2023.11.30

冲方丁『剣樹抄』 光圀が追う邪悪 少年が踏み込む地獄

 先日、続編が文庫化された連作時代活劇の第一作であります。江戸時代前期、子供たちの隠密集団・拾人衆と共に、増加する火付け盗賊の取り締まりに奔走する水戸光圀と、彼と奇しき因縁で結ばれた無宿の少年・六維了助の戦いを、様々な歴史上の有名人を配して描く物語であります。

 幼い頃、旗本奴に父を殺害され、以来、同じ無宿の人々に育てられてきた了助。しかし明暦の大火で育ての親を失い、ただ一人辛うじて生き延びた彼は、深川で芥運びなどをして命を繋ぐことになります。

 一方、突然に父から火付けを働く浪人一味を追うように命じられた若き水戸光圀は、幕府が密かに育成してきた、子どもばかりの隠密組織・拾人衆の存在を知るのでした。
 それぞれ特技を持つ拾人衆の力を活かし、先手組の徒頭・中山勘解由とともに、正雪絵図なる精巧な絵図面を持つ一味を追う光圀。しかし、その一人を密かに追う光圀たちの前に現れた了助は、野球のバッティングめいた異形の剣術で、浪人に襲いかかります。

 我流で木剣の修行を重ね、育ての親や皆の仇として、火付け一味を狙っていた了助。その凄まじい技と執念に目を付けた光圀は、拾人衆に了助を誘います。
 人の世話になることに反発と恐れを感じながらも、相次ぐ事件の中で様々な人と触れあい、成長していく了助。そんな了助と絆を育む光圀ですが、彼には絶対了助には明かせない過去が……


 江戸市中はおろか江戸城天守閣までが消失し、死傷者も甚大な数に及んだ江戸時代最大の大火にして、その後の江戸の都市計画にも大きな影響を与えた明暦の大火。
 出火の原因は、若くして死んだ娘の念が籠もった振袖だという怪談めいたものから、かの由井正雪の残党によるものだという説まで様々ですが、本作はその後者を踏まえつつ、物語を展開していくことになります。

 江戸においては様々な理由で「効率のいい」火付け盗賊。本作ではこれを取り締まるために、まさに後の火付盗賊改である火付改加役の中山勘解由とともに、まだ藩主を継ぐ前の水戸光圀が奔走する――という時点で、作者の名前を見ればオッと思う方も多いでしょう。
 言うまでもなく作者の冲方丁の歴史ものの代表作は『光圀伝』――本作はそのスピンオフと明示されているわけではありませんが、光圀・泰姫・左近・頼房といった面々が登場、そして『光圀伝』では武蔵との出会いとなったあの事件が、物語の背骨として位置付けられています。

 しかし本作は、光圀の――武士の視点(もっとも光圀は、それまでの武士からは些か異なる立場にはあるのですが)からのみ描かれるわけではありません。もう一人の主人公として、無宿者として生きてきた了助を配置することで、変わりゆく江戸という街を、変わりゆく武士という存在を、重層的に描くことに成功しているといえるでしょう。


 そしてまた本作で魅力的なのは、次々と登場する実在の人物たちであります。先に挙げた中山勘解由のほか、勝山、水野十郎左衛門、幡随院長兵衛、明石志賀之助、鎌田又八、龍造寺伯庵等々――これら同時代の人々が、短編連作スタイルの物語の中で、様々な形で火付け盗賊を巡る騒動に絡んでいく姿には、伝奇時代劇ならではの楽しさが溢れています。
(その中でも旗本奴と町奴の争いが意外な方向に展開していく「丹前風呂」は出色)

 そしてその一方で、架空の人物もまた、実在の人物に負けないほどの重みを持ちます。その中でも特に強烈な印象を残すのは、作品通しての光圀と了助の宿敵となる、錦氷ノ介であります。
 総髪の美形で、隻腕に鎌を取り付けた剣鬼、いや剣狂というべき氷ノ介。作品の随所で火付け盗賊の一味として邪悪な姿を見せる彼の誕生の陰には、実在の大名・稲葉紀通が起こした稲葉騒動がありました。そのある意味作者らしい凄まじい地獄の描写は、憎むべき邪悪でありながらも、彼もまた犠牲者の一人という、何ともやりきれないものを感じさせるのです。


 そして人間が生み出した地獄は、一人、氷ノ介のみが見るものではありません。名前も顔もわからぬ仇を討つために、ひたすら剣を練る了助もまた、その心の中に一つの地獄を持っている、いや、持っているといわぬまでも地獄に近づいているのですから。

 本作のタイトルにある「剣樹」――それは了助が身を置く東海寺で見た、刃の枝葉を持つ樹に貫かれる地獄絵図に由来します。
 了助が父の仇を知った時に、恐れつつも魅せられたその地獄に彼は踏み込んでしまうのか? 本作の中では描かれなかったその時に、了助は、そして光圀は何を想い、どのような道を行くのか――それが描かれる続編も、近日中にご紹介いたします。


『剣樹抄』(冲方丁 文春文庫) Amazon

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2023.11.26

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その二) カエサルからルパンへ! そして青春時代は終わる

 アルセーヌ・ルパンものの代表作『奇岩城』の紹介の後編であります。少年探偵ボートルレが見つけた謎の紙片に記された暗号。それが示すものとは……
(作品の終盤の展開に触れることになりますのでご注意下さい)

