2024.09.23

長徳の変・酒呑童子・刀伊の入寇を結びつける者 町井登志夫 『枕爭子 突撃清少納言』

 『諸葛孔明対卑弥呼』『爆撃聖徳太子』など、歴史小説では斬新な視点から史実に大穴を開けてきた作者。その最新作は、清少納言と長徳の変、そして酒呑童子と刀伊の入寇という、一見まるで無関係に見える要素を結びつけ、壮大な物語を展開する、またもや途方もない作品です。

 兄・伊周にそそのかされ、花山法皇に矢を射た藤原隆家。この事件に乗じて動いた藤原道長により、伊周は臣下の身にありながら大元帥法を行ったと濡れ衣を着せられ、中央から排斥されることになります。
 一方、大陸では遼に押される女真族の長が、娘のリルにある秘命を託し、日本に送り出します。日本と女真の運命を左右する秘命を……

 そして、出会うはずのない男女が出会ったことにより、歴史は大きく動き出します。大江山に棲み着き、京を脅かす異族を、一度は退けた藤原保昌と源頼光。しかし遠く海の向こうに追い払ったはずの異族は、新たな力を得て再び日本に迫ります。
 大宰府を襲った異族に立ち向かうのは、異族の長とは奇怪な因縁で結ばれた藤原隆家。そして一連の事件の中で、清少納言は如何なる役割を果たすのか!?


 長徳の変、酒呑童子、刀伊の入寇――この三つを結びつけ、一つの巨大な物語を作り上げてみせた本作。
 同じ平安時代中期とはいえ、時間的には若干ずれている出来事を結びつけるという、ほとんど三題噺のような趣向ですが、この三つを結びつける(というか、この三つに首を突っ込む)のが清少納言とまでくれば、もはや脱帽。

 なるほど、清少納言は隆家の姉・定子に仕えていたので長德の変はいいとして、後の二つは!? となりますが――当代随一の知識人にして(本作では)とてつもないバイタリティの持ち主だから、と断言されては、もう納得するほかありません。

 とはいえ、描かれる出来事の大半について、実際には清少納言も同時代人以上の繋がりがないため、伝奇ものとして見ても、説得力という点では、作者の過去の作品に比べるとかなり苦しいものがあることは否めません。
 それでも、この国の歴史を日本という「場所」のみに留めず、海の向こうとの関わりを含めて描く視点が変わらないのは、嬉しく感じられます。


 しかしそうした点はあるものの、「鬼」を(たとえ国内の人間にも責任はあるとはいえ)住む土地を失って海を渡って日本に住み着き、そこから日本を侵略しようとする存在と描く設定には、すっきりしないものを感じます。
 いや、それだけであればともかく、その「鬼」たちと日本人の間に生まれた子供たちが行き場をなくし、テロリスト的な存在と化したのに対して、日本側の登場人物が「郷に入っては郷に従えばよかったのに」的な言葉をかけるのは、相当にグロテスクなのではないでしょうか。

 本作の清少納言は、先に述べたように突飛なキャラクターではあるものの、「戦う男」――つまり戦いに逸り、戦いのみを解決手段とする男性に対して、文化を通じて他者と接する女性として描かれていると感じます。
 その点は興味深いのですが、しかしその文化の扱いについて、もう少し書き方があったのではないか――そう感じます。

 もちろん、守るべき土地や守るべき文化があるという大前提は理解できるものの、いまご時世に、この設定をあまり無邪気に楽しんではいられなかった、というのが正直なところではあります。


『枕爭子 突撃清少納言』(町井登志夫 祥伝社文庫) Amazon

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2024.08.27

陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第10巻 最後の激突 そして幕末から明治へ

 長きにわたり描かれてきた幕末絵巻も、ついにこの第十巻を以て完結となります。大政奉還を成功させたものの、諸勢力から狙われる龍馬を近江屋で守る万次。しかしそこに修羅と化した沖田総司が襲いかかります。大切な者を喪った万次の最後の戦いの行方は……

 薩長同盟に次いで大政奉還を成功させ、無血革命へと大きく時代を動かしてみせた坂本龍馬。しかしその立役者として、龍馬は幕府のみならず、武力倒幕を目指していた薩長からも命を狙われることになります。

 一方、知らぬこととはいえ、自分がその龍馬の命を助けてしまったことを知った沖田は大暴走、療養のために一度は江戸に向かったもののUターンし、京で辻斬りを始めるのでした。
 そして総司・新選組・見廻組から追われることになった龍馬は、万次とともに近江屋にひとまず隠れるものの……

 というわけで、ついに来てしまった運命の慶応3年11月15日。この日に何が起きたのか、それはいうまでもないでしょう。
 かくしてこの巻の前半では、近江屋での死闘が描かれることになります。本作においては、龍馬には万次がついていることはいうまでもありません。並みの相手であれば引けを取るはずもない万次ですが、しかしそこに総司が現れたことで、残酷な結末を迎えることになります。

(ちなみに龍馬に手を下した人間については見廻組の今井や新選組の原田など、諸説ありますが、本作では律儀にそれを全部採用しているのがちょっとおかしい)

