2024.10.08

『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀4』 第1話「帰郷」

 無界閣に消えた浪巫謠を思い、打ちひしがれる殤不患。そんな彼に対し、凜雪鴉は失望したと姿を消す。一方、阿爾貝盧法と刑亥と共に魔界を行く浪巫謠は、父から試練として魔物をけしかけられる。そして魔界に関心を抱く禍世螟蝗は、斥候として覇王玉と花無蹤の二人を送り込もうとしていた。

 第三期以来、実に三年ぶりの登場となった第四期。その初回である今回は、第三期の最終話からほとんどそのまま続く形で、三つの勢力の動向が描かれることとなります。

 まずは主人公サイドですが――激しく落ち込んでいるのは、西幽来の親友である浪巫謠を崩れ落ちる無界閣に置き去りにしてしまった(と思い込んでいる)殤不患。睦天命に合わせる顔もない――などと言ったらまた滅茶苦茶怒られると思いますが――と沈む彼を、捲殘雲は静かに見守ります。というか、酒場の払いを持ったり、呼びに来た護印師(?)への態度といい、いつの間にか大侠の風格が出てきたな捲ちゃん……

 一方、全く優しく接しないのは凜雪鴉です。今のお前は退屈だ、面白味に欠ける。行く先々で騒動を引き起こす厄介者のお前だからこそ興を唆られてきた。血湧き肉躍る冒険譚がここで幕引きというならもうこれ以上つきまとう理由もない――一見、落ち込んでいる人間に容赦なく追い打ちをかけているように見えますが、この場合はツンデレな叱咤激励の影が感じられます。いつかまた血の滾りが抑えきれなくなったら、その時はまた一緒に世間を引っ掻き回してやろうじゃないか、とまで言っていますし……(完全に同類扱いなのはさておき)

 さて、その浪巫謠はといえば、父にして母の仇である阿爾貝盧法、そしてその配下となった刑亥と共に魔界に赴いたわけですが――いよいよ本格的に描かれることとなった魔界は、さぞかし強豪がひしめく弱肉強食の地獄に違いない! と思いきや、これが刑亥が驚くほど寂れた地に変貌していました。というのも、窮暮之戰の人間界侵攻が中途半端に終わったばかりに、侵攻用に召喚した魔神を養わなければならなくなり、毎週生贄を用意しなければならなくなったとか……
 何かの寓話のような話ですが、別の意味で弱肉強食になってしまった魔界の皆さん、殤不患が神誨魔械を持って行ったら喜ばれるんじゃないでしょうか。

 そんな状況もどこ吹く風と歩みを進める魔界伯爵ですが、いまだ生々しい死骸が転がる地にやってくると、浪巫謠に試練と称して魔物退治を命じます。人間には倒せないというその魔物の実力や如何に……

 そしてもう一つ、蠢くのは禍世螟蝗一派です。第三期ラストで驚くべきその正体を明かした禍世螟蝗ですが、いよいよ本格的に魔界への侵攻を決意したものか、斥候を送り込もうと企みます。一体どうやってと思いきや、そこに顔を出したのは鬼奪天工――第三期で時空の狭間に落ち込んだ婁震戒の前に現れ、面白片腕サイボーグに改造した老科学者です。その時は、うっかり七殺天凌を馬鹿にしたばかりに置いてけぼりをくらったこの怪人物が、ついに人物紹介に載る身分に昇格しました。

 いつ元の世界に戻ってきたかはしりませんが、その技術を用いて禍世螟蝗が送り込むのは二人の幹部――というか幹部二人しか残っていないような気もしますが――、その名も覇王玉と花無蹤! 片や蜂の紋章を持つ西幽最強の女傑、片や蜘蛛の紋章を持つ計略自慢の盗賊と、正反対のキャラクターの持ち主ですが、予想通り相性は最悪です。そんな二人を競わせて成果を上げようという禍世螟蝗ですが、どう考えても惨事の予感がします。
(特に自意識過剰っぽい計略自慢の盗賊は、誰がどう見てもアイツの餌食のために出てきたとしか)


 なにはともあれ、これで三つの勢力のうち、二つはすぐに魔界でかち合いそうですが、残る主人公たちはどうするのか――というより殤不患はいつ復活するのか。
 今回がTVシリーズとしてはラストとのことですので、集大成となるような展開に期待したいと思います。


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2024.10.07

『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』 第二十五話「京都へ」

 斎藤と別行動をとり、一人東海道を急ぐ剣心。その頃東京では、剣心を追おうとする左之助の前に斎藤が現れ、お前たちは剣心の弱みだと指摘、怒った左之助は斎藤に殴りかかる。一方、剣心に別れを告げられて以来気力を失った薫のもとには恵が現れ、厳しい言葉をかけるが……

 というわけで、いよいよ始まった新アニメ版『るろうに剣心』、「京都動乱」というシリーズタイトルがついていますが、オープニングはまだ剣心と仲間たちの京都への道中を感じさせます。しかし、恵って京都行ったっけ……(行ってないこともない)

 さてその初回となる今回は、原作三話分プラスαを順調に消化。そのα部分は冒頭の剣心と斎藤のやり取りで、原作では次回に当たる回で描かれましたが、時系列的には順当ですし、ここで出さないと今回主人公が出ないので、まず納得のアレンジです。
 そしてそれ以外の部分は、問題の月岡津南の炸裂弾が明らかに巨大化している点――というよりよりリアルな形になっている点を除けば、まあほぼほぼ原作通りということで、原作との違い中心に見ている人間は困ってしまうのですが、改めて見てみると、キャラクターの立ち位置というのがわかって、なかなか面白いものです。

