2023.12.01

安達智『あおのたつき』第12巻 残された二人の想いと、人生の張りということ

 ついに電子書籍と紙の書籍が同時発売となり、絶好調の『あおのたつき』、この第12巻のメインとなるのは、あお=濃紫が亡き後に現世に残された人々の物語。濃紫に恋していた幇間の猪吉と、その猪吉に恋する濃紫の同輩・夕顔。すれ違う想いの行方は……

 かつて吉原の三浦屋にその人ありと知られながらも、生き別れの妹を救おうと逸った末に、間夫の権八の手にかかって命を落とした濃紫。妹に対するわだかまりを抱えた末に彼女が冥土の吉原で取った姿があおというわけですが――この巻のメインとなるエピソード「通い猫」では、彼女亡き後の吉原が舞台となります。

 密かに濃紫に恋し、時にはその足抜けをフォローしながらも、結局は彼女を救うことができず、死に至らしめてしまったことに深い悔恨の念を抱き続ける猪吉。一方、濃紫の同輩であり、最も彼女と近しい間柄だった遊女の夕顔は、密かに猪吉に想いを寄せていたのですが――それがもはや押さえきれなくなった末に、客を取れない状態になってしまうのでした。

 いまや三浦屋を背負う身の夕顔にやる気を起こさせるために、店に因果を含められた猪吉は、夕顔を床に入ることになるのですが……


 かつて恐丸の試練の中で明かされたあおの過去。それはどうにもやり切れない、あまりにも救いのないものでしたが――しかし彼女の死後も、苦界に身を置く者たちは生き続けなければなりません。
 今回描かれるのは、まさにそんな者たちの物語――それも、店の幇間と遊女の禁断の恋の物語であります。

 いうまでもなく、店の者(店に出入りする者)と遊女の色恋沙汰はきつい御法度。明るみに出れば制裁の対象となるものですが――しかし、禁じられたくらいで押さえられるはずもないのが恋の炎というもの。ましてや当事者の二人は、濃紫という故人を失い、大きな喪失感に苦しめられる者たちであります。
 といってもここで複雑なのは、二人の関係が、夕顔が恋する猪吉にその気はなく、猪吉が恋するのは亡き濃紫であるという、一種の三角関係というか、二重の一方通行であるということであります。

 それでももはや己の想いを隠すことなく滾らせる夕顔の姿には、これまで本作の中で描かれてきた数々のキャラクターの中でも、ある意味最も生々しいパワーを感じさせられる――というより、ただただ圧倒される、というほかありません。
 もはや行き着くところに行っても止まりそうにない――そしてその果てに待つのは、破滅しかない――と思われた夕霧。そんなを止めることができる人物はといえば、言うまでもないでしょう。

 己の想いと己の所業との板挟みになった果てに、冥土の吉原に迷い込んだ夕顔と、顔をつきあわせることとなったあお。
 そこで彼女が語る言葉は、ある意味その場しのぎなのかもしれません。しかし人生はその場その場の連続。そしてそれが長い人生に張りを与えるのであれば、それは一つの救いと言うべきでしょう。

 結局何一つ変わらない、変えられない、それでも――このエピソードのラストで夕顔が見せる粋で艶やかな姿には、重荷を背負いながら、それでも立つ人間の張りが感じられます。
 吉原を舞台とする本作において、最も現世に近かったエピソード――異色作であると同時に、本作らしい物語であったと感じます。


 この巻にはその他に単発エピソードとして、冥土の吉原の盆祭りを舞台に、亡き祖父を探して現世から迷い込んでしまった幼子を描く「誰そ彼縁日」を収録。
 幼子の微笑ましいわがままぶりや、祖父を慕う姿だけでなく、盆祭りに駆り出される廓番衆の姿が何とも微笑ましい、ホッと一息つけるエピソードであります。

 そして巻末には長期連載名物というべきか、登場キャラクターの人気投票結果を掲載。第一位はなんと――なのですが、記念漫画で描かれる姿が何ともはや……
 そういえば以前もこんな姿が描かれたことがあったような気もしますが、いやはや普段から物語の緊迫感を和らげてくれる存在だけに、ここでもしっかりその役目を果たしているというべきなのかもしれません。


『あおのたつき』第12巻(安達智 マンガボックス) Amazon

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2023.11.29

椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第7巻 四つの超常現象と仲間たちの成長

 日本各地で起きる怪奇現象の背後に潜む能力者を、陸軍エリィト育成校に「推薦」する岩元先輩の奮闘を描く本作――好調第七巻となる本書では、全四話の短編エピソードが描かれます。いずれも常識外れの怪異を引き起こすのは如何なる能力なのか? 危険と隣り合わせのスカウトは続きます。

 昭和初期、日本各地からエリィトが集められる陸軍栖鳳中学校。肉体派エリィトが集まる前線部隊、頭脳派エリィトが集まる研究棟に加え、もう一つ存在する「隔離施設」――奇妙な能力者たちが集うこの分隊に、日本各地から能力者たちを「推薦」するのが、学園書記長の岩元胡堂であります。
 自身も火を自在に操る能力者である岩元は、各地で起きる超常現象を調査、時に危険な能力者と対決し、その価値があれば学園にスカウトするよう、学長直々の命を受けているのです。

