2024.12.30

2024年に語り残した歴史時代小説(その一)

 今年も残すところあと二日。こういう時は一年の振り返りを行うものですが――既に読んでいるにもかかわらず、まだ紹介していない作品が(それも重要なものばかり)かなりありました。そこで今回は二日に分けてそうした作品に触れていきたいと思います。(もちろん、今後個別でも紹介します……)

『佐渡絢爛』(赤神諒 徳間書店)
 いきなりまだ紹介していなかったのか、と大変恐縮ですが、今年二つの賞を取り、年末のベスト10記事でも大活躍の本作は、その評判に相応しい大作にして快作です。

 元禄年間、金鉱が枯渇しかけていた佐渡で、謎の能面侍による連続殺人が続発。赴任したばかりの佐渡奉行・荻原重秀は、元吉原の雇われ浪人である広間役に調査を一任し、若き振矩師(測量技師)がその助手を命じられることになります。水と油の二人は、衝突しながらもやがて意外な事件のカラクリを知ることに……

 と、歴史小説がメインの作者の作品の中では、時代小説色・エンターテイメント色が強い本作ですが、しかし作者の作品を貫く方向性はその中でも健在です。何よりも、ミステリ・伝奇・テクノロジー・地方再生・青年の成長といった様々な要素が、一つの作品の中で全て成立しているのが素晴らしい。
 「痛快時代ミステリー」という、よく考えると不思議な表現が全く矛盾しない快作です。


『両京十五日 2 天命』(馬伯庸 ハヤカワ・ミステリ)
 今年のミステリランキングを騒がせた超大作の後編は、前編の盛り上がりをさらに上回る、まさに空前絶後というべき作品。明朝初期、皇位簒奪の企てを阻むため、南京から北京へと急ぐ皇太子と三人の仲間たちの旅はいよいよ佳境に入る――というより、上巻ラストの展開を受けて、三方に分かれることになった旅の仲間たちが、冒頭からいきなりクライマックスを繰り広げます。

 地位や身の安全よりも友情を取るぜ! という男たちの侠気が炸裂したかと思えば、そこに恐るべき血の因縁が絡み、そして絶対的優位な敵に挑むため、空前絶後の奇策(本当にとんでもない策)に挑み――と最後まで楽しませてくれた物語は、最後の最後にそれまでと全く異なる顔を見せることになります。
 そこでこの物語の「真犯人」が語る犯行動機とは――なるほど、これは現代でなければ描けなかった物語というべきでしょう。エンターテイメントとしての魅力に加えて、深いテーマ性を持った名作中の名作です。


『火輪の翼』(千葉ともこ 文藝春秋)
 『震雷の人』『戴天』に続く安史の乱三部作の完結編は、これまで同様に三人の男女を中心に描かれた物語ですが、その一人が乱を起こした史思明の子・史朝義という実在の人物なのもさることながら、前半の中心となるのがその恋人である女性レスラー(!)というのに驚かされます。

 国の腐敗に対し、父たちが起こした戦争。しかしそれが理想とかけ離れた方向に向かう中、子たちはいかにして戦争を終わらせるのか。安史の乱という題材自体はこれまで様々な作品で取り上げられていますが、これまでにない主人公・切り口からそれを描く手法は本作も健在です。

 ただ、歴史小説にはしばしばあることですが、結末は決まっているだけに、主人公たちの健闘が水の泡となる展開が続くのは、ちょっと辛かったかな、という気も……


『最強の毒 本草学者の事件帖』(汀こるもの 角川文庫)
『紫式部と清少納言の事件簿』(汀こるもの 星海社FICTIONS)
 前半最後は汀こるものから二作品を。『最強の毒』は、偏屈者の本草学者と、男装の女性同心見習いが数々の怪事件に挑む――というとよくあるバディもの時代ミステリに見えますが、随所に作者らしさが横溢しています。
 まず表題作からして、これまで時代ものではアバウトに描かれてきた「毒」に、本当の科学捜査とはこれだ! とばかりに切込むのが痛快ですらあるのですが――しかし真骨頂は人物造形。作者らしいセクシャリティに関わる目線を随所で効かせた描写が印象に残ります(特にヒロインの男装の理由は目からウロコ!)

 一方、後者は今年数多く発表された紫式部ものの一つながら、主人公二人の文学者としての「政治的な」立場を、ミステリを絡めて描くという離れ業を展開。フィクションでは対立することの多い二人を、馴れ合わないながらも理解・共感し、それぞれの立場から戦うシスターフッドものの切り口から描いたのは、やはりさすがというべきでしょう。


 以下、次回に続きます。

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2024.12.19

「コミック乱ツインズ」 2025年1月号(その二)

 号数の上ではもう1月、「コミック乱ツインズ」1月号の紹介の後半です。

『老媼茶話裏語』(小林裕和)
 『戦国八咫烏』(懐かしい)による本作は、タイトルのとおり「老媼茶話」を題材とした怪異ものです。「老媼茶話」は18世紀中期に会津の武士が著したもので、タイトルのとおり村の老媼が茶飲み話で語った物語を書き留めた、というスタイルの奇談集です。
 本作はその巻の五「猪鼻山天狗」――後に月岡芳年が浮世絵の題材ともしているエピソードを題材としています。

