2023.11.19

「コミック乱ツインズ」2023年12月号

 号数でいえば今年ラストとなる「コミック乱ツインズ」12 月号は表紙が何と『江戸の不倫は死の香り』、巻頭カラーは『鬼役』。『勘定吟味役異聞』が最終回を迎える一方で、、ラズウェル細木『大江戸美味指南 うめえもん!』がスタートします。今回も印象に残った作品を紹介しましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ジファルの過去編も終わり、今回から再び描かれるのは、ビジャの城壁を巡る攻防戦。そこで蒙古側が繰り出すのは、攻城塔――重心が危なっかしいものの、装甲を固め、火矢も効かないこの強敵を前に、ブブがまだ戦線に復帰しないビジャは窮地に……

 しかし、インド墨者はブブだけではありません。そう、モズがいる! というわけで、これまではその嗅覚を活かした活躍がメインだった彼が、ついに墨者らしい姿を見せます。攻城塔撃退に必要なのは圧倒的な火力、それを限られた空間で発揮するには――ある意味力技ながら、なるほどこういう手があるのかと感心。ビジュアル的に緊張感がないのも、それはそれで非常に本作らしいと感じます。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに今回で最終回、「父」吉保の置土産である将軍暗殺の企ての混乱の中で、徳川家の正当な血統の証を手に入れた柳沢吉里。しかしその証も、事なかれ主義の幕閣の手で――と、大名として残る吉里はともかく、ある意味同じ幕臣の手で夢を阻まれた永渕にとっては、口惜しいどころではありません。

 死を覚悟した永渕は、最後に聡四郎に死合を挑み、最終回になって聡四郎は宿敵の正体を知ることになります。聡四郎にとっては降りかかる火の粉ですが、師の代からの因縁もあり、ドラマ性は十分というべきでしょう。
 しかし既に剣士ではなく官吏となった彼の剣は――と、最後の最後の決闘で、彼の生き方が変わったこと、さらにある意味モラトリアムが終わったことを示すのに唸りました。

 そして流転の果てに、文字通り一家を成した聡四郎。晴れ姿の紅さんも美しく(吉宗は相変わらず吉宗ですが)、まずは大団円であります。が、もちろんこの先も聡四郎の戦いは続きます。その戦いの舞台は……
(と、既にスタートしている続編の方はしばらくお休み状態ですが――さて)


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 特別読切と言いつつ先月から続く今回、売られていく幼馴染を救うために店の金に手を付けた男を救うため、店の主から赦免嘆願を引き出した例繰方同心・内之介。しかしその前に切れ者で知られる上司が現れ――という前回の引きに、なるほど今回はこの上司との仕合なのだなと思えば、あに図らんや、上司は軽い調子で内之介の方針を承認します。
 むしろそれで悩むのは内之介の方――はたして法度を字義通りに解釈せず、人を救うために法度の抜け道を探すのは正しいのか? と悩む内之介は、いつもとは逆に自分が責める側で、イメージトレーニングを行うのですが――その相手はなんとあの長谷川平蔵!?

 という意外な展開となった今回。正直にいえば、二回に分けたことで、内之介が見つけた抜け道のインパクトが薄れた気がしますが――しかし、ここで内之介が法曹としての自分の在り方を見つめ直すのは、彼にとっても、作品にとっても、大きな意味があるといえるでしょう。単純なハッピーエンドに終わらない後日談の巧みさにも唸らされます。


『カムヤライド』(久正人)
 東に向けて進軍中、膳夫・フシエミの裏切によって微小化した国津神を食わされ、モンコたちを除いて全滅したヤマト軍。そして合体・巨大化した国津神が出現し――という展開から始まる今回ですが、ここでクローズアップされるのは、フシエミの存在であります。
 かつてヤマトでモンコに命を救われたというフシエミ。その彼が何故モンコの命を狙うのか――その理由には思わず言葉を失うのですが、それを聞いた上でのモンコがかける言葉が素晴らしい。自分の力足らずとはいえ、ほぼ理不尽な怒りであっても、全て受け止め、相手の生きる力に変える――そんな彼の言葉は、紛れもなくヒーローのものであります(そしてタケゥチも意外とイイこという)。

 その一方で、前回のある描写の理由が思わぬ形で明かされるのですが――そこから突然勃発しかかるカムヤライドvs神薙剣。また神薙剣の暴走かと思いきや、そこには意外な理由がありました。ある意味物語の始まりに繋がる要素の登場に驚くとともに、なるほどこれで二人の対決にも違和感がない――という点にも感心させられました。


 次号は創刊21周年特別記念号。今回お休みだった『真剣にシす』が巻頭カラーで登場。『軍鶏侍』は完結とのことです。


「コミック乱ツインズ」2023年12月号(リイド社)


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2023.11.11

畠中恵『忍びの副業』下巻 ミステリとして、忍者ものとして、政治ものとして

 江戸時代後期、西ノ丸・徳川家基に見出され、忍びとして「副業」に燃える甲賀者たちの姿を描く物語のクライマックスであります。幾多の波乱を乗り越え、西ノ丸に受け入れられた甲賀者たちが直面する、鷹狩での相次ぐ怪事。はたして甲賀者たちは家基を守り抜くことができるのか……

