2024.12.21

奪われたものを取り戻すことと、他者から奪うこと 士貴智志『どろろと百鬼丸伝』第11巻

 原作を大きく離れ始め、もはやどこに向かうのか想像もつかない新釈『どろろと百鬼丸』、この第11巻では、前半に第10巻から続く「孤絶の岬の段」、後半に多宝丸を主役とした「霧纏いし魔城の伝」が収録されています。それぞれ運命に逆らい己の道を行く息子たちを見る醍醐景光は何を思うのか……

 どろろの父・火袋が隠した黄金の行方を追う、火袋の元子分にして今は野盗の頭領であるイタチ。黄金の在処を教える代わりに、その黄金を世の中に役立てくれというどろろの願いを受け入れたイタチですが、しかし道案内の少女(!)不知火に騙された野党たちは、死霊・海坊主の餌食となります。実は不知火と妹の二胡は、かつて侍に殺された弟を蘇らせるため、海坊主に人の魂を食わせていたのです。
 そんな中、八年に一度生じる、流氷が凍りついた道を辿り白骨岬に向かうどろろ一行。しかしその途中、死霊の気配を察知した百鬼丸は海坊主に戦いを挑み……

 というわけで、サメの妖怪との対決そして黄金を巡る侍たちとの死闘が描かれた原作とは異なり、百鬼丸と海坊主の対決がクライマックスとなる「孤絶の岬の段」。しかしそれ以上に強調されるのは、自分が奪われたものを取り戻すために、他者から奪うことは許されるのか、という問いかけです。
 弟の命を取り戻すために、数多くの人々の命を奪ってきた不知火。奪う相手を選んでいると語る彼女に対して、どろろはその行いの中のエゴを――さらにいえばそんな状況に人を追い込む世の無情を指弾します。

 それは、これまで様々なものを失ってきたどろろだからこそ言えることであるかもしれません。しかしそれは同時に、己の身体を取り戻すために、死霊とはいえ他者を討ってきた百鬼丸の行いを看過しているという矛盾を孕みます。
 はたしてその矛盾がこの先裁かれることがあるのでしょうか。琵琶法師が語る不吉とも取れる言葉、百鬼丸が海坊主から取り返した部位の謎が、あるいはそれに関わってくるのかもしれません。


 そしてこの巻の後半で描かれるのが、問題作「霧纏いし魔城の伝」です。
 身分を隠して醍醐軍に紛れ込んでいた際、醍醐景光の不可解な行動と、それが姿を見せなくなった正室・お縫の方のためではないか、と耳にした多宝丸。その真偽を問う彼の前に現れた少年足軽のペラ助ことアケビは、景光が人里離れた地に築いた岩城、通称「死禁城」の存在を語ります。

 城というより塔のような姿を見せ、巨大な蛇状の妖怪の襲撃を受け続けながらも揺るぎない死禁城。アケビを供に、奇怪な妖怪や死人たちが蠢く道を抜け、この魔城にたどり着いた多宝丸の前に、景光が姿を現すのですが……

 という、原作を知る人間ほど混乱させられる完全オリジナルのこのエピソード。はたしてこの城は何なのか、そしてもはや天下獲りにあるとは思えない、異常なまでの魂念力を見せる景光の目的は――それは前巻そしてこの巻にわずかに登場した、謎の生人形に関わるものなのでしょうか。
 そして生人形の正体が多宝丸の予想した通りであれば、景光の行動は、この巻の前半で描かれたものと通底するのかもしれません。
(ただしその場合、多宝丸の予想には大きな矛盾が生じるのですが……)

 いずれにせよ、もはや死霊退治している場合ではないとすら思わされる、大きすぎるスケールを誇示する景光に対して、百鬼丸の力は及ぶのでしょうか。おそらくは全編のクライマックスが近づく中、大きく心乱される展開です。


 しかしアケビ(どこかで見たことがあるようなないような、謎のデザインと名前のキャラ)に「あにき」と呼ばれて心を動かしてしまう多宝丸は、どれだけどろろを引きずっているのでしょうか。
(そしておそらくアケビの正体も……)


『どろろと百鬼丸伝』第10巻(士貴智志&手塚治虫 秋田書店チャンピオンREDコミックス) Amazon

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2024.12.14

武侠ものの何たるかと原作の掘り下げと 分解刑『東離劍遊紀 下之巻 刃無鋒』

 TVシリーズ第四期もいよいよクライマックスの『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』、その第一期のノベライズの下巻が本書です。神誨魔械・天刑劍を巡り繰り広げられる「義士」たちと玄鬼宗の戦いは、七罪塔を舞台にいよいよ激化。その中で、それぞれの秘めた思惑が明らかになっていきます。

 かつて魔神・妖荼黎を滅ぼした天刑劍を我が物にせんとする玄鬼宗首領・蔑天骸に、兄をはじめ一族を皆殺しにされた少女・丹翡。彼女は謎の美青年・鬼鳥の助けで、風来坊・殤不患と鬼鳥の下に集った「義士」たちと共に、蔑天骸の根城・七罪塔に向かいます。
 しかし七罪塔に至るまでには、亡者の谷・
傀儡の谷・闇の迷宮の三つの関門があります。ところがこれを突破するために集められたはずの仲間たちは実力を発揮せず、一人で戦わされた上に嘲りを受けた殤不患は激怒し、一人別の道を選びます。