 それは遙か古代から続く王者の証、そして神出鬼没の怪盗紳士・ルパンの力の源だった――そんな途方もない展開を、本作は見せることになります。いうまでもなく、それが「奇岩城」こと「空ろの針」なのですが、その正体がまた、最高に伝奇的としかいいようがありません。

 カエサルからヴァイキングの王、イギリス王家からフランス王家へ――歴代の王者たちの権力の源であったと言われる「空ろの針」。その秘密は徹底的に秘匿され、かの鉄仮面が幽閉されたのも、ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのも、この秘密を知ったためだった。そしてその秘密は、処刑寸前のルイ16世からマリー・アントワネットに託されて――と、伝奇者であれば確実に体温が上がる設定ではありませんか。
(さらにこの秘密は、ルブランの作品世界を貫く「カリオストロ四つの謎」の一つという、さらにたまらない設定も後に追加されることになります)

 ルブランの作品が、しばしば歴史趣味に彩られていることはつとに指摘されるところですが、むしろこれは伝奇趣味というべきでしょう。史実を知れば知るほど、この辺りはテンションが上がってしまうのです。
 そしてその巨大な流れを「カエサルからルパンへ」という言葉で表すセンスよ!


 しかし、実はこの「空ろの針」こそが、これまでのルパン物語の背後に存在する大秘密だった――と、大河ドラマ的趣向までここで描かれることになります。そう、実に本作は、これまでのルパン物語の総決算、一つのピリオドという意味付けすら感じられるのです。

 それはこの「空ろの針」の秘密もそうですが、登場人物の点でも、その印象が強くあります。ルパンの宿敵・ガニマール警部、ルパン物語の語り手「わたし」、そしてイギリスの名探偵シャーロック・ホームズ(と訳されるエルロック・ショルメ)、さらには乳母のビクトワールといった、お馴染みの面々が次々登場するのは、やはりシリーズものの醍醐味でしょう。
 しかし実はこのうち、ビクトワール以外の三人の登場は(後付け的に登場したケースを除いて)これがラスト。ルパン物語の初期を――「怪盗紳士」のイメージを固める時期を――飾った三人の退場は、一つの区切りを強く思わせます。

 いや、退場するのは彼らだけではありません。ルパンその人も、ここでその怪盗紳士としての人生を終えようとしていたのですから。
 終盤、ついに「空ろの針」の謎を解き明かしたボートルレの前に現れるルパン(ここでそれなりに予想できるとはいえ、衝撃の展開が用意されているのが心憎いのですが、それはさておき)。ボートルレに「空ろの針」の秘密を、そして自分自身の戦果を、ルパンは語ります。まるで全てをボートルレに伝え残すように……
 それもそのはず、実はある理由から、ルパンは怪盗紳士としての自分の半生を擲とうとしていたのであります。

 つまりまさに本作は(結果としてどうであったかはともかく)ルパンにとっては一つの大きな区切りとなる物語――そしてその物語を語るのに、ルパン自身やこれまでルパンに接してきた者ではなく、全くの第三者だったボートルレを選ぶというのは、これまでのルパンの物語を俯瞰する上で、大きな意味があったと感じます。
(そしてルパンが、ボートルレと敵対しつつ、どこか教え諭すような態度であったことも頷けるのです)


 しかし物語は、あまりに突然の、そして思わぬ悲劇でもって幕を下ろすことになります。この結末は、色々な意味でどうにもやりきれないのですが――しかしある種の因果を感じさせるこの結末以外、この物語の結末はあり得なかったのもまた事実でしょう。
 この後、ルパンは、もう一つのピリオドというべき雄編『813』が控えているわけですが――どこか野望に憑かれた彼の姿を見ると、ルパンの青春時代は本作で終わったのだな、と感じさせられるのです。

 この辺りの感覚は、間違いなく大人になって初めて感じられるもので、ぜひ子供の頃に本作に親しんだ方は、もう一度読み返してほしいと思います。


 それはさておき、ホームズファンとしては結末には一言もの申したくなるわけですが――いや、ここであの「大役」を果たせるのは、彼だけだというのは理解できるものの。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.25

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その一) 怪盗紳士vs少年探偵! 知名度No.1の名作

 アルセーヌ・ルパンもの数ある中で、おそらくは最も知名度が高い作品であります。被害なき盗難事件に始まり、張り巡らされた数々の謎と暗号を巡り、高校生探偵イジドール・ボートルレがルパンと頭脳対決を繰り広げる――シリーズ初の長編、そして伝奇色も濃厚な、名作中の名作であります。

 ある夜、ノルマンディのジェーブル伯爵の屋敷に何者かが侵入、秘書が殺される事件が発生。自ら銃を取った伯爵の姪・レイモンドが屋敷から逃走する人物を撃ち、傷を負わせるのですが――そのまま謎の人物は姿を消し、そして屋敷からは盗まれたものは何も見つからないという、不可解な事態となるのでした。
 混乱を極めるその現場に現れたのは、若干17歳の高校生にして素人探偵のボートルレ少年。わずかな手がかりで屋敷から何が盗まれたか、そして秘書が誰に殺されたかを見抜いたボートルレは、事件の犯人がルパンであり、ルパンはまだ屋敷の敷地内にいると指摘するのでした。

 しかし休暇を終えたボートルレが学校に戻った後も、警察の捜査虚しくルパンは発見されず、それどころか報復のためか、レイモンドが誘拐されることになります。
 再びノルマンディを訪れたボートルレは、ついに傷を負ったルパンの隠れ場所を発見するも、そこにあったのは死体のみ。はたしてルパンは本当に死んだのか、レイモンドの運命は――そして、レイモンドの誘拐場所で見つかった紙片に記されていた不可解な暗号は何を意味するのか。