 かつては凛を守って逸刀流や幕府の手の者たちと渡り合い、見事彼女に仇討ちの本懐を遂げさせた万次。しかし、それはあくまでも僥倖だったのかもしれません(冷静に考えれば結構凛に守られたり救われたりしてましたしな)。
 そしてその事実に否応なく直面させられた万次が取った行動とは……


 そして、江戸で沖田が療養している屋敷での万次と総司の激突を以て、本作は終わりを迎えることになります。

 友を喪い怒りに燃える万次が勝つか、死を目前にして透徹した心境の総司が勝つか? 万全の態勢で臨んだ万次ですが、迎え撃つ総司の方も思わぬ(本当に何故ここに……)得物を手にして一歩も引かない――いやむしろ万次を圧倒します。
 この、狭い屋内を舞台にしての変態武器を用いての剣戟は、実に「らしい」――本作のラストを飾るに相応しいものといえるかもしれません。

 そして意外といえば意外、納得といえば納得のその結末もまた……

(意外といえば、應榮が誰の子孫かというのはちょっと意外というか、結局押し切ったんだなあ――というか)


 幕末の物語は終わり、明治の物語へ――正篇の結末に繋がって完結した本作。

 すぐ上で触れたように、ラストバトルは納得のいくものでありましたし、また物語的にもここで終わるのが適切であろうとは思いますが――しかし、これまで描かれてきた様々な人々の運命が、あっさりと一コマで片付けられてしまうのは、それはそれで非常に勿体ないという印象は否めません。
 特に物語前半にあれだけ暴れまわった土方についてはほとんど触れられず――というのは、これも物語の流れ上仕方ないのですが、やはり残念ではあります。

 正篇とは大きく異なり、幕末の史実――大きな歴史のうねりに関わることとなった万次。しかしそれは終わってみれば結局、巻き込まれただけ、という印象が残るのは、これも仕方はないとはいえ、索漠たる印象が残ります。
 もちろん万次にとってみればそれはいい迷惑、自分は必死に切り抜けてきただけということなのだと思いますが――正篇での目的を貫き通した彼の姿を思うと、この物語の意味をどう捉えたものか、少々悩んでしまうのです。

 そんな中、陶延リュウの作画は大きな収穫であったと思います。四季賞では武侠ものを発表していたこともあり、次回作にも強く期待しているところです。


『無限の住人 幕末ノ章』第10巻(陶延リュウ&滝川廉治&沙村広明 講談社アフタヌーンコミックス) Amazon


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2024.08.20

高橋留美子『MAO』第21巻 三つのエピソードが見せる物語の厚み

 少々意外なキャラクターが表紙を飾る『MAO』第21巻は、御降家継承を巡る因縁と謎は小休止となり、御降家の遺産を中心とした短編エピソードの連続となります。

 土の術者・大五の復活とその背後の猫鬼の暗躍により、一層混沌としていく御降家の弟子たちと新御降家の戦い。そんな中、幽羅子は摩緒にどこまでが真実かわからぬ「本心」と「真実」を語り、彼を悩ませます。

 そんな重苦しい状況で、摩緒は気分転換的に(?)菜花と共に、御降家の呪術を継ぐ宝生家に往診に向かうのですが……
 新御降家のかがりの実家であり、以前彼女から呪いを受けた姉・綾女。この巻の表紙を飾る綾女から、摩緒たちは、かつて彼女が受けた呪いの依頼の、いわば後始末を頼まれることになります。

 親友でもある使用人の少女を騙す、悪い男にかけた呪いが効かないと再度訪ねてきた令嬢。しかし彼女の家で出会った相手の男は、呪いによって確かに異形に変じていて――という奇妙な状況で描かれるのは、はたして誰が誰を呪ったのか、という謎です。
 シチュエーションから考えればその答えはほぼ明白でしょう。しかしかがりの呪いで視力を喪った代わりに綾女が見る力を得た、人の背後の「暗い影」の存在が、このエピソードにアクセントを与えています。

 そこで描かれるものは、この呪いを軸とする物語にも、一つの救いがあると示しているように感じられるのです。


 続いて描かれるのは、村々で相次ぐ、子供たちの集団行方不明事件――昼日中から子供たちが、大人の制止も振り切ってどこかに引き寄せられるように去ってしまうという、ハーメルンの笛吹きを思わせる事件です。

 そして事件の背後にあった御降家の呪具・子寄せの笛を巡り、摩緒と新御降家の蓮次と芽生が激突することに――と、これまで幾度も描かれてきた呪具争奪戦が展開するのですが、ここでは御降家ゆかりの者たちでない、「普通の人間」の悪意が描かれることになります。

 そもそも、その名の通り子供を操り、招き寄せるこの笛は、強力ではある(操られて、誘拐を警戒する大人たちに集団で襲いかかる子供たちの姿が凄まじい)ものの、用途は限定的であるはず。
 しかしその用途の先にあるものは――と、暗澹たる気持ちになったところに、意外な犯人像と背後関係が明らかになったところから、物語は意外な方向に展開していきます。

 そもそも新御降家側から派遣されたのが蓮次と芽生という、ともに幼い頃に大人によって運命を狂わされた二人である点が、一種のヒントでもあるわけですが――このエピソードの結末は、御降家と新御降家がある種の棲み分けを見せると同時に、両者の決して越えられない溝をも示している点が、印象に残ります。