 その後を追ってきた丹翡と鬼鳥と共に、一足早く七罪塔に足を踏み入れた殤不患ですが、そこで鬼鳥の裏切りを知ることになります。さらに捕らわれた殤不患と丹翡の前に現れた狩雲霄から、鬼鳥の正体が東離にその名を轟かせる大怪盗・凜雪鴉であり、全ては天刑劍を奪うための企てだと知らされて……


 上巻が舞台設定の説明と「義士」たちの集結を描くものであったとすれば、下巻はいよいよ彼らが玄鬼宗の本拠地に乗り込み、激闘を繰り広げる――と思いきや、その予想を裏切るような意外な展開が連続します。

 確かに癖は強く単純な正義の味方ではないものの、頼もしい味方と思われた「義士」の面々は、様々な形で殤不患そして丹翡を裏切り、それどころか全ては凜雪鴉の奸計であったと明かされる始末。我々読者も振り回しながら、物語は悪党同士の騙し合いへと突入していきます。
 これはもちろん原作(人形劇)のままではありますが、改めて見ても展開の皮肉さ、ドライさは強烈で、この辺りの味わいは、ある意味実に原作者らしいといえるでしょう。

 しかし、そんな悪党ばかりの渡世だからこそ、その中で正しきものが輝くのもまた事実。殤不患の侠気、丹翡の清心、捲殘雲の熱血――この三人の姿は、大きな試練に遭ってさらに光を増すことになります。
 特に上巻でも描写が大幅に補強されていた丹翡と捲殘雲は、この下巻において、さらに丹念にその心の動きが描かれます。江湖の何たるかを知らずにいた丹翡と、江湖に理想を抱いていた捲殘雲。この二人が江湖の現実にぶつかり、打ちのめされ、しかしそこで互いに通じるものを見つけ、手を携えて立ち上がる――それは、そのまま二人の人間としての成長の過程であり、そしてラストで描かれる二人の姿に大きな説得力を与えています。

 そしてそんな二人の前に巨大な背中を見せて立つ真の好漢、傷の痛みも患わず、謀られてなお笑う奴――誰もが親指を立てて讃えたくなる痛快無比な殤不患は、「武侠」という概念を人間の姿にしたとすら感じられます。
(ちなみに本作からは、生き様という点では、殤不患と凜雪鴉が根を同じくする一種のあわせ鏡であることに気付くのですが……)

 上巻の紹介で、本作は悪党たちを描くことにより、逆説的に「武侠」という概念の何たるかを描くものではないかと書きましたが、その予感は間違っていなかったと感じます。
 本作は見事に武侠ものの味わいを再現した文章のみならず、マニアであってもなかなか説明しにくい、「武侠」の精神を浮き彫りにしてみせた――武侠ものに初めて触れる者(そしてそれは丹翡と捲殘雲の視点に重なることは言うまでもありません)にとって、その何たるかを示した、一種の入門書とすら言えるのではないでしょうか。


 さて、本作を楽しめるのは、そんな武侠ものに、そして『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の世界に初めて触れる読者だけではもちろんありません。特に終盤の展開は、既に作品をよく知るファンにとっても新鮮に楽しめるものとなっています。
 その中でも、実は作中でその人物像があまり掘り下げられなかった、ある登場人物の過去について語られる意外な真実は、その描かれるシチュエーションも含め必見です。

 そして原作とは全く異なる展開を辿るラストバトルも――原作の野放図で豪快極まりない結末も素晴らしいのですが、本作のそれは、あくまでも剣を振るう者は人間であることを示すものとして、納得のいくものといえるでしょう。(少々描写がわかりにくいきらいはありますが)

 武侠ものの何たるかを、作品を通じて無言のうちに示すとともに、原作の物語世界そのものを大きく掘り下げてみせる――ノベライズという媒体の中でも最良のものの一つである、というのは褒め過ぎかもしれませんが、偽らざる心境でもあります。


『東離劍遊紀 下之巻 刃無鋒』(分解刑&虚淵玄 星海社FICTIONS) Amazon

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2024.12.05

兄の代役となった女と、人外の血を引く男と 木原敏江『夢の碑 とりかえばや異聞』

 木原敏江の代表作(シリーズ)である『夢の碑』――様々な時代を舞台に、人と人外の関わり・交わりを描く物語の第一弾です。「とりかえばや物語」をモチーフに、戦国時代、双子の兄の代役となった女性と、異国の人外の血を引く男――愛し合いながらもすれ違う二人の運命が描かれます。

 織田信長が各地に侵攻していた頃、一仕事終え、京で羽を伸ばしていた腕利きの忍び・風吹。彼は、背が高く凛々しい、一見美男子のような遊女・紫子と出会い、恋に落ちるのですが――しかしほどなくして、紫子が実は安芸の大名・佐伯家の当主の双子の妹と判明、実家に連れ戻されてしまうのでした。

 規模は小さいものの、代々独立独歩の姿勢を取っていた佐伯家。その当主である碧生は英傑の誉れ高い青年でしたが、織田と毛利の争いが激化する中、体を壊し、その代役を紫子が務めることになります。
 一方、そんな彼女の状況は知らず、謀反を企む佐伯家の家老・天野外記の依頼で碧生暗殺を請け負った風吹。しかし事情を知った彼は紫子に味方することを決めるのでした。

