2025.01.04

幻の中国服の美女を追った先に 波津彬子『レディシノワズリ』

 人と人以外の存在の関わりを儚く美しく描いてきた波津彬子が、英国を舞台とした作品の一つが本作――曰く付きの中国の美術品があるところに現れる謎の美女、レディ・シノワズリと、彼女を追いかける青年ウィリアムの姿を中心に描かれる連作シリーズです。

 年の離れたいとこで道楽者・チャールズのアリバイ作りのため、彼と共に訪れた屋敷で、中国服をまとった金髪碧眼の美女と出会ったウィリアム少年。しかし、その屋敷でウィリアムがチャールズから離れていた間に、チャールズが以前付き合っていたバレリーナが殺されるという事件が発生します。

 元々、亡くなった祖父のコレクションを処分したいという相談に乗るために件の屋敷を訪れ、中国服の美女と会ったというチャールズ。殺人の嫌疑を晴らすため、アリバイ証言を求めて美女を再び訪ねたチャールズですが――しかし屋敷はもぬけの殻だったのです。

 自分で確かめるために再び屋敷を訪れたウィリアムの前に姿を現したあの美女。そこでウィリアムが屋敷の中で大きな動物の尻尾を見たと告げた途端、彼女は奇妙な態度を取ります。彼女の助言で真犯人を見つけたウィリアムですが、そこには数々の謎が残ります。そして「レディ・シノワズリ」と名付けた彼女にもう一度会うことが、彼の人生の目標となって……


 かくして、ウィリアムが少年期から青年期に至るまで、一度どころか幾度も謎のレディ・シノワズリに出会い、美術品にまつわる奇妙な事件に遭遇する様を中心に、本作は展開していきます。
 もちろんレディに出会うのはウィリアムだけではありません。彼の学友であるリンジーやその母、同じ骨董クラブの才媛・ガートルードやその父といった様々な人々の前にも、彼女は謎めいた姿を現すのです。

 「シノワズリ」とは、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行したヨーロッパで流行した中国趣味の美術様式のことを指します。なるほど、明らかに東洋人ではないにもかかわらず中国服に身を包んだ彼女には、相応しい呼び名かもしれません。
 しかし、彼女は明らかに只者ではない存在です。冒頭のエピソードのように、しばしば中国の美術品を用いた詐欺に関わったと思えば、幻のように姿を消してしまう――いや、それどころか、ウィリアムのようにごく一部の人間しか見ることができない、ハクという白い虎を連れ、さらに何よりも、ウィリアムがいつ出会う時も、いやそのはるか以前から、彼女の姿は変わらぬままなのですから。

 美術品にまつわる、どこまで人間なのかわからぬ美貌の存在――というと、どこかの骨董品店の少年を思い出しますが、本作のレディは、そちらよりも遥かに謎めいていて、ガードの高い存在です。これではウィリアムならずとも、彼女が何者なのか、その後を追いたくなってしまう――という時点で、我々は彼女の掌の上で踊らされているのでしょう。


 さて本作は、最終話を除けば、すべてのエピソードでレディと関わり合う人物(あるいは家系)の名が冠されたエピソードが展開していきますが、やがてその中で、彼女の目的が朧気に見えてくることになります。それは、中国にまつわる何らかの美術品――彼女は自分がしばしば扱うような中国趣味の偽物ではなく、「本物」の品物を探しているようなのです。

 これ以上相応しい名はないと感じられるサブタイトルの最終話「別れ」において、ウィリアムがレディから聞かされた言葉――それは必ずしも我々が望んだ答えではないかもしれません。しかし、舞台となっていた1930年代(というのはここで初めて語られたように思いますが)という一つの区切りの時代が終わる時には、相応しいものであったと感じられます。

 「その後」のえもいわれぬ余韻も含め、まさしく佳品と呼ぶべき作品といってよいでしょう。

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2025.01.02

新年最初の映画に『ゴールデンカムイ』を

 故あって新年は祝えないのですが、一年の初めらしく賑やかであまり難しいことを考えないで済む(そして記事のネタになる)ものを観たい――と考えて思い出したのが、まだ観ていなかった映画版『ゴールデンカムイ』。丁度続編も発表されたことだしと思って見ましたが、想像以上の作品でした。

 『ゴールデンカムイ』といえば、明治時代の北海道を舞台に、アイヌの黄金を巡って不死身の風来坊とアイヌの少女、生きていた土方歳三と脱獄囚、第七師団の反乱部隊らが入り乱れて争奪戦を繰り広げる一大活劇。私の大好物な内容であって、当然ながら原作は全巻読んでブログの記事にもしていました。
 そんなファンではあるものの、映画は今まで観ていなかったのは、本作に限らずあまり日本の漫画の映画化に興味が持てないためだったのですが――いざ見てみれば、なかなか良くできた作品だったのは嬉しい驚きでした。

 内容的には、本作は原作の第1巻から第3巻の前半までとかなり序盤を題材にしています。
 杉元とアシリパそして白石の出会い、アイヌの黄金の在り処を隠した刺青人皮と脱獄囚の存在の説明、黄金を探す鶴見中尉一派の暗躍と捕らわれた杉元の戦い、第三勢力である土方歳三一味の登場――この『ゴールデンカムイ』という長い物語を描く上での、基本設定というべき内容が中心となっています。

