2024.08.18

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第24巻 旅路から江戸へ 「帰ってきた」十兵衛

 約一年ぶりの『猫絵十兵衛 御伽草紙』は、前々巻から続いてきた旅情編(?)がいよいよ完結――長らく江戸を離れていた十兵衛とニタが、いよいよ江戸に帰ってきます。旅先でも江戸でも変わらぬ人の、猫の、妖の姿が、二人を狂言回しに今日も描かれます。

 ふらりと江戸を離れて越後、佐渡を訪れた猫絵師の十兵衛と猫又のニタ。のんびりと旅を続ける二人は、途中で猫絵に奮闘する若き殿様と知り合ったりと、行く先々で様々な人や猫に出会ってきました。
 そしてこの巻の半ばまでは、二人が江戸に帰るまでの旅路が描かれることになります。

 安中で(猫又に)大人気の名物(とニタ)の思わぬ姿が描かれる「名物猫の巻」
 傲慢さが災いして、卒中の療養旅の途中で使用人に放り出された若旦那が、思わぬ猫情に助けられる「報謝猫の巻」
 猫絵の殿様と善光寺の門前町を訪れた二人が、人間の赤子を連れた猫又と出会う「猫絵の殿様篇 参の巻」
 殿様と別れた二人が、名物住職がいるという寺で目の当たりにした思わぬ「説法」の顛末「説法猫の巻」
 何者かの導きで異界に落ち込んだ十兵衛が、奇怪な世界を彷徨った末に出会ったものを描く「青面猫の巻」
 前回の疲れも十兵衛に残る中、本書の表紙を飾る撞木娘の導きで碓氷峠を越える「碓日の坂猫の巻」

 いずれも旅先ならではというべきか、実にバラエティに富んだエピソード揃いですが、その中で個人的に特に印象に残ったのは、「猫絵の殿様篇 参の巻」と「青面猫」です。

 前者は猫絵の殿様といいつつ、むしろ十兵衛たちが出会った風変わりな猫又が主役の物語。可愛がってくれた一家の妻が亡くなり、主人と赤ん坊と共に善光寺詣でに出たものの、主人も旅先で亡くなって残されたのは赤ん坊と猫――というだけで胸が塞がる思いですが、そんな苦難の果てに辿り着いた善光寺で待つものの姿(と猫のリアクション)には、ただ涙涙。泣かせという点では、この巻随一のエピソードです。

 一方後者は、何者かに惹き寄せられるようにニタから離れ、異界に足を踏み入れた十兵衛の姿を描く異色作ですが、注目すべきはその異界の、何とも悪夢めいた不条理な、そしてどこか蠱惑的な姿でしょう。
 元々、作者は一種のダークファンタジーを得意にする作家という印象もあり、これまでも(本作に限らず)時折描いて来た異界の姿には、魅力的なものがありました。その味わいは、このエピソードにおいても変わらず――そしてそれだけに、異界で十兵衛を待つものの意外かつ納得の正体に頬が緩むのです。


 こうして江戸に帰ってきた二人ですが、待つのは相変わらず賑やかな人と猫の姿です。
 長いこと留守にしていた十兵衛が、江戸に帰って最初にすることになった「仕事」を描く「初仕事猫の巻」
 かつて国府台城の姫君が体験したという不思議な猫の掛け軸を巡る物語「国府台城の猫の巻」
 賑やかな花見に出かけた十兵衛とニタが、そこで奇品の鉢植えを売る思わぬ人物と再会する「奇品猫の巻」
 毎度お騒がせの猫又三匹衆が、外で粗相をしたのをきっかけに、大変な騒動に発展する「かしわ猫の巻」

 ここに登場するのは、西浦さんや猫又たちといった、懐かしい顔ぶれですが、まさしく「実家に帰ったような」感覚で、旅は旅で楽しいけれど、帰ってみると普段の日常がまた愛おしい――という、誰しも経験があるであろう、あの感覚を味わうことができます。

 一方、そんな中で異彩を放っているのが「国府台城の猫」。この城があったのは室町後期から末期なので作中から見ても過去の話ですが、その頃に起きたという奇譚を、本作のキャラクターが演じるという一種のコスプレ回といえるかもしれません。
 主演の信夫が演じる姫君が、不思議な掛絵から飛び出してくる猫に惚れ込むも、その猫を現実のものにするためには一ヶ月触れてはならず――という、猫好きには拷問のような話ですが(またここで登場する猫(演:百代)が可愛い!)、地元民でもほとんど知らないような話を採話しているのに、個人的には驚かされたところです。


 さて、こうして江戸に帰ってきた十兵衛とニタですが、一読者としても「帰ってきた」という想いが強くあります。というのも、本書のラストとその一話前は、掲載誌にして約三年間の休載を挟んでいたのですから。
 その間、愛読者としては大いに不安だったのですが、こうして帰ってきたからには(どんなペースでもよいので)また温かい物語たちを、この先も描き続けてほしいと――そう心から願っています。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第24巻(永尾まる 少年画報社にゃんCOMI) Amazon


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永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と
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永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語
永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻 いつまでも変わらぬ、そして新鮮な面白さを生む積み重ね
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2024.08.05

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その二) 異例のヒロインが持つ「強さ」と「弱さ」

 『モノノ怪』の仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾『モノノ怪 鬼』の紹介の後編です。歴史小説的文法で描かれる長編エピソードという点に留まらない本作のもう一つの特徴。それは……

