2023.11.09

松井優征『逃げ上手の若君』第13巻 さらば頼重、さらば正成 時行の歴史の始まり

 ついに鎌倉に帰還したものの、足利尊氏の神懸かった力の前に、惨敗を喫することとなった時行。事ここに至れば、自分の命を犠牲にして時行を逃がすしかないと、諏訪頼重は決意を固めます。これに対する時行の決断は――ここに「中先代の乱」は終結しますが、歴史はさらに激しく動くことに……

 故郷である鎌倉を奪還し、逃者党と一時の平和を味わう時行。しかしそんな時行の動きを尊氏が座視するはずもなく、鎌倉に向けて足利の大軍が迫ります。
 もちろん、これに対する備えは抜かりなかったはずですが――普通であれば考えられないような自然現象が尊氏に味方した上に、尊氏のわけのわからないカリスマの前に鎌倉方は総崩れ。逃者党の軍師であった吹雪までもが敵方につき、もうこれ以上はないという惨敗を喫することに……

 という、負けイベントにしてもムチャクチャ過ぎる尊氏のチートぶりですが、しかしそれでも時行は生き延びなければなりません。そのためには誰かが乱の首謀者とならなければならない――という決意で尊氏との激闘の末に捕らえられた諏訪頼重親子ですが、彼の主君であり、そして頼重を父とも仰ぐ時行が、黙ってみているはずがありません。
 こういう時は異常に格好いい叔父の泰家の言葉も振り切って、頼重たちの救出に向かう時行ですが――さて、彼の「逃げる」力が、この場で発揮できるのか。そして頼重を救い出したとして、その先どうなるのか……

 そんな展開の中で描かれるのは、ある意味歴史の、史実の厳然さというべきもの――何人も、歴史の流れの前には、後世に残った史実は決して変えることはできないという、残酷な真実であります。

 しかしその真実を前に、人間がどのように振る舞うかは、その人間次第。そして、史実に残されたものは変えられないということは、それ以外のものは――ということでもあります。
 この時代の歴史の前に敗れ、史実から消え去った時行。しかし彼自身の歴史はまだ終わりません。そして史実に残らない部分で彼が何をできるかもまた、現時点ではわからないのです。

 確かに「中先代の乱」という、彼の名を冠した乱は敗北に終わりました(ここで語られる「中先代」が冠される意味が熱い!)。しかしそれは、時行の歴史の終わりでも、そしてそれを記した『逃げ上手の若君』という物語の終わりでもない――むしろここからが始まりであると、悲しみを乗り越えて物語は強く宣言するのであります。


 さて、実はこの巻はここまででようやく半分程度。それでは後半は――といえば、この後の(時行が表舞台から引っ込んだところで始まる)新たな戦乱の成り行きを描くことになります。
 それはいわゆる南北朝の動乱――中先代の乱平定後も尊氏が鎌倉に残ったことをきっかけに、後醍醐帝が尊氏追討を発令し、武士たちを二分した戦いの末に、吉野に逃れた後醍醐帝と、尊氏が奉じた光明と、南北二つの皇統が並立した時代の始まりであります。

 かつては後醍醐帝の下に轡を並べた足利尊氏・新田義貞・楠木正成が敵味方として相争う――ある意味この時代を象徴するような状況ですが、そこでクローズアップされるのは、この巻の表紙を飾る正成であります。
 かつて時行が京を訪れた際に彼の前に現れ、同じ逃げ上手として兵法の極意を授けた正成。その後、尊氏との戦いの中でもその兵法の冴えを遺憾なく発揮した正成ですが、しかしその必勝の策を帝から退けられた末に、湊川で尊氏に敗れることになります。

 勝ち目のない状況でも後醍醐帝を支え、敗れても、七度生まれ変わって国に報いんと言い残す――特に戦前称揚された正成の姿ですが、それを本作はどう描いたか?
 逃げ上手の彼が何故逃げなかったのか、その理由も切ないのですが、ひっくり返るのは七生――のくだり。いやはや、そんな理由か! と驚かされましたが、本作の正成にはこちらが相応しいと大いに納得です。

 そしてそれと同時に、ここで正成が見抜いた、尊氏の真の姿も印象的であります。カリスマや強運など、神懸かった力を見せる尊氏は何者なのか、そしてどうすれば打ち破ることができるのか――ここで描かれたものは、この先大きな意味を持つことでしょう。


 さて、そんな戦いが繰り広げられる中、伊豆でそれなりに楽しい潜伏生活を送っていた時行と逃者党ですが、しかしこの巻のラストでそれも終わります。二人の帝が立つ状況の中で、巧みに後醍醐帝に自分を売り込んだ時行は、この先何を狙うのか。仲間たちのパワーアップともども、敗北からの再起の様が楽しみであります。


『逃げ上手の若君』第13巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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松井優征『逃げ上手の若君』第12巻

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2023.10.21

乾緑郎『ねなしぐさ 平賀源内の殺人』 その殺人と最期から描く源内伝

 天下の奇人・才人として知られた平賀源内――その彼が人を殺して入牢し、そこで亡くなったというのは、それなりに知られた史実でしょう。本作はその源内の謎めいた最期を中核に、彼の後半生にスポットを当てた作品であります。はたして平賀源内とは何者であったのか?

