2024.03.03

重野なおき『信長の忍び』第21巻 決着、愛の忍びたちの戦い そして向かう新たな地

 第二次天正伊賀の乱のはずが、まさかのラブラブ忍者バトル編に突入した『信長の忍び』――この巻の前半では、伊賀の中枢に突入した千鳥と助蔵の戦いの結末が描かれます。そして後半では思わぬ(?)新展開、千鳥ははたして何処に向かうのか……

 再びの伊賀攻めを決意した信長に対し、暗殺という挙に出た伊賀忍びの襲撃を、辛うじて退けた千鳥と助蔵。しかし千鳥は、信長から伊賀攻めへの従軍を禁じられることになります。
 しかし伊賀忍びが信長を苦しめることが許せない千鳥は、命に逆らっても、忍術上手十一人を倒すべく伊賀に向かいます。当然それに助蔵も同行し、二人の孤独な戦いが始まることになるのでした。

 と思ったら、戦いの前の助蔵の告白にまさかのOKが出て、何だかちょっと変わった戦いのムード。明るい未来に盛り上がる二人(というか助蔵)ですが、これはもしかして(助蔵にとって)フラグでは……


 という色々な意味で意外な展開となった第二次天正伊賀の乱。まさか本作で本格忍者バトルが始まるとは! と前巻の時点で驚かされましたが、そのテンションは全く衰えることなく、城戸弥左衛門・楯岡道順・藤林長門守そして百地丹波――と、名だたる大忍者たちとの死闘に物語は突入していくことになります。

 しかしこれまでの忍術上手との死闘で二人ともボロボロ。というか助蔵はこれやっぱり死んだんじゃ――という状況ですが、愛の力は強し! 千鳥はこんなにラブラブいう(言ってない)キャラだったか――というのはさておき、二人が背中合わせで強敵たちに挑む姿は、やはり大いに盛り上がります。

 特に百地丹波は、伝説の忍びに相応しい強豪ぶりが素晴らしい最後の敵。本当にここまで全うに忍者バトルを繰り広げられるとは、忍者ものファンとしてはニッコリであります。
 もちろん、そんなシリアス展開の中で、ギャグもきっちり織り交ぜてくるのも素晴らしい。また、ボロボロになった状態からの千鳥の覚醒も、一歩間違えればズルなのですが、このギャグを交えて緩急を見事につけてくることによって、違和感を感じさせないのも巧みです。

 そんなわけで大いに盛り上がった忍者バトルですが、しかしそれが骨肉の争いであります。
 千鳥は基本的に、こちらがどん引きするほど信長の敵には全く容赦しないキャラではありますが、それでも戦いの終わりに見せる姿には、これまでと異なるものがあることは間違いありません。

 もっともそれは、自分自身が信長の命に逆らい、そして忍びというものの恐ろしさを信長に示してしまったことに対する、絶望に依るものが大きいのではありますが……
(しかしこうして見ると、そういう葛藤が全くない助蔵はコワい)


 かくて終わりを告げた第二次天正伊賀の乱。しかし千鳥にとって、その代償は決して小さなものではありません。死闘のダメージが癒えぬ傷として残っただけでなく、信長から引き離され、彼女(と助蔵)は、信長麾下の武将に預けられることになったのですから。
 さて、その武将は――と、これがまたこう来るか! と驚かされる人物。なるほど、ここで信長から視点を転じるとすれば、確かにこの人物が適切というべきでしょう。

 そして始まる、信長最後の年。「その時」に至るまでに何が起きるのか、そしてその中で千鳥が何を見るのか――この巻の後半の展開は、そこで大きな意味を持つものなのでしょう。
 まだクライマックスはもう少し先になるかとは思いますが、今からそれを見たいような、見たくないような――そんな気持ちになる展開であります。


『信長の忍び』第21巻(重野なおき 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon


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2024.02.14

北山猛邦『人魚姫 探偵グリムの手稿』 少年アンデルセンが挑む人魚姫後日譚の謎

 人間の王子を愛し、魔女の力で人間になったものの、想いは叶わず、儚く消えた人魚姫――誰もが知るアンデルセン童話「人魚姫」の後日譚に、少年時代のアンデルセン本人と人魚姫の姉、そしてグリム兄弟の末弟が挑む、奇想天外な物語であります。はたして人魚姫が愛した王子を殺したのは誰なのか?

 父を亡くし憂鬱な日々を送る中、父の形見の人形を落としてしまった少年・ハンス。偶然知り合った画家を名乗る黒衣の青年・ルートヴィッヒと共に、人形を探して海辺に出た彼は、そこに倒れていた美しい少女を見つけます。
 自分の足で歩くのに苦労し、奇矯な言動を取るその少女・セレナをルートヴィッヒの宿に連れて行った二人は、そこで思いもよらぬ話を聞かされることになります。

 半年前に、婚礼の翌日に何者かに殺された王子。その前日に姿を消した口の利けない侍女に嫌疑がかけられたものの、今も真相は不明なままのこの事件を解き明かすために、セレナは海からやってきたというのです。

 そう、姿を消した侍女こそは、人魚姫。かつて海で助けた王子を愛するあまり、魔女と取引して自分の声と引き換えに人間の姿となった彼女は、王子の愛を得られなければ泡となって消えてしまう運命にありました。
 その運命から救うため、彼女の五人の姉たちは魔女から手に入れた短剣を渡し、これで王子を刺すように告げたのですが――しかし愛する人を手にかけることを拒んだ人魚姫は、泡となって消えたのです。