 かくて岩元と様々な能力者の出会いあるいは対決が描かれてきた本作ですが、最近は一巻おきに、短編エピソード集と、怪奇人間との対決を描く長編が繰り返されてきた印象があります。
 前巻は奇怪な能力者「毒男」との対決を描く長編でしたが、今回は全四話の短編が収録されています。

 人形と会話する能力を持つ一年生・淡魂瑞火が、かねてより探していた天才人形師・迦楼羅の人形が京都に出現、瑞火と岩元が追う「稀代ノ人形師」
 橘城学園長が、百貨店の昇降機の中でみかん売りの少年と出会ったことをきっかけに垣間見た異界。その調査に、念写能力者の筆岸蛉と岩元が向かう「暗闇行キノ昇降機」
 小学校時代の級友から聞かされた中学校の奇妙な噂話をきっかけに、 岩元の後輩・原町が想像を絶する能力者と遭遇する「原町海ノ事件ノォト」
 異例の長寿を誇った科学者・牧野翁の死後、解剖された体内に奇怪な水が発見されたことをきっかけに、学園内に科学とも憑き物ともつかぬモノが跳梁する「ソノ憑キ物水ノ如シ」

 どのエピソードも他所ではまず見られないような独創性に満ちているのは、これまで同様。そこで描かれる超常現象(あるいはそれを操る能力)のロジックと描写、それに対する対抗手段やストーリー展開には驚かされるばかりです。

 特にこの巻で印象に残ったのは「暗闇行キノ昇降機」であります。ある意味都会に生まれた最先端の科学である昇降機を一歩降りれば、そこには暗闇が広がり、その中には「なにか」が蟠っている――そのギャップと、異界を描く画の力に圧倒されるのですが、岩元たちの調査によって明らかになっていく、謎の能力者の「能力」が素晴らしい。(そこに念写能力者を絡ませることでさらに謎めいたものとする趣向も見事)
 全ての謎が明らかになるわけではない結末も、このエピソードにおいてはむしろ効果的に働いているといえるでしょう。

 また、別の意味で度肝を抜かれたのは、「原町海ノ事件ノォト」です。とある尋常中学校で囁かれる奇妙な噂と、ある意味で名物教師の存在――どの学校にでも一つや二つあるような逸話が、思わぬところで繋がり、そこに現れるのは……
 いや、何をどうすればその能力が発現するのか!? というか何をどうすればこんな能力を思いつくのか? と唖然とする展開から、ラストはイイ話として締められるという、ある意味本作を象徴するような凄いエピソードであります。


 ちなみにこの巻の各エピソードでは、学園の様々な生徒(能力者に限らず)が前面に出る形で、岩元はむしろ一歩下がり、締めに登場するという印象があります。これまで様々な能力者をスカウトし、そしてまだまだ未知数の存在も学園にはいることを思えば、このスタイルは正解でしょう。
 何よりも仲間たちの成長は、岩元自身が望むところでしょうから……

 敵(?)も味方も、この先の意外な能力者の登場が楽しみで仕方ない作品です。


『岩元先輩ノ推薦』第7巻(椎橋寛 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon


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2023.11.27

安田剛士『青のミブロ』第11巻 迫る対決の時 そして二人の悪友の悪巧み

 アニメ化も決定し、キャストも次々と明らかになってきた本作ですが、連載の方はいよいよ一つのクライマックスに差し掛かります。周囲の思惑も意に介さぬように暴走を続ける芹沢と、彼の排除の意志を固めた土方。両者の対立が深まる中、間に立つ新見は、思わぬ決断を下して――いよいよ対決の時が迫ります。

 隊士の増強を行い、本格的に活動を開始したミブロ。しかしそんな中でも、先だって大坂の力士と乱闘を起こした芹沢の行状は改まらず、いよいよ試衛館一派との溝は深まります。
 そして御所と目と鼻の先にある大和屋の焼き討ちという暴挙に出た芹沢に対し、会津藩からも暗に排除の命が出たこともあり、ついに動き出す土方。しかし芹沢の影響力は大きく、八月十八日の政変でもその将器を見せつけた彼を、正面切って排除することは困難というしかありません。

 そんな中、ただ一人芹沢のもとを訪れる新見。幼馴染であり、芹沢のことを誰よりも良く知る新見が語る言葉は……


 これまで数々の戦いをくぐり抜け、着実に力をつけてきたミブロ。揃いの羽織を身につけ、隊士も増え、(住民からの目はともかく)不逞浪士の取り締まりに邁進し、八月十八日の政変でも存在感をしたこの時期は、後の新選組の活躍に向けて、力を蓄える期間であったといえるかもしれません。
 さらに言えば、その期間の締めくくりが、芹沢の暗殺であったのもまた事実でしょう。そしてこの芹沢暗殺は、様々な新選組ものにおいて一つの(さらに結構な割合でラストの)クライマックスとして描かれてきました。

 本作がこれから迎えるのもまさにそのクライマックスではありますが、しかし本作のそれが他と異なる印象を与えるのは、芹沢、そして新見のキャラクター描写に拠るところが大きいことは、間違いありません。
 粗暴で気分屋、しかし剣の腕は超一流でカリスマ性が高い――そんな一般的な芹沢のイメージを、本作も踏まえて描かれています。その一方で本作の芹沢は、どこか茶目っ気が感じられる、それでいて筋の通った武士らしさもあるという、いささか複雑な人物として描かれてきました。

