2020.06.14

木下昌輝『信長、天を堕とす』 恐怖を知らぬ精神が浮き彫りにする信長の中の人間性

 若き日より、本当の強さを求めてきた織田信長。腹心であった岩室長門守の、本当の強さは恐怖を受け止めることという言葉を胸に、信長は己を恐怖させるものを求めて強敵に挑み続ける。その果てに、天下を掴むまであとわずかとなった信長が、己の強さを量る存在として選んだ相手とは……

 今年の大河ドラマにおいても強烈なインパクトを放つ織田信長。本作は、その信長の生涯――というより信長のパーソナリティを、ユニークな視点から切り取った作品であります。
 本作で描かれるのは、桶狭間の戦いから本能寺の変に至るまでの信長の姿――といえばあまりにも定番中の定番と感じられるかもしれませんが、そこで描かれる信長像こそが、実に独特であり、本作の主題と言うべきものなのです。

 若き日から己の強さを恃み、今川をはじめとする諸大名を相手に己が強者であることを証明することを誓う信長。しかし今川との決戦直前、熱田神宮の信長のもとに駆けつけた馬廻衆はわずか五人――そして桶狭間で天候に助けられて義元を討ったものの、その後も逃走することなく挑んでくる今川の侍大将たちの姿に、信長は自分が強者ではないことを痛感することになります。

 そしてその翌年、腹心であった岩室長門守が討ち死にする直前に信長に遺した言葉――「恐怖を受けとめて、乗り切る。それなくして、本当の強さは得られませぬ」が、その後の信長を縛ることになります。
 何故ならば、信長はこの世に生を受けて以来、ただ一度しか恐怖を感じたことのない人間。今のままであれば、自分は強者になれないのか。それであれば、強者となるために、自分を恐怖させる者と戦うに如くはない――信長はそう考えるのでした。

 そして、己の妹を嫁がせた浅井長政、死を恐れぬように挑んでくる一向宗、最強の敵である武田家らと戦いを繰り広げ、勝利を収めていく信長。
 それでもなお、桶狭間の頃と比べ自分は強くなったのか、共にに戦い死んでくれる者がどれだけいるのか――彼はそんな疑念を抱き続けることになります。やがて彼は、自分と同様の異才と炯眼、そして非情さと苛烈さを持つある武将を、己の鏡と思い定めるのですが……


 信長という人物を語る時に、最も用いられるキーワード――それは、「合理性」ではないでしょうか。将軍家や宗教といった既存の権威を次々と否定し、鉄砲という新兵器を活用し、生まれに関わらず才ある者を抜擢する――そんな信長の行動を支えるものとして、合理性を挙げる作品は少なくありません。
 信長を一種名探偵的な合理性の化身として描いた作者の『炯眼に候』は、まさにその典型といえるかもしれません。

 本作の信長も、表面的にはそうした信長像と大きく変わるものではないように見えます。
 しかしその一見超人的な信長を支えるものが、むしろ「強さ」の渇望と、それと背中合わせの「恐怖」の追求であった――本作はそんな視点から、信長という人間を再解釈することになります。そしてその視点は、むしろそうした合理性とはかけ離れた、独特の人間性を浮き彫りにすることになるのであります。

 そんな信長の姿は、やはりどこまでも歪であり、我々読者の共感を呼ぶというものではないかもしれません。しかしその信長が自分が鏡と認める者の前で思わぬ人間味を見せる姿、そしてそのために滅びに向かいながらついに自分の求めていたものを手にする姿には、不思議な感動があります

 それは、信長もまた、自分自身に価値があることを求めて呻吟する、我々と変わらぬ人間であると――そう確認できたからなのかもしれません。


 信長の生涯を描くには比較的ページ数が少ないこと、また雑誌連載であったこと、そして何よりも天野純希の『信長、天が誅する』と連動した内容であるためか――一つの作品として見た場合、やや性急であったり、説明不足に感じられる部分がないわけではありません。
 しかしそれでもなお、信長の精神的な超人性を描くことによって、それと背中合わせの彼の人間性を浮き彫りにしてみせた本作は、希有の作品であることは間違いありません。

 もちろん、『信長、天が誅する』も近日中にご紹介したいと思います。


『信長、天を堕とす』(木下昌輝 幻冬舎) Amazon

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 木下昌輝『炯眼に候』 信長が暴くトリックと、人間が切り拓く歴史の姿

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2020.04.10

栗橋伸祐『Nocturne 夜想曲』 放浪者としての吸血鬼、戦国を行く

 戦国時代、魔を滅する大剣を背に、異国からやってきた吸血鬼の美女・メリッサを守護して旅する青年・迦具土。放浪の末、彼らが出会ったのは、周囲の諸国に侵攻する不死の軍だった。その背後に、一族の裏切り者であり仇である男がいることを知ったメリッサは、戦いを挑むことを決意するが……

 約20年ほど前に、『コミック電撃大王』誌に連載されていた戦国吸血鬼漫画であります。
 細谷正充氏による『不死鬼 源平妖乱』(武内涼 祥伝社文庫)の解説で挙げられていた吸血鬼時代劇の中で唯一読んでいなかった――という極私的理由で、恥ずかしながら今ごろ取り上げる次第です。

