2022.06.08

松井優征『逃げ上手の若君』第6巻 新展開、逃者党西へ

 逃げて逃げて(作中時間で)早くも二年が経過した『逃げ上手の若君』。信濃を舞台とした合戦を経て、結束を固めた諏訪神党の決起の時は近い――と思われたところに、次々と新キャラが顔を見せることになります。さらに足利の手が迫り、時行たちは一転京に向かうことに……

 帝の命により親北条勢力討伐を開始した国司・清原信濃守と守護・小笠原貞宗に対し、総力を挙げて戦いを挑んだ諏訪神党。諏訪頼重直属の諏訪神党三大将も加わっての激闘の中で、時行と逃者党は伝令の役目を与えられ、戦場を駆けることになります。
 目まぐるしく変わる戦況は、最終的には諏訪神党が撤退、大きく領地を奪われたものの将クラスは誰も討ち取られず、かえって結束を固める結果となったのでした。

 そんな戦いの後、この巻の冒頭で新たに登場するのは「神」――諏訪の現人神の座を継いだ諏訪頼継。頼重の子・時継のそのまた子、つまり頼重の孫であります。
 頼重、孫がいるのにあんな感じなの!? とドン引きしたのはともかく、頼継は時行よりもさらに幼い少年。そんな頼継にとって、時行は自分の祖父たちの関心を自分から奪っていった憎い相手――というわけで、諏訪追放をかけた勝負を挑んでくるのですが……

 が、その勝負が、自分が逃げる側とはいえ鬼ごっこなのはマズかった。この勝負はあっさり決着するのですが、しかし自分も父親のように頼重を慕う時行にとっては、頼継は兄弟のような存在。そんな共通点もあって二人は心を通わせ、時行には新たな味方(?)ができたようです。


 そして次なる新顔は、何と北条家の生き残り、時行の叔父の北条泰時。この泰時、一門が皆自決した時に一人生き延びてきた――というのはさておき、思っていることが全て顔に出てしまう面白叔父さんであります。

 しかしこの状況下で鎌倉を脱出し、東北で残党を糾合して二年間戦ってきた人物が、単なる面白キャラであるはずがありません。
 なるほど戦闘力は大して高いわけではありませんし(しかし弧次郎とどっこい――これはむしろ弧次郎が低いのか)、馬鹿にされたら殺すの鎌倉武士とは思えないほどプライドは低い。

 それでも、色々な意味で生き残りのために全振りしたかのようなスキル構成は、彼もまたこの時代の武士なのだな、と感心させられるのです。(そしてこういう武士のバリエーションを出して作品そのものも)

 さて、何やらデカい計画を考えているらしい泰家の登場で前進したかに見える北条家復興ですが、しかしもちろん敵はこの国を掌中に収めようという相手だけに、このままうまくいくはずもありません。
 泰時の諏訪来訪と時を同じくして風間玄蕃の前に現れた不気味な天狗面の男。彼こそは足利直属の忍集団「天狗衆」――かつて尊氏の挙兵時に京の情報を迅速に伝達し、新田義貞の鎌倉攻めを助けたとも言われる相手の出現に、もはや安全ではなくなった諏訪から、時行は離れざるを得なくなります。

 そこで彼が向かう先は京――折しも泰家が「計画」の打ち合わせに向かうのに合わせ、時行は逃者党とともに京に入ることに――というわけで、この巻のラスト1/3からは京での物語が始まることとなります。


 ――が、京に入ったと思えば(調子に乗った玄蕃が博打で身ぐるみ剥がされたので助けるために)いきなり双六勝負が始まることになります。
 そしてその相手となるのは、人様にざぁこざぁこ言うようなイキった上に奇天烈な服を着た少女・魅摩。しかしやたらと婆娑羅なのも道理、なんと彼女の父は元祖婆娑羅なあの人物なのですから――間接的とはいえ、いきなり京らしい大物登場であります。

 それはさておき魅摩は神力の使い手、しかも双六では時行が力を発揮する場もない――というわけで、ここで出番が回ってきたのは、頼重の娘である雫。しかし同じ神力の使い手とはいえ、格上の相手を前に明らかに分が悪い……
 と思いきや、えっ君たち一体何してるの? と唖然とするような戦法を繰り出す雫。もう公式が薄い本になったような展開ですが、これまで弧次郎や亜也子にスポットが当たってきたように、ここで雫にスポットが当たるのは納得ではあります。


 何はともあれ思わぬ緒戦をくぐり抜けた時行たちですが、最初がこれではこの先何が待っているか予想もつきません。個人的には、これまで名前しか出ていない楠木正成の存在が気になるところですが――さてこの先どうなるか。この先の展開にも期待できそうであります。


『逃げ上手の若君』第6巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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松井優征『逃げ上手の若君』第5巻 三大将参上! 決戦北信濃

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2022.04.11

松井優征『逃げ上手の若君』第5巻 三大将参上! 決戦北信濃

 鎌倉執権家の生き残り・北条時行が逃げまくりながら鎌倉奪還のために奮闘してきた本作、1333年から始まった物語もついにこの巻でついに1335年に入ることになりました。小笠原貞宗との一対一の対決から時行は逃れることができるのか、そしてついに始まった諏訪勢と国司・主語連合の戦の行方は……

