2022.06.26

『翔べ! 必殺うらごろし』 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替った」

 江戸で芸者の染香を助け、もてなされる先生たち。しかし突如染香の様子がおかしくなり、自分は上州漆が原の代官・山地半十郎の妻、琴路だと言い出す。漆が原に向かった先生たちは、山地が土地の百姓から苛烈な取立てを行っており、その悩みが琴路に憑依現象を起こさせたと知る。しかし時既に遅く……

 前回どこに向かったかと思いきや、江戸に辿り着いていた先生一行。しかしおばさんが先生の祈祷の呼び込みをしても客はなく、正十と若は有り金を倍にするといって賭場に乗り込むも予想通りに文無しに。そこに柳橋芸者の染香に絡む破落戸浪人二人組が現れ、先生が処刑用BGMの冒頭をバックにこれを軽くのしたことから、今回は始まります。
 染香と店の主に歓待される一行ですが、超自然主義者の先生だけは刺し身の上の菊の花を食べるくらい。しかし正十がいたずらで水と偽って酒を飲ませると、そのままばったりとぶっ倒れて……

 と、ある意味必殺らしいコミカルなシーンにちょっと顔も緩みますが、それもここまで(正確にはこの後、代官所で仲間たちから世間知らずぶりを突っ込まれる先生のくだりも可笑しいのですが)。この後、染香の態度がおかしくなり、自分が漆が原の代官の奥方だと言い出し、そして同時刻、その代官の奥方は自分は染香だと言い――というところで今回のタイトルになるわけですが、今回の超常現象は、ナレーションによれば「憑依」。実は憑依自体はこの先のエピソードにも何度か出てきますし、そもそも毎回先生が死者の言葉を聞くのも一種の憑依のような気もしますが、生きている人間同士の人格が完全に入れ替わってしまうのは、確かに「稀有な例」でしょう(いや、現代の青春ものでは結構あるか……?)。

 そこで「世の禍々しき災いを取り除くのが俺の修行だ」と先生たちは(正十は楼の主人からちゃっかり染香の治療代をいただき)
上州に足を運ぶわけですが、ここで情報収集に当たる先生たちと、家族が代官所に訴えに行ったきり行方不明になった百姓たちの姿が交錯し、新たな不幸が始まります。
 埒が明かないので代官所に潜入し、奥方を拉致する先生と若ですが、そのどさくさで捕まってしまったのは、親を探して忍び込んだ百姓の若者。この若者は地下牢で拷問を受けた末に、自分の親たちの死骸を見せられた上に自分も後を追わされることに……

 そしてこれこそが琴路の精神に負担を与え、憑依現象を起こしていた原因。江戸の貧乏御家人であった山路は琴路に見初められて婿に入ったものの、出世するために年貢を一方的に釣り上げ、訴え出てきた百姓たちは死人に口なしとしていた――それを知った琴路の煩悶が、同じ生年月日だった染香への憑依現象を起こしていたのであります。
 その山路の所業を、若は琴路の口から聞き出し、それでも夫を「かわいそうな人」と語り、戻ろうとする琴路を止めようとするのですが――その彼女に、琴路が「おなごの気持ちは男のそなたにはわかりません!」と撥ね除けるのは、今回のクライマックスの一つでしょう。もちろん正十が若の涙に気付いたように、若に琴路の気持ちがわからないはずはないのですが……

 結局、山路の元に戻り、ためごかしで慰められるものの、地下牢の死骸を見てしまってショックで染香と入れ替わったところを夫に殺されてしまう琴路。そして山路に昇進を伝えに来た江戸の役人・永井はこれを見逃したどころか、代官所に火をつけて証拠隠滅を図れと入れ知恵する始末。かくて今回のターゲットは、山路、軍内、永井の三人となります。
 江戸に帰る三人の行列を上から大岩を転がして足止めし、その隙に馬に近づいて山路を叩き落とす正十(意外に手並みがいい)。そして若はボディーブローの連打で山路をダウンさせたところに、岩を振り下ろして叩き潰すというプリミティブな処刑を下すのでした。

 一方、駕籠から逃げ出した永井の目に留まったのは、道端に腰掛けたおばさん。これが死神と思うはずもなく横柄に道を聞こうとした永井に、おばさんは答えます。「一本道だよ……この道をずーっと行くと」ここで脇腹に匕首を叩き込み、「地獄に行くのさぁ!」と叫び、力の抜けた永井の体を薄の穂を散らしながら押し突き進むおばさん。カタルシスを感じて良いのか悪いのか、情緒がグシャグシャになる本作ならではの名シーンです。
 そして残る軍内が馬で逃げるのを、徒歩で、しかも山道を疾走して追いかけ、しかも追い抜いて道の真ん中で待ち受ける先生。そして真っ向から突っ込む軍内の上を飛び越しざまに放った旗の柄は軍内を貫くのでした。

 というわけで、悪の中心である山路を若が、軍内を先生が始末するのは少々意外にも見えましたが、これは(軍内役が五味龍太郎だったからというだけでなく)、琴路と関わりのあった若が、女の恨みを晴らしたということなのでしょう。
 しかし憑依中に憑依先の肉体が殺された染香の安否が気遣われますが、結局劇中ではその後語られず……


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『翔べ! 必殺うらごろし』 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」

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2022.06.17

『翔べ! 必殺うらごろし』 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」

 行者の「先生」と記憶喪失の「おばさん」が訪れた村では、お堂の仏が血の涙を流し、村人たちはよそ者の仙吉とお鶴の仕業だと信じ込んでいた。先生の霊視でお鶴は仏を遺した巡礼の娘だとわかり、村に受け入れられた二人だが、香具師一味が二人を惨殺、仏を奪う。霊の無念の声を聞いた先生は……