 たとえ一部でも通じ合うところがあったとしても、結局はどちらかが倒れるまで戦うしかないのか――物語の本筋には絡まないものの、そこで続く戦いの行方を予感させる意味で、重要なエピソードといえるでしょうか。


 そしてこの巻の後半では、奇怪な生人形を巡るエピソードが展開します。

 とある男爵が手に入れたという見事な生人形のお披露目に参加した華紋。しかし数日後、男爵は自室であばら骨が何本も折れた姿で発見され、生人形は姿を消していたのでした。そして調査に向かった華紋が現場で感じ取ったのは、強い金の気だったのです。
 その後、幾つかの家が生人形を手に入れたと知り、確かめに行った華紋が見たものは、先日見たものとは異なる人形であり、しかもその家の人間も健在――しかしいずれの家も、御降家の人形師から買ったと語っていて……

 という謎めいた導入のこのエピソードですが、上で触れた殺人が起きた家と起きなかった家の違いというひねりは面白いものの、真相自体は、ここまで読んできた読者にはある程度予想はつくかと思います。

 が、全く予想できなかったのは、その背後に、かつて本作で描かれたある戦いがあったことであります。具体的には第6巻と相当以前ですが、そこで描かれたものがここに繋がってくるというのは、長編漫画だからこその醍醐味というべきでしょうか。


 冒頭に触れた通り、本筋にはほとんど触れないエピソードが続く巻でしたが、それはそれで面白いのは、本作の物語としての厚みというものなのかもしれません。

『MAO』第21巻(高橋留美子 小学館少年サンデーコミックス) Amazon

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高橋留美子『MAO』第16巻 本当の始まりはここから? 復活した最初の男
高橋留美子『MAO』第17巻
高橋留美子『MAO』第18巻 遭遇、華紋と白眉 そして新御降家の若者の歩む道
高橋留美子『MAO』第19巻 夏野の命の真実 夏野の想いの行方
高橋留美子『MAO』第20巻 ジョーカー幽羅子が真に求めるもの

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2024.08.05

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その二) 異例のヒロインが持つ「強さ」と「弱さ」

 『モノノ怪』の仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾『モノノ怪 鬼』の紹介の後編です。歴史小説的文法で描かれる長編エピソードという点に留まらない本作のもう一つの特徴。それは……

 しかし、本作にはここまで述べてきた以外にも、もう一つの特徴があります。それは本作の実質的な主人公であり、そしてヒロインである「鬼御前」こと小梅の存在です。

 先に述べた通り、実在の(実際に伝承が残っている)人物である小梅――というより鬼御前。実は伝承では「鬼御前」の通称のみで、本名は残されていないのですが――そこでは夫の鑑直と共に日出生城に依り、わずかな手勢で勇猛を以て知られる島津勢を相手に奮戦したといわれる女性とされています。

 この鬼御前は身の丈六尺(180cm)近い長身だったということですが――図らずも××女ブームに乗る形に、というのはさておき、その規格外の人物像は、本作でも存分に活かされています。
 しかし彼女の最大の特長であるその「強さ」は、『モノノ怪』に登場するヒロインには、極めて珍しいものと感じられます。

 これまで『モノノ怪』に登場したヒロイン、モノノ怪に関わった女性の多くは、儚げな――望むと望まざるとに関わらず、ある種の「弱さ」を抱え、運命に翻弄される存在であったといえるでしょう。
 それはモノノ怪を生み出すのが人の情念や怨念によるものであることを考えれば――そしてまた、物語の背景となる時代を考えれば――むしろ必然的にそうなってしまうということかもしれません。

 それに対して本作の小梅は、並の男では及びもつかない力を持ち、そしてその力に相応しく、自分の行くべき道を自分で選ぶ強い意志を持つ女性――この時代の女性としては、破格というほかない人物。そんな彼女は、第一話で描かれたように、モノノ怪を討つ側であっても、生み出す側ではないと思えます。
 しかし、それであるならば、登場するモノノ怪をサブタイトルとする『モノノ怪』において、第四話のそれは何故「鬼御前」なのか――?

 実にそこに至るまでの本作の物語は――人々の誰もが巨大な歴史の流れに翻弄された時代、誰かを守るために誰かを傷つけなければならない時代に現れるモノノ怪を描く物語は――その理由を描くためのものといってよいかもしれません。
 そこには同時に、「強い」者の中には「弱さ」はないのか。そしてそもそも「弱さ」はあってはならないのか? ――そんな問いかけと、その答えが存在するとも感じられます。

 そして最後まで読み通せば、小梅もまた、『モノノ怪』のヒロインに相応しい女性であると――すなわち、過酷な運命に翻弄されながらも、なおも自分の想いを抱き続けた女性であると理解できるでしょう。
(もう一つ、『モノノ怪』という物語において、「解き放」っているのは、薬売りだけではないということもまた……)


 スピンオフ小説ならではの異例ずくめの趣向で物語を描きつつも、それでもなお、確かに『モノノ怪』と呼ぶべき物語を描いてみせた本作。
 異色作にして、だからこそ『モノノ怪』らしい――『モノノ怪』の作品世界を広げるとともに、そして同時にその奥深さを証明した作品といってもよいかもしれません。