 信濃の新国司・清原信濃守の横暴に耐えかねて不利な戦に臨む北信濃の武士たちを、戦場から撤退させるという高難度のミッションを成功させ、武士たちに将器を示した時行。
 しかしその正体は伏せてきたものの、これまで幾度となく煮え湯を飲まされた小笠原貞宗が、時行の正体を暴いてやろうといよいよ動き出します。

 口実を設けて時行を呼び出し、一対一の対話の中で、自慢の目によって時行の嘘を見顕そうという貞宗。もちろん時行も綿密に準備を重ね、追求から「逃げ」るものの、貞宗はついに奥の手(これが笑っちゃうほどズルい)を出してくることになります。
 この絶体絶命の窮地に、亜也子が思わぬ形で救いの女神となることに……

 と、この巻の冒頭で描かれるのは、戦とは異なる形での時行と貞宗の対決の決着編――というより亜也子の活躍編。前巻では同じく時行最初期からの郎党である弧次郎の活躍と成長が描かれましたが、ここでは亜也子が彼女なりのやり方で時行を救うことになります。

 この後描かれるように、彼女も武門の出であり、そしてその怪力は並みの男では足元に及ばないほど。しかし男と同じではなく――いやそれに加えて、彼女には彼女ならではの技と力があると、このエピソードでは描くことになります。
 弧次郎同様ちょっと埋没しがちであった亜也子ですが、ここできっちりと個性を見せてきた印象です。しかし「ポロリ」がなかったのは、ホッとしたような残念なような……


 そして作中で時は流れ1335年に入り、この巻の大部分を費やして描かれるのは、後醍醐帝の綸旨により親北条勢力討伐を開始した国司・守護連合軍と、北信濃の国人衆の全面衝突の模様であります。

 これまで局地戦では時行たちにしばしば敗れていた印象があるものの、しかし国司と守護である貞宗の軍勢はいわば正規軍、大きな勢力を持っています。これに対して国人衆は、諏訪大社という権威を背負い、そして諏訪の元々の住人として意気軒昂の荒武者たち。
 はたして戦の天秤はどちらに傾くのか――と、数と力が物を言う戦場で、時行たち逃者党の出番はないように思えますが、ここで彼らは、「伝令」という役目を与えられることになります。

 なるほど、機動力が必要であり、捕まらないことが絶対条件である伝令は、逃げ上手の時行にうってつけ。しかしそれ以上に、刻一刻と変わる戦況を目の当たりにしつつ、臨機応変に動くというのは、何よりの将としての実地学習ではあるでしょう。
 そしてメタには、伝令の目を通じることで、北信濃の各地で繰り広げられる戦いを、自然に一つの流れとともに描くことができるわけであります。

 そしてこの戦いで主役ばりの大活躍を見せるのが、諏訪頼重直属の諏訪神党三大将です。右軍大将の祢津頼直、左軍大将の望月重信、中軍大将・海野幸康――いずれも信濃の名家の出であり、そして頼重への忠誠心厚い名将・勇将ですが、やはりいずれも個性的すぎるキャラクターであります。
 特に見るからに渋い歴戦の武人である海野など、本作では珍しいストレートに恰好良いキャラと思いきや、とんでもない魔法つk――いや修羅。すごいんだかすごくないんだかわからない強烈さは、やはり本作の登場人物であります。(魔界転生したら凄そう……)


 そして合戦そのものも、信濃勢が押せば国司・守護連合軍も押し返し、奇手と奇策がぶつかり合う一進一退。なんか凄い覆面の人(と解説名人)が出てきたと思ったら、国司の無茶苦茶な秘密兵器が登場し、そしてあの怪物が再び……

 と、かつてない盛り上がりぶりですが、しかし実はこれは前哨戦にすぎません。何しろ運命の1335年はまだ始まったばかり、これからが真の戦いとなるわけであります。
 はたしてここからどのようにして更なる盛り上がりを見せるのか――大いに期待しているところです。


 しかし護良親王が登場しましたが、後醍醐天皇の方は、この先シルエット以上の登場はあるのかしら……


『逃げ上手の若君』第5巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2022.04.05

千葉ともこ「二翼の娘」 現実主義者の目に映った神獣譚

 『震雷の人』で松本清張賞を受賞、デビューした作者が、中国の神獣を題材として描く短編シリーズの第二弾であります。今回描かれることとなるのは水の神獣、その神獣の子を宿したと信じる娘とその兄の辿る運命とは……

 貢挙試を来年に控え、将来の立身出世に燃える青年・陵。彼にとって、美しいがどこか浮世離れした妹の桂子は、その婚姻が自分の人生を左右しかねない(としか考えていない)存在でありました。
 しかしそんな桂子に名家との縁談が決まった矢先、彼女がどこの誰ともわからぬ男の子を身ごもっていることが判明したではありませんか。

 陵たちが母を失った十年前の旱魃の最中に、干からびかけていた不思議な生き物――大きな爪のある四本の足と黒く光る尾、背には二つの翼を持つ生き物を助けたと語ってきた桂子。お腹の子は、眼帯をつけた貴公子となって現れたその二翼の獣の子だと、彼女は語るのでした。
 当然そんな話は信じず、不名誉な噂が立つ前に――と考えた陵は桂子を川に突き落としたものの、不可解な現象によって彼女は助かることになります。