 物語の舞台となるのは天文年間――すなわち戦国時代真っ只中。主人公の青年・迦具土は、戦場往来を続ける中、とある峠で出会った異国の鎧武者の襲撃を受けた彼は、死闘の末に鎧武者からその剣と、銀髪の美女を託されるのでした。
 実はその美女・メリッサこそは、異国からこの国にやって来た吸血鬼――人間の迫害と同族間の争いから逃れてきた彼女の守りを、体に限界が来ていた鎧武者に代わって務めることとなった迦具土は、あてどない旅に出るのですが……

 という本作では、前半がメリッサの一族の仇であり、日本の戦国乱世に隠れて勢力を伸ばさんとする魔人ア・ゾールとの戦いが――そして中盤以降は、ある理由からメリッサの力を求める戦国大名・早川家に身を寄せた二人が、彼女を狙って西洋からやって来た教会の狩人たちと死闘を繰り広げることになります。
 剣士と吸血鬼という主人公カップルに加え、忍者・鬼・怪僧といった日本の怪人たち、あるいは西洋からやってきた妖人・魔人など――そんな面々が入り乱れた乱戦模様が、本作の魅力であり特徴と言えるでしょうか。


 と、ここで先に厳しいことを言ってしまえば、本作にはあまり時代ものとしての面白さは薄いというのが正直なところではあります。
 そもそもメリッサはともかく、迦具土の武器は西洋(?)の大剣であり、着ているのは西洋のシャツめいた衣装――とビジュアル的な点もさることながら、戦国という時代が背景としてしか機能していない印象があります。

 また、前半の敵は異国の吸血鬼、後半の敵は異国の吸血鬼狩人と、どちらもこの国の産ではないため、どうしても(メリッサの)内輪の戦いに見えてしまい、和と洋の激突という美味しいテーマが十分に生かせていないのは勿体無いところであります。
 さらに言えば、メリッサの一族が吸血鬼というより魔法使い(謎の光線や、治癒術を操ったりする)めいていて、西洋というよりファンタジー世界から来たようにすら見える――ア・ゾールという名前もそれっぽい――点もまた、時代ものとしてはどうかと感じます。

 いっそのこと、ファンタジー世界vs戦国日本に割り切ってもよかったかもしれませんが……


 などと厳しいことばかり申し上げてしまいましたが、実は本作には、吸血鬼時代劇としては比較的珍しい点があります。
 それは本作における吸血鬼が、人類の敵にして異邦からの侵略者である以上に、長い時を孤独に生きる放浪者としての側面を多く持って描かれることであります。

 そもそも吸血鬼時代劇においては、ほとんどの場合、吸血鬼たちが異国の者であるが故に、彼らは必然的に侵略者としての側面がクローズアップされることになります。(もちろん本作のア・ゾールはまさにそうした存在ではあります)
 それに対して本作のメリッサは、吸血鬼としての様々な宿命を背負いながらも、しかしその力を他者に対して振るうことなく、長きに渡る生を人間の間で送ろうとする人物として描かれます。

 もともと吸血鬼という存在が物語で描かれる時、この侵略者と放浪者それぞれの部分が、ある程度のバランスで描かれるものですが――先に述べたような性格を持つ吸血鬼時代劇において、本作のように後者の性格がより重んじて描かれるのは、大きくユニークな点であると感じます。

 そしてそれだからこそ、名のある者も名のない者も、日本の人々が総出でメリッサを守るために命を擲って戦うという本作の終盤の展開が、大きなに意味を持って感じられるのは間違いないでしょう。
 その点において、本作の吸血鬼時代劇としての大きな価値がある――そう評しては大袈裟に過ぎるでしょうか。


『Nocturne 夜想曲』(栗橋伸祐 メディアワークスDengeki comics EX 全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon

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2020.03.30

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第21巻 バラエティに富んだ妖尽くしの楽しい一冊

 久々に新刊登場の『猫絵十兵衛 御伽草紙』は、表紙の一つ目小僧と一つ目猫から察せられるように、妖が登場するエピソードばかりが収められた全9編。妖ばかりと言っても、もちろんバラエティに富んだ内容は変わらず、今回も楽しい一冊であります。

 鼠除けの猫絵を生業とし、人ならぬモノの存在を見聞きする力を持つ青年・十兵衛と、強力な妖力を持つ元・ニタ峠の猫仙人にして、今は酔狂にも十兵衛の相棒として江戸で暮らすニタ。この一人と一匹を、時に主人公に、時に狂言回しとして、人と猫と妖の物語を描いてきた本作も、もう第21巻となりました。
 冒頭に述べたように、この巻は妖尽くしというべき内容が収録されています。以下のように……


 茶太郎・ブチ・ハチのお馴染み猫又三匹が、おいてけ堀よろしく水中から呼びかける怪と出会う「おいてけ堀猫」
 昼寝している最中に異界に迷い込んだ上、片耳がなくなってしまった濃野初風の愛猫・小春の冒険「小春猫」
 いなり寿司売りとともに、大店のお嬢様に惚れてしまった絵師志望の猫又・ムクの奮闘を描く「恋の仇猫」
 病弱で祭見物に行けない子供のために、猫丁長屋の子猫・タケと十兵衛が一肌脱ぐ「祭猫」
 年経りて通力を得た破れ寺の住職の猫が、住職を助けるために思わぬ策を授ける「火車猫」
 大晦日の晩、謎の相手から逃げようとする猫又三匹衆と百代に十兵衛が巻き込まれる「掛け取り猫」
 前話に続き、借金のカタに大森の化け物茶屋で働くことになった四匹の姿を描く「化物茶屋猫」
 タイトルのとおりニタの賑やかな日常を描いた8ページの掌編「ニタの、たまの日常」
 ニタ峠の雛祭りに招かれた十兵衛が、川の化生とそれに顔と大切なモノを奪われた女性と出会う「ひいな猫」


