2023.11.19

「コミック乱ツインズ」2023年12月号

 号数でいえば今年ラストとなる「コミック乱ツインズ」12 月号は表紙が何と『江戸の不倫は死の香り』、巻頭カラーは『鬼役』。『勘定吟味役異聞』が最終回を迎える一方で、、ラズウェル細木『大江戸美味指南 うめえもん!』がスタートします。今回も印象に残った作品を紹介しましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ジファルの過去編も終わり、今回から再び描かれるのは、ビジャの城壁を巡る攻防戦。そこで蒙古側が繰り出すのは、攻城塔――重心が危なっかしいものの、装甲を固め、火矢も効かないこの強敵を前に、ブブがまだ戦線に復帰しないビジャは窮地に……

 しかし、インド墨者はブブだけではありません。そう、モズがいる! というわけで、これまではその嗅覚を活かした活躍がメインだった彼が、ついに墨者らしい姿を見せます。攻城塔撃退に必要なのは圧倒的な火力、それを限られた空間で発揮するには――ある意味力技ながら、なるほどこういう手があるのかと感心。ビジュアル的に緊張感がないのも、それはそれで非常に本作らしいと感じます。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに今回で最終回、「父」吉保の置土産である将軍暗殺の企ての混乱の中で、徳川家の正当な血統の証を手に入れた柳沢吉里。しかしその証も、事なかれ主義の幕閣の手で――と、大名として残る吉里はともかく、ある意味同じ幕臣の手で夢を阻まれた永渕にとっては、口惜しいどころではありません。

 死を覚悟した永渕は、最後に聡四郎に死合を挑み、最終回になって聡四郎は宿敵の正体を知ることになります。聡四郎にとっては降りかかる火の粉ですが、師の代からの因縁もあり、ドラマ性は十分というべきでしょう。
 しかし既に剣士ではなく官吏となった彼の剣は――と、最後の最後の決闘で、彼の生き方が変わったこと、さらにある意味モラトリアムが終わったことを示すのに唸りました。

 そして流転の果てに、文字通り一家を成した聡四郎。晴れ姿の紅さんも美しく(吉宗は相変わらず吉宗ですが)、まずは大団円であります。が、もちろんこの先も聡四郎の戦いは続きます。その戦いの舞台は……
(と、既にスタートしている続編の方はしばらくお休み状態ですが――さて)


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 特別読切と言いつつ先月から続く今回、売られていく幼馴染を救うために店の金に手を付けた男を救うため、店の主から赦免嘆願を引き出した例繰方同心・内之介。しかしその前に切れ者で知られる上司が現れ――という前回の引きに、なるほど今回はこの上司との仕合なのだなと思えば、あに図らんや、上司は軽い調子で内之介の方針を承認します。
 むしろそれで悩むのは内之介の方――はたして法度を字義通りに解釈せず、人を救うために法度の抜け道を探すのは正しいのか? と悩む内之介は、いつもとは逆に自分が責める側で、イメージトレーニングを行うのですが――その相手はなんとあの長谷川平蔵!?

 という意外な展開となった今回。正直にいえば、二回に分けたことで、内之介が見つけた抜け道のインパクトが薄れた気がしますが――しかし、ここで内之介が法曹としての自分の在り方を見つめ直すのは、彼にとっても、作品にとっても、大きな意味があるといえるでしょう。単純なハッピーエンドに終わらない後日談の巧みさにも唸らされます。


『カムヤライド』(久正人)
 東に向けて進軍中、膳夫・フシエミの裏切によって微小化した国津神を食わされ、モンコたちを除いて全滅したヤマト軍。そして合体・巨大化した国津神が出現し――という展開から始まる今回ですが、ここでクローズアップされるのは、フシエミの存在であります。
 かつてヤマトでモンコに命を救われたというフシエミ。その彼が何故モンコの命を狙うのか――その理由には思わず言葉を失うのですが、それを聞いた上でのモンコがかける言葉が素晴らしい。自分の力足らずとはいえ、ほぼ理不尽な怒りであっても、全て受け止め、相手の生きる力に変える――そんな彼の言葉は、紛れもなくヒーローのものであります(そしてタケゥチも意外とイイこという)。

 その一方で、前回のある描写の理由が思わぬ形で明かされるのですが――そこから突然勃発しかかるカムヤライドvs神薙剣。また神薙剣の暴走かと思いきや、そこには意外な理由がありました。ある意味物語の始まりに繋がる要素の登場に驚くとともに、なるほどこれで二人の対決にも違和感がない――という点にも感心させられました。


 次号は創刊21周年特別記念号。今回お休みだった『真剣にシす』が巻頭カラーで登場。『軍鶏侍』は完結とのことです。


「コミック乱ツインズ」2023年12月号(リイド社)


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2023.11.14

桃山あおい『物怪円満仕置録』 五十四番目の関所が見張るものは

 昨日ご紹介した『新月の皇子と戦奴隷 ~ダ・ヴィンチの孫娘~』の桃山あおいによる、くらげバンチ 第18回くらげマンガ賞奨励賞受賞作の時代伝奇活劇であります。江戸時代、記録に残らない関所・円満関を舞台に、関の番士である少女・湯羅が、恐るべき物怪と対決する姿を描きます。