 要は、ミブロにとっては色々と困った人物ではあるけれども、頼れる兄貴分的な存在――それが本作の芹沢といえるでしょう。しかし(元々そういう面は多分にあったとはいえ)、それが何故目に余るほど暴走を始めたのか――その答えはまだ明確には描かれてはいませんが、単純な暴走ではないことは明らかであります。
 しかし、それでも芹沢を排除しなければならない――その事実は、大人たちよりも、におや太郎という少年たちに重くのし掛かることになります。そしてその視点がまた、本作ならではの芹沢像をより印象付けているのは間違いありません。

 しかし、本作がさらに独自性を感じさせるのは、新見の存在であります。これまでの新見像といえば、芹沢の悪党仲間か腰巾着という印象が強くありましたが――本作の新見は、極めて理知的で、芹沢の傍らにはいながらも、その暴走を憂い、監察として牽制する(ように見える)という、ユニークな立ち位置にあります。
 しかし新選組ファンであればよくご存じのように、新見は芹沢よりも前に、文字通り詰め腹を切らされたはず。それを本作においてどう描くか――それはこの巻の時点ではまだ明らかになってはいないのですが、それに至るこの巻のラストのエピソードには、こうくるのか!? と驚くと同時に、本作であればこうなるだろうと、二人の悪友が悪巧みの最中に見せる実に楽しそうな笑顔に、大いに納得させられるのです。

 そしてついに後戻りはできなくなったミブロ。それぞれの立場からこの事態に向き合うことになった面々は、何を想い、どのように動くのか――この先の展開から、一時たりとも目を離すことができません。


 なお、この巻に収録された「かくれんぼ」と「僕の名前」の二つは、登場人物の一人称で始まるエピソード。どちらもある意味反則的な結末を迎えるのですが、それだけに強烈に印象に残ります。
 特に「かくれんぼ」は、あまりのやりきれなさに、できれば二度と読みたくないと思ってしまうほどの内容。しかし後編にあたる「蛍の光」ともども、本作の芹沢を描くには欠かすことができないエピソードであることは間違いありません。だからこそまたやりきれないのですが……


『青のミブロ』第11巻(安田剛士 講談社週刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2023.11.18

高瀬理恵『暁の犬』(その二) そして青年が辿り着く先を変えたもの

 鳥羽亮『必殺剣二胴』の高瀬理恵による漫画化『暁の犬』の紹介の後編であります。原作の流れを忠実に追いながらも、しかし原作とはまた異なるテイストを見せた本作。それを相良が象徴している意味とは……
(以下、原作及び本作の終盤の展開に触れる部分がありますので、ご注意下さい)

 さて、この相良は、原作にも登場しているキャラクターであります。原作でも藩と佐内との繋ぎ役であり、そしてクライマックスでは自ら前線に出る人物であることは変わりませんが――しかしもちろん(?)衆道趣味はなく、そしてその点を除いても、佐内とそこま絡みが多いわけではありません。

 その一方で本作の相良は、どうしても佐内を口説くシーンが印象に残りますが、しかし彼が佐内に対して語るのは口説き文句だけではありません。
 剣の道に悩み、二胴の剣士の影に怯え――怯え、苛立ち、大きく揺れる佐内に対して、相良は、時に冷静に、時に茶化しながら言葉をかけます。それは、剣術以外はどうにも危なっかしい佐内を、からかいつつも世慣れた兄貴分として諭すような態度であり――そしてそんな相良に容赦ない反撃をしながらも、佐内も強ばりが解け、一人の青年として、自然な姿を見せるようになるのです。

 いわば本作の相良は、佐内の懐に入り込むことで、佐内の剣士以外の――いうなれば人間としての顔を引き出しているといえるでしょう。


 そして、佐内が他者と接する中でその関係性を、そしてそれに伴って彼の人間性すら変化されるのは、相良の場合のみに限りません。
 刺客という裏の顔を持つ剣士として、おしまのような親しい人間に対しても、どこか壁を作って接する佐内。いや、それどころか、何故自分が刺客として生きるのか、何のため生きるのか――それすらも考えられぬ人物として、彼は描かれます。しかし幾多の死闘をくぐり抜け、そしてその最中で――自分の正体を知る者、知らない者を問わず――周囲の人々と接するうちに、佐内が少しずつ人間性を獲得していく様が見て取れます。

 それは例えば、自分に対して一途な愛を捧げる満枝(それが決して流されてのものでなく、自分の意思と覚悟を持って行っていることが、わずかな描写で浮き彫りされるのが素晴らしい!)に対して、己の想いを露わにする姿に――そしてまた、決戦を前に、それまでの戦いの中で命を落としていった者たちの名を挙げ、自分の斗いを見届けてほしいと益子屋に対して告げる姿に、はっきりと現れているといえるでしょう。

 本作の原作である『必殺剣二胴』は、極めてドライな、ハードボイルドタッチの小説であります。佐内は剣士であると同時に、孤独な刺客であり、そして最後までその苛烈な生き方をほとんど変えることはありません。
 その一方で本作は、始まりは同じでありながらも、佐内と人々の間で通う情の存在を描くことにより――つまりある意味ウェットな関係性を描くことを通じて、佐内という青年の変化、成長を描くのです。

