2024.09.05

おかしなトリオが見せる「うたの力」 木原敏江『ふるふる うたの旅日記』

 時に叙情的に、時にコミカルに多くの歴史ものを描いてきた作者の作品の中でも、今回紹介するのはコミカル色強めのユニークな物語です。とんでもない悩みを抱える修行僧、泥棒もお手のものの美貌の遊芸人、そして記憶喪失の怨霊(?)というおかしなトリオが賑やかな旅を繰り広げます。

 雨宿りしているお堂に飛び込んできた女性と見紛うばかりの美形の遊芸人・活流、そしてそこに落ちた雷と共に現れた記憶喪失の女官の怨霊・おぼろ式部と出会った旅の僧・青蓮法師。
 そこでその地の長者から法事での読経を頼まれた法師は、一度は固辞したものの、是非にと頼まれて仕方なく読経を行ったものの、そこでとんでもない事態が――実は彼は、一心に経を読むと、聞く者が皆ぐっすりと眠ってしまうという悩みを抱えていたのです。

 活流がなぜか経を聞いても眠らないことに喜ぶ法師ですが、活流が全員眠りこけた長者の家から金品を盗み出したために、仲間扱いされて慌てて逃げ出す羽目になります。
 かくして青蓮法師の名を使えなくなった彼は、俗名の降日古を名乗り、活流、そしておぼろ式部と共に旅を続けることに……


 経文を唱えれば菩薩や飛天が現れるほどの奇瑞を発揮しながらも、常人は眠ってしまうという特異体質(?)を持つ降日古、時には盗賊に早変わりする遊芸人の活流、恋を夢みて現世に戻ってきたもののなぜか降日古に憑いてしまったおぼろ式部――本作は、そんな一癖も二癖もあるユニークな主人公トリオが織り成す物語です。
 本作では、このトリオが行く先々で様々な事情を抱えた人々と出会い、それを彼らならではのやり方で解決していく様が描かれます。

 一旗揚げるために出ていった恋人を待つことに疲れた土地の名家の娘、下働きの娘が家を乗っ取ろうとしていると思い込んだ孤独な老女、幕府への謀反に巻き込まれて逃げる夫婦、さらには式部を調伏しようと追ってきた「護法の天狗」を自称する修験者――最後の一人はともかく、どの登場人物も一筋縄ではいかない悩みを抱えているのを、基本コミカルに、そして時に叙情的に降日古たちは助けることになります。。

 そしてそんな中で大きなウェイトを占めるのは、言葉の持つ不思議な力です。古来より、人間が様々な願いや想いを込めた言葉――その最たるものである「うた」の力を本作は描きます。

 特にそれがよく現れているのは第二話のクライマックスでしょう。ようやく自分のもとに帰ってきた男を、意地を張って一度は追い返したものの、後悔して後を追う娘。しかし男は既に遥か先に行ってしまい、追いつくのは到底不可能に思えたところで、降日古と活流が歌ったうたは……
 通常であればありえない奇瑞ともいうべきそれを、本作は巧みなドラマの盛り上げと画の力、そしてそこで歌われるうたの絶妙ななチョイスで、不思議な説得力を持って描きます。それを見れば、本作の副題が「うたの旅日記」というのも納得できるでしょう。

 そしてそんな本作の主人公が、これも一種の「うた」である経文を読む僧侶と、「うた」に合わせて舞い踊る遊芸人というのもまた象徴的であると感じられます。


 そんな一方で、生真面目な降日古と、いい加減で脳天気な活流という水と油の二人が旅を通じて友情を育んでいく様も本作の楽しいところです。そんな二人に比べるとちょっと引いた感もあるおぼろ式部も、物語のラストで判明する正体はびっくり仰天、何とも愉快な幕引きを迎えることになります。(特に「天狗」との対峙から正体を思い出す展開はお見事!)

 物語的には単行本全一巻でまとまってはいるものの、テーマといいキャラクターといい実に魅力的で、まだまだその先の旅を見たいと思わせる快作です。


『ふるふる うたの旅日記』(木原敏江 集英社クイーンズコミックス) Amazon

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2024.09.04

伝奇西部劇の極北 黒人ボクサーVS獣人魔族! 技来静也『ブラス・ナックル』

 決して数が多いわけがない伝奇西部劇漫画の中でも、極北と呼ぶべき作品は本作でしょう。人間社会に潜む人食いの獣人魔族を狩るため、元ヘビー級黒人ボクサーが己の拳を武器に孤独な戦いを続けるバイオレンスアクション――『セスタス』シリーズの技来静也のデビュー作です。

 舞台は1885年のアメリカ西部――何人もの白人を無惨に殺した罪で追われる賞金首「血の雨ヴィクター」こと元ヘビー級ボクサー、ヴィクター・フリーマン。今日もまた、酒場に逃げ込んだ女性を無慈悲に撃ち殺して保安官に捕らえられた彼は、自分の身には頓着せず、殺した女の死体を気にするのでした。

 その晩は満月――安置されていた女の死体が突如蘇り、葬儀屋を無惨に食い殺します。実は女の正体は、古くから人間に化けて社会に潜み、夜にその正体を現しては人々を食らう獣人魔族。そして実はこれまでにヴィクターが殺してきたのもまた、全てこの獣人魔族たちだったのです。
 満月の夜に力を最高潮に発揮する獣人魔族には、通常の武器は通用しません。しかし、ヴィクターは身につけたボクシングの技、そして左手に装着した銀の弾丸を発射する鋼鉄製の拳「ブラスターナックル」を武器に、単身で魔族に立ち向かいます。

