2022.05.22

桃野雑派『老虎残夢』(その二) 史実を背景に描き出された歴史と人の姿

 第67回江戸川乱歩賞受賞作にして武侠小説+本格ミステリの意欲作『老虎残夢』の紹介の後編であります。武侠ものの登場人物らしい造形でありつつも、それだけでは終わらない本作の登場人物。その最たるものは……

 本作の登場人物たちの中でも、最も陰影に富んだ姿が描かれる者――それは、主人公である紫蘭その人であります。

 前回述べたとおり、被害者である泰隆の唯一の弟子である紫蘭。しかし奥義を伝授されず――いやそれどころかその存在すら知らされていなかったことに、彼女は深い屈託を抱くことになります。
(それが、他人から見れば彼女が師殺しを行う動機になるのも巧みな設定です)

 そしてその悩みは、そもそも泰隆にとって自分は何者だったのか、自分は弟子として愛されていたのかという想いにまで繋がっていくことになるのですが――本作においては、彼女のみならず、この被害者たる泰隆と、他の登場人物との繋がり・結びつきが、物語の後半部分を動かしていくことになるのです。

 金国に理不尽に家族を奪われ、一人生きてきたところを紫苑と泰隆に拾われた恋華。泰隆と複雑な想いで結びついた関係にあった祥纏。ある事件がきっかけで泰隆と激しく仲違いしていた文和。流派は異なるにもかかわらず泰隆と深い繋がりを持つという為問……
 本作の謎解きは、同時に、紫苑も含めた登場人物一人ひとりを通じて、泰隆とはいかなる人物であったのか、というのを描くものでもあるのです。


 そしてその果てに紫苑たちが知る真実とは――それはもちろんここでは明かすことはできませんが、こちらが当初予想していた以上に、物語の時代背景と密接に結びついているということは述べても許されるでしょう。

 冒頭に述べたように、舞台は南宋――それも13世紀初頭、北宋が滅亡してから数十年が経つ間に金とは和議が結ばれ、国家として空前の繁栄を謳歌していた時代。しかしその一方で、モンゴルではチンギスハンが力を蓄えて金を圧迫する状況にありました。
 そしてその金と宋との関係も、様々な矛盾を孕んだ、危うい均衡状態のもとに成り立っていたのです。

 それがこの物語にいかなる形で影響を与えることになるのか? 物語の終盤において、物語を構成する要素が、この史実を背景に、全てがピタリと一枚の絵に収まるのには、ただ圧倒されるばかりです。
 そしてその絵に描かれているのは、殺人事件の謎解きだけではありません。そこにあるのは、いかなる武術の達人でも及ばぬ歴史の暴力的なまでに巨大な力であると同時に、その力に対する人間の小さな希望の姿である――その事実が、大きな感動を生むのです。


 武侠ものとして、本格ミステリとして、歴史ドラマとして、様々な顔を持ち、そしてそれが見事に有機的に結びついている本作。
(個人的には、武侠もの独自の用語・要素をサラリとわかりやすく描く語り口にも感心させられました)

 もっともその一方で、後半の意外な真実とキャラ掘り下げの連続によって、前半の武侠ものらしいケレン味は薄れてしまった感は否めません。
 それでも、本作に唯一無二の魅力が存在することは間違いないことでしょう。そしてデビュー作である本作以降も、できればこのような武侠ものを、武侠ミステリを生み出してほしいと、作者には期待してしまうのです。


 最後に、蛇足で恐縮ながら本作の百合要素、紫苑と恋華の愛の必然性についてですが――確かに二人が男女カップルであっても、弟子と師の娘という、江湖では禁断の関係という点には変わりがないことから、必然性は薄いようにも感じられます。

 しかし――物語の詳細に触れる部分があり、あまり詳しくは述べられないのですが――紫苑を男性とした場合、本作の物語が成り立たないこと(もしくは相当大きく構成・要素を変える必要があること)、かといって恋華を男性にしても物語により不自然な点が生じること、二重の禁忌があった方がより強い犯行動機がある(と周囲に見做され得る)ことから、多少危なっかしい部分はあるものの、必然性はあると、私は感じました。
 もちろん、そこに必然性を求めるという視点もまた、(メタではあるものの)紫苑を苦しめるものの一つではあるのですが……

 ちなみに作中で師弟関係に関するこの禁忌を説明する際、武侠ファンであれば思わずニヤリとさせられるくだりがあるのですが、実は時系列的には本作の方が先(この時点ではまだ起きていない出来事)――と、これは本当の蛇足であります。


『老虎残夢』(桃野雑派 講談社) Amazon

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2022.05.21

桃野雑派『老虎残夢』(その一) 被害者は武術の達人 武侠小説+本格ミステリ!

 第67回江戸川乱歩賞受賞作は「館」×「孤島」×「特殊設定」×「百合」――そしてその特殊設定が「武侠」なのですから見逃せません。奥義を伝授すると三人の武侠を集めた達人が孤島の楼閣で殺害され、謎を追うのはその弟子――本格ミステリにして武侠ものという極めてユニークな作品です。

 時は13世紀初頭、南宋の時代――大海に浮かぶ小島・八仙島に隠棲する達人・碧眼飛虎こと梁泰隆が、己の奥義を受け継がせるとして、旧知の三人を招いたことから物語は始まります。
 泰隆の妹弟子にして大手飯店を切り盛りする紫電仙姑こと楽祥纏、泰隆の同門で海幇(海賊)の幇主である烈風神海のこと蔡文和、そして外功の達人であり孤月無僧の異名を持つ為問――いずれも凄まじい武功を持つ達人ですが、三人を迎える泰隆の弟子・蒼紫苑の胸中は複雑であります。