 そんな原作と本作の違いは、その結末において明確となります。死闘の末に闇の中に終わる原作と、暁の光を迎えて終わる本作と――ほぼ同じ設定で、同じ展開を辿りながらも、二つの物語が結末を大きく違える(第六巻の二割程度を占めるエピローグは、実は丸々オリジナルの内容であります)ことになった所以は、この佐内と周囲の人間の関係性の変化であると、いってよいかと思います。


 発端となった人物――歴史に名を残す人物にとっては、血で血を洗う抗争も「いささかのまごつき」であり、「さしたる事は」ないのかもしれません。そして佐内たちは、あくまでも金で雇われた走狗に過ぎないのでしょう。
 しかしそうであったとしても、そして名もなき剣士に終わるとしても――佐内にとってこの闘いがかけがえのないものであったことは、それを最初から最後まで見届けた人間にとっては、大きく頷けることでしょう。そしてそれを描ききった本作が、かけがえのない物語であるということもまた。

 剣術描写・人物描写の妙と美麗な画(各巻の表紙絵の美しさよ!)、そして原作を踏まえつつそこからさらに踏み込んでみせた物語展開――時代小説を原作とした漫画が数ある中でも、最良の漫画化の一つであると同時に、作者にとっても現時点での最高傑作というべき逸品であります。


 にしても、最終巻のおまけページは衝撃の展開というべきでしょう――たとえ暁を迎えても、闘いは続くのであります。人生という闘いは……


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻/ 第2巻/ 第3巻/ 第4巻/ 第5巻/ 第6巻


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2023.11.17

高瀬理恵『暁の犬』(その一) 美麗に、そして凄絶に――漫画で甦る必殺剣

 鳥羽亮の『必殺剣二胴』を、『公家侍秘録』『江戸の検屍官』をはじめとする時代漫画の名手・高瀬理恵が描いた『暁の犬』の最終巻・第六巻が刊行されました。かつて自分の父を斬った謎の秘剣と対峙することとなった刺客にして剣士・小野寺佐内の戦いを、美麗に、そして壮絶に描く物語であります。

 剣術道場を営む一方で、刺客として金で人を斬るという裏の顔を持つ小野寺佐内。いつものように口入れ屋の益子屋の依頼である武士を斬った佐内は、その後、標的と同じ唐津藩士であった依頼人が、腹を真っ二つに裂かれた死体で発見されたことを知ることになります。
 その死体の有様が、かつて何者かに斬殺された父と同じだったことに衝撃を受ける佐内。彼同様、刺客稼業を営んでいた父が、生前に同じ唐津藩と縁があったことを知った佐内は、謎の剣客を斬る依頼を引き受けるのでした。

 そして藩の徒目付・相良から、唐津藩の国元に据え物斬りの秘剣「二胴」が伝わると、聞いた佐内。秘剣の遣い手が父の仇と睨んだ佐内は、その候補者である三人の藩士殺しを併せて請け負うことになります。
 老中の座を目指す藩主・水野忠邦の思惑を巡り、藩論が二分されているという唐津藩。その一方の依頼を受けたことで、争いの渦中に身を置くこととなった佐内は、同じ益子屋の下の刺客仲間と共に、標的を片付けていくのでした。

 そんな中、満枝という美しい許嫁を得ることとなり、戸惑う佐内。しかし御家騒動と二胴を巡る争いはさらに激化し、佐内の周囲は血で血を洗う様相を呈することに……


 本作は、原作小説『必殺剣二胴』から、幾つか設定(例えば本作の唐津藩は、原作では架空の藩であり、御家騒動の内容も異なります)を変えつつも、原作の登場人物や主な内容に「ほぼ」忠実に漫画化した作品であります。
 一撃必殺の秘剣・二胴の正体は、姿なきその遣い手は何者なのか、そして佐内は二胴を破ることができるのか? そんなミステリ要素を持つ剣豪ものとしての興趣と、金で雇われる走狗である佐内たち刺客のハードな生き様と――二つの要素を持つ原作を、本作は巧みに漫画として再構築しているといます。

 そんな本作の魅力の一つは、言うまでもなくその剣戟シーンの凄まじさであります。冒頭からラストまで、数多くの流派の剣士・刺客たちが、様々なシチュエーションで死闘を繰り広げる本作ですが、その一つ一つが凄まじい迫力と緊迫感に満ちた、まさしく「死闘」。
 もちろん、作者が剣戟を描くのはこれが初めてでは決してありませんが、剣戟シーンをメインとするという印象はなかっただけに、嬉しい驚きというほかありません。特にラスト二戦の、台詞を極限まで省いての剣戟描写は、こちらも息を呑んで見つめるほかない凄まじさが強烈に印象を残します。


 しかし本作の魅力はそれだけではありません。次々と命が奪われていく殺伐とした物語でありながらも、いやそれだからこそ、登場人物は皆活き活きとした存在感を持って感じられます。
 その筆頭が主人公である佐内であることはいうまでもありませんが(ちなみに彼が役者のような美青年というのは原作由来)、しかし読者にとって最も印象的なのは、おそらく相良ではないでしょうか。

