2023.05.23

白川紺子『花菱夫妻の退魔帖』 華族から家族へ、「歪み」を乗り越える二人

 既に続編が刊行されたのに今ごろで恐縮ですが、大正時代を舞台に、幽霊を見る力を持つ侯爵令嬢・鈴子と、彼女に求婚してきた男爵・孝冬の二人が、華族と幽霊にまつわる奇怪な事件に挑む連作シリーズの第一弾であります。ある日、鈴子が目撃した幽霊を食う幽霊。その正体とは……

 瀧川侯爵の令嬢ながら、故あって浅草で生まれ育ち、怪談蒐集を趣味としている鈴子。ある日、怪奇現象に悩まされているという室辻子爵夫人の話を聞いていた鈴子は、そこで夫人の人工宝石の指輪に執着を示す芸妓の幽霊を目撃するのですが――しかしその直後、十二単をまとった謎の幽霊が現れ、芸妓の幽霊を呑み込んでしまったではありませんか。
 十二単の幽霊を連れていたのは、神職華族であり、現在は香水商としても知られる花菱男爵家の当主・孝冬――そして鈴子が十二単の幽霊を見たことを知った孝冬は、出会ったばかりにもかかわらず、鈴子に求婚してくるのでした。

 慇懃無礼で捉えどころのない孝冬を薄気味悪く思い、反発するものの、彼女のある過去を持ち出され、婚約を余儀なくされた鈴子。婚礼の準備が進む中、芸妓の幽霊の正体が気になった鈴子はその正体を追うのですが、行く先々で孝冬につきまとわれ……


 ライトノベルやヤングアダルトのジャンルで最近しばしば目にする大正時代を舞台とした作品、そしてこれまた人気の題材である、わけあり結婚もの(と呼んでよいのかしら)である本作。つまりは、大正時代の華族の令嬢が、よくわからないままに意に染まぬ結婚を強いられたと思えば、相手にはとんでもない理由が――というシチュエーションですが、その「とんでもない理由」というのが、本当にとんでもない作品であります。

 淡路島で、伊弉諾尊を祀ってきたという、まことに由緒ある花菱家。しかしある時代の花菱家の巫女が怨霊――淡路の君と化し、以来、花菱家の者は、彼女の食事として、他の霊を与えるという役目を背負っているというのです。そしてそんな花菱家の花嫁となるのは、淡路の君に気に入られた娘であり――それが今度は鈴子だったのです。
 しかし鈴子の方も実は訳ありです。瀧川侯爵の女中であった母親に浅草で育てられた鈴子は、生まれついて幽霊を見る力を持つ力の持ち主。それを活かして千里眼の少女として食っていた過去を持つ鈴子ですが、ある事件が原因で浅草を離れた彼女は、瀧川家で暮らしながら、事件の真相を追っていたのです。

 というわけで本作は、それぞれにわけあり曰く付きの二人が出会う幽霊絡みの物語、全三話で構成されています。
 上に述べた芸妓の幽霊を追った鈴子と孝冬が、彼女が指輪に執着する理由を知る「虚飾のエメラダ」
 孝冬の縁で、かつて街で殺された金山寺味噌売りの幽霊と出会った鈴子が、彼にまつわる悲しみの連鎖を目撃する「花嫁簪」
 孝冬の別荘の近くの屋敷で不審死を遂げた子爵夫人が幽霊となって出没する理由を二人が追う「魔女の灯火」

 いずれのエピソードも、二人が幽霊が出現する理由を解き明かし、幽霊の執着をほどいていくという内容ですが、それはすなわち幽霊にまつわる謎解きということでもあります。事件の内容も個性的であり、一種のホラーミステリとしてもレベルの高い作品といえるでしょう。


 しかし本作が描くのは、幽霊にまつわる謎だけではありません。本作が力を入れて描くものは、その幽霊が現れる場であり原因でもある、華族という世界なのですから。

 本作で力を入れて描かれる華族たちの優雅な姿。それにはまさに「いいご身分で……」と言いたくなってしまうほどですが、しかし本作が描くのはそれに留まりません。
 それは一言で表せば、華族が抱える/生み出す「歪み」。身分に寄りかかった行いの放埒さ、身分に縛られたが故の生き方の不自然さ――そして自分だけでなく、配偶者や子孫をも苦しめるその「歪み」を象徴したものが、本作における幽霊なのであります。

 そしてその「歪み」は、鈴子を、さらには孝冬をも苦しめてきたものでもあります。そんな二人が、幽霊を通じて他者の「歪み」と対峙し、そしてその中で互いの抱えた「歪み」に気付く。その先に描かれる二人の姿――初めて互いを理解し、打算や義務でなく求め合い、結ばれる二人の姿には、思わず胸が(頬も)熱くなります。


 華族から家族へ、「歪み」を乗り越えてタイトル通りの「夫妻」となった二人。しかし二人が正すべき「歪み」は、そして挑むべき謎はいまだ存在し続けます。そんな二人の向かう先は――続編も必見であります。


『花菱夫妻の退魔帖』(白川紺子 光文社キャラクター文庫) Amazon

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2023.05.21

貘九三口造『ABURA』第2巻 孤軍奮闘、一騎当千の二刀流!

