2023.12.02

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』 邪神大決戦! ホームズ最後の挨拶

 あのシャーロック・ホームズがクトゥルー神話の邪神と対決するクトゥルー・ケースブックの完結編であります。時は流れ、サセックスで隠退生活を送るホームズ。しかし突然の悲報に、彼は再び起つことになります。ドイツ人スパイの暗躍と、宿敵の再来と――死闘の末に、彼が選んだ道とは?

(以下、本作を含めたシリーズ全三作の内容に触れますのでご注意ください)
 名探偵シャーロック・ホームズの生涯は、実はクトゥルー神話の邪神との戦いに捧げられたものだった。かのホームズ譚は、そのカムフラージュのために、相棒であるワトスンが記したものだった――という、大胆極まりない設定で展開してきたクトゥルー・ケースブックシリーズ。
 その第一作『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』では、出会ったばかりのホームズとワトスンが邪神の存在を知り、ナイアーラトテップの力を操るモリアーティ教授と対決する姿が――そして第二作『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』では、その十五年後、一人の精神病患者の失踪をきっかけに、邪神ルルイログに変じたモリアーティとの戦いが描かれました。

 そして第三作にして完結編の本作で描かれるのは、第一作から三十年後、数々の戦いの末に邪神の勢力をある程度押さえ込み、サセックスに隠退したホームズの姿であります。
 冒頭、久々に訪ねてきたワトスンとともに、邪教徒の陰謀を粉砕したホームズ。しかしその直後に飛び込んできたのは思わぬ悲報――あのマイクロフトの死の知らせでした。

 錯乱した様子でホームズに電話した直後に、飛び降り自殺したとおぼしきマイクロフト。それだけでなく、マイクロフトと共に邪神の脅威に立ち向かっていたダゴン・クラブの構成員たちが、皆謎の死を遂げたことを知ったホームズは、執念の捜査で事件の影にドイツ人スパイ、フォン・ボルクがいることを突き止めるのでした。

 そしてボルクとの対決の末、その背後で糸を引くドイツ大使フォン・ヘルリングの元に乗り込んだホームズとワトスン。しかし二人は、罠にかかった末、かつてのイレギュラーズ――蛇人間に引き渡されることになります。
 大きな犠牲を払いながらも辛くも窮地を脱し、サセックスに戻ってきた二人。しかしそのサセックスでは、土地に伝わる伝説の海魔が霧の夜に出現し、既に三人の女性が攫われたというではありませんか。

 海魔の出現を待ち伏せし、その正体を暴いた二人。しかしそれは、二人を待ち受ける新たな、そして最後の苦闘の幕開けに過ぎなかったのでした……


 ホームズが晩年にサセックスに隠退し、養蜂生活を送った――これはいうまでもなく、聖典の「最後の挨拶」等で描かれたものであります。ボルク、ヘルリングと、本作の下敷きとなっているのはこの「最後の挨拶」ですが――しかし本作の内容は、そこから大きく離れた、奇怪なものであることは言うまでもありません。
 実は上で述べたあらすじは、全体のほぼ半分辺りまで。そこからの物語は、予想だにしなかった(しかしラヴクラフトのある作品を連想させる)場で展開し、そして全編のクライマックスに相応しい地に至ることになります。

 正直なところ(これまでのシリーズ同様)ホームズが名探偵として推理を働かせるシーンはそれほど多くなく、また、魔術ではなく推理で怪異に立ち向かって欲しかったという想いは強くあります。
(特にボルクに対してのあれは、場合が場合とはいえ流石に嫌悪感が……)

 とはいえ、絶望的なまでに強大な敵を前にした絶体絶命の状況から、ほんのわずかなひらめきから逆転してみせるのは、邪神の脅威に対する人間の叡智の勝利の姿を描いたものとして、実に痛快というほかありません。
 特に本作で死命を決したものは、ある種の人間性というべきものであり――大きな皮肉と、幾ばくかの切なさを感じるそれは、物語の締めくくりとして印象に残ります。

 そしてクライマックスで繰り広げられる大激闘や、結末に待つオチなど、作者は本当に好きなのだなあと、何だかんだ言いつつ、すっかり嬉しくなってしまうのです。


 シリーズがここで完結するのは、寂しいところではありますが、やむを得ないことでしょう。見事な大団円――最後の挨拶であったと思います。
 そして、実はシリーズには今年出たばかりのスタンドアローン長編があるとのこと(大丈夫だったのかラヴグローヴ)。おそらくは邦訳されるであろう同作を、楽しみに待ちたいと思います。


『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』(ジェイムズ・ラヴグローヴ ハヤカワ文庫FT)

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2023.11.27

安田剛士『青のミブロ』第11巻 迫る対決の時 そして二人の悪友の悪巧み

 アニメ化も決定し、キャストも次々と明らかになってきた本作ですが、連載の方はいよいよ一つのクライマックスに差し掛かります。周囲の思惑も意に介さぬように暴走を続ける芹沢と、彼の排除の意志を固めた土方。両者の対立が深まる中、間に立つ新見は、思わぬ決断を下して――いよいよ対決の時が迫ります。

