2024.09.25

大団円 紫式部が最後まで貫いたもの 森谷明子『源氏供養 草子地宇治十帖』

 長きに渡り描かれてきた、紫式部(香子)を主人公とした平安時代ミステリシリーズも、ついに本作で完結を迎えます。出家し、宇治の庵で一人静かに暮らす香子の周囲で起きる不審な出来事。その一方、遠く九州では異国の脅威が迫り……

 娘の賢子も立派に女房として独り立ちし、自分は出家して余生を送ることを決意した香子。宇治に庵を結び、穏やかな日々を送る香子ですが、源氏物語の続編を望む人々の声は絶えず、東宮位を返上した小一条院の妃・延子からも、続きを促す便りが届きます。

 そんな中、香子の元に常陸と名乗る婦人と、その娘・竹芝の君が訪れます。かつて延子の父・藤原顕光の召人であり、その際に竹芝の君を産んだ常陸は、行き場のない娘を庵に置いてもらえないかと頼みに来たのです。
 快く引き受けた香子ですが、その後、小一条院が宇治を訪れたのと時を同じくして、周囲に不穏な空気が漂います。

 香子の周囲で、猫や馬、さらには下人が、何者かによって毒を盛られる事件が発生。常陸から譲り受けた薬の成分に毒物が含まれていたことから、香子は自分の周囲に犯人がいるのではないかと疑い始めるのでした。

 一方、長年香子に仕え、現在は武士の夫と共に太宰府で暮らす阿手木の暮らしは、刀伊の突然の来襲によって平穏を破られることになります。海からの賊を相手に必死の戦いを繰り広げる武士たちですが、被害は広がるばかり。そんな中、阿手木は自分たちに仕える童の小仲の動きに不審を覚えるのですが……


 『千年の黙』『白の祝宴』『望月のあと』と、作者の作品では、これまで源氏物語や紫式部日記を題材に、紫式部の姿を濃厚なミステリ味と共に描いてきました。本作は残る宇治十帖を題材とした待望の続編にして完結編です。
 光源氏亡き後の世界を舞台に、彼の次の世代である薫と匂宮を中心に展開される宇治十帖。宇治に隠棲する香子がそれを描く中、事件に巻き込まれるというのが、今回の趣向となります。

 物語はその模様を、時に時系列を入れ替えつつ、香子だけでなく、彼女の死後の賢子、さらには藤原実資といった様々な人々の視点から描きます。
 それに加え、ほぼ同時期に遠く離れた九州で起きた、日本史上に残る大事件――いわゆる「刀伊の入寇」を、シリーズでもお馴染みの阿手木の視点で描くという、離れ業にも驚かされます。

 さらに、瑠璃姫やゆかりの君といった、これまでのシリーズで活躍した女性たちも登場するオールスターキャストの華やかさは、完結編にふさわしいものといえるでしょう。


 しかし本作の魅力は、そうしたイベント的な要素だけではありません。これまでの作品がそうであったように、本作もまた、ある視点が貫かれています。それは一人の女性からの視点――運命に傷つき、途方に暮れながらも、それでも何とか生きたいと願い、歩を進める女性からの視点が、本作の最大の魅力ではないでしょうか。

 貴族という一見恵まれた立場に生まれても、家のために、そして自分が生きていくために結婚しなければならない。それでも相手の男にとって自分は唯一の女性ではなく、それを当然のこととして受け入れなければならない。
 そして時には、わずかに残された自分の意思など問題にもしない巨大な力に翻弄されることもある……

 そんな過酷な運命を背負わされた女性たち。本シリーズは、そんな女性たちの姿を描くだけではなく、物語が彼女たちを救う姿をも同時に描いてきました。そしてそれは本作においても変わることはありません。
 宇治で起きる謎めいた事件と、源氏物語――並行して進行する「現実」と「虚構」が交錯し、絡み合った時に生まれる救いの姿。そこには、本作ならではの感動があるのです。


 正直なところ、物語の複雑な構成や、シリーズ読者(そしてこの時代に一定の知識を持った読者)を前提とした人物配置など、無条件に評価しにくい点があることは否めません。

 それでも本作は、これまで作中で描かれてきたテーマを最後まで貫き――そして同時に「源氏物語」成立にまつわる謎をも描ききってみせました。最後の最後に、源氏物語とは縁の深い(そして物語の継承の象徴ともいうべき)あの人物が登場するのも楽しく、大団円という言葉が相応しい作品であることは間違いありません。


『源氏供養 草子地宇治十帖』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon


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2024.09.23

長徳の変・酒呑童子・刀伊の入寇を結びつける者 町井登志夫 『枕爭子 突撃清少納言』

 『諸葛孔明対卑弥呼』『爆撃聖徳太子』など、歴史小説では斬新な視点から史実に大穴を開けてきた作者。その最新作は、清少納言と長徳の変、そして酒呑童子と刀伊の入寇という、一見まるで無関係に見える要素を結びつけ、壮大な物語を展開する、またもや途方もない作品です。

 兄・伊周にそそのかされ、花山法皇に矢を射た藤原隆家。この事件に乗じて動いた藤原道長により、伊周は臣下の身にありながら大元帥法を行ったと濡れ衣を着せられ、中央から排斥されることになります。
 一方、大陸では遼に押される女真族の長が、娘のリルにある秘命を託し、日本に送り出します。日本と女真の運命を左右する秘命を……

 そして、出会うはずのない男女が出会ったことにより、歴史は大きく動き出します。大江山に棲み着き、京を脅かす異族を、一度は退けた藤原保昌と源頼光。しかし遠く海の向こうに追い払ったはずの異族は、新たな力を得て再び日本に迫ります。
 大宰府を襲った異族に立ち向かうのは、異族の長とは奇怪な因縁で結ばれた藤原隆家。そして一連の事件の中で、清少納言は如何なる役割を果たすのか!?


