2020.06.18

東郷隆『邪馬台戦記 Ⅲ 戦火の海』 決戦、幾多の人々の生が交錯した果てに

 東郷隆による古代史活劇『邪馬台戦記』三部作の完結編であります。ナカツクニ(邪馬台国)打倒の野望に燃えるクナ国王クコチヒコの大船団による総攻撃が迫る中、ワカヒコはこれを阻むことができるのか。タイトル通り戦火は海に拡大し、壮絶な決戦が繰り広げられることになります。

 貿易のため東に進出したナカツクニの船団に海霧の中から襲いかかり、次々と船を沈めるという謎の巨人の噂。その調査を命じられた勇者ススヒコ(第1巻の主人公)の子・ワカヒコは、謎の巨船に襲われた末、水先案内人の少女・サナメとともに辛くも生き延びるのでした。
 その巨船こそは、かつて九州を追われたクナ国の新王・ヒミココことクコチヒコが建造を進めていた秘密兵器。遙かローマ(!)からの渡来人「きうす」の技術により巨大な投石機を装備したその巨船により、彼はナカツクニ打倒を目指していたのであります。

 その巨船建造のために神木を狙い、クシロ村を襲撃したクナ国の兵を、ワカヒコとサナメは、それぞれその軍略と弓術を活かして見事に撃退したのですが――しかしこれは局地戦に過ぎません。
 クナ国の野望を知り、更なる攻撃に備えて守りを固める二人。しかしその間にもクコチヒコはその力を蓄え、投石機を装備した二隻目の巨船が動き出したのであります。

 奇しくもその船に乗っていたのは、ワカヒコとともにナカツクニを旅立ちながら、途中ではぐれた末にクナ国に拾われた渡来人・彭。彭はそこで「きうす」――ローマの解放奴隷ルキウス・ルグドネンシスと出会い、彼の数奇な運命を知ることになります。
 一方、ワカヒコらの奮闘と、クナ国の動きを知った卑弥呼と弟のオトウトカシは、クナ国に苦しめられる諸国を糾合し、決戦を決意。しかし、当時の日本ではオーバーテクノロジーである投石機を擁するクナ国との彼我の戦力差はあまりに大きく……


 と、これまでの2作が、ナカツクニとクナ国の争いを背景にしつつも、比較的主人公たち個人の冒険物語の色彩が強かったのに対して、いよいよ二つの国の本格的な戦さが描かれることとなる本作。
 クライマックスはもちろん両国の水軍による決戦が描かれることになりますが、そこに至るまでも、ワカヒコを中心に集結した各地の人々とクナ国軍の戦いが描かれ、全編にわたり戦闘の連続という印象があります。

 しかしそんな中でも、ワカヒコが存在感を失わないのが本作の巧みなところで、彼自身は一人の少年に過ぎないものの、大人も及ばないような軍略と知識を発揮。そして直接の戦闘は、彼のパートナーである体育会系ヒロインのサナメが担うという形で、それぞれの長所を活かした痛快な活躍が描かれることになります。
 それでいて、年相応にサナメの姿にドキドキしてしまうワカヒコや、あっけらかんと彼に迫るサナメなど、ちょっとドキドキする要素が織り込まれているのもまた良いのであります。

 そしてそれだけでなく、本作ではさらに大人たちの――それも敵味方それぞれの、様々な立場の人々の――視点も織り込まれることで、物語に一定の深みを与えているのもまた見事といえるでしょう。
 卑弥呼とオトウトカシ、クコチヒコと配下の将、きうすと彭、さらには彼らの戦いに巻き込まれる周囲の人々も含めて、それぞれの物語が、それぞれの人生が――完全な善も完全な悪もなく――描かれ、交錯することにより、そこには単なる敵と味方の戦いという図式を超えた、人間ドラマが浮かび上がるのです。


 そしてそれらの背景として機能するのが、この時代の日本――大陸や南方など、各地から文字通り流れ着いた人々により、人種と文化の坩堝のような姿の日本の姿であります。

 恥ずかしながら、ここで描かれているものにどれだけの裏付けがあるかは、私には判断できません(しかしこの作者であればしっかりと根拠があって描いているのだろうと信じてしまうのですが)。
 しかし登場する人々や事物の名称、登場する兵器や乗物、果ては言葉遣いや様々な風習に至るまで、その緻密なディテールにはただ圧倒されるばかり。それは極端な言い方をしてしまえば、現代の我々からみればファンタジー世界とあまり変わらないような――しかし間違いなく地続きの――世界に、強いリアリティを与えているのであります。


 物語運びの面白さとキャラクター描写の妙、そして綿密な考証に裏付けされた世界設定――いずれも作者ならではというべき本作。結末の、高揚感と寂寥感が入り交じったどこか不思議な味わいも、強く印象に残ります。
 古代も作者が描けばこうなる――そう評すべき佳品であります。


『邪馬台戦記 Ⅲ 戦火の海』(東郷隆 静山社) Amazon

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2020.05.23

栗原ちひろ『有閑貴族エリオットの幽雅な事件簿』 生者と幽霊の交わるところに幽霊男爵が見るもの

 社交界で浮名を流す青年貴族エリオット――彼には「幽霊男爵」なる奇妙な通り名があった。美貌の忠僕コニーを供に、心霊絡みの噂があるところに現れては、心霊事件の陰のトリックを暴いていくエリオット。この世ならざるものを見る彼の瞳に映るものは……