 たとえば斎藤は、前シリーズのラストからひたすら小姑のようにネチネチツッコミをいれるキャラのように感じられますが、前シリーズでは現在の剣心の実力のチェック役、さらに今回は剣心に京都までの移動手段を伝えにきたり、足手まといの左之助が京都に来るのを止めようとしたり(結果として実力チェック役にもなりましたが)――なんというか、自分一人ではなく全体を考えて動いていることがわかり、興味深い。
 もちろん彼の場合は、組織人として上がいるわけですし、自分の動きやすさを優先に考えているのも間違いありませんが、しかしやはり新選組で隊長を張っていた人間は、チームとして人を動かす視点があるのだな、と感心させられます。その点、初め人斬り後に遊撃剣士として動き回っていた剣心や、赤報隊を抜けてからは一匹狼を気取っていた左之助とは全く違うわけで――というか、人斬りなのにあれだけカリスマがある志々雄は何なんでしょう。

 それはさておき、その左之助や薫が動く決意を固める時に居合わせるのが弥彦というのも面白いところで、彼の存在はある種の目撃者であると同時に、他のキャラクターを引っ張り、動かす役割でもあるのだな、と感じさせられます。もっとも弥彦の場合、未熟な割に自分も動くので、物語のノイズに見えかねないのが難点ですが……
(その辺りがはっきりと噛み合ったのはこの先の人誅編であるわけで)

 さて、今回の中盤の山場が左之助vs斎藤のステゴロだとすれば、終盤の山場は薫と恵の心のぶつかり合い――というか、薫が左之助以上に一方的にボコボコにされていた気がしますが、これは一から十まで恵が言うことが真っ当すぎるので、もう仕方ないといえば仕方ない。二人の歩んできた人生というか、二人の立ち位置の違いが生んだ結果なので、どちらが正しく、どちらが間違っているということもないのでしょう。
(昔だったら恵の方に感情移入したような気がしますが、今は薫も素直に頑張れと思えるのは、これは見ているこちらが老けたからの気もします)

 そしてEDでは、その薫を差し置いて、謎の新キャラ(現時点では)がほとんどヒロイン状態なのも、なかなか趣があるものです。


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2024.10.02

ついに終結! 文永の戦い たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記 博多編』第10巻

 長きにわたる戦いも、ついに終わりの時が訪れます。一致団結した日本武士団の逆襲の中、ついに蒙古軍の大将を討ち取った朽木迅三郎。情勢が大きく変わり、撤退に向けて動き出した蒙古軍ですが、その機に乗じて暴発する者が現れます。追撃する迅三郎たちがそこで見たものは……

 一時は太宰府撤退を余儀なくされたものの、なおも抵抗を続ける迅三郎と大蔵太子たち。奇襲作戦は失敗したものの、各地の援軍が駆けつけたことにより、日本軍は互角の情勢まで盛り返します。
 そして、少弐景資のもとに初めて一致団結した日本軍は、ついに蒙古軍との全面対決に突入。当然ながらその先頭に立って切り込んだ迅三郎は、見事に敵の大将・ガルオスを討ち取ったのでした。

 形勢が一気に逆転したかに見えた日本軍ですが、蒙古軍にはまだ幾人もの将が残っているはず。しかし彼らにとって何よりも恐ろしいのは、風の吹く方向――これから冬にかけていよいよ北西の風が強くなれば、海を越えて帰ることは不可能になるのです。
 日本軍との戦いよりも、敵地である日本に取り残される方が恐ろしい。蒙古軍の中には、征服されて戦いに駆り出された高麗や女真の兵も多いのですから、その恐れはなおさらです。

 侵攻の早さもさることながら、引き際の早さも蒙古の兵法とばかりに、撤退を決定する東征軍元帥・クドゥン。しかし勝ちの勢いに乗る日本軍が、その隙を見逃すはずがありません。
 追撃が迫る中、戦いの途中での撤退に不満を抱いた高麗軍の金侁は、蒙古に反旗を翻し暴走を始めます。これに対し、クドゥンの腹心として両蔵は金侁を討たんとするのですが……


 というわけで、前巻の決戦によって戦の趨勢はほぼ決し、蒙古軍の撤退戦が描かれるこの巻。迅三郎も攻撃前夜に随分余裕のあるところを見せますし、どこか消化試合という感もあります。
 そもそも侵略してきたのは向こうとはいえ、逃げる相手に追い打ちをかけるのはあまり気分のいいものではありませんが――しかしそこに倒すべき敵を設定するのは、作劇上の工夫というものでしょうか。

 しかもその相手というのが、迅三郎とは博多編冒頭からの因縁の相手というべき金侁――ヒステリックで卑怯かつ悪辣、しかも蒙古に逆心を抱くという、まさに悪役に相応しい人物です。
 ここでも最後の最後まで憎々しい姿を見せる金侁――といいたいところですが、ここでは彼の別の一面もうかがわれるのが、少々意外なところです。

 確かに相変わらず卑怯でヒステリックな言動ながら、その一方で、彼は高麗人として、侵略者であり支配者である蒙古への逆襲の機会を待ち、ついに立ち上がった――そう書くと何やらヒロイックにすら感じられます。
 これまでも幾度となく描かれ、この巻でもクローズアップされた蒙古軍内の不協和音――蒙古軍の中での征服者と被征服者の上下関係は、攻められる日本側にとってはいい面の皮ですが、物語としては興味深い題材です。せめて金侁が典型的な悪役に描かれていなければ、もう少しこの点は面白い要素になったのではないか、と感じます。
(もっとも、本作の蒙古側のキャラクターは、大体においてあまり魅力的に描かれていないわけですが……)