 そしてほどなく現れた、桂子の腹の子の父を名乗る貴公子・段機。かくて段機の妻となった桂子ですが、しかし段機は陵に対して思わぬことを告げるのでした。
 実は桂子の本当の夫は、自分の双子の弟であると語る段機は、陵に対して、ある恐ろしい企てを持ちかけるのですが……


 立身出世を追い求める、あまりにエゴイスティックな青年――そのためであれば妹は道具扱い、そして己より優れた弟は容赦なく除こうとする――である陵の視点から描かれる本作。極めて現実主義者的な感覚を持つその彼の目を通すことで、物語は不思議な像を結ぶことになります。

 何しろ妹が語る物語は、あたかもおとぎ話(あるいは「中華ファンタジー」)のような内容。かつて命を助けた神獣が、美青年となって現れ、彼と契った――などと言われたら、陵でなくとも疑わしく思うのが当然というものでしょう。

 しかし物語が進んでいくにつれて、徐々に彼女の言っていることが真実であると信じざるを得ないような出来事が起き、そしてその貴公子本人が登場。
 しかもその貴公子にもまた秘密が――と、自分が見ているものがどこまで現実のものなのか、やはり陵同様に、こちらも混乱させられるのです。

 しかし悲しいかなというべきか、そこでも極めて現実的主義的思考を捨てない彼は、その状況を自分の有利に利用としようとするのですが――その代償は決して小さなものではないのであります。

 そんな本作は、己の狭い視野に映るものしか信じない者を嗤う、一種寓話的性格を持つ物語であることは間違いありません。しかしそれ以上に断罪されるのは、己の血を分けた家族をも、己の道具と考えて恥じない精神というべきでしょう。

 物語の結末に描かれるのは、そんな人間たち――さらにはそんな人間たちがはびこる社会に対する、痛快な反撃の一撃であります。そしてそれは、いるかいないか定かではない神獣(のみ)ではなく、現実を生きる者。そして道具とされてきた者の力によるものなのであります。


 ミステリアスで一筋縄ではいかない神獣譚であると同時に、エンパワメントの精神溢れる物語である本作。物語そのものの魅力はもちろんのこと、この先何が飛び出してくるのかわからないシリーズ自体にも期待をもたせてくれる快作であります。


「二翼の娘」(千葉ともこ 「オール讀物」2021年6月号掲載) Amazon

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2022.04.02

ししゃも歳三&今川美玖『泣きうた』 歌を切り口に描く幕末群像

 幕末の激動の中に生き、そして死んだ者たちが、辞世をはじめとして、様々な折に詠んだ歌――その歌を切り口に彼/彼女たちの生き様を描く、ユニークなショートコミック集であります。

 2013年・2014年に『幕末 侍たちの三十一文字』『幕末 悲運の戊辰 敗軍編』のサブタイトルで全二巻刊行されたこの『泣きうた』。
 泣きうたとは聞き慣れないワードですが、第二弾の巻頭言を引用すれば「激動の幕末期だからこそ詠まれた泣ける歌を、史実を元にしたオリジナルストーリーで漫画化したもの」とのことです。

 そんな本シリーズは、各十六ページの短編コミックと、題材となった歌とその背景の解説ページで構成されています。

 第一弾『幕末 侍たちの三十一文字』は
「沖田総司」「高杉晋作」「中野竹子」「土方歳三」「伊庭八郎」「久坂玄瑞」「藤堂平助」「土方歳三 恋のうた」の全八篇で構成。顔ぶれ的に圧倒的に幕府側が多いですが、題材となっているのがどうしても辞世の句が多いことを思えば、それもやむなしと言うべきでしょうか。

 ちなみにラストに収録された土方の二話目はタイトルからして「?」となりますが、これが土方の歌としてしばしばネタにされるアレがモチーフ。しかし内容の方は、土方の許嫁として名前が残っているお琴を描くエピソードとなっていて、題材選びの濃さも印象に残ります。

 そして題材という点でいえば、さらに突っ込んだ印象が外れた感があるのが、第二弾の『幕末 悲運の戊辰 敗軍編』。
 「松平容保」「津川喜代美/飯沼貞吉」「山本八重」「西郷細布子」「山川大蔵」「佐川官兵衛」「土方歳三」「佐藤彦五郎」と――戊辰というより(ラスト二人以外は)会津に絞ったチョイスであります。

 恥ずかしながら、津川喜代美や西郷細布子まで来ると、名前だけでは誰のことかわからなかったのですが――津川喜代美は飯盛山で切腹した白虎士中二番隊士の一人、西郷細布子は西郷頼母の長女(敵か味方か尋ねた人、といえばわかるでしょうか)。
 この顔ぶれだけでも、本書の気合の入り方がわかるような気がします。
(その一方で、三回目の登場となった土方の題材が、山南について詠んだと思われる歌なのは、ちょっとカラーから外れている印象なのですが、これはこれで面白いと思います)