 長徳の変、酒呑童子、刀伊の入寇――この三つを結びつけ、一つの巨大な物語を作り上げてみせた本作。
 同じ平安時代中期とはいえ、時間的には若干ずれている出来事を結びつけるという、ほとんど三題噺のような趣向ですが、この三つを結びつける(というか、この三つに首を突っ込む)のが清少納言とまでくれば、もはや脱帽。

 なるほど、清少納言は隆家の姉・定子に仕えていたので長德の変はいいとして、後の二つは!? となりますが――当代随一の知識人にして(本作では)とてつもないバイタリティの持ち主だから、と断言されては、もう納得するほかありません。

 とはいえ、描かれる出来事の大半について、実際には清少納言も同時代人以上の繋がりがないため、伝奇ものとして見ても、説得力という点では、作者の過去の作品に比べるとかなり苦しいものがあることは否めません。
 それでも、この国の歴史を日本という「場所」のみに留めず、海の向こうとの関わりを含めて描く視点が変わらないのは、嬉しく感じられます。


 しかしそうした点はあるものの、「鬼」を(たとえ国内の人間にも責任はあるとはいえ)住む土地を失って海を渡って日本に住み着き、そこから日本を侵略しようとする存在と描く設定には、すっきりしないものを感じます。
 いや、それだけであればともかく、その「鬼」たちと日本人の間に生まれた子供たちが行き場をなくし、テロリスト的な存在と化したのに対して、日本側の登場人物が「郷に入っては郷に従えばよかったのに」的な言葉をかけるのは、相当にグロテスクなのではないでしょうか。

 本作の清少納言は、先に述べたように突飛なキャラクターではあるものの、「戦う男」――つまり戦いに逸り、戦いのみを解決手段とする男性に対して、文化を通じて他者と接する女性として描かれていると感じます。
 その点は興味深いのですが、しかしその文化の扱いについて、もう少し書き方があったのではないか――そう感じます。

 もちろん、守るべき土地や守るべき文化があるという大前提は理解できるものの、いまご時世に、この設定をあまり無邪気に楽しんではいられなかった、というのが正直なところではあります。


『枕爭子 突撃清少納言』(町井登志夫 祥伝社文庫) Amazon

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2024.09.22

ついに対面、やさぐれワトソンと詐欺師ホームズ!? 松原利光&青崎有吾『ガス灯野良犬探偵団』第4巻 

 ホームズといえば――というわけで、ついに登場したジョン・H・ワトソン。しかし本作らしく、彼も一筋縄ではいかない性格で、早速ホームズと早速衝突する一方で、二人は思わぬ事件に巻き込まれることになります。その頃、リューイたちは浮浪児たちの間に起きたある変化に気付くのですが――果たして両者を結ぶものとは?

 ある日、共通の知人の紹介でホームズの前に現れた曰くありげな男。彼を一瞥しただけで、戦場帰りの軍医と見抜いたホームズですが、彼はそんなホームズの言葉を信じようとせず……
 と、前巻のラストでついに登場したワトソン。ホームズが初対面でアフガニスタン云々と指摘するのはホームズ譚のお約束(?)ですが、ホームズが自分のことを当てたのは、何かのペテンだと決めてかかるワトソンというのは、本作らしい斬新な味付けでしょう

 そんなこんなでホームズのことを詐欺師だと見なしつつ道案内を頼んだワトソンですが、その途中で二人はレストレードと出会います。女性の親指だけが路上で見つかったという彼の言葉から、たちどころに真相を見抜くホームズですが、その内容を聞いたワトソンは血相を変えます。実は、彼が道案内を頼んだ理由とは、そこである女性を訪ねるためだったのですから。

 一方、リューイたちは、ベイカー街の浮浪児たちが急に羽振りが良くなったことに気付きます。その原因が、パディントン駅の裏に現れて銀貨を配る「お金配りおじさん」だと知るリューイですが、彼はすぐにその銀貨に隠された秘密に気付くのでした。

 路上の女性の親指と、お金配りおじさん。一見無関係な両者は、やがて思わぬ形で結び付くことになります。そしてその中で、リューイは一つの選択を迫られることに……


 ホームズ譚でありながら、これまでワトソンが不在だった本作に、ついに登場したかの人物。しかし、従来ワトソンは良識的な紳士のイメージが強かったのに対し、本作の彼は、戦場帰りのちょっと荒っぽい、やさぐれ気味の男というのがユニークです。
 しかしやさぐれていても心は紳士、そもそも彼がベイカー街を訪れたのは、戦友の遺志のためで――と、そんな彼のキャラクターが、事件に巻き込まれる理由になっているのも巧みです。
(巧みといえば、ここで原典のあの事件を使うか!? というの趣向にも感心)

 そして本作の特徴であり魅力であるリューイとホームズの二重推理も健在ですが、それ以上に目を惹くのは、リューイがある選択を迫られるくだりでしょう。
 事件の真相を暴けば、いま浮浪児たちが得ている幸せが失われてしまう。しかし黙っていれば、人の命が失われてしまう――その間で悩むリューイと、彼に対して一つの問を投げかけるホームズの姿には、物語が始まった時には想像もつかなかった、ある種の絆が感じられます。
(エピソードの中で、本作で出るとは思えなかった原典の台詞が、少し形を変えて引用されかけるのも嬉しい!)

