2024.09.01

『鬼武者』 第伍話「魄」

 海全を失った一行に新たに襲いかかる吉岡三姉妹。傷を負って倒れたさよのため、佐兵衛が薬草を探しに行く間、武蔵はひたすら素振りを続け、平九郎は己の無力さに涙するのだった。そして意識を取り戻したさよは、全ての原因は自分にあったと武蔵に語るが……

 物語は全八話の後半戦に突入したこともあってか、小休止的な色彩の強い今回。吉岡一門云々とあらすじにあったので、何かの間違いかと思ったのですが、本当に冒頭から登場したのは吉岡三姉妹を名乗る三人組でした。
 長刀を手にしているのがお京、鎖鎌を操るのがお宮、手裏剣使いがお冴――と、誰が誰だか字幕を表示しないとわからないのが困りものですが、三兄弟を兄者たちと呼び、そして年格好が明らかに若すぎるところを見ると、やはり彼女たちも幻魔なのでしょう。

 ともあれ、いきなりアバン前に登場し、闇にて磨きし暗殺術などと言いながら襲いかかってきた彼女たちですが、武蔵は鬼の篭手を装着して一蹴。しかし、前回からの疲労もあってか、さよがダウンしたため、一行は見つけた小屋で小休止を取ることになり、その間のそれぞれの様子が描かれます。
 といっても、薬草を取りに行った佐兵衛は相変わらず内心がよくわからず、武蔵は刀をひたすら素振り、さよは寝込んでいて、中心になるのは平九郎――冒頭からなんだか元気がないなと思ったら、仲の良かった五郎丸や、始終口論していた海全が命を落とし、無力感に苛まれていた彼は、ついに一行から逃げ出してしまうのでした。
(素振りに没頭しすぎて、武蔵がそれに気付いていないように見えてしまうのはいかがなものか)

 そして意外なことに、伊右衛門の過去も語られることになります。幻魔と手を結んで謀反を起こしたとされる彼の生い立ちと、第一話以来久しぶりに登場した師・松木兼介との出会いが、彼の回想という形で描かれます。形式的に、彼と視聴者にしか共有されない(つまり武蔵は知らない)のは気になりますが、武士の生まれではない彼が、思わぬ機会から松木と出会い、刀を手にしたことが全ての始まりなのでしょう。
 そんな彼が今、思い切り洋装の執事・或触奴(アルフレッド)を連れているのは違和感がありますが、名前的にもパターン的にも、この執事の方が本丸の幻魔のような気がします。そして、字幕では「男」と出るけれどもラストのクレジットでは思い切り本名が明かされている物干し竿の剣士は、そんなことは興味なさそうに武蔵を待っているわけですが……

 一方、さよは魘される中で、川で砂金を見つけたことを思い出し、それがきっかけで村人たちが金採掘に取り憑かれ、幻魔を呼び込んだと自分を責めます。そんな彼女に対して、全て否定するわけでも無条件に慰めるわけでもなく、金を見つけたのはさよのせいかもしれないが、それ以外に責任を感じる必要はない、その責任は自分たちが背負うという武蔵は、あるべき大人の姿を示すものとして、好感が持てます。

 そして逃げ出す途中で出会った佐兵衛の傍らに、海全と五郎丸の霊(?)がいるのを見た平九郎も思いとどまり、再び一行は旅を始めます。しかし、その前にまた現れたのは吉岡三姉妹――今回は得物をそれぞれ変形の十文字槍・鎖鉄球・四方に刃のついた大型手裏剣(字幕では裏手裏剣(?))にパワーアップさせ、得意げな三人ですが、武蔵は女性であろうと全く容赦なく、ズババババッサリ感。で三人まとめてみじん切りに――そして、ついに一行が山の洞窟にたどり着いたところで次回に続きます。


 というわけで、折り返し地点ということでこれまで生き残ったキャラクターたちの振り返りが行われた回ですが、完全にネタキャラだった吉岡三姉妹の存在もあって(吉岡兄弟の二番煎じ感が強すぎるため、いっそ関係ない別キャラだったら印象が違ったかも……)、全八回という短い尺の中でやらなくてもよい回、という印象が残ったのは勿体ないところではあります。
(普通に時代ものっぽかった伊右衛門の過去に関しては、ちょっと興味を惹かれはするのですが……)


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2024.08.05

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その二) 異例のヒロインが持つ「強さ」と「弱さ」

 『モノノ怪』の仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾『モノノ怪 鬼』の紹介の後編です。歴史小説的文法で描かれる長編エピソードという点に留まらない本作のもう一つの特徴。それは……

 しかし、本作にはここまで述べてきた以外にも、もう一つの特徴があります。それは本作の実質的な主人公であり、そしてヒロインである「鬼御前」こと小梅の存在です。

 先に述べた通り、実在の(実際に伝承が残っている)人物である小梅――というより鬼御前。実は伝承では「鬼御前」の通称のみで、本名は残されていないのですが――そこでは夫の鑑直と共に日出生城に依り、わずかな手勢で勇猛を以て知られる島津勢を相手に奮戦したといわれる女性とされています。