 時は享保、江戸時代に各地にあった関所のうち、記録に残された五十三に含まれない五十四番目の関所・円満(えんまん)関。武州郊外にあったこの関は、手配中の凶賊であっても素通りさせてしまうため、円満素通りとなどと陰口を叩かれる宿であります。
 その責任者である伴頭・骨ヶ原閻の下で番士を務める少女・黒鉄湯羅は鰻を頭から生で食べてしまうような変わり者(?)。今日も変わらぬ関所の毎日に退屈していた湯羅ですが、そこに異常な「もの」が持ち込まれます。

 それは二日前に村人たちが根切りにあったという武州渡貫村で発見された、村人たちの遺体――いずれも腹のみを切り裂かれ、肝が抜かれた骸、そして全身の皮を剥がれた子供の骸でした。
 骸の状況から、この遺体は唐の悪鬼・画皮の群れの仕業と見抜いた骨ヶ原。折しも関所に現れた子供を、画皮が化けたものとして捕らえた骨ヶ原と湯羅ですが、そこで現れた敵の正体とは……


 記録に存在しない、江戸幕府五十四番目の関所という、何とも興味をそそる円満関を舞台にした本作。
 江戸時代の関所が本来であれば検問のために置かれたものであるにも関わらず、「人間」は誰であろうと素通りさせてしまうこの関所が見張るものは――それは言うまでもありませんが、なるほど面白い設定であります。
(作中の描写によれば、高輪の大木戸と箱根関所の間にあるということで、なるほど江戸の最終防衛ラインだと想像できます)

 さて、本作はその円満関の近隣で人を喰らってきた物怪との対決を描く物語ですが、冒頭で四匹の物怪が描かれたにも関わらず、関所に現れた物怪が化けたと思しき人間は一人だけ。はたして残りは――という捻りも面白く、そこから一気に突入するバトルと、そこに重ね合わせて描かれる湯羅(好きな方であれば、名前からその出自は何となく想像できるでしょう)のドラマもなかなか盛り上がるところであります。

 いかに記録に残らぬ存在とはいえ、幕府の機関である関所を舞台に、湯羅のようなキャラクターをどう配置するか、というのは工夫のしどころですが、そこをクリアしつつ、一種の人情を絡めて盛り上げるのは、本作の工夫といえるでしょう。
(クライマックスで明かされるダブルミーニングにも納得)


 そんなわけで、短いながらもなかなか面白い作品ではあるのですが、唯一これはどうかなあ、と思っていたのは、比較的デフォルメの効いた絵柄にもかかわらず、妙に残酷描写がリアルな点でしょうか。
 冒頭で切り裂かれた人体をカラーで描いた部分だけでもなかなかキツいのですが、中盤のある描写は、これを正面から描くのか――と引いたというのが正直なところではあります。
(ちなみに作者のpixivで冒頭部分が掲載されていますが、「※流血表現注意」の記載とともに、R-18G扱いになっています)

 もちろん内容的にそういうシーンがあるのは仕方ないのですが、結果として読者を狭める結果になるのは、ちょっと勿体ないと感じてしまったのが正直なところであります。


『物怪円満仕置録』(桃山あおい くらげバンチ掲載) 掲載サイト


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桃山あおい『新月の皇子と戦奴隷~ダ・ヴィンチの孫娘~』 荒くれ娘、知と技術でサバイバル!?

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2023.11.13

桃山あおい『新月の皇子と戦奴隷~ダ・ヴィンチの孫娘~』 荒くれ娘、知と技術でサバイバル!?

 Web漫画サイト「くらげバンチ」で公開中の歴史漫画――16世紀のオスマン帝国の宮廷で、ダ・ヴィンチの孫娘を名乗る少女が、破天荒な活躍を繰り広げる快作であります。帝国の後継者争いで揺れる宮廷に放り込まれることになった少女が、そこで出会ったのは……

 故郷のハンガリーを襲ったオスマンの軍勢に捕らえられ、奴隷にされた少女・エイメ。故あって初めに送られた宮殿から追い出された彼女は、ルート皇子の住まうエディルネの宮殿の後宮に送られることになります。
 そこで思いもよらぬ後宮での豊かな暮らしを目の当たりにするエイメですが、自分たちの故郷から収奪されたものなど食べられないと反発し、宮殿の庭で暮らし始めるのでした。

 そこで雀を捕るため、師匠であったレオナルド・ダ・ヴィンチ譲りの知識で速射式弩をハンドメイドで作り出したエイメ。早速その弩で、宮廷の女中・カメリアが烏に取られた指輪を取り戻したエイメですが、その直後、そのカメリアが弩で殺害され、エイメは下手人として獄に繋がれるのでした。

 もはや処刑を待つばかりとなったかに見えたエイメのもとを訪れ、直々に尋問するルート皇子。その前で思わぬ形で無実を証明してみせたエイメを、皇子は自分の部屋に招き……


 自分の身一つ以外全てを失った主人公が、己の知恵と技術と機転でチャンスを掴む――後宮もの(に限らずサクセスストーリー)の定番パターンであります。
 本作もその一つではあるですが――しかし、本作に大きな独自性を与えているのは、エイメの強烈な個性でしょう。奴隷の身分でありながら侵略者であるオスマンの世話にならないと宣言、宮殿の庭で勝手にサバイバルを始めるというバイタリティ溢れる冒頭の展開には度肝を抜かれます。