 幼い頃に両親を失い、師に拾われて以来十八年、厳しい修行を重ね、内功については達人の域に達した紫苑。それなのに師は自分ではなく他人に奥義を伝授しようというのか? ある事件で負った傷が元でほとんど外功が使えない身とはいえ、何故自分ではないのか――と。
 そしてもう一つ、師の養女・梁恋華との秘密の恋愛関係も、彼女を悩ませていたのです。

 それでも平静を装い、いずれ劣らぬ個性的な三人を迎え、恋華と二人でもてなしの宴を準備する紫苑。宴は盛会のうちに終わったものの、その翌日、師が起居する島の中央部の八仙楼に向かった紫苑は、冷たくなった師の亡骸を目の当たりにするのでした。
 何者かに毒を飲まされた上、腹を匕首で刺されていた泰隆。はたしていつ誰がどうやって、そして何故師を殺したのか? 自分も恋華も容疑者であることを承知の上で、紫苑は調べを始めるのですが……


 武術の奥義とその伝授のために集められた達人たち、そしてその現場で起きる殺人――本作は、不謹慎ながら(?)武侠ものファンであればニッコリとしたくなるようなシチュエーションが描かれる物語であります。
 しかしそれと同時に本作は、本格ミステリとしても、しっかりとした格好を整えた作品でもあります。

 何しろ舞台となる八仙島は、本土との往来は頻繁にあるものの、船でなければ行き来はできない孤島。そして犯行現場の八仙楼は、その島の湖の中央に建てられ、常人であればこれまた舟がなければ行き来できない建物なのです。
 それに加えて犯行が起きたのは寒い雪の晩とくれば、これはもう定番中の定番シチュエーション、孤島+雪の山荘ではありませんか!

 しかしここで「常人であれば」とわざわざ書いたのは、常人でない人間がゴロゴロしているのが武侠ものであるからにほかなりません。
 そもそも軽功の達人である泰隆と紫苑であれば、湖を跳んで楼に入ることは可能ですし、他の面々も(全く修行していない恋華を除けば)そこまでの芸当は無理にせよ、例えば軽功で雪の上に足あとを残さずに歩くなどはお手の物であります。

 そして被害者が達人であることは、同時に、犯行にさらなる不可能性を与えることでもあります。何故ならば内功の達人であれば、体内に入った毒など、半ば自動的に体外に排出してしまうのですから!


 ――このように本作は、武侠ものとしての要素が、特殊設定ミステリのそれとしても、非常に効果的に働いています。
 もちろん武侠ものとミステリというのは実は相性が良く、古龍や金庸といった本場の大御所の作品でも連続殺人や暗号等のミステリ要素が少なくないほか、日本でも秋梨惟喬の『もろこし銀侠伝』に始まる武侠ミステリの名作シリーズがありますが――本作はそうした先行作品に勝るとも劣らぬ内容であります。

 そして本作において、本格ミステリや武侠ものとしての面白さに加えて特に印象に残るのは、その人物描写の妙でしょう。物語冒頭で描かれる登場人物たちの、特に三人の達人の、いかにも「らしい」描写も楽しいのですが――しかし物語が進むにつれて、そんな登場人物たちのキャラクターは掘り下げられ、それにつれて最初の印象がガラリと変わっていくことになるのです。そしてそれが、謎解きに密接に関わっていくことも言うまでもありません。

 そしてそんな陰影に富んだキャラクターの最たるものが――と、最近やたらと文章が長くなって恐縮ですが、次回に続きます。


『老虎残夢』(桃野雑派 講談社) Amazon

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2022.05.17

「コミック乱ツインズ」2022年6月号(その一)

 号数の上ではもう今年も半分になった「コミック乱ツインズ」6月号は、表紙『侠客』、巻頭カラーが『ビジャの女王』。新連載が『列士満』と『江戸時代のちいさな話』、シリーズ連載・読み切りで『風雲ピヨもっこす』『雑兵物語 明日はどっちへ』『玉転師』が掲載と、フレッシュな誌面です。今回も印象に残った作品を一つずつ取り上げましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 新展開突入といった印象の今回、これまで幾度か言及されてきたオッド王女の兄・ヤヴェ王子が登場するのですが――そもそもこの王子、この非常事態に今までどこにいたかといえば初めからビジャにいたのですが、これまであまりの不行跡で廃嫡同然に幽閉されていたという状態。貧弱なのに凶暴というどうしようもない人物ですが、そのビジュアルも目つきの悪いうらなりという感じで、これだけ魅力のない人物も珍しいほどであります。

 それでも王亡き後の継承権を持つ王子、しかしこの非常事態に――というわけで重臣たちも頭を抱えますが、ここでジファルの提案で円卓会議が開催されることになります。参加者の大多数によって決定というこの時代には民主的にも見えるシステムですが、ジファルが甘言を弄して重臣たちの間には動揺が広がり、そしてヤヴェ自身もラジンと結んでやろうというどうしようもない状態に……
 しかしそのラジンの側にも身内の敵が――と、この先、再び嵐の予感であります。


『仕掛人めし噺 藤枝梅安歳食記』(武村勇治&池波正太郎(原案))
 本編の合間を縫って描かれる本作、今回は小杉さん登場後――小杉さんが梅安と彦さんの二人をお気に入りの店に連れてくるというエピソード。この店、原作にも登場する鮒宗ですが、子供時代に浪々の身の父とともに極貧に喘いでいた小杉さんが、いかにも曰く有りげな鮒宗の主人に救われたという過去が描かれることになります。
 梅安と彦さんがひと目で鮒宗の主人が只者ではないと見抜く辺りもいいのですが、やはり印象に残るのは料理と、後は妙に可愛い子供時代の小杉さんでしょうか。今ではこんなゴツくなったのに……