 今こうして観てみると、まだこの時期はだいぶ抑え気味の内容だった――というか変態脱獄囚が登場せず、第七師団の兵士との戦いがメインになるので、ある意味当然なのですが(その分クライマックスで変態枠として二階堂兄弟が暴れた、ということはないでしょうが……)、しかしそれをメリハリの効いたアクションで盛り上げてくれるのが、まず嬉しいところです。
 冒頭の二〇三高地の戦いはそれなりに物量を用意して迫力を出していましたし、随所に登場する動物のCGも違和感も小さかったかと思います。。そして何よりもクライマックスのバトルシークエンスは(それ自体は原作でもあったものですが)、随所をボリュームアップさせて見応えあるものにした上で、クライマックスに原作以上に格好良い(そして杉元との関係性を示すかのような)アシリパの弓のシーンが用意されていたのに唸りました。


 しかしそれ以上に感心させられたのは、ストーリーの整理の仕方です。先に述べたように本作は原作ではまだ冒頭部分を題材としたもの――長編の週刊連載では得てしてこの時期はまだ作品のカラーが固まっておらず、描写や設定なども後から見ると微妙に違和感や物足りなさがあることもしばしばです。
 その点を本作は、原作のかなり先の方からも描写や設定――例えば鶴見が語る反乱計画の資金源や、鶴見が見せるアイヌの金貨の存在、土方とウィルクの関係など――を引用して補って見せているのは、やって当然とはいえやはり盛り上がるものです。

 そしてこうした描写の補完だけでなく、ストーリーの整理の仕方も納得できるものでした。例えば杉元が黄金を必要とする理由について、原作では冒頭で描かれた(しかしアシリパに語るのは相当後になった)のに対して、本作では終盤に描くことで、より印象的なものとしていたのには感心しました。
(ここも、原作ではかなり離れた時期に描かれていた、杉元が婚礼の時に寅次を投げ飛ばす場面と寅次が二〇三高地で杉元を投げ飛ばして助ける場面、この二つを連続して見せることで、対比が明確になるのもいい)

 そしてそのくだりの後に改めて杉元とアシリパの相棒としての決意を描き、その先で、これまで引っ張ってきた「オソマ」を初めてアシリパが――という場面で締めるのが巧みというべきでしょう。もちろんこのくだりは原作にもありまずが、この流れで描くことで、ギャグを交えながらも、杉元とアシリパの相互理解の深まりが、より明確になっているのですから。
(このくだりを生身でやると、かなり悪趣味にもなりかねないだけに一層……)


 もっとも、やはり気になる点はあります。例えばアイヌと和人の関係などは原作に比べるとかなりサラッと流された(それでも白石の問題発言が残っていたのは頑張ったといっていいものか)のは引っかかるところで、コタンでのアシリパとの会話も、ここをカットしちゃうの!? と驚いたのも事実です。

 また、個人的には予告編の段階から気になっていた、杉元や第七師団の服装が妙に綺麗だったのはやはり違和感が残りました。また、白石の漫画チックなキャラクターは実写で見るとかなり浮いていた印象は否めません。
(もう一つ、もう少し土方たちの出番が欲しかったところですが、これはむしろ原作では少し先の場面を持ってきて増やしているので仕方ない)

 とはいえビジュアル面については想像以上に良かった点も多く、さすがにこれは無理があるキャスティングではと心配した山崎賢人の杉元はほとんど違和感がありませんでしたし(時々、ハッとする程原作写しの目線があったり)、また山田杏奈演じるアシリパのあか抜けなさの絶妙なラインは、なるほど可愛い女の子でもこんな環境を走り回っていればこうなるかと、不思議に納得させられました。
 そして出番は少ないながらも、月島の存在感が絶妙(原作ではまだモブ扱いだった初登場シーンのインパクト!)と感じたのは、これは原作時点から好きなキャラだったためかもしれませんが……


 総じてみれば、原作から色々な意味でマイルドになったな、と感じる点はあれど、プラスマイナスでみればだいぶプラスの本作――新年に見るに丁度よい作品であっただけでなく、この後のドラマ版、そして映画の続編も、素直に期待が高まったところです。

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2024.12.29

北斎死す、そしてお栄が北斎に!? 末太シノ『女北斎大罪記』第1巻

 浮世絵界、いや日本美術界の最高峰というべき葛飾北斎。その北斎が急死し、娘の栄が成り代わっていたとしたら――そんな大胆な設定で描かれる野心作です。偉大な父の作品を遺すために奔走することになった栄の苦闘が始まります。

 今日も尊敬する師である葛飾北斎の下を訪れた駆け出し絵師・渓斎英泉。北斎の娘・栄と英泉は、完成したばかりの「北斎漫画」二巻目に目を輝かせるのですが――その直後に思いもよらぬ悲劇が起こります。
 北斎が屋根の上に作った執筆場所――そこから誤って北斎は転落、そのまま息を引き取ったのです。

 直前まで北斎が手にしていたため、北斎の血に塗れてしまった北斎漫画の画稿。しかし父の画を記憶していたお栄は、その場で北斎そのままの絵を描き直してみせます。
 それを目の当たりにした英泉は、とてつもないことを思い付きます。それは北斎の死を秘密にして、栄が北斎になるということ!

 父の北斎漫画を完成させるため、そして女の自分が絵師を続けるため、栄もその提案に乗り、一か八か、父に成り代わることを決意するのですが……


 北斎の娘であるだけでなく、「吉原格子先之図」など彼女自身の優れた作品により、近年注目が集まっている葛飾栄(応為)。フィクションでも様々な作品に登場している栄ですが、本作のような内容の物語はかなり珍しいといってよいでしょう。
 何しろあの北斎が本来よりも30年以上早く亡くなり、その代わりに栄が北斎を名乗っていたというのですから!