 必殺シリーズでも異色作中の異色作として知られる『翔べ!必殺うらごろし』――今回時代劇専門チャンネルで放送が始まったこともあり、これから全話紹介したいと思います。
 毎回種も仕掛けもない超常現象が発生し、それに絡んで物語が展開していく本作ですが、それは第一話の今回も同様。ある村で起きた仏像が血の涙を流すという怪異にまつわる因縁と、それと並行してチームの集結が描かれることになりますが、どちらもアクの強い内容(キャラ)がうまく絡み合っているのに感心させられます。

 冒頭で描かれるのは、先生とおばさんの出会い。どちらも必殺中では異彩を放ちまくるキャラクターですが、偶然二人が言葉を交わすうちにおばさんが四年前から記憶喪失であること、使い込まれた匕首を持っていることが語られ、そこから先生の超能力でおばさんに子供がいたことが判明――と、結構ややこしいおばさんのキャラがサラッと冒頭で紹介されてしまうのが巧みであります。
 一方の先生は、超能力を持っている修行中の行者であること位しかわからないのですが、まあそれが全てのようなものなので……

 そしてもう一人「若」は、村人たちがお鶴たちを無理やり追い出しにかかったところに通りすがって村人たちを叩きのめし、仙吉の話を聞いているうちに惚気に苛立って立ち去る――というくだりから、霊視で血の涙の由来を解き明かした先生に弟子入り志願、しかし拒否されてふてくされて、おばさんに正面から説教され(ここで全く物怖じせず正面から怒るおばさんがイイ)、そして先生に実は女と看破され自分の過去を語るという、こちらも淀みなくキャラが紹介されていきます。

 あと二人、正十とおねむは――こちらはサポートなのでそこまでではないのですが、正十に対しておばさんが「この人、江戸で殺しの斡旋業してた人だ」と言い出し、『新・必殺仕置人』等の正八との関係を(そして自分の過去も)匂わせるのは、心憎い演出です。

 さて、今回の超常現象は、先生の霊視によって、かつて村で行き倒れた女巡礼が遺した仏が生き別れた赤子を想って血を流していたものであり、実はお鶴こそが、村人たちが持て余して川に流した赤子だったということが判明するのですが――この事実だけでもちツラいところがあるものの、むしろそれ以上に印象に残るのは、事実がわかる前の村人の反応でしょう。
 実は廓から足抜けしてきたために素性を隠しているお鶴たちを疑い、彼女たちが水子の霊を操って自分たちを害しようとしていると全く根拠なく決めつけ、追い出しにかかる――というよりほぼリンチにかけようとする群集心理は、まさに村八分のメカニズム。これでもかと描かれる閉鎖的な地方の陰湿さには、何とも重い気分になります。

 一方、今回のターゲットである香具師一味もかなりの外道で、女亡者役の芸人が、腹を減らして自分たちの飯をつまみ食いしたのに怒り、せせら笑いながらリンチにかけてあっさり殺害する初登場シーンは実に胸が悪い。
 そして新たな見世物のネタとして血の涙を流す仏に目をつけ、お鶴と再会したことで仏が涙を止めたと知ってお鶴たちを惨殺。仏を奪うという、まさに血も涙もない所業に出るのですが――この金のために他人の命をあっさり奪う辺りは、一種都市的な悪の姿という印象で、一話で地方と都市、双方における人間の負の部分を見せられた思いであります。

 さて、そんなモヤモヤを吹き飛ばすべく(?)繰り広げられるラストの仕掛けは、おばさんが先陣を切って登場。仏を持っている香具師の手下を「ちょいと、落としたよ」と後ろから呼び止め、怪訝な顔をして近付いてきたところに「これから落とすんだよ」「お前さんの――命だよ!」と匕首でブッスリ!

 続いて先生が旗竿片手に斜面をものすごい勢いで駆け下り、三人一列に突っ込んでくる相手を人間離れした大ジャンプで飛び越すと、一番うしろにいた香具師の親分を旗竿で串刺し葬! さらに襲いかかる用心棒の刀を素手でへし折ると、無造作に捕まえて岩場に放り投げ、頭から投げ殺す!
 そして若が残る一人に殴る蹴るのプリミティブな暴力コンボ、とどめはパンチで180度顔面回転のFATALITY!

 太陽から力を得る先生の能力上、陽の光の下で行われるという異色の仕掛け――しかし明るさの欠片もないその姿は、まさに外道への制裁というべきでしょうか。
 何はともあれ、成り行きながら結成されたこのチーム。そのまま先生の足の赴くまま、未知の世界への旅が始まることになります。たとえ、あなたが信じようと信じまいと……


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2022.06.01

千葉ともこ『戴天』(その二) 権力と人の関係性が生む恐怖 それでも叫ぶ人々

 松本清張賞を受賞のデビュー作『震雷の人』に続く、千葉ともこの第二作の紹介の後編であります。唐の玄宗皇帝の時代を舞台に、絶対的な権力者に挑む者たちの戦いを描く波瀾万丈の物語である本作。しかし描かれるのは、彼らの姿だけではないのです。

 本作は同時に、作中における最強・最凶の敵である辺令誠の内面をも克明に描き出します。本作の中盤で描かれる辺令誠の過去――彼もまた、かつて権力に虐げられ、大切なものを奪われたことを示す、あまりに無惨なその内容は、実は彼もまた彼なりのやり方で、この世に、この世の上にあるものに抗う者であったことを、浮かび上がらせるのです。

 その意味では、その抜きん出た存在感も含めて、辺令誠も本作の主人公の一人に相応しい人物というべきかもしれません。しかしあくまでも、彼は崔子龍や真智たちとは対極に位置する者として――先に述べたように、権力を他者に対して振るい、支配することを躊躇わない怪物として存在し続けます。