 しかしそんな彼女の行動に成算を与えているのが、師であり「じいちゃん」であるダ・ヴィンチの発明というのが面白い。フィクションの世界では何かと便利に使われがちなダ・ヴィンチの発明ですが、なるほど、こういう切り口があったか、と感心させられます。
 そして、明らかに荒くれ系のキャラであるエイメが、「知」「技術」を武器とするのも、また面白いのです。

 しかし彼女の言動は周囲の人間には斬新すぎて理解出来ないのに対して、実はルート皇子のみは――というのも、定番ではありますが、物語にうまく取り入れられていると感じます。
 当時はさまで知られていなかったダ・ヴィンチの存在を異国に在りながら知っていた皇子(ここでダ・ヴィンチがボスポラス海峡の金角湾の橋造りに名乗りを上げていたという史実を引くのが上手い)。実は彼自身が技術に深い関心を示し、時にエイメを上回る人物で――という展開から、エイメが己に足りない部分を悟るのも、巧みというべきでしょう。

 まあ、エイメは最後までエイメらしく荒くれなのですが……


 一頃に比べれば扱う作品は増えてきた印象はあるものの、まだまだ作品数は少ないオスマン帝国。そこにこのようなユニークな切り口で、そして何よりも漫画として楽しく描いてみせた本作ですが――読み終えて驚いたのは、読み切りであったこと。
 このまま第一話でも全く違和感がないだけに、ぜひこの先を読んでみたい、連載化してほしいと思います。


 最後に野暮を承知でルート皇子のモデル探しですが――作中でエイメが、ダ・ヴィンチが亡くなったのに伴い、ハンガリーに帰ったところを捕らわれたと語っているところを見れば、物語は1519年から遠くない時期(もしくは同年)、この時期のオスマン帝国皇帝といえば、1520年に26歳で即位したスレイマン1世がおります。

 スレイマン1世とルート皇子の生い立ちは色々と異なっておりますし、何よりもルート皇子が後に皇帝になるとは限らないのですが――学問や芸術を好んだとされる皇帝の傍らにダ・ヴィンチの孫娘がいたとすれば、それは実に胸躍ることではないでしょうか。


『新月の皇子と戦奴隷~ダ・ヴィンチの孫娘~』(桃山あおい くらげバンチ掲載) 掲載サイト

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2023.11.09

松井優征『逃げ上手の若君』第13巻 さらば頼重、さらば正成 時行の歴史の始まり

 ついに鎌倉に帰還したものの、足利尊氏の神懸かった力の前に、惨敗を喫することとなった時行。事ここに至れば、自分の命を犠牲にして時行を逃がすしかないと、諏訪頼重は決意を固めます。これに対する時行の決断は――ここに「中先代の乱」は終結しますが、歴史はさらに激しく動くことに……

 故郷である鎌倉を奪還し、逃者党と一時の平和を味わう時行。しかしそんな時行の動きを尊氏が座視するはずもなく、鎌倉に向けて足利の大軍が迫ります。
 もちろん、これに対する備えは抜かりなかったはずですが――普通であれば考えられないような自然現象が尊氏に味方した上に、尊氏のわけのわからないカリスマの前に鎌倉方は総崩れ。逃者党の軍師であった吹雪までもが敵方につき、もうこれ以上はないという惨敗を喫することに……

 という、負けイベントにしてもムチャクチャ過ぎる尊氏のチートぶりですが、しかしそれでも時行は生き延びなければなりません。そのためには誰かが乱の首謀者とならなければならない――という決意で尊氏との激闘の末に捕らえられた諏訪頼重親子ですが、彼の主君であり、そして頼重を父とも仰ぐ時行が、黙ってみているはずがありません。
 こういう時は異常に格好いい叔父の泰家の言葉も振り切って、頼重たちの救出に向かう時行ですが――さて、彼の「逃げる」力が、この場で発揮できるのか。そして頼重を救い出したとして、その先どうなるのか……

 そんな展開の中で描かれるのは、ある意味歴史の、史実の厳然さというべきもの――何人も、歴史の流れの前には、後世に残った史実は決して変えることはできないという、残酷な真実であります。

 しかしその真実を前に、人間がどのように振る舞うかは、その人間次第。そして、史実に残されたものは変えられないということは、それ以外のものは――ということでもあります。
 この時代の歴史の前に敗れ、史実から消え去った時行。しかし彼自身の歴史はまだ終わりません。そして史実に残らない部分で彼が何をできるかもまた、現時点ではわからないのです。

 確かに「中先代の乱」という、彼の名を冠した乱は敗北に終わりました(ここで語られる「中先代」が冠される意味が熱い!)。しかしそれは、時行の歴史の終わりでも、そしてそれを記した『逃げ上手の若君』という物語の終わりでもない――むしろここからが始まりであると、悲しみを乗り越えて物語は強く宣言するのであります。


 さて、実はこの巻はここまででようやく半分程度。それでは後半は――といえば、この後の(時行が表舞台から引っ込んだところで始まる)新たな戦乱の成り行きを描くことになります。
 それはいわゆる南北朝の動乱――中先代の乱平定後も尊氏が鎌倉に残ったことをきっかけに、後醍醐帝が尊氏追討を発令し、武士たちを二分した戦いの末に、吉野に逃れた後醍醐帝と、尊氏が奉じた光明と、南北二つの皇統が並立した時代の始まりであります。