 しかし王子はその直後に何者かに殺され、疑いは人魚姫にかけられてしまいました。この不名誉を放置しておけば、やがて海の中の国の間で大きな争いに繋がりかねない――それを避けるため、五人の姉の一人であるセレナは、魔女に自分の心臓と引き換えに人間にしてもらい、地上にやってきたというのです。
 心臓を失ったセレナが力尽きるまでわずか七日――それを知ったハンスとルードヴィッヒは、彼女を助ける決意を固めます。

 しかし犯行場所は王宮の中、一庶民に過ぎないハンス・アンデルセンが入れるはずもありません。しかしルードヴィッヒ・グリムは、高名な兄という伝手を使い、王宮に入り込んで調査を始めることに……


 歴史上に名を残す有名人が探偵役を務め、謎めいた事件を解決する――そして多くの場合、その時の経験が、彼のその後の業績に大きな影響を与える――という、いわゆる有名人探偵ものというべき作品があります。これまでこうした作品を色々と読んできましたが、しかしその中でもこれだけユニークな作品はちょっとないと断言できます。

 何しろ探偵役はアンデルセン童話のアンデルセンと、グリム童話の(ヤコブとヴィルヘルムの弟のルードヴィッヒ・)グリム、そして題材はアンデルセンの代表作であり、我々もよく知る「人魚姫」なのですから。
 それも「人魚姫」を思わせるとか、擬えたというレベルではなく、「人魚姫」の物語は現実に存在し、人魚姫の姉と共にその後日譚に彼らが巻き込まれるというのですから、その奇想をなんと評すべきでしょうか!?

 しかも事件そのものはガチガチの密室殺人&アリバイ崩しという本格ど真ん中(クライマックスに炸裂する「物理の北山」にはひっくり返りました)。それでいて、魔女が存在する世界観故に魔法による殺人の可能性も慎重に吟味されるのが楽しいのですが――さらにヒロインの命というタイムリミットまで設けられているのには脱帽です。

 アンデルセンたちの物語の合間に、別視点の人魚と魔女の物語が挿入される物語構成も、両者の間に奇妙な齟齬があることからこれは何かあると身構えていたのですが――にもかかわらず、やがて明かされる真実には、そうきたか! と愕然とさせられること請け合いです。
 虚構と現実という二つの世界が交錯する――どころではなく、虚構が歴史と結びつくその瞬間は、まさに歴史ミステリ、いや伝奇ものの醍醐味といってよいでしょう。


 しかし個人的にもっとも心に残ったのは、この様々な意味で複雑怪奇な事件の見届け人となったアンデルセン少年の姿であります。
 愛する父を失い、残った母は虚脱したままに暮らし、学校にも自分の居場所がない――そんな孤独な少年であったアンデルセン。その彼が経験した七日間の冒険は、彼にとっては日常と非日常、庶民と王族、陸と海、現実と虚構――様々な二つの世界が、本来であればあり得ない形で交わるものであったといえるでしょう。

 その交錯から生まれた物語は、確かに悲しみや苦しみが多いものではありました。しかしそこでアンデルセン少年が得たものはそれだけではないことは、結末でルードヴィッヒが描いた一枚の「画」が示してくれます。
 いやそれだけでなく、後にアンデルセンが「人魚姫」という物語で描いたもの――つまり本作で語られたものを、彼がどのような形で「人魚姫」として昇華したのかを思えば、そこに込められた祈りにも似た美しい想いに、胸を熱くせずにはいられないのです。

 有名人探偵ものとして、本格ミステリとして、名作パロディとして、伝奇物語として、そして少年の成長譚として――数多くの顔が高いレベルで結びついた名品であります。


『人魚姫 探偵グリムの手稿』(北山猛邦 徳間文庫) Amazon

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2024.02.04

松井優征『逃げ上手の若君』第14巻 時行、新たな戦いの構図へ

 時行たちの大敗北という結果で「中先代の乱」は終わり、そしてプレ南北朝の動乱というべき争いが始まった本作。新章というべき展開の中で、時行も再び動き出します。伊豆に潜伏していた時行の前に単身現れたのは新たなる変態、いや英傑。彼の導きで時行が向かう戦場とは……

 尊氏の神懸かった力の前に惨敗した末、諏訪頼重父子をはじめとする人々の貴い犠牲の末に、鎌倉から落ち延びることとなった時行と逃者党の面々。最高の忠臣であり、父親というべき存在でもあった頼重を失う痛みに耐えながらも、時行は、仲間たちと伊豆に潜むことになります。
 一方、時行の蜂起をきっかけに後醍醐帝に反旗を翻した尊氏は、時に敗北を喫しながらもまたも神懸かった力で大逆転。逃げるという点では時行以上であったはずの楠木正成も戦場に散り、もはや尊氏を阻む者はないように見えますが……

 という中、温泉に入ったり海の幸に舌鼓を打ったり、新技を開発したりUNKを収集したり仮面の下は実はイケメンだったのがわかったり――と、伊豆で色々やっていた時行たちも、ついにこの戦いの中に加わることになります。

 後醍醐帝に自己アピール文を送った時行の前に、供を一人連れただけで現れた人物。その正体は――北畠顕家!
 貴顕の身でありながら卓越した武を誇る傑物、後醍醐帝の下では義良親王を奉じて奥羽に下り、そして尊氏造反後は鎮守府将軍として一度は尊氏を九州にまで追いやった超人的人物を、本作はどう描いたか?