 何はともあれ、そもそもの目的を果たして迅三郎は対馬に「帰還」し(ある種の余裕か大蔵太子は天草に去って)、ついに物語は平和を取り戻したといえます。
 しかし、クドゥンが語るように、征服するまで何度も繰り返すのが蒙古の兵法であり――そして蒙古軍の侵略がこれで終わりでないことを、我々は知っています。

 かくして、物語は第十一巻、弘安の戦いへと続きます。(「弘安編」にならないのは少々意外ですが……)


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2024.10.01

一捻り加えられた三つの鬼と人間の物語 楠桂『鬼切丸伝』第20巻

 歴史の陰で繰り広げられてきた、鬼を斬る神器名剣・鬼切丸を持つ少年と鬼たちの戦いを描く本作も、ついに二十巻を迎えました。この巻に収録された三つの物語は、いずれも鬼と人間の物語の中に一捻り加えられたエピソード揃いです。

 巻頭の「淀殿鬼譚」は、サブタイトルからわかる通り、あの淀殿を巡る奇譚。史実に現れるその姿だけでも波乱万丈としか言いようのない生涯を送った淀殿ですが、今回は大坂の陣の「後」の姿が描かれることになります。

 生まれた時から戦国乱世に翻弄され、親兄弟の仇に身を任せることにもなった淀殿。大坂の陣で、そこまでして得た我が子・秀頼を喪った彼女は、ただ一人、秋元長朝に匿われて生き延びるのでした。
 そこで長朝に愛され、生涯初めての安らぎを得た彼女は、しかし……

 秀頼の生存説に比べると、あまり知られていない淀殿の生存説。かなり不幸なこの伝承を、本作では意外な捻りを加えて描きます。そこで描かれる複雑な彼女の姿は、これまで歴史の荒波に翻弄されてきた女性たちを描いてきた本作ならではのものであったというべきでしょう。

 ちなみにこのエピソード、登場する人物や挿話がこれまで本作で描かれたものが多く、一種の総集編的味わいもあり、読者としては感慨深いものがあります。


 一方、「鬼火起請の章」前後編は、同じ戦国時代でも、とある農村に暮らす庶民の物語が描かれます。火起請とは、物事の真偽・是非を問う際、焼けた鉄を持たせて歩かせ、落とさなかったものが正とされる神事。二つの村の争いを収めるために行われることとなったこの神事で、東の村の代表として選ばれたのは、数年前に村に流れ着いた孤児の兄妹の兄・勘太でした。
 妹のあさのためにその役割を引き受けた勘太ですが、公平に神意を問うはずの儀式には人間の恣意がはびこり、それが鬼を生むことになります。

 本作だけでなく、これまでも幾度となく「普通の人間」の悪意を描きてきた作者らしく、鬼よりも醜い人間の姿を描くこのエピソード。火起請の顛末は、最初から最後まで無惨としかいいようのないものなのですが――ここで思わぬひねりが加わり、物語は不思議な味わいを帯びることになります。
 なんだかんだで、他人を慮る人の情に弱い鬼切丸の少年の姿も印象に残ります。
(そして完全に滅んだと思いきや、思わぬところでゲスト出演の信長様。確かに火起請の逸話で知られる方ではあります)


 そしてラストの「延命院鬼事件」前後編は、ぐっと時代は下って19世紀初頭、享和年間(ちなみにこれまで本作に登場した時代としては、百年近く現代に近くなりました)に起きたいわゆる延命院事件――徳川家の祈願所であった延命院の美貌の僧・日潤が数多くの女性参拝者と関係を持ち、その中には大奥の女中もいたことから一大スキャンダルへと発展した事件を題材にしています。

 一説には初代尾上菊五郎の子だったなどという説もある日潤ですが、本作では病に冒され親にも見捨てられた孤児だったという設定。その頃の女たちからの蔑みの視線に対して、美しく成長した今となって女たちを穢すことで恨みを晴らしているという、複雑な内面の男として描かれます。

 延命院事件の摘発にあたっては、寺社奉行・脇坂安董の家臣が、妹を日潤に近づけることで証拠を掴んだと言われていますが、本作もそれを踏襲しています。しかしその妹であるお梛と日潤が、真実の恋に落ちたことが悲劇の始まりとなるのです。
 お梛に嫉妬した周囲の女たちの告発で罪を問われ、処刑された日潤。しかし日潤を失った女たちが鬼と化し、そしてお梛に裏切られたと信じ込んだ日潤もまた鬼に……

 そんな鬼が鬼を呼ぶ地獄絵図の果てに待つものは――無惨で皮肉で哀しく、そして美しい結末。女たちを憎んできた日潤が辿る運命も、一つの救いといえるのかもしれません。


 なお、巻末に収録された特別番外編「鬼童歌」は、鈴鹿御前が鬼を呼ぶかのような童歌を歌う子供たちと出会う掌編。その歌で歌われるものとは――少年のツンデレぶりは既にバレバレとなっていることがうかがわれる、微笑ましい(?)一編です。