 19世紀末英国――ヴィクトリア朝時代の英国というのはやはり魅力的に映るものか、我が国においてもこの時代を舞台とした物語は数多く発表されています。そこに新たに加わった何ともユニークな物語が本作です。

 博物学と美しい女性を愛し、悠々自適の生活を送る美貌の男爵エリオット。その彼がもう一つ愛するのは心霊的な事件――ロンドン中の心霊がらみの会には必ず顔を出すことから、ついた通り名が「幽霊男爵」であります。
 そんな彼がある日聞きつけたのは、あまりの恐ろしさの故に、終わった後に誰もその降霊会であったことを語らないという「沈黙の交霊会」。早速その交霊会に参加すべく手立てを探すエリオットですが――丁度そこに訪ねてきたのは、その交霊会でなくした、あるものを探して欲しいという若い女性でした。

 主催者も、出席者も、その場で何があったかも、なくしたものが何かも語れないが、場所は案内できるという彼女に導かれ、交霊会に向かったエリオットを待つものは……


 そんな第1話「交霊会と消えた婚約指輪の謎」に始まる、短編連作スタイルの本作。幽霊を生者のようにはっきりと見る力を持つエリオットが、サーカス出身の美少年ボーイ・コニー(エリオットほどではないにせよ見える少年)をお供に、様々な怪奇事件に挑む姿が、全5話で描かれることになります。

 関係者が次々と死を遂げ、周囲で怪現象が頻発するというミイラの解包ショーの謎に挑む「ミイラの呪いと骨の伝言」
 自分同様に見る力を持つ少女との出会いをきっかけに、無数の子供たちの幽霊が集まる修道院跡に潜む陰惨な過去を探る「修道院の謎と愛の誓い」
 親友の誘いがきっかけで訪れた、女性のヒステリー治療法を開発したという精神病院で思わぬ危機に遭遇する「病める人々と癒やしの手」
 休暇をもらったコニーが、幽霊が子供を攫うという劇場を訪れたことで巻き込まれた事件と、彼の過去を描く「天井桟敷の天使たち」

 これらのエピソードに共通するのは、生者と幽霊、それぞれの存在と思惑が絡み合い、複雑な事件を生み出していることでしょう。
 幽霊をダシにインチキを仕掛ける者たちを許さないエリオットですが、その背後には本物の幽霊が関わっていたり、あるいは幽霊たちが関わる事件に生者の存在が絡んでいたり――そんな事件の数々を、エリオットがその目と頭脳で挑む姿は、ホラーとして、そしてミステリとして、独特の魅力を持ちます。

 そんなわけでホラーミステリ(ミステリホラー?)が大好物の私には堪らない作品なのですが――その中でも特に強烈な印象を残したのは(上記のスタイルとは微妙に外れる部分もあるのですが)第3話です。
 子供の幽霊(ゲストの見える少女・リリアンがこれを「天使」と無邪気に評するのも印象深い)が無数に集まる地というだけでもユニークなのに、その理由がまた強烈。そしてさらにそこで起きる別の怪奇現象に、複雑怪奇な因縁が潜んで――と実に盛りだくさんなホラー+ミステリの逸品なのです。
(クライマックスで明かされる、本作ならではの「トリック」もお見事!)


 そんな本作は、きっちりとホラーの味わいを出しつつも、それでいてエリオットのキャラクターの面白さもあり、どこか軽妙で長閑さすら感じさせるムードもあるのが、また巧みと感じるのですが――しかしそれだけで終わらないのが、本作の最大の魅力であります。

 上で述べたとおり、本作で描かれるのは、幽霊が絡みつつもあくまでも現実の事件――そこで描かれるのは、実に「生々しい」人間の欲望や情念、そしてその犠牲になった人々、翻弄された人々の姿であります。
 そう、本作はライトミステリ的な要素を持ちつつ、そこで描かれるものは極めて重く、苦いものであります。そしてそれは、例えば第4話のように、この時代ならではの――しかし現代にもそれは形を変えて残っているようなものであることが、また印象的なのです。

 それはまた、エリオットやコニーの壮絶な過去にもまた関わるものでもあります。しかしだからこそ、それを背負い、そしてそこから自分の「生」の意味を見出すために、数々の「死」にまつわる事件に挑むエリオットの姿が眩しく、そして優しく感じられるのもまた事実であります。
 生者と幽霊の、生と死の交わるところに何が生まれるのか――幽霊男爵にはまだまだその大いなる謎に挑んでいただきたいものです。


『有閑貴族エリオットの幽雅な事件簿』(栗原ちひろ 集英社オレンジ文庫) Amazon

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2020.05.21

和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第4巻 尋問試合!? 次なる実検戦闘は何処

 この夏に実写映画完結編を控えた『るろうに剣心』の続編たる『北海道編』も気が付いてみればもう第4巻。正体は判明したものの、いまだその全貌を見せない劍客兵器に対し、剣心たちも助っ人を召集。いよいよ全面対決か――という前に、捕らえた劍客兵器への尋問が始まるのですが……

 元寇の際に戦った鎌倉武士を源流とし、歴史の陰でその力を蓄えてきたという武装集団・劍客兵器。「実検戦闘」の第一弾として箱館山を襲った一団の将たる凍座白也は捕らえたものの、斎藤一は凍座との戦いで傷を負い、剣心は歴戦の影響で体力が著しく落ちた状況であります。

