わざと負った傷が想像以上に深手だった廣天。さらに狐に戻って倒れてしまったところを、よりによって石崇に目撃されてしまった彼女は、石崇の手回しによって殺人の冤罪を着せられ、妖考事部も解散することに……

 という風雲急を告げる展開から始まるこの第十巻。廣天が牢に入れられるのは確か第一巻以来ですが、その時以降、廣天と比較的長期に渡って行動を共にするのは、基本的に彼女の正体を知っている者ばかりであったように思います。
 そのため、廣天が狐と知れて大事になるのは不思議な気がしてしまいましたが、それはこちらの感覚が麻痺してしまっただけなのでしょう。

 それはさておき、廣天の方も傷を負っていたとはいえ、第一巻で牢に入れられた時の余裕ぶりとは異なる印象があるのは、彼女が様々な「人間」と触れ合い、そして「人間」として暮らしてきたから――というのは、彼女の妖考事部への馴染みっぷりを思えば、決して考え過ぎではないと感じられます。

 思えばこれまでも、廣天は「狐」なのか「人間」なのか、はたまた「妖」なのか、様々な形で問われてきました。それを思えば、人間たちの暮らす街に入り交じって現れる妖たちを描いてきた「捜神怪談編」のクライマックスに、これは相応しい展開というべきかもしれません。

 しかしあくまでも「廣天」は「廣天」。彼女が何者かを決めるのは、彼女本人と、そして彼女と行動を共にした者ではないでしょうか。だとすればこの「捜神怪談編」で廣天以外にそれを決められるのは――そう、石良であります。
 その石良が何を想い、どのように行動したか、それはここで詳しく述べる必要はないでしょう。しかしそんな彼の存在が、廣天にとって、そして彼女を見守ってきた我々にとっても、一つの救いであることは間違いありません。
(しかし、石良が連れてきた証人のインパクトがありすぎて……)


 さて、この「捜神怪談編」には、もう一つ解決されるべき問題、石良を苦しめてきた悪夢の存在があります。
 熱を出して寝ていた子供が、高い窓から覗き込んでいる何者かに気付き、部屋から抜け出して廊下の闇の中で何かを見る――第八巻の、すなわち「捜神怪談編」の冒頭で描かれ、石良が異常なまでに暗がりを恐れることとなったその原因である悪夢の正体は一体何なのか?

 ここで廣天の導きで自分の夢の中に入った石良が見た真実は――これも詳しくは述べませんが、そうか、そうきたか! といいたくなるような一種ミステリのトリック的な内容には唸らされました。
 これまでのエピソードでも小さな伏線を積み上げて、思いも寄らぬ、しかし納得の真実を描いてきた本作ですが、それはこの章においても健在というほかありません。

 そしてその悪夢から解放された石良が見る夢は――それは何と恐ろしくも、何と魅力的であることか。もちろんそれは、この「捜神怪談編」全体にも当てはまる言葉なのですが……


 これまでと違い、次章のタイトルや内容がまだ決まっていない様子なのは少々気になりますが、またいずれ遠くない日に、新たな一歩を踏み出した廣天の姿を見ることができるのを楽しみにしてます。


『千年狐 干宝「捜神記」より』第10巻(張六郎 KADOKAWA MFコミックスフラッパーシリーズ) Amazon

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2023.09.13

とみ新蔵『愛剣 剣術抄』

 歴史上で真剣勝負を演じてきた様々な剣士たちの姿を描く『剣術抄』シリーズの最新作は、なんと女剣士・萌香が主人公。しかし舞台は肥後細川家、萌香の姓が阿部と聞けば、粛然たる気持ちにならざるを得ません。そう、本作のモチーフは阿部一族なのですから……

 藩の重臣・阿部弥一右衛門の娘であり、宮本武蔵の下で剣を学ぶ萌香。相弟子である天草平九郎と共に剣を磨く彼女の日常は、藩主・細川忠利の死により、一変することになります。
 忠利に殉死する者が次々出る一方で、殉死しない弥一右衛門に向けられる周囲の冷たい目。実は忠利から次代のために死を止められていた弥一右衛門でしたが、しかし周囲の嘲りに、ついに切腹することになります。

 しかしそれは既に殉死禁止令が出た後のことであり、藩命に背いたという扱いで処分を受ける阿部一族。憤懣やる方ない長男は髻を切って抗議するも、逆賊扱いされて捕縛、斬首されるのでした。
 藩のあまりの扱いに怒り長男の首を奪還、屋敷に立て籠もって徹底抗戦の構えを取る萌香たち一族。これに対して藩が送り込んだ腕利き揃いの討伐隊の中には、萌香に想いを寄せる平九郎の姿が……


 主君の命を守って殉死しなければ後ろ指をさされ、殉死すれば法度に背いたと処分され、不満を示せば逆賊扱いで処刑され、ついに一族あげて立て籠もるも――という、つくづく武士ってイヤだなあと思わされる阿部一族の物語。森鴎外によって小説化され、以後も様々な形で描かれてきた物語を、本作は意外な形でアレンジして描きます。

