2024.10.04

変人学者、虫にかこつけて事件解決!? 京極夏彦『病葉草紙』(その一)

 今年の夏は、京極夏彦の時代小説の新刊が三冊刊行され、ファンとしては嬉しい悲鳴が上がりましたが、その一つが本作、『前巷説百物語』に登場した本草学者・久瀬棠庵を主人公としたユニークなミステリです。若き日の棠庵が、長屋を舞台に「虫」と絡めて様々な騒動を解決していく、全八話の連作集です。

 とある長屋に住む久瀬棠庵は、日がな一日、本に囲まれて暮らしている奇妙な男。いつ食事をしていつ眠っているかもわからない彼を心配して、差配役の藤介は毎日顔を出していますが、棠庵の驚異的なマイペースぶりに振り回されるばかりです。
 そんな中、長屋やその周辺で奇妙な事件が起き、棠庵の耳にも届くのですが、彼は「これは――虫ですね」と言い放ち、ほとんど部屋にいながらにして解決してしまう――本作は、そんな一種の安楽椅子探偵もの的な味わいの時代ミステリです。

 棠庵が解決する事件は、罪として裁くには複雑な事情があるものや、あるいは一見事件性がない出来事ばかり。それを、江戸時代の鍼灸書「針聞書」に登場する、現実には到底存在しないような――現代でもそのユーモラスな姿で一部で人気の――虫たちを引っ張り出し、何だかんだと理屈を付けつて、棠庵は「虫」の仕業として片付けてしまうのです。

 そのスタイルは、簡単には解決できない厄介事を、「妖怪」の仕業として解決してきた『巷説百物語』シリーズを思わせるものがありますが――それもそのはずというべきか、もともと棠庵は『前巷説百物語』の登場人物。そちらでは又市たちの仕掛けを、その知識でもってもっともらしく説明する役割を担っていましたが、本作ではその数十年前の彼が描かれています。

 そして本作のもう一つの特徴は、そのコミカルとも緩いともいうべきユーモラスな空気感です。本作で狂言回しを務める藤介は、周囲に振り回されがちな、どうにもすっきりしない人物。そんな彼が、思わぬ事件に巻き込まれたり、四角四面な棠庵の言動に振り回される姿には、落語めいたおかしみがあります。
 さらに彼の父で長らく隠居して呑気に暮らす藤左衛門、長屋に住む臆病者の下っ引きの平次と異常にそそっかしい妹のお志乃など、その他の登場人物も、どこかすっとぼけた連中ばかりなのです。

 その一方で、作中で描かれる事件は、結構洒落にならないものが多いのですが――それはこれから一話ずつ、紹介していきましょう。


「馬癇」
 長年かけて貯めたという金で、孫娘のお初と共に棠庵の向かいの部屋で気楽に暮らす老人・善兵衛。しかしある日、部屋から出てきたお初は、善兵衛を殺してしまったと繰り返します。
 部屋にあったのは確かに善兵衛の死体、状況もお初の犯行を示していましたが、棠庵はこれは殺人ではないと言い出して……

 第一話ということで藤介と棠庵、平次ら登場人物の紹介を兼ねたエピソードですが、どう見ても凶器としか思えない、善兵衛の部屋に残された濡れ紙の真実を鮮やかに解き明かす棠庵は、なかなかの名探偵ぶりです。
 事件の真相究明については、ある意味反則的要素があるのですが、むしろ見どころは「厭」な真相を表沙汰にせず解決してみせる、棠庵の知恵にあることは言うまでもありません。


「気積」
 亭主が虫のせいでおかしくなったと藤左衛門に泣きついてきた、左官の巳之助の女房・おきん。これまで生真面目だった彼が、このところ毎日帰りが遅くなり、食事もろくにせず、自分に近付こうとしない――そんなことを訴えるおきんに手を焼く藤介は、棠庵に相談するのですが……

 前話を虫の仕業として解決したと思えば、それが災いしての思わぬ騒動を描くこのエピソード。親しい人間が突然奇妙な言動を取り始める――というのは日常の謎の定番ですが、本作の真相は予想外すぎて、あっけに取られます。
 その真相もさることながら、今回印象に残るのは藤左衛門の珍妙なキャラクターでしょう。すっとぼけたようにとんでもないことを言い出す彼は、今後いよいよ猛威を振るうことになります。


 長くなりますので、次回に続きます(全三回)


『病葉草紙』(京極夏彦 文藝春秋) Amazon

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2024.09.18

今明かされる音無しの剣の、竜之助の秘密! 夢枕獏『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』下巻

 中里介山『大菩薩峠』の世界を舞台に、夢枕獏が土方歳三を主人公にして描く意欲作の下巻です。いよいよ御岳の奉納試合で、繰り広げられる、土方歳三対巽十三郎、机竜之助対宇津木文之丞という二つの因縁の対決。果たして竜之助の「音無しの剣」の正体とは何か、そして彼が背負った宿業とは……

 四年に一度行われる御岳の奉納試合の開始前から流される多くの血。剣士ばかりを狙う辻斬りの下手人と目される宇津木文之丞、老巡礼を斬り捨てた机竜之助、凶賊・丹波の赤犬を死闘の末に倒した土方歳三、その赤犬の弟であり天然理心流の師範代を打ち殺した巽十三郎――甲源一刀流の剣を巡って先代からの因縁がある竜之助と文之丞、兄の仇である歳三を狙うだけでなく、文之丞に助力して机父子の道場を奪わんとする十三郎と、どう考えてもただでは済まない複雑な因縁は、ついに奉納試合での真剣勝負で決着がつくことになります。