 猪鼻山に住み着き、空海に封じられた大頭魔王なる妖が周囲の人々を悩ましていると知った武将・蒲生貞秀。貞秀は配下の中でも武勇の誉れ高い土岐元貞に、妖を退治するよう命じます。勇躍山を登り、魔王堂の前についた元貞に襲いかかったのは、巨大な動く仁王像――しかし元貞は全く恐れる風もなく仁王像に斬りつけた上、文字通り叩きのめします。さらに元貞の前には阿弥陀如来が現れるものの、元貞は全く動じず一撃を食らわせるのでした。
 そして山の妖を倒したと貞秀の前に帰還した元貞。しかしその時……

 と、原典の内容を踏まえた物語を展開させつつ、本作はそこで語られなかった事実を描きます。誰もが称賛する配下の猛将・元貞に対して、貞秀が密かに抱いていた心の陰の部分を――と思いきや、それだけでなくもう一つのどんでん返し、原典に描かれた物語のさらに先が語られるという、なかなか凝った構成の作品となっているのです。

 このように、江戸奇談・怪談を題材とした作品でもあまり用いられたことのない題材、そして二度に渡るどんでん返しと、ユニークな作品であることは間違いないのですが――しかしその一方で、クライマックスに登場するのがあまりにも漫画チックな存在で、物語の雰囲気を一気に崩した感があるのが、なんとも残念なところです。
(もう一つ、原典の非常に伝奇的なネタがばっさりオミットされてしまうのも、個人的に残念なところではありますが)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 城内に侵入し、地下の娼館街に隠れたオッド姫を追ったモンゴル兵たちも全滅し、ひとまず危機から逃れたビジャ。さらにビジャを包囲するラジンの元に、モンゴルのハーン・モンケからの使者が訪れ、事態は思わぬ方向に展開していきます。

 かつて自分と争ったモンケの娘・クトゥルンを惨殺したラジン。殺らなければ殺られる状況下ではあったとはいえ、いかに実力主義のモンゴルであっても、あれはさすがにやりすぎだったようです。
 かくて、ビジャを落とせば兵の命は助けるという条件でモンケの召還(=処刑)を受け入れることになったラジンですが――しかし彼が黙って死を受け入れるはずがありません。副官の「名無し」に謎の密命を授け(何のことだがわからんと真顔で焦る名無しに、すかさずフォローを入れるのがおかしい)、自分はむしろ意気揚々と去っていきます。

 なにはともあれ、ビジャにとっては最大の強敵が去ったわけですが、しかしモンゴルの包囲は変わらず、そして城内にもまだ侵入した兵が残っている状態。それでもビジャが負けなかったことは間違いありませんが――まだまだ大変な事態は続きそうです。


『江戸の不倫は死の香り』(山口譲司)
 次号では表紙&巻頭カラーと、何気に本誌の連載陣でも一定の位置を占めている本作。今回の舞台となる土屋相模守の下屋敷では、数年前に病で視力を失い隠居した先代・彦直が暮らしていたのですが――その彦直の世話のため、下女のりんがやってきたことから悲劇が始まります。
 婿養子である彦直に対して愛が薄く、ほとんど下屋敷にやって来ることもない正室。そんな中で、心優しいりんに彦直は心惹かれ、やがて二人は愛し合うようになったのです。しかしそれを知った正室は……

 いや、確かに正室はいるものの実質的には純愛に近く、これはセーフでは? と思わされる今回ですが(いつもの話のように、正室を除こうとしたわけでもなく……)しかし待ち受けているのは地獄のような展開。りんがいつもつけていた糸瓜水が仇となった上に、終盤でのある人物の全く容赦のない言葉には愕然とさせられます。
 ラストシーンこそ何となく美しく見えますが、いつも以上に胸糞の悪い結末です。
(こういう時こそ損料屋を呼ぶべきでは!? などと混乱してしまうほどに)


 次号は『雑兵物語 明日はどっちへ』(やまさき拓味)が最終回、特別読切で『すみ・たか姉妹仇討ち』(盛田賢司)と『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)が登場の予定です。


「コミック乱ツインズ」2025年1月号(リイド社) Amazon

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2024.12.11

顕家軍、最後の祭りへ 松井優征『逃げ上手の若君』第18巻

 般若坂での高師直軍との戦いの中、師直に斬られた雫。しかし彼女は実は人間ではなく、神であったことが明らかになります。そして戦いは続き、顕家軍の最後の祭りが始まります。石津での師直軍との総力戦の中で、時行と逃若党の戦いや如何に!?