 実に本作は辺令誠の存在を通じて、ほぼ全編に渡り、権力が人に及ぼす影響を――権力が人からその自由意思を奪っていく様を描き出します。権力が人を従える、動かす――言葉にすれば簡単ですが、その作用が、突き詰めれば人の精神を破壊していく過程であることを、本作は克明に語るのです。
 もちろん、作中で描かれたそれは極端な――ある種、独裁国家の収容所で行われていたという手法を彷彿とさせる――ものであるかもしれません。しかしそれが程度の差こそあれ、我々の暮らす社会でもごく普通に存在していることに気付いた時――そしてそれ以上に、自分が同様の立場に置かれれば、まず抗うことはできないだろうと気付いた時、大きな恐怖が生まれることになります。

 そう、本作は胸躍る歴史ロマンであると同時に、いつの世にも存在する権力と人の関係性を、そしてそこから我々読者も自由ではないことを描き出す、極めて恐ろしい物語でもあるのです。


 しかし、本作で描かれるのは、権力の前に己の意思をすり潰され、ひれ伏す人の姿だけではありません。どれほど権力が強大に見えても、己が無力に見えても、人は権力に屈しない道を選べるのだと、声なき叫びを上げる人々を――たとえ己一人では無理であったとしても、同じ志を持つ人々がそれぞれに小さな勇気を振り絞った時、必ず道は開けるのだと信じる人々を、本作は同時に描くのです。

 本作のタイトルである「戴天」は、物語の冒頭で高仙芝が崔子龍に語る「英雄とは、戴いた天に臆せず胸を張って生きる者だ」という言葉から取られたものでしょう。
 そしてまた、この天こそは、人の上に立つものの象徴でもあります。それは本作で描かれた権力や権力者だけでなく、それ以上に人の身では抗いがたい宿命、まさしく「天然」すら含む――そんな意味を持つのです。
(そして、だからこそ辺令誠は「英雄」を憎むのだと理解できます)

 しかしそれでも、人は人として、自立した一個人として己の意思を持ち、生きることが
できます。そしてそれは決して、いかにも英雄に相応しい高仙芝のみに当てはまるものではありません。
 苦闘の中で心身に幾多の傷を負いながらも屈しない崔子龍、養父の遺志に触れる中で人の真の尊さに気付いた真智、そして己の体を擲ってまでも人が人として生きることを示した夏蝶――彼ら一人一人が英雄なのです。
(そしてそんな真智の言葉と照らし合わせれば、辺令誠の過去の最も痛ましい部分こそが、辺令誠という人間の在り方を、彼がその道を歩む理由を示す、一つの象徴と感じられます)

 そしてそれは、物語の登場人物のみのことではありません。我々一人一人もそうである、そうであろうとすることが出来ると、本作は正面から謳い上げるのです


 波乱に満ちた歴史活劇の中で、権力と人の関係性の恐ろしさを描くと同時に、その恐ろしさにも負けない人の強さと、あるべき人の姿を描いたこの『戴天』という物語。
 『震雷の人』と重なりつつも、そちらで描かれなかったものをさらに掘り下げた印象もある、まさに姉妹編というべき作品であり――そして同様に、今を生きる我々に、勇気と希望を与えてくれる作品であります。


(にしてもアイツ、あれでも丸くなってたんだなあ……)


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2022.05.31

千葉ともこ『戴天』(その一) 舞台は唐、最高権力者に挑む三人の男女

 唐の玄宗皇帝の時代、安史の乱を背景に、国を牛耳る宦官に復讐心を燃やす男、その幼馴染で楊貴妃の婢となった娘、義父の遺志を継いで奸臣を告発せんとする少年僧の三人を中心に描かれる歴史ロマン――松本清張賞を受賞し、来月文庫版も発売される『震雷の人』とも世界観を共有する雄編であります。

 親友に罪を着せられた末に男の部分を欠損し、失意のうちに愛する幼馴染・杜夏娘を振り切って従軍した名家の嫡男・崔子龍。宦官中心に構成された監軍(辺境の軍を監察する機関)の一隊を率いることとなった彼は、怛羅斯の戦に参加し、そこで英雄の呼び名に相応しい高仙芝将軍と出会うことになります。
 しかし唐軍は裏切りによって壊走、必死の退却戦を繰り広げる崔子龍は、この敗北の背後に、高仙芝を敵視する監軍使・辺令誠の動きがあったことを知るのでした。それを知らせた友軍の宦官を無惨に殺され、怒りに燃えて辺令誠を襲撃する崔子龍。しかし企ては失敗し、部下とともに逃走することに……

 それから四年後、幼い頃から非凡な頭の冴えを誇り、天童の異名を取る少年僧・真智は、ある事件を切っ掛けに、華清宮に滞在する玄宗皇帝のために驪山で行われる奴婢たちの競争に参加することになります。上位に入れば皇帝と対面できるというこの競争――実は亡き養父が集めていた宰相・楊国忠の不正の証拠を持つ真智は、この競争で入賞し、皇帝に直訴せんとしていたのであります。

 そして競争に参加し、山育ちの俊足で快調に順位を伸ばす真智ですが、その前に現れたのは参加者の一人である楊貴妃の婢・夏蝶。奴婢らしからぬ物腰と足の速さを持つ彼女と競争するうちに、真智はこの競争の裏にある事情を悟ることになります。
 それでも上位に入り、皇帝に直訴するも、思わぬ事態の発生に逆に捕らえられかけた真智。そんな彼に助け船を出したのは夏蝶でした。さらにその混乱の中、皇帝の下に齎された安禄山の挙兵の報。その報は、地下に潜り、幾多の犠牲を出しつつも辺令誠を狙い続ける崔子龍の運命をも変えることに……