 正直なところ、仲間たちに加えて、ワトソンまでが登場するとなると、必然的にリューイの存在感が薄れてしまうことになりかねません。しかし、作中でジエンが語るように、リューイはこの物語において「道を選ぶ」という重要な役割を担っているのでしょう。
 そして紆余曲折を経て、めでたく(?)同居に至ったホームズとワトソンですが、何やらワトソンには明かせぬ秘密がある様子。この先、それが明かされた時でも、リューイが大きな役割を果たすのではないか――そう感じます。
(といいつつ、今回のエピソードは、ラストまでワトソンが完全に攫っていった感は強いのですが)


 さて、アビーとハドソン夫人の色々温まる単発エピソードに続いて描かれるのは、既に死亡推定時刻を過ぎた時間に、被害者と出会った人間がいるという、奇怪な首なし殺人事件であります。
 事件の奇怪さもさることながら、「えっ、ここで出すの!?」と言いたくなる被害者の名前や、ここに来て再び物語に絡むジエンが所属していた中国マフィアの存在が、否応なしに不穏さを高めます。

 そしてラストには、ついにあの人物の名前が――というところで次巻に続く物語。今のところ必然的にジエンが物語の中心となっており、またもやリューイの出番が少ないのが気になりますが、最後に決めてくれるのは彼だと信じて、次巻を待ちましょう。


『ガス灯野良犬探偵団』第4巻(松原利光&青崎有吾 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

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2024.09.19

兇賊ジゴマに挑んだ女性文学者が切り開いた道 三上幸四郎『蒼天の鳥』

 第69回江戸川乱歩賞受賞作は、大正末期の鳥取を舞台に、実在の作家と虚構の兇賊が交錯する物語――娘とともに『兇賊ジゴマ』の活動写真を観に行った先で、そのジゴマに男が刺殺される現場を目撃してしまった女流作家が、その後も自分の周囲に出没するジゴマの影に挑むことになります。

 女性の地位向上を目指し、「新しい女」の潮流を訴える作家・田中古代子。作品が中央文壇に認められたことを契機に、彼女は本格的に作家活動を行うため、娘の千鳥と内縁の夫・涌島とともに、故郷の鳥取県気高郡浜村から東京への移住を計画していました。
 そんな折、かつて一世を風靡した活動写真『兇賊ジゴマ』が鳥取で上映されると知り、古代子は娘を連れて出掛けていきます。

 ところが、上映中に館内で火事が発生、取り残された古代子と千鳥が目撃したのは、舞台上に立つ「ジゴマ」の姿――そしてそのジゴマは、館内にいた男を刺殺したではありませんか。
 自分たちにも襲いかかってきたジゴマを無我夢中で退け、浜村まで逃げ帰った二人。しかしその後、その周囲には謎の男たちが出没するようになります。

 そして再び姿を現す「ジゴマ」と、さらなる殺人事件の発生。古代子は否応なく一連の謎に立ち向かわざるを得なくなるのですが……


 日本では明治末期に公開され、大ブームを巻き起こした『ジゴマ』。変装の名人である悪漢・ジゴマを主人公にしたこの作品は、ある意味本国フランス以上の人気を誇った末に、公序良俗に反するという理由で、国から上映禁止とされました。
 それから十年以上を経た大正末期を舞台とする本作は、その「ジゴマ」が現実世界に飛び出し、さらに主人公・古代子と娘を襲うという、何とも不可解かつ魅力的な謎に始まる物語です。

 しかし「ジゴマ」が現実に現れたという最大の謎は脇に置くとしても、そもそも何故ジゴマは鳥取の中心からは離れた小さな村に現れるのか。いや、何故ジゴマは古代子がこの町に住んでいることを知っていたのか? その不気味さが、古代子を追い詰め、苦しめることになります。

 幸い、古代子は決して孤独ではありません。社会運動家であり警察や特高にも屈せず活躍してきた夫・涌島や、作風は違えど自分と同じ女性文学者で親友の尾崎翠、さらには故郷の幼馴染たちが、彼女を支えてくれます。何より、まだ幼いながらも文学の才能を見せる千鳥を守りたいという想いが、彼女に力を与えるのです。

 そして涌島の活躍もあり、徐々に明らかになる「ジゴマ」一味の正体と、その恐るべき陰謀。その一味を一網打尽にするため、古代子も立ち上がります。彼女らしく、そして彼女でなければできない形で……

 間違いなく本作のクライマックスであるこの場面は、シチュエーションの巧みさもあって大いに盛り上がりますが、しかし何よりも胸を打つのは、そこで語られる古代子の想いと覚悟であることは間違いありません。

 現代よりもはるかに強く、女性に対する偏見と差別が横行していたこの時代に、女性のために立ち上がった古代子。そんな彼女が、自分の前に立ちふさがる怪人の理不尽な脅威に対して、女性として――そしてもう一人の「怪人」として挑む。その姿は、いささかストレート過ぎるきらいはあるものの、しかし強く胸を打つものであることは間違いありません。


