2020.08.07

諸星大二郎『無面目・太公望伝』 神とは何か、人とは何かという問いかけへの二つの答え

 数多い作者の中国ものの中でも、特にファンの評価が高い二編――前漢の武帝の時代に一人の神の辿る運命を描く『無面目』、それより遡った殷周の時代に名軍師として知られる呂尚の姿を描く『太公望伝』、どちらも古代中国を舞台に、人と神の存在をそれぞれの視点から描いた物語であります。

 一作目の『無面目』とは、顔に目のない――いや口も鼻も耳もない存在、渾沌のこと。この物語は、天地開闢のことを論じていた南極老人と東方朔の二人の神仙が、その頃から瞑想に耽っている渾沌に、当時のことを尋ねてみようと訪ねたことから始まります。
 しかし渾沌に会ったはいいものの、口のない彼は話すことはできません。そこで東方朔は、自分の知るある男をモデルに渾沌に顔を描いてしまうのですが――何とその顔は実物となった上に、下界に興味を持った混沌は瞑想していた山から下りてしまったのです。

 人界のことに馴れぬため、ちょっとしたことから獄に繋がれてしまう混沌。ところが彼が武帝お気に入りの方士・欒大と瓜二つであったことから――そう、東方朔は彼をモデルにしたのです――彼と周囲の運命が大きく動き出すことになります。
 当時宮廷で勢力を二分していた皇太子・劉拠派と、武帝の寵姫・李夫人の兄である李兄弟派――そのうち皇太子派によって、李兄弟に近い欒大の替え玉に据えられてしまった渾沌。はじめは成り行きに流されるばかりであった彼は、やがて神の視点から、人間たちの権力闘争に興味を覚えていきます。

 やがて自分を利用しようとしていた者たちを逆に利用し、ゲーム感覚で人々を惑わせ、陥れて権力と財をほしいままとする渾沌。酷吏の江充と結び、両派が巫蠱による暗殺合戦を行っていたことから引き起こされた「巫蠱の獄」は、国中を疑心暗鬼に陥れ、やがて兵乱にまで繋がることとなります。
 そんな中、神の力を持つ者として、江充も帝をも恐れず振る舞う渾沌ですが、あることがきっかけで死を恐れるようになり……

 中国神話に様々な姿で現れる、まさに渾沌とした存在である混沌。しかし最もよく知られるのは、荘子の「渾沌七竅に死す」ではないでしょうか。
 目鼻口耳のない渾沌のためを思ってそれら七つの孔を開けたところ、逆に渾沌は死んでしまった――という一種の寓話ですが、本作はこの短い文章をベースとしつつ、前漢の武帝の時代の史実を絡めて縦横無尽に物語を展開していくことになります。

 何よりもユニークなのは、いうまでもなく渾沌――ある種の純粋な知性として瞑想に耽っていた彼が、七つの孔を得て人間たちの中で暮らすうちに、やがて人間以上に人間臭く、宮廷の権力闘争の中でのし上がっていくという皮肉でしょう。
 この辺りは、一種のピカレスクロマンの味わいすらありますが――しかし物語はそれだけに終わりません。

 人間の顔をした神としてこの世に恐れるものなどなかったはずの渾沌が唯一恐れたもの。そして彼を絶望させたものとは何であったか――宮廷での彼の姿とは正反対でありながら、しかし同様に極めて人間的な存在となった彼の辿る運命は、荘子に記されたそれとは大きく異なりつつも、しかし同じ皮肉さと虚しさ、そして物悲しさを感じさせるのです。

 神とは何か、人とは何か――その問いに、伝奇物語の形で見事な答えを示した一編です。


 もう一遍の『太公望伝』は、いうまでもなく周の文王の軍師として殷の紂王を討つのに多大な功績を挙げた太公望こと呂尚の物語ですが――しかし彼が文王に見出されるまでを描いているのがユニークな作品です。
 殷に捕らえられて生贄となる運命から九死に一生を得た呂尚が、放浪する中で出会った謎の「神」。「神」の導きで鈎も餌もない釣り針で龍を釣り上げた彼は、その不思議な体験が忘れられず、その後も「神」と出会うために放浪を続けるのですが……

 上に述べた偉業を成し遂げながら、しかしその前歴は極めて謎の多い太公望。本作はその彼を、老齢に至るまで悩み多く、どこか締まらない、そして実に人間臭い人物として描き出します。その姿には、既にいい年になってしまったこちらとしては身につまされるものが少なくないのですが――それだけに、魂の遍歴の末に彼が知った「神」の正体は、大いに感動的に感じられます。

 そしてそれはまた、『無面目』とはまた異なる角度から描かれた、神とは何か、人とは何かという問いかけへの答えとも感じられるのです。


 神と人の存在を描きながらも、全く異なる物語であり、しかし同時にその根底にどこか通じるものを感じさせる――そんな不思議な二つの物語であります。


『無面目・太公望伝』(諸星大二郎 潮出版希望コミックス) Amazon

|

2020.07.30

諸星大二郎『碁娘伝』 不滅の侠女、剣と碁で悪を討つ

 作者の得意のジャンルである中国ものの一つとして、長きにわたり描き継がれてきた連作――唐代を舞台に、碁と剣を武器に大の男たちを叩きのめす侠女・碁娘の痛快な活躍を描くシリーズであります。(作品の内容に踏み込んで触れた部分がありますのでご注意ください)

 城外の没落した名家の廃屋に出没するという奇怪な妖怪の噂。若く美しい女性の姿をしたその妖怪は、屋敷に一人で来た男に碁の勝負を挑み、自分が勝つと相手の耳を切り取るというのです。
 妖怪を退治してやろうと屋敷を訪れた腕自慢の豪傑があっさりと敗れて片耳を奪われ、いよいよ高まるその噂。次に屋敷を訪れた男の前にも、やはりその娘は現れたのですが……