 内容的には、上で述べたとおり一人あたりのページ数が少ないこともあり、比較的シンプルなものとならざるを得ないのは確かなのですが――歌という背骨があるために、物足りなさはほとんど感じられませんでした。
 もっとも、その歌という要素も痛し痒しで、おまけページに描かれているように、斎藤一のように、歌がなかったので描けなかった人物がいたのは勿体なく感じられます。といってもこれはもちろん、本書のコンセプトからすれば仕方のないところでしょう。

 そして、様々なエピソードが収録されている中でも、個人的には上に挙げた土方の恋のうたと、意外と知られていない印象のある(真贋もちょっと不明ではある)沖田総司の辞世の句が印象に残ったところですが――もう一つ、忘れがたいのは、掉尾を飾る佐藤彦五郎のエピソードであります。

 日野の名主で土方の姉と結婚し、近藤とは義兄弟の契を交わした佐藤ですが、甲陽鎮撫隊への参加等の例外を除けば、基本的に戦地に赴くことはなく、もちろん戦死もしていません。
 そんな佐藤がここに登場するのは、近藤と土方それぞれへの追悼の歌を詠んでいるからですが――二人への哀惜の念と同時に、激動の時代を傍観せざるを得ず、二人に託してきた夢の終わりを痛感する佐藤の姿が、本シリーズを読んできた自分に重なって感じられるのです。


 冒頭で触れたとおり、十年近く前に刊行されたものではありますが、もしできることなら、同じコンセプトでさらなる物語を読んでみたい――そう感じさせられるシリーズでありました。


『泣きうた 幕末 侍たちの三十一文字』(ししゃも歳三&今川美玖 KADOKAWA) Amazon

『泣きうた 幕末 悲運の戊辰 敗軍編』(ししゃも歳三&今川美玖 KADOKAWA) Amazon

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2022.02.21

梶川卓郎『信長のシェフ』第31巻 滅びゆく武田家 東奔西走するケン

 信長の「唐入り」の決意を知り、主君に後世に残る悪名を着せぬためには――と、ついに覚悟を決めてしまった光秀。その一方で、ケンは信忠からある頼みを受け、そのために文字通り東奔西走することになります。いよいよ運命の天正十年――この巻では、武田家滅亡の前編と言うべき内容が描かれます。

 イエズス会の真の狙いが明国そして日本侵略であると知り、逆に自分の方から南蛮に打って出る――その第一歩として明国侵略、すなわち「唐入り」すると宣言した信長。
 この信長の決意をただ一人知ることとなった光秀は、しかし敬愛する主に、あまりに無謀でありそして後世に悪名を残す企てをさせないため、信長を除くことを決意し……

 と、主君が主君なら家臣も家臣という思い込みの激しさが、歴史を取り返しのつかない方向に導いているとも知らず、歴史を変えるために最後の現代人・望月を探そうとするケン――ですが、そこに割って入ったのは、織田信忠からの頼み。
 自分の許嫁であり、ケンとも面識のある武田の松姫に、「自分のことは忘れて幸せになってほしい」と伝えてほしい――武田家への総攻撃を前に、あまりに切実たる信忠の意気に感じたケンは、新婚家庭を置いて甲州に旅立つことになります。

 が、これが大変な旅の始まり。決戦目前の時期に織田の名を出して正面から会えるはずもなく、そして何よりも松姫がどこにいるかもわからない。つまり身分を伏せて密かに甲州に入り、そして松姫の行方を突き止めて、彼女と密かに会う――しかも織田の攻撃が始まる前に。

 そんな不可能ミッションに挑むことになったケンですが、さらに間の悪いことに、正月を挟んだこの時期、松姫は国内をあちこち移動している状態だったのです。
 かくてケンは野宿同然の状態からアウトドア料理を作ったり、松姫の屋敷で角付け芸人したり(でも不在)、勝頼の兄である僧・竜宝にそれと知らぬ間に料理を作ったり――と、東奔西走する合間に料理を作るという慌ただしい状態に置かれることになります。

 さすがにこの辺り、ケンが振り回されすぎだろうという印象が強いのですが――しかしケンが翻弄されるのと並行して、武田家が、勝頼が置かれた状況が刻一刻とどんどん悪くなっていくのが丹念に描かれていくのは、何ともいえぬ凄みというか、運命の重さというものを感じさせてくれます。

 そしてまた、ケンが自分で料理をする場面が多いのもやはり嬉しいところではあります。特にこの巻の終盤、竜宝とそうと知らぬまま出会い、彼と、途中で拾った親とはぐれた子(なかなか象徴的)のためにケンが食事を作るシーンは、印象に残ります。
 それはその料理が美味そうであることに加えて、ある意味実にグルメ漫画らしい、思いもよらぬ工夫が施されている点にもよりますが――しかしそれ以上に、その工夫が盲人である竜宝の心を満たし、武田家滅亡を前にして猜疑心に囚われていた彼の心を開くことになる、という点によります。

 それはある意味、ここまで並行して描かれてきたケンの彷徨と、武田家の苦境が、初めて直接交錯した場面といえるかもしれませんが――そしてケンの眼に、竜宝の姿が一瞬××に見えるシーンなど、なかなかグッとくるのであります。


