2025.01.05

明治に生きる新撰組――原田・斎藤・山崎は誠を貫けるか!? 矢野隆『至誠の残滓』

 主役になることは少ないものの、新撰組では人気者の一人である原田左之助。本作は、幕末を生き延びていた原田をはじめ、明治の世を生きる新撰組隊士三人を描くハードボイルドタッチの物語です。原田、斎藤一、そして山崎烝(!)――もがきながらもそれぞれの誠を求める三人の向かう先は!?

 東京の片隅にある古物屋「詮偽堂」――その主人・松山勝の正体は、幕末に上野で戦死したはずの元新撰組十番組組長・原田左之助。病身の妻を抱える原田は、高波梓の名でやはり密かに生き延びていた山崎烝と時に酒を酌み交わしながら、静かに暮らしていたのですが――そこにもう一人の元新撰組隊士が現れます。
 それは、かつて三番組組長であり、今は警官となっている藤田五郎こと斎藤一。新撰組時代から斎藤と反りの合わなかった原田は邪険に扱おうとしますが、妻の薬代のため、長州閥と結んで悪事を働く士族の調査を引き受けることに……


 この表題作から始まる本作は、原田・山崎・斎藤の三人が主人公を務める全七話の連作集として構成されています。明治の新撰組といえば、今では即、斎藤一が連想される(次点で永倉新八)わけですが、その斎藤だけでなく、原田と山崎が登場するというのがユニークな点です。
 原田といえば、上野戦争で戦死せずに生き延び、満州に渡って馬賊となったという巷説のある人物だけに、明治以降に登場する作品は皆無ではないのですが――山崎は非常に珍しいといえます。彼については死亡の記録がしっかり残っているだけに、実は生きていたというのは難しいのですが、そこは本作独自の理由を設定している点が面白いところです。

 さて、こうして明治の世に姿を現した新撰組隊士三人ですが、それぞれ実に「らしい」キャラクターとして描かれているのが嬉しくなります。
 難しいことを考えずに直情径行で突っ込む原田、冷徹で非情に見えて内に熱い信念を持つ斎藤、荒事は苦手だけれども監察で鍛えた人間観察眼を持つ山崎――それぞれのキャラクターは決して斬新というわけではありませんが、それだけに納得のいく言動には、新撰組ファンであれば必ずや満足できるでしょう。


 しかし、本作の舞台となる明治11年から18年においては、彼らが活躍した時代は既に過去のものです。それどころか、幕末での新撰組に恨みを持つ者が新政府にも少なくない状況で、かつての自分の名を名乗ることもできず(特に死んだはずの二人は)、彼らは新たな名でそれぞれの生活を営んでいるのです。

 そんな中で、果たして彼らはかつての誠の志を抱いて、生きていくことができるのか――本作はそれを鋭く問いかけるのです。

 特に中盤以降、斎藤そして山崎は、ある人物に絡め取られてその走狗として生きることを余儀なくされます。その人物とは山縣有朋――長州出身の軍閥の首魁ともいうべき男であり、後には元老として絶大な権力を振るった存在です。
 当然というべきか、この時代を描くフィクションでは悪役になることの多い山縣ですが、本作においてもそれは同様――斎藤たちを操り、数々の陰謀を巡らせる、何を考えているのか山崎にすら読ませない不気味な存在として、作中に君臨するのです。

 この明治政府の闇の象徴ともいうべき存在を前にしては、所詮は一人の人間である斎藤も山崎も、無力な存在に過ぎません。それでも己の中の誠と折り合いをつけ、この時代を生き延びようとする彼らの戦いは何ともドライかつ重く、それが本作のハードボイルドな空気を形作っています。

 果たしてこの山縣の闇に、原田までもが飲み込まれてしまうのか。そして彼らはかつての誠を失い、走狗として死ぬまで戦い続けることになるのか……
 それでも山縣が企む最後の陰謀に対して意地を見せる三人ですが――そんな緊迫感溢れる終盤において、読者は本作を誰が書いたのか、改めて思い知らされることになります。

 作者はデビュー作の『蛇衆』以来、様々な形で「戦う者」「戦い続ける者」を描いてきました。
 見ようによってはやり過ぎに感じられるかもしれない本作のクライマックスは、しかしそんな作者のまさしく真骨頂。あまりにも作者らしい展開であり、そしてその先に待ち受ける結末とともに、新撰組ファン、そして作者のファンとしては、思わず笑顔で頷いてしまうのです。

 たとえ時代が変わっても、一度は己を殺すことになっても、決して消えない、変わらない――そんな熱い想いを持った男を描いた快作です。

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2024.12.31

2024年に語り残した歴史時代小説(その二)

 今年まだ紹介できていなかった作品の概要紹介、後編です。

『了巷説百物語』(京極夏彦 KADOKAWA)
 ついに登場した『巷説百物語』シリーズ完結編は、長い間待たされた甲斐のある超大作。千代田のお城に巣食っているでけェ鼠との対決は思わぬ方向に発展し、壮絶な決着を迎えることになります。

 そんな本作の魅力は、何と言ってもオールスターキャストでしょう。山猫廻しのお銀や事触れの治平ら、お馴染みの化け物遣いの面々に加えて、西のチームや算盤の徳次郎が集結――その一方で化け物遣いと対峙する存在として、嘘を見破る洞観屋の藤兵衛、化け物を祓う中禅寺洲斎が登場、さらに謎の悪人集団・七福連も登場し、幾重にも勢力が入り乱れた戦いが繰り広げられます。