 ご覧のとおり、奇怪な化け物との対決あり、可愛らしく不思議な奇譚あり、泣かせる猫と人のドラマあり――一口に妖といっても様々ですが、それでいて、どれも本作「らしい」物語に仕上がっているのに感心させられます。

 例えば「小春猫」――小春の夢物語のようなファンタスティックなお話ですが、小春が迷い込んだ様々な妖が人間同様の暮らしを送る世界の姿は、ユーモラスでしかし妙に生々しく、我々の世界とは似て非なる空気を感じさせる異界感が素晴らしい。
 この辺りの異界描写は実は作者の得意とするところですが、実在した大森の化け物茶屋に、実は人用の表と化け物用の裏があったという設定の「化物茶屋猫」も、作者ならではの世界観を感じさせるものがあります。

 また、一見ユーモラスで温かい絵柄でありつつも、本気で恐ろしい化け物を描けば、ドキリとするほど恐ろしいのも作者の筆の力。
 本書でいえば、「火車猫」のクライマックス、死人を地獄へ攫っていく火車の大暴れの場面などは、江戸の絵草紙的な味わいを持ちながらも、荒々しく迫力ある絵柄に驚かされるのです。

 ちなみにこの「火車猫」、物語的には有名な昔話「猫檀家」にほとんど忠実な内容なのですが――この妖怪描写の凄まじさと、それとは裏腹の人と猫の細やかな交流の描写(和尚が唱える大悲心陀羅尼の一節が別の意味を持つラストが巧い!)に泣かされる、本書でも屈指の名編と感じます。
 また名編といえば「祭猫」も、互いをいたわり合う両親と子の情(冒頭で描かれる母の表情が何とも見事)に、普通の子猫であるタケの可愛らしさと、十兵衛の猫絵が生み出す優しい奇跡が絶妙のバランスで混ざり合って、不思議人情系の実にグッとくるエピソードとして必見であります。


 と、妖好き、不思議好き、そしてもちろん猫好きには、語り出したら止まらなくなってしまうような充実した内容の本書。

 連続ものではない連作もので、これだけの巻数を重ねながらも、このバラエティとクオリティとは――といつもながら驚かされるのですが、しかしこの点についてはこの先も変わることはないだろうと、無条件に信頼してしまうのであります。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第21巻(永尾まる 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon


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 「猫絵十兵衛 御伽草紙」第6巻 猫かわいがりしない現実の描写
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 『猫絵十兵衛御伽草紙』第10巻 人間・猫・それ以外、それぞれの「情」
 『猫絵十兵衛御伽草紙』第11巻 ファンタスティックで地に足のついた人情・猫情
 『猫絵十兵衛 御伽草紙』第12巻 表に現れぬ人の、猫の心の美しさを描いて
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第14巻 人と猫股、男と女 それぞれの想い
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第16巻 不思議系の物語と人情の機微と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻 いつまでも変わらぬ、そして新鮮な面白さを生む積み重ね

 『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画

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2020.03.26

梶川卓郎『信長のシェフ』第26巻 ケンと村上父子の因縁、決着!?

 自分自身が生き延びるためから、信長を生かすために目的を変え、なおも続くケンの戦い。その目的のために、この2、3巻の間続いてきた村上水軍との対決(?)も、ついにこの第26巻で、一つの決着を見ることになります。

 歴史を変えて信長を生き延びさせるため、この世界においては異物である自分たち現代人の、最後の一人である望月を探し出そうとするケン。
 しかし望月は四国の三好家に身を寄せていたことしかわからず、ケンはその手がかりを知るため、瀬戸内海を拠点とする村上水軍に近づこうとするのですが――しかし彼らは織田家の大敵である毛利家と結んでいる状態であります。

 そんな中、木津川口の戦いに絡んでにケンは村上家の当主・武吉の息子・元吉と奇妙な縁を結ぶことになるのですが――しかしいまだに求める情報は得られぬ状態。そもそも相手は瀬戸内海、ケンは安土と行動エリアも全く重ならないわけであります。
 しかしそれが今回、病床の竹中半兵衛の配慮により、ケンは再び元吉に接近することに……


 と、この巻の大半を費やして描かれるのは、ケンと元吉、ケンと武吉、そして信長と村上水軍との因縁の決着編。木津川口の戦いを経て、織田家に大きく傾きつつある元吉と、慎重な武吉――この親子の間に、ケンは挟まれることとなります。
 だとすればケンにできることは、料理を通じて武吉を動かす以外ありませんが、しかし面白いのはここで前哨戦とでもいうべき展開があることです。そう、元吉に接近したところを見とがめられ、元吉によって咄嗟に門付け芸人であると庇われたケンですが、それでは芸を見せてみろ、ということになってしまったのであります。

 もちろんケンは料理人であって芸人ではありません。しかし芸を見せなければ間者として殺されかねない絶体絶命の窮地で、さてケンにできるのは――と、ここでのケンの行動は予想がつく方も多いのではないかと思いますが、しかし画として見てみるとやはり実に面白く、これはこれで期待通りと言うべきでしょう。

 そしてついに武吉と一対一で対峙することとなったケンが、武吉に出す料理は――これぞケン、と言いたくなるようなユニークかつ含意に富んだもの。それに対する武吉のリアクションも洒落ていて、まずは村上水軍編(?)も大団円、といったところであります。
(が――その後に語られる村上水軍の「未来」の描写が、どちらとも取れるものなのが心憎いところであります)