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮)
 水野家の御家騒動も行き着くところまで行き、ついに二胴部隊による拝郷家老襲撃という最終手段を使うに至った反お国替え派。家老の命は辛うじて守られたものの、警護の藩士に幾人もの犠牲が――むしろ全滅でなかっただけよかったと思いますが、しかし人死にが出るほどの御家騒動が(あと、無関係の人間を実験台にする殺人部隊を抱えているのも)明るみになれば、御家がタダでは済みません。
 かくてこの二胴の殺人部隊壊滅に向けた動きが進む中、佐内は敵の中核であり、かつて自分を襲撃してきた――そして何よりも父の仇と目される怪剣士・川越恭之介を抑える役目を依頼されるのでした。これにはもちろん佐内も異論はないどころか、立木野らの助勢を断り、一対一の勝負を望む気合いの入れようであります。

 と、そんなことを密談場所の船宿で、終始覚悟の決まりまくった据わった目で語る佐内に対して、他の舟は出払っているので待とう――と飲み会の帰りに巧妙に二人きりになろうとする奴みたいなことを言い出す相楽。いや、久松さんも一緒なのですが、そこで彼らは、佐内にこの仕事を依頼した理由――佐内の父と二胴の刺客の因縁と、それが佐内の剣客としての魂にどのように働くか、それを測っていたという事実を語るのでした。

 それにしても今回の相楽、頼りになる先輩というか兄貴分というか、いつもと違う――という感じですが(でも顔とか首とか触る必要ないよね……)、それに対して、彼も驚くほど覚悟が決まりまくった返事を佐内は返します。
 しかしもはや無関係などとはいえないほどこの件が、そして自分自身が満枝さんと関わっていることを自覚した佐内は、この先何を思うのでしょうか?
(少なくとも、自分が満枝さんを残して亡くなったら、また益子屋が余計なことしそうだしね……)


 やはり長くなりましたので次回に続きます(今回は二回に収めます……)


「コミック乱ツインズ」2022年6月号(リイド社) Amazon

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2022.05.12

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その二) 梁山泊と「彼」 表裏一体の勝者と敗者

 『絵巻水滸伝』第二部の遼国篇最終巻の紹介の後編であります。梁山泊と遼国の戦いが決着した後に始まるドラマ――その主人公となる意外な人物とは?

 その人物の名は兀顔延寿。兀顔光の養子であり天寿公主の許婚である青年ですが――そのの正体は、あの曽頭市の五男・曽昇! ――といってもこの事実は第一部の時点で語られていたのですが、しかし彼の存在が、この遼国篇のラストでクローズアップされることになります。

 かつて女真の皇子(=曽弄)に略奪された契丹の公主を母として、漢土で生まれ、漢人として育てられた曽昇。しかし曽頭市は梁山泊に完敗した末に父と兄たちは全て落命し、唯一生き延びた彼は、曽頭市に雇われていた刺客・白骨猫に救われて北に逃れ――その末に兀顔光に拾われ、その養子となったという本作オリジナルの設定があります。
(白骨猫の去就に関して、今回の描写と第一部の描写とちょっと異なる部分があるのはさておき)

 様々な民族が関わる複雑なオリジンを持ち、一度は己の名前すら喪った兀顔延寿。そして今またもう一人の父を喪い、祖国の存在すら危うくなるという、あまりに悲劇的な運命を辿った彼ですが――しかしその姿は、実は梁山泊のそれと奇妙に重なるものがあります。

 生まれも育ちも、職業も身分も違う多用な出自の面々から構成された梁山泊。しかし彼らの集った地ももはやなく、今は招安され官軍という新たな立場となったものの、奸臣たちに睨まれている状況では、いつまた追われる身になるかもわかりません。
 勝者となった梁山泊と敗者となった兀顔延寿。しかし、多様なオリジンを持つ根無し草という点では表裏一体、両者の存在に大きな違いはないといえるでしょう。

 実はこの遼国篇の背景では、この運命から逃れるための呉用の企みが描かれてきました。中央から遠く離れた燕京を落として、監視の名目でそこに駐屯、契丹人を含む周辺の勢力を糾合して勢力を蓄える。奇しくも後周王家の末裔たる柴進がいることを考えれば、陳橋の変を再び起こし、梁山泊を国として打ち立てることも不可能ではないかもしれません。
(この点では、自分の国を求めて遼の乗っ取るための陰謀を張り巡らせた、この戦いの現況というべき慕容貴妃も、梁山泊に近い存在といえるかもしれません)

 兀顔延寿がようやく得た国を倒し、梁山泊が自分たちの国を造る――ここでも両者の皮肉な構図がありますが、しかし結末において、両者の運命は、再び変転するのです。
 全てを喪ったかに見えた中で、それでも残ったたった一つかけがえのないものを見つけ、そしてそれによって愛と自由を得た兀顔延寿。その一方で、宋と遼という国と国との力学の前に、呆気なく建国の野望が潰えた梁山泊……

 それこそ本作においても有数の、希望に満ちたハッピーエンドを迎えた兀顔延寿と、敗北感に文字通り膝を折った呉用と――その姿はあまりにも対照的に感じられます。
 そしてそこからは、招安された梁山泊に、そしてその彼らの戦いに、一体どのような意味があるのかを、改めて考えさせられるのであります。そしてこの先の梁山泊を待つ運命も……


 招安されても変わらぬ梁山泊の痛快な活躍を描きつつ、しかしその一方で、その戦いが本質的にこれまでのそれと違うことを示してみせたこの遼国篇――『絵巻水滸伝』ならではの優れたアレンジが施されたエピソードというべきでしょう。

 しかし、それでも梁山泊の戦いは続きます。この先に待つのは、ある意味梁山泊と同様の存在というべき田虎、そして王慶との戦い――「田虎・王慶篇」についても、近日中にご紹介いたします。


『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon

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 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇4 立て好漢!! 明日なき総力戦!!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5 集え! 「梁山泊」の下に!