 ――花を背負ったキメキメの超美形にして、超上から目線で言葉責め大好きの変態でした。


 というわけで、主人公が大敗北からの雌伏を経ての奮起という、超盛り上がる展開を前に、一人で全てをかっさらった感のある顕家。前巻で文字通り顔見せがあった際には、そのあまりに「らしい」ビジュアルに感心しましたが、本作が歴史上の有名人でも(いやだからこそ)大変なアレンジをしてくるのを忘れていました……

 しかし本作の極端なアレンジは、キャラ立てのためというのはもちろんですが、当時の時代背景を描くためのものでもあります。ここでの顕家の超高飛車ウエメセキャラは、当時の公家と武士の関係性の一端を示すものであり――そして基本的に武士vs武士という武士の主導権争いであったこれまでの戦いから、物語の中心が公家・武士vs武士という国の在り方を巡るものに移っていくことを示してもいるのでしょう。
(しかしこの時代も相変わらずバーサーカー扱いの東国武士……)

 そしてその戦いの新たな構図の中に、時行も置かれることになります。時行はこれまで頼重の指揮監督下とはいえ、武士の一方の頂点に立つ者として活躍してきました。
 しかしその彼が公家の配下の一武士として、まさに「さぶらふ」立場として動かされることには、正直なところ違和感を感じるところではあります。

 とはいえ、それでもなお、時行には戦う理由があり、戦う意思があるということなのでしょう。そして何より、彼の前には倒すべき敵が待ち受けます。
 かつて中先代の乱において時行たちの前に立ち塞がり、その多くが命を落とした関東庇番衆の一人・斯波孫二郎改め家長。その後、直義の跡を継ぐ形で奥州総大将兼関東執事となった彼が、同じく今は副執事となった上杉憲顕と共に、鎌倉防衛のために顕家をそして時行を阻むことになります。

 かつての戦いでもその才を活かして時行を苦しめましたが、敗北からさらに成長して今では顕家を翻弄するほどになった家長。緒戦の利根川での戦いでは、生存を伏せていた時行の登場もあって勝利することができたものの、彼の本領発揮はこれからでしょう。

 しかしもちろん顕家の、そしてパワーアップした時行たちの本領発揮もこれからであります。特に今回はまだ顔見せ段階の顕家麾下の将たちの変態――いや活躍ぶりも楽しみなところ、再起した時行の戦いは、いきなりクライマックスに突入したという印象で次巻に続きます。


 それにしても顕家麾下の変態といえば、誰もが驚く結城宗広でしょう。以前登場していた保科配下のモブ顔殺人鬼がまさかの伏線だったというのがまず驚きですが、原作(?)再現しただけなのにインパクトありすぎるこの設定に、もはやこの先、彼から目が離せないのであります。

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2023.12.18

梶川卓郎『信長のシェフ』第36巻 炎の本能寺! ついに武器を手にしたケン

 実に十二年以上描かれてきた物語も、ついに最大のクライマックスを迎えることになりました。ついに兵を挙げた光秀を、ケンは止めることができるのか。この巻の表紙では、ケンが珍しいことに火縄銃を手にしていますが、はたしてこれは……?

 光秀が何を考えて信長を討とうとしたのか理解した末、何とか光秀の思惑を信長に知らせ、そして光秀を止めようとするケン。高松攻略中の秀吉に急を知らせ、歴史よりも早く秀吉を動かすことに成功したものの、それ以外にケンが打った手は尽く光秀に読まれ、封じられることになります。

 それでも居ても立ってもいられず、時間を稼ぐことができればと一人京に向かうケンですが――しかし、光秀によって謀反人の汚名を着せられたケンは、京に近づくことすらできません。その一方でついに出撃した光秀の軍勢も、亀山城から京に出るには、山を越える必要があります。
 そしてその山越えを光秀を止める最後のチャンスとして、命懸けで光秀の軍に潜入するケン。光秀と、彼を射殺してでも止めようとするケンと、二人がついに対峙するのですが……


 というわけで、もはや料理をしているどころではなくなってしまった本作。実際、今回はケンが料理する場面はなく、それどころか表紙で描かれたように彼がついに自ら武器を手にするということは、本作がそこまで行き着いてしまったことの、象徴といえるでしょう。
 しかしそれでケンが光秀を殺して、あるいは光秀がケンを殺して――この物語の決着がついてよいものでしょうか。もちろんそうではありません。そしてこの対峙は、思わぬ存在の乱入によって、水入りとなります。

 正直なところ、これだけ引っ張っておいて、このためだったの!? という気はしないでもないのですが(この後の展開を見るに、さすがにそれだけではないようですが)、しかしここでケンの命を救ったのが、ある意味ケンという人間を象徴するものであったことは、やはり意義深いものと感じられます。


 とはいえ、光秀は阻まれることなく京に入り、本能寺に向かいます。そしてそこで何が起きるのか――それをここで詳しく述べる必要はないでしょう。ある意味、信長を物語の中心に選んだことで迎える必然的な結末の一つを、本作はここで迎えることになります。