 死闘の末、魔族を滅ぼしたヴィクター。しかし魔族は死ねば人間の姿に戻ってしまうため、彼は「殺人鬼」としてさらなる汚名を背負うことになります。しかし彼はそれを意にも介さず、新たな狩りへ……


 人間社会に潜む魔物と人知れず孤独に戦い続ける戦士――伝奇ものでは定番のシチュエーションです。
 しかし本作はそれを踏まえつつも、舞台を19世紀のアメリカ西部に置き、主人公ヴィクターを黒人にすることで、物語に異様な緊迫感を生み出しています。

 物語の背景となっているのは、奴隷解放宣言から約二十年後とはいえ、依然として根強い黒人差別が残るアメリカ西部。そんな中、ヴィクターが戦う獣人魔族の多くは、今なお支配的な立場にある白人たちに擬態して、黒人たちを文字通り「食い物」にしているという状況にあります。
 そんな中で、黒人のヴィクターが獣人魔族を追い詰めるのは困難であるだけでなく、相手を倒しても、残るのは白人の死体――人知れぬ戦いであるがゆえに誤解され、逆に追われるという設定も定番ではありますが、ここまで厳しい状況も珍しいでしょう。

 特に二番目のエピソードでは、白人の町長に擬態した魔族が近隣の黒人の村を蹂躙するも、手下として動くのは単に差別感情に駆られた人間であり、そしてそれに抗する黒人たちも、捕らえた手下たちを法で裁くのではなく、私刑にかけて――と、きっかけは魔族であっても、暴力の連鎖を生むのは人間の心という、実に胃の痛くなるような状況が描かれます。

 その一方で、後半展開される長編エピソードでは、ヴィクターの首を狙う賞金稼ぎが集団で登場、様々な技で襲いかかる――という展開もあり、シチュエーションからもアクションの面からも、西部劇として魅力的に感じられます。


 しかし、自分以外は全て敵という絶望的な戦いの中にあって、どのような状況にあっても心折れないだけでなく、己の手で魔族たちを叩きのめすヴィクターのアクションは、見どころであると同時に一つの救いといえます。
 作者はこの作品の後に、古代ローマを舞台に本格ボクシング漫画を描くという離れ技を見せますが、その筆力はこのデビュー作の時点で既に確立されています。さらに必殺のブラスターナックルは、魔物に抗する銀の弾丸という古典的な武器に、新たなカタルシスを与えているといえます。

 とはいえ、そのボクサーとしての技があるとはいえ、なぜ彼が魔族を狩るようになったのか、そもそもその技や装備はどこで得たものなのか――それも物語の中で徐々に明らかになり、やがて巨大な伝奇物語の枠組みが浮かび上がる様も、また見事というべきでしょう。

 単行本全三巻と決して長くはありませんが、高い完成度を持つ本作。もし作者がこの路線を続けていたら――というifを夢見たくなる、異形の西部劇アクションの佳品です。


 とはいえ、人間に擬態し死んだ後には人間の姿に戻る魔物と戦う、腕に武器を仕込んだ孤独な巨漢(後半にはさらにそのものずばりの片手を持つキャラも登場)という設定には、既視感がないでもないですが、作者にはあの作品とも浅からぬ縁があるので、これはまずご愛敬でしょう。
 ここはむしろ、この設定を現実世界を舞台にして、自分の得意な題材で描いてみせたことを、大いに評価すべきと感じます。


『ブラス・ナックル』(技来静也 白泉社ジェッツコミックス) Amazon

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2024.09.03

劇団☆新感線『バサラオ』(その二) 裏返しの新感線ヒーローの危険な魅力

 劇団☆新感線44周年興行『バサラオ』の紹介、後編です。婆娑羅が横行する世界に登場するキャラクターたちの姿とは――

 このような物語世界に登場するキャラクターが普通であるはずもなく、ほとんど皆が皆、自分の信念――というよりもエゴで動き、それが混乱をさらに加速させていくのもまた、実にこの時代らしいといえるでしょう。
 こうしたキャラクターの大半は、『ジャパッシュ』モチーフのヒュウガとカイリを除いて、実在の人物をモデルにしており、それは名前を見れば察することができます。
 ゴノミカド(後醍醐天皇)、キタタカ(北条高時)、サキド(佐々木道誉)、クスマ(楠木正成)、アキノ(北畠顕家)――いずれも歴史に名を残した強烈な個性を持つ面々がモチーフですが、彼らを演じるキャストもまた、はまり役揃いなのが嬉しいところです。

 特に印象に残るのはゴノミカドです。普段は関西弁のとぼけたおっさんながら、裏では髑髏本尊を崇めて幕府を呪詛し、時に平然と配下を切り捨て、そして途方もなく暴力的な行動に出る――そんな主人公の最大の壁というべき存在を古田新太が演じた時点で、キャスティング的に大勝利というほかありません。


 しかしそれでもなお、そんな面々を押しのけて、常に物語の中心にいたのは、ヒュウガとカイリの二人――天下を取るという確かな目的で結ばれているようでいて、互いを含めた他者への裏切りや謀略を繰り返す、一瞬たりとも油断できないキャラクターです。
 己の美を輝かせることを行動原理とするヒュウガはもちろんのこと、その影のようでいて、それ以上に策謀を働かせるカイリも一歩も引かない――これまでの新感線作品にもバディ的な二人は様々登場してきましたが、この二人はその関係性を裏返しにしたようにも感じられます。