 しかし、本作にはここまで述べてきた以外にも、もう一つの特徴があります。それは本作の実質的な主人公であり、そしてヒロインである「鬼御前」こと小梅の存在です。

 先に述べた通り、実在の(実際に伝承が残っている)人物である小梅――というより鬼御前。実は伝承では「鬼御前」の通称のみで、本名は残されていないのですが――そこでは夫の鑑直と共に日出生城に依り、わずかな手勢で勇猛を以て知られる島津勢を相手に奮戦したといわれる女性とされています。

 この鬼御前は身の丈六尺(180cm)近い長身だったということですが――図らずも××女ブームに乗る形に、というのはさておき、その規格外の人物像は、本作でも存分に活かされています。
 しかし彼女の最大の特長であるその「強さ」は、『モノノ怪』に登場するヒロインには、極めて珍しいものと感じられます。

 これまで『モノノ怪』に登場したヒロイン、モノノ怪に関わった女性の多くは、儚げな――望むと望まざるとに関わらず、ある種の「弱さ」を抱え、運命に翻弄される存在であったといえるでしょう。
 それはモノノ怪を生み出すのが人の情念や怨念によるものであることを考えれば――そしてまた、物語の背景となる時代を考えれば――むしろ必然的にそうなってしまうということかもしれません。

 それに対して本作の小梅は、並の男では及びもつかない力を持ち、そしてその力に相応しく、自分の行くべき道を自分で選ぶ強い意志を持つ女性――この時代の女性としては、破格というほかない人物。そんな彼女は、第一話で描かれたように、モノノ怪を討つ側であっても、生み出す側ではないと思えます。
 しかし、それであるならば、登場するモノノ怪をサブタイトルとする『モノノ怪』において、第四話のそれは何故「鬼御前」なのか――?

 実にそこに至るまでの本作の物語は――人々の誰もが巨大な歴史の流れに翻弄された時代、誰かを守るために誰かを傷つけなければならない時代に現れるモノノ怪を描く物語は――その理由を描くためのものといってよいかもしれません。
 そこには同時に、「強い」者の中には「弱さ」はないのか。そしてそもそも「弱さ」はあってはならないのか? ――そんな問いかけと、その答えが存在するとも感じられます。

 そして最後まで読み通せば、小梅もまた、『モノノ怪』のヒロインに相応しい女性であると――すなわち、過酷な運命に翻弄されながらも、なおも自分の想いを抱き続けた女性であると理解できるでしょう。
(もう一つ、『モノノ怪』という物語において、「解き放」っているのは、薬売りだけではないということもまた……)


 スピンオフ小説ならではの異例ずくめの趣向で物語を描きつつも、それでもなお、確かに『モノノ怪』と呼ぶべき物語を描いてみせた本作。
 異色作にして、だからこそ『モノノ怪』らしい――『モノノ怪』の作品世界を広げるとともに、そして同時にその奥深さを証明した作品といってもよいかもしれません。

『モノノ怪 鬼』(仁木英之 角川文庫) Amazon

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2024.08.04

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その一) 歴史小説的文法で描く初の長編エピソード

 ついに新作劇場版も公開された『モノノ怪』。その完全新作ノベル――仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾が本作です。今回舞台となるのは、九州平定を狙う島津家に抗う人々が暮らす地・玖珠。そこに現れる四つのモノノ怪を巡る、連作スタイルの長編です。

 九州で大きな勢力を持っていた大友家が耳川で島津家に惨敗して数年。以降、九州制覇を目論む島津家は各地を併呑しながら北上を続け、広大な山に囲まれ、「侍の持ちたる国」として自立してきた玖珠郡にもまた、その軍勢が目前に迫ります。
 しかし玖珠郡の諸侯をまとめる古後摂津守は、この地の有力者である帆足孝直と仲違いして久しく、島津に対する態度も足並みが揃わない危機的な状況――さらに、周囲の山には、いつしか人を食らう妖・牛鬼が棲み着き、人々を苦しめていたのです。

 そんな中、元服したばかりの帆足家の嫡男・鑑直は、山中で一人の美しい少女・小梅に出会います。
 自分よりも身体が大きく、腕力も武芸の腕も上回り、周囲からは「鬼御前」と呼ばれる小梅。しかし鑑直はそんな彼女に惹かれ、やがて二人は相思相愛となるのですが――実は小梅こそは、古後摂津守の長女だったのです。

 父同士の不仲にも引かず、自分たちの想いを貫くため、力を合わせて牛鬼を退治せんとする鑑直と小梅。そんな二人の前に、奇妙な風体の薬売りが現れて……


 戦国時代も末期、本土では秀吉が天下統一に向けて快進撃を続けていた1580年代後半、九州で繰り広げられた島津家と諸侯の戦い。本作の題材となっているのはその一つ、日出生城の戦いをクライマックスとする、玖珠郡衆と島津家の戦いです。
 そう、本作の背景は、かなり知名度は低い(フィクションの題材となったことはほとんどないのではないでしょうか)ものの、歴とした史実――さらにいえば、物語全体を通じて登場する鑑直と小梅(正確には後述)も、彼らの父たちも実在の人物なのです。

 同じ作者による前作『モノノ怪 執』においても、江戸時代を舞台に、史実の事件や実在の人物が題材となったエピソードがありましたが、戦国時代を舞台に、さらに史実と密着して描かれる本作のアプローチは、それをより推し進めたものといえるかもしれません。
 前作が時代小説の文法で『モノノ怪』を描いたとすれば、本作は歴史小説の文法で『モノノ怪』を描いた――そう評すべきでしょうか。