 安永八年十一月二十一日、旧知の友人である平賀源内が人を殺したと知らされて駆けつけた杉田玄白。そこで彼が見たものは、弟子の死体の前で脇差を手に呆然とする源内の姿でした。
 玄白に何があったかを問われても答えず、自ら自刃しようとすらした(しかし痛がって失敗)源内ですが、その後、前の晩に彼を訪ねていた勘定奉行の用人の死体も近くで発見され、いよいよ立場は悪くなっていきます。

 そのまま殺人の咎で牢屋敷に入れられた源内を何とか救おうとする玄白たちですが、しかしほどなくして源内は牢内で病死したと知らされ、死体すら下げ渡されることなく源内はこの世から消え去るのでした。
 しかし、あまりに不可解な一連の出来事の陰に、玄白は何者かの影を感じ取って……

 というあらすじ(そしてタイトル)を見れば、なるほど源内の死の真相を巡るミステリなのだな、と思わされる本作。しかし本作は、巻頭からそれに留まらない複雑な姿を示すことになります。

 何しろこの源内の殺人に先立って冒頭で描かれるのは、その五年後の佐野善左衛門による田沼意知殺し。次いで描かれるのは、同じく八年後、中止された蝦夷地探検から帰還する最上徳内と彼を見送る老人の姿、そしてその次は源内の死の三年前、田沼意次とその愛妾の前でエレキテルを披露する源内の姿……
 と、時系列をシャッフルして、様々な時と場所を舞台に――時に源内と無関係に見えるものも含めて――本作の物語が紡がれていくのであります。


 そもそも平賀源内は、何を手がけ、何を業績として残した人物であったか? 源内という人物を考える際に頭に浮かぶこの疑問は、極めて基本的であると同時に、本質的である問いかけといえます。

 本業は本草学者でありつつも、同じ作者が後に発表した『戯場國の怪人』(それなりに本作と源内のキャラが重なっているのがお面白い)で描かれたように、『根南志具佐』『風流志道軒伝』といった戯作を著し、医学・蘭学の知識もあり、鉱山開発にも活躍――と、実に様々な分野で活躍した源内。

 しかしその業績、後世に残るような業績はと問われれば、悩んでしまうというのもまた事実であります。様々な分野を手がけ、そのそれぞれで人並み以上の成果を上げつつも、しかしこれ、というものがない――そんな源内の姿には、作中でも触れられるように、「器用貧乏」という言葉すら浮かびます。

 いや、源内といえばエレキテルでは、という方も多いとは思いますが――本作におけるエレキテルにまつわる描写を見れば、そのイメージは一変するでしょう。後世の人々にとっては源内の才知の象徴であるそれが、源内にとっては何の象徴であったのか――それをひどく痛切に本作は描くのですから。


 先に述べたように、時系列をシャッフルして、源内の後半生を――その死の前後を描く本作。作者らしく、源内の殺人の真相とその最期については、一種伝奇的な味付けもありますが、むしろ本作はそれを終点にして起点として描く平賀源内伝――一種の人物伝、歴史小説という色彩が強くあります。

 そこに登場するのは、杉田玄白や工藤平内といった彼の友人や、田沼意次のような権力者、あるいは丸山遊郭の遊女・志乃まで虚実様々な人々であり、こうした人々とのかかわり合いの中で、源内の姿が徐々に浮かび上がっていく――本作はそんな作品であります。

 正直なところ、この人物像自体がそこまで意外ではないこと、また謎解き自体もそれなりに予想がつくものであったりという点はあります。しかしそれでも、本作で描かれる根無し草のような源内の生き様と、それに対してある人物が結末で語る想いは、不思議な魅力と暖かみを残してくれるのです。


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2023.09.06

松井優征『逃げ上手の若君』第12巻

 何とアニメ化も決定した『逃げ上手の若君』ですが、単行本最新巻の方では、一つの節目、大きなクライマックスを迎えることになります。足利直義を打ち破り、ついに鎌倉に帰還した時行と仲間たち。しかしそこに足利尊氏の軍が迫ります。もちろん、万全の体勢で迎え撃つ北条勢ですが……

 女影原に続き、小手指ヶ原でも関東庇番衆を打ち破り、鎌倉を押さえていた足利直義と激突した北条時行と仲間たち。一度は直義の仕掛けてきた言葉による戦に押されながらも、それを純粋な想いで押し返した時行は、ついに直義を撃破し、鎌倉に入ることになります。

 父祖代々の地である鎌倉に帰還し、喜びを露わにする時行と、彼と共に一時の平和を楽しむ逃者党と諏訪頼重たち。時行が鎌倉を奪取して北条政権を復興し、めでたしめでたし――となりそうなこの巻の前半までの展開ですが、ここで終わっていたら、後世にこの辺りの戦いが「中先代の乱」と呼ばれることにはならないでしょう。

 この事態に手をこまねいて見ているはずもなく、(征夷大将軍任命こそ後醍醐天皇によって拒否されたものの)佐々木道誉や高師直らと共に出陣した尊氏。当然この事態を北条方も予想していたにも関わらず、瞬く間に尊氏は鎌倉に迫り――と、この巻の前半と後半は急転直下というも生ぬるい、まさに天国と地獄というべき強烈な状況の変化が描かれることになります。