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2024.09.29

『鬼武者』 第捌話「魂」

 幻魔兵たちをものともせず、激しく激突する武蔵と小次郎。その戦いは伊右衛門の根城を突き抜け、遥か地底でも続く。一方、脱出する道を探していた佐兵衛とさよの前に、小次郎に斬られて半死半生の伊右衛門が現れる。幻魔になるために手を貸せと迫る伊右衛門に、佐兵衛の答えは……

 いよいよ最終回、ラスボスかと思われた伊右衛門は、武蔵との対決のノイズにしかならんとばかりに佐々木小次郎に両腕両足を斬られるという意外な形で退場(?)し、小次郎との戦いが全編に渡り繰り広げられます。武蔵が鬼の篭手を装着した二刀流を振るう一方で、小次郎は両脇から新たに一対の腕を増やした四刀流で大暴れ、周囲をウロウロする幻魔兵たちを巻き込んでのハイスピードなチャンバラが繰り広げられます。
 前回の闘技場からいつの間にか舞台は移り、深い竪穴にかかった橋の上で対峙する二人。そこで小次郎が放つのは、魔剣ツバメアラシと秘剣ツバメシブキ――まるでマップ兵器のような勢いで幻魔兵を蹴散らす小次郎の大技です(しかし求めているのはこういう剣戟ではないんだよなあ……)。それにしても復活して武蔵とやり合えるのがそんなに嬉しいのか、とにかくムチャクチャに暴れまくる小次郎のおかげで橋は崩落、武蔵だけでなく小次郎まで落ちて――まさか今になって「落ちながら戦ってる」武蔵を見ることになるとは……

 一方、眼の前で起きた惨劇に絶望しかかったさよは、佐兵衛の言葉もあって文字通り立ち上がり、二人で出口を目指します。しかしその行く先には、誰か血まみれの者が這いずった跡が。そして二人が見つけたのは死にかけの伊右衛門――両手両足を失ってボロボロになりながらも、執念のみで生き延びた伊右衛門は、佐兵衛に世界を半分やるから! と竜王みたいなことを言いながら、自分に味方しろと言い出します。
 自分が全ての侍を救うとか、世界に冠たる国にするとか、あと「俺を抱け!(俺を抱き上げて連れていけの意)」とか、相変わらずのナニっぷりですが、何を思ったかそれに乗った佐兵衛は、伊右衛門を幻魔になるための儀式を行うという部屋に連れていきます。そして佐兵衛は――伊右衛門を押さえつけると、何やら丸薬を無理やり飲ませた!

 一人だけ平然としているところが怪しい怪しいと思っていれば、やはり怪しかった佐兵衛。実は彼は、藩から金山のことを知る者全員の口を封じるよう、ただ一人密命を受けていたのです。なるほど、かつて机上演習で伊右衛門を完封して結構根に持たれていただけはありますが――しかし武蔵はともかく、幻魔とか山ほど出てきて焦っただろうな、というのはさておき、いいとこなくトドメを刺された伊右衛門に続いて、とりあえず手近に口を封じるべき相手がいます。そう、さよが……
 あまりに突然の状況に凍りつくさよに近づく佐兵衛ですが、気乗りしないのでやめとこっかとあっさり方向転換。意外と軽めの性格だったのか、適当にごまかしておくといい、さよを見逃します。そしてまだやることがあるというさよと別れ、佐兵衛は己の道を行くのでした。

 一方、地底の更にその下まで落下までして戦い続ける武蔵と小次郎。新たな二本の腕を捨て、ついに物干し竿を抜く小次郎を前に、ついに武蔵も人間をやめることにしたのか、鬼の篭手の力を解放し鬼武者へと覚醒――ここに鬼と幻魔の最後の戦いが始まります。早回しみたいな剣戟を続ける二人ですが、そこに割って入ったのはさよ。本当に無謀としかいいようがない行動ですが、彼女は武蔵が人として両親を斬ってくれたから、両親は人として死ぬことができたと、礼を言いに来たのでした。
 その言葉に人間であることを取り戻した武蔵は、鬼の篭手を捨て、人間として小次郎に向き合います。さよを逃がすと、その場に落ちていた櫂を手に、軽口を絶やさず小次郎と対峙する武蔵。地下が崩れ落ちる中、武蔵と小次郎の対決の行方は……


 というわけで、さよ以外は武蔵も小次郎も佐兵衛も、全員生死不明という形で結末を迎えた本作。とりあえず物語冒頭の寺に鬼の篭手は返されたので、おそらくは武蔵は帰ってきたのだとは思いますが――シーズン2狙いの演出という気も大いにいたします。

 しかし、幻魔を操る伊右衛門との対決よりも小次郎との対決がメインになったのは悪くはないとして(武蔵と小次郎の関係がわからない海外の視聴者は大丈夫なのかな、と心配にはなりますが)、肝心の剣戟が、超スピードで打ち合うか、一瞬の大技を打ち込むかという、剣豪同士の技の対決という印象からは程遠いものだったのはまことに残念。なんのために武蔵を題材にしたのか、さらに言えば時代劇をどう考えているのか……
 さよをはじめ、キャラクターデザインや全体の画作りは悪くなかっただけに、最後まで時代劇としての楽しさ、さらにいえば必然性ががあまり感じられなかったという印象が残りました。


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2024.09.28

栗城祥子『平賀源内の猫』 第12話「遠雷」

 平賀源内と飼い猫のエレキテル、そしてお手伝いの文緒のトリオを主人公に描く『平賀源内の猫』も、嬉しいことに前話からあまり間を置くことなく、新たなエピソードが公開されました。前話で秋田を訪れた源内が出会った新たな才能。その才能を江戸に誘う源内ですが……