 折しも毛利家の姫が碧生のもとに輿入れすることとなり、快復した碧生が迎えるのですが――しかし婚礼の直前に彼は逝去し、再び紫子は身代わりを務めることになります。そして閨での代役を紫子が風吹に頼んだことで、二人の間に溝が深まるのでした。
 そんな中、ふとしたことから碧生の死を知った外記は、既に邪魔者になった風吹に刺客を送った末、毛利に身を寄せ、佐伯家には毛利家と織田家の連合軍が殺到します。

 これに対して、自分の正体を明かしながらも、碧生として佐伯家を率いる紫子。しかし戦場で彼女に危機が迫るたびに、不思議な力が彼女を守ります。その正体は風吹――実は遥か過去に異国からやって来た「びきんぐあ」の血を引く彼は、異形の姿と力を持ち、その力で紫子を守るのですが……


 平安時代、対照的な性格の兄妹が互いに入れ替わる「とりかえばや物語」。非常にユニークな内容の古典ですが、本作はそれをモチーフにしつつも、大きくアレンジして描きます。確かに男女の入れ替わりはあるものの、むしろ物語的には御家騒動もの――替え玉になって家を背負うことになった紫子の姿が、、物語の縦糸として描かれるのです。

 しかし本作が面白いのは、紫子が、家を背負う重圧もさることながら、風吹とのすれ違いにより深く悩む点でしょう。
 この点で本作は大きく恋愛もの的性格を持つのですが――この辺りはもう完全に作者の自家薬籠中のもの。時に極めてシリアスに、時にコミカルに描かれる男女の姿は、歴史ものでありつつも、普遍的な味わいがあります。(特に後者の軽みは、シリアスな場面以上に男女のリアルさを感じさせることすらあります)


 しかし本作の更にユニークな点は、とりかえばや要素だけでも成立する物語に、さらに横糸――風吹の秘められた力とその出自を巡る物語を絡めたことでしょう。

 冒頭から、時に目が緑色に光るなど不思議な様子が描かれていた風吹。実は彼の母は、遠い昔に日本に渡ってきた民「びきんぐあ」の末裔――様々な不思議な力を持ち、頭に二本の角を生やす、いわば鬼の末裔なのです。
 愛する紫子に対しても自分の力を、そして真の姿を隠してきた風吹。本当の自分自身を隠さなければならないという点では紫子同様の――いやそれ以上に深刻な立場に風吹は在るのです。(終盤に描かれる紫子の反応が、それを強く感じさせます)

 真の自分を抑圧しながらも、互いを求めて懸命に生きる――そんな二人の物語の結末はある種「お伽噺」的ですが、しかし大きな救いがあるといって良いかもしれません。


 なお、本書にはその他に「桜の森の桜の闇」と「君を待つ九十九夜」の二編が収録されています。

 前者は鎌倉時代末期を舞台に、恋人を故郷に残して暴れまわる武士崩れの野盗の男と、花を食う美しい鬼が出会う物語。美しい不滅愛の物語であるはずが――という強烈な結末が印象に残る本作は、発表順では『風の碑』シリーズ第一作となります。
(内容的にも『とりかえばや異聞』より先に読んだほうがいいかもしれません)

 後者は大正時代を舞台に、没落華族の娘と、実家が成金の青年の二人が主役の物語。あちこちで浮名を流す青年からの求婚に対し、娘は小野小町と深草少将の百夜通いのように、百夜通うことで誠意を示すよう求めるのですが――思わぬ(?)ゲストが登場する、あっけらかんとした結末の味わいも楽しいラブコメです。


『夢の碑 とりかえばや異聞』(木原敏江 小学館フラワーコミックスα) Amazon

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2024.12.03

漫画に映える水と油の二人 うゆな『大正もののけ闇祓い バッケ坂の怪異』第1巻

 昨年、ポプラ文庫ピュアフルから刊行された、あさばみゆきの大正もののけ退治ものが漫画化されました。東京の山の手を舞台にに、堅物の剣術指南と軟派な八卦見という水と油の二人が、様々な怪異と出会う連作の第一巻です。

 目白で父親の跡を継いで剣術道場の師範を務める柳田宗一郎が、出稽古の途中で出会った八卦見の男・旭左門。道端で女性相手に商売をする左門の胡散臭さに反感を抱く宗一郎ですが、左門は彼に「死相が出ている」「女難」に遭うと告げるのでした。
 腹を立ててその場を離れた宗一郎は、出稽古の帰り、自分の道場があるバッケ坂の入口で、あけ乃という女性を助けるのですが――彼女を送っていった先の屋敷から、出られなくなってしまうのでした。

 怪しい態度を見せるあけ乃と、時間と空間が歪んだ屋敷に閉じ込められてしまった宗一郎。そこに屋敷の外からやって来たのは、あの左門で……


 という第一話から始まる本作は、原作に忠実に展開していきます。はたしてあけ乃とこの奇怪な屋敷の正体は何か。そこに平然と入り込んで宗一郎を助けようとする左門は何者なのか。そして宗一郎と左門は、屋敷から逃れることができるのか。
 第一話からなかなかヘビーな状況ですが、どんな怪奇現象に出会っても気の迷いで済ましてしまう宗一郎と、ヘラヘラと軽薄な態度ながら不思議な術を使う左門――相反する個性の二人が、それぞれの力を活かして窮地を切り抜ける様はユニークな怪異譚として楽しめます。