 と、ここで恥を忍んで白状しますと、私は古代子の史実について全く知らなかった――というよりも(一体どこを見ていたのか)古代子や千鳥、涌島や翠が実在の人物であることに気付きませんでした。
 その彼女たちの事績を知っていれば、物語はさらにドラマチックに感じられたのかもしれません。しかし、いささか言い訳めきますが、それを知らなかったからこそ、物語の結末に記された、彼女たちのその後の姿が、より鮮烈に心に残ります。

 あるいは、彼女たちは一種の時代の徒花であったようにも感じられるかもしれません。しかし、彼女たちが切り開いた道の先に今がある――本作はその一つの象徴である、というのは贔屓の引き倒しかもしれません。
 それでも本作が、この時代に彼女たちが確かに生きた事実を、虚構を通じて描いてみせた物語――ミステリにして歴史小説の佳品であることは間違いないと感じるのです。


『蒼天の鳥』(三上幸四郎 講談社) Amazon

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2024.09.11

激突、バグ対王道! 松井優征『逃げ上手の若君』第17巻

 単行本の中扉にて懐かしい姿で宣伝されているとおり、アニメも好評放送中の『逃げ上手の若君』ですが、単行本の方では、青野原の戦いがクライマックスを迎えます。数々の強敵を退けたはずが、その先に待ち受けていたとんでもない怪物・土岐頼遠。しかし、その先にもさらなる強敵たちが……

 北畠顕家の下で足利勢との戦いを再開し、見事鎌倉を奪還し、その勢いのまま西進する時行と逃者党。顕家の、そしてその下の奥州武士たちの一筋縄ではいかない個性に振り回されつつも、時行は彼らの人となりを知り、交流を深めていきます。
 そして迎えた青野原の戦いでは、時行と弧次郎が、それぞれかつての宿敵を打ち破り、「一人前」を勝ち取ったのですが――しかし顕家の本隊が、怪物によって壊滅寸前に!

 というところで登場したのは、原作(?)である太平記でその異常な強さを誇った土岐頼遠。本作における頼遠は、部下たちを人間とも思わず、部下たちもそれを当然と受け容れてしまう、「バグ」とまで公式に評されるほどの怪物です。
 部下たちを炸裂弾のように無造作に顕家たちの陣に放り込み、周囲ごと爆散させるという異常な戦法で、圧倒的な戦力差をものともしない頼遠に、あの顕家があわやのところまで追い詰められることに……

 というわけで、これまでにもさまざまな怪物や変態が登場してきた本作の中でも、「一体どうすれば倒せるんだこんなの……」感溢れる怪物・頼遠。これまであれほど頼もしかった奥州勢でさえ押される一方、時行と逃者党も苦戦を強いられるばかりですが――しかし、それで終わるわけはありません。
 今や軍師役を務める雫の策によって、時行たちが彼ららしい形で揺さぶりをかけ、奥州武士たちも反撃開始。そしてそこから顕家が、実に彼らしい大晦日感溢れるド派手な形で(ここで顕家に関するある史実を連想させるのが心憎い!)決めてみせる――痛快とも見事ともいうほかありません。

 そしてそこに現れているのは、頼遠はもちろん、尊氏らとも全く異なる顕家のスタイルであり、理想にほかなりません。「公武合体」「祭り」――二つのキーワードで示されるそれは、まさに本作の顕家ならではのものであり、時行がその下で戦うに相応しい存在だと感じられます。

 頼遠のバグっぷりで戦慄させつつも、終わってみれば顕家たちがある意味正当派の戦い方で勝利した上に、自分たちのあるべき姿を見せた、まさに王道の戦いであったというべきでしょうか。


 しかしもちろん、顕家と足利勢の戦いは続きます。続いてついに姿を現すのは、高師直――太平記でも最大のヒールという印象がありますが、本作でも合理性の権化として、頼遠とは別の意味で、人を人とも思わぬ彼が、ついに動き出します。
 そしてその先陣を切るのは高師冬――仮面をつけてはいるものの、バレバレなその正体は、かつては時行の師であり、郎党であったあの男であります。

 正直なところ郎党時代の彼には、強いは強いけれども、どこか歯がゆい印象もありましたが、しかしその軛が外れた姿は実に強力。味方時代にもっと早くその力を発揮しろよ! と言いたくなるその姿には、ある意味大いに盛り上がるといってよいでしょうか。

 そしてその強豪ぶりが、歴史上諸説ある顕家軍の進路決定に繋がるという展開も、実に面白いのですが――考えさせられるのは、なぜわざわざ、師冬の正体に、このような大きなアレンジを加えたかです。その理由は必ずあるはずですが、今はまだ見えないそれを、楽しみに待ちたいと思います。


 そして、何だか妖しい感じがなきにしもあらずな顕家の時行への妙な優しさや、ある意味完全に少年漫画の域を超えてしまった夏の裏切り騒動を経て、再び師直軍と対峙する顕家たち。
 しかし増援として加わった部隊はむしろ足を引っ張るばかりで、悪い予感ばかりが募ります。そしてそれが早くも当たり、ここであまりにも突然の犠牲が――と思いきや、さらに突然に明かされるある真実が!