 そんな本作では、冒頭の「牛鬼」に続き、以下の物語が描かれます。
 鑑直と小梅の婚礼が行われる中、小梅の妹・豆姫に近づいた元島津家重臣の若侍・伊地知が、古後家をはじめ周囲を煙に巻き、狂わせていく「煙々羅」
 島津家の総大将・新納忠元の軍勢が玖珠に迫る中、島津家で勢力を急進してきた鬼道を操る怪僧が生み出した屍人の兵が玖珠を苦しめる「輪入道」
 島津の総攻撃を前に鑑直と共に小梅が日出生城に籠り奮闘する中、新たなモノノ怪が生まれる「鬼御前」

 このあらすじを見ればわかるように、本作にはこれまでにない、大きな特徴があります。それは本作が全四話構成であり、四話で一つの物語を成していること――つまりは本作は長編エピソードなのです。

 アニメの『モノノ怪』は、分量的には中短編であり、そして個々の物語は(稀に過去のエピソードのキャラクターが登場することはあれど)それぞれ独立したものとして描かれていました。
 それに対して本作は、玖珠という地を舞台にした連続した一つの物語であり、アニメにも小説にもなかった、これまでにない趣向といえるでしょう。
(そしてそれだけ薬売りも一つ所に長居するわけで、結構玖珠の人々に親しまれている様子なのが、ちょっとおかしい)


 しかし本作には、更なる特徴があります。それは――長くなりましたので明日に続きます。


『モノノ怪 鬼』(仁木英之 角川文庫) Amazon

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2024.03.13

奈々巻かなこ『声音師 幕末維新 ないしょの草紙』 幕末と明治の因縁をほどく百と八つの声

 このブログ的は『神域のシャラソウジュ』の奈々巻かなこの初期作品であり、単行本化されていなかった短編連作であります。明治初期、誰の声音でも自在に真似する声音師にして元公儀隠密の主人公が、幕末から続く因縁の糸をほぐします。

 百と八つの声を使いわけると言われ、人気役者の声音はおろか、観客の声まで自在に真似してみせる声音師・扇屋俊介。今日も相棒の少女・乃江の音曲に合わせて、その喉を披露していた俊介ですが、その前に現れた黒眼鏡の男はとんでもない依頼をしてくるのでした。
 ある女の声をまねて、そしてその声でおれに抱かれてほしいと……

 ところがその女の名に聞き覚えがあった俊介は、密かに女の元に忍び込むと、件の男の声で語りかけます。そしてその声に女が思わず口走った名前もまた、俊介の記憶に残るものだったのです。
 江戸開城後、彰義隊と官軍の無用の衝突を避けるため、公儀隠密として密かに動いていた俊介。そんな中である事件が起きて……


 この「声音師」に始まる本シリーズは、明治の今は声色の芸人、幕末の昔は公儀隠密という俊介を主人公とした連作であります。明治の世に俊介が巻き込まれた奇妙な事件が、幕末に彼が経験した出来事と不思議な繋がりを見せ、その因縁を解きほぐすために、俊介が得意の喉を活かす――というのが基本的な展開となります。

 続く第二話の「狐宿」は、今は海軍参謀局の諜報少尉だったかつての同僚・片岡と新橋の妓楼で飲んでいた俊介が、そこで井上聞多が執心する芸妓・琴松が狐憑きになった、という噂を聞くことから始まる物語。

 「狐憑き」になった琴松が、密かに井上を包丁で刺そうとしていたのを巧みに抑えた俊介ですが、井上は幕末に彼の監視対象だった長州藩士の一人。その頃は青春真っ只中だった彼らにどこか心惹かれていた俊介は、今の権柄ずくの井上の姿に驚くことになります。
 そしてある出来事が原因で、琴松が井上を深く恨んでいることを知った俊介は、井上のよく知る人物の声音で井上の前に現れ……

 と、その人物が誰であるかはすぐに予想はつくのですが、しかしその人物が(そしてそれは俊介自身のものでもあるのですが)井上に問いかける言葉と、それに対する井上の言葉が胸を打ちます。
 本作は完全な悪人というものが登場せず、誰もが心の中に哀しい部分を抱えているのですが、それを声音が暴き、そして癒やすという点では、このエピソードが最も印象に残るかもしれません。


 そしてラストの「呼返し地蔵」は、裏手の淵に入水しようとする者に「返せや返せや」と呼びかける地蔵の伝説が残る麻布の寺を舞台に、俊介自身の過去が描かれることになります。
 淵にさる政府高官の令嬢が浮かんだ事件の調査を、片岡から半ば望んで引き受けた俊介。実は幕末に、その寺に身を寄せていたある人物の警護を務めていた俊介は、その淵で死にかけて地蔵の声を聞いたというのですが――さてそれは誰の声であったのか。

 普段は飄々と暮らしている彼が何を背負っているのか、そして何に救われたのか。幕末秘史(史実から考えるとまずない話なのですが、しかし内容としては実に面白い)と絡めつつ、彼の魂の彷徨を描く本作は、シリーズのひとまずの結末に相応しいものといえるように思います。