 というより宗一郎の場合、これが窮地だと理解していないのが面白いところで、それ以外の部分も含めて、ほとんど「漫画のような」四角四面の石頭、いや鉄頭なのですが――それが実際に漫画になってみると実にハマります。
 ちょっとやり過ぎ感があるくらいの宗一郎のキャラクターですが、こうして時にデフォルメも加えた絵で見せられると、違和感がないのが面白いところです。
(ちょっと可愛すぎるキャラデザインかな、とも思いますが、美男子設定ではあるので……)


 ただ、それ以外の部分も含めて漫画として見ると、ちょっと不安定な部分があるのも正直なところです。
 重箱の隅を突くようで恐縮ですが、例えば宗一郎が井戸で水浴びする場面など、本作では服を着たまま頭に水を被っているのですが――確かに原作には細かい描写はないものの、さすがに上は諸肌脱いでいないと無理があるわけで、そこは絵で補う必要があったのではないでしょうか。

 その他、原作では狭苦しい居酒屋だったのが妙に広い空間として描かれていたり(これはまあ、展開的にはあり得ないこともない、と擁護できるかもしれませんが)、原作の内容を漫画という別メディアに移し替えられているか、というと、厳しいことを言えばまだ苦しいように感じます。


 この第一巻では、宗一郎がかつて尊敬していた兄弟子と不思議な再会を遂げる原作第二話まで収録されていますが、原作は全五話構成。この先、いよいよドラマ的に盛り上がる内容を、どこまで漫画として描き留められるか――早くも正念場という印象です。


『大正もののけ闇祓い バッケ坂の怪異』第1巻(うゆな&あさばみゆき 一迅社ZERO-SUMコミックス) Amazon

あさばみゆき『大正もののけ闇祓い バッケ坂の怪異』 水と油の二人が挑む怪異と育む関係性

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2024.11.29

白虎隊の少年、西部で生きる意味を知る 吉川永青『虎と兎』

 時代劇と西部劇は琴線が響き合うのか、数は多くないものの、サムライがガンマンと共演する作品は途切れません。本作はその中でも、白虎隊の生き残りの少年が西部に渡り、原住民の少女を助けて、カスター中佐やピンカートン探偵社と対決する活劇です。

 白虎隊の一員として会津戦争を戦い、落城に際して切腹しようとしていたところを、最年少であったことから周囲に逃され、心ならずも生き延びた少年・三村虎太郎。
 自分が生き延びた意味を探す彼は、幼馴染みがプロイセン商人・スネルの妻となった縁から、共にカリフォルニアに移住し、茶の栽培に携わることになります。

 新天地の生活で苦労も多い中、行き倒れていたシャイアン族の少女・ルルを助けた虎太郎。しかし彼女がコロニーの生活に慣れた頃、周囲に不審な影が出没します。
 実は、原住民たちを虐待、虐殺するカスター中佐のもとから開発中の秘密兵器の設計図を盗み、逃げてきたというルル。それに対し、カスターはピンカートン探偵社に依頼し、彼女を捕らえようとしていたのです。

 ついに迫るピンカートンの追手に対し、ルルを連れてコロニーから脱出した虎太郎。二人はルルの部族の生き残りを求めて、旅に出ることになります。
 その中で、ピンカートンの追っ手や横暴な白人の戦いを繰り返し、原住民たちと触れ合う中で、彼らの生き方を知り、様々なことを学ぶ虎太郎。さらに売出し中のビリー・ザ・キッドと意気投合し、冒険の旅を続けた二人は、ついにシャイアンの生き残りと合流するのですが……


 冒頭で触れた通り、日本の武士(もしくは武芸者)が開拓時代のアメリカに渡って冒険を繰り広げるというシチュエーションは、異文化同士のファーストコンタクトや、何よりも異種格闘技戦的興味を満たすためか、これまで様々な作品が描かれてきました。
 そんな中で本作が目を引くのは、主人公が白虎隊の生き残りであり、そしてそれ以上に若松コロニーの参加者であることでしょう。

 幕末に奥羽越列藩同盟に接近した怪商スネル兄弟の兄であり、松平容保から平松武兵衛の名を与えられたヘンリー・スネル。その彼が会津藩の敗北後、日本人妻をはじめ会津若松の人々数十名を連れてアメリカに移住した若松コロニー――その辿った運命は本作でも語られるために避けますが、なるほど、会津の若者をアメリカ西部に誘うのに、これ以上相応しい仕掛けはないでしょう。
(ただまあ、このアイディアは本作は最初というわけではないのですが……)

 こうしてアメリカに渡った主人公・虎太郎ですが、まだまだ年若く、そして様々な意味で未熟なキャラクターではあります。
 官軍の横暴に追い詰められた末に全てを失い、自分一人が生き残ってしまった虎太郎。以来、己の命の意味に悩み続ける彼が、白人の横暴で全てを失い、いま命も奪われようとしているルルに己を投影し、彼女を助けて冒険の旅に出るのは納得できます。