 青野原で怪物・土岐頼遠らを打倒し、京に進軍する北畠軍。しかし新田義貞との合流に失敗し、京に裏道から向かうことになった彼らは、連戦の疲れに加え、援軍と称して無能な公家たちが加わったために苦戦を強いられることになります。そして般若坂での戦いにおいて、高師直の一撃によって雫がその身を断たれ……
 と思いきや、確かに斬られたにも関わらず、平然と立つ雫。実は彼女の正体は諏訪の御左口神――いわば神力の塊だったのです。

 そんなのアリ? といいたくなるような展開ですが、それでも受け入れてしまうのがこの時代、いや時行たち。一度は敗れ、撤退することになったものの、これまで以上の結束でもって、時行たちは京を目指すことになります。

(しかし足利方において雫の能力的なライバルである魅摩、よく見ると神力を使った後に血の涙を流しているように見えるのですが、これはこの巻での雫のある言葉を裏付けているのでしょうか……)


 というわけでこの巻では、引き続き京を巡る戦いが描かれるわけですが、その敵となるのは高師直の軍。尊氏の執事という任にある師直ですが、執事という言葉から受けるイメージとはまったく異なり、彼は武将としてもひたすら強い。鎌倉時代までの武士の戦いとは全く異なる合理的な戦いぶりは――彼の冷徹かつ傲慢なキャラクターとも相まって――しばしば非人間的に映りますが、これまでになかった強敵であることは間違いありません。

 それに対する顕家の軍も、主だった武将たちに欠けはないものの、満足に補給も受けられない中で、敵地での連戦を強いられ、次第に疲労の色を濃くしていくのは、顕家たちのキャラクターがキャラクターだけに一層辛く感じられます。
 しかしそれでも歩みを止めないのが顕家という男です。こちらも執事であり、やはり戦上手である春日顕国が単独で牽制に当たる一方で、あの楠木正成の息子たちが参戦――といっても楠木党に往時の兵はありませんが、堺周辺をよく知る彼らの協力は、頼もしいことこの上もありません。

 それだけでなく、こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、配下の東国武者たちと祭り騒ぎを行い、楽しんでみせるのがまた顕家らしい。思えば彼はこれまでも戦いの中に祭りを見出してきましたが――日常と非日常の境目で、人間のプリミティブな感情とエネルギーを爆発させる祭りは、師直の人間性を犠牲にした合理性とは、全く対象的というべきでしょう。

 そしてテンションが上がった東国武者たちが、河原を見つけたら何をやらかすか――中世ファンの方であれば予想はつくと思いますが、ビジュアルにしてみれば本当にムチャクチャ。これも中世人の感情とエネルギーの爆発というべきでしょうか。命がけ過ぎますが。


 そして力を蓄えた末に、ついに師直との決戦に挑む顕家。ここまでくれば双方ともに総力戦、新田徳寿丸vs高師泰、結城宗弘vs仁木義長、名だたる武将たちが本作らしいスタイルで好勝負を繰り広げます。(そしてその中で炸裂する、上で述べたムチャクチャなアレ)
 そしてもちろん、その中で時行も黙ってはいません。顕家に兄のように思っていると告白し、必ずや弟が兄を勝たせると宣言した時行と逃若党もまた、それぞれの形で戦場の各地で暴れまわるのですが――その前に、再び吹雪、いや高師冬が立ち塞がります。

 上杉憲顕とはまた別のやり方で師冬を強化人間にしているらしい師直ですが、しかしこの場合恐ろしいのは、記憶を奪っているのではなく、そのエゴを、野心を強化していること。つまり師冬は操られているのではなく、自らの意思で戦っているのです。
 そんな師冬に、先の戦いでは瀕死の深手を負わされた時行ですが――彼が負けたままでいるはずもありません。一度は敗れた技を見事に破ってみせた時行の姿を描いて、次の巻に続きます。


 しかし時行のあれ、発情で良かったんだ……

 あと、今までずっと「逃者党」と書いていました。ごめんなさい。


『逃げ上手の若君』第18巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2024.11.18

「コミック乱ツインズ」2024年12月号(その一)

 今月の「コミック乱ツインズ」は表紙が二ヶ月連続の『鬼役』、巻頭カラーは『ビジャの女王』となります。レギュラー陣の他、シリーズ連載は『よりそうゴハン』『古怪蒐むる人』が掲載されています。今回も印象に残った作品を一つずつご紹介します。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 オッド姫が地下の娼館街に隠れたものの、ジファルの手引きでそこに乱入したモンゴル兵たち。その一人でありジファルと繋がるドルジの槍がオッド姫に襲ったところで続いた今回、別の意味で襲いかかろうとしたドルジの魔手から姫を救ったのは何と――と、意外なキャラが活躍しながらも、惜しくもここで退場することになります。
 ブブの怒りは大爆発、ドルジを文字通り粉砕し、娼館街の女主人たちによってモンゴル兵も片付けられ、新たな味方も加わって――とこの場は一件落着ですが、喪われた命は帰りません。ここで墨者の弔い(懐かしい)をするブブの姿が印象に残ります。

 しかし最大の危機は去ったかに見えたものの、天には不吉な赤い月が。そしてブブとオッド姫が目の当たりにした異変とは――まだまだ戦いは続きます。


『不便ですてきな江戸の町』(はしもとみつお&永井義男)
 いよいよ本作も今回で最終回。色々あった末にすっかりと江戸時代に馴染んだ島辺と会沢、特に島辺はこの時代で出会ったおようと愛し合うようになって――と、いつまでも続きそうだった日常は、ある日起きた火事で一変することになります。
 長屋の人々も避難したものの、かつて島辺に贈られた思い出のかんざしを探して火に巻かれるおよう。おようを追ってきた島辺は、彼女を連れてタイムトンネルのある祠まで逃げるのですが……