 しかし、このように本作らしい味わいはきっちり見せてくれたこの巻ではありますが、前の巻の後半で如何にも意味ありげに描かれたイエズス会回りの展開は今回はほとんどお休み、肝心の望月の行方の方も――と、物語としての進みはほとんどなかったのも、正直なところであります。
(竹中半兵衛の死が一つの山ではあるのですが、実はそこまでケンと半兵衛の接点は大きくなかったという印象もあり……)

 実は史実では、この辺りは信長にはあまり目立った出来事がない時期ではあります。それだけに、難しいところだとは思いますが――まだもう少し先であろうクライマックスに向けて、もう一山二山、あってほしいところではあります。


『信長のシェフ』第26巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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 梶川卓郎『信長のシェフ』第25巻 新たな敵に挑む料理探偵ケン!?

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2020.03.21

築山桂『眠れる名刀 左近 浪華の事件帖』 左近、刀剣を狙う邪悪に挑む

 南河内の庄屋で、名刀「小竜景光」が見つかった。四天王寺に預けられる刀の護衛のために向かった左近だが、既に庄屋は惨殺され刀は奪われていた。名刀を奪うために残忍な犯行を繰り返す猿一味を、おかしな宝探し屋とともに追う左近だが、さらに伊達家ゆかりの「鶴丸国永」までもが事件に絡み……

 古代から大坂の町を守る闇の守護者・在天別流の男装の麗人・東儀左近の冒険を描くシリーズ第4弾であります。
 難波宮の時代から、四天王寺の楽人を表の顔に大坂を守ってきた在天別流。都が移った後も、時の権力者から距離を置き、大坂の庶民のために密かに戦いを繰り広げてきた彼らの当代の主・弓月王の妹である左近が今回巻き込まれるのは、名刀にまつわる騒動であります。

 名刀を次々と奪う盗賊団・猿一味の跳梁が世を騒がせる中、楠木正成の佩刀であった小竜景光を受け取るために南河内に赴くことになった左近。
 その途中に絡んできた自称質屋にして宝探し屋という若者・甚八をいなしながら目的地に向かう左近ですが、時既に遅く、刀は奪われた後――しかも庄屋と孫娘が惨殺され、さらに全く無関係の人間にまで更なる犠牲が出ることになります。

 手掛かりとなるのは、左近を襲ってきた侍たちの体から漂う奇妙な香りと、彼らが匂わせた伊達家との繋がりのみ。無惨に殺された人々のためにも、何としても非道な一味を壊滅させんと闘志を燃やす左近ですが、思わぬ真実を知ることになるのです。


 基本的に左近自身や、後見的立場の若狭、あるいは弓月といった彼女の周囲の人々自身にまつわる物語が描かれてきた本シリーズ。しかし今回は少々趣を変え、左近たちはある意味第三者として――そちらの方が在天別流としては本筋かもしれませんが――事件に挑むことになります。
 しかし左近が弓月や若狭(特に前者)に振り回されるのは相変わらずで、今回も中盤で明らかになる真実には、それが平仄にあっているだけに苦笑させられます。

 もちろんそんな状況でも自分のベストを尽くし、苦しむ人々を救うため奔走するのが左近。特に今回は、シリーズでも屈指の凶悪な敵が相手であり、しかもその正体の大きさたるや相手にとっては不足はありません。
 特に最後の対決は、刀を中心とした物語に相応しく、名刀に込められた意味にまで踏み込んだ展開で、なかなかの盛り上がりでありました。


 その一方で、敵の正体や、その敵が○○絡みの存在である点など、シリーズで描かれてきた大坂の町を巡る物語から、かなり離れた展開を見せるのは――さらに言ってしまえば、いかにも「時代劇」的展開となるのは、ちょっと物足りない印象があったのも事実ではあります。
 これまでのシリーズで描かれてきた史実とのリンクも、少々薄目で――もっとも、その代わりに刀剣たちの存在があり、こちらはなかなか面白い絡み方なのですが――その点も少々気になった次第です。

 もちろん、上に述べたように左近は、未熟な部分も含めて相変わらず魅力的ですし、今回相棒的に登場した甚八のキャラクターも特に楽しいところであります(もっとも、甚八の抱いていた恨みの件があまりうまく機能しなかったのは気になりますが)。
 残された謎はあるようですし、まだまだこのシリーズには楽しませていただけるものと期待したいと思います。。


『眠れる名刀 左近 浪華の事件帖』(築山桂 双葉文庫) Amazon

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2020.03.17

森川楓子・西條奈加・宮部みゆき『ねこだまり 〈猫〉時代小説傑作選』(その二)


 細谷正充編の女性時代小説家アンソロジーの紹介の後編であります。後半もバラエティに富んだ名品が続きます。

『おとき殺し』(森川楓子)
 師匠の国芳が新たに引き受けた猫。その飼主だった老婆・おときが何者かに殺されたことを知った国芳の弟子のおひなは、持ち前の猫と話せる能力で、国芳の飼い猫のおこまとともに事件解決に乗り出すことになります。
 ほどなくしてあっさり捕らえられた下手人。証拠もあれば自分でも犯行を認めている下手人に、おひなとおこまは違和感を抱くのですが……