 そんな中で、想像以上の規模を持つ劍客兵器に立ち向かうため召集されたのは、過去の恩讐を超えたドリームチーム――すなわち杉村義衛こと永倉新八、もと十本刀の悠久山安慈と瀬田宗次郎、さらに沢下条張・本条鎌足・刈羽蝙也の面々。
 役者は揃った! と言いたいところですが、しかし劍客兵器は神出鬼没。その全貌は、次の実検戦闘の舞台は――それを知らずしてはいかに戦力が整っても戦いはできません。

 そこで凍座を尋問することとなった剣心たちですが――しかしそこで凍座が指定した条件というのが奇っ怪至極。何しろ、自分と剣心が手合わせしている最中に限り、尋問を許すというのですから。
 かくて始まるのは、剣心と凍座の奇妙な戦い。完全に倒してしまっては話は聞き出せず、かといって斎藤一を苦しめた相手を、手を抜きながら戦えるとも思えない。一方の凍座の方も、一応は囚われの身でどこまで力を発揮できるものか……

 お互いハンデを背負ったこの状態、一歩間違えればとんでもない塩試合になりかねませんが、これが妙な(?)形で噛み合い、戦いは白熱することになります。
 相手の闘いに於ける本質が動物や神魔の姿で視えるという「闘姿」なる能力(?)を持ち、未だ正体のわからぬ異常なまでの頑丈さと膂力を発揮する凍座。そんな相手に如何に剣心とて手を抜くわけにはいかず、ちょっと大人げない大技ラッシュ!

 いやいやこれは尋問ではないのですか、とつっこむ間もなく繰り広げられる技の応酬の末、剣心たちが掴んだ次なる実検戦闘の場とは、なんと二箇所……


 というわけでチームを二つ、いや待機組も含めて三つに分けることとなった剣心。その中で剣心・左之助・アの三馬鹿こと明日郎・阿爛・旭の三人が向かう先は小樽であります。

 そしてニシン漁で沸き立つ彼の地で彼らを待っていたのは、思いもよらぬ事態で――と、これが実検戦闘に関わるかはまだわからないものの(関わらないとは思えませんが)、これまでとは全く異なる、搦め手とも何とも言いがたい展開には少々驚きました。
 剣心vs凍座の尋問試合の剛速球ぶり(もちろんこちらもシチュエーションはかなり変則なのですが)に比べて、この辺りのきっちりギャグも交えて変化球を投じてくる硬軟の使い分けには、やはり巧いなあ――と感心させられるばかりであります。

 もっとも、これは些か気になってしまうのは、物語展開――というより発表ペースの遅れ(それと関連しますが、単行本ではさすがに修正されていたものの、連載時にはちょっと悪い意味で驚かされる仕上がりの回もあり)なのですが、こちらは腰を落ち着けて待つしかないのでしょう。
 少なくとも、待っただけのものは確実に見ることができる作品なのは間違いないのですから……


『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第4巻(和月伸宏&黒碕薫 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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 「るろうに剣心」完全版刊行開始によせて
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2020.05.20

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第15巻 新たなる力と、史上に残る大敗北と

 劉邦の軍師・張良の戦いを描く『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』も、いよいよ劉邦と項羽の戦いが本格的に始まることとなります。次々と馳せ参じる群雄とともに快進撃を続け、ついに西楚の都・彭城に迫る劉邦ですが、しかしそこにはとんでもない陥穽が……

 韓信を得て漢中から脱出し、進撃を開始した劉邦。それを助けた張良は、一度劉邦の下を離れ、、韓王成から奪い取られた韓の地を見事に奪還。亡き成に勝利を捧げることになります。
 そしてそんな快進撃を続ける劉邦軍に、この巻の冒頭で新たな将が加わることになります。その名は陳平――本作では鴻門の会の際に、張良の言を受け容れて項羽の陣から脱しようとする劉邦を見逃し、恩を売った髭ダンディであります。

 項羽に対して各地で起きる反乱の一つを鎮圧した陳平ですが、降伏した相手が劉邦に寝返ってしまったことから、項羽の処罰を恐れ、身一つで逃亡。以前の縁(恩)を頼って劉邦の下に走ったのであります。
 この辺りの身の処し方を機敏と見るか、調子が良いと見るかはそれぞれですが、しかし謀士としての才は本物なのでしょう。韓信に続き、ここに劉邦は、また一人巨大な力を手にしたといえます。

 ……が、この陳平、どうにも緊張感がないというか、すっとぼけているというか、これまでにいなかったタイプのキャラクター。
 この巻の冒頭で登場した時の「あ~それは困った事になりましたねぇ」という口半開きにした表情の面白さ――そして何よりも、渡し舟で懐のものを狙われ、自分の無一物っぷりを示すために全裸で高笑いしながら(何故)船を漕ぐ姿のインパクトは、彼が色々な意味で只者ではないことをはっきりと示していると言えるでしょう。
(記録に残る史上初の全裸中年男性として――と言いたいところですが、陳平は生年不明なのが残念)


 さて、そんなわけでいよいよ戦力を増していくのに加え、張良の策によって(史記の記載の矛盾を拾って巧みにアレンジしてみせるのが見事)楚の諸将の動きを封じ、項羽が出陣した不在の彭城を奪取した劉邦。
 しかし、この巻に入ってから心配になるくらい死相が出ていた張良は入城直後にダウン――これが大変な事態を引き起こすのは、歴史が示すとおりであります。