 いや、裏返しといえばヒュウガの存在は、これまでの新感線作品に登場したヒーローたちの裏返しという印象が強くあります。
 もちろん全てではないものの、たとえば『髑髏城の七人』の捨之介や『五右衛門ロック』の五右衛門がそうであったように――人々を苦しめる悪党を叩きのめして平和を取り戻し、人々の前から風のように去っていく。確かに、そんな痛快なヒーローたちと同様に、ヒュウガもまた、人々を抑えつける者たちを容赦なく叩きのめしていきます。

 しかしその先にヒュウガが求めるものは平和や人々の救いではなく、混沌の中で己の美が咲き誇る世界――そのために倒すべき幕府や帝もまた、強大かつ悪辣な存在として描かれているものの、それ以上に容赦なく敵を追い詰めるヒュウガの姿は、やがて痛快さを通り越し、本当に彼に喝采を送ってよいのか、考えさせる存在となっていきます。

 この辺りは、やはり『ジャパッシュ』の日向に通じるものがあります。しかし、あちらが明確に独裁者の座を求める邪悪な存在であったのに対し、「己の美」という価値観が間に挟まることで、ヒュウガは、まだマイルドな印象を与えますし、舞台が混沌とした南北朝時代モチーフであるのも、印象を大きく変えています。
 さらに、日向に対してほとんど無力だった石狩と異なり、カイリはヒュウガと対等に近い存在である点も大きいでしょう。

 その一方で、終盤のあるシーン――ヒュウガに喝采を送る「自由な」群衆が、自分たちよりも弱い存在には容赦なく暴力を振るい、奪い取る姿を見れば、「今」だからこそのヒュウガの危険性について、作り手側も自覚しているとも感じられます。
(もっとも、あのオチ的なラストシーンには、それでも一種の迷いというか衒いも感じてしまうのですが)


 しかしそうした危険性は感じさせつつも、それでもなお、ヒュウガというキャラクターも『バサラオ』という物語自体も、非常に魅力的であることは間違いありません。

 特にクライマックスの両軍の決戦――舞台上で帝二人が連続して××されるという展開には、本当に良いのか!? と仰天――から、バサラの王となったヒュウガが群衆を従えて舞い踊る、高揚感に満ちたシーンに続く流れには、「自分は今、何かとんでもないものを目撃している!」という得体の知れない感動を覚えました。

 この生観劇の醍醐味というべき強烈な感覚は、正直なところ新感線の舞台でも久しぶりに味わったものでしたが――それだけ本作が衝撃的な作品であるというべきなのでしょう。
 新感線でも屈指の殺伐としたシーンの多さ(これだけ多くの生首が出てきたのも珍しいのでは)にも、そして大きな危険性を孕んでいるにもかかわらず――それでも不思議な爽快感すら感じさせる、まさに主人公のキャラクターそのものを体現するような作品です。


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2024.09.02

劇団☆新感線『バサラオ』(その一) 新感線と婆娑羅の驚くべき親和性

 劇団☆新感線44周年興行『バサラオ』を観劇しました。鎌倉時代末期から南北朝時代の日本をモチーフにした世界を舞台に、凄まじいまでの美を持つ男が、幕府と朝廷を向こうに回してのし上がっていく姿を描く物語――異常なまでにパワフルで暴力的でありながらも、当時に途方もなく蠱惑的な物語です。

 幕府と帝が争う島国「ヒノモト」。その頂点に立つ鎌倉の執権キタタカの密偵として働いてきた青年カイリは、密偵を辞めたいと望むものの、逆心を疑われ逃げる羽目になります。
 その途中、狂い桜の下で女たちを従えて派手に歌い踊る美貌の男――同じ里の出身であるヒュウガと出会ったカイリは、そのバサラぶりに惚れ込み、自ら軍師役を買って出るのでした。

 そして自分たちを討ちに現れた女大名サキドを丸め込み、幕府と対立して沖の島に流されたゴノミカドの首を取ると言い放ったヒュウガ。
 彼が沖の島でゴノミカドと対面、半ば挑発によってその本心を引き出したところに、ゴノミカドの皇子を奉じて山に籠もっていたクスマ一党を動かしたカイリが登場――二人はついにゴノミカドを動かすことに成功します。

 京で再会したサキドを味方に引き入れ、ゴノミカドを奉じた倒幕の軍を起こしたヒュウガ。しかしその陰で、彼は京に来ていたキタタカを密かに逃がすという不可解な動きを見せます。
 一方で、ヒュウガの危険性を見抜いていたゴノミカドは、自身の腹心である戦女・アキノにヒュウガの暗殺を命じます。そしてアキノはカイリがヒュウガに対して密かに殺意を抱いていることを見抜くのでした。

 様々な思惑が交錯する中、バサラの王として君臨せんと暗躍するヒュウガ。彼の野望の行方は……


 鎌倉時代末期から南北朝時代という、ある意味タイムリーな時代をモチーフにしつつ、もう一つ、望月三起也の漫画『ジャパッシュ』を本作。
 現代の日本を舞台に、その美貌とカリスマ性によって力を手にし、独裁者としてのし上がっていく日向と、その危険性を見抜き抗う石狩の戦いを描いた『ジャパッシュ』――望月三起也の作品の中でも異色作・問題作であり、それだけにファンの心に焼き付いた作品――それをモチーフにしたと聞けば、わかる人間には一発で「なるほど、そういう話なのね」と理解できるはずです。