 博覧強記で粋な性格の源内、帯電体質でひねくれもののエレキテル、生まれついての赤毛にコンプレックスを持つ文緒――これまで様々な事件に出会ってきた三人(?)は、源内が出羽秋田藩主・佐竹義敦に招かれ、鉱山開発の指導を行うことになったため、秋田に向かうことになります。
 その背後には源内の真意を疑う田沼意次の思惑があったり、文緒の出生の秘密を握るらしい書付を途中で見つけたりと、早くも波乱含みの秋田行き。そんな不穏な空気が漂う出だしでしたが、しかし今回は穏やかな(?)内容でホッとします。

 絵画に凝っているという義敦から、ある藩士の存在を聞かされていた源内。銅山に行く途中に立ち寄った宿に飾られてきた屏風絵の見事さに感心した源内ですが、それこそはその藩士――小田野直武の手によるものでした。
 直武と会い、西洋画の技法を教える源内。そして直武の才能に惚れ込んだ源内は、ある目的のため、彼を江戸に誘います。自身も大いに心動かされた様子の直武ですが、しかし彼は迷いを見せて……


 平賀源内の生涯を扱った作品では、かなりの確率で描かれる秋田行き。その理由は、この小田野直武との出会いがあったからではないか、とすら個人的には考えています。

 江戸から遠く離れた秋田で西洋画の腕を磨き、平賀源内に見出されたことがきっかけで、ある書物の装画を担当し、名を後世に残した直武。そんな彼の後半生は、源内との出会いがあってこそであり、源内の影響力の大きさを物語るものといってよいでしょう。
 そして本作においては、その書物がこれまで大きくクローズアップされてきただけに、ここで彼の存在が描かれるのはむしろ必然といえます。

 しかし本作の直武は、源内の誘いに躊躇いを見せます。それは秋田の藩士であり、何よりも藩主たる義敦に見出された彼にとって、自然な心の動きではありますが――しかしそんな直武に対して、源内は一つの行動をもってその想いを示すのです。

 思えば、かつて源内も高松藩士でありながら、己の夢を追って脱藩した人間。そんな彼にとっては、忠義と己の夢の間で揺れる直武の気持ちは、よく理解できるのでしょう。
(物語の途中、城勤めの娘たちが、自分たちがいかに恵まれた立場にあるか語る場面も、ここに重なってくるものと感じます)
 それでも、時には全てを捨てて――命すら賭けて、何事かを成さねばならない時がある。今回描かれた源内の行動は、まさにそれを身を以て示すものであったといえます。

 そしてそれがまた、源内自身にとっても大きな意味を持つ行動――史実ではないかもしれないけれども、なるほどこう来たかとニヤリとさせられる行動であるあたりが、また実に本作らしい捻りの効かせ方だと嬉しくなるのです。


 先に述べたように今回はあまり重い内容ではなかったのですが、しかしそんな中でも、文緒と源内のこの先に何やら不穏なものを感じさせる場面があったり(特に史実における源内の運命を考えると……)と、まだまだ先には波乱が待っていることを予感させます。
 しかしそれでも本作の源内は、何事かを成すために、この先も己の全てを賭けて突き進むのだろう――そう感じられたエピソードでした。


それにしても源内とエレキテルは、時々明らかに目と目で通じ合っている時があって――実際猫とはそういうものですが――何やら不思議な気分にもなります。
(エレキテル、本当は人間のこと全てわかっているのではないかしらん)


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2024.09.27

劇団四季『ゴースト&レディ』(その二) もう一人のフロー「たち」と、生きている人間の凄み

 藤田和日郎の『黒博物館 ゴーストアンドレディ』をミュージカル化した、劇団四季『ゴースト&レディ』の、主に原作ファンの視点からの感想の後編です。原作の怪奇と熱血という要素が薄められたこの舞台には、しかし本作ならではの解釈がありました。それは――

 その一つが、デオンのキャラクターです。劇中でフローとグレイに立ちはだかる強敵であるデオンは、実在の人物――作中でも軽く触れられていましたが、フランスの騎士であり外交官、そして異性装を好んだ人物でもありました。
 この舞台においては、それに対してデオンはっきりと女性――それも親によって女性であることを禁じられ、男性として生きることを強いられた存在として描きます。

 図らずもゴーストとなったことで今は女性であることを隠さなくなったデオンですが、しかしその心中にあるのは、女性であることの強烈な屈託――自分が女性でありながら女性という存在を呪い、蔑むという屈折した感情なのです。
 そんな彼女が、女性のまま、己の道を貫き、戦場に立つフローを見た時どう感じるか――原作では一種性的な視線だったそれは、むしろ本作では、自分自身の人生を否定する存在に対する敵意であったと感じられるのです。

 ここにおいてデオンは、グレイだけでなくフローと対置される存在として描かれているといえるでしょう。そしてもう一人、フローと対置される舞台オリジナルのキャラクターがいます。それは大臣の姪であり、クリミアの看護団に加わるエイミーです。
 フローのようになりたいと憧れを抱き、彼女と共にクリミアに向かったエイミー。しかし彼女にとって現地はあまりに過酷な環境であり、フローの励ましを受けつつも、次第に彼女は追い詰められていくことになります。