 というわけで、不便ですてきなどとは言っていられない、江戸のおっかない面が描かれることになった最終回。もう火事から逃げるには未来(現代)に行くしかありませんが、しかし島辺はともかく、おようは――本当にこれで良かったのかしら!? という豪快なオチではありますが(大変さは島辺たちの比じゃないと思います)が、これはこれで大団円なのでしょう。


『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 最近、宇喜多さんの快進撃が続いていましたが、そういえば主君の浦上宗景は――と思っていたらタイトルが「忘れちゃいけないこの男」で吹き出した今回。しかし宗景がパリピのフリしてかなり陰湿なのは今まで描かれてきた通りで、いよいよ直家追い落としにかかることになります。
 家臣の明石行雄を直家のもとに送り込み、色々と探らせる宗景ですが――この後の歴史を考えると、これが結構逆効果だったのでは、という気がしないでもありません。しかしここで毛利と敵対する尼子に接近していることが明らかになってしまったのは、直家にとってはプラスにはならないでしょう。

 しかしこう言ってはなんですが、ローカルだった話が一気に表舞台の歴史と繋がった感があり(あの有名武将も登場!)、いよいよここからが本番、という気もいたします。


 残りの作品は次回にご紹介いたします。


「コミック乱ツインズ」2024年12月号(リイド社) Amazon

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2024.11.14

享保十三年、長崎から江戸に運ばれるのは…… 茂木ヨモギ『ドラゴン奉行』第1巻

 七月鏡一といえばアクション色、SF・伝奇色の濃い漫画の原作者であり、時代ものはほとんど手がけていなかった印象ですが、『タイフウリリーフ』の茂木ヨモギと組んで描く本作は、江戸は享保年間を舞台とした時代ものです。もっとも、タイトルが示すように一筋縄ではいかない物語です。なにしろ、享保十三年の日本に登場するのが……

 命知らずの暴れっぷりで巷を騒がす無宿人・風鳴りの右門。ある賭場での騒ぎから捕らえられ、牢屋敷でも暴れた右門の前に現れたのは、南町奉行・大岡越前守の懐刀として知られる与力・桐生左近――彼の父でした。
 役目のためには非情に徹する父に反発し、二年前に家を飛び出して無頼に身を落とした右門。しかしその父の命により、右門は父と共に長崎に向かうことになります。

 長崎にたどり着いた右門に明かされた使命――それは八代将軍吉宗の命により、長崎から江戸へ「あるもの」を送り届けるというものでした。
 そして、停泊する南蛮船の中で右門が目にしたその「もの」。それは和蘭陀国から吉宗に送られた巨大な南蛮の竜――ドラゴン!


 そんなインパクト最高の第一話から始まる本作。史実において、享保十三年に長崎から江戸に運ばれたのは、中国の商人から吉宗に送られたベトナムの象(様々なフィクションの題材にもなっています)でしたが、それをドラゴンに置き換えてみせるとは、さすがに度肝を抜かれました。
 象の輸送ですら、大変な苦労をしたという記録が残っているわけですが、それがドラゴンであったらどうなるか――もちろん仮定にしても途轍もない話ですが、翼と巨体を持つ存在というだけでも、象を以上の波乱を予感させることは間違いありません。

 しかも、ドラゴンの周囲には早くも怪しげな一党の姿が見え隠れします。この時代、吉宗に敵意を抱き、彼の命を妨害しようとする者といえば何となく予想はつきますが――それが当たっているかどうかはさておき、難事にさらなる障害が加わることは避けられません。

 この任務に挑むの右門は、腕っぷしは立つものの、ある一点を除けば普通の人間。その一点とは、彼の鋭敏な耳――コウモリやイルカの声すら聞き分けるという人間離れした聴力ですが、この巻では早くもその力が役に立つ姿が描かれました。この先も、この能力が切り札となるのでしょう。

 なお、この巻の後半で描かれた内容を見るに、こドラゴン輸送が、先に触れた史実での象の輸送を踏まえたものになることが予想されます。
 もちろん、それはあくまでも踏まえるだけで、その何倍も波乱と危険を孕んだものになることは言うまでもありませんが……


 ちなみに、この巻で成り行きから右門と行動を共にした、生意気な通詞見習いの少年・西善三郎は実在の人物です。史実では本作に描かれたように才気煥発でありつつも、ひねくれ者であったようですが――本作でこの先も登場するのであれば、面白い存在になりそうです。


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2024.11.07

滅び行く名家を救え! 若き向井正綱の戦い 諏訪宗篤『海賊忍者』

 第15回小説野性時代新人賞受賞は、戦国時代後期の実在の人物・向井正綱の若き日を描く物語。伊賀の忍者にして志摩の海賊である正綱が、織田信長の圧力を受ける北畠具教とその娘・雪姫のため、数々の戦いを繰り広げます。(本作の結末について、ある程度触れますのでご注意下さい)

 武田信玄に海賊衆として仕える父・正重を持ちつつも、故あって家を出て、誰にも仕えず暮らす正綱。ある日、甲賀衆に襲われる少女を助けた正綱は、彼女が北畠具教の愛娘・雪姫であり、北畠家に圧力を加える織田家の非道を幕府に訴えようとしていたことを知ります。
 姫に惹かれ、北畠家に加勢することを決めた正綱は、北畠家の勇将・鳥屋尾満栄とともに、信長包囲網を築くべく、武田信玄の下へ密使として向かいます。