 油小路の戦い特化、しかも御陵衛士サイドからという、極めてユニークな新選組漫画(と呼んでよいものか)の第二巻であります。いよいよ始まった御陵衛士と新選組の死闘の中、早くも出た犠牲者。その犠牲を踏まえて、六人の御陵衛士たちは如何に動くのか。そしてあの最強の男がその力を見せることに……

 新選組を離脱した伊東甲子太郎率いる御陵衛士と、新選組が激突した凄惨な内部抗争・油小路事件。本作はその死闘を、ほとんどその死闘のみを描く作品であります。
 新選組に暗殺され、油小路七条の辻に放置された伊東甲子太郎の亡骸。その亡骸を奪取するために向かった七人の御陵衛士は、そこで永倉新八・原田左之助らが指揮する多数の新選組に包囲されることになります。

 ここで全員が命を落とせば、御陵衛士全てが滅ぶ――仲間を死んでも見捨てないために、誰かが生き残ることを決意した七人は、敢えて敵に後ろを見せ、三方に分かれて脱出することになります。
 篠原泰之進・富山弥兵衛は東手、藤堂平助・鈴木三樹三郎・加納道之助は西手、そして服部武雄・毛内有之助は北手――しかし藤堂は永倉の願いも空しく、二人を逃がすために単身突入した末に、最初の犠牲者に……


 という前巻に続くこの巻では、もうほとんどひたすら戦い戦い戦い。前巻では全体の四割程度が過ぎてから戦いが始まったのに対し、この巻では冒頭からラストまでひたすら御陵衛士と新選組の激闘が描かれることになります。
 いや、この巻の冒頭からラストまで、ほとんど一人で新選組を相手に戦い続けていたのは、服部武雄――この巻の表紙を飾る男であります。

 正直なところ、それ以前の活躍の記録がほとんど残っていないだけに、知る人ぞ知る、という感のある服部。しかしこの油小路での戦いにおける孤軍奮闘、そして一騎当千ぶりで、その名を残すことになります。
 前巻では、油小路への急行に慎重であったり、ただ一人鎖帷子をまとったことを周囲から白眼視されたりと、少々浮いたイメージのあった服部。しかしそれがむしろ熟慮の上であったことは、その後の戦いが示す通り。

 他の衛士が軽装で多勢に取り囲まれた際に不利となったのに対して、防御面では大きなアドバンテージを持つ――そして攻撃面では、実戦において二刀流を操るという、ある意味常識はずれの戦法を見せる。そんなまるで「漫画のような」服部の戦いを、本作は緊迫感と迫力溢れる筆致で描き出します。
 はたして現実ではどうだったのか、それは寡聞にして知識がないのですが、しかしそうでもあろう、とこちらに思わせるような描写で以て。


 しかしもちろん服部も生身の人間、限界というものがあります。そして彼と共に戦い、彼によって逃がされた者たちにも、新選組の刃は容赦なく降りかかります。はたしてその状況下で残る者は、残る物は――次巻、完結であります。

 ちなみに本作では出番はわずかな斎藤一ですが、ここで描かれる姿はなかなか印象的。なるほど、これはこれで説得力ある心理でしょう。


『ABURA』第2巻(貘九三口造&NUMBER8 小学館裏少年サンデーコミックス) Amazon

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2023.04.18

「コミック乱ツインズ」2023年5月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2023年5月号の紹介、その二であります。

『玉転師』(有賀照人&富沢義彦)
 玉(女性)を転がして金を儲け、同時に相手の女性を幸せにする/望みを叶える東豪・お芳・十郎の玉転師の活躍を描くシリーズ、今回の舞台は吉原。なるほど、一番舞台になりそうな場所ではありますが、しかし一筋縄ではいかない物語が展開することになります。

 以前、東豪に世話されて、万亀楼で花魁となった白菊。しかし万亀楼は代替わりで主人が因業な男となり、白菊も横暴な町方同心・可児を客とすることとなります。そんな彼女を案じる十郎ですが、しかし彼女をまた「転がす」にも、一度は身請けする必要があります。
 そんなことをしても金にならないと東豪が冷たい態度を取る一方、キワモノの枕絵ばかり描く女浮世絵師・千絵にまとわりつかれて弱るお芳。他の誰にも描けない絵を描こうとする千絵に対して、東豪は……

 と、今回のゲストヒロインは二人。それも花魁と絵師と、女性であるほかは一見全く接点のない二人ですが――こう来たか、と驚かされる一石二鳥の手管が飛び出します。もっともそれも、可児の存在あってのことですが――容疑者が責め問いにかけられる姿に目をギラつかせてゾクゾクしている姿が、こう転がるか! とひっくり返りました。
 しかし千絵にとってこれで良いのか、という気もしますが、まあ楽しそうなので良いのかな――と、『ムザンエ』を読んだ後だと心配になったりもします。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 この号の発売と合わせて電子書籍も解禁となった本作(Kindle版の本誌でもようやく読める……)。前回、紀州に潜入した永渕は、柳沢吉保の遺命で吉宗を狙うも失敗、自分を罰しようともしない吉宗に、貫目の違いを思い知らされることになります。
 一方江戸城内での不穏な動きに対して、間部詮房が、何とか家継を守ろうとしますが――その一方で、聡四郎が自分の思い通りに動かぬことに苛立つ新井白石は、紅が吉宗の養女になった=聡四郎が吉宗に付いたと思いこみ、本作でこれまで描かれた中でも最高、いや最低のゲス極まりない表情を見せることに……