『モノノ怪 鬼』(仁木英之 角川文庫) Amazon

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2024.08.04

仁木英之『モノノ怪 鬼』(その一) 歴史小説的文法で描く初の長編エピソード

 ついに新作劇場版も公開された『モノノ怪』。その完全新作ノベル――仁木英之によるスピンオフ小説の第二弾が本作です。今回舞台となるのは、九州平定を狙う島津家に抗う人々が暮らす地・玖珠。そこに現れる四つのモノノ怪を巡る、連作スタイルの長編です。

 九州で大きな勢力を持っていた大友家が耳川で島津家に惨敗して数年。以降、九州制覇を目論む島津家は各地を併呑しながら北上を続け、広大な山に囲まれ、「侍の持ちたる国」として自立してきた玖珠郡にもまた、その軍勢が目前に迫ります。
 しかし玖珠郡の諸侯をまとめる古後摂津守は、この地の有力者である帆足孝直と仲違いして久しく、島津に対する態度も足並みが揃わない危機的な状況――さらに、周囲の山には、いつしか人を食らう妖・牛鬼が棲み着き、人々を苦しめていたのです。

 そんな中、元服したばかりの帆足家の嫡男・鑑直は、山中で一人の美しい少女・小梅に出会います。
 自分よりも身体が大きく、腕力も武芸の腕も上回り、周囲からは「鬼御前」と呼ばれる小梅。しかし鑑直はそんな彼女に惹かれ、やがて二人は相思相愛となるのですが――実は小梅こそは、古後摂津守の長女だったのです。

 父同士の不仲にも引かず、自分たちの想いを貫くため、力を合わせて牛鬼を退治せんとする鑑直と小梅。そんな二人の前に、奇妙な風体の薬売りが現れて……


 戦国時代も末期、本土では秀吉が天下統一に向けて快進撃を続けていた1580年代後半、九州で繰り広げられた島津家と諸侯の戦い。本作の題材となっているのはその一つ、日出生城の戦いをクライマックスとする、玖珠郡衆と島津家の戦いです。
 そう、本作の背景は、かなり知名度は低い(フィクションの題材となったことはほとんどないのではないでしょうか)ものの、歴とした史実――さらにいえば、物語全体を通じて登場する鑑直と小梅(正確には後述)も、彼らの父たちも実在の人物なのです。

 同じ作者による前作『モノノ怪 執』においても、江戸時代を舞台に、史実の事件や実在の人物が題材となったエピソードがありましたが、戦国時代を舞台に、さらに史実と密着して描かれる本作のアプローチは、それをより推し進めたものといえるかもしれません。
 前作が時代小説の文法で『モノノ怪』を描いたとすれば、本作は歴史小説の文法で『モノノ怪』を描いた――そう評すべきでしょうか。


 そんな本作では、冒頭の「牛鬼」に続き、以下の物語が描かれます。
 鑑直と小梅の婚礼が行われる中、小梅の妹・豆姫に近づいた元島津家重臣の若侍・伊地知が、古後家をはじめ周囲を煙に巻き、狂わせていく「煙々羅」
 島津家の総大将・新納忠元の軍勢が玖珠に迫る中、島津家で勢力を急進してきた鬼道を操る怪僧が生み出した屍人の兵が玖珠を苦しめる「輪入道」
 島津の総攻撃を前に鑑直と共に小梅が日出生城に籠り奮闘する中、新たなモノノ怪が生まれる「鬼御前」

 このあらすじを見ればわかるように、本作にはこれまでにない、大きな特徴があります。それは本作が全四話構成であり、四話で一つの物語を成していること――つまりは本作は長編エピソードなのです。

 アニメの『モノノ怪』は、分量的には中短編であり、そして個々の物語は(稀に過去のエピソードのキャラクターが登場することはあれど)それぞれ独立したものとして描かれていました。
 それに対して本作は、玖珠という地を舞台にした連続した一つの物語であり、アニメにも小説にもなかった、これまでにない趣向といえるでしょう。
(そしてそれだけ薬売りも一つ所に長居するわけで、結構玖珠の人々に親しまれている様子なのが、ちょっとおかしい)


 しかし本作には、更なる特徴があります。それは――長くなりましたので明日に続きます。


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2024.07.24

出口真人『前田慶次かぶき旅』第16巻 天下一の不忠者、その素顔

 周防岩国を後に備前岡山に向かった前田慶次一行。彼らの目的は、小早川秀詮に会うこと――関ヶ原の戦で西軍を裏切った「天下一の不忠者」の素顔とは、そしてそんな彼に慶次はどのように接するのか? 意外な小早川秀詮譚が描かれます。

 周防岩国で「天下一のうつけ殿」吉川広家と意気投合、吉川家と毛利家の間の仇討ち騒動に首を突っ込み、痛快に捌いてみせた慶次。しかしその後彼は、思わぬ人物に出会うことになります。
 それはかつて小早川秀詮に嫁いでいた、広家の従兄弟である毛利輝元の娘・古満姫。秀詮に離縁され、この後別の家に再嫁する彼女は、その前に秀詮に一目会っておきたいというのです。