 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2022.05.11

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その一) 対遼国最終決戦! 陣と陣との大激突

 『絵巻水滸伝』第二部の二つ目の物語、遼国篇の最終巻であります。ついに燕雲十六州の中核たる燕京にまで迫った梁山泊軍。しかしその前に立ちふさがるのは、遼の守護神というべき大将軍・兀顔光――最強の敵による最強の陣に挑む梁山泊の運命は?

 遼国軍の大規模な南下に対し、招安後初の戦いを挑むこととなった梁山泊軍。緒戦から快進撃を続け、難攻不落を謳われた覇州も紆余曲折あったものの見事突破、最終目的地たる燕京も目前であります。

 が、ここで梁山泊軍は、太原を攻めていたはずの兀顔光将軍の大軍が――かつて梁山泊と意気投合した節度使・徐京を斃した上で――撤退、一転して燕京に向かっているという青天霹靂の報を受けることになります。
 実は、燕京で燕王を誑かした巫女・蕭輝(実は宋国を追放された妖女・慕容貴妃)が政を壟断、古参の大臣たちを粛清して我が物顔に振る舞っていることを、燕京から脱出した天寿公主が兀顔光に急報。それを受けて兀顔光は燕京に向かうことを即断したのです。

 遼最強の兀顔光が燕京に入れば、燕京攻略は俄然困難となる。いや、燕京攻略中に背後から兀顔光に挟撃されれば、一転窮地に陥る――そうなる前に燕京に急ぐ梁山泊軍ですが、もちろん遼側もそれを指を加えて見ているはずもありません。
 かくてこの巻の前半、第八十五回「迷路」では、先行する宋江隊を追う盧俊義隊が、遼の呪師・賀重宝とその一族が青石峪に作り出した八陣の迷宮に捕らわれ、絶体絶命の窮地に陥る様が描かれます。

 およそ正面からの激突であれば、いかなる強敵にもおさおさ引けを取らない梁山泊の豪傑たちですが、しかし妖術というある意味究極の搦手で来られては話は別。ここで豪傑たちが山中で迷い、散り散りになり、幻夢に悩まされる様は、衝撃的ですらあります。
 しかしそれでも朱武が、解珍・解宝が、白勝が、林冲が、それぞれの形で立ち上がり、妖術を打ち破る様は、まさしく梁山泊の豪傑ならではの痛快な展開といえるでしょう。

 特に林冲の場合、精神攻撃を受けても心に深く抱いたものがあって――というのはある意味定番のシチュエーションであるものの、彼の過去を考えれば、何とも粛然となると同時に、胸が熱くなるのです。
 その一方、命懸けで作中屈指の見せ場に挑んだ白勝は、意外と役立ち度合いが低いようにも感じられてしまうのですが……


 さて、巨大な罠をくぐり抜けて梁山泊軍が急行したにもかかわらず、それをさらに上回る速さで移動し、燕京に帰着した兀顔光。かくて遼国篇最終話である第八十六回「長城」では、梁山泊軍と兀顔光との最終決戦が繰り広げられることになります。

 遼国にその人ありと知られた兀顔光ですが、恐ろしいのはその強さが力押しだけでなく、正当な兵法に裏打ちされていること。そしてここでその兵法を象徴するのが、陣形の数々なのです。
 次から次へと変幻自在の陣形を繰り出す兀顔光(と息子の兀顔延寿)。しかしこちらにも陣形についてはマニアクラスの知識の持ち主・朱武がいます。この遼国側の陣形をひと目で見抜き、それに応じた陣を繰り出す様は、全編を通じて朱武の最大の見せ場というべきでしょう。

 しかしその朱武をしても驚倒させられるのは、かの諸葛亮孔明が編み出したという武侯八陣図の存在。これに対してついに全軍集結した梁山泊軍が九宮八卦陣で応じる様は、実に勇壮、痛快ですらあるのですが――しかし八陣図を打ち破ったかに見えたその中から更に、幻とも言われた伝説の太乙混天陣が出現するという展開には痺れます。
(原典ではこの陣の説明がちょっとクドすぎるのですが、その辺りはサラッと、しかし格好良く処理しているのもいい)

 百八星集結、招安後の水滸伝の展開を指して、戦争の連続で退屈という評はしばしば耳にします。しかし戦争の連続というのは事実としても、この兀顔光戦で描かれた陣形合戦は、そのケレン味といい勇壮さといい、格別なものがあると、改めて感じさせられました。


 しかしその秘術の応酬にも終わりの時がやってきます。その勝者がどちらであるか――それは言うまでもありませんが、敗者の側で、印象的なドラマが展開することになります。
 そのドラマの主人公となるのは――長くなりましたので、次回に続きます。


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2022.05.02

松浦だるま『太陽と月の鋼』第4巻 師たる「天狗」が語る「敵」の過去

 愛する妻・月を巡り、奇怪な通力を操る者たちとの戦いの渦に巻き込まれた武士・竜土鋼之助の物語――最新巻では彼と月との生活を壊した「敵」というべき土御門晴雄の過去が、その師というべき者の口から語られることになります。晴雄が秘めた恐るべき通力とは、そして彼の求めるものとは……