 どう考えても無理――と言っては身も蓋もないのですが、しかしここで示される北斎を死なせるわけにはいかない理由、そして栄が北斎を名乗らなければいけない理由――特に後者、女性であり常人を遥かに上回る画力を持つ栄がこの先も絵筆を握るためには、北斎の助手であり続ける必要がある、という一種逆説的なそれには、不思議な説得力があります。


 そんな本作においてまず目を引きつけるのはもちろん、栄が周囲の目を欺き、「北斎」で在り続けることができるのか、という点であることは間違いありません。
 この第1巻においては、いきなり曲亭馬琴が登場――北斎にとっては最大の理解者であり好敵手ともいえる間柄であり、裏を返せば栄が北斎で在るための巨大な障害というべき存在です。この馬琴の目を如何に眩ませるかが、この巻最大の山場といってもよいでしょう。

 しかしここで描かれるのは、馬琴との対決というサスペンスだけではありません。栄が本当に乗り越えなければならないのは、死してなお巨大な壁として存在する北斎の存在であり、そしてその北斎に対してまだまだ未熟である自分の才能なのですから。

 本作においては冒頭から語られる栄と北斎との違い――それは栄が「見る」天才である一方で、北斎が「観る」天才であるという事実にほかなりません。
 栄の才が一度見たものは決して忘れることなく、忠実に描くことができるものである一方で、一度見たものの内側にある本質を見極め、それを描くことができる北斎の才。この両者は、似ているようで全く異なるものであり、北斎はやはり栄とは格が違うとしか言いようがありません。

 自身も才があるからこそ、父と自分の間に超えられない差があることを理解できてしまう――しかしそれでも父にならなければならない。そんな栄の真摯な悩みこそが、本作に題材のインパクトだけではない、芸道ものとしての味を与えていると感じます。


 史実では北斎が亡くなったのは1849年、その一方でこの第1巻の時点はおそらく1815年。先に述べた通り、30年以上の時間があるわけですが、それが全て本作で描かれるかはわかりません。
 しかし北斎漫画だけに絞るのであれば、刊行年代から見て一区切りがついたのではないかと考えられる十編が刊行されたのが1819年と、あと4年間となります。

 少なくともその間、栄は北斎であり続けることができるのか。そしてその間に栄は北斎になれるのか――予想すらできない栄の画道は、まだ始まったばかりなのです。


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2024.12.28

鬼と人の間に立つ者・茨木童子の悲恋譚 木原敏江『大江山花伝』

 木原敏江の代表作の一つである歴史ファンタジー連作『夢の碑』の番外編と(後に)銘打たれた「大江山花伝」は、タイトルの通り大江山の酒呑童子伝説を基にした悲恋譚。ここでは、その前日譚に当たる「鬼の泉」と合わせて紹介いたします。

 都を騒がす鬼・酒呑童子を退治するため、単身、山伏に扮して大江山に潜入した渡辺綱。しかし彼は、何故かついてきた下働きの娘・藤の葉ともども、鬼に捕らわれてしまうのでした。
 そんな二人の前に現れたのは、綱にかつて片腕を斬られたことのある鬼にして、酒呑童子の息子・茨木童子。綱を牢に入れ、藤の葉を己のものとしようとした茨木童子ですが、片面に火傷を負った彼女の顔を見て何故か激しい驚きを見せるのでした。

 捕らわれの中、綱は、鬼たちがかつて異国からこの国に渡ってきた者たちであり、人間によって一族を虐殺されたために復讐を誓っていること――そして茨木童子が、かつて人間の母によって鬼の隠れ里から逃れ、人として育てられたものの、酒呑童子に連れ戻されて鬼と化したことを知ります。

 やがて仲間たちによって救い出され、源頼光の大江山攻めに加わった綱。しかし鬼たち、特に茨木童子に同情する彼は、何とか茨木童子を救おうとします。そして綱は、事が終わった暁には、藤の葉を妻に迎えようと考えるのですが――実は藤の葉と茨木童子の間には深いつながりが……


 御伽草子や能・歌舞伎などの題材となっている渡辺綱と茨木童子の因縁譚。女性に化けて襲いかかってきた茨木童子の片腕を綱が落とし、厳重に保管していたものの、乳母に化けて現れた茨木童子に腕を取り返される――本作は、有名なこのエピソードをプロローグとして描かれます。
 しかし本作は(結末は大江山の酒呑童子伝説を踏まえながらも)、綱よりも茨木童子の方に重点を起きつつ、伝説とは全く異なる物語を展開していくことになります。

 今は鬼の一味として、文字通り悪鬼の所業を働きながらも、十五歳になるまでは人間として育った茨木童子。その時の幼い恋が長じて後思わぬ形で甦り、悲劇へと繋がっていく――というのは作者の得意とする展開ですが、本作は人間と対立する鬼である茨木童子を主役とし、人間と鬼の間に理解者となる綱を立たせることで、より深い物語性を醸し出しています。
 はたして悪いのは鬼だけなのか。鬼と人間の間に和解の道はないのか――何ともやりきれない物語ながら、しかしだからこそ高い叙情性と儚い美しさが漂うのはやはり、作者の筆の力と感じます。