 この鬼御前は身の丈六尺(180cm)近い長身だったということですが――図らずも××女ブームに乗る形に、というのはさておき、その規格外の人物像は、本作でも存分に活かされています。
 しかし彼女の最大の特長であるその「強さ」は、『モノノ怪』に登場するヒロインには、極めて珍しいものと感じられます。

 これまで『モノノ怪』に登場したヒロイン、モノノ怪に関わった女性の多くは、儚げな――望むと望まざるとに関わらず、ある種の「弱さ」を抱え、運命に翻弄される存在であったといえるでしょう。
 それはモノノ怪を生み出すのが人の情念や怨念によるものであることを考えれば――そしてまた、物語の背景となる時代を考えれば――むしろ必然的にそうなってしまうということかもしれません。

 それに対して本作の小梅は、並の男では及びもつかない力を持ち、そしてその力に相応しく、自分の行くべき道を自分で選ぶ強い意志を持つ女性――この時代の女性としては、破格というほかない人物。そんな彼女は、第一話で描かれたように、モノノ怪を討つ側であっても、生み出す側ではないと思えます。
 しかし、それであるならば、登場するモノノ怪をサブタイトルとする『モノノ怪』において、第四話のそれは何故「鬼御前」なのか――?

 実にそこに至るまでの本作の物語は――人々の誰もが巨大な歴史の流れに翻弄された時代、誰かを守るために誰かを傷つけなければならない時代に現れるモノノ怪を描く物語は――その理由を描くためのものといってよいかもしれません。
 そこには同時に、「強い」者の中には「弱さ」はないのか。そしてそもそも「弱さ」はあってはならないのか? ――そんな問いかけと、その答えが存在するとも感じられます。

 そして最後まで読み通せば、小梅もまた、『モノノ怪』のヒロインに相応しい女性であると――すなわち、過酷な運命に翻弄されながらも、なおも自分の想いを抱き続けた女性であると理解できるでしょう。
(もう一つ、『モノノ怪』という物語において、「解き放」っているのは、薬売りだけではないということもまた……)


 スピンオフ小説ならではの異例ずくめの趣向で物語を描きつつも、それでもなお、確かに『モノノ怪』と呼ぶべき物語を描いてみせた本作。
 異色作にして、だからこそ『モノノ怪』らしい――『モノノ怪』の作品世界を広げるとともに、そして同時にその奥深さを証明した作品といってもよいかもしれません。

『モノノ怪 鬼』(仁木英之 角川文庫) Amazon

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2024.08.04

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その一) 歴史小説的文法で描く初の長編エピソード

 ついに新作劇場版も公開された『モノノ怪』。その完全新作ノベル――仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾が本作です。今回舞台となるのは、九州平定を狙う島津家に抗う人々が暮らす地・玖珠。そこに現れる四つのモノノ怪を巡る、連作スタイルの長編です。

 九州で大きな勢力を持っていた大友家が耳川で島津家に惨敗して数年。以降、九州制覇を目論む島津家は各地を併呑しながら北上を続け、広大な山に囲まれ、「侍の持ちたる国」として自立してきた玖珠郡にもまた、その軍勢が目前に迫ります。
 しかし玖珠郡の諸侯をまとめる古後摂津守は、この地の有力者である帆足孝直と仲違いして久しく、島津に対する態度も足並みが揃わない危機的な状況――さらに、周囲の山には、いつしか人を食らう妖・牛鬼が棲み着き、人々を苦しめていたのです。

 そんな中、元服したばかりの帆足家の嫡男・鑑直は、山中で一人の美しい少女・小梅に出会います。
 自分よりも身体が大きく、腕力も武芸の腕も上回り、周囲からは「鬼御前」と呼ばれる小梅。しかし鑑直はそんな彼女に惹かれ、やがて二人は相思相愛となるのですが――実は小梅こそは、古後摂津守の長女だったのです。

 父同士の不仲にも引かず、自分たちの想いを貫くため、力を合わせて牛鬼を退治せんとする鑑直と小梅。そんな二人の前に、奇妙な風体の薬売りが現れて……


 戦国時代も末期、本土では秀吉が天下統一に向けて快進撃を続けていた1580年代後半、九州で繰り広げられた島津家と諸侯の戦い。本作の題材となっているのはその一つ、日出生城の戦いをクライマックスとする、玖珠郡衆と島津家の戦いです。
 そう、本作の背景は、かなり知名度は低い(フィクションの題材となったことはほとんどないのではないでしょうか)ものの、歴とした史実――さらにいえば、物語全体を通じて登場する鑑直と小梅(正確には後述)も、彼らの父たちも実在の人物なのです。

 同じ作者による前作『モノノ怪 執』においても、江戸時代を舞台に、史実の事件や実在の人物が題材となったエピソードがありましたが、戦国時代を舞台に、さらに史実と密着して描かれる本作のアプローチは、それをより推し進めたものといえるかもしれません。
 前作が時代小説の文法で『モノノ怪』を描いたとすれば、本作は歴史小説の文法で『モノノ怪』を描いた――そう評すべきでしょうか。


