2020.07.14

横田順彌『幻綺行 完全版』(その二) 世界を股にかけた秘境また秘境の冒険

 世界一周無銭旅行を成し遂げた実在の痛快男児・中村春吉を主人公とした秘境冒険SF『幻綺行』の紹介の後編であります。今回は残る4話について、紹介いたしましょう。

「流砂鬼」
 ペルシャの砂漠を自転車で横断途中、思わぬことから食料を失ってしまった春吉・志保・石峰。窮地を奇特な富豪・マファッド氏に助けられた春吉たちは、彼が悪魔の砂漠に宝探しに出かけた息子を探していると知り、手助けを申し出るのでした。
 しかし途中、マファッド氏は大砂嵐に吹き飛ばされ、春吉たちも流砂に飲み込まれることに。流砂によって巨大な地底の洞窟に運ばれた彼らを待つものは!?

 密林、岩山と来て今回は砂漠! 次々と大自然の脅威に晒される春吉たちですが、しかしその果てに現れたのは、超自然、いや超科学的とも言うべき存在。その強敵を相手に、シリーズでも屈指の死闘を繰り広げる春吉ですが、決め手が何とも――なのもまた、豪傑の春吉らしいというべきでしょうか。

 そして本作の結末は、作者の明治SFによっくあるパターンなのですが――途中で描かれたガジェットが我々の世代には何とも懐かしいものを連想させるだけに、一層の不条理感を感じさせるのが面白いところです。


「麗悲妖」
 欧州に向かい、ロンドンに入った春吉。しかしそこで春吉と志保は、新婚の旧友・松尾を訪ねて一人ペテルブルグに向かった石峰から至急の呼び出しを受けることになります。
 仲睦まじい様子ながら、最近妻のエヴグーニヤに不審の目を向けているという松尾氏。彼はある晩、風呂場で血の海に浮かぶ女性のバラバラ死体を目撃したというのですが……

 作中では最も秘境要素の薄い本作。内容的にも、舞台が舞台だけに冒険よりも謎解き色が色濃いものとなります(それでもラストは大乱闘になるのが春吉らしい)。
 その謎自体はなかなか豪快で奇想天外なのですが――作者の他の明治SFを連想させるものがあるのがちょっと気にかかるところです。もっとも、結末の物悲しさと微かな温もり(そしてそこで志保が果たす役割)は何とも味わい深いのですが……


「求魂神」
 ケープタウンに向かう船から、思わぬ成り行きで途中のマデイラ島に降ろされてしまった春吉一行。次の便までの時間に、島の火山に登る春吉たちですが、そこでは上空に奇怪な球体が目撃され、英国の探検家夫婦が行方不明になっていたのでした。
 山中をさまよう中、不思議な空間に飲み込まれた春吉と志保。そこで二人を待ち受けていた恐るべき秘密とは……

 ここから以前刊行された単行本未収録の作品ですが、本作では神を名乗るモノが春吉の前に登場。その「神」は、遠く日露戦争の戦場であるものを集めていたというのですが――と、何と本作は○○○○テーマというべき作品であります。

 しかし真に驚くべきは、本作が、作者の明治SFシリーズのある作品の裏面に位置すると(も感じられる)内容であることです。
 といっても、屈指の恐怖エピソードだったあちらに対して、こちらはまた随分と――という印象。そして志保の過去が、また思わぬ形で皆を救うことになるのも印象的です。
(しかし本作が本当にあの作品の裏面であれば、結局脅威は去っていなかったことに……)


「古沼秘」
 ついにアフリカ入りを果たした春吉一行。ザンジバルに向けて密林を行く途中、黒い砂の沼近くにテントを張った春吉ですが、そこは現地人たちが悪い神が居ると恐れる場所でありました。はたしてその晩、沼から巨大な影が現れ……

 掉尾を飾る本作では、秘境の本場・アフリカ大陸についに到達。途中の春吉の史実に基づく冒険は楽しいのですが、肝心の謎と怪奇の方はいささか薄味という印象です。
 しかし春吉たちの前に立ちはだかるのは、これまででも屈指の強敵、はたして打つ手はあるのかと思いきや――もはや完全にチームの知恵袋担当の志保が見事な閃きで勝利に貢献。いやこれは現代人でもなかなか気付かないのではないでしょうか。


 以上、いささか駆け足になってしまいましたが、単行本収録済みの4話に加えて2話を収録し、さらに単行本や雑誌掲載時のバロン吉元の挿絵も収めた、まさに「完全版」に相応しい本書で、久々に春吉の豪快な活躍を存分に楽しむことができました。
 本シリーズには長編の『大聖神』がありますが、こちらも是非復刊していただきたいものです。もちろん、本書のような装丁で!


『幻綺行 完全版』(横田順彌 竹書房文庫) Amazon

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2020.07.13

横田順彌『幻綺行 完全版』(その一) 帰ってきた自転車世界一周無銭旅行の豪傑!