 言うまでもなく小早川秀詮といえば、「天下一の不忠者」と揶揄される人物。しかも小早川は毛利にとっては不倶戴天の仇敵、微妙すぎる状況ですが、そんなことで慶次が困っている女性を見過ごしにするはずはありません。
 自分が姫を備前にお連れすると言い出した慶次は、広家が「なかなかの漢」と評する秀詮に出会うのを大いに楽しみにするのですが……


 というわけで、九州を超えて西国の外様大名総まくりという趣きになってきた本作ですが、これまで登場した細川忠利、吉川広家といった史実の上で微妙な印象があった人物に比べても、レベルが違うのが小早川秀詮(秀秋)であります。

 何しろ、秀詮といえば、秀吉の甥であり、ほんの子供のうちに秀吉の養子になった立場にありながらも、関ヶ原の戦ではその最中に西軍から東軍に鞍替え――西軍敗北の引き金を引いたと言ってもよい人物。
 その関ヶ原の戦でも直前まで鷹狩りをして戦線を離れていたなど素行に問題があり、また慶長の役でも総大将の立場にありながら軽挙があったとして、召喚・減封転封されたなどという説もあります。

 この手の人物を叩きのめすことでは定評がある(?)慶次が、秀詮と出会ったら――と思わず心配してしまいますが、本作の秀詮は世評と異なる傑物として描かれます。
 そもそも古満姫と離縁したのも、自分の養子であった秀次とその一族を血祭りにあげた老耄の秀吉から、彼女と毛利家を守るためだったというのですから……

 そして川で釣りをする秀詮と対面した慶次はたちまち意気投合。元々、幼い頃に秀吉の前での例の傾きっぷりを見ていた秀詮にとって慶次は憧れの人物、そして慶次の目にも秀詮は傑物と映ったようです。
 ところがその直後に、不治の病にかかっていた秀詮は喀血して昏倒、その後回復した秀詮は慶次のみを招き、自分の過去語りをすることになります。

 慶長の役において、蔚山城に立て籠もった加藤清正らを救援するため、秀吉の命に背いても全軍で救援を決断したこと(ちなみにこの時の救援勢の多くが、これまで本作に登場した武将たちなのがちょっと面白い)。
 そして三成の思惑に背くためにうつけを装って直前まで戦から外れ、関ヶ原の戦で必勝の地・松尾山に陣取り、戦いを命運を決したこと……

 戦国武将を基本的に「漢」として描く本作らしいアレンジではありますが、それにしても秀詮を持ち上げ過ぎな印象は正直なところ否めません(そもそも蔚山の戦には参加していないという説もあるわけで)。
 しかし、そう思いつつも、本作において彼が関ヶ原の戦で東軍についた理由は、大きすぎる秀吉の存在に翻弄された、そして秀吉を敬愛していた彼ならではのものであって――これはこれで、本作のドラマとしては大いに納得できるところではあります。


 というわけで、慶次自身はほとんど動かず(刺客に現れた怪人忍者を一蹴したのみ)、完全に秀詮が主役で終わったこの巻。
 はたして次巻ではこの章の結末がどのように締めくくられるのか、そしてご この後に続くという安芸広島・福島正則篇も楽しみです。


『前田慶次かぶき旅』第16巻(出口真人&原哲夫・堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon


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出口真人『前田慶次かぶき旅』第15巻 旅は日本一のうつけ殿から日本一の不忠者へ!?

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2024.06.15

宮本福助『三島屋変調百物語』第3巻 ごく普通の表情の陰に潜む恐怖

 宮本福助による漫画版『おそろし 三島屋変調百物語事始』もいよいよ佳境、この巻は、四つ目のエピソードである「魔鏡」を中心に展開することになります。既に滅んだ商家の出だという語り手は、一体何を語るのか……(それにしても、中身を知っていると「ヒッ」となってしまう表紙……)

 自分とは兄妹のように育った松太郎に許嫁を惨殺され、その直後に松太郎も自ら命を絶った――そんな凄絶な体験により心を閉ざしていたおちか。実家を離れて叔父が営む江戸の三島屋に身を寄せた彼女は、ある出来事がきっかけで、店を訪れる人々から不思議な話を聞くという役目を担うことになります。

 その三人目として、女中のおしま相手に自らの過去を語ったおちか。それを受けておしまは、自分が以前働いていた店のお嬢さんだったというお福を紹介するのでした。
 そして福々しい美貌のお福が語るのは、鏡にまつわる物語――そして姉と兄がきっかけで滅んだ自分の家の物語であります。

 長きに渡った療養から実家に戻った、お福の姉・お彩。人並み優れた美貌を持つ彼女とすぐ仲良くなったお福と兄の市太郎ですが、やがてお彩と市太郎は、道ならぬ関係に踏み込むのでした。
 大きな犠牲を払って終わったこの関係ですが、外で修行することになった市太郎は、お福に一枚の手鏡を託して家を出ます。やがて嫁を連れて戻ってきた市太郎ですが、ある日その嫁の手には、お福がしまい込んでおいたはずの手鏡がありました。

 それから家の中で漂うある違和感。そしてその正体が明かされた時、大きな悲劇が……


 これまでとはまた異なる趣向の物語であるこの「魔鏡」。いつまでも続くと思われた平凡な日常に、ある出来事をきっかけにヒビが入り、一度は修復されたかに見えたものの、ついに決定的な破滅が訪れる――そんな本作は、一歩間違えれば扇情的な題材ながら、クライマックス直前まで比較的淡々と語られていきます。