 あまりの大勝に気が緩み、略奪と酒池肉林に明け暮れる漢軍。そんな中でも韓信のみは万一のためにそんな乱痴気騒ぎから距離を置いていたのはさすがですが――しかし焼け石に水としか言いようがありません。
 ようやく復活し、韓信の戦力は温存しつつ、戦う前から敗北が決定した戦いを生き延びる策を練る張良。しかし「その日」は予想よりも遙かに早く訪れて……

 というわけで、ここから始まる項羽の大逆襲。彭城に集結した漢軍五十六万に対し、項羽がかき集めた楚軍は僅か三万。しかし戦いを決めるのは数だけではないことを、ここから項羽は証明することになります。
 これまでもその恐るべき狂気と兇気によって周囲を巻き込み、考えられないような戦果を挙げてきた覇王・項羽。その怒りが頂点に達した状態の項羽が、油断しきっていた漢軍に突入してくればどうなるか――火を見るより明らかでしょう。

 「死にたい奴はかかって来い」「ま・・死にたくなくとも殺すがな!!」と強烈な言葉とともに襲いかかる項羽を、果たして万全の状態でも阻むことは出来たかどうか――十万の戦死者が決してオーバーに思えない項羽の説得力は、まさしく本作の収穫の一つでしょう。


 かくして史上に残る大敗北を喫した漢軍。辛うじて項羽の追撃を逃れたものの、果たして最後まで逃げ切ることができるのか、そしてその先に逆襲の目はあるのか――まだまだ張良は楽になれそうもありません。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第15巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2020.05.12

須田狗一『慶喜公への斬奸状』 敗者が残したものが生む悲劇と皮肉

 明治43年、小石川で余生を過ごす徳川慶喜が散歩中に暴漢に襲われ、警備員がこれを射殺する事件が発生した。犯人の身元と動機を調べる小石川警察署の小川巡査部長は、男の懐にあった「遥光の斬奸状は天下の愚書である」を手掛かりに捜査を進めるが、次々と意外な事実が判明。さらに第2の殺人が……

 「島田荘司選 第9回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞作でデビューした作者の第2作目は、明治末の徳川慶喜を題材とした歴史ミステリであります。
 徳川慶喜といえば、言うまでもなく徳川幕府第15代、最後の将軍。そしてその慶喜の後世の評価をある意味決定づけているのは、鳥羽伏見の戦の最中に兵を置いて大坂城を脱出、江戸に退却した一件であることは、多くの方が認めるところではないでしょうか。

 本作はその慶喜の大坂脱出を序章として始まり――そしてそれから40年以上の月日が過ぎ、維新の殊勲者たちの多くが亡くなった時代が本編の舞台となります。

 「第一条、皇室を敬戴すべし」と叫ぶ暴漢に慶喜が襲撃され、犯人はその場で慶喜邸の警備員に射殺された事件。しかしこの男が何者なのか、何故慶喜をそれも今襲ったのか、そして男の懐の半紙に書かれていた「遥光の斬奸状は天下の愚書である」とは何を意味するのか――慶喜邸近くの小石川警察署の巡査部長・小川は、多くの謎が存在するこの事件を担当することになります。

 そして男が以前起こした事件から、その名前が広津光二であること、彼が四谷に住んでいたこと突き止めた小川は、広津の家に向かうのですが――そこで小川が見たのは、先に何者かが家に忍び込んだ跡と、広津が残した「遺書」、二十年近く前の新聞の束、さらには一人分の白骨ともう一つの頭蓋骨という、謎めいた品物の数々だったのです。

 しかしそこで何者かに後頭部を殴られた上、遺書を奪われてしまった小川。支援に回されてきた警視庁高等課検閲係の竹内とともにさらに広津の家を調査した小川は、そこで英文の斬奸状、さらには爆薬の材料を発見することになります。
 かつて無政府主義者たちが米国で発行した「ザ・テロリズム」なる明治天皇への斬奸状とよく似た内容の英文の斬奸状。そして小川と竹内が調査を続ける矢先、広津と関わりのあった男が謎めいた死を遂げることに……


 比較的シンプルなホワイダニットから始まりながら、捜査が進むにつれて次々と事件を複雑化させていくような要素が登場し、思いもよらぬ方向へと繋がっていく本作。
 物語の中心となるトリックは、なるほど種が明かされれば比較的シンプルではあるものの、その意外性と使い方の巧みさで、物語を良い具合にかき乱していると感じます。

 しかし何よりも本作を面白く、そして複雑にしているのが、物語の中心となる徳川慶喜公の存在であることは間違いないでしょう。
 幕末あるいは明治の裏面史、表沙汰に出来ない陰の部分を描く――というのは明治ミステリでは定番ではあります。しかしその陰が、明治の始まりの時点で退場した――むしろその退場によって明治が始まった――慶喜にまつわるものというのは、これはかつてなかった趣向ではないでしょうか。

 確かに、冒頭に述べた経緯から、旧幕臣には人気がない、いや恨まれていても不思議ではないのですが、しかし後世の人間からしてみれば既に明治初期の時点で「終わった」人間という印象がある慶喜。
 その慶喜が明治の末年にもなって狙われた謎を解き明かすことが、同時に幕末史の謎の一つを解き明かすことに繋がっていく展開には、歴史ミステリの醍醐味が溢れていると言えるでしょう。
(ここで慶喜の行動があまりにも――という印象もあるのですが、同時にそれこそが本作を成立させているのも巧みなところです)