 というわけで、この下巻は、誰がどのように勝つのか、そして敗者はどうなってしまうのか――いずれも予想不能な因縁の対決が、前半の大きな見せ場となります。

 歳三の相手である十三郎は、(身も蓋もない言い方ですが)オリジナルキャラであって、その意味では重みは薄く感じられるかもしれません。しかし彼は至近からの一撃すら躱してみせる見切りの達人である上に、軽く打った一撃で相手を内側から破壊する、内割りの秘太刀の使い手であります。
 対する歳三は、度胸は人一倍あるものの、剣の方はまだまだ粗削りな喧嘩殺法で、あまりにも不利――という状況で、彼があの太刀を手に! というのは、ファンとしては非常に盛り上がる展開を迎えることになります。

 一方の竜之助と文之丞は、これはもう原作から引き継がれた因縁の対決ではありますが、文之丞がかなりのパワーアップ――あの沖田総司に深手を負わせるほどの剣技を持ち、そして涼しい顔で恋人のお浜を心身ともにいたぶるという、夢枕作品お馴染みの、怖い感じの美形キャラ的な存在に変貌しているのです。
 さらに文之丞は、音無しの剣の秘密を見抜いたという十三郎の手を借り、不敗の魔剣を破る手立てを見出したというのですが……

 かくして繰り広げられるのは、いずれ劣らぬ強者同士が、己の命と誇りをかけてぶつかり合う、神聖さすら漂う戦い。それは剣豪の戦いというよりも、これまで作者が描いてきた『餓狼伝』『獅子の門』『東天の獅子』、さらには『ゆうえんち』といった格闘ものの空気を感じさせます。


 しかし、物語は御岳の奉納試合、いや死合を終えても、その先があります。そこで語られるのは、竜之助の音無しの剣の、いや、竜之助自身の秘密です。
 これまでの物語で垣間見られた竜之助と父・弾正の確執――その原因と思われる竜之助の母の死の真実とは何か。そして、相手の攻撃を受けることなく斬る音無しの剣の遣い手でありながら、彼の身体に無数に残る刀傷は何を意味するのか。

 作中で描かれてきた様々な謎が一点に集束し、そこに机竜之助という謎めいた男の人物像が浮かび上がる――そしてさらにそれが音無しの剣の秘密へとつながっていく様は、まさに圧巻としか言いようがありません。
(そしてその秘密が、夢枕獏ファン的には「あっ、あれかぁ!」と思わせるものなのも嬉しい)

 そして、ここまで竜之助のドラマを盛り上げつつも、同時に歳三のドラマもまた、それに負けぬ勢いで描かれます。本作の歳三は、先に述べた通り、荒削りで泥臭く、勢いだけで突っ走る男。氷のごとく静謐で何事にも動じない竜之助とは正反対の、炎のような熱さを持つ男です。
 まだ何者でもなく、何も背負っていない。しかし何かに対する渇望に似た想いを持つ男――そんな求道者的な歳三だからこそ、奇怪な宿業を背負い、一種死神めいた存在である竜之助の前に立つことができるのです。

 もちろんそれは一種の作劇法的な構図かもしれません。しかし、仏教思想に基づき人の世の縮図を描いた「大乗小説」たる『大菩薩峠』――その巨峰に挑んだ「地獄の閻魔を殺す者」を冠する物語にとって、それはむしろ必然的とすら感じられる、というのは牽強付会でしょうか。


 そして物語は、そこに至るまでの殺伐さとは裏腹の――いや、むしろその殺伐さがあったからこそ感じられる、途方もない爽やかな結末を迎えることになります。そしてそれは、新しい、もう一つの物語の誕生を描いたからこその感覚なのでしょう。
 本作で描かれるのは、大団円を迎えつつも、その先を夢想したくなる――一種理想的な物語の結末なのです。


『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』下巻(夢枕獏 角川文庫) Amazon

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2024.09.12

南部の忍び、金山の謎に挑む? 桜井真城『雪渡の黒つぐみ』

 江戸時代初期の東北を舞台に、隠密たちのサスペンスフルな暗闘を描く、ユニークな活劇です。伊達家の黒脛巾組の暗躍を探るため、金山に潜入することになった南部家の隠密・間盗組の景信。伴天連門徒や謎の邪教集団も絡み、複雑怪奇な状況の中で、いまいち頼りない彼の活躍やいかに?

 城代の娘の侍女・紫野が黒脛巾組の隠密と知り、密会相手を捕えるべく待ち伏せた、間盗役の望月景信。間盗役でも唯一の声色使いである彼は、紫野に化けて密会場所に出向くものの、相手に見破られた上、捕えようとした相手は自害してしまうという失策をしてしまうのでした。
 陰険な上役の浅沼にここぞとばかりに責め立てられた景信は、苦し紛れに紫野を転向させ、彼女と共に潜入先である鹿角に向かうことになります。

 南部領随一の金山であり、諸国から逃れてきた伴天連門徒が大勢いるという鹿角の白根金山。そこで何かが行われていると睨む景信ですが、紫野が何者かに殺され、後から助っ人としてやってきたという豆助と共に、金山に向かうことになります。

 その金山の麓の町で、景信は、父が東北を騒がす邪教・大眼宗に関わって出奔したため金山にいられなくなり、女郎になるという娘・鈴音と出会い、強く惹きつけられます。
 そして、堀子だった鈴音の父と働いていたという金名子(堀子たちの取り纏め役)の重蔵と知り合った景信と豆助は、彼の口利きで金山で働くことになるのでした。