 それはそれで厭な話ではあります。しかし、クライマックスで明らかになる一つの「真実」の衝撃的なまでの恐ろしさたるや……。しかしそこからさらにこちらを震え上がらせるのは、それを生み出した者の心理でしょう。ことにその結末に至るまでの経緯を考えればなおさら…

 そんな恐るべき物語を、この漫画版は巧みに描き出します。
 ことに物語の中心となるのが美しい姉弟、そしてキーとなるアイテムが物を映す鏡という事もあって、もともとビジュアル化するのに映える内容ではあるのですが――しかしやはり特に印象に残るのは、これまでの物語でもそうであったように、物語の中心人物の顔に浮かぶ表情であります。

 しかも今回は――これは少々ネタばらしになりかねない表現で恐縮ですが――その表情が決して特別なものとして描かれないこと自体が、大きな恐怖を招くのが見事です。
 人間が一番恐ろしい、などというありきたりな言葉は使いたくありません。しかしその時はごく普通に見えた、その表情の陰にあるものを後になって思い起こした時――そこにあるのは、紛れもなく人の心の恐ろしさであると気付くのです。


 そして物語の内容そのものもさることながら、それを語るお福の言葉(それ自体は良い事を言っているのですが……)によって、心に複雑な波風を立つこととなったおちか。この巻のラストでは、そんな彼女の前に懐かしい実家の兄・貴一が現れます。
 妹の身を案じてやってきた兄の懐かしい姿に涙ながらに喜ぶおちか。しかし貴一がもたらした知らせは、あまりにも意外なものでした。

 ここから始まるのは五番目の物語「家鳴り」――これまでの物語を飲み込んで語られる、作品そのものの一つのクライマックスを、この漫画は如何に描いてくれることになるのでしょうか。この先は名場面の連続であるだけに、期待は膨らみます。


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2024.05.21

高橋留美子『MAO』第20巻 ジョーカー幽羅子が真に求めるもの

 一つの謎が解けたと思っても、また次の謎が深まっていく『MAO』も、気が付けばもう第20巻。この巻では表紙を飾る新御降家の双馬との戦いと、土の術者・夏野と猫鬼の対決、そして摩緒と幽羅子の再会が描かれることになります。平安から謎めいた動きを見せる幽羅子の真の望みとは……

 不忍池に誘い出され、猫鬼と対峙した摩緒と夏野たち。そこで彼らは、平安の世から土人形として生きてきた夏野が、猫鬼の泰山府君の法により命を繋いできたことを知ります。
 大五を復活させるため、夏野を利用してきたという猫鬼。しかし大五の肉体が復活した後も戻ることがなかった魂は、夏野の瞳に宿っていたことがわかり……

 と、これまで以上に物語での重要度が高まった夏野。そして自分の命の源を知り、同じ土の術者の素養を持つ菜花を育てることを決めた彼女は、実はこの第20巻では、ほぼ出ずっぱりの活躍を見せることになります。


 そんなこの巻の前半で描かれるのは、新御降家の金の術者・双馬との戦いであります。家に伝わっていた御降家の獣の巻物の力で、邪悪な獣をその身に宿すことになった双馬。彼は、これまでも幾度となく摩緒、そして菜花と戦ってきました。
 しかしそれでもどこか甘さや躊躇いが残っていた彼は、白眉の命で暗殺を繰り返した末に、ついに殺人を何とも思わぬ人間に変貌していきます。そしてそんな彼の姿を初めから見ていた菜花は、自ら人間であろうとすることを辞めた双馬に激しい怒りを見せるのですが……

 そんな状況下で、ここでも菜花のメンター的な立場を見せるのが夏野です。
 確かに、どれほど双馬の獣が成長していたとしても、摩緒と夏野の二人が揃っていれば、獣を滅ぼすのは難しくありません。しかしそんな状況下でも、夏野は菜花に獣を祓わせようとします。どれほど愚かな相手であっても、殺してしまうよりはいいと――それは普段寡黙でマイペースな彼女なりの、菜花への思いやりであるのかもしれません。

 その想いは、結局は双馬には届かないのですが――御降家の面々に比べれば明らかに腕も精神も未熟だった新御降家の面々が、悪い方向に「成長」していく様は、菜花が真っ当に成長していくのと対照的に、胸に重く残ります。


 さて、この巻の後半では、菜花は一旦現代に戻り、その間に摩緒と夏野が、過去にまつわる事件に巻き込まれることになります。
 摩緒の見立てでは手の施しようがない患者が、突然快復した――その背後には、猫鬼の泰山府君の法がありました。そして猫鬼は幽羅子と結び、摩緒と夏野を誘き寄せようとしていたのです。猫鬼は夏野の持つ大五の魂を、幽羅子は摩緒の心を求めて……

 本作で摩緒サイドと敵対しているのは、簡単に言って白眉たち新御降家と、猫鬼がいますが、幽羅子は新御降家に協力しながらも、何を考えているのか今ひとつわからない、独自の動きを見せる存在であります。