 佐内たち刺客に敵対派の暗殺を依頼してきた江戸家老の懐刀であり、佐内との繋ぎ役ともいうべき相良。当然と言うべきか切れ者であり、いかにも食えないやり手なのですが――しかし衆道趣味という彼の一面こそが、強いインパクトを残します。

 刺客とは思えぬ美形である佐内を一目で気に入り、以後、事あるごとに彼に粉をかけようとする相良。一歩間違えるとイロモノになりかねないキャラクターですが、しかし衆道趣味はあくまでも彼の一面、上で述べたような様々な顔を同時に見せることで、何とも複雑で、魅力的な人物像を作り出しているのであります。

 そしてこの相良の存在は、ある意味この『暁の犬』という漫画の、原作から離れた独自性を象徴しているのですが――長くなりましたので、次回に続きます。


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻 /第2巻 /第3巻 /第4巻 /第5巻 /第6巻


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2023.11.06

石川賢&夢枕獏『アーモンサーガ 月の御子』 古代印度の英雄、平安京に現る!?

 夢枕獏の初期の名作・印度怪鬼譚シリーズを、あの石川賢が漫画化した作品であります。古代インドで、象にも勝る怪力を誇る豪傑アーモンと、おつきの老仙人ヴァシッタが、様々な怪異に挑む原作でしたが――本作の舞台は平安時代の日本。らしいといえばらいしですが一体何が!?

 月がやけに大きく見える晩、魔物が出るという平安京の羅生門に突如現れた奇怪な魔物と、それと激しい戦いを繰り広げる異国の戦士・アーモンとその従者・ヴァシッタ。夜毎人を惑わすという盗賊バッダカの晒し首を肴に酒盛りをしようとしたアーモンは、魔物と化したバッダカに襲われ戦いを繰り広げていたところ、時空を飛び越えて平安京に現れてしまったのであります。

 倒されたものの、月の王の意思に沿い、アーモンをこの世界に連れてきたと満足げに散ったバッダカ。はたしてその直後、アーモンやその場に集まった盗賊たちに、奇怪な傀儡たちが襲いかかります。激闘の末に傀儡師の正体を見破り、これを倒したアーモンは、傀儡師が「かぐや姫」なる存在に仕えると知ったアーモン主従は、月を追って旅立ちます。

 途中、羅生門で共に戦った元罪人・阿座土と再会し、旅を共にすることとなった主従。阿座土の故郷で、恐るべき魔物の襲撃を受けた一行ですが、そこで阿座土は半人半獣の意外な姿を現します。
 実はかつて桃太郎と共に鬼ヶ島の鬼を滅ぼした供のうち、犬一族の末裔だった阿座土。しかし犬の一族は桃太郎に逆らい、皆殺しにあったのです。

 そして今は妖天童子と名乗る桃太郎の元にかぐや姫が現れると知ったアーモンたちは、桃太郎の下に向かうことに……


 『闇狩り師』(なんと「小学四年生」連載)と並び、石川賢による夢枕獏作品の漫画化である本作。しかしここまで紹介してきたように、その内容は、原作からは大きく飛躍したものとなっています。
 そもそも原作の舞台は古代(おそらくはブッダのいた頃)のインド、平安時代の日本とは単純に考えても千年は離れています。それが(作中の理由ではなく)何故――と考えてももちろんわからないのですが、しかし、妙に違和感がないのもまた事実であります。
(石川賢も「羅生門」「新羅生門」「桃太郎地獄変」と描いていますし……)

 特に筋骨隆々で、いかなる魔物にも己の身一つで挑むアーモンの肉弾アクションは石川賢の自家薬籠中のもの。その中でも桃太郎戦は、不死身の相手にも負けない、いや不死身だからこそ容赦がしない攻撃といい、身も蓋も容赦もないフィニッシュといい、本作のクライマックスの一つを見事に飾っています。
 もちろん、石川賢ならではの、魑魅魍魎としか評しようのない魔物たち(空間に満ちた魔物というか、魔物の満ちた空間というか)の迫力は、言うまでもありません。

 言ってみれば、原作の設定から感じた(というか何というか)違和感を、画のパワーで圧倒してしまった――そんな作品であります。


 しかし面白いのは、これだけとんでもないことをやっているようで、意外に原作を拾っていることであります。
 冒頭でアーモン主従が平安時代に現れるきっかけとなったバッダカの首見物のくだりは原作の「人の首の鬼になりたる」に忠実ですし、傀儡の襲撃は「傀儡師」のエッセンスが、そして阿座土の故郷での悲劇は「夜叉の女の闇に哭きたる」をほぼそのまま取り入れ――と、驚くほど原作由来の描写、展開を取り入れているのです。
(そのほか、阿座土ら中盤に登場する獣人たちも、原作の要素かと思います)

 もっとも、その割にアーモンは、原作よりもだいぶ紳士寄りというか、荒っぽさが薄れた(より王子寄りの?)キャラ造形なのが、ちょっと不思議ではありますが……


 しかし本作の最もユニークな点は、ラストに明かされる、かぐや姫がアーモンを狙う理由でしょう。実は×××だったかぐや姫(という設定も色々な意味で驚きますが)が、わざわざ平安時代の日本にまでアーモンを引き寄せた、その理由は……
 正直なところ、伝奇ものやファンタジーものでは結構あるパターンなのですが、おそらくは石川賢の作品ではかなり珍しいもの。しかもこれは原作由来ではないというのに、一番驚かされました。