 正直なところこの辺りの歴史は、教科書ではわずか数行で済まされてしまう印象があります。しかしもちろん、その時代に実際に生きていた人々にとっては、そんな程度の分量で済まされるものでも、また結果論で語れるものでもありません。
 それはこの巻でいえば北条家の帰還を喜ぶ人々の姿に表れておりますし、そして何よりも本作そのものが、歴史上の出来事とその中で生きた人々をわずか数行で描くことへのアンチテーゼともいえるでしょう。しかしだからといって、歴史に記された結末を変えることはもちろんできません。

 そしてその歴史に記された内容が、冷静に考えればとんでもないものなのですから、さあ大変。出陣を目前に控えた北条方を襲った大風、そして尊氏と対陣した際の北条方の反応――身も蓋もないことを言ってしまえば、ほとんどインチキ、これが通るならば何でもあり、常人にはもうどうしようもない展開の連続であります。

 負けイベントにしてももう少し理屈が通りそうな展開ですが、しかしこれが史実だから仕方がない――というのは歴史ものとしてはアウトギリギリな気もしますが、しかしこの理不尽さこそが、むしろこの物語の巧みさなのでしょう。
 神ならぬ人の身で、どれだけ巨大な歴史の流れに抗うことができるか――そこには当然、戦うだけでなく、逃げることも含むのですが――それを本作は描いているのですから。
(そしてこの構造が、頼重が語る尊氏を倒さなければならない本当の理由に重なるのも、また納得)


 しかしそれにしても、もう少し救いがあってもよいのではないか――という勢いで盛大に敗北した北条方。いや、単に敗れるならまだしも、えっ、お前一体何やってるの的な展開まであり(しかもほぼ反則な形で逃げ道を封じる鬼っぷり)、希望を徹底的に奪ってきます。

 この絶望の中で、時行をさらに容赦のない展開が待つのですが――さて、前半に新キャラが登場したことも完璧に忘れさせるような勢いで、上げてそこから叩き落とすこの流れの中から、時行と仲間たちは立ち上がることができるのか。ある意味勝負の次巻に続きます。


 しかし今川家は、あれは個人の暴走ではなかったんだな……


『逃げ上手の若君』第12巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.07.23

梶川卓郎『信長のシェフ』第35巻

 ついに本能寺に向け動き出した光秀。光秀の真意を悟り、止めるために奔走するケンと、ケンが己の意図を察知したことに気付き、阻もうとする光秀の、静かな攻防戦が始まります。そしてケンは、高松城を攻略中の秀吉に全てを打ち明け、協力を仰ぐのですが――いよいよ歴史が動き始めます。

 本能寺の変を未然に防ぐため、最後の現代人・望月に会いに土佐に渡ったケン。望月との再会には意味は(今のところ)ありませんでしたが、しかしそこでの経験から、初めてケンは光秀が信長弑逆に至る思考を理解することになります。
 そして光秀を阻むべく、ただ一人動き始めるケン。自分が京に戻るまでに、何とか信長に事態を知らせようとするケンですが、しかし相手は屈指の智将・光秀であります。逆にケンが謀反を察知したことを悟った彼は、ケンを阻むべく、様々な布石を打ち……

 と、ケンと光秀の水面下の戦いが始まった本能寺の変前哨戦。しかし既に一大軍団を擁している光秀に対しては、ケンは分が悪いとしか言いようがありません。ここでケンが頼ることとしたのは――秀吉。
 考えてみれば、この後の歴史を鑑みてだけでなく、ケンがこの時代に現れた直後からの付き合いである秀吉はこの事態を――そしてそれを知るケンの正体を明かすのに、最も相応しい人物というべきでしょう。

 もちろん、話したとしてもすんなりとはいかないものの、秀吉もただものではありません。かつて信長が語った天下布武後の計画を思い出し、光秀が十分に謀反を行う可能性があると理解した彼は、ケンの言を容れ、京への帰還を決意します。いわば史実よりも早い中国大返し――ここに歴史は大きく変わることになりますが、しかし問題があります。

 そもそもこの時秀吉は、毛利の備中高松城を攻略中。史実では、高松城を挟んで膠着状態が続き、その打開策という形で毛利と和睦し、大返しを行ったわけですが――史実より早いこのタイミングでは和睦を結ぶのは難しい。それでも待ってはおれぬと秀吉が撤退を開始したため、毛利側が勢いづいてしまったのであります。

 ここで毛利の追撃を阻むよう命じられたのはケンと黒田官兵衛のコンビ――これまで作中で顔見せはしていましたが、ケンとは初対面の官兵衛。はじめはケンを胡散臭いヤツと信用せず――と何だか懐かしいノリであります。
 それでも何とか毛利方との、停戦交渉に持ち込むケンですが、しかし相手は毛利の心とも称される難物・小早川隆景。これに対してケンが繰り出したのは――お弁当!?