 さらに、信玄が起った時のため、水軍の増強に奔走する正綱。熊野水軍を味方につけ、反撃の機会を窺う正綱ですが、時運は巡らず、北畠家はますます追い詰められていくのでした。
 そして雪姫と信長の子・具豊(信雄)の婚礼が近づく中、ついに運命の日が……


 伊勢の海賊出身であり、父は今川義元や武田信玄に水軍として仕えた正綱。正綱については、過去に隆慶一郎の『見知らぬ海へ』などで描かれていますが、彼を忍者として描いたのは本作が初めてではないでしょうか。

 正綱が忍者として活動したという記録はないはずですが、向井氏の出身は伊賀と伊勢の国境の地であり、この点から彼を忍者に結びつけることにより、彼に自由な活躍の場を与えたのは、本作のユニークな工夫でしょう。
 それによって本作の正綱は、北畠家のために戦う中で、当時信長の下で志摩を支配していた九鬼嘉隆と戦い、武田信玄と対面し、北畠具教に剣を学び(正綱を「狐」と呼び色々な意味で可愛がる具教が面白い)、秘密裏に水軍増強に奔走し――と、縦横無尽の活躍を見せることになります。

 登場した際は、家を出てから特に目的もなく生き、戦いの中で敵の命を奪うことも厭う少年だった正綱。しかしこの数々の冒険の中で、彼は己が生きる目的、戦う意味を見つけ、覚悟を背負った男として成長していくことになります。


 そしてその背景となるのが、信長支配下の北畠氏の姿です。代々伊勢国司であった名門・北畠氏ですが、信長の侵攻を受け、和睦はしたものの彼の次男・茶筅丸を養子とし、具教の娘をその妻にすることを強いられました。
 その果てに――となるわけですが、本作はまさにその北畠氏の落日の姿を、正綱の目を通じて描く物語でもあります。

 この辺り、信長のやり方は(戦国時代にはよくあること、といえばそれまでですが)かなり悪辣で、悪役として描くにはぴったりなのですが――しかし悩ましいのは、史実に従えば悲劇にしかならないものを、どのようにフィクションとして描き切るかというのは、大事な点です。

 その点を本作は――ある点は史実通りに描きつつ、またある点、本作においてはより重要な史実をスルーした結末となっています。
 いや、本作の結末に繋がる史料や伝説(ここで具教の「狐」呼びが活きる)もあるのですが、定説をかなりきっぱりとスルーしたのには、正直なところ驚かされました。

 これは願望混じりの勝手な予想となり恐縮ですが、正綱の将来に繋がる部分が描かれていないこともあり、本作には続編が構想されているのではないか――ある意味結末の見えている物語を(その予想は覆されたわけですが)、まだデビューから日が浅いとは思えない筆力によって最後まで緊張感溢れる形で見せてくれただけに、予想で終わらないでほしいと願っている次第です。


『海賊忍者』(諏訪宗篤 KADOKAWA) Amazon

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2024.11.01

未熟な二人を通じて描かれる、己の在り方に悩む者たち 宮野美嘉『あやかし姫の婚礼』

 幸徳井家の母と九尾の狐の間に生まれ、「あやかし姫」と異名を取る桜子と、妖怪に育てられた柳生家の友景――数奇な運命を背負った二人を描いた『あやかし姫の良縁』の続編です。いよいよ婚礼を迎えることになった二人ですが、その間には隙間風が。そんな中、九尾の狐の尾を狙う謎の男が現れ……

 陰陽道の名門・幸徳井家に生まれ、生まれついての神通力と人間離れした剛力で、「あやかし姫」と呼ばれる桜子。そのあまりの力から、自分が何をしても壊れない相手にしか嫁がないと公言していた彼女は、祖父に柳生家の友景に嫁ぐよう命じられます。
 およそパッとしない友景ですが、幼い頃に妖怪に攫われ、妖怪の両親に育てられたため、妖怪にしか興味を持てない人間。常人離れした肉体に強力な陰陽術の使い手である彼は、桜子とは好一対の人物だったのです。

 そして京を騒がす百鬼夜行騒動の末、互いのことを知った二人はめでたく結ばれることに――という前作を受けて、本作は婚礼の準備が進められる場面から始まります。
 しかし、全く女心を解さない友景の言動に、自分は彼に相応しくないのではと思い始める桜子。そんな中、幸徳井家の上得意であり、桜子のことを昔から知る貴族・八条院智仁が現れ、桜子には自分が相応しいと宣言、今度は友景が不機嫌になるのでした。

 さらに、婚礼衣装を仕立てる妖怪・福鼠のもとを訪れた際、その姫・夜目子に自分とは打って変わった態度で接する友景を見た桜子はいたたまれなさで飛び出し――残された友景は、福鼠の長と夜目子から、それぞれ智仁に対する意外な頼みをされます。

 一方、幸徳井家の近くで行き倒れていた法師・堂馬を助けた桜子。しかし実は堂馬は、幸徳井家の巫女が代々守ってきたという秘宝を狙っていたのです。
 突然知らされた、自分も知らない秘宝の存在に戸惑う桜子。さらに堂馬にはとんでもない秘密があることが明らかになり……