 かくて紅抹殺を決意した白石に詮房も乗り、詮房の命で紅を狙う伊賀組。しかし紅が吉宗の養女であるということは、当然ながら玉込め役に守られているということでもあって――というわけで、、次代の将軍位をねらう動きがいよいよ激化する中で、紅が思わぬとばっちりを受けることになります。
 とばっちりを受けた方ももちろんのこと、それで動かされる忍びたちもいい面の皮ですが、まあそれは上田作品ではいつものこと。今のところほとんど無敵の玉込め役を相手に、伊賀組の安否が気づかわれます。


『ビジャの女王』森秀樹
 いきなり冒頭から「冬人夏草」なるものの存在が四ページかけて語られるものの、詳細が秘されているので一体本編とどんな関係があるのか全くわからない――という大胆なオープニングとなった今回。メインとなるのは、ついにこの戦いに勝つために「攻」に出たインド墨者たちの姿であります。
 忘れかけていましたがラジンの父・フレグの軍に潜入していたインド墨者五人はある事(詳細は秘す)でフレグを怒らせて同士討ちを演じさせ、そしてラジン軍の中の墨者四人も、何やら活動を開始。そしてブブもまた、かつてのオッド姫との旅の記憶を元に、「攻」を始めることに……

 と、やっぱり墨者が一人だけではないと心強いなあ、と以前(って約千四百年前ですが)の時に比べると安心して見ていられるわけですが、しかしもちろんこの先、墨者たちの策通りに行くかはわかりません。オッド姫と遊女屋の女主人の間に生まれた不思議な関係性ともども、今後が気になるところです。


 次回、5月号紹介の最終回に続きます。


「コミック乱ツインズ」2023年5月号(リイド社) Amazon

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「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その二)
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2023.04.07

手塚治虫『火の鳥 異形編』 時の牢獄に囚われた者の癒やしと贖罪の物語

 『火の鳥』のエピソードの中でも、主人公の辿る運命が恐怖と同時に不思議な余韻を残す一編であります。戦国の世に山寺で暮らす一人の尼を斬った若侍。よんどころなく尼の身代わりとなった若侍が辿る恐ろしい運命とは――時の牢獄に囚われた者の癒やしと贖罪の物語が展開します。

 時は室町時代後期、下剋上でのし上がった残虐非道な武将・八木家正の娘ながら、男として育てられた左近介。彼女は鼻の病で余命僅かとなった父をそのまま死なせるため、父を診察し、その病を治す術を持つという八百比丘尼を斬ることを決意し、従僕の可平を連れて山寺に乗り込みます。
 しかし彼女の到来を知っていたような態度を見せる八百比丘尼は、この場所は時間が閉ざされており、死ぬまでここから逃れられないと左近介を嘲笑ったまま、彼に斬られて命を落とすのでした。

 目的を果たして可平とともに帰ろうとするものの、しかしどの道を通っても山から出られず、いつの間にか寺に戻ってしまうことを知る左近介。その矢先、寺に治療を求める病人や怪我人たちの群れが訪れ、左近介はやむなく八百比丘尼に化けて病人の相手をすることになります。
 寺に安置されていた光る羽で撫でることで患者を癒やしていく左近介。外から患者がやって来ることはあっても自分たちは寺から出られなくなった左近介は、いつしか自分が時間を遡り、30年前の世界にいることに気付きます。

 そんな中でも左近介は、やって来る患者の治療に当たり、やがて人間だけでなく異形の魑魅魍魎たちがやって来るのにも等しく応ずることになります。
 そんな暮らしを送る中、左近介の前に現れた火の鳥は、彼女を待ち受ける運命について告げるのですが……


(以下、本作の核心に触れますのでご注意ください)
 応仁の乱の後、天下が麻のように乱れていく時代(大体『どろろ』と同時代でしょうか)を舞台に、不老不死の存在として知られた八百比丘尼伝説を踏まえつつも、大きな変化球を投じてみせたこの異形編。
 本作において不老不死の源といえば当然火の鳥の存在が浮かぶわけですが、そこを避け、別の形で八百比丘尼を成立してみせたのに、まず感心させられます。

 しかし何といっても印象に残るのは、この八百比丘尼=左近介の辿る運命の恐ろしさでしょう。知らぬこととはいえ未来の自分自身を殺し、そしてその未来において過去の自分自身に殺される――自分がその結末を知る(というより結末を生み出した)だけに、一層その運命は救いがなく、残酷なものと感じられます。

 もちろん左近介が八百比丘尼を殺したのは、このまま生かしておけば一層世に害を為すであろう父を治療させないためという理由があったにせよ、一殺多生がはたして許されるのか? と火の鳥に問われれば黙るほかないのが、人間の哀しさであります。
 火の鳥が、数多くの人間に害を与える悪人よりも、それに比べればわずかに道を外したかに見える者に対して容赦がないのはいつものこととはいえ、それにしても無情過ぎると感じますが……


 と思いながら読み終えたところで、小さな矛盾に気付きます。作中で左近介の前に現れた火の鳥はこう語ります。無限に訪れる不幸な者たちを救うことで罪を償えば、三十年に一日だけ寺の外に出ることができると。寺から出られないはずの八百比丘尼が、左近介の父の診察できたのは実にこのためだったのですが――しかしそれでは何故、彼女はそのまま逃げ去らなかったのか、と。