 隊士の増強を行い、本格的に活動を開始したミブロ。しかしそんな中でも、先だって大坂の力士と乱闘を起こした芹沢の行状は改まらず、いよいよ試衛館一派との溝は深まります。
 そして御所と目と鼻の先にある大和屋の焼き討ちという暴挙に出た芹沢に対し、会津藩からも暗に排除の命が出たこともあり、ついに動き出す土方。しかし芹沢の影響力は大きく、八月十八日の政変でもその将器を見せつけた彼を、正面切って排除することは困難というしかありません。

 そんな中、ただ一人芹沢のもとを訪れる新見。幼馴染であり、芹沢のことを誰よりも良く知る新見が語る言葉は……


 これまで数々の戦いをくぐり抜け、着実に力をつけてきたミブロ。揃いの羽織を身につけ、隊士も増え、(住民からの目はともかく)不逞浪士の取り締まりに邁進し、八月十八日の政変でも存在感をしたこの時期は、後の新選組の活躍に向けて、力を蓄える期間であったといえるかもしれません。
 さらに言えば、その期間の締めくくりが、芹沢の暗殺であったのもまた事実でしょう。そしてこの芹沢暗殺は、様々な新選組ものにおいて一つの(さらに結構な割合でラストの)クライマックスとして描かれてきました。

 本作がこれから迎えるのもまさにそのクライマックスではありますが、しかし本作のそれが他と異なる印象を与えるのは、芹沢、そして新見のキャラクター描写に拠るところが大きいことは、間違いありません。
 粗暴で気分屋、しかし剣の腕は超一流でカリスマ性が高い――そんな一般的な芹沢のイメージを、本作も踏まえて描かれています。その一方で本作の芹沢は、どこか茶目っ気が感じられる、それでいて筋の通った武士らしさもあるという、いささか複雑な人物として描かれてきました。

 要は、ミブロにとっては色々と困った人物ではあるけれども、頼れる兄貴分的な存在――それが本作の芹沢といえるでしょう。しかし(元々そういう面は多分にあったとはいえ)、それが何故目に余るほど暴走を始めたのか――その答えはまだ明確には描かれてはいませんが、単純な暴走ではないことは明らかであります。
 しかし、それでも芹沢を排除しなければならない――その事実は、大人たちよりも、におや太郎という少年たちに重くのし掛かることになります。そしてその視点がまた、本作ならではの芹沢像をより印象付けているのは間違いありません。

 しかし、本作がさらに独自性を感じさせるのは、新見の存在であります。これまでの新見像といえば、芹沢の悪党仲間か腰巾着という印象が強くありましたが――本作の新見は、極めて理知的で、芹沢の傍らにはいながらも、その暴走を憂い、監察として牽制する(ように見える)という、ユニークな立ち位置にあります。
 しかし新選組ファンであればよくご存じのように、新見は芹沢よりも前に、文字通り詰め腹を切らされたはず。それを本作においてどう描くか――それはこの巻の時点ではまだ明らかになってはいないのですが、それに至るこの巻のラストのエピソードには、こうくるのか!? と驚くと同時に、本作であればこうなるだろうと、二人の悪友が悪巧みの最中に見せる実に楽しそうな笑顔に、大いに納得させられるのです。

 そしてついに後戻りはできなくなったミブロ。それぞれの立場からこの事態に向き合うことになった面々は、何を想い、どのように動くのか――この先の展開から、一時たりとも目を離すことができません。


 なお、この巻に収録された「かくれんぼ」と「僕の名前」の二つは、登場人物の一人称で始まるエピソード。どちらもある意味反則的な結末を迎えるのですが、それだけに強烈に印象に残ります。
 特に「かくれんぼ」は、あまりのやりきれなさに、できれば二度と読みたくないと思ってしまうほどの内容。しかし後編にあたる「蛍の光」ともども、本作の芹沢を描くには欠かすことができないエピソードであることは間違いありません。だからこそまたやりきれないのですが……


『青のミブロ』第11巻(安田剛士 講談社週刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2023.11.26

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その二) カエサルからルパンへ! そして青春時代は終わる

 アルセーヌ・ルパンものの代表作『奇岩城』の紹介の後編であります。少年探偵ボートルレが見つけた謎の紙片に記された暗号。それが示すものとは……
(作品の終盤の展開に触れることになりますのでご注意下さい)

 それは遙か古代から続く王者の証、そして神出鬼没の怪盗紳士・ルパンの力の源だった――そんな途方もない展開を、本作は見せることになります。いうまでもなく、それが「奇岩城」こと「空ろの針」なのですが、その正体がまた、最高に伝奇的としかいいようがありません。

 カエサルからヴァイキングの王、イギリス王家からフランス王家へ――歴代の王者たちの権力の源であったと言われる「空ろの針」。その秘密は徹底的に秘匿され、かの鉄仮面が幽閉されたのも、ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのも、この秘密を知ったためだった。そしてその秘密は、処刑寸前のルイ16世からマリー・アントワネットに託されて――と、伝奇者であれば確実に体温が上がる設定ではありませんか。
(さらにこの秘密は、ルブランの作品世界を貫く「カリオストロ四つの謎」の一つという、さらにたまらない設定も後に追加されることになります)

 ルブランの作品が、しばしば歴史趣味に彩られていることはつとに指摘されるところですが、むしろこれは伝奇趣味というべきでしょう。史実を知れば知るほど、この辺りはテンションが上がってしまうのです。
 そしてその巨大な流れを「カエサルからルパンへ」という言葉で表すセンスよ!