 実は伝道師の助手を務めるという重蔵をはじめ、山の人々から伴天連宗の情報を集める二人。しかしその周囲は俄にきな臭くなっていきます。
 豆助も本当に信頼できるのか定かではない状況で、景信は鈴音に接近して伴天連宗、そして大眼宗の謎を追うのですが……


 どうしても知名度が高く、何かと動きの派手な伊達家の陰に隠れがちな南部家ですが、しかし東北の戦国時代を生き抜いて江戸時代を迎えただけあって、なかなかどうして面白いエピソードを持つ大名家です。

 本作は、そんな南部家がかつての強敵――そして今は油断ならぬ隣人である伊達家と繰り広げる諜報戦を描いた物語ですが、その題材として、金山とそこに集まる伴天連門徒(キリスト教徒)を扱うのが趣向です。

 この時代は既に禁教令が全国に広まっていたものの、金山は治外法権。そこに伴天連門徒が集まって――というのは、必ずしも本作の創作ではなく、史実に基づいたものです。
 さらにいえば、本作の冒頭で描かれる、大眼宗が出羽の横手城を襲撃し、囚われた大導師を奪還したという、あまりにフィクションさながらの事件も、そしてこの大導師と本作に登場するある人物との関わりも……

 こうした、実に面白い題材ながら取り上げられることの少なかった、東北の伴天連宗門と大眼宗を題材にしたのは、見事な着眼点というべきでしょう。


 そしてそれを背景に、南部家と伊達家の諜報戦が展開され、誰が味方で誰が敵かわからない暗闘が繰り広げられる――というのも面白いのですが、引っかかるのは主人公である景信のキャラクターです。

 声色使いとしてあらゆる声を真似できるという、唯一無二の能力を持つ景信。しかしそのメンタリティは隠密というにはあまりに未熟で、諜報戦の中で右往左往する姿が目立ちます。
 特にヒロインの一人である鈴音に対してはほとんど執着としかいえない態度を見せ、かなりいきあたりばったりに行動する姿は、物語の緊迫感を大きく削ぎかねない(それはそれで一種の緊迫感を生むといえばいえますが……)と感じます。

 声色使いの能力も、終盤のある場面で非常に面白い使い方をするものの、それ以外ではあまり活用されていると言い難く状態です。もちろんその未熟さが、逆に物語をスリリングなものとしているといえないこともありませんが、彼が作中で大きく成長するわけでもなく、もう少しプロらしくしても、というのが正直な印象です。

 さらにいえば、当時の伴天連門徒が置かれた状況に対して物語がほとんど無頓着なのも、(これはこれで一つの書き方ではありますが)もう少し描きようがあったのではないかと感じます。


 題材としてはまだまだ珍しい(といっても絶無ではないのですが)だけに、色々と勿体ない作品だと感じたところです。


『雪渡の黒つぐみ』(桜井真城 講談社) Amazon

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2024.09.09

「エリマキ」の男と追う、妻の亡霊の謎 北沢陶『をんごく』

 第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞史上初の三冠受賞、「このホラーがすごい! 2024年版」第3位と話題に事欠かない『をんごく』――大正時代の大阪船場を舞台に、亡き妻の面影を追い求める画家が、霊を喰らう奇妙な存在と共に、妻の亡霊にまつわる謎と恐怖を追う物語です。

 関東大震災で焼け出され、実家のある大阪船場に帰った画家の壮一郎。しかし、震災で負った傷がもとで妻・倭子を喪った彼は、強い喪失感に苛まれることになります。
 未練のあまり巫女に降霊を依頼した壮一郎ですが、降霊はうまくいかず、それどころか「奥さんは普通の霊と違う」と告げられてしまい。そしてそれを裏付けるように、壮一郎の家では次々と奇妙な出来事が起こり、彼自身も妻の不気味な声や気配を感じるのでした。

 そんなある日、壮一郎の前に襟巻きのようなものを巻いた奇妙な男(?)が現れます。見る人によって異なる顔を見せるにもかかわらず、壮一郎の目にはのっぺらぼうのように顔のないものとして映るその存在――通称「エリマキ」は、死を自覚していない霊を喰らっていると語り、倭子の霊をも喰らおうとします。

 しかし、大量の異常な気配に阻まれ、倭子の霊を喰らうことに失敗するエリマキ。さらに周囲に犠牲者が出るまでに至ったことから、壮一郎とエリマキは、倭子の霊に何が起きているのか、その謎を追うことに……


 壮一郎が巫女を訪ねて不可思議な体験をする静かで不穏な場面から始まり、淀みない語り口で、徐々に恐怖感とスケール感を高めていく本作。
 震災によって親しい人間を失うという、現在の我々にとっても決して他人事ではない出来事から始まり、少しずつ主人公の周囲が異界に染まっていく展開は、その語り口も相まって、怪談ムードを一層高めてくれます。

 しかし、本作の最大の特徴は「エリマキ」の存在にあることは間違いありません。赤黒い鱗のようなものに覆われた襟巻き状のものを巻いていることからその名で呼ばれる彼は、明らかに人間ではないものの、不思議な人間臭さを感じさせる存在です。
 いかなる理由か、見る人によってその顔が異なる――見る者の心に最も深く根付いている人間の顔に見えるため、ほとんどの者は抵抗や疑いなくエリマキに惹かれてしまうというその能力(?)も非常にユニークですが、しかし壮一郎のみは誰の顔を見ることができない、というのが面白いアクセントとなっています。