 そしてこの出会いが、ほとんど奇跡的にケンをついに会うべき人との対面に導くのですが――さて、ケンは信忠の言葉を如何にして伝えるのか。
 そしてここまで来て、彼が(これまで夏を挟んで色々と因縁のあった)勝頼と本当に対面しないのか――ある意味その答えはこの巻で描かれているようにも思いますが――という点も気になるところです。

 そしてケンがさまよっている間にも着々と信長打倒の策を練り続ける光秀が欲する、「最後の一押し」とは――最後の年のドラマは、まだ始まったばかりであります。


『信長のシェフ』第31巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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2022.01.15

「週刊現代」誌で赤神諒『仁王の本願』の書評を担当しました

 昨日、赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』文庫の解説についてお知らせしましたが、もう一つ、赤神作品関連のお知らせです。同日発売の「週刊現代」2022年1/22号の「日本一の書評」コーナーに『仁王の本願』(KADOKAWA)の書評を執筆しています。

 舞台は16世紀後半の加賀――約百年前の一向一揆によってうまれた〈百姓ノ持チタル国〉(ここでいう「百姓」とは農民ではなく、「万民」の意)。本作は、この地を守るために朝倉・上杉・織田と戦いを続けた本願寺の杉浦玄任を主人公としています。

 杉浦玄任といえば、一部では最近の『信長の野望』で本願寺の妙に強い武将として知られていますが(?)、もちろん実在の人物。本願寺から加賀に派遣され、加賀を守っただけでなく、朝倉が滅んだ後の越前にも一向一揆の国を作ろうとした人物であります。
 本作はその玄任の半生を史実を踏まえつつ描いた作品ですが――一人、玄任の姿のみを追ったものではありません。本作の中核となっているもの、それは「民主主義」。その脆さ・危うさ、そして尊さを描いた物語なのです。

 上に述べたように、誕生してから百年近くが過ぎた加賀。そこでは民が民を治めるという理想は薄れ、一部の人間が権力と富をかき集め、そして周囲の人間たちも、ある者は諦め、ある者は擦り寄り――と、完全に腐敗しきった状況にありました。
(ちなみにフィクションで戦国時代の加賀が描かれる時は、かなりの確率でこの視点であるように感じます)

 しかし本作の玄任は、その民の国を守り抜くことを「本願」として戦い続けます。そこにあるのは権勢欲や領土欲、いや一向宗を広げたいという欲すらなく、ただ民が人間らしく、自分自身の手で自分の生き方を決められる国を守りたいという想いのみなのです。
 もちろんそんな玄任を煙たがる者、嘲笑う者は少なくありません。本作で外敵との合戦と並行して、時にそれ以上の迫力を以て描かれるのは、そんな内なる敵との戦い――特に後半のクライマックスとなるある場面の迫力は、なるほどこの作者ならではと感心――なのであります。

 もちろん当時の加賀の体制と、現代の民主主義を同一視はできないでしょう。しかし、過去の出来事や人物に、現代社会の諸相を照らし合わせることは(それが投影であれ対比であれ)歴史小説の魅力、いや可能性だと僕は考えています。
 その意味で、本作の終盤で玄任が語るある言葉には、大いに心揺さぶられ、そして勇気と希望を与えられた想いです。


 ――というような想いを込めて、書評は書かせていただきました。文庫解説に比べれば分量が限られている分、なかなか難しいところもありましたが、作品から受けた感銘を力に変えて書かせていただきました。

 冒頭で触れたとおり、文庫解説と雑誌での書評という違いこそあれ、同日に同じ作者の作品に関わるお仕事ができたというのは珍しい経験でした(ちなみに「週刊現代」では、以前にやはり赤神作品の『立花三将伝』の書評を担当しました)。
 しかしどちらも大好きな作品だけに、楽しく、ありがたく務めさせていただいた次第です。


『仁王の本願』(赤神諒 KADOKAWA) Amazon

「週刊現代」2022年1/22号(講談社) Amazon

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2022.01.12

松井優征『逃げ上手の若君』第4巻 時行の将器 死にたがりから生きたがりへ!

 諏訪に保護された北条高時の子・時行が、逃げまくりながらも鎌倉奪還のために奮闘するユニークな歴史活劇である本作。その第4巻で描かれるのは、実に面倒くさい中世武士たちの姿であります。恥辱を受けるくらいであれば死を選ぶ武士たちを前に、時行の将器が問われることになるのですが……

 諏訪の北の国境を侵す悪党と激闘を繰り広げ、見事撃退した時行と逃者党。その最中、軍学と二刀の達人・吹雪を仲間に加え、逃者党はさらに力を増すことになります。
 そんな折り、新たな信濃国司・清原信濃守の横暴に耐えかねて蜂起した保科弥三郎ら北信濃の武士たち。時行と逃者党は、弥三郎らを説得し、彼らを逃がす使命を帯びて川中島に向かうことになります。

 しかし恥辱を受けたら相手を殺す! 殺せなかったら戦って(相手をできるだけ巻き添えにして)死ぬ! というのがある意味この時代の武士の典型。身分を明かせるならともかく、伏せたままで時行が説得するのは至難の技であります。
 そしていかに逃者党が助太刀したとしても、わずか数名で戦局をひっくり返せるはずもない。そんな状況で、死にたがりの武士たちを生きたがりに変えることはできるのか……