 あるいはそのヒントとなるかもしれないものが、物語の結末にあります。この結末においては冒頭と同じ絵で、同じ展開が――すなわち八百比丘尼が左近介に斬られる姿が描かれるのですが、実はそこでの八百比丘尼の態度に相違点があります。
 それが左近介に対する八百比丘尼の思いやりから生まれたものだとすれば――彼女は自分自身を救うために戻ったのではないか。さらにいえば、火の鳥は彼女が自分自身を救うことを期待したのではないか……

 この恐ろしい時の牢獄が、あるいはやり直しの機会であったとしたら――先に述べた火の鳥が罰を与える対象の選択にも繋がる気がする、と思うのは、いささか楽観的に過ぎるかもしれませんが。


『火の鳥 異形編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) Amazon

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2023.03.19

「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」4月号の紹介、その二であります。今回は骨太の作品が並びました。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 いよいよ激化する一方の次代の将軍位を巡る暗闘ですが、その戦いが繰り広げられるのは江戸だけではありません。今回の舞台となるのは紀州――柳沢吉保の最後の命を受けて吉宗暗殺に向かった徒目付・永渕啓輔が、何と今回の主人公というべき役割を果たすことになります。

 剣においては水城聡四郎の好敵手である永渕ですが、さすがは隠密の任務も担当する徒目付らしく、江戸からの小間物屋というスタイルで紀州の城下町に潜入。商人宿に泊まり込んで、商品を売り歩くという名目で歩き回るというのは、遠国御用の定番という印象ですが――しかし計算外(?)は今の紀州は吉宗の倹約政策で品が売れないことであります。
 「しまったなぁ……」という芝居が、いつものクールな彼らしくなくて実に新鮮ですが、もちろんそれで引き下がるはずもありません。今度は吉宗の菩提寺に手を伸ばした永渕ですが、誤算だったのは吉宗が下々の世情に通じていること、そして異様にフットワークが軽かったことであります。

 まだ心の準備が出来ていなかったところで吉宗と対面してしまった永渕の行動とその結果は――仮に心の準備ができていたとしても同じ結果となったのではないかと思わされますが、やはりここは将軍を窺う人間として、吉宗の貫目勝ちというべきでしょうか。


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ようやくオッド姫とブブが帰ってきたと思えば、ヤヴェ王子の暴走に揺れていたビジャ。ここにジィと大隊長ゾフィはそれぞれヤヴェ殺しという決意を固め、そしてついにジィに先んじてゾフィがヤヴェを手に掛け……
 ということで、蒙古側だけでなくビジャ側でも血が流されることとなった後継者争い。しかし大きく異なるのは、ビジャの側には墨家がいることでしょう。大逆の罪をひっかぶって命を絶ったゾフィに対し、ブブが見せた行動とは――あっ、これ『墨攻』で見た気がする! というのはさておき、残酷でプリミティブなようでいて人の情の通ったブブの行いには、古代から変わらぬ墨家の姿を見た思いがします。

 そしてその行為は、意外な人物の心を動かすことになります。以前から、ある意味典型的な小才子の奸物のようでいて、奇妙に人間味のあるところを見せていたこの人物ですが、さてここから本格的に変わっていくのか――それはまだわかりませんが、彼の良心を信じてみたい気もいたします。


『侠客』(落合裕介&池波正太郎)
 ついに最終回を迎えた本作、水野十郎左衛門に呼び出され、長兵衛は彼の屋敷に向かうことになります。十郎左衛門も長兵衛も、それぞれに和解の道を探しての対面ですが、しかし旗本奴たちが長兵衛をただで帰すはずもなく……

 というわけで、結局運命は変わることなく「湯殿の長兵衛」で終わることとなった本作ですが、しかし長兵衛の預かり知らぬところで行われたというのが、一つの救いとも皮肉ともいうべきでしょうか。命が失われていく長兵衛を抱き留めて、「伊太郎っ」とかつての名を呼ぶ十郎左衛門の姿は、何とも刺さるものがありますが――それ以上に衝撃的なのは、後日談で語られる彼の切腹時の姿でしょう。
 これがあの快男児か、と愕然とさせられるその姿からは、その後に彼の抱えた絶望と――武士を捨てた、いや捨てることができた長兵衛が、しかし十郎左衛門よりも旗本奴の誰よりも、「武士らしい」潔い死に様を遂げた、運命の残酷さ、皮肉さを感じさせられます。

 しかしもちろんそれだけでなく、長兵衛の生涯に見出すべきは、如何にして人が人として生きるべきか、という上での一つの希望なのでしょう。『侠客』、大団円であります。


 次回に続きます。


「コミック乱ツインズ」2023年4月号(リイド社) Amazon

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2023.03.13

手塚治虫『火の鳥 乱世編』 手塚版平家物語 源平に分かれた恋人たち

 『火の鳥』第9部は乱世編――平安時代末期、源平合戦を背景に繰り広げられる、権力と火の鳥に取り憑かれた者たちの争い。そしてその争いに巻き込まれ、源氏と平氏に別れることになった若き恋人同士の弁太とおぶうの運命は――手塚版『平家物語』というべき物語が展開します。

 平家が権力の絶頂にあった時代――都に薪売りに行った際に櫛を拾い、恋人のおぶうに持って帰ったマタギの弁太。しかしその櫛が、平家と対立する藤原成親の持ち物であったことから関与を疑われ、弁太とおぶうの親は殺された末に、おぶうも侍たちに捕らえられることになります。
 おぶうを追って都に向かい、侍相手を次々襲って恐れられるようになった弁太は、やがて都の浮浪児たちと知り合い、彼らが神サマと呼ぶ人物(実は『鳳凰編』の我王)、そして少年時代の源義経と出会うのでした。