 その結果、彼女はある選択をするのですが――それはフローにはできなかったもの、フローが捨ててきた道を選ぶことだった、という構図は、極めて象徴的に感じられます。
 デオンとエイミーの二人は、フローのようには生きられなかった、自分自身の望むように生きられなかった女性。いわば「もう一人のフロー」たちを描くことで、本作はフローという人物を、原作とは別の形で掘り下げることに成功したと感じます。
 (そしてこの二人が、共に劇中でフローを殺しかけたというのは、決して偶然ではないのでしょう)


 さらに感心させられたのは、本作が舞台劇であることに極めて自覚的であったことです。そもそも原作は、前回冒頭で触れた黒博物館の学芸員とグレイの会話という形で展開していく物語なのですが、舞台ではその部分をカット。しかしその代わりに、冒頭でグレイは我々観客がゴーストを見ることができる者として語りかけてきます。

 この辺り、なるほど自分たちが学芸員さんなのか!? と感心したのはさておき、考えてみればグレイはシアター・ゴースト。舞台に登場するのにこれ以上適任はないわけですが――しかしその意味付けは、ラストに至り、こちらの想像以上に大きなものとなっていきます。
 詳しい内容には触れませんが、結末でグレイがフローに見せようとしたもの――彼が現世に留まってまで我々に見せようとしたものがなんであったか。それは誰もが知るナイチンゲールの、誰も知らない秘密の物語であり、それはグレイとフローの愛の物語でもあった――それは劇場を愛し、劇場で死に、劇場に憑いた彼にとって、これ以上はない形の告白であったといえるでしょう。


 そんなわけで、本作は原作とはまた異なる形で、己の道を貫き、互いを想いあったゴーストとレディの姿を描いてみせました。それだけでももう十分に魅力的なのですが、しかし魅力はまだ尽きません。クライマックスであるフローと軍医長官との対決において、舞台に上がるのはいつだって生きてる人間――この言葉を我々は痛感させられるのです。
 この場面では、グレイとデオンが戦っている間、フローが身一つで、武器を持った軍医長官と対峙するのですが――ここでのフロー役の谷原志音さんの歌の凄まじさときたら! まさしく全身全霊を叩きつけるようなその凄みは、生きている人間が歌い演じる姿をその場で観るという、観劇でしか味わえないものであったと断言できます。

 実は原作ではここで件の生霊要素が大きくクローズアップされるのですが、もし我々に生霊を見る力があったら、原作で描かれたようなものが見れたのではないか――というのは冗談としても、舞台では薄れていると感じた熱血要素を、全て補って余りある名場面だったというほかありません。


 厳しいことをいえば、フローが死を望む理由が弱いという印象は冒頭からつきまといました。また、ラストで見せた舞台ならではの展開のために、その前の「贈り物」の印象が薄れた感もあります。
 しかしその一方で、舞台上の演出や歌など、劇団四季ならではのレベルの高さを感じさせられる部分も多く(特に亡くなった人間の魂が抜ける場面は、遠目に見るとどうやって演じているのかさっぱりわからない凄さ)、ああいい舞台を見た、と満足できる内容であったのは間違いありません。

 原作の内容を踏まえつつも舞台としての特性を生かし、新たなミュージカルとして描いてみせた本作――終わってみれば原作ファンとしても納得の舞台でした。


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2024.09.26

劇団四季『ゴースト&レディ』(その一) 熱血と怪奇を薄れさせた物語!?

 劇団四季のミュージカル『ゴースト&レディ』を観劇しました。藤田和日郎の伝奇漫画『黒博物館 ゴーストアンドレディ』を原作としつつも、巧みな取捨選択によって新たな味わいを生み出したこの作品について、主に原作ファンの視点から感じた点を中心に紹介いたします。

 19世紀のロンドン、ドルリー・レーン劇場に長く住み着いている幽霊・グレイの前に現れた一人の令嬢。フローと名乗る彼女は、生前、決闘代理人だったというグレイに、自分を殺してほしいと願います。
 看護の道を志しながらも、家族の強い偏見と反対にあって生きる意味を失っていたフロー。彼女に興味を持ったグレイは、絶望の底まで落ちた時に殺すと約束するのでした。

 一度は死を覚悟したことで決意を固め、婚約者とも決別して、クリミア戦争の野戦病院に派遣される看護婦団の団長となったフローと、彼女について(憑いて)いくグレイ。
 しかし、現地で彼女を待っていたのは、軍人たちの非協力的な態度と、あまりに劣悪な環境に次々と命を落としていく負傷者たちの姿でした。それでもグレイの存在に支えられながら、フローは一歩一歩状況を改善していきます。

 そんな彼女の存在疎ましく感じた軍医長官ジョン・ホールは、次々と妨害を仕掛けてきます。それどころか、彼にもまた、ゴーストが憑いていたのです。その名はデオン・ド・ボーモン――名高い騎士にして、決闘で生前のグレイを殺した相手であります。
 ジョンとデオンに苦しめられながらも、フロー――フローレンス・ナイチンゲールは、次第にグレイとの間に絆と愛情を育んでいくのですが……


 クリミア戦争で「クリミアの天使」「ランプを持ったレディ」と呼ばれ、その後の看護教育の礎を築いたフローレンス・ナイチンゲール。そんあ彼女と、劇場に現れる灰色の幽霊の間の不思議なラブストーリーである本作は、冒頭に触れた通り、漫画が原作の作品です。
 原作は、ロンドンに実在する犯罪資料館「黒博物館」に秘蔵される品にまつわる奇譚を語る趣向のシリーズの一つですが、今回の舞台化に当たり、黒博物館の部分はスッパリとカット。もちろん物語の流れは原作を踏まえているのですが、特にクリミアに向かう以前のエピソードを中心に、枝葉をかなり整理した内容になっています。
(個人的には、原作には史実に忠実なあまり少々盛り上がりに欠ける部分や、逆に違和感を感じるアクションシーンもあったと感じていたので、この整理自体は大歓迎です)