 というわけで、この巻で描かれるのはある意味本作初の本格的な戦であり、そして時行の将器であります。
 これまでは時行個人の能力を発揮しての勝負や、逃者党を率いてのゲリラ戦が描かれてきたわけですが、本当に鎌倉を奪還するとすれば、大規模な軍を率いての戦を避けるわけにはいきません。

 それも単に命令するだけでなく、真に相手の心を掴んで、心を一つにして戦う必要があるわけですが――唯一の得意技が逃げることという、この時代の武士とは対極にある時行に果たしてそれができるのか?
 そんなドラマが、いかにも本作らしい、時に不謹慎ですらある、ぶっちゃけたノリを交えて展開していくことになります。
(人が良い顔をして異常者おじさんと、騎馬武者くっ殺には爆笑)

 正直なところ、冒頭で絵に描いたような横暴なバカ国司とその配下が出てきた時には、どうかなあ――と(明らかに愚かな相手を踏み台にして自分たちを持ち上げる手法は個人的には感心しないので)心配になりました。
 が、この巻ではそれはそれとして、死にたがりの武士たちを前にして、時行ならではの能力で、そして彼だからこその説得力で、彼らの心を変えていく展開が中心。この辺りはある意味王道ではあるのですが、上に述べたように変則的なギャグ描写が挟まれる本作でそれをやれば、より効果的に感じられます。

 そしてもう一つ印象に残ったのは、今まで今ひとつ個性が感じにくかった逃者党の一人・弧次郎の存在をグッとクローズアップしてみせたことであります。
 逃者党の他のメンバーに比べれば特殊能力もなく、何だか地味に感じられる弧次郎。しかしこの川中島の戦いでは、彼ならではの、彼らしい力を発揮してみせてくれたのには、これも王道ながら感心いたしました。


 そして川中島の戦いの後に、時行のホームシック(?)のエピソードが描かれるのですが――これが幕間のちょっとイイ話かと思いきや、この先の物語へと繋がる展開が描かれることになります。
 いまや最大の敵・足利尊氏の弟である直義が治める地となった鎌倉。尊氏の得体の知れぬカリスマ性とは全く異なる、しかしそれと同じ効果を上げる計算高さを持つ直義の統治を住民たちも歓迎していたのであります。

 そして彼と共に鎌倉に立つ武士たち・関東庇番衆もまた、いかにもな強敵揃い。いずれも実在の人物ですが、本作らしいアレンジをほどこされているのが目を引きます。


 ――が、その前に時行の前に立ちふさがるのは、これまで幾度となく戦ってきた小笠原貞宗。ついに時行こそが北条の関係者と目をつけた彼と、時行は一対一で対峙することになります(ここでいつもの変態目玉おじさんとは異なる、小笠原流の祖らしい顔を見せる貞宗がいい)。

 そしてその時行にただ一人付き従うのは亜也子――どうやら弧次郎の次は彼女の活躍を見ることができそうであります(はたしてこの先「ポロリ」はあるのか……?)


『逃げ上手の若君』第4巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2021.11.27

松井優征『逃げ上手の若君』第3巻 炸裂、ひどく残酷で慈悲深い秘太刀!?

 最後の北条家得宗・高時の子・時行が、鎌倉幕府滅亡後に繰り広げる奮闘を描くユニークな歴史漫画の第3巻であります。諏訪の北の国境を偵察に向かい、意外な強敵と遭遇した時行と配下の逃若党。はたしてこの窮地を如何に乗り越えるか――時行の秘剣(?)が唸ります。

 小笠原貞宗との度重なる対決を何とか乗り越え、逃若党ともども、少しずつ成長していく時行。そんな中、小笠原領との国境を偵察に向かおうとする時行ですが――彼の後見人たる諏訪頼重は、実はこの時「未来見えない期」の真っ最中。
 普段から頼りになるのかならないのかわからない頼重の予知ではありますが、頼重にとっては一大事、不安を抱えたまま、時行を送り出すのですが――はたしてその不安は的中することになります。

 時行たちが訪れた村に残っていたのは幼い子供たちのみ――その子供たちを束ねていた青年・吹雪と出会った時行は、村が小笠原配下の(元)悪党集団・征蟻党の襲撃を受けたことを知ります。
 国境の村を侵し、略奪を恣にしてきた征蟻党。人々を苦しめ、放っておけば諏訪に多大な被害を与えかねない彼らをここで阻むべく、時行たちは吹雪の策に従って迎え撃つのですが……


 かくてこの巻で展開するのは、時行&逃若党と征蟻党の全面対決。時行はともかく逃若党はそれぞれ一芸に秀でた面々、そして新たに登場した吹雪は、軍略に秀でるだけでなく二刀の使い手と、文武に優れた青年ですが――対する征蟻党は掛け値なしの暴力のプロ。というより、簡単に言えば「ヒャッハー」であります。

 ただでさえアレな側面の大きい当時の武士の中でもさらにアレな「悪党」。その中でも特に抜きん出た凶暴さと残酷さを持つ首領・瘴奸に率いられる征蟻党は、見るからに世紀末な感じの連中であります。
 普通であれば(?)ヒーローのより強大な力によって蹴散らされる手合いですが、しかし本作の主人公は、基本的に逃げ上手なだけの非力な子供――逃若党の力も限られる中で、この暴力集団を、そして瘴奸を如何に倒すかが、この巻のハイライトであることは言うまでもありません。