 かつては後醍醐帝の下に轡を並べた足利尊氏・新田義貞・楠木正成が敵味方として相争う――ある意味この時代を象徴するような状況ですが、そこでクローズアップされるのは、この巻の表紙を飾る正成であります。
 かつて時行が京を訪れた際に彼の前に現れ、同じ逃げ上手として兵法の極意を授けた正成。その後、尊氏との戦いの中でもその兵法の冴えを遺憾なく発揮した正成ですが、しかしその必勝の策を帝から退けられた末に、湊川で尊氏に敗れることになります。

 勝ち目のない状況でも後醍醐帝を支え、敗れても、七度生まれ変わって国に報いんと言い残す――特に戦前称揚された正成の姿ですが、それを本作はどう描いたか?
 逃げ上手の彼が何故逃げなかったのか、その理由も切ないのですが、ひっくり返るのは七生――のくだり。いやはや、そんな理由か! と驚かされましたが、本作の正成にはこちらが相応しいと大いに納得です。

 そしてそれと同時に、ここで正成が見抜いた、尊氏の真の姿も印象的であります。カリスマや強運など、神懸かった力を見せる尊氏は何者なのか、そしてどうすれば打ち破ることができるのか――ここで描かれたものは、この先大きな意味を持つことでしょう。


 さて、そんな戦いが繰り広げられる中、伊豆でそれなりに楽しい潜伏生活を送っていた時行と逃者党ですが、しかしこの巻のラストでそれも終わります。二人の帝が立つ状況の中で、巧みに後醍醐帝に自分を売り込んだ時行は、この先何を狙うのか。仲間たちのパワーアップともども、敗北からの再起の様が楽しみであります。


『逃げ上手の若君』第13巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.10.29

真園めぐみ『やおよろず神異録 鎌倉奇聞』 鎌倉初期に展開する人と神の物語

 鎌倉時代初期を舞台に、人と精霊と神の入り交じる世界で、運命に翻弄される二人の青年を描く物語であります。精霊の恵み豊かな遠谷の地で生まれた幼なじみ同士の真人と颯。しかし遠谷が謎の武士の一団に襲われたことから、二人の運命が大きく動き出します。

 鎌倉幕府二代将軍の時代、神が姿を現し、精霊の恵み豊かな遠谷に生まれ、今は薬の行商で各地を回る青年・真人と、彼の幼なじみで、鎌倉で商人として暮らす颯。村の掟で、村祭りのために帰郷した二人ですが――しかし祭りを目前としたある日に、村を奇怪な物の怪を連れた正体不明の武士が襲撃し、村長の屋敷の人々を殺害するのでした。
 その時、村の神社にいた二人ですが、殺した人間たちの身を使って神域を穢した武士たちは神社の結界の中に入り込み、祀られていた御神刀を奪うのでした。

 精霊神の力を借りて己の力を増すことができる真人は、その場に現れた金色の神の力を借りて物の怪たちを倒したものの、体力を消耗し尽くした末に意識を失うことに。そして意識を取り戻した時、真人は颯が武士たちに連れ去られたと聞かされて……


 源頼朝と北条政子の間に生まれ、鎌倉幕府第二代将軍となりながらも、いわゆる鎌倉殿の13人に実権を奪われた源頼家。本作はその頼家の時代を背景に描かれる時代ファンタジーであります。
 この時代を舞台とするフィクションは決して多いわけではありませんが、その中でも本作が特にユニークなのは、人の世界以上に、神や精霊の世界を描くことでしょう。

 人が暮らす世界の傍らに存在し、時に人に恵みをもたらし、あるいは害をもたらす精霊や神。本作の主人公・真人は、生まれつきそれらの存在を鮮明に見る力を持ち、そしてその力を借りることによって、人並み外れた力を発し、そして物の怪や狂った神を祓い、鎮める力を持つのであります。

 しかしその力故に、真人はその生き方を他者から決められる運命にあります。遠谷の人々の暮らしを支える清香人参を育てるために必要な神の恵み――その神を迎え、送り出すために必要とされる「室守」の役目を背負うことを、村長をはじめとする村人たちから、彼は求められているのです。

 真人が余所者の血を引き、そして既に両親を亡くしているために、室守の役目を押しつけられたと信じる颯。しかし真人は、自分が引き受けなければ颯がその役目を命じられると、甘んじて受けることに――と、二人の想いの微妙なすれ違いもさることながら、神や精霊が当たり前にいる世界でも、微妙にオメラス的な犠牲によって成り立つ閉鎖的な村という生々しさが、妙に印象に残ります。

 と、物語はこの遠谷が謎の武士団の襲撃を受け、真人も室守どころではなくなる辺りから大きく動き出すのですが――ここから真人と颯の運命は、先に触れた頼家と北条家らとの対立と密接に絡んでいくことになります。
 この世界に二本あるという、神を斬る剣。その一本は北条時房が持ち、もう一本は――と、政治の世界とは最も縁遠いように見える神(を斬る剣)が、この時代の政治と関わっていく様はなかなかにユニークです。