 そしてなおも真相を追うボートルレの前に現れた人物。その正体は……


 という冒頭1/3の時点までで、既に波乱万丈な展開が連続する、この『奇岩城』(『奇巌城』表記もありますが、ここではハヤカワ文庫版に依ります)。
 ここまでで普通の長編並みの満腹感ですが、物語はここからが本番であります。ルパンとボートルレとの一進一退の――いや、ボートルレが追いついたと思えば、その一歩も二歩も先を行ってるルパンとの攻防は、周囲の人々を巻き込みながら続ます。そこにさらに謎の暗号の秘密が有機的に絡み、最後の最後まで盛り上がりは止まりません。

 そんな本作の大きな魅力が、ボートルレその人であることは、衆人の認めるところでしょう。これまで数々の職業探偵や悪人たちを退けてきたルパン――そのまず間違いなく最強の敵の一人が、高校生の素人探偵という設定の妙にまず唸らされます(ルルーの『黄色い部屋の謎』のルールタビーユの影響では、というのはさておき)。
 しかし今読み返してみると、ボートルレは、ルパンとは別の意味で感情豊か――というか「多感」で、特に悔しいことやショックなことがあった時によく泣くのが、年頃の純心な少年らしく印象に残ります。

 特にルパンを一度は出し抜いて(と思われて)開かれた祝賀会のまさにその場で、自分の推理の誤りを指摘され、何も言えずに泣き出してしまうくだりは、ある意味実に意外な、隠れた名場面であります。
 しかしこの場面ではありませんが、出し抜かれて目を潤ませるボートルレに
「本当にかわいいね、きみは……思わず抱きしめたくなるよ……いつも驚いた目をしているのが、胸に迫るんだ……」
と語りかけるルパンには、さすがに驚かされるのですが……

 それはさておき、本作はルパンシリーズとは言い条、主人公はボートルレであって、ほぼ完全に彼の視点で物語が進み、ルパンはその敵役というべき立ち位置で描かれることになります。しかしだからこそ本作では、ルパンの巨大さというものが、強烈に印象付けられることになります。
 これまでは読者としてルパンの立場から見ていたものが、一度敵側に回せばこれだけ恐ろしい相手なのかと――長編であるだけに、本作ではじっくりと描かれ、厭でも理解させられるのです。
(もっとも本作の場合、その強大さを感じさせる手段として、誘拐が妙に多い気がするのはどうかと思いますが)


 さて、もちろん本作の魅力はそれだけに収まりません。ボートルレがルパンを追ううちに、否応なしに直面させられることになる謎。それはあの謎の紙片に記された暗号――かろうじて「空ろの針」と読み解けたその暗号が示すものは何か!? 

 それは――思いのほか長くなりましたので、次回に続きます。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.19

「コミック乱ツインズ」2023年12月号

 号数でいえば今年ラストとなる「コミック乱ツインズ」12 月号は表紙が何と『江戸の不倫は死の香り』、巻頭カラーは『鬼役』。『勘定吟味役異聞』が最終回を迎える一方で、、ラズウェル細木『大江戸美味指南 うめえもん!』がスタートします。今回も印象に残った作品を紹介しましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ジファルの過去編も終わり、今回から再び描かれるのは、ビジャの城壁を巡る攻防戦。そこで蒙古側が繰り出すのは、攻城塔――重心が危なっかしいものの、装甲を固め、火矢も効かないこの強敵を前に、ブブがまだ戦線に復帰しないビジャは窮地に……

 しかし、インド墨者はブブだけではありません。そう、モズがいる! というわけで、これまではその嗅覚を活かした活躍がメインだった彼が、ついに墨者らしい姿を見せます。攻城塔撃退に必要なのは圧倒的な火力、それを限られた空間で発揮するには――ある意味力技ながら、なるほどこういう手があるのかと感心。ビジュアル的に緊張感がないのも、それはそれで非常に本作らしいと感じます。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに今回で最終回、「父」吉保の置土産である将軍暗殺の企ての混乱の中で、徳川家の正当な血統の証を手に入れた柳沢吉里。しかしその証も、事なかれ主義の幕閣の手で――と、大名として残る吉里はともかく、ある意味同じ幕臣の手で夢を阻まれた永渕にとっては、口惜しいどころではありません。

 死を覚悟した永渕は、最後に聡四郎に死合を挑み、最終回になって聡四郎は宿敵の正体を知ることになります。聡四郎にとっては降りかかる火の粉ですが、師の代からの因縁もあり、ドラマ性は十分というべきでしょう。
 しかし既に剣士ではなく官吏となった彼の剣は――と、最後の最後の決闘で、彼の生き方が変わったこと、さらにある意味モラトリアムが終わったことを示すのに唸りました。

 そして流転の果てに、文字通り一家を成した聡四郎。晴れ姿の紅さんも美しく(吉宗は相変わらず吉宗ですが)、まずは大団円であります。が、もちろんこの先も聡四郎の戦いは続きます。その戦いの舞台は……
(と、既にスタートしている続編の方はしばらくお休み状態ですが――さて)


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 特別読切と言いつつ先月から続く今回、売られていく幼馴染を救うために店の金に手を付けた男を救うため、店の主から赦免嘆願を引き出した例繰方同心・内之介。しかしその前に切れ者で知られる上司が現れ――という前回の引きに、なるほど今回はこの上司との仕合なのだなと思えば、あに図らんや、上司は軽い調子で内之介の方針を承認します。
 むしろそれで悩むのは内之介の方――はたして法度を字義通りに解釈せず、人を救うために法度の抜け道を探すのは正しいのか? と悩む内之介は、いつもとは逆に自分が責める側で、イメージトレーニングを行うのですが――その相手はなんとあの長谷川平蔵!?