 そしてここで新登場の吹雪が大活躍するのですが――彼の才能は、軍略と二刀だけではありません。それ以上に優れた彼の才は、人の才を見抜きそれを伝え伸ばすこと。
 そんな彼が伝授した秘太刀「鬼心仏刀」を以て、時行は無謀にも瘴奸に単身挑むことになるのですが――いやはや、この鬼心仏刀の正体が、まさに時行に相応しいものであるのには、思わず膝を打ちました。

 それも単に時行向きである――というより彼にしか使えないような技であると同時に、ひどく残酷かつ慈悲深いという、矛盾した側面を併せ持つ技であるのが実に面白い。使えるシチュエーションが限られた、ほとんどイベント技とはいえ、まさに本作ならではのものとして、感心いたしました。


 ただ、もの凄いカリカチュアライズされていたとはいえ実在の人物である小笠原貞宗に比べると――おそらくは将監入道・平野重吉がモデルだとは思われるものの――瘴奸と征蟻党との戦いは一段落ちて感じられなくもありません。
 また、初登場の吹雪が活躍するのは当然としても、完全に初期メンバーの弧次郎と亜也子の上位互換になっているのも気になるところではあります。

 これは以前も書いたかもしれませんが、時行と頼重はともかく、それ以外の時行方の、逃若党の面々が今ひとつ魅力に乏しいというのは、やはり否めません。
 ただでさえ実在だけでも個性的な(キャラとして描かれるであろう)人物が多い舞台だけに、架空のキャラの扱いは、どうしても気になってしまうところではあります。


『逃げ上手の若君』第3巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2021.11.20

辻真先『二十面相 暁に死す』 少年探偵vs少女怪盗? 名作パスティーシュふたたび

 大大大ベテランによる『怪人二十面相』パスティーシュの第2弾であります。明智小五郎も復員してきた昭和21年、再び活動を開始した二十面相に挑む明智探偵と小林少年。しかし二人の偽物が出現して捜査を撹乱、そして小林少年は思わぬ出会いを経験することに……

 終戦直後、明智小五郎がまだ復員していない時期を舞台に、焼け跡となった東京で小林少年と怪人二十面相が巨悪に挑む様を描いた『焼跡の二十面相』。その続編である本作では、小林少年がいよいよ明智探偵とともに、怪事件に挑むことになります。

 少年探偵団のメンバーであり、『怪人二十面相』で家の財宝が二十面相に狙われた羽柴君。その羽柴家に、何と明智探偵と小林少年の偽物が現れ、まんまと財宝を奪っていった――そんな事件から本作は幕を開けます。
 明智探偵の偽物は二十面相だとして、小林少年の偽物の方は? そんな疑問も解けぬまま、二十面相は今度は銀座で衆人環視の下で宝物を強奪、続いて名古屋でも警察を出し抜き――まさに神出鬼没の二十面相に翻弄される小林少年ですが、ある日、前作で対決した四谷財閥が運営する学園で夜ごと奇怪な出来事が起きていることを知ります。

 そしてその調査に出かけた先で、彼はミツルと名乗る少女に出会うのでした。実はミツルこそは二十面相の手下であり、そして偽小林少年の正体――しかし二人は思わぬ成り行きから呉越同舟、東京の地下で命がけの冒険を繰り広げることになります。
 その中で不思議な絆が生まれる二人。しかしそれがさらなる冒険に繋がることに……


 と、物語的には、二十面相の神出鬼没ぶりが描かれる前半(作者のホームグラウンドというべき名古屋が舞台となったり、小林少年の鉄ちゃんぶりも楽しい)、小林少年とミツルの冒険が展開する中盤、そして登場人物たちが一堂に会して繰り広げられる後半と、大きく物語的には三部構成の本作。
 しかし前作が孤軍奮闘だったのに対し、本作は明智探偵が傍らにいるために、小林少年の出番が減ってしまうのでは――と読む前はちょっと気になったのですが(そして前半はそういう部分もないでもないのですが)、そこはもちろんぬかりはありません。

 中盤以降、小林少年は小林少年として、明智探偵とは別の形で大活躍を見せてくれるのが嬉しいのですが――何よりもそれが大きな意味を持つのが、ミツルの交流であります。
 怪人二十面相の配下であるミツルは、小林少年とはまさに対象的な存在であって、いわば少年探偵vs少女怪盗という構図であります。しかし本作において二人の間にある空気は、敵同士のそれではなく、間違いなくボーイ・ミーツ・ガールのそれなのです。

 原典においては(もちろん対象読者層のこともあって)浮いた話は皆無、そもそも物語での女っ気もほとんどなかった小林少年と少年探偵団。
 そこに小林少年のボーイ・ミーツ・ガールという要素を加えてみせるというのは、怪人二十面相と少年探偵団の物語における空白を埋めてみせるという本シリーズのコンセプトに、ある意味よくマッチした趣向と言うべきでしょう。

 もっとも、そのさじ加減を誤れば、ファンにとっては解釈違いで大変なことになってしまいます。しかしその点ももちろん問題はありません。十分に節度の効いた、それでいて実に魅力的なミツルのヒロイン像もあって、二人のドラマは、大いに納得できる、そして切なくも心温まる物語として成立しているのです。(二人の存在を象徴するような、二人が共に見る景色の描写が、また実に美しくて印象的!)