 奇怪な術者によって妻・月を奪われ、未来を見る通力を持つ旅の巫女・明の助けを借りて、月を追って旅立った鋼之助。しかし市井の占い師や芸人たちが次々と襲いかかる中、逃げるように江戸を飛び出した二人は、小塚原刑場でさらに恐るべき敵と遭遇します。
 その敵――あらゆる虫を操る女・斑の攻撃に苦しめられる中、月を護るために金属を操るという通力に目覚めた彼は、辛くも斑を撃破するも、力を使い果たして倒れることになります。それを助けた明も自分の通力が暴走したところを、二人組の売卜に救われ……

 と、未来を見通す通力を発現させた明が、「現代」を目撃するという印象的な場面で終わった前巻ですが、しかしこれは人の身には過ぎたる力。あまりの情報量ゆえか、壊れかけた彼女の心を救ったのは、売卜たちの師匠と呼ばれる存在――人の身ながらどこか天狗めいた印象を与える一人の男でした。
 その男の名は、高山嘉津間……

 ときて、おおっ! と身を乗り出す方は、あまり多くないかもしれません。高山嘉津間とは、またの名を寅吉――天狗小僧寅吉と呼ばれ、平田篤胤がその言葉を聞き書きした『仙境異聞』は、数年前に話題になりましたので、こちらはご存知の方も多いと思います。
 幼い頃に神仙(天狗)に伴われて山中で修行、異界などに赴き、帰ってきたという寅吉。高山嘉津間というのは、彼が師から与えられた、いわば天狗としての名であります。(ちなみに本作の嘉津間には、『仙境異聞』の挿絵の面影があるのも楽しい)

 さて、この嘉津間に救われた鋼之助と明は、嘉津間が壺中天と称する壺の穴を通じて、常陸にある結界の中の彼の隠れ家に誘われることになります。そこで二人は、嘉津間から「敵」である土御門晴雄の過去とその力を聞かされることに……


 というわけで、実にこの巻のメインとなるのは、嘉津間と晴雄の物語であります。
 晴雄の父であり陰陽頭である・晴親に招かれ、京の土御門家を訪れた嘉津間。彼がそこで見たものは、己の強すぎる通力を暴走させて苦しむ気弱な少年・晴雄の姿でありました。晴親の依頼で、晴雄にその力との向き合い方を教えることとなった嘉津間は、晴雄を常陸の岩間山に誘うことになります。

 これまで、わずかな場面で描かれた晴雄は、十代半ば(ちなみに今回、嘉津間の語りによって設定年代が明らかに)という若さながら、ひどく落ち着いた、得体のしれぬ器の大きさを感じさせた人物。一方、ここで描かれる彼の姿は、その数年前とはいえ、年相応というにはいささか幼すぎるものがあります。
 その間を繋ぐものが、ここで嘉津間の口から語られるのですが――しかしこの巻から垣間見えるのは、己の強すぎる力に戸惑い、周囲からの疎外感を感じつつも、自分と同様に(そして嘉津間もかつてそうであったように)疎外される通力を持った人々にとっての「星空」でありたいと望む、純粋な少年の姿なのです。

 その姿たるや、同様の経験を持つ明が「ついつい晴雄さまの肩を持っちまうなあ」と語るほどなのですが――しかし彼の元服が近付くにつれて、晴雄の行動には不審なものが現れ、嘉津間を戸惑わせることとなります。
 はたしてその背後にあるものは何か? それはまだわかりませんが、この巻でほのめかされるのは、かつて晴雄が施したという泰山府君の法が絡んでいるということ。この法は確か……


 と、鋼之助たちはほとんど聞き役に回っていたこの巻ですが、もう一つ描かれることとなったのは、月の秘めた恐るべき力の正体であります。今は鋼之助の命を人質のようにして、晴雄の腹心・夜刀川に伴われ、「各地の」殺生石を巡ることを強いられている彼女ですが、そこで命じられた殺生石の封印を解くとは……

 その中で描かれる彼女の力とそれが齎すものには、まさか!? と驚くほかないのですが、しかしそれ以上に謎なのははたして殺生石を解くことが、晴雄の目的と一体どのように繋がるのか、ということでしょう。

 何はともあれ、月と、ある意味それと正反対の力である明と、晴雄と――月と太陽そして星、はたしてその繋がりはこの先どのような形で描かれることになるのか。そしてその中で鋼之助はどのような役割を果たすのか?
 謎だらけで始まった物語は、ようやくその真の姿を見せ始めたように感じられます。


『太陽と月の鋼』第4巻(松浦だるま 小学館ビッグコミックス)  Amazon

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2022.04.18

「コミック乱ツインズ」2022年5月号(その三)

 「コミック乱ツインズ」2022年5月号の紹介のその三、ラストであります。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ビジャが辛うじて蒙古軍の攻撃を退けてきた一方で、蒙古軍に敗れた末に大破壊・大虐殺が行われたバグダード。ビジャにとって大きな痛手となったのは、そこで治療していたオッド姫の父・ハマダン王が、蒙古軍に捕らわれたことであります。はたしてビジャを包囲するラジン軍に引き渡され、磔台に晒し者にされるハマダン王。問題は、その王の安否ですが――と思いきや、意外とハマダン王に関してはあっさりと決着(?)し、今回はなんとジファルの描写がメインとなります。
 ビジャの若き宰相でありながら、王位の簒奪を狙い、蒙古軍と内通して利用せんと企むジファル。その言動は典型的な裏切り小才子という印象でしたが――今回描かれるのは、それとは全く異なる彼の顔なのです。