 そして前日譚である「鬼の泉」は、父の下に連れ戻された茨木童子が、鬼となることを拒否して大江山を出奔した際の物語です。

 酷薄な荘園領主とその弟に捕らわれ、下人として扱われながらも、そこで同じ下人の少年・小朝丸と、貴族に売る遊女とするために育てられている娘・萱乃と出会った茨木童子。三人で暮らす中、人のぬくもりに触れ、小朝丸と萱乃と共に生きていこうとする茨木童子ですが、盗賊となっていた萱乃の恋人が領主に捕らわれたことで、運命の歯車が狂っていくことに――という物語です。

 「大江山花伝」に比べれば、ほとんど人間とも言える心を持っていた茨木童子が、何故変貌してしまったのか――終盤に描かれる彼の心の動きは、理不尽でありながらも、しかしそれだけに不思議なリアリティを感じさせます。
 こちらもさらにやり切れない物語ではありますが、しかしそれだけに終わらない余韻を残す点では、「大江山花伝」と同様といえます。


 なお、本作で描かれる鬼の出自――北欧から日本にやって来た民の末裔――は、「夢の碑」シリーズと共通するものですが、発表時期はこちらが先立っているためか(「大枝山花伝」は週刊少女コミック昭和53年第27号、「鬼の泉」はララ昭和57年1月号、一方「夢の碑」シリーズ第一弾の「桜の森の桜の闇」はプチフラワー昭和59年5月号)シリーズには直接含まれないながらも、単行本によっては番外編と冠されているところです。

 また、フラワーコミックスα版では、この二作のほか、やはり歴史ファンタジーの「花伝ツァ」と「夢幻花伝」が収録されていますが、こちらについてはまた機会を改めて紹介したいと思います。

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2024.12.25

『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』 第三十五話「比古清十郎」/第三十六話「修羅の会合」

 これ以上戦いに巻き込むことを恐れて葵屋を離れ、もう一人の探し人・比古清十郎のもとを訪れる剣心。飛天御剣流の師である清十郎に対し、奥義の伝授を願う剣心だが、そこに薫たちが現れる。一方、蒼紫の前に現れた宗次郎は蒼紫を志々雄の下に誘い、両者は対剣心の同盟を結ぶことに……

 今回も二話まとめて紹介しますが、アクション的な見せ場はほとんどなく、その意味では谷間的な回ではありますが、しかしキャラクターの動きという点では、今後に続く重要な動きが幾つもあった回でした。

 何よりも大きいのは、第三十五話のタイトルにもなっている比古清十郎の登場でしょう。剣心の師匠であり、現・飛天御剣流の継承者というだけでも極めて重要なキャラクターですが、それは同時に、剣心の(人斬り抜刀斎になる前の)過去を知る者ということであり、そして剣心の飛天御剣流はまだ完全ではないということを証明する存在でもあります。
 人格的にも強さの上でも完成した存在として描かれていた剣心も、かつては未熟だった、そして今も成長の余地があるというのは、バトルものとしての要請から来たものではあるかと思いますが、それだけでなく、剣心のキャラクターを深めるものであることは言うまでもないでしょう。

 そしてここでもう一つ重要なイベントとして、剣心と薫(と弥彦)の再会が描かれるわけですが――東京編であれだけドラマチックに別れたわりには、かなりあっさり目のドラマだったのは、これはこれでリアルなのかもしれません。
 しかしここでは、すぐ上で述べたように、過去の剣心を知る(過去しか知らない)清十郎と、今の剣心――それも東京での彼と、東京を離れて京に至るまでの二つの段階の剣心を知る薫と弥彦、そして操が出会うことで、状況が変化していくのが面白いところでしょう。物語の状況が、剣心の周囲の人間が出会い、結びつくことで動いていく――剣心が状況を動かしているわけでは必ずしもないけれども、彼を中心に物語が動く、そんなダイナミズムに感心させられます。

 これは味方サイドだけでなく敵サイドも同様で、第三十六話の後半では、四乃森蒼紫と志々雄真実が敵を共通するもの同士手を結ぶことになります。
 この辺りは段取りではありますが、ちゃんとやっておかないと「抜刀斎は何処だ」「誰だお前は?」になってしまう――というのはさておき、またこの場面は同時に十本刀の(半分)のお目見えにもなっていて、これをまとめてやってしまう手際の良さにはやはり感心します。


 しかしそんな展開の中でこちらの目を奪うのは、やはり比古清十郎のあの襟です。初登場時の、表の顔である陶芸家をやっている場面からあの襟なので、「いくらなんでもあんな襟の陶芸家はちょっと」「しかし確かに比古清十郎といえばあのマントの襟だし」と大いにと惑わされました。
 が、原作を読み返してみたら、そちらでは初登場時は別に普通の襟だったので愕然としたわけですが――今回このように描写されたということは、清十郎は普段からあの襟が正史ということでよいのでしょう。そうに違いない。

 もう一つ、今回はキャラクターのやりとりが中心だった分、ギャグ描写も多かったのですが、その中で初対面の操と薫の会話で、白べこの冴が横から「一緒に暮らしてた?」「道中二人で連だつ?」「ムキになって否定するところがなお怪しい」と茶々を入れるくだりは、ベタではありますが声の演技の巧みさで非常に楽しいシーンになっていたと思います。

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2024.12.23

『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀4』 第12話「魔族の誇り」

 再び魔界に降り立った殤不患の前に現れ、共闘を持ちかける凜雪鴉。封印された裂魔弦を救い出し、浪巫謠の行方を知る二人だが、その前に刑亥が現れる。葛藤の末、魔王の征く道の障害になるとして、刑亥は三つの魔宮印章の力で不完全ながら魔神の力を宿し、三人に襲いかかる……