 冒頭に述べたように、作者の初期の作品――四半世紀近く前の作品ではあるのですが、しかし今読んでみてもそのキャラクターの独自性やそれを活かした物語展開、そして歴史ものとしてのひねりなど、実に魅力的な本作。
 さすがに新作を、というのは無理だとは思いますが、いまこうして電子書籍の形で読むことが出来たのは、何よりの僥倖であります。

(と、調べていたら、本シリーズにはまだ作品があるようなのですが――ぜひそちらも読みたいものです)


『声音師 幕末維新 ないしょの草紙』(奈々巻かなこ 電書バト) Amazon

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2023.09.26

谷津矢車ほか『どうした、家康』(その二)

 家康の生涯を超短編で綴ったアンソロジーの紹介の後編であります。

「鯉」(谷津矢車)
 岡崎城で飼われていた、信長下賜の鯉を食べた咎で捕らえられた鈴木久三郎。どうやら諫言のためらしいと気付いた家康ですが、許された久三郎は不遜な言葉を残すのでした。
 数年後、三方原の戦いで絶体絶命の窮地に陥った家康の前に現れた久三郎が取った行動は……

 三河武士といえば、家康への忠誠で団結していた印象がありますが、しかしそれが必ずしも事実ではないのは、一向一揆の際の状況を見ればわかります。本作はそんな家康の難しい立ち位置を、一人の三河武士との関係性から浮き彫りにするという視点の妙に唸らされます。

 そしてクライマックス、家康の生涯でも最大の危機といえる三方原で彼を救ったのは――単純に感動的な、と表現して終わらせるわけにはいかないその真実を、しかし家康の成長を以て昇華させた上にに、「鯉」の意味が絡み合う結末もまた、巧みと評するしかありません。


「親なりし」(上田秀人)
 大坂冬の陣でついに豊臣家を滅ぼした家康。大坂城を包む炎を目の当たりにして、「愚か者が」と呟いた家康の真意は……

 大坂の陣終結直後に、家康が徳川頼宣に語って聞かせるという趣向の本作は、老練な年長者が未熟な後進に説明してやる(説教する)という、作者の作品ではお馴染みのスタイルで描かれます。
 豊臣家だけでなく、秀吉を、さらには信長を愚か者と言い切る家康の真意は奈辺にあるのか。そこで描かれるのは、作者の作品に通底する「継承」という概念なのですが――そこに含まれる家康の悔恨を知った上でタイトルを見れば、なるほどと感じさせられます。

 舞台となる時系列順に作品が配置された本書の中では中頃に収録されているにもかかわらず、大坂の陣が描かれているのを不思議に思いましたが、この家康の想いが何に対するものであったかを知れば納得です。


「賭けの行方 神君伊賀越え」(永井紗耶子)
 茶屋四郎次郎に本能寺の変の発生を知らされ、一時は死を考えた家康。しかし四郎次郎の言葉に思いとどまった家康は、決死の帰還を試みるのですが……

 本能寺の変の直後、堺にいた家康が領国に帰還するために必死の思いで敢行した伊賀越え。家康の生涯でも有数の危機を、その立役者の一人である茶屋四郎次郎を通じて描いた作品です。
 内容的にはシンプルではありますが、面白いのは、ここであっさりと切腹しようかと考え、そしてそれを思いとどまる家康の心の動きでしょう。家康がここで死のうとして周囲に諫められたのは史実のようですが、本作の視点はユニークかつ納得させられるものがあります。

 もう一人の立役者である服部半蔵が語る、伊賀が危険な理由もまた納得の視点で、人間心理に向ける視線が印象に残る作品です。


「燃える城」(稲田幸久)
 大坂冬の陣で豊臣家を追いつめ、勝利を目前とした家康。大久保彦左衛門と共に本陣で悠然と構えていた家康ですが、そこに真田幸村が迫ります。追い詰められた家康がそこで見たものは……

 戦国最後の戦いというべき大坂の陣も終結目前となり、ある種の余裕ある家康を描く本作。戦国の世の出来事を物語にまとめたいという彦左衛門が、「三方原には参戦していないので、馬印を倒すほど慌てふためいて逃げ帰ったのは見ていない」と語るというフラグ以外の何ものでもないものを立てておいての幸村襲来はちょっと笑ってしまいましたが、物語はそこからが本番であります。

 そこで幸村を通じて家康が見たものは、対峙したものはなんだったのか。ちょっと格好良すぎる気もしますが、本書の掉尾を飾るに相応しい結末であります。


 というわけで、超短編で家康の生涯を描いた本書ですが、一作品毎の分量の少なさから、作品によって色々と差が出ていたのは仕方のないところでしょうか。
 何はともあれ、個性的な歴史時代小説アンソロジーを手掛けさせたら右に出るものがいない、講談社ならではの一冊であることは間違いありません。


『どうした、家康』(講談社文庫) Amazon

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2023.07.17

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻 人情・猫情・妖情そして旅情の原点回帰

 あのコンビがついに帰ってきました。約三年ぶりの登場となった『猫絵十兵衛 御伽草紙』最新巻であります。江戸を離れ、北への旅に出た二人が、新潟で、佐渡で、様々な人情・猫情・妖情に出会います。そして明かされる、ニタの意外過ぎる過去(?)とは……

 この世ならざるものを見る力を持つ猫絵師の十兵衛と、強大な力を持つ元猫仙人のニタ――と書くとなにやら物騒ですが、至ってマイペースな二人。これまで江戸を中心に描かれてきたこの二人の物語は、前巻の終盤から大きく趣を変えることになります。
 江戸からふらりと旅に出て、越後までやってきた十兵衛とニタ。そう、この巻では、越後、佐渡を中心に、二人が旅の最中に出会う様々な出来事が描かれることになります。