 あの幸徳井友景の若き日の物語――と思って読んでみれば、とてつもない異形のラブストーリーが展開された前作。それに続く本作では、題名通り、その恋の先の婚礼が描かれる――と言いたいところですが、そこに至る大騒動が描かれることになります。
 何しろ二人は色々な意味で並みの人間でないためか、感情表現も未熟というレベルではない――簡単に言ってしまえば、二人のやり取りは、両片思いの中学生(いや小学生?)のそれを見せられる気分になります。

 そんなわけで序盤の展開には、これはどうしたものかな――という気分に正直なところなったのですが、しかし二人以外の登場人物にスポットが当たっていくにつれて、物語の目指すところが見えてくるようになります。
 人間ではあるものの、異常に妖怪に好かれてしまう八条院智仁。妖怪でありながら智仁を慕う夜目子。妖怪を憎み、妖怪を滅ぼすために妖怪の力を求める倒錯した存在である堂馬(その正体は、陰陽師ものファンであればお馴染みの……)。

 さらにそこに、桜子の陰陽道の師匠である安倍晴明(の幽霊)、前作ラストで驚くべき正体を現した女占い師・紅といった前作からの登場人物も加わり、前作の伏線も踏まえて複雑性を増す物語の中で桜子の出生の秘密――桜子の母・雪子と九尾の狐の馴れ初めまでが語られることになります。
 そしてその中で描かれるのは、「人間」と「妖怪」という相容れない存在の間で、自分の在り方に迷い、戸惑い、それでも己の道を貫こうとする――そんな者たちの姿なのです。

 もちろんその代表が主人公カップルであることは間違いありませんが、一歩間違えれば痴話喧嘩で片付けられそうな二人の姿も、周囲の人間と妖怪たちの姿を通すことで、また異なるものとして見えてきます。
 そしてそんな二人をはじめとする「人間」と「妖怪」たちの姿は、もちろんこの物語独特のものではありますが――自分の持つ様々な社会的属性の前で、自分の在り方に悩む現実世界の人々(もちろんその中に我々読者も含まれるわけですが)を映したものに見えるのは、あながち穿った見方ではないと感じられます。

 そんなわけで、時代伝奇小説の形を借りた異形のラブストーリーであった前作から、伝奇性だけでなく、ドラマ性においてもさらに発展した本作。婚礼の時を迎えてもまだまだ未熟なカップルですが、それだからこそ二人の成長していく先を見てみたいと感じます。


 それにしても、実在の人物であり、主人公になってもおかしくないような重要キャラであった八条院智仁。あまりに違和感なく登場してきたので、前作にも登場したかと思えば……


『あやかし姫の婚礼』(宮野美嘉 小学館文庫キャラブン!) Amazon

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2024.10.17

「コミック乱ツインズ」2024年11月号

 今月の「コミック乱ツインズ」は表紙を『鬼役』、巻頭カラーを『江戸の不倫は死の香り』が飾ります。また、久々に『雑兵物語 明日はどっちへ』が登場です。印象に残った作品を一つずつご紹介します。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ビジャを守る城壁も崩れ、ついにモンゴル兵21名が侵入してしまった状況で、オッド姫を巡る攻防が描かれる今回。ブブの策で姫を地下の娼館街に隠したものの、そこは姫の一族と因縁のある女主人が――と、以前この女主人が出てきた際には、いかにもこの機に乗じて意趣返しを、という雰囲気もありましたが、特にそんなことはなく、姫を娼婦たちに隠して兵の目を欺こうとしています。
 さらに数の上ではこちらが上と、モンゴル兵たちを取り囲む女主人と娼婦たち。一方、地上では、ある兵の目撃証言から、ブブがジファルとモンゴルの繋がりに気付きます。そしてそのジファルと繋がるモンゴル兵・ドルジの行動が思わぬ方向に展開し……

 と、城壁でモズが意外と粘る一方で繰り広げられる地下の戦いですが、(これはこちらの読解力の問題かと思いますが)女主人と兵士たちの場面と、ドルジの場面の繋がりが今ひとつわかりにくく感じられました。
(ドルジは兵士たちの中にいるのか、それとも単独行動をしているのか?)


『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 娘が嫁いだ松田家をターゲットとした直家の謀略はいよいよ佳境。最大の障害だった軍師兄弟の一方を殺害、一方を離反させ、そして武の要であった伊賀久隆も調略成功――と、もはや松田家は丸裸に近い状態です。
 為すすべもなく籠城する松田親子ですが、悪いことは重なるもので、思わずそんなことある!? と言いたくなるような展開が……

 というわけで、直家の前に立ち塞がってしまった普通の武将の姿を描く残酷劇も、今回で幕となります。おそらくはこの時代、どこにでもあった滅亡の姿だと思いますが、しかしそこに直家の娘が嫁いでいたことにより、苦い苦い後味が加わっていることは言うまでもありません。
 直家の非情さを語る際にしばしば引き合いに出されるエピソードではありますが(娘の方も直家を嫌い抜いていたという一種のエクスキューズはあれ)、そこから逃げず真正面に、しかも入れられるところにはギャグを織り交ぜて描き切ったのは、お見事というべきでしょう。