 しかしそれが本作の本当の結末なのか――それはまだわかりません。ケンが楓に託した「もの」に何の意味が込められていたのか。そして乱の直後の村井とヤスケの会話の意味は……
 そしてラストには決定的に正史と異なる動きが表面に出たことで、はたして物語はどこに落着するのか、ますますわからなくなってきましたが――本作の本当の結末が間近であることは間違いありません。今はそれを待ちたいと思います。


『信長のシェフ』第36巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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2023.11.09

松井優征『逃げ上手の若君』第13巻 さらば頼重、さらば正成 時行の歴史の始まり

 ついに鎌倉に帰還したものの、足利尊氏の神懸かった力の前に、惨敗を喫することとなった時行。事ここに至れば、自分の命を犠牲にして時行を逃がすしかないと、諏訪頼重は決意を固めます。これに対する時行の決断は――ここに「中先代の乱」は終結しますが、歴史はさらに激しく動くことに……

 故郷である鎌倉を奪還し、逃者党と一時の平和を味わう時行。しかしそんな時行の動きを尊氏が座視するはずもなく、鎌倉に向けて足利の大軍が迫ります。
 もちろん、これに対する備えは抜かりなかったはずですが――普通であれば考えられないような自然現象が尊氏に味方した上に、尊氏のわけのわからないカリスマの前に鎌倉方は総崩れ。逃者党の軍師であった吹雪までもが敵方につき、もうこれ以上はないという惨敗を喫することに……

 という、負けイベントにしてもムチャクチャ過ぎる尊氏のチートぶりですが、しかしそれでも時行は生き延びなければなりません。そのためには誰かが乱の首謀者とならなければならない――という決意で尊氏との激闘の末に捕らえられた諏訪頼重親子ですが、彼の主君であり、そして頼重を父とも仰ぐ時行が、黙ってみているはずがありません。
 こういう時は異常に格好いい叔父の泰家の言葉も振り切って、頼重たちの救出に向かう時行ですが――さて、彼の「逃げる」力が、この場で発揮できるのか。そして頼重を救い出したとして、その先どうなるのか……

 そんな展開の中で描かれるのは、ある意味歴史の、史実の厳然さというべきもの――何人も、歴史の流れの前には、後世に残った史実は決して変えることはできないという、残酷な真実であります。

 しかしその真実を前に、人間がどのように振る舞うかは、その人間次第。そして、史実に残されたものは変えられないということは、それ以外のものは――ということでもあります。
 この時代の歴史の前に敗れ、史実から消え去った時行。しかし彼自身の歴史はまだ終わりません。そして史実に残らない部分で彼が何をできるかもまた、現時点ではわからないのです。

 確かに「中先代の乱」という、彼の名を冠した乱は敗北に終わりました(ここで語られる「中先代」が冠される意味が熱い!)。しかしそれは、時行の歴史の終わりでも、そしてそれを記した『逃げ上手の若君』という物語の終わりでもない――むしろここからが始まりであると、悲しみを乗り越えて物語は強く宣言するのであります。


 さて、実はこの巻はここまででようやく半分程度。それでは後半は――といえば、この後の(時行が表舞台から引っ込んだところで始まる)新たな戦乱の成り行きを描くことになります。
 それはいわゆる南北朝の動乱――中先代の乱平定後も尊氏が鎌倉に残ったことをきっかけに、後醍醐帝が尊氏追討を発令し、武士たちを二分した戦いの末に、吉野に逃れた後醍醐帝と、尊氏が奉じた光明と、南北二つの皇統が並立した時代の始まりであります。

 かつては後醍醐帝の下に轡を並べた足利尊氏・新田義貞・楠木正成が敵味方として相争う――ある意味この時代を象徴するような状況ですが、そこでクローズアップされるのは、この巻の表紙を飾る正成であります。
 かつて時行が京を訪れた際に彼の前に現れ、同じ逃げ上手として兵法の極意を授けた正成。その後、尊氏との戦いの中でもその兵法の冴えを遺憾なく発揮した正成ですが、しかしその必勝の策を帝から退けられた末に、湊川で尊氏に敗れることになります。

 勝ち目のない状況でも後醍醐帝を支え、敗れても、七度生まれ変わって国に報いんと言い残す――特に戦前称揚された正成の姿ですが、それを本作はどう描いたか?
 逃げ上手の彼が何故逃げなかったのか、その理由も切ないのですが、ひっくり返るのは七生――のくだり。いやはや、そんな理由か! と驚かされましたが、本作の正成にはこちらが相応しいと大いに納得です。

 そしてそれと同時に、ここで正成が見抜いた、尊氏の真の姿も印象的であります。カリスマや強運など、神懸かった力を見せる尊氏は何者なのか、そしてどうすれば打ち破ることができるのか――ここで描かれたものは、この先大きな意味を持つことでしょう。


 さて、そんな戦いが繰り広げられる中、伊豆でそれなりに楽しい潜伏生活を送っていた時行と逃者党ですが、しかしこの巻のラストでそれも終わります。二人の帝が立つ状況の中で、巧みに後醍醐帝に自分を売り込んだ時行は、この先何を狙うのか。仲間たちのパワーアップともども、敗北からの再起の様が楽しみであります。


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2023.10.21

乾緑郎『ねなしぐさ 平賀源内の殺人』 その殺人と最期から描く源内伝

 天下の奇人・才人として知られた平賀源内――その彼が人を殺して入牢し、そこで亡くなったというのは、それなりに知られた史実でしょう。本作はその源内の謎めいた最期を中核に、彼の後半生にスポットを当てた作品であります。はたして平賀源内とは何者であったのか?