 その一つは、宮本武蔵の存在であります。武蔵が晩年に細川忠利に招かれ、客分として肥後に暮らしたのはよく知られた話ですが、だとすれば阿部一族の事件の際にも、当然武蔵は肥後にいたはず。
 というより、鴎外の「阿部一族」の終盤にも、ちらりと武蔵が顔を出しているのですが――本作はそれとは全く異なる形で、主人公たちの師として登場することになります。
(ちなみに武蔵は『剣術抄』シリーズでも『五輪書・独行道』の主役を務めています)

 出番こそ多くはないものの、結末を締めた上に、この事件が実は――と、最晩年の武蔵の行動に結びついているのも巧みで、なるほどこう絡めるのか、と大いに唸らされます。


 しかし本作においては、主人公が萌香という女性だということが、最大のアレンジ、最大の特長であることは言うまでもありません。

 これまでほとんど女性剣士は登場していなかったと記憶している『剣術抄』シリーズ。クライマックスにおいて主人公が真剣を振るうことがほとんどの『剣術抄』においては、それもやむなしという気がしておりましたが――しかし武蔵が言うように「刀は軽く触れても切れるもの」。
 何よりも本作でこれまで描かれてきた剣術は、力任せに振るわれるものではなく、精妙な技の理法でした。だとすれば女性剣士が登場しても不思議ではありません。

 とはいえ女性が剣を振るう場が、はたしてどれだけあるかどうか――というところで、一族郎党こぞって戦った阿部一族の一件を持ってくるのが本作のすさまじいところであります。
 鴎外の「阿部一族」では一族の女は事前に身内の手で殺されたことになっていますが、本作は萌香だけでなく、母や兄嫁たちも薙刀を手に戦うというのは、実に作者らしいところでしょう。

 そしてその中で萌香は剣士として武蔵直伝の見事な技をみせるのですが――実戦での二刀流を、こういう理由で使ってみせるというのは初めて見たように思います。さすがは剣術抄というべきでしょうか。


 そしてクライマックス、ついに対峙する萌香と平九郎。同門であり、互いに憎からず想い合う二人が剣を交えるのですが……

 本作のタイトル「愛剣」は、討ち手に選ばれた我が身を嘆く平九郎に対して、その父が慈しみの剣を振るえと語った中にあった言葉。しかし振るえば相手を斬る剣に、はたして慈しみなどあるのか?
 その答えは、二人の対峙の結末の中に示されているのでしょう。

 女性が振るう剣とは何か、如何なる時に女性は剣を振るうのか。そしてその先にあるものは――これまで様々な剣士を描いてきた作者ならではの物語であります。


 しかし弥一右衛門を貶めた武士の名は、何というかもう少し……


『愛剣 剣術抄』(とみ新蔵 リイド社SPコミックス) 

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2023.09.07

滝沢志郎『エクアドール』 海を越える同胞愛と明日に踏み出す人びとの物語

 中世の琉球王国に始まり、東南アジアへと展開していく、希有壮大にして爽快な海洋冒険ロマンであります。琉球を外敵から守るため、ポルトガル人から新型兵器を手に入れんとする琉球王府の人々の旅の行方は……

 時は種子島に鉄砲が伝来する二年前――倭寇だった過去を持つ琉球王府の下級役人・眞五羅は、湾に迷い込んできた倭寇船との交渉に当たる中、倭寇時代の友・弥次郎と再会することになります。
 弥次郎と共にかつて所属していた船団を明国の仏朗機砲で壊滅させられ、九死に一生を得た過去を持つ眞五羅。彼は琉球を倭寇から守るため、港に仏朗機砲を設置することを思いつき、上役の王農大親に提言するのでした。

 その提言は受け入れられ、仏朗機砲入手のため、眞五羅は使節団の一員として、ポルトガル人が占領しているマラッカに向かうことになります。同行するのは王農大親と名門与那城家の嫡男・樽金、通詞の梁元宝、そして弥次郎――さらに途中のアユタヤから、近頃頭角を現している倭寇の頭目・王直、そしてポルトガルの貿易商人・メンデスとその通訳の少年・マフムードが加わり、生まれも育ちも異なる面々による旅が繰り広げられます。

 そしてついにたどり着いたマラッカ。かつてのマラッカ王国がポルトガルに滅ぼされて以来、三十年ぶりにマラッカを訪れた琉球一行は、そこでポルトガルの長官を相手に交渉を行うことになります。
 しかしこの当時のマラッカ海峡周辺は、マラッカ、ジョホール、アチェが三つ巴でにらみ合う一触即発の地。やがてその争いの中に巻き込まれることとなった一行の選択は……


 海に囲まれた国のわりにはには――それは間違いなく鎖国政策の存在があるわけですが――決して数が多くはない海洋歴史時代小説。しかしそれだけに記憶に残る作品が少なくないわけで、本作もその一つであることは間違いありません。