 そんなわけで実際に観る前には「南北朝を舞台にした『ジャパッシュ』か――生々しい話になりそうだなあ」とか「己のカリスマでのし上がって支配者になる男だと、この後に歌舞伎で再演される『朧の森に棲む鬼』とかぶるのでは?」などと思っていたのですが――しかしそれはもちろんこちらの浅はかさというもの。実際に眼の前で繰り広げられたのは、そんな思いを遥かに超える世界だったのですから。

 まず驚かされたのは、劇団☆新感線と南北朝――というよりこの時代の「バサラ」との親和性の高さです。

 バサラ(婆娑羅)とは、「南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾りたてた伊達な風体や、はでで勝手気ままな遠慮のない、常識はずれのふるまい、またはそのようす」(日本大百科全書)。
 本作のサキドのモデルである佐々木道誉がその代表的な担い手として有名ですが、本作のヒュウガは、彼女以上に、その言葉に相応しい存在として描かれます。冒頭、舞台の上から吊りで「降臨」する時点で心を掴まれましたが、その後も物語の要所要所で歌い、踊る姿は、まさにバサラの王に相応しいというほかありません。

 そもそも、劇団☆新感線の、いのうえ歌舞伎の魅力の一つは派手な歌と踊り。ヒュウガを中心に、躍動感たっぷりに人々が歌い、踊る姿は、大袈裟にいえば、まさにバサラのイメージを具現化したものと感じられます。

 劇団☆新感線で南北朝といえば、過去に『シレンとラギ』がありますが、ギリシア悲劇をベースとしたあちらと比べると、この「バサラ」という存在を中心に据えた本作は、全く異なるイメージの作品であり――そしてよりこちらの心に響くものとして感じられました。


 さて、そんな世界に登場するキャラクターたちですが――それについては、長くなりましたので稿を改めて述べたいと思います。


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2024.08.29

かつてない緊迫した状況と、宣能への生暖かい眼差し 瀬川貴次『ばけもの好む中将 十二 狙われた姉たち』

 ばけもの好む中将こと左近衛中将宣能と、彼に付き合わされる右兵衛佐宗孝が繰り広げる騒動を描いてきた『ばけもの好む中将』、番外編を挟んで久々の新作です。多情丸への復讐に心を因われた宣能を気遣うも、空回りしてばかりの宗孝。しかしその多情丸は、宗孝の姉たちに狙いを定めて……

 幼い頃に乳母と共に多情丸に襲われ、自分だけが生き残ったという過去を持つ宣能。彼の多情丸への復讐の決意は固く、危険な企てを何とか止めようとする宗孝との間には隙間風が吹き始めます。

 宣能といえば怪異巡りと、彼の気を復讐から逸らそうと怪異スポットを探したり、乳母の霊を呼び出そうと三流陰陽師の歳明の力を借りて奮闘する宗孝。しかしこういう時に生真面目な彼は空回りし、そればかりか宣能との間にはますます気まずい空気が流れます。

 しかも、悪い時には悪いことが重なるものです。これまで幾度となく宗孝を救ってきた十の姉・十郎太の正体が、かつて京の裏社会を取り仕切っていた黒龍王の孫娘であると知ってしまった多情丸。彼は、自分こそが黒龍王の後継者であることを示し、そしてかねてからの邪恋を果たすために十郎太を狙いを定めたのです。

 とはいえ、神出鬼没の十郎太を捕らえるのは難しい――というわけで、彼女の姉妹、すなわち宗孝の姉たちを標的に定めた多情丸。その命を受けた、面長と丸顔の二人組が、次々と宗孝の姉たちを誘拐しようと企てて……


 というわけで本作では、サブタイトルの「狙われた姉たち」どおり、かつてない緊迫した状況が訪れます。
  尼僧の二の姉、下級武士と駆け落ちした六の姉、発明家夫妻の五の姉、恋多き四の姉、そして宮中での女房修行を間近にした真白――宗孝の大事な姉たちの身に危険が迫る!

 ……かどうかは、本シリーズのファンであれば、容易に先の展開の予想がつくと思いますが、その辺りは平安コメディの第一人者たる作者の面目躍如――個性的な姉たちならではのシチュエーションで繰り広げられる騒動は、こちらの期待通りの楽しさです。ここのところ重い展開が続いてきただけに(いや、この展開も重いといえば重いのですが)溜飲が下がる思いです。

 一方、彼女たちが主役(?)となっている裏で、宣能と宗孝のドラマも展開していくことになります。その中でも特に今回印象に残るのは、宣能と多情丸の子分筆頭である狗王の対峙です。
 子分筆頭に相応しい実力者ではあるものの、しかしどこまで本心から多情丸に従っているのかわからず、その行動には謎めいたものを感じさせる狗王。今回の宗孝の姉誘拐作戦の指揮を任されているのも彼ですが、どこまで本気なのか、疑わしいものがあります。

 それはさておき、これまで宣能と狗王が直接対面して会話する場面はあまり記憶がありませんが、どちらも本心を表に出さない人物だけに、腹の探り合いは、なかなか読ませるものがありま――といいたいところですが、今回必見なのはむしろ、宣能も気付いていない彼の本心を狗王が言い当てるくだりでしょう。えっ、宣能気付いてなかったの!? とこちらも驚いてしまうのですが、そんな彼を生暖かく見つめる狗王の姿には思わず共感――こちらも同じ顔で宣能を見守りたくなってしまうのです。

 そしてそれは、ここのところ闇落ちしかかっていた宣能に対する、大げさに言えば最後の希望なのですが――しかし本作のラストでは、思いもよらぬボタンのかけ違いから、とんでもない事態が発生することになります。
 宣能も宗孝も、そして多情丸も予期していなかったであろう、そして誰にとっても幸せにならない事態の先に何が待つのか?