 しかしもちろん、彼は一人ではありません。会津戦争で彼を救った人々、若松コロニーの同胞、行く先々で出会う原住民たち――そんな人々が、時に彼に生きるべき方向を示し、時に生きる術を教え(元会津藩士から御式内を教わるのが熱い)、少しずつ彼は自分が生きる意味を――他者と共に生きる意味を知っていくことになります。
 そんな本作、西部劇アクションの変奏曲ではありつつも、それ以上にビルドゥングスロマンの性格を強く持った物語といえます。


 しかし本作の場合少々戸惑ってしまうのは、世界観があまりに白黒はっきり別れたていることで――特にカスターの狂人じみた悪役ぶりには鼻白むものがあります。

 もちろん、彼の行動について、特に本作でも大きな意味を持つウォシタ川の虐殺は全く評価できるものではなく、悪役とするには適任というべきかもしれません。しかし彼一人を強烈な悪人として描くことによって、アメリカという国家と原住民との戦争の――さらに言ってしまえば人間を抑圧するものと人間の尊厳の戦いの――性格がぼやけてしまったのではないか――そんな懸念はあります。

 もう一つ、カスターを敵とする以上、ラストの展開は予想できるのですが、若松コロニーをスタートとしたことで、結構時間的にも地理的にも間が開いてしまうのは、ある意味歴史小説の必然ではあるのですが、やはり歯がゆいところではあります。
 主人公を悩める少年とすることで単純な「日本人救世主」ものになることを回避し、青春小説としての爽やかさを与えている点は評価できるだけに、これらの点は勿体無いと感じたところです。


『虎と兎』(吉川永青 朝日新聞出版) Amazon

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2024.11.25

さらば長崎 ブラック上司たちの狭間で 上田秀人『辻番奮闘記 六 離任』

 江戸で、長崎で、辻番として奮闘を繰り広げてきた斎弦ノ丞の奮闘もこれで第六巻。長崎辻番として剣を振るってきた弦ノ丞ですが、ついに江戸の松平伊豆守に呼び出されることとなります。しかし主君と伊豆守、そして長崎奉行・馬場三郎右衛門の三者の争いは簡単に収まるはずもなく……

 寛永年間、平戸藩松浦家の辻番として江戸で起きた数々の事件から主家を救った弦ノ丞。国元に栄転した彼は、しかし松浦家が命じられた長崎警固の先遣隊として長崎に向かうことになります。
 しかし当時の長崎は島原の乱と鎖国の煽りを受けて治安は悪化の一途、人手不足に悩む長崎奉行から目をつけられた彼は、長崎辻番を命じられるのでした。

 さらにそこに、大老・土井大炊守の追い落としを図る老中・松平伊豆守から、かつて平戸藩も関わった外交事件・タイオワン事件と大炊守の関連を調べるように密命が下されることに。かくて弦ノ丞は幾重にも危ない橋を渡る羽目になるのですが……


 というわけで、江戸でも長崎でも辻番を命じられるという数奇な運命を辿ることになった弦ノ丞ですが、彼の受難はまだまだ続きます。というのも、目の上のたんこぶである大炊守排除を急ぐ伊豆守が、平戸藩主である松浦重信に対し、ついに弦ノ丞の江戸召喚と貸出しを命じたのです。
 江戸召喚はともかく、伊豆守への貸出しは、無償でこき使われるであろうことを思えば、弦ノ丞にとってありがたくないことこの上ない話。主君である重信にとっても、自分のところの藩士を差し出せと言われて面白いはずがないでしょう。

 そもそも主君でもない(禄を支払っていない)人間が他所の藩士を使おうというのは、武士の根本である御恩と奉公のシステムに反する行為。そんな横紙破りを平然と行う辺り、伊豆守の人間性というものが窺えますが――しかし弦ノ丞の災難はそれだけではありません。
 もはや長崎の治安維持には不可欠となった長崎辻番の要である弦ノ丞を手放すことを渋り、長崎奉行の威光で都合よくこき使おうとする馬場三左衛門。しかも三左衛門は大炊守派閥の人間であることから、状況はいよいよややこしくなります。

 かくて本作の大半では、弦ノ丞の頭の上での権力者同士がやり合う様が描かれることになります。もちろん、その才を買われ、求められるというのは名誉ではありますが、しかし弦ノ丞の場合は、ただそれを都合よく利用しようとする者たちばかりなのが不幸としかいいようがありません。
 この辺り、人の使い方として考えさせられるところではありますが――いずれにせよ、ブラック上司にこき使われるのは上田作品の主人公ではいつものことですが、ここまでブラック上司同士の間に挟まれるのも珍しい。あるいは弦ノ丞は、上田作品の中でも不幸度が相当に高い主人公かもしれません。

 そんなわけで、本作の終盤、部下であり先輩に当たる志賀一蔵に対して己の立場の味気なさを愚痴る弦ノ丞の姿には、同情する以外ないのです。


 しかしそれでも、結局は長崎を離れ、江戸に向かうことになる弦ノ丞(ここで長崎奉行の追求を躱すための松浦家側の策がなかなか面白いのですがそれはさておき)。おそらく次巻からは江戸が舞台になるはずですが、さてそこで何が描かれるのでしょうか。