 冒頭に触れたように、本作は、『震雷の人』と同様に安史の乱前後を背景とした物語であります。。唐という国の最盛期から一転、皇帝が都を捨てるという事態にまで至ったこの未曾有の戦乱の中で、絶対的権力者の非道に挑む名もない人々の姿を本作は描くのです。
 『震雷の人』に共通するキャラクターも幾人か登場し、まさしく姉妹篇と呼ぶべき本作ですが、しかしその構造は、むしろ対照的なものと感じられます。

 都から離れた河北から始まり、そこに生まれた兄妹の視点から描かれた『震雷の人』が、いわば辺縁から唐という国の姿と安史の乱を描いたとすれば、本作は(冒頭こそさらに辺境の怛羅斯から始まるものの)中央から描かれた物語――長安という都、唐という国を動かす人々の姿を、内側から描いた物語と言うことができるでしょう。
 前作では間接的に言及されるのみであった玄宗皇帝や楊貴妃、楊国忠が、本作では主人公たちの前に現れる――特に楊貴妃の厭なキャラクターは印象に残ります――のはその現れと感じます。

 しかしそうした性質を最も良く示すのは、本作における主人公たちの「敵」である辺令誠その人でしょう。「唐書」などにその名が記された実在の人物である辺令誠は、玄宗に重用された宦官であり、史実でも幾度も高仙芝の監軍を務めた、因縁の人物であります。
 史実では高仙芝絡みで顔を出すことがほとんど(後は安史の乱での行動でしょう)である一方で、本作では楊国忠を陰で操り、皇帝すらも操る、まさしく権力の中枢として、辺令誠は存在しているのです。

 他人を意のままに支配し、それに逆らう者は如何なる手を用いても潰し、排除する辺令誠。そんな辺令誠が執拗に敵視する「英雄」高仙芝が率いる戦において、数多くの戦友たちが命を落とすこととなった崔子龍はもちろんのこと、楊国忠を糾弾しようとする真智、そして楊貴妃の下で生きる夏蝶――本作の主人公たちにとって、辺令誠は、彼らが挑む唐という国、そしてもっと根源的にその権力の象徴であるといえます。

 しかし最高権力者に挑むということが、どれだけ困難なことであるかは言うまでもありません。元軍人として戦う力を持つ崔子龍ですら、幾度も妨害に遭い、さらには裏切り者に苦しめられることになるのですから、物理的な力に乏しい真智や夏蝶が真っ向から抗うことができるはずもありません。
 前作が比較的ストレートな構成であったとすれば、本作はそんな状況の中で、どこに落着するかわからない物語――しかし巧みに、淀みなくストーリーは展開し、一度読み始めたら目が離せない物語なのです。


 しかし――長くなりますので、次回に続きます。


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2022.05.14

辻灯子『帝都雪月花』『帝都雪月花 昭和怪異始末記』 おかしなコンビの妖怪騒動記

 昭和初期の帝都・東京を舞台に、おんぼろ道場の一人娘・和佳と飼い猫(実は猫又)の寅吉、そして自称妖怪退治屋の青年・秀真を中心に繰り広げられるコミカルな騒動を描く、四コマ漫画とショートコミックの二部作であります。

 まだ震災の爪痕も生々しく残る昭和二年のある日――東京の片隅でおんぼろ道場を営む瓜生家の娘・和佳は、ここ数日行方知れずの飼い猫・寅吉が、洋装の青年に頭から食われるという夢を見て目を覚まします。
 その後父と銀座に出かけた彼女は、そこで夢に現れた青年を目撃。神代秀真と名乗ったその青年は、寅吉の正体が猫又だったと明かし、自分の生業が妖怪退治だと語るのでした。

 この家には妖気が凝っていると告げ、住み込みで対応すると提案する秀真。かくして彼を間借人として置くことになった瓜生家ですが、妖怪騒動はその後も続き……


 という設定で展開するこの『帝都雪月花』シリーズ。じゃじゃ馬かつ締まり屋の和佳と、飄々とした毒舌家の秀真という主役コンビの設定は、普通の(?)妖怪もののように感じられるかもしれませんが、基本的に物語に漂うムードはかなり緩めで、どこか、いやかなりすっとぼけた味わいがあります。

 そもそも普通であればヒーロー役になりそうな秀真自身、妖怪なのか人間なのかちょっと得体の知れない青年。何しろ妖怪退治の方法というか、妖怪を捕らえてどうするのかと思えば、食べてしまう(!)というとんでもないヤツなのですから。(そのほかにも分身が勝手に外をほっつき歩いたり……)
 そんな秀真を前にしてもほとんど動ぜず、普通に(?)ツッコミを入れたり、妖怪よりも家の財政状況に血道を挙げる和佳もある意味ただものではないヒロインというべきでしょう。

 そんな和佳を守ろうとしつつも相手にされず、秀真からは食い物として狙われ――と、実は主人公二人に振り回される猫又の寅吉が一番常識人というシチュエーションも、何とも愉快であります。
 とはいえ、その寅吉自身が油の舐め過ぎで瓜生家の家計を圧迫している(和佳の頭痛の種になっている)のですが……
(もっとも本作では、貧乏なのに次から次へと曰く付きの骨董品に手を出して騒動を起こす和佳の父が、ダメ人間第一位でしょう)

 ちなみに冒頭に述べたとおり、本作の舞台は昭和二年。この時代ならではの事件(史実)そのものが物語の題材となることはありませんが、この時代ならではの風物・風俗がふんだんに背景に散りばめられているのは、なかなか魅力的であります。


 さて本シリーズは、冒頭で軽く触れたように一作目の『昭和余禄』が四コマ漫画、二作目の『昭和怪異始末記』が一話12ページのショートコミックという、いささか変則的な構成となっています。
 実のところ一作目については、ストーリー要素と四コマギャグの部分の食い合わせに今ひとつ部分もあったのですが、二作目はページに余裕があるためか、その辺りは比較的解消されていたかと思います。


 物語的には、作中にそれまで登場してこなかった和佳の母も顔を出して、いささか切ないながらも、まずは大団円を迎えた本作。
(ちなみに一作目の、和佳のフレンドリーファイアオチも愉快)

 最後まで和佳と秀真がほとんどイイ感じにならないというのもまた本作らしい感じで良く、深刻さというのとは縁遠い、肩の力を抜いて読める作品であります。


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2022.05.09

細川忠孝『ツワモノガタリ』第1巻 格闘技漫画の手法で描く幕末最強決定戦開始!