 さすがにいくらなんでもちょっと突拍子もなさすぎるのでは、と思いつつ、さてそれをどう料理してみせるのか、早くも次巻が楽しみです。


『逃げ上手の若君』第17巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2024.08.31

鶴姫亡き後の鶴姫伝説の開幕 杜野亜希『碧のミレニアム』第1巻

 戦国時代の瀬戸内海で姫武将として活躍したといわれる鶴姫。本作はその鶴姫伝説をベースとしつつ、大きく捻りを加えて描く、ロマンス色濃厚な歴史漫画です。現代から戦国時代にタイムスリップしてしまった女子高生・千波と新任教師・峰岸。そこで村上武吉と出会った二人の運命は……

 2000年の大三島に暮らす女子高生・三島千波には、奇妙な過去がありました。12年前、ボートの転覆事故で奇跡的に助かった――いや息を吹き返した彼女は、手の中に覚えのない、鳴らない鈴を握りしめていたのです。

 心ない周囲からは死にぞこないと呼ばれ、自身も無気力に生きていた千波ですが、ある日学校にやって来た新任教師・峰岸が自分と同じ鈴を持っていたことで、彼に興味を惹かれます。
 しかし5年より前の記憶がなく、それどころか本当の峰岸を殺して成り代わっている疑いをかけられた峰岸。彼が警察に連行されようとしたのを千波が庇った拍子に、二人は崖から落ちるのですが――その時、鳴らない鈴が鳴り、なんと二人は戦国時代の大三島にタイムスリップしてしまったのです。

 そこで旅の里神楽の一座に拾われ、共に三島村上水軍の一つ・能島の村上義益のもとに滞在することになった二人。しかし実は里神楽の一座は、義益に一族を殺され、復讐を誓う村上武吉一党の仮の姿だったのです。
 武吉の義益襲撃に巻き込まれ、幾度も危うい目に遭う千波。自分の目的のためには手段を選ばない武吉に反発する千波ですが、武吉も自分たちと同じ鈴を持ち、そしてそれが鶴姫から与えられたものだと知ることに……


 戦国時代の瀬戸内海は大三島を治める大山祇神社の大祝の家に生まれ、大内家の侵攻に対して、兄たちに代わり陣頭に立って戦ったという鶴姫。その戦いでは三度に渡り大内軍を押し戻したものの、乱戦の中で恋人を失い、悲嘆の末に入水したというドラマチックな伝説を持つ女性です。

 当然と言うべきか、彼女の存在はフィクションでも様々な形で取り上げられていますが――最近でも私が文庫解説を担当させていただいた赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』といった作品があります――本作はそんな鶴姫伝説をベースとした中でも、一ひねりも二ひねりも加えたユニークなスタンスの作品です。
 というのも、本作の舞台は天文十八年――鶴姫が大内軍を撃退してから六年後、言い換えれば鶴姫が亡くなってから六年後の物語なのです。

 鶴姫を題材としながらも鶴姫がいない、というのはなんとも意外ですが、しかし本作の世界において、彼女は今なお大きな存在感を持って描かれます。
 この第一巻に登場する武吉や小早川隆景(!)が幼い頃に出会って強い憧れを感じた存在であり、そして瀬戸内の人々にとっては、大内軍との戦いの中で海に消え、金色の龍になって天に帰っていった伝説の存在として……

 その後の年月に、大内家の支配と不作に喘ぐ瀬戸内の人々にとって、一種の救世主のような存在として崇敬の対象となっている鶴姫。
 そんな状況に突然現代から放り込まれた千波は、髪を金色に染めていたことから、上述の金の龍――鶴姫の再来として見なされるというのも、面白い展開です。

 しかしそれ以上に本作で大きな意味を持つのが、鶴姫縁だという「鳴らない鈴」の存在であることは間違いありません。
 強い意志の力を持つ者、自分の目的を持ちそれを自分の力で達成しようとする者だけが鳴らせるという鈴――今のところ正体不明のその力もさることながら、その鈴を何故現代人の千波と峯岸が持っていたのか、それは大きな謎というほかありません。


 そしてそんな謎もある一方で、三島村上水軍の内訌と、武吉の仇討ちという歴史ものとしての要素が、もう一つ大きな要素として描かれているのも目を引きます。
 それは、かつての誇りを喪い、舟働き(海賊行為)をするほかなくなってしまった三島水軍をいかに甦らせるか、というさらなる難題へと繋がっていくのですが――今はまだ、仇討ちにのみ因われている武吉が、水軍の長としての自覚を持つことができるのか、というドラマに繋がっていくことになります。


 鶴姫がもたらす謎と、三島水軍の再興と――その二つの柱がこの先どこに向かうのか、続きはまたいずれご紹介いたします。


『碧のミレニアム』第1巻(杜野亜希 白泉社はなとゆめコミックス) Amazon

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2024.08.13

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2024年9月号の紹介の後半です。

『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)
 今年の5月号に掲載された碧也ぴんくの猫漫画が嬉しいことに続編登場――江戸の猫絵師といえば今でも知らぬ人のいない歌川国芳を主人公に、猫好き悲喜こもごもが今回も描かれます。

 前回国芳の家にやってきたメス猫のおこま。しかしおこまはどうしても畳一畳の距離を国芳と置いて、なかなか近くで絵に描けない状態(冷静に考えると絵を描くのが前提な時点で既におかしい)なのが悩みの種です。
 しかもおこまは女房のおせいには猫吸いすらさせると知った国芳は、何とかおこまとお近づきになろうとするのですが……

 と、猫飼いの夢にして醍醐味・猫吸いが一つのフックとなっている今回。実際にやってみるとそこまで楽しくなかったりするのですが――しかしそれも一つのネタとしてきっちり描かれているのが楽しい――猫に好かれようとして逆に引かれるというのは、おそらく古今東西の猫好きの共通の悩みであって、思わずあるあると頷いてしまいます。
 そしてラストの国芳の決断(?)もまた……