 第4期も全13話だと思いきや、もう最終回でちょっと驚いた今回。最終章が控えているとはいえ、残り一話で何を描くのか――と思っていましたが、冒頭から今期本当に久しぶりの殤不患と凜雪鴉の再会は、やはり胸躍るものがあります。
 それにしてもメリー・ポピンズよろしく降りてきた殤不患を平然と出迎える凜雪鴉といい、(睦天命に聞いていたであろうとはいえ)魔界で待ち受けていた凜雪鴉を見ても驚かない殤不患といい、どちらもそれぞれのことをある意味信頼している感じなのが微笑ましい。しかし冷静に考えれば、殤不患は魔界についてほとんど知らない状況――そもそも浪巫謠が魔族との混血なのを初めて聞いたくらいなのですから。

 それでも、ほとんど全く動じないのが殤不患の殤不患たる所以。生まれがどうであれあいつは人として正しい道を志してた、流れている血が何色だろうと関係ない――こんな好漢過ぎる殤不患に、妙にマジな顔で反応を見ていた(ように澱んだ目には見えた)凜雪鴉もニッコニコ。「一度友誼を結べば、人も魔物も関係なしか。全くお前は私の見込んだ通りの男だよ」とやたらと馴れ馴れしく殤不患に近付いたと思えば(初見で見逃していましたが、よく見るとさりげなく殤不患と背中合わせに寄りかかる凜雪鴉)、殤不患の方も「よせやぁい」と言わんばかりのリアクション。
 拙者、互いに主義主張は正反対で馴れ合わないけれども、相手の能力や信念には深く信頼していて、いざ戦いの時には背中を預けられる関係性大好き侍――という向きにはたまらない描写ではないでしょうか。

 そんなわけで冒頭でもう満腹になってしまったのですが、この後、えらく雑に(本当に雑に)裂魔弦を逢魔漏から解放した凜雪鴉たちの前に現れたのは刑亥――前回、凜雪鴉の出自に驚きつつ、勝利のためとはいえ魔族に新たな道を強いる魔王と、ある意味魔族の核である享楽を求める凜雪鴉と、両者の間で揺れていた刑亥ですが、ついに魔族の未来を選び、凜雪鴉抹殺に動き出したのです。

 しかしもはや刑亥=ポンコツという印象がついたところに、主人公二人+裂魔弦という状況で、彼女に勝ち目があるとは思えませんが――そこで取り出したのは三つの魔宮印章。四つ揃うと新たな魔神が現れるというのは、使うと魔神に転生できるということのようですが、刑亥は三つという不完全な状態ながらこれを己に使用、半分異形の姿と化して襲いかかります。しかしこれ、神蝗盟の二人がブーケ代わりに置いていったものにガチギレして文字通り放り投げた凜雪鴉の失策なわけですが、それを一瞬で見抜いた殤不患はさすがというか何というか……

 不完全とはいえさすがに今回のラスボス、主人公サイドでは最強クラスの三人を向こうに回してむしろ圧倒する刑亥。しかしこんな時に頼りになるのが凜雪鴉です。切り札としてしれっと取り出したのは、神蝗盟カップルが置いていった二振りの神誨魔械(同じブーケ代わりでも、印章は捨ててもこっちは持ってるのな……)。そうきたか! とこちらが驚いているところに、久々のウォウウォウをBGMに裂魔弦と怒雷斧を手にした殤不患が道を切り開き(ここで萬将軍の技を借りる殤不患と、その動きに重なる萬将軍のシルエット!)、そして玲瓏劍を手にした凜雪鴉が刑亥に肉薄し――第一期ラスト以来、本当に久しぶりの天霜・煙月無痕が炸裂! いや、以前は舐めプの寸止めだったものが初めて完全な形で、しかも神誨魔械でもってクリーンヒット、その威力は無痕どころか豪快に真っ二つ……

 かくて斃れた刑亥ですが、凜雪鴉に作中ほとんど初の本気の剣を使わせたのは、以て瞑すべきと評すればよいでしょうか(「殺無生にあの世で自慢するといい」などと、この期に及んでなお引き合いに出され、辱められる殺無生くん……)。その一方で、悪党は殺さない凜雪鴉が初めて完全に斬ったことには、色々と考えさせられるものがありますが……

 しかし刑亥は捨て石の役割を果たしたと言うべきか、その間に魔王と阿爾貝盧法は地上侵攻の準備を固め――そして禍世螟蝗はついに嘲風に自らの正体を明かし(ここで幽皇としての静かな喋りから、徐々にはま寿司のハロウィン限定音声のようなドスの効いた声にかわっていくのがお見事)、娘に神蝗盟の法師としての紋章を与え、それぞれに最後の戦いに臨む態勢を整えます。
 もっとも嘲風の場合、与えられたのがよりによって空席になっていた蠍の紋章の上に、間違った魔法少女(謎の指ハートマークポーズ付き)のようなビジュアルなのが、原作者的に不安ですが……

 そして物語の真の決着は全くつかないまま、二ヶ月後の劇場版、最終章に続く!