 そんな本作では、冒頭の「牛鬼」に続き、以下の物語が描かれます。
 鑑直と小梅の婚礼が行われる中、小梅の妹・豆姫に近づいた元島津家重臣の若侍・伊地知が、古後家をはじめ周囲を煙に巻き、狂わせていく「煙々羅」
 島津家の総大将・新納忠元の軍勢が玖珠に迫る中、島津家で勢力を急進してきた鬼道を操る怪僧が生み出した屍人の兵が玖珠を苦しめる「輪入道」
 島津の総攻撃を前に鑑直と共に小梅が日出生城に籠り奮闘する中、新たなモノノ怪が生まれる「鬼御前」

 このあらすじを見ればわかるように、本作にはこれまでにない、大きな特徴があります。それは本作が全四話構成であり、四話で一つの物語を成していること――つまりは本作は長編エピソードなのです。

 アニメの『モノノ怪』は、分量的には中短編であり、そして個々の物語は(稀に過去のエピソードのキャラクターが登場することはあれど)それぞれ独立したものとして描かれていました。
 それに対して本作は、玖珠という地を舞台にした連続した一つの物語であり、アニメにも小説にもなかった、これまでにない趣向といえるでしょう。
(そしてそれだけ薬売りも一つ所に長居するわけで、結構玖珠の人々に親しまれている様子なのが、ちょっとおかしい)


 しかし本作には、更なる特徴があります。それは――長くなりましたので明日に続きます。


『モノノ怪 鬼』(仁木英之 角川文庫) Amazon

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2024.07.23

『戦国妖狐 千魔混沌編』 第1話「千鬼夜行」

 人と闇が共に暮らす村に身を寄せることになった真介と千夜。全ての記憶を失っていた千夜だが、とまどいながらも村の娘・月湖と触れ合ううちに子供らしさを見せるようになる。その身に千体の闇が眠らせた千夜を、月湖の両親をはじめ、村の住人たちは優しく受け入れるが、やはて決定的な悲劇が……

 少々出遅れましたが、18日から放送が開始されたアニメ版『戦国妖狐』の第二部「千魔混沌編」。第一部の「世直し姉弟編」が一クールだったのに対し、こちらは二クールを予定とボリュームは倍――内容的にも、前章の終盤に描かれた様々な伏線や、登場人物の去就が描かれる(そして史実とのリンクも描かれる)、いってみればこちらが本編と呼んでよいかと思います。

 その第1話に当たる今回は――第一部では基本的に漫画をカタワラに置いて比較しながら観ていましたが、今回はそんな厭らしいやり方はせずに、原作は記憶程度に留めて観ることにします――通算14話に当たるものの、前話までの展開とは直接繋がらないように見える、謎多き状況からスタートします。

 第一部から引き続き登場するのは真介と千夜のみ、真介はふるまいは剣士らしくなったように見えますが――しかし酒をかっくらって肝心な時に役に立たず、後で落ち込むというダメな大人っぷりも――第一部のラストで無事生き延びてから時間も経ち、修行も積んだということなのでしょう。
 しかしわからないのはもう一人の千夜。第一部の終盤で、父親の神雲ともども山の神に封印されたはずの彼(だけ)が何故解放されていて、何故真介と行動を共にしているのか? 一応真介とは接点がありましたが……

 月湖の回想によれば二人揃って空から落ちてきたようですが、さてどういう状況でそんなことになったのか――それはもちろんこれから語られるのでしょうが、何が起きているのかわからない状況で、これまでからの変化と、それに伴う謎に胸を躍らせるのは、これはもう新章の醍醐味というべきでしょう。それが味わえた時点で、この回はもう合格――というのは採点甘すぎかもしれませんが、それも正直な気分ではあります。
 そしてまた、千夜がその圧倒的な力に覚醒して闇の盗賊団を蹴散したタイミングで「戦国妖狐 第二部」「千魔混沌編」とバーンと示されるのは、素直に格好良い演出で気分が上がります。

 しかし、ここで彼の「内面」が描かれたことで、初めて気付かされる千夜というキャラクターの特徴は、彼を評する「千魔混沌」の語が示す通り、霊力改造人間として融合した千体の闇たちのパーソナリティが、いまだに彼の中に残っていることでしょう。霊力改造人間に、融合された闇のパーソナリティが残っているかどうかはまちまちのようですが(第一部では灼岩と芍薬が併存していましたが、あれは彼女特有の不安定な状態の賜物のような)、いずれにせよ絶大な力を持ちながらもどこか不安定な状態は、この先の千夜の道行きに大きな影響を及ぼすのでしょう……

 と思っていたら、後半ですぐに待ち受けている地獄のような展開――いや、千夜がもたらしてしまった地獄。決して人が死なない物語ではない――それどころか、死ぬ時には簡単に人が死ぬ物語ですが、しかしこうも早くあっさりととは、さすがに驚かされます。
 それがまた、明らかに過失ながら、もっとうまく力を扱えていれば犠牲は出なかったという厭な感じで絶妙なバランスなのが、またやりきれなさを感じさて実にキツい。その後の、これまた力余って文字通り「村を焼く」シーンよりも、印象としては辛いものがあります。