蒙古軍に完膚なきまでに蹂躙されたバグダードにあった当時世界一の学び舎であり知識の宝庫「知恵の館」――蒙古軍に焼かれ、学者たちも皆殺しの憂き目に遭うことになったそここそは、かつてジファルも学んだ場所。それを知ったジファルは、涙を流して激怒し、蒙古皆殺しを叫ぶではありませんか。
 そしてブブが見せるインド墨家の科学力に素直に尊敬の念を抱き、万が一の時のために自分が写本した学問の書を彼に託し、人類の発展に役立てるよう頼むジファル。もしかしてジファルは実は結構イイやつ、もしくはバグダードを焼かれて目が覚めたのか!? と思いきや、ビジャを簒奪し、蒙古軍を利用して成り上がろうという野心はそのまま……

 今回のサブタイトル「善と悪のジファル」のとおり、大きな二面性を見せたジファル。しかし彼にとってはどちらも自分、二つの顔が矛盾なく尊大しているようですが――典型的などとはとんでもない、複雑なキャラクターを露わにしたジファルもまた、本作の重要人物であることは間違いありません。


『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 城を手に入れ浦上宗景の命をこなして信頼を勝ち取った末に、重臣・中山信正の娘と結婚するよう命じられる直家。とりあえずこれで当時の武士としては立派に一人前となり、政略結婚とはいえ妻との間には娘たちも生まれ――と、良いことずくめのようですが、「政略結婚」「娘」と宇喜多的にはズンと重いワードが並びます。

 それはまだ先のこととして、気持ちは通じ合ってはいないものの、それなりに彼のことを理解している妻と、タイプは全く違うもののそれなりに人物であるらしい義父とそつなく付き合ってきた直家ですが、そんなところに宗景からの新たな指令が。それは最近宗景から距離を起き始めた島村盛実の抹殺――直家にとっては仇である盛実を討つ大義名分が出来たと燃える直家ですが、しかし宗景は抹殺対象にもう一人の人物の名を挙げて……

 と、まさに大義親を滅すという状況になってしまった直家。後世のイメージからすれば、喜んでやりかねないような気もしますが、さて……


『カムヤライド』(久正人)
 前回、驚愕の「殖す葬る」対決が描かれた本作。一回で終わりかと思いきや、ノツチの家を急襲した黒盾隊がトラップに翻弄されている間も、まだまだ激闘は続きます。

 ノツチとマリアチ、どちらのチームも戦力になる人間とならない人間がハッキリと分かれる中、モンコを監視に来てマリアチチームの助っ人になった大王の密偵・タケゥチは話術(?)・体術で活躍。もう一人の助っ人にして実は天津神のコヤネは、ぞっこんのモンコに見とれて役に立たずと、もうやりたい放題です(そしてまたキノが例のポーズを)。
 と、本当にどうするんだこれ、という状況ですが、まだまだ試合はエスカレート。手段を選ばないことでは定評のある師匠の能力バトルみたいなトラップ設置から、ついにモンコが、そしてコヤネが……

 いやはや、まだ前回の方がまともに野球(野球言うな)していたというおそろしいことになってしまった今回。しかしそんな中でもタケゥチは目的のものを見つけ、そしてラストにはついに二人が互いの正体を(?)と、次回は死闘待ったなしの状況であります。ここにさらにオウスも加わればどういうことになるのか――本当の戦いはここからです。

 しかしトレホ親方さぁ……


 次号は『雑兵物語 明日はどっちへ』(やまさき拓味)が掲載。『列士満』(松本次郎)、『江戸時代のちいさな話』(笹井さゆり)と新連載もスタートします。


「コミック乱ツインズ」2022年5月号(リイド社) Amazon

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2022.04.11

松井優征『逃げ上手の若君』第5巻 三大将参上! 決戦北信濃

 鎌倉執権家の生き残り・北条時行が逃げまくりながら鎌倉奪還のために奮闘してきた本作、1333年から始まった物語もついにこの巻でついに1335年に入ることになりました。小笠原貞宗との一対一の対決から時行は逃れることができるのか、そしてついに始まった諏訪勢と国司・主語連合の戦の行方は……

 信濃の新国司・清原信濃守の横暴に耐えかねて不利な戦に臨む北信濃の武士たちを、戦場から撤退させるという高難度のミッションを成功させ、武士たちに将器を示した時行。
 しかしその正体は伏せてきたものの、これまで幾度となく煮え湯を飲まされた小笠原貞宗が、時行の正体を暴いてやろうといよいよ動き出します。

 口実を設けて時行を呼び出し、一対一の対話の中で、自慢の目によって時行の嘘を見顕そうという貞宗。もちろん時行も綿密に準備を重ね、追求から「逃げ」るものの、貞宗はついに奥の手(これが笑っちゃうほどズルい)を出してくることになります。
 この絶体絶命の窮地に、亜也子が思わぬ形で救いの女神となることに……

 と、この巻の冒頭で描かれるのは、戦とは異なる形での時行と貞宗の対決の決着編――というより亜也子の活躍編。前巻では同じく時行最初期からの郎党である弧次郎の活躍と成長が描かれましたが、ここでは亜也子が彼女なりのやり方で時行を救うことになります。

 この後描かれるように、彼女も武門の出であり、そしてその怪力は並みの男では足元に及ばないほど。しかし男と同じではなく――いやそれに加えて、彼女には彼女ならではの技と力があると、このエピソードでは描くことになります。
 弧次郎同様ちょっと埋没しがちであった亜也子ですが、ここできっちりと個性を見せてきた印象です。しかし「ポロリ」がなかったのは、ホッとしたような残念なような……