 昨年逝去した横田順彌の第三の明治SFシリーズが帰ってきました。明治時代、自転車による世界一周無銭旅行を敢行した実在の人物・中村春吉。その春吉が、世界各地の秘境で謎と怪物に挑む短編連作シリーズが、単行本未収録の二編を加えてここに復活したのであります。

 押川春浪を中心に、明治時代のバンカラ人脈の人々が活躍する明治SFを数多く発表してきた作者。その作品の大半が日本を舞台とした作品であったのに対して、このシリーズは、その主人公の活動に合わせ世界各地を舞台としていることに大きな特徴があります。
 収録された6話はいずれも「SFアドベンチャー」誌に掲載されたものですが、単行本では4話のみの収録であったものを全話収録し、「完全版」と銘打ったのがこの文庫版であります。

 その装幀たるや、「新刊なのに古書」としかいいようのない凝りに凝ったもので、判っていても一瞬ギョッとさせられるほどの見事なものなのですが――現代に甦った明治の冒険譚に、これほど相応しいものはないといえるでしょう。

 さて、前置きはこれくらいにして、収録各話を一話ずつ紹介させていただきます。


「聖樹怪」
 探検に訪れたスマトラ島の町で、廓から飛び降りようとしていた日本人娼婦・雨宮志保を成り行きから助けた春吉。そのために人から預かった金を使ってしまった彼は、現地で働く青年・石峰省悟から、ボルネオの密林に眠るという山田長政の秘宝探しを持ちかけられるのでした。
 かくてボルネオ島に向かった春吉・志保・石峰は、現地の人々が恐れる密林に分け入っていくのですが……

 記念すべき第一話である本作では、シリーズのレギュラー三人の登場からその人物のキ紹介、初めての冒険が手際よく盛り込まれた物語であります。
 一身是胆の豪傑でありながらどこか抜けたところのある春吉、日本から拐かされて辛酸を嘗めながら勇気と知恵なら負けない志保、謹厳実直そうでいてお家再興のために宝探しに燃える石峰青年――全く異なる境遇ながら冒険心は共通する三人が挑むのは、冒険ものの王道というべき密林の奥地です。

 そこで彼らを待ち受けるものは――詳細は伏せますが、数十年前の少年誌の秘境探検もののグラビアなどで、読者を震え上がらせたあの怪物というのが嬉しい。
 もっとも、一般誌らしく(?)その力はより嫌らしいものとなっていますが、それを乗り越える志保の機転が、ある意味彼女の設定に即したものとなっているのも、何とも凄まじく感じられます。

 それにしてもその志保を、花和尚魯智深ばりの活躍で救出した春吉ですが――さすがにこの結末は悪党の方にちょっと同情してしまいます。


「奇窟魔」
 石峰青年と別れ、ビルマからカルカッタ、そしてネパール、チベットに向かった春吉と志保。そこで山中のラマ寺院が、近隣の娘たちを理不尽に召し上げていることを知った二人は、志保を身代わりに立てて、寺院に乗り込むことになります。
 そこで謎の地下通路に入り込んだ春吉の前に現れた奇怪な怪物たちの正体とは……

 毎回バラエティに富んだ舞台設定は本シリーズの特色ですが、今回は密林から一転、チベットの山中へ。しかしこの当時のチベットは鎖国状態、作中でも言及のある河口慧海が幾多の苦難を乗り越えて乗り込んだ、歴とした秘境といえるでしょう。
 さてそこで繰り広げられるのは――これまた色々な意味で何とも凄まじい悪事を働く一党との対決。まさに因果応報とも言うべき結末は痛快ですが、しかしさすがに春吉たちは楽観的過ぎるようにも感じます。

 ちなみに本シリーズの雑誌掲載時・単行本時のバロン吉元の見事な挿絵は、嬉しいことに本書にも収録されているのですが、本作の前半、インドの平原を一人行く春吉が狼に襲われるくだりの挿絵が、特に素晴らしい迫力で印象に残ります。

 それにしても、「いまこそ、真の蛮勇をふるう時ですわ」はもの凄いキラーフレーズ……


 残る4話は次回ご紹介いたします。


『幻綺行 完全版』(横田順彌 竹書房文庫) Amazon

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2020.07.09

矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 風の道しるべ』 風柱の過去、語られざる過去

 同日に原作単行本、ノベライゼーション(の電子版)、そして本書と、都合3点が発売された『鬼滅の刃』関連書籍。本書はこれまでもご紹介してきた矢島綾による小説版第3弾であります。これまで以上に踏み込んだエピソードの多い本書、キメツ学園を含めた全5話構成であります。

 これまで、(キメツ学園以外は)原作の語られざるエピソードを短編形式で収録してきたこの小説版ですが、今回もそのスタイルは健在。しかしその原作とのリンクの仕方は、より大きく、あるいは絶妙なところを突いていくようになった印象があります。

 その最たるものが、表題作であり、本書の4割を占めるボリュームの第1話「風の道しるべ」。風柱・不死川実弥の鬼殺隊入隊から、柱昇格までを中心に描く物語ですが――原作ファンであればよくご存じのとおり、そこにはもう一人の人物が大きく絡むこととなります。

 それは実弥にとって親しい人物であった粂野匡近――実弥を鬼殺隊に紹介し、そして二人で下弦の壱を倒したものの、自らはその戦いで命を落とした(そして結果的に実弥は柱に昇格することとなった)人物であります。
 この匡近、原作ではわずか2ページの出番(アップは一コマのみ!)ながら、実弥の人生に大きな影響を与えたことを窺わせるキャラだったのですが――このエピソードでは、彼の人となりや実弥との関係性が大きくクローズアップされることになります。