 という意外な展開となった今回。正直にいえば、二回に分けたことで、内之介が見つけた抜け道のインパクトが薄れた気がしますが――しかし、ここで内之介が法曹としての自分の在り方を見つめ直すのは、彼にとっても、作品にとっても、大きな意味があるといえるでしょう。単純なハッピーエンドに終わらない後日談の巧みさにも唸らされます。


『カムヤライド』(久正人)
 東に向けて進軍中、膳夫・フシエミの裏切によって微小化した国津神を食わされ、モンコたちを除いて全滅したヤマト軍。そして合体・巨大化した国津神が出現し――という展開から始まる今回ですが、ここでクローズアップされるのは、フシエミの存在であります。
 かつてヤマトでモンコに命を救われたというフシエミ。その彼が何故モンコの命を狙うのか――その理由には思わず言葉を失うのですが、それを聞いた上でのモンコがかける言葉が素晴らしい。自分の力足らずとはいえ、ほぼ理不尽な怒りであっても、全て受け止め、相手の生きる力に変える――そんな彼の言葉は、紛れもなくヒーローのものであります(そしてタケゥチも意外とイイこという)。

 その一方で、前回のある描写の理由が思わぬ形で明かされるのですが――そこから突然勃発しかかるカムヤライドvs神薙剣。また神薙剣の暴走かと思いきや、そこには意外な理由がありました。ある意味物語の始まりに繋がる要素の登場に驚くとともに、なるほどこれで二人の対決にも違和感がない――という点にも感心させられました。


 次号は創刊21周年特別記念号。今回お休みだった『真剣にシす』が巻頭カラーで登場。『軍鶏侍』は完結とのことです。


「コミック乱ツインズ」2023年12月号(リイド社)


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2023.11.05

夢枕獏『月神祭』 豪傑王子の冒険譚 夢枕流ヒロイックファンタジー

 夢枕獏の初期作品――最初の刊行時には「印度怪鬼譚」と冠されていたシリーズの合本版であります。古代インドを舞台に、豪傑アーモン王子とおいぼれ仙人ヴァシタが、各地で様々な怪異と出会う連作――その後の様々な作者の作品に通じるヒロイックファンタジーの名品であります。

 古代インドのとある王国の王子にして、人並み優れた巨躯を持つアーモン王子。象にも勝る怪力と、いかなる魔物も恐れぬ豪胆さを持つ彼の唯一の大敵は退屈――暇を持て余しては危険な冒険に首を突っ込み、幼い頃からのお付きの老仙人・ヴァシタにため息をつかせる毎日であります。

 今日も、処刑されて首を晒された盗賊が夜な夜な怪異を為し、王城でも指折りの戦士までもが惨殺されたと聞いたアーモンは、その首を肴に酒盛りをすると言い出して……


 という「人の首の鬼になりたる」に始まる本書は、短編集『月の王』と長編『妖樹』を合本した一冊。長短合わせ六つの物語が収録されています。

 恐るべき力を示す盗賊の首が秘めていた、哀しい真実を描く、上記の「人の首の鬼になりたる」
 旅の途中、追手に追われる赤子を連れた女や、異様な風貌の元罪人と出会ったアーモン主従が、妖が人を食らうという村に入り込む「夜叉の女の闇に哭きたる」
 前話に登場した、右半身が醜く焼けただれた元罪人・アザドが、何故か自分を執拗に付け狙う傀儡師が操る傀儡と壮絶な戦いを繰り広げる「傀儡師」
 人の尻に食らい付いて取り憑き、次々と宿主を変える魔物・黒尾精が出没する村に行きあったアーモン主従が、魔物退治に乗り出す「夜より這い出でて血を啜りたる」
 雪山(ヒマヴァット)を目指して旅する途中、閉ざされた空間の中の村に迷い込み、曰く有りげな四人の男や人に化けた魔物と出会ったアーモン主従。村から脱出しようとする主従の前に、この村を支配する異様な美女が現れる長編『妖樹』
 人語を解する獣たちが棲むという山に向かったアーモン主従が、四人の男女と共に大雨で洞窟に閉じ込められた末に怪異と遭遇する「月の王」

 アザドが主人公で、アーモン主従が登場しない番外編的な「傀儡師」を除けば、いずれもヴァシタの一人称で語られる連作であります。

 いずれも物語はシンプルといえばシンプル、退屈しのぎに出かけた先で、なりゆきで恐るべき魔物と対峙することとなったアーモンが、魔物と激闘を繰り広げる――というのが基本パターンなのですが、しかしキャラクター設定と情景描写の妙で読ませるのは、実に作者らしいというべきでしょう。
(ちなみに番外編の「傀儡師」も、アザドの独特のキャラを活かしつつ、日夜襲い来る敵との死闘を描いた名品であります)

 特にアーモンは、勇者というよりも豪傑――人並み外れた力を持ちながらもどこか呑気で、そして粗雑なようでいて心優しく情に厚いという、夢枕獏の得意とする豪傑キャラの一典型――というより原型といってよいキャラクター。
 本書に付された紹介等では、(『闇狩り師』の)「九十九乱蔵の原型キャラ」と記されていますが、それも納得であります。