 平安の世では、御降家の頭首の娘として紗那と双子に生まれながらも、呪いの器として日の光の入らぬ場所に閉じ込められ、醜い姿で生かされていた幽羅子。それが偶然出会った摩緒の優しい心に癒やされ、強く惹かれるようになった――というのは、今回彼女の口から改めてはっきり語られることではありますが、それがはたしてどこまで真実であるのか。
 いや、彼女の摩緒への想いは真実であったとしても、それが摩緒たちと敵対しないという意味ではないことは、今回、幽羅子が猫鬼に与えた妖が、夏野を襲撃することに使われたことでも明らかなのですから。

 新御降家の他の面々のように、邪悪な目的を持っていたり、あるいは他人を盲信しているわけではないようではあるものの、それだけに何を仕出かすかわからない幽羅子。
 だからこそ実に人間的で、そしてそれがある意味魅力にも感じられるキャラクターですが――どうやらこの先も、彼女の存在がジョーカーとなって物語をかき回していくように思われます。


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2024.04.03

岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』第12巻 八郎と人々が見る一つの時代の終わり

 主君として心より敬愛してきた将軍家茂の死という悲劇に意気消沈する伊庭八郎、そして江戸の人々。しかしそれは終わりの始まりに過ぎません。家茂と想いを同じくしてきたもう一人の人物の死により、薩摩・長州が牛耳ることになった朝廷。対する幕府では慶喜が改革を打ち出すも……

 再度の長州征討に向けて上洛した将軍家の奥詰衆として勤めに励んできた八郎。しかし幕府側の劣勢が伝えられる中、家茂の体調が急速に悪化――ついに八郎や周囲の者たちが最も恐れていた、そして最も信じたくない日が訪れることになります。
 家茂の死に激しく意気消沈するのは、八郎や幕臣たちだけではありません。江戸の人々もそれぞれの形で敬愛する将軍の死を悲しむのですが――しかしその間も事態は様々な形で進行していきます。

 動揺する幕府側に対して、休戦という名の勝利を収めた長州と、その長州の復権に暗躍する薩摩、そして彼らと手を組む公家たちの策謀。一方で孝明天皇がその動きを抑え込む間に、慶喜が幕府の軍制改革を実施し、それは八郎たち幕臣にとっても、好意的に受け止められていたのですが――しかし、再び幕府に取ってかけがえのない人物が喪われることになります。
 それは孝明天皇――疱瘡にかかり、一度は快復したかに思われた天皇の容態が急変、ついに崩御したのであります。この出来事は、作中でも触れられているようにいまなお薩長の陰謀説がありますが、その真偽はさておき、あまりに幕府側にとって不運であったことは間違いありません。

 それでもなお、幕府は復権に向けて、着実に力をいきます。その一つとして、榎本釜次郎が開陽丸に乗って五年ぶりに帰国。それを八郎が出迎える姿は、その後のことを思えば、何と言うべきか言葉が出てこないのですが……


 こうして、少しずつそして着実に、幕府と薩長の緊張が高まる様が描かれていくこの第12巻。
 これまで述べたように、歴史的事件も幾つも描かれるのですが、しかしむしろここで中心となるのは――これまで本作ではそうであったように――事件そのものよりも、それに対する八郎や周囲の人々、そして江戸の庶民たちの反応であります。

 それは時としてかなり地味にも感じられる(ページ内の文字がかなり多くなることもあり)ものではありますが、しかしこの時代を描く物語の多くが、歴史に名を残した人々の行動を中心に描かれることを思えば、その周囲の人々――ある意味八郎もその一人といってよいでしょう――のリアクションを通して描かれる本作は、やはり貴重に感じられます。

 作中で八郎は、自分が幕府に近すぎて全体を見ることができていない、もっと色んな視点で今の日本の状況を把握しておきたくなったと語る場面があるのですが――本作の姿勢は、まさにそれなのでしょう。

 もちろんその中で描かれるものには、今の我々から見るとなかなか理解しにくいものもあります。それこそ家茂の死にあれだけ我が事のように悲しみ、憤る江戸市民の皆さんの姿は、理解できるもののやはり些か違和感があります(死んだ将軍を悪しざまに言っている人間と打ち壊しをする人間を同一視するくだりなど特に)。
 しかしそれも含めて、この時代というものなのでしょう。

 そしてその時代が、いま終わろうとしていることもまた、確かなことであります。


 この巻の終盤ではついに鳥羽・伏見の戦いの戦いが開戦――と思いきや、戦いは一ページで終わってしまうのは大いに驚かされますが、それもまた、本作の視点の中心である八郎がほとんどこの戦で活躍していないためでしょう。
 そしてその直後の慶喜の「あの」行動も、八郎や周囲の人々の視点から描かれることで、複数の解釈を同時に描いているのが印象的です。

 しかし、八郎の戦いはこれで終わったわけではありません。それどころか、この先に八郎が巻き込まれるものを我々はよく知っているわけですが――それがどのように描かれることになるのか。
 いよいよ、物語の一つのクライマックスも目前であります。