 歴史上のある人物とある人物が戦った時、どちらが強いのか? あるいは、あの流派とこの流派とどちらが強いのか? というのは何時の世も大いに興味をそそられるものですが、本作はその幕末剣術版――新選組の強者たちが、これまで戦った中で最強の相手との戦いを語る剣術漫画の始まりであります。

 元治元年(1864年)のある晩――新選組屯所にて賑やかに飲み明かす近藤・原田・斎藤・山南・土方の面々。この面々に酒が入れば当然というべきか、真剣を抜いた斬り合いが始まりかねない剣呑な空気の中、近藤が座興に提案したのは、「この国において最強の剣客は誰か?」という議論でありました。

 かくて、これまで新選組が斬ってきた中で最も強かった相手について語ることになった場で、口火を切ったのは遅れてきた沖田。そして彼が挙げた名は、芹沢鴨……


 この物語の舞台となっているのは先に触れたとおり1864年、そのいつ頃かまではこの巻ではわかりませんが、池田屋事件や禁門の変が起きた、ある意味新選組の絶頂期ともいえる時期であります。
 そして芹沢が粛清されたのはその前年というわけで、まだ記憶に新しい――それも封印すべき記憶を持ち出されて、ここで一同がちょっとたじろぐのは可笑しいのですが、しかし沖田の対決した相手として、これ以上相応しい者がいないのは間違いないでしょう。

 というわけでこの第一巻では、一の段として「天然理心流 沖田総司 対 神道無念流 芹沢鴨」が全編に渡って描かれることとなります。ここでまず注目すべきは、この対決を描くに当たり、そこに至るまでの経緯はさらりと流し、ひたすらどちらが勝つか、剣戟バトルが繰り広げられるというその構成でしょう。

 そしてそのバトルの内容も、単純に沖田と芹沢という二人の強さ比べに留まらず、段のタイトルに冠されているように、それぞれの流派の特徴を踏まえて描かれる点が、本作の最大の特色であり魅力と感じます。
 そう、本作は、時代もの・歴史ものというよりも、格闘技ものの手法で描かれていると言ってもよいでしょう。

 考えてみれば、幕末という時期は、戦国から江戸時代初期と並ぶほど(フィクションにおいて)剣術が注目された時期であるにもかかわらず、流派ごとの剣術の内容に着目した作品は少なかったように感じます。
 それはおそらく、剣術の技術の上の勝敗よりも生き死にというさらに決定的な勝敗の基準があることと、そしてそれ以上に、戦いの理由が単純な強さ比べでなく、それぞれの主義主張にあるためではないかと感じます。

 それを本作は、可能な限り純度の高い剣術勝負として描いている点が、大いに面白く感じられたところです。(いかにも格闘技漫画らしいナレーションの多用には評価が分かれるかもしれませんが……)

 もちろん、剣術を用いるのが個々の人間である以上、そこにはその人間の個性や人生というものが表れるのは当然のことではあります。しかし本作はそれも流派の特徴と結びつけて描くのが実に面白い。そしてそれでいて漫画らしいケレン味もきっちり用意されているのが嬉しいところであります。

 特にこの巻の最大のクライマックスというべき沖田の三段突きの描写――このあまりに有名な技を描くのに、その内容・使用シチュエーションについて、ドラマチックな要素を残しつつも理詰めに描くことによって、「格闘技漫画の必殺技」感を生み出しているのがたまらないのです。


 そしてまた本作は、最近流行りの歴史(含む神話)上の最強バトルもののように、異世界やパラレルワールドが舞台ではなく、あくまでも幕末の史実を踏まえた物語である点にも、注目すべきでしょう。
 史実という現実の中で描くことによって、リアリティだけでなく、よりキャラ描写やドラマに魅力を与えることができる――そう信じている身としては、これは何よりも嬉しい点であります(そしてそれを担保しているのが山村竜也氏という万全の体制)。

 もっともこの点は、ややもすれば読者にニッチな印象を与えかねず、匙加減が難しいのかもしれませんが――この辺りは、二の段以降のマッチメイクにも期待というところでしょうか。


 ――と、ついつい気が早いことを書いてしまいましたが、実はこの第一巻の時点では、一の段はまだ決着に至っていません。
 沖田独自の必殺剣を以てしてもいまだ倒れぬ怪物・芹沢に、天然理心流の奥義は通じるのか? 猛烈に気になる場面で終わっているだけに、この続きを少しでも早く読みたいものです。


『ツワモノガタリ』第1巻(細川忠孝&山村竜也 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon

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2022.05.02

松浦だるま『太陽と月の鋼』第4巻 師たる「天狗」が語る「敵」の過去

 愛する妻・月を巡り、奇怪な通力を操る者たちとの戦いの渦に巻き込まれた武士・竜土鋼之助の物語――最新巻では彼と月との生活を壊した「敵」というべき土御門晴雄の過去が、その師というべき者の口から語られることになります。晴雄が秘めた恐るべき通力とは、そして彼の求めるものとは……