 そしてそんなアーモンの大暴れを、彼を幼い頃から慈しみ、今なお「ぼっちゃま」と呼ぶヴァシタの視点から、時に驚嘆、時に慨嘆混じりに描くのが何ともユーモラスで、客観的に見ればかなり殺伐とした内容のドギツさを、巧みに和らげているといるのも巧みです。
 また、ほとんどの物語が、この主従が酒を酌み交わしているうちに、アーモンが一方的に盛り上がり、「いこう」とそういうことになってしまうのは、ある意味『陰陽師』の原型といえるのかもしれません。


 そしてもう一つ感じるのは、上で少し触れたように、基本的に殺伐とした――血と暴力と魔物とエロスという、ある意味パルプファンタジー的世界観を本作は受け継いでいるという点であります。
 なるほど、アーモンのキャラクターはらしいといえばらしいのですが、そこに彼らが出かける土地の情景など、天然自然の描写を詩情豊かに描くことによって、独自の世界観を生み出しているのは、見事というべきでしょう。

 まだ今のようにヒロイックファンタジーが一般的でなかった時代に、それを如何に日本に移植してみせるか――そんな試行錯誤の跡も窺われる佳品です。
(そしてそれを本当に日本に移植してしまった石川賢の漫画版については、近日中に紹介します)


『月神祭』(夢枕獏 徳間文庫) Amazon

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2023.11.01

東曜太郎『カトリと霧の国の遺産』 少女の見えない将来と幻の街の魔手

 児童書にして優れた伝奇ホラーだった『カトリと眠れる石の街』の待望の続編であります。エディンバラの博物館で働くことになったカトリの周辺で起きる連続失踪事件。それは幻の街にまつわる古物収集家のコレクションの展示に深く関わっていました。そして謎の魔手はカトリにまで……

 エディンバラで流行した謎の眠り病事件解決に奔走する中、博物館に興味を抱き、そこで働くという道を選んだカトリ。しかしそこで待っていたのは期待外れの退屈な仕事――しかも正式に学問を修めたわけでない少女であるカトリにとって、先行きは厳しく感じられるばかりであります。

 そんな中、奇矯な行動で知られ、つい先頃亡くなったアマチュア収集家・バージェス氏のコレクションが博物館に寄贈されます。呪われていると噂されるそのコレクションは、全てビザンツ帝国の「ネブラ」なる街にまつわるもの。しかし問題は、博物館の誰もネブラなる街のことを知らなかったことですが――しかしコレクションは特別展で展示されることになります。

 しかしそこで奇妙な事件が続発することになります。博物館を訪れた客が、次々と失踪――しかもその客は、いずれも件のコレクションを見ていたと思しいのです。
 展示室で奇妙な霧に満ちた空間に迷い込むという経験をしたカトリは、コレクションに秘密があると睨むのですが――展示物の一つである謎の街について記された年代記を調べる中で、ある発見をすることになります。

 そしてそれをきっかけに、己の身にも危機が迫っていることを察知したカトリ。以前の事件を共に解決したリズに状況を伝え、バージェス邸の探索に向かうカトリですが、時既に遅く……


 講談社児童文学新人賞の佳作を受賞し、一般読者からも好評を得た『カトリと眠れる石の街』。19世紀のエディンバラを舞台に、金物屋の娘で才気煥発な少女・カトリの活躍を、濃厚な伝奇ホラー味で描くその内容に驚かされ、続編を心待ちにしていましたが――本作はその期待に応える作品でした。

 上で紹介したように、幻の街を巡ってミステリアスに、そして不気味な――特に失踪者の「法則」が明らかになったシーンにはゾッとさせられました――ムードたっぷりに進む物語は、前作同様、既存の神話伝説に拠ることなく(というより本作の場合……)、独自の怪奇と謎の世界を描いていきます。
 もちろん、その恐怖を前にして、カトリが黙っているはずもありません。前作で手を携えて石の街の恐怖に立ち向かった上流階級の、しかしかなりアグレッシブな(作中で「武闘派」と呼ばれたのは納得!)少女・リズとともに、果敢にそしてロジカルに謎に挑む姿には、胸躍るものがあります。


 しかし本作のカトリは、勇猛果敢なだけではありません。前作のラストで自らが進むべき道として、家業ではなく博物館での研究を選んだ彼女ですが、選んだ道は前途多難。往くも険しく、戻る道もない――性格的にいまさら周囲に弱音も吐けず、五里霧中の自分の未来に対して、迷いと恐れを抱く姿が描かれるのです。

 そしてそれが、本作の内容と密接に結びついていくことになります。その様には、児童文学――子供は子供なりの過去を背負いつつ、広大な未来に向かって成長していく子供たちを主人公とする物語――において、主人公が対峙すべきもの(の一つ)は、将来の先行きが見えないことに対する不安であるのだな、と今更ながらに再確認させられます。


 もちろん、カトリは不安に沈むだけではありません。かなり危ないところまで行ったものの、再起した彼女が理解した、あるべき生き方――それは彼女たちよりもずいぶん長く生きてきた、そしてそれでもまだまだ不安を抱える自分のような読者にとっても、ごく自然に納得できる、そして心に光が灯ったような想いになるものです。
 そしてそれが物語と有機的に結びつくことによって、説教臭さとは無縁のものとして感じられるのもまた、素晴らしいところであります。(多くは語れませんが、完全に円満な解決ではないのに逆に納得です)

 そして一つの怪異は解決したものの、思わぬ人物の思わぬ行動を示唆して終わる本作。どうやらまだまだカトリの冒険を楽しみにしてよさそうです。


 ちなみに本作ではカトリとリズに重要な事実を語る人物が登場するのですが――名前が変えられているので当人ではないかもしれませんが、なるほどエディンバラに居た人物だった! と快哉を挙げたくなった次第です。


『カトリと霧の国の遺産』(東曜太郎 講談社) Amazon

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2023.10.14

さいとうちほ『輝夜伝』第13巻 月の使者迎撃を阻む人のエゴ!?