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2024.12.22

二人の復讐劇の結末 地獄の連鎖の先に よしおかちひろ『オーディンの舟葬』第3巻

 恩人を殺した仇を追う「戦狼(ヒルドルヴ)」ことルークと、その仇である一方で自分もヴァイキング王を仇として狙う白髪のエイナル――ヴァイキングのイングランド侵攻を舞台に繰り広げられる壮絶な復讐撃の最終巻です。それぞれ大きな喪失感を抱えつつ、死闘を繰り広げる二人の行き着く先は……

 イングランドとデンマークのヴァイキングの戦いの最中、育ての親である神父をエイナルに惨殺されたルーク。幼い頃から共に育った二匹の狼と共にエイナルを追い、ヴァイキングを狩る彼は、「戦狼」と呼ばれ恐れられるようになります。
 しかしその一方で、返り討ちを狙うエイナルもまた、両親の仇であり、実は叔父であるヴァイキング王・双叉髭のスヴェンを付け狙っていました。

 イングランド軍のアランに利用されるルークと、スヴェンの第二王子・クヌート付きとなったエイナル。アランとスヴェンに翻弄されつつも、ルークとエイナルはなおも激しくぶつかり合います。
 さらにそれぞれ大きな喪失を味わった二人の戦いは、ついに始まったイングランドとデンマークの全面戦争の最中、いよいよエスカレートを続けていくのですが……


 前巻ではイングランドとデンマークの歴史という巨大なうねりの中に飲み込まれた感のあったルークとエイナルの戦い。しかしいきなり冒頭からどうしようもない地獄絵図を繰り広げる両者の対決は、怒り狂うルークの行動によって、思わぬ方向に展開していくことになります。

 恨み重なるエイナルに対して、もはや死すら生ぬるいと恐るべき罰を下したルーク。彼の目論見通りに凄まじい喪失感を抱えたエイナルの行動は、さらなる惨劇を生み出します。二人の暴走が史実と結びついたことにより、さらなる戦禍が生まれる――憎悪が憎悪を呼び、殺戮が殺戮を呼ぶ。二人を結ぶそんな関係性は、国と国のレベルで拡大されていくのです。

 しかし、それは避けられない必然なのか。その地獄の連鎖は、断ち切ることはできないのか――?
 思えばルークもエイナルも、それぞれにかけがえのない存在がありました。それを無惨に奪われたからこその復讐行であることは言うまでもありませんが、しかしその不毛さにルークが気付いたのは、彼にとってのかけがえのない存在の一人が、愛と寛容を語る神父であったからでしょうか。
(一方のエイナルもまた、その喪ったものの大きさには胸が痛むのですが――それがああも歪んでしまったのは、これはヴァイキングという環境故と言うべきかもしれません)

 そして二人の最後の対決において、ルークは以前とは全く異なる言葉をエイナルに語りかけ、全く異なる道を選択します。それに対してエイナルが何を答え、応えたのか、そしてその先にルークを待っていたものは――これはぜひ実際に作品を見ていただきたいと思います。


 正直なところ、前巻でそれぞれ主役を食う存在感を発揮したスヴェンとアランの扱いなど、結末を急いだ感がないでもありません。
 そしてまた、そこで描かれたものには、言葉を失うほかないのですが――しかし、歴史の陰で繰り広げられた二人の青年の復讐劇が、一つの史実につながっていく結末には、小さな光の存在が感じられます。

 たとえか細く、容易にかき消されるものだとしても、確かに闇の中に存在する人間性の光。本作は途方もない喪失感の先に、それを描いた物語であったというべきでしょうか。


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2024.12.21

奪われたものを取り戻すことと、他者から奪うこと 士貴智志『どろろと百鬼丸伝』第11巻

 原作を大きく離れ始め、もはやどこに向かうのか想像もつかない新釈『どろろと百鬼丸』、この第11巻では、前半に第10巻から続く「孤絶の岬の段」、後半に多宝丸を主役とした「霧纏いし魔城の伝」が収録されています。それぞれ運命に逆らい己の道を行く息子たちを見る醍醐景光は何を思うのか……

 どろろの父・火袋が隠した黄金の行方を追う、火袋の元子分にして今は野盗の頭領であるイタチ。黄金の在処を教える代わりに、その黄金を世の中に役立てくれというどろろの願いを受け入れたイタチですが、しかし道案内の少女(!)不知火に騙された野党たちは、死霊・海坊主の餌食となります。実は不知火と妹の二胡は、かつて侍に殺された弟を蘇らせるため、海坊主に人の魂を食わせていたのです。
 そんな中、八年に一度生じる、流氷が凍りついた道を辿り白骨岬に向かうどろろ一行。しかしその途中、死霊の気配を察知した百鬼丸は海坊主に戦いを挑み……

 というわけで、サメの妖怪との対決そして黄金を巡る侍たちとの死闘が描かれた原作とは異なり、百鬼丸と海坊主の対決がクライマックスとなる「孤絶の岬の段」。しかしそれ以上に強調されるのは、自分が奪われたものを取り戻すために、他者から奪うことは許されるのか、という問いかけです。
 弟の命を取り戻すために、数多くの人々の命を奪ってきた不知火。奪う相手を選んでいると語る彼女に対して、どろろはその行いの中のエゴを――さらにいえばそんな状況に人を追い込む世の無情を指弾します。

 それは、これまで様々なものを失ってきたどろろだからこそ言えることであるかもしれません。しかしそれは同時に、己の身体を取り戻すために、死霊とはいえ他者を討ってきた百鬼丸の行いを看過しているという矛盾を孕みます。
 はたしてその矛盾がこの先裁かれることがあるのでしょうか。琵琶法師が語る不吉とも取れる言葉、百鬼丸が海坊主から取り返した部位の謎が、あるいはそれに関わってくるのかもしれません。