 奇怪な術者によって妻・月を奪われ、未来を見る通力を持つ旅の巫女・明の助けを借りて、月を追って旅立った鋼之助。しかし市井の占い師や芸人たちが次々と襲いかかる中、逃げるように江戸を飛び出した二人は、小塚原刑場でさらに恐るべき敵と遭遇します。
 その敵――あらゆる虫を操る女・斑の攻撃に苦しめられる中、月を護るために金属を操るという通力に目覚めた彼は、辛くも斑を撃破するも、力を使い果たして倒れることになります。それを助けた明も自分の通力が暴走したところを、二人組の売卜に救われ……

 と、未来を見通す通力を発現させた明が、「現代」を目撃するという印象的な場面で終わった前巻ですが、しかしこれは人の身には過ぎたる力。あまりの情報量ゆえか、壊れかけた彼女の心を救ったのは、売卜たちの師匠と呼ばれる存在――人の身ながらどこか天狗めいた印象を与える一人の男でした。
 その男の名は、高山嘉津間……

 ときて、おおっ! と身を乗り出す方は、あまり多くないかもしれません。高山嘉津間とは、またの名を寅吉――天狗小僧寅吉と呼ばれ、平田篤胤がその言葉を聞き書きした『仙境異聞』は、数年前に話題になりましたので、こちらはご存知の方も多いと思います。
 幼い頃に神仙(天狗)に伴われて山中で修行、異界などに赴き、帰ってきたという寅吉。高山嘉津間というのは、彼が師から与えられた、いわば天狗としての名であります。(ちなみに本作の嘉津間には、『仙境異聞』の挿絵の面影があるのも楽しい)

 さて、この嘉津間に救われた鋼之助と明は、嘉津間が壺中天と称する壺の穴を通じて、常陸にある結界の中の彼の隠れ家に誘われることになります。そこで二人は、嘉津間から「敵」である土御門晴雄の過去とその力を聞かされることに……


 というわけで、実にこの巻のメインとなるのは、嘉津間と晴雄の物語であります。
 晴雄の父であり陰陽頭である・晴親に招かれ、京の土御門家を訪れた嘉津間。彼がそこで見たものは、己の強すぎる通力を暴走させて苦しむ気弱な少年・晴雄の姿でありました。晴親の依頼で、晴雄にその力との向き合い方を教えることとなった嘉津間は、晴雄を常陸の岩間山に誘うことになります。

 これまで、わずかな場面で描かれた晴雄は、十代半ば(ちなみに今回、嘉津間の語りによって設定年代が明らかに)という若さながら、ひどく落ち着いた、得体のしれぬ器の大きさを感じさせた人物。一方、ここで描かれる彼の姿は、その数年前とはいえ、年相応というにはいささか幼すぎるものがあります。
 その間を繋ぐものが、ここで嘉津間の口から語られるのですが――しかしこの巻から垣間見えるのは、己の強すぎる力に戸惑い、周囲からの疎外感を感じつつも、自分と同様に(そして嘉津間もかつてそうであったように)疎外される通力を持った人々にとっての「星空」でありたいと望む、純粋な少年の姿なのです。

 その姿たるや、同様の経験を持つ明が「ついつい晴雄さまの肩を持っちまうなあ」と語るほどなのですが――しかし彼の元服が近付くにつれて、晴雄の行動には不審なものが現れ、嘉津間を戸惑わせることとなります。
 はたしてその背後にあるものは何か? それはまだわかりませんが、この巻でほのめかされるのは、かつて晴雄が施したという泰山府君の法が絡んでいるということ。この法は確か……


 と、鋼之助たちはほとんど聞き役に回っていたこの巻ですが、もう一つ描かれることとなったのは、月の秘めた恐るべき力の正体であります。今は鋼之助の命を人質のようにして、晴雄の腹心・夜刀川に伴われ、「各地の」殺生石を巡ることを強いられている彼女ですが、そこで命じられた殺生石の封印を解くとは……

 その中で描かれる彼女の力とそれが齎すものには、まさか!? と驚くほかないのですが、しかしそれ以上に謎なのははたして殺生石を解くことが、晴雄の目的と一体どのように繋がるのか、ということでしょう。

 何はともあれ、月と、ある意味それと正反対の力である明と、晴雄と――月と太陽そして星、はたしてその繋がりはこの先どのような形で描かれることになるのか。そしてその中で鋼之助はどのような役割を果たすのか?
 謎だらけで始まった物語は、ようやくその真の姿を見せ始めたように感じられます。


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2022.04.20

青木朋『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第5巻 ひとまずの別れ そして舞台は戦場へ

 金の皇女アイラが宋で繰り広げてきた恋と冒険を描いてきた本作も、この第5巻で一つの節目を迎えます。宋の秘密兵器開発も絡んだ宋の後継者争いに巻き込まれ、白凛之が仕える皇太子のために力を貸すことになったアイラ。一方、遼との戦いが激化する中、思わぬ事態から物語の舞台は金に移ることに……

 親善大使として宋に残って暮らす中、康王とともに宋の火薬を使った新兵器の秘密にまつわる争いに巻き込まれたアイラ。初めは自分たちが新兵器を開発しているという第三皇子のウン王の言葉を信じた二人ですが、真実は皇太子が担当している新兵器開発を、ウン王が妨害していたと知ることになります。

 さらにウン王の妨害はエスカレートし、放火により焼け落ちてしまう工廠。皇帝に直訴しようとしたアイラも、円珠の秘密を握ったウン王が康王を揺さぶったために断念することに……


 というわけで、口封じに自分に毒を盛ろうとまでしてきたウン王の卑劣な策略にもめげず、凛之たちを助けるため奔走するアイラたちの姿が描かれるこの巻の前半。

 しかし新兵器のために最も重要な原材料が焼け落ちてしまい大ピンチという状況に、さすがにアイラが協力できるはずもなく――とおもいきや、という展開はいかにもお話的に感じますが、なるほどこういう効用があったのか! という打開策は、女性主人公ならでは――といっても許されるでしょうか。
(恥ずかしながら、現代でも使用されているとは知りませんでした……)