 そもそも、壮一郎であればエリマキに倭子の顔を見るはず。それがのっぺらぼうにしか見えないのはなぜなのか――その理由は、(比較的シンプルな)壮一郎の人物像に深みを与えていると感じます。

 そして成り行きとはいえ、一種のバディ的関係として行動を共にすることになった壮一郎とエリマキ。二人が倭子の霊が得体の知れない存在となった謎を追うという、冒頭からは予想もつかなかった方向に物語は展開していきます。
 その先で解き明かされる真相は、民俗的な整合性を感じさせつつも伝奇性が高く、そして何よりも同時に、人間の業の深さを感じさせるものであるのが嬉しい(という表現はいかがかと思いますが……)。ここまで語られてきた壮一郎の設定一つ一つに意味が生まれるのも、見事としか言いようがありません。


 しかしその一方で、物語がどこかボリューム不足に感じられてしまうのは、全般的に展開がシンプルで、淡々と進行しているように感じられるためでしょうか。
 もちろんそれは、本作が無駄を削ぎ落とし、スムーズに進む物語であることと表裏一体ではあるのですが――そのためか、壮一郎とエリマキの結びつきが生み出すクライマックスの盛り上がりが、少々唐突に感じられてしまったのは、残念なところではあります。

 もちろん、エリマキのキャラクターそのものは非常に面白く、その背後に大きな広がりを感じさせてくれます。本作自体は非常に綺麗に完結していますが、舞台と趣向を変えた彼のさらなる物語があれば、読んでみたいと感じるのは間違いないところです。


『をんごく』(北沢陶 KADOKAWA) Amazon

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2024.08.15

夢枕獏『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』上巻 土方歳三meets大菩薩峠!

 今なお時代小説・大衆小説の高峰としてそびえ立つ中里介山の『大菩薩峠』に、夢枕獏が挑んだ――そんな本作は、原典冒頭の世界に、土方歳三らを投入した異色作です。続発する辻斬り事件に挑んだことをきっかけに、強者たちが集う死と隣り合わせの世界に足を踏み込んだ土方の運命は……

 世情騒然たる安政五年、府中から日野にかけての甲州街道で、三人の剣客が次々と斬殺される事件が発生。三人目と同じ天然理心流道場に顔を出していた土方歳三は、夜毎出歩いた末に、狙い通りついに辻斬りと対面するのですが――しかし壮絶な打ち合いの末に刀が折れた土方は、その場から振り返りもせず逃げるのでした。

 同じ頃、大菩薩峠では、孫娘を連れた老巡礼が放れ駒の紋の深編笠の男に斬殺され、残された孫娘・お松は、通りかかった盗賊の七兵衛に保護されます。そしてお松は、七兵衛が出入りしている土方の実家に預けられることになります。

 折しも御岳の社で開催される四年に一度の奉納試合が近づいていたことから、続発する辻斬りが、試合の出場者の腕試しではないかと睨む土方。一方、天然理心流では、その奉納試合に参加する予定だった剣士が、江戸で丹波の赤犬なる渡世人によって斬られたため、新たに代表を選ぶことになります。
 その候補の剣士たちを江戸に迎えに出た近藤と沖田は、帰りに日野の渡しで机竜之助と名乗る妖しげな剣士が、馬庭念流の剣士を奇妙な太刀で破るのを目撃するのでした。

 そして日野宿で己の懐を狙った掏摸の腕を斬り捨てた竜之助。その掏摸が丹波の赤犬の一味であったことから騒動が起き、赤犬は旅の途中の娘・お浜を人質に立て籠もります。人質を取って立て籠もった赤犬と対決する土方。実はお浜は、奉納試合の出場者・宇津木文之丞の許婚だったのですが……


 41巻に及びながらも未完に終わった『大菩薩峠』。本作はそのうち冒頭部分にして、おそらくは最もよく知られた「甲源一刀流の巻」(のそのまた前半部分)をベースとした作品です。
 そのため、机竜之助をはじめとして、上でで触れた七兵衛やお松、宇津木文之丞とお浜といった登場人物たちも、元々は『大菩薩峠』に登場するキャラクターとなっています。

 しかし本作の最大の特徴は、そこに若き日の土方をはじめ、近藤・沖田といった試衛館の剣士たちを投入した点にあることは間違いありません。

 実は原典に彼らが登場しないわけではありません。特に土方は、同じ「甲源一刀流の巻」の終盤、新徴組(!)の一員として清河八郎を襲撃したはずが、誤って島田虎之助を襲撃してしまい――という、一部で有名な場面に登場しています。その後も京で芹沢派と近藤派の争いが描かれることになるのですが、しかしそれは物語の背景に近い部分。あくまでも原典では脇役であった土方を、本作は主人公として中心に据えているのです。

 その土方たちはそれぞれに性格は異なるものの、己の腕を磨くことに、強者と戦うことに憑かれた男たちであるという共通点を持ちます。つまりは、彼らもまた、作者がこれまで描いてきた格闘技小説の登場人物たちと同じ地平に立つ人物として描かれるのが、いかにも「らしい」ところでしょう。
(ちなみに本作の土方は冒頭から「太い」男として描かれていて、従来の土方像とちょっと異なるのですが、しかし本作のキャラクター像には似合う姿ではないでしょうか)