『MUJIN 無尽』第12巻(岡田屋鉄蔵 少年画報社ヤングキングコミックス) Amazon

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2024.03.27

『明治撃剣 1874』 第拾話「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

 皇城に向かう気球を追いかけて戦いを繰り広げる警官隊・修羅神・平松一味。澄江の助けもあり、皇城を守った静馬は松平容保と対面、蜂起を止めるよう訴える。一方、平松を追って洋上の黒船に乗り込んだ修羅神は、生きていた後藤の襲撃を受ける。そこに静馬も駆けつけ、最後の戦いが始まった……

 いきなりサブタイトルが12倍に長くなった最終回、時間の方も長くなって実に29分数十秒、途中のCMもなしで、これは確かに一時間スペシャルでなければ放送できないわけです。

 さて、物語の方は前回から続き、皇城を目指す気球に飛び乗った修羅神、そして静馬が一味を追う展開。宿敵同士となったダリオとビリーの決着が地味につけられた後、ダリオの攻撃で守屋組長の気球は不時着、組長を脅して平松の居所を聞き出した修羅神はさっさとそちらに向かいます。一方、静馬の方は、前回から急に青龍刀を持ち出した平松の側近・皆川と対決するもこれを一蹴。とどめを刺す間もなくこちらも皇城へ……
 とはいえ、既に一味は皇城に到着、しかも近衛の一部も抱き込まれていたという信じられない事態。静馬も取り囲まれて大ピンチとなるのですが――それを目撃した澄江が思わず銃で静馬を援護し、その他の叛徒たちも、駆けつけた警官隊に鎮圧されるのでした。

 しかし澄江も当然その一味、捕縛されるところを庇った静馬は藤田と対決。地味に同僚だと知らなかった静馬ですが、あくまでも刀は抜かずに、藤田をひっ捕まえて頭突き一閃! これまでの傷もあったとは思いますが、正義が女に負けるとは――と自嘲する藤田を置いて、澄江と共にその場から逃走します。
 そして二人の向かった先は――てっきり平松のところかと思いきや、松平容保のもと。先日から平松の言葉にほとんど答えないのでスルーするつもりかと思いきや、結構乗り気だったらしい容保を、静馬は言葉を尽くして押し留めます。ついには「ならぬものはならぬのです」が飛び出し、容保もついに決起を諦めたその時、その場に現れたのは……

 一方、佃島沖に停泊した黒船に単身乗り込んだ修羅神ですが、彼を待っていたのは何と後藤、それも何か凄い色の甲冑(たぶん元々は平松用)をまとった! 前々回、死んだシーンは描かれていなかった後藤は、修羅神憎しの念で暴走。組長を意味なく殺した上で、平松の元に現れたのです。そこで平松特製阿片を与えられて完全におかしくなった後藤に、流石の修羅神も苦戦を強いられます。
 そんな修羅神を煽りに来た平松ですが、しかしそこに静馬が駆けつけたことで状況に変化が生じます。静馬に後藤を押しつけて平松を追う修羅神。静馬は後藤の頭にランプを落として火をつけた上に、盲滅法突っ込んでくるところを躱せば後藤は爆裂弾の中に突っ込んで大爆発! 黒船に火が回り始めます。

 さて、怨敵・平松に斬りかかる修羅神ですが、意外にもというべきか、平松も強い! 修羅神が連戦で疲れているとはいえ、五角以上の腕前で応戦します。武士を捨てて極道になった男と、西洋に生まれて今なお武士の姿を取る男――平松のアナクロぶりへの修羅神の「勝手な憧れ拗らせやがって」とは言い得て妙ですが、しかし修羅神が一瞬の隙を突いて背中に一刀! そこに追いついた静馬の言葉で容保も蜂起しないことを知り、敗北を認めた平松は武士らしく切腹を望み、修羅神が介錯を――っと、そこで修羅神が斬ったのは首ではなく髷! 己が武士であることに何よりも誇りを持つ男にとっては、死にも勝る屈辱であることは間違いありません(史実では和服を着ても髷を結ってなかった平松に髷を結わせていたのはこのためであったか……)。
 狂乱する平松を置いて甲板に出た二人。そして静馬は「修羅神狂死郎、お前を逮捕する!」と挑みかかるのですが――えっ、修羅神何か悪いことしたっけ(色々してます)とこちらが驚く間にも繰り広げられる二人の戦い。実力伯仲の二人ですが、修羅神は長ドスなので鍔がないので指を斬られそうで結構見ていて怖い。鍔って意外と大事――などと思わされつつも二人の戦いは続きます。その時、その場に現れたのは……

 かくて戦いは終わり、せんり(相変わらず超有能)の働きで、「エルドラド」がかつて蝦夷地に作られ、今は新政府に受け入れられぬ人々のコロニーだったことが判明。どうやらポリスを続けているらしい静馬がそこを訪ねる場面で、物語は終わることになります。


 正直なところ終盤に至っても(終盤ほど)絵的には苦しかった感はあり、色々と苦戦ぶりが伺われたものの、平松の正体をはじめとして、オッと思わされる題材が随所に盛り込まれていた本作。正直なところ放送開始までは完全にダークホースでしたが、かなり楽しめた作品でした。(ただ、最終回にほとんど全く同じパターンで重要キャラを二人も退場させたのはさすがにどうかと……)

 ちなみに西郷暗殺の処理、まさかの大量の西郷の×××には愕然かつ仰天。このアイディアは今までなかったのではないでしょうか。脱帽です。


関連サイト
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