 さて、不承不承手を康王も力を貸して、ついに迎えた皇帝の親閲式での新兵器お披露目ですが――その成否もさることながら、ここで印象に残るのは、皇帝の側近くに仕える者たちの顔ぶれであります。
 宰相にして最高実力者の蔡京、その息子で徽宗の最側近の蔡居安、宦官ながら軍事のトップの童貫――とこの時代を舞台にした物語ではお馴染みの面々。特に童貫はこういうビジュアルになるのか! と感心させられます。

 しかしもう一人気になるのは、皇帝の秘書というべき内省夫人の閻月琴――怜悧な美人という印象の彼女は、なんと凛之の元許嫁! この月琴、どうやら宮廷のかなり後ろ暗い部分にも関わっているらしく、凛之との過去も含めて、この先、注目のキャラというべきでしょうか。
(ちなもに凛之の真の姓が今回語られましたが、この時代でこの姓、そして今は没落しているということは、彼の縁者は……)


 さて、皇帝と皇族だけでなく、この国を実際に動かしている者たちの登場に、本作が歴史ものであることを再確認させられた思いですが、この巻の後半では、さらに歴史が動き始めることになります。
 いよいよ遼を圧倒する金軍を率いる、アイラやウジュ、オリブたちの父である金国皇帝。その父が病に倒れたという思わぬ報せに、アイラは急遽金に帰国することになるのです。

 しかし遼と金・宋の戦いがいよいよ佳境に入った上、もともと金と宋も(特に後者は)互いを窺い合う状況。そんな中で皇帝が病に倒れたと知られるわけにはいかないのは言うまでもありません。
 かくて、凛之はもちろんのこと、宋の人々には祖母が倒れたという名目で宋を離れたアイラ。しかし蔡居安は、康王を見舞いに向かわせるという名目で、(康王本人にはそれと知らせぬまま)、金の内情を探らんと企むのでした。

 一方、金が遼に攻勢を強める中、宋のみ手をこまねいているわけにはいきません。金との盟約に従い、遼の首都・燕京を攻めることとなった宋軍ですが、その決め手として、凛之たちも新兵器を携えて戦場に向かうこととなるのです。


 これまでは宋の国内、それも皇室が中心ということで、作中では直接的にはほとんど描かれてきませんでしたが、アイラの物語の背後では、三つの国の激しい戦いが繰り広げられてたのは史実が示すとおり。
 この巻の後半の展開は、その戦いが、ここからアイラ自身の物語に関わってくるということなのでしょう。

 そして歴史の中で金と宋という国が、そしてそこに暮らす人々がどのような運命を辿るかも――そしてその過酷さも、我々は知っています。そこでアイラが、凛之が、登場人物たちがどのような役割を果たし、どのような結末を迎えるのか――いよいよ物語は佳境に近づいているというべきでしょうか。


『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第5巻(青木朋 秋田書店ボニータコミックス) Amazon

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2022.04.07

伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第3巻 現在と過去を行き交う物語

 もはや漫画版というより伊藤勢版と言ったほうが正しい気がする『瀧夜叉姫』第3巻であります。同時多発的に起きていた怪異の数々はついに一つの過去に集約され、現在と過去、二つの時代を舞台に、物語は展開していくことになります。

 この巻の冒頭で語られるのは、後に一族が様々な鬼と関わる源経基の夢の中に、夜毎現れては彼の体中に太い釘を打っていく女の怪。これで、この物語において怪異や奇怪な事件に巻き込まれた人々は、五人目になります。

 「盗らずの盗人」に襲われた小野好古と俵藤太
 蘆屋道満でも手をつけかねる奇怪な瘡に悩む平貞盛
 盗らずの盗人を引き連れた姫との因縁があるらしい浄蔵
 そして夜毎の呪詛に悩まされる源経基

 これだけ怪事が続けば、さすがに晴明もとぼけているわけにもいかず、そして晴明と博雅の前に現れた賀茂保憲が、晴明秘蔵の酒を奪う――じゃなくて藤原師輔が五頭の蟒蛇に襲われたことを語るに至り、ついに彼らの共通点が、晴明と保憲の口から語られることになります。
 そう、二十年前、新皇を称して関東で乱を起こした平将門と関わりがあったという共通点が……


 というわけで、ついに語られることとなった将門公の名。この巻の後半ではいわゆる平将門の乱に至るまでと、その結末(の一部)が、かなりのページ数を割いて語られることになります。

 関東において、平氏の一族の内紛が続発し、そしてその中心にあった将門がついに蜂起、新皇を名乗って坂東八州を攻め従えた末に討ち滅ぼされた――要約すれば数行ですが、しかしそこには数々の人々が関わり、そして彼らの思惑が複雑に絡み合っています。
 その絡み合った糸を本作は丹念に描いていくのですが――そこに見え隠れするのは将門公ではなく、彼と共に行動したという興世王の姿。この正体不明の人物を、本作は乱の火に油を注いだ地獄の道化師として描きます。

 この興世王の不気味さと凶人ぶりたるや、胸が悪くなるほどですが、しかしそのデザインたるや、そうきたか、と言いたくなるようなもの。
 この巻で表紙を飾りつつも、本編の出番はごく僅か――しかしもちろんインパクトは抜群――の将門公と合わせ、この先描かれるであろう本格的な暴れぶりが今から恐ろしい、と言うべきでしょうか。

 そして過去といえば、この乱の直後に京で起きた、百鬼夜行による惨劇もまた、この巻では描かれることになります。
 この百鬼夜行は、第1巻の冒頭、幼い晴明たちが遭遇したものであり、そしてここで描かれたのはその直後の出来事という繋がりが見えてくるのも興味深いのですが――この辺りの物語の全体像が見えてくるのは、まだ先であります。