 それだけでなく、本作の登場人物たちは、原典に登場する者もしない者も、それぞれに作者らしい造形なのですが――特に己の腕に異常な自信を持ち、女性に優しいかと思いきやサディスティックな宇津木文之丞は非常に「らしい」といえます。しかしその中で、独り竜之助のみは、そんな登場人物たちの中でも、全く異なる位置に在ると感じられます。

 上で述べたように、土方たちが、そして登場する剣士たちのほぼ全てが強さを渇望する中で、全く異なる場所を見つめているように感じられる龍之助。その印象は、果たして当たっているのか否か。
 この上巻では、奉納試合直前までの物語が収録されていますが、さて下巻では何が描かれるのか――こちらも近日中に紹介します。


 それはそれとして本作における竜之助の老巡礼斬殺シーンの描写――
「斬るよ……」
 深編笠の武士は、囁くような声で、そう言った。
 はい……
 老巡礼は、心の中でうなずいていた。

 この辺りなどあまりに作者らしくて、思わずニンマリしてしまった次第です。


『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』上巻(夢枕獏 角川文庫) Amazon

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2024.08.03

木野麻貴子『妖怪めし』第3巻 明かされる全ての因縁、そして最後の料理

 妖怪もの+グルメものというユニークな取り合わせの時代漫画『妖怪めし』の第三巻/最終巻は、主人公の兵徳と忌火兄弟が追い求めてきた骨仮面の男、そして「不浄の王」との決着が描かれます。はたして兄弟にかけられた呪いは解けるのか。そして二人の料理は因縁に打ち勝つことができるのか!?

 母が殺された場に現れた謎の骨仮面の男によって、荒神の力を宿す異形の肉体に変えられてしまった兄弟。呪いを解き、元の体に戻るために骨仮面の男を追って諸国を旅してきた兄弟は、途中で人間と妖怪の軋轢に巻き込まれては、それを料理によって解決してきました。
 その過程で、妖怪たちを暴走させている「不浄の王」なる存在と出会った二人。何故か忌火を以前から知っているような態度を見せる相手に戸惑いながらも、骨仮面の男との関連が感じられる「不浄の王」を追うことを、二人は決意します。

 そしてこの巻の冒頭で二人が情報を求めて御薪山の天狗・慈煙坊のもとに向かったことから、事態は大きく動き始めます。
 途中、山で兵徳が邪天狗に攫われたことから、飯をふるまうことを条件に慈煙坊の力を借り、妖魔の棲む妖霊郷に足を踏み入れた忌火。そこで彼らは全てのものを穢れに取り込む「穢悪」なる存在を目撃するのでした。

 そして天狗の口から、穢悪と不浄の王の関係を知る二人。それは二人が宿す荒神の力とも浅からぬ因縁があるものでした。
 そこに天狗の力を狙った不浄の王が出現、さらに不浄の王を追って骨仮面の男も現れ……


 というわけで、この最終巻では、物語の縦糸となってきた骨仮面の男と不浄の王、そして主人公二人の関係が明らかになります。
 はたして母を殺し、二人に呪いをかけたのは骨仮面の男なのか。骨仮面の男と不浄の王の関係は。そして不浄の王の目的は何か――これまで物語の中で謎とされてきたことが、一つ一つ解き明かされていくことになります。

 こうした謎解き&不浄の王とのバトルが中心となるため、本作の一番の特色である料理シーンが今回少なめ(ほぼ天狗とラストの二回のみ)なのが残念ではありますが、しかし解き明かされていく謎と因縁はなかなか読ませるものがあります。
(骨仮面の男の正体は、ほとんどの方が予想していたのではないかと思いますが……)

 その中でもかなり意外だったのは、不浄の王がかつての忌火を知っていた(しかし忌火の方はそれを忘れていた)理由であります。
 正直なところ、他の謎に比べれば重要度が低いと思い込んでいましたが、これはとんでもない勘違い。物語そのものの流れに大きく関わるものであったとは、脱帽であります。

 そしてこのままバトル漫画で終わるのか、と思わせておいて、やはり本作のラストはこうこなくちゃ! という形で締めてくれるのが嬉しい。
 これまで本作は、主人公二人の料理が、妖怪の中の情あるいは「人間性」を甦らせる姿を描いてきましたが、それを最後の最後まで貫いてくれたのは――もちろんそれが本作のコンセプトではあるとはいえ――大いに評価したいと思います。


 全三巻と、決して長い作品ではありませんでしたが、最後に描かれた料理といい、カーテンコール的結末といい、描くべきものは描いた感もあり、気持ち良い結末でした。


『妖怪めし』第3巻(木野麻貴子&木下昌美 (監修) マッグガーデンコミックスBeat'sシリーズ) Amazon

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2024.08.02

相田裕『勇気あるものより散れ』第6巻 混迷の戦い、ついに決着!?