 原作にあるとおり、ただ一人力任せで鬼と戦っていた実弥と出会い、育手である自分の師を紹介した――すなわち実弥にとって兄弟子に当たる――匡近。自分とは正反対の、明るく軽薄にすら感じられる匡近に反発を抱きながらも、やがて名前で呼び合う仲になっていく実弥ですが、中堅にまで成長した二人は、ある日共同で任務に当たることになります。
 それは子供ばかりが行方不明になるという空き屋敷の調査――そこにはかつて、夫に虐待され、娘を病で失った末に姿を消した美しい女性が住んでいたというのであります。しかし屋敷に一歩足を踏み入れた実弥と匡近は、いつの間にか離ればなれとなって……

 先に述べた通り二人を待つ運命は明確なわけですが、そこに至るまでを丹念に描いていくこのエピソード。実弥と対照的に脳天気ですらある匡近の言動が漫画的ではあるのですが、しかしそれが実は――という展開は、予想はできたものの、グッとくるものがあります。
 そして本作オリジナルの下弦の壱も、シチュエーション的にちょっとだけ原作の別の鬼を思わせる部分はあるものの、実に厭なキャラクターと能力は印象的な造形。そして何よりもこの鬼が実弥を狙う理由が、彼の戦う理由に繋がる辺り、実弥の語られざる物語の敵として、納得できたところであります。


 と、第1話で大きく分量を取ってしまったので、簡単に他のエピソードを紹介すれば――
 鋼鐵塚蛍37歳のポンコツぶりを矯正するために周囲が仕組んだ見合いの顛末「鋼鐵塚蛍のお見合い」
 蝶屋敷で起きたある出来事をきっかけに生まれた伊之助とカナヲの交流「花と獣」
 移転間近の刀鍛治の里で、無一郎と小鉄が壊れた絡繰人形を直す姿を通じて無一郎の成長と夢を描く「明日の約束」
 学園で噂される怪談の内容を確かめに夜の校舎に向かった宇随・煉獄・カナエ・義勇が起こす騒動「中高一貫☆キメツ学園物語!! ミッドナイト・パレード」
 と、硬軟取り混ぜた内容であります

 これらのエピソードもさすがに手慣れた内容という印象なのですが、個人的にはちょっと驚いたのは第3話と第4話であります。
 第3話では、カナエが童磨戦直後に髪が乱れていたのが善逸と再会時には髪飾りをつけていた描写。そして第4話では、刀鍛治の里編で戦った面子と善逸・伊之助が賑やかに騒いでいるという、冷静に考えればこれ何時だ!? な第21巻冒頭の無一郎の回想の一コマ――このそれぞれにフォローが入っているのであります。

 細かいといえば非常に細かい点であり、(これまで同様)原作の小ネタを拾いすぎるのが鼻につく面もなきにしもあらずですが――しかし原作の語られざる物語を描くものとして、大いに納得できるスタンスではあります。


 というわけで今回も楽しめた小説版なのですが、唯一の問題は、原作完結の後に振り返ると(特に同時発売の原作第21巻の後だと)色々と曇らされる点でしょうか。
 いや、これは全く以て本作の責任ではないのですが……


『鬼滅の刃 風の道しるべ 』(矢島綾&吾峠呼世晴 集英社JUMP j BOOKS) Amazon


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2020.07.08

松田朱夏『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』 ダイジェストで振り返る物語の基点

 タイトルの通り、『鬼滅の刃』のノベライゼーション――先行して書籍として先月発売され、今月原作第21巻・小説版第3弾と同時に電子書籍化された作品であります。集英社の児童書レーベル「集英社みらい文庫」より刊行された本書は、第1弾として原作の第1巻から第4巻の途中までが収録されています。

 『鬼滅の刃』の小説版としては、上述の通り第3弾が発売された矢島綾のものが既にありますが、あちらがオリジナルストーリーだったのに対して、本作は完全に原作そのままのノベライゼーション。。
 竈門家を襲った悲劇から炭治郎の修行、藤襲山での最終選抜、沼の鬼との戦い、鬼舞辻無惨や珠世との出会いから二人組の鬼との対決、鼓屋敷での戦いから那田蜘蛛山への出発まで――冒頭に述べたとおり、原作の第1巻から第4巻(第28話の途中)、アニメでいえば第14話までを、原作の台詞などをほとんど全く変えることなく収録しています。
(挿絵も原作漫画をページそのまま使用)

 その点だけみると、極端なことをいえば原作読者であれば本作を読む必要はないようにも感じられるかもしれません。
 しかし小学校の読書の時間に読んでもらうことや、アニメや漫画は触れさせてもらえないけれども小説であれば買ってもらえるという読者層を考えれば、なるほどこうした児童文庫レーベルの漫画ノベライゼーションにもしっかりした需要があるのでしょう。


 しかし、それでは原作既読者が単独で読んでみてつまらないかといえば、それはそういうわけでもなく、原作ダイジェストとしてはかなり良くできた部類と感じさせられます。
 本作の場合、ダイジェストとは言いつつも、はっきりと削られたエピソードはなく、省かれた描写は最小限。それでいて原作には明示されていない――けれども描写の裏に存在することは理解できる――心理描写などが追加されており、なかなか好感が持てます。
(ちなみに手鬼の「いまは明治何年だ?」の問いに対し、地の文で「明治は終わった――つい数年前に。」と書いているのが個人的に嬉しかったところでありますが、これはまあごく少数派)

 もちろんこれは、ノベライゼーションであれば当然の内容というべきかもしれませんが、ダイジェストの形で原作が完結したばかりの時期に物語の基点を振り返ってみるのも、なかなか感慨深いものがあります。