 そしてそれ以上に、後半明かされるあるキャラクターの内面がなかなかに重く、そこからどんどん深みにはまっていくドラマが、なかなかに読ませるところであります。


 しかし、正直なところ本作の第一印象は、本作ならではの固有名詞とルールが多い! ということに尽きます。

 精霊・精霊神・凝・怨穢・流れ神・隠れ・淵祇・山神・堕神・和魂・荒魂――全体の二割行かない辺りまででこれだけの本作独自(の使い方の)の用語が登場し、その説明が入るのは、正直にいってついていくのがやっと。
 物語の本筋にはそれほどかからずに入るのですが、そこに至るまでが長く感じられたのは、この固有名詞と説明の多さによるものでしょう。
(あるいは本作、元々は異世界ものだったのでは――などと意地悪な想像をしたくなるほど)

 そのために人によっては冒頭で躓きかねないのが残念なところではありますが、裏を返せば借り物ではない、本作ならではの世界を作り上げているということでもあります。
 真人と颯のドラマは、この上巻の時点で一つの帰結を見るのですが、さて下巻で何が描かれるのか――それはまたいずれ。


『やおよろず神異録 鎌倉奇聞』上巻(真園めぐみ 創元推理文庫) Amazon

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2023.10.26

松下寿治『西域剣士列伝 天山疾風記』 小説よりも奇なる破天荒な男・陳湯見参!

 前漢の頃、西域に配属された破天荒な漢の武官・陳湯が烏孫王国の姫・星星を匈奴から救ったことから始まる、歴史活劇であります。西域制圧をもくろむ郅支単于に対し、陳湯の剣は、策は及ぶのか。囚われの星星を救うため、陳湯の活躍が始まります。

 前漢の頃、元は市井で無頼同然の暮しを送りながら、成り行きから軍に入り、その才を発揮した陳湯。その後、西域との国境を守る西域都護府に配置された彼は、僚友の段会宗と共に、不穏な動きがあるという匈奴を探るため、烏孫王国に向かうことになります。

 図らずも、烏孫に向かう途中、烏孫の公主・星星が匈奴の兵に襲撃を受けていたのを発見した陳湯たち。匈奴の将・伊奴毒と兵を蹴散らした陳湯と段会宗は、剽悍な匈奴の王・郅支単于に烏孫が狙われていることを星星から聞かされることになります。
 彼女と共に烏孫に向かい、漢に対する期待と反感の入り交じった人々の想いを知る陳湯たち。しかし自分たちの権力争いに汲々とする中央の人間たちが当てにならないのは、何より陳湯が良く知るところであります。

 そんな中、郅支単于の策にはまり捕らわれてしまった星星を救わんとして自らも捕らえられた陳湯。牢から脱出して郅支単于の城から星星を救い出そうとする陳湯ですが、郅支単于との一騎打ちの末、深手を負うことに……


 本作は、いわゆるライトノベルの古参文学賞である第十三回ファンタジア大賞佳作にして、一般向けでも珍しい、紀元前の西域を舞台とした歴史ものであります。
 まず驚かされるのは、本作に登場するキャラクターが、星星のような一部を除いて実在の人物であり、そしてここで描かれる陳湯と郅支単于の戦いも、史実に基づいていることです。

 もちろん、本作の登場人物のキャラクター造形が、本作独自のものであることは間違いありません。普段は飄々としてやる気のないようでいて、本気になるととてつもなく強く熱い男である陳湯。その相棒で、弓を持たせれば右に出る者のない段会宗。二人の上官であり、横紙破りの陳湯に毎回振り回される甘延寿……
 いずれも実在の人物ながら、本作においては、如何にも歴史活劇らしいキャラ付けの中にも一ひねりが加えられ、遙か二千年以上昔に生きたとは思えない存在感を放ちます。
(特に終盤で描かれる甘延寿の姿には、驚愕と喝采必至!)

 そしてそれは、本作における敵方――匈奴方のキャラクターにおいても変わることはありません。
 本作最大の強敵であり、凶王と呼ぶに相応しい郅支単于、冒頭以降も陳湯と様々な因縁を持つ猛将・伊奴毒、伊奴毒の義弟である寡黙な黒衣の将・屠墨――いずれも一見いかにもなキャラクターに見えるのですが、しかし作中の巧みな描写によって、一瞬でキャラ立ちさせてみせるのには感心させられます。

 しかしある意味本作最大のサプライズは、後半描かれる陳湯の行動でしょう。強大な郅支単于の軍が迫る中で烏孫を救うには、西域の軍を動かさなければならない。しかし辺境の動きに無関心の上、万事事なかれ主義の中央が、すぐに許可を出すはずがありません。だとすればどうするか……
 ここでの陳湯の行動は、とんでもないといえばとんでもない、痛快といえば痛快と評するしかないものなのですが――これが実はほとんど史実通りとは!

 いやはや、事実は小説より奇なりとはまさにこのことですが、しかしここはもちろん、その事実を選び、小説として面白く描いてみせた本作の功績というべきでしょう。


 デビュー作でありながらも、題材選びの面白さとキャラクター描写の巧みさで、いま読んでもなお、ほとんど古びたところのない本作。残念ながら作者は本作の後、一作を発表したのみなのですが――それでもなお、いやそれだからこそ、本作は今なお読む価値があると感じるのです。

『西域剣士列伝 天山疾風記』(松下寿治 富士見ファンタジア文庫) Amazon

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2023.10.02

三好昌子『無情の琵琶 戯作者喜三郎覚え書』

 京を舞台に、美と妖と情を描く時代小説を発表してきた作者の最新作であります。戯作者を夢見る呉服屋の三男坊が、不可思議な力を持つ美貌の琵琶法師と出会う時、妖と因縁の物語の幕が上がることになります。