 戦国時代に活躍し、徳川家に召し抱えられた忍びたちが、江戸城警護を「本業」とする時代。先祖代々受け継がれてきた技を受け継ぐ三人の甲賀者、弥九郎・十郎・蔵人は、ある日、西ノ丸に呼び出されることになります。
 将軍の嫡男として次代将軍に最も近いところにいる西ノ丸・家基。しかしその周囲におかしな動きが相次いでいるというのです。その警護を甲賀者に頼みたいという言葉に奮い立つ弥九郎たちですが――しかし彼らの「副業」には思いもよらぬ様々な困難が立ち塞がります。

 斑猫の毒が密かに流通しているという噂を追ううちに、自分たちを含めた忍びの危険性を悟った弥九郎。彼は西ノ丸を守るために、西ノ丸から自ら離れることを決断することに……


 という思いもよらぬ展開を迎えた上巻のラストを受けて、下巻は弥九郎たちの再起の物語から始まります。

 千載一遇の機会を自ら手放したことで、甲賀者たちから村八分され、謹慎処分となった弥九郎たち。しかしある日、これまでにない動きを見せた曲玉の占いの中で、彼らは何者かの駕籠が襲撃を受けている場面を目撃します。
 占いの導きでその場に向かい、襲撃者を撃退してみれば、襲われていたのはなんと老中・田沼意次。家基の敵の一人とも噂される意次と対面したのをきっかけに、弥九郎と甲賀者たちは意次と縁を結び、再び西ノ丸に仕えることになるのでした。

 しかしその後も大小様々な事件が続きます。外出した西ノ丸一行がそのまま江戸城に戻らず消息不明になったり、蔵人の姉・吉乃の嫁入りの仲介に四家ものの武家が動いたり――そんな中、最大の事件が起きることになります。
 将軍とその後継者には避けて通れない、そして最も危険の大きな鷹狩。その場で、鳥見役たちが四人も毒で死んだというのであります。さらに時同じくして、同じ狩り場の周辺で、別の中毒事件や熊の乱入、銃の暴発など不審事が重なったというではありませんか。

 家基を狙う企てとして、総力で犯人を追う弥九郎たち甲賀者。そして、ついに家基が参加する鷹狩の日が訪れるのですが……


 上巻に引き続き、こうした甲賀者たちの奮闘が描かれる本作は、大きく分けて三つの要素から構成されているといえます。
 一つはミステリ――上で述べたように、本作の各話で起きる様々な事件は、いずれも「謎」という形で描かれ、その謎解きが物語を動かしていくことになります。この辺りは、やはり作者ならではのセンスでしょう。

 そして二つ目は忍者もの。これはもう忍びが主人公ですから当然ではありますが、徳川配下の甲賀・伊賀・根来に、他家の忍びまでも加わっての乱戦模様が、上巻以上に展開することになります。
 弥九郎たちは普段から得意とする技があるのですが、しかし実は秘中の秘の隠し技が――という、実に忍者ものらしい設定には、忍者好きとしてはシビれてしまいます。

 そして三つ目は政治もの――本作は忍びの目から見た物語ではありますが、メインに描かれる将軍の後継者争いであり、そしてそこの中で蠢く幕閣や官僚たちの姿であります。
 こうした、一種官僚もの的趣向で江戸城内を描く作品は少なくありませんが、それを忍びという一種の局外者の目から描くことによって、本作はある種の新鮮さと客観性を生み出していると言えます。

 歴史時代小説でも、こうした趣向の作品はあまり多くないのですが――そこに畠山恵が乗り込んでくるとは! と大いに驚き、そして嬉しくなった次第です。
(ちなみにクライマックスで主人公の○○シーンが描かれたのは、おそらく作者の作品では初めてではないでしょうか)


 さて、ここでは多くは述べませんが、物語は史実通りの結末を迎えることになります。弥九郎たち甲賀者は、夢を失った形となるのですが――しかしそれは彼らの戦いの終わりを意味するものではありません。

 忍びとしての夢を失った代わりに、忍びとしての誇りを取り戻した彼らが挑む、新たな「副業」とは――この物語の続編が描かれることを強く期待しているところです。


『忍びの副業』下巻(畠中恵 講談社) Amazon


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2023.10.30

藤田和日郎『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』第6巻 大団円 そして「怪物」たちが選んだ道

 『黒博物館』シリーズ第三弾も、これにて完結であります。ついに開催されたヴィクトリア女王のプランタジネット舞踏会に現れる六人の美しき暗殺者――これに挑むはただ一人、エルシィのみ。はたして血戦の行方は、そして戦いが終わった時、エルシィとメアリーは――いま、物語は大団円を迎えます。