 安永八年十一月二十一日、旧知の友人である平賀源内が人を殺したと知らされて駆けつけた杉田玄白。そこで彼が見たものは、弟子の死体の前で脇差を手に呆然とする源内の姿でした。
 玄白に何があったかを問われても答えず、自ら自刃しようとすらした(しかし痛がって失敗)源内ですが、その後、前の晩に彼を訪ねていた勘定奉行の用人の死体も近くで発見され、いよいよ立場は悪くなっていきます。

 そのまま殺人の咎で牢屋敷に入れられた源内を何とか救おうとする玄白たちですが、しかしほどなくして源内は牢内で病死したと知らされ、死体すら下げ渡されることなく源内はこの世から消え去るのでした。
 しかし、あまりに不可解な一連の出来事の陰に、玄白は何者かの影を感じ取って……

 というあらすじ(そしてタイトル)を見れば、なるほど源内の死の真相を巡るミステリなのだな、と思わされる本作。しかし本作は、巻頭からそれに留まらない複雑な姿を示すことになります。

 何しろこの源内の殺人に先立って冒頭で描かれるのは、その五年後の佐野善左衛門による田沼意知殺し。次いで描かれるのは、同じく八年後、中止された蝦夷地探検から帰還する最上徳内と彼を見送る老人の姿、そしてその次は源内の死の三年前、田沼意次とその愛妾の前でエレキテルを披露する源内の姿……
 と、時系列をシャッフルして、様々な時と場所を舞台に――時に源内と無関係に見えるものも含めて――本作の物語が紡がれていくのであります。


 そもそも平賀源内は、何を手がけ、何を業績として残した人物であったか? 源内という人物を考える際に頭に浮かぶこの疑問は、極めて基本的であると同時に、本質的である問いかけといえます。

 本業は本草学者でありつつも、同じ作者が後に発表した『戯場國の怪人』(それなりに本作と源内のキャラが重なっているのがお面白い)で描かれたように、『根南志具佐』『風流志道軒伝』といった戯作を著し、医学・蘭学の知識もあり、鉱山開発にも活躍――と、実に様々な分野で活躍した源内。

 しかしその業績、後世に残るような業績はと問われれば、悩んでしまうというのもまた事実であります。様々な分野を手がけ、そのそれぞれで人並み以上の成果を上げつつも、しかしこれ、というものがない――そんな源内の姿には、作中でも触れられるように、「器用貧乏」という言葉すら浮かびます。

 いや、源内といえばエレキテルでは、という方も多いとは思いますが――本作におけるエレキテルにまつわる描写を見れば、そのイメージは一変するでしょう。後世の人々にとっては源内の才知の象徴であるそれが、源内にとっては何の象徴であったのか――それをひどく痛切に本作は描くのですから。


 先に述べたように、時系列をシャッフルして、源内の後半生を――その死の前後を描く本作。作者らしく、源内の殺人の真相とその最期については、一種伝奇的な味付けもありますが、むしろ本作はそれを終点にして起点として描く平賀源内伝――一種の人物伝、歴史小説という色彩が強くあります。

 そこに登場するのは、杉田玄白や工藤平内といった彼の友人や、田沼意次のような権力者、あるいは丸山遊郭の遊女・志乃まで虚実様々な人々であり、こうした人々とのかかわり合いの中で、源内の姿が徐々に浮かび上がっていく――本作はそんな作品であります。

 正直なところ、この人物像自体がそこまで意外ではないこと、また謎解き自体もそれなりに予想がつくものであったりという点はあります。しかしそれでも、本作で描かれる根無し草のような源内の生き様と、それに対してある人物が結末で語る想いは、不思議な魅力と暖かみを残してくれるのです。


『ねなしぐさ 平賀源内の殺人』(乾緑郎 宝島社文庫) Amazon

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2023.09.06

松井優征『逃げ上手の若君』第12巻

 何とアニメ化も決定した『逃げ上手の若君』ですが、単行本最新巻の方では、一つの節目、大きなクライマックスを迎えることになります。足利直義を打ち破り、ついに鎌倉に帰還した時行と仲間たち。しかしそこに足利尊氏の軍が迫ります。もちろん、万全の体勢で迎え撃つ北条勢ですが……

 女影原に続き、小手指ヶ原でも関東庇番衆を打ち破り、鎌倉を押さえていた足利直義と激突した北条時行と仲間たち。一度は直義の仕掛けてきた言葉による戦に押されながらも、それを純粋な想いで押し返した時行は、ついに直義を撃破し、鎌倉に入ることになります。

 父祖代々の地である鎌倉に帰還し、喜びを露わにする時行と、彼と共に一時の平和を楽しむ逃者党と諏訪頼重たち。時行が鎌倉を奪取して北条政権を復興し、めでたしめでたし――となりそうなこの巻の前半までの展開ですが、ここで終わっていたら、後世にこの辺りの戦いが「中先代の乱」と呼ばれることにはならないでしょう。