 毎回用意されている隠し玉が楽しみの一つである本アンソロジーシリーズですが、今回のそれは本作――作者の長編『国芳猫草紙 おひなとおこま』の続編にして、何と同人誌から収録された作品です。
 『おひなとおこま』は、国芳に弟子入りした少女・おひなが、謎の薬の力で猫と会話できるようになり、おこまや猫たちの力を借りて、怪事件に挑む物語でしたが、今回はそのおひなが新たな事件に挑むことになります。

 といってもその事件、比較的早い段階で解決した上に、下手人の過去の余罪まで明らかになるのですが――しかし本当の物語はここから。この事件に裏があることを感じ取り、探索を続けるおひなが知った真実は――その複雑で切ない人の情には唸らされました。
 かつて下手人に飼われていた猫の存在も見事にはまり、個人的には本書のベストとも感じる作品です。


『猫神さま』(西條奈加)
 雨の中で泣いている少女・おのぶと出会ったいなり寿司売りの三治。繭玉問屋に奉公していたおのぶが、店の縁起物の猫神さまを盗んだと疑いをかけられ、店を飛び出してきたと知った三治は、彼女を他人とは思えず、仲間たちと共に助けることを誓います。
 顔なじみの侍・柾の助けで店に潜り込んだ三治たちは、事の真相に気づくのですが……

 江戸で寄り添って生きる孤児たち十五人を主人公とした連作『はむ・はたる』の一編である本作は、失せもの探しを題材とした、ミステリ味もある物語であり――そして同時に、辛い境遇にありながらも、何とか前向きに生きようとする少年少女の姿を描く物語であります。

 かつて父が盗みをして捕らえられたことから、周囲から色眼鏡で見られ、疑いをかけられたおのぶ。一方の三治は、父が人を殺したことで周囲から迫害され、故郷を飛び出してた少年です。
 いつの時代も変わらない人間の偏見の目と、それによって苦しむ子供たち。あまりに理不尽な世のあり方に、しかし本作は痛快な形で一矢報いることになります。

 事件の中で描かれる、もう一人の子供の姿もまた痛ましいのですが――それもこれも一切合切、鼠取りの守り神である猫神さまにかこつけて解決してみせる、子供たちの心意気が嬉しい本作。その解決に微笑み、そして三治が望んだ報酬に泣かされる一編です。


『だるま猫』(宮部みゆき)
 悲惨な子供時代を過ごし、そこから火消しになって抜け出すことを夢見てきた文次。しかしいざ火事場に出てみれば身が竦み、何もできなかった彼は、親方の口利きで料理屋の住み込みで働くことになります。
 ある晩、文次の前で重い口を開く店の主人・角蔵。実は彼もかつては火消し――それも文次と同様、臆病で何もできなかった火消しだったというのです。しかしある時、按摩から手に入れた不思議な猫頭巾の力で、角蔵は生まれ変わったというのですが……

 ラストに収録されるのは、時代怪談の名手でもある作者の、世にも恐ろしい一編。作者の怪談では、怪異を通じて、地道に生きることの大切さを語る一種教訓めいた構図の作品が少なくないのですが――本作もそれを踏まえつつ、凄まじい一撃を叩き込んできます。

 情けない自分を抱えていきる文次にとっては、自分を変えられる魔法の道具である猫頭巾。その力を得て有頂天になる文次ですが、その直後に知った代償とは……

 猫要素が少ないと思っていたら――ギャッと悲鳴を上げたくなるような結末が待つ本作。分量的にはあまり多くはないのですが、恐ろしいまでの切れ味を持つ名編です。


 というわけで一口に猫といっても可愛らしかったり憎たらしかったり、はたまた恐ろしかったりと様々な姿を、様々な切り口で描いてみせる本書。猫好き、時代小説好きには堪らない作品揃いの一冊であります。


『ねこだまり 〈猫〉時代小説傑作選』(細谷正充編 PHP文芸文庫) Amazon
ねこだまり 〈猫〉時代小説傑作選 (PHP文芸文庫)

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2020.03.12

松尾清貴『南総里見八犬伝 3 美女と悪女』(その二) 美女にまつわる「理不尽」と「転生」


 松尾清貴版『南総里見八犬伝』第3巻「美女と悪女」の紹介の後編であります。美女・雛衣を襲う理不尽な運命――その根底にあるものを本作は容赦なく描き出すことになります。

 絶縁状態にあった赤岩一角が、いわば復縁の条件として角太郎に求めたもの――それは怪我をした自分の片目の治療のために必要となるという、胎児の生き肝とその母の心臓の血でありました。
 何という理不尽、何という残酷趣味――第2巻で描かれた男女の血で破傷風を治療するというくだり以上に、現代の目で見れば迷信にもほどがある、そして胸の悪くなるような「薬」であります。

 もちろん読者には、この一角が実は現八に片目を射られた怪猫であることは周知のことであり、この要求は、如何にも妖怪らしい言い様だと納得できないでもありません。しかし――納得できないのはこの先であります。如何に親とはいえ、自分の妻に対するこのあまりに理不尽な要求を、角太郎は呑んでしまう――少なくとも雛衣がその言葉に従うのを黙認してしまうのですから。
 そして角太郎が、いや雛衣も、ここで命を捨てることを悲しみこそすれ、その運命そのものには納得しているのであります。これこそが真の理不尽ではないでしょうか?