 早くも再来月刊行となる第十三巻「攫われた姫君」が今から楽しみで仕方ありません。


『ばけもの好む中将 十二 狙われた姉たち』(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon


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2024.08.21

白川紺子『花菱夫妻の退魔帖 四』 物語を貫く謎の縦糸たち

 幽霊を見る力を持つ鈴子と、霊を喰らう怨霊・淡路の君に憑かれた家系の孝冬――花菱夫妻が幽霊絡みの事件に挑むシリーズ第四弾は、再び舞台を東京に戻して展開します。淡路の君との関係性に悩みつつ、霊に挑む夫妻の前に幾度となく姿を見せる人物の正体は――ますます謎は深まります。

 淡路の君を祓う覚悟を決め、その手掛かりを求めて花菱家の本邸のある淡路島を訪問した夫妻。そこで様々な伝承を調べ、手がかりらしきものを得た夫妻ですが、結局結論には至れませんでした。
 しかし鈴子は、淡路の君は自分と同じように、外から花菱家に嫁いで来たのではないか、と半ば直感的に感じ取るのでした。

 それが正しいのか、そしてそれが如何なる意味を持つのか――まだわかりませんが、この巻では再び東京を舞台に、苦しみ悩む人々からの依頼を受けて、鈴子と孝冬が霊に挑む姿が描かれます。

 元旗本屋敷の玄関に現れる血塗れの女性の幽霊を祓うため、幽霊が何者なのか、夫妻が屋敷と持ち主の過去を調べる「神の居ぬ間に」
 孝冬の昔なじみの新聞記者から、亡くなった退役軍人の後妻の暮らす屋敷の障子に、妾と思われる女の影が映ると聞かされた夫妻が、二人の女性の悲劇を知る「鬼灯の影」
 神田川沿いに出る女の幽霊の正体が、かつて恋していた元旗本の令嬢ではないかと考える古美術商から依頼を受けた夫妻が、幽霊の正体を追う「初恋金魚」

 いずれのエピソードも、本シリーズらしい恐ろしさと哀しさ――特に華族や旗本といった「家」に縛られた女性の悲しみを描くものとして印象に残ります。


 さて、これらのエピソードの面白さもさることながら、物語全体における縦糸たちもまた、こちらの目を強く惹きます。

 その一つが、淡路の君の存在であることはいうまでもありません。花菱家の当主に遥か昔から憑いて幽霊を食らい、食わせなければ祟るという淡路の君。
 そもそも鈴子と孝冬が出会うきっかけも淡路の君なのですが――しかし幽霊もまた「人間」と考える鈴子にとっては、幽霊を食らう行為自体が許されざるものといえます。

 かくて冒頭で触れたように、花菱家に祟り幽霊を食らう淡路の君を祓うことが、夫妻の目的となったわけですが――しかし本書において、鈴子の中に生じたある種の迷いは、物語上大きな意味を持って感じられます。
 それは淡路の君に食わせる霊を選ぶことは正しいのか、という迷い――淡路の君を鎮めるためには霊を食わせなければならない。しかし食われていい霊、いけない霊を自分たちが選ぶことは、それは一つの傲慢さではないのか、という迷いです。

 その悩みをある意味裏付けるように、この巻では二人ではどうにもできない――そして放置しておいても害しか生まない霊を、淡路の君が食う様が描かれます。
 それは極端な例かもしれませんが、しかしいずれにせよ、この鈴子の悩みの答えは、物語全体を通じての一つの結論になるように思われます。


 そしてもう一つ、本書において強調される縦糸は、これまでの物語で幾度となく夫妻の前に現れた新興宗教・燈火教と、その傘下にあるという鴻心霊学会なる団体の存在です。

 その目的は全く不明ながら、夫妻が関わる幽霊事件の関係者の陰に、幾度も見え隠れしてきた燈火教。しかしこの巻においては燈火教以上に、鈴子の行く先々に現れる老婦人・鴻夫人の存在がクローズアップされます。

 前々作のラストに意味ありげに登場した老婦人・鴻夫人。鴻心霊学会の長・善次郎の妻である彼女もまた、幽霊を見る力を持つ者であり、淡路の君の存在をも知っているのですが――しかし彼女の霊に対する態度は、鈴子のそれとはまた異なります。
 その違いが何を意味するのか――今のところは善意のみで行動する名家の老婦人にしか見えない彼女だけに、その見えない思惑は、淡路の君以上に不気味に感じられるのです。

 そして本作では、鴻心霊学会そのものにも、不穏さを感じさせる描写が散りばめられているのですが――特に善次郎と、ある人物の関係は、今後大きな意味を持つことになるのでしょう。


 この先も待つ様々な謎と秘密に夫妻がどのように立ち向かっていくのか――しかしこういう時、夫妻の間が全く揺らぐことなく、むしろより絆が深まっていくのが嬉しい――次巻も今から楽しみです。