 前巻のラストでは、越後の新潟湊で遊郭から足抜けしてきた娘・おけいと出会った二人が、彼女を助けて遊郭の主・二ツ岩の団三郎狸(この第23巻の表紙を艶姿で飾っております)と対峙。すったもんだの末、おけいと団三郎と共に、佐渡に渡ることに――という物語「湊猫」が描かれました。
 そしてこの巻の冒頭に収録された「小木湊猫」は、その後編というべき内容――育ての親である老爺が病となり、彼に薬を届けるために足抜けしたおけいが語る、とある昔話が物語の中心となります。

 このエピソードでは、「湊猫」を読んだだけではわからなかった意外な真実(それも二段構えの)にまず驚かされますが、それ以上に印象に残るのは、やはり切々と描かれる「情」の存在でしょう。
 本作は作中の随所で「歌」が印象的に使われていますが、このエピソードでも、おけさ節の元になったというおけいの唄に乗せて切々と描かれる、種族を超えた「情」の姿が、感動を呼びます。
(ただ、ラストの捻りは、これまでの描写的に、ん? という気がしないでもありませんが……)


 さて、その後も二人の旅は続きます。

 団三郎狸が語る、佐渡の国産み神話にまつわる、ある猫の物語「佐渡の猫石」
 毎年雪の降る時期に、老夫婦のもとにやってくる不思議な子供と二人の交流「雪猫」
 ニタが見せたいというとっときを求めて山中にやってきた十兵衛の受難「さかべっとう猫」
 子供時代の十兵衛が、友達のために初めて「猫絵」を描く「猫の絵」
 猫絵で知られる上野国石時見家の若き殿様が、善光寺参りに向かう途中の旅で二人と出会う「猫絵の殿様」「猫絵の殿様 弐」
 琵琶法師に身をやつした老猫が語る奇岩の由来の物語「半過の岩鼻猫」

 どのエピソードもこれまで同様、時に切なく、時に温かい「人情」「猫情」「妖情」を存分に描くのですが――そこに「旅情」が加わるのですからたまりません。
 誰もが憶えがあるであろう、旅に出た時の不思議な解放感と軽い興奮、そしてそこはかとない寂しさ――そんな味わいが、本書のエピソードには漂っています。

 もっともその中で思いもよらぬ変化球が飛んでくるのも、また本作らしいところでしょう。たとえば「佐渡の猫石」は、伊邪那岐命と伊邪那美命まで遡る壮大な物語ですが、そこに顔を出すのはなんと……
 いやお前、そんな頃から――と、いきなり広がったスケール感に絶句するとともに、何ともすっとぼけた「真理」が描かれるオチが痛快ですらある一編です。


 ちなみにこの巻のあとがきによれば、前巻ラストからの「越後篇」「佐渡島篇」は、かなり以前から――それこそ本作の成立前、というか本作の成立に関わる形で構想されていたものであるとのこと。その意味では、この巻の内容は本作の原点回帰と言えるのかもしれません。

 冒頭に触れたように本書はほぼ三年ぶりの新刊ですが、その間、「ねこぱんち」誌での連載もストップした状況と、愛読者としては非常に心配になる期間でした。
 しかしこの巻では、前巻にほとんどなかったあとがきもきっちりと(4ページも)あり、そして本書の刊行と時を同じくして「ねこぱんち」誌の連載も再開――と、嬉しい限りです。

 どうか原点回帰したその先も、ずっと十兵衛とニタの物語を描いてほしい――本書を読んで、心からそう感じた次第です。


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2022.12.21

西公平『九国のジュウシ』 恐るべき野生児が見た岩屋城の戦い

 戦国時代でも有数の寡戦となった岩屋城の戦い――高橋紹運率いる700余名が、島津軍5万を向こうに回して壮絶な戦いを繰り広げた籠城戦。その秘話を描く何ともユニークな漫画であります。紹運の前に現れた凄まじい戦闘力を持つ野生児・十四郎が、この戦いで見たものは……

 戦国時代末期の九国(九州)制覇を目指す島津に対して、最後まで戦いを繰り広げた末、豊臣秀吉に助けを求めた大友家。しかし救援が到着するのは四ヶ月後。それまでの時間を稼ぐため、大友家にこの人ありと知られた名将・高橋紹運は岩屋城に籠もることを選ぶのでした。
 高橋軍763人に対して、対する島津軍は5万人――絶望的な戦力差の中で、紹運の傍らにあってなおも生き延びると言い放つ少年・十四郎がいました。

 遡ること七年前、岩屋城で噂となっていた獣のような動きの子供――合戦場に現れ、軽々と兵たちの攻撃を躱しては、切り落とした相手の手足や、死体の臓腑を拾い集めるその子供に、強く興味を惹かれた紹運。
 そして子供が、山中の洞窟で共に暮らす巨大な狼を母上と呼び、人肉を与えていたことを知る紹運は、子供を追ってきた山賊の矢から「母上」を庇ったことをきっかけに、子供――十四郎を戦場に伴い……


 岩屋城の戦いを題材としつつも、物語の中でこの戦いが描かれるのは、冒頭と最終巻(第三巻)の後半部分――それ以外の部分で描かれるのは、この野生の化身のような十四郎と、紹運をはじめとする人々の関わりであります。