 もっとも、原作そのままの、作者独特の台詞回しが必ずしも小説に合っているかと言えば必ずしもそうではなく、炭治郎と初対面の時の義勇さんの怒鳴りの唐突さや、同じく初対面の善逸の言動の異常さは、やっぱり違和感を感じる――と思いましたが、これはこれである意味原作どおりなのかなあ。

 また、本作に収録された部分が(これはこれでキリはいいものの)アニメ版とずれがあるのが気になったところですが、これは分量的に第2巻にアニメの『無限列車編』までが収録されるのかもしれません。
 そう、このノベライゼーション版はこの7月中に第2巻が発売されるとのこと――本作の完成度を考えればこちらも期待できそうなところ、いずれ取り上げたいと考えているところです。


『鬼滅の刃 ノベライズ 炭治郎と禰豆子、運命のはじまり編』(松田朱夏&吾峠呼世晴 集英社みらい文庫) Amazon


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2020.07.07

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第21巻 無惨復活、そして二人の「超人」の間の相違

 連載は先日完結しましたが、本書と同日に小説版(電子版では児童向けノベライズも)も刊行され、いまだ人気絶頂の本作。黒死牟との死闘もようやく終結し、残る鬼舞辻無惨とついに対峙した炭治郎ですが、果たして無惨の実力とは、そしてその果てに炭治郎が見た光景とは……

 かつては鬼殺隊の剣士・継国巌勝でありながら、天才剣士であった弟の縁壱へのコンプレックスの果てに鬼と化した黒死牟に挑んだ悲鳴嶼・不死川兄弟・時透の四人。死闘に継ぐ死闘の果てに彼らはついに黒死牟を滅ぼしたものの、年若い二人が命を落とすという衝撃的な結末を迎えることとなります。

 かくて上弦の鬼は(まだ新たな上弦の肆の鳴女はいるものの)打倒され、残るは鬼舞辻無惨のみ。その無惨も、先代のお屋形様の自爆、悲鳴嶼の渾身の一撃、珠世の人間化薬を喰らって深手を負ったはずですが――しかし傷を癒やし続けてきた無惨は、体中に大量の口を生じさせた異形の姿で、ついに復活。
 折悪しくその前に辿り着いていた鬼殺隊士たちを喰らい、完全復活を遂げた無惨の前に、あたかも導かれたかのように炭治郎と義勇は立つのですが……


 物語のほとんど冒頭から登場しながらも、これまで本格的な戦闘シーンがほとんど描かれることのなかった無惨。その前の黒死牟が能力的にも設定的にも強力すぎたために、無惨は実力では一歩譲るのでは? と頭に一瞬よぎった想いは、すぐに徹底的に否定されることになります。

 今のところ無惨の攻撃は、体中から伸びた触手による打撃という一種類のみ。しかしその早さが、間合いが、軌道の変幻自在ぶりが、全てが異常に高レベルの上に、一撃でも食らえば猛毒の血で死亡確定という反則クラスの性能であります。
 炭治郎と義勇、後から加わった甘露寺・伊黒・悲鳴嶼・不死川らが一斉攻撃を仕掛けてもこれを凌ぎ、反撃するその力は、やはりラスボスに相応しいものといえるでしょう。

 が、無惨の場合、彼を最後の敵たらしめているのは、その力だけでなく、精神性によるところも大であると言うほかありません。
 炭治郎と義勇を前にした時に放った言葉――自分の所業を当然のものとして語り、これに抗する鬼殺隊を異常と断じる、その尋常でない自己肯定感と他者への無関心こそは、これまで物語の中で描かれてきた鬼という存在の、ある意味極みと感じられます。

 少なくとも、これまで幾度かあったように怒りで目からハイライトが消えた炭治郎だけでなく、あの鉄面皮の義勇までもがはっきりと怒りの表情を浮かべるのですから、これは本物というほかありません。


 しかしこの巻の終盤では、その無惨とある意味対になる者――継国縁壱の姿が描かれることとなります。彼の少年時代と鬼殺隊時代、そして最期は、以前に兄である巌勝の目から描かれましたが、ここではこれまで描かれなかった時代の彼が、そして何よりもその内面が描かれるのであります。

 自らも相当の使い手であった巌勝をして強い劣等感を抱かせ、鬼に走らせたほどの天才であった縁壱。巌勝の目に映るその姿はまさしく「超人」――凡俗にとっては、その強さだけでなく、あまりに広い心の器も含めて、そう評したくなってしまうほどであることは間違いありません。
 そしてそんな彼の姿は、人間の域を遥かに超えたという点で無惨に通じるものがあると言えますが――しかし、炭治郎が先祖の記憶の中で見た姿は、どうであったでしょうか?

 ただ愛する人との静かな暮らしを望み、それを喪った時、悲しむ。鬼を生み出した無惨に静かに怒りを燃やす――そんな縁壱の姿は、炭治郎と、そして我々読者たちと――つまりは普通の人間と変わるものではありません。
 もちろん、その力は常人を遥かに超えたものであったにせよ(千八百のうち千五百余を斬るって……)、その精神性はあくまでも人間のそれであり――強大な力を手にして他者を下に見ることしかできなくなった無惨とは、明確に異なるものなのであります。

 何よりもこの巻のラストでの姿を目にすれば、縁壱という「超人」の内面が、痛いほどわかるのですから……


 そしてこの過去の物語において、これまで謎であった日の呼吸の型がヒノカミ神楽として竈門家に伝わった事情が描かれたわけですが――しかしそれを受け継ぎ、振るうべき炭治郎は今、絶体絶命の状態にあります。
 果たしてそこから立ち上がることができるのか、そして決戦の地に急ぐ禰豆子の行動の意味は。残すところあと二巻、まだ最終決戦は、そして真の地獄は始まったばかりであります。