 冒頭で記憶を失っていると思ったら、そんな自分を温かく迎えてくれた地を、自分のせいでいきなり失うという、一話のうちに慌ただしくも過酷すぎる経験をした千夜のメンタルが不安になります。
(そんな状況を結構平然と受け止めてる村の子供たち、時代が時代とはいえメンタルが強すぎて怖い……)
 しかし彼以上に過酷な運命となった月湖が思わぬ決断をして――と、結末に意外な展開が待っているのも、新章第一話として合格でしょう。も一ついえば、途中でさらりと第一部ラストの不気味な五人組のことが仄めかされるのも、今後の展開を想像させて良い感じであります。


 そしてラストのクレジットの時に流れていた曲、アツい曲調からしてこれがオープニング曲なのだと思いますが、結構直球なタイトルで、これはこれでなかなか良いと思います。


『戦国妖狐 千魔混沌編』上巻(フリュー Blu-rayソフト) Amazon

関連サイト
公式サイト

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2024.07.16

『逃げ上手の若君』 第二回「やさしいおじさん」

 諏訪頼重に保護されたものの、足利高氏側についた者たちの目は厳しく、鎌倉から出られずにいた時行。そんな中、時行は、兄・邦時が伯父の五大院宗繁の裏切りで捕らえられ、斬首されたことを知る。さらに自分をも捕らえようとする宗繁に対し、時行は頼重の言を受けて仇討ちを狙うが……

 前回に引き続き鎌倉を舞台とする今回は、時行が新たに加わった郎党たちとともに、兄の仇・五大院宗繁を討つまでが描かれます。前回は時行の逃げ上手を描いたとすれば、今回はその逃げ上手の意味――逃げ上手が英雄の資質ともなる、その理由を描いたエピソードといえるでしょうか。
 アニメとして、内容的にはもちろん原作をなぞりつつも、細かいエピソードやキャラクターの登場順を時に入れ替え、アレンジしたセリフやオリジナルのシーンを加える構成は前回同様ですが、それがメリハリの効いたアクション(省エネな場面もあれば、ラフなタッチで驚くほど動きまくる場面もあって)と相まって、アニメならではの、アニメだからこその面白さに繋がっていたと感じます。

 そして今回のメインの敵となる「やさしいおじさん」五大院宗繁は、絵に描いたようなヒューマンダストなわけですが、それを鬼畜大賞(とは)受賞シーンで各分野総ナメで示す演出が楽しい(そんな中で知名度だけ信長に負けるところも。鬼畜大賞1333に信長? という気がしますが)。
 宗繁は原作でおそらく初の漫画化だったということは、間違いなく初のアニメ化ですが、ここでは伊丸岡篤氏の怪演もさることながら、人生の双六を上がるには賽の目が足りない云々言っていたことからの「賽の鬼」を、原作では小ネタとして使われた未来の双六を思わせる描写を絡めて強調してみせるのが面白いところです。

 面白いといえば、原作では第1話のラストで何となく仲間になっていた弧次郎と亜也子が、こちらでは仇討ちの前のタイミングで時行の前に現れるというのはなかなかケレン味があってよいアレンジだったと感じます(いきなり件の双六やってますが)。
 ここで時行と対面した直後、雫・弧次郎との会話の中で時行のことを、亜也子が「かわいかった 持ち運びしたい!」「強くないなら守ってあげなきゃね」と評するのは、オリジナルながら如何にもこの子らしい表現(解釈一致というか)で、実に良かったと思います。

 そしてオリジナルシーンがさらに光るのは、今回のラスト――時行に討たれた宗繁の首が、落ちてくる鞠に重なるようにかつての時行と邦時の会話に入り、その中で邦時が「がんばれ!」という言葉を(結構強引ではあるのですが)かけてくるくだりは泣かせてくれます。
(言うまでもなくこれは、宗繁に売られた邦時が、前回鞠が落ちるのと重ねて首を落とされた演出と対応しているわけですが)

 このようにオリジナルを加えつつ、原作を外れすぎない程度に再構成している点は、原作読者として特に印象に残るのですが、もう一つ印象に残ったのは、焼け野原となり色彩が失われた鎌倉の姿です。
 このシーンではほとんど水墨画のような背景を時行と頼重が歩くのですが――往時の鎌倉とはうって変わった廃墟の姿が、親兄弟も味方も全てを失った時行の心象と重なる中で、今回もう一人の「やさしいおじさん」である頼重の言葉に合わせるように、廃墟に光が差し込むという演出は、わかりやすくも象徴的で実に良かったと思います。

 派手なアクションとともに、こうした静かな見せ方も織り交ぜてくる本作、この先も期待してよさそうです。


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2024.07.08

『逃げ上手の若君』 第一回「5月22日」

 1333年、鎌倉幕府執権の跡継ぎである北条時行は、武芸の稽古を嫌い、逃げ回るばかりの毎日。そんなある日、時行の前に現れた胡散臭い神官・諏訪頼重は、彼がやがて英雄となると告げる。しかしそれからまもなく、足利高により幕府は瞬く間に滅亡。ただ一人残された時行の前に再び頼重が現れる……