 至近で振るわれる刀を躱し、自分めがけて放たれる矢を掴み取る。刀のひと振りで、人の首や手足を軽々と叩き斬る――およそ常人を遥かに超えた身体能力を持つ十四郎ですが、彼が真に常人と異なる点は、その精神性にあります。
 上に述べたように母狼に育てられ、そして老いて狩りが出来なくなった母狼のために合戦場で人肉を集め、食わせるという凄まじい生活を、ごく平然と送っていた十四郎。
(実は彼の親については、さらにドン引きものの過去があったことが明らかになるのですが……)

 しかし時は血で血を洗う戦国乱世。そんな剣呑な人間でも、強ければ喉から手が出るほど欲しい――という紹運も十分どうかしているというのはさておき、そんな十四郎と、紹運や彼の子・千熊丸(後の立花宗茂)たちの交流は、彼ら自身を、そして彼らの周囲の状況を変えていきます。

 それは、十四郎との共同生活の中でその才能を開花させていく千熊丸のように、急激なものであることもあります(その変化に戸惑うギン千代が可笑しい)。あるいは本人も気付かぬうちに、ゆっくりと変わっていく十四郎のような場合もありますが――いずれにせよここで描かれるのは、人は人との触れ合いの中で、初めて人として成長することができるという「真実」であります。


 そんなドラマを時にシリアスに、時にコミカルに(というか大半コミカルに、でしょうか)積み重ねた末に、岩屋城の戦いに突入する本作。
 そこで描かれるのは寡戦にして籠城戦という極限状況ですが、しかしそこに不思議な温かみのようなものを感じさせるのは、そこに人と人との――そしてその中には十四郎も含まれるのですが――確かな繋がりがあるからなのでしょう。

 そしてこの戦いのある事実と、十四郎の名に一つの符合を見出す時――そこには不思議な感動が生まれるのです。


 正直に申し上げれば、先に述べたシリアスとコミカルの落差など、どんな顔をして読めばよいのかわからなくなってしまう時も多いのですが――しかしそんな点も含めて唯一無二の、そして不思議な魅力を持つ戦国漫画であります。


『九国のジュウシ』(西公平 KADOKAWA HARTA COMIX全3巻) 第1巻 Amazon / 第2巻 Amazon / 第3巻 Amazon

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2022.08.31

永井義男『江戸狼奇談』 有名人探偵+アクセントの効いた時代ミステリ

 永井義男が1995年から1998年――すなわち、小説家デビューした直後の時期に月間小説誌に発表した作品を中心とした短編集であります。全六編のうち、四編は実在の人物を主人公としたミステリ色の強い作品という、ユニークな一冊です。

 本書に収録されているのは、いずれも独立した作品ですが、ここでは特に印象に残った作品を中心に紹介しましょう。

 表題作であり巻頭の「江戸狼奇談」は、タイトル通り、江戸に現れた狼を巡る奇談であります。ある晩、狼に噛まれ、尊敬する医師である沢三伯のもとに駆け込んだ米搗き職人の仙太。しかしその噛み傷に違和感を感じた三伯は、最近狼が出没しているという噂の中身を調べるよう、仙太に頼むのでした。
 仙太が町で聞き込みをした結果、最初の被害者は、狼に局部を噛み切られて死んだ子供だったと聞き、そこから騒動の裏を見抜く三伯ですが……

 本作の題材となっているのは、十九世紀前半に鈴木桃野が記した奇談集「反故のうらがき」中の、麻布・青山の狼騒ぎ。その最初の被害者から、狼の「正体」に至るまで、実は原典通り――すなわち「実話」なのですが、しかしその隙間を巧みに埋め合わせ、一つのミステリとして成立させているのが、本作の魅力でしょう。
 しかしそれ以上に目を惹くのは、本作の探偵役が沢三泊であることです。卓越した頭脳を持ちつつも、役人と接点を持つことを嫌う彼の正体は――知っている人には全く隠されてはいないわけですが、本作で描かれた事件が、彼の運命に繋がっていく終盤は、やはり衝撃的です(その描写が「公式発表」通りでないだけ余計に……)。


 続く「夢酔続言」は、「夢酔独言」をもじったタイトルから察せられるように、勝小吉を主人公にした作品であります。知り合いから、出入りの大店の若旦那が美人局に引っかかったと相談された小吉。この若旦那、震え上がって金だけでなく財布や羽織まで身ぐるみ置いてきてしまったというのですが、それをネタにどんな因縁をつけられるかわからない――と、店の主人から頼まれた小吉は、囮役を買って出ることになります。
 誘いに乗ったふりをして相手をさんざん脅しつけ、首尾よく奪われたものを取り戻した小吉ですが、実は……

 後に『とんび侍喧嘩帳』で小吉を主人公に迎える作者ですが、本作の小吉は、いかにもバイオレンスものの主人公らしく(?)、エロにも暴力にも強い男。この辺りの描写は、正直にいって今見るとちょっと――なのですが、しかし終盤に至り、物語は全く異なる様相を呈することになります。
 小吉のもとを訪ねてきた旧知の高屋彦四郎(柳亭種彦)に、今回の一件を話した小吉。しかし戻ってきた品を見た彦四郎が語るのは――まさかここに繋がるのか、という意外な真相なのです。

 正直なところ真の探偵役がいきなり登場した印象はありますが(もっとも、二人の交友は勝海舟の「氷川清話」で明言されているのですが)、しかしここで描かれるある種の強い怒りは、小吉ではなく彦四郎が語るからこそ意味があるものでしょう。