 主人公とその周りが基本的に野郎どもなのでゴツめのキャラが多い一方で、いかにも美猫のおこまのビジュアル、そして仕草も可愛らしく(その一方でゴツ猫のトラも、また滅茶苦茶猫らしい……)、猫好きには何とも楽しい一編です。

(しかし途中で登場する国芳の弟子で美男の「雪」は、やはり美男で知られた国雪なのでしょうね)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ついに蒙古兵が城内になだれ込み、いよいよクライマックスという感じになってきた本作ですが、前回ブブがオッド姫に語った、ラジンが姉の仇という言葉の意味の一端が、ついに明かされることになります。

 姉が「あるもの」に取り憑かれたことをきっかけに、母と姉とともに放浪を余儀なくされたブブ。しかしその最中にラジンの父・フレグ麾下の蒙古軍に襲われ、ブブの姉は連れ去られて――と、以前突然登場して???となった「あるもの」が、ここで物語に繋がるのか!? と大いに驚かされること請け合いであります。
 しかし今回は全てが語られたわけではなく、ブブの父についても意味深に語られていることを考えると、この辺りはこの先まだまだ絡んでくることになるのでしょう。

 そして後半、物語の舞台はオッド姫が避難した地下街に移るのですが――ここでまたジファルが登場したことで、物語はややこしい方向に転がっていきそうです。


『カムヤライド』(久正人)
 オトタチバナの犠牲(?)で大怪獣フトタマは倒したものの、すっかり忘れられかけていたモンコ。カムヤライドへの変身時にウズメに絡みつかれ、動きを封じられたモンコですが、しかし驚いているのはむしろウズメの方で――という引きから続く今回は、モンコの体の秘密(?)から始まります。

 そもそも、ヒーロー時の変身時を狙うというのは一種の定番ですが、土からできているカムヤライドスーツに対して、土属性の(そして能力を全開にした)ウズメが一体化して――というその変身阻止ロジックが実に作者らしく面白い。しかしそれだけではなく、一体化できちゃったのはスーツだけではなかった!? という展開が巧みです。
 さらにそこから、変身阻止パターンがヒーロー洗脳パターンに繋がっていく――そしてそれが対「神」兵器である神薙剣攻略法となるという、流れるように全てが繋がっていく展開には、気持ちよさすら感じます。

 かくて始まったカムヤライドvs神薙剣のヒーロー対決ですが、操られながらも抵抗してみせるのもヒーローの美学。(一転してマスコットキャラみたいになった)オトタチバナの信頼がその引き金になるというのがまた泣かせますが、本当に泣かせるのはそこからです。
 図らずもこの物語の始まりとなった、開ける者・閉じる者・奪った者の出会いが再び――なるほど、この顔ぶれは! と唸るひまもあらばこそ、畳み掛けるような演出の先に待つものは……

 いやはや、こちらも泣くほかない感動の場面なのですが、次回からwebに移籍というのはちょっと涙が引っ込みました。本誌の楽しみの一つが……


 そんなわけでちょっぴり凹んでいますが、次号は『前巷説百物語』と『そば屋 幻庵』が復活とのことです。


「コミック乱ツインズ」2024年9月号(リイド社) Amazon


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2024.08.12

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その一)

 今月の「コミック乱ツインズ」誌は、表紙が『鬼役』、巻頭カラーは単行本第一巻発売記念の『口八丁堀』。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 というわけで巻頭カラーは、単行本第一巻が発売、そしてシリーズ連載化記念で三ヶ月連続掲載の二回目となる本作。前回は非常にシリアス&言の刃仕合なしというちょっと異例の内容でしたが、今回は本作らしいユニークな形で言の刃仕合が繰り広げられます。

 まだ幼く、わがまま放題で周囲を振り回す北町奉行の若君と、その学問指南役として手を焼く内与力の伊勢小路。ある日、ついに若君に手を上げかけた伊勢小路ですが、運悪くそこを厳罰主義の吟味役与力・玄蕃に目撃され、主人への反逆としてあげつらわれることになります。
 そこに居合わせた例繰方与力・瀬戸の命で調べに当たった平津は、あくまでも厳罰を主張する玄蕃に対して、言の刃仕合を挑むことに……

 と、本来でいえば犯罪ともいえない出来事ながら、江戸時代の法理論でいえば重罪になってしまうという、実に本作らしい内容を扱ったエピソードである今回。厳罰主義という正反対の立場の玄蕃に対する、平津の反撃も見事なのですが――それだけで終わらず、そこから先の腹芸と、もう一つの芸が炸裂するオチも実にユニークでした。
(いや、突然飛び出したなこの技!? とか言わない)

 しかし本編には全く関係ありませんが、今回の『江戸の不倫は死の香り』、平津の裁きが見たかったな……


『不便ですてきな江戸の町』(はしもとみつお&永井義男)
 すっかり江戸の暮らしにも慣れ、およう(江戸時代人)のおようともよろしくやっている現代人の鳥辺。しかしもう一人、全く別の意味で江戸の暮らしに慣れてしまった奴が――というわけで、今月は久々に現代からやってきた犯罪者・佐藤の再登場編にして完結編。
 現代から偶然「穴」を通って江戸時代に来たものの、過去の時代に来たことが馴染めず、周囲の人間は全てもう死んだ人間=ゾンビと思うことで精神のバランスを取っていた佐藤ですが、それが行き過ぎて完全に凶賊に成り果てて――と、過去の時代に行った人間が、テクノロジーの力で暴君然として振る舞う物語は様々あるように思いますが、過去の人間を人間と思わない精神性の点で暴走するというのは、なかなか面白い視点だったと思います。