『花菱夫妻の退魔帖 四』(白川紺子 光文社キャラクター文庫) Amazon

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2024.08.13

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2024年9月号の紹介の後半です。

『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)
 今年の5月号に掲載された碧也ぴんくの猫漫画が嬉しいことに続編登場――江戸の猫絵師といえば今でも知らぬ人のいない歌川国芳を主人公に、猫好き悲喜こもごもが今回も描かれます。

 前回国芳の家にやってきたメス猫のおこま。しかしおこまはどうしても畳一畳の距離を国芳と置いて、なかなか近くで絵に描けない状態(冷静に考えると絵を描くのが前提な時点で既におかしい)なのが悩みの種です。
 しかもおこまは女房のおせいには猫吸いすらさせると知った国芳は、何とかおこまとお近づきになろうとするのですが……

 と、猫飼いの夢にして醍醐味・猫吸いが一つのフックとなっている今回。実際にやってみるとそこまで楽しくなかったりするのですが――しかしそれも一つのネタとしてきっちり描かれているのが楽しい――猫に好かれようとして逆に引かれるというのは、おそらく古今東西の猫好きの共通の悩みであって、思わずあるあると頷いてしまいます。
 そしてラストの国芳の決断(?)もまた……

 主人公とその周りが基本的に野郎どもなのでゴツめのキャラが多い一方で、いかにも美猫のおこまのビジュアル、そして仕草も可愛らしく(その一方でゴツ猫のトラも、また滅茶苦茶猫らしい……)、猫好きには何とも楽しい一編です。

(しかし途中で登場する国芳の弟子で美男の「雪」は、やはり美男で知られた国雪なのでしょうね)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ついに蒙古兵が城内になだれ込み、いよいよクライマックスという感じになってきた本作ですが、前回ブブがオッド姫に語った、ラジンが姉の仇という言葉の意味の一端が、ついに明かされることになります。

 姉が「あるもの」に取り憑かれたことをきっかけに、母と姉とともに放浪を余儀なくされたブブ。しかしその最中にラジンの父・フレグ麾下の蒙古軍に襲われ、ブブの姉は連れ去られて――と、以前突然登場して???となった「あるもの」が、ここで物語に繋がるのか!? と大いに驚かされること請け合いであります。
 しかし今回は全てが語られたわけではなく、ブブの父についても意味深に語られていることを考えると、この辺りはこの先まだまだ絡んでくることになるのでしょう。

 そして後半、物語の舞台はオッド姫が避難した地下街に移るのですが――ここでまたジファルが登場したことで、物語はややこしい方向に転がっていきそうです。


『カムヤライド』(久正人)
 オトタチバナの犠牲(?)で大怪獣フトタマは倒したものの、すっかり忘れられかけていたモンコ。カムヤライドへの変身時にウズメに絡みつかれ、動きを封じられたモンコですが、しかし驚いているのはむしろウズメの方で――という引きから続く今回は、モンコの体の秘密(?)から始まります。

 そもそも、ヒーロー時の変身時を狙うというのは一種の定番ですが、土からできているカムヤライドスーツに対して、土属性の(そして能力を全開にした)ウズメが一体化して――というその変身阻止ロジックが実に作者らしく面白い。しかしそれだけではなく、一体化できちゃったのはスーツだけではなかった!? という展開が巧みです。
 さらにそこから、変身阻止パターンがヒーロー洗脳パターンに繋がっていく――そしてそれが対「神」兵器である神薙剣攻略法となるという、流れるように全てが繋がっていく展開には、気持ちよさすら感じます。

 かくて始まったカムヤライドvs神薙剣のヒーロー対決ですが、操られながらも抵抗してみせるのもヒーローの美学。(一転してマスコットキャラみたいになった)オトタチバナの信頼がその引き金になるというのがまた泣かせますが、本当に泣かせるのはそこからです。
 図らずもこの物語の始まりとなった、開ける者・閉じる者・奪った者の出会いが再び――なるほど、この顔ぶれは! と唸るひまもあらばこそ、畳み掛けるような演出の先に待つものは……

 いやはや、こちらも泣くほかない感動の場面なのですが、次回からwebに移籍というのはちょっと涙が引っ込みました。本誌の楽しみの一つが……


 そんなわけでちょっぴり凹んでいますが、次号は『前巷説百物語』と『そば屋 幻庵』が復活とのことです。


「コミック乱ツインズ」2024年9月号(リイド社) Amazon


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2024.08.12

「コミック乱ツインズ」2024年9月号(その一)

 今月の「コミック乱ツインズ」誌は、表紙が『鬼役』、巻頭カラーは単行本第一巻発売記念の『口八丁堀』。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 というわけで巻頭カラーは、単行本第一巻が発売、そしてシリーズ連載化記念で三ヶ月連続掲載の二回目となる本作。前回は非常にシリアス&言の刃仕合なしというちょっと異例の内容でしたが、今回は本作らしいユニークな形で言の刃仕合が繰り広げられます。

 まだ幼く、わがまま放題で周囲を振り回す北町奉行の若君と、その学問指南役として手を焼く内与力の伊勢小路。ある日、ついに若君に手を上げかけた伊勢小路ですが、運悪くそこを厳罰主義の吟味役与力・玄蕃に目撃され、主人への反逆としてあげつらわれることになります。
 そこに居合わせた例繰方与力・瀬戸の命で調べに当たった平津は、あくまでも厳罰を主張する玄蕃に対して、言の刃仕合を挑むことに……