 正直なところこの巻では、弦ノ丞の頭上での空中戦が大半となり、物語そのものの展開に乏しかった印象があるだけに、(たとえこき使われたとしても)彼自身の活躍をもっと見たいものです。


『辻番奮闘記 六 離任』(上田秀人 集英社文庫) Amazon

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2024.11.14

享保十三年、長崎から江戸に運ばれるのは…… 茂木ヨモギ『ドラゴン奉行』第1巻

 七月鏡一といえばアクション色、SF・伝奇色の濃い漫画の原作者であり、時代ものはほとんど手がけていなかった印象ですが、『タイフウリリーフ』の茂木ヨモギと組んで描く本作は、江戸は享保年間を舞台とした時代ものです。もっとも、タイトルが示すように一筋縄ではいかない物語です。なにしろ、享保十三年の日本に登場するのが……

 命知らずの暴れっぷりで巷を騒がす無宿人・風鳴りの右門。ある賭場での騒ぎから捕らえられ、牢屋敷でも暴れた右門の前に現れたのは、南町奉行・大岡越前守の懐刀として知られる与力・桐生左近――彼の父でした。
 役目のためには非情に徹する父に反発し、二年前に家を飛び出して無頼に身を落とした右門。しかしその父の命により、右門は父と共に長崎に向かうことになります。

 長崎にたどり着いた右門に明かされた使命――それは八代将軍吉宗の命により、長崎から江戸へ「あるもの」を送り届けるというものでした。
 そして、停泊する南蛮船の中で右門が目にしたその「もの」。それは和蘭陀国から吉宗に送られた巨大な南蛮の竜――ドラゴン!


 そんなインパクト最高の第一話から始まる本作。史実において、享保十三年に長崎から江戸に運ばれたのは、中国の商人から吉宗に送られたベトナムの象(様々なフィクションの題材にもなっています)でしたが、それをドラゴンに置き換えてみせるとは、さすがに度肝を抜かれました。
 象の輸送ですら、大変な苦労をしたという記録が残っているわけですが、それがドラゴンであったらどうなるか――もちろん仮定にしても途轍もない話ですが、翼と巨体を持つ存在というだけでも、象を以上の波乱を予感させることは間違いありません。

 しかも、ドラゴンの周囲には早くも怪しげな一党の姿が見え隠れします。この時代、吉宗に敵意を抱き、彼の命を妨害しようとする者といえば何となく予想はつきますが――それが当たっているかどうかはさておき、難事にさらなる障害が加わることは避けられません。

 この任務に挑むの右門は、腕っぷしは立つものの、ある一点を除けば普通の人間。その一点とは、彼の鋭敏な耳――コウモリやイルカの声すら聞き分けるという人間離れした聴力ですが、この巻では早くもその力が役に立つ姿が描かれました。この先も、この能力が切り札となるのでしょう。

 なお、この巻の後半で描かれた内容を見るに、こドラゴン輸送が、先に触れた史実での象の輸送を踏まえたものになることが予想されます。
 もちろん、それはあくまでも踏まえるだけで、その何倍も波乱と危険を孕んだものになることは言うまでもありませんが……


 ちなみに、この巻で成り行きから右門と行動を共にした、生意気な通詞見習いの少年・西善三郎は実在の人物です。史実では本作に描かれたように才気煥発でありつつも、ひねくれ者であったようですが――本作でこの先も登場するのであれば、面白い存在になりそうです。


『ドラゴン奉行』第1巻(茂木ヨモギ&七月鏡一 小学館サンデーうぇぶりコミックス) Amazon

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2024.11.08

「武俠小説」として再構築された物語 分解刑『東離劍遊紀 上之巻 掠風竊塵』

 2016年のスタート以来好評を博し、現在TVシリーズ第四期が放送中の『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』、その第一期がノベライズされました。破魔の名刀を巡り繰り広げられる武林のはぐれ者たちの戦いを描く、シリーズの原点が蘇ります。

 偶然の成り行きから、邪宗門・玄鬼宗に追われる少女・丹翡を助けた風来坊・殤不患。かつて魔神を封じた神誨魔械・天刑劍を代々守る護印師である丹翡は、兄をはじめとする一族を玄鬼宗に皆殺しにされた上、天刑劍の柄を奪われたのです。
 その丹翡に手助けを申し出たのは、鬼鳥と名乗る謎の美青年。その鬼鳥にけしかけられた上、方方に玄鬼宗の手が回ったことから、殤不患もやむなく丹翡らと行動を共にすることになります。

 しかし蔑天骸が潜む七罪塔までには数々の関門が待ち受けます。その関門を突破するために鬼鳥が集めたのは、冷静沈着な弓の達人・狩雲霄とその弟分の血気盛んな青年・捲殘雲、鬼鳥に深い恨みを持つ死霊術使いの妖魔・刑亥、同じく鬼鳥の首を狙う冷酷非情の剣鬼・殺無生――鬼鳥と殤不患を加えて六人の「義士」は、丹翡とともに七罪塔に向かうことに……


 第一期のストーリーのうち、前半六話に当たる内容が描かれるこの上巻。その内容は、後述するようにオリジナルエピソードもあるものの、ほぼ原作に忠実であり(サブタイトルもほぼ同一)、第一期からの視聴者にとっては懐かしい物語が蘇ります。
 しかし、本作は原作を追体験するためのファンアイテムという枠には、到底収まらない完成度を持った作品といえます。その理由は極めてシンプル――本作は「武侠小説」として、独立した作品として再構築されているのです。