 そしてまた、その慶喜と並び、本作のタイトルを構成する「斬奸状」という言葉もまた、実に示唆に富んだものと言えます。
 斬奸状とは「悪者を斬り殺すについて、その理由を書いた文書」ですが――しかし悪を除くのにそのような私刑めいた手段を取る時点で、これを持ち出すのは権力を持った側ではない、つまり勝者ではないことは明らかであります。

 その敗者の記した文書が幾つもの悲劇を生み出し、そしてさらに大きな犠牲を生む――そのあまりにも大きな皮肉の存在が、時代と時代の谷間に落ち込んだ多くの人々の姿と重なり、強く印象に残るのです。


 歴史ミステリとしての面白さはもちろんのこと、歴史そのものを見つめる視点のユニークさ、確かさも魅力的な作品であります。


『慶喜公への斬奸状』(須田狗一 光文社) Amazon

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2020.05.08

石ノ森章太郎『闇の風』 若君忍者の戦い、衝撃の結末!

 白滝城主の若殿・鷹丸が暗殺された現場に偶然居合わせた青年忍者・鷲丸。瓜二つの容貌であったことから鷹丸に扮することとなる鷲丸こそは、鷹丸の双子の弟だった。大殿も何者かに暗殺され、城主の座を継ぐために江戸に向かうこととなった鷲丸の前に、次々と敵の忍者が襲いかかる……

 石ノ森章太郎が1969年に「週刊少年サンデー」に連載した忍者アクション漫画――つい最近も、再録中心の時代劇画誌「漫画 時代劇」誌の創刊号から昨年9月刊行の第19号まで掲載されていた作品であります。

 舞台は江戸時代のどこか、飛騨の白滝城――その若殿・鷹丸が守り役のじいとともに遠乗りに出かけた先で、9頁目にして何者かに脳天を射られて死ぬという衝撃的な場面から幕を開ける本作。
 そこに現れ、暗殺者たちをあっという間に葬ったのが主人公・鷲丸であります。その鷹丸に酷似した相貌から、じいの策で鷹丸の身代わりを務めることとなった鷲丸ですが――似ているのも道理、彼こそは忌むべき双子として生まれてすぐに捨てられた城主の子であったのです。

 始末を命じられた城の忍びが殺すに殺せず、自分の子として育てた鷲丸。かくて鷲丸はこの年まで自分の出生を知ることなく、「姉」の霞や大岩と小岩の忍びコンビらとともに忍者として育ったのであります。
 自分を捨てた城のために戦うつもりはないと突っぱねる鷲丸ですが、成り行きからそのまま鷹丸役を務めることになり、城主継承の儀のために江戸に向かうことになるのですが――そこでも襲いかかる暗殺者の影。

 鷲丸と仲間たちは、密かに江戸に向かう行列を離れ、怪人・死面妖鬼が送り込む忍者たちと死闘を繰り広げるのですが……


 そんな本作は、一言で評すればかなりオーソドックスな時代活劇。御家騒動に巻き込まれた出生の秘密を持つ若者(若君の双子の弟というのも定番であります)が、陰謀の渦中に巻き込まれる――というパターンですが、その主人公が凄腕の忍びというのが本作独自の趣向でしょう。

 本作が連載された1969年は、作者が質量ともに驚異的な数の作品を送り出していた、脂の乗り切った時期の真っただ中。それだけに物語的にはさほど新味はなくとも、画的・アクション描写的には充実の一言で、特に静と動を巧みに使い分けた描写には、いつもながら惚れ惚れとさせられます。

 しかし本作で強烈な印象を残すのはそのラスト――鷲丸たちを執拗につけ回し、数々の刺客を送り込む謎の忍び・死面の正体であります。
 死面自らが率いる土蜘蛛七人衆を(かなりあっさりと)倒し、ついに死面と一騎打ちを繰り広げる鷲丸。忍術の腕は互角、かくなる上は剣の腕で決するほかなし、と向き合う二人が一瞬交錯し、次の瞬間明かされる死面の正体とは!?

 ……いや、確かにどう考えても絶対裏があるキャラクターだとは思いましたが、それが正体というのは色々と無理があるだろう――というほかないこの結末、面白いは面白いのですが、あまり良くない意味でインパクトがあった、というのが正直なところです。


 ちなみに私が読んだ(いま最も簡単に入手できる)石ノ森章太郎デジタル大全版は全2巻――その第2巻には、『忍法十番勝負』で作者が担当した第九番勝負、そのほか『唐獅子をわたすな』と『剣豪少年』が併録されています。

 『忍法十番勝負』は以前このブログでも紹介しましたが、大坂城抜け道の巻物の争奪戦に巻き込まれた三人組の忍者の、ほとんど超能力レベルの壮絶な忍法が印象に残る一編であります。
 また、『唐獅子をわたすな』は唐獅子の焼き物ばかりが盗まれる謎を少年岡っ引きが追う、ごく初期の掌編。『剣豪少年』はほぼ同時期の作品ながら、宮本武蔵にも匹敵すると言われた天才少年剣士の皮肉な運命を描く、こちらはなかなか良くできた作品であります。