 プランタジネット舞踏会で女王の命を狙う〈7人の姉妹〉と戦うために生み出された「人造人間」エルシィ。その誕生に隠された重大な秘密を知ったメアリーはエルシィを戦いの運命から解き放とうとするのですが――時同じくして自分の記憶を取り戻したエルシィは、己の使命を果たすため、かつての姉妹たちに宣戦布告するのでした。
 メアリーとエルシィ、そして彼女たちを見守るパーシーやエイダ、ジャージダ――様々な人々の想いと共に、いま舞踏会が始まります。

 かくてこの最終巻では、舞踏会に向かうエルシィとティモシー卿邸のメイドたちの別れから始まり、後はラストまでほとんど全てが舞踏会――すなわち、エルシィと姉妹たちの血戦がほぼ全編に渡って描かれることになります。

 〈悲哀〉〈陰気〉〈冷血〉〈憂鬱〉〈執着〉〈嘆き〉――ついにその姿を現した姉妹たち(一人一人のコスチュームが素晴らしい!)を前に、見事なまでのかませ犬っぷりを発揮した近衛兵の皆さんに替わり、ただ一人、女王を守るために立ちふさがったエルシィ。かくてここからはエルシィと妹たちの舞踏――いや闘いの時間であります。

 基本となる回転剣術は同じながら、それぞれ手にする得物と戦法は異なる六人相手に繰り広げられる闘いは、まさしく作者の真骨頂。装飾を凝らした衣装をまとっての激しく複雑な動きの闘いを、ここまできっちりと「見える」形で描いてみせるのは、これはもう作者ならではというほかありません。

 そしてバトルだけでなく、その妹たち――かつての同門としてまさしく姉妹同然に育った者たちとの対峙の中で、エルシィと彼女たちを分けたものが、言い換えればエルシィの成長が描かれるのも泣かせるところであります。

 メアリーとの出会いがなければ、彼女もまたその中にいたであろう姉妹たち。エルシィと妹たちとの違いは、真っ暗な宇宙の中で、地球を、すなわち自分の生の中心とすべき者を見つけることができたか否か――言い換えれば己が命の遣り取り以外で他者と結びつくことができたか否かの違いなのだと感じます。
(連載当時はちょっと違和感のあった、最終回でエルシィが女王に返した言葉の意味も、今であれば納得できます)


 というわけで、闘いの盛り上がりととそれを繰り広げる者の高ぶりがシンクロして、まさに本作のクライマックスに相応しい内容となったこの最終巻なのですが――敵が六人というのは、ちょっと多かったかな、というのが正直な印象ではあります。
(何だかちょっと強引じゃない!? という仕掛けを用意する敵もいたりして……)
 これは仕方ないことではありますが、バトルの間はメアリーたちが完全に驚き役にならざるを得ず、それが連続するのは――と、ひねくれた読者としては言いたくなってしまうのです。

 しかしそんなひねくれた読者も号泣必至なのが結末であります。
 舞踏会にまつわる物語を語り終えたメアリーと、それから七年後に語られる後日譚――それが描くもののは、物語が皆の期待どおりの結末を迎えたことと同時に、「怪物」と呼ばれた女性たちがその「怪物」とどのように向き合ったか、でした。

 自分が自分らしくあるために生き、そのために「怪物」と呼ばれた女性たち。しかしそれでも、いやそれだからこそ私は私らしく生きていく――そう高らかに謳い上げる姿は、本作の結末に誠に相応しいというほかありません。


 犯罪や事件にまつわる証拠品という、時代の暗部の象徴をモチーフとしながら、人の心の最も輝かしい部分を描き出してきたこの『黒博物館』シリーズ。その現時点で最大長編の結末に相応しい幕切れであります。


『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』第6巻(藤田和日郎 講談社モーニングコミックス) Amazon

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2023.10.28

畠中恵『忍びの副業』上巻 甲賀者復活!? 太平の世の忍びを描く本格派

 妖が登場する作品、あるいは青春ものを中心に描いてきた作者が忍者ものを描くと聞けば、黙ってはいられません。そして手にした物語の内容は――これが作者らしい変化球の、しかし同時に驚くほどに本格的な作品。西の丸・徳川家基に仕えることになった若き三人の甲賀者たちの奮闘の行方は……

 時は江戸時代後期、戦国時代の活躍は遠く、今は江戸城の大手御門の警備役として変わらぬ毎日を過ごす甲賀者。そんな中でも、先祖伝来の技を会得し、上忍と呼ばれる三人の若者――滝川弥九郎、望月十郎、土山蔵人は、常につるんでいる親友同士であります。

 そんなある日、風に飛ばされて本丸御殿の屋根に乗ってしまった書類を拾ってほしいという依頼を受けた三人。蔵人の姉・吉乃の嫁入りで金が必要なこともあり、引き受けた弥九郎たちですが、次いで富士見櫓に登ってしまった猫を下ろしてほしいという依頼が入ります。そしてこの二つの依頼が、弥九郎たちの運命を変えることになるのでした。

十代将軍家治の嫡子として、次の将軍と目される西之丸・徳川家基。しかしその家基を亡き者にしようとする企みがある――その警護のために忍びを用いるとしても、伊賀者は警備箇所の関係で大奥とも関係がある。それならば、と、しがらみのない甲賀者に声がかかったのです。