 そんな角太郎の、そして雛衣の姿を本作は見事に表現してみせます。この項の副題である「孝という呪縛」という言葉で以て。
 もちろん、八犬士が代表する徳目に「孝」があるように、「孝」そのものが否定されるわけではありません。しかし本作は、角太郎の「孝」の在り方を――現八がその言葉で剔抉する以上に――痛烈に、しかし静かに角太郎にその非を悟らせることになります。一角が偽物であった以上に、自分の中に真の偽物があったことを自覚させることによって。

 ここで本章の章題を振り返れば、それは「不孝物語」――読み終えて初めて理解できるこのダブルミーニングの妙には、ただ嘆ずるほかありません。


 さて、本書のラストに控えるのは甲斐物語――奇しくもその「孝」の珠を持つ信乃が、放浪の末に足を踏み入れた冬の甲斐で、思わぬ出会いを経験することになります。

 武田家家臣の泡雪奈四郎に鉄砲で誤射されたところに仲裁に入った土地の村長・四六城木工作のもとに逗留することとなった信乃。雪の深さと、木工作と意気投合したことから長逗留することとなった信乃ですが、奈四郎そして彼と密通していた木工作の妻・夏引によって思わぬ罪を着せられることに……
 と、ここでも登場する「悪女」ですが、一方「美女」はといえば、それは何と浜路。

 いやもちろん、信乃を恋い慕いながらも悲運に散ったあの浜路ではなく、偶然彼女と同じ名の木工作の娘なのですが――しかしこの浜路にあの浜路の魂が宿り、浜路くどきの再演ともいうべき行動を取るのですからややこしいというか何というか。
 実はこの甲斐物語、この部分に限らず、登場人物の配置や出来事を見れば、大塚村の物語の再話とも言うべき内容。もっとも、悲劇の連続であったあちらに比べ、こちらはグッドエンドルートに進んだという趣すらあるのですが――終盤に登場するあの人物の行動も含め、大塚村のくだりの救済となっていると考えるべきでしょうか。

 しかし――ここで個人的に納得がいかないのは、浜路の扱いであります。ここに登場する甲斐の浜路は、いかに八犬伝を支配する論理の一つである名詮自性を踏まえたとしても、あくまでも大塚の浜路とは別人。
 それがあたかも転生したかのような扱いで、信乃と結びつけられるのは、甲斐の浜路のパーソナリティを無視しているものではないか――というのは、これは個人的に生まれ変わりという概念が好きではないだけですが……

 しかし本作においては、この甲斐物語における「転生」という言葉にもう一つ別の意味を与えることによって、これまでとはまた異なる印象を与えることになります。
 そしてそれは、先に述べた大塚物語の再話という構造と重ね合わせる時、それでも取り戻せなかったものを描く、何とも切なくほろ苦い喪失の物語として描き直されていると――そう感じさせられます。

 これもまた、信乃にとっての真の旅立ちである、というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが……


 何はともあれ、放浪を経て再び重なり始めた八犬士たちの縁。おそらく次巻では七犬士の勢揃いまでが描かれるのではないかと思いますが、さてそれをどのように描いてみせるのか――原典に忠実で、そして同時に新しい物語であったこの第3巻までを見れば、この先もいよいよ楽しみになるばかりなのでであります。


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南総里見八犬伝 3 美女と悪女


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2020.03.11

松尾清貴『南総里見八犬伝 3 美女と悪女』(その一) スマートな「美女」と無骨な犬士と


 現実に忠実でありながら、同時に極めて革新的で内容豊かな新たな八犬伝――松尾清貴版の『南総里見八犬伝』、待望の第3巻であります。第3巻は副題の「美女と悪女」のとおり、様々な形で犬士たちの前に女性たちが登場、彼らの冒険に大きな影響を与えるのですが……

 犬川荘助の救出と犬山道節の仇討ちという二つの戦いの結果、管領軍に追われて荒芽山から落ち延びることとなった五人の犬士。それぞれが散り散りバラバラとなった彼らは、再び集結するまでに様々な冒険を繰り広げて――と、この巻で展開するのは、いわば放浪編とも言うべき内容。
 犬田小文吾が犬坂毛野が引き起こした騒動に巻き込まれる対牛楼の仇討ち、犬飼現八が犬山大角とともに死闘を繰り広げる庚申山の怪猫退治、そして犬塚信乃が甲斐で思わぬ人物と再会(?)する甲斐物語と――犬士たちの冒険と、新たな二人の犬士の登場が描かれることとなります。


 対牛楼の仇討ちは、悪党夫婦を退治したはずが、思わぬ成り行きから千葉家を牛耳る奸臣・馬加大記の下で囚われ人となってしまった小文吾の視点から描かれる物語。
 ここで登場する悪党の妻こそが八犬伝における「悪女」の代表格ともいうべき船虫ですが、その一方で「美女」に当たるのは、やはり彼を助ける美しき女田楽師の旦開野ということになるのでしょう。

 その旦開野にいきなり慕われてドギマギする小文吾も愉快ですが――言うまでもなく旦開野こそは、かつて大記によって一族を皆殺しにされた粟飯原胤度の遺児・犬坂毛野!
 仇討ちは八犬伝の華とも言うべき要素ですが、しかしたった一人でここまで鮮やかに仇を討ってみせたのは彼くらいではないか――というくらいの手際の良さで片をつけ、小文吾まで連れ出すスマートさは、八犬士(この時点では彼自身はその宿命を知らないのですが)の中でも異彩を放っていると感じます。