 と、本来でいえば犯罪ともいえない出来事ながら、江戸時代の法理論でいえば重罪になってしまうという、実に本作らしい内容を扱ったエピソードである今回。厳罰主義という正反対の立場の玄蕃に対する、平津の反撃も見事なのですが――それだけで終わらず、そこから先の腹芸と、もう一つの芸が炸裂するオチも実にユニークでした。
(いや、突然飛び出したなこの技!? とか言わない)

 しかし本編には全く関係ありませんが、今回の『江戸の不倫は死の香り』、平津の裁きが見たかったな……


『不便ですてきな江戸の町』(はしもとみつお&永井義男)
 すっかり江戸の暮らしにも慣れ、およう(江戸時代人)のおようともよろしくやっている現代人の鳥辺。しかしもう一人、全く別の意味で江戸の暮らしに慣れてしまった奴が――というわけで、今月は久々に現代からやってきた犯罪者・佐藤の再登場編にして完結編。
 現代から偶然「穴」を通って江戸時代に来たものの、過去の時代に来たことが馴染めず、周囲の人間は全てもう死んだ人間=ゾンビと思うことで精神のバランスを取っていた佐藤ですが、それが行き過ぎて完全に凶賊に成り果てて――と、過去の時代に行った人間が、テクノロジーの力で暴君然として振る舞う物語は様々あるように思いますが、過去の人間を人間と思わない精神性の点で暴走するというのは、なかなか面白い視点だったと思います。

 しかし現代に帰ろうとする(それが金を使うため、というのがまた厭にリアル)佐藤は、おようを人質にして島辺を誘き出して――とまあ、この先の展開は予想通りではありますが、結局物を言うのは未来(現代)の科学とフィジカルの強さという、身も蓋もなさは、本作らしいといえばらしい気もいたします。


『風雲ピヨもっこす』(森本サンゴ)
 今日も今日とて京でゴロゴロしているピヨもっこす。そこにやってきたいとこは、肥後の漢たるもの稚児くらい持っているべき! と無茶苦茶な理屈で、雪乃丞という美少年をあてがってきて――と何だかスゴいことになった今回。
 「稚児? 男の彼女か」という直球過ぎる台詞にもひっくり返りますが、ここまで稚児ネタを投入できるのは、ギャグ漫画で、しかも動物擬人化ものだから――というべきでしょうか。
(稚児といえばやはり薩摩ですが、西国の肥後熊本も結構――だったかと思います)

 とはいえ、クライマックスの展開はなるほど女性キャラではできないこともないですが(ピヨもっこすの母がいるし!)、男性の方が自然といえなくもないわけで――と真面目に考えるのもなんですが、色々と心乱される回だったことは間違いありません。

 そして、わざわざ巻頭のハシラに、一回休みと書かれる母……


 残りの作品はまた次回紹介いたします。


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2024.08.07

木原敏江『星降草子〜夢見るゴシック日本編〜』 星が導く伝奇色濃厚な悲恋譚

 木原敏江のロマンス・ホラー『夢みるゴシック』の日本編と題して発表された、鎌倉時代を舞台とした伝奇色の濃厚な悲恋譚が本作です。かつて東国で仲睦まじく育った公家の娘と郷士の少年――しかし二人の運命は大きく変転し、京で二つの顔を持つ公家の青年を加えた複雑な物語を描きます。

 東国・香鳥郷で幼い日を過ごした公家の娘・棗(なつめ)。そこで土地の郷士の拾われっ子だという少年・群青と出会った彼女は、身分の違いを乗り越えた友達となり、やがてその想いは成長するにつれて恋へと変わっていきます。
 しかしある出来事が切っ掛けで、群青は土地から姿を消し、なつめも傷心のまま、京に帰るのでした。

 それから数年後、中納言家の跡継ぎながら没落して隠れ陰陽師として糊口を凌ぐ千早の君の下で、侍女代わりになって暮らすなつめ。しかし彼女は知らぬことながら、千早は裏ではある目的を秘めて、都を荒らす盗賊の頭領だったのです。
 ある晩、押し入った先で検非違使の若者と斬り結ぶ千早。その若者こそは群青であり、同時に千早は群青が只人ではないことを見抜きます。

 京で再会し、互いの想いを確かめ合うなつめと群青。しかし千早は、己の大望のために群青の秘めた力を求めて……


 冒頭に述べたように『夢みるゴシック』の続編という位置付けながら、本作はむしろ内容的には、作者の時代ファンタジー『夢の碑』を思わせるものがあります。
 恋に一途な少女と、彼女に献身的に愛を捧げる少年を中心に、様々な想いを秘めた人々が絡み合う姿を、時にコミカルな味付けを交えて描きつつ、美しくももの悲しいロマンスとして描く――その様は、いかにも作者らしいと感じます。

 そんな中で本作が異彩を放つのは、群青の存在でしょう。土地の郷士の拾われっ子で、忘れ去られた古の星の神の社を一人守っている変わり者である群青。しかし彼は、死した者を蘇らせるという、謎めいた力の持ち主でもあります。
 その力が元で、一度は彼はなつめと袂を分かつのですが――はたして彼は何者なのか。何故そのような力を持っているのか? 物語中盤で千早が群青の正体を看破した場面では、凄まじく拡大した作品世界のスケール感に、大いに驚かされました。

 そしてそのスケール感が拡大する一方で、物語が二人の恋の結末に収斂していく結末には、まさかという気持ちとどこか納得する気持ちと、その二つが入り混じった不思議な感動があります。