 もちろん、大人たちも負けてはいません。要所要所できっちりと二十面相のトリックを暴いてみせる明智探偵と、思いもよらぬ姿で「活躍」していたことが明かされる二十面相――特に今回描かれる二十面相のある姿は、太平洋戦争中の空白期に彼が何をしていたかの一つの解釈であると同時に、あるキャラクターのオマージュも感じられるのが実に楽しいところです。

 そして詳しくは書けませんが、この二人が共通の敵に対してそれぞれのスタイルで挑むというクライマックスの展開は、これは大乱歩でも描けなかった、本作ならではのものというべきでしょう。
 そして名探偵と怪人それぞれが、自分の庇護下にある(あった)少年少女に向ける眼差しの優しさもまた、本作の後味の良さに繋がっていることは間違いありません。


 「正史」では、戦後に再び怪盗二十面相の跳梁が始まるのはこの三年後、『青銅の魔人』から。そこに至るまでの空白の物語として、前作同様、まことに愛すべき名品です。


『二十面相 暁に死す』(辻真先 光文社) Amazon

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2021.09.19

梶川卓郎『信長のシェフ』第30巻 ようやく繋がった道筋? そしてケン生涯の一大事

 ついに明らかになったヴァリニャーノの狙いを前に、あまりにも意外な決断を下す信長。それを耳にした光秀もある決意を固めます。その一方でケンの身の上にも重大な変化が――といよいよクライマックスが近いことを予感させる『信長のシェフ』第30巻です。

 これまで西国、そして畿内で怪しげな動きを見せていたイエズス会。その中心人物であるヴァリニャーノとついに対面した信長は、彼から、そして彼が連れてきた黒人従者――ヤスケから、得た情報から、ついにイエズス会の裏の目的を知ることとなります。
 それは世界領土分割体制下のポルトガルとスペインの領土争いにおいて、軍事大国たる日本のキリスト教徒をポルトガルの兵として利用し、日本を支配下とすること――しかしポルトガルのスペイン併合が、さらに事態を変えていくことになります。

 追い詰められ、自ら欧州の真の目的が「明国征服」であると明かしたヴァリニャーノ。そして彼は、信長に明への出兵を依頼するのですが――信長は光秀に対し、「わしは明に出兵しようと思う」と意外な言葉を……

 そんな前巻の衝撃の結末を受けて始まるこの巻。明のついでに日本を侵略しようという南蛮に対して、逆に南蛮に侵略するための第一歩として明を狙う――いわゆる「唐入り」を狙うと信長は宣言したのであります。
 しかしいかに日本を守るためとはいえ、これが無謀な企てであり、そして後世に悪名を残すことは間違いありません。それを知ってしまった光秀は何事か決意を固め……

 というわけで、長きに渡り描かれてきたイエズス会との対峙が、ここに至ってついに「あの事件」に繋がっていく道筋が見えてきた本作。しかし(日本人を)誰も悪人にしないためとはいえ、やはり陰謀論めいた展開――最近妙に喧伝されている説とはいえ――には大きく違和感が残ることは否めません。
 そして流石に信長の決断にも無理がありすぎるとしか思えないのですが――という点については、これこそが光秀の「動機」になっているのですから、この点は巧みと言うべきかもしれませんが……

 もっとも、これが「あの事件」の真相と考えるのは早計にすぎるかもしれません。以前意味有りげに描かれたケンの父が現代で見つけたもの――そしてその父についてケンが何かを思い出そうとしていることは、おそらくこの先に影響を与えるのでしょう。
 そしてそのケンも、信長の南蛮侵攻に際し、料理外交のための貢献を求められることに――という展開には流石に驚かされますが、冷静に考えれば、これは今までも散々やってきたことではあります。

 何はともあれ、ようやく安土を、日本を去ることになったヴァリニャーノ。正直なところここまで引っ張りすぎた感は否めないのですが――そのラストに待っていたのは、ケンの生涯にとっての一大イベントであります。作中でもツッコまれているように、まだだったのか!? という感じではありますが、何にしろ実にめでたい展開。信長の珍しいニヤニヤ笑い――はともかく、粋なはからいにこちらも嬉しくなります。
 そしてもちろんこれは単なる慶事にとどまらず、ケンが真にこの時代の人間になる決意を固めたという証明でもあるわけですが……(そこに重ねて、もう一人の異邦人であるヤスケの決意を描くのも巧みであります)


 しかし信長の天下一統に向けてはまだまだ数々の障害が残ります。その最大の一つ――武田との決戦に信長が動く中、信忠からある依頼を受けるケン。
 一方、日本を去る途中に伊予の一条家を訪れたヴァリニャーノは、そこでかつてのケンの同僚、望月と出会い――と、まだヴァリニャーノが出てくるのか! とツッコミつつ、次巻に続きます。


『信長のシェフ』第30巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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