 しかし、実はこの「空ろの針」こそが、これまでのルパン物語の背後に存在する大秘密だった――と、大河ドラマ的趣向までここで描かれることになります。そう、実に本作は、これまでのルパン物語の総決算、一つのピリオドという意味付けすら感じられるのです。

 それはこの「空ろの針」の秘密もそうですが、登場人物の点でも、その印象が強くあります。ルパンの宿敵・ガニマール警部、ルパン物語の語り手「わたし」、そしてイギリスの名探偵シャーロック・ホームズ(と訳されるエルロック・ショルメ)、さらには乳母のビクトワールといった、お馴染みの面々が次々登場するのは、やはりシリーズものの醍醐味でしょう。
 しかし実はこのうち、ビクトワール以外の三人の登場は(後付け的に登場したケースを除いて)これがラスト。ルパン物語の初期を――「怪盗紳士」のイメージを固める時期を――飾った三人の退場は、一つの区切りを強く思わせます。

 いや、退場するのは彼らだけではありません。ルパンその人も、ここでその怪盗紳士としての人生を終えようとしていたのですから。
 終盤、ついに「空ろの針」の謎を解き明かしたボートルレの前に現れるルパン(ここでそれなりに予想できるとはいえ、衝撃の展開が用意されているのが心憎いのですが、それはさておき)。ボートルレに「空ろの針」の秘密を、そして自分自身の戦果を、ルパンは語ります。まるで全てをボートルレに伝え残すように……
 それもそのはず、実はある理由から、ルパンは怪盗紳士としての自分の半生を擲とうとしていたのであります。

 つまりまさに本作は(結果としてどうであったかはともかく)ルパンにとっては一つの大きな区切りとなる物語――そしてその物語を語るのに、ルパン自身やこれまでルパンに接してきた者ではなく、全くの第三者だったボートルレを選ぶというのは、これまでのルパンの物語を俯瞰する上で、大きな意味があったと感じます。
(そしてルパンが、ボートルレと敵対しつつ、どこか教え諭すような態度であったことも頷けるのです)


 しかし物語は、あまりに突然の、そして思わぬ悲劇でもって幕を下ろすことになります。この結末は、色々な意味でどうにもやりきれないのですが――しかしある種の因果を感じさせるこの結末以外、この物語の結末はあり得なかったのもまた事実でしょう。
 この後、ルパンは、もう一つのピリオドというべき雄編『813』が控えているわけですが――どこか野望に憑かれた彼の姿を見ると、ルパンの青春時代は本作で終わったのだな、と感じさせられるのです。

 この辺りの感覚は、間違いなく大人になって初めて感じられるもので、ぜひ子供の頃に本作に親しんだ方は、もう一度読み返してほしいと思います。


 それはさておき、ホームズファンとしては結末には一言もの申したくなるわけですが――いや、ここであの「大役」を果たせるのは、彼だけだというのは理解できるものの。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.25

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その一) 怪盗紳士vs少年探偵! 知名度No.1の名作

 アルセーヌ・ルパンもの数ある中で、おそらくは最も知名度が高い作品であります。被害なき盗難事件に始まり、張り巡らされた数々の謎と暗号を巡り、高校生探偵イジドール・ボートルレがルパンと頭脳対決を繰り広げる――シリーズ初の長編、そして伝奇色も濃厚な、名作中の名作であります。

 ある夜、ノルマンディのジェーブル伯爵の屋敷に何者かが侵入、秘書が殺される事件が発生。自ら銃を取った伯爵の姪・レイモンドが屋敷から逃走する人物を撃ち、傷を負わせるのですが――そのまま謎の人物は姿を消し、そして屋敷からは盗まれたものは何も見つからないという、不可解な事態となるのでした。
 混乱を極めるその現場に現れたのは、若干17歳の高校生にして素人探偵のボートルレ少年。わずかな手がかりで屋敷から何が盗まれたか、そして秘書が誰に殺されたかを見抜いたボートルレは、事件の犯人がルパンであり、ルパンはまだ屋敷の敷地内にいると指摘するのでした。

 しかし休暇を終えたボートルレが学校に戻った後も、警察の捜査虚しくルパンは発見されず、それどころか報復のためか、レイモンドが誘拐されることになります。
 再びノルマンディを訪れたボートルレは、ついに傷を負ったルパンの隠れ場所を発見するも、そこにあったのは死体のみ。はたしてルパンは本当に死んだのか、レイモンドの運命は――そして、レイモンドの誘拐場所で見つかった紙片に記されていた不可解な暗号は何を意味するのか。

 そしてなおも真相を追うボートルレの前に現れた人物。その正体は……


 という冒頭1/3の時点までで、既に波乱万丈な展開が連続する、この『奇岩城』(『奇巌城』表記もありますが、ここではハヤカワ文庫版に依ります)。
 ここまでで普通の長編並みの満腹感ですが、物語はここからが本番であります。ルパンとボートルレとの一進一退の――いや、ボートルレが追いついたと思えば、その一歩も二歩も先を行ってるルパンとの攻防は、周囲の人々を巻き込みながら続ます。そこにさらに謎の暗号の秘密が有機的に絡み、最後の最後まで盛り上がりは止まりません。