 江戸時代中期の京で、周囲の反対にもめげず戯作者を目指す呉服屋の三男坊・喜三郎。しかしある日、父に呼ばれた彼は、酒屋・一蝶堂の娘・千夜に婿入りするように命じられます。
 商売上手の美人として知られながらも、許婚になった男が次々命を落としたため「婿殺し」と呼ばれる彼女に恐れをなして、「心魔の祓い」を行う顔馴染みの清韻和尚を訪ねる喜三郎。そこで見知らぬ美貌の琵琶法師の琵琶の音を耳にした彼は、あり得べからざる幻の景色を垣間見るのでした。

 その幻はさておき、清韻に自分の縁談について相談する喜三郎ですが、無情と名乗る琵琶法師は、苦しんでいるのは千夜の方であり、彼女を救わなければならないと語り、釈然としないながらも喜三郎は縁談を受ける羽目になります。

 その最中に、以前から自分が手に入れようとしていた、主が亡くなって以来閉まっている祇園の芝居小屋・鴻鵠楼を、千夜が買おうとしていると知る喜三郎。さらに鴻鵠楼では、夜毎灯籠に火が灯り、鳴り物の音が聞こえるという怪事が起きているというではありませんか。
 なりゆきから千夜とともに夜の鴻鵠楼を訪れることとなった喜三郎は、その怪異を目の当たりにするのですが……


 戯作者志望の喜三郎が、不可思議な魔力の籠もった琵琶を手にした琵琶法師・無情とともに出会う怪異の数々を描く、全四話構成の本作。
 この第一話「鴻鵠楼の怪」で、無情の琵琶の力で鴻鵠楼の怪異の正体と、千夜の秘めた想いを知った喜三郎は、千夜から鴻鵠楼の再建を任されることになるのですが――その後も様々な怪異に出会うことになります。

 かつて子供を拐かされ、探し続けた母親が非業の死を遂げた辻に建てられた地蔵像が壊されて以来、幼子の拐かしが連続する「子隠の辻」
 茶道具屋で持ち合わせがないと侍が置いていった刀を抜いた店の嫡男が狂乱して周囲に切りつけ、その後も触れた者を刀が狂わせていく「蜘蛛手切り」

 いずれもこの世のものならざる怪異を描く物語でありながらも、しかしその中心にあるのは、異界の魔ではなく人間の情。それだからこそ、物語から受ける印象は恐ろしさよりもむしろ哀しさであり――その中で、自分勝手な若者であった喜三郎は少しずつ成長していくことになります。
 そしてそんな彼に対して、直接教え諭すことはないものの、どこか見守り、導く態で接する存在が、無情であります。物語に登場する怪異に秘められた想いを形にし、導いていく彼の琵琶――まさしく「無情の琵琶」が物語を動かすことになります。

 しかしそんな無情も、見かけは美貌の若者でありながらも年齢は清韻よりも上であり、時にその長髪が黒から白に、白から黒にと一瞬で変わるという、自身が怪異のような存在であります。
 最終話「呼魂の琵琶」では、そんな無情の過去と、ついに再建された鴻鵠楼のこけら落としが描かれるのですが――ここで描かれるもの悲しくも美しい因縁と情の姿は(作者のファンであればある程度予想できる構図ではあるものの)、物語の掉尾を見事に飾るものとして印象に残ります。

 実は本作は、物語から十数年後、功成り遂げた喜三郎が、兄に対して秘められた過去の出来事と、そこから生まれた想いを語るという構成を取ります。その上で終章で示される意外な真実も鮮やかに決まる、作者らしい佳品であります。


『無情の琵琶 戯作者喜三郎覚え書』(三好昌子 PHP文芸文庫) Amazon

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2023.09.11

松浦だるま『太陽と月の鋼』第7巻

 通力使いたちに攫われた愛妻・月を求める竜土鋼之助の戦いは続きます。下総での博打勝負を突破し、ついに月の姿を己の目で捉えた鋼之助の前に、彼にとっては因縁の相手である夜刀川瞠介とその妹が立ちふさがります。それぞれに恐るべき通力を操る夜刀川兄妹に、鋼之助たちの力は及ぶのか……

 土御門家の当主・晴雄の配下の通力使いたちに攫われた月を求め、高山嘉津間の導きで下総に向かった鋼之助。迷い込んだ賭場で天朸と名乗る男に助けられた鋼之助ですが、実は彼こそは土御門家配下十二天将が一人――恐るべき強運を持つ天朸と、月の命を賭けたサイコロ賭博を余儀なくされた鋼之助は、卜竹の助けで、辛うじて勝利するのでした。

 そして天朸から、月が那須の殺生石にいると聞き、鋼之助一行は那須に飛ぶのですが――ついに再会した鋼之助と月の間に立ちふさがるのは、やはり十二天将の夜刀川瞠介と刮であります。
 鋼之助にとって瞠介は月を攫った相手であると同時に、忠僕の乙吉を殺した仇。因縁の相手を前に、怒りに燃えて挑む鋼之助ですが、通力使いとしてのレベルが違いすぎる相手に、大苦戦を強いられることに……


 前巻ラストで、その意外すぎる正体の一端が明かされた月と、実に第一巻以来の再会を果たした鋼之助。しかしもちろん、ここで鋼之助と月が手を取り合って終わるはずもありません。
 鋼之助の前に現れるのは、これも第一巻以来の因縁である夜刀川瞠介――これまでも嘉津間が語る晴雄との過去編にも登場していた、晴雄の側近的な男です。