 このエピソード、毛野の鮮烈デビューが印象に残るのはもちろんですが――スマートな毛野と無骨さでは犬士一の小文吾の組み合わせが見事であります――しかしあくまでも小文吾視点で描かれる点が、今回印象に残ります。

 もちろんそれは、小文吾視点によって毛野のキャラクターと彼の背負った物語が引き立つという効果を上げていますが、それだけではありません。
 ここでの悪役である大記は、当時の関東における勢力の一つであった千葉家の家老。初登場エピソードがほぼ身内の物語であった小文吾は、ここで大記と関わりを持つことによって、初めてマクロな世界関わり合いを持ったのであり、ある意味これが小文吾にとっての本当の旅立ちだったのでは――とすら感じさせられるのです。

 そしてもう一つ、個人的に興味深かったのは、猛獣を退治したことがきっかけで悪女と出会い、そしてまたそれが遠因で奸物の罠にかかり、大虐殺が繰り広げられる――という展開が、水滸伝の武松のエピソードの翻案となっている点であります。
 しかも面白いのは、水滸伝の方では武松の大虐殺の巻き添えで美少女芸人が殺されるのが、八犬伝の方ではその美少女芸人(毛野)こそが大虐殺を引き起こすという点で――この辺りの捻り具合は、さすがに水滸伝マニアの馬琴先生と感じるのです。


 さて、対牛楼の仇討ちがマクロな世界との出会いであった一方で、庚申山と犬山家にまつわる物語は、再び身内を中心とした、ミクロなエピソードと言えるものであります。
 妖怪の噂を聞き流して庚申山に分け入った現八(ここも武松物語の翻案でしょう)が、配下を引き連れた妖怪と出会ってこれを退け、妖怪の犠牲者の亡魂と対話する――という冒頭部分は、八犬伝でもファンタジー度、というよりホラー度の高い部分ですが、その先に描かれる犬山大角(角太郎)の物語は、非常にドメスティックな内容なのですから。

 高名な武芸者である父・赤岩一角に理不尽にも疎まれ、養子と出た先で妻を得て平穏な暮らしを始められるかと思ったものが、その妻に不義を疑って離縁し、自分も庵で蟄居していた角太郎。
 しかしそんな彼をさらに苦しめるように、一角とその後妻・船虫(またもや悪女!)、さらに義理の弟は角太郎を責め苛み、そして恐るべき要求を突きつけることに……

 と、善男善女が苦しめられることでは枚挙に暇が無い八犬伝でも、個人的には第2巻で描かれた古那屋の段と並び、屈指の理不尽さを感じさせられるこのくだり。
 ここでの角太郎の妻・雛衣(ここでいう「美女」)を襲う運命を何と表すべきか、これまで様々な八犬伝でこの部分を目にする度に悩まされたものですが――さて本作はそれをどう描いたか?

 長くなりましたので次回に続きます。


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南総里見八犬伝 3 美女と悪女


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2020.03.10

『猫鬼の死にぞこない 晏芸嘉三 江戸猫奇譚』 猫の力を身につけた変身ヒーロー!?


 任務中に猫を助けて爆発に巻き込まれ、左手左足が不具となった元隠密・彪真。しかし彼には、爆発の直後に深手を負った自分を助けた猫鬼を名乗る美女・芙蓉の記憶があった。その後も彼の周囲で起きる奇怪な事件。人々を襲う妖魔に立ち向かう時、彪真の左手左足は思わぬ形に姿を変えて……

 『お江戸ねこぱんち』誌を中心に、怪奇・伝奇色の強い作品を発表してきた晏芸嘉三の作品のうち、表題作の『猫鬼の死にぞこない』全4話+『物見の文士』シリーズの外伝2話を収録した電子書籍限定の一冊であります。
 正直なところ同誌の作品は、十分な分量があっても単行本とならないことも少なくないのですが、本作のように電子書籍としてでも一冊にまとまって刊行されるというのは、実にありがたいお話であります。

 さて、そんな『猫鬼の死にぞこない』は、文字通り猫鬼に力を与えられて死に損なった(元)公儀隠密が主人公なのですが――面白いのはこの主人公が一種の変身ヒーロー的存在であること。
 普段は、事故で不具となった片手片足が、「敵」と戦う際には猫のそれとなって超人的な力を発揮する――というのは、なかなか珍しいギミック(例えば全身猫になるとかであればまだ他にもあるような気がしますが)と感じます。

 そして彼の挑む「敵」も、奇怪な妖魔――特に第2話で描かれる、どこからともなく猿の死体が現れ消え、そしてそれが妖魔となって襲い来るという、どこか中国怪談めいた展開なども、大いに異彩を放っていたと言えるでしょう。

 もっとも、その異彩を喜ぶ読者は多くなかったらしく、作者のあとがきの中で「誌風に合わない」とはっきり書かれているほど(喜んでいた私のような人間は大いに寂しい思いをいたしました)。
 画的にも、アクション主体の物語とするには少々厳しいところがあったのも事実ですが、しかしこのようにユニークな作品は、やはり少しでも多くの方の目に触れていただきたいところで、このように一冊にまとまったのは良い機会と思います。


 さて、表題作の他に収録されているのは、上で述べたように作者のシリーズ作品である『物見の文士』の番外編であります。
 このシリーズは、明治時代を舞台に、「見える」文士・夜都木周平を狂言回しにした連作ホラーですが、巻頭の『冥土に華の』は、以前シリーズに登場した此岸と彼岸の間の異界の吉原の顔役・八千代を主人公としたエピソード。心中に失敗した女郎の想いを果たすため、八千代と不思議な猫が奮闘することになります。