 そしてこの巻の後半で描かれるのが、問題作「霧纏いし魔城の伝」です。
 身分を隠して醍醐軍に紛れ込んでいた際、醍醐景光の不可解な行動と、それが姿を見せなくなった正室・お縫の方のためではないか、と耳にした多宝丸。その真偽を問う彼の前に現れた少年足軽のペラ助ことアケビは、景光が人里離れた地に築いた岩城、通称「死禁城」の存在を語ります。

 城というより塔のような姿を見せ、巨大な蛇状の妖怪の襲撃を受け続けながらも揺るぎない死禁城。アケビを供に、奇怪な妖怪や死人たちが蠢く道を抜け、この魔城にたどり着いた多宝丸の前に、景光が姿を現すのですが……

 という、原作を知る人間ほど混乱させられる完全オリジナルのこのエピソード。はたしてこの城は何なのか、そしてもはや天下獲りにあるとは思えない、異常なまでの魂念力を見せる景光の目的は――それは前巻そしてこの巻にわずかに登場した、謎の生人形に関わるものなのでしょうか。
 そして生人形の正体が多宝丸の予想した通りであれば、景光の行動は、この巻の前半で描かれたものと通底するのかもしれません。
(ただしその場合、多宝丸の予想には大きな矛盾が生じるのですが……)

 いずれにせよ、もはや死霊退治している場合ではないとすら思わされる、大きすぎるスケールを誇示する景光に対して、百鬼丸の力は及ぶのでしょうか。おそらくは全編のクライマックスが近づく中、大きく心乱される展開です。


 しかしアケビ(どこかで見たことがあるようなないような、謎のデザインと名前のキャラ)に「あにき」と呼ばれて心を動かしてしまう多宝丸は、どれだけどろろを引きずっているのでしょうか。
(そしておそらくアケビの正体も……)


『どろろと百鬼丸伝』第10巻(士貴智志&手塚治虫 秋田書店チャンピオンREDコミックス) Amazon

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2024.12.20

またしてもの将軍位争いに振り回される男 ゆうきまさみ『新九郎、奔る!』第18巻

 駿河での跡目争いも決着し、ようやく京に帰ってきた新九郎。しかし不在の間に彼のいる場所は将軍義尚の下にはなくなり、再び失職――と思いきや、そんなことは言っていられないような事態となります。その渦中に思わぬ形で引き込まれることになった新九郎の明日はどっちでしょうか。

 駿河守護の跡目を巡る龍王丸方と小鹿新五郎方の争いは、全面衝突に発展した末、新九郎が後見を務める甥の龍王丸側の勝利に終わります。その後始末も終わり、実に久方ぶりに京に帰ってきた新九郎。しかし彼の本来の主である義尚は、新九郎不在の間、ほぼ鈎の陣で六角氏と対陣中――そこに不参加だった上に、何かと口うるさい新九郎は、ついに義尚と対面することもできず、陣を去ることになります。

 かくて再び無職となってしまった新九郎ですが、しかしその身は既に次代の将軍位争いに巻き込まれていました。既に余命幾ばくもない状態となってしまった義尚の次を窺うのは、堀越公方・足利政知の子である清晃と、足利義視の子である義材――駿河に滞在していた際に政知と縁が生まれ、所領を与えられた新九郎は、望むと望まざるとにかかわらず、清晃派となってしまったのです。

 義尚が倒れれば、次の将軍を定めるのは大御所である義政。しかしこの怪人物の意図を余人のスケールで計れるはずもなく、周囲は散々振り回されることになります。
(そんな中でも、清晃方のために「何か」やっているのが、新九郎の成長というかなんというか)
 そんな中、突然新九郎は義材に呼び出されて……


 というわけで、駿河での奔走が終わったと思いきや、京で二人の将軍候補の間を奔走する羽目となった新九郎。物語が始まって以来、ずっと足利家は将軍位争いをしているなあという感じですが、これが史実なので仕方がない。そしてそんな中で、生真面目で融通の効かない新九郎が周囲の思惑に振り回されるというのもこれまで通りではあります。

 しかし今回の争いは、上で述べたように新九郎は既に政知から所領を得てしまっているからには清晃派にならざるを得ないはず。さらにかつて応仁の乱の折、義材の父・義視のために自分の兄が横死する羽目になったことを思えば、悩むまでもないかと思われたのですが――ここで義材が、足利家の人間とは思えないほど「いいヤツだーっ!!」なのは歴史の皮肉というべきでしょうか。

 この先も新九郎の運命は二転三転、この巻の終盤では、ちょっと予想外の方向に転んでいくのですが――いやはや、新九郎ともども、読者もいいように振り回されている気持ちになるのは、これは作者の技というものでしょう。


 そしてそんな作者の技をこの巻で最も強く感じたのは、この巻の冒頭で示される、新九郎と義尚の関係性の描写です。
 先に述べた通り、義尚への目通りも叶わなくなってしまった新九郎ですが、だからこそ彼が果たそうとしたのは、かつて義尚と交わした約束――木彫りの馬ではなく本物の馬を献じること。なるほど、これがきっかけで新九郎と義尚の絆が甦るのだな、などと予想していれば、そのすぐ先に待ち受けるものに驚かされることになります。