 不死の宿命を受け継ぐ半隠る化野民と眷属の剣士たち同士の死闘はなおも続きます。自分たちの母を巡り、激突する煙花・生松・シノ――化野民の兄妹たちの戦いは、人間を巻き込んでほとんど戦争という域にエスカレート、その中で暴走した生松を止めるため、剣士たちは死力を尽くすことに……

 化野民を殺す力を持つ妖刀・殺生石「華陽」を奪い、母の身柄を求めて明治政府の高官たちを次々と襲う生松と眷属の菊滋。宿敵であった政府図書掛の山之内と組んだシノと春安は、藤田五郎を仲間に加え、生松たちを追跡します。
 眷属同士の死闘の末、菊滋こと鵜飼幸吉を斃した春安。しかしそこにシノと生松の姉・煙花と眷属の壽女、さらに隗の眷属・伊庭八郎までが出現――一方で図書掛は数多くの兵を率いて彼らを待ち受け、小石川一帯は戦争状態に……


 はたして誰が何のために戦っているのか――そんな疑問すら浮かぶ大混乱の中で、なおも続く、化野民と化野民の、眷属と眷属の、そして人間と化野民・眷属との戦い。この巻でもその戦いはほぼ一巻丸々費やして描かれます。

 この戦いに加わるのは大きく分けて二派。片や、シノ・春安・山之内・藤田(と図書掛の兵たち)。片や生松・煙花・壽女・伊庭八郎――それぞれに戦う理由は微妙に異なりながらも、達人たちが一つ所に集まり、死闘を繰り広げる様は、これはこれで壮観というべきでしょうか。

 そんなこの巻の前半で描かれるのは、シノvs生松、藤田vs伊庭、煙花&壽女vs図書掛の兵たちの戦い。
 不死身の肉体を持つ者同士ならではの凄惨な戦いを繰り広げるシノと生松、幕末の名剣士同士が激突する藤田と伊庭、そして大砲まで持ち出した人間たちを前に不死身の力を存分に振るう煙花と壽女と、それぞれに趣向の異なるバトルが展開します。

 この中で特に幕末ファンにとって見逃せないのが、藤田vs伊庭であることはいうまでもないでしょう。
 かつてはともに旧幕府軍として修羅の戦場を戦った同志ながら、警察の巡査となった者と、一度死して化野民の眷属になった者――幽明境を異にするという表現はちょっと違うかもしれませんが、とにかくあまりに境遇が変わってしまった二人。しかしそうであっても二人の剣の腕は変わりません。

 おそらくは幕末最強クラスの二人の激突は、もはや名人戦。激しい技の応酬の中、初めは巡査として棒を手に戦っていた藤田も、ついに刀を抜いて本気モードになったところで繰り出される、双方得意の突き技――というだけでたまりませんが、そこからの思わぬ決着もまた、二人の「今」の違いを表すものと言って良いかもしれません。
(というか、相変わらずブレない本作の藤田……)

 しかし混迷の中、戦いは思わぬ方向に転がっていきます。シノとの戦いの最中、山之内の切り札により、致命打を受ける生松。しかし最後の力を振り絞った生松は、「華陽」を手にします。
 死を前にして、華陽にまとわりつく異様な気に操られるように怪物的な力を発揮する生松を止めることができるものは……


 と、思わぬ面々が加わった死闘の末に、ついにここでの戦いは終結します。しかしその犠牲は、決して小さなものではありません。

 本当にこの巻はほぼ完全に戦いのみ(煙花と壽女の出会いは回想シーンで描かれましたが)で終わってしまったため、ストーリー的にはほとんど進んでいないのですが――この混沌の先に何があるのか、今は全く見えない、というのが正直なところであります。


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2024.06.26

八瀬惣子『六道辻の冥府返りの寺』 冥官となった青年の戦いと成長の果て

 朝廷に仕える傍ら、閻魔大王の下で冥官として働いていたという伝説でお馴染みの小野篁。本作は明治初期を舞台に、その篁の後継を命じられた青年・千石聖の冒険と成長を描く物語――以前単行本化された際に収録されなかったエピソードを、電子書籍化の際に収録した完全版というべき作品です。

 地獄に通じる井戸があるという京の六道鎮皇寺で、赤子の頃から育てられてきた青年・聖。赤毛の上、赤子の頃に一度死から蘇生したことから、町の人々からバケモノ呼ばわりされ、本人も負けん気が強く育った聖ですが、ある日、思わぬ運命の変転が訪れます。

 捨て子を狙ったかどわかしが横行し、騒然とした空気の町で、故もなく犯人として疑いをかけられた聖。濡れ衣を晴らすために犯人を追う聖ですが、見つけた犯人は、何と人ならざる化け物だったのです。
 冥府返りの大罪人だという子供を探していたという化け物たち。自分がその子供だと悟る聖ですが、それどころか、彼は地獄の冥官・小野篁の没後千年に生まれる後継者だったのです。

 なりゆきで次代の冥官に任命されてしまった聖。以来、京を騒がす悪霊たちを封じる使命を与えられた聖ですが――しかし反骨心の塊の彼は、大人しく篁の言葉には従いません。
 あちこちで衝突し、騒動を起こす聖。しかしその中で出会った、横浜から来た警官で強力な霊感の持ち主・鳴海や、兄を追って京に来た月緒といった人々と触れ合ううちに、彼は少しずつ変わっていくことになります。

 やがて互いに反発していた京の人々とも歩み寄り、自分なりに出来ることを見つけていく聖ですが……


 確かに実在の人物でありながら、冒頭で述べたような奇怪な伝説で知られる小野篁。フィクションでもしばしば登場する人物ですが、本作はその篁を題材にしつつ(そして本人も登場しつつ)、明治初期を舞台とした、かなりユニークな枠組みの物語であります。

 物語の始まりは明治五年、まだまだ新しい時代が始まったばかりであり、政府の制度も完全には定まっていない時期。そして都が京から東京へと移った直後の時期――そんな混沌とした時代を背景に、本作は展開します。
 千年の歴史を持つ町らしく、悪霊や物の怪など怪異には事欠かず、さらに幕末からの様々な騒乱の余燼が残る京。なるほどこれは伝奇活劇の舞台に相応しいといえるでしょう。