 と、何か原作があるのではないかと思ってしまうほど、志怪小説めいた内容のシリーズ第1作『碁娘伝』。しかし碁娘の正体と目的が明らかになった時、物語はむしろ武侠もの的な性格を見せることになります。

 碁娘――彼女の正体は、この荒れ果てた屋敷の一人娘・高玉英。かつてある男が無理矢理挑んできた囲碁の賭け勝負で家宝の硯を奪われた末、父を殺された彼女は、囲碁と美女に目のない下手人を誘き寄せるために、噂を広めていたのであります。
 そして現れた父の仇を見事に討ち、家宝を取り戻した彼女は、忠僕の老人とともに姿を消すのですが――しかしその後も碁娘の活躍は続きます。第2話『碁娘後伝』では、何と妓女として登場した碁娘の活躍が描かれることになります。

 囲碁で自分を負かした相手でなければ肌身は許さず、力づくで来る相手には逆に叩きのめすことも辞さないことでかえって評判となった妓女・玉英。ところがそんな彼女の周囲で男たちが何者かに斬り殺される事件が連続し、犠牲者たちのある共通点から、劉知府は自分が次のターゲットであると悟るのでした。
 しかし大胆にも玉英を招き、囲碁の勝負を望む知府。しかしその場には護衛として軍司馬の呉壮令をはじめとする腕利きたちが集められ、玉英は彼らに周囲を囲まれながら知府との勝負を繰り広げることになります。

 果たして勝負の行方は、そして玉英=碁娘は知府を討ち、その場から逃れることができるのか……

 という第2話以降は、碁娘は恩人や苦しむ人々のために悪を斬る侠女として大活躍。その囲碁と剣の腕は相変わらず冴え渡りますが、しかし敵も強大かつ巧妙となり、碁娘がどのように難局に勝利を収めるかが、物語の主題となります。
 特に第2話ラストの、四方を敵に囲まれた絶体絶命の状態からの大逆転劇はシリーズ屈指の名場面。さらに第3話の『碁娘翅鳥剣』では、彼女を宿敵として追う呉壮令や悪人たちが張り巡らせた守りの陣を、いかに突破するかというシチュエーションからの見事な一撃が痛快であります。

 一方、第3話からは、偶然彼女の「仕事」を目撃した囲碁の名手の青年・李棗中も登場。第4話『棋盤山』では、この李棗中と碁娘の師が見守る中、碁娘と呉壮令の剣による勝負が繰り広げられることになります。
 剣の腕だけであれば碁娘をも上回る呉壮令。しかし碁娘の強さはそれだけでなく――と、本書の掉尾を飾るにふわさしい内容の物語であります。


 そんなわけで、作者の中国ものとしてはスケールは控えめではあるのですが、キャラクター造形やストーリー展開の面白さでは、おさおさ他の作品に劣るものではない本作。
 特に先に述べたように、中国の志怪小説や伝奇小説から飛び出してきたような碁娘/玉英のキャラクターは実に魅力的であり、初出の1985年から今に至るまで描き継がれているのもよくわかるというものであります。

 ちなみに本シリーズには、2016年に刊行された諸星大二郎スペシャルセレクション版に書き下ろし作品『ある夜の対局』が収録されております。
 恥ずかしながら今回底本としたのは希望コミックス版のため、今回は紹介を省略させていただきますが、2001年の作品である『棋盤山』から考えると実に15年ぶりの登場なのには驚かされますが――しかし碁娘であればそれくらいの不滅ぶりは当然、と納得してしまうのも事実なのであります。


『碁娘伝』(諸星大二郎 潮漫画文庫) Amazon

|

2020.07.26

諸星大二郎『孔子暗黒伝』 世界と真理との対峙の果てに

 紀元前495年、岐山で周の遺跡に迷い込んだ孔子はそこで赤子を拾い、赤と名付ける。赤こそが天子と信じる孔子だが、赤はインドで奴隷の少年・アスラと出会い、仏陀の導きにより一人の少年ハリ・ハラに生まれ変わる。世界を遍歴するハリ・ハラを待つものは、そして孔子が知る周の真実とは……

 驚くほど多様なジャンルで、唯一無二の世界を描いてきた諸星大二郎の作品世界の中でも、大きな位置を占めるのが中国を舞台とした作品群であります。本作はその中でもごく初期の作品でありつつも、奇想天外かつ壮大で精緻な伝奇世界を描いた名作であります。(以下、内容の詳細にある程度踏み込みますのでご注意下さい)

 さて、本作はタイトルの通り、あの孔子を主人公の一人とする物語ではありますが、しかしそれだけではありません。
 本作は孔子が自らの理想とする古代周王朝の秘密を追う物語を縦軸に、そしてもう一人の主人公である少年・赤(が変じた存在であるハリ・ハラ)の、今でいう中国から東南アジア、さらには日本へと遍歴を続ける姿を横軸に描かれる物語なのであります。

 理想とする周の復活を夢見ながらも、世に受け入れられず、弟子たちとともに放浪する孔子。そして彼が迷い込んだ周の遺跡で発見した、食べても減らない「視肉」を食べて生きのび、天の赤気と共に現れた子供・赤。
 物語はこの二人の視点からの物語が交互に描かれることとなるのですが――時を遡る禁断の術法である反生・反剋の法を追い求めたり、あるいは泰山に眠る「黄帝の器」から驚くべき知識を得たりと、ある意味比較的ストレートな伝奇物語である孔子の物語に対して、赤の物語は、大きく観念的なものとして描かれることになります。