 その全体像ももちろん気になるわけですが、しかしそれはそれとして見逃せないのは、やはり本作ならではの晴明と博雅の関係性でしょう。

 原作ではスルーされてきた、一介の得業生と殿上人(というより皇族)という二人の身分の大きな違い。本作はそれををクローズアップし、ある種の緊張を孕んだやりとりを描きます。
 表面上(?)博雅の身を気遣う晴明と、晴明のことは開けっぴろげに信頼する博雅と――それぞれ一方通行なような微妙に通じ合っているような二人の関係。しかしそれはそれで気のおけない間柄が浮き彫りになっていて、原作とはベクトルが異なりつつも、実に「らしい」関係だと感じます。

 そして考えてみれば、原作そのままではないにもかかわらず「らしさ」が濃厚に感じられるというのは、本作全般に漂う空気でもあるわけで、主人公二人はまさにそれを体現しているとでもいうべきでしょうか。

 それにしてもこの巻の終盤、源経基の屋敷で、梁の上の呪詛を探すために平然と博雅の肩を踏み台にする晴明と、それを事もなげに許す博雅というくだりがあるのですが――人前でこれをやるというのは、ある意味大変ないちゃつきっぷりなのでは……


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2022.03.29

鶴淵けんじ『峠鬼』第5巻 鬼に秘められた謎? そして地球で一番高い山へ!

 まだ神々が辛うじて人の前に姿を現していた時代、一言主と会うために旅を続ける役小角とその弟子・妙と善の旅も新展開であります。一言主がいるという「地球で一番高い山」――その驚くべき正体を知り、かの地に向かうため、月夜見命のもとを目指す一行。しかしその途中、意外な者たちと出会うことに……

 姿を隠した一言主と会うための各地の神器を求める旅の末、一言主の座す葛城山に戻ってきた小角。しかし葛城山の頂上には、一言主の姿は既になかったのであります。

 そこで道を分かった老師との激闘を辛うじてくぐり抜けた小角は一言主が「地球で一番高い山」にいると知るのですが――しかしそれがどこなのか、そしてどうすれば行くことができるのか? 
 その答えを知るために神在月の出雲に向かった一行は大国主命と対面、向かうべき地が、夜空に輝く「月」だたと知るのでした。

 というわけで、全く思いもよらぬ地を目指すことになった小角一行。我々現代人のセンスからすると、「地球で」にカウントして良いものか疑わしい気もしますが、月は地球の一部だったというジャイアント・インパクト説もあるわけで、それはそれで納得です。
 そして日本神話で月の神といえばそのものズバリ、月読命(本作では月夜見命)がいるわけですが、しかし大国主命たちが国津神である一方で、月夜見命は天津神。いわば宿敵同士で、大丈夫かと思っていたら……

 と、実はこの巻の冒頭で描かれるのは、後に言う天孫降臨によって繰り広げられた国津神と天津神の戦い。そこで描かれる、「今」とはうって変わった大国主命の姿にも驚かされますが、さらに衝撃的なのは、天津神たちのデザインです。本作における国津神たちは、動物や昆虫をモチーフとしていましたが、天津神はこうなるのか――と大いに驚かされました。


 さて、何はともあれ、その時の因縁を元に出雲の深山におわす月夜見命に渡りをつけてもらった小角一行ですが、その途中、思わぬ者たちの襲撃を受けることになります。

 それは鬼たち――つまり善と同類ですが、しかし本作の鬼は、人喰いを行った末に角が生えた、異形の者たちであったはず。そして、小角たちはこの「歩の鬼」の里に連れて行かれるのですが……
 しかしそこで待っていたのは、これまで出会った鬼とは全く異なる、角があるほかは人間と何ら変わりの無い者たち。そして本当に普通の人間であるその頭・義学から、小角は意外な真実を聞かされることになります。

 物語のタイトルに冠された言葉であり、メインキャラの一人である善の背負った呪われた宿命である鬼という存在。しかし数々の神々が登場する本作では、正直なところその存在感は薄れがちであったように感じます。
 それがここに来て、意外な形でクローズアップされるとは――まだまだこの物語には謎が多いと痛感させられます。


 そしてようやく月夜見命と対面する一行ですが――ここで登場する月夜見命のビジュアル(特にその出現シーンの強烈さたるや!)と、その言動は、その語る内容に負けず劣らずのインパクトがあります。

 本作に登場する神々は、時に人間と似た姿を取り、人間と意思疎通が可能でありながらも、明らかに人と異なるメンタリティを持つ存在として描かれてきました。その点はこの月夜見命も同様ですが、そのレベルが一段高い、とでも表することができるでしょうか。
 「神」をテーマとした物語の中でも、本作はそのセンスにおいて飛び抜けたものがありますが、それを再確認させられた思いです。

 それはさておき、この月夜見命の力により、三人は新たな道に向かうことになるのですが――ここでまさか! という展開に。いやはやこれは大変なことになってしまった――これはもう、そう申し上げるほかありません。


 そしてこの巻の巻末には、幕間として、第2巻に登場した東宮を主人公としたエピソードが掲載されています。

 東宮というだけにやんごとない身の上ながら、今は僧形で吉野離宮に住まう彼の過去とその心中にあるものを、彼の兄との複雑な関係と絡めて描くこのエピソード。
 東宮と兄が誰なのかは明白ですが、本作はこの先、東宮を中心に大きな展開を迎えることになります。そしてそれが小角たちの運命にいかなる影響を与えることになるのか――全く予想がつかないだけに、この先の展開が気になって仕方ないのです。
(個人的には、本作の舞台となる年がここではっきりわかったのが嬉しかったり……)


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