 一方、おぶうはその美貌に目をつけた平宗盛の妻の策で殿中の女官にされ、さらに清盛の侍女となることになります。清盛はおぶうの優しくも飾らない気性に安らぎをおぼえ、そしておぶうの方も、絶対的な権力者である清盛の中の孤独と恐れに触れ、次第に彼を慕うようになるのでした。
 しかし一門の未来を案じ、死を恐れる清盛は、その血を飲んだものを不老不死にするという火焔鳥を求めて暴走、宋から火焔鳥を取り寄せたものの、孔雀に過ぎなかったその鳥の血を飲んだ直後に、おぶうの腕の中で清盛は息絶えることになります。

 清盛の死により没落していく平氏と、ついに決起した木曾義仲や源頼朝たち源氏の間で始まる激しい戦。鞍馬山以来義経と行動を共にしてきた弁太も、義経に引きずられるままに戦に加わり、その一方で吹の方と呼ばれるようになったおぶうは、自ら望んで平氏の人々と行動を共にすることになります。
 そして壇ノ浦の戦いの最中、ついに再会した二人は……


 鹿ヶ谷の陰謀の少し前から始まり、義経の最期まで――ほぼ『平家物語』のそれと対応した内容を描く本作。絶頂からの平氏の没落と、源氏の逆襲という激動の時代――本作は限られた紙幅で、巧みに平家物語を、そしてその背景となる史実を再構築していきます。

 その狂言回しというべき存在が、弁太とおぶうの二人であることは言うまでもありません。都の近くの山で平和に暮らす恋人同士であった二人が、数奇な運命に飲み込まれた末に源氏と平氏、その双方の中心近くに存在することになり、両者の興亡をつぶさに目撃する――本作はそんな構成の物語です。
 それは、先に名を挙げた人々を中心に語られる源平合戦の物語に対する一種のアンチテーゼであり、そしてこれまでの過去サイドの『火の鳥』に共通する、反権力の、庶民の視点から歴史を語る姿勢でであることは言うまでもないでしょう。

 しかし、弁太――その名と行動からわかるように、彼が弁慶のモデルとなるのですが――が、ひたすら状況に流され、ほとんど人間的に成長しないまま義経に引っ張り回される一方で、おぶうの方は自分の考えを持ち、やがて平氏を引っ張っていく存在にまでなっていくのが、何とも興味深い。この辺りの男女関係の描写にもまた、『火の鳥』らしさを感じるところです。
(もっとも、どんどん「武士」としての素顔を見せていく義経に対し、弁太が反発しつつも口だけで結局従うのはフラストレーションが溜まるところですが――だからといってラストで溜飲が下がるわけでもなく)


 そして火の鳥ですが、実は本作においてはエピローグに至るまで登場せず、作中で中心となるのは紛い物――清盛が宋の商人から火焔鳥だと掴まされたただの孔雀であります。しかしその紛い物に清盛が惑わされただけでなく、義仲もこれを求めて暴走し、頼朝もこのために疑心暗鬼に陥り――ただ義経のみが火焔鳥など知らず暴れていたというのも、実に皮肉というべきでしょう。

 しかしエピローグにおいて、この義経と清盛は、真の火の鳥と見えることになります。それも、ひどく皮肉で恐ろしく、物悲しい形で。これまた火の鳥の真価(?)を発揮したと言いたくなる結末であり、そして源平合戦に対する作者の一つの評価を示すものとも感じます。

 ただ、冷静に考えてみると清盛と義経は直接対決どころか出会ってもおらず、ましてや――というわけで、何となく対比関係として釈然としてしないものが残るのも事実(義朝ならまだわかるのですが……)
 先に挙げた弁太の態度もあり、どこかスッキリしない読後感が残るのはこの辺りに起因する――というわけではないかもしれませんが、個人的には、面白いと思いつつも無条件で評価しにくい部分も残るエピソードであります。


『火の鳥 乱世編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) 第7巻 Amazon / 第8巻 Amazon

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2023.03.10

大島幸也『平安とりかえ物語 居眠り姫と凶相の皇子』第2巻 運命の再会――からの思わぬすれ違い!?

 山本風碧の『平安とりかえ物語 居眠り姫と凶相の皇子』を大島幸也がコミカライズした漫画版第2巻であります。性別を偽り、陰陽寮に入るという夢を叶えた小夜が出会ったのは、かつてその運命を占った千尋。決して正体を明かしてはならない男装ですが、千尋は妙に小夜を気に入ってしまい……

 幼い頃から夜空の星を見ることに魅せられ、昼は居眠りばかりの大納言家の姫・小夜。その才を見抜いた宿曜師・賀茂信明の計らいで、忌子と言われる親王・千尋の星を観ることになるのでした。
 それから四年、自分の行き先を決めようとする親に反発する小夜に対して信明が提案したのは、彼女と瓜二つながら病弱な自分の息子と、小夜との入れ替わり。これを受け容れて陰陽寮に入ることになった小夜は、睡眠不足で昏倒しかかったところを、通りすがりの貴族に保護されるのですが、その相手は何と……


 というわけで、予想通りというべきか何というべきか、小夜が出会った貴族の正体は、四年前に出会った千尋その人。しかし今の彼女は、信明の息子に扮している以上、小夜の名乗りを上げるわけにはいきません。
 しかもややこしいことに今の千尋は中務省の長官――つまり陰陽寮を管轄する立場であります。何故か(?)小夜を気に入った千尋の命で、星を観るようにしばしば呼び出される小夜ですが、千尋はいまだに凶相の皇子として父である帝からも疎まれ、周囲からも白い目で見られる存在。おかげで小夜もまた、周囲から浮いた存在になってしまうのでした。

 その上、千尋が何かと過剰なスキンシップを求めてくるため、千尋と小夜はだ、男色の疑いをかけられることに――!