 そんな本作の大きな魅力が、ボートルレその人であることは、衆人の認めるところでしょう。これまで数々の職業探偵や悪人たちを退けてきたルパン――そのまず間違いなく最強の敵の一人が、高校生の素人探偵という設定の妙にまず唸らされます(ルルーの『黄色い部屋の謎』のルールタビーユの影響では、というのはさておき)。
 しかし今読み返してみると、ボートルレは、ルパンとは別の意味で感情豊か――というか「多感」で、特に悔しいことやショックなことがあった時によく泣くのが、年頃の純心な少年らしく印象に残ります。

 特にルパンを一度は出し抜いて(と思われて)開かれた祝賀会のまさにその場で、自分の推理の誤りを指摘され、何も言えずに泣き出してしまうくだりは、ある意味実に意外な、隠れた名場面であります。
 しかしこの場面ではありませんが、出し抜かれて目を潤ませるボートルレに
「本当にかわいいね、きみは……思わず抱きしめたくなるよ……いつも驚いた目をしているのが、胸に迫るんだ……」
と語りかけるルパンには、さすがに驚かされるのですが……

 それはさておき、本作はルパンシリーズとは言い条、主人公はボートルレであって、ほぼ完全に彼の視点で物語が進み、ルパンはその敵役というべき立ち位置で描かれることになります。しかしだからこそ本作では、ルパンの巨大さというものが、強烈に印象付けられることになります。
 これまでは読者としてルパンの立場から見ていたものが、一度敵側に回せばこれだけ恐ろしい相手なのかと――長編であるだけに、本作ではじっくりと描かれ、厭でも理解させられるのです。
(もっとも本作の場合、その強大さを感じさせる手段として、誘拐が妙に多い気がするのはどうかと思いますが)


 さて、もちろん本作の魅力はそれだけに収まりません。ボートルレがルパンを追ううちに、否応なしに直面させられることになる謎。それはあの謎の紙片に記された暗号――かろうじて「空ろの針」と読み解けたその暗号が示すものは何か!? 

 それは――思いのほか長くなりましたので、次回に続きます。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.20

山本功次『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵』 シリーズ初、待望の(?)密室殺人!?

 江戸で起きた事件を現代の科学で捜査する『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』、その第十弾は、おゆう待望の(?)密室殺人。衆人環視の茶室で起きた殺人事件の謎に、おゆうと鵜飼、そして千住の先生が挑みます。何かと茶に絡む事件の真実とは……

 源七親分とともに、行方不明になった公事宿の客・徳左衛門を探すことになったおゆう。しかし徳左衛門はほどなくして川から死体で発見され、おゆうたちは事件として調べを始めるのですが――その矢先に鵜飼とおゆうは、南町奉行所の内与力・戸山から呼び出されるのでした。
 茶問屋の清水屋に招かれて、他の茶問屋とともに、根津の寮を訪れた戸山。ところが、その清水屋が茶室で殺されたというのです。

 しかし当の戸山が、清水屋が躙り口から茶室に入るのを目撃したほかは、誰かが茶室に出入りすればすぐわかる状況であったにも関わらず、茶室に出入りした人間はゼロ。そんな事件を内々に事件を捜査することになったおゆうたちですが、いわば密室殺人という状況に捜査は難航することになります。
 それならばと千住の先生こと現代の友人・宇田川を招いて調査を行ったおゆうは、寮の中で意外なものを発見するのでした。

 さらに最初に殺された徳左衛門が、茶問屋に茶を買いたたかれて苦しんでいた茶農家であったことを知ったおゆう。一連の事件の背後には、茶問屋に対する冥加金の値上げがあることを知ったおゆうですが――彼女たちが事件を追って向かう先々には、同様に事件を調べる謎の武士が現れるのでした。
 さらに拐かしまで発生し、いよいよ複雑さを増していく事件。おゆうは清水屋の寮に秘密が隠されていると睨むのですが……


 冒頭で触れた通り、記念すべき第十弾となった本作で描かれるのは、シリーズ初の密室殺人。初というのはかなり意外な気もしますが、現代ではミステリマニアだったおゆうが、自分が密室殺人を手がけることになって、(不謹慎を承知でも)テンションが上がるのは何となく納得できます。

 しかもその舞台が茶室というのが面白い。出入り口が限られた狭い空間で、如何にして殺人が行われたのか――しかも、奉行所の内与力をはじめとする衆人環視の下で、というのはなかなかに魅力的な謎ではありませんか。
 もちろん、それに対して正攻法(?)で挑むばかりではないのが本シリーズ――密室は本当に密室だったのか確認するため、ファイバースコープを持ち出すのは序の口、地中レーダーまで投入するやり過ぎ感は、本シリーズならではの魅力といえるでしょう。

 もっとも、科学捜査だけで全てが解決するわけではないのは、これまで同様であります。むしろ捜査によって深まってしまった謎を解決するのは、あくまでもおゆうの頭の冴え――特に今回は複数の事件が錯綜した上に、謎の(時代設定を考えれば何者かは想像がつくかと思いますが……)お忍びっぽい武士まで参戦するという、ある種の賑やかさが楽しいところです。