 本作は一口で言えば「武侠もの」です。しかし「武侠もの」といっても実際には(例えば「時代劇」がそうであるように)千差万別ではありますが、しかしそこには最大公約数的な空気というものがあり、それはいわゆる武侠用語を用いただけで再現できるというものではありません。
 また、本作の原作は、人形劇――それも台湾の霹靂布袋劇をベースとしたもの。それ故のタイトルに『Thunderbolt Fantasy』を冠している(そして本作にはその部分が省かれている)わけですが、いずれにせよ、おなじ「武侠もの」であっても、その表現様式は、人形劇と小説で自ずと異なるべきでしょう。

 つまり、原作の内容を(例えば脚本を)そのまま文章に移し替えればいいわけではない――その難事を、本作は見事に達成しているのです。必要なもの以外は削ぎ落とした文章によって、そして映像では表現しきれない登場人物の内面――心意気というべきものを描くことによって。
 特に、第五章での殤不患と殺無生の対峙のくだりなどは、映像では抑えめだった二人の心中を余さず描くことにより、原作以上に武侠ものらしさを生み出しているものとなっているのには、つくづく感心させられます。

 もっとも、本作の文章はかなりの割合で古龍オマージュと思われることもあり、独特の文体・言い回しに慣れるまで時間がかかるかもしれませんが……


 さらに、本作の魅力をもう一つ挙げれば、作中では若輩者である丹翡と捲殘雲の二人に関する描写の膨らませ方があります。
 海千山千の他の面々に比べれば、明らかに心身とも未熟であり、それぞれ「世間知らず」「意気がり」の一言で済まされかねない二人。しかし本作は、それぞれの内面描写を重ねることにより、決して単純なものではない(捲殘雲はそれなりに……)若者たちの姿を浮き彫りにします。

 特に終盤のオリジナルエピソード――悪辣な金持ちに囲われていた母娘の逃走劇に二人が手を貸して大立ち回りを演じるくだりは、その中で二人の想いの重なる部分、そして決して重ならない部分を描くことで、「江湖」という概念を浮き彫りにしてみせる、大きな意味を持つと感じます。

 そしてこの二人の視線と、先輩格の「義士」――実際にはそれとは程遠い曲者たちの姿の交錯するところに、逆説的に「武侠」という概念の何たるかが照らし出されるのではないでしょうか。
 ……というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが、この曲者たちが真の顔を見せることになる下巻で何が描かれるのか、原作以上に楽しみであることだけは間違いありません。


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2024.11.05

珍道中! 川路と半次郎(と太郎) 泰三子『だんドーン』第5巻

 読めば読むほど「この人が日本の警察の祖って……」という気持ちになる『だんドーン』、桜田門外の変の成功により、幕府と薩摩を巡る状況が一層混迷を深める中、川路利良に新たな命が下されます。それは、恐るべき新たな薩摩人との珍道中の始まりでもあります。

 井伊家の多賀者との諜報戦を制し、多くの犠牲を払いながらも、桜田門外で井伊直弼暗殺を成功させた川路。大老が白昼堂々暗殺されたことで、幕府の威信は地に墜ち、同時に薩摩を巡る情勢はますます混沌としていきます。

 そんな状況の中、島津久光の上洛に際して薩摩兵千人分の米を買い付けるため、川路は下関まで2万4千5百両を運ぶことになります。しかし、それだけの黄金を小判で運べばとてつもない分量――内外の過激派に目をつけられてあらぬ誤解を招いたり、奪い取られたりしては目も当てられません。
 かくて小松帯刀から川路が命じられたのは、黄金を溶かし、地蔵のような田の神に偽装した像に加工し、背負って運ぶ奇策でした。しかし分量的に田の神は二つ、つまり運び手は二人必要です。

 薩摩藩を絶対に裏切らず、そして腕が立つ者――この条件に当てはまったもう一人の男・半次郎は、川路とは水と油の性格で……


 というわけで、作品始まって以来の凄絶な流血が描かれた第四巻に続く本書で描かれるのは、趣きをガラッと変えての黄金輸送大作戦。その珍妙な内容も愉快ですが、しかし何よりも目を引くのは、そこで川路の相棒となるのが、あの中村半次郎であることです。

 幕末四大人斬りの一人にも数えられ、明治に入ってからは陸軍少将を務めた(そしてその後……)薩摩の中村半次郎。幕末の薩摩を語るに欠かせない人物が、満を持してこの巻から登場します。
 何かと逸話に事欠かない豪傑だったという半次郎ですが、しかし本作におけるその姿は、豪傑というより脳筋。犬丸の遺児である太郎や、周囲の娘たちを虐げる山くぐり衆を問答無用で叩き斬る(そしてしれっと隠蔽しようとする)姿は、戦闘民族・薩摩人のタチの悪い部分の具現化のようです。

 しかし、そんな良くも悪くも豪放な半次郎が、まず猜疑心から入るインテリジェンスの川路と反りがあうはずもありません。互いに任務のためとはいえ行動を共にしつつ、相手が裏切ったら即殺す――そんな二人の間に挟まることになった太郎が不憫極まりない、殺伐窮まりない珍道中が、この巻のメインとなります。