 しかし現代に帰ろうとする(それが金を使うため、というのがまた厭にリアル)佐藤は、おようを人質にして島辺を誘き出して――とまあ、この先の展開は予想通りではありますが、結局物を言うのは未来(現代)の科学とフィジカルの強さという、身も蓋もなさは、本作らしいといえばらしい気もいたします。


『風雲ピヨもっこす』(森本サンゴ)
 今日も今日とて京でゴロゴロしているピヨもっこす。そこにやってきたいとこは、肥後の漢たるもの稚児くらい持っているべき! と無茶苦茶な理屈で、雪乃丞という美少年をあてがってきて――と何だかスゴいことになった今回。
 「稚児? 男の彼女か」という直球過ぎる台詞にもひっくり返りますが、ここまで稚児ネタを投入できるのは、ギャグ漫画で、しかも動物擬人化ものだから――というべきでしょうか。
(稚児といえばやはり薩摩ですが、西国の肥後熊本も結構――だったかと思います)

 とはいえ、クライマックスの展開はなるほど女性キャラではできないこともないですが(ピヨもっこすの母がいるし!)、男性の方が自然といえなくもないわけで――と真面目に考えるのもなんですが、色々と心乱される回だったことは間違いありません。

 そして、わざわざ巻頭のハシラに、一回休みと書かれる母……


 残りの作品はまた次回紹介いたします。


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2024.07.17

「コミック乱ツインズ」2024年8月号

 今月の「コミック乱ツインズ」は、表紙が『鬼役』、巻頭カラーが『江戸の不倫は死の香り』。いつもよりもページ数が少ないですが、今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 インド墨家の策により父からの攻撃中止命令が出たのも無視して、ビジャ総攻撃を続行するラジンに、ものすごい勢いでブブが矢を放って――という場面から始まった今回、あまりの弓勢にさしものラジンも焦りを隠せないところに、ブブはさらに矢を放ちます。
 これまでいかなる時も冷静沈着だった彼が、(ほとんど無言ながら)ここまで感情を示したことはなかったように思いますが――ブブはここで初めてオッド姫にある因縁を語ります。なるほど、ここでジファルの過去話の描写と関わるのか、と納得です。
(敵の攻勢に対して、後ろに下がることを拒否したオッドが、これを聞いてブブに従うのもイイ)

 しかし戦況は決して思わしいものではありません。限られた数とはいえ、既に城内には蒙古兵が突入した状況で、何が起こるかわかりませんが――ある意味墨攻的にはここからが本番であります。


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 頻度が結構高い特別読切から、ついにシリーズ連載となった本作、今号から三回連続掲載ですが――その初回は、与力たちの会話を通じて、内之介の御仕置案が軽め、特に死罪を避けようとする理由が描かれます。

 かつて見習い時代に幼馴染と結ばれ、待望の一子が生まれた内之介。しかしその直後に起きた惨劇が、彼の全てを変えることになって――と、これはもしかして『江戸の不倫は死の香り』案件かと思えば、それがさらなる悲劇を呼ぶのに驚かされる今回。なるほど前回、子殺しの犯人に怒りを燃やし、そして子供らしき墓に語りかけている内之介の姿が描かれましたが、こう繋がるか、と納得です。

 しかし今回、これまでのように言葉で切り結ぶ場面はなく、ひたすらシリアスな(悪くいえば普通の時代もの的な)展開で終始してしまったのは痛し痒しの印象。特にいまSNSで初期の回を宣伝しているのを見るに、仕方ないとはいえ、シリーズ連載の初回にこの内容は勿体無いな、とは感じたところです。


『古怪蒐むる人』(柴田真秋)
 幕府の役人・喜多村一心を狂言回しとした怪異譚、シリーズ連載の第二話は「龍馬石」。知人から屋敷に招かれた喜多村が見せられた、龍馬石なる目のような黒い部分がある石――その石が屋敷に来て以来、水に関する怪異が次々と起こるというではありませんか。
 対処を相談された喜多村は、「目」が動くのを見て、一計を案じるのですが……

 第一話では旅先で喜多村が遭遇した怪異が描かれましたが、今回の描写を見るに、彼はその手の経験が豊富な人物と認識されている様子。そんな彼が謎の石にどう挑むのか――面白いのはその「結果」でしょう。
 内容そのものもさることながら、その描かれたビジュアルが出色で、そこから繋がるあっけらかんとした(どこか岡本綺堂の怪談を思わせる)結末も、むしろ爽やかすら感じさせます。


『前巷説百物語』(日高建男&京極夏彦)
 二つ目のエピソード「周防大蟆」に入った今回のメインとなるのは、えんま屋の裏仕事のメンバーの一人・山崎寅之助。正月早々、彼のことを呼びに来た又市との会話が前半描かれ、後半は彼らも加わったえんま屋の面々に、今回の依頼が語られることになります。

 今回はまだその実力と技は伏せられている山崎ですが、荒事専門の浪人でありながら、差料を持たない奇妙な男。そんな彼と又市の、一見とりとめのない会話は、実に京極作品らしい分量の多さですが、それを山崎の実に味のある表情と共に描くことによって、読み応えのあるものにしているのが、この漫画版ならではの魅力でしょう。(それにしても、面長で鼻と口が印象的な山崎の顔、これは……)
 そんな中で、原作にない又市の青臭い台詞と、それに対する山崎のリアクションがまた実にイイのであります。