 戦いが終わった後の直家の述懐も、彼の複雑な人物像をうかがわせて、何ともいえない余韻を残します。


 『前巷説百物語』(日高建男&京極夏彦)
 「周防大蟆」の第三回、前半ではいよいよ仇討ちが迫る中、又市と仲蔵は、林蔵の持ってきた仇討ちの裏事情を聞かされ、そこからどんな仕掛けを用意するか頭を抱える――という展開になります。今回も原作に忠実でありながらも、細かい台詞や描写にアレンジを加えて、独自の味わいを出しています。
 特に林蔵の口はもの凄い回転率で――原作以上にチャラい印象を受けます。目をディフォルメしたキャラクターデザインも相まって、本作におけるコメディリリーフ感が強くあります。これだけ見ていると、とても「これで終いの金比羅さんや」と格好良い決め台詞を使うようになるようには思えませんが、そんな彼がこの先どのように変化していくのか、大いに気になります。

 といいつつ、ファンとしてはこの三人がわちゃわちゃ楽しげに好き勝手なことを言い合っているのが本当に楽しく、何よりも有り難いのですが……(特に『了巷説百物語』を読んだ後ではなおさら)


『雑兵物語 明日はどっちへ』(やまさき拓味)
 本編前のページでの参戦記録が有り難い今回、こうして見ると結構勝ち組についているにもかかわらず、いまだに芽の出ない春と捨丸は、秀吉の大坂築城でのあまりに苦すぎる経験から逃亡し、今回は小牧・長久手の戦いで家康の配下に加わることになります。家康と秀吉の最初で最後の戦いの中、春は戦の前から異常な言動を見せ始めて……

 と、戦場では捨丸の後ろで縮こまっていることの多い春が、今回は目を吊り上げ、狂ったように得物を振り回して池田恒興に襲いかかります。毎回戦場を生々しく描いてきた本作ですが、その中でも目を背けたくなるような凄惨な姿で暴走する春の姿が、今回の山場であることは間違いありません。
 もちろん、この暴走には理由があるのですが――さて、いよいよ次回は最終回、物語にどのように結末を付けるのか注目です。


 次号では「古怪蒐むる人」が登場とのことです。


「コミック乱ツインズ」2024年11月号(リイド社) Amazon


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2024.10.11

出現、美しき魔物、最悪の敵! 松浦だるま『太陽と月の鋼』第9巻

 愛する妻・月を取り戻してもまだまだ鋼之助の苦闘は続きます。戦いで負ったダメージを明の故郷で癒す一行ですが、そこに襲いかかる新たな刺客の影。卜竹とも深い因縁を持つその相手は、美しく無邪気な姿に恐るべき魂を隠した恐るべき相手なのです。

 那須での死闘を辛うじて生き延び、猪苗代に飛んだ鋼之助一行。そこで頼った明の故郷・弓呼村は、通力使いと一般人が共存する村でした。
 それぞれ十二天将の一人であった大ワカの婆さま、そして卜竹が、通力使いとして複雑な胸中を覗かせる中、通力使いたちの未来を握るという月は、人としての想いを貫くと語ります。

 そんな人々の想いが交錯する中、突然新たな刺客が明を襲います。いや、その刺客は明もよく知る村の人々――それだけでなく、鋼之助までもが、突如として周囲に刃を向けたではありませんか。
 単に得物を振るうだけでなく、通力使いはその通力を使って襲いかかる――そんな異常事態に自分も翻弄されながらも、卜竹は敵の正体に気付きます。

 それはかつて自分と同じ高山嘉津間の弟子だった娘、そして十二天将の一人・太陰の鬨。彼女はあどけなく美しい外見とは裏腹に、恐るべき通力と、何よりも純粋な邪悪というべき魂の持ち主だったのです……


 というわけで、デビューしたその巻で表紙を飾った美しき魔物・鬨との戦いと、卜竹が語る彼女の過去の所業が、この巻では語られることになります。
 新たな通力使いの能力描写と、その(基本的に悲惨な)過去が語られる――というのは本作の、というより超能力バトルものの定番の流れではあり、この巻もそれを忠実に踏まえたものといってもいいでしょう。しかし今回の場合、その内容の強烈さが全てを持っていった感があります。

 誰かを操って刺客に早変わりさせる――敵の存在を予見できない恐ろしさと、反撃したくとも反撃できない厄介さ(そして敢えて反撃した時に生まれる悲劇的なドラマ)から、様々な作品に登場する能力ですが、鬨のそれは、文字通り犠牲者を「心酔」させるものである点が、不気味かつ悍ましい。
 無理やり体を操るわけではないためか、相手の通力まで使えるという特性は、通力使いたちが集う弓呼村においては最適かつ最悪のものといえるでしょう。

 しかし真の最悪は、彼女の存在そのものであることを、卜竹は語ります。かつて彼女が姉弟弟子として高山嘉津間の下にいた時、嘉津間が巡っていた二つの村で何が起きたのか? この巻でかなりの割合を割いて描かれるその物語こそは、この巻のクライマックスであると言ってよいように感じます。
 もちろんそこで描かれるのは彼女の通力の恐ろしさなのですが、しかし真に恐ろしいのは彼女の心、いや心の中――ある意味漫画だからこそ描けるそれは、前巻で月が語った人の心の在り方と対極にあるものとすら言えるのかもしれません。