 と、最近は状況に流されていた感もあったものの、ついに自分の意志で歴史を動かし始めたケン。そしてこの備中高松城での和睦交渉も、初期のノリを思わせる、思いも寄らぬ料理とそれを食べる人間の情(そして歴史秘話と言いたくなるような意外な展開)が絡み合って実に楽しく、この巻のクライマックスといってよいでしょう。
(撤退開始前に、密かに用意していたFSRを秀吉に差し出すのも、その用途も相まってシビレます)


 しかし、如何に一つの局面を打開したとしても、変えなければいけないのは歴史の巨大な流れ。いやそれ以前に、直接の相手はあの光秀であります。秀吉を動かしただけでなく、様々な形で信長に急を知らせ、光秀を阻もうとするケンですが、もちろん光秀が黙っているはずもありません。
 ここに繰り広げられるのは、ケンと光秀の頭脳戦とでもいうべき展開。備中で再会した楓を進物の使者に仕立てて京に送るケンですが、光秀は家康警護を口実に京の守りを固め――と、丁々発止の駆け引きがたまりません。

 そしてここで久々に登場した楓ですが――織田家の忍びである彼女も、ケンとは長いつきあいであります。そしてケンには複雑な感情を抱いてきた楓ですが――ここにきて彼女のケンに対する想いが、改めてクローズアップされることになります。
 この辺り、物語も終わりに近づいているのだな、と感慨深くなりますが、そんなこちらの感慨を(そして楓の想いを)ブチ壊すように「やはり贈り物といえば○○だと思うんです」とか言い出すケンは、最後の最後まで変わらないような気が……

 それはさておき、この先も続くケンと光秀の頭脳戦の中で、楓の役割はまだある様子。いよいよ本能寺目前、次巻も波乱の予感です。


『信長のシェフ』第35巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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2023.07.17

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻 人情・猫情・妖情そして旅情の原点回帰

 あのコンビがついに帰ってきました。約三年ぶりの登場となった『猫絵十兵衛 御伽草紙』最新巻であります。江戸を離れ、北への旅に出た二人が、新潟で、佐渡で、様々な人情・猫情・妖情に出会います。そして明かされる、ニタの意外過ぎる過去(?)とは……

 この世ならざるものを見る力を持つ猫絵師の十兵衛と、強大な力を持つ元猫仙人のニタ――と書くとなにやら物騒ですが、至ってマイペースな二人。これまで江戸を中心に描かれてきたこの二人の物語は、前巻の終盤から大きく趣を変えることになります。
 江戸からふらりと旅に出て、越後までやってきた十兵衛とニタ。そう、この巻では、越後、佐渡を中心に、二人が旅の最中に出会う様々な出来事が描かれることになります。

 前巻のラストでは、越後の新潟湊で遊郭から足抜けしてきた娘・おけいと出会った二人が、彼女を助けて遊郭の主・二ツ岩の団三郎狸(この第23巻の表紙を艶姿で飾っております)と対峙。すったもんだの末、おけいと団三郎と共に、佐渡に渡ることに――という物語「湊猫」が描かれました。
 そしてこの巻の冒頭に収録された「小木湊猫」は、その後編というべき内容――育ての親である老爺が病となり、彼に薬を届けるために足抜けしたおけいが語る、とある昔話が物語の中心となります。

 このエピソードでは、「湊猫」を読んだだけではわからなかった意外な真実(それも二段構えの)にまず驚かされますが、それ以上に印象に残るのは、やはり切々と描かれる「情」の存在でしょう。
 本作は作中の随所で「歌」が印象的に使われていますが、このエピソードでも、おけさ節の元になったというおけいの唄に乗せて切々と描かれる、種族を超えた「情」の姿が、感動を呼びます。
(ただ、ラストの捻りは、これまでの描写的に、ん? という気がしないでもありませんが……)


 さて、その後も二人の旅は続きます。

 団三郎狸が語る、佐渡の国産み神話にまつわる、ある猫の物語「佐渡の猫石」
 毎年雪の降る時期に、老夫婦のもとにやってくる不思議な子供と二人の交流「雪猫」
 ニタが見せたいというとっときを求めて山中にやってきた十兵衛の受難「さかべっとう猫」
 子供時代の十兵衛が、友達のために初めて「猫絵」を描く「猫の絵」
 猫絵で知られる上野国石時見家の若き殿様が、善光寺参りに向かう途中の旅で二人と出会う「猫絵の殿様」「猫絵の殿様 弐」
 琵琶法師に身をやつした老猫が語る奇岩の由来の物語「半過の岩鼻猫」

 どのエピソードもこれまで同様、時に切なく、時に温かい「人情」「猫情」「妖情」を存分に描くのですが――そこに「旅情」が加わるのですからたまりません。
 誰もが憶えがあるであろう、旅に出た時の不思議な解放感と軽い興奮、そしてそこはかとない寂しさ――そんな味わいが、本書のエピソードには漂っています。

 もっともその中で思いもよらぬ変化球が飛んでくるのも、また本作らしいところでしょう。たとえば「佐渡の猫石」は、伊邪那岐命と伊邪那美命まで遡る壮大な物語ですが、そこに顔を出すのはなんと……
 いやお前、そんな頃から――と、いきなり広がったスケール感に絶句するとともに、何ともすっとぼけた「真理」が描かれるオチが痛快ですらある一編です。


 ちなみにこの巻のあとがきによれば、前巻ラストからの「越後篇」「佐渡島篇」は、かなり以前から――それこそ本作の成立前、というか本作の成立に関わる形で構想されていたものであるとのこと。その意味では、この巻の内容は本作の原点回帰と言えるのかもしれません。