 とにかく、過去の登場人物や事件まで全てを拾い上げ、丹念に織り上げた物語は大団円にふさわしい本作ですが、その一方で過去の作品の内容と密接に関わっている部分もあり、単独の作品として読む場合にはちょっと評価が難しいのは否めないところでもあります。


『円かなる大地』(武川佑 講談社)
 アイヌを題材とした作品といえば、その大半が明治時代以降を舞台としていますが、本作は戦国時代というかなり珍しい時期を題材に、その舞台だからこその物語を描いてみせた雄編です。

 些細なきっかけから、蝦夷の戦国大名・蠣崎家から激しい攻撃を受けることとなったシリウチコタンのアイヌたち。悪党と呼ばれるアイヌ・シラウキによって人質にされた蠣崎家の姫・稲は、女性たちをはじめアイヌに対してあまりにも無惨な所業に出る和人を止めるため、ある手段に出ることを決意します。
 しかし、籠城を続けるシリウチコタンが保つのは十五日程度、その間に目的を果たすべく、稲姫とシラウキを中心に、国や人種の境を越えた人々が集い、旅に出ることに……

 戦国時代の一つの史実を題材に、アイヌと和人の間で悲惨な戦いを避けるべく奔走した人々を描く本作。作中でアイヌが置かれた状況のあまりの過酷さに重い気持ちになりつつ、主人公たちが目的を達成できるよう、これほど感情移入して応援した作品はかつてなかったと思います。

 しかし本作は、単純にアイヌと和人を善悪に分けるのではなく、そのそれぞれの心に潜むものを丹念に描いていきます(悪役と思われた人物の思わぬ言葉にハッとさせられることも……)。
 作者はこれまで、戦国ものを描きつつも、武器を取って戦う者たちの視点からではない、また別の立場から戦う者の視点から物語を描いてきました。本作はその一つの到達点と感じます。


『憧れ写楽』(谷津矢車 文藝春秋)
 ここからは最近の作品。来年の大河ドラマの題材が蔦屋重三郎ということで、蔦屋だけでなく彼がプロデュースした写楽を題材とする作品も様々に発表されています。

 その一つである本作は、写楽の正体は斎藤十郎兵衛だけではない、という当人の言葉を元に、老舗版元の若き主人である鶴屋喜右衛門が喜多川歌麿と共にその正体を追う時代ミステリですが――しかし謎を追う過程で喜右衛門がぶつかるのはどこか我々にも見覚えのある「壁」や「天井」です。
 それだけに重苦しい展開が続きますが、だからこそ、その先に描かれる写楽の存在に託されたものが胸に響きます。


『イクサガミ 人』(今村翔吾 講談社文庫)
 Netflixで岡田准一主演で映像化という、仰天の展開が予定されている『イクサガミ』。当初予定の三作では終わりませんでしたが、しかし三作目の本作を読めば、いいからまだまだやってくれ! と言いたくもなります。
 いよいよ「蠱毒」も終盤戦、東京に入れるのは十名までというルールの下、残り僅かな札を求めて強豪たちが集結――前半の島田宿では、まだこれほどの使い手がいたのか! と驚かされるような面子が集結し、激闘を展開します。
 その一方で、主催者側の隠された意図もちらつきはじめ、いよいよ不穏の度を増す戦いは、東京を目前とした横浜でクライマックスを迎えます。文字通り疾走感溢れる決戦の先に何が待つのか――来年刊行される最終巻には期待しかありません。

 最後にもう一作品、『篠笛五人娘 十手笛おみく捕物帳 三』(田中啓文 集英社文庫)については、近々にご紹介の予定ですので、ここでは名前のみ挙げておきます。

それでは良いお年を!

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2024.12.30

2024年に語り残した歴史時代小説(その一)

 今年も残すところあと二日。こういう時は一年の振り返りを行うものですが――既に読んでいるにもかかわらず、まだ紹介していない作品が(それも重要なものばかり)かなりありました。そこで今回は二日に分けてそうした作品に触れていきたいと思います。(もちろん、今後個別でも紹介します……)

『佐渡絢爛』(赤神諒 徳間書店)
 いきなりまだ紹介していなかったのか、と大変恐縮ですが、今年二つの賞を取り、年末のベスト10記事でも大活躍の本作は、その評判に相応しい大作にして快作です。

 元禄年間、金鉱が枯渇しかけていた佐渡で、謎の能面侍による連続殺人が続発。赴任したばかりの佐渡奉行・荻原重秀は、元吉原の雇われ浪人である広間役に調査を一任し、若き振矩師(測量技師)がその助手を命じられることになります。水と油の二人は、衝突しながらもやがて意外な事件のカラクリを知ることに……

 と、歴史小説がメインの作者の作品の中では、時代小説色・エンターテイメント色が強い本作ですが、しかし作者の作品を貫く方向性はその中でも健在です。何よりも、ミステリ・伝奇・テクノロジー・地方再生・青年の成長といった様々な要素が、一つの作品の中で全て成立しているのが素晴らしい。
 「痛快時代ミステリー」という、よく考えると不思議な表現が全く矛盾しない快作です。


『両京十五日 2 天命』(馬伯庸 ハヤカワ・ミステリ)
 今年のミステリランキングを騒がせた超大作の後編は、前編の盛り上がりをさらに上回る、まさに空前絶後というべき作品。明朝初期、皇位簒奪の企てを阻むため、南京から北京へと急ぐ皇太子と三人の仲間たちの旅はいよいよ佳境に入る――というより、上巻ラストの展開を受けて、三方に分かれることになった旅の仲間たちが、冒頭からいきなりクライマックスを繰り広げます。