 とはいえ、鬨との戦いを通じて、この『太陽と月の鋼』という物語の本筋がほとんど全く進まなかったように感じられるのは、ちょっと辛いところではあります。
 ついに反撃が――こちらも恐るべきものとなることが予感される反撃が始まった今、この鬨のエピソードがいかなる結末を迎えるのか、そして全体の物語とどのように繋がるのか、次巻の展開が気になります。


『太陽と月の鋼』第9巻(松浦だるま 小学館ビッグコミックス) Amazon

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2024.09.25

大団円 紫式部が最後まで貫いたもの 森谷明子『源氏供養 草子地宇治十帖』

 長きに渡り描かれてきた、紫式部(香子)を主人公とした平安時代ミステリシリーズも、ついに本作で完結を迎えます。出家し、宇治の庵で一人静かに暮らす香子の周囲で起きる不審な出来事。その一方、遠く九州では異国の脅威が迫り……

 娘の賢子も立派に女房として独り立ちし、自分は出家して余生を送ることを決意した香子。宇治に庵を結び、穏やかな日々を送る香子ですが、源氏物語の続編を望む人々の声は絶えず、東宮位を返上した小一条院の妃・延子からも、続きを促す便りが届きます。

 そんな中、香子の元に常陸と名乗る婦人と、その娘・竹芝の君が訪れます。かつて延子の父・藤原顕光の召人であり、その際に竹芝の君を産んだ常陸は、行き場のない娘を庵に置いてもらえないかと頼みに来たのです。
 快く引き受けた香子ですが、その後、小一条院が宇治を訪れたのと時を同じくして、周囲に不穏な空気が漂います。

 香子の周囲で、猫や馬、さらには下人が、何者かによって毒を盛られる事件が発生。常陸から譲り受けた薬の成分に毒物が含まれていたことから、香子は自分の周囲に犯人がいるのではないかと疑い始めるのでした。

 一方、長年香子に仕え、現在は武士の夫と共に太宰府で暮らす阿手木の暮らしは、刀伊の突然の来襲によって平穏を破られることになります。海からの賊を相手に必死の戦いを繰り広げる武士たちですが、被害は広がるばかり。そんな中、阿手木は自分たちに仕える童の小仲の動きに不審を覚えるのですが……


 『千年の黙』『白の祝宴』『望月のあと』と、作者の作品では、これまで源氏物語や紫式部日記を題材に、紫式部の姿を濃厚なミステリ味と共に描いてきました。本作は残る宇治十帖を題材とした待望の続編にして完結編です。
 光源氏亡き後の世界を舞台に、彼の次の世代である薫と匂宮を中心に展開される宇治十帖。宇治に隠棲する香子がそれを描く中、事件に巻き込まれるというのが、今回の趣向となります。

 物語はその模様を、時に時系列を入れ替えつつ、香子だけでなく、彼女の死後の賢子、さらには藤原実資といった様々な人々の視点から描きます。
 それに加え、ほぼ同時期に遠く離れた九州で起きた、日本史上に残る大事件――いわゆる「刀伊の入寇」を、シリーズでもお馴染みの阿手木の視点で描くという、離れ業にも驚かされます。

 さらに、瑠璃姫やゆかりの君といった、これまでのシリーズで活躍した女性たちも登場するオールスターキャストの華やかさは、完結編にふさわしいものといえるでしょう。


 しかし本作の魅力は、そうしたイベント的な要素だけではありません。これまでの作品がそうであったように、本作もまた、ある視点が貫かれています。それは一人の女性からの視点――運命に傷つき、途方に暮れながらも、それでも何とか生きたいと願い、歩を進める女性からの視点が、本作の最大の魅力ではないでしょうか。

 貴族という一見恵まれた立場に生まれても、家のために、そして自分が生きていくために結婚しなければならない。それでも相手の男にとって自分は唯一の女性ではなく、それを当然のこととして受け入れなければならない。
 そして時には、わずかに残された自分の意思など問題にもしない巨大な力に翻弄されることもある……

 そんな過酷な運命を背負わされた女性たち。本シリーズは、そんな女性たちの姿を描くだけではなく、物語が彼女たちを救う姿をも同時に描いてきました。そしてそれは本作においても変わることはありません。
 宇治で起きる謎めいた事件と、源氏物語――並行して進行する「現実」と「虚構」が交錯し、絡み合った時に生まれる救いの姿。そこには、本作ならではの感動があるのです。


 正直なところ、物語の複雑な構成や、シリーズ読者(そしてこの時代に一定の知識を持った読者)を前提とした人物配置など、無条件に評価しにくい点があることは否めません。

 それでも本作は、これまで作中で描かれてきたテーマを最後まで貫き――そして同時に「源氏物語」成立にまつわる謎をも描ききってみせました。最後の最後に、源氏物語とは縁の深い(そして物語の継承の象徴ともいうべき)あの人物が登場するのも楽しく、大団円という言葉が相応しい作品であることは間違いありません。


『源氏供養 草子地宇治十帖』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon


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