 実はそちらには周平は登場しないのですが、もう一編の『嘘吐き』は、周平の子供時代を舞台に、彼が「兄さん」と慕うある男との思い出が語られる物語であります。。
 お化け屋敷と噂されるある屋敷に幽閉されていた周平と、彼と偶然出会った、猫を連れた調子のイイ男・真平のエピソードなのですが、これが妖怪ものとしても人情ものとしてもなかなか良くできた作品。

 さらりと描かれる真平と猫の絆なども良く、個人的には本書のベスト作品かも――とも感じた次第です。


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2020.01.28

大塚已愛『ネガレアリテの悪魔 黎明の夜想曲』 ファンタジーから伝奇へ――新たなる、本当の物語の幕開け


 19世紀末のロンドンを舞台に繰り広げられる――そして新人の作品とは到底思えぬ完成度の高さに度肝を抜かれた異形のファンタジー待望の続編であります。少女と青年人形による異界「ネガ・レアリテ」を巡る戦いは実は序章に過ぎず――いよいよ本当の敵、そして巨大な秘密の数々がここに明かされるのです。

 偶然訪れた画廊で異界に呑み込まれ、ルーベンスの贋作から生まれた奇怪な魔に襲われたことをきっかけに、美青年サミュエルと出会った男爵家の少女・エディス。
 日本の刀と呪法を用い、人間離れした力で贋作から生まれた異形の魔と対決するサミュエルに救われたエディスは、サミュエルと彼を付け狙う妖人ブラウンとの間の戦いに巻き込まれていくことになります。

 その過程で明らかになるサミュエルの秘密――実は彼が人間ではなく、何者かによって造り出された精巧な人造人間だったことを知りながらも、恐れることなく彼の傍らで戦い抜いたエディス。そして女王の私生児であり、母に殺されたという怨念を抱えて暴走するブラウンは、サミュエルに敗れてネガレアリテの中に消えて……


 という前作を受け、やはり贋作から生まれた魔――今度は絵画ではなく楽器――との戦いから始まる本作。が、それはあくまでも導入部、前作の展開を踏まえたこちらの予想は、完全に――当然ながら良き意味で――裏切られることになります。

 自分の存在が危険をもたらすと、エディスに別れを告げたサミュエル。それを受け入れた彼女は、侯爵家の三男・ヘイズから結婚を申し込まれることになります。
 父を知らぬ私生児である自分を今まで育ててくれた男爵家の人々のため、エディスはその申し出を受けるのですが――しかしヘイズには彼女と、さらにサミュエルと意外な繋がりがあったのであります。

 そして思わぬ自分の秘密に驚く間もなく、彼女に襲いかかる新たなる敵。かつてブラウンが変じた魔の中でも、さらに力を持つ古き血を持つ存在に襲われたエディスを救うべく、強大な敵に挑むサミュエルですが……


 贋作から生まれる魔との戦いを描いた前作において、自分たちもまた一種の「贋作」として――エディスは男爵家の実子ではない私生児、そしてサミュエルは人間ですらない――受け止める姿が描かれた二人。
 本作では、その二人の真実が描かれることとなります。エディスの父は何者なのか、そしてサミュエルは何のために造り出された存在なのか――ある意味物語の根幹に繋がるほどの真実が。

 その大秘密を(物語の比較的早い段階で判明するのですが)ここで語るのは控えましょう。しかし一つだけそれを評するとすれば、前作がファンタジー――我々の世界と隣り合わせの世界に潜む魔との対決であったとすれば、本作は伝奇――この世界で我々が重ねた歴史と平行して、陰の歴史を生き長らえてきた者との戦いである、と表すのが適切と感じます。
 そう、まさかこの物語でこれを持ってくるとは! と好きな人間にはたまらない、そしてどこか懐かしい題材の数々で組み立てられた物語は、紛うことなき一級の伝奇ものならではの興奮を与えてくれるのであります。

 そして驚くべきは、これだけ血沸き肉躍る(ある意味本作に相応しい表現であります)物語であるのと同時に、本作は、極めて美しくそしてプラトニックな、ボーイミーツガールの物語として成立していることでしょう。
 贋作であるという二人を結ぶある種の共通項から解き放たれながらも、なおも強く結びついた二人の絆の目映さ。それはサミュエルに昏い執着を見せる敵の存在とは好一対のものであり――そして人が人以外に抗し、そして人以外と生きるに当たっての、一つの希望の姿としても感じられるのです。

 そしてもう一つ唸らされるのは、大量の情報や怒濤の展開を、くどさや退屈さなしにさらりと読ませる作者の構成力と文章力であります。この点は前作から強く印象に残っていたものですが――本作のそれはそれをさらに上回るものとしか言いようがありません。
 特に物語中盤、本作の――本シリーズの背景となる真実と秘密に関する説明描写の数々を、違和感なくテンポ良く描いてみせる水際だった手腕には感嘆させられるばかりなのであります。


 あえて難を言えば、前作で前面に出ていたネガ・レアリテの存在が、本作では遠景に留まっている点ですが――それは新しい物語の前では、小さいことと思うべきなのでしょう。
 二人の絆の、そして何よりも新たな伝奇世界の誕生を垣間見せてくれた本作。今はその先の姿を見たい、つまりは続編希望! と強く願うばかりなのであります。


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ネガレアリテの悪魔 黎明の夜想曲 (角川文庫)


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