『鬼滅の刃』第21巻(吾峠呼世晴 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2020.07.04

伊藤正臣『恋とマコトと浅葱色』第3巻 彼女と左之助の恋路の結末に待つもの

 スマホ越しに幕末を覗き込むことになった女子中学生改め高校生・マコトと新選組の原田左之助の恋を描く奇想天外な物語もこの第3巻でついに完結。池田屋事件に立ち会うこととなったマコトは左之助を救えるのか、そして二人は絶対的な時間の壁を超えることができるのか――驚きの結末が待っています。

 修学旅行で訪れた八木邸でスマホに雷が落ちたことがきっかけで、時を隔てた幕末で同時に(?)脇差に雷が落ちた原田左之助と、スマホと脇差越しに出会うこととなったマコト。
 芹沢鴨の粛正を目撃した後、一度は東京に帰ったマコトは、翌年の6月に再び京都を訪れ、左之助と再会するのですが――彼は池田屋に突入。そこで短筒を持つ相手に追い詰められた左之助を、新米隊士の大木とともに助けようと奮闘するマコトですが……


 と、しっかり参加していたにもかかわらず、フィクションの世界では取り上げられることの少ない左之助の池田屋事件の顛末を通じて、これまで以上に絆を深めたマコトと左之助。しかし二人の間には、時間に留まらず、空間の壁が変わらず立ち塞がります。
 つまり、スマホと脇差が通じ合うのは、空間的に近い――簡単に言えば同じ京都にいる間のみ。あくまでも東京の中学生であるマコトは、旅行が終われば京都を離れなければならないわけですが――ここでそう来るか! の力業でクリアしてみせたのにはむしろ感服いたしました。

 かくて始まる高校編、早速山口県出身の長門さんという、旧前川邸の住人である新選組マニアのおじさん・田部さん並みに面白い(というよりライバル)キャラが愉快な活躍を見せるのですが、しかしマコトにはそれどころでない悩みが重くのしかかることになります。
 それは左之助の結婚――史実では池田屋事件の翌年春、新選組屯所が西本願寺に移った後に「菅原まさ」なる女性と結婚している左之助。だとすれば、今まさに左之助はまさと結婚直前のはずなのです。

 これまで、恋する左之助の身に危険が迫ることはあっても、厳しい言い方をすれば傍観者であるマコトにはダメージはありませんでした。しかしまさに傍観者であるがゆえに、いま(精神的に)深刻なダメージを負おうとしているマコト。
 果たして物語始まって以来の危機をどう乗り越えるのか――といっても敵は史実というあまりに強大な相手。その証拠に彼女の手元のスマホには、左之助はまさと結婚したというネットの画面が冷たく表示されているのですから……


 と、ここから先の展開については詳しくは書けないのですが――正直に申し上げれば、これはさすがに豪快に過ぎるのではないか、という印象であります。こちらの一番見たかった部分を(冒頭に繋がる部分まで含めて)一気に突き抜けていったのには、さすがに驚かされました。

 この辺りは――特にどの時点で物語が終わるのかについては――対象とする読者層を考えると、この結末はやむなしなのかな、という気がしないでもありませんが、やはり少々寂しい気持ちになるのは否めません。

 ただ――それはそれとして、左之助の純情さ、一途さ、男っぷりの良さは、これはこれまでフィクションで描かれてきた左之助の中でも相当上位に入ることは間違いないのではないかと思います。
 だからこそ、この物語の中で、左之助の生の全てを見届けたかった、という気持ちはあるのですが……


『恋とマコトと浅葱色』第3巻(伊藤正臣 LINEコミックス) Amazon

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2020.06.29

田中ほさな『川島芳子は男になりたい』第1巻 なりたい自分になるための冒険の始まり

 時は1924年、17歳の川島芳子は、ある夢を抱いて一人上海に渡った。上海の顔役・イヴに対してその夢――「男になりたい」を語り、そのための施術を受けた芳子。そして紫禁城から皇帝溥儀を脱出させようとする軍人・田中隆吉と、冒険を求めて行動を共にする芳子だが、体は一向に男に変わらぬままで……

 川島芳子といえば、愛新覚羅の姓を持つ清朝皇族の出身にして、端正な容姿を男物の服に包んだ男装の麗人、そして「東洋のマタ・ハリ」の異名を取った日本軍工作員――と、冷静に考えてみればあまりにも盛り過ぎなキャラクター。そのためか、日中戦争を題材としたエンターテインメントにはしばしば登場する人物です。

 本作はその芳子の若き日を描いた物語ですが――お色気(エロに非ず)漫画を得意とする作者だけに、一筋縄ではいかない作品となっているのは、言うまでもないのであります。


 清の皇族である実の父と、日本の活動家である育ての父――二人の父の薫陶を受け、国家の大業を担うような冒険に憧れる芳子。しかし冒険ができるのは男のみ、それであれば男になりたい――と上海を訪れた彼女は、男性になるための施術を受けることになります。
 ただし、まずはお試し期間として一時的に。