 これまで日の当たらなかった甲賀者たちの運が開き始めたと、勇躍立ち上がった弥九郎たちは、これまで使う当てもなく修行して身につけた忍術を振るって活躍しようとするのですが……


 というわけで、太平の時代に駆り出されることになった忍びたちの奮闘を描く本作。太平の時代の忍びというシチュエーション自体は、もちろん本作独自というわけではありませんが、しかしここで描かれるのが、家基と甲賀者という組み合わせというのが、なんともユニークであります。

 作中でも述べられているように、戦国時代が終わり、幕府に召し抱えられたものの、鉄砲同心として大手御門などを守る役となり、「忍び」とは程遠い存在となってしまった甲賀者。フィクションの世界でも、大奥警護など、いかにもそれっぽい(?)役があった伊賀者が様々な出番がある一方で、どうにも影が薄い印象があります。
 そして、そんなこの時代の甲賀者を象徴するのが本作のタイトルであります。彼らにとって本業は御門の警護――忍びの技を使っての務め(本作でいえば西之丸の警護)は、あくまで副業なのですから!


 本作はそんな忍びたちの表の顔と裏の顔を、丹念に描き出します。決して派手なばかりではない(そしてもちろん地味なだけでもない)その姿は、太平の世の忍びの姿として何とも説得力が感じられます。

 その代表が、弥九郎たちの前に立ち塞がる「敵」です。副業とはいえようやく忍びの腕の使い所を得た弥九郎たちですが、しかし彼らの前には思わぬ苦難が待っていたのであります。
 西之丸に元々使える武士たちからの偏見と疑いの目、姿なき敵方の忍びの暗躍――特に忍び同士の対決はともかく、味方であるはずの西之丸の武士たちとの付き合いに悩まされるのは、弥九郎はもちろんのこと、読者にとっても意外な展開であります。

 この辺りの何ともいえぬ、現実にありそうな苦味は、ユーモラスな空気――本作もやはり、どこか暢気な弥九郎のキャラクターもあって、必要以上の緊迫感は薄い作風ではあります――の一方で、フッと人の世のシビアで重い部分を突きつけられる作者の作品ならではと感じさせられるのです。
(御門警護では同僚である根来組が、甲賀組にあやかろうと何かと近寄ってきたり恩を売ってくるのも何とも「らしい」)


 この上巻のラストでは、そんな幾重もの困難の末に、弥九郎はある苦渋の決断を迫られることになるのですが――忍びとしての甲賀者の復活という悲願を断つようなその決断から、弥九郎たちは再び立ち上がることができるのか。
 そして歴史ファンであればよくご存知である、家基にまつわる史実を思えば、この先の展開が大いに気になってしまうことは間違いありません。

 幾つもの波乱が待ち受ける下巻も、近日中にご紹介いたします。


『忍びの副業』上巻(畠中恵 講談社) Amazon

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2023.10.25

波津彬子『あらあらかしこ』第1巻 名前のない手紙が語る不思議の物語

 端麗な不思議の世界を画いては右に出る者のいない作者の新作は、明治末から大正あたりの時代を舞台に、送り手の名前のない手紙が語る不思議な物語を綴る連作。小説家の書生の少年が垣間見る、各地の不思議とは……

 小説家・高村紫汞先生に憧れて弟子入りを志願するも断られ、その代わりに住み込みの書生となった少年・深山杏之介。家事や事務仕事の手伝い、猫の櫨染さんの世話をすることになった彼は、先生の作品の清書も任せられるようになります。

 ある日、先生の元に届いた、送り手の名前のない手紙。それを題材に先生が書いた随筆を清書することになった杏之介は、その内容に驚くのでした。
 日本中を旅しているという送り手が、奈良で聞いた不思議な話。それは、そこで転んだ者は猫になってしまうという「猫坂」にまつわるもので……


 これまでも『雨柳堂夢咄』をはじめとして、静かで美しく、時にユーモラスで時に暖かく、そして時にヒヤリとさせられる不思議の世界を描いてきた作者。本作ももちろんその系譜に属する作品ですが、何ともユニークなのは、枠物語としての設定であります。
 上で述べたように、本作の中心になるのは、送り手の名前のない手紙に綴られた物語。どうやら先生の親しい知人であるらしい女性が記すその手紙には、日本中を旅する彼女が行く先々で出会った不思議な物語が――という作品構造の時点で、なるほど! と感心させられます。

 作品の主人公自体は(おそらく)東京に居る一方で、しかし不思議な手紙を通じて、諸国の物語が語られる――そんな二重構造が何とも巧みなだけでなく、遠くで語られた物語であるはずのものが、時に杏之介の日常に影響したりする、その不思議の匙加減が何とも絶妙なのです。
(ちなみに先生の家自体、元武家屋敷で、皿の数が増えたり減ったりするというのも楽しい)

 描かれる物語の内容も、各話のタイトル――「猫坂」「狸の皿」「天狗」「幽霊の掛軸」「福猫」「嫁入り狐」――が示すように、どこか古き良き不思議の長閑さを感じさせるものばかり。上品な、それでいて堅苦しくない内容からは、どこか居心地の良さすら感じさせられます。
 もちろんそれもまた、作者の作品ならではの味わいですが……