 一方、本書の後半に収められた『〈続〉星降草子』は、東国に向かった千早が駿河国で出会った、里長の家の病弱な少女・微(そよ)と、彼を追って京からやって来た幼馴染みの青年・野分を巡る物語となります。

 一年の半分は寝込むほど体が弱く、人生を諦めていたそよが、正編で描かれたある力によって健康を取り戻し、野分と惹かれ合うも――そこに千早の複雑な立場が影を落とし、やがて思いもよらぬ結末に至る。
 そんな物語は、意外性の点ではさすがに正編には一歩譲りますが、当時の京と鎌倉の微妙な関係を背景とすることで、よりままならぬ人の世の姿を感じさせるものとなっています。

 そして正編ではある種トリックスター的な存在であった千早を中心に置くことで、正編とは異なる味わいを出しつつも、しかしそれを受けて等しい感動を齎す結末は、やはり名手ならではと感じさせられるのです。


 「前作」とは大きく異なる内容であり、そちらの印象が残っているとかえって面食らう可能性が高いのですが――それでもなお、本作が歴史ファンタジーの佳品であることは間違いありません。


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2024.08.06

犬飼六岐『火の神の砦』 若き日の愛洲移香斎と幻の刀

 日本の剣術の三つの源流の一つである陰流の流祖・愛洲久忠は、しかし伝説的な存在であるためか、フィクションで取り上げられる機会は少ない人物です。本作はその久忠を主人公に、彼が若き日に出会った奇妙なある里での出来事を描く、なかなかユニークな物語です。

 室町幕府の威光も衰え、世情騒然とした戦国時代初期、剣術修行の旅の途中に出雲を訪れた愛洲久忠。ある理由で出雲各地の市を巡っていた彼は、国境の市で刀を売っていた一人の女を見つけます。
 土地の役人に絡まれたその女を、山中又四郎と名乗る陽気な若侍と共に助けた久忠は、女から刀は村の鍛冶が打ったと聞き出します。そこで女の帰る先についていこうとする久忠と又四郎ですが――女は二人を幾度も撒こうとするのでした。

 その末に足を怪我した女を連れて、彼女の村に辿り着いた二人。女が隠そうとするのも道理というべきか、外界から隔絶されたその村は、女性のみが暮らす隠れ里でした。
 何故この村には女性のみが暮らすのか。彼女たちは何者なのか。それはて久忠が村を訪れた理由とも繋がっていたのですが……


 というわけで本作は、後に愛洲移香斎として知られる愛洲久忠と、正体不明の脳天気な若侍・山中又四郎が迷い込んだ、女ばかりの隠れ里を巡り展開します。
 これは出版社のサイトにも記載されているので明かしてしまいますが、久忠が女の村を――女の村の刀鍛冶を探していたのは、久忠が見た刀が、とうに滅んだはずの備中青江鍛冶の新作に見えたからにほかなりません。

 鉄の産地に近かったこともあり、平安時代から刀工を輩出した備中国青江。その一派は、愛刀家として知られた後鳥羽天皇の御番鍛冶にも選ばれたほどであり、天下五剣の一つ・数珠丸を打ったことでも知られています。
 しかし南北朝時代に南朝方についたことから衰微し、ついにはその命脈を断ったと言われる青江派。その青江派の新作が、それから約百年後に見つかったとあれば、久忠ならずとも驚き、その正体を追ってもおかしくはないでしょう。

 はたしてその刀鍛冶がいると思しき里の正体は――上に述べた青江派の歴史を踏まえて語られるそれは、伝奇的な興趣に満ちており、本作の大きな魅力というべきでしょう。


 しかしその来歴故に、久忠たちが辿り着いた村は、外部からの人間、特に男に対して厳しい眼を向けます。それでもなお刀を望む久忠に対して、女たちは幾つもの条件をつけることになります。
 それをくぐり抜け(その一つがきっかけで久忠たちが出会うのが、あの雪舟という意外性も面白い)、里の女たちの一部とは心を通わせる二人ですが、しかしなお里の人々の多くはその本心を見せず、それが終盤のある展開に繋がっていくことになります。

 戦国時代の荒波の中で、女性たちだけで自主自立した暮らしを営む隠れ里。一見理想郷に見えるその地も、しかしその維持のために、幾つもの掟が――時に理不尽なものにしか見えぬものが存在することが、やがて明らかになっていきます。
 いわゆる「因習村」的なものすら感じさせるそれは、人が共同体を――しかもある種の同質性の高いものを――成立させることの難しさを、浮き彫りにしているといえるかもしれません。


 人が人らしく生きるために作られた共同体が、やがてその人らしさを制限していくことになる――本作は名刀奇譚を描きつつ、そんな人の世の皮肉さを浮き彫りにしてみせるます。
 そして、絶対何かしらの秘密があると思っていた又四郎が意外な正体を現したことをきっかけに、物語は全てを飲み込んで結末に向けて疾走していきます。

 その結末は、正直なところ呆気なさすぎると感じる方も多いかとは思いますが――一人の剣士にできることは限られていることを思えば、そして歴史の示すところを見れば明らかな結果を、あえて描かずに終えたというべきでしょうか。
(その一方で、雪舟が描いた久忠の姿が、後に彼が開いた剣流の別名を思えばニヤリとさせられるものであったりと、本作は若き日の久忠伝としても面白い作品ではあります)


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