 そしてその代金代わりに、軟禁状態にある溥儀を紫禁城から逃がす任務に当たる軍人・田中隆吉を助けることとなった芳子ですが――しかし肝心の隆吉は借金まみれのダメ男、そして何よりも芳子の体は男に変わらず、女のままだったのであります。
 施術の時芳子が聞かされた、「忘我の境地」に達した時、男になれるという言葉。果たしてそれは一体……

 まあ、大体の人は想像がつくと思いますが、そういうことであります。


 つまりは「エロい感じ」になると男になっちゃうという、特異体質(?)になってしまった芳子。
 なるほど、こういう設定であればお色気シーンが自然に入れられる――と感心してよいかどうかはともかく、男装ではなく性別そのものが変わってしまう変生、しかも自分自身の意志では変生できないという縛りは、なかなか面白い設定であると言えるでしょう。

 何しろ女性としての芳子は才色兼備の上に清朝皇族としての身分持ち、一方、男性としての芳子は超人的な身体能力を持つスーパーマン(というか設定的にはむしろハルク)。
 この二つの力を持ってさえすれば、大冒険も夢ではない――のですが、そこに「エロい感じ」というどデカい欠点が加わることによって、物語が何ともややこしいことになっているのであります。

 この辺りの設定は当然ながら評価が分かれるとは思いますし(個人的には最初の変生シーンが妙に生々しかったのがちょっと……)、そもそもの芳子が男になってまで冒険を求める動機というのが、今ひとつ伝わりにくいのは、いささか残念なところではあります。

 しかし、男になりたいと願っていた――言い替えれば自分が女であることにとらわれていた――芳子が、どちらの自分も自分であることを知り、真になりたい自分自身として冒険=人生に一歩踏み出す姿は、実に美しい。
 第一話ラストの「冒険は男だけのものじゃない」という台詞は、そんな意味が込められていると取ってよいかと思います。


 さて、この巻では無事に最初のミッションを終え、こらから本当に男でも女でもない「川島芳子」としての冒険が始まることになります。
 しかし紫禁城には奇怪な影が跳梁し、そしてまた彼女の力を利用せんとする者の存在も窺われ、この先の道も、決して平らかなものではないでしょう。

 もちろんそれこそ芳子の求めるものなのかもしれませんが……

(しかし史実では芳子と隆吉は――と言われていますが、本作ではその辺りどうなるのかなあ……)


『川島芳子は男になりたい』第1巻(田中ほさな 講談社シリウスKC) Amazon

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2020.06.26

M・R・ジェイムズ『消えた心臓/マグヌス伯爵』 新訳で甦る好古家の怪談集

 私の最も愛する怪奇小説作家の一人、M・R・ジェイムズの作品集が光文社古典新訳文庫から刊行されました。作者の第一作品集である『好古家の怪談集』を、英国怪奇小説の翻訳等で活躍する南條竹則が翻訳した待望の一冊――八編の短編に付録のエッセイ一編が収録された短編集です。

 イートン校、ケンブリッジ大学を卒業の後、写本研究、聖書研究で活躍し、ケンブリッジ大学の博物館長、同大学副長、イートン校校長を務めた堂々たる経歴の学徒であったジェイムズ。しかし彼はその一方で、クリスマスのイベントなどで自らが書き留めた怪談を朗読して評判を取った、いわばアマチュア作家でもありました。
 本書に収められているのは、まさにその評判を取ったものを中心とした作品であります。

 もちろん例外はあるものの、本書の収録作のほとんどは、まさに好古家――自分の職業として、あるいは趣味として古々しいものに興味を抱き、愛する学徒が主人公あるいは語り手となる物語。
 それゆえと言うべきでしょうか、その語り口はあくまでも理性的かつ慎重、落ち着いて柔らかいものであり――その成立過程もあって、ジェイムズその人の語りを聞いているような気分にさせられます。

 しかし「アマチュア」の作品だからといって、落ち着いた作風だからといって、決して怪奇小説として大人しい、あるいは歯ごたえがないというわけでは、決してありません。
 平凡な日常が、平和な旅行記が、徐々に怪しい空気に侵食され、そしてクライマックスに至り不意に語り手の――つまりは我々の前に現れる異界の妖怪の恐怖を描くジェイムズの怪談は、現代にも通用する作品として見事成立しているのであります。
(そして嬉しいことに、題材的に伝奇性が強い作品も実は少なくない――というのはいささか牽強付会かもしれませんが)


 さて、それでは本書の収録作品を簡単に紹介いたしましょう。

 調査に訪れた教会の堂守から中世の貴重な貼込帳を手に入れた主人公が、堂守の不審な態度の理由を思い知らされる『聖堂参事会員アルベリックの貼込帳』
 身寄りを亡くし、遠縁の親戚の屋敷に引き取られた少年が、やがてそこで過去に起きたある出来事の真相を知る『消えた心臓』
 美術商から送られてきた、とある屋敷を描いた何の変哲もない銅版画が示す不気味な変化と、その陰のある史実を描く『銅版画』
 魔女裁判に功を遺しながら奇怪な死を遂げた名士の屋敷で、再び起きた惨事――そのショッキングな真相が印象的な『秦皮の木』
 研究に訪れた先で滞在した宿屋で夜ごと起きる奇妙な出来事と、それとともに出没する幻の部屋の怪『十三号室』
 「黒の巡礼」から戻ったという悪名高き領主の霊廟を訪れた好古家のふとした一言が、恐ろしい運命に彼を誘う『マグヌス伯爵』
 休暇に訪れた海岸地方の遺跡で拾った笛を吹いたことから引き起こされる悪夢のような出来事『「若者よ、口笛吹かばわれ行かん」』
 大量の黄金を隠したという修道院長が遺した暗号を解き明かした男が、その指し示す先で遭遇した恐怖『トマス修道院長の宝』