 原作を踏まえつつもそれを飛び越え、全く新しいものを描く――口にすれば簡単ですが、実際には難しいそれを達成してみせた本作。必読とはいいませんが、今ではeBookJapanの電子書籍で気軽に読めるので、興味をお持ちの方はぜひ。


『アーモンサーガ 月の御子』(石川賢&夢枕獏 イーブックイニシアティブジャパン) eBookJapan


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2023.11.02

菊川あすか『大奥の御幽筆 あなたの想い届けます』 大奥で過去を乗り越えた少女の新たな御役目

 先日続編が刊行された大奥もの――といっても少々変わったアプローチの作品であります。亡霊が見えるために幼い頃から家族から虐待されてきた少女が、叔母の伝手で入った大奥。そこで彼女は、記憶を失った青年武士の亡霊とともに、大奥を騒がす亡霊騒ぎの陰に潜むものを解き明かすことに……

 生まれつき亡霊が見える目を持つことために、血の繋がった家族から「呪われた子」と蔑まれ、奴隷のような生活を送ってきた里沙。唯一自分の味方であった祖母も亡くなって三年、もう自分の意味を見失いかけていた里沙は、叔母で今は大奥の右筆を務めるお豊から、大奥勤めを誘われるのでした。

 こんな自分でも誰かの役に立てるならば、とその勧めに従い、御年寄・野村の部屋子となった里沙。先輩の部屋子であり気さくなお松と早くも打ち解けることができた里沙は、ほどなくして大奥で奇妙な騒動が起きていることを知ります。
 夜間に長局の巡回を行う御火の番たちが、亡霊の泣き声を聞き、怖がって体調を崩す者まで現れている――幼い頃から亡霊は見慣れている里沙は、自分であれば何かできるのでは、と、亡霊の正体を探ると名乗りを挙げるのでした。

 野村からの許しを得て、御火の番に代わって見回ることとなった里沙ですが、しかしその前に現れたのは、美麗な青年の亡霊・佐之介――記憶を失って長い間彷徨い続け、ようやく里沙に見出された彼は、自分も泣き声の正体探しを手伝うと申し出ます。
 かくて、佐之介と共に見回りを行った里沙は、ついに泣き声の正体を発見するのですが……


 時代ものではメジャーではありつつも、ライト文芸/ノベルでは舞台になりにくい大奥(平安時代の宮中ものは人気なのに)。本作はその比較的珍しい例外であると同時に、大奥の権力争いではなく、そこに生きる女性たちの姿を描くことがメインという点でもユニークな作品です。

 実際、大奥を舞台としつつも、本作に登場するのは、将軍の御台所や側室などではなく、大奥を支える奥女中たち――上は御年寄から下は御末まで、様々な大奥で暮らす「普通の」女性たちの姿が描かれます。
 しばしば、大奥は外の世界とは隔絶した異世界のように描かれます。それはある意味事実ではあるものの、なにもそこで繰り広げられるのは寵愛や権力争いばかりではなく、大半の人間はごく普通に暮らしていたというのも、考えてみれば当たり前の話でしょう。

 とはいえ、それだけではドラマにならないわけですが、本作はそこに外の世界――自分の家族という世界で虐待同然の扱いを受け(そのひどさたるや、いつざまぁ展開になるのか思わず期待してしまうほどですが、人を見返そうなどと思わない里沙の前向きさが素晴らしい)、行き場をなくした少女の再生譚という性格を与えています。
 大奥に入った女性それまでの名前を捨て、女中としての名を名乗ります。それを一つの再生の象徴として――この辺りは主人公の里沙というよりも、もう一人別のキャラクターを通じた部分が大きいのですが――描いているのに感心させられました。

 もちろん、過去を捨てるのが良いことばかりではありません。物語の核心に触れるために詳細は述べられないのですが、本作の亡霊――本作には佐之介のほかにもう一人亡霊が登場するのですが、佐之介同様に過去の記憶を持たないこのもう一人の正体は、まさにこの捨ててきた「過去」に関わるものなのですから。

 しかし、仮に捨ててきた「過去」を思い出し、埋め合わせをしたくとも、幽冥境を異にする人間と亡霊では言葉を交わすことはできません。それではどうすれば相手に想いを伝えることができるのか? そこで里沙に与えられる役目には、なるほど! と大いに納得させられました。
(ただ、御火の番に亡霊の声が聞こえていたということを考えると、クライマックスの展開に「おや?」となる部分もあるのですが……)

 親から名前を呼ばれることなく育った少女が、新たな名を得ることでその過去を乗り越え、他人のため――いや人と亡霊の心を救うために奮闘する。本作はその姿を真っ正面から描いて見せた物語なのです。


 こうして大奥での生活を始めた里沙ですが、彼女を支える佐之介の正体はまだまだ謎のままですし、周囲の人々にも秘められたドラマがある様子。先日発売された続編も、いずれ紹介したいと思います。