 その他、「汚穢屋吟味帳」は、盗みに入った家の庭に糞を垂れると捕まらないという俗信を背景に、その「遺留物」を分析したことをきっかけに起きる騒動ですが、探偵役を新内節の本家本元というべき鶴賀若狭掾(の隠居後の姿)とすることで、奇妙な題材ともども、なんともユニークな雰囲気を醸し出す作品です。
 また「世田谷裁き」は、世田谷で真夜中に農家を訪れてその場で亡くなった正体不明の男の体に二つ傷があった謎を解き明かす物語ですが、探偵役が井伊家の十四男で冷や飯食いの若者・鉄三郎というのが意外性十分。彼の存在が、事件の真相と因縁を感じさせるものになっているのも、時代小説としても面白いところです。


 残る二編、「深川旦那殺し」は、妾を安囲い(要するに妾の共有)している気弱な勤め人が、他の面子が次々と殺されるという事件に巻き込まれ――という物語。一方、「虎穴堂弥助」は、妻をやくざに寝取られた男が、超実戦派の武術道場で修行して復讐戦に挑むという、本書の中ではミステリ味のない異色作となっています。
 どちらもあらすじを見ればわかるように、現代ものでも通じるような内容ながら、それを時代ものとして落とし込んでいるのが面白いところでしょう。


 以上六編、江戸の性愛関係の著作も多い作者らしさを窺わせつつ(そして今読むと執筆年代を感じさせつつ)、アクセントの効いた物語揃いの短編集であります。


『江戸狼奇談』(永井義男 祥伝社文庫) Amazon

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2022.08.02

野田サトル『ゴールデンカムイ』第31巻 大団円 黄金のカムイの呪いの先に

 いよいよ長きに渡った黄金争奪戦にも決着の刻が来ました。五稜郭から脱出した杉元たちが飛び込んだのは、函館駅に向かう列車の中――しかしそこは第七師団の兵士たちを満載! 後ろからは鶴見たちも追いすがり、地獄行きの暴走列車の中で繰り広げられる死闘の行方は……

 五稜郭で広大な土地の権利書と、莫大な砂金を発見したものの、鶴見率いる第七師団の猛攻を受けることとなった杉元たち。鯉登父が、都丹が、二階堂が、ソフィアが、ヴァシリが次々と退場していく中、五稜郭を脱出した杉元とアシリパたちが飛び乗った函館行きの列車の中で、最後の最後の戦いが繰り広げられることになります。
 この戦場で土地の権利書を守るべく必死の戦いを繰り広げるのは杉元、アシリパ、白石、土方、牛山。そしてそれに対するは鶴見、鯉登、月島、尾形、さらには無数の第七師団の兵士と、ヒグマ――ヒグマ!?

 最後の舞台に残った役者たちの中で、最後に立っているのは誰か――逃げ場のない閉鎖空間の中で、いつ終わるとも知れない死闘が続くことになります。


 というわけで、ここから先の戦いは、どの組み合わせ一つとっても、まさに黄金カードと言うべき名勝負の連続。杉元・土方サイドも鶴見サイドも、文字通り死力を尽くした戦いが、この最終巻の中に、驚くべき密度で詰まっているのです。

 しかし黄金を巡るこの戦いの掛け金は己の命。ここに至って、いやここに至ったからこそ散っていく一人ひとりのキャラクターの姿は、その演出も相まってこちらの感情をグワングワンと揺さぶってくれます。
 誰が散って、誰が残るのか――それをここで挙げることはしませんが(本当は一人一人触れたい!)、残るのはある意味納得の面子であるのと同時に、退場する者は心から惜しまれる顔ぶれであることは言うまでもありません。

 しかしそんな消える命を背負い、昏く翳っていくのはアシリパの瞳。たとえ杉元とともに地獄に落ちる覚悟を固めたとしても、しかしこれだけの命が眼の前でまとめて失われていくことが、彼女にとって、どれだけ大きな衝撃であるか言うまでもありません。そしてその暗闇から彼女を救い出せるのが、誰のどんな言葉であるかもまた……


 そしてその果てに迎えた最後の最後の対決に臨むのは、言うまでもなく杉元と鶴見――片やただ一人を助けるための金を求めて首を突っ込んできたノラ坊、片や無数の人間の運命を操ってきた大義と野望の男、対称的な二人の対決は、もはやこれまで二人が背負ってきた人生のぶつかり合いといえるでしょう。
 そして圧巻は、二人の、いやそこに至るまでの戦いの中で、鶴見の心の仮面が外れた瞬間でしょう。ラスト一話前に見せた表情はもちろんのこと――その他にも単行本の加筆修正描かれた鶴見の意外な(?)想いは、鶴見という人物が善悪という単純な視点では量りきれない、本作を代表する「人間」であったことを示すものなのでしょう。

 しかしこの黄金争奪戦の中で、杉元もまた様々なものを背負い、成長してきました。そんな彼が己のためだけでなく、誰かのために動く姿は、格好良すぎるかもしれませんが、黄金のカムイの呪いを解く一つの希望であったと感じるのです。


 そして最終話――一コマ一コマに至るまでに施された細やかな演出に圧倒されつつ、生き残った登場人物(いや生き残らなかった者も)のその後を丹念に描いた結末には、これほど「大団円」という言葉が相応しい内容はないでしょう。