 ちなみにもう一点見逃せないのは、本作に登場する猫たちの(可愛)らしさ。先生の家で飼われている櫨染さんなど、実に漫画的な猫ではあるのですが、しかしフッとした仕草に実物の猫らしさが漂うのは、やはり愛猫家の作者ならでは――と感じます。


 どうやら杏之介自身、何やらワケありのようですが――そちらの展開も気になるものの、もう少しこのゆったりした浸っていたいと心から思わされる、そんな素敵な物語であります。


『あらあらかしこ』(波津彬子 小学館フラワーコミックス) Amazon

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2023.10.18

細川忠孝『アダバナ 仇花』 新選組の「人斬り」 その知られざる青春

 先日、新選組マンガ『ツワモノガタリ』が大団円を迎えた作者が、2016年に「ヤングキング」誌に連載した作品であります。新選組で人斬り鍬次郎と恐れられ、龍馬を斬ったとされる男・大石鍬次郎。その鍬次郎の秘められた物語とは……

 一橋家の近習番として仕えてきた大石家の嫡男・金之助(鍬次郎)は、「武士は弱きを助ける者」という父の教えを守り生きてきた腕自慢の青年。ようやく父の跡を継ぎ、出仕することになった鍬次郎ですが――しかしその直後、自分を慕う近所の子供たちが一橋家の家老に無礼討ちで斬られるという事件が起きます。
 上役による無礼討ちという状況に、口を噤んだ父に対し、自分の信念のもとに立ち上がり、家老を斬った鍬次郎。しかしそれが元で父は処刑、妹ら一家は離散し、自分は役人に追われることになるのでした。

 追っ手の一人で小太刀を得意とする狂的な男・佐々木只三郎に追い詰められ、あわやというところ鍬次郎を助けた男――坂本龍馬は、鍬次郎を同志に誘い、同郷の友人だという岡田以蔵と引き合わせるのですが……


 人斬り集団・新選組の中であえて「人斬り鍬次郎」と呼ばれて恐れられた大石鍬次郎。監察という役目に就き、暗殺にその刃を振るった――伊東甲子太郎暗殺も彼の仕業だった――というダーティなイメージから、フィクションの世界でもしばしばネガティブな姿で描かれる印象が強い人物であります。坂本龍馬が暗殺した際に実行犯として疑われ、拷問を受けたというのも、このイメージが災いしてという気がしないでもありません。

 そんな鍬次郎ですが、本作は彼は「武士は弱きを助ける者」という信念を愚直に守る青年として造形し、そしてそれ故に次々と窮地に陥る姿を描くことになります。
 なんの罪科もない子供を殺した家老を叩き斬り(これはこれで大概ですが)、佐々木只三郎に殺されかかる。龍馬と知遇を得たかと思いきや、今度は岡田以蔵に命を狙われる……

 いずれも源を辿れば彼の愚直な生き様が招いたものではありますが、しかしそのたびに凄絶な剣戟を繰り広げ、ボロボロになりつつも必死に生き延びる姿には、これはこれで大丈夫の生き様――というのは言い過ぎにしても、従来のダーティなイメージとは全く異なる、ある種の清々しさすら感じさせる姿であります。

 その一方で、彼の前に現れる連中はいずれも曲者揃いであります。自分より大きい相手の前では異常にビビるのに、小太刀を手にすると異様なテンションで暴れる佐々木只三郎。一見「いつもの」キャラのようでいて、この巻の終盤でその真の顔を見せる龍馬(これはこれで実に「らしい」と思います)。その中では以蔵が一番「いつもの」キャラを感じさせますが、その殺意が向けられる相手は――と、独自性を感じさせるのが面白いところです。

 その以蔵はさておき、後に命のやり取りという点でいささか複雑な関係となる鍬次郎と只三郎と龍馬の三者の因縁が、この時点でなんとなく察せられるのもまた、本作ならではでしょう。

 とはいえ本作は単行本に第一巻と記されているものの(ただし電子書籍版は販売サイトに巻数が表記されていない)、その後約七年間にわたり、動きがない状態であります。
 本書がなかなか面白いところで終わっており、また『ツワモノガタリ』の存在もあって、続きを読んでみたいところではありますが……


 なお、本書の巻末には、連載前に掲載された読み切り版の『アダバナ 仇花』が収録されています。
 こちらはより強烈かつストレートな形での鍬次郎と龍馬の因縁の始まりとその結末が描かれていますが、あるいは連載版もここに向かっていたのかもしれない――と想像してみるのは、なかなか面白いものではあります。


『アダバナ 仇花』(細川忠孝 少年画報社ヤングキングコミックス) Amazon

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2023.10.13

貘九三口造『ABURA』第3巻

 御陵衛士サイドから油小路の戦いを描くという、非常にユニークなコンセプトの新選組漫画も、この第三巻で完結であります。油小路の戦いの果てに生き残った者たちは、いかなる道を歩むのか。そしてその果てに彼らが見たものは何か――勝利者のいない戦いの結末が描かれます。