 しかしもちろん本作の最大の魅力は、先に述べた密室殺人のトリックであることは間違いありません。詳しくは明かせませんが、なるほど、これもまた一つの密室――といいたくなるような設定の妙には唸らされました。
 そしてそれだけで終わらず、最後まで残った謎の意外な真相も実に面白く、まずミステリ味としては、シリーズでも屈指の内容といってよいのではないでしょうか。

 そしてもう一つ本シリーズのお楽しみといえば、ラストの「えっ」と驚かされる一捻りですが――さすがに鵜飼のモノローグは苦しくなってきたかな、と思いきや、今回はその先に別の人物のモノローグが……
 実は作中で「おや?」と思っていた部分がここに来て見事に決まり、あっと驚く新展開。おゆうを巡るドラマも、まだまだ盛り上がりそうであります。


『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵』(山本巧次 宝島社文庫) Amazon

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2023.11.16

わらいなく『ZINGNIZE』第10巻 ばんばばん迫る刺客と復活の魔剣士!

 第二部突入、単行本二桁突入の『ZINGNIZE』ですが、高坂甚内の方はいきなり大ピンチ。彼の首にかけられた賞金を狙う八人の刺客に加え、お菊までもが彼を狙います。一方、出雲阿国の前には、かつて庄司甚内に倒された剣鬼が出現、捕らわれの身になる阿国のですが……?

 宿敵・風魔小太郎を倒したものの、江戸から姿を消した高坂甚内。それから三年、江戸と大坂の緊張が高まる中、大坂の間者であった高坂に対して徳川は多額の賞金をかけ、八人の猛者を刺客として送り出すことになります。
 一方、京に向かったお菊と庄司は、そこで阿国と共に暮らす高坂を発見。再会を喜ぶ間もなく、大鳥井逸平の襲撃を受ける高坂ですが、さらにお菊までもが彼に襲いかかり……

 と、再会した愛する人にいきなり腹をブッスリやられた高坂。それでも全く気にしていない、というより完全に舐めプの辺りが彼の器のデカさというべきかもしれませんが、そんな修羅場(?)でお菊に手を出そうという大鳥井こそいい面の皮であります。
 鎧というより巨大ロボじみた外見の上、四人の仲間と共に連携攻撃を仕掛ける、一見強敵の大鳥井ですが――手傷を負った高坂に速攻でボコられて退場。八人の刺客の一番手としては不甲斐ないというか理想的というか……

 しかしそこに現れたのは同じく刺客の一人のライオンじみた外見の男。「ばん」「ばんばばーん」と叫ぶばかりのその男の名は、塙団右衛門! なるほど、言われてみれば(?)というところですが、後世に名を残す豪傑が、ここで、こんな姿で見参というのには驚かされます。
 しかし驚かされるのはその戦闘スタイル。古代ローマの軍装を参考に、二頭の馬を手足のように操る塙団右衛門の猛攻に、さしもの高坂も大苦戦を強いられることになります。

 一方、そんな騒動も知らずに旧知の仲の岩佐又兵衛と再会した庄司甚内ですが、そこに現れたのは妖刀籠釣瓶を手にした剣鬼・小妻岩人――かつて小太郎の同志として江戸に現れ、多くの民の命を奪った末に、庄司の奮闘(と高坂のフォロー)の前に散った怪物であります。
 その際に失ったはずの命を、小太郎同様に辺魂樹で蘇らせ、いまや籠釣瓶が本体というべき小妻。彼は阿国とお菊を緊縛して、高坂の行方を問うのですが――色々あって庄司が役に立たない中、阿国がその魔性をフルに発揮して……


 というわけで、この巻のメインは高坂甚内vs塙団右衛門と、出雲阿国vs小妻岩人――というより、この二番勝負のみでほとんど話が進んでいないというのが正直なところであります。
 相変わらず時々何が起きているのかわからなくなるアクションの連打の末に、気が付いてみれば最終ページだった――というのは幸福なのか残念なのか、悩ましいところではあります。

 もっとも、怒濤の超人バトルの中で見え隠れする人間関係が、なかなか興味深いところであります。そういえば塙団右衛門の旧主は加藤嘉明(ここではわりと死神っぽい外見)だったなとか、そういえば名古屋山三郎の弟分だった庄司が阿国と色々面識あっておかしくないなとか、どこかで見たような名前だと思っていたら小妻岩人の前身は――などと考えるのはなかなか楽しいところではあります。

 もちろん一番気になるのは、その先に何が描かれるのか、高坂を待つ運命は何かということであるのは間違いないのですが……


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わらいなく『ZINGNIZE』第9巻 時は流れた! 第二章開幕 台風の目の名は阿国

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2023.11.08

和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第9巻 五稜郭決戦 全面対決三番勝負!

 アニメ版はそろそろ終盤ですが、漫画の方はいよいよ絶好調。札幌での死闘に続いて、函館で繰り広げられるのは、物語の当初から登場していた劍客兵器・凍座部隊との全面対決であります。それぞれ人智を超えた力を持つ劍客兵器には、さしもの剣心たちも苦戦必至。三つの激闘の行方は……

 札幌で官吏たちを次々と暗殺していた髏號・雹辺双と、新選組・御陵衛士の生き残りの激闘は、それぞれに全力を出し切った末に斎藤らが勝利。しかしその帰路に現れた劍客兵器・伊差川糸魚の襲撃を受けた斎藤は、深手を負うことになります。

 一方、その函館では、五稜郭の露天獄に拘束された凍座ら劍客兵器の裁定に来た山県有朋が、劍客兵器壊滅の命を下すのですが――これはあまりにも認識不足としかいいようのない決定。ついにその真の実力を露わにした劍客兵器たちの前にただの兵隊たちが及ぶはずもなく、あわや全滅という状況に追い込まれるのですが――もちろんそこに駆けつけるのは剣心たち!
(勢ぞろいで駆けつけた姿を描く見開きが格好良い!)