 竹取物語をなぞるように、ついにかぐやのもとにやって来た月からの迎えと、それを迎え撃とうとする都の人々。万全のはずの備えが次々と破られる中、ついに繭の中から復活した月詠の姿とは――そして一つの苦難を乗り越えた先に待つ、さらなる混乱とは……

 ついに竹速と結ばれた月詠が繭に包まれた後も事態は進行し、ついに次の満月の晩には月からの迎えがかぐやの元にやって来るという状況になった都。もちろんこれを人々が座視するはずもなく、北面と八咫烏は、月からの迎えを迎撃すべく、準備を整えます。
 その中心となるのは、八咫烏の長老・金鵄が発案した、月からの迎えの目を眩ませ、天女の身代わりを連れ帰らせようという作戦――そしてその身代わりに志願したのは、元々月に帰りたがっていた艶であったことが、事態を大きく悪化させることになります。

 艶が地上から去ることに大反対した治天の命によって、艶の代わりに身代わりに立てられることになった、かつて比叡山から月に帰った天女の末裔・琵琶。なるほど、彼女たちも天女の血を引いているのは確かですが、しかし彼女に想いを寄せている(?)凄王が黙っているはずもありません。

 すったもんだの末、身代わりに選ばれたのは、ここしばらく妙なところで目立っていたあのキャラで――と、月の使いがやってくる前に都人側が自然崩壊しかねないエゴのぶつかり合いであります。
 その果てに、ついにやってきた月の使者の前で、最悪の事態が最悪のタイミングで発生することになってしまうのですが……


 と、竹取物語でいえばクライマックスの部分に差し掛かった本作ですが、あちらに比べて都人側も有効打を用意していたはずが、一体皆どうしたの、と言いたくなるようなエゴをむき出しにした結果、あわやという状況に至ることになります。

 その窮地を打開できるのは――そう、主人公しかいません。繭を破って飛び出した月詠は、新コスチューム(表紙を参照)で大活躍、ついに月の使者たちを撃破するのですが――しかし、それはあくまでも一時しのぎにすぎません。何しろ月がそこにある限り、月の使者は満月のたびに訪れるのですから。それに対して都人側が今回と同じ手段で対抗できるとは思えません。

 いやそれよりも何よりも、原典通り(?)の変貌を遂げてしまったかぐや姫が、新たな問題を引き起こします。
 月の使者との遭遇の末に地上人への情をなくし、身も心も月の天女と化してしまったかのようなかぐや姫。しかし地上人への情をなくしたとしても、同じ天女に対しては――と、大変な方向に転がっていくのです。

 その変貌ぶりについては、ついに月詠の前に姿を現した月の女王が語る、月の天女たちの生と性が一つの答えとなるのですが――いやはや、そのとてつもない真実の前には、艶様の暴走が可愛らしくみえるほどであります。
 もちろんそれが彼女たちの持って生まれたものであれば、責めるわけにはいかないのですが――しかしこの真実を前にして、はたしてどのような解があるのか、途方に暮れるほかありません。
(それにしても、ここまで天女たちの存在を突き詰めた作品があったでしょうか?)


 いや、解がないわけではありません。それは戦って相手を攻め滅ぼすことであります。その道を選んだかに見える都人の男たちは、月人に対する有効打に成り得る「武器」を手に意気あがるのですが――それが元は何であったかと思えば、とても一緒に喜ぶ気にはなれません。
 八方塞がりにも見える状況の中、はたして皆が幸せになれる答えはあり得るのか? いよいよクライマックスであります。


『輝夜伝』第13巻(さいとうちほ 小学館フラワーコミックスアルファ) 

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2023.10.04

乾緑郎『戯場國の怪人』 史実と虚構、この世とあの世を股にかけたスーパー伝奇

 ミステリと並行して独自の時代伝奇小説を描いてきた作者によるオペラ座の怪人オマージュ――に留まらない、凄まじい奇想に満ち満ちた物語であります。女形の溺死の謎を追ううち、市村座に潜む謎の怪人と対峙することになる平賀源内や深井志道軒。はたして一連の怪事の背後に潜むのは……

(以下、物語の趣向に触れますのでご留意ください)
 宝暦十三年の夏、舟遊びをしていた市村座の役者たちの一人・荻野八重桐が謎めいた死を遂げた事件を、作品にするよう依頼された戯作者修行中の平賀源内。江戸にその人ありと知られた講釈師・深井志道軒を頼った源内は、志道軒とその娘のお廉と共に、八重桐を姉と慕う名女形・瀬川菊之丞を訪ねることになります。