 御陵衛士の長・伊東甲子太郎を暗殺し、その遺骸を油小路七条の辻に放置した新選組。罠と知りつつも、遺骸を取り戻すために向かう七人の御陵衛士を待ち受けるは幾層倍の新選組の群れ――必殺の死地を前に藤堂平助が、毛内有之助が斃れ、いま、鬼神も三舎を避ける勢いで奮闘した服部武雄もまた……

 一部では新選組最強説もある服部武雄が、それを裏付けるような大激斗を繰り広げた前巻。しかし、力尽きたかに見えた服部は、なおも刀を振るい続けます。
 そして、倒れる時は前のめりといわんばかりに、最後の最後まで一歩も引かなかった彼の最期を以て、油小路の戦いは終わりを告げます。仲間たちの犠牲の末に、四人の御陵衛士が逃げ延びるという結果を残して。


 と、実はこの最終巻の冒頭二割くらいで油小路の戦いは終わり、残りは生き残った御陵衛士たちの、その後の戦いが描かれることになります。

 いわゆる墨染事件――伏見墨染で近藤勇を狙撃した阿部十郎たち。甲陽鎮撫隊の大久保大和として出頭した近藤勇の正体を暴いた加納道之助。そして薩摩藩兵として越後出雲崎に潜入・探索の最中に正体が露見して捕らわれながらも脱出、最後の最後まで死力を尽くして戦った富山弥兵衛……

 正直なところ、近藤勇絡みの二つのエピソードは、非常に有名であり、近藤勇そして新選組そのものの運命に繋がるものであるために幾度も語られてきましたが、富山弥兵衛の逸話は、あるいは漫画化されるのは初めてではないか、とすら思わされます。
 ある意味(これも藤堂絡みで描かれることの多い)油小路の戦いを描くよりも珍しい、本作ならではのエピソードであったといえるでしょう。

 そして幾多の戦いの果てに、明治二年の江戸で対面することとなった永倉新八と鈴木三樹三郎。そこで二人の間に流れたものは……
 正直にいってこの辺りの永倉に関する描写は(確かにこの逸話も残されているのですが)どうかなあと個人的には思ってしまうものの、いわば仇敵二人の出会いが、それぞれの行動を通じて昇華されるという結末そのものは悪くないと感じます。


 かくて大団円を迎えた本作ですが、正直なことを申し上げれば、やはり油小路の戦いだけを描くのはなかなか難しいものがあったという印象があります。
 もちろん、そこで描かれた激闘の数々――というより服部武雄の戦いぶり――は見事でしたが、それだけに、生き残った御陵衛士たちの(富山弥兵衛以外の)その後を見せてほしかった、という気持ちはいたします。

 仲間たちによって生き残った彼らが、自分の命をこの先どのように使ったのか――その後半生は平凡なものであったかもしれませんが、それだからこそそれを記すのには意味があると思った次第です。


『ABURA』第3巻(貘九三口造&NUMBER8 小学館裏少年サンデーコミックス) Amazon

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2023.10.06

速水螺旋人『スターリングラードの凶賊』第1巻

 第二次世界大戦において、ソ連とドイツが激突し、史上最大の市街戦と呼ばれたスターリングラードの戦い。この凄惨な戦いを背景に、二丁拳銃の美少年殺し屋と、得体の知れぬ東洋人ペテン師のコンビが暴れ回る、何とも奇妙な漫画であります。

 1942年、NKVDに処刑されかけていたところを、二丁拳銃の美少年に救われた東洋人の男。ならず者たちだけが住む町・十字路砦の顔役の命で、スターリンがトルコに持ち込む予定だった一万ポンドを狙ってミゲルスクに向かった二人ですが、町は既にドイツ軍に占領された後でありました。
 ここで突然、自分は日本軍の特務機関の将校だと名乗り、ドイツ軍に保護を求めた東洋人の男。彼の裏切りで、殺し屋の美少年はドイツ軍に捕らえられてしまうのですが……

 と、殺し屋の美少年=ルスランカと、東洋人のペテン師=トーシャ(トシヤ)の二人が、痛快にドイツ軍を出し抜く第一話(このエピソードだけでも独立した作品として楽しめるほどの完成度)に始まる本作。
 この後、悪党しかいない十字路砦の住人となったトーシャは、ルスランカとコンビを組んで、様々なトラブルを片づけていくのですが――ドイツ軍の進撃に伴い、十字路砦はスターリングラードに拠点を移すことになります。

 しかし、そのスターリングラードにドイツ軍が突入、街を瓦礫に変える激しい市街戦が繰り広げられる中、二人は相変わらず悪党稼業に精を出すのですが……


 1942年9月に始まり、翌2月に終結したスターリングラード攻防戦。東進するドイツ軍(枢軸軍)に対してソ連軍が激しく抵抗し、双方併せて200万人の死者を出しただけでなく、スターリングラードの住人も凄まじい犠牲を払った、歴史に残る凄惨な市街戦であります。
 本作はその戦いを背景に、凶賊――殺し屋とペテン師のコンビを中心とする悪党たちがしのぎを削る物語であります。