 冒頭に触れたように本書はほぼ三年ぶりの新刊ですが、その間、「ねこぱんち」誌での連載もストップした状況と、愛読者としては非常に心配になる期間でした。
 しかしこの巻では、前巻にほとんどなかったあとがきもきっちりと(4ページも)あり、そして本書の刊行と時を同じくして「ねこぱんち」誌の連載も再開――と、嬉しい限りです。

 どうか原点回帰したその先も、ずっと十兵衛とニタの物語を描いてほしい――本書を読んで、心からそう感じた次第です。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻(永尾まる 少年画報社にゃんCOMI) Amazon

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 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第16巻 不思議系の物語と人情の機微と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻 いつまでも変わらぬ、そして新鮮な面白さを生む積み重ね
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第21巻 バラエティに富んだ妖尽くしの楽しい一冊
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第22巻 変わらぬ江戸の空気、新しい旅の空気

 『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画

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2023.06.12

松井優征『逃げ上手の若君』第11巻 鎌倉目前 大将同士が語るもの

 いよいよ『逃げ上手の若君』も大きなクライマックスを迎えることになりました。関東庇番衆を次々と打ち破り、ついに鎌倉を目前とした時行。しかし北条軍の前には、大将である足利直義自らが姿を現すことになります。時行と直義の対峙の行方は、そして鎌倉奪還は成るのか……!?

 鎌倉奪還に向け、進撃を続ける時行と北条軍。関東庇番衆の精鋭のうち、渋川・岩松・石塔を激闘の末に女影原で打ち破った時行たちは、次いで小手指ヶ原で足利の大軍と大会戦を繰り広げることになります。
 そしてその中で一際派手に暴れまわるのは、曲者揃いの庇番衆の中でも一際異彩を放つ今川範満。馬の顔を被り、馬を喰らい、馬に乗る、うまだいすき過ぎるド変態であります。そして人馬一体となって戦場を駆け巡る今川を阻むため、時行は競馬勝負を仕掛けて……

 というわけで前巻終盤には、吹雪の策が見事に当たり、時行ならではの逃げ馬戦法で今川打倒まであと一歩――となったところまで描かれましたが、ここで今川の奧の手が描かれることになります。いや、描かれるのは奧の手だけではありません。昔は普通の武将だった今川が、「こんな」になってしまったのは何故か――その秘められた過去の物語もまた、ここで描かれるのです。

 内容としてはイイ話、わかる話なのですが、それで今がこれか!? というのはさておき、そこから炸裂する奥の手とは、そしてそれを如何に時行が乗り越えるのか――この小手指ヶ原の戦のクライマックスに相応しい結末であったかと思います。


 しかし思ったよりは早く小手指ヶ原の戦も決着し、ついに鎌倉まで間近に迫った時行たち。それを迎え撃つは大将・足利直義――いよいよ決戦であります。

 が、直義といえば武家としてよりもむしろ政治家としての印象が強い人物、少なくともこの時点では武功の方もほとんど記憶にありません。しかしこの漫画であれだけの庇番衆を率いていたのですから、きっと直義も――という期待が、意外な形でひっくり返されるのが、本作らしいところであります。
 しかし強さ=戦闘力ではないのも、また本作。なんと単騎で北条の本陣に向かってきた直義は、時行に対して言葉で戦を仕掛けて――すなわち、この戦の大義を問うてきたのですから。


 いかに昔の戦が互いに名乗りを挙げてから始められたものとはいえ、さすがに議論・討論をしたということはないでしょう。それをここでやってみせたのは、もちろん直義のキャラ立てということもありますが、時行以外の眼から見た時に、この戦がどう映るか、如何なる意味を持つかを問い直す意味があるのではないでしょうか。

 そして武士として、大人としての正論を掲げる直義にとってすれば、勝敗は明らかに見えます。しかしそこからの時行の反論は、本作の時行の、そして彼に従う者たちの行動原理を描くものとして――そしてそれは、この『逃げ上手の若君』という物語そのものを貫く原理でもあります――また見事というべきでしょう。

 そしてここで示された行動原理は、戦の成り行きそのものを変えていくことになります。何だかんだで老獪な直義の策により劣勢に立たされる中、逆転の使命を帯びて動きだす「北条軍の秘密兵器」(またこの人物がこうした位置づけに描かれるのも本作の巧みさでしょう)。
 彼の行動とその結果は、まさにこの行動原理の延長線上にあるものなのですから。


 そしてついに悲願を成し遂げ、鎌倉に足を踏み入れた時行。そこで時行が見たものは……
 いきなり個人的な話で恐縮ですが、私は鎌倉という土地が好きで、ちょこちょこと足を運んでいました。ここでその見慣れた景色が思わぬ形で再現され、時行の視点と、そして時行の想いと重なったのには、意外なほどの感動がありました。

 などと個人的な感傷は置いておいて、ついに連載開始以来の目的を達成した時行。しかしもちろん、それで全てが終わったわけではありません。ここから逆襲に転じるであろう足利軍を如何に迎え撃つか――ある意味、ここからの戦いが本番であります。


『逃げ上手の若君』第11巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.06.02

重野なおき『信長の忍び』第20巻 真っ向勝負 二人vs十一人! そしてでっかいフラグ

 記念すべき第20巻、そしてついに運命の年の前年にまで到達した『信長の忍び』。武田との決戦が近付く中、その前に信長が倒さんとする敵は伊賀――千鳥と助蔵の故郷であります。伊賀攻めから外された二人が心に決めた決意とは――二人の最大の戦いが始まります。が、その前にとんでもないことが……!?