『大奥の御幽筆 あなたの想い届けます』(菊川あすか マイクロマガジン社ことのは文庫) Amazon

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2023.10.31

高田崇史『江ノ島奇譚』 稚児ヶ淵の真実 高田流時代奇譚

 独自の視点から歴史を再解釈するミステリを得意とする作者の、おそらく初の時代小説であります。今も昔も変わらぬ景勝地・江ノ島を舞台に、破戒僧と飯盛り女が対峙する悪夢の世界とは。稚児ヶ淵伝説を題材に、奇妙な物語が展開します。

 幼い頃から入っていた寺を、自分でも記憶のない理由から出奔し、以来下働きをしながら各地を転々としてきた勝道。今は藤沢宿の茶屋の飯盛り女・お初の間夫となって暮らす勝道は、ある日お初から、どこか大きな寺社にお参りに行きたいと言われるのでした。
 理由を尋ねてみれば、三晩続けて目も鼻も口も耳もない「ぬっぺっぽうみたいな」僧侶に暗闇から手招きされる悪夢を見たというお初。魑魅魍魎の類いは一切信じない一方で、なぜか「ぬっぺっぽう」だけは恐ろしい勝道は、江島明神の弁財天詣でに行くことを提案します。

 何度か坊主の身投げがあったという噂にお初は尻込みしたものの、結局は江ノ島に行くことになった二人。一通り詣でた後、本宮岩屋に向かう二人は、途中の茶屋でかつて起きたという悲恋物語を聞かされるのでした。

 江ノ島への百日参りの最中に一人の美童に目を奪われた、建長寺広徳庵の僧・自休。その稚児が鶴岡相承院の稚児・白菊と知った自休は、恋に狂い、白菊に頻りと文を送ったのですが――自休の想いに弱り果てた白菊は江ノ島から淵に身を投げ、自休もまたその後を追ったというのです。

 その物語の内容にある矛盾を感じつつも、お初とともに岩屋に向かった勝道。その奧で、二人は一心不乱に祈る僧と出会うのですが……


 僧と稚児の悲恋物語として、今なお伝わる稚児ヶ淵の伝説。その内容は上で述べた通りですが、本作は主人公カップルが出会った恐怖を通じて、その伝説の「真実」を語ることとなります。
 面白いのは、勝道とお初の物語の合間に、伝説の一方の主役である自休その人の物語が挟まれることで――少しずつ語られる過去の物語を通じて、「真実」にある種の説得力を与えている構成には、なるほどと感じます。

 その一方で、時として物語の本筋以上にふんだんに語られる蘊蓄の数々は、いつも通りといえばいつも通りなのですが、知らないで読むと違和感を持つ方もあるのでは、とは感じます。
 全体の約三割を、「高田山宗」なる作者の通し狂言「稲荷山恋者火花」の台本が占めているのも(これまた作者らしい内容ではあるのですが)驚かされるところではあります。

 その意味では、作者のファン向けの一冊という印象は強くある作品ではあります。


 冒頭で触れたように、本作は作者初の時代小説(『鬼神伝』はやっぱり歴史ものの範疇ということでしょうか)ということですが、勝道とお初の設定や、二人のやり取りなどはなかなか良い(実質エピローグに当たる「芝居がはねて、江戸の宵闇」の章の情感など)だけに、惜しいような、これはこれでよいような――何とも不思議な味わいの一冊です。


『江ノ島奇譚』(高田崇史 講談社) Amazon

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2023.10.25

波津彬子『あらあらかしこ』第1巻 名前のない手紙が語る不思議の物語

 端麗な不思議の世界を画いては右に出る者のいない作者の新作は、明治末から大正あたりの時代を舞台に、送り手の名前のない手紙が語る不思議な物語を綴る連作。小説家の書生の少年が垣間見る、各地の不思議とは……

 小説家・高村紫汞先生に憧れて弟子入りを志願するも断られ、その代わりに住み込みの書生となった少年・深山杏之介。家事や事務仕事の手伝い、猫の櫨染さんの世話をすることになった彼は、先生の作品の清書も任せられるようになります。

 ある日、先生の元に届いた、送り手の名前のない手紙。それを題材に先生が書いた随筆を清書することになった杏之介は、その内容に驚くのでした。
 日本中を旅しているという送り手が、奈良で聞いた不思議な話。それは、そこで転んだ者は猫になってしまうという「猫坂」にまつわるもので……


 これまでも『雨柳堂夢咄』をはじめとして、静かで美しく、時にユーモラスで時に暖かく、そして時にヒヤリとさせられる不思議の世界を描いてきた作者。本作ももちろんその系譜に属する作品ですが、何ともユニークなのは、枠物語としての設定であります。
 上で述べたように、本作の中心になるのは、送り手の名前のない手紙に綴られた物語。どうやら先生の親しい知人であるらしい女性が記すその手紙には、日本中を旅する彼女が行く先々で出会った不思議な物語が――という作品構造の時点で、なるほど! と感心させられます。

 作品の主人公自体は(おそらく)東京に居る一方で、しかし不思議な手紙を通じて、諸国の物語が語られる――そんな二重構造が何とも巧みなだけでなく、遠くで語られた物語であるはずのものが、時に杏之介の日常に影響したりする、その不思議の匙加減が何とも絶妙なのです。
(ちなみに先生の家自体、元武家屋敷で、皿の数が増えたり減ったりするというのも楽しい)