 この事態に手をこまねいて見ているはずもなく、(征夷大将軍任命こそ後醍醐天皇によって拒否されたものの)佐々木道誉や高師直らと共に出陣した尊氏。当然この事態を北条方も予想していたにも関わらず、瞬く間に尊氏は鎌倉に迫り――と、この巻の前半と後半は急転直下というも生ぬるい、まさに天国と地獄というべき強烈な状況の変化が描かれることになります。


 正直なところこの辺りの歴史は、教科書ではわずか数行で済まされてしまう印象があります。しかしもちろん、その時代に実際に生きていた人々にとっては、そんな程度の分量で済まされるものでも、また結果論で語れるものでもありません。
 それはこの巻でいえば北条家の帰還を喜ぶ人々の姿に表れておりますし、そして何よりも本作そのものが、歴史上の出来事とその中で生きた人々をわずか数行で描くことへのアンチテーゼともいえるでしょう。しかしだからといって、歴史に記された結末を変えることはもちろんできません。

 そしてその歴史に記された内容が、冷静に考えればとんでもないものなのですから、さあ大変。出陣を目前に控えた北条方を襲った大風、そして尊氏と対陣した際の北条方の反応――身も蓋もないことを言ってしまえば、ほとんどインチキ、これが通るならば何でもあり、常人にはもうどうしようもない展開の連続であります。

 負けイベントにしてももう少し理屈が通りそうな展開ですが、しかしこれが史実だから仕方がない――というのは歴史ものとしてはアウトギリギリな気もしますが、しかしこの理不尽さこそが、むしろこの物語の巧みさなのでしょう。
 神ならぬ人の身で、どれだけ巨大な歴史の流れに抗うことができるか――そこには当然、戦うだけでなく、逃げることも含むのですが――それを本作は描いているのですから。
(そしてこの構造が、頼重が語る尊氏を倒さなければならない本当の理由に重なるのも、また納得)


 しかしそれにしても、もう少し救いがあってもよいのではないか――という勢いで盛大に敗北した北条方。いや、単に敗れるならまだしも、えっ、お前一体何やってるの的な展開まであり(しかもほぼ反則な形で逃げ道を封じる鬼っぷり)、希望を徹底的に奪ってきます。

 この絶望の中で、時行をさらに容赦のない展開が待つのですが――さて、前半に新キャラが登場したことも完璧に忘れさせるような勢いで、上げてそこから叩き落とすこの流れの中から、時行と仲間たちは立ち上がることができるのか。ある意味勝負の次巻に続きます。


 しかし今川家は、あれは個人の暴走ではなかったんだな……


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2023.07.23

梶川卓郎『信長のシェフ』第35巻 動くか秀吉 ケンと勘兵衛の和睦交渉

 ついに本能寺に向け動き出した光秀。光秀の真意を悟り、止めるために奔走するケンと、ケンが己の意図を察知したことに気付き、阻もうとする光秀の、静かな攻防戦が始まります。そしてケンは、高松城を攻略中の秀吉に全てを打ち明け、協力を仰ぐのですが――いよいよ歴史が動き始めます。

 本能寺の変を未然に防ぐため、最後の現代人・望月に会いに土佐に渡ったケン。望月との再会には意味は(今のところ)ありませんでしたが、しかしそこでの経験から、初めてケンは光秀が信長弑逆に至る思考を理解することになります。
 そして光秀を阻むべく、ただ一人動き始めるケン。自分が京に戻るまでに、何とか信長に事態を知らせようとするケンですが、しかし相手は屈指の智将・光秀であります。逆にケンが謀反を察知したことを悟った彼は、ケンを阻むべく、様々な布石を打ち……

 と、ケンと光秀の水面下の戦いが始まった本能寺の変前哨戦。しかし既に一大軍団を擁している光秀に対しては、ケンは分が悪いとしか言いようがありません。ここでケンが頼ることとしたのは――秀吉。
 考えてみれば、この後の歴史を鑑みてだけでなく、ケンがこの時代に現れた直後からの付き合いである秀吉はこの事態を――そしてそれを知るケンの正体を明かすのに、最も相応しい人物というべきでしょう。

 もちろん、話したとしてもすんなりとはいかないものの、秀吉もただものではありません。かつて信長が語った天下布武後の計画を思い出し、光秀が十分に謀反を行う可能性があると理解した彼は、ケンの言を容れ、京への帰還を決意します。いわば史実よりも早い中国大返し――ここに歴史は大きく変わることになりますが、しかし問題があります。

 そもそもこの時秀吉は、毛利の備中高松城を攻略中。史実では、高松城を挟んで膠着状態が続き、その打開策という形で毛利と和睦し、大返しを行ったわけですが――史実より早いこのタイミングでは和睦を結ぶのは難しい。それでも待ってはおれぬと秀吉が撤退を開始したため、毛利側が勢いづいてしまったのであります。

 ここで毛利の追撃を阻むよう命じられたのはケンと黒田官兵衛のコンビ――これまで作中で顔見せはしていましたが、ケンとは初対面の官兵衛。はじめはケンを胡散臭いヤツと信用せず――と何だか懐かしいノリであります。
 それでも何とか毛利方との、停戦交渉に持ち込むケンですが、しかし相手は毛利の心とも称される難物・小早川隆景。これに対してケンが繰り出したのは――お弁当!?