 長きに渡った石山合戦も終結し、ついに中部・近畿をほぼ平定した信長。残る大敵は甲斐の武田ですが、決戦に向けて信長は冷徹な布石を打つことに――といっても、実際の戦いはもう少し先ではあります。
 ひとまずは覇者の余裕で、豪華絢爛な馬揃えを開催、そのマネージャーを任された光秀はまた色々とすり減る思いをしたり、ちらっとヤバいことを考えたりしますが、それが結実するのも、もちろんまだ先の話です。

 それではこの巻のメインはといえば、それは伊賀との再戦であります。前巻、信雄のほとんど暴走に等しい行動がきっかけで激突した織田と伊賀ですが、伊賀の忍術上手十一人をはじめとするゲリラ戦術によって織田はほぼ完敗。伊賀からの撤退を余儀なくされた織田軍ですが、もちろんこれで双方終わるはずもありません。

 まさに信長が伊賀攻めを決断したその場で、手裏剣で信長を襲撃する楯岡道順。さらに、千鳥が道順を追う間に、変装の名人である上野ノ左が潜入するのですが――常人には見抜けぬその変装を見抜き、迎え撃った人物が!
 そう、それはもう一人の信長の忍び・助蔵――って凄いな助ちゃん!?

 もちろんこれは前哨戦に過ぎません。三千の伊賀に対して総勢四万の兵で攻め入ることを決した信長――しかし信長は、千鳥は今後の戦に不要と告げ、伊賀攻めへの従軍を拒否したではありませんか。

 もちろんそこにあるのは、既に天下は目前のこの時期に、腹心中の腹心である千鳥を勝てる戦で無駄死にさせまいという、信長の思いやりではあります。
 しかし普段の戦であればともかく、自分の旧知の者たちが、信長を苦しめる状況を、あの千鳥がそれを見ていられるはずもありません。かくて千鳥(と助蔵)は、信長の命に反して、語られる事のない戦いへ……


 というわけでこの巻の後半で描かれるのは、百地丹波と忍術上手十一人に挑む千鳥と助蔵の戦い。兵と兵との戦いは武将たちに任せる。しかし忍びとの戦いは――というわけで、伊賀の切り札であり中枢を叩き潰すべく、二人は乗り込んだのです。

 しかし二人の前に立ちはだかるのは、人心撹乱の達人・大炊孫太夫、樹上から襲いかかる下柘植ノ木猿・小猿、無感情な殺人剣士・新堂小太郎、剛力自慢の棒術使い・甲山太郎四郎・太郎左衛門、刀盗みの山田八右衛門――忍術上手の達人揃いであります。

 それにしても驚かされるのは、本当にここで多くのページを費やして描かれるのが、忍者同士の真っ向勝負であることです。
 本作は『信長の忍び』ではありますが、あくまでも中心となるのは武将たちの歴史――史実の世界。もちろん、これまでも望月千代女との戦いなどありましたが、例外という印象がありました。

 忍術上手十一人も、天正伊賀の乱の合間に(合戦のついでに)その行く末が描かれるものと思いきや――まさかここまで真っ正面からの忍者バトルが描かれるとは。まったく、うれしい驚きです。
(しかもそれぞれの戦いを四コマギャグの連続で描くという離れ業!)


 しかし真の驚きは、二人の戦いが始まる直前にありました。もはや生きて帰れるかわからぬ戦いに向かう前に、自らの思いの丈を伝える助蔵。それに対する千鳥の答えは……

 えええええ、そうなるの!? と驚くのも失礼かもしれませんが、このタイミングでこの展開とは正直意外なところではあります。
 というよりもはやこれはどう考えてもでっかいフラグなのでは――と助蔵の安否が気遣われますが(しかもご丁寧にもう一段フラグが)、これでますます、この戦いの結末への関心が高まります。

 この巻のラストでは、助蔵とはぐれた千鳥の前には因縁の(?)城戸弥左衛門が登場。忍術名人の中でも屈指の強豪を相手に千鳥の戦いは――と、忍者バトルモードのまま続きます。


『信長の忍び』第20巻(重野なおき 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon

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 重野なおき『信長の忍び』第18巻 村重謀叛に揺れる人々と、千鳥自身の戦いの始まりと
 重野なおき『信長の忍び』第19巻 伊賀と村重と本願寺と

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2023.04.13

松井優征『逃げ上手の若君』第10巻 小手指ヶ原に馬頭の変態と人造武士を見た!?