 原作の連載も快調な『逃げ上手の若君』のアニメ版がスタートしました。原作連載開始時は、そのあまりにニッチな題材に驚いたものですが、しかし瞬く間に人気となり、こうしてアニメとなったのは欣快の至りであります。
 しかしそうはいってもやはり題材が題材、そしてあの原作の独特のノリをどのようにアニメにするのか――と思いきや、この第一回は、冒頭から「まんが日本の歴史」的ブツを見せるという、ある意味非常に挑発的なことをやってくれるのには、こちらもニッコリするほかありません。

 さて物語の方は、原作第一話をほぼ忠実になぞってはいるものの、本編冒頭の入り方を、弓の稽古から逃げまくる(単行本最新刊の内容を思うとなかなか感慨深い)時行の姿から描くというのは、わずかなアレンジながら良いものであったかと思います。
 その後も、時に原作の台詞を最小限ながらアレンジ・省略したり、同じ台詞であっても、キャラクターの動きやエフェクトを重ねることで、原作に忠実だけれどもそのままではない、という作り方は好感が持てます。
 本来は当たり前と言えば当たりですが、原作で描かれたもの、原作から描かれるべきものをきちんと踏まえた上で、アニメとして何をどう見せるかを考えた跡が窺える作品というのは、やはり(本当は大胆なアレンジが大好きなタチの悪い)原作ファンとしても嬉しいものです。

 ただ少々残念というか、引っかかってしまったのは、その一方でギャグシーンになると途端に原作そのままになってしまうことで――これは原作のギャグシーンの独特のノリを考えると、仕方がない点ではあるのですが、何となく見ているこちらが(原因不明の)気恥ずかしさを感じてしまうところではあります。
 とはいうものの、ギャグシーンの大半を占める頼重の描写については、いちいちギラギラ輝く後光というかエフェクトは、もちろんこれもアニメならではの楽しさではあって、そこに変t――いや、胡散臭いイケメンを演じさせたら実に巧みな中村悠一氏の声も相まって、文句なし。本作の序盤を引っ張る存在である頼重のデビューとしては、ほぼ満点というべきかもしれません。

 そしてまた、今回のクライマックスというべき、頼重が一度は助けた時行を崖から落とし、敵方の武士に時行の存在を告げて――というくだりから始まる時行の「逃げ殺陣」とでもいうべきアクションも実に良かった。
 第一回なので過剰な期待は禁物とは思うものの、普通のバトルシーンとは組み立て方が全く異なるであろうアクションをこうして見せてくれるのであれば、この先も期待できるというものでしょう。


 というわけで、少なくとも原作ファンとしては納得のいく滑り出し、原作を知らない方でも、頼重のインパクトと、アクションのクオリティ、あとはまあ時行の可愛さで結構掴めるのではないかと思えた第一回ですが――これは本当に個人の印象なのですが、気になってしまったのはOPとEDの映像です。

 原作では(もちろんアニメ版でも)厭な感じに即惨殺されたキャラクターが、きっちりOPとEDに顔を出しているのがどうも妙に心に残ってしまうところで、原作ではキャラ的な重みはほとんどない(けれども立ち位置やビジュアル的にそれなりに印象に残る)キャラだけに、OPEDで元気な姿を見ると、毎回微妙な気分になりそうだな――というのは取り越し苦労だとは思いますが、正直な感想ではあります。クライマックスで豪快に裏切った奴が楽しそうに仲間していることについては――まあここでは仕方ないですね、こればっかりは)


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2024.07.02

『鬼滅の刃』柱稽古編 第八話「柱・結集」

 ついに対峙した産屋敷と無惨。短い対話の後に無惨がその爪を向けた時、産屋敷は自分と妻子もろとも屋敷を爆破し、無惨を巻き込む。さらに珠世が無惨に人間化薬を打ち込み、悲鳴嶼が猛然と襲いかかる。そしてその場に柱と炭治郎が結集し、一斉に無惨に打ちかかった時、思わぬ異変が……

 おはぎだカブトムシだというコミカルな空気は一気に消し飛び、柱稽古編最終話というよりは、次なる戦いの序章というべき内容が描かれた今回。内容は原作三話分をほぼそのまま描いた形になりますが、本編39分と普段の回の約6割増の分量で、力の入ったクライマックスが描かれました。

 冒頭こそ、前回あれだけ時間をかけた無惨がお館様の前に現れる前の歩みをまたやったり、お館様の子どもたちの歌うわらべ唄が妙に長かったりと、そこで尺を使うの!? という部分もありましたが、お館様の壮絶自爆シーンからは怒涛の展開が続きます。

 もっともこの自爆シーン、原作では柱たちが到着したと思ってページをめくったら、いきなり次のページで見開きの大爆発という描写だった、という漫画ならではの強烈な演出だった一方で、アニメではいきなりスローモーションが始まって爆発の瞬間が描かれるという、何だか妙な演出だったのですが――しかし、その最後の最後の瞬間に、お館様に寄り添い妻・あまねの姿が描かれたのは印象的でした。
 思えばお館様と無惨が対面したその瞬間から変わらず在り続けたあまねの存在は、どれほど己の不滅を誇示しようと孤独でしかない無惨に対する、人と人の絆を象徴するものなのでしょう。
(もっとも、その絆もろともいきなり自爆するのは、「完全に常軌を逸している」という無惨の感想も頷けるのですが……)