 そして作中で時は流れ1335年に入り、この巻の大部分を費やして描かれるのは、後醍醐帝の綸旨により親北条勢力討伐を開始した国司・守護連合軍と、北信濃の国人衆の全面衝突の模様であります。

 これまで局地戦では時行たちにしばしば敗れていた印象があるものの、しかし国司と守護である貞宗の軍勢はいわば正規軍、大きな勢力を持っています。これに対して国人衆は、諏訪大社という権威を背負い、そして諏訪の元々の住人として意気軒昂の荒武者たち。
 はたして戦の天秤はどちらに傾くのか――と、数と力が物を言う戦場で、時行たち逃者党の出番はないように思えますが、ここで彼らは、「伝令」という役目を与えられることになります。

 なるほど、機動力が必要であり、捕まらないことが絶対条件である伝令は、逃げ上手の時行にうってつけ。しかしそれ以上に、刻一刻と変わる戦況を目の当たりにしつつ、臨機応変に動くというのは、何よりの将としての実地学習ではあるでしょう。
 そしてメタには、伝令の目を通じることで、北信濃の各地で繰り広げられる戦いを、自然に一つの流れとともに描くことができるわけであります。

 そしてこの戦いで主役ばりの大活躍を見せるのが、諏訪頼重直属の諏訪神党三大将です。右軍大将の祢津頼直、左軍大将の望月重信、中軍大将・海野幸康――いずれも信濃の名家の出であり、そして頼重への忠誠心厚い名将・勇将ですが、やはりいずれも個性的すぎるキャラクターであります。
 特に見るからに渋い歴戦の武人である海野など、本作では珍しいストレートに恰好良いキャラと思いきや、とんでもない魔法つk――いや修羅。すごいんだかすごくないんだかわからない強烈さは、やはり本作の登場人物であります。(魔界転生したら凄そう……)


 そして合戦そのものも、信濃勢が押せば国司・守護連合軍も押し返し、奇手と奇策がぶつかり合う一進一退。なんか凄い覆面の人(と解説名人)が出てきたと思ったら、国司の無茶苦茶な秘密兵器が登場し、そしてあの怪物が再び……

 と、かつてない盛り上がりぶりですが、しかし実はこれは前哨戦にすぎません。何しろ運命の1335年はまだ始まったばかり、これからが真の戦いとなるわけであります。
 はたしてここからどのようにして更なる盛り上がりを見せるのか――大いに期待しているところです。


 しかし護良親王が登場しましたが、後醍醐天皇の方は、この先シルエット以上の登場はあるのかしら……


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2022.03.16

「コミック乱ツインズ」2022年4月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」4月号の紹介の続きであります。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 前回、柳沢吉保の息のかかった徒目付・永渕啓輔の使嗾した破落戸三人を叩きのめし、敢えてその三人を突き出すことで大事にした聡四郎。それは、これだけ権力の闇に首を突っ込みながらも聡四郎が勘定吟味役を続けられるその理由、つまり謎の支援者を洗い出すためだったのですが――しかしそれが図らずも江戸城中の話題となってしまいます。

 命令も聞かないくせに騒動を起こす聡四郎におかんむりの白石は置いておくとして、同役の勘定吟味役たちは聡四郎の剣の腕を知らなかったのか!? と今更驚かされましたが、考えてみれば彼の戦いは政の裏で繰り広げられていたわけで、それも当然なのかもしれません。もっとも聡四郎の方も、徒目付としてしれっと呼び出してきた永渕のことを、これまで幾度も死闘を繰り広げたにもかかわらず、どこかで会ったような気がする――で済ましてしまうのですから、人の目というのは当てにならないものなのでしょう。
 にしても特命を受けた主人公に上から圧力がかけられる、というのは定番の展開ですが、逆にその圧力がかからないのは何故か、という角度から物語を描いてみせるのは本作ならでは。その一方で、間部家を操って聡四郎を狙おうという紀伊国屋の企みが進行しているわけですが……

 ちなみに今回、見開き2ページを横に断ち切って聡四郎と白石の会話を描いたり、ラスト3ページ連続でこの暗闘に加わる面々の顔ぶれが描かれたりと、力の入った構図の面白さも印象に残るところです。


『儘に慶喜』(日高たてお)
 漫画版『巷説百物語』などを発表してきた作者が描くのは、徳川慶喜を中心に据えた幕末史ともいうべき物語。徳川最後の将軍である慶喜は、幕府崩壊後も生き延び、約30年ほど静岡で暮らしましたが、本作はその悠々自適に暮らす慶喜の姿から始まり、そこに至るまでの幕末の流れが語られることになります。

 山岡鉄舟の西郷隆盛会談から江戸無血開城、旧幕臣の駿府移住まで――鉄舟、勝海舟、大久保一翁、清水次郎長、渋沢栄一など慶喜と直接関わりのあった人物だけでなく、果ては石松まで飛び出す意外史という趣きで描かれる本作。しかし驚かされるのは、その中で慶喜がほとんど何もしないことでしょうか。
 考え、動くのは鉄舟や海舟など周囲の人物、慶喜はデンと構えている――といえば聞こえはいいですが、見ようによっては周囲に任せっきりという状況。確かにそれでは近藤勇も恨み言の一つもいいたくもなるでしょう。

 その一方で印象に残るのは、静岡に暮らす慶喜が、折りに触れて富士に向ける視線であります。徳川幕府の中心であったであった男が今なお日本の中心であり続ける山に向ける視線――そこには、不動の中心であることの意味と重みを知る者ならではの、そしてだからこそ自分自身を韜晦しなければならなかった者の想いが感じられるのです。