 というより登場人物はほとんど全員が悪党か、そうでなければ外道。自分が生きるためであれば、人が死ぬことも、人を殺すことも何とも思わないとんでもない連中(その代表格がルスランカ)が殺し合うのですが――そこに逆に爽快さすら感じられるのは、その背景である戦争が陰惨過ぎるからにほかなりません。
 イデオロギーや愛国心といった大義名分の下に、それが当然であるかのように人が人を殺し、殺される戦争。それに比べれば、自分たちの欲望のために悪党が殺し合う姿は、それが自分に正直であるだけに、むしろカラッとしたものに感じられるのです(もちろんそれは一種の錯覚なのですが)。

 そしてそんなスタンスを通じて、本作はソ連軍とドイツ軍のどちらかの視点に立つのではなく、そのどちらも――要は戦争するやつはどちらも――等しくク○であると、はっきりと描き出すのです。
(といいつつ、悪党たちが集う十字街もまた、そんな「戦争」と無縁でないことを、本作は第二話でこれでもかとばかりに描いているのですが……)

 さらにまた、そんな洒落にならない陰惨な世界を、時にサラリと、時にコミカルに描けるのは、この構造もさることながら、作者のディフォルメの効いた、時に可愛らしい画の力によるところが大きいこともまた、言うまでもありません。


 閑話休題、そんな本作に漂う空気は、戦争ものというよりむしろ、マカロニウェスタンのそれに感じられるのですが――実は本作の冒頭には、「二人のセルジオへ。敬意とともに」という言葉が掲げられています。
 ここでいう二人のセルジオとは、おそらくコルブッチとレオーネ――共にマカロニウェスタンの巨匠というべき監督のことでしょう。

 なるほど、こちらの印象は正しかった――というのはともかく(そういえば各話の合間のページに描かれている、イイ顔の男たちは……)、この先も自分の欲望に正直な悪党たちが、大義名分を振りかざす戦争を後目に大暴れする姿を見ることができそうです。

 もっとも、マカロニウェスタンの世界では、そんな連中もまた、あっさりと死んでいくのですが……


『スターリングラードの凶賊』第1巻(速水螺旋人 白泉社楽園コミックス) Amazon

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2023.10.05

平谷美樹『虎と十字架 南部藩虎騒動』

 時代小説と歴史小説を中心に活躍する平谷美樹ですが、時代小説においては実はミステリ色が強い作品を得意とする作家でもあります。本作はそれが前面に出た作品――家康から拝領した二匹の虎の脱走を巡って南部藩を揺るがす大騒動に、藩の徒目付が挑みます。複雑怪奇な事件の背後に潜む真犯人とは……

 かつてカンボジアから徳川家康に贈られた二匹の虎・乱菊丸と牡丹丸を拝領し、盛岡城内で飼っていた南部利直。しかしある晩、この二匹が檻から脱走するという大事件が発生します。
 これまで様々な事件を解決してきた藩の徒目付・米内平四郎は、城下に逃れた乱菊丸を巧みに誘導して捕らえたのですが――もう一頭の牡丹丸は、とかくの噂がある若殿・南部重直に鉄砲で撃ち殺されてしまうのでした。

 城では檻の番人が切腹しているのが発見され、初めは番人の鍵の掛け忘れが原因と思われたものの、実は番人は他殺であったと判明。さらにその晩、餌として虎に与えられた二人の切支丹の死体が、檻から消えていることも明らかになり、事態は混迷の度合いを深めます。

 はたして犯人は内部の人間なのか、はたまた外部からの侵入者なのか――調べを任された平四郎は、領内の朴木金山に潜伏しているという切支丹たちに目をつけるのですが……


 江戸時代初期に、南部藩で家康から拝領した虎が飼われていたという嘘のような史実、よく見つけてきたものだと感心してしまうような史実を題材とした本作。これはどこまで史実かはわかりませんが、虎が脱走して一頭射殺された(これは重直ではなく利直が撃ったとも)、という逸話も伝わっているのには驚かされます。
 しかし本作は、事実は小説よりも奇なりの更に上を行くような奇想の一編であります。この虎の脱走が、事故ではなく仕組まれたものであったとしたら――本作はこの奇想を元に、精緻に組み立てられたミステリであります。

 しかし一歩間違えれば自分も危ういような虎の解放を、誰が行うのか? 当然浮かぶ疑問を、本作は当時の南部藩を巡る情勢を踏まえて、丹念に潰していきます。
 外様大名が次々と取り潰されていく江戸時代初期という時期、傍若無人な振る舞いが目立つ重直を後継者とすることに対して分裂している南部家中、各地で弾圧され南部領内の鉱山に流入した切支丹、戦国時代の遺恨を引きずる南部の土豪……

 重直追い落としを狙う派閥の工作か、藩お取り潰しを狙う復讐者の陰謀か、死体を奪還しようとした切支丹の企てか――これだけ動機があり、容疑者がいる状態に加えて、重直の兄・政直とその周囲の不審死などまで重なり、調査に当たる平四郎の苦労が思いやられます。