 と、最近は状況に流されていた感もあったものの、ついに自分の意志で歴史を動かし始めたケン。そしてこの備中高松城での和睦交渉も、初期のノリを思わせる、思いも寄らぬ料理とそれを食べる人間の情(そして歴史秘話と言いたくなるような意外な展開)が絡み合って実に楽しく、この巻のクライマックスといってよいでしょう。
(撤退開始前に、密かに用意していたFSRを秀吉に差し出すのも、その用途も相まってシビレます)


 しかし、如何に一つの局面を打開したとしても、変えなければいけないのは歴史の巨大な流れ。いやそれ以前に、直接の相手はあの光秀であります。秀吉を動かしただけでなく、様々な形で信長に急を知らせ、光秀を阻もうとするケンですが、もちろん光秀が黙っているはずもありません。
 ここに繰り広げられるのは、ケンと光秀の頭脳戦とでもいうべき展開。備中で再会した楓を進物の使者に仕立てて京に送るケンですが、光秀は家康警護を口実に京の守りを固め――と、丁々発止の駆け引きがたまりません。

 そしてここで久々に登場した楓ですが――織田家の忍びである彼女も、ケンとは長いつきあいであります。そしてケンには複雑な感情を抱いてきた楓ですが――ここにきて彼女のケンに対する想いが、改めてクローズアップされることになります。
 この辺り、物語も終わりに近づいているのだな、と感慨深くなりますが、そんなこちらの感慨を(そして楓の想いを)ブチ壊すように「やはり贈り物といえば○○だと思うんです」とか言い出すケンは、最後の最後まで変わらないような気が……

 それはさておき、この先も続くケンと光秀の頭脳戦の中で、楓の役割はまだある様子。いよいよ本能寺目前、次巻も波乱の予感です。


『信長のシェフ』第35巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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2023.07.17

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻 人情・猫情・妖情そして旅情の原点回帰

 あのコンビがついに帰ってきました。約三年ぶりの登場となった『猫絵十兵衛 御伽草紙』最新巻であります。江戸を離れ、北への旅に出た二人が、新潟で、佐渡で、様々な人情・猫情・妖情に出会います。そして明かされる、ニタの意外過ぎる過去(?)とは……

 この世ならざるものを見る力を持つ猫絵師の十兵衛と、強大な力を持つ元猫仙人のニタ――と書くとなにやら物騒ですが、至ってマイペースな二人。これまで江戸を中心に描かれてきたこの二人の物語は、前巻の終盤から大きく趣を変えることになります。
 江戸からふらりと旅に出て、越後までやってきた十兵衛とニタ。そう、この巻では、越後、佐渡を中心に、二人が旅の最中に出会う様々な出来事が描かれることになります。

 前巻のラストでは、越後の新潟湊で遊郭から足抜けしてきた娘・おけいと出会った二人が、彼女を助けて遊郭の主・二ツ岩の団三郎狸(この第23巻の表紙を艶姿で飾っております)と対峙。すったもんだの末、おけいと団三郎と共に、佐渡に渡ることに――という物語「湊猫」が描かれました。
 そしてこの巻の冒頭に収録された「小木湊猫」は、その後編というべき内容――育ての親である老爺が病となり、彼に薬を届けるために足抜けしたおけいが語る、とある昔話が物語の中心となります。

 このエピソードでは、「湊猫」を読んだだけではわからなかった意外な真実(それも二段構えの)にまず驚かされますが、それ以上に印象に残るのは、やはり切々と描かれる「情」の存在でしょう。
 本作は作中の随所で「歌」が印象的に使われていますが、このエピソードでも、おけさ節の元になったというおけいの唄に乗せて切々と描かれる、種族を超えた「情」の姿が、感動を呼びます。
(ただ、ラストの捻りは、これまでの描写的に、ん? という気がしないでもありませんが……)


 さて、その後も二人の旅は続きます。

 団三郎狸が語る、佐渡の国産み神話にまつわる、ある猫の物語「佐渡の猫石」
 毎年雪の降る時期に、老夫婦のもとにやってくる不思議な子供と二人の交流「雪猫」
 ニタが見せたいというとっときを求めて山中にやってきた十兵衛の受難「さかべっとう猫」
 子供時代の十兵衛が、友達のために初めて「猫絵」を描く「猫の絵」
 猫絵で知られる上野国石時見家の若き殿様が、善光寺参りに向かう途中の旅で二人と出会う「猫絵の殿様」「猫絵の殿様 弐」
 琵琶法師に身をやつした老猫が語る奇岩の由来の物語「半過の岩鼻猫」

 どのエピソードもこれまで同様、時に切なく、時に温かい「人情」「猫情」「妖情」を存分に描くのですが――そこに「旅情」が加わるのですからたまりません。
 誰もが憶えがあるであろう、旅に出た時の不思議な解放感と軽い興奮、そしてそこはかとない寂しさ――そんな味わいが、本書のエピソードには漂っています。

 もっともその中で思いもよらぬ変化球が飛んでくるのも、また本作らしいところでしょう。たとえば「佐渡の猫石」は、伊邪那岐命と伊邪那美命まで遡る壮大な物語ですが、そこに顔を出すのはなんと……
 いやお前、そんな頃から――と、いきなり広がったスケール感に絶句するとともに、何ともすっとぼけた「真理」が描かれるオチが痛快ですらある一編です。