 しかし本作の主人公・聖は、篁に頭ごなしに使命を押し付けられるのも嫌ならば、これまで散々疎まれ、排除されてきた京の人々のために動くのも御免――冥官という自分の立場を厭い、機があれば投げ出してしまおうという、主人公にあるまじき青年。
 もちろん、実際にはお人好しで、何よりも自分と同じような身の上の人間は放っておけない性格、そして唯一敬愛する育ての親の和尚と寺のため、何だかんだで冥官の使命を果たすことになるのですが――聖のキャラクターを踏まえて捻りの加わった物語が、本作の前半では描かれます。


 そんな彼のキャラクターは、個性的ではあるものの、正直なところ感情移入しにくいところもあります。しかし物語が進んでいくにつれて、彼も少しずつ変わっていくことになります。

 自分が救った者・救えなかった者の残した想い。変わっていく町の人々の目。京の外に広がる社会の存在。そして自分と正面から接する鳴海や月緒との交流――そんな経験が、狭い世界の中で凝り固まっていた彼の心を解きほぐし、そして自身も思っていなかったような未来への道を歩み始めることになります。
 その姿は、物語開始時点では予想もできなかっただけに、大きな驚きと感動を生み出すのです。

 しかし予想もできなかったのは彼の変化だけではありません。物語終盤に明かされる真実――それは聖の身はおろか、この物語の基本構造すら揺るがすもの。そしてそれは彼がこれまで築いてきたもの、これから目指すものに破壊的な影響を及ぼすのです。
 まさか! と驚かされつつも、なるほどこうきたか、というどんでん返しに感心しつつ突入するクライマックス――その先に待つものは、彼のそれまでの成長があるだけに、かなりの苦味を感じさせます。

 しかしそれもまた、変化には必要な痛みなのかもしれません。明治という大変革の時代と重なり合わせて描かれるそれは、一種のモラトリアムの終わりを感じさせるものであり――その先に不思議な開放感を残します。

 なお本作は、電子書籍化の際に、連載時の『六道辻の冥府返り』から、タイトルを変更していますが――この物語の結末まで読めば、それも一つの象徴として感じられるのです。


『六道辻の冥府返りの寺』(八瀬惣子 ナンバーナイン 全7巻) Amazon

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2024.06.18

「コミック乱ツインズ」2024年7月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2024年7月号の紹介の続きです。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 今回も続くモンゴル軍のビジャ攻め――最後の攻城塔を倒したものの、それがかえって城壁を崩壊させて、窮地に陥ったビジャ。城内に潜入してオッド姫を狙った敵兵は、密かに彼女の傍らに控えていたブブが撃退したものの、まだまだ蒙古軍の攻勢は続きます。
 さしものモズも「こりゃあ、まいったな!」と冷や汗タラリしている一方で、オッド姫の豹とブブの仲間の巨大イナゴ・墨蝗(やっぱり虫部隊の成果だったりするんですかね……)が仲良く戯れるという異常な状況ですが、それはさておきラジンの父・フレグからの伝令が状況を動かします。

 伝令が伝えたフレグの指令とは、そしてその原因となったものは――なるほど、ここでこう繋がるのか、といったところですが、多民族混成部隊というモンゴル軍の特徴を突くのは、さすがは、とうべきでしょう。(そして本当に久しぶりに登場、言われなければ誰だかわからなかったノグス!)
 これで戦いは振り出しにと思いきや、状況はまだまだ転がり、さてラストシーンの先に描かれるのは――これまた気になる引きです。


『かきすて!』(艶々)
 任務のため、鵜沼宿(今の岐阜県各務原)に向かったナツ。子宝祈願の祈祷に向かう、とある武家の奥方の護衛が今回の任務ですが、新たに側室を立てようとする一派が、神社に奉納する御神体を奪うなどの妨害を企んでいる――というわけで、その御神体の守りをナツは任されることになります。
 しかし問題は、その祈祷が行われるのが田縣神社の豊年祭で――と、ここで噴き出す人もいるかもしれません。

 田縣神社の豊年祭とは、要するに男性自身を模した神輿を担いで練り歩くという奇祭。それを女性が撫でるとご利益があるという――昔はおおらかというかなんというかですが、ナツにとっては目のやり場に困る祭りであります。そしてこの手の話となるとやっぱり登場するのは、敵方に雇われたナツのライバル(?)、スタイルは良いけれどもそっちの知識はどっこいどっこいのイト!
 というわけで、跡継ぎの不在からのお家騒動というのはよくある話ですが、奇祭の盛り上がりを背景に、おぼこい忍び同士がわちゃわちゃ戦うという微笑ましさは、非常に本作らしいと思います。

 御神体争奪戦のオチは誰もが予想する通りなのですが、今回はそれがいい。主人公の性格と任務、そして艶笑要素が見事に結びついて、個人的にはこれまでの本作の中でもベストエピソードかもしれません。(そんなに気に入った!?)