 菊之丞から、舟遊びの日に謎めいた烏帽子姿の貴人に口説かれたと聞かされた三人。さらに源内たちは、その貴人とおぼしき謎の人物が市村座の五番桟敷を常に押さえ、その桟敷に入った者は様々な怪異に襲われると知ることになります。
 そこで菊之丞の身辺警護役を務めることになったお廉は、菊之丞の床山を務める髪結いの青年・仙吉と共に市村座に張り込むのですが――菊之丞を巡るある怪異の噂を耳にするのでした。

 そんな中、五番桟敷に通された広島藩の前藩主とその供が怪異に襲われる事件が発生、供の一人・稲生武太夫がこれを撃退するも、武太夫は市村座で容易ならざる事態が起きていることを知ることになります。
 かくて武太夫を仲間に加え、怪異に挑むお廉・源内・仙吉の面々。深夜の市村座である人物を待ち伏せるお廉たちは、ついに怪異の正体を目の当たりにすることになります。

 はたして怪異は何故市村座に出没するのか。菊之丞に迫る烏帽子姿の貴人とは何者なのか。そして志道軒が語る、芝居狂いが落ちる地獄・戯場國とは。千年の因縁も絡み、戯場國で奇怪な舞台の幕が上がることに……


 オペラ座の地下に潜み、美しき歌姫に懸想する仮面の怪人を描いた、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』。タイトルや、美しき女形に懸想し、地下や桟敷席(それが五番なのにはニヤリ)に出没する怪人をみれば、本作がその時代劇オマージュであることは間違いないでしょう。
 しかし本作は物語が進むにつれ、そこから大きく離れた奇怪な世界観を見せることになるのです。

 その世界観の中心となるのが、タイトルにある「戯場國」なる世界であります。博覧強記の志道軒が語るには、博打狂いや傾城狂いがそれぞれ落ちる地獄があるように、芝居狂いが落ちる地獄――それが戯場國。そこでは今は存在しない山村座に、生島新五郎や二代目市川團十郎といった亡き名優たちが集い、芝居好きの亡者たちが観客となって、いつ果てるとも知れぬ芝居が上演されているというのです。

 ここまで来ればわかるように、本作は伝奇も伝奇、スーパー伝奇と言いたくなるような、史実と虚構、この世とあの世を股にかけて繰り広げられる物語であります。
 登場人物も上で触れたように多士済々ですが(個人的には稲生武太夫が登場するのがもうたまりません)、題材となっているのは『根南志具佐』『風流志道軒伝』といった源内の戯作、さらに初代團十郎刺殺事件や江島生島事件といった芝居にまつわる実際の事件まで、多岐に渡ります。

 そしてさらにその物語の中心に潜む怪人の正体こそはなんと――と、さすがにこれは伏せますが、いやはや、一体何をどうすればこのような物語が思いつくのかと、天を仰ぐしかありません。
 もとより作者の時代伝奇は、いかにも「らしい」題材を用いつつも、やがてそこから遙かに飛翔して余人には真似の出来ぬ世界を描いてきました。本作はその最新の成果なのであります。


 虚実どころか彼岸と此岸、更には現在と過去が複雑に入り乱れるだけに、物語が入り組み、それぞれの登場人物に感情移入をしにくいきらいはありますが――しかしそれでもなお、本作で現実と舞台の上が絡み合い溶け合った末に生まれる、どこか解放感に満ちた世界は、不思議な魅力的に満ちていることは間違いありません。

 さらにいえば、実はオマージュ元では比重が小さかったように感じられる、舞台の持つ魔力というものについて、非常に自覚的である点もまた、本作ならではの魅力というべきではないかと感じる次第です。


『戯場國の怪人』(乾緑郎 新潮社) Amazon

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2023.09.24

東直輝『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第13巻

 ついに漫画版『警視庁草紙』もこの巻で完結の時を迎えます。これまで明治史の裏側で丁々発止の戦いを繰り広げてきた兵四郎たちと警視庁の戦いは、如何なる結末を迎えるのか――明治史の、日本史の一大転機を背景に描く最終章「泣く子も黙る抜刀隊」であります。

 下野した西郷がついに鹿児島で決起し、お馴染みの面々が所属する警視庁の警視隊も抜刀隊と改名され、出撃を待つ頃――築地の海軍兵学校で行われる、からくり儀右衛門の軽気球の飛行実験を見物に来ていた兵四郎とお蝶たち。
 しかしそこで警察に正体が露見してしまった兵四郎は、警官たちに取り囲まれるのですが――警官の手がお蝶にまで及んだことに激昂した彼は、瞬く間に二人の警官を斬り捨ててしまうのでした。

 警官まで殺してしまい、絶体絶命の窮地に陥った兵四郎を救ったのは、軽気球を奪ったお蝶。軽気球に飛び乗ってその場は逃れた兵四郎とお蝶ですが、果たして二人の行く先は……


 と、急転直下、大変な事態になってしまったこのエピソード。最終章だから当たり前というべきかもしれませんが、原作は全十八章であったところが、この漫画版は第七章まで終わったその次にこの最終章が来たのですから、慌ただしく感じられるのも無理もないかもしれません。
 つまりは原作の半分までいかずに完結を迎えてしまったということで(「残月剣士伝」など通常の倍以上の分量であったことを考えれば)、この辺りには原作ファンとしては言いたいことは色々ある、というのが正直なところではあります。

 特に各エピソードが緩やかに繋がり、やがて大きな物語の形を示す本作のようなスタイルにおいては、後半のエピソードがごっそりなかったことで盛り上がりに欠けるのは否めません。
 また、最終章での隅のご隠居と川路大警視の対決シーンで、原作にあった国家論の部分がカットされている(これは以前のエピソードでも同様なことがありましたが)のも、原作者の国家観・明治維新を描いていないという点では物足りないところではあります。