 これらの作品に、題名どおり作者の構想段階のアイディアの数々を記した付録のエッセイ『私が書こうと思った話』が加わり、実にバラエティに富んだ一冊であります。


 正直なところ、私はジェイムズの作品は、これまで創元推理文庫から二度刊行された作品集、あるいは様々なアンソロジーに収録されたものを何度も読んでおります。
 しかしそれでも何度読んでも面白いのは、やはりそれだけ物語の持つポテンシャルが高く、何よりも愉しさと怖さのバランスが素晴らしいことによるのでしょう。

 それはまさに作者自身が序文で述べているように、「夕暮れに寂しい道を歩む時や、夜中に消えかけた暖炉の火の前に座っている時、愉快にして且つ不安な気持ち」になるような作品群なのであります。

 さて、南條竹則の新訳についてですが、堅苦しい言葉遣いは少なめに、柔らかな言葉と文章を中心に訳されている印象があります。
 この辺りは、かなり堅めに感じられる訳文と合わせて好みが分かれるところかもしれませんが、先に述べたような作者の語り口と重なるような文体は、作品の魅力を引き出すために一役買っていることに間違いありません。

 何よりも作者の名品の多くをこうして手軽に読めるようになったことは、何よりも素晴らしいことだというほかないでしょう。
 既読の方も、これまで作者の作品に触れたことのなかった方も、一度手に取っていただきたい一冊です。


『消えた心臓/マグヌス伯爵』(M・R・ジェイムズ 光文社古典新訳文庫) Amazon

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2020.06.24

野田サトル『ゴールデンカムイ』第22巻 原点回帰の黄金争奪戦再開

 樺太で再び相棒としての互いの想いを確かめあい、新たな一歩を踏み出した杉元とアシリパ。しかし鶴見中尉がこれを許すはずもなく、北海道への逃避行が始まることになります。そして辿り着いた北海道では路銀のために砂金掘りに挑む杉元一行ですが、そこに迫る影が……

 樺太・ロシアでの冒険を終え、ようやく北海道も目前のところまで来た杉元とアシリパ。しかしアシリパを取り戻すためとはいえ鶴見一派の力を借りたことは、二人のこの先に暗い影を落とします。
 はたして、親切ごかしながらもアシリパを監禁し、利用せんとする鶴見。その意図を感じ取ったアシリパ、そして杉元は、再び相棒として、ただ二人で黄金争奪戦に乗り出すことを誓うのでした。

 もちろん目の前でそんな宣言をされて鶴見が看過するはずもなく、たちまち大泊の町で繰り広げられる一大追跡劇。銃器の使用も辞さない相手に、ついに「不死身の杉元」モードになる杉元に対して、アシリパの選択は……

 と、再開された黄金争奪戦のプロローグとも言うべき戦いが描かれる本書の前半部分。ちょっとした市街戦状態から、連絡船と駆逐艦のチェイスとスケールアップしていくのはまさに本作の面目躍如ともいうべき展開ですが――その中で谷垣や月島といった面々が彼ららしい顔を見せたと思えば、なし崩し的に仲間になった頭巾ちゃんことヴァシリが思わぬ活躍を見せたりと、主人公二人以外のキャラがきっちり存在感をアピールしているのも嬉しいところであります。

 そして何よりも、アシリパを護るためには、戦いから遠ざけるためには狂戦士になることも辞さない杉元と、そんな彼を護るために自分が盾になることも辞さないアシリパと――互いを尊重しつつも、それぞれに覚悟を決める二人の姿が印象に残ります。
 もちろんそれは、一歩間違えれば二人が共に不幸になりかねない道ではあるのですが……


 そんなわけで杉元とアシリパ、そして白石とお馴染みのトリオ(に頭巾ちゃんも加わって……)の珍道中となり、初期のノリに戻った感もある物語。本書の後半に収録されたエピソードもまた、原点回帰感のある内容です。

 路銀を稼ぐため、ウェンカムイ(人を殺した熊)が出没するという雨竜川で砂金採りをすることになった杉元一行。そこで彼らが出会ったのは、一日で50円稼いだという砂金獲りの名人・松田であります。
 崖から落ちかけたところを杉元に救われた恩から、砂金採りのコツを教えてくれる松田。しかし松田は、ウェンカムイに追われていると語り、ことあるごとに怯えた表情を見せるのでした。

 そして松田の周囲で起きる奇怪な出来事の数々。そして杉元たちの前にもウェンカムイが現れ……

 と、ヒグマの脅威と、曰く有りげな(変態っぽい)人物との出会いと――本作のファンには既にお馴染みとなった要素が中心となるこのエピソード。その意味では新味はないのですが、物語が進むにつれて徐々に大きくなっていく違和感と、その果てに明らかになる真実という構成は、定番ながらなかなかに読ませます。
 実はこの真実も似たようなものが以前もあったのですが、しかし全ての真実が明らかになる瞬間のインパクトは、ある意味実に本作らしい絵面と相まって、強烈なものがありました。

 そしてまた、今回描かれた、黄金に目が眩み、アイヌの伝統に敬意を払わぬ(誤って理解した)者の姿は、ある意味杉元たちのネガの姿であると同時に――この先、杉元とアシリパが戦うべき存在を象徴するものなのかもしれません。