 そして坂本真綾の声の演技も素晴らしい珠世の覚悟の一撃から、まさにゴウンゴウンいわせながら突っ込んできた悲鳴嶼がついにその実力の一端を発揮した鉄球大粉砕(しかし首、斬ってないと思う……)、そして柱結集は、まさにこの柱稽古編、というより全編を通じてのクライマックスの一つといってよい盛り上がりであることは間違いありません。
 そこからさらに、鬼殺隊の無限城突入、というより無限城に引きずり込まれる鬼殺隊の姿を描くアニメオリジナルの描写も面白く、直後のそれぞれの姿が描かれる柱+炭治郎だけでなく、全くいきなり引きずり込まれた玄弥や村田さんと他のモブ隊士たち、そして天ぷら食べてたらいきなり落下、しかし逆に闘志を燃やしてニヤリと猪面を被る伊之助と、らしい描写が続くのですが――全てを掻っ攫っていったのが善逸であります。

 こういう時、これまでであれば身も世もない悲鳴を上げて取り乱すはずの彼が、全く動じることなく、姿勢を崩すこともなくただ落下していく。しかしその瞼が閉じられていることから、ああ寝てるのね、と思わせた次の瞬間、瞼がゆっくりと開き強い眼差しが現れる――全く無言の中でのこの描写のみで、善逸の苛烈なまでの覚悟と、その覚醒ぶりの凄まじさを理解させてみせるのは、まさに白眉。彼が完全にこの場を攫っていったといっても過言ではありません。
 そしてそんな衝撃映像で終わったかと思いきや、最後の大正コソコソ噂話では、更なるとんでもない衝撃映像、いや衝撃音声が流れるという……


 何はともあれ、色々な意味で波乱に富んだ内容だった柱稽古編もこれで終了。そして最終決戦は無限城編として劇場版三部作で完結と、およそ考えうる限り最高の形でクライマックスを迎えるわけですが――残る7.5巻分、血戦につぐ血戦、名場面につぐ名場面をどれだけのクオリティで描いてくれるのか、まだまだその遥か先ではあろうものの、期待は今から高まるというものです。


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『鬼滅の刃』柱稽古編 第七話「岩柱・悲鳴嶼行冥」

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2024.06.25

『鬼滅の刃』柱稽古編 第七話「岩柱・悲鳴嶼行冥」

 大岩を一町押すという修行を達成し、岩柱・悲鳴嶼行冥に認められた炭治郎。悲鳴嶼は、僧侶として身寄りのない子供たちを育てていた際、子供の一人が鬼を招き入れ、子供たちを守りきれなかったという過去を語る。その後、義勇の下に向かった炭治郎は、そこで義勇と不死川の激突を目撃して……

 いよいよ色々な意味で波乱含みの柱稽古編も残すところ二話。今回は通常から約十分延長となりましたが、メインとなるのは、ようやくというべきか、サブタイトル通り岩柱がメインの過去話――原作では一話と10数ページ分となります。

 ついに岩柱の特訓を完了したものの、脱水症で日野日出志のキャラみたいな顔になった炭治郎の前に現れた岩柱。南無南無言いながら水をくれた彼は、修行修了だけでなく、炭治郎という人間を認めると語ります。話を聞いてみると、どうやら刀鍛冶の里編終了時点で認めていたようですが、それを言い出すタイミングを待っていたということでしょうか――いかにも口下手っぽい岩柱らしさを感じますが、その後に彼が語る過去は、いかに口が回っても回避不可の凄絶なもので……

 というわけで、たった一人のヒューマンダストがいただけで、悲鳴嶼にとっては本当にめぐり合わせが悪かったとしか言いようのないこの過去話。本当に全ての要素が悪い方向に重なった凄惨なエピソードですが(二重の極みの人といい、ジャンプの和尚は何故こんな悲惨な目にばかり合わされるのか――そしてその後に最強クラスに覚醒するのか)、しかし考えてみると柱のうち、風柱・霞柱そして岩柱と、実に三分の一が、ド素人時代にステゴロで鬼を圧倒、実質滅殺しているわけで、炭治郎を含めると、無惨の鬼ガチャはものすごい引きの良さ(彼にとっては引きの悪さ)で鬼殺隊を引き当てていたのだな――と、不謹慎な感心をしてしまいます。
 それにしても岩柱の運命を一変させ、人間不信にまでしたヒューマンダストはどこにいったんですかねえ(すっとぼけ)。というか鬼殺隊って身辺調査とかしないのかしら……

 さて、そんなこんなで岩柱の修行も終了となりましたが、炭治郎の出発前に、炭治郎・玄弥・伊之助という珍しい面子でわちゃわちゃしているのがちょっと楽しい。実はほとんど初顔合わせに近い、そして荒っぽいキャラ同士の玄弥と伊之助はやはり揉めましたが、ここでも玄弥は、ちょっと喧嘩っぱやいものの、実は普通に良い子という感じなのが微笑ましく感じられます。一方の伊之助は、めちゃくちゃ玄弥を煽りますが、冷静に考えると滅茶苦茶天才キャラ(独学で呼吸を会得、反復動作を見様見真似で岩を押すなど)なので、まあ。
 一方、普段であれば人一倍騒いでいそうな善逸は、起きているにもかかわらず、寝ている時並みのシリアスさだったわけですが――その理由が語られるのはまだまだ先であります。まさか同じ人間に同じ回(?)で二人も地獄に突き落とされることになるとは……