 なるほど月と鋼之助の間とは因縁の相手だけあって、その力は絶大――周囲の水を自在に操るという、シンプルにして応用性が高すぎる能力に加えて、コンビで行動する妹の刮は、火を自在に操るという、これまた強敵であります。
 このストレートに強力な二人の敵に対して、その力をこれまで幾度も発現させているもののまだ荒削りな鋼之助一人では、あまりに不利。かくて天朸戦でも大活躍した、相手の心を読む力を持つ卜竹、そして絶対変えられない未来を視るという、地味ながら反則級の力を持つ明の三人が力を合わせることになります。

 そしてまだまだ物語の形が全く見えていなかった第一巻の時点からは想像もつかないような本格的な能力バトルが展開することになるのですが――その内容には大いに手に汗握らされつつも、しかしそれだけで終わらないのは、やはり本作ならではと感じます。


 幾度も述べたように、鋼之助にとっては物語冒頭からの因縁の相手である瞠介。しかし嘉津間の語りの中に登場するその過去の姿は、むしろ悩める晴雄の身を慮る常識人に見えました。しかしそんな彼が、あの時とは大きく変わってしまった主の命を――それが非道なものであっても――唯々諾々と聞いている姿には、少々違和感があります。

 それは単に強い忠誠心のためなのか、あるいは――と思っていたところに描かれるのは、なるほど、と納得させられる理由。(それが、物語の謎の一つの、大きなヒントとなっているのも巧みであります)
 思えば天朸も、その前に鋼之助が戦った蟲使いの斑も、本作の敵役は、いずれも心の中に様々な過去を――彼/彼女たちが体を張って戦う理由を持っていました。

 もちろん、戦う理由があれば良いというものではないでしょう。しかし敵役も含め、登場人物たちがそれぞれの過去を背負って現在ここに居ることを描くのは、過去と現在、時に未来すらも交錯するこの物語において、大きな意味があると感じます。


 しかし、相手がどのような過去を持とうとも、鋼之助には譲れないものがあります。そのためには、時に卑劣とすらいえる手段も厭わず用いるしかないのですが――その果てにさらに恐るべきものを解き放ってしまうとは。
 月との再会も束の間、絶対的な窮地はまだ続きます。


『太陽と月の鋼』第7巻(松浦だるま 小学館ビッグコミックス) Amazon

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2023.09.06

松井優征『逃げ上手の若君』第12巻

 何とアニメ化も決定した『逃げ上手の若君』ですが、単行本最新巻の方では、一つの節目、大きなクライマックスを迎えることになります。足利直義を打ち破り、ついに鎌倉に帰還した時行と仲間たち。しかしそこに足利尊氏の軍が迫ります。もちろん、万全の体勢で迎え撃つ北条勢ですが……

 女影原に続き、小手指ヶ原でも関東庇番衆を打ち破り、鎌倉を押さえていた足利直義と激突した北条時行と仲間たち。一度は直義の仕掛けてきた言葉による戦に押されながらも、それを純粋な想いで押し返した時行は、ついに直義を撃破し、鎌倉に入ることになります。

 父祖代々の地である鎌倉に帰還し、喜びを露わにする時行と、彼と共に一時の平和を楽しむ逃者党と諏訪頼重たち。時行が鎌倉を奪取して北条政権を復興し、めでたしめでたし――となりそうなこの巻の前半までの展開ですが、ここで終わっていたら、後世にこの辺りの戦いが「中先代の乱」と呼ばれることにはならないでしょう。

 この事態に手をこまねいて見ているはずもなく、(征夷大将軍任命こそ後醍醐天皇によって拒否されたものの)佐々木道誉や高師直らと共に出陣した尊氏。当然この事態を北条方も予想していたにも関わらず、瞬く間に尊氏は鎌倉に迫り――と、この巻の前半と後半は急転直下というも生ぬるい、まさに天国と地獄というべき強烈な状況の変化が描かれることになります。


 正直なところこの辺りの歴史は、教科書ではわずか数行で済まされてしまう印象があります。しかしもちろん、その時代に実際に生きていた人々にとっては、そんな程度の分量で済まされるものでも、また結果論で語れるものでもありません。
 それはこの巻でいえば北条家の帰還を喜ぶ人々の姿に表れておりますし、そして何よりも本作そのものが、歴史上の出来事とその中で生きた人々をわずか数行で描くことへのアンチテーゼともいえるでしょう。しかしだからといって、歴史に記された結末を変えることはもちろんできません。

 そしてその歴史に記された内容が、冷静に考えればとんでもないものなのですから、さあ大変。出陣を目前に控えた北条方を襲った大風、そして尊氏と対陣した際の北条方の反応――身も蓋もないことを言ってしまえば、ほとんどインチキ、これが通るならば何でもあり、常人にはもうどうしようもない展開の連続であります。

 負けイベントにしてももう少し理屈が通りそうな展開ですが、しかしこれが史実だから仕方がない――というのは歴史ものとしてはアウトギリギリな気もしますが、しかしこの理不尽さこそが、むしろこの物語の巧みさなのでしょう。
 神ならぬ人の身で、どれだけ巨大な歴史の流れに抗うことができるか――そこには当然、戦うだけでなく、逃げることも含むのですが――それを本作は描いているのですから。
(そしてこの構造が、頼重が語る尊氏を倒さなければならない本当の理由に重なるのも、また納得)