 地位や身の安全よりも友情を取るぜ! という男たちの侠気が炸裂したかと思えば、そこに恐るべき血の因縁が絡み、そして絶対的優位な敵に挑むため、空前絶後の奇策(本当にとんでもない策)に挑み――と最後まで楽しませてくれた物語は、最後の最後にそれまでと全く異なる顔を見せることになります。
 そこでこの物語の「真犯人」が語る犯行動機とは――なるほど、これは現代でなければ描けなかった物語というべきでしょう。エンターテイメントとしての魅力に加えて、深いテーマ性を持った名作中の名作です。


『火輪の翼』(千葉ともこ 文藝春秋)
 『震雷の人』『戴天』に続く安史の乱三部作の完結編は、これまで同様に三人の男女を中心に描かれた物語ですが、その一人が乱を起こした史思明の子・史朝義という実在の人物なのもさることながら、前半の中心となるのがその恋人である女性レスラー(!)というのに驚かされます。

 国の腐敗に対し、父たちが起こした戦争。しかしそれが理想とかけ離れた方向に向かう中、子たちはいかにして戦争を終わらせるのか。安史の乱という題材自体はこれまで様々な作品で取り上げられていますが、これまでにない主人公・切り口からそれを描く手法は本作も健在です。

 ただ、歴史小説にはしばしばあることですが、結末は決まっているだけに、主人公たちの健闘が水の泡となる展開が続くのは、ちょっと辛かったかな、という気も……


『最強の毒 本草学者の事件帖』(汀こるもの 角川文庫)
『紫式部と清少納言の事件簿』(汀こるもの 星海社FICTIONS)
 前半最後は汀こるものから二作品を。『最強の毒』は、偏屈者の本草学者と、男装の女性同心見習いが数々の怪事件に挑む――というとよくあるバディもの時代ミステリに見えますが、随所に作者らしさが横溢しています。
 まず表題作からして、これまで時代ものではアバウトに描かれてきた「毒」に、本当の科学捜査とはこれだ! とばかりに切込むのが痛快ですらあるのですが――しかし真骨頂は人物造形。作者らしいセクシャリティに関わる目線を随所で効かせた描写が印象に残ります(特にヒロインの男装の理由は目からウロコ!)

 一方、後者は今年数多く発表された紫式部ものの一つながら、主人公二人の文学者としての「政治的な」立場を、ミステリを絡めて描くという離れ業を展開。フィクションでは対立することの多い二人を、馴れ合わないながらも理解・共感し、それぞれの立場から戦うシスターフッドものの切り口から描いたのは、やはりさすがというべきでしょう。


 以下、次回に続きます。

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2024.12.26

列車砲を輸送せよ! 軍事冒険小説にしてロードノベルの快作 野上大樹『ソコレの最終便』

 かつて霧島兵庫の筆名で作品を発表してきた作者による本作は、今年の細谷正充賞受賞作の一つにして、終戦直前の満州を舞台に特命を受けて駆ける装甲列車を描く軍事冒険小説です。ソ連軍が迫る中、七日間で二千キロ先の地まで巨大列車砲を輸送する「ソコレ」に乗った者たちの死闘が繰り広げられます。

 昭和二十年八月九日、日ソ中立条約を破棄して満州国に侵攻を開始したソ連軍。その大混乱の中、田舎町・牡丹江に駐屯していた朝倉九十九大尉率いる一〇一装甲列車隊「マルヒト・ソコレ」に、関東軍総司令官直々の特命が下ります。
 特命――それは、輸送中に空襲を受けて国境地帯で立ち往生してしまった日本軍唯一の巨大列車砲を回収し、本土防衛に用いるため大連港に送り届けよ、というものでした。

 部隊の部下たちとともにただちに現地へ急行し、列車砲と砲兵隊に合流した九十九。しかし本当の苦難の道のりはそこから始まります。
 日本への輸送船が出航するのは七日後――それまでに、T34戦車部隊を擁するソ連軍の猛攻が続く中、大連へと辿り着かなければならない。しかも、往路の橋が敵の侵攻を防ぐために落とされたため、北へ、西へと、実に二千キロの迂回路を取らなければならないのです。

 既に製造から二十年が経過した老ソコレに鞭打ちながら進む一行。その道中では、エリート軍医や老整備士、避難民の赤ん坊までも加わりながら、大連を目指します。悲惨な戦場を突破するたびに仲間を次々と失い、人も機械も傷ついていく旅路の果てに待つものは……


 十九世紀後半に実用化され、第二次世界大戦まで特に欧州を中心に運用された列車砲。鉄路さえあれば迅速に移動可能な超遠距離砲台という魅力的なコンセプトは、しかしその射程以上の航続距離を持つ航空戦力の発達や弾道ミサイル等の登場による巨砲兵器の退潮、運用に必要な人員と物資の多さ――そして何よりも、鉄路がなければ移動が不可能という致命的な欠点により、急速に歴史の表舞台から消えていきました。
 その点では(このような表現が適切かはわかりませんが)、列車砲は一種のロマン兵器であり、鉄路に輸送を依存する時代を過ぎて消えていった(しかしその名前の物々しさが印象に残る)装甲列車ともども、時代の徒花という印象が強くあります。だからこそ、本作のような物語の「主役」に相応しいとも言えるでしょう。