 いやはや、物語的には原作と変わらないはずですが、絵が――それもなかなかに端正な絵がついた時の破壊力たるや、想像以上のものがある本作。一体どんな顔をして読めばよいのか、困ってしまいます。
 いやいや、普通の男は男同士でそんなことはせんだろ、とツッコミたくもなってしまうのですが、実は千尋の方はしっかり気付いていて――と、意外と千尋はグイグイいくタイプなのに対して、小夜がてんでニブチン(こればかりは千尋が可哀想なくらいに……)で、と思わぬすれ違いが生じるのが、何とも愉快であります。

 しかしそれはそれで、小夜が男装して何をしているのか、千尋が訝しく思わないはずがありません。しかも小夜の「親」として近くにいる信明は、年齢こそだいぶ上とはいえ、かなりのイケメン。一方、信明にとっては小夜はまだまだ息子の身代わりでいてくれなければ困るわけで――かくて小夜を間に挟んで、千尋と信明が火花を散らすことに……


 というわけで、何となく小夜と千尋がいちゃいちゃしている(いや、千尋が一方的に空回りしていたのか……)のをずっと見せられていた気もするこの巻ですが、そんな中でも物語はクライマックスに向かっていきます。
 小夜は自分の未来を掴むことができるのか、千尋の想いは小夜に通じるのか、そして腹に一物ありそうな信明の真意は……

 まず間違いなく最終巻となるであろう次巻に期待であります。


『平安とりかえ物語 居眠り姫と凶相の皇子』第2巻(大島幸也&山本風碧ほか KADOKAWA BRIDGE COMICS) Amazon

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2023.03.02

手塚治虫『火の鳥 羽衣編』 舞台の上で繰り広げられる異色のエピソード

 『火の鳥』の中でも、実験的な手法とその内容から、異色作というべき「羽衣編」。平安時代中期を舞台に、羽衣伝説を題材とした哀切な物語が展開します。孤独な男の前に現れた美しい布を身に着けた美女の正体とは……

 ある日、三保の松原の松の木にかけられた美しい布を見つけ、自分のものにした漁師のズク。その前に現れたおときと名乗る美女は、自分は遠い空の上の国から旅をしてきた人間であり、その布は大切なものなので返して欲しいと訴えるのでした。
 お上に虐められ通しの辛い毎日、おときが一時でも一緒に暮らしてくれれば幸せになれるかもしれないと頼み込むズク。その願いにおときが応えて三年、仲睦まじく暮らした二人の間には子供も生まれるのですが、そこに藤原秀郷に仕える侍が現れます。

 平将門の乱鎮圧のため、ズクを兵として連れて行くという侍に対し、おときはズクを見逃してもらう代わりにと、あの布を差し出すのですが……


 日本各地に、いや世界各地に残る天女の羽衣伝説。言うまでもなく本作はその伝説を題材とした物語ですが――まず目を奪われるのは、その表現のスタイルであります。
 本作では冒頭とラストに、能舞台(ラストカットでは人形浄瑠璃が意識されているようですが)を思わせる舞台と観客の姿が描かれ、本編はあたかもその舞台上で演じられているように、同じ背景――鏡板に描かれたものを思わせる松と、ズクの暮らす陋屋の前で、最初から最後まで描かれるのです。

 この辺りは、羽衣伝説の舞台として有名な能の「羽衣」を意識――舞台がこの能と同じ三保の松原という点も含めて――してのものだと思われますが、漁師が天女の舞に感じ入ってすぐに羽衣を返す能と異なり、本作では他の伝説と同様、漁師と天女の間には子供が生まれることになります。
 その一方で、伝説では夫の留守中に羽衣を見つけた天女が、それを身に着けてさっさと故郷に帰ってしまうのに対して、本作では終盤に大きな違いが――本作ならではの物語が描かれることになります。
(この先、作品の核心に触れます)


 実は、絶望的な戦争が続く未来の人間であり、火の鳥の導きでこの時代に逃れてきたおとき。天女の羽衣は未来の衣類であり、それがこの時代に残っては、歴史が変わってしまう――そんな悩みを抱えつつも、愛するようになったズクのために、彼女は羽衣を差し出すのであります。
 しかしズクは羽衣を取り返しに行ったまま戻らず、そして絶望したおときは、羽衣以上のパラドックスである自分の子を手に掛けようとするも……

 時代が異なるとはいえ、同じ人と人との間に生まれた愛と絆の姿と、それが人の手に寄って断ち切られ、失われていく姿を描いた本作。火の鳥の存在は言葉で語られるのみながら、そこで描かれる人間の卑小さと尊さは、やはり『火の鳥』ならではでしょうか。