 何はともあれ、原点回帰して再び始まった黄金争奪戦。といっても状況は三つ巴、あるいは四つ巴といよいよ混沌とした様相を呈し、残る刺青人皮もあと僅かです。
 その中で杉元とアシリパに逆転の目があるのか――一つだけ言えるのは、これからこの先、いよいよ戦いが激化する、ということのみであります。


『ゴールデンカムイ』第22巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon


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2020.06.22

『五右衛門vs轟天』 二大ヒーロー夢の対決、そして大混戦のオールスター戦

 悪の組織ブラックゴーモン壊滅のため、彼らの先祖である五右衛門を倒さんとするインターポールによって400年前に送り込まれた剣轟天。その頃、五右衛門は絵図に示された風魔忍軍の秘術を探し出そうとしていた。五右衛門と轟天、二人の対決は秘術の力によって思わぬ展開を見せることに……

 『偽義経冥界歌』が東京公演途中で中止、40周年記念の『神州無頼街』も中止と、劇団☆新感線ファンにとっては、辛いことが続く昨今。そんな中、ニコニコ動画で「SSP動画祭り」と銘打って、未ソフト化の公演が動画配信されることとなりました。
 その第4弾が、劇団☆新感線35周年オールスターチャンピオン祭りと題して五年前に公開された『五右衛門vs轟天』であります。

 五右衛門とは言うまでもなくあの石川五右衛門――『五右衛門ロック』シリーズで大活躍する、近年の古田新太の当たり役。釜茹でにされたはずの彼が海の向こうに脱出、世界を股にかけて大暴れ――という大活劇シリーズの主役を務める好漢であります。
 一方の轟天は、新感線の一方の柱であるネタものの雄『直撃! ドラゴンロック』の主人公である、異常にワイルドな風貌の武術達人にして、異常なまでの女性(の下着)好きという変態。橋本じゅんといえばこれ、と言うべきあまりにも濃すぎるキャラクターです。

 奇しくもこれまでに新感線での主役作品が三本ずつのこの両雄が、ダイナミックな感じでvsする本作、何故か(?)ソフト化もされていなかったのですが、今回このような形で配信されたのは望外の喜びです。


 さて本作は、悪の組織の手に落ちかかっている現在を救うため、五右衛門の○○を叩き潰す指名を帯びた轟天がタイムスリップ、五右衛門と対決するのが縦糸。そして五右衛門と女盗賊・真砂のお竜、からくり戯衛門(その実は……)と、風魔忍群、五右衛門の宿敵・マローネ侯爵夫人一味が繰り広げる三つ巴の争いが横糸の物語であります。
 設定的には、『五右衛門ロック』シリーズ三部作の後の時系列に轟天が乱入した形になるのですが――さらにそこにその他の新感線作品のキャラクターたちがスターシステムで次々と顔を出すという、実に豪華かつ混沌とした内容の作品です。

 そんな俺が俺がの状態の本作で、主役二人以外に強烈な印象を残すのは、何といってもある意味この混戦の元凶である、謎のビジュアル系忍者・ばってん不知火。
 『レッツゴー! 忍法帖』で池田成志が演じて大暴れした怪キャラクターですが、本作でも自分自身で何をやっているのかわからない、というノリで場を引っかき回し、こちらを大いに抱腹絶倒させてくれました。

 また同じ『レッツゴー! 忍法帖』からは、中谷さとみ演じる風谷のウマシカが登場。マローネに支配されたぬらくら森に住む青き衣をまといし少女で、実は本作のヒロイン枠の一人なのですが――名前からわかる通り、実にマズいキャラ。
 初登場作品の頃からマズかったのですが、今回はそれにさらに拍車がかかり、ラストバトルに森の仲間たちと参戦した時の姿は完全にアウト。本作がソフト化されないのはもしかして――という疑惑も浮かびます。


 その他、陰険メガネと長髪美形と一粒で二度美味しい粟根まことの熱演や「ふんどしと呼ばれる男」の客演など、実に賑やかな本作なのですが、しかし一番感心させられたのは、マローネ役の高田聖子でした。

 マローネ自身は、これまでシリーズ二作品に登場したお馴染みのキャラクターなのですが、本作では中盤にとんでもない大異変が起こり、大きくその立ち位置が変わることに。
 そしてそこからの展開はほとんど古田新太との演技合戦――長年新感線を引っ張ってきた二人ならではの応酬には、ただ感心させられるばかりであります(この辺り、この展開を用意した脚本も流石です)。

 もっとも、そのおかげでというべきか、中盤は轟天の影がちょっと薄い印象もあるのですが――まあ存在しているだけで濃いの轟天というキャラで、もちろんクライマックスではお馴染みの(?)最低過ぎる格好で大暴れ。
 これまでのシリーズであれば五右衛門が務めていた役割を見事果たして、両雄の大暴れに繋がっていく展開には、ただ笑顔で拍手するしかありません(しかしこうして見ると、五右衛門は新感線作品の主人公の中ではかなり常識人だったのだな――と再確認)。


 そしてラストには、五右衛門といえばこれ! という展開からの最高の見得切りで幕――と、大満足の本作。五右衛門シリーズとしてもきちんと(?)成立しているだけに、やはりソフト化されていないのは残念ですが、ここしばらくの鬱憤を吹き飛ばすことが出来た快作であることは間違いありません。


関連サイト
 新感線・シンパシー・プロジェクト

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