 本作は、日本軍がその列車砲――九〇式二四センチ列車カノンを満州の虎頭要塞に配備していたという史実を背景としつつ、ソ連軍の猛攻を掻い潜って目的地を目指す軍事冒険小説にして、鉄路という鉄道の制約を活かしたロードノベルの快作です。

 軍事冒険小説――特に不可能ミッションものの魅力といえば、不可能と評される状況の過酷さ、そしてそれに挑む主人公と仲間たちの個性と奮闘ぶりでしょう。その点、本作は列車という多くの人間が乗り合わせるという舞台設定ならでは多士済々ぶりが魅力の一つといえます。
 重い過去を背負いながらも諧謔味を見せる主人公・九十九を初め、「仏」と呼ばれる専任曹長、明朗で生真面目な偵察警戒班班長、随所でエネルギッシュに活躍する砲兵少尉といった軍人たち。それだけでなく、人類愛に燃える若き看護婦や、ある理由で人生を投げ出した整備の名人など、本来であればこの場に居合わせなかったであろう人々が列車という限られた空間の中で織りなす群像劇が展開されます。

 物語の中では、痛快な戦果といったものはほとんどなく、目を覆いたくなるような悲惨な戦禍が数多く描かれます。しかし、それだからこそ、極限の状況下で顕れる(本作の場合は主に善き)人間性が一際印象に残るのです。

 また、本作では、主役であるソコレが中盤で――というサプライズや、クライマックスで繰り広げられるソ連軍との決戦の構図など、戦争ものとして新しいアイディアが盛り込まれているのも目を引くところです(特に前者については、作者の世代的にある意味当然のようにたどり着いたアイディアなのではないかと想像します)。


 しかしその一方で非常に残念なのは、物語の展開がわかり易すぎる点です。この舞台で研究者肌の軍医が登場すればアレの関わりだな、といった具合に、このジャンルに触れたことがある読者であれば容易に予測できてしまう要素や、ここでこれが描かれたということは後で意味を持つな、というように伏線があまりにも明白な部分(先述のサプライズも、正直なところ予想の範囲内ではありました)など――物語展開の意外性に乏しいために、本作が類型的な内容に見えてしまうのは、勿体ないとしか言いようがありません。

 冒頭で触れたように、本作は作者が単行本化に際して筆名を改め、心機一転を図った一作。それだけに、文句のつけようのない作品を期待したかったというのは、厳しすぎる評価かもしれませんが、偽らざる心境でもあります。
(霧島兵庫名義で発表された『信長を生んだ男』などもよくできていただけに……)


『ソコレの最終便』(野上大樹 ホーム社) Amazon

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2024.12.24

クリスマス・イブ特別編 マンリー・ウェイド・ウェルマン「山にのぼりて告げよ」

 今日はクリスマス・イブですが、毎年この時期になると読み返したくなる物語があります。それはマンリー・ウェイド・ウェルマンの「銀のギターのジョン」シリーズの一つ「山にのぼりて告げよ」。主人公のジョンがクリスマスの日に子どもたちに語る、ちょっと不思議で心温まる物語です。

 米国のホラー/SF作家であるウェルマンのシリーズキャラクターの一人・銀のギターのジョンは、通り名そのままに、銀の弦を張ったギター片手に、アパラチア山脈を中心に放浪する歌うたいの男。そんな風来坊のジョンを主人公とした連作では、彼が様々な超自然的な出来事や怪物、魔術と遭遇し、それを切り抜けていく様が描かれています。

 このジョンの物語は、作者が実際に収集した舞台となる地方の民間伝承をはじめとして、土着の文化風俗が巧みに散りばめられていて、一種のフォークロア・ホラーというべき味わいがあるのですが――それと同時に、楽天的なジョンのキャラクターと語りが生むユーモラスな空気、そして人間の善性に対する目線が物語に大きな温かみを与え、ホラーだけれどもホッとさせられるという、不思議な味わいが実に魅力的なシリーズです。
(もう一つ、SF的なアイディアが時折スッと投入されているのも楽しい)

 本シリーズについてはいずれまとめて取り上げたいと思いますが、今回紹介する「山にのぼりて告げよ」は、ジョンが直接遭遇した怪異を描くのではなく、あるクリスマスのお祝いに招かれた彼が、子どもたちに知り合いから聞いた出来事を語るという、シリーズの中では少々変わったスタイルの物語です。
 そのため、厳密にはメインとなる内容はクリスマスの出来事ではないのですが――しかし内容的に、クリスマスに語るのにこれほどふさわしいものはない物語です。


 かつては仲の良い隣人であったものの、ちょっとしたことが重なるうちに、決定的に仲違いしてしまったアブサロム氏とトロイ氏。そんな関係を象徴するように、土地の境界に深い溝を掘ったトロイ氏に対して、アブサロム氏がある対策を考えていた時――彼の前に、工具箱を担いだ一人の男が現れます。
 流しの大工だと名乗るその男に対してアブサロム氏が依頼したのは、溝に沿った自分の土地の側に柵を立てること。男は晩飯時までには喜んでもらえる結果が出せると請け負い、作業を始めます。

 そこにやって来たのは、以前荷車に足を轢かれて以来、歩くのに松葉杖が必要なアブサロム氏の息子。好奇心旺盛な彼は見知らぬ男に話しかけ、男の方も聞いたこともないようなたくさんの物語を語り、二人はあっという間に仲良くなります。