 何しろ、赤は老子に導かれて中国を旅立った末、インドでアスラの血脈に呪われた奴隷階級の少年であり自らの影である少年・アスラと出会い、そして入滅直前の仏陀に導かれ、ブラフマンと対になるアートマンとなるべく、二人で一体の存在であるハリ・ハラ(ヒンズー教でいうヴィシュヌとシヴァが合体した存在)と化して……

 と、文章にまとめると全くわからない(しかし本当にこのままの)展開を経て、二色人というべき姿となった赤改めハリ・ハラ。世界を遍歴し、「神」の顕現とその恵みを求める人々と出会う姿を描く彼の物語は、伝奇的というよりもむしろ神話的・宗教的な性格を色濃く感じさせるのです。

 そしてそんな二人の主人公、二つの性格の物語が諏訪において(直接的ではないにせよ)交錯し、さらにそこから現代にまで至ることによって、物語は世界各地の神話・宗教・思想、果ては現代の宇宙論までも取り入れ、やがて一つの巨大な真理の姿を浮かび上がらせるのですから――これを奇書と言わずして何と言うべきでしょうか。


 そんな本作では、実に作中で約2500年の時の流れが描かれることになるのですが、しかしそれはほんの序の口に過ぎません。何故ならその先には56億7千万年の時が待っているから――そう、本作はもう一つの奇書、あの『暗黒神話』と連関――いや連環を成すのですから!

 本作の前年に、同じ「週刊少年ジャンプ」で連載していた(それ自体が一種の驚異ですが……)いわば前作に当たる『暗黒神話』。
 現代の少年・武が、何者かに導かれるように西日本に点在する古代遺跡を訪れ、自らのアートマンとしての宿命と宇宙の恐るべき秘密を知るこの物語は、なるほど確か本作と重なる要素を持ちます。

 しかしそれ自身が極めて精緻かつ複雑な物語である『暗黒神話』ですが、物語のスケールのわりには物語が日本国内で終始すること、そして「人間」側の視点が希薄に感じられるきらいがなかったとはいえません。
 もちろんこの舞台設定は必然性があるものではあり、「人間」の視点も敵側のキャラクターが担っていたかもしれません。しかし本作はそれを、ハラ・ハリの世界遍歴、彼の後を追いながら果たせぬ孔子の姿を描くことで補ってみせた――そのようにも感じられます。

 少なくとも、全てを知った末に「泰山は崩れんか 梁柱は折れんか 哲人は死なんか!」と叫ぶしかなかった孔子の姿には、自分たちのちっぽけな存在を拒否するかのような世界そのもの――いや真理そのものに対峙してしまった人間の姿が、これ以上なく浮き彫りにされていると言えるでしょう。

 そしてそれこそが孔子の名が本作に冠されている理由の一つであり――そんな彼の姿は、この恐怖すら覚えるほど巨大な物語において、ある種の救いである、と感じてしまうのは、それはそれで人間としての限界なのかもしれませんが……


『孔子暗黒伝』(諸星大二郎 集英社文庫(コミック版)) Amazon

|

2020.07.20

「コミック乱ツインズ」2020年8月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」8月号の紹介の後半であります。今回は読切にシリーズ連載、最終回と、なかなか賑やかな内容であります。

『不便ですてきな江戸時代』(はしもとみつお&永井義男)
 『築地魚河岸三代目』の大ベテランが、『いちげき』の原作も務める永井義男の同名小説を漫画化した本作(原作では主人公は二人でしたが、こちらでは片方のみ登場)。突然叔母の家から江戸時代に行ってしまった(「これってもしかして世にいうあの有名な……タイムスリップか!?」というモノローグが可笑しい)島辺青年の江戸生活を描きます。

 服装も文化も地理も何もかもが異なる江戸で途方に暮れる島辺が、偶々出会った古着売りの男とその娘のもとに身を寄せて、江戸のナマの姿を目の当たりにする――という本作、原作は綺麗事ではない江戸の光と影を描く作品でしたが、この漫画版は「すてき」の側がかなり強く、「不便」はほとんど描かれなかったのが残念(刃物持った破落戸に絡まれたくらい?)。もし続編があればそこは解消してほしいところです。


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 いよいよ最終回、大坂夏の陣であります。政宗も徳川方として参陣したものの、傍らには景綱の姿はなく、代わって息子の重綱が――という、時代の移り変わりを感じさせるのが何とも切ないところですが(大坂夏の陣が、そもそも戦国最後の戦いというべきですが)、それでも最後までギャグを交えつつ、政宗たちの姿を活写。個人的には政宗との因縁まで描いて欲しかったところですが、そこは『真田魂』最終回の方でしょうか(気が早い)。
 ちなみに今回はオマケページに作者への50の質問が掲載されており、なかなか興味深いところであります。


『かきすて!』(艶々)
 シリーズ連載三回目、女子三人のちょっとアブない東海道旅は小田原宿まで到着。ここで宿に泊まった三人ですが、主人公のナツはは宿にマモノが出るから早く寝ろと言われ――と、本当に何も知らないおぼこいナツが色々と心配になりますが、今回の江戸旅の風俗は飯盛であります。
 宿の優しそうなお姉さんがあんなことに――という展開はちょっとドキドキですが、さすがにマモノの正体はどうかしら。


『いちげき』(松本次郎&永井義男)
 お互いもはや全てを失い、相手を殺さなければ一歩も前に進めなくなってしまった丑五郎と伊牟田。手傷を負い、ソノを人質に女郎屋に立て籠もった伊牟田に対し、口八丁手八丁で挑む丑五郎ですが、まだまだ伊牟田のパワーは健在、店の中――というより店そのものを破壊しながら繰り広げられる一軒家チャンバラの果てに、丑五郎は予想だにしなかった形で追い詰められることになります。