 描かれる物語の内容も、各話のタイトル――「猫坂」「狸の皿」「天狗」「幽霊の掛軸」「福猫」「嫁入り狐」――が示すように、どこか古き良き不思議の長閑さを感じさせるものばかり。上品な、それでいて堅苦しくない内容からは、どこか居心地の良さすら感じさせられます。
 もちろんそれもまた、作者の作品ならではの味わいですが……

 ちなみにもう一点見逃せないのは、本作に登場する猫たちの(可愛)らしさ。先生の家で飼われている櫨染さんなど、実に漫画的な猫ではあるのですが、しかしフッとした仕草に実物の猫らしさが漂うのは、やはり愛猫家の作者ならでは――と感じます。


 どうやら杏之介自身、何やらワケありのようですが――そちらの展開も気になるものの、もう少しこのゆったりした浸っていたいと心から思わされる、そんな素敵な物語であります。


『あらあらかしこ』(波津彬子 小学館フラワーコミックス) Amazon

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2023.10.23

山本巧次『岩鼠の城 定廻り同心 新九郎、時を超える』 町同心、再び戦国にタイムスリップ!

 江戸の町奉行所同心・瀬波新九郎が戦国時代にタイムスリップして怪事件を解決した『鷹の城』の、まさかの続編であります。再び戦国時代に行ってしまった新九郎が挑むのは、自分たちの先祖が嫌疑をかけられた太閤秀吉の側衆殺し。石田三成から事件解決を命じられた新九郎の推理は……

 江戸南町奉行所・定廻り同心として、今日も常磐津の師匠殺しの探索に忙しい瀬波新九郎。しかしその途中、池に落ちた子供を助けようとした彼は自分も転落、気付いてみれば――そこは関白秀次とその妻妾たちが処刑されたばかりの文禄年間の伏見!
 そこでかつてタイムスリップした際に事件を解決し、その身を救った青野城城主・鶴岡式部が謀叛に連座した疑いをかけられ、憧れの人であった奈津姫も窮地に陥っていると知った新九郎。しかも、式部の家臣の硬骨漢・湯上谷が、主を讒言した秀吉の側衆・田渕を殺した疑いをかけられているというではありませんか。

 実は奈津と湯上谷は自分の先祖、そうでなくとも旧知の相手を放っておくわけにはいかないと考えた新九郎は、石田三成たちによる奈津の詮議の場に潜り込み、湯上谷が下手人とした場合の矛盾点を突いてみせるのでした。
 それが元で三成に認められた新九郎は、湯上谷の無実を証明するため、限られた日数で事件の解決に挑むことになるのですが……


 江戸時代から戦国時代という、珍しい過去から過去へのタイムスリップを用いた時代ミステリとして、唯一無二の作品であった『鷹の城』。内容的に一作限りのアイディアと思われた同作ですが、何とその文庫版の刊行の翌月に、書き下ろしで登場したのが本作であります。
 それにしてもあの内容でどうすれば続編が――と思いきや、前作のラストで語られた鶴岡家の歴史を踏まえて、同家の第二の危機というべき事件を用意してみせたのには感心させられます。(タイムスリップの理屈については、まあ前作同様)

 そして新たに新九郎が挑む事件も、派手さはないもののきっちりとミステリしているのが嬉しいところです。
 田渕が自邸の庭で殺害された当時訪れていた三人の客。それぞれに怪しく感じられる彼らの犯行前後の動きを分析し、そこから生まれる隙間や矛盾を丹念に潰していく――当然の捜査手法ですが、しかしこの時代にそれをある種の経験知を踏まえて実行できるのは、なるほど世界最大の都市である江戸で一種の職業探偵を務めていた町同心の新九郎だけでしょう。

 もちろん事件の方は一筋縄ではいかず、捜査中に新たな事件が、というのもある意味定番ですが、しかし設定が設定だけになかなか盛り上がります。さらに捜査の途中に何者かの刺客に襲われた新九郎を救ったのは、石田三成といえば――のあの人物なのにもニンマリさせられます。

 先に本作の事件には派手さはないなどと書いてしまいましたが、しかしその代わりというべきか、史実の登場人物が幾人も絡み、戦国ものとしての魅力は前作以上という印象がある本作。いや、そもそも物語の発端自体、関白秀次の処刑という史実であることを思えば、本作は歴史ミステリとして実に魅力的な作品というほかありません。
(そうしたマクロな歴史が描かれる一方で、新九郎が自分の先祖の危難に挑むというマクロな歴史の物語であるのも楽しい)

 それにしても気になるのは『岩鼠の城』というタイトルですが――終盤で語られるその意味には、大きく変質していく戦国という時代と、その象徴ともいうべき存在を浮き彫りにするものとして、なかなか巧みといえるでしょう。
 戦国時代の事件が、江戸時代の事件に繋がるという結末も良く、良く出来た変格歴史ミステリというべき作品であります。


 と、前作の続編としても綺麗に終わっている本作ではありますが、これは設定的にもう一作あるのでは……


『岩鼠の城 定廻り同心 新九郎、時を超える』(山本巧次 光文社文庫) Amazon

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