 実はこの最終話については、雑誌掲載時に比べると、大枠は同じながら、細かいコマ割りや台詞回しなど驚くほど大量に手が入っていることに気が付きます。
 これはおそらく(いや間違いなく)、雑誌掲載時に終盤の描写に批判が寄せられたことによるものだと思いますが――私はその時には「フィクションはどこまで現実に責任を持つべきか」ということを随分考えさせられましたが――それに対して、できる限りの努力をしたことが、今回の修正からは感じ取れるように思います。
(こちらも批判が寄せられた、あの「オチ」にもよく見たら修正が入っていたのには噴きましたが)


 そして参考文献リストも終わり、ああ、本当に終わってしまった、と思っていたら、その後に付された描き下ろし4ページ。
 これは一体? と思ってみれば――いやはや、最後の最後の最後まで量りきれない人間でしたが、あるいはこれが彼の役目だと思えば、それはそれで一つの救いのようにも感じられるのです。


『ゴールデンカムイ』第31巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

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 野田サトル『ゴールデンカムイ』第30巻 五稜郭決戦に消えゆく命 そして決戦第二ラウンドへ!

 『ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録』 濃すぎる作品の濃すぎるファンブック!

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2022.06.23

野田サトル『ゴールデンカムイ』第30巻 五稜郭決戦に消えゆく命 そして決戦第二ラウンドへ!

 連載は大団円を迎えましたが、まだまだ単行本が完結するまで油断できないのがこの『ゴールデンカムイ』。残すところは本書を入れてわずか二冊ですが、この巻でも驚くほどの加筆修正が施されています。いよいよ始まった五稜郭包囲戦の中、次々と失われていく命。はたして最後に残るのは?

 刺青人皮が示す黄金の在処、五稜郭に集うことになった生き残りの全勢力。先に五稜郭に入った杉元・アシリパ・白石と土方一派、さらにソフィアとパルチザンに対して、鶴見も第七師団を招集、鯉登父の駆逐艦まで加わっての全面対決は、もはや戦争というレベルにまでエスカレートすることになります。
 アイヌのために残された土地の権利書、そして土方のアイヌとの繋がりからようやく発見された黄金――長きに渡り求めてきたものをついに発見したアシリパたちは、決して退けない戦いに挑むのですが……

 と、まさしく死闘がひたすら続くこの巻。ここでは名前は挙げませんが、一人、また一人とキャラクターが退場していくのは、もはや仕方がないこととはいえ、やはり胸が痛みます(もっともそんな中、新たに、そして最高のタイミングで駆けつける律儀すぎるマタギには胸が躍るのですが)。

 しかしそんな死と暴力の最中でも、一人一人のキャラクターの輝きを見せてくれるのが本作の魅力であります。
 特にこの巻の序盤、キラウシが懸命に戦う姿は、彼がほとんど巻き込まれてここまで来たようなキャラクターだからこそ、彼の中に生まれた希望を感じさせる名場面だったと感じます。
(そしてその想いが、ある人物の最期に繋がる無情さもまた……)


 しかしこの巻で圧倒的なのは、冒頭に述べたように単行本における加筆修正シーンでしょう。それこそ細かいところまで挙げれば数限りないのですが(例えば上のキラウシのシーンも、わずか一つの台詞を追加しただけで印象がさらに強くなっています)、やはり数ページにわたる追加部分は、特に強烈に印象に残ります。

 その一つは、五稜郭の元陸軍訓練所での鶴見と鯉登との対峙であります。かつて鯉登が鶴見に命を救われ、彼に心酔するきっかけとなった地で、彼のつく嘘と――いや、嘘をつかずにはいられない彼の心(この辺り、連載最終回時の雑誌附録を見ているとニヤリ)と正面から対峙する鯉登の言葉は、途中で一部が薩摩弁になる部分も含めて、彼のこれまでのドラマが凝縮されているようで、胸に迫るものがあります。
(そしてアッここに繋がるのか――と驚かされるのですが、それはまだ先)

 そしてもう一つ胸に刺さったのは、実に6ページにわたり、ソフィアの内面を、過去を描いた場面であります。
 五稜郭で斃れたパルチザンの仲間たちの名前を呼ぶ姿から始まり、彼女の脳裏に浮かぶ、かつてのロシア皇帝暗殺の場面。そこでは、ウイルクが顔に傷を負うこととなったもう一つの理由、そしてその理由がソフィアの心に終生残った傷の理由と通底するものであったことが、語られることになります。

 そんな彼女が背負ったものを顕わにした果てにソフィアが呼んだのは――いやはや、このページを見たときには、思わず声が出そうになりました。個人的にはこの巻のハイライトと感じた次第です。


 さて、そんな数多くの生と死が描かれた五稜郭決戦も、この巻の後半でアシリパと杉元たちが五稜郭から脱出したことで、否応なしに終わりを迎えることになります――が、それは最終決戦が終わったという意味ではありません。
 決戦の第二ラウンドの舞台、それは函館駅に向かう列車の中。逃亡中偶然出会った列車に乗り込んだ杉元たちが見たものは、中にすし詰めになった第七師団の第二陣たちだったのであります。

 鶴見たちも追いつき、もはや逃げ場のない車内、そして頭巾ちゃんとの対決を終えた尾形も乗り込み、もはや大混乱の中、暴走列車は地獄へと一直線に向かうことになります。
 その先に待つものは――いよいよ次巻大団円であります。


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