『闇の風』(石ノ森章太郎 石ノ森章太郎デジタル大全 全2巻) 第1巻 Amazon / 第2巻 Amazon

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2020.05.04

須垣りつ『吉原妖鬼談』 青年の成長と遊郭に潜む魔と――幻の快作登場

 生まれつき亡霊や魑魅魍魎が見えてしまう力のせいで、臆病で奥手の六助。ふとしたことから吉原で花魁の足抜けを生業とする男・遼天に見込まれた彼は、彼を手伝う中で、次第に自分の力と向き合っていく。そんな中、想いを寄せる花魁が化け物の巣食う楼に部屋替えになると知った六助だが……

 受賞者が発表されながら、レーベルがなくなった関係で作品が刊行されず、幻となった第2回招き猫文庫時代小説新人賞。その優秀賞受賞者である作者のことを、まことに勝手ながら私は最後の招き猫文庫作家と呼んでおりました。
 と、その受賞作『花街奇譚』が改題・加筆修正されて刊行されたと聞けば、黙ってはいられません。そして手に取った本作は、青年の成長ドラマ+伝奇活劇という、なかなかユニークな内容の佳品でありました。


 本作の主人公・六助は、先祖に「トワズ」――人外と交わり生まれたと言われる者――がいたことから、魑魅魍魎や亡霊が見えてしまう力の持ち主。そのため異常に臆病で、かつ他人(特に女性)とコミュニケーションするのが苦手な彼が、兄に引っ張られて吉原を訪れたことから物語は始まります。

 しかし吉原に来たものの、六助は大見世の花魁に声をかけられてもドギマギするだけで何もできず、さらには吉原の外れで亡霊の花魁道中に出会ってしまうなど散々な目に遭うばかり。
 そんな彼に声をかけてきたのは、人外を感じ取り、祓う力を持つ八卦見の壮漢・遼天。遼天に「トワズ」の力を認められた六助は、彼の裏の稼業である「稲荷隠し」すなわち足抜けの幇助に、躊躇いながらも力を貸すことに……


 そんな六助が、足抜け屋として悪戦苦闘を続ける中で遼天や仲間たちとの絆を深め、また生意気な小見世の女郎・茜と微笑ましい交流をしたりと、少しずつ成長していく様が、本作の前半では描かれることになります。
 先に述べた通り、六助はあまりヒーローらしくない――というより生真面目なのだけが取り柄の青年。そのくせ、女性と知り合うたびに彼女と付き合うことを夢想してしまう姿など、妙にリアルだったりしますが――しかしそれも微笑ましく、彼の真っ直ぐさの表れとして感じられるのは、本作の描き方の巧さでしょう。

 しかし物語は後半に至り、思わぬ方向に展開していくことになります。
 敵対した者が奇怪な死を遂げた、客の男たちが姿を消しているなど、不気味な噂ばかりが流れる見世・瑞雲楼。遼天の頼みでその様子を見に行った六助が見たものは――生ける屍としか見えない花魁たちと見世の中を這い回る透明な巨大な蟻、そして人間大の蟻のような姿をした女将と、鬼の本性を隠した楼主だったのであります。

 そして六助が吉原を初めて訪れた日に声をかけられて以来、恋い焦がれてきた花魁の銀華がその瑞雲楼に部屋替えすることとなり、その前に足抜けをという依頼が入ってくるのですが――六助にとって銀華が他所の男のものになることが面白いはずはありません。
 しかし彼女を救い出さなければ、化け物の餌食になることは必定。それがわかっていても一歩を踏み出せない六助の背中を押したのは……


 と、後半で伝奇ものとしての色彩が一気に強まる本作。
 あるいはこうした展開の物語では、いかにも伝奇時代劇のキャラクター然とした遼天が主人公となるのが相応しいのかもしれません(事実、クライマックスで最も活躍するのは遼天であります)

 しかしそんな中で、その「見てしまう」力以外は荒事に向いていない六助がいかにして戦いに挑むのか――いや、様々な意味でそこに背を向けていた彼が、いかにして立ち上がるのかが、大きな意味を持つことになります。
 その姿は、本作で描かれてきたものの総決算であり――すなわち、六助の成長の姿とその意味であり――そしてその姿は、彼の真っ直ぐな姿と相まって、大きな感動を生むのであります。

 青年の成長ドラマ――言い換えれば一種の人情ものと、吉原に潜む魔を描く(そしてこれがまたなかなかに独創的で、かつ相当にコワい)伝奇もの。
 この相反する要素を、本作は巧みなバランスで描いてみせたと感じます。

 このユニークで、そして内容豊かな快作が、埋もれたまま終わることがなくて本当に良かった――そう感じた次第です。


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2020.04.29

『柳生一族の陰謀』 伝説の名作時代劇、ここにリファイン

 徳川秀忠の急死により、将軍後継を巡って緊張が高まる幕府内。家光派についた柳生宗矩は、三人の子に加え、放浪中の十兵衛と根来一族を呼び寄せ、忠長派と暗闘を開始する。さらに朝廷では烏丸少将が漁夫の利を狙って暗躍、三つ巴の仁義なき戦いは犠牲者を増やしながらエスカレートしていくが……

 放送から間が空いてしまい恐縮ですが、BSプレミアムで放送されたスペシャルドラマであります。もちろんベースとなっているのは深作欣二監督の名作映画ですが、ストーリー等は映画版を踏まえつつも、また少々異なる味わいとなっております。