 そして、夕方に再びやって来たアブサロム氏がそこで見たものは……


 はたして大工の男が作ったものは何だったのか、そして男は何者なのか――それは読んでのお楽しみですが、内容的には非常に寓話的な本作は、しかしジョンという語り手の口を通すことで(作中、時折聞き手の子どもたちの合いの手が入るのも微笑ましい)、軽妙で、そして同時に強く胸を打つ物語となっています。
 特に終盤、「彼」と我々との関わりについて語る一文は実に感動的で、恥ずかしながら何度読んでも目に涙が浮かびます。

 クリスマスは元々は一宗教の行事、そして今では商業的年中行事に過ぎず、そこで愛と平和を祈るのは、儚く無意味なことで、偽善的ですらあるかもしれません。それでも、これだけクリスマスを祝い、喜ぶ人々が世に溢れているのは、心の何処かでクリスマスが象徴する善きものを信じ、期待しているからではないでしょうか。
 そう考えてしまうのは少々センチメンタルに過ぎるかもしれませんが、今日くらいはそんな善意を信じてもいいのではないか――これはそんなとこを考えさせる物語です。


 ちなみに本作が収録された「銀のギターのジョン」ものの短編集『悪魔なんかこわくない』(国書刊行会)は残念ながら絶版のようですが、図書館などではよく見かけますし、その他にも英語のテキストも公開されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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2024.12.17

助産師と陰陽師、新たな命のために奮闘す 木之咲若菜『平安助産師の鬼祓い』

 古今東西を問わず、新しい命のために心身を振り絞る一大事である出産。本作は、平安時代を舞台にその出産を助ける助産師を主人公とした、第6回富士見ノベル大賞入選作です。産神の祝福を授ける助産師の異名を持つ少女・蓮花が、青年陰陽師・安倍晴明と共に難事に挑みます。

 関わるお産は安産になることから、年若いものの「産神の祝福を授ける助産師」と周囲から呼ばれる典薬寮管轄の「助産寮」所属のの助産師・蓮花。実は彼女は、生まれつき体の内外に蠢く微細な「鬼」が視える特異体質の持ち主でした。
 そんな彼女は、あるお産で、妊婦に巣食った鬼に手を焼き、祈祷の手伝いに来ていた陰陽師の青年――安倍晴明に助けを求めたことをきっかけに、彼と知り合うのでした。

 そんなある日、蓮花はその評判を買われ、異例の抜擢を受けることになります。帝の子を宿した女御――右大臣藤原師輔の娘・安子の出産の担当として、彼女は指名されたのです。
 ただでさえ気性が激しいと噂される上に、その直前に師輔のライバルである中納言・藤原元方の娘が男児を出産し、プレッシャーに悩む女御。しかしその姿を垣間見た蓮花は、女御を心身ともに支えることを改めて誓います。

 そんな中、宮中で鬼を操る怪しげな男を目撃し、彼が女御に害意を抱いていると知る蓮花。自分の力の秘密を見抜き、晴明の過去をも知るらしいその男に対するため、蓮花は晴明に助けを求めます。
 しかし謎の男の邪悪な罠は蓮花に迫り、彼女は思わぬ窮地に……


 最近の中華風/和風ファンタジーのトレンドの一つと言ってもよいと思われる後宮医術もの。様々な意味で題材に事欠かない後宮を舞台としつつ、お仕事小説的な色彩を与えられる(そして過度に性愛的な要素を避けられる)点が理由かと思いますが――それはさておき、本作もその系譜にある作品といえます。

 しかし本作の特にユニークな点が、その医術が産科であることなのは言うまでもないでしょう。子供を産むという後宮の最も重要な役割に密着しながらも、物語の主役として描かれることは少ない、お産を助ける存在をメインに据えることで、本作は独自のドラマ性を――出産そのものの困難さに立ち向かう主人公の奮闘と、皇位に関わる赤子の出産を巡る陰謀劇を、並行して描くことに成功しています。

 そして本作がさらにユニークなのは、主役級のキャラクターとして安倍晴明が登場していることからわかるように、本作が「和風」の異世界ではなく、史実を背景にしていることでしょう。
 もちろん、史実には平安時代に助産師という役職はなかったわけで、その点は大きなフィクションではあります。しかしそこは物語の根本を支える大きなifと考えるべきでしょう。
(なにより、陰陽寮の陰陽師がいるのだから助産寮の助産師がいても、というのには妙な説得力があります)


 しかし本作が魅力的なのは、設定や物語展開の妙もさることながら、主人公である蓮花のキャラクターにあると感じます。
 生まれつき人間の体内の「鬼」を見ることができるという異能を持ちながらも、それに頼るのではなく、自分の仕事への熱意で――かつて経験した悲しい出来事を背負い、無力であった自分を乗り越えるために、そして何よりも同じ悲しみを感じる人を一人でも減らすために、彼女は助産師として奮闘します。
 そんな彼女の真っ直ぐな部分は、一歩間違えれば息苦しくなりかねないところですが、適度に抜けた部分を描く筆も相まって、素直に共感できる、思わず応援したくなるキャラクター造形になっていると感じます。

 そしてそんな彼女に興味を抱き、力を貸す晴明のキャラクターも、他の作品のそれとは異なる独自の設定なのですが、蓮花の人物像と共鳴し合い、本作ならではのハーモニーを生み出しています。