 しかしそれ以上に原作と大きく異なるのは「生霊」の要素です。人間の強い負の感情が形になったこの生霊は、奇怪な姿でその人物の背後に立ち、時に周囲にまで与える存在なのですが――舞台ではキャラクターの影を変化させることでこれを表現しつつも、原作よりもその比重は大きく減らされています。
 そもそも、原作ではナイチンゲールもこの生霊を、それも相当に強力なものを背負っており、それが冒頭で彼女に死を願わせる理由となっていたのですが、この点から大きく異なることになります。

 もう一つ、原作ファンから見て大きく印象が異なるのは、物語全体を貫く熱血ものとしての空気感でしょう。元々、原作者は怪奇と熱血を最大の特徴かつ魅力とする作品を一貫して発表してきました。この原作もまた(他の作品よりは度合いは少なめではあるものの)、困難に全身全霊で立ち向かうフローと、軽口を叩きながらも彼女と己の誇りのために死闘に臨むグレイの姿を通じて、読んでいるこちらの体温が上がるような物語が描かれていました。
 その一方でこの舞台は、むしろフローとグレイのロマンスに焦点を当てることにより、大きくその印象を変える形となっています。

 いわば怪奇と熱血を、つまりは先に述べたように原作の特色を薄れさせた舞台。そんな印象を受けた第一幕を観た時点では、原作ファンとして戸惑いがなかったかといえば嘘になります。


 しかし、満を持して、と言いたくなるような姿でデオンが登場して第一幕が終わり、いよいよ物語が盛り上がっていく第二幕を観るうちに、なるほどこの舞台はこういう形で物語を解釈しているのか、と理解できました。

 それは――この続きは長くなりますので次回をご覧下さい。


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2024.09.24

決着「腸詰男」そして岩元の過去へ 椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第9巻

 特殊能力者たちを保護し、時にはその暴走を止めるべく奔走してきた陸軍栖鳳中学校の岩元先輩の戦いを描く『岩元先輩ノ推薦』の第九巻は、前巻に続く「腸詰男」との死闘から始まり、大能力者の力を得て暴走する腸詰男との決着が描かれます。そして巻の後半では、岩元の過去を知る男が……

 日本各地で家具や人形に封じ込められたバラバラの肉体を蘇らせる怪人「腸詰男」ブルストマン。触れたものを肉に変える能力を持つ彼の正体は、ドイツ軍の命を受けた能力者――かつてその能力を恐れた人々によりバラバラに封印された大能力者「十三夜の風」を復活させるべく来日した彼を止めるべく、岩元は総力戦を挑みます。

 佐々眼、淡魂をはじめとする能力者たちを結集し、ついにブルストマンに痛撃を与えた岩元。しかし「十三夜の風」の顔と片手を手にしたブルストマンは、なおも己の力を求めて暴れ続けます。
 能力を恐れられ、弾圧された過去から、その立場を逆転させようとするブルストマン。岩元は彼に対してまで保護の手を差し伸べようとするのですが――と、物語は少々意外な、しかし岩元のキャラクターを考えれば、ある意味当然の方向に展開していきます。

 しかし、岩元の理想を誰もが理解し、差し伸べた手を握り返すとは限りません。それを痛いほど感じさせながらも、思わぬところから現れたブルストマンの理解者の存在を描くことで、このエピソードは複雑な余韻を残して終わることになります。


 そして、いつもながらのお騒がせ男・原町が、墨使いの烏賊谷を引っ張り出して謎の「蹴鞠男」を追ったことが、中学校全体を巻き込む大騒動に発展していく短編エピソードを挟んで、物語は思わぬ方向に展開していくことになります。

 橘城先生から休暇を命じられ、ただ一人旅に出た岩元。彼が向かった先は、かつて対決した毒男――の娘・瑠璃が潜む地でした。
 毒男とその妻が、文字通りその身の全てを賭けて逃した瑠璃。彼女にとっては岩元は忌むべき追跡者ですが、岩元にとっては恩人ともいうべき男が遺した愛娘であり、最も守りたい相手にほかなりません。

 一瞬想いを交錯させたものの、再び別れることとなった二人。しかし瑠璃を、無数の奇怪な花が襲います。そこに現れたのは、異常に粘着質かつ常人には理解不能な理屈を振りかざす新たな能力者・能野愛生――彼に捕らえられた瑠璃を救うべく駆けつけた岩元は、相手を知って複雑な表情を見せます。
 実は二人は旧知の間柄、いやそれどころか岩元にとっては天敵同然の相手。それでも戦いを挑む岩元は、かつてない苦戦を強いられることになります。

 その強敵の正体は――なるほど言われてみれば、という「立場」の相手ではあるのですが、ここから物語は、岩元が「先輩」になる前の、彼が栖鳳中学校に至る前の過去に突入するようです。

 既に物語が始まった時点で「先輩」として登場し、その能力を自在に使いこなし、各地の能力者を中学校に「推薦」してきた岩元。しかし考えてみれば、誰が彼を「推薦」し、そこに至るまで何があったのかは、ほとんど語られてきませんでした。
 この巻では、まだその端緒についたばかりですが、これまでの物語から考えれば、彼自身がその能力に苦しみ、そして他の能力者に追われ、戦う姿が描かれるのでしょう。