 しかしそれにしても、もう少し救いがあってもよいのではないか――という勢いで盛大に敗北した北条方。いや、単に敗れるならまだしも、えっ、お前一体何やってるの的な展開まであり(しかもほぼ反則な形で逃げ道を封じる鬼っぷり)、希望を徹底的に奪ってきます。

 この絶望の中で、時行をさらに容赦のない展開が待つのですが――さて、前半に新キャラが登場したことも完璧に忘れさせるような勢いで、上げてそこから叩き落とすこの流れの中から、時行と仲間たちは立ち上がることができるのか。ある意味勝負の次巻に続きます。


 しかし今川家は、あれは個人の暴走ではなかったんだな……


『逃げ上手の若君』第12巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.09.05

峰守ひろかず『少年泉鏡花の明治奇談録』

 実在の有名人が登場するフィクションは様々にありますが、本作の主人公は、まだ15歳の少年時代の泉鏡花。金沢で暮らす「おばけずき」の少年である彼が、現実の(?)怪異に出会うために出向いた先で出会う、怪事件の数々を描く物語であります。

 時は明治21年、金沢で人力車夫として働く青年・武良越義信が英語を学ぶために訪れた私塾で出会ったのは、寄宿生にして英語講師でもあるという少年・泉鏡太郎。しかし少々高い受講料に入塾を断念しようとする義信ですが、そこで鏡太郎は奇妙な条件を出すのでした。
 それは「怪異な噂」を持ってくること――噂だけでも受講料の支払いを待つし、、さらに本物の怪異に出会うことができればなんと受講料を免除するというではありませんか。実は鏡太郎は無類のおばけずき、何とか本物のおばけに出会うことを夢見ていたというのです。

 その条件を呑んで、鏡太郎の下に様々なうわさ話を持ち込む義信。それだけでなく、成り行きから鏡太郎と行動を共にすることになった義信は、この世のものとは思えない出来事に次々と遭遇することになるのですが……


 冒頭に触れたように、実在の有名人が登場するフィクションは数多くあり、泉鏡花もまた、その個性的な言動から、様々な作品に登場しています。しかし本作はその鏡花が主人公、しかもまだ金沢に暮らす十代の少年であった頃を題材にしたという点で、非常にユニークな作品であります。
 元々金沢生まれの鏡花は、明治21年時点では通っていたミッションスクールを退学し、同郷の教育者・井波他次郎の私塾に寄宿して英語の講師をしていた時期。そこで大好きな小説類を没収されたり外出禁止を言い渡されたりしたものの、しばしばランプの油を買いに行くと称して、貸本屋に通った――という、いかにもなエピソードは、本作にも登場するとおりです。

 さて、本作はそんな鏡花、いや鏡太郎が、後年知られるようになるおばけずきぶりを発揮し、金沢で起きる様々な怪奇事件に首を突っ込むことになります。しかしおばけずきの例に漏れず(?)真怪と偽怪の違いにうるさい鏡太郎は、図らずも事件の背後に潜む真実を探偵役として解き明かしていくことになって――という趣向であります。

 そんな本作は全五話構成。数々の妖が出没するという化物屋敷、人間を獣に変えてしまうという山中の美女、巫女役が必ず自ら命を絶つという雨乞いの祭、金沢城跡に浮かび上がるかつての城の姿――こうした数々の怪異を描くエピソードには、「草迷宮」「高野聖」「夜叉ヶ池」「天守物語」「化鳥」と題されています。
 これはいうまでもなく後に彼が著す名作の数々から取られたものですが、その内容、すなわち鏡太郎が経験した事件の内容とその真実が、後の作品の影響に与えた――という趣向は、有名人(探偵)ものの定番であるものの、やはり楽しいことは間違いありません。

 また楽しいといえば鏡太郎のキャラクターで、おばけの話となるととたんに早口で止まらなくなるのも、まず微笑ましい(それが本を引き写したような内容なのは、まあそれはそれで微笑ましさの一部なのでしょう)。
 そして何よりもおかしいのは、鏡太郎の年上女性好きであります。自分と同年代の少女には塩対応なのが、高貴で神秘的な雰囲気の年上美女にはコロッと参ってしまうのは――後年の鏡花作品のヒロインを見ればやっぱり納得で――何とも愉快としかいいようがありません。

 しかしそれが単なるおかしさだけでなく、鏡太郎というキャラクターの陰影につながっているのもまた巧みな点でしょう。いや、鏡太郎だけでなく、登場人物の多くは、それぞれの形で過去を背負い、そしてその重みに喘ぐ者であることが、物語の中で明らかになっていきます。
 明治維新、文明開化の荒波の中で悩む者たちの姿を、怪異を通して描く――作中のその姿は多くの場合、儚さともの悲しさがつきまといますが、それもまた、鏡花を主人公とし、そして鏡花を描く物語ならではというべきでしょうか。


 展開的に続編は難しいように思うものの、できればその後の鏡太郎少年の姿を、彼が「泉鏡花」になるまでを描いてほしいという気持ちも、もちろんあります。


『少年泉鏡花の明治奇談録』(峰守ひろかず ポプラ文庫ピュアフル) Amazon

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