 なお、本作に登場する「鬼」は、いってみえば人を病にするという「疫鬼」に近いものなのですが、描写的にはむしろウィルス的な存在なのがユニークです。
 そのため、蓮花の対処も、むしろ衛生的なそれであったり、陰陽師たちの鬼を祓う術がウィルスごとに違うワクチンを用意することを思わせるものである点に不思議な説得力があり、面白いところです。


 というわけで、類作が多い題材を用いつつも、独自の設定とストーリー展開、好感の持てるキャラクター像が印象的な、完成度の高い本作ですが――これが作者のデビュー作であることには驚かされます。

 時代背景的にもまだまだ様々な題材が考えられるだけに、ぜひ続編にも期待したいところです。


『平安助産師の鬼祓い』(木之咲若菜 富士見L文庫) Amazon

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2024.12.14

武侠ものの何たるかと原作の掘り下げと 分解刑『東離劍遊紀 下之巻 刃無鋒』

 TVシリーズ第四期もいよいよクライマックスの『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』、その第一期のノベライズの下巻が本書です。神誨魔械・天刑劍を巡り繰り広げられる「義士」たちと玄鬼宗の戦いは、七罪塔を舞台にいよいよ激化。その中で、それぞれの秘めた思惑が明らかになっていきます。

 かつて魔神・妖荼黎を滅ぼした天刑劍を我が物にせんとする玄鬼宗首領・蔑天骸に、兄をはじめ一族を皆殺しにされた少女・丹翡。彼女は謎の美青年・鬼鳥の助けで、風来坊・殤不患と鬼鳥の下に集った「義士」たちと共に、蔑天骸の根城・七罪塔に向かいます。
 しかし七罪塔に至るまでには、亡者の谷・
傀儡の谷・闇の迷宮の三つの関門があります。ところがこれを突破するために集められたはずの仲間たちは実力を発揮せず、一人で戦わされた上に嘲りを受けた殤不患は激怒し、一人別の道を選びます。

 その後を追ってきた丹翡と鬼鳥と共に、一足早く七罪塔に足を踏み入れた殤不患ですが、そこで鬼鳥の裏切りを知ることになります。さらに捕らわれた殤不患と丹翡の前に現れた狩雲霄から、鬼鳥の正体が東離にその名を轟かせる大怪盗・凜雪鴉であり、全ては天刑劍を奪うための企てだと知らされて……


 上巻が舞台設定の説明と「義士」たちの集結を描くものであったとすれば、下巻はいよいよ彼らが玄鬼宗の本拠地に乗り込み、激闘を繰り広げる――と思いきや、その予想を裏切るような意外な展開が連続します。

 確かに癖は強く単純な正義の味方ではないものの、頼もしい味方と思われた「義士」の面々は、様々な形で殤不患そして丹翡を裏切り、それどころか全ては凜雪鴉の奸計であったと明かされる始末。我々読者も振り回しながら、物語は悪党同士の騙し合いへと突入していきます。
 これはもちろん原作(人形劇)のままではありますが、改めて見ても展開の皮肉さ、ドライさは強烈で、この辺りの味わいは、ある意味実に原作者らしいといえるでしょう。

 しかし、そんな悪党ばかりの渡世だからこそ、その中で正しきものが輝くのもまた事実。殤不患の侠気、丹翡の清心、捲殘雲の熱血――この三人の姿は、大きな試練に遭ってさらに光を増すことになります。
 特に上巻でも描写が大幅に補強されていた丹翡と捲殘雲は、この下巻において、さらに丹念にその心の動きが描かれます。江湖の何たるかを知らずにいた丹翡と、江湖に理想を抱いていた捲殘雲。この二人が江湖の現実にぶつかり、打ちのめされ、しかしそこで互いに通じるものを見つけ、手を携えて立ち上がる――それは、そのまま二人の人間としての成長の過程であり、そしてラストで描かれる二人の姿に大きな説得力を与えています。

 そしてそんな二人の前に巨大な背中を見せて立つ真の好漢、傷の痛みも患わず、謀られてなお笑う奴――誰もが親指を立てて讃えたくなる痛快無比な殤不患は、「武侠」という概念を人間の姿にしたとすら感じられます。
(ちなみに本作からは、生き様という点では、殤不患と凜雪鴉が根を同じくする一種のあわせ鏡であることに気付くのですが……)

 上巻の紹介で、本作は悪党たちを描くことにより、逆説的に「武侠」という概念の何たるかを描くものではないかと書きましたが、その予感は間違っていなかったと感じます。
 本作は見事に武侠ものの味わいを再現した文章のみならず、マニアであってもなかなか説明しにくい、「武侠」の精神を浮き彫りにしてみせた――武侠ものに初めて触れる者(そしてそれは丹翡と捲殘雲の視点に重なることは言うまでもありません)にとって、その何たるかを示した、一種の入門書とすら言えるのではないでしょうか。


 さて、本作を楽しめるのは、そんな武侠ものに、そして『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の世界に初めて触れる読者だけではもちろんありません。特に終盤の展開は、既に作品をよく知るファンにとっても新鮮に楽しめるものとなっています。
 その中でも、実は作中でその人物像があまり掘り下げられなかった、ある登場人物の過去について語られる意外な真実は、その描かれるシチュエーションも含め必見です。

 そして原作とは全く異なる展開を辿るラストバトルも――原作の野放図で豪快極まりない結末も素晴らしいのですが、本作のそれは、あくまでも剣を振るう者は人間であることを示すものとして、納得のいくものといえるでしょう。(少々描写がわかりにくいきらいはありますが)