 一方、岩元の側のストーリーが展開する一方で、物語には新たな勢力が登場します。栖鳳中学校そして岩元とは似て(?)非なる立場を取る彼らの目的は何なのか――あるいは岩元にとって、最大の敵が登場したのかもしれません。
 そしてその真相は、おそらく彼の過去にも繋がっているはず。次巻が待ち遠しい展開です。


『岩元先輩ノ推薦』第9巻(椎橋寛 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

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椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第5巻 怪奇現象と能力者と バラエティに富んだ意外性の世界
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第6巻 内臓なき毒男と彼らの愛の物語
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第7巻 四つの超常現象と仲間たちの成長
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第8巻 異国からの脅威 新たなる腸詰男!

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2024.09.22

ついに対面、やさぐれワトソンと詐欺師ホームズ!? 松原利光&青崎有吾『ガス灯野良犬探偵団』第4巻 

 ホームズといえば――というわけで、ついに登場したジョン・H・ワトソン。しかし本作らしく、彼も一筋縄ではいかない性格で、早速ホームズと早速衝突する一方で、二人は思わぬ事件に巻き込まれることになります。その頃、リューイたちは浮浪児たちの間に起きたある変化に気付くのですが――果たして両者を結ぶものとは?

 ある日、共通の知人の紹介でホームズの前に現れた曰くありげな男。彼を一瞥しただけで、戦場帰りの軍医と見抜いたホームズですが、彼はそんなホームズの言葉を信じようとせず……
 と、前巻のラストでついに登場したワトソン。ホームズが初対面でアフガニスタン云々と指摘するのはホームズ譚のお約束(?)ですが、ホームズが自分のことを当てたのは、何かのペテンだと決めてかかるワトソンというのは、本作らしい斬新な味付けでしょう

 そんなこんなでホームズのことを詐欺師だと見なしつつ道案内を頼んだワトソンですが、その途中で二人はレストレードと出会います。女性の親指だけが路上で見つかったという彼の言葉から、たちどころに真相を見抜くホームズですが、その内容を聞いたワトソンは血相を変えます。実は、彼が道案内を頼んだ理由とは、そこである女性を訪ねるためだったのですから。

 一方、リューイたちは、ベイカー街の浮浪児たちが急に羽振りが良くなったことに気付きます。その原因が、パディントン駅の裏に現れて銀貨を配る「お金配りおじさん」だと知るリューイですが、彼はすぐにその銀貨に隠された秘密に気付くのでした。

 路上の女性の親指と、お金配りおじさん。一見無関係な両者は、やがて思わぬ形で結び付くことになります。そしてその中で、リューイは一つの選択を迫られることに……


 ホームズ譚でありながら、これまでワトソンが不在だった本作に、ついに登場したかの人物。しかし、従来ワトソンは良識的な紳士のイメージが強かったのに対し、本作の彼は、戦場帰りのちょっと荒っぽい、やさぐれ気味の男というのがユニークです。
 しかしやさぐれていても心は紳士、そもそも彼がベイカー街を訪れたのは、戦友の遺志のためで――と、そんな彼のキャラクターが、事件に巻き込まれる理由になっているのも巧みです。
(巧みといえば、ここで原典のあの事件を使うか!? というの趣向にも感心)

 そして本作の特徴であり魅力であるリューイとホームズの二重推理も健在ですが、それ以上に目を惹くのは、リューイがある選択を迫られるくだりでしょう。
 事件の真相を暴けば、いま浮浪児たちが得ている幸せが失われてしまう。しかし黙っていれば、人の命が失われてしまう――その間で悩むリューイと、彼に対して一つの問を投げかけるホームズの姿には、物語が始まった時には想像もつかなかった、ある種の絆が感じられます。
(エピソードの中で、本作で出るとは思えなかった原典の台詞が、少し形を変えて引用されかけるのも嬉しい!)

 正直なところ、仲間たちに加えて、ワトソンまでが登場するとなると、必然的にリューイの存在感が薄れてしまうことになりかねません。しかし、作中でジエンが語るように、リューイはこの物語において「道を選ぶ」という重要な役割を担っているのでしょう。
 そして紆余曲折を経て、めでたく(?)同居に至ったホームズとワトソンですが、何やらワトソンには明かせぬ秘密がある様子。この先、それが明かされた時でも、リューイが大きな役割を果たすのではないか――そう感じます。
(といいつつ、今回のエピソードは、ラストまでワトソンが完全に攫っていった感は強いのですが)


 さて、アビーとハドソン夫人の色々温まる単発エピソードに続いて描かれるのは、既に死亡推定時刻を過ぎた時間に、被害者と出会った人間がいるという、奇怪な首なし殺人事件であります。
 事件の奇怪さもさることながら、「えっ、ここで出すの!?」と言いたくなる被害者の名前や、ここに来て再び物語に絡むジエンが所属していた中国マフィアの存在が、否応なしに不穏さを高めます。

 そしてラストには、ついにあの人物の名前が――というところで次巻に続く物語。今のところ必然的にジエンが物語の中心となっており、またもやリューイの出番が少ないのが気になりますが、最後に決めてくれるのは彼だと信じて、次巻を待ちましょう。


『ガス灯野良犬探偵団』第4巻(松原利光&青崎有吾 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

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