 特に普通は物語が、つまり調査が進めば事件の全体像は固まり、容疑者が絞られていくものですが、本作の場合は逆に、結末に近づくに連れて混沌とした状況になっていくのが、何とも面白い――といっては平四郎には申し訳ないのですが――点なのであります。


 しかしもちろん、物語には結末があります。そこで明かされる真犯人とは――なるほどそう来たか! という人物であることは間違いありません。
 ただ個人的には、ミステリとして見れば意外ではあるけれども、歴史ものとして見れば納得――というより、この人物であれば当たり前にやるだろうからあまり意外性はない、という犯人像には、いささか戸惑ったことも事実ですが……

 とはいえ、先に述べたように、意外極まりない史実を踏まえて、複雑怪奇なミステリを構築してみせたのは流石というべきであるのは間違いありません。奇想に満ちた時代小説と骨太の歴史小説を平行して手がけてきた作者ならではの歴史ミステリであります。


『虎と十字架』(平谷美樹 実業之日本社) Amazon

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2023.10.03

藤田和日郎『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』第5巻 今明かされる衝撃の真実 そしてフランケンシュタインという物語

 雑誌連載の方は一足先に大団円を迎えましたが、単行本の方は今こそクライマックス。ついにメアリーがエルシィの「正体」を知った一方で、エルシィもまた、己が何者であったか思い出すことになります。はたして舞踏会を目前に、二人は何を選ぶのか……

 女王陛下のプランタジネット舞踏会に送り込まれる〈7人の姉妹〉を迎え撃つため、その一人の身体と村娘の頭を繋ぎ合わせて生まれたエルシィと、彼女の貴婦人修行の教師に選ばれたメアリー・シェリー。
 本番前の予行として参加した舞踏会で、暗殺者の末妹であるジャージダの襲撃を受け、追い込まれたエルシィは、あることをきっかけに別人のような動きを見せてジャージダを撃退――一方メアリーは、息子のパーシーとエルシィの接近に悩みつつも、エルシィの「正体」に疑問を抱き、その真実を探ることを決意するのでした。

 そしてある疑惑を深めたメアリーは、エルシィの生みの親であるディッペル博士の研究室に乗り込むのですが――というわけで、ここからがこの巻の最初のクライマックス。メアリーの小説のフランケンシュタインよろしく死体からエルシィを生み出した博士に、メアリーはある「事実」を突きつけることになります。
 その「事実」についてはここでは述べません。しかし物語当初から微かに違和感を感じていたにもかかわらず、設定的に何となく納得していた点を一気にクローズアップしてみせた時――ほとんどミステリのトリックが明かされた瞬間のような衝撃を受けることは、間違いありません。

 しかし衝撃を受けるのはそれだけではありません。そこで明かされた「犯人」のあまりに非道な行為は、読んでいる我々も、それを聞いたメアリーと同じような表情になるほどのものなのですから。
 しかし、そこからのメアリーの行動は、これまでの彼女の奮闘と苦しみを見てきたからこそ、喝采を上げたくなるのもまた、間違いありません。
(尤も、暴を以て暴に易うが自立の証と読めなくもないのは――もちろん誤読なのですが――どうにもモヤモヤするところですが)


 さて、メアリーが真実に直面する一方で、エルシィもまたほぼ同時期に、己の真実を知ることになります。その時、彼女が何を選ぶのか――本作はその重要極まりない場面を、本作を構成するもう一つの要素と結びつけることで、この上なく感動的に描きます。
 真実を知ったものの、はたしてエルシィに如何に向き合うべきか、答えのないままに帰ってきたメアリー。かつて『フランケンシュタイン』を発表した時の世間の態度を思い出し、迷い続けるメアリーが、そこで見た光景とは……

 いうまでもなく、本作の重要なモチーフであり、作中で様々な意味を持たされている『フランケンシュタイン』という物語。それは人造人間エルシィのイメージの原点であり、メアリーがエルシィと関わるきっかけであり、そしてすぐ上で触れたようにメアリーにとっての大きな成果にしてトラウマであります。
 そしてここで『フランケンシュタイン』にもう一つ、新たな意味が加わります。ここで与えられた意味とは……

 これまた詳細は触れませんが、ここでどうしても思い出してしまうのは、誰もが知る物語を新たな角度から見つめ直し、語り直してみせた作者の『月光条例』。あちらでは物語の登場人物を一度狂わせることでその物語の意味を問うてみせたわけですが、本作は「人造人間」自身に人造人間の物語を触れさせることで、それと同じ効果を挙げてみせたと感じます。
(そしてそれが共に陰の存在である「月」をモチーフにしているのは実に興味深い――というのは蛇足ですが)


 いずれにせよメアリーは、そしてエルシィもまた、自分の意志で決断し動き始めました。その決断の先にある結末は――次巻、バッキンガム宮殿に舞台を移して、いよいよ最終章であります。


『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』第5巻(藤田和日郎 講談社モーニングコミックス) 

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