 そんな、ここで馬がドラマに繋がらないとは!? と愕然としていたところに――と、この先の展開は伏せますが、ほとんど不意打ちのように描かれる展開の巧みさには、もはや痺れるしかないのです。
(痺れるといえば、中風で倒れた義政の、ギリギリ感のある天丼描写もまた凄まじいのですが……)

 これまで何度も何度も唸らされてきましたが、ただでさえドラマチックな(しかしとてつもなく入り組んだ)史実を、漫画として見せてくる作者の漫画の巧さに、また改めて唸らされてしまった次第です。


『新九郎、奔る!』第18巻(ゆうきまさみ 小学館ビッグコミックス) Amazon


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2024.12.19

「コミック乱ツインズ」 2025年1月号(その二)

 号数の上ではもう1月、「コミック乱ツインズ」1月号の紹介の後半です。

『老媼茶話裏語』(小林裕和)
 『戦国八咫烏』(懐かしい)による本作は、タイトルのとおり「老媼茶話」を題材とした怪異ものです。「老媼茶話」は18世紀中期に会津の武士が著したもので、タイトルのとおり村の老媼が茶飲み話で語った物語を書き留めた、というスタイルの奇談集です。
 本作はその巻の五「猪鼻山天狗」――後に月岡芳年が浮世絵の題材ともしているエピソードを題材としています。

 猪鼻山に住み着き、空海に封じられた大頭魔王なる妖が周囲の人々を悩ましていると知った武将・蒲生貞秀。貞秀は配下の中でも武勇の誉れ高い土岐元貞に、妖を退治するよう命じます。勇躍山を登り、魔王堂の前についた元貞に襲いかかったのは、巨大な動く仁王像――しかし元貞は全く恐れる風もなく仁王像に斬りつけた上、文字通り叩きのめします。さらに元貞の前には阿弥陀如来が現れるものの、元貞は全く動じず一撃を食らわせるのでした。
 そして山の妖を倒したと貞秀の前に帰還した元貞。しかしその時……

 と、原典の内容を踏まえた物語を展開させつつ、本作はそこで語られなかった事実を描きます。誰もが称賛する配下の猛将・元貞に対して、貞秀が密かに抱いていた心の陰の部分を――と思いきや、それだけでなくもう一つのどんでん返し、原典に描かれた物語のさらに先が語られるという、なかなか凝った構成の作品となっているのです。

 このように、江戸奇談・怪談を題材とした作品でもあまり用いられたことのない題材、そして二度に渡るどんでん返しと、ユニークな作品であることは間違いないのですが――しかしその一方で、クライマックスに登場するのがあまりにも漫画チックな存在で、物語の雰囲気を一気に崩した感があるのが、なんとも残念なところです。
(もう一つ、原典の非常に伝奇的なネタがばっさりオミットされてしまうのも、個人的に残念なところではありますが)


『ビジャの女王』(森秀樹)
 城内に侵入し、地下の娼館街に隠れたオッド姫を追ったモンゴル兵たちも全滅し、ひとまず危機から逃れたビジャ。さらにビジャを包囲するラジンの元に、モンゴルのハーン・モンケからの使者が訪れ、事態は思わぬ方向に展開していきます。

 かつて自分と争ったモンケの娘・クトゥルンを惨殺したラジン。殺らなければ殺られる状況下ではあったとはいえ、いかに実力主義のモンゴルであっても、あれはさすがにやりすぎだったようです。
 かくて、ビジャを落とせば兵の命は助けるという条件でモンケの召還(=処刑)を受け入れることになったラジンですが――しかし彼が黙って死を受け入れるはずがありません。副官の「名無し」に謎の密命を授け(何のことだがわからんと真顔で焦る名無しに、すかさずフォローを入れるのがおかしい)、自分はむしろ意気揚々と去っていきます。

 なにはともあれ、ビジャにとっては最大の強敵が去ったわけですが、しかしモンゴルの包囲は変わらず、そして城内にもまだ侵入した兵が残っている状態。それでもビジャが負けなかったことは間違いありませんが――まだまだ大変な事態は続きそうです。


『江戸の不倫は死の香り』(山口譲司)
 次号では表紙&巻頭カラーと、何気に本誌の連載陣でも一定の位置を占めている本作。今回の舞台となる土屋相模守の下屋敷では、数年前に病で視力を失い隠居した先代・彦直が暮らしていたのですが――その彦直の世話のため、下女のりんがやってきたことから悲劇が始まります。
 婿養子である彦直に対して愛が薄く、ほとんど下屋敷にやって来ることもない正室。そんな中で、心優しいりんに彦直は心惹かれ、やがて二人は愛し合うようになったのです。しかしそれを知った正室は……

 いや、確かに正室はいるものの実質的には純愛に近く、これはセーフでは? と思わされる今回ですが(いつもの話のように、正室を除こうとしたわけでもなく……)しかし待ち受けているのは地獄のような展開。りんがいつもつけていた糸瓜水が仇となった上に、終盤でのある人物の全く容赦のない言葉には愕然とさせられます。
 ラストシーンこそ何となく美しく見えますが、いつも以上に胸糞の悪い結末です。
(こういう時こそ損料屋を呼ぶべきでは!? などと混乱してしまうほどに)


 次号は『雑兵物語 明日はどっちへ』(やまさき拓味)が最終回、特別読切で『すみ・たか姉妹仇討ち』(盛田賢司)と『猫じゃ!!』(碧也ぴんく)が登場の予定です。


「コミック乱ツインズ」2025年1月号(リイド社) Amazon

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