 ……と言いつつも、やはり色々と違和感のある本作。この辺りはかなり有名なお話ではありますが、初出ではおときは核戦争の犠牲者で、放射能障害に関する表現があったために後の版で修正が入ったとか、本作は『望郷編』のプロローグ的位置づけだったのが色々あってナシになってしまったとか――外側の事情で色々あった末に、他のエピソードと接点のない、内容的な異色作になってしまった作品といえるかもしれません。

 個人的には、将門の領地なのに三保の松原? とか、平良望が亡くなって最大でも三年しか経ってないのにもう秀郷の討伐軍が? とか、年表マニア以外には本当にどうでも良いことが気になるのですが、この辺りも修正の副作用のようではあります。


 ちなみに本作は、かつて京都の駅ビルの中にあった手塚治虫ワールドでの上映用にアニメ化されています(現在は動画配信サイトで視聴可能)。手法的には普通のアニメになっていますが、内容の方も原作とは大幅に変更され、山賊のズクが不思議な少女の導きでトキと出会い、その不思議な衣を奪うも、やがてトキの優しさにほだされて一緒に暮らすようになり――という物語となっています。
 ズクが猿田彦顔ということもあり、羽衣編というより鳳凰編の我王と速魚のくだりのリプライズという印象もありますが、トキとズクの、いかにも『火の鳥』らしい因縁など、原作と別物と思えばそれなりに楽しめる作品であります。

 しかし個人的には猿田彦顔のズクの子供の名前が「ナギ」というのにグッと来たのですが、この子、エンディングでは……(本当にどうしてこうなったのか)


『火の鳥 羽衣編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) Amazon

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2023.02.11

森山光太郎『卑弥呼とよばれた少女』 迫る火の神の子vs天孫、決戦の刻!

 邪馬台vs大和、卑弥呼vs天孫というシチュエーションの妙に驚かされた『火神子 天孫に抗いし者』の続編であります。大和の脅威に対抗するために倭(九州)に向かい、国々をまとめんとする翡翠命。しかし彼女の前に、倭最強の敵が立ち塞がります。

 大陸から倭国に渡り、その統一のために諸国に侵略を開始した大和の王・御真木によって、父と一族、民の全てを失った長髄の姫・翡翠命。一度は死を恐れ、戦う心を失った翡翠命ですが、恐れながら懸命に努力するある少女の姿に奮起――高島宮で繰り広げられた大和との死闘の最中にその力を覚醒させ、死地からの脱出に辛くも成功することに……
 という場面で終わった『火神子』の続編である本作では、なおも続く大和の攻勢に抗うため、倭(九州)に渡り、この地の統一を目指す翡翠命の姿が描かれることになります。

 二十年前、その力を謳われた王・帥升が命を落としてから、小国同士が争いを続ける倭。その中で耶馬台と投馬を瞬く間に手にし、帥升の忠臣だった老将・弓上尊を配下に加えた翡翠命ですが、敵は南北に存在します。
 東から迫る大和と結び攻勢を強める北の四国もさることながら、しかし最大の脅威は南の隼人――そして隼人を率いるのは、かつて高島宮で翡翠命たちと共に戦いながらも、翡翠命の強さに魅せられ、彼女を倒すために王となった無双の武人・菊地彦であります。剣を交えれば翡翠命以外では到底及ばない豪勇を示す菊地彦ですが、しかし彼は戦いの中で翡翠命の中の変化に気付き、翡翠命も己の中の、ある心に苦しむことになります。

 そんな中、北国を平定し、中国四国を殲滅して迫る大和軍。そして翡翠命の幼馴染であり、師・左慈の息子でありながら大和に降り、その覇業を助けてきた左智彦が御真木に授ける策とは……


 前作が卑弥呼(本作においては「火神子」)誕生編だとすれば、躍進編とでもいうべき内容の本作。敵対する者と弱者は一切許さない大和の覇者・御真木を阻むべく、覇者と王者双方の資質を持つ翡翠命がついに立つことになります。

 しかしそのためには小国が群立する倭を統一せねばならず、しかも大和が他の地域を統一して倭に到達するまでにそれを成し遂げなければならない――そんなタイムリミットがある中で、翡翠命の苦闘は続きます。
 そんな中で最大の敵になるのが、隼人の王・菊地彦ですが――前作のクライマックスで翡翠命たちと共に戦った間柄だけに、ここで敵対するのか! と驚きましたが、なるほど、菊地彦=クコチヒコであるとすれば、それは必然というべきかもしれません。

 そんなわけで、本作のほぼ全編を通じて、弥生時代の国盗り合戦という、これまでの作品ではほとんど見られなかったような合戦模様が描かれることになるのですが――正直なところ(こういうことはあまり書かないのですが)、自分語りと男臭い会話で進んでいく物語描写は、どうにも既視感があり、今ひとつ乗れなかったというのが正直なところではあります。

 しかしそんなマッチョな世界の中で、異彩を放つのが翡翠命の存在であることは言うまでもありません。
 前作では一族の幼子の処刑を目の当たりにしたことで死の恐怖に取り憑かれ、一時は完全に戦う心を喪った翡翠命。今は死の恐怖は残しつつも、戦う心は完全に取り戻したのですが――しかしその心の中では、裏切りという行為への激しい怒りがくすぶっていたのであります。そしてその怒りは、火の神の子を自称する彼女にとっては命取りとなる「人間らしさ」というべきものとして描かれます。