 武侠ものの何たるかを、作品を通じて無言のうちに示すとともに、原作の物語世界そのものを大きく掘り下げてみせる――ノベライズという媒体の中でも最良のものの一つである、というのは褒め過ぎかもしれませんが、偽らざる心境でもあります。


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『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』 第12話「切れざる刃」
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』 第13話「新たなる使命」(その一)
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』 第13話「新たなる使命」(その二) と全編を通じて

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2024.12.12

正義の快速船、いま出航! 早川隆『幕府密命弁財船・疾渡丸 一 那珂湊 船出の刻』

 海に囲まれている国を舞台としつつも、さほど多くはない海を舞台とした歴史時代小説。その中に快作が加わりました。江戸時代を舞台に、諸国を旅しながら、各地の湊の平和を守ることを目的とした快速弁財船と、その個性豊かな乗組員たちの活躍を描くシリーズの開幕です。

 江戸時代は慶安年間、父を海で亡くして孤児となり、寺で暮らす那珂湊の少年・鉄平は、湊の河口近くで高い塀に囲まれた造船所に興味を持ちます。そこで秘密の船を建造していると考えた鉄平は、海への強い憧れから、建造を差配する船大工の頭領・岩吉に直訴し、炊として現場で働くことになるのでした。

 実はここで造られていた弁財船こそは、商船を装って諸国を旅し、湊の平和を乱すものたちを摘発する幕府の密命を帯びた弁財船――様々な新技術を導入した快速船・疾渡丸。幕府の隠密としてこの任に当たる仁平、そして彼にスカウトされた凄腕の船頭・虎之介ら、いずれも一芸に秀でた者たちを迎えて、疾渡丸はついに完成の日を迎えます。

 その一方、那珂湊を牛耳る商人・坂本屋嘉兵衛は、自分の手の及ばぬ疾渡丸を敵視。さらに外国人商人を装う幕府の隠密・鄭賢を捕らえたことをきっかけに、造船所襲撃を企てます。その動きを察知した虎之介たちは、疾渡丸の緊急出港を決定するのですが……


 天網恢恢疎にして漏らさず――法の目をかいくぐって悪事を働く者を誰かに懲らしめてほしいというのは、古今東西を問わず大衆の夢。そしてそれを叶えるヒーローは、時代ものの世界でも様々な形で描かれてきました。
 本作もその一つではあるのですが、いうまでもなく他と全く異なる特徴は、その中心にあるのが密命弁財船であることです。

 江戸時代前期、海運の発展と経済の発展が直結していた時代、ある意味当然のようにそれに伴って起きる湊での犯罪や陰謀。それを取り締まるには、船を以てするに如くはない――その考えの下、幕府が密命弁財船を造るというのがまず面白いですが、さらにそれが取り外し式の帆など、当時の日本の船舶では革新的なアイディアを投入した快速船というのは胸踊ります。

 そして船という舞台が魅力的なのは、様々な人間が、様々なプロフェッショナルが乗り合わせていることでしょう。本作においても、船頭を務める破天荒な好漢・虎之介、密命の中心人物でありつつも船の上では一歩引いてみせる隠密・仁平、謎の明国人・鄭賢、連絡手段である鳩を操る鳥飼いの姉妹など、船に乗るのは多士済済――その面々が、持てる特技を活かして活躍する様は、職人芸を見る時の気持ちよさがあります。


 しかし本作の巧みなのは、その設定の新奇性だけでなく、様々な登場人物が織りなすドラマも疎かにしない点でしょう。

 例えば、本作の前半のエピソードの中心人物である船大工の岩吉は、かつて自らも船頭として活躍しながらも、ある出来事が元で海を離れ、船大工になった男。作中で語られるその出来事の説得力もさることながら、それがこの弁財船の名である疾渡(はやと)丸に繋がっていくのには思わず膝を打ちます。
 さらに、実は岩吉とは血縁関係にある人物がラストに見せる粋な計らいには、胸が熱くなりました。

 そしておそらくは虎之介と並び、全編を通じての中心人物となるであろう鉄平は、初めて海に出る少年という設定ですが、それだからこそ読者に近い目線の登場人物として、その成長に期待が持てます。
 また、陰謀論を題材とした(!)後半のエピソードでは、彼のニュートラルな視線が複雑な事態を解きほぐす鍵ともなっており、物語においてその存在は貴重といえるでしょう。
(この陰謀論、あまりに突飛で説得力がないのが気になりましたが――しかしそれだからこそ、ここでは意味があるというべきかもしれません)


 さて、大海原に乗り出した疾渡丸ですが、まだまだ本作での冒険は肩慣らしといったところでしょう。本来の任務に当たるであろう、次巻は既に発売されており、こちらも近日中に紹介したいと思います。


『幕府密命弁財船・疾渡丸 一 那珂湊 船出の刻』(早川隆 中公文庫) Amazon

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2024.12.06

『大友の聖将』(赤神諒 ハルキ文庫)の解説を担当しました

 12月13日発売の『大友の聖将』(赤神諒 角川春樹事務所ハルキ文庫)解説を担当しました。戦国時代末期、九州の大友宗麟に仕えた実在の武将にして「大友の聖将(ヘラクレス)」と呼ばれた天徳寺リイノの生涯を描く歴史小説です。
 その名が示す通り敬虔なキリスト教徒であり、大友家が斜陽の一途を辿った末に、九州制覇を目指す島津家に追い詰められた時もなお、宗麟の下で戦い続けたリイノ。しかしその前半生は、裏切りと殺人を繰り返した悪鬼のような男だった――という設定の下、戦国レ・ミゼラブルというべきドラマが描かれます。