 何はともあれ、この後に義勇のところに向かった炭治郎は、ここで水柱と風柱の木刀とはいえほとんど真剣勝負を目撃。この辺り、アニメ版では何度も柱同志で立ち合い稽古をしていたことが描かれているので、炭治郎以外はガチでやり合っていると勘違いしないと思いますが、言葉の綾とはいえ、今度は素手で殺し合おうぜぇなどという人がいたら、やはり通報したくなると思います。
 とはいえ、ここは炭治郎が風柱の意外な真実を語ったことで和解――は全くしていないのですが、朗らかな気分で終了。ここでイメージガタ落ちの秘密をバラされた風柱ですが、その後(?)牛角のフェアでさらなる恥辱を被っているという……

 しかしこれも考えてみればほとんど最後のギャグ。風柱がブツクサ言いながら帰る途中、これまで稽古と並行して描かれてきた、鳴女の目の存在についに風柱が気付くことになります。
 ここでアニメオリジナルの「侵入されたかっ」という台詞が実に格好良いのですが、その通り、鬼舞辻無惨はついに突き止めた産屋敷邸に侵入して――ここでエンディングのラストとシンクロする演出が格好いいと思いきや、その後のCパートが滅茶苦茶長い! いくら産屋敷邸が豪邸だからといって、どれだけ長い間歩いているのか、延長分の大半はここに使ったのでは、と言いたくなるような時間をかけて、それでもついに無惨はお館様のたころに辿り着いて――次回、いよいよ柱稽古編最終回であります。


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2024.06.19

『鬼滅の刃』柱稽古編 第六話「鬼殺隊最強」

 岩柱・悲鳴嶼行冥の下で筋肉強化訓練に励む炭治郎たち。滝に打たれる、丸太を担ぐ、岩を押して運ぶという過酷な修行に挑む炭治郎は、三番目の修行まで辿り着いたものの、岩が動かせず悩む。そこに現れた玄弥は、集中を極限まで高める反復動作について語るが……

 原作の一話と4ページ分とそこそこ進んだものの、オリジナル展開は少なく、何よりもバトルなしということで、かなり薄味に感じられた今回。これまで(というか前回)の訓練が面白すぎただけで、今回は特訓としてはある意味王道なのですが、やっぱり地味――てっきり岩柱の過去までいくものと思いきや、炭治郎たちがわちゃわちゃしていただけで終わった感があります。

 もっとも、冷静に考えれば遊郭編以来、久々に炭治郎・善逸・伊之助が一つところに集まったわけで、わちゃわちゃしない方が不思議かもしれません。というか伊之助は実は真面目に特訓している一方で、善逸は相変わらず善逸だったわけですが――意識を失って冬の川に放り込まれた後、今度は凍えかかって岩に抱きつく時、無駄に霹靂一閃的ムーブ(何気にアニメオリジナル描写)を見せるところなど実にらしくておかしかったとは思います。

 また、このアニメ版柱稽古編のもはや特徴というべき、炭治郎と隊士の交流も地味に増量され、原作ではただ特訓半ばで山を降りる隊士たちを見送るだけだった場面で、後方支援に徹すると語る隊士たちとのやりとりがあったり(まあ、その結果……)、原作では塩むすびだけだったおにぎりのバリエーションとして飯テロチックに味噌焼きむすびが登場、「お袋」と咽び泣く平隊士たちなど、妙に印象に残ります。特に鬼殺隊の人間は、肉親関係が不幸というか、肉親に不幸が多いだけに……
 しかし、懸命に岩押し修行に励む炭治郎のところに来て、飯を作ってくれとせがむ隊士たちは、さすがに甘ったれるなといいたい。

 さて、そんな今回の地味なクライマックスはこの岩押しだったわけですが、炭治郎が苦戦しているところに、岩柱の継子である(そして前回大変な目に遭った)玄弥が現れ、助言するというのはなかなかグッとくる展開。初対面でいきなり腕をへし折ったり、会うなり「死ね!」と言われたりと、これまでの殺伐さが嘘のように仲の良さを見せる二人が微笑ましい(その代わり、鎹鴉同士が「シネ!」とかやりあってましたが)――というか、殺伐さがなくなったら、炭治郎の同期の中では一番普通の子なんではという気もします(何気に鏡を持っていたりとか)。
 そしてその玄弥が語るのは、集中を極限まで高める反復動作なるメソッドですが――こんな大事なことを教えない岩柱は、教えるのが下手というレベルではないのでは? というのはさておき、呼吸ができない玄弥でも、これを使えば大岩を動かせるというのは、それはそれでスゴいというべきでしょう(反復動作の威力も、玄弥の底力も)。問題はこの反復動作、これ以降ほとんど出てこなかった気がすることですが――説明的には全集中のさらに上をいくっぽく見えなくもないものの、やっぱり名前が地味過ぎたためでしょうか……