『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 三村家との激闘に勝利し、さらにお福さんを娶ってと、ノリに乗っている直家。しかし一応主家の浦上宗景に目をつけられ――と、まだまだ前途多難な状況で、直家は松田元輝・元賢を次の狙いに定めます。
 しかし問題も問題、大問題は、先妻との娘が、元賢に嫁いでいることで……

 と、いつかは出るだろうと思われた、娘の嫁入り先攻略、いわゆる『宇喜多の捨て嫁』話。女性が政略の道具に使われる戦国の世らしく、自分の娘が嫁いだ先を攻撃するという話自体はあまり珍しくないような気もしますが(それはそれで本当にひどい世界ですが)、直家の場合に特に問題視されるのは――少なくとも本作の場合は、娘の母つまり先妻が、彼女の父を直家が攻め滅ぼしたことで命を落としているためでしょう。

 当然というべきか、そんな父に反発する娘ですが、それをあの子も自分の意思を持つように――といい話のように描くのは、ギャグとはいえブラックすぎるかと思います。しかしそれ以上にインパクトがあったのは、そんな直家の策を平然と受け入れるお福で――いや、直家よりもよっぽどこの人の方が真剣に怖いです。


『カムヤライド』(久正人)
 運命の走水決戦もついに決着――海水と一体化して巨体で迫る、フトタマことアマツ・シュリクメに取り込まれたワカタケを救うため、メタルボディに魂を宿す時のロジックで、自らの魂とワカタケのそれを入れ替えるという荒技を見せたオトタチバナ。オトタチバナの肉体に宿ったワカタケが見守る中、彼女の最後の戦いが始まります。
 その絵柄が本当にシュールなのはさておき、水と一体化して不定形となった相手(さらに言えば、明確には描かれていないものの、自らの存在を幾つにも分けることができる相手)の動きを封じるために、この手があったか! というか、この人しか使えないなこの手段――というところからの、説得力十分のフィニッシュは、決戦に相応しいものであったかと思います。

 その後のオチもホッとさせられる(かなあ……)ものですが、その一方で今回はツッコミなのかボケなのか、妙な立ち位置だったのがタケゥチ。「ええと?」連発は仕方ないにせよ、「忘れていました」は流石にいかがなものか。いや確かに、あまりにも描かれないのでこちらももう解決したのかと思っていましたが……
 そんなこんなで、次回、重要な真実が明かされそうです。


 次号は、3号連続掲載の特別読み切り(読み切りとは?)『口八丁堀』(鈴木あつむ)が掲載。シリーズ連載の『~江戸に遺る怪異譚~古怪蒐むる人』(柴田真秋)も掲載とのことで、楽しみです。


「コミック乱ツインズ」2024年6月号(リイド社) Amazon

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2024.06.14

浅井海奈『八百万黒猫速報』第2巻 人間と妖魔の間での苦闘の末に

 人間が妖魔を取り締まる明治時代を舞台に、黒猫の妖魔という正体を隠し、人間と妖魔の間の架け橋となろうとする巡査・黒井の苦闘を描く物語の第二巻、完結編であります。恐るべき力を持つ炎の妖魔・不知火と対決する最中、ついに恐れていた事態に追い込まれた黒井の運命は……

 警察が妖魔たちを取り締まる明治時代。八岐大蛇の怨念を飲み込んだ神剣・草薙の力を借りて妖魔を駆逐する部隊の一員である巡査・黒井――しかしその正体は、故あってその姿を借りる黒猫の妖魔でした。
 人間と敵対しない妖魔までもが容赦なく狩られていく現状に胸を痛め、仲間たちに隠れてそんな妖魔たちを救おうとする黒井。しかしその最中に情報で食っているという男・篠田に正体がばれて弱みを握られたり、恐るべき力を持つ妖魔との戦いを余儀なくされたりと、数々の困難が彼を待ち受けます。

 そんな中、一つの町を焼き尽くす恐るべき
力を持つ妖魔・不知火と対峙した黒井は、彼女が妖魔と人間の間に生まれた半妖であることを知ることに。
 そしてその後も、人間に騙され利用される妖魔や、己の恐れを妖魔の力で乗り越えようとする人間など、黒井は様々な人間と妖魔の姿を目の当たりにします。

 しかしそんな中で深手を追い、妖魔の姿となったところをこともあろうに不知火に救われた黒井は、不知火ともども仲間たちに追われることに……


 物語が始まって以来、人間と妖魔が激しく対立し合う世界において、人間と妖魔の共存を助け、互いが傷つけ合うのを避けるために、奮闘してきた黒井。しかし彼は妖魔との戦いの中で体を、そして同時に人間の仲間との間で心を傷つけてきました。

 はたして人間は、妖魔はそんな苦難に値するものなのか――そんな想いすら浮かぶ中で愚直に奮闘してきた彼の行動に、この巻では一つの答えが示されることになります。

 その答えは――ここで書くだけ野暮というものでしょう。
 全編のクライマックスで描かれるものは、正直なところ、些かあっさりという印象はあります。しかしそれは同時に、確かに納得がいく結果であり――そしてそれを納得させてくれるのは、これまでの物語、すなわち黒井のこれまでの苦闘がもたらしたものであることはいうまでもありません。

 もちろん、それでも信じて裏切られることはあります。想いがすれ違うこともあるでしょう。しかしそれでもその先に、一つでも希望の光があるとすれば――それを信じてみることは決して無駄ではないと、本作は力強く描くのです。


 この巻では篠田の出番がほとんどなかったり、結末で描かれる世界はあまりにも楽天的であったりと、気になる点がないではありません。(しかし後者には、きっちりそうなる理由が用意されているのは上手い)
 それでも、今まで物語の中で描かれてきたものが、違和感なく全て収まるべきところに収まった美しい結末は、最後まで本作を読んで良かったと、感じさせてくれるものであります。


『八百万黒猫速報』第2巻(浅井海奈 KADOKAWAハルタコミックス) Amazon

浅井海奈『八百万黒猫速報』第1巻 人間と妖魔のシビアな狭間を駆ける男

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