 しかし(ドラマ的にはお約束ではありますが)川路と半次郎、正反対の二人が、旅を続けるうちに互いを理解し、徐々に近づいていく姿は、なかなかに感動的です。特に薩摩の幽霊寺や熊本城の石垣にまつわるエピソードは完成度が高く、私のように「薩摩はちょっと……」という人間でもグッときました。

 そしてグッとくるといえば、この巻の巻末に収録された番外長州編――桂小五郎と彼の師・吉田松陰を中心に、長州の若き志士たちの姿を描く物語も見事です。

 エキセントリック過ぎる松陰の個性を本作らしいギャグで際立たせつつも、物語の中では松陰と門人、いや諸友たちとの感動的な交流の姿が描かれます。
 薩摩に劣らぬクセつよ面子の長州勢を主役に、「長州はちょっと……」という人間にも胸に刺さる物語を描く業前には、ただ脱帽です。


 とはいえ、フィクションならではの感動というものには、やはりちょっと身構えたくなるものです。その一つが、この巻で描かれる伊牟田の姿です。
 本作においてはほぼ冒頭からサブレギュラーとして登場してきた伊牟田。その彼が過激浪士へ潜入するうちに――という展開は、史実の伊牟田に比べると「いい人」度が大幅に高いのに少々警戒してしまいます。

 ヒュースケン暗殺を語るくだりで、その(悪い意味の)おかしさが垣間見られるものの、このまま彼は「実はいい人」という扱いで進むのでは――と、本作のドラマ描写が巧みであるだけに、フィクションの怖さを何となく感じてしまったところです。
(井伊直弼を単純な悪役にしなかった本作だけに、美化するだけでは終わらないと思いますが……)


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2024.10.11

出現、美しき魔物、最悪の敵! 松浦だるま『太陽と月の鋼』第9巻

 愛する妻・月を取り戻してもまだまだ鋼之助の苦闘は続きます。戦いで負ったダメージを明の故郷で癒す一行ですが、そこに襲いかかる新たな刺客の影。卜竹とも深い因縁を持つその相手は、美しく無邪気な姿に恐るべき魂を隠した恐るべき相手なのです。

 那須での死闘を辛うじて生き延び、猪苗代に飛んだ鋼之助一行。そこで頼った明の故郷・弓呼村は、通力使いと一般人が共存する村でした。
 それぞれ十二天将の一人であった大ワカの婆さま、そして卜竹が、通力使いとして複雑な胸中を覗かせる中、通力使いたちの未来を握るという月は、人としての想いを貫くと語ります。

 そんな人々の想いが交錯する中、突然新たな刺客が明を襲います。いや、その刺客は明もよく知る村の人々――それだけでなく、鋼之助までもが、突如として周囲に刃を向けたではありませんか。
 単に得物を振るうだけでなく、通力使いはその通力を使って襲いかかる――そんな異常事態に自分も翻弄されながらも、卜竹は敵の正体に気付きます。

 それはかつて自分と同じ高山嘉津間の弟子だった娘、そして十二天将の一人・太陰の鬨。彼女はあどけなく美しい外見とは裏腹に、恐るべき通力と、何よりも純粋な邪悪というべき魂の持ち主だったのです……


 というわけで、デビューしたその巻で表紙を飾った美しき魔物・鬨との戦いと、卜竹が語る彼女の過去の所業が、この巻では語られることになります。
 新たな通力使いの能力描写と、その(基本的に悲惨な)過去が語られる――というのは本作の、というより超能力バトルものの定番の流れではあり、この巻もそれを忠実に踏まえたものといってもいいでしょう。しかし今回の場合、その内容の強烈さが全てを持っていった感があります。

 誰かを操って刺客に早変わりさせる――敵の存在を予見できない恐ろしさと、反撃したくとも反撃できない厄介さ(そして敢えて反撃した時に生まれる悲劇的なドラマ)から、様々な作品に登場する能力ですが、鬨のそれは、文字通り犠牲者を「心酔」させるものである点が、不気味かつ悍ましい。
 無理やり体を操るわけではないためか、相手の通力まで使えるという特性は、通力使いたちが集う弓呼村においては最適かつ最悪のものといえるでしょう。

 しかし真の最悪は、彼女の存在そのものであることを、卜竹は語ります。かつて彼女が姉弟弟子として高山嘉津間の下にいた時、嘉津間が巡っていた二つの村で何が起きたのか? この巻でかなりの割合を割いて描かれるその物語こそは、この巻のクライマックスであると言ってよいように感じます。
 もちろんそこで描かれるのは彼女の通力の恐ろしさなのですが、しかし真に恐ろしいのは彼女の心、いや心の中――ある意味漫画だからこそ描けるそれは、前巻で月が語った人の心の在り方と対極にあるものとすら言えるのかもしれません。


 とはいえ、鬨との戦いを通じて、この『太陽と月の鋼』という物語の本筋がほとんど全く進まなかったように感じられるのは、ちょっと辛いところではあります。
 ついに反撃が――こちらも恐るべきものとなることが予感される反撃が始まった今、この鬨のエピソードがいかなる結末を迎えるのか、そして全体の物語とどのように繋がるのか、次巻の展開が気になります。


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