 本作の始まりとなるのは十六世紀半ばの琉球ですが、この当時は第二尚氏による琉球統一から百年弱が経過して中央集権が確立し、最もその版図を広げた時代といえます。
 それだけに、琉球に暮らす人々も様々なルーツを持ちます。琉球本島だけでなく周辺の島々、朝鮮、中国、そして「日本」――対馬人の父と朝鮮人の母の間に生まれて倭寇として暮らし、そして今は琉球の役人となっている本作の主人公格の眞五羅は、その多様性の象徴といえるでしょう。

 当時のヨーロッパでは、誇り高く同胞愛の強い人々として、半ば伝説となっていた琉球人(レキオス)。その「同胞」の意味は、決して民族的、血縁的に繋がったものではない――本作で語られるその姿は、狭い同胞意識が広がる現代に生きる者にとって、強い印象を残します。


 そして本作において印象的なのは、そして魅力的なのは、それだけではありません。
 様々な出自を持つ本作の登場人物は、それだけに背負うものも様々です。仲間たちが仏朗機砲によって皆殺しにされたことにより、いわゆるPTSDを背負う弥次郎。レキオスに強い憧れを抱く舌先三寸の面白キャラと思いきや――というメンデス。そしてこの時代のマラッカを象徴するようなその出自が物語に大きく影響するマフムード……

 彼らのほかの登場人物の誰もがそれまでの人生で背負ってきた、それぞれの過去。本作で描かれる旅路の中で、彼らはその過去と、それぞれのやり方で向き合うことになります。
 しかし本作の素晴らしいのは、それが贖罪や犠牲といった形ではなく、いずれも一歩前に踏み出すという形を取る点であります。それだから本作の物語は、時に流血を伴う激しい戦いを描きつつも、どこまでも前向きで、そしてだからこそ感動的なのです。


 海洋という広大な世界を舞台に交錯する様々な人々の姿を通じて、人間愛ともいうべき「同胞愛」の在り方と、過去から一歩踏み出して明日に踏み出す人々の姿を描く本作。美しいラストシーンに至るまで、ひたすら痛快で爽快で、そして心を熱くする物語であります。


『エクアドール』(滝沢志郎 双葉社) Amazon

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2023.08.30

たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記 博多編』第8巻

 ついに蒙古軍が上陸し、カタストロフが目前となった博多。その混乱の最中、迅三郎は同じ義経流の使い手・両蔵から、蒙古に義経流が伝わった真実を聞くことになります。そして博多を捨て、太宰府に撤退した日本武士団は、決死の反攻に出ようとするのですが……

 蒙古軍の博多上陸を阻むべく死闘を繰り広げたものの、衆寡敵せず一気に不利な状況に追い込まれた日本武士団。そんな中、暴走する高麗軍の金センと激突することとなった朽井迅三郎は、同じ義経流を操る蒙古軍の両蔵と協力してその場を乗り切るのでした。
 そしてこの巻の前半では、謎に包まれていた蒙古の義経流の正体が語られることになります。

 かつて平家を滅ぼしながらも兄に疎まれ、奥州平泉に追いつめられた源義経。しかし弁慶の犠牲もあって生き延びた義経は、残った六人の郎党を連れて北上し、交流のあったアイヌを頼って蝦夷地に渡ったというのです。
 そしてアイヌに力を貸す形で樺太に渡り、ニヴフ人との戦の助っ人となった義経は、後の間宮海峡を越え、大陸に渡ったというのですが――それから数十年後、その義経の武芸は、蒙古の兵・両蔵としてサハリンのアイヌの敵となったのであります。

 かくて樺太のアイヌに、そして日本にと、牙を剥く形で帰ってきた義経流。義経とモンゴルといえば、やはり義経=チンギスハン説が浮かぶものの、まさか今それをそのまま採用はしないだろうと思いましたが、なるほどこのような変化球で来るとは面白いところです。
(もっとも、義経=オキクルミ説を断言に近い形で書いているのは、どうかと思いますが……)

 そして、迅三郎に対して蒙古に渡った後に完成された自分の方の義経流こそが正統と誇る両蔵ですが――その主張の是非はさておき、源流を同じくする技が海を隔てた敵同士として対峙する様は、武術の何たるかを示しているようにも感じられます。


 さて、対馬の惨劇を再現するかのように、博多から多大な犠牲を払いつつ太宰府に後退した迅三郎たちですが、奇妙な運命というべきか、さらに思わぬ形で対馬を再現するかのような構図となります。
 かつて七世紀の唐との戦の際に太宰府に築かれた水城に拠ることとなった迅三郎。しかし、数百年を経て実戦に臨むことになった城に拠るというのは、対馬で迅三郎たちが拠った金田城を思い出させるではありませんか。

 あの時は迅三郎たちの奮戦むなしく、多勢の蒙古軍を相手に少しずつ守りは綻び、ついには城は総崩れという悲劇となったわけですが――さて、あまりにも不吉すぎる戦いの流れは再現されてしまうのか。
 そしてその予感を裏付けるような、あまりにも情けない事態が発生してしまうのですが、そんな中、天草太夫大蔵太子の企てを聞いた迅三郎は……

 はたしてこれが逆転の烽火となるのか? 全く先は読めぬ中、最後かもしれない戦いが始まります。


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