 これまでも様々なフィクションで扱われてきた家光と忠長の相剋を題材とした本作。秀忠の死が松平伊豆守と春日局による毒殺だった、という巨大なフィクションから始まり、家光派と忠長派、そして朝廷の間の権力闘争(というよりタマの取り合い)という切り口で家光の三代将軍就任を描く――という内容に変わりはありません。
 しかし映画が二時間強であったのに比べれば、ドラマは一時間半ということで、登場人物が一部整理・統合され、だいぶスピーディーな展開となった印象があります。

 特に大きいのは名護屋山三郎がオミットされ、出雲の阿国が小笠原玄信斎の養女という設定で大奥に潜入して家光を狙う――という辺りで、おかげで忠長派側のドラマが弱くなったという印象はあります。
(榎木孝明の小笠原玄信斎もさすがの貫目だったものが出番が少なくてもったいない)

 またキャスト的にも、非常に濃かった映画版に比べると、良くも悪くもかなりスマート――という印象はあるのですが、若者組はそれぞれに一種の悲壮感があってなかなか良かったのではないかと思います。
 個人的にはちょっとどうなのかな、と思っていた溝端淳平の柳生十兵衛も、クライマックスに宗矩と対峙した際の「笑いながら怒る」顔など、印象に残りました。
(しかし舞台の『魔界転生』では十兵衛と戦う方だったのに――というのは蛇足)

 しかし印象に残るといえば、何と言っても波岡一喜の烏丸少将で――代々(?)成田三樹夫、佐野史郎と錚々たる顔ぶれが演じたキャラクターを、期待通りに怪演。
 やはり出番自体はそれほど多くないものの、主膳(そういえば何故左門ではなく主膳だったのか――終盤の展開をキャラ的に左門にさせるためだったとは思いますが)と根来左源太を実質一人で倒し哄笑する姿は、上記のとおりスマートなキャラクターの多かったこのドラマ版でも屈指のインパクトであったかと思います。


 そしてキャラクターといえば、やはり柳生宗矩ですが――本作で宗矩を演じた吉田鋼太郎は、さすがにアクションの点ではさまで印象に残りませんでしたが、一見常識人風の立ち振る舞いと、決め所での舞台調の演技が印象に残ったところ。
 特にラストの「夢でござーる!」のくだりは、狂乱の果てに己の血糊に滑って倒れ伏す姿も強烈な熱演で、この辺りの静と動の使い分けはさすがはシェイクスピア役者――と言うべきでしょうか。

 個人的にはこの方が演じるのであれば、ひたすらフラットな演技で、終盤に一気に本性を現す偽君子キャラにした方が面白かったのでは――と思いましたが、これはさすがに物語そのものが変わってしまいますね。


 その他にも、上で触れた血糊のように、結構容赦なく血が流れたり、そもそも冒頭から胃袋、そしてラストにはアレが出たりと、BSとはいえ最近のTV時代劇にしてはかなり思い切った描写があったりと、かなり力が入っていた印象のある本作。
 この調子で、往年の名作時代劇をもっともっとリファインしてほしい――と、感じます。


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2020.04.17

東村アキコ『雪花の虎』第9巻 燃え上がった恋の先に待つ景虎の女性性

 女景虎伝もいよいよ佳境というべきでしょうか、京に上洛した景虎が出会った運命の人。彼と身も心も結びついた景虎ですが、しかし戦国時代という状況が、彼女を女性のままでいることを許しません。悲劇と戦いが続く中、宿敵との対決の行方は、そして景虎の選択とは……

 京都に上洛し、そこで足利義藤(義輝)とその近臣、さらに三好長慶と松永久秀、千宗易といった、国を動かす男たちと出会った景虎。その中で、義藤の供御方である一人の物静かな青年と出会った景虎は、彼に京を案内される中、強く惹かれるようになっていくのでした。

 そして久秀と山本勘助が送り込んだ刺客による大混乱の中、二人で落ち延びることとなった景虎は、逃避行の最中、ついに彼と結ばれることになります。
 彼――進士藤延、またの名を明智十兵衛と。

 と、景虎の初恋の相手が、よりによって今話題の人物だった! という仰天展開となった本作ですが、しかしこの巻においてさらに驚くべき展開を迎えることとなります。

 辛うじて難を逃れ、無事に越後に帰還した景虎。しかし彼女の身に異変が――そう、彼女には新たな命が宿っていたのであります。
 いつかは来るのではないか――と、思っていたこの展開ですが、しかしよりによって相手があの人物。というのはまあ良いとして(良いか?)、景虎はあくまでも戦国大名であります。

 しかも今の彼女は、国の東と西から請われて、関東出兵を目前とした状況。「儂が父親もやればよいだけのことじゃ!」とは彼女らしい言葉ではありますが、もちろんそれで済むはずはないのであります。
(そしてそんな彼女にとっての、日本にとっての関東出兵の意味、出兵するのが景虎でなければならなかった理由の解説が面白い)

 ただ、そんな無茶が祟って――というのは、これは彼女の一大事を都合良くイベントに使われたようで、正直あまり好きになれない展開ではあります。
 しかしそれに彼女の――彼女自身の視界に入っていなかった――女性性をクローズアップさせるという意味は確かにあったのもまた事実。特に、これまで男(晴信)に縋って生きる姿が景虎と対照的であった諏訪姫が、ほぼ同時期に、景虎と同様の運命を辿った姿を見れば……


 それでも歴史の流れは止まらず、川中島に、善光寺に武田の軍は迫り、かくて第二次川中島の戦が勃発。二百日にも渡る合戦は、その大半がにらみ合いだったとはいえ、確実に景虎の心身をすり減らしていくことになります。