 そういう意味では残念ではあったのですが――しかし、兵四郎個人の物語としてみると、かなり綺麗にまとまっているのもまた事実であります。
 特に「残月剣士伝」辺りから明確になった、死に損ねてしまった侍としての兵四郎(そのことを考えると、「残月剣士伝」の長さも実はそれなりに納得できます)が、ここでついに――という結末は、この構成だからこそ、という印象があります。

 また原作との比較でいえば、原作では兵四郎が自分の考えを明確に台詞でお蝶に(すなわち読者に)説明しているのに対し、ギリギリのところまで伏せているというのは、こちらの方が適切という印象すらあります。また、警視庁側の主人公というべき藤田が、兵四郎を斬首と思いきや――という展開も、結末をより印象的にするアレンジといえるでしょう。
(元々原作の最終章は、作者が地の文で自らツッコむほどご都合主義の部分があったのですが、そこが解消されているのもいい)

 さらにいえば、逃避行の最中のお蝶の姿が輝くばかりに美しく――というのはさておき、この漫画版は漫画版なりに、最も美しい着陸をしてみせたのは、間違いないと感じます。


 アレンジを加えた部分も少なくなく、時にそれが気になることもありましたが、ほとんどの場合、それがこの漫画版独自の魅力として――特に「人も獣も天地の虫」と「幻談大名小路」のラストは、原作以上に印象的でした――生きていた本作。
 なかなか難しいかもしれませんが、いつかまた、このスタッフでの山風明治ものを読んでみたいと、心から思っているところです。


『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第13巻(東直輝&山田風太郎ほか 講談社モーニングコミックス) Amazon

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東直輝『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第12巻

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2023.09.04

東直輝『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第12巻

 いよいよクライマックス目前の漫画版『警視庁草紙』第12巻は、「幻燈煉瓦街」編がラストまで描かれます。銀座煉瓦街で起きた奇怪な密室殺人事件は、思わぬ大乱闘に発展。しかもそこに参戦するのは、なんと……

 隅のご隠居、河竹黙阿弥、幸田鉄四郎少年と銀座煉瓦街に出かけた兵四郎。からくり儀右衛門のオルゴールやら、奇妙なのぞきからくりを見物した兵四郎たちですが、その晩に怪事件が起こります。
 夜毎三味線の音が響くという噂の調査に出かけたお馴染みの巡査たちは、件ののぞきからくり会場で首を裂かれた男の死体を発見。しかもそれは、のぞきからくりの題材となっていた尾去沢鉱山の醜聞の張本人だったのです。

 当然疑われるのはのぞきからくり一座ですが、夜は戸締まりされている上に、昼はまさしく衆人監視の状態。そんな「密室」に忽然と死体が現れたからくりとは……


 怪事件に翻弄される警察の鼻を明かすため、兵四郎たちが謎解きに乗り出すという、ある意味原点回帰の感もある今回のエピソード――しかしミステリとしてなかなか魅力的な内容であるものの、実は謎自体はこの巻の冒頭で、兵四郎たちが解き明かすことになります。

 それではその後に描かれるのはといえば、この事件が生んだ巨大な波紋というべき大乱闘――被害者の背後にいた元・大蔵大輔の井上馨が、川路大警視が事件捜査にのらりくらりとしているのに業を煮やし、鉱山のあらくれ山師たちを引き連れて、銀座に押し寄せてきたのであります。

 山師たちに襲われたのぞきからくり一座の中に、いつぞやの事件で知り合った東条青年がいることを知った兵四郎も助太刀に加わり、さらに大入道めいた一座の座長も参戦するも、多勢に無勢。のぞきからくり側が叩きのめされて終わるかと思われたその時――諸肌脱いで助太刀に現れたのは、どこかで見たようなみなさんではありませんか!

 井上の横暴に憤る中、大警視の「お上から賜った制服で出向いたら、警視庁の名に傷が付くわい」という言葉をバカ正直に解釈して(?)駆けつけた巡査たち。かくて呉越同舟、背中を合わせて戦う宿敵同士ですが、それでもなお劣勢は覆せません。しかしその時立ち上がったのは……


 というわけで、いかにもこの漫画版らしく、派手な展開となった「幻燈煉瓦街」編。原作でもこの乱闘は描かれるのですが、しかし展開はだいぶ異なり、警視庁の助っ人やその後の展開もなし。つまりこの巻のかなりの割合は漫画オリジナルなのですが、警視庁にスポットを当てるのは、本作らしいアレンジといえるでしょう。

 しかしその一方で、原作では描かれた大入道の正体がすっぽり抜けていたり、河内山宗春の仲間の――というくだりに説明がなくてちょっとわかりにくい結果になっていたり(原作はこの点が、もの悲しくも粋なオチになっていたのですが)と、いささか不満も残ります。
 アレンジはアレンジでもちろんよいのですが、原作の肝心な部分は活かしておいてほしい――というのが正直なところで、なんとも勿体ない結末になってしまったように思います。
(もちろん、それも原作との比較においてではありますが……)


 そして物語はこの巻のラストから最終章「泣く子も黙る抜刀隊」に突入。いきなり最終章!? という気持ちは非常にありますが、泣いても笑ってもこれでラスト、次巻最終巻を待ちたいと思います。


『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第12巻(東直輝 講談社モーニングコミックス) Amazon

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