 ついに単行本も二桁の大台に達し、おまけにアニメ化まで決定した『逃げ上手の若君』ですが、物語の方は逃げているヒマもない決戦の連続。足利直義直属の関東庇番衆を相手に繰り広げる女影原の戦いは続きます。そしてそれを乗り越えたとしても、更なる変態が待ち受ける小手指ヶ原の戦いが……

 北条直系の名乗りを挙げ、ついに鎌倉奪還に向けて動き出した時行。しかし足利方が手をこまねいているはずもなく、その前に関東庇番衆の精鋭が立ち塞がります。
 渋川義季、岩松経家、石塔範家、斯波孫二郎――それぞれ並々ならぬ武と個性を持つ彼らの前に苦戦を強いられる時行と諏訪神党。大混戦となった戦場で、はたして時行たちは庇番衆を倒し、鎌倉に駒を進めることができるのか……

 というわけで、女性の掠奪が生きがいの殺人奇剣使い・岩松とは望月重信と吹雪や雫たちが、心の中のリトル鶴子に萌える石塔には亜也子が、そして己の理想の武士道から外れる者を許さぬ渋川には時行と弧次郎が――それぞれ死闘・激闘を繰り広げてきましたが、それもこの巻の前半で決着することになります。

 その決着の模様についてここで詳しくは述べませんが、自分たちの持てる力を出し尽くした時行たち以上に「らしさ」を見せ、そして堂々と散っていった庇番衆に、敵ながら天晴――と言いたくなってしまうような内容であったことは間違いありません。
(特に言動はアレなのに無駄に誇らしげな石塔……)

 そしてそれと同時に、物語始まって以来の強敵を打倒した弧次郎と彼を讃える時行の姿に、そしてそこで語られる「ある真実」にグッと来てしまうのも、また事実。変態とギャグが乱舞すると同時に、熱いバトルとドラマが展開する――本作の魅力を再確認した次第です。


 が、ここまででこの巻の約半分、そして鎌倉への道もまだ半ばです。ようやく時行挙兵の報が京に届き、それを聞いた者たちが十人十色の反応を示す一方で、鎌倉から出撃するのは庇番衆第二陣――今川範満、上杉憲顕、そして雪辱を期す斯波孫二郎と、将の数こそ第一陣よりも少ないですが、しかし兵の数は驚くほどの大軍であります。

 そして時行たちと激突する場は小手指ヶ原――これまでの戦場と異なり、開けた平原で繰り広げられるのは、多数対多数の会戦。しかし兵の数で劣っていたとしても、士気の点では時行側が劣るものではないと思いきや、そこにとんでもないヤツが現れます。
 それは今川範満――馬の仮面(?)で素顔を隠した、曲者揃いの庇番衆の中でもビジュアルの時点でヤバさしか感じない変態が、ついに本領を発揮であります。

 戦況など一切構わず、騎乗で戦場を凄まじい速度で縦横無尽に走り抜け、当たるを幸い薙ぎ倒す――およそ合戦の常識からかけ離れた行動を見せる今川の爆走に、北条方はもうドン引き。しかも将を射んと欲すれば先ず――と馬の方を倒したとしても、周到に用意された替え馬に乗り換えて復活するのだからたちが悪い。
(そして妙な説得力で栄養補給。うまだいすき)

 さらにそこで様々なドーピングと改造手術によって生み出した人造武士を率いた上杉の兵が突入、戦場は庇番衆側の優位に……


 この窮地を覆すことができるのは誰か? それはここに来てそれなりに意外な出自が明らかになったあるキャラクターだったのですが、彼が繰り出した策こそ驚くべし。馬には馬を、速度には速度を、そして追いかける相手には逃げを――ここで繰り広げられるは小手指ヶ原ダービー、はたして命を賭けた競馬はどちらの勝利に終わるのか?

 今川も、そして上杉もまだまだその底を見せない状況で、物語は続きます。


『逃げ上手の若君』第10巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.03.21

梶川卓郎『信長のシェフ』第34巻 ついにわかった犯人と動機!? ケンと光秀の攻防始まる

 いよいよ運命の時が近づく中、歴史を変えるために織田家を離れてまで、最後の未来(現代)人・望月を探したケン。ついに土佐で望月と再会したものの、あまりに意外な結果に終わり、安土に戻ろうとするケンですが、様々な障害が待ち受けます。その一方で、光秀は着実に策を進めていくことに……

 本能寺の変の時が刻一刻と近付く中、歴史を変えるため、不安定要因である自分たち未来人の最後の一人、望月を探すケン。ついには織田家を半出奔状態になってまで、望月がいる土佐までやって来たケンですが、当の望月は歴史には滅茶苦茶疎かった――という、ギャグみたいなオチにケンも愕然、仕方なく安土に帰ろうとするも、今度は船がない! という二重にどうしようもない状態からこの巻は始まります。

 仕方なく望月の下に戻ってみれば、ケンがあげた菓子がもとで村の子供たち二人が大喧嘩、そこに親まで、いや領主である一条兼定まで出てきて――と、この非常事態に一体何が始まったのか、と思いますが、ここで久々に「名誉を汚されたら殺す」というヘル中世ぶりを垣間見たケンは、それを切っ掛けに、ようやく光秀が本能寺の変を起こすに至る思考回路を理解するのでした。
 信長のことは誰よりも慮っている忠臣であり、この時代の常識人、そしてやはり名誉を命よりも重んじる光秀。一方、普段から非常識なことばかりしているので、周囲から理解されなくても慣れっこになってしまっている信長。この二人の間に生じた文字通り致命的な誤解を解けるのは、自分しかいない! とケンは決意を新たにすることになります。

 しかし結局は一料理人に過ぎないケンが、智謀に優れ、一大軍団を擁する光秀を自分の力のみで止めることができるはずもありません。そこでケンが頼った相手とは……


 と、前巻から始まった堂々巡りが一体どこに落着するのかハラハラさせられましたが、ケンがようやく光秀の真意に気付いたことで、一気に動き出した感のある物語。
 しかし「犯人」と「動機」がわかったとして、「犯行」そのものを止められるかは別問題であります。タイムスリップした人間が、歴史上の悲劇を避けるために奔走するというのは、これはもうタイムスリップものの定番中の定番ですが、ある意味本作もその基本に立ち戻った感があります。