 何はともあれ、最近事あるごとに顔を出す煉獄さん(さすがにもうグッとこないぞ)の思い出に助けられて、ついに岩を動かした炭治郎。次回は10分延長とのことですが、ようやくここで岩柱の過去が描かれるのでしょう。
 そしてお館様と対面することを楽しみにする無惨(言われてみれば、少なくとも無惨の方は相手の顔は知らないのですね)ですが、ということは倍の時間に延長される最終回はどこまで描かれるかといえば……


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2024.06.11

『鬼滅の刃』柱稽古編 第五話「鬼を喰ってまで」

 恋柱の地獄の柔軟をクリアし、蛇柱の太刀筋矯正に向かった炭治郎。何故か異常に敵意を燃やし、厳しい訓練を課す蛇柱だが、炭治郎は何とかクリアし、風柱の元に向かう。風柱との打ち込み稽古で初日からボコボコにされる炭治郎だが、不死川兄弟の会話を聞いてしまい……

 原作3ページを2話という恐ろしいペースで展開してきた柱稽古編ですが、今回は原作の2話弱をアニメ化という、今までのペースに戻っての展開。このまま一柱1話になるのかと思いましたが、今回は一気に三柱描かれることになります。
(まあ、野郎レオタード責めを延々描かれたり、障害物として縛られた平隊士たちが「柱ァ! 俺たちも頑張ります!」と号泣しても困るのですが)

 さて、恋柱のところでは地獄の柔軟のはずが、何故か恋柱がエプロン姿でホットケーキをあーんしてくるという、これはこれで(蛇柱に知られたら)大変なオリジナル展開がありましたが、基本的にここはギャグ扱いですぐ終わり。というか、蛇柱のところの前振り感すらあります。
 その蛇柱はといえば、わざわざ炭治郎を出迎えて、さらに特別待遇で対応するのですが――それだけ見れば恋柱と同じに見えるものの、こちらの特別待遇は、そこら中に縦横縛り付けた隊士たちの細い隙間から刀を振らせるという、どう考えても人質を取った悪役みたいな所業であります(石川賢の漫画版バレンドスか!)。もっともこれが炭治郎のみの特別待遇と語られたわけではありませんが、以前の稽古では平隊士と普通に打ち合っていたことから考えるに、やはり(私怨混じりの)特別訓練なのでしょう。

 ここでいきなり蛇柱相手の勝負ではなく、「障害物」の間の的を狙う訓練というアニメオリジナルのシーンもありましたが、当然メインは蛇柱相手の対人戦。そしてオリジナルといえば、何故か訓練後にみんなで風呂に入るシーンもありましたが――もう一つのオリジナルシーンで、野外などで障害物が多いところで戦うことを想定したものであったことが描かれたのは、なるほど、と納得です。お風呂も普通に疲れを癒すためのものだったみたいですし(絶対唐辛子風呂とかだと思っていた……)、やだ、伊黒さん、意外と良いひと――?

 と、思わぬところで蛇柱の株が上がった(考えすぎです)一方で、やっぱり狂人としか思えないのは風柱。無限打ち込み稽古が異常に厳しいのはともかく、玄弥の今回のサブタイトルとなった台詞、「鬼を喰ってまで」を聞いた途端に、瞬時に両眼を潰しにいったのは流石に引きます。
 なぜ風柱があれだけ弟に冷たいか、彼の真情についてはこの(だいぶ)先でわかりますが、それを知っていてもやり過ぎ感が漂います(さすがに直前で止める気だったのかな、とも思いますが)。もちろん、彼にとって鬼が何を意味するかを思えば、激昂するのも当然ですし、よく聞いてみると当たり前のことを言っているのですが……

 しかしもちろん、その辺りの機微が玄弥や炭治郎にわかるはずもなく、その後はとばっちりで善逸たちを巻き込んでメタメタになっていく感じが(申し訳ないことに)非常に楽しいのですが――件の目潰し未遂で玄弥が顔を切られて流れる血があたかも涙のように見えるのと、「玄弥がいなきゃ上弦に勝てなかった」という言葉に玄弥の表情が(炭治郎……トゥンクと)動くのは、描写として良かったと思います。
 何はともあれ、結果として「接近禁止」というストーカー並みの扱いもなんですが、「風柱との修行は中断」というのも何気にヒドすぎる。善逸も一緒に次に向かったことを思うと、単純に炭治郎のみ中断ではなく本当に風柱の修行は全部中止になったのだと思いますが、鬼殺隊の計画管理や人事の皆さん(たぶんいない)の苦労が偲ばれます。
 そして次回は岩柱――これは順当にエピソードを消化するのでしょう。


 しかし今回の大正コソコソ噂話は無難すぎる内容でちょっと寂しいものがありました。
「それでは大正コソコソ噂話――伊黒さんが甘露寺さんのことを話す時、とっても優しい匂いがするんだよ。なんでだろうね?」
「貴様……」
くらいやってくれてもよかったですのに。


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