 しかしそもそも彼女の中に裏切りの怒りを植え付けたのは、左智彦の存在なのですが――その彼のある行動が、本作の後半では描かれることになります。
 正直なところ、彼の行動理由については、前作の時点で皆予想していたかとは思いますが、しかしここで見せる彼の想い、いや心意気は、それでもなお実に熱く、そして本作ならではのものとして響きます。


 そんな左智彦の一世一代の見せ場から菊地彦との決戦になだれ込み、ひとまず本作は結末を迎えることになります。倭国の命運を左右する一大決戦はもはや目前、をおそらくは次回作で決着するはずのこの戦い――「火の神の子」翡翠命と「天孫」御真木の戦いはどのように決着がつくのか、そして「史実」とはどのような整合性を見せるのか?
 その結末を目にする時を今から心待ちにしています。


『卑弥呼とよばれた少女』(森山光太郎 朝日新聞出版) Amazon

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2023.02.09

手塚治虫『火の鳥 鳳凰編』 大仏建立を背景に描く、輪廻する命と人の生の意味

 『火の鳥』の中でも、時代順でいえば過去から三番目に当たる物語であります。奈良時代、仏教が政治と結びついていく中で対照的な人生を歩む二人の仏師。彼らの前に現れる火の鳥は何を語るのか――大仏開眼をクライマックスに、数奇な生命の物語が描かれます。

 生まれてすぐに事故に遭い、片目と片腕、そして父親を失った我王。人を殺し、物を奪うことを何とも思わぬ男に育った我王は、ある時出会った仏師の茜丸の利き腕を些細な理由で傷つけ、仏師としての生命の危機に追い込むのでした。
 やがて速魚という美しい娘を強奪同然に自分のものとし、盗賊団の頭目として荒んだ暮らしを送る我王。そんな中、鼻の出来物に苦しむようになった我王は、それが速魚の仕業と思い込んで彼女を斬るのですが――後で真実を知り絶望することに。そして捕らえられ、死罪を宣告された我王は、高僧・良弁に命を救われ、その弟子として諸国を巡る中、仏師としての才能を開花させるのでした。

 一方、利き腕が使えなくなりながらも、もう片方の腕でさらに優れた作品を作るようになった茜丸は、橘諸兄から三年以内に鳳凰の像を造るように命じられ、できなければ殺されることになります。クマソの伝承から火の鳥が棲むという九州に向かうも、ついに出会うことはできず、処刑されることになった茜丸ですが――吉備真備に救われ、その手引きで訪れた正倉院で不思議な夢を見た末に火の鳥と対面することになります。

 ついに火の鳥を像にすることに成功し、真備の後ろ盾で大仏建立の責任者を任せられた茜丸。一方、政治の道具となった仏教に絶望して即身仏となった良弁との別れを経験した我王は、悲しみの中で生命の意味を悟るのでした。
 そして真備から諸兄に庇護者を替えた茜丸は、大仏殿の鬼瓦作りで、我王と勝負することになります。諸国を巡って見た人の世の理不尽への怒りを背負う我王と、権力者の下で栄達を極めた茜丸、二人の対決の行方は……


 放佚無慙に生きる異形の男と、ひたむきに芸術に打ち込む青年という、全く対照的な、しかし共に優れた仏師の才能を持つ二人を主人公として展開するこの鳳凰編。それぞれに過酷な人生を送った末に己の仏像を作ることに目覚め、それを極めんとする二人の姿を描く本作は、政治と仏教が結びついた一つの象徴というべき大仏建立を背景に、一種の芸道もの、仏教ものといった趣すらあります。

 そんな中で、火の鳥は、これまでの(過去を舞台とした)物語とは異なる立ち位置を見せることになります。これまでの物語では、様々な形で火の鳥に不老不死を求める者が登場しましたが、本作における火の鳥は、不老不死というよりも、死んだ後も復活して新たな生を得る、いわば輪廻転生の象徴として描かれるのです。
 これまでも、一度死んで炎の中から甦る姿が描かれた火の鳥。そして輪廻転生という概念自体も、我王の前世や来世であるキャラクターたちを通じて描かれてきたわけですが――それがここで大きなウェイトを持って感じられるのは、やはり本作が仏教というものを、物語の中心に据えているからなのでしょう。

 ある意味、仏教の根本ともいえる輪廻の思想に立てば、ほとんど全ての生き物は、火の鳥同様に死んだ後も新たな生を受け、生き続けることになります。本作において茜丸と我王は、それぞれの立場から火の鳥に触れ、そしてこの事実を悟るのですが――しかしその果てに知らされる運命の残酷さには、思わず言葉を失うものがあります。
(特に茜丸の運命を見た時にはさすがにこの××鳥! という想いが……)

 それでもなお人は生きるべきなのか、その中で何を為すべきなのか――その答えの一端は、業を一身に背負ってもなお生き続ける我王の姿にあるのでしょう。
 世の不条理に怒りを燃やし続け、あまりに悲劇的な生の現実を見届けた上で、なお「だがおれは死にませんぞ」と言い切る我王。その姿はあまりに苛烈ではありますが、そこには輪廻してなおも生き続ける火の鳥とはまた異なる、限られた人間としての生を生きる者ならではの輝きがあると感じられるのですから……


『火の鳥 鳳凰編』(手塚治虫 講談社手塚治虫漫画全集ほか) 第5巻 Amazon / 第6巻 Amazon

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