 ちなみに、リアルなタッチと漫画的なデフォルメが共存するのが作者の絵柄の印象的なところですが、それはもちろん本作でも健在。最初のコマで自転車を漕ぐ慶喜の顔を見ただけで、作者の作品とわかるのが、何とも楽しいところであります。


『ビジャの女王』(森秀樹)
 宰相ジファルの暗躍によって蒙古軍に捕らえられたものの、相棒の墨蝗の助けで脱出に転じ、ビジャにまでたどり着いたブブ。しかし蒙古軍の追撃はなおも続き、蒙古兵がビジャに入り込む事態に……
 という緊迫した状況の中で展開されるのは、上半身裸で目元だけ出た仮面姿の巨漢という、インパクト絶大な謎の敵とブブの激突。フロントスープレックスやバックドロップも飛び出す超巨漢同士の激突はブブの勝利に終わり、侵入した蒙古兵もビジャ兵が撃退に向かったことで、まずは一安心です(が、実は普通に生きていた仮面の男の正体が気になります)。

 そしてビジャが一つの危機を乗り切った一方で、後半は急展開。バグダードがラジンの父フレグの手に寄って陥落、凄絶な大虐殺が行われた中で、オッド姫の運命にもかかわる事態に繋がっていくことになります。その一方、蒙古側にも思わぬ新キャラが登場、ビジャと蒙古、対峙する双方の先行きが見通せない状態に――というところで、続きます。


 もう一回続きます。


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2022.03.09

森美夏『八雲百怪』第5巻 円環を描く物語 八雲、最後の「ここではないどこか」へ

 森美夏&大塚英志の偽史三部作の掉尾を飾る『八雲百怪』、連載開始以来実に十六年目の完結巻であります。巷を騒がすインテリ青年たちの連続自死。その陰で蠢く奇怪な陰謀に巻き込まれた八雲は、黄泉比良坂に足を踏み入れることに……

 見えぬ片目に異界を映す力を持ち、その異界に限りない憧憬と哀惜の念を抱く小泉八雲。八雲は、柳田国男に雇われて各地の異界の門を封印する異形の男・甲賀三郎、彼が連れる人形めいた童女神・キクリさま、額に三つ目の眼を持つ学生・会津八らとともに、これまで様々な事件に巻き込まれ、古き日本の終焉を目の当たりにしてきました。

 そして今回八雲が巻き込まれることとなったのは、藤村操の華厳の滝での自死をきっかけに若きインテリの間で流行した自死騒動。実はその背後には、目前となった日露戦争用の兵器として不気味な粘菌を利用せんとする、マッドサイエンティスト・土玉の存在があったのです。

 煩悶を抱く者に引き寄せられ、その頭の中に入り込んで脳を食い、その死体を動かすという奇怪な粘菌。仮面の本屋(!)に与えられた本を通じてその粘菌に感染してしまった八雲は、甲賀三郎やキクリの手を振り払って姿を消すのでした。
 そして八雲が姿を現したのは、熊野の南方熊楠のもと――あの粘菌の発見者だった熊楠の案内で、粘菌を採取した場所に向かった八雲は、熊楠のもとで出会った一人の美少年とともに、粘菌の故郷である黄泉比良坂に足を踏み入れることになります。

 そこで八雲は、自分の文通相手であるアンネッタ、そして自分が幼い頃に別れた母と再会するのですが……


 この最終巻に収録されたエピソードのサブタイトルは、「煩悶青年と不死身兵士」。藤村操から始まる青年の自死ブームと粘菌、そして不死身の兵士計画と、いつもながらに伝奇三題噺というべき内容ですが――しかし実はこの部分は物語全体の1/3程度となります。
 残る3/2で描かれるのは、常世国・彼岸・黄泉国――様々な名がある地ですが、かの地に向かう八雲の姿。これを描くことこそが、この巻のメインなのであります。

 思えば八雲は、常に己のあるべき場所を失い/求め、ここではないどこかを探し続けてきた人物であります。
 幼い頃に父と、母と別れ、片目を失い、世界中を放浪した末に、この極東の地にたどり着いた八雲。しかしこれまでの物語で描かれてきたように、この国からも古きものたちは次々と排斥され――そして今、彼自身も職を失うという形で、この国から排斥されようとしていると彼は感じることになります。

 そしてその末に出会った粘菌の力を借りて彼が向かったのは、ある意味、最も「ここではないどこか」――かつてこの国を生み出した大いなる妣が眠る地。そこで彼は、自らが望む安らぎを得るのですが……
 その果てに彼が辿る道についてはここでは詳しくは述べません。しかし彼が母を求める一方で、もう一人の母たる存在が、そして彼女が生んだ存在が彼を――というのは、非常に「民俗学」的であると同時に、どこか物悲しい人間の自然を描いていると感じられます。

 そしてそれは、冥界下りといえば彼こそが先達と言うべき甲賀三郎との対峙を通じて、より強く感じられるのです。


 かくて八雲の物語は終わりを迎えます。しかしそれはあくまでも一つの終わりでしかありません。
 八雲と共に黄泉国に向かった少年はもう一つの名を得、仮面の書店主は事件の陰で暗躍し(しかし土玉の言葉から考えれば、年代的に「彼」ではないはずですが……)、そして柳田國男の手元に残されたものは――日本の近代化と、その過程に現れたあってはならないものたちの物語は、ここに一つの円環を描いたというべきでしょうか。

 偽史三部作の最後の作品、ここに見事完結であります。


『八雲百怪』第5巻(森美夏&大塚英志 KADOKAWA単行本コミックス) Amazon

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