 かくてこの巻で描かれるのは、剣心チームvs劍客兵器函館隊の全面対決――
 相楽左之助&“明王”悠久山安慈vs地號・土居潜具羅
 “刀狩”沢下条張&“大鎌”本条鎌足vs偽號・権宮剛豪&恵號・天智実命
 緋村剣心&“天剣”瀬田宗次郎vs異號・凍座白也

 どれを見ても先が読めないカードですが、やはり気になるのは、元・十本刀組の動きでしょう。かつての敵が頼もしい仲間に、というのは少年漫画の王道ですが、しかし十本刀は一部の例外を除いて悪人揃い。はたしてそんな面子と剣心たちの共闘がうまく働くのか?

 そんな中で安心して見ていられる――いや、何よりも夢のタッグとなったのは、左之助とその例外である安慈のコンビでしょう。明治政府への怒りから道を誤ったものの、悪人というのとはまた異なる安慈。実力的にも、本気を出せば作中屈指の――って、滅茶苦茶パワーアップしてる!

 元祖二重の極みをマップ兵器に使うわバリアーに使うわ、攻防一体の滅茶苦茶な強さにもう仰天。これに対する土居の戦型・土遁暴威蟲(これで「ぐらぼいず」と読める人間はいないと思う……)は土や岩を操る技だけに、それを砕ける和尚は実に有利だと思われます。
 唯一の(?)弱点であるメンタル面も、左之助という支えがあれば大丈夫。何よりも、志々雄亡き後の自省の日々が、彼の精神を強くしたのでしょう。

 かくてダブル二重の極みで快勝(オーバーキル)と思いきや、鉄拳いや岩腕制裁しそうな異形の姿から、まさかのスポーティーな感じに――意外な展開であります。


 一方、張&鎌足は、この面子の中では明らかに実力に不安があるものの、改心してなさそうという点では一番という、何が飛び出すかわからないコンビ。対する権宮&天ちー組は、やたらと軽い陽キャと顔も見せない陰キャと、対照的な組み合わせで、これまた何が飛び出すかわかりません。
 いや、飛び出すのは例によって面白すぎる張の殺人奇剣。張というか新井赤空は何を考えていたんだ!? というツッコミも空しい怪剣を見れば、張も絶好調だとわかります。

 これに大鎖鎌というトリッキーな動きの鎌足も加われば、名前も得物も豪快タイプの権宮は、いかに天ちーのフォローがあっても不利は否めませんが――勝負を決めるのは武器の性能だけでも、武術の腕前だけでもないのもまた事実。
 互いに全てを出し合った悪人勝負の行方は……


 そしてある意味最もどうなるかわからないのが剣心&宗次郎vs凍座戦。実力的には味方では間違いなくトップの二人ですが、しかし凍座も得体の知れぬ実力の持ち主――というより、銃撃を生身で受け止めてビクともしない異常な体の持ち主であります。
 だとすれば、そんな相手に刀が効くのか――どう見ても(宗次郎の)負けイベントの予感がひしひしといたします。

 全面対決三番勝負はいずれも決着は次巻に持ち越しですが、しかし今のところいずれも剣心チームが苦戦中。はたしてこの状況を覆すことができるのか――全く先は見えない状況であります。


『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』(和月伸宏&黒碕薫 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.11.05

夢枕獏『月神祭』 豪傑王子の冒険譚 夢枕流ヒロイックファンタジー

 夢枕獏の初期作品――最初の刊行時には「印度怪鬼譚」と冠されていたシリーズの合本版であります。古代インドを舞台に、豪傑アーモン王子とおいぼれ仙人ヴァシタが、各地で様々な怪異と出会う連作――その後の様々な作者の作品に通じるヒロイックファンタジーの名品であります。

 古代インドのとある王国の王子にして、人並み優れた巨躯を持つアーモン王子。象にも勝る怪力と、いかなる魔物も恐れぬ豪胆さを持つ彼の唯一の大敵は退屈――暇を持て余しては危険な冒険に首を突っ込み、幼い頃からのお付きの老仙人・ヴァシタにため息をつかせる毎日であります。