 この作品は刊行順では作者の第二作に当たる作品ですが、私が初めて読んだ赤神作品でもあります。その際に大きな感銘を受け、作者のファンになった作品であり、その文庫版の解説ということで、大いに気合を入れて書かせていただきました。

 文庫の帯には「赤神作品の原点」とありますが(解説のタイトルの一部でもあります)、単純にデビュー直後の作品だからというわけではなく、初読時には意識していなかった(当たり前ではあるのですが)現在に至るまで作者の作品を貫くあるテーマについて、解説では触れさせていただいています。
 私が作者の作品をこよなく愛する理由である(そして作者の作品に悲劇が多いことの理由でもある)そのテーマとは何か――それはぜひ解説をご覧いただきたいのですが、単行本刊行から六年を経てもなお、それが古びておらず、むしろいまこの時に大きな意味を持つものであることは発見でした。


 というわけで赤神作品ファンの方にも、これから触れられる方にもおすすめの『大友の聖将』、作品を楽しまれる際の一助になれば、本当に嬉しいです。
 どうぞよろしくお願いいたします。


『大友の聖将』(赤神諒 角川春樹事務所ハルキ文庫) Amazon

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2024.12.04

呪いと鎮魂の間に舞う 瀬川貴次『もののけ寺の白菊丸 桜下の稚児舞』

 とある曰く付きの寺を舞台に繰り広げられるホラーコメディ待望の続編が刊行されました。帝の御落胤ながら、故あって寺に預けられた十二歳の白菊丸が寺で巻き込まれる騒動はまだまだ続きます。今回はなりゆきから稚児舞の舞い手に選ばれた白菊丸が悪戦苦闘する羽目になるのですが、その裏には……

 帝の最初の子として生まれながらも、母の身分が低かったことから存在を隠され、密かに育てられてきた白菊丸。十二になった年に大和国の勿径寺に預けられ、稚児となった彼は、そこで封印されている大妖怪・たまずさと出会います。
 実は勿径寺は、京から焼け出されたもののけ縁の品が封印された寺。たまずさに妙に気に入られ、自分も懐いた白菊丸は、そんなもののけたち絡みの事件に次々と巻き込まれることに……

 という設定で描かれた前作では、いい加減ながら非常に強い法力を持つ定心和尚、稚児たちのカリスマで白菊丸も憧れる千手丸といった寺の人々、そして正体はあの九尾の狐とも噂される白い獣の大妖・たまずさなど、個性的な人々(?)が登場――作者らしい、時におどろおどろしく基本おかしい、テンション高い物語が展開しました。
 そのノリはそのままに、新たなキャラクターたちを迎えて、物語は展開します。

 奇病に倒れて医者にも見放され、定心和尚を頼ってきた近くの村の悪名高い地主。しかしその正体は奇病ではなく何者かの呪いであり、定心の法力で返された呪いは意外な人物の元に返されることに……
 という第一話において、思わぬ形で呪いと関わることになった白菊丸は、その後、夜の境内を闊歩する巨大なザトウムシのような土地神と遭遇し、それが神楽に聞き惚れている姿を目撃します。

 それを聞いた定心和尚は、たまずさが解放されたことが原因と考え、かねてから進めていた<勿径寺/花の寺計画>の一貫として、鎮魂の法会を開き、桜の下で稚児舞を行うことを発案。たまずさ解放に責任のある(?)白菊丸もその一人に選ばれてしまうのでした。
 舞など全くやったことはないにも関わらず舞い手に選ばれてしまい、悪戦苦闘を続ける白菊丸ですが、その周囲では怪異が相次ぎます。その影には、「呪い」を請け負うある男の存在がが……


 全四話構成の本作ですが、第四話である表題作が全体の半分を占め、前三話はそこに至るまでのプロローグという印象が強い構成となっています。そして物語の内容を一言で表せば、呪いと鎮魂の物語といえるでしょう。

 舞台となるのはおそらく鎌倉時代――戦乱で宇治の寺が焼かれ、そこに封じられていたもののけたち縁の品が勿径寺に移されているという設定があるので――いまだ呪いが力を持つものと信じられ、同時に死者の怨念・無念が力を持つと信じられていた時代です。このように、呪いの実効性と鎮魂の必要性が人々に信じられていたからこそ、本作は成立する物語といえます。

 もっとも本作の場合、呪いを積極的に仕掛ける人物が登場することから、物語はさらにややこしくなります。呪いを引き受ける謎の青年、背中に「禍」の字を染めた衣を着たその名は禍信居士――事の善悪を問わず、依頼を受ければ呪詛を請け負う彼は本作の敵役ではありますが、ターゲットに妙な拘りを持っているのがユニークです。
 もっともその拘りを含めて定心和尚からは生暖かい目で見られてしまうのも、また本作らしいところですが……


 そんな新キャラクターが存在感を発揮する一方で、たまずさはちょっとおとなし目で、ほとんど白菊丸の保護者役に徹していたため、前作ほどの危険性と、それと背中合わせの魅力を感じられなかったのはやや寂しいところではあります。
 もっとも彼女の正体については、九尾の狐かと思えばはっきり異なる点もあり、まだまだ気になる存在であることは間違いありません。

 今回描かれた厄介事は実質的には解決しておらず、まだ尾を引くことを予感させます。この先描かれるであろう物語もまた、楽しみになります。


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