 ケンの側のアドバンテージは、料理の腕を除けば、史実を知っているという点のみ。それを如何に利用していくかという一方で、光秀も己の策を現実のものとするために、二重三重の備えを――という、一種の攻防戦が始まるのも面白いところです。
 一方の光秀の方にもまだ心に迷いがあったものの、あたかも彼を助けるするかのように、彼にとって有利な偶然が発生、ついに彼は「あの歌」を詠むことに……


 そんなケンにとってはいまだに圧倒的に不利な状況ですが、そんな中でもしかして不確定要因になるのが望月の存在であります。

 なんだかんだでケンの後を追いかけて、ある意味彼以上の冒険をする羽目になった望月。はたして彼が現代でケンの父から預けられた謎の品が意味を持つのか、あるいはケンが忘れていった特大の鍋が!?
 と、本当に彼が役に立つかはまだまだ謎ですが、さすがに意味がないことはないと思いたい。そんな望月の動向にも期待したいと思います。


『信長のシェフ』第34巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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2023.03.20

「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その三)

 「コミック乱ツインズ」4月号の紹介のラストです。今回は、本誌らしい個性的な作品が並びます。

『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 強敵・三村家親を討つため、鉄砲の利用を考える直家。まあ直家なので利用=暗殺ですが、しかし鉄砲による暗殺、すなわち狙撃というのはこの時代に前代未聞、そう簡単にいくはずもありません。その手段を探す中、直家は家親に討たれた三浦貞勝の妻・お福と何となく接近して……

 というわけで、家親との戦いよりも最近クローズアップされているお福の存在。まあ結果はわかっているわけですが(身も蓋もない)、あまりにも良く出来た女性という感のあるお福が直家とくっつくのに、いかに説得力を持たせられるか、気になるところです。
 というのはともかく、いよいよ始まる日本史上初の狙撃作戦、はたしてその成り行きと結末は……


『真剣にシす』(盛田賢司&河端ジュン一・西岡拓哉/グループSNE)
 ついに小倉小笠原家の真剣士の座を賭けた御前試合にまで漕ぎ着けた夜市。相手は現・真剣士であり小倉藩士の青柳忠兵衛、そして勝負の内容は大蛇酒なる賭博――八岐大蛇の首を模したらしい八つの札を四枚ずつ持って、それぞれそのうちの何枚かを手に握り、合計数を予想して、外した方はその合計数だけ酒を飲む(どちらも外した場合は四杯ずつ飲む)。そして先に潰れた方が負けというルールであります。
 これまでは圧倒的な実力で勝利を収めてきた夜市ですが、しかしさすがに一藩を代表する真剣士だけに、今回は互角の勝負が繰り広げられます。

 この大蛇酒、おそらくオリジナルのゲームだと思いますが、それぞれ何杯飲めば確実にダウンするというのがわかっている状況で、そこに向かっての潰しあいというのが面白いところ。ある意味「あと何cc血を抜かれると死ぬ」のパターンなわけですが、この大蛇酒の場合、一ゲームに負けた時のペナルティの分量が、自分がどれだけベットしたかによってコントロールできるのが、ギャンブルとしてよくできていると感じます。
 そして夜市が、このルールのギリギリを攻めながらも、自分だけが有利だけになる知識でもなければイカサマでもなく、賭博師としての覚悟と、その存在すら利用した心理戦で勝負を決するのにはグッと来るのです。


『なんとショーザン』(金平守人&富沢義彦)
 本誌では現在『玉転師』(来月も掲載)の原作を担当している富沢義彦の新作は、タイトルのとおり佐久間象山を主人公にしたテンポのよい幕末コメディです。
 1851年、江戸木挽町の五月塾に一癖も二癖もある若者たちを集める象山は、松前藩の依頼で大砲を作るも大失敗。しかし全く反省しない象山に松前藩士たちは怒り心頭、五月塾に押し掛けてきて――というお話であります。

 象山が大砲製作に失敗し、本人はこの失敗が次の成功の糧となるとかなんとか嘯いてケロッとしていたとか、世間からは笑いものになって狂歌で茶化されたというのは有名な話ですが、この史実を忠実に(?)描いているはずなのに何故か無性におかしいのは、金平守人の、どこかすっとぼけた画の個性でしょうか。
 それでいて、クライマックスに象山の弟子たち+αが次々と名乗りを上げるシーンがやたら格好良く、痛快ですらあるのも面白いところ。そしてそこから何故かイイ話に落ち着いてしまうという、良い意味で落ち着きのない展開が楽しい一作であります。
(しかしいかにも意味有りげに登場しながら名前が登場しなかった人物、ビジュアル的にこの先で象山の弟子になるあの人物かしら……)


 次号は表紙が『勘定吟味役異聞』、巻頭カラーが『鬼役』。先程触れたとおり特別読切で『玉転師』、そして『凛九郎』が登場です。(『凛九郎』は前作のラストからどう繋げていくのかしら……)


「コミック乱ツインズ」2023年4月号(リイド社) Amazon

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