 ちなみにこの巻のあとがきによれば、前巻ラストからの「越後篇」「佐渡島篇」は、かなり以前から――それこそ本作の成立前、というか本作の成立に関わる形で構想されていたものであるとのこと。その意味では、この巻の内容は本作の原点回帰と言えるのかもしれません。

 冒頭に触れたように本書はほぼ三年ぶりの新刊ですが、その間、「ねこぱんち」誌での連載もストップした状況と、愛読者としては非常に心配になる期間でした。
 しかしこの巻では、前巻にほとんどなかったあとがきもきっちりと(4ページも)あり、そして本書の刊行と時を同じくして「ねこぱんち」誌の連載も再開――と、嬉しい限りです。

 どうか原点回帰したその先も、ずっと十兵衛とニタの物語を描いてほしい――本書を読んで、心からそう感じた次第です。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻(永尾まる 少年画報社にゃんCOMI) Amazon

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 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第21巻 バラエティに富んだ妖尽くしの楽しい一冊
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第22巻 変わらぬ江戸の空気、新しい旅の空気

 『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画

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2023.06.12

松井優征『逃げ上手の若君』第11巻 鎌倉目前 大将同士が語るもの

 いよいよ『逃げ上手の若君』も大きなクライマックスを迎えることになりました。関東庇番衆を次々と打ち破り、ついに鎌倉を目前とした時行。しかし北条軍の前には、大将である足利直義自らが姿を現すことになります。時行と直義の対峙の行方は、そして鎌倉奪還は成るのか……!?

 鎌倉奪還に向け、進撃を続ける時行と北条軍。関東庇番衆の精鋭のうち、渋川・岩松・石塔を激闘の末に女影原で打ち破った時行たちは、次いで小手指ヶ原で足利の大軍と大会戦を繰り広げることになります。
 そしてその中で一際派手に暴れまわるのは、曲者揃いの庇番衆の中でも一際異彩を放つ今川範満。馬の顔を被り、馬を喰らい、馬に乗る、うまだいすき過ぎるド変態であります。そして人馬一体となって戦場を駆け巡る今川を阻むため、時行は競馬勝負を仕掛けて……

 というわけで前巻終盤には、吹雪の策が見事に当たり、時行ならではの逃げ馬戦法で今川打倒まであと一歩――となったところまで描かれましたが、ここで今川の奧の手が描かれることになります。いや、描かれるのは奧の手だけではありません。昔は普通の武将だった今川が、「こんな」になってしまったのは何故か――その秘められた過去の物語もまた、ここで描かれるのです。

 内容としてはイイ話、わかる話なのですが、それで今がこれか!? というのはさておき、そこから炸裂する奥の手とは、そしてそれを如何に時行が乗り越えるのか――この小手指ヶ原の戦のクライマックスに相応しい結末であったかと思います。


 しかし思ったよりは早く小手指ヶ原の戦も決着し、ついに鎌倉まで間近に迫った時行たち。それを迎え撃つは大将・足利直義――いよいよ決戦であります。

 が、直義といえば武家としてよりもむしろ政治家としての印象が強い人物、少なくともこの時点では武功の方もほとんど記憶にありません。しかしこの漫画であれだけの庇番衆を率いていたのですから、きっと直義も――という期待が、意外な形でひっくり返されるのが、本作らしいところであります。
 しかし強さ=戦闘力ではないのも、また本作。なんと単騎で北条の本陣に向かってきた直義は、時行に対して言葉で戦を仕掛けて――すなわち、この戦の大義を問うてきたのですから。


 いかに昔の戦が互いに名乗りを挙げてから始められたものとはいえ、さすがに議論・討論をしたということはないでしょう。それをここでやってみせたのは、もちろん直義のキャラ立てということもありますが、時行以外の眼から見た時に、この戦がどう映るか、如何なる意味を持つかを問い直す意味があるのではないでしょうか。

 そして武士として、大人としての正論を掲げる直義にとってすれば、勝敗は明らかに見えます。しかしそこからの時行の反論は、本作の時行の、そして彼に従う者たちの行動原理を描くものとして――そしてそれは、この『逃げ上手の若君』という物語そのものを貫く原理でもあります――また見事というべきでしょう。

 そしてここで示された行動原理は、戦の成り行きそのものを変えていくことになります。何だかんだで老獪な直義の策により劣勢に立たされる中、逆転の使命を帯びて動きだす「北条軍の秘密兵器」(またこの人物がこうした位置づけに描かれるのも本作の巧みさでしょう)。
 彼の行動とその結果は、まさにこの行動原理の延長線上にあるものなのですから。


 そしてついに悲願を成し遂げ、鎌倉に足を踏み入れた時行。そこで時行が見たものは……
 いきなり個人的な話で恐縮ですが、私は鎌倉という土地が好きで、ちょこちょこと足を運んでいました。ここでその見慣れた景色が思わぬ形で再現され、時行の視点と、そして時行の想いと重なったのには、意外なほどの感動がありました。

 などと個人的な感傷は置いておいて、ついに連載開始以来の目的を達成した時行。しかしもちろん、それで全てが終わったわけではありません。ここから逆襲に転じるであろう足利軍を如何に迎え撃つか――ある意味、ここからの戦いが本番であります。


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