 今日も、処刑されて首を晒された盗賊が夜な夜な怪異を為し、王城でも指折りの戦士までもが惨殺されたと聞いたアーモンは、その首を肴に酒盛りをすると言い出して……


 という「人の首の鬼になりたる」に始まる本書は、短編集『月の王』と長編『妖樹』を合本した一冊。長短合わせ六つの物語が収録されています。

 恐るべき力を示す盗賊の首が秘めていた、哀しい真実を描く、上記の「人の首の鬼になりたる」
 旅の途中、追手に追われる赤子を連れた女や、異様な風貌の元罪人と出会ったアーモン主従が、妖が人を食らうという村に入り込む「夜叉の女の闇に哭きたる」
 前話に登場した、右半身が醜く焼けただれた元罪人・アザドが、何故か自分を執拗に付け狙う傀儡師が操る傀儡と壮絶な戦いを繰り広げる「傀儡師」
 人の尻に食らい付いて取り憑き、次々と宿主を変える魔物・黒尾精が出没する村に行きあったアーモン主従が、魔物退治に乗り出す「夜より這い出でて血を啜りたる」
 雪山(ヒマヴァット)を目指して旅する途中、閉ざされた空間の中の村に迷い込み、曰く有りげな四人の男や人に化けた魔物と出会ったアーモン主従。村から脱出しようとする主従の前に、この村を支配する異様な美女が現れる長編『妖樹』
 人語を解する獣たちが棲むという山に向かったアーモン主従が、四人の男女と共に大雨で洞窟に閉じ込められた末に怪異と遭遇する「月の王」

 アザドが主人公で、アーモン主従が登場しない番外編的な「傀儡師」を除けば、いずれもヴァシタの一人称で語られる連作であります。

 いずれも物語はシンプルといえばシンプル、退屈しのぎに出かけた先で、なりゆきで恐るべき魔物と対峙することとなったアーモンが、魔物と激闘を繰り広げる――というのが基本パターンなのですが、しかしキャラクター設定と情景描写の妙で読ませるのは、実に作者らしいというべきでしょう。
(ちなみに番外編の「傀儡師」も、アザドの独特のキャラを活かしつつ、日夜襲い来る敵との死闘を描いた名品であります)

 特にアーモンは、勇者というよりも豪傑――人並み外れた力を持ちながらもどこか呑気で、そして粗雑なようでいて心優しく情に厚いという、夢枕獏の得意とする豪傑キャラの一典型――というより原型といってよいキャラクター。
 本書に付された紹介等では、(『闇狩り師』の)「九十九乱蔵の原型キャラ」と記されていますが、それも納得であります。

 そしてそんなアーモンの大暴れを、彼を幼い頃から慈しみ、今なお「ぼっちゃま」と呼ぶヴァシタの視点から、時に驚嘆、時に慨嘆混じりに描くのが何ともユーモラスで、客観的に見ればかなり殺伐とした内容のドギツさを、巧みに和らげているといるのも巧みです。
 また、ほとんどの物語が、この主従が酒を酌み交わしているうちに、アーモンが一方的に盛り上がり、「いこう」とそういうことになってしまうのは、ある意味『陰陽師』の原型といえるのかもしれません。


 そしてもう一つ感じるのは、上で少し触れたように、基本的に殺伐とした――血と暴力と魔物とエロスという、ある意味パルプファンタジー的世界観を本作は受け継いでいるという点であります。
 なるほど、アーモンのキャラクターはらしいといえばらしいのですが、そこに彼らが出かける土地の情景など、天然自然の描写を詩情豊かに描くことによって、独自の世界観を生み出しているのは、見事というべきでしょう。

 まだ今のようにヒロイックファンタジーが一般的でなかった時代に、それを如何に日本に移植してみせるか――そんな試行錯誤の跡も窺われる佳品です。
(そしてそれを本当に日本に移植してしまった石川賢の漫画版については、近日中に紹介します)


『月神祭』(夢枕獏 徳間文庫) Amazon

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2023.11.03

やまざき貴子『LEGAの13』第6巻 大団円 繋がりあう人びとの運命

 中世のヴェネチアとフィレンツェを舞台に繰り広げられてきた恋と錬金術の大ロマンもいよいよこの巻で完結であります。行方不明の父を追うレガーレが知ることになるのは、自分の意外な出生の秘密。その秘密を知ったレガーレの選択は――様々な伏線が一気につながり、意外な大団円が待ち受けます。

 元首に軟禁され、黄金を作らされていたヴェネチアから仲間たちとともに脱出し、行方不明の父・ゲオルグを探してフィレンツェまでやってきたレガーレ。
 そこで腐れ縁の怪人物・コルヴォや、最愛のアルフォンシーナと再会したレガーレは、ついにゲオルグと再会するのですが、しかし彼はレガーレなど見向きもしない状態で……

 というわけで、父の態度に疑問を抱きつつ、あくまでもその姿を追うレガーレを待っていたのは、自分の出生にまつわる意外すぎる真実。どうやらゲオルグが実の父ではないこと、そしてベアトリーチェなる女性が母らしいことがこれまで語られてきましたが――その真実がついに語られるのです。

 そしてその中に浮かび上がるのは、運命に翻弄されながらも懸命に生きたベアトリーチェの姿。しかしそんな彼女と周囲の人々は、当時のイタリアの情勢も絡み、非道な悪人たちの犠牲になったのであります。
 すべてを知ったレガーレは母の後を継ぐのか。そして過去の復讐に乗り出すのか――レガーレの仲間たちも巻き込み、最後の冒険(悪巧みともいう)が始まります。


 物語が始まって以来、ほとんどノリと勢いに流されるまま生きてきたレガーレ。そのためもあって――というのは厳しい言い方かもしれませんが、物語自体も、どのような結末となるのか、この巻に入るまでわからなかったように感じます。