 そしてもう一つ原作にプラスアルファで楽しかったのは、又市が前話から今回までに片付けた四つの仕事のくだりです。この仕事そのものは原作通りなのですが、そこに付されたカットは本作のオリジナル。特に業突く張りの質屋の件は、これ一体何があったの!? と一コマだけで滅茶苦茶気になる、ナイスカットというべきでしょう。


 次号は特別読切で碧也ぴんくの『猫じゃ!!』が掲載されるとのこと。初登場時も楽しかった作品だけに、再登場は嬉しいところです。


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2024.07.12

松井優征『逃げ上手の若君』第16巻 宿敵との再戦、「一人前」を目指す若武者二人!

 アニメもいよいよ放送が始まった『逃げ上手の若君』ですが、単行本最新巻では、鎌倉を再び奪還した時行が、引き続き北畠顕家の下で足利勢との激戦を繰り広げます。戦いの地は青野原――「一人前」を目指す、若武者二人の戦いが描かれます。

 雌伏の時を終え、北畠顕家の下で南朝方として足利勢との戦いを開始した、時行と逃者党。因縁の斯波家長との死闘を終え、再び鎌倉を奪還した時行ですが、鎌倉に腰を落ち着けているわけにはいきません。
 わずか数日で鎌倉を離れ、西へと進軍する南朝方ですが――この巻の前半では、合戦に至るまでのいくつかのエピソードが描かれます。

 その中でも特に印象的なのは、冒頭の北条泰家との別れでしょう。これまで、時行の叔父の「やるぞ」おじさんとして、作中で強烈なインパクトを見せてきた泰家。しかしある意味時行以上の逃げ上手として奮戦してきた泰家も、家長に捕らわれ、心身ともに大きなダメージを負いました。
 そしてここでは、時行が泰家を引退させるべく、ある策(?)を巡らせるのですが――その内容もさることながら、それを受けての泰家の姿が、涙腺を刺激します。

 華々しく戦った末に討ち死にするという、当時の武士の理想を真正面から否定してきた本作。ここで描かれた泰家のリタイア劇もまた、それに相応しいものというべきでしょう。史実との整合性をドラマの余韻に活かしてみせたのも、また見事というほかありません。

 そしてもう一つ印象に残ったのは、途中で兵糧不足に陥った南朝方が、ついに略奪に手を染めるというエピソードです。
 兵糧不足は前巻でも描かれましたが、一度は解消したそれが再び深刻なものとなり、ついに――というのは、少年漫画の主人公が属する軍の所業としては、やはり衝撃的であると同時に、そこから逃げずに、正面から描いて見せたのには、好感が持てます。

 そしてそこから顕家の内面と、奥州武士との絆が描かれるのも巧みなのですが――この略奪での汚れ役に、史実(太平記)がシリアルキラーの結城宗広という、これ以上ない適任を配置してみせたのには、もしかしてこのためにこの人を出したのか!? と感心させられた次第です。
(しかしシレッと大変なことをいう秕は色々と不安すぎるので、やはりなるだけ弧次郎と一緒に配置して、支援Sにしてほしいところです(FE脳))


 さて、こうしたエピソードを経て始まるのは、青野原――後の関ヶ原(の近く)で繰り広げられる、足利勢との大激突です。

 鎌倉を抜いて勢いに乗る南朝勢と、京を守るべく布陣を固める足利勢――加わる将の数も兵の数も多い合戦ですが、ここで注目すべきは、北条時行vs小笠原貞宗、弧次郎vs長尾景忠の二つの対決でしょう。
 時行にとって信濃時代からの最初の敵であり、これまで幾度となく死闘を繰り広げてきた弓の達人・小笠原貞宗。小手指原で弧次郎と激突して以来、上杉憲顕に改造された人間兵器として立ち塞がってきた長尾景忠――それぞれに宿敵というべき相手です。

 既に何度目かわからない対決でありながら、なおも底知れぬ実力を見せる強豪の相手は、いまだ少年というべき二人はあまりにも不利というほかありません。しかしそれでも二人は臆することなく挑みます。強敵との戦いの先に、武士としての未来があると信じて。
 死闘の果てに「一人前」を勝ち取ったとなった二人の姿は、二人の、そして仲間たちの戦いを始まりから見ていた身には、本当に感慨深いというほかありません。

 そしてまた、敵ながらその姿を讃える――そしてその中で、あの胡散臭い人の名を口にするのが泣かせる――貞宗の言葉は、戦いの一つの区切りを告げるものといってよいかもしれません。


 と、そんないい感じで終わるかと思いきや、そこからとんでもない方向に振り切ってみせるのが本作の恐ろしいところであります。

 勝利を重ね、あとは顕家の本隊が勝負を決するのみ、というところまできたと思えば、その本隊を壊滅寸前まで追い込んでいた土岐頼遠――配下たちの生死の感覚をバグらせるほどのフィクションみたいな(フィクションです)戦闘力の前に、さしもの顕家もあわや、というところまで追い込まれます。

 そこに駆けつけた時行たちは、はたしてこの怪物を能く制し得るのか!? 時行たちと奥州勢が総がかりで挑んでもまだ不安が残る戦いの行方は、次巻にて。

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