 と、丑五郎が深手を追った伊牟田を挑発しながら逃げ回り、弱らせようとするのに対し、思わぬクレバーな作戦により、丑五郎を一転窮地に追い込む伊牟田。あの忍びから与えられた薬まで口にして、いよいよ丑五郎び打つ手なしという印象ですが――それどころではなく強烈なインパクトを残すのは、ソノの本音でしょう。
 ものわかりのいいおじさんになってソノを見守る伊牟田に対して、ハァ? とばかりに丑五郎をこき下ろすソノという地獄展開にはこちらも思わず絶句。もう丑五郎がその場に居合わせたら心を折られて即死しかねない展開に、もう本格的に何もなくなった二人の明日はどっちなのか……


『仕掛人 藤枝梅安』(武村勇治&池波正太郎)
  白子屋が差し向けた人斬りカップルの片割れである田島一之助と、お互いそうとは知らぬままに患者と医者という関係になってしまった梅安。誠心誠意接する梅安に一之助はもうメロメロ、ファザコンぶりを発揮して懐いてしまうのですが――そこに遅れて北山彦七が到着したことで一転修羅場に突入です。
 自分が女に浮気しておきながら、一之助に近づく奴はコロス、と勝手な嫉妬心を発揮した北山は、実は本当に相手がターゲットとは知らず、梅安を殺しに向かうのですが……

 かつて大名家の家老一行二十数人を、たった二人で血祭りに挙げたというバトル漫画のような設定を持つ北山・田島カップル。本来であれば江戸で梅安を襲うはずが、全く別の、形で梅安と関わりを持ってしまうのが実に面白い展開ですが、自業自得としかいいようのない結末の皮肉な味わいは何ともいえないものがあります(原作と違う展開になりましたがまあこれはこれで)。


 次号はやまさき拓味のシリーズ連載『雑兵物語 明日はどっちへ』がスタートとなります。


「コミック乱ツインズ」2020年8月号(リイド社) Amazon

関連記事
 「コミック乱ツインズ」2020年1月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年1月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年3月号
 「コミック乱ツインズ」2020年4月号
 「コミック乱ツインズ」2020年5月号
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年7月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年7月号(その二)

|

2020.07.08

松田朱夏『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』 ダイジェストで振り返る物語の基点

 タイトルの通り、『鬼滅の刃』のノベライゼーション――先行して書籍として先月発売され、今月原作第21巻・小説版第3弾と同時に電子書籍化された作品であります。集英社の児童書レーベル「集英社みらい文庫」より刊行された本書は、第1弾として原作の第1巻から第4巻の途中までが収録されています。

 『鬼滅の刃』の小説版としては、上述の通り第3弾が発売された矢島綾のものが既にありますが、あちらがオリジナルストーリーだったのに対して、本作は完全に原作そのままのノベライゼーション。。
 竈門家を襲った悲劇から炭治郎の修行、藤襲山での最終選抜、沼の鬼との戦い、鬼舞辻無惨や珠世との出会いから二人組の鬼との対決、鼓屋敷での戦いから那田蜘蛛山への出発まで――冒頭に述べたとおり、原作の第1巻から第4巻(第28話の途中)、アニメでいえば第14話までを、原作の台詞などをほとんど全く変えることなく収録しています。
(挿絵も原作漫画をページそのまま使用)

 その点だけみると、極端なことをいえば原作読者であれば本作を読む必要はないようにも感じられるかもしれません。
 しかし小学校の読書の時間に読んでもらうことや、アニメや漫画は触れさせてもらえないけれども小説であれば買ってもらえるという読者層を考えれば、なるほどこうした児童文庫レーベルの漫画ノベライゼーションにもしっかりした需要があるのでしょう。


 しかし、それでは原作既読者が単独で読んでみてつまらないかといえば、それはそういうわけでもなく、原作ダイジェストとしてはかなり良くできた部類と感じさせられます。
 本作の場合、ダイジェストとは言いつつも、はっきりと削られたエピソードはなく、省かれた描写は最小限。それでいて原作には明示されていない――けれども描写の裏に存在することは理解できる――心理描写などが追加されており、なかなか好感が持てます。
(ちなみに手鬼の「いまは明治何年だ?」の問いに対し、地の文で「明治は終わった――つい数年前に。」と書いているのが個人的に嬉しかったところでありますが、これはまあごく少数派)

 もちろんこれは、ノベライゼーションであれば当然の内容というべきかもしれませんが、ダイジェストの形で原作が完結したばかりの時期に物語の基点を振り返ってみるのも、なかなか感慨深いものがあります。


 もっとも、原作そのままの、作者独特の台詞回しが必ずしも小説に合っているかと言えば必ずしもそうではなく、炭治郎と初対面の時の義勇さんの怒鳴りの唐突さや、同じく初対面の善逸の言動の異常さは、やっぱり違和感を感じる――と思いましたが、これはこれである意味原作どおりなのかなあ。

 また、本作に収録された部分が(これはこれでキリはいいものの)アニメ版とずれがあるのが気になったところですが、これは分量的に第2巻にアニメの『無限列車編』までが収録されるのかもしれません。
 そう、このノベライゼーション版はこの7月中に第2巻が発売されるとのこと――本作の完成度を考えればこちらも期待できそうなところ、いずれ取り上げたいと考えているところです。


『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』(松田朱夏&吾峠呼世晴 集英社みらい文庫) Amazon


関連記事
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第1巻 残酷に挑む少年の刃
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第2巻 バディであり弱点であり戦う理由である者
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第3巻 ついに登場、初めての仲間……?
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第4巻 尖って歪んだ少年活劇
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第5巻 化け物か、生き物か
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第6巻 緊迫の裁判と、脱力の特訓と!?
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第7巻 走る密室の怪に挑む心の強さ
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第8巻 柱の強さ、人間の強さ
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第9巻 吉原に舞う鬼と神!(と三人組)
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第10巻 有情の忍、鬼に挑む!
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第11巻 遊郭編決着! その先の哀しみと優しさ
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第12巻 新章突入、刀鍛冶の里での出会い
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第13巻 物語を彩る二つのテクニック、そして明らかになる過去
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第14巻 死闘の中に浮かぶ柱二人の過去と現在
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第15巻 二つの勝利の鍵、そして柱稽古開幕!
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第16巻 哀しき巨人・岩柱の過去 そして最終決戦の幕上がる!
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第17巻 決戦無限城、続く因縁の対決
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第18巻 鬼の過去と、人の因縁と
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第19巻 人と人の絆の勝利 そして地獄の始まり
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第20巻 人間と鬼と――肉体と精神の二つの地獄絵図
 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第21巻 無惨復活、そして二人の「超人」の間の相違

 矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 しあわせの花』 鬼殺隊士たちの日常風景
 矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 片羽の蝶』 柱たちの素顔を掘り下げた短編集

|

2020.06.20

「コミック乱ツインズ」2020年7月号(その一)

 「コミック乱ツインズ」誌も、号数の上では早くも後半戦の7月号。表紙は『鬼役』、巻頭カラーは『勘定吟味役異聞』ですが――内容の方は、夏の激闘号とでも呼びたくなるような激しい戦いを描いた作品が多く並んでおります。今回も印象に残った作品を一作品ずつご紹介いたしましょう。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに余人を交えず決着の時を迎えた入江無手斎と浅山鬼伝斎。破れ寺を舞台に激しく切り結ぶ二人の勝負の行方は……
 と、物語的には二人がひたすら戦うのみというシンプルな今回。(無手斎の追想を除けば)登場人物もほとんど完全にこの二人のみという、ある意味異色の回なのですが――これが実に見事なのであります。

 巻頭カラーページの、落日を背に無手斎の前に立ちはだかる鬼伝斎という、一種荘厳さすら感じさせる画から一転、凄まじい迫力で襲いかかる鬼伝斎――という強烈な掴みから、時間を遡って当日朝の無手斎の死闘を前にしながらも恬然と日常を送る見事な挙措、そして決闘の場に至っての緊迫感溢れるにらみ合い(ここから冒頭の場面へ)という前半部分の丹念な構成にまず感心させられますが、ここから一気呵成の死闘がまた凄まじい。

 その一撃必殺ぶりが伝わってくるような鬼伝斎の豪剣の連続と、一瞬の隙をついての無手斎の反撃、そしてその合間の二人の思想と想念のぶつかり合い――圧巻と言うべきか、息つく暇もないというか、とにかく最強の剣士二人の決着回に相応しい壮絶な剣戟が、ここにはあります。
 この原作を漫画化した意味がここにある――とすら言いたくなる、素晴らしい回でした。いや凄いものを見ました。


『はんなり半次郎』(叶精作&篁千夏)
 狐狼狸(コレラ)の流行に対して、無病息災を祈る夜須礼祭に仮装で参加することとなった求善賈堂の面々と土方。歌舞伎役者の衣装を手がける職人に頼んだ装束を受け取りに向かった半次郎たちですが……

 冒頭、何故か全裸で眼病の手術を行う半次郎という謎のエピソードから始まった(と思ったら全裸に理屈付けがされていたのに吃驚)今回、どうなることやら――と思いきや、その後は半次郎や土方がちょっと目を疑うような凄い格好で暴れまわるというまさかのコスプレ回であります。
 シリアスな事態を前に、半次郎と土方がバラエティ番組なみの被りものをして、真剣な面持ちを見せる――という異次元空間にはもうどんな顔をすればよいのやら。ラストにはもう我々にはすっかりお馴染みのアレも登場して、時事ネタかつ何だかいい話に落とし込んでくるのもスゴいエピソードでした。


『いちげき』(松本次郎&永井義男)
 馴染みの女郎・ソノを自由にするために訪れた女郎屋で、宿敵・伊牟田と対峙することとなった丑五郎。もはや自分たちとソノ以外生あるものはいない女郎屋で、二人の最後の対決が始まることに……

 と、もはや自分の命(とソノ)以外失うものなどなくなった丑五郎と伊牟田の激突という、本作の最終章に相応しい殺伐極まりないシチュエーションで繰り広げられる今回。しかしこの明日なき決闘の前に、丑五郎が初めて伊牟田に自分たちの名――「いちげきひっさつたい」の名乗りを上げるのに泣かされます。
 そしてそれに対して、丑五郎たちの戦いを認め、正面から受けて立つ伊牟田も見事なのですが――そこから始まるマラソンバトルが、格好良さや冷静さとは無縁の、ひたすら泥臭い叩き潰しあいとなるのが、これまた実に本作らしいというほかありません。

 もはやなりふりかまわず、女郎屋を破壊しながら繰り広げられる死闘。その行きつく先は――まだまだ見えません。


 残りの作品は次回紹介いたします。


「コミック乱ツインズ」2020年7月号(リイド社) Amazon


関連記事
 「コミック乱ツインズ」2020年1月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年1月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年2月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2020年3月号
 「コミック乱ツインズ」2020年4月号
 「コミック乱ツインズ」2020年5月号
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2020年6月号(その二)

|

2020.06.16

皆川亮二『海王ダンテ』第10巻 アトランティス編開幕 ダンテのルーツ、モーセの過去

 大乱戦の果てにメジェド様まで大暴れしたエジプト編も完結し、この巻から新章に突入の『海王ダンテ』。新章の舞台はアトランティス――言うまでもなく大西洋に沈んだと言われる伝説の島ですが、本作のそれは、何と天空に浮かぶ超科学の島であります。そこでついに明かされるダンテのルーツとは……

 「構成」の書が超古代に作り出したエジプト地下の科学都市・冥界での激闘は決着したものの、その最中に、自分の名の由来が、魔導器を操る力を持つ種族・ドゥランテであると知ったダンテ。そして「構成」は、ダンテのルーツに繋がる場として、アトランティスの存在を告げるのでした。

 かくて、やはりアトランティスに向かうというナポリオを追うという名目で、仲間たちともにアトランティスの門が存在するというシナイ山に登ることとなったダンテ。
 ナポリオの空中戦艦に同乗してシナイ山上空を行くダンテたちは、突如天空に開いたゲートに飲み込まれ、そしてその先で彼らを待っていたのは、天空に浮かぶアトランティスだったのですが……


 というわけで、「海王」といいつつ、地底の次は天空と、こちらの予想を遥かに超える冒険の場を用意してくる本作。しかもこの巻では、ダンテの物語と平行して、もう一人の物語が描かれることとなります。
 その名はモーセ――この物語の三千年前、アトランティスに現れ、そしてかの地を滅亡寸前まで追い込んだ男。そして魔導器を自在に操る先代のドゥランテであります。

 その強靭――というより異常なまでの能力を持つ肉体は、人間と同じ姿を取りながらも、常人とは明らかに次元の違う存在。何しろ、常人には猛毒などというも愚かな放射性廃棄物を注入して、ようやく動きを止めることができるというレベルなのですから……
 そんな彼が何故天空のアトランティスに現れ、そして滅ぼそうとしたのか――徐々に明らかになっていくその物語こそは、ダンテの存在はもちろんのこと、本作の様々な謎に繋がるものとして、大いに興味をそそられるものがあります。

 ドゥランテとは何者であり、何を目的としているのか。魔導器や書とはどのような関係なのか。三千年前に何が起き、そして何よりも、ダンテとの関係は何なのか……
 その答えの全てがここで明らかになるわけではありませんが、しかしその一部とはいえ、ここで描かれるものは新たな真実の連続であり――これまでの物語の在り方が、全く変わって見えてくると言っても過言ではありません。

 正直なところ、そのインパクトの前では、ダンテがこの巻で繰り広げる冒険が――いやそれどころか、ダンテとナポリオの戦い(もはや完全に口が悪いだけでダンテの友達に戻ってるナポリオ)や、不死人コロンバスの野望といった、これまで物語の本筋であったものまでもが色あせてしまうようにすら思えるのです。


 しかしもちろん、そうであっても本作の主人公はダンテ――ドゥランテとしての肉体を持ちながらも、心はあくまでも人間、それも友と冒険を愛し、弱きものを慈しむ、本作において最も好ましく、魅力的な人間であります。
 この巻の結末で、ある意味最大の衝撃的な秘密が語られたダンテが、この先もそんな人間として生きていくことができるのか。そしてこの強烈な存在感と設定の強さを持つモーセに食われることなく、己を貫くことができるのか……

 いよいよ佳境に突入した物語が一体どこに向かうのか――次の巻の内容がそれを決めるのでしょう。それを確かめるのが、今から楽しみでなりません。


『海王ダンテ』第10巻(皆川亮二&泉福朗 小学館ゲッサン少年サンデーコミックス) Amazon

関連記事
 皆川亮二『海王ダンテ』第1巻 二人の少年が織りなす海洋伝奇活劇
 皆川亮二『海王ダンテ』第2巻 いよいよ始まる異境の大冒険
 皆川亮二『海王ダンテ』第3巻 植民地の過酷な現実と、人々の融和の姿と
 皆川亮二『海王ダンテ』第4巻 新章突入、新大陸で始まる三つ巴の戦い
 皆川亮二『海王ダンテ』第5巻 今明かされる二人のルーツ、そしてこれからの戦い
 皆川亮二『海王ダンテ』第6巻 オーストラリア編完結 動物軍団大暴走!
 皆川亮二『海王ダンテ』第7巻 大乱戦、エジプト地底の超科学都市!
 皆川亮二『海王ダンテ』第8巻 秘宝争奪戦! 四つ巴のキャラが見せる存在感
 皆川亮二『海王ダンテ』第9巻 驚異の乱入者!? エジプト編完結!

|

2020.05.31

宮本昌孝『武商諜人』(その三) まぼろしの作品に見る作者の歩み

 宮本昌孝の単行本未収録作品集の全作品紹介のラストは、江戸・明治・現代(!?)を舞台とした、いずれも趣向豊かな三つの作品を紹介いたします。

『金色の涙』
 ようやく子供が出来た知り合いと呑んだ帰りに、何者かに襲われた吉原者の銀次。その相手は、銀次が岡場所の取り締まりの際に捕らえ、余罪から流刑になったはずの女郎・千金と仲間たちでありました。
 何故千金が自分を狙ってきたのか調べ始めた銀次は、意外な事実を知ることに……

 ドラマ化もされた作者の長編『夏雲あがれ』のスピンオフである本作は、同作で青年武士たちを助けて活躍した吉原の好漢・銀次を主人公とした人情ものであります。
 吉原や岡場所といった世界を背景に展開していく物語が進んでいくにつれて明らかになっていくヒロインの真実。その辛くやるせない姿には胸が塞がる思いですが、無情に見えた物語が、結末において見せる一片の救いには、大きなカタルシスがあります。

 本作は色をモチーフとしたアンソロジー『COLORS』に収録された作品ですが、そのタイトル通りの涙が、結末においてある変化を見せる、「泣かせる」物語です。


『明治烈婦剣』
 戊辰戦争で剣豪だった父を失い、辛酸を舐めて育ったけい。華族を次々と失い最後に残った兄を三島通庸のボディーガード・ジェイク沢木に殺された彼女は、仇討ちのために撃剣興行の一座に転がり込み、剣の修行に励むことになります。
 修行を終え、師から与えられた名刀・軒柱を手に東京に出たけいは、師の師である榊原鍵吉のもとに身を寄せつつ、三島の身辺を探るのですが……

 名刀とも妖刀ともいうべき刀・軒柱が、鎌倉から昭和にかけて様々な人々の手を転々とする様を七人の作家が描いた『運命の剣 のきばしら』の明治編に当たる本作は、作者らしい凜然とした女性剣士の仇討ちを描く一編であります。
 戊辰戦争後の会津藩の人々を襲った苦難を背景とする本作は、仇討ちものであるだけに物語には重く辛い展開も少なくないのですが――捨てる神あれば拾う神あり、彼女に味方する人々の善意の存在が、それを上回る爽快な味わいを生み出しています。

 また、短編ながら歴史上の人物を数多く配置してみせる巧みさや、仇が労咳病みの無頼のガンマンという良い意味の過剰さも良いのですが、何よりも主人公の初恋の相手である「四郎」の使い方が見事。
 彼の正体は登場した場面で明白なのですが、その存在に頼ることなく、実に粋な形で(そして史実通りに!)物語をまとめてみせるのには脱帽です。エンターテイメントとしての完成度では、間違いなく本書一でしょう。


『まんぼの遺産』
 祖母の葬儀のために祖母の家に向かった作家の「僕」が、昔からあった黒い長櫃の中から見つけた古文書「御湯放記」。これを書いたのが公人朝夕人の土田氏でないかと推理した「僕」は、霊感のある大学の後輩とともに、文書の解読を始めるのですが……

 巻末に収録されているのは、本書の中でも最も古い1992年の作品――しかも舞台は基本的に現代、今でいうライトノベル誌である「グリフォン」に掲載されたという異色ずくめの作品です。
 祖先の家から見つけた古文書に驚くべき内容が――という導入部はある意味定番ではありますが、本作で描かれるのは、江戸時代のあまりに有名な事件のある真相。それがまた実に脱力ものなのですが――この辺りは作中でも言及される作者の『旗本花咲男』の流れでしょうか。

 実は本作の主人公「僕」は作者自身で、作中で自作や周囲の人間に言及されるというユニークな本作。作中で言及される「室町末期を舞台にした大長編」は、発表時期から見て間違いなく『剣豪将軍義輝』のことでしょう。
 作者が歴史時代小説家としての作者の出世作にして代表作の執筆と並行して、このようなユニークな事件に巻き込まれていた――あ、いや、ユニークな作品を発表していたというのは実に興味深いところであります。

 作者の歴史時代小説家としての歩みを一望の下にした本書の掉尾を飾るのに、相応しい作品であると感じます。


『武商諜人』(宮本昌孝 中公文庫) Amazon

|

2020.05.30

宮本昌孝『武商諜人』(その二) 戦国から江戸へ――バラエティー豊かな作品集

 宮本昌孝の単行本未収録作品を中心とした作品集の紹介、その二であります。今回も戦国時代の作品が中心ですが、江戸時代を舞台とした作品も登場することになります。

『恩讐の一弾』
 波多野氏を攻める明智光秀の暗殺に失敗して捕らえられながら、光秀に許された雑賀五郎兵衛。その際に行動を共にしながら一人逃げた竜野善太郎と、本能寺の変の直前に再会した五郎兵衛がとった行動とは……

 今なお様々に評価が分かれる明智光秀の姿を、一人の銃の名手の視点を通じて物語が本作であります。その光秀像は、ある意味定番と言うべき、戦国武将らしからぬ苦悩を抱えたものでありますが――五郎兵衛というフィルターを通すことにより、その光秀の姿に説得力を持たせることに成功していると感じます。

 狙撃手と忍者を中心とした物語だけに伝奇性も高い物語ですが、結末の寂寥感も印象に残ります。


『武商諜人』
 本能寺の変を舞台に、武・商・諜の三つで家康を支えた茶屋四郎次郎の姿を描くと同時に、『剣豪将軍義輝』外伝の趣もある表題作は、収録された『戦国秘史 歴史小説アンソロジー』を取り上げた際に紹介しておりますので、『戦国秘史 歴史小説アンソロジー』(その一) 戦国に生きる者たちを動かしたもの" target="_blank">そちらをご覧いただければと思います。


『龍吟の剣』
 本多忠勝の娘であり、家康から実の娘のように愛された稲姫。家康の養女として真田信幸に嫁いだ稲姫は、得意の笛に似せた懐剣を、輿入れの時に家康から渡されていたのですが……

 真田もののアンソロジーに収録された本作は、真田信之の正室であり、一部では鬼嫁などとも言われる稲姫を主人公とした作品。もちろん本作の稲姫は、いかにも作者らしい、人としての優しさと武門としての気丈さを兼ね備えた人物として描かれることは言うまでもありません。
 本作では関ヶ原前夜の犬伏の別れの後に、孫に会いに来た昌幸を追い払ったという有名なエピソードがクライマックスとなりますが、ここでの姿は、その本作ならではの稲姫像を最も良く表していると言えるでしょう。

 ちなみに貧相な風貌と評されたり疑い深かったり、幸村が一人で損な役回りなのですが、そういえば本書とほぼ同時期に文庫化された『武者始め』収録の『ぶさいく弁丸』でも幸村は醜男扱いでありました。


『秋篠新次郎』
 紀州藩で何者かに殺され、お家断絶となった下級藩士。しかしその友人である藩主の小姓・清水新次郎は、仇討ちを願い出ると、下手人と目される中間の軍蔵を探す旅に出るのでした。
 その旅の途中、軍蔵を追う謎の男たちの存在を知る新次郎。しかし軍蔵は見つからぬまま、江戸に腰を落ち着けた新次郎は、やがて吉原の遊女・秋篠との愛に溺れるようになるのですが……

 ここからは戦国時代以外を舞台とした作品となります。本作は一見単なる中間の主殺しに思えた事件が、徐々に不可解な側面を見せ、結末に至り巨大な真実へと繋がっていくという、ミステリタッチの物語であります。

 この物語を特にユニークなものとしているのは、冒頭で描かれる、主を守って追っ手から逃れる武士たちの姿。
 一見、本編とは全く関わりのないように見えるこの場面が、果たしてどのように物語に繋がるのか――という謎がクライマックスで明かされたかと思えば、さらにそこから意外な結末の一ひねりに繋がっていくのにも驚かされます。

 わかる人であればタイトルでわかるかもしれませんが、直木三十五の作品の題材ともなったある「史実」に繋がる趣向も見事です。


 次回でラストです。


『武商諜人』(宮本昌孝 中公文庫) Amazon

関連記事
 『戦国秘史 歴史小説アンソロジー』(その一) 戦国に生きる者たちを動かしたもの
 宮本昌孝『武者始め』 将の将たる者たちの第一歩

|

2020.05.29

宮本昌孝『武商諜人』(その一) 颯爽たる作者の単行本未収録短編集

 『剣豪将軍義輝』発表からほぼ四半世紀、希有壮大かつ爽快な歴史時代小説を次々発表してきた作者の、単行本未収録の短編9編と描き下ろし1編で構成された作品集であります。戦国時代を中心に、江戸、明治とバラエティに富んだ作品が収録された本書の収録作品を一作ずつ紹介していきましょう。

『幽鬼御所』
 北畠具教・具房親子に可愛がられながらも、織田信長に見初められ、三男信孝を生んだ佳乃。時は流れ、信長が北畠家を攻撃した際に、何とか北畠家を救うために佳乃は奔走するのですが――そして時は流れ、関ヶ原合戦の後に……

 巻頭に収められた作品は、本書のために書き下ろされた作品――賤ヶ岳の戦の後に非命に倒れた信孝の母・佳乃を中心に展開する物語であります。
 といっても、信孝の母は記録上は坂氏としか知られていない女性。それを本作は、若き日に北畠具教に恋し、自らも武芸を修めた(そしてそれがきっかけで信長と出会った)女性という、実に作者らしい造形で描きます。

 しかし本作は彼女を中心としつつも、一人の力では抗えない歴史の動きを描くことになります。そして果たして物語がどこに向かうのか、予想がつかぬままに読み進めてみれば、結末に描かれるのはなんと……
 正直なところ、あらすじを紹介するのが難しい物語ではあり、結末も感動と驚き(呆気にとられたと言うべきか)が入り交じった奇妙な後味なのですが――これはそういう意味であったか、と唸らされることは間違いありません。

 そして同時に、懸命に、誠実に生きた者が、どこかで必ず報われる(たとえそれが墓に手向けられた一輪の花であっても)という、実に作者らしい作品であると感じ入った次第です。


『戦国有情』
 桶狭間の戦で信長とともに先駆けし、武名を挙げた四人の赤母衣衆。しかしうち三人は古参の臣に讒言を受けて相手を討って逐電、徳川家に身を寄せるのですが……

 「歴史街道」掲載作のためか、分量的には掌編に近い本作。大きな武勲を残しながらも、運命の悪意に翻弄された若者たちの熱い友情を描く一編であります。
 しかし短くとも、史実にごく僅か残された記録から、そこに生きた者たちの姿を活写するという、見事に歴史小説としての魅力を持った物語です。

(それにしても前作も含め、作者の信長像は『ドナ・ビボラの爪』で描かれたそれが基調に感じられるところであります)


『不嫁菩薩』
 政略で婚約しながらも、幼い頃から強く惹かれ合ってきた信長の嫡男・信忠と信玄の娘・於松。戦国の流れに引き裂かれながらも、なおも純愛を貫いてきた二人ですが、ついに信忠は天目山で武田家を滅ぼすことに……

 戦国最大の悲恋といえば、まず筆頭に挙げられるであろう信忠と於松――戦国のロミオとジュリエットと言うべき二人を、於松の視点から描いたのが本作であります。

 幼い頃のたった一度の出会い(この一種伝奇的な出会いにおける因縁が、後々に影響するのがまた実に作者の作品らしい)を胸に、相手の愛を信じて生きながらも、時にそれを手放してまでも人としての信義を貫こうとする於松。
 その愚直なまでの姿は、もの悲しくはあるものの、同時に強く心を打つものであり――一歩間違えれば強烈な皮肉となりかねない結末の展開も、純愛と至誠を貫いた者の勝利として素直に感じられます。

 ちなみに本作、鬼武蔵として悪名を轟かす森長可が、それとは裏腹(?)の実に格好良い役どころを演じているのも印象に残ります。
(この森長可も含め、過去のある時点で出会った者たちの運命が、後に味方として、あるいは敵として絡み合うという作劇もまた、実に作者らしいと再確認しました)


 次回に続きます(全三回)。


『武商諜人』(宮本昌孝 中公文庫) Amazon

|

より以前の記事一覧