 そしてその翌年、景虎史上に残る大事件というか怪事件というか珍事件というか――あの出家遁世事件が起きるわけですが、その理由を、本作は景虎の女性性を理由に描くことになります。
 男性読者としてはその理由に納得してよいものか正直なところ戸惑ってしまうところではありますが、しかしこの物語においてそうだと断じられれば――少なくともこの巻のエピソードを読めば――そうかと頷かざるを得ません。

 もちろんだからといって、あの男のもとに走っていいとは思わないのですが――そこに彼女を迎えにいくのが宗謙というのは、これはなるほど、という展開。
 泥沼の三角関係になりそうな展開が果たしてどう転ぶのか、次巻も(これまでと異なるベクトルで)気になるところではあります。


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2020.03.24

誉田龍一『よろず屋お市 深川事件帖 2 親子の情』 女探偵、最後の事件……

 育ての親の万七亡き後、よろず稼業「ねずみ屋」を引き継ぎ、奮闘を続けてきたお市。そのお市の夢に最近現れるのは、幼い頃に殺された両親だった。そんなある日、お市の前に岡っ引き時代の万七の仲間だったという男・長兵衛が現れ、二人がかつて逃した盗賊の残党探しを持ちかけるのだが……

 数多くの文庫書き下ろし時代小説シリーズを発表し、そして操觚の会の渉外担当として八面六臂の活躍を見せてきた誉田龍一先生が、今月の9日に逝去されました。
 私もネットだけでなく、操觚の会のイベントなどでお会いし、色々とお世話になってきました。それだけに第一報以来、いまだに信じられないという思いがあります。

 そして悲しいことに、現在発表されているシリーズは未完ということになります。まことに残念ながら本作もその一つということになりますが――ハヤカワ時代ミステリ文庫の一つとして楽しませていただいていたこともあり、追悼の意を込めて、今回取り上げさせていただきます。


 幼い頃に両親を失い、岡っ引きの万七に引き取られて育てられたお市。その後、万七は仕事でしくじって十手を失い、以降はよろず稼業「ねずみ屋」として活躍していたのですが――しかしある日、水死体となって発見されることになります。
 万七の死に様に不審なものを感じたお市は、いつかその謎を解き明かすため、そしてねずみ屋の看板を下ろさぬため、生前に万七から教わった様々な探索の極意と、実の母の形見だったというジーファー(琉球簪)を武器に、よろずや稼業を引き継ぐことに……

 という基本設定の本シリーズですが、時代小説にはありそうでほとんどなかった私立探偵、それも女性の私立探偵――岡っ引きのような職業探偵ではなく、ディレッタントの素人探偵でもない――を主人公とした、なかなかにユニークな作品であります。
 そんな「女には向かない職業」にわざわざ挑もうというだけに、お市には知恵も度胸も腕っ節も人並み以上にあるのですが――しかしそれでもやはり、男の悪人が複数出てくれば抵抗するのがやっとの状態。かくて、時代小説の女性主人公(剣士や忍者以外)としては異例なほど、毎回ボコボコになりながらお市は事件に挑んでいくのであります。

 さて、この第2巻は前作同様の全4話構成です。
 15年前に残忍な盗賊に襲われて全てを失い、いま死を目前とした元大店の主が、その時に行方不明となった娘探しを依頼してくる「父娘無情」。
 身寄りのない姉弟を引き取ったものの、姉は家出を繰り返し、ついには弟を連れて出ていってしまったという若い父親からの依頼から始まる「姉弟孤独」。

 前半2話ではどちらも副題の「親子の情」に相応しい内容のようでいて、しかし――という、苦い味わいが何とも本作らしい物語が続くことになります。(特に第1話は、真相はすぐに察しがつくものの、それが明らかになる時の登場人物の心の動きが圧巻)
 そして後半2話も同様に「親子の情」にまつわるものではありますが――しかしそれがお市自身の物語であるのが目を引きます。

 お市が8歳の時に何者かに殺された両親。しかしそれがあまりにショックであったものか、彼女の記憶の中では、両親の顔は常に黒く塗りつぶされた状態にあります。
 そんな両親が毎日のように夢に現れるという辛い状況の中、お市は育ての親と生みの親――すなわち万七と両親と、それぞれに関わる事件に絡むことになります。そしてその中でお市は、「親」に絡むあるショッキングな事実を知ることになるのです。


 たった一人のよろず屋稼業ではあるものの、常に彼女の心(記憶)の中にあって、彼女の冒険を支えてきた万七。前作同様、本作においても、お市の心のなかでは、ほとんど自問自答のようなレベルで万七の教えが思い出され、彼女はそれに従って事件に挑むことになります。
 しかし、そんな一種の依存のようにも見えるお市と万七の関係は、本書の終盤において、ある理由から、大きく変化することになります。

 そんな状況で、お市はよろず屋を続けていくことができるのか。そして万七の死の真相を掴むことができるのか? (ラストの行動はもはや「探偵」という域を超えているのではないか、という点も含めて)何とも気になる引きとなったのですが――しかし本作の続編は、もう二度と読むことはできないのでしょう。それが今では口惜しくてなりません。
 それでも優れた物語は残り続ける、読まれ続ける――そうあって欲しいと、今は切に願うのみであります。


『よろず屋お市 深川事件帖 2 親子の情』(誉田龍一 ハヤカワ時代ミステリ文庫) Amazon

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