 しかしそれが全て計算の上――これまで綿密に張り巡らせてきた伏線を踏まえていたものであったことが、この巻の怒濤の展開の中で明らかになります。
 レガーレだけでなく、コルヴォ、クラリーチェ、ゲオルグ、ジアン――レガーレを取り巻く人びとの運命が実は一本の精緻な糸で繋がり、美しい環を描いていたことを知った時の驚きたるや……
(第1巻だけに登場したレガーレの先輩が、実は非常に重要なキャラだったのにも仰天)

 そして未読の方のために詳細に触れられないのは残念ですが、この巻の展開がまた、ほとんどジャンルが変わってしまうほどの疾風怒濤ぶり。ここでこう来るのか!? こう来るしかないか! と言いたくなるような盛り上がりには、ただただ胸が熱くなりました。
 もちろんそんな中でも最後までレガーレはレガーレなのですが――だからこそこの物語は大団円を迎えられたと感じます。

 そんな彼が作り上げた13種の薬のうち、ここに至るまで効果が不明だったものが、最後の最後にその効果(その皮肉なこと!)を鮮やかに表すシーンにも、ただただ拍手喝采であります。


 そして全てが終わった末に待つ結末に、心の底から笑顔が浮かぶ本作。波瀾万丈にして豪華絢爛、そして軽妙洒脱――見事な中世ロマンスでありました。


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2023.10.23

山本巧次『岩鼠の城 定廻り同心 新九郎、時を超える』 町同心、再び戦国にタイムスリップ!

 江戸の町奉行所同心・瀬波新九郎が戦国時代にタイムスリップして怪事件を解決した『鷹の城』の、まさかの続編であります。再び戦国時代に行ってしまった新九郎が挑むのは、自分たちの先祖が嫌疑をかけられた太閤秀吉の側衆殺し。石田三成から事件解決を命じられた新九郎の推理は……

 江戸南町奉行所・定廻り同心として、今日も常磐津の師匠殺しの探索に忙しい瀬波新九郎。しかしその途中、池に落ちた子供を助けようとした彼は自分も転落、気付いてみれば――そこは関白秀次とその妻妾たちが処刑されたばかりの文禄年間の伏見!
 そこでかつてタイムスリップした際に事件を解決し、その身を救った青野城城主・鶴岡式部が謀叛に連座した疑いをかけられ、憧れの人であった奈津姫も窮地に陥っていると知った新九郎。しかも、式部の家臣の硬骨漢・湯上谷が、主を讒言した秀吉の側衆・田渕を殺した疑いをかけられているというではありませんか。

 実は奈津と湯上谷は自分の先祖、そうでなくとも旧知の相手を放っておくわけにはいかないと考えた新九郎は、石田三成たちによる奈津の詮議の場に潜り込み、湯上谷が下手人とした場合の矛盾点を突いてみせるのでした。
 それが元で三成に認められた新九郎は、湯上谷の無実を証明するため、限られた日数で事件の解決に挑むことになるのですが……


 江戸時代から戦国時代という、珍しい過去から過去へのタイムスリップを用いた時代ミステリとして、唯一無二の作品であった『鷹の城』。内容的に一作限りのアイディアと思われた同作ですが、何とその文庫版の刊行の翌月に、書き下ろしで登場したのが本作であります。
 それにしてもあの内容でどうすれば続編が――と思いきや、前作のラストで語られた鶴岡家の歴史を踏まえて、同家の第二の危機というべき事件を用意してみせたのには感心させられます。(タイムスリップの理屈については、まあ前作同様)

 そして新たに新九郎が挑む事件も、派手さはないもののきっちりとミステリしているのが嬉しいところです。
 田渕が自邸の庭で殺害された当時訪れていた三人の客。それぞれに怪しく感じられる彼らの犯行前後の動きを分析し、そこから生まれる隙間や矛盾を丹念に潰していく――当然の捜査手法ですが、しかしこの時代にそれをある種の経験知を踏まえて実行できるのは、なるほど世界最大の都市である江戸で一種の職業探偵を務めていた町同心の新九郎だけでしょう。

 もちろん事件の方は一筋縄ではいかず、捜査中に新たな事件が、というのもある意味定番ですが、しかし設定が設定だけになかなか盛り上がります。さらに捜査の途中に何者かの刺客に襲われた新九郎を救ったのは、石田三成といえば――のあの人物なのにもニンマリさせられます。

 先に本作の事件には派手さはないなどと書いてしまいましたが、しかしその代わりというべきか、史実の登場人物が幾人も絡み、戦国ものとしての魅力は前作以上という印象がある本作。いや、そもそも物語の発端自体、関白秀次の処刑という史実であることを思えば、本作は歴史ミステリとして実に魅力的な作品というほかありません。
(そうしたマクロな歴史が描かれる一方で、新九郎が自分の先祖の危難に挑むというマクロな歴史の物語であるのも楽しい)

 それにしても気になるのは『岩鼠の城』というタイトルですが――終盤で語られるその意味には、大きく変質していく戦国という時代と、その象徴ともいうべき存在を浮き彫りにするものとして、なかなか巧みといえるでしょう。
 戦国時代の事件が、江戸時代の事件に繋がるという結末も良く、良く出来た変格歴史ミステリというべき作品であります。


 と、前作の続編としても綺麗に終わっている本作ではありますが、これは設定的にもう一作あるのでは……


『岩鼠の城 定廻り同心 新九郎